『桜Trick』や『幸腹グラフィティ』など、多くのアニメ化された作品を掲載していた芳文社の4コマ漫画誌「まんがタイムきららミラク」が、16日に発売された12月号で休刊することを発表し、注目を集めている。 同誌は2011年に「まんがタイムきらら」増刊号として創刊の後に独立。「きらら系」各誌の中では、ストーリーを重視する独自色を展開していた。 多くの作品がアニメ化される有力雑誌であったにもかかわらず、休刊に至った背景にあったのは何か。事情を知る業界関係者が挙げるのは「人手不足」である。 「最近、幾人か辞めたという話を聞いていましたから……本当に人が足りていないんでしょうね」(業界事情に詳しい編集者) 出版界でも業績は安定している芳文社だが、やはり人材は流動的。キャリアアップを目指す編集者には、また別の会社へと転籍していく人が常にいるもの。それが重なってしまったことが休刊の原因ということらしい。 しかし、仮にも商業出版している雑誌で、人手が回らないなんてことはあるのだろうか。 「やはり、雑誌が増えすぎたのが原因でしょう。正直、ちょっと統廃合して整理しないと読者も混乱していると思われていたところに、人手不足は、いい機会だったんでしょうね」(同) 確かに「まんがタイム××」というタイトルの雑誌は「きらら」系列だけで「きらら」のほか「きららMAX」「きららキャラット」「きららフォワード」、さらにWebの「きららベース」に「ミラクWEB」。正直、毎号買っている読者でも、自分が買っている雑誌がどれだったのか混乱しそうな勢いである。 おまけに、発売日も「ミラク」は毎月16日。「MAX」は19日。いや、確かにややこしい。 ちなみに、大人向け四コマ雑誌の「まんがタイム」のほうは「きらら」系をしのぐ、定期刊行6冊。よく混乱しないものだと感心するが……。 (文=四コマ取材班)「まんがタイムきららミラク」2017年12月号(芳文社)
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「まんがタイムきららミラク」突然の休刊──理由は「人手不足」か
『桜Trick』や『幸腹グラフィティ』など、多くのアニメ化された作品を掲載していた芳文社の4コマ漫画誌「まんがタイムきららミラク」が、16日に発売された12月号で休刊することを発表し、注目を集めている。 同誌は2011年に「まんがタイムきらら」増刊号として創刊の後に独立。「きらら系」各誌の中では、ストーリーを重視する独自色を展開していた。 多くの作品がアニメ化される有力雑誌であったにもかかわらず、休刊に至った背景にあったのは何か。事情を知る業界関係者が挙げるのは「人手不足」である。 「最近、幾人か辞めたという話を聞いていましたから……本当に人が足りていないんでしょうね」(業界事情に詳しい編集者) 出版界でも業績は安定している芳文社だが、やはり人材は流動的。キャリアアップを目指す編集者には、また別の会社へと転籍していく人が常にいるもの。それが重なってしまったことが休刊の原因ということらしい。 しかし、仮にも商業出版している雑誌で、人手が回らないなんてことはあるのだろうか。 「やはり、雑誌が増えすぎたのが原因でしょう。正直、ちょっと統廃合して整理しないと読者も混乱していると思われていたところに、人手不足は、いい機会だったんでしょうね」(同) 確かに「まんがタイム××」というタイトルの雑誌は「きらら」系列だけで「きらら」のほか「きららMAX」「きららキャラット」「きららフォワード」、さらにWebの「きららベース」に「ミラクWEB」。正直、毎号買っている読者でも、自分が買っている雑誌がどれだったのか混乱しそうな勢いである。 おまけに、発売日も「ミラク」は毎月16日。「MAX」は19日。いや、確かにややこしい。 ちなみに、大人向け四コマ雑誌の「まんがタイム」のほうは「きらら」系をしのぐ、定期刊行6冊。よく混乱しないものだと感心するが……。 (文=四コマ取材班)「まんがタイムきららミラク」2017年12月号(芳文社)
「週刊プレイボーイ」の水原希子“大特集”が完全爆死!「乃木坂46の時より25%近く低い数字」
「これはヤバイだろうと思っていたら、案の定、悲惨な結果になったようですね」 さる出版関係者がこう語るのは、10月2日発売の「週刊プレイボーイ」(集英社)のこと。創刊51周年に突入する記念月間のトップとなる号の表紙&グラビアに、女優でモデルの水原希子が登場。しかも巻頭全ページ&センターグラビア増ページ、両A面ポスターの付録までついていたのだが……。 「今回のグラビアはロサンゼルスで撮影されたもので、水原側の気合は相当なもの。『単にセクシャルなだけでなく、後から見返した時に宝物になるような写真が撮れたら』という彼女の決意を聞いた編集部は、なんと41ページという異例の大ボリュームでグラビア掲載を敢行。前半はビルの屋上で、お尻の見える超ミニスカートを披露し、後半はほぼスッピン状態でのベッドシーンや手ブラ、屋外や車内での水着姿などで構成されています。さらに、51周年目を飾る屋外広告にも、水原が起用されているんです」(週刊誌編集者) まさに、水原の水原による水原のための特別号とあって、編集部も売り上げアップに絶対の自信を持っていたのだろう。 「しかし、結果は実売率が40%にも届かない大爆死となった模様です。『週プレ』といえば、表紙&巻頭グラビアが最大の売り物で、雑誌の命運も、ほぼそこに懸かっている。この号のコンビニや書店での売れ行きデータを見ると、乃木坂46の人気メンバーが起用された時とは20~25%近く、小倉優香ら人気グラドルの号と比べても5~10%近く低い数字です」(前出・出版関係者) 創刊月の記念号1発目で勢いをつけたかった編集部も、さぞかしガッカリしたことだろうが、最近の水原はネガティブな話題に事欠かかない。 「10月9日のインスタグラムに、今回のグラビア掲載用に撮影された写真の一部をアップしたところ、『下品』『汚い』『美しくないものを見せるな』などと罵詈雑言を浴びて大炎上。8月にもトイレ中の画像を載せて批判されたほか、一部のアンチから差別的な発言をされるなど、いまや完全に“炎上女王”と化している。本業もパッとせず、9月16日に公開された出演映画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』は初週6位で、3週目からは圏外に転落しています」(芸能ライター) 世間の水原アレルギーは、「週プレ」の想像以上だったようだ。「週刊プレイボーイ」2017年 10/16号(集英社)
みなさん……そんなに「イカ天」面白いと思ってなかったんじゃないか?
さて、前回に引き続き話題は「イカ天」である。 この番組を中心としたムーブメントについては、拙著『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)でも多くのページを割いて執筆した。というか、途中からページが足りないので、編集者と相談してページ数を調整して、増やしてもらった。 それでも、まだ書き足りない。 この時代のバンドの音楽史的な位置づけについては、専門の書き手がいるだろうから、そういう人たちの文献を参考にするといい。 ここで筆者が記すのは、あくまで視聴者~にわかな素人目線である。 いや、実に原点から素人目線である。 「イカ天」が隆盛を極めていた頃、筆者はまだ地方在住の中学生。ただ、地方とはいえちゃんと深夜に「イカ天」は放送されていた大都会・岡山である。その番組が面白いと聞いたのはクラスでの会話だったか、何かの雑誌だったか……。ともあれ、背伸びしたい厨二病の季節。深夜に筆者もチャンネルを回した。 そうして、ワクワクしながら観たイカ天の記憶。 今、思い出すのは、当時の相原勇がメッチャ可愛かったなあということだけである……。 おそらく、何かの拍子に「イカ天という番組が面白い」と聞き、チャンネルを回したはいいけど、筆者と同じ気分を味わった少年たちは、多かったのではなかろうか。とりわけ、地方には。そう「イカ天」「ホコ天」に象徴された80年代末期のアマチュア・バンド・ブームの地方のティーンエイジャーへの波及は少し遅かったのである。 当時、多くの雑誌が都会の最新情報を伝えてはくれたけれども、それは「あくまで遠くで起こっていること」に過ぎなかった。 だから「都会に行けば、ここで記されているようなことを実際に体験できるのだ」という思いに若者たちは取り憑かれていたハズだ。 それは、ネットなどを通じて情報や流行が、都会と地方で同調、画一化しているように見える現代との大きな違いではないかと思う。 ■「たま」はコミックバンドだと思われていた記憶 「イカ天」発のバンドとして記憶されるのは、奇妙ないでたちで谷崎や太宰の一節を歌う「人間椅子」。なぜか股間モッコリのレオタードスタイルで歌う「ブラボー」。バックで琴の音色が響く「マサ子さん」など多数。 そうした中で、とりわけ知名度があったのは「たま」だと思う。「たま」が「イカ天」に初めて出演したのは1989年のこと。翌90年には「さよなら人類」でメジャーデビュー。オリコン初登場1位となり、58万枚以上を売り上げている。その奇妙な音楽は、なぜか人々に大いにウケた。 これもどうだろう。 今「さよなら人類」を聞き直すと、音楽的センスのスゴさは自ずと理解できるハズ。けれども、当時はそうじゃなかったんじゃないかな。これも、とりわけ地方では、そういう印象が強かったハズ。 ともすればすぐに消えてしまいそうなコミックバンド。あるいは「ランニングの人が気持ち悪い」と、今の我々なら「何を言うんだ!!」と反論するような感想を持つ人も大勢いたと記憶している。 実のところ、これは筆者の個人的な記憶に過ぎない。けれど、新しすぎてついていけなかったような記憶がある人も多いのではなかろうか。 でも、そんな声は現代では、ほとんど拾うことはできない。 人の記憶というものは、調子のよい部分だけ盛られて残る。そうして盛られた記憶の中で、人はあたかも自分も世間の一般的な認識のとして話題に参加するもの。 こうして、当時のリアルな空気感は消えていく。それを救うのは、地道な取材と資料調査しかない……。 (文=昼間たかし)『たまセレクション』(日本クラウン)
みなさん……そんなに「イカ天」面白いと思ってなかったんじゃないか?
さて、前回に引き続き話題は「イカ天」である。 この番組を中心としたムーブメントについては、拙著『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)でも多くのページを割いて執筆した。というか、途中からページが足りないので、編集者と相談してページ数を調整して、増やしてもらった。 それでも、まだ書き足りない。 この時代のバンドの音楽史的な位置づけについては、専門の書き手がいるだろうから、そういう人たちの文献を参考にするといい。 ここで筆者が記すのは、あくまで視聴者~にわかな素人目線である。 いや、実に原点から素人目線である。 「イカ天」が隆盛を極めていた頃、筆者はまだ地方在住の中学生。ただ、地方とはいえちゃんと深夜に「イカ天」は放送されていた大都会・岡山である。その番組が面白いと聞いたのはクラスでの会話だったか、何かの雑誌だったか……。ともあれ、背伸びしたい厨二病の季節。深夜に筆者もチャンネルを回した。 そうして、ワクワクしながら観たイカ天の記憶。 今、思い出すのは、当時の相原勇がメッチャ可愛かったなあということだけである……。 おそらく、何かの拍子に「イカ天という番組が面白い」と聞き、チャンネルを回したはいいけど、筆者と同じ気分を味わった少年たちは、多かったのではなかろうか。とりわけ、地方には。そう「イカ天」「ホコ天」に象徴された80年代末期のアマチュア・バンド・ブームの地方のティーンエイジャーへの波及は少し遅かったのである。 当時、多くの雑誌が都会の最新情報を伝えてはくれたけれども、それは「あくまで遠くで起こっていること」に過ぎなかった。 だから「都会に行けば、ここで記されているようなことを実際に体験できるのだ」という思いに若者たちは取り憑かれていたハズだ。 それは、ネットなどを通じて情報や流行が、都会と地方で同調、画一化しているように見える現代との大きな違いではないかと思う。 ■「たま」はコミックバンドだと思われていた記憶 「イカ天」発のバンドとして記憶されるのは、奇妙ないでたちで谷崎や太宰の一節を歌う「人間椅子」。なぜか股間モッコリのレオタードスタイルで歌う「ブラボー」。バックで琴の音色が響く「マサ子さん」など多数。 そうした中で、とりわけ知名度があったのは「たま」だと思う。「たま」が「イカ天」に初めて出演したのは1989年のこと。翌90年には「さよなら人類」でメジャーデビュー。オリコン初登場1位となり、58万枚以上を売り上げている。その奇妙な音楽は、なぜか人々に大いにウケた。 これもどうだろう。 今「さよなら人類」を聞き直すと、音楽的センスのスゴさは自ずと理解できるハズ。けれども、当時はそうじゃなかったんじゃないかな。これも、とりわけ地方では、そういう印象が強かったハズ。 ともすればすぐに消えてしまいそうなコミックバンド。あるいは「ランニングの人が気持ち悪い」と、今の我々なら「何を言うんだ!!」と反論するような感想を持つ人も大勢いたと記憶している。 実のところ、これは筆者の個人的な記憶に過ぎない。けれど、新しすぎてついていけなかったような記憶がある人も多いのではなかろうか。 でも、そんな声は現代では、ほとんど拾うことはできない。 人の記憶というものは、調子のよい部分だけ盛られて残る。そうして盛られた記憶の中で、人はあたかも自分も世間の一般的な認識のとして話題に参加するもの。 こうして、当時のリアルな空気感は消えていく。それを救うのは、地道な取材と資料調査しかない……。 (文=昼間たかし)『たまセレクション』(日本クラウン)
「女のコがパンツを脱ぐ!!」やらせ番組だと思われていた「イカ天」への期待
5月に上梓した『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)は、ことのほかに話題となり、派生してさまざまな依頼もあり、ありがたいことこの上ない、今日この頃。 とはいえ、新書のページ数ゆえに、けっこうな部分を削除せざるを得なかった。というよりも、実際に本に記述したのは取材や調査で知った事実の十分の一程度か。まだまだ、書きたい衝動の収まらぬ事どもは、山の様にあるという具合である。 例えば、当時のテレビ事情。「イカ天」こと『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)のブームについては、ページを調整して、なるべく多くを語った。現在ありがちな回想では、多くの新たなスタイルのバンドが誕生し、盛り上がったことが語られる。 ただ、これは歴史の「綺麗な」一面に過ぎぬ。 実のところ、この番組が盛り上がった理由は、なんといっても世の男子たちが「女のコがパンツを脱ぐ」可能性に賭けていたことにある。第1回の放送で、完奏できなかったガールズバンド「ヒステリック」が「バカヤロー! ズボン脱ぐぞ! オラ!」と叫んで、パンツまで脱いでしまったのである。肝心の部分は、カメラマンの妙技で電波には乗らなかったのだが、噂が噂を呼び「何が起こるかわからない番組」=「もしかすると、エロいハプニングが起こるかもしれない」と考えて、チャンネルを回す人は急増したというわけである。 実は筆者も、肝心のこのシーンを観たのは、21世紀になってから。YouTubeが普及したことで、ご家庭のビデオテープに保存されていたであろう過去のテレビ番組の録画を、アップする人は増えた。著作権的な部分での是非は別として、なかなか見る機会のない、こうした映像を見ることができるのは貴重だ。 で、肝心のシーン。文字や言葉で聞くのと、実際に見るのは、まったく別。「バカヤロー!」と突然画面に入ってくるメンバーは、まったくエロくない。演奏シーンは見たことがないのだが、パンクバンドなのだろうか。エロくなくて怖いのである。 21世紀の今では忘れられた感覚だが、90年代まで世の男子は、新聞のテレビ欄をチェックして、深夜に放送されるエロそうな番組を探すことに余念がなかった。 朝、テレビ欄で深夜1時頃から『エマニエル夫人』放送なんてのを見つけると、もう一日中、興奮は止まらない。居間に1台しかないテレビで、どうやって家族に見つからないように番組を楽しむか。エロを楽しむためには、知恵と冒険が欠かせなかったのである。 1995年からフジテレビ系列深夜で放送されていた『THEわれめDEポン』なんて、テレビ欄を見る限り、絶対にお色気番組。だが、期待してチャンネルを回すと始まったのは芸能人による麻雀対決……これ以降、いまだに「テレビを容易に信じてはいけない」という気持ちは強い。 ■やらせ番組だと思われていたイカ天 さて、前述のイカ天におけるパンツ事件だが、この実相に迫っているのはメディア批評誌「創」1989年10月号に掲載された小森収「視聴率は二の次? 深夜TVの奇妙な隆盛」である。ここでは、番組のプロデューサーだった、田代誠のコメントが記されている。 「番組も最初は理解されていなくて、ヤラセの出来レースだと、バンド側が思ったらしいんですね。優勝するバンドは決まっていて、それがプロデビューするために仕組まれた番組なんだと。それで、どうせチャンピオンになれないのなら、メチャクチャやっちゃえということだったのじゃないか」 実に、この記事で記されているオーディション風景は和やかなものだ。番組前の説明会で「本番中パンツは下ろさないでください」という注意もあるが「必ずしもそうしたハプニングがこれからも起こると、考えているようには聞こえない。そういう注意自体シャレで言ってるようである」とある。 かくて、番組は隆盛を極め、新たな音楽の世界を繰り広げていくわけである。そこでは、次々と、それまでにないスタイルのバンドが登場したのであった。 ということで、続く。 (文=昼間たかし)『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)
「女のコがパンツを脱ぐ!!」やらせ番組だと思われていた「イカ天」への期待
5月に上梓した『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)は、ことのほかに話題となり、派生してさまざまな依頼もあり、ありがたいことこの上ない、今日この頃。 とはいえ、新書のページ数ゆえに、けっこうな部分を削除せざるを得なかった。というよりも、実際に本に記述したのは取材や調査で知った事実の十分の一程度か。まだまだ、書きたい衝動の収まらぬ事どもは、山の様にあるという具合である。 例えば、当時のテレビ事情。「イカ天」こと『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)のブームについては、ページを調整して、なるべく多くを語った。現在ありがちな回想では、多くの新たなスタイルのバンドが誕生し、盛り上がったことが語られる。 ただ、これは歴史の「綺麗な」一面に過ぎぬ。 実のところ、この番組が盛り上がった理由は、なんといっても世の男子たちが「女のコがパンツを脱ぐ」可能性に賭けていたことにある。第1回の放送で、完奏できなかったガールズバンド「ヒステリック」が「バカヤロー! ズボン脱ぐぞ! オラ!」と叫んで、パンツまで脱いでしまったのである。肝心の部分は、カメラマンの妙技で電波には乗らなかったのだが、噂が噂を呼び「何が起こるかわからない番組」=「もしかすると、エロいハプニングが起こるかもしれない」と考えて、チャンネルを回す人は急増したというわけである。 実は筆者も、肝心のこのシーンを観たのは、21世紀になってから。YouTubeが普及したことで、ご家庭のビデオテープに保存されていたであろう過去のテレビ番組の録画を、アップする人は増えた。著作権的な部分での是非は別として、なかなか見る機会のない、こうした映像を見ることができるのは貴重だ。 で、肝心のシーン。文字や言葉で聞くのと、実際に見るのは、まったく別。「バカヤロー!」と突然画面に入ってくるメンバーは、まったくエロくない。演奏シーンは見たことがないのだが、パンクバンドなのだろうか。エロくなくて怖いのである。 21世紀の今では忘れられた感覚だが、90年代まで世の男子は、新聞のテレビ欄をチェックして、深夜に放送されるエロそうな番組を探すことに余念がなかった。 朝、テレビ欄で深夜1時頃から『エマニエル夫人』放送なんてのを見つけると、もう一日中、興奮は止まらない。居間に1台しかないテレビで、どうやって家族に見つからないように番組を楽しむか。エロを楽しむためには、知恵と冒険が欠かせなかったのである。 1995年からフジテレビ系列深夜で放送されていた『THEわれめDEポン』なんて、テレビ欄を見る限り、絶対にお色気番組。だが、期待してチャンネルを回すと始まったのは芸能人による麻雀対決……これ以降、いまだに「テレビを容易に信じてはいけない」という気持ちは強い。 ■やらせ番組だと思われていたイカ天 さて、前述のイカ天におけるパンツ事件だが、この実相に迫っているのはメディア批評誌「創」1989年10月号に掲載された小森収「視聴率は二の次? 深夜TVの奇妙な隆盛」である。ここでは、番組のプロデューサーだった、田代誠のコメントが記されている。 「番組も最初は理解されていなくて、ヤラセの出来レースだと、バンド側が思ったらしいんですね。優勝するバンドは決まっていて、それがプロデビューするために仕組まれた番組なんだと。それで、どうせチャンピオンになれないのなら、メチャクチャやっちゃえということだったのじゃないか」 実に、この記事で記されているオーディション風景は和やかなものだ。番組前の説明会で「本番中パンツは下ろさないでください」という注意もあるが「必ずしもそうしたハプニングがこれからも起こると、考えているようには聞こえない。そういう注意自体シャレで言ってるようである」とある。 かくて、番組は隆盛を極め、新たな音楽の世界を繰り広げていくわけである。そこでは、次々と、それまでにないスタイルのバンドが登場したのであった。 ということで、続く。 (文=昼間たかし)『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)
“ヤクザ雑誌はダメ”のご時世で、なぜ……「月刊実話ドキュメント」スピード復刊の裏事情
今年3月に休刊したヤクザ雑誌「月刊実話ドキュメント」が10月号から復刊した。休刊は珍しくないご時世だが、約半年でスピード復刊したのは異例の話。今回の復刊は、休刊前に発行元だったジェイズ・恵文社が新たな発売元となり、編集部の態勢はそのままで再スタートとなったようだ。 同誌が休刊となった理由にはいろいろな臆測が飛び、警察による圧力説なども浮上していた。しかし、事情を知る出版関係者は「編集者は周囲への影響を考えてハッキリ理由を言っていませんが、警察からの圧力だったら復刊はできません。ただ、ヤクザへの風当たりの強さが影響したことはあった様子」だという。 「4年前、出版社が竹書房からマイウェイ出版に変わったときも、その理由は竹書房が銀行から融資を受ける際、『ヤクザ雑誌はやらない』という条件が出されたという話でした。今回も別の出版社との交渉もあったようですが、やはり交渉先から『ヤクザ雑誌はダメ』で白紙になったりもしたそうです」(同) 「実話ドキュメント」は、かつて竹書房やマイウェイ出版から発行されていた創刊34年のヤクザ雑誌で、暴力団や右翼団体の動向を専門的な視点で追うのがメイン。創刊時の1984年は、山口組と一和会による暴力団抗争「山一抗争」があって大ヒットを飛ばした。二代目の編集長はいまや芸能レポーターとして活躍する井上公造氏。竹書房が同誌を手放したのは、「銀行の融資が必要なくらい、出版社の経営が厳しかったということでは」と関係者。 「当時の竹書房には『ドキュメント』のほか、もう一誌『実話時報』という社内制作のヤクザ誌もありましたが、そちらはアダルト系雑誌にリニューアルさせられていましたからね」(同) ヤクザ雑誌はあくまでヤクザの動きを伝えるもので、ヤクザと交遊があるメディアではないのだが、休刊は暴力団追放のご時世の悪影響を受けたということなのだろうか。 「ただ、復刊できたことに関しては、取次の力添えもあったと思います」と関係者。 出版社、書店がバタバタと倒産している出版界では、新規参入することはかなり難しく、よほどしっかりした経済的背景があるか、確実に売れるというプランを示さない限り、本を流通させる卸売業者、いわゆる「取次」が首を縦に振らないという。 「そんな中で復刊できたということは、取次が『実話ドキュメント』をそれだけ評価したということでしょうね。実際、復刊部数は休刊前のものを維持しているともいわれていますし。今、雑誌の売り上げは書店よりコンビニの方が大きいですが、本だけを売る専門店である書店と、売れるものだけ置くコンビニとでは、本に対する扱い方が根本的に違います。コンビニは本が売れなければ、その売り場に弁当やジュースを置いた方が良い、とすら考えるもの。そうなれば取次には大打撃なので、コンビニで少しでも売れそうな商品は残そうとしてくれます。『実話ドキュメント』は書店よりもコンビニでの売り上げが大きい雑誌と聞きますから、そこが復刊の決め手になったのでは」(同) ヤクザ雑誌は暴力団と警察、ともに取材しにくい対象を相手にしながら、出版社や銀行にまで冷たくされる風当たりの厳しい雑誌だが、それでも復刊に漕ぎ着けられたということは、世間のヤクザへの関心はまだ需要があるということでもある。 「でも、それも編集部が細々やっているから続けられているだけで、大儲けできているわけではないでしょう」と前出関係者。 「この業界、昔は実売率が7割を切ったら社長に怒鳴られてました。それが今では、4割売れただけでも御の字。本は委託販売のみですから、出荷した商品の半分以上が平気で返ってきちゃう。それでもなんとか利益を出すには、自分たちの給与や取材経費などを抑えながらやっていくしかないでしょう。お金以外のモチベーションがないとやれないですよね」 この復刊の直後、任侠山口組の織田絆誠代表が銃撃されるという事件が発生した。その犯人として、神戸山口組の直系組員が指名手配され、神戸山口組本部が兵庫県警によって家宅捜査されている。こうした動きがあるとヤクザ雑誌の取材力に期待する向きもある。 復刊した同誌の中身はほぼ休刊前そのままで、新たに片岡亮氏による格闘技連載、三垣篤稔氏による競馬連載などが加わった。公式ブログやツイッターなどもないアナログな「実話ドキュメント」、その古きスタイルには昭和ヤクザに共通するような香りも漂う。 (文=高山登/NEWSIDER)「月刊実話ドキュメント」(ジェイズ・恵文社)
“ヤクザ雑誌はダメ”のご時世で、なぜ……「月刊実話ドキュメント」スピード復刊の裏事情
今年3月に休刊したヤクザ雑誌「月刊実話ドキュメント」が10月号から復刊した。休刊は珍しくないご時世だが、約半年でスピード復刊したのは異例の話。今回の復刊は、休刊前に発行元だったジェイズ・恵文社が新たな発売元となり、編集部の態勢はそのままで再スタートとなったようだ。 同誌が休刊となった理由にはいろいろな臆測が飛び、警察による圧力説なども浮上していた。しかし、事情を知る出版関係者は「編集者は周囲への影響を考えてハッキリ理由を言っていませんが、警察からの圧力だったら復刊はできません。ただ、ヤクザへの風当たりの強さが影響したことはあった様子」だという。 「4年前、出版社が竹書房からマイウェイ出版に変わったときも、その理由は竹書房が銀行から融資を受ける際、『ヤクザ雑誌はやらない』という条件が出されたという話でした。今回も別の出版社との交渉もあったようですが、やはり交渉先から『ヤクザ雑誌はダメ』で白紙になったりもしたそうです」(同) 「実話ドキュメント」は、かつて竹書房やマイウェイ出版から発行されていた創刊34年のヤクザ雑誌で、暴力団や右翼団体の動向を専門的な視点で追うのがメイン。創刊時の1984年は、山口組と一和会による暴力団抗争「山一抗争」があって大ヒットを飛ばした。二代目の編集長はいまや芸能レポーターとして活躍する井上公造氏。竹書房が同誌を手放したのは、「銀行の融資が必要なくらい、出版社の経営が厳しかったということでは」と関係者。 「当時の竹書房には『ドキュメント』のほか、もう一誌『実話時報』という社内制作のヤクザ誌もありましたが、そちらはアダルト系雑誌にリニューアルさせられていましたからね」(同) ヤクザ雑誌はあくまでヤクザの動きを伝えるもので、ヤクザと交遊があるメディアではないのだが、休刊は暴力団追放のご時世の悪影響を受けたということなのだろうか。 「ただ、復刊できたことに関しては、取次の力添えもあったと思います」と関係者。 出版社、書店がバタバタと倒産している出版界では、新規参入することはかなり難しく、よほどしっかりした経済的背景があるか、確実に売れるというプランを示さない限り、本を流通させる卸売業者、いわゆる「取次」が首を縦に振らないという。 「そんな中で復刊できたということは、取次が『実話ドキュメント』をそれだけ評価したということでしょうね。実際、復刊部数は休刊前のものを維持しているともいわれていますし。今、雑誌の売り上げは書店よりコンビニの方が大きいですが、本だけを売る専門店である書店と、売れるものだけ置くコンビニとでは、本に対する扱い方が根本的に違います。コンビニは本が売れなければ、その売り場に弁当やジュースを置いた方が良い、とすら考えるもの。そうなれば取次には大打撃なので、コンビニで少しでも売れそうな商品は残そうとしてくれます。『実話ドキュメント』は書店よりもコンビニでの売り上げが大きい雑誌と聞きますから、そこが復刊の決め手になったのでは」(同) ヤクザ雑誌は暴力団と警察、ともに取材しにくい対象を相手にしながら、出版社や銀行にまで冷たくされる風当たりの厳しい雑誌だが、それでも復刊に漕ぎ着けられたということは、世間のヤクザへの関心はまだ需要があるということでもある。 「でも、それも編集部が細々やっているから続けられているだけで、大儲けできているわけではないでしょう」と前出関係者。 「この業界、昔は実売率が7割を切ったら社長に怒鳴られてました。それが今では、4割売れただけでも御の字。本は委託販売のみですから、出荷した商品の半分以上が平気で返ってきちゃう。それでもなんとか利益を出すには、自分たちの給与や取材経費などを抑えながらやっていくしかないでしょう。お金以外のモチベーションがないとやれないですよね」 この復刊の直後、任侠山口組の織田絆誠代表が銃撃されるという事件が発生した。その犯人として、神戸山口組の直系組員が指名手配され、神戸山口組本部が兵庫県警によって家宅捜査されている。こうした動きがあるとヤクザ雑誌の取材力に期待する向きもある。 復刊した同誌の中身はほぼ休刊前そのままで、新たに片岡亮氏による格闘技連載、三垣篤稔氏による競馬連載などが加わった。公式ブログやツイッターなどもないアナログな「実話ドキュメント」、その古きスタイルには昭和ヤクザに共通するような香りも漂う。 (文=高山登/NEWSIDER)「月刊実話ドキュメント」(ジェイズ・恵文社)
バブル時代、東京から脱出を志す人々がいた──1989年「SPA!」地方会社の『ゆとり生活』を読む
何かと地方取材に行く機会が多い、今日この頃。どこの地方でも必ず、都会の喧噪を逃れて移住してきた人には出会うものである。 最近は、地方の自治体が移住者を求めて、広く門戸を開く、いうケースも増えてきた。けれども、移住には覚悟が必要なもの。単に、都会に疲れて逃げてきたような人に、地方の狭い人間関係やしきたりは厳しい。そうして、せっかく移住した地域を恨んで姿を消す人も絶えない。 これだけさまざまな情報が飛び交い、移住のために最低限必要なことがわかっている時代であるにもかかわらず。 現代とは少々違う意識で「なんだかよくわからないが、とにかく忙しい」そんな会社勤めが当たり前だったバブル時代。残業に疲れても、飲み歩くことこそ当時の美学。現代よりも集団行動が強いられていた時代ゆえに、そこに疲弊する人も多かった。 朝から晩まで、仕事に接待にぐるぐる回り、同僚と飲んでは午前様。「24時間戦えますか」というリゲインのCMが流行したりもしたけれど、サラリーマンは疲れていた。 そうした中で入ってくるのが、海外、とりわけヨーロッパの情報である。ヨーロッパでは、もっと休暇が長く、サラリーマンでも優雅にバカンスを楽しむのが当たり前らしい。 そうした優雅な実例として、イタリア人的な生活や文化が理想とされたことを覚えている人は少ない(なお、バブル時代。もっともイタリア的な日本人とされたのが石田純一である)。 この好景気が続けば、日本にもやがてバカンス文化が定着する。そんな分析もされていたけれど、それはいつのことやらわかっていなかった。 だが、もう都会に我慢できなくなった人たちは、早々と地方へと移住していったのである。 「SPA!」(扶桑社)1989年8月30日号掲載の「地方会社の『ゆとり生活』に心ひかれる」は、地方の企業で働きながら、都会とは違い優雅に暮らす人々の姿を紹介している。 もう地方にもバブルの恩恵が普及していた時代である。地方だからといって賃金が低いといったデメリットも顕在化はしていなかった。そして、バブルの恩恵で儲かる企業の福利厚生は、地方でもやっぱりすごかった。 静岡県清水市(当時)にある鈴与倉庫が福利厚生用に購入したのは、総額2,200万円のヨット。 「土日はほとんど船を出します。伊勢の鳥羽や伊豆半島、大島まで足を延ばすこともある。船頭付きの保養所みたいなものですね」 と、同社の社員はコメントしている。なんとも優雅な感じもするが、これって休日にも上司と一緒にヨットで海に出かけなくてはいけないということか。うん、こういった距離感が好きな人には、とても歓迎されそうだ。 この会社を選んだ人は先見の明があったなと思うのが、現在も「おかめ納豆」で知られるタカノフーズ。会社があるのは、都会の喧噪とは無縁な茨城県小美玉市。紹介文で「つくばに近い」というのは少々無理がありそうな気もするが、女子社員の多さがアピールされている。 きっと、記事を見て就職した人もいるだろう。絶対に潰れそうもない安定感のある納豆を生業にして、社内結婚して幸せに暮らしている人もいることだろう。 逆に、記事中で紹介されている企業の中には諸行無常を感じる会社も。 長野県諏訪市のチノンがそれだ。 そう、かつては数々の名機で知られたカメラメーカーである。しかし、90年代に経営の多角化に失敗。コダックの傘下に入り、その歴史を終えた(商標はかつての関連会社が取得し、現在も継続)。 そんな、後の歴史を知ってるがゆえに、記事中に求める人材として「経営の多角化を目指す必要上、型にはまらない活動的な人」と書かれているのは、どこか悲しい。 でも、この時期のチノンは地方企業でありながら、信じられないほどのイケイケムードが詰まっている。 独身寮は、全員個室で温泉付き。40畳の宴会場まであって、寮費は月3,000円。30歳の給与が24万2,200円と記されているが、もう入社早々から、好きなだけ遊んで貯金もできそう。 独身社員の全員が車を所有。「諏訪湖、美ヶ原は庭のようなもの」と、夢のようなライフスタイルが描かれているではあるまいか。 バブル時代。都会から逃げて、地方へと移住していった人は、どこか「負け」の感覚を持っていたかもしれない。 でも、会社選びを間違えなければ、21世紀の今「あの時、決断してよかった……」と人生を振り返っている人が多いように思える。 (文=昼間たかし)「SPA!」(扶桑社/1989年8月30日号)





