TPPの是非は経済効果だけでは決められない 国家に対して農業が果たす役割

【サイゾーpremium】より ──国家とは、権力とは、そして暴力とはなんなのか......気鋭の哲学者・萱野稔人が、知的実践の手法を用いて、世の中の出来事を解説する──。 第33回テーマ「経済効果で図れないTPPの是非」
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[今月の副読本] 『経済学に何ができるか』 猪木武徳/中公新書(12年)/861円 経済学は、人間社会の何を、どこまで説明できるのか? 多くの価値観が混在する現代社会において、「経済学の可能性を考える」という視座を与える一冊。2010年4月より朝日新聞で始まった連載がもとになっている。

 TPPをめぐる議論が激しくなってきました。3月15日に安倍首相がTPPの交渉に参加することを正式に表明したからです。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)とは、太平洋をかこむ国々が輸入品にかかる関税などをなくすことで、モノやお金が自由にゆきかう経済圏をつくろう、という取り組みのことです。現在の交渉参加国は、アメリカやオーストラリア、カナダ、メキシコ、シンガポール、ブルネイ、ベトナムなど11カ国です。安倍首相の交渉参加表明は、この11カ国に日本も加わろうということですが、今後このTPPがどのようなかたちで発効することになるのか、そして日本ははたしてTPP加盟国になるのかどうかは、まだまったくわかりません。というのも、まず、現在の交渉参加国のあいだでそもそもどのような議論がなされているのかが、これから交渉に加わろうとする日本には明らかにされていないからです。さらに、TPPに参加すべきか否かをめぐって国内の意見が大きく割れているからです。与党の自民党のなかですら賛否が激しくぶつかりあっているほどです。読者のなかにも、参加したほうがいいのかしないほうがいいのか、考えあぐねている人は少なくないでしょう。  TPPに参加すべきだと考える人たちは、それによって経済が活性化し、日本の経済成長につながると主張しています。たしかに自由貿易圏をめざすTPPに参加すれば、いまより海外への輸出がしやすくなります。また海外から日本への投資も増えるので、それによっても雇用が新たにうみだされるでしょう。さらには、農産物を含めた安い生産品が日本に入ってくるので、消費者は安く商品を買うことができるようになりますし、生産する側も外国製品との競争に負けないために生産性を向上させたり、新しい商品を開発したりするよう努力するでしょう。  とはいえ、こうした経済効果はじつはTPPのひじょうに限定された側面にすぎません。安倍首相の交渉参加表明と同じ日に政府が発表した試算をみてみましょう。それによると、TPPへの参加によって日本のGDP(国内総生産)は10年後に年間3・2兆円増えます(TPP交渉に参加している11カ国のあいだで関税がなくなったと仮定した試算)。現在の日本のGDPは500兆円弱なので、TPPに参加しても10年後に0・66%しかGDPは増えない、ということです。TPP参加によって日本に経済成長がもたらされるといっても、実際にはそれはわずかでしかないんですね。たとえ海外製品との競争が激化することで日本の産業構造の転換やイノベーションがすすむかもしれないとしても、推進派がいうほど実りあるものにはならないのです。  なぜこうなるのかといえば、日本が国際競争力をもっている産業の関税はすでにとても低くなっているからです。たとえばアメリカの乗用車輸入の関税は2・5%です。たとえTPPによってこの関税が撤廃されたとしても、それほど大きな影響はありませんよね。日本を除いた11カ国のなかでアメリカが占めるGDPの割合はだいたい85%ぐらいです(輸入額の割合だと70%ぐらい)。つまり、日本がTPPに参加しても、そこでの輸出の大部分はアメリカへの輸出が占めるということです。ですので、TPPによって乗用車の関税が撤廃されても、それによって日本の自動車輸出が大きく伸びるというわけではないのです。むしろ為替で1ドル80円になったり100円になったりするほうが、輸出にとっては影響が大きいのです。  このことは何を意味するでしょうか。それは、TPPに参加すべきかどうかという問題は数字であらわれる経済効果ではなかなか判断できない、ということです。これはTPPによってもたらされるマイナスの効果についてもいえます。先の政府の試算によると、日本がTPPに参加すると、日本の農業生産額は数年後に3兆円ほど減ります。このマイナス3兆円という数字も、日本のGDPからすれば0・6%程度で大した額ではありません。要するに、経済成長するかしないか、数字のうえで経済効果がどれぐらいあるか、という問題はTPP参加の是非を考えるうえでそれほど本質的な問題ではないのです。  ただし、農業生産額3兆円減という数字は日本の農業にとっては決して取るに足らない数字ではありません。というのも、日本の農業生産額は全体でも11兆円ほどしかないからです。農業はもともと日本のGDPの2%強しか占めていないんですね。11兆円ほどしかないところに3兆円も減ってしまえば、日本の農業は壊滅的な打撃を受けることになるでしょう。たとえばTPP加盟によって砂糖はすべて外国産に置き換わってしまうと考えられています。  したがって問題は、10年後の3・2兆円の経済効果とひきかえに農業が壊滅してしまうことをどのように評価するか、ということになります。この場合、生産性がもともと低かった農業分野は淘汰されても仕方ないだろう、と考えることはもちろん可能です。しかし、農業は農産物を生産するだけでなく、それをつうじて環境保全や国土整備という役割をも担ってきました。ちょうど林業が衰退すれば、山が荒廃し、山の保水力が落ちて、土砂が流出したり洪水が起こりやすくなったりするように、です。そうした農業の役割は数字上の生産性や国際競争力ということだけでは決して評価できません。  次のような意見もあります。日本の農業は国際競争力が低いのだから、日本は工業製品などの生産に特化して、食料は輸入したほうが効率がいい、という意見です。これもしばしばTPP参加の是非をめぐってだされる意見です。とはいえ、この意見もまた重要な点を見逃してしまっています。農産物の国際市場がどのようになりたっているのか、という点です。  農産物のなかでもとくに基本となるのは、コメや麦、トウモロコシや大豆といった穀物ですが、それら穀物の国際市場には、各国で国内需要が満たされたあとの残りしか供給されません。どの国も自国民への食料供給を最優先するからです。だから各国は、不作などで穀物の生産量が落ちると、輸出税を課したり輸出を禁止したりして、穀物が国外市場に流出しないようにするのです。逆に、豊作などで穀物が国内需要よりも多く生産されて余ってしまうと、輸出補助金などをだしてその価格を下げて、余った穀物を国際市場で安く処分できるようにするわけです。  したがって、もし日本が食料の供給を輸入に頼ってしまうなら、世界的な不作などがあったとき、そもそも他国に農産物を売ってもらえないということだってありえるのです。食料の貿易においては輸出国が圧倒的に有利なんですね。事実、GATT(関税および貿易に関する一般協定)のウルグアイ・ラウンド(1986~94)では、農産物の輸入数量制限は撤廃されましたが、日本が主張した輸出数量制限の廃止は認められませんでした。それぞれの国は、輸入量は制限できないが、輸出量は制限できる、というふうになったんですね。農産物の国際市場では、あらかじめ不作のさいの供給保証をしてもらえばすむ、なんて能天気なことは通用しないのです。  この非対称性をどこまで解消できるかがTPP交渉における鍵となります。TPP交渉でおそらく日本は農産物輸入の関税の撤廃か大幅引き下げをせまられるでしょう。そのときに輸出制限の廃止や輸出補助金の廃止をルール化できなければ、日本はたいしたことのないGDPの増加とひきかえに食糧安全保障を大きく損ねることにならざるをえません。先に、TPP参加の是非は数字上の経済効果ではわからない、といったのはまさにこのためです。TPPに参加するということは、多国間のあいだで経済上のルールをつくるということです。しかしそのルールは、数字上の経済効果ではあらわしきれない水準のものなのです。 かやの・としひと 1970年、愛知県生まれ。03年、パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。哲学博士。津田塾大学准教授。主な著書に『国家とはなにか』(以文社)、『カネと暴力の系譜学』(河出書房新社)、『権力の読みかた』(青土社)など。近著に『最新日本言論知図』(東京書籍)、『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』(NHK出版新書)など。 「サイゾーpremium」では他にもタブー知らずの識者陣による連載が満載です!】佐々木俊尚のITインサイド・レポート「支配企業になったグーグルの現在」町山智浩の映画がわかる アメリカがわかる「エイズが「死の病」でなくなるまでの知られざる戦い」町田康の続・関東戎夷焼煮袋「肉欲に取り憑かれたSMの老人たちをかき分け、お好み焼きミックスで魂の回復を図る」
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本当に、人を殺してはいけないのか? 死刑が揺るがす道徳の普遍性

──国家とは、権力とは、そして暴力とはなんなのか......気鋭の哲学者・萱野稔人が、知的実践の手法を用いて、世の中の出来事を解説する──。
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第13回テーマ「殺人の正当化と定言命法の普遍」 [今月の副読本] 『実践理性批判』 カント著/岩波文庫(79年)/903円 絶対的な道徳というものは存在しうるのか? また、人は自らの意思により、それに従うことはできるのか? 『純粋理性批判』『判断力批判』と併せた三批判書により、批判哲学の祖を築いた哲人による倫理学の名著。

 道徳の中で最も普遍的で根本的なものとはなんでしょうか。多くの人はおそらく、人を殺してはいけないという道徳だ、と答えるでしょう。  実際、「人を殺してはいけない」という道徳はあらゆる社会に見いだされるものであり、また、「嘘をついてはいけない」とか「盗みをしてはいけない」といった道徳よりも、はるかに多くの人によって守られています。もちろん殺人事件は常に世界のいたるところで起こっている以上、「人を殺してはいけない」という道徳は完全に守られているわけではありません。しかしそれでも、殺人事件が起こればほとんどの人は条件反射的に「よくないこと」と考えるほど、「人を殺してはいけない」という道徳は確固たるものとして人々の間に根付いています。  しかしその一方で、「正しい」とされる殺人も時として存在します。たとえば死刑です。  死刑制度については内閣府が5年ごとに世論調査を行っており、2009年の調査では死刑制度容認派が85.6%に上りました。これは内閣府が1956年に調査を始めて以来、最高の数字です(かつては5年ごとの調査ではありませんでした)。もちろんこの数字の中には、積極的な死刑支持派だけでなく、「死刑制度存続もやむなし」と考える消極的容認派もいるでしょう。また、しばしば批判がなされるように、内閣府の質問の仕方によっては、この数字がある程度低くなる可能性もあるでしょう。とはいえ、それでも85.6%という数字は圧倒的です。少なくとも世論調査された人々の大多数が、凶悪犯罪をなした人間に対しては、処罰のために殺すこともやむを得ないと考えているわけですから。  おそらく読者の中には「死刑は殺人ではない」と考える人もいるかもしれません。確かに死刑はほかの殺人とは異なっています。というのも、死刑は法に従って合法的になされるものだからです。しかし、だからといって、ある人間がほかの人間によって死に追いやられること自体は変わりありません。間違ってほしくないのは、死刑は、たとえそこにどれほど「正しい」理由があったとしても、それによって殺人でなくなるわけではない、ということです。
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石油エネルギー依存からの脱却で、アメリカの世界覇権も終焉へ!? 資本主義の歴史が証明する未来とは?

──国家とは、権力とは、そして暴力とはなんなのか......気鋭の哲学者・萱野稔人が、知的実践の手法を用いて、世の中の出来事を解説する──。
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第12回テーマ「アメリカ・ヘゲモニーと資本主義」 今月の副読本 『長い20世紀──資本、権力、そして現代の系譜』 「アメリカ・ヘゲモニーと資本主義」ジョヴァンニ・アリギ著/作品社(09年)/5460円 「アメリカが覇権を握る経済システムの始めと終わり」20世紀をこう表した世界システム論の代表論者による分析論。アメリカ・ヘゲモニーが終焉を迎える今、新たな覇権は誰が握るのか、その視座を探る──。  前回は、日本の電力供給システムの問題点についてお話ししました。その中で見直されるべき点として取り上げたのは、垂直統合型といわれる電力供給の仕組みです。つまり、電力会社が発電と送電を一括して担うという仕組みですね。発電という生産の部分と、送電という流通の部分をひとつの会社が「垂直」に「統合」して電力を供給するので、「垂直統合型」と呼ばれます。  今回考えていきたいのは、この垂直統合型のシステムとアメリカのヘゲモニー(覇権)との関係です。もともと垂直統合型の生産システムが確立したのは、アメリカのフォード社による自動車の生産においてでした。フォード社は、自動車という大型の耐久消費財を効率良く生産し販売するために、設計から資材調達、組み立て、流通、販売まで、「垂直」に「統合」して自社で行うシステムを考案しました。こうした方式が耐久消費財を生産するスタンダードなシステムとして世界中に広がったのが20世紀です。第二次世界大戦後の世界的な高度成長は、この垂直統合型の生産方式の広がりによってもたらされました。日本はこの生産方式をより洗練させ効率化することで、世界第2位の経済大国にまでのし上がったのです。その典型がトヨタ自動車です。  イタリアの経済史家、ジョヴァンニ・アリギは名著『長い20世紀──資本、権力、そして現代の系譜』の中で、20世紀におけるアメリカの世界的なヘゲモニーを支えたのは、この垂直統合型の生産方式だと述べています。要するに、アメリカはこの生産方式によっていち早く生産力をアップさせ、それによって世界最強の軍事力を手にし、世界の覇権国になったということです。  もちろん軍事力だけでは、世界の覇権国になることはできません。これまでもこのコラムで述べてきたように、世界的覇権国になるためには、世界の政治的・経済的な枠組みを決定するためのルール策定能力が不可欠です。アメリカが民主主義と自由貿易のルールを普遍的なものとして世界に貫徹しようとするのは、そのためです。  2003年にアメリカはイラクを軍事攻撃し、イラク戦争が勃発しました。その背景には、フセインが00年に石油輸出代金の決済をユーロで行うと宣言し、石油の国際取引はドルで行うというドル基軸通貨制に挑戦してきたということがありました。ドル基軸通貨制は、現代の世界経済における最も基本的な枠組みのひとつです。その基本的な枠組みの防衛とイラク戦争は、決して無関係ではありません。またアメリカは、日本と違って中東産の原油に対する依存度が非常に低いにもかかわらず、中東で何かあればすぐに政治介入しようとするのも同じ理由からです。つまり、これまで国際石油市場はドルを基軸とし、ニューヨーク・マーカンタイル取引所の石油先物市場での価格をベンチマークとして成立してきたので、その国際石油市場に悪影響をもたらすような政治的攪乱要因をアメリカは産油国から取り除こうとするわけです。アメリカのヘゲモニーは、こうした世界資本主義の枠組みを決定し、それを世界最強の軍事力と政治力によって維持することで成り立ってきました。
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政府の説明責任が問われる時代! ウィキリークスは国家主権を揺るがすのか!?

国家とは、権力とは、そして暴力とはなんなのか......気鋭の哲学者・萱野稔人が、知的実践の手法を用いて、世の中の出来事を解説する──。 第9回テーマ「ネットの台頭で崩壊する情報の独占」
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今月の副読本 『技術への問い』 マルティン・ハイデッガー著/平凡社(09年)/2940円  ドイツの哲学者・ハイデッガーによる、公演や論文をまとめた論集。技術が先鋭化の一途をたどる近現代において、時代の根本にあるもの、そしてその正体を見極めるべく、"技術の本質"に哲学的に迫った一冊。

 2010年はインターネットを通じた情報漏洩事件が立て続けに起こった年でした。日本でも、10月に国際テロに関する警視庁公安部の捜査資料がインターネットに流出したり、11月には、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件の映像が、海上保安官の手によって動画共有サイトに公開され、流出しました。世界中にインパクトを与えたのは、なんといっても、ウィキリークスが10月下旬に40万点にも上るイラク戦争関連のアメリカ軍資料を、11月下旬には25万点に上るアメリカ外交公電を暴露したことでしょう。この暴露に対して、クリントン国務長官はただちに「暴露は米国の外交上の利益に対する攻撃というだけではなく、国際社会、同盟国、パートナーに対する攻撃でもある」とウィキリークスを非難しました(11月29日の記者会見)。イタリアのフラティニ外相に至っては、これを「世界の外交における『9・11』のようだ」とまで評しました。  ここで考えたいのは、インターネットを通じたこうした機密情報の漏洩が、政治の枠組みをどのように変容させるのか、ということです。ネットを通じた情報の暴露や漏洩は、ある意味でITが高度に整備された情報社会では不可避なことです。現代では、ほとんどの情報の保存や伝達はデジタル化によってなされており、それは情報がクリックひとつで複製され、多くの人に伝播されてしまうリスクをもたらしました。  20世紀ドイツの哲学者、マルティン・ハイデッガーが『技術への問い』の中で述べているように、こうした技術の進展に人間が抗うことはできません。そもそも技術、テクノロジーというのは、人間が自らの意思でコントロールできるものではなく、逆に人間がその進展によって、ものの知覚の仕方から、考え方、社会関係のあり方に至るまで規定されてしまうものなのです。したがって、政治の枠組みも、情報のデジタル化とネットワーク化によってなんらかの変容を被らざるを得ません。その変容の中身が今回、ここで取り上げたい問題です。  まず言えることは、各政府は今後、情報の公表を前提として行動せざるを得なくなるだろう、ということです。ウィキリークスのようなサイトが登場したことで、政府の情報は常に暴露や漏洩のリスクに晒されていることが広く認識されました。このリスクはもちろん、管理体制の強化によってある程度は小さくすることができます。しかし、今述べたように、そのリスクは高度情報化社会においては不可避的なものである以上、情報の暴露や漏洩は常にあり得るという態度で行動するのが、各政府にとっての賢明で合理的な選択とならざるを得ません。  では、政府が情報の公表を前提として行動することで何が変わるのでしょうか。それは、政府のアカウンタビリティ(説明責任)がより求められるようになる、という変化です。たとえば今回ウィキリークスによって暴露されたアメリカ外交公電の中には、イタリアのベルルスコーニ首相について「無能で空っぽ。現代欧州のリーダーとしての影響力なし」といった人物評や、イスラエルのネタニヤフ首相について「約束を決して守らない」といった人物評が含まれていました。どちらもアメリカの同盟国の国家元首をコケにしているわけですから、アメリカにとっては完全に面目丸つぶれです。しかし、情報の公表が前提とされるなら、こうした人物評が外交公電で流れることはなくなり、そのときは、たとえ漏洩しても説明責任が果たせるような情報に基づいて外交政策が立案されるようになるでしょう。このことは、情報の中身が単なる人物評ではなく、密約のようなトップシークレットである場合を考えると、ものすごい変化だというべきです。表には決して出せない裏の取引で外交が進められる余地が小さくなっていくわけですから。情報の公表が前提とされると、外交でも内政でも、裏の事情で物事が遂行されにくくなっていくのです。  もちろん、だからといって政治の世界から機密が完全になくなったり、裏のやり取りが消滅したりするわけではありません。どんな世界にも秘密や裏の事情というのはあります。重要なのは、たとえ政治の世界から機密や裏のやり取りがなくならないとしても、それらもまた、表に出たときに説明責任が果たされるような形で処理されていく、ということです。ウラがオモテ化していくわけですね。
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エジプト反政府デモが世界の経済システムを揺るがす!? 民主化をめぐるアメリカの誤算とは

国家とは、権力とは、そして暴力とはなんなのか......気鋭の哲学者・萱野稔人が、知的実践の手法を用いて、世の中の出来事を解説する──。
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第8回テーマ 「アメリカの覇権、その正当性」 [今月の副読本] 『千のプラトー 資本主義と分裂症』上巻 ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ著/河出文庫(10年)/1260円 複雑に入り組んだ資本主義のダイナミズムをさまざまな手法で読み解いた著者らによる代表作のひとつ。抽象機械や戦争機械など、新たな概念を持ち込んだ、現代人のための倫理指針としても名高い一冊。

 2011年になって中東地域が一気に揺らぎ始めました。まずはチュニジアで大規模な反政府デモが勃発し、23年も続いたベンアリ政権が崩壊しました。次にエジプトでも反政府デモが全土に広がり、30年にわたって強権支配を続けてきたムバラク大統領は、次期大統領選には出馬しないことを表明しました(2月1日現在)。こうした反政府デモの動きは中東各地に飛び火し、この地域の長期独裁政権を次々と揺るがしています。例えばイエメンでも、南北イエメン統合後約20年にわたって大統領の地位に就いていたサレハ大統領が、任期が終わる13年で退陣することを表明しました(2月2日)。ヨルダンでも2月1日に、アブドラ国王が抗議デモを受けてリファイ首相を更迭しています。  もしかしたらこれら一連の動きは、1989~91年に東欧の社会主義国が民主化した動きに匹敵するくらい、大きな歴史的転換をもたらすかもしれません。ただし民主化といっても、今回は、民意を受けたイスラム原理主義がこの地域で広く台頭してしまう可能性もなくはありません。かなり流動的な状況にあるわけですね。  では、何がこうした流動的な状況を中東地域にもたらしたのでしょうか。もちろんそこには、政権の腐敗や失業率の上昇など、さまざまな要因があります。が、もう少し大きな歴史構造的視点から見ると、03年のイラク戦争がひとつの遠因になっていることがわかります。  どういうことでしょうか。それを理解するために、まずはイラク戦争の原因について考えましょう。  なぜブッシュ政権のアメリカがイラクを攻撃したのか、という問題については、いろいろな原因を考えることができます。当初、アメリカはイラクが大量破壊兵器を密かに保有していると主張し、自国の安全保障のためにイラクを攻撃しようとしました。しかし、国連による全面査察が行われても、アメリカが主張するような大量破壊兵器は何も出てこず、結局アメリカは理由が曖昧なままイラク戦争に踏み切りました。イラク戦争後のアメリカによる占領統治においても、大量破壊兵器は見つかっていません。  このような経緯から、アメリカがイラクを攻撃したのは、イラクの石油利権を牛耳りたかったからだ、という説が多くの人から聞かれるようになりました。しかしこの説はそれほど正しくありません。というのも、70年代に産油国では資源ナショナリズムが勃興し、イラクを含めた中東産油国の油田資産はほとんど国有化されてしまったので、たとえアメリカのような覇権国であっても、戦争によって中東地域の石油利権を牛耳るなどということは、そもそも不可能だからです。事実、イラクでは03年4月のフセイン政権崩壊以降、新たな石油開発はほとんどなされず、09年になってようやく、外国の石油資本が油田開発権を獲得するための国際入札が行われました。そして、この入札によってイラク政府が外資と結んだ石油開発契約12件のうち、アメリカ資本は2件しかかかわっていないのです(アメリカ資本がオペレーター企業になれたのは、そのうちの1件だけです)。さらにいえば、アメリカの全石油消費量のうち、中東地域からの輸入原油の比率は1割台しかありません。約9割の日本とはまったく対照的です。中東産の原油に対するアメリカの依存度は驚くほど低いのです。アメリカにとって、イラクの石油利権を軍事力によって無理やり牛耳らなくてはならない必要性はどこにもなく、またそれができる可能性もないのです。  イラク戦争と石油ということでいうならば、むしろ00年にフセインが、今後は石油輸出代金の決済をドルではなくユーロで行うと宣言したことのほうが重要です。なぜなら、それはドル基軸通貨体制の根幹に挑戦するものだったからです。
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どうしてサンデルはヒットした!? 萱野稔人が読み解く『これからの「正義」の話をしよう』

国家とは、権力とは、そして暴力とはなんなのか......気鋭の哲学者・萱野稔人が、知的実践の手法を用いて、世の中の出来事を解説する──。 第7回テーマ 「哲学のベストセラー、分配の正義」
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[今月の副読本] 『これからの「正義」の話をしよう』 マイケル・サンデル著/早川書房(10年)/2415円 1人殺せば5人助かる状況で、その1人を殺すべきか。前世代の過ちは後世代が償うべきか。正解のない正義をめぐる哲学の問題から格差社会、倫理概念を問うハーバード大学史上最多履修数を誇る名講義を活字化。

 2010年の哲学界で起こった最大のニュースといえば、なんといってもマイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』が大ベストセラーになったことでしょう。10年末の時点で60万部を突破し、哲学書としては驚異的な売り上げです。といっても、決してわかりやすい本というわけではありません(値段もそこそこします)。具体的な事例から政治哲学における本質的な問題を論じていくサンデルの語り口はとても明快で魅力的ではありますが、やはりそれでも難解な本であることには変わりありません。そんな難しい本がここまで売れたというのは、哲学界にとってはちょっとした事件でしょう。もちろんハーバード大学でのサンデルの講義がNHK教育テレビで『ハーバード白熱教室』として放映されたことが、この本の売り上げにとっては大きなパブリシティになりました。しかし、そのテレビ放送だけでここまで売り上げが伸びたのかといえば、決してそうではないでしょう。  ではなぜ、サンデルの本はここまで読まれることになったのでしょうか? 今回はそれを考えてみたいと思います。  ポイントは「正義」というタイトルです。おそらく、300ページを優に超えるこの本のボリュームと内容を考えるなら、本を購入したすべての人が最後まで読破し、内容を理解したというわけではないでしょう。であれば、まず考えるべきは、なぜ今「正義」などという、少々古くさくてきまじめな言葉を冠した哲学書に多くの人が惹かれたのか、ということになります。  これに関して興味深いのは、サンデルがこの本の中でまるまる一章を割いて「アファーマティブ・アクション」について論じていることです。アファーマティブ・アクションというのは「積極的差別是正措置」などと訳される言葉で、例えばアメリカでは、これまで差別され社会的に不利な状況に置かれてきたマイノリティ(アフリカ系アメリカ人やメキシコ系アメリカ人)に対して、大学入学における定員割り振りなどで特別に優遇措置を取る、ということを指しています。しかし、こうした是正措置に対しては、マジョリティである白人アメリカ人から「逆差別だ」という批判がしばしばなされます。入学定員の割り振りで人種的な特別措置を取ることによって、同じような成績でも白人学生は不合格になり、マイノリティの学生は合格になることがあるからです。実際、アメリカでは、アファーマティブ・アクションに対して、万人の平等な保護を保障した合衆国憲法に違反するのではないかという訴訟がいくつもなされています。ただしサンデルはこれを、憲法の問題としてでなく、倫理の問題として論じるのです。  このことがよく示しているように、同書の中でサンデルが論じている「正義」とは、主に「分配の正義」にかかわっています。今の例でいえば、大学の入学定員という「社会的資源」をどのように分配すれば正義にかなったものとなるのか、ということですね。ほかにもサンデルは、マイケル・ジョーダンのような高額所得者にどこまで課税し、所得を再分配すべきか、などの問題も論じています。もちろんこうした分配の問題は決して今になって出てきた問題ではありません。しかし、その分配の正義を改めて考察しなくてはならない、という問題意識がサンデルの正義論を特徴付けているのです。  したがって、なぜ人々はサンデルの本にここまで惹きつけられたのか、という問いは次のように言い換えられます。つまり、なぜ人々は分配の正義を改めて考察しなくてはならないと思うようになったのか、と。