バブル時代、東京から脱出を志す人々がいた──1989年「SPA!」地方会社の『ゆとり生活』を読む

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「SPA!」(扶桑社/1989年8月30日号)
 何かと地方取材に行く機会が多い、今日この頃。どこの地方でも必ず、都会の喧噪を逃れて移住してきた人には出会うものである。  最近は、地方の自治体が移住者を求めて、広く門戸を開く、いうケースも増えてきた。けれども、移住には覚悟が必要なもの。単に、都会に疲れて逃げてきたような人に、地方の狭い人間関係やしきたりは厳しい。そうして、せっかく移住した地域を恨んで姿を消す人も絶えない。  これだけさまざまな情報が飛び交い、移住のために最低限必要なことがわかっている時代であるにもかかわらず。  現代とは少々違う意識で「なんだかよくわからないが、とにかく忙しい」そんな会社勤めが当たり前だったバブル時代。残業に疲れても、飲み歩くことこそ当時の美学。現代よりも集団行動が強いられていた時代ゆえに、そこに疲弊する人も多かった。  朝から晩まで、仕事に接待にぐるぐる回り、同僚と飲んでは午前様。「24時間戦えますか」というリゲインのCMが流行したりもしたけれど、サラリーマンは疲れていた。  そうした中で入ってくるのが、海外、とりわけヨーロッパの情報である。ヨーロッパでは、もっと休暇が長く、サラリーマンでも優雅にバカンスを楽しむのが当たり前らしい。  そうした優雅な実例として、イタリア人的な生活や文化が理想とされたことを覚えている人は少ない(なお、バブル時代。もっともイタリア的な日本人とされたのが石田純一である)。  この好景気が続けば、日本にもやがてバカンス文化が定着する。そんな分析もされていたけれど、それはいつのことやらわかっていなかった。  だが、もう都会に我慢できなくなった人たちは、早々と地方へと移住していったのである。 「SPA!」(扶桑社)1989年8月30日号掲載の「地方会社の『ゆとり生活』に心ひかれる」は、地方の企業で働きながら、都会とは違い優雅に暮らす人々の姿を紹介している。  もう地方にもバブルの恩恵が普及していた時代である。地方だからといって賃金が低いといったデメリットも顕在化はしていなかった。そして、バブルの恩恵で儲かる企業の福利厚生は、地方でもやっぱりすごかった。  静岡県清水市(当時)にある鈴与倉庫が福利厚生用に購入したのは、総額2,200万円のヨット。 「土日はほとんど船を出します。伊勢の鳥羽や伊豆半島、大島まで足を延ばすこともある。船頭付きの保養所みたいなものですね」  と、同社の社員はコメントしている。なんとも優雅な感じもするが、これって休日にも上司と一緒にヨットで海に出かけなくてはいけないということか。うん、こういった距離感が好きな人には、とても歓迎されそうだ。  この会社を選んだ人は先見の明があったなと思うのが、現在も「おかめ納豆」で知られるタカノフーズ。会社があるのは、都会の喧噪とは無縁な茨城県小美玉市。紹介文で「つくばに近い」というのは少々無理がありそうな気もするが、女子社員の多さがアピールされている。  きっと、記事を見て就職した人もいるだろう。絶対に潰れそうもない安定感のある納豆を生業にして、社内結婚して幸せに暮らしている人もいることだろう。  逆に、記事中で紹介されている企業の中には諸行無常を感じる会社も。  長野県諏訪市のチノンがそれだ。  そう、かつては数々の名機で知られたカメラメーカーである。しかし、90年代に経営の多角化に失敗。コダックの傘下に入り、その歴史を終えた(商標はかつての関連会社が取得し、現在も継続)。  そんな、後の歴史を知ってるがゆえに、記事中に求める人材として「経営の多角化を目指す必要上、型にはまらない活動的な人」と書かれているのは、どこか悲しい。  でも、この時期のチノンは地方企業でありながら、信じられないほどのイケイケムードが詰まっている。  独身寮は、全員個室で温泉付き。40畳の宴会場まであって、寮費は月3,000円。30歳の給与が24万2,200円と記されているが、もう入社早々から、好きなだけ遊んで貯金もできそう。  独身社員の全員が車を所有。「諏訪湖、美ヶ原は庭のようなもの」と、夢のようなライフスタイルが描かれているではあるまいか。  バブル時代。都会から逃げて、地方へと移住していった人は、どこか「負け」の感覚を持っていたかもしれない。  でも、会社選びを間違えなければ、21世紀の今「あの時、決断してよかった……」と人生を振り返っている人が多いように思える。 (文=昼間たかし)

住むならどっち!? 多摩と湾岸で迷ったバブル時代と80年代雑誌の“ユルさ”

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「週刊プレイボーイ」(集英社/1989年9月19日号)
 タイトルで「どっち」と書いたけれども21世紀の今、ほぼ決着がついているのは、ご存じの通り。  多摩地域のボロ負けである。  その名前の通り、まるで神殿のような街が建設されたパルテノン多摩は陳腐なものになってしまった。そして、高度成長期以降、多くの人々が夢を抱いて住んだ多摩ニュータウンは、もはや完全なオールドタウン。歩道と車道の完全分離のように考え抜かれた都市計画も、いざやってみると夜道が危ないなどの危険ばかりを生み出した。  片や湾岸地域は、タワーマンションが乱立する完全な未来都市。バブル時代は倉庫を改造したウォーターフロントの店が繁盛していた勝どきや芝浦の風景は、ガラリと変わった。とりわけ勝どきの変貌は著しい。低層団地や倉庫群は完全に取り壊されて、すべてタワーマンションへと生まれ変わった。今後、マンションの価格は下落する=今はバブルといわれはするけども、繁栄を謳歌していることに間違いはない。  そんな多摩と湾岸と、どちらが優れているのか混沌とした時期の記事。「週刊プレイボーイ」(集英社)1989年9月19日号「東京を考える特集 のっぺり東京のふたつの顔『多摩VS湾岸』」が、今回のお題である。  この記事、どちらに住もうかと迷う、子どもも生まれたばかりの若夫婦の対話形式で綴られていく。なんだけれども、まず設定が少々、トンでいる。 「ボクがいま住んでいるのは足立区の綾瀬です。あの『幼女誘拐殺人事件』で影が薄くなっちゃったけど、『女子高生リンチ殺人事件』が起きたあの“狂気の街”綾瀬なのです」  いやいや、現代の雑誌、あるいはネット記事で書いたら、即座に赤字を入れられそうな一文である。この不謹慎なユルさこそが80年代。これとは別だが、雑誌のグルメレポで「原爆が落ちたような美味さ」という、酷い文句を見出しでどーんと書いても「ああ、そんな衝撃的な美味さなのだなあ」程度で受け止めてくれるのが80年代なのである。これも、アゲアゲムードの中での余裕ということなのか。  さて、この記事でたびたび比較対象として提示されるのは、多摩市と江東区。湾岸といっても当時は、まだまだ開発途上にあった地区。  記事は、それぞれの市役所に話を聞いたりして、オススメポイントを提示していくのである。  でも、そうしたデータと共に記されるオススメポイントは、狙っているかのような無軌道ぶり。もんじゃ焼きの本場を「江東区の月島」なんて記していたりする。これが、ネタなのか本気なのか判然とし難いが(月島は中央区です、念のため)、後者だとすれば、今では人気スポットの月島が、いかに見向きもされない街であったかを如実に現しているように思えるのだ。  そんな感じなので、とにかく多摩も湾岸も、オススメされても、まったく住みたい気分にならない。 「湾岸はさ、海があるんだ。親子揃ってウィンド・サーフィンなんてかっこいいぞ」 「多摩の奥のほうでは熊が出るって話もあるし」  こうして、会話形式で綴られる記事は、いつしか青山に住みたいという妻の本音へとシフトしていく。  ここでわかるだろうか。この記事の本質は「多摩VS湾岸」ではないことを。  そう、少し捻くれた形で港区や千代田区といった内陸部に住むことのできない人々の、怨嗟の声を綴りたかったのだ。  家賃が高騰し、買いたいものが溢れても、給料の上昇スピードが遅かった時代。人々は、怨念を内に貯め込んで暮らしていたのだ。 (文=昼間たかし)

女性誌だけは豪華付録で好調も……2017年上半期雑誌販売金額が大幅に減少していた

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「sweet」2017年9月号(宝島社)
 電子出版市場が好調の一方で、雑誌の落ち込みはさらに続く。そんな2017年上半期の出版市場の状況が明らかになった。  出版科学研究所の発行する「出版月報」7月号に掲載された2017年上半期の分野別動向によれば、紙の出版物全体では販売金額は7,281億円で前年同期比5.5%減。うち雑誌の販売金額は、3,327億円で8.5%という大幅な減少となっている。  中でも注目されるのが「週刊少年ジャンプ」(集英社)の部数減少。昨年末に200万部を割った同誌は、年明けから一気に部数を減少し、180万部台まで縮小するに至っているのだ。  コミック誌では、「月刊flowers」(小学館)が、萩尾望都の『ポーの一族』の新シリーズの連載で部数を大きく伸ばしたことを除けば、軒並み減少が続いている。「ちゃお」(同)は、4月号で自走式ロボット掃除機を付録につけるという手に打って出て完売となったが、発行部数そのものは減少している。  この、豪華な付録がつくと売上が伸びる現象は、ほかのジャンルでも同様。女性ファッション誌では「KERA!」(ジェイ・インターナショナル)などが休刊する一方で、付録が豪華な「sweet」(宝島社)などは好調である。  この付録商法で部数を競い合っている女性誌だが、中でも注目したいのが「美人百花」(角川春樹事務所)である。この雑誌、毎号の付録がすべてケースの類いなのである。  最近の号を見てみると、7月号は「アレクサンドル ドゥ パリのミニ財布」、8月号は「ジル スチュアートのマルチブラシケース」、9月号は「メゾン ド フルールのマルチアクセサリーケース」と続いている。興味のない人にはまったく意味不明だろうが、この雑誌が扱うスタイルのファッションを求める女子にとっては付録が十分に購入動機になる雑誌のようである。今さらではあるが、半ば雑誌本体のほうがオマケになっている感は否めない。  このジャンルを除けば、雑誌は軒並み不調である。男性誌もアダルト誌も市場は縮小。週刊誌系でも「AERA」は1割前後落ち込んだことが指摘されている。  どうも雑誌は、さらに淘汰される時代へと入っているようだ。  対して、伸びは鈍化したものの前年同期比で21.5%も伸びたのが電子出版市場である。ただ、伸びたとはいえ、まだ規模は小さく、販売金額は1,029億円に過ぎない。この内訳をみると、コミックが777億円。書籍が140億円。雑誌が112億円となっている。  以前と変わらず、電子出版の市場の大半はコミックによって支えられているという構造。今後、電子出版がどのように普及していくかは、まだ不透明といえるだろう。  こうした中で、もっとも変化を見せているのは出版流通である。雑誌の低迷による輸送量の減少によって、出版取次では土曜日に書店に本の配送を行わない土曜休配日を、昨年より8日多い13日に増やしている。  また、Amazonでは各取次で在庫していない書籍を日販が出版社から取り寄せる「日販バックオーダー発注」を6月末で停止。出版社への直取引の強化を始めている。  こうした流通の変化によって、実際の雑誌・書籍のあり方はどう考えていくのか。いまだ、明確な答えを持つ人はいない。 (文=昼間たかし)
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パソコン通信で彼女ができる? アマチュア無線では“オタサーの姫”が殺されていたバブル時代

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「スコラ」(スコラ/1989年5月25日号)
「パソコン通信で、彼女ができる!!」  ああ、これを読んでパソコン通信を始めたヤツもいたんだろうなあ~。そんな感慨に耽ってしまう記事が掲載されているのが「スコラ」1989年5月25日号。  この記事読んでいるだけで、ホントにパソコン通信を始めたら彼女ができるんじゃないかというほどにテンションが高い。なにしろパソコン通信を「電脳空間に広がる一大ナンパワールド」と煽り、こんなふうに誘惑する。
「オタク」「暗い」といわれる代表的人種がパソコンマニアだったのはもう過去のこと。
 ちょっと待て、と思った。ナンパの一歩先であるセックステクニックやらを掲載しまくっていた「スコラ」を、当時パソコン通信をやるような人々が読んでいたのだろうか。少し考えて腑に落ちた。この記事の対象者は「オタク」でも「ネクラ」でもないナンパ大好きな男子たち。そんなヤツらの新たなナンパ目的の社交場としてパソコン通信を提唱しているというスタイルだったというわけだ。  もはや、あらゆる機器がネットワークで接続された21世紀。もう誰もがスマホを用いてインターネットに接続するのは頭で考えなくてもできることになった。けれども、この時代は隔世の感がある。なにしろ電子メールひとつとっても、概念を理解させるのが大変だ。  なので、会話形式での解説で次のように文章が綴られる。 「早速メールを送ってみよう」 「メールっていうのは?」 「ネットワークの中の郵便だ。特定の個人に送るもので、絶対他人には見られることがない」 「そっか。じゃあ『はじめまして。今なにやってるの? 今度ハチ公の前で待ち合わせしよう』と」 「アホか! そんなこと書いたって絶対だめだ。テレクラと勘違いしないように」 <中略> 「結構まだるっこしいんですね」  当時は声掛けナンパの全盛期である。ナンパの利点は、学校や職場など、いつも身を置いているコミュニティと違ってしがらみがないというのが、まずひとつ。そして、即座にイエス・ノーの結果が出るというのがもうひとつ。テレクラも、その延長で隆盛したという側面があった。なので、ナンパに長けた者が新たな狩りの場所として開拓しようとすれば、パソコン通信のまだるっこしさに戸惑ったのではなかろうか。
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「ホットドッグプレス」(講談社/1989年2月25日号)
■ナンパが苦手なボーイにこそ魅力的だったパソコン通信  だから、パソコン通信でナンパを試みたのは、日常からナンパを繰り広げている男子よりも、もう一段下の気弱な男子だったのではないかとも推測できる。というのも、この記事よりも少し前「ホットドッグプレス」1989年2月25日号でも、やっぱりパソコン通信で恋人をゲットする方法が指南されているのである。「ホットドッグプレス」といえば、言わずと知れた恋愛マニュアル雑誌の王道。現代的な視点では、決してうまくいくはずもないナンパテクを掲載しまくっていた同誌では、恋人づくりにおけるパソコン通信の優位性をとにかく煽る。  お互いにパソコン通信の仲間意識があるから、意気投合するのは素早い。かつまた、パソコン通信では顔が見えないから絶対に“今度あいましょう”なんて話に発展するはず。 <中略>  実際に、パソコン通信で知り合った2人が結婚しちゃったって新聞記事がこの間出てました。  そんな夢にあふれるパソコン通信。でも、人間とは愚かなもの。現代と変わらず、コミュニティの中ではさまざまな愛憎のもつれが存在していたのだろう。 ■アマチュア無線では男女交際のもつれで殺人事件も  そこでふと思い出して調べてみたのが、80年代にあったアマチュア無線で出会った男女が別れ話になった結果の殺人事件。1987年12月に起こったこの事件。調べて見ると、いろいろオカシイ。  被害者は名古屋在住の当時32歳のピアノ教師の女性。犯人は20歳の専門学校生。この年の5月アマチュア無線で知り合った2人は交際を開始。人妻だったピアノ教師は8月になって夫と別居していたというから、かなりの熱の入れようだったのだろう。ところが、秋になると女性のほうが一気に冷めモードに。12月に入りクリスマスの夜に徹夜で話し合ったが女性の方が「ほかにいい人がいる」と言い出したため、絞殺。東名高速を飛ばして都内に向かい、結局、八王子市に遺体を遺棄したというもの。  これだけなら、ちょっと複雑な男女間の愛憎劇なのだが「中日新聞」1987年12月31日付には、こんな一文が。 捜査本部は、別居中の夫からアマチュア無線仲間の親しい男性がいたとの情報を得、交際していた三人の男性の追跡調査を開始。  え? これはオタサーの姫の殺人事件? いやはや、オタサーの姫は、この時代から存在していたということか。  ちなみにこの記事、被害者の弟のコメントも掲載されているのだが…… 「姉にどんな交遊関係があったのか知りませんでした。犯人逮捕と言われても犯人がどんな男だったのか分からず複雑な気持ちです」と沈痛な表情で話していた。  事件にまでは至らずとも、誰も幸せにならない男女交際は、いつの時代も存在していたということなのか。 (文=昼間たかし)

黒木香の焼肉屋は良心的だった!? タレントショップの流行に煽られた「一般人のサイドビジネス」

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「GORO」(小学館/1989年4月27日号)
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「SPA!」(扶桑社/1989年3月9日号)
 やたらとみんな稼いでいたと誤解されがちな、バブル時代。でも、好景気が正社員の給与に反映されるまでには、長い時間がかかった。  大卒初任給がようやく20万円台を突破したのは1989年のこと。アルバイトの時給が高騰する一方で、正社員の給与は低く抑えられていた。  現代では、好景気の割に意外と儲かっていないサラリーマンも多かったというバブル時代の真実は、忘れられている。みんな経費が使い放題だったとか、給料はすぐに上がったという神話を信じて、お得な人生を送ったバブル世代に対する怨嗟をにじませているのである。  だが、すべてのサラリーマンがそうであったワケではない。現代でも、会社の部署によって経費の使える、使えないはさまざま。業種によっては、いつの時代にあっても常に儲からないのが当たり前なんてのも珍しいものではない。  例えば出版業界だってそうである。当時、雑誌編集部で働いていたような編集者に聞くバブルの逸話は、とにかくゴージャス。会社に出勤するよりも、飲み歩くのが仕事みたいになっている者もいた。でも、当時は雑誌が売れまくる一方で、書籍はあまり売れない時代。吉本ばななの登場によって、文芸書は再び脚光を浴びるようになるわけだけれど、硬派な書籍を担当していた編集者なんて今も昔も儲かってはいないもの。  だから、職場などで「バブル時代は最高だった」と吹聴して回るバブル世代のヤツらの言説を、容易に信じてはいけないのである。  そんな儲からない時代だけれども、現代と大きく違うのは、儲からない時にどうすればいいかという意識である。現代において、稼ぎも少なく残業も多い人々は、ネットでブラック企業に勤務する我が身を嘆くばかり。  でも、バブル時代は違った。  仕事が忙しかったといわれるバブル時代。でも、忙しいハズなのに、多くの人々は体を酷使することを厭わなかった。雑誌やテレビを見れば、次々と物欲をそそられるものが登場する。街はキラキラと輝き、カネを持ってそうなヤツらが我が物顔で歩いている。  疲れた体を引きずって精神をすり減らす現代と違い、多くの人々はサイドビジネスで稼ぐという手段を選択したのである。 「ゴージャスに遊びたいから、そのためにもっと稼いでやる!!」  そんな意識がバブル時代の標準だったというわけである。 ■芸能人みたいにサイドビジネスを  本業の給与とは別に、月に10万円は稼ぎたい。そんなサラリーマンたちが挑戦していたのは、さまざまなサイドビジネスであった。コンビニなどでバイトをする者も多かったようだが、もっとハイレベルな副業に挑戦する者も多かった。  土日だけ住宅販売の仕事をして、成功報酬制で3カ月で150万円を稼いだ猛者もいる。そんな情報が流れれば、我も我もと挑戦するのは当然。深夜に運転代行を始める者もいれば、結婚式の司会や探偵など、どうやって見つけたんだというサイドビジネスも、当時の雑誌には数多く掲載されている。  ここで、現代の人々は疑問に思うのではなかろうか? まだまだ終身雇用制が存在し、会社への忠誠心が強かった時代に、なぜそんなにサイドビジネスに熱心になることができたのか。その理由は遊ぶ金だけではない。当時、流行していたタレントショップが、サイドビジネスのハードルを下げたという側面は否定できない。 「GORO」1989年4月27日号に掲載された、綱島理友によるルポ記事「タレントの店を見笑する!!」。「見笑」と書いて「ミーハー」と読むこの記事は、もはや誰も覚えていない原宿におけるタレントショップの乱立を記録している資料である。原宿駅を一歩外に出れば、もう右も左もタレントショップばかり。  北野倶楽部にフックンの店、コロッケの店に高田純次の店……。聖飢魔IIの「ぬらりんハウス」は、聖飢魔IIの弁当箱まで売っていたそうである。そんな店は、どこもかしこもはやっていた。  あっちも行列、こっちも行列、どこか行列しないで入れる店は無いのか。と見廻すと、一軒ありました。行列ナシ、すぐに入れるという店が。「島崎俊郎商店」。(前出「GORO」)  さらに、この記事では原宿を離れてもタレントショップはわんさかあることを、丁寧に記録している。渋谷にあった黒木香の焼肉屋は「ランチメニューは値段の割にボリュームもあり、実に良心的にやっている店」と記す。  恵比寿には酒井法子の「のりピーハウス」。自由が丘には松田聖子の「フローレス・セイコ」……と、タレントショップは都内ばかりかと思いきや、江川卓の「きりんこ」は「東名横浜インターからクルマで10分位である」という。  いったいなぜ、そんなところに店をオープンしようと思ったのか? こうした芸能人たちが、どういう目的で開業したのかイマイチ不明なタレントショップの隆盛だが、そうした存在が一般人にも何か一稼ぎ考えようかという意識を与えていたことは間違いない。 (文=昼間たかし)

結局は9割が大樹に拠った……80年代に「フリーター」を推奨した人々の、その後の人生

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当時の「プレイボーイ」(集英社)には、こんな誌面も……
 フリーターという言葉を広めたのは、リクルートのアルバイト情報誌「フロム・エー」(現在は休刊)。  1987年には「フロム・エー」創刊5周年を記念して『フリーター』というタイトルの映画もつくられている。この映画、金山一彦演じるフリーターの若者が、羽賀研二や鷲尾いさ子とともに人材派遣サークルなるもので活躍する映画。なぜか途中から三浦友和とビジネスで対決するという筋立てで、フリーターというよりはベンチャー企業を立ち上げた若者たちの青春映画という趣き。  ともあれ、この映画を通じて喧伝されたのは、フリーターという新しい生き方。その生き方で享受されると信じられたのが、会社や社会に縛られない自由な生き方というものである。  アルバイトの賃金はうなぎのぼり。正社員の賃金はまだまだ抑えられていたバブル前期。この新たなライフスタイルは、大いに魅力的だった。何しろ、当時、学生が必死にアルバイトをすれば40万、50万円と稼ぐことも可能だった。なのに、卒業して就職すると給料は20万円足らず。「やってられるか」感は、ずっと強かったのだろう。 「財界展望」1988年10月号(財界展望新社)では、学生援護会が行った学生の意識調査を紹介しているが、ここでは4人に3人の割合で学生はモラトリアム意識を持っていることや、当時、徐々に導入されつつあったフレックスタイム制にも強い関心を示していることが記されている。  アルバイトによって、目先のカネには困らない中で「もしかしたら、会社に勤めなくても、一生好きにやっていけるのではないか」という希望が、現実味を持っていたのである。 ■フリーターを絶賛した人々の現在  それを、若者を「使う」側の人々が、さらに後押しをした。フリーターというのは、充実した人生を送ることのできる素晴らしい生き方なのだと……。  バブル時代、学研が発行していた女性誌「ネスパ」1988年5月号の特集「フリーアルバータの魅力!!」は、そんなフリーターとして生きることを絶賛しまくる記事。すでにリード文からしてテンションが高い。 仕事=フルタイムワーク……なんて考え方はもう古い! 自分のライフスタイルにあわせて好きな時、好きな形(スタイル)で働く人たち、これがフリーアルバイターです。 やりたいことをやりぬくためにあえて就職しないという生き方、ステキだと思いませんか?  ……こんなテンションで始まる記事ゆえに、紹介されるフリーターとして生きる女性たち=読者が憧れるべき存在もレベルが高い。  まず紹介されるのは、昼は劇場事務で稼ぎつつ夜は舞台に立っている劇団女優。週6日働いて、月収は15万円。なるほど、誌面にとっては理想的な夢に生きているタイプ。いったい、今はどうしているのかと調べてみたら、現在も女優業のほか舞台演出や脚本で活躍を。いやいや、早稲田の二文→劇団って、これはフリーター以前にそういう生き様じゃ……。  おそらく、こんな初志貫徹な人生は例外中の例外。続いて紹介されるのは、毎日ウィンドサーフィンをするために、仕事は月に20日ほどキャンギャルやイベントコンパニオンだけという女性。文中では「24歳までは本気で海で遊ぼうと決めた」と書いているから、今は陸に上がって暮らしているのかなと勝手に想像。  もっとも強烈なのは、子ども会のボランティアが楽しいので、仕事は週3日、月収5万円のみという女性が。これ、賞讃されるよりも、誰かが止めたほうがよい案件だと思うのだけど、どうだろうか?  そんなフリーターの女性たちよりも強烈なのが、特集の後半に登場するフリーターとしての生き方を賞讃する業界人たち。  こちらは、現在の状況も追いやすかったので、そちらも一緒に紹介したい。  まず「女性は自分の好きな仕事をしたいから、結果的にフリーターが多くなる」という主旨で語る、当時「とらばーゆ」編集長だった江上節子氏は、現在は武蔵大学で教授に。 「いつも燃えていないといけないんです」と語るシンガー・和田加奈子氏は、その後、一般男性と結婚し引退。離婚後、マイク眞木と再婚し、時々テレビにも出演している。フリーターの名付け親ともいえる「フロムエー」編集長だった道下勝男氏は、さまざまな企業を経て、トータルヘルスプロデュースを行う企業の役員に名前がある。  なんだろう。フリーターを推奨していたハズの人々から感じる「寄らば大樹の陰」感は。  唯一、企業に入っても先細りならばフリーでもよいのではないかと語る、西川りゅうじん氏は、現在もさまざまな大規模イベントのプロデューサーなどに名を連ねている。この西川氏の生き様で賞讃したいのは、いかに時代が変われども、常にバブル的な動きのある場所を見つけ、そこで自身の仕事を生み出すクリエイティブ力。  いや、結局、これくらいの能力がなければフリーターはできなかったのか。世の中は残酷なものだ。 (文=昼間たかし)

1989年、女子高生エロスの誕生──雑誌「GORO」がロリコンをとことん変態扱い!

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「GORO」(小学館)1989年11月23日号
 長らく中断しておりました連載「100人にしかわからない本千冊」。このたび、バブルの熱気を再現した著書『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)も無事刊行。  自分では、相当濃厚に記述したつもりなのだが、まだまだ書きたいことはウンとある。というわけで連載第2期は、雑誌・単行本単位ではなく80年代をテーマ別に取り上げる。  その第1回として取り上げたいのは女子高生である。 「ブルセラショップ」や「援助交際」がマスコミに取り上げられて、社会問題になったのは1990年代に入ってから。80年代にもロリコンブームというのはあったけれども、女子高生とか、それよりもさらに下の年齢の女のコと恋愛したいだとか、セックスの欲望を抱くのは、単なるど変態に過ぎなかった。「ロリコンです」と公言したり「女子高生好き」をアピールする輩はは、今以上に変態扱いされたのである。 「GORO」(小学館)1984年7月26日号には「女子高生のぬくもりの残ったセーラー服が販売好調。 買うのは、ナント20代の若者たち」という記事が掲載されているが、内容は完全に変態扱いである。この年まで、すごいエレクチオンで、次々と女をいてこますマンガ『実験人形ダミー・オスカー』が連載されていた「GORO」。そんなマンガを楽しんでいた読者にとってみれば「女子高生ハアハア」は、水準以上に変態に見えたのではなかろうか。  そんな「GORO」が宗旨替えをしたのが、1989年11月23日号。この号において「GORO」は「女子高生マニュアル」というタイトルの大特集を投入する。この特集で特徴的なのは「関東制服ベスト15」と題して、オシャレな制服の学校に通う女子高生たちが、顔出しで登場しまくっていること。これに先行する形で森伸之の『東京女子高制服図鑑』(弓立社)が、最初に刊行されたのは1985年。その頃から数年をかけて「女子高生ハアハア」という意識は熟成されていったのだろう。
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「GORO」1988年2月11号
■国士舘、帝京、東京国際、大東文化は素人童貞で大学生活が終わる  でも、世の男性たちが女子高生へと対象年齢を下げた根本的な原因はなんだろう。ひとつ考えられるのは、女子大生を相手にすることの困難さである。80年代を通じてブームとなった女子大生は、同年代の若者からオッサンまでが愛おしみ、必死で口説く巨大なカテゴリーであった。  けれども、そこには困難さが存在した。少なくとも、オッサンならばカネを持っていなければモテない。80年代後半、急速に普及したクレジットカードだが、ある程度の年であれば年会費の高いゴールドカードを持っていなければ、まずステージにも上がれないという具合。そう、なにかと曖昧な現代と違い、バブル時代には女のコと仲良くなる必須条件は明確だった。  ならば、若者はどうだったか。女子大生が相手にするのは、だいたいが同年代の学生たち。そこで見られるのは通っている学校名にほかならなかった。件の「GORO」1988年2月11号では「これが噂の女子大生算出版 ウラ偏差値リストだッ」という記事を掲載している。  ここでは、とにかく受験を突破して大学デビューを目指したい男子への、極めて残酷な見出しが……。 「大学で決まるSEXの相手」  ようは、どこそこの大学の男子学生は、おおよそ、このあたりの女子大生と付き合うという相関関係があるということ。東大や一橋、都立大に通っていれば、お茶大や東女(とんじょ)あたりの女子大生と。立教・上智・青学あたりは、学内でそれぞれ相手を見つけているという具合。でも、この記事はその先の残酷な真実をも知らせる。たいてい女子大生と付き合えるのは日東駒専あたりまで。それよりも下のランクの国士舘、帝京、東京国際、大東文化では、女子大生には、まったく相手にしてもらえないという事実を突きつけるのだ。  彼女ができる確率は限りなくゼロに近く、寂しい学生生活になること必至だが、コンパのあと先輩にソープに連れていかれるので、童貞喪失だけはできる。  つまり、80年代後半のバブルの空気の中で、日東駒専以下の男子学生たちは、最初から女子大生には相手にもしてもらえない、アウトカーストになっていたのである。  何しろ、学内に希少な女のコがいたとしても、そいつらは、こぞって日東駒専以上の男子と付き合っているもの。学力面では同等だとしても、まったく相手にはされなかったというわけか。  すなわち、女子高生とは世の寂しい男性にとってのフロンティアであったという具合。それが21世紀のJKビジネスへとつながっていくとは、誰が想像しただろうか。 (文=昼間たかし)
1985-1991 東京バブルの正体 (MM新書) あの頃はスゴかった amazon_associate_logo.jpg

「AneCan」「SEDA」「Soup.」に続き、きゃりー輩出の「KERA」も休刊! 女性ファッション誌がなくなる!?

「AneCan」「SEDA」「Soup.」に続き、きゃりー輩出の「KERA」も休刊! 女性ファッション誌がなくなる!?の画像1
「KERA」の読モだったきゃりー
 個性派原宿系ファッションなどを19年にわたり紹介してきた女性ファッション誌「KERA(ケラ!)」(ジェイ・インターナショナル)が、4月15日発売号をもって休刊することがわかった。  1998年に創刊され、歌手デビュー前のきゃりーぱみゅぱみゅが読者モデルを務めていたことでも知られる同誌。パンクファッションやロリータファッションなどのサブカル系ファッションから、カジュアル系まで幅広く扱ってきたが、近年は売り上げが低迷。ゴスロリファッションに特化した姉妹誌「ゴシック&ロリータバイブル」も、5月24日発売号をもって休刊するという。 「昨年から代表的な女性ファッション誌の休刊が相次いでいる。特に10代後半から20代中盤がメーンターゲットの雑誌は厳しく、『インスタグラム』や、ZOZOTOWNと連動したファッションアプリ『WEAR』の普及がモロに影響したと見られている。中でも、昨年11月の『AneCan』(小学館)休刊は、出版業界や世の女性に衝撃を与える大事件でした」(女性誌編集者)  昨年はそんな「AneCan」のほか、「SEDA」(日之出出版)や「RANZUKI」(ぶんか社)など、コンビニでも売っていたメジャーファッション誌が次々と休刊に。また、今月も、ピーク時には約30万部を売り上げていた「Soup.」(スープ)が休刊。「Soup.」の版元の親会社は、休刊の理由を「雑誌の発行に係る制作費及び造本費など多大な原価に対する安定した収入を得ることが難しく、出版関連事業において利益を計上するには至っておりません」とコメントしている。 「休刊したファッション誌は、その多くがデジタル版に移行したものの、どこも広告枠の販売に苦戦。編集部員のリストラなどが行われています。また、主に宝島社が大成功した豪華な付録をウリにする売り方も完全に飽きられ、随分前に頭打ち。それでも、『CLASSY.』(光文社)や『BAILA』(集英社)、『and GIRL』(M-ON! Entertainment)といったキャリア女性向け雑誌はまだ勢いがあるため、『JJ』(光文社)もターゲット層を25歳前後に引き上げるなど、スマホ世代の若年層を切り捨てる流れが見受けられます」(同)  暗いニュースが続いている女性ファッション誌業界。「上質の紙でファッションを見る」という文化が、日本からなくなる日も近い……?

100人以上いた社員も半分に……あの“サブカルチャー系”出版社も、いよいよピンチ!

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「まったく企画を出しても編集部の反応がないと思ったら、そういうことだったのか……」  フリー編集者が肩を落としたのは、サブカルチャー系出版社がいよいよ危ないという話が聞こえてきたからだ。1980~90年代にはアダルト・サブカルチャー路線の雑誌などが若者から支持を得ていた同社だが、最近は出版不況で規模の縮小が伝わっていた。 「一時ドル箱だったコンビニ売りの廉価版コミックが不振になって、そこそこ黒字計上だったアダルト写真投稿誌も、編集部ごと他社に移籍するなど、ネガティブな話が相次いでいました。主力のアダルト雑誌も、東京五輪を見据えて規制が厳しくなっているのも泣きっ面に蜂です。少し前に制作の関係者がわいせつ容疑で摘発されてましたし」(同編集者)  すでに数年前まで100人以上いた社員も現在は半分くらいで、その“清算”が始まっているという話だ。 「同じく出版社の親会社は、すでに不動産関連の業務で利益を確保していて、無理して子会社の赤字出版社を抱えている必要もないという判断が出ているらしいです。倒産ではなく外部に売却するってウワサもあるんですけど、それでも大幅リストラになって、ごく一部の雑誌以外は消滅するでしょうね。すでに察知した面々はごそっと独立や移籍しているんですけど、残っている社員にも有能な者もたくさんいるので、なんとか彼らの働き口は確保しておいてほしいですね」(同)  聞けば、アウトロー系の漫画雑誌などはそこそこ好調で、刑務所内の体験談や、ヤクザ関連の雑誌は実売は発行部数の7割以上の高水準だという。 「こういうところは外注デザイナーや作家も優秀なクリエイターだけに、仕事を失って廃業してしまわないかと心配なんです」(同)  しかし、編集者が最近同社に提案した雑誌内の企画や書籍の提案は「ほとんどノーリアクションだった」という。 「新たな企画は不要で、過去に売れたものの焼き直しのみになっているという話ですが、それにしても音信不通というのは過去にはなかった。いずれにせよ、もう再浮上するなんてことはありえないと思うので、どこかで区切りを付けないと赤字を垂れ流すだけというのなら、最終決断も仕方なしですね」(同)  もっとも、同様に厳しい中、なんとか持ちこたえているという出版社はたくさんある。どこそこの出版社が近々倒れてしまうという不穏な情報自体が、最近は珍しくなくなってきているのだが……。 (文=鈴木雅久)

キムタク・浜崎あゆみコラボに捏造記事……名物ファッション誌「Free&Easy」休刊に見る出版不況の“深刻度”

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「Free&Easy 2016年 03 月号」(イースト・コミュニケーションズ)
 ラギッドファッションなど、中高年を中心にライフスタイルを提唱してきた雑誌「Free&Easy」(イースト・コミュニケーションズ)が、現在発売中の3月号で休刊することが明らかになった。  同誌は1998年9月に創刊。男性ファッションやライフスタイルをメインテーマにさまざまな特集企画に取り組み、中高年の物欲を刺激し続けてきた。雑誌の世界観をリアルな店舗に表現したショップ「ラギッドミュージアム」を東京と大阪で展開するなど、新たな試みも行ってきたが、こちらもすでに閉店することが発表されている。 「同誌が提唱するラギッドファッションとは、アメカジやアイビーをベースに無骨なヴィンテージテイストなどを打ち出したものですが、一つひとつのアイテムが非常に高価。中高年ファッションの一潮流として、雑誌『LEON』(主婦と生活社)のようなイタリアンファッションがありますが、これに負けず劣らずカネがかかる。しかし、昨今は不景気もあって、高価な洋服が売れない時代。最近のファッション誌の主流は、H&MやZARAなどのプチプラブランドを取り入れて、いかにオシャレに見せるかというもの。そうした時代の流れに、雑誌が合わなくなってきたのでしょう。加えて、広告出稿の激減も原因のひとつだと思います。雑誌に広告を出しても売り上げにつながらないことが、各ブランドともわかっていますから。今は出版不況というだけでなく、特にファッション誌にとって“冬の時代”なのです」(ファッション誌編集者)  同誌の編集長の小野里稔氏は出版畑ではなく、テレビ業界の出身。それだけに出版界の既成概念にとらわれない誌面作りで話題を集めたこともある。 「同誌の全盛期は2000年代初頭で、当時は大人の男性ファッション誌にジャニーズのタレントを起用することは珍しかった時代なのですが、木村拓哉を大々的にフィーチャーしたり、浜崎あゆみとコラボして別冊を作ったりするなど、出版界の人間では思いつかないアイデアを発揮していたのが小野里氏です。もともとは、テリー伊藤氏のテレビ制作会社でディレクターを務めていました。強引な演出で知られるテリー氏の愛弟子だけに、編集部も小野里編集長のワンマン体制だったと聞きます。あの不祥事も、同誌のそんな体質から起きてしまったといっていいでしょう」(同) “あの不祥事”とは、14年6月号で特集したイラストレーターの故・安西水丸氏の追悼企画において、作家の赤瀬川原平氏や角田光代氏への取材記事を捏造し、同号が自主回収された件だ。 「担当者によると、実際に取材する時間がなく、ネット上の記事を参考に捏造していたとのことですが、これも小野里編集長が強引に進めたものだといわれています。雑誌が出れば必ずバレるのに、我々のような出版業界の人間からすれば考えられない不祥事ですよね。休刊は前述した事情もありますが、この不祥事もひとつのキッカケになったのでは」(同)  一時代を築いた雑誌だけに休刊が惜しまれるが、出版不況には抗えなかったということだろう。