何かが狂ってしまった現代社会。毎日のように流れる凶悪事件のニュースは尽きることを知らない。そして、いつしか人々はすべてを忘れ去り、同じ過ちを繰り返してゆく……。数多くある事件の中でも、いまだ犯人・被疑者の捕まっていない“未解決事件”を追う犯罪糾弾コラム。数多くある事件の中でも、いまだ犯人・被疑者の捕まっていない“未解決事件”を追う犯罪糾弾コラム。 第27回 名古屋市西区主婦殺人事件 (1999年11月) 愛知県名古屋市の中心部から、約4km北上したところに位置する西区稲生町。日本のどこにでもありそうな、ごく普通の閑静な住宅街だ。2丁目には本殿に犬の石像を祀った伊奴神社(いぬじんじゃ)があり、戌年には全国から多くの愛犬家が参拝に集まる。事件が起きたのは、神社から徒歩3分ほどの3階建てアパートの2階にある一室。被害者・高羽奈美子さん(当時32歳)の遺体を発見したのは、住人に柿を配るために各部屋を訪れていた大家だった。 1999年11月13日午前9時頃、仕事に出かける夫・悟さん(当時43歳)を見送った奈美子さんは、2歳の息子・航平くんを連れて午前11時10分に近所のクリニックに来院(午前9時半ごろに宅配業者が自宅を訪問したが、不在扱いとなっている)。その約40分後には部屋に戻ったとみられているが、午後0時半から午後2時の間に友人が3回も電話をかけているものの、応答はなかったという。 さらに、正午までアパートの駐車場で洗車をしていた住民が不審者らしき人物を目撃しておらず、別の部屋の住人が正午から午後1時くらいの間に「ドスン」という大きな物音と、階段を駆け下りる足音を聞いていることから、犯行時刻は“正午過ぎから午後1時”に絞られることになる。 大家が高羽さん宅を訪れたのは、午後2時ごろ。奈美子さんがいつも在宅していることを知っていたのか、それとも直感的に何かを感じたのか。呼びかけに応じなかったため、ドアのノブを回してみると、鍵は閉まっていなかったという。そして、ドアが開いた瞬間、大家は信じられない光景を目にすることになる……。玄関を入ってすぐ先の廊下に、トレーナーとジーパン姿の奈美子さんが血だらけで倒れていたのだ! 大家はすぐに119番通報したが、警察が到着した時点で奈美子さんの死亡を確認。現場の状況から「他殺」と断定された。 警察の発表によれば、奈美子さんは洗面所で首に致命傷を負った後、台所まではって行き、そこで絶命。その手の先には、無邪気に遊ぶ航平くんの姿があったという(大家の証言)。瀕死の状況の中、我が子を守ろうという“母親の愛の形”が、そんな凄惨な現場にも残されていたのである。悲報を受けた夫・悟さんの心情は察するに余りあるが、幼い息子が無傷で生きていたことが、いくばくか彼の痛みを和らげたことを願いたい。 事件から16年以上がたった現在も、まだ犯人の特定・逮捕には至っていない。しかし、現場に残された“別の女性”の血痕と足跡から、犯人像(※下記参照)はかなり絞り込まれている。奈美子さんと揉み合った際に凶器で傷を負ったのか、洗面所、そして廊下から玄関にかけて、血が滴るように点々と続いていたのだ。さらに、血痕は屋外まで続き、犯人がアパートから500mほど離れた稲生公園の手洗い場まで逃走したことが、のちに鑑識の結果により明らかになった。同公園の付近では、両手を胸の前に組み、血のにじんだ布を持っていた女性を見かけたという2人の目撃者が現れたため、証言をもとに似顔絵(※画像参照)も作成されたが、顔についての記憶が曖昧なため、あいにくボカシが入れられている。 もう1つ、現場には飲みかけの乳酸菌飲料(パック型)が残されていたのだが、これは訪問販売でしか入手できないもので、高羽家では購入する習慣がなかったという。付属のストローが使われておらず、穴を開けて飲まれたようだが、そのまま玄関先に吐き出されていたことから、犯人もかなり動揺していたことがうかがえる。もしかしたら、飲み物で航平くんの気を引いて連れ出すつもりだったのかもしれない。それならば、犯人は子どものいない女性で、奈美子さんをうらやんでの犯行という動機も考えられるが……。同商品が販売されたエリア(現場から約20~30km離れた西三河地区)が特定できているにもかかわらず、それ以上の有力な手がかりは得られていない。 事件後、悟さんは航平くんを連れて実家に移り住んだが、奈美子さんの命が奪われた部屋の家賃を今も支払い続けているという。「想い出の詰まった部屋だから」という気持ち以上に、「わずかな可能性でも、犯人の手がかりを残しておきたい」という執念が強いのだろう。事件から長い月日が刻まれたが、あの部屋の中だけは、今もまだ時間が止まったままだ。 (取材・文=神尾啓子) <犯人像> 当時の年齢/40~50歳前後(現在は55~65歳前後) 身長/160cm前後 血液型/B型 靴のサイズ/24cm(かかとの部分が高い、韓国製の婦人靴) 髪形/肩までのロングヘア、パーマ 備考/左右どちらかの手にケガをしていた <情報提供先> 愛知県警察 西警察署 刑事課 052-531-0110(内線332)
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「実兄が覚醒剤所持で逮捕、親戚は惨殺…」武豊、スター騎手の知られざる闇とは
日本を代表するトップジョッキー、武豊騎手。競馬での獲得賞金の総額は770億円以上であり、年収は2億とも3億とも言われている。 また、メジャーリーガーのイチロー、ダウンタウンの浜田雅功、SMAPの木村拓哉、とんねるずの木梨憲武といったスポーツ界、芸能界など各ジャンルの大物と交流があり、奥さんは元アイドルの佐野量子で、京都に豪邸を所有するなど、まごうことなき「セレブ」の一人と言えるだろう。 常に“競馬界の顔”として、華々しくスポットライトを浴びてきた武豊。だが、決して明るい側面だけではない。彼が過去に、身内に関する様々な“事件”に巻き込まれていることをご存じだろうか。 武豊は4人兄弟の三男として生まれ、父武邦彦は騎手から調教師となり、弟幸四郎は現役のJRA騎手として活躍している。親族には牧場経営者もいるなど、まさに「競馬一族」の中で育ってきた。だが、この親族こそが、スターである武に影を落とす要因となってしまっている。 まず、2000年に実兄である長男の武伸氏が覚せい剤取締法違反で逮捕。伸氏はフリーライターとして毎日新聞にコラムを掲載するなど活動していたが、「超がつく勝ち組である弟・武豊に対する妬み」を理由に覚せい剤に手を出してしまった。その後は寺にこもったと言われているが、詳細は不明。 さらに03年、武豊騎手の父邦彦氏のいとこである武勇氏が経営する北海道の武牧場で、その武勇氏が惨殺される事件が起きた。犯人はいまだ見つかっておらず、事件は迷宮入りとなっている。 そして11年には、弟である武幸四郎騎手が京都市内の飲食店で客と口論になり傷害事件へと発展。頬骨を骨折して4カ月の休養となった。事件性はないにしても、一般人とトラブルになることはアスリートとしてはあってはならないことだろう。 武豊本人は直接事件を起こしていないものの、ここまで身近な人間が事件に関与することはまれだ。稀代のトップジョッキーにすら、こうした不遇があるということか……。 ちなみに、武自身にウワサされるのは“女性スキャンダル”のみ。10月には、武がフリーキャスターの美馬玲子と不倫しているという報道で世間が大騒ぎしたが、過去にはダルビッシュ有の元夫人である紗栄子や吉高由里子、さとう珠緒といった芸能人、元体操選手の田中理恵やモデルなど、数多くの女性との関係がささやかれてきたが、親族に起こったトラブルに比べたらかわいいものかもしれない。 現在、武豊騎手は芝のG1レースで2013年以降未勝利、なんと35連敗中だという。女性関係で話題になるのもいいが、トップジョッキーとして、そろそろ大観衆を湧かせてほしいものだ。Sports Graphic Number 888号(文藝春秋)
「実兄が覚醒剤所持で逮捕、親戚は惨殺…」武豊、スター騎手の知られざる闇とは
日本を代表するトップジョッキー、武豊騎手。競馬での獲得賞金の総額は770億円以上であり、年収は2億とも3億とも言われている。 また、メジャーリーガーのイチロー、ダウンタウンの浜田雅功、SMAPの木村拓哉、とんねるずの木梨憲武といったスポーツ界、芸能界など各ジャンルの大物と交流があり、奥さんは元アイドルの佐野量子で、京都に豪邸を所有するなど、まごうことなき「セレブ」の一人と言えるだろう。 常に“競馬界の顔”として、華々しくスポットライトを浴びてきた武豊。だが、決して明るい側面だけではない。彼が過去に、身内に関する様々な“事件”に巻き込まれていることをご存じだろうか。 武豊は4人兄弟の三男として生まれ、父武邦彦は騎手から調教師となり、弟幸四郎は現役のJRA騎手として活躍している。親族には牧場経営者もいるなど、まさに「競馬一族」の中で育ってきた。だが、この親族こそが、スターである武に影を落とす要因となってしまっている。 まず、2000年に実兄である長男の武伸氏が覚せい剤取締法違反で逮捕。伸氏はフリーライターとして毎日新聞にコラムを掲載するなど活動していたが、「超がつく勝ち組である弟・武豊に対する妬み」を理由に覚せい剤に手を出してしまった。その後は寺にこもったと言われているが、詳細は不明。 さらに03年、武豊騎手の父邦彦氏のいとこである武勇氏が経営する北海道の武牧場で、その武勇氏が惨殺される事件が起きた。犯人はいまだ見つかっておらず、事件は迷宮入りとなっている。 そして11年には、弟である武幸四郎騎手が京都市内の飲食店で客と口論になり傷害事件へと発展。頬骨を骨折して4カ月の休養となった。事件性はないにしても、一般人とトラブルになることはアスリートとしてはあってはならないことだろう。 武豊本人は直接事件を起こしていないものの、ここまで身近な人間が事件に関与することはまれだ。稀代のトップジョッキーにすら、こうした不遇があるということか……。 ちなみに、武自身にウワサされるのは“女性スキャンダル”のみ。10月には、武がフリーキャスターの美馬玲子と不倫しているという報道で世間が大騒ぎしたが、過去にはダルビッシュ有の元夫人である紗栄子や吉高由里子、さとう珠緒といった芸能人、元体操選手の田中理恵やモデルなど、数多くの女性との関係がささやかれてきたが、親族に起こったトラブルに比べたらかわいいものかもしれない。 現在、武豊騎手は芝のG1レースで2013年以降未勝利、なんと35連敗中だという。女性関係で話題になるのもいいが、トップジョッキーとして、そろそろ大観衆を湧かせてほしいものだ。Sports Graphic Number 888号(文藝春秋)
妻と子を殺した男の足取りは“自殺の名所”で途絶えた「自殺か? 逃走中か!?」真実の行方は……
何かが狂ってしまった現代社会。毎日のようにニュースに流れる凶悪事件は尽きることを知らない。そして、いつしか人々はすべてを忘れ去り、同じ過ちを繰り返してゆく......。数多くある事件の中でも、いまだ犯人・被疑者の捕まっていない"未解決事件"を追う犯罪糾弾コラム。
第26回
八王子母子殺害事件
(2009年4月)
古くから避暑地として親しまれている栃木県日光市の中禅寺湖を水源とする華厳の滝は、紅葉シーズン以外でも観光客が絶えることはない。霧降の滝、裏見滝と併せて「日光三名瀑」に数えられている観光名所である。
ここを訪れる人々はみな、約97mもの落差を水が一気に流れ落ちる壮観な様に心を奪われる。その一方で、この地は明治時代から“自殺の名所”としても知られている。2009年4月、ひとりの男がこの地で消息を絶った……。
同月28日、東京都八王子市の閑静な住宅街に建てられたマンションの一室で、女性と幼児の他殺体が発見された。亡くなっていたのは、会社員の大沢咲子さん(当時27歳)と、長男の航也ちゃん(当時3歳)。リビングで遺体となって発見された咲子さんは、頭を鈍器で何度も殴られたような痕があり、血まみれの状態だった。室内には、凶器と見られる血のついたスパナが落ちていたという。また、隣の和室では航也ちゃんが何者かに首を絞められ、窒息死していた。
この家で、夫と3人暮らしだった咲子さんと航也ちゃん。第一発見者となったのは、夫の両親である。前日から一切電話がつながらないことを心配し、息子夫婦のマンションを訪れ、解錠業者にドアを開けてもらって室内に入ったという。そして、午前2時過ぎに2人の変わり果てた姿を発見したのだ。
捜査を開始した警察が、容疑者を特定するのに、さほど時間はかからなかった。玄関の鍵が閉まっていたことに加え、事件発生前後、マンションの防犯カメラに映っていたのが、咲子さんの夫だけだったからである。
警察は、家族以外の侵入の可能性は皆無として、2人を殺害した疑いで夫の大沢悠也容疑者(当時29歳)を緊急手配する。このとき、自分たちの息子が手にかけたかもしれない母子の遺体を見つけた夫の両親は、いったいどんな気持ちだっただろうか。
翌朝、警察は夫の足取りを、意外な場所で確認する。冒頭の華厳の滝の付近にある駐車場で、彼の運転していた軽自動車が発見されたのである。
しかし、そこは前述した通りの“自殺の名所”。悠也容疑者が2人を殺害したとすれば、その場所で投身自殺した可能性もある。実際、滝の近くの防犯カメラに車を運転する彼の姿が映っていたほか、滝の頂上付近からは、愛用のジャケット、財布、デジタルカメラが発見された。
観光客のいない早朝、警察は上流のダムの水門を閉めて滝の水を止め、一斉捜索を開始。しかし、滝つぼからは彼の着ていたシャツが発見されたものの、どれだけ探しても本人の遺体は見つからなかった……。
警察は「逃走の可能性あり」として、同年5月18日に同容疑者を殺人容疑で指名手配。しかし、有力な手がかりはまったく見つからなかった。
やはり、自責の念にかられた悠也容疑者は、華厳の滝に身を投じたのだろうか。それとも、自殺を偽装して、まだ逃走を続けているのだろうか。はたまた、第三者による犯行に巻き込まれ、身内による殺害に見せかけられたのだろうか……。ちなみに、関係者の証言では、大沢一家は華厳の滝と縁もゆかりもなかったという。
惨劇が起きる前、近所の公園では3人で散歩する姿がしばしば目撃されていた。咲子さんも生前、「夫は本当に優しい人」と友人らに語っていたといい、夫妻を知る人々はみな、「あんなに仲が良さそうだったのに……」と口をそろえる。
いったい、仲の良かったはずの一家3人に何が起きたのか?
真実を明らかにするため、生きて悠也容疑者が証言台に立つ日が来ることを信じて待ちたい。
(取材・文=神尾啓子)
<指名手配>
名前:大沢悠也(当時29歳)
身長:158cm
特徴:痩せ型、メガネをかけることもある
<情報提供先>
南大沢警察署
042-653-0110
謎に包まれた短時間での凶行……“不気味な兆候”から、少女を全身メッタ刺しにした真犯人に迫る
何かが狂ってしまった現代社会。毎日のようにニュースに流れる凶悪事件は尽きることを知らない。そして、いつしか人々はすべてを忘れ去り、同じ過ちを繰り返してゆく......。数多くある事件の中でも、いまだ犯人・被疑者の捕まっていない"未解決事件"を追う犯罪糾弾コラム。
第25回
津山小3女児殺害事件
(2004年9月)
2004年9月3日。子どもたちにとっては、夏休みが明けて間もない金曜日。岡山県津山市総社地内に住む津山市立北小学校3年生で、当時9歳の筒塩侑子(つつしお・ゆきこ)ちゃんが、自宅で何者かに全身をメッタ刺しされ、遺体となって発見された……。
津山は美作(みまさか)の中心地として、古代から長きにわたって発展を続けてきた。江戸時代初頭に津山城が築城されて以来、美作国津山藩の城下町として、さらには出雲街道の宿場町としても知られている。
この地域における歴史の闇として語り継がれているのが、1938年に発生し、30人もの死者を出した「津山事件」である。事件の犯人・都井睦雄(とい・むつお)は、命乞いをする近隣の住民を躊躇なく日本刀と猟銃で殺害。横溝正史の小説『八つ墓村』のモデルといえば、ピンとくる人も多いのではないだろうか。
日本犯罪史に残る凄惨な殺戮劇から66年。同じ津山の地で、ひとりの少女の命が奪われた──。
延べ4万人を超える捜査員が投入され、家族の要請によりテレビ番組で“超能力捜査”まで行われたものの、犯人の足取りはつかめず、すでに事件発生から10年がたとうとしている。なんの罪もない少女を殺めた凶悪犯は誰なのか、そして、解決のヒントはどこにあるのか……。事件の顛末を追ってみたい。
その朝、侑子ちゃんは普段と変わりなく登校したという。彼女が家を出たあと、兄も中学校に登校し、母親はパートタイマーとして勤務する職場へ。父親・姉・祖母も外出していたため、筒塩さん宅は侑子ちゃんが帰宅するまで誰もいない状態だった。
母親が仕事に出かけたのは午後1時45分。その約1時間後の午後2時40分頃、学校で「帰りの会」を終えた侑子ちゃんは家路につく。午後2時47分頃には自宅から700mほど離れた場所で、午後3時5分には自宅まで約200mのところを歩いている姿が目撃されている。
そして、午後3時35分頃に帰宅した姉が、自宅の玄関付近の8畳間で、うつぶせになって血を流している侑子ちゃんを発見……。長女からの悲痛な電話を受け取った母親が119番通報し、午後3時53分に救急隊員が到着する。
このとき、侑子ちゃんは胸に負った3カ所の刺し傷から大量に出血しており、すでに意識も脈もなかったという。制服姿のまま倒れていた彼女には、抵抗したり逃げようとした形跡は一切なく、着衣に乱れもなし。凶器はナイフのような小型の刃物で、死因は失血または窒息によるものと断定。侑子ちゃんは、帰宅してからわずか30分ほどの間に、何者かに襲われたのである。
現場は、カゴに入っていたはずの飴玉が散らばっていたものの、とくに室内を物色された様子もないため、“殺すことが目的”の猟奇殺人の線が濃厚。事件発生直前、通学路にある高架下で「帰宅途中の侑子ちゃんと見られる女児に向かって、薄笑いしていたボサボサ髪の若い男がいた」という情報が警察にもたらされたが、決定的な証言にはならなかった。
さらに捜査が進む中、事件の核心に迫る、ある重大な証言がもたらされる。それは、筒塩さん宅の“自宅の鍵”についての重要な情報だった。
事件当日の午後1時55分、筒塩さん宅を訪れたメール便の配達業者が、チャイムを押しても返答がなかったが、「玄関のドアが開いていたため、配達物を玄関の中に置いた」と証言。また、午後2時前後には訪問販売員が訪れ、玄関のドアを開けて「誰かいませんか?」と声をかけたという。
母親は、パートに向かう際に鍵を閉めたことを記憶している。これらの情報をすべて合わせて考えると、母親の外出後、約10~15分の間に何者かが筒塩さん宅の鍵を開けたことになる。実は、筒塩さん宅では、外出する際にスペア用の自宅の鍵を玄関脇の牛乳受けに入れていたのだ。
つまり、配達業者と訪問販売員が来宅した際、犯人はすでに筒塩さん宅にいた可能性が高い。そして、しばらくして帰宅した侑子ちゃんを殺害したのではないだろうか? これなら、短時間の凶行にも説明がつく。
警察の家族への聞き取りによれば、事件発生の半年前、自宅の駐車場に置いてある自動車のタイヤホイールのボルトがすべて緩められ、もう1台の自動車のワイパーがもぎ取られるといった嫌がらせがあったという。
そのほか、「筒塩さん宅の付近に停車している不審な乗用車を見た」という目撃情報も、近隣住民から多数寄せられている。犯人は、筒塩さん宅を念入りに調査した上で、犯行に及んだ可能性が高い。
侑子ちゃんが生きていれば、今年は二十歳を迎える記念の年になっていた。自宅の棚には、彼女が大好きだったぬいぐるみが、還らぬ主をいつまでも待ち続けている。
(取材・文=神尾啓子)
<情報提供先>
津山警察署
0868-25-0110
警察本部捜査第一課
086-234-0110
◆「日本"未解決事件"犯罪ファイル」過去記事はこちらから
44人を死に至らしめた“日本一の歓楽街”火災事件の闇 現場の目撃情報をたどり、消えた「血まみれの男」を追う──
何かが狂ってしまった現代社会。毎日のようにニュースに流れる凶悪事件は尽きることを知らない。そして、いつしか人々はすべてを忘れ去り、同じ過ちを繰り返してゆく......。数多くある事件のなかでも、いまだ犯人・被疑者の捕まっていない"未解決事件"を追う犯罪糾弾コラム。 第24回 歌舞伎町一丁目雑居ビル火災に伴う多数焼死事件 (2001年9月) 2001年9月1日、深夜でも人々の往来が途絶えることのない“日本一の歓楽街”新宿・歌舞伎町。秋の到来などみじんも感じられないほど蒸し暑い夜、事件は起こった……。 午前1時を回る少し前、一番街の路上を歩いていた通行人から「ビルの3階から人が落ちた!」という119番通報が寄せられる。直後、救助を求める電話が繰り返し鳴り響いた。 「火事です、ものすごい煙です!」 「まだ何人も中にいます! 助けて!!」 「逃げられない……早く来てくださいっ!」 まさに、現場からの悲痛な叫びだった。 くしくも関東大震災から78年目のこの日は「防災の日」に制定されているため、全国各地で防災訓練などが行われる記念日。しかし、日付が変わって間もなく、新宿区歌舞伎町1-18-4「明星56ビル」で火災が発生し、44名死亡・3名負傷という大惨事が起きてしまった。ちなみに、日本で発生した火災では戦後5番目の死者数である。 事件現場となった「明星56ビル」は、地下2階・地上4階建ての雑居ビル。過去の消防署の立ち入り検査でも、火災報知器の不備などが何度も指摘されていたという。その原因ともいえるのが、土地・建物の権利関係。契約が極めて複雑になっていたため、防災管理が行き届かない状態になっていたのである。事件当時、階段には看板などが乱雑に置かれ、火災報知機は「誤作動が多い」との理由で電源が切られていた。 火の手が上がったのは、ビル3階の麻雀ゲーム店「一休」のエレベーター付近。内部で火災が起きていることに気付かずに扉を開けた店員は、密閉空間にたまった一酸化炭素ガスが酸素と結びついたときに起きる“バックドラフト現象”により、あっという間に炎に包まれてしまう。パニックに陥ったこの店員が道路沿いの窓から飛び降りたため、先述の「人が落ちた!」という通報に至ったというわけだ。「一休」の別の店員2人は窓から屋根伝いに脱出したが、3階から発生した炎は、おびただしい黒煙とともに4階へと広がっていく。この事態に気付いて119番通報したのは、4階のキャバクラ「スーパールーズ」の従業員女性である。同店は当時流行していた“抱きキャバ”と呼ばれる接客サービスがウリで、雑誌でもたびたび取り上げられる人気店としても知られていた。どんどん煙が充満していく店内から、午前1時の通報のあとに悲痛な声で2回、「外に出られない! 助けて!!」と救助の要請があったという。 数時間後、全身が真っ黒にすすけたセーラー服姿の女性たちが、消防車から伸びたはしごを上下するゴンドラに乗せられ、次々と4階の窓から運び出されていた。あまりに衝撃的な光景である。結局、ビルの中にいた全員が外に出られたのは、火災発生から約3時間がたった午前4時だった。しかし、消防隊員による命懸けの救助活動もむなしく、警察は全員の死亡を発表。犠牲者の内訳は「一休」店員2名と客15名、「スーパールーズ」店員16名と客11名の合計44名で、全員共通の死亡原因は“急性一酸化炭素中毒”だった。ビルにいた人間で、命が助かったのは、真っ先に脱出した3人だけである。 この火災には、全体で101台の消防車両と361名の消防隊員が動員され、消火・救助活動が行われた。きらびやかな歓楽街の様相は一変し、靖国通り・職安通り・明治通りには歌舞伎町を囲むように消防車が数珠つなぎとなり、火災現場を中心に広範囲が立ち入り禁止区域となった。 これだけの犠牲者を出した火災事件にもかかわらず、いまだに出火原因は特定されておらず、“放火”と推測されてはいるものの、誰の手による凶行なのかもわかっていない。一部の証言では、「一休」で「“賭け麻雀ゲーム”に負けた腹いせに放火した」と話す男の存在が浮上したり、出火の少し前に、やはり「『一休』のドアを蹴って帰った客がいた」という証言も寄せられたが、人の往来の多い歌舞伎町では、決定的な証拠にはなり得なかった。 しかし、たったひとつだけ、まだ犯人逮捕につながる可能性のある証言が残されている。火災発生から数分後、現場から200メートルほど先の駐車場で、全身血まみれの男が目撃されているのだ。目撃者によれば、男の服は黒く焼け焦げ、頭髪は爆風を浴びたかのようだったという。その駐車場は歌舞伎町と新大久保の間にあり、夜通し光が絶えることのない歌舞伎町の中心部とは異なり、人目の届かない“闇”が点在するエリアである。心配して声をかけた目撃者をよそに、血まみれの男は立ち去っていったという。この証言が事実なら、火災現場にいた“48番目の人間”として、大惨事の真相を知る可能性は極めて高い。無論、「いかがわしい店にいた」ということを隠したい一心で、現場から立ち去った可能性も大いにあるわけだが。 08年7月、ビルを管理していた会社の役員5人に、「防火管理の注意義務を怠った」として業務上過失致死傷罪による有罪判決が下された。しかし、44人もの命を奪った真の原因は、何ひとつ解明されていない。新たな有力情報を待つばかりである。 <連絡先> 新宿警察署 東京都新宿区西新宿6-1-1 03-3346-0110 ◆「日本"未解決事件"犯罪ファイル」過去記事はこちらからイメージ画像
「惨殺事件の部屋は“鉄のにおい”がした」叩き上げ刑事が語る小説よりもリアルな現場
サイゾーのニュースサイト「Business Journal」の中から、ユーザーの反響の大きかった記事をピックアップしてお届けします。
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「惨殺事件の部屋は“鉄のにおい”がした」叩き上げ刑事が語る小説よりもリアルな現場 - Business Journal(7月1日)
かの『相棒』が常時20%近くの視聴率をキープするテレビ朝日の看板へと変貌を遂げて以降、刑事ドラマが頻発している。この4〜6月クールだけでも、『ガリレオ』(フジテレビ)を筆頭に、『ダブルス 二人の刑事』『遺留捜査』『刑事110キロ』(テレ朝)、『確証〜警視庁捜査3課』『潜入探偵トカゲ』(TBS)……と、各局はまるでなんとかのひとつ覚えのように、数多くの刑事ドラマ(か、それに類する推理モノ)を放送した。 だが、フィクションの世界ではこれほどまでに刑事たちの活躍がヒロイックに描かれているにもかかわらず、それを享受してきた側であるわれわれが、現場の第一線で働く“本物”の刑事の仕事ぶりを知る機会はほとんどない。大多数の一般人にとっては、すごく身近なようでいて、実は多くが謎に包まれた存在、それが刑事という人種だといっても過言ではないだろう。 そこで今回は、朝日新聞・神奈川県版の朝刊で連載していたその回顧録がこのほど、単行本『刑事の結界 叩き上げ警部補・島田伸一の事件簿』(朝日新聞出版)として刊行された神奈川県警の元警部補・島田伸一氏にインタビュー。40年もの長きにわたって刑事畑一筋に汗を流し続けた、刑事と書いて(デカ)と読む“本物”の実像に迫ってみたい――。 ――一冊の単行本としてまとめられた数々の事件をご自身で振り返ったとき、真っ先に思いだす印象深い出来事というのはありますか? 島田:すべてが思い出深いですけど、強いて挙げるとすれば、同じ警官が撃たれて自分の目の前に飛びだしてきた横浜の立てこもり事件(90年 横浜・拳銃民家立てこもり事件)や、逮捕した犯人が死刑になった川崎の事件(99年 川崎・中国人集団強盗殺人事件)。この2つについては、いまだにそのときの光景が鮮明に焼きついています。いくら捜査一課が、新聞に載るような大きい事件、ヘンな言い方をすれば“派手”な事件を扱う部署といっても、あれほど衝撃的な事件を直接扱うということは、そうあることじゃありませんしね。 ――読む側からすると、まさに“事実は小説よりも奇なり”で、どれも興味深いものばかりだったわけですが、やはり文章と現実というのもまた違うものですか? 島田:やっぱりもっと生々しい部分はありますよ。よく“血の海”という表現をしますけど、川崎の事件なんかは、あたりに鉄の匂いが立ち込める本当にその通りの現場でしたし、「血ってこんなにも飛ぶのか」と思うような現場もあった。その凄惨さに、最初は誰でも震えるものです。 ――よく聞く「焼死体を見たあとに焼肉が食えたら一人前」などというのは、実際にも? 島田:先輩の中にも、そういうことをおっしゃる方はいましたね。ただ、ある意味では、そうやって鈍感になっていくことも刑事としては必要なこと。現場でイチイチ驚いていては正常な判断はできませんし、捜査にも支障が出てしまいますからね。とはいえ、私自身も初めて解剖を見た後は、なんとなく脳みそを思い出してしまって、いちごジュースが飲めなかった。刑事である以上、死体と向き合うことは避けては通れませんし、おそらくそういったことはほとんどの人が経験していると思います。 ――ところで、本の中では本庁捜査一課への転属を、当初は拒否されていた描写がありますよね。それはどうしてまた? 島田:もちろん所轄から本部に行くことが、われわれノンキャリアにとってはいわば頂点でもありますから、そういうところに行って仕事ができたというのは、私自身の誇りです。ただ、一課の刑事というのは、とてもおもしろくて、鳥肌が立つような現場というものも数多く経験できる半面、ものすごくハードでほとんど家にも帰れない。日付が変わるような時間に帰って、妻に「あら、今日はずいぶん早いわね」なんて、普通の家庭だったらまず言われませんよね。しかも、私が呼ばれたころというのは、神奈川県内でもかなり事件が多くて、臨時の中隊まで作られていたほどだった。帳場(捜査本部)に入ってきた一課の面々が、そうやって私生活を犠牲にしている光景を目の当たりにしていた私としては、どうしても躊躇する部分があったんです。 ――男としてはやりたい。でも、夫・親の立場からすると……せめぎ合いですね。 島田:そうです。で、当時の刑事課長に再三断ってもらっていたんですけど、最終的には「島ちゃん、もうムリだよ」「分かりました」と。ちなみに、私が一課にいる間でも、5人ぐらいの同僚が離婚しています。われわれがいちばん脂が乗っている時期というのは、ちょうど子どもの進学時期にも重なってきますし、当時はまだ携帯電話も普及していませんから、ちゃんと話をできる時間というのもほとんどない。そうなると、やっぱり奥さんからすれば、「同じ神奈川県内にいて、どうして帰ってこれないの?」ってことになるんですね。ウチの場合は、女房が立派なやつだったんで、なんとかそうならずには済みましたけど(苦笑)。 ――刑事ドラマに出てくるベテラン刑事が、たいていバツイチだったりするのは、実は真に迫っていたんですね。 島田:現在は事情も変わってきているかもしれませんけど、当時の神奈川県警というのは特にハードで、事件に対して人の記憶が残っている10日ないし2週間の間に大量の捜査員を導入して、あらゆる情報を吸い取る、という人海戦術は“神奈川方式”と呼ばれていた。一度、千葉県警との合同捜査になったときなんかは、「神奈川にはついていけない」と言われましたしね。 ――そうやって家庭を犠牲にしてまで仕事に心血を注いでも、刑事という職業柄、感謝されることより憎まれることのほうが多いような気がします。モチベーションはどうやって維持を? 島田:たとえば、竹やぶで2億円が見つかった事件(89年 川崎・2億円竹やぶ置き去り事件)に携わったときのように、社会的反響の大きな事件の捜査をしているときは、自分がその一員であることが、おかしな言い方をすれば「うれしい」というかモチベーションにはなりました。まぁ、そうは言っても、日々扱っているのは、ほとんどの方が知ることのない、新聞にも載らないような事件のほうが圧倒的に多いわけですけど。 ――ドラマのように、しょっちゅう殺人も起きませんよね? 島田:相模原で班長をしていたころ、「ひとりの班長で、こんなに本部が立ちあがったのは珍しい」と言われたことがありますけど、それでも7〜8年いて、3件起きれば多いほう。身代金目的の誘拐に関してはもっと少なくて、私の知る限り県内の大きな事件としては、警視庁の元警部が小学生を誘拐した88年の事件と、あとほかにもう1件あったぐらいです。本の中でも触れた香ちゃんの事件(91年 横浜・小学生女児行方不明事件)のように、なんの足取りもつかめないまま迷宮入りしたケースというのはほとんどありません。 ――あの事件のくだりは、涙なくしては読めませんでした。そうした未解決事件への複雑な胸中というのもおありかと思いますが、刑事という立場を離れたいま、率直に感じることは? 島田:一課にいたころは、買い物に出かけてもいつ呼びだしがあるんじゃないかとつねに気を張っていて、女房にも「心ここにあらずの人と行ってもつまんない」と、よく言われたものでしたが、いまはどこに行くのも自由。そういう部分での喜びはありますね。もちろん香ちゃんのことは一度も忘れたことはありませんし、仲間同士で集まっても必ず話題になるほど、私自身にもいまだに忸怩たる想いがあるのも確かではありますが。 ――総括するとすれば、「わが刑事人生に悔いなし」ですか? 島田:どうですかね。辞めるときは自分なりに「もう十分だな」と思ったはずなんですけど、半年、1年とたってみると、不思議なもので「また刑事やりたいな」と思っている自分がいる。あの燃えるような現場に、気がつくと戻りたくなっているんですよ(笑)。 (文=鈴木長月) ■おすすめ記事 安藤美姫「4月に出産していた、一人の女性としての決断により。今シーズンで引退」と告白 AKB大島優子、総選挙当日について「脱ぎたかった。衣装の下に勝負水着仕込んでた」 香取慎吾「羨ましい有名人は木村拓哉。自分はバラエティ必死」、木村「ギクシャク…」 人付き合いを切れ!! 7億円稼いだ男が「メールを返さない理由」とは? 次世代スマホ通信LTE-Advancedとは?ドコモは現行の5倍、15年頃実用化『刑事の結界』(朝日新聞出版)
学校行事で訪れたキャンプ場、忽然と姿を消した女児……“肝だめし”下見中に一体何が起こったのか?
何かが狂ってしまった現代社会。毎日のようにニュースに流れる凶悪事件は尽きることを知らない。そして、いつしか人々はすべてを忘れ去り、同じ過ちを繰り返してゆく......。数多くある事件のなかでも、未だ犯人・被疑者の捕まっていない"未解決事件"を追う犯罪糾弾コラム。 第23回 岐阜・小学生女児キャンプ場行方不明事件 (2009年7月) 飛騨高地の南、岐阜県のほぼ中心に位置する郡上(ぐじょう)市。長良川の流域として知られる自然豊かな山岳丘陵地帯である。この地域では、江戸時代から続く伝統行事として、毎年7月半ばから約2カ月間にわたって「郡上おどり」と呼ばれる盆踊りが開催されている。そんな活気にあふれる田舎町で、2009年7月24日に奇怪な事件が発生した。 場所は郡上市高鷲(たかす)町の「ひるがの高原キャンプ場」。学校行事の野外授業として同施設を訪れていた愛知県常滑市立常滑西小学校5年生の女児・下村まなみちゃん(当時10歳)が、忽然と姿を消したのである。彼女の同級生や学校関係者ら約100人が周囲にいる状況下、さらにはキャンプ場という開放的な場所で発生したこの事件は、多くのメディアで“現代の神隠し”として報道された。多くの謎に包まれたこの事件、一体まなみちゃんは、どこに行ってしまったのか……? 事件の顛末を順に追ってみよう。 事件が起こったのは、夏休みに入ったばかりの金曜日。同校5年生の野外授業として、児童85人と校長・教員ら数名が前日の23日から隣県の同施設を泊まりがけで訪れていた。野外授業は毎年の恒例行事であり、この年も3日間のキャンプを予定。その2日目の24日午前7時半頃、この日の夜に予定されていた“肝だめし”の下見のため、まなみちゃんは同級生の女の子3人と一緒に出かけたという。しかし、午前8時頃、遊歩道をしばらく歩いていた同級生たちが、同行していたはずの彼女がいなくなったことに気づいたという。報道によれば、彼女は身長120cm、体重20kgと小柄で体も弱く、普段の学校生活においても、教員や同級生のバックアップを必要としていた。後日、テレビ番組に出演した母・益代さんによれば、まなみちゃんはダウン症を患っていたという。 事件発生当時の状況を振り返ってみる。キャンプ場で最後にまなみさんを目撃したのは、同校の校長である。午前8時を回る少し前、まなみちゃんら4人は遊歩道にある林道のカーブに立っていた校長の前を通過。校長の証言によると、このとき彼女は、ほかの女の子たちから随分と遅れて歩いていたという。その姿を見て心配になった校長は、しばらくしてグループの後を追う。その直後、引き返してきた女の子たちから、まなみちゃんが行方不明になったことを知らされたのである。その間、わずか10分。たったそれだけの時間で、何者かが彼女の身を襲ったのだろうか? 失踪の通報を学校から受けた岐阜県警は、すぐに同施設の捜索を開始する。約15万平米もあるキャンプ場全体には数百人もの捜査員が動員され、重機を使って崖までも切り崩すローラー作戦を展開。しかし、その甲斐もなく、まなみちゃん本人はおろか、彼女の所持していた物さえ一切発見されなかった。広大な森の中とはいえ、人通りのない早朝、同級生や校長らが近くにいる中での失踪は、まさしく“神隠し”としか言いようがない。 一見平穏なキャンプ場で、短時間の間にまなみちゃんの身に起こった出来事は、いまだに謎とされている。例えば、同市の各地でツキノワグマの出没も目撃されていたことから、事件発生当初は「クマに襲われたのではないか?」との予想もなされた。しかしながら、警察の捜索で衣服や靴などが発見されていないことから、その可能性は極めて低いとみられている。現状で最も可能性が高いと考えられているのは、何者かが彼女をさらったとする誘拐説だ。その場合、偶発的にその場に出くわした人物、もしくは、同日に野外授業が行われることを知っていた人間が前夜~早朝にかけて施設に潜入し、グループから遅れて歩くまなみちゃんを発見し、拉致したということになる。非科学的な話を無視すれば、後者の説が有力だとは思うが、なぜそこにいたのか、誰の目にも留まらないように小学5年生の女の子を連れ去ることが可能か、など疑問は多く残る。 現在、事件から3年以上が経過しているが、いまだ彼女の行方は知れない。しかしながら筆者は、まなみちゃんは現在も必ず生存していると信じている。拉致を実行した何者かが彼女の病気を利用して、外出させないように注意を払い、どこかで息を潜めているのではないだろうか。“神隠し”というのは、人間の想像力が低かった時代のただの都合のいい解釈であり、この事件が人間の所業によるものであることは疑いようもない。この世に犯人や被害者が生きている限り、証拠は残されていなくても、事件解決の糸口はゼロではないはずだ。せめて我々は、まなみちゃんが無事に笑顔で帰宅する日を信じて待ちたい。 (取材・文=神尾啓子) <事件の情報> 名前:下村まなみ(当時10歳/愛知県常滑市立常滑西小学校5年生) 体格:身長120cm/体重20kg 行方不明時の服装:白地に袖が水色の長袖Tシャツ、薄いピンク色のズボン、水色の運動靴、髪の毛を2カ所ゴム留め 発生場所:ひるがの高原キャンプ場(岐阜県郡上市高鷲町ひるがの4714番地2) <連絡先> 郡上警察署 TEL.0575-67-0110ひるがの高原キャンプ場 公式HPより
莫大な富を有する資産家夫婦は誰に狙われたか? “取り巻き”と「日中混成強盗団」の影を追う──
何かが狂ってしまった現代社会。毎日のようにニュースに流れる凶悪事件は尽きることを知らない。そして、いつしか人々はすべてを忘れ去り、同じ過ちを繰り返してゆく......。数多くある事件のなかでも、未だ犯人・被疑者の捕まっていない"未解決事件"を追う犯罪糾弾コラム。 第22回 板橋・資産家夫婦殺害放火事件 (2009年5月) 東京全域が激しい雷雨に見舞われていた、2009年5月25日午前0時半。東京都板橋区弥生町の豪邸が炎に包まれた。まもなく消防隊が駆けつけたものの、火勢が強く、家屋は全焼。焼け跡から、この家に住む瀬田英一さん(当時74歳)と妻の千枝子さん(当時69歳)の遺体が発見された。2人は鈍器で何度も頭部を殴られた上、胸部と腹部には刃物で刺された形跡も……。警察は殺人放火事件と断定し、捜査を開始した。 警察の調べによれば、犯人は24日午後11時から25日午前0時過ぎの間に瀬田さん宅に侵入し、夫妻を殺害。その後、おそらく証拠隠滅のため、ポリタンクに入っていた灯油を撒いて放火したものとみられている。ちなみに、ポリタンクは同宅にもともとあったものだという。英一さんは25日未明に豊島区内の飲食店に赴く予定があり、千枝子さんは24日午後10時45分の閉店まで板橋区内のパチンコ店で遊戯を楽しんでいた。つまり、2人は自宅で一緒になったわずかな時間の間に、何者かによって殺害されたのである。さらに、殺害現場となった部屋には2,000万円以上の札束が散乱していたという。一体なぜ、犯人はそのような大金を残したまま立ち去ったのだろうか? その疑問はすぐに解消される。英一さんは、江戸時代からこの地域に続く大地主の跡取り。火を放たれた邸宅を含め、約80物件ものアパートや土地を所有し、100億円にも迫る総資産を有していたのである。自宅には常に何千万円もの現金が保管されていたというのだから、部屋に残されていた大金は、犯人が“盗まなかった”ものではなく、“運びきれなかった”ものと推測できる。 生前の英一さんの豪奢な遊び方は、とりわけ夜の池袋界隈では有名な話。高級スーツをまとい、毎晩のようにネオン街に現れ、一晩で数十万円を使うことは日常茶飯事だったという。なじみのホステスには、「自宅から他人の土地を踏まずに池袋(距離にして約4km)まで行ける」と語っていたほどである。 地元の誰もが知る裕福な暮らしぶりを見せていた夫妻だが、地域住民との接触は異常なまでに少なかったという。自宅にいてもほとんど電話に出ることもなく、来客にすら応じなかったのは、意図的に他人を避けていたからかもしれない。例えば、夫妻と連絡を取る場合には、手紙を書いてポストに投函するか、FAXを送るしか方法がなかった。証言者の多くが、夫妻の用心深い性格を指摘し、「数回会っただけの人物を、瀬田さんが家に招き入れるはずがない」と口々に語るほどである。いったい何を契機に、夫妻は凶悪犯の標的となってしまったのだろうか? 被害者の人間関係の乏しさから、今現在も事件解決に困難を極めているこの事件だが、夫妻の日頃の生活をたどれば、事件解決の糸口になりそうな人物像もいくらかは浮上する。夫妻は連日のように一緒にパチンコ店に通っていたのだが、同じ常連客からは「2人の周りにはみすぼらしい格好をした“取り巻き”が何人もいた」との証言も。さらに、ある関係者も「人付き合いの少ない瀬田さんにとって、唯一心を開いていたのが“取り巻き連中”だったのかも」と語る。つまり、ビジネスとして近付いてくる人間より、だらしがなくても酒や食事を奢られて喜ぶ取り巻きのほうが、人間味が感じられたのではないか、というのだ。確かに、そういった人間であれば、用心深い瀬田さんの自宅にも容易に入れたのかも知れない。しかし、事件と彼らの関係は、今も明らかにはされていない。 2010年10月、事件は突如として動き出す。「瀬田さん夫妻殺害の協力を依頼された」という男が、警視庁に上申書を提出したのだ。そこには、犯人が中国出身のリーダーの男、同じく日本に帰化した男、そのほか日本国籍の暴力団員で構成された十数人の日中混成強盗団であると書かれていた。強盗団内部での内輪揉めを解決するため、多額の金が必要となったメンバーが中心となり、事前調査で資産家と判明した瀬田さん夫妻を襲ったというのである。さらには、事件の直前、リーダー格の中国人男性から、「『資産家の夫婦の寝込みを襲う。数千万円が手に入る』と聞かされた」という衝撃的な内容が記されている。尚、この強盗団のメンバーの一部は、別の強盗事件ですでに逮捕されているが、この殺害事件への関与はいまだに明らかにされていない。つまり、その上申書自体の信憑性も不明という判断である。 被害者の成仏のためにも、そして、安心して暮らすことができる市民社会の秩序回復のためにも、事件解決は警察の急務である。真犯人(たち)は、今も次なる標的を狙っているかもしれない。 (取材・文=神尾啓子) <事件の情報> 名前:瀬田英一さん(当時74歳) 瀬田千枝子さん(当時69歳) 発生場所:東京都板橋区弥生町79番所在の一戸建て住宅内 <連絡先> 「板橋区弥生町所在の住宅内殺人及び放火事件」特別捜査本部 TEL.03-5272-0110(板橋警察署 特別捜査本部/直通) TEL.03-3581-4321(警視庁/内線7863-6501・6502) ◆「日本"未解決事件"犯罪ファイル」過去記事はこちらから警視庁HPより
昼と夜、“2つの顔”を持つエリートOL 彼女を襲った魔の手が生み出した“2つの悲劇”真犯人の手がかりは?

『東電OL殺人事件』(新潮文庫)
何かが狂ってしまった現代社会。毎日のようにニュースに流れる凶悪事件は尽きることを知らない。そして、いつしか人々はすべてを忘れ去り、同じ過ちを繰り返してゆく......。数多くある事件のなかでも、未だ犯人・被疑者の捕まっていない"未解決事件"を追う犯罪糾弾コラム。
第21回
渋谷・東電OL殺害事件
(1997年3月)
東京都渋谷区円山町。ラブホテル街としても知られるこの地域は、喧騒に満ちた渋谷・道玄坂にほど近い、都内屈指の高級住宅地である松濤の南側に近接している。
1997年3月9日、渋谷という土地の持つ両面の狭間とも言うべきこの街で、惨劇が起きた。とあるアパートの空室で、女性の遺体が発見されたのだ。死後10日ほどたった遺体の首には絞められた跡があり、警察は他殺と判断した。
この事件が世間の耳目を集めることになったのは、殺害された女性の華麗な経歴と、昼と夜のまったく異なる“2つの顔”にマスコミが食いついたからである。被害者の女性は、東京電力に勤務する渡邉泰子さん(39)。彼女は、これぞエリートといえる華々しい経歴の持ち主である。慶應義塾女子高校を経て慶應義塾大学経済学部を卒業し、東京電力に入社。彼女の父親も東京電力の社員だった。彼女自身、同社初の総合職に就いた女性社員であり、エコノミストとして発表した経済論文で賞を授かったほどの才媛である。しかし、彼女には驚くべき夜の顔があった。
東電本社で勤務を終えると、彼女は決まってSHIBUYA109のトイレで着替えをした。そして、夜の円山町に赴いて街娼として客を引き、近隣のホテルで売春を行っていたのである。ちなみに彼女は、1日に4人の客の相手をするノルマを自分に課していた。“夜の仕事”を終えると、京王井の頭線神泉駅から終電で自宅のある西永福に帰宅。さらに土日も、五反田のホテトル嬢として働いていたという。捜査資料によれば、泰子さんが売春を始めたのは殺害される数年前。東電という大企業の社員であり、管理職にも就いていた彼女が金銭的に困窮していたというのは考えづらい。実際、借金の記録なども残されていない。この世を去ることになった彼女が売春に走った理由は現在も謎に包まれたままだが、このようなスキャンダラスな背景が明るみになり、事件は世間の大きな注目を集めた。
この事件は、泰子さんの死のほかに、“冤罪”というもう1つの悲劇も生み出した。遺体発見から2カ月がたった97年5月20日、警視庁は不法滞在中のネパール人男性、ゴビンダ・プラサド・マイナリさんを強盗殺人容疑で逮捕。ゴビンダさんは、同じく不法滞在していたネパール人4人と殺害現場の隣のアパートに住んでいて、泰子さんが売春した相手の1人でもあった。これで事件は解決に向かうかと思われたが、犯人を特定する証拠を著しく欠いたため、取り調べは難航。不特定多数の人間が出入りする街、泰子さんの謎に包まれた行動とプライベートの交友関係の不透明さ、そしてゴビンダさんという“格好の容疑者”の存在が、真犯人到達への道を一層険しくした。
事件が発生した日、泰子さんの身に一体何が起こったのだろうか。同日、泰子さんはいつものように客を引き、19時13分に円山町のホテルに入り、22時16分にはチェックアウトしている。その後、円山町の複数の場所で目撃され、23時45分に彼女と男性が話をしているところを見たという証言もある。これが目撃された彼女の最後の姿ということになるが、この男性が誰だったのかは、現在もわかっていない。
2000年の第一審では、殺害現場に別の人物の体毛が残されていたことなどから証拠不十分となり、ゴビンダさんは無罪判決を受ける。しかし、同じ現場に残されたコンドームに彼のものと思われる精液と体毛が付着していたことに加え、事件発生前に彼が所持していた以上の額のお金を事件後に知人に渡していたことなどから、同年の控訴審では一転して無期懲役の有罪判決が下った。このとき、ゴビンダさんは法廷で「神様、僕はやっていない」と叫んだ。
月日は流れ、11年。弁護側の要請により、殺害現場で採取された物証のうち、今までDNA鑑定が行われていなかったものの鑑定を東京高等検察庁が実施。その結果、泰子さんの遺体に残された精液は、ゴビンダさんのものではなく、現場に残された別の人間の体毛と一致することが判明したのだ。12年6月7日。東京高裁は事件の再審開始を認めるとともに、ゴビンダさんの刑の執行を停止する決定を通達。同日、ゴビンダさんは15年ぶりに自由の身となった。
では、泰子さんの命を奪い、ゴビンダさんの人生を大きく狂わせたのは誰なのか。振り出しに戻ったこの事件だが、真犯人の足取りに結びつく可能性のあるものが1つある。それは、殺害された泰子さんの定期券である。事件判明から数日後、豊島区巣鴨にある民家の敷地に、彼女の定期券が投げ捨てられていたのである。このことから、真犯人は近隣地域に土地勘のある人物ではないかと捜査関係者の間で語られている。
筆者は、この事件が発生当初から取材を続けているジャーナリストから、とても興味深い情報を入手した。かつて、円山町の居酒屋に“巣鴨に住んでいる男”が頻繁に出入りしていて、殺害された泰子さんと金銭トラブルを起こしていたというのだ。その男が真犯人であるのか否か、現時点では不明だが、「なんらかの事情を知っている可能性はあるかもしれない」とジャーナリスト氏は話す。ちなみに、事件発生以降、その男は円山町に現れなくなったという。
人間と街の持つさまざまな顔、表と裏が交錯するこの事件。被害者の鎮魂、そしてゴビンダさんの名誉回復のためにも、再捜査の進展を祈るばかりである。
(取材・文=神尾啓子)
◆「日本"未解決事件"犯罪ファイル」過去記事はこちらから





