テレビ朝日ににらまれ、山口組大幹部に詰められ、週刊誌に叩かれ……田原総一朗の四面楚歌

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撮影=笹村泰夫
 当サイトが今月4日に報じた(記事参照)、田原総一朗氏が広域暴力団山口組のナンバー2と「講演会」の打ち合わせのために、東京麻布にある高級中華料理店「F」で密会していた件で、先週発売の「週刊新潮」(3月28日号/新潮社)は「『田原総一朗』がドタキャンした『暴力団組長80人』討論会」と仰々しいタイトルで、その顛末を事細かに掲載している。  その田原氏と密会していた山口組ナンバー2で弘道会会長、高山清司被告(65)に、今月22日、みかじめ料名目で建設業の男性(67)から現金4,000万円を脅し取ったとして、京都地裁は懲役6年(求刑懲役10年)を言い渡した。警視庁組織犯罪対策課の捜査員は言う。 「高山被告は、この判決の前に田原さんと接触を持ち、講演会か討論会かは知らないが、一つの区切りにしたかったのだろうと思う。しかし、このもくろみは周知のように潰された。警察としては、なんとかして山口組を壊滅に追い込もうと躍起になっているところに、田原氏のよく分からない動きは、とても迷惑千万なことだった」  新潮によると、田原氏サイドにはテレビ朝日関係者から「自重するように」と通告が出されたとある。そのテレ朝には、警察サイドからの働かけきがあったというのは、闇社会に詳しいあるジャーナリストA氏である。 「テレ朝に限らず、テレビ局には暴力団対策のために警察官僚や関係者が天下っており、その筋からも話が伝わったようだ。『テレ朝は暴力団の味方なのか』ということでしょう。田原さんはジャーナリストとして山口組との討論会を企画したいという意図だったのでしょうが、高山被告の判決を控えたこのタイミングでは、さすがにNGだったわけですね」  新潮に「迷走老人」「ジャーナリストとしての資質に大きな疑問符」と報じられた田原氏だが、前出捜査関係者はこう漏らしている。 「一方、田原氏は2月下旬に体調不良で入院しましたが、そのタイミングからいって、山口組サイドからかなり過激なクレームが行ったのではないでしょうか。高山被告は、司忍組長と共に山口組数万の組員を率いる大幹部です。その彼が逮捕前の貴重な時間をわざわざ割いてまでした話なのですから、今回のドタキャンはひんしゅく程度は済まないでしょう」  マスコミ関係者や一般市民だけでなく、日本最大の暴力団からもひんしゅくを買った田原氏。今は、ほとぼりが冷めるのを待つしかない状況なのかもしれない。

「AKB48にうつつを抜かすおじいちゃん!?」田原総一朗にテレビ局が“おっかけ”自粛要請中!?

撮影=笹村泰夫
 政治評論家・田原総一朗氏のAKB48熱が止まらない。28日に発売されるAKB48のDVD『AKB48 in TOKYO DOME~1830mの夢~』のテレビCMに出演し、同じくAKB48ファンで知られる漫画家・小林よしのり氏らと「AKB48にとって、前田敦子とはなんだったのか」など2つのテーマで激論を交わしているのだが、撮影を終えた田原氏は「とにかく、撮影がどうのこうのはどうでもいい。面白かった」と上機嫌。これには高橋みなみも「ガチで論争してくださっていることに驚きましたし、とても光栄に思いました」と大喜びだった。  だが、田原氏の“本業”は政治ジャーナリスト。来月16日は総選挙と東京都知事選がダブルで行われ、新聞・テレビは完全に選挙モードに入っている。そんな中、第一人者の田原氏を「このままでは使いづらい」という声がささやかれているのだという。 「もちろん、選挙特番や事前番組となれば切り替えてやってくれることは分かっています。それでも、あそこまで活発にファンとしての活動をされてしまうと、やはり視聴者は“AKB48にうつつを抜かしているおじいちゃん”と見ますよ。今回の選挙に際しては、政治評論家の三宅久之さんが亡くなったこともあって、“重鎮”といえるのは田原さんだけなんです。なんとか、AKB48のおっかけを控えてほしいのですが……」(制作会社関係者)  また、政治記者の1人は「確かに田原さんはテレビで天皇制や右翼など、当時タブーとされていたことに切り込むなど、すごい人だとは思いますが、正直、今の永田町では完全に“お客さん”扱いです」と語る。田原氏も齢78。自宅マンション周辺では「夜な夜な寝巻き姿の田原さんが1人で“散歩”している姿も目撃されています」(週刊誌記者)という。  特にテレビ業界には多くの信奉者を持ち、“伝説のジャーナリスト”とも呼ばれる田原氏。今回の選挙もAKB48総選挙なみに盛り上げてほしいところだが……。

田原総一朗が語る「不倫の末結ばれた、最愛の妻を看取って」

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田原総一朗氏
(撮影=笹村泰夫)
『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系列)などで、先鋭的な視点と歯切れのよい物言いを武器に、政治や経済、社会など幅広い領域の問題について、大胆かつ過激に切り込むジャーナリスト・田原総一朗。  厳しい横顔でパネリストたちの激論を繰る彼だが、その裏には、知られざる秘めた愛の軌跡があった。  元日本テレビアナウンサー・節子氏との、長年にわたる不倫である。  互いに家庭のある身でありながら、どうしようもなく惹かれ合っていく男女。しかしふたりは決めた。ふたつの家庭の中で、責任をもってそれぞれの家族を守り、互いにそれを侵さないと。  時は流れ、田原氏が前妻を看取って6年。  「結婚しようか」  「そうしようか」 ――ようやくふたりが手を取り合うときがきたのである。出会いから27年。不器用にも深く結ばれてから22年の月日が流れていた。  しかし、再婚した妻を病魔が襲う。乳がんだった。病床の妻を支え続け、後追い自殺すら考えた田原氏。妻への献身的な愛は『私たちの愛』(田原総一朗、田原節子著/講談社)(http://www.amazon.co.jp/dp/4062115557/)に詳しい。  そんな田原氏に、  夫婦とは何か?  愛、結婚、不倫、家族とは何か?  家事、子育て、介護とは?  そして、「田原氏は日本初の成人向けビデオ男優」との噂があるほど、いつも本気で仕事に取り組むその「仕事道」について聞いた。  忌憚なき明瞭な回答の数々から浮かび上がったのは、現代社会における夫婦像や互いの役割、課題、そして男女のあるべき姿だった。  激流の時代、結婚・恋愛というものの変遷を追いながら、愛の本質に迫る。 ――『私たちの愛』では、その再婚された奥さまとは、当初お互いに家庭があり、いわゆる「不倫」であったことを明かしていますが、初婚時と再婚時の違いはなんだったのでしょうか? 田原総一朗氏(以下、田原) 再婚した妻とは、フィーリングが合ったんですね。彼女は日本テレビのアナウンサーで、僕は5人くらいいる番組の構成者のひとりでした。次に番組で何をやろうかと話しているうちにフィーリングが合って、ふたりで話す時間が長くなっていった。お互いの共通点をどんどん見つけていくふたり。世の中の常識とかけ離れた感覚や、まったくもって間違っているといわれるような価値観ですらフィットしたんです。数年間、そういう関係が続きました。だから「結婚がどうの」とは考えていなかったんです。 ――そういった関係からやがて恋愛へと発展し、そして前の奥さまの亡きあと、再婚されました。そのように結ばれていく過程とは、どのようなものだったのでしょうか? 田原 彼女なくしての人生はありえない――そう僕も思ったし、彼女も思ったんです。どうも、お互いに相手のことが必要だと。生きるために。それが愛だと気付いたんですね。気が合う、フィーリングが合う、話しやすい、話が合う、お互いに必要な相手だ。そういう関係が長く続いた。男女の行為なしで、恋愛が成立していたんですよ。 止められない愛 ――お互いに家庭のある者同士が惹かれ合ってしまった時には、どうすべきだとお考えですか? 田原 僕は意識が古いので、夫というものは、女房、子どもを食わせるのが第一条件だと思っています。当時はもちろん、今でもね。家長的な責任意識が強かったんです。だから、前の女房と離婚する気はまったくなかった。女房、子どもを食わせなければと、彼女と親しくなればなるほど、自分の無駄遣いを一切せずに、収入はすべて女房に渡していました。もともと全額女房に渡して、僕は預金通帳もキャッシュカードも持たずに、月に1〜2回、女房から小遣いをもらっていました。今では、その役割は娘が引き継いでくれています。だから自分ではお金を銀行から下ろしたこともないので、いくら収入や貯金があるのかも知りません。自分でお金を持たずに女房に管理してもらっているのが、気楽でもあるからですが。  だから、たとえ家庭がありながら、ほかの女性に惹かれてしまったとしても、家長としての責任、つまり女房、子どもを食わせること。それは果たすべきだと考えています。  前の女房は、僕と彼女との関係には気づいていましたよ。口に出しては言わないけれど、態度でなんとなく。女房の立派だったところは、そんな状況下でも、一度たりとも娘たちの前で僕の批判をすることがなかったこと。女房に悪いという思いは、もちろんありました。それも、長いあいだ2番目の妻と男女の行為を持たなかった理由のひとつです。 命がけで仕事に取り組む ――「家長としての責任」というお話が出ましたが、田原さんはいつも真剣勝負で仕事に挑むと本書でもおっしゃっています。 田原 だから僕は、常に仕事に対しては本気。仕事には平気で命をかけようと思っていますから、ときにはめちゃくちゃなこともします。東京12チャンネル(現テレビ東京)時代の1971年には、金曜スペシャルで『日本の花嫁』というドキュメンタリー番組をつくり、自衛隊の結婚式など、いろんな結婚式を取材に行きました。ある全共闘崩れの連中の結婚式では、列席している仲間たちがみんな裸なんです。新婦が列席者の男たちと本番行為をするという結婚式でね。で、スタッフも全員裸になれと。すると新婦が「まずディレクター(である僕)と寝たい」と言いだした。断るわけにはいかない。これも取材だと、新婦と本番行為をして、それを撮って放映しました。そのことをして、お笑い芸人の水道橋博士は「田原総一朗は日本で初めての、成人向けビデオ作品男優である」としています(笑)。それくらい本気なんですよ。 ――田原さんは、その奥様をがんで亡くされました。自分の妻や夫、恋人が、不治の病や悩みなどで苦しんでいる姿に直面したときには、どのように接したらいいのでしょうか? 田原 僕が再婚した女房(節子氏)は悪性の炎症性乳がんで、判明したときにはすでに手術ができない、長くても半年の命という状態でした。医師は彼女に乳がんであることは告げましたが、炎症性乳がんであるとは言わなかったんですね。それで「告知しますか、どうしますか?」と。僕は余命半年の女房にそんなことを告知してしまったら、彼女ががっくりくるのではと判断し、言わなかったんですね。  しかし、抗がん剤治療を数カ月間続けた結果、手術できる段階にまで回復できた。それで手術へと踏み切ったんですが、術後に女房がインターネットで病名を調べて、自分が炎症性乳がんであることを知り、烈火のごとく怒ったんですよね。  無事に手術はできたけれど、いつまで生きられるかわからない。とにかく一日でも長く生きてほしいという願いでしたね。そのためにはなんでもするからと。 ――具体的に、どのようなサポートをされたのでしょうか? 田原 治療の手助けに始まり、亡くなる前の介護に至るまで、いろんなことをしましたね。大きな手術でしたからね、術後、胸のかさぶたがはがれたあとには、骨が見えるほどの大きな穴が空いてしまいました。消毒し薬を塗らなければならないのですが、初めの2〜3度だけ病院の方にやってもらって、あとは僕がやりましたよ。亡くなる1年前には、歩けなくなり車椅子の生活になってしまったので、毎日相撲のように抱え上げてね。そういうことを1年くらい続けました。 介護とは老後の愛である ――高齢化社会において、夫婦間の介護も増えています。実際に体験されていかがでしたか? 田原 介護というのは、実に楽しいものでした。認知症の介護であれば、反応がないから大変かもしれません。しかし、反応がある場合には楽しいものですよ。だって、相手はとても愛している女房なんですから。  それに、介護をする上で、やはり相手に触れたり抱き上げたりしますよね。夫婦は60歳を過ぎたら、キスをすることも手を握ることも男女の行為をすることもなくなってきます。しかし介護というのは、毎日肌で接し合い、触れ合うんです。“老後の愛”とはこういうものなのだなと。まさに愛の再発見です。  だから夫婦間の介護というのは楽しい。きわめて楽しい。介護がつらいというのは、よくわからない。自分が動けなくなったら違ってくるかもしれませんが、お互いに動けるあいだは楽しいものですよ。 ――先ほど、家長的な責任意識が強かったとのお話しがありましたが、家庭における男性、女性、そして父親、母親、それぞれの役割とは? 田原 本来は、男女、父母の役割に区別はないのですが、ただ男性に子どもを産むことはできません。母乳も出ません。もちろん父親としてできる限りのことはするものの、幼児期のうちは父親が寝かしつけようと抱っこしても泣く、母親が母乳をあげて抱っこしていると眠るといったように、子どもも父親には母親ほど懐かないですしね。どうしても子育てにおいては、女性が中心になるわけです。中心になるということはハンディキャップが生まれるということ。  そこで、僕は早い段階から、女房に炊事洗濯をしなくていいと告げていました。人間は平等、でも子育ての負担は女性のほうが大きい。申し訳ないなと。手っ取り早く男性にできるのはお金を稼いでくること。そして炊事洗濯など、子育て以外のことをなるべくしてもらわないようにすること。そのために、生活に余裕が出てからは家政婦さんを雇いました。たとえ食べ物を貧しくしてでも、女房に炊事洗濯はしてほしくなかった。いま共働きの夫婦が家事を分担するというのは、当たり前のことだと考えています。 愛のない結婚生活を続ける必要はない ――高齢化社会が深刻化する現代では、老後に関係をぎくしゃくさせてしまったり、熟年離婚に至ってしまったりといった夫婦も多く見られます。夫の退職後や子どもが自立したあと、高齢夫婦が良好な関係を保っていくためには、どうしたらよいのでしょうか? 田原 相手を愛しているかどうかですね。夫婦の関係というものが、いかに大事か。高齢化社会になって、あらためて感じさせられます。  かつては、女性は結婚して初めて、経済的に安定するものでした。女性にとって結婚とは経済が決め手となるものであり、経済とはすなわち安定だったんです。しかし夫が退職すると、それがなくなってしまいますよね。  対して、現代は愛で結婚する時代。つまり、愛さえ続けば大丈夫なんです。愛が続かないのであれば、早く離婚したほうがいい。今ではフランスなどでは事実婚が増えていて、大統領も事実婚。男性も女性も、結婚というかたちに縛られなくてもいいわけです。我慢して結婚生活を続ける必要性など、どこにもない。我慢して続けるから、高齢になって、いざ退職だ病気だという現実に直面して困るわけでしょう。愛のない結婚生活を続けることはないんですよ。 ――昨今、若い世代の未婚率が上昇しています。なぜでしょうか? 田原 男女雇用機会均等法や男女共同参画など、女性が総合職として働くことのできる時代になりました。昔は女性は総合職には就けず、早く結婚するしかなかった。でも今は総合職に就けることで、女性も仕事に生きることが可能になりました。そうすると、なぜ結婚しなくてはならないのか、女性にとって結婚する理由が愛以外になくなってしまったんです。女性が経済的に自立していることで、結婚年齢が上がるわけですね。  少子化と言われて久しいですが、なぜいま子どもが少ないのか。女性の自立に伴って結婚年齢が上昇する一方、出産の適齢期は、当然ながら今も昔も変わらない。生物学的な出産の適齢期は18歳から24歳までです。でも24歳の時点で結婚していない女性はたくさんいる。つまり結婚した時点で、出産の適齢期を過ぎているんです。それで子どもができにくいなどの支障が出てしまう。これが少子化の原因のひとつですね。  女性が経済的な必要性に駆られて結婚しなくてもよくなったので、男性にはハードルが高くなってしまったんですね。女性は、愛のない結婚をする必要性がなくなったんですよ。 現代男性は、どうすれば結婚できるのか? ――なるほど。女性の経済的な自立により、結婚は経済よりも愛でするものへと変わってきた。それに伴い少子化も進むと。では現代の男性は、結婚にあたってどのような問題をクリアすればよいのでしょうか? 田原 日本人というのはコミュニケーションが下手。男女とも異性を口説くのが下手です。だいたいにおいて男性が女性を口説くものでしょうけれど、その際、将来出世の見込みがあるだとか給料が高い、大きな会社に勤めているなどといった、昔だったら結婚の決め手になっていたことが、今では通用しなくなってきている。男性がいかに自分の魅力を伝えるかにおいて、コミュニケーションの重要性が高まっているんです。  しかし、魅力を伝えるというと、自慢になってしまう人が多い。やれ東大を出ている、やれ外務省に勤めている。ところがそんなものは、今の時代、魅力になんてなりません。かえってとんでもなく失敗した経験なんかを話すと、おもしろい人だねとなることも。人間性をどう見せられるかが、異性を口説くときの重要なキーになるんです。 女性に自分の魅力を伝えるということ ――草食系男子という言葉の流行に見られるように、異性を口説く場面において、男性が昔に比べてガツガツしなくなったのでしょうか? 田原 男性がガツガツしなくなったのではなく、女性が難しくなったんですよ。女性が経済的に自立したことにより、経済的なことに左右されて結婚する必要性がなくなった。昔はお見合い結婚も多く、出身大学や勤務している会社、親や親戚がどうだということが条件として成立していました。ところが、今はそんなものは結婚条件にならない。そこで新しいコミュニケーションが必要になってくるんです。男性が女性に自分の魅力を伝えることが難しくなっているんですね。  かくいう僕も、自分の魅力を伝えるのは、とても下手でした。僕の最初の結婚は3歳年上のいとことでしたが、僕が叔母の家に下宿していて、彼女が親切にしてくれたのがきっかけ。長いあいだ一緒に生活していたわけですから、お互いのよさはそれとなくわかっている。だから口説き合う必要もなかった。つまりは、怠け者の結婚だったんですね。 ――今の男女の愛における課題とはなんでしょうか? 田原 愛というのは、すぐにマンネリ化してしまうもの。だから、愛は自分たちでどんどん進化させなくてはなりません。こんないいところがあったんだと、お互いに新発見をしていくこと。マンネリ化して夫婦が空気のような関係になるというのは最悪だと、僕は思います。安心しきるということは、緊張感がないということ。愛には、常に緊張感がなくてはなりません。前妻とも再婚した妻とも、亡くなるまで緊張感を維持し続け、お互いにいいところを見つけようと努めてきました。前妻にも、飽きているわけではありませんでしたからね。  高齢化社会が進むにつれて、夫婦の関係というものが、より重要になってきています。若いころから共に老いてゆくまで、そのような愛のかたちを維持し続けていくことが、老後も良好な夫婦関係を保つための秘訣なのではないでしょうか。 (構成=大川内麻里) ●田原総一朗(たはら・そういちろう) 1934年、滋賀県生まれ。60年、岩波映画製作所入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーランスとなり、テレビ朝日系列『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。現在、早稲田大学特命教授として大学院で講義をするほか「大隈塾」塾頭も務める。『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。また『日本の戦争』(小学館)、『日本人は原発とどうつきあうべきか』(PHP研究所)、『日本人のための新「幸福論」』(三笠書房)、『田原総一朗責任編集 ホリエモンの最後の言葉』(アスコム)など、多数の著書がある。 田原総一朗 公式サイト http://www.taharasoichiro.com/ ■「Business Journal」人気記事(一部抜粋) 山本一郎「まさかのバンダイナムコが新ガチャで規制逃れ」 今さらですがやっぱりFacebook使うのって危なくない? 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田原総一朗が語る「不倫の末結ばれた、最愛の妻を看取って」

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田原総一朗氏
(撮影=笹村泰夫)
『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系列)などで、先鋭的な視点と歯切れのよい物言いを武器に、政治や経済、社会など幅広い領域の問題について、大胆かつ過激に切り込むジャーナリスト・田原総一朗。  厳しい横顔でパネリストたちの激論を繰る彼だが、その裏には、知られざる秘めた愛の軌跡があった。  元日本テレビアナウンサー・節子氏との、長年にわたる不倫である。  互いに家庭のある身でありながら、どうしようもなく惹かれ合っていく男女。しかしふたりは決めた。ふたつの家庭の中で、責任をもってそれぞれの家族を守り、互いにそれを侵さないと。  時は流れ、田原氏が前妻を看取って6年。  「結婚しようか」  「そうしようか」 ――ようやくふたりが手を取り合うときがきたのである。出会いから27年。不器用にも深く結ばれてから22年の月日が流れていた。  しかし、再婚した妻を病魔が襲う。乳がんだった。病床の妻を支え続け、後追い自殺すら考えた田原氏。妻への献身的な愛は『私たちの愛』(田原総一朗、田原節子著/講談社)(http://www.amazon.co.jp/dp/4062115557/)に詳しい。  そんな田原氏に、  夫婦とは何か?  愛、結婚、不倫、家族とは何か?  家事、子育て、介護とは?  そして、「田原氏は日本初の成人向けビデオ男優」との噂があるほど、いつも本気で仕事に取り組むその「仕事道」について聞いた。  忌憚なき明瞭な回答の数々から浮かび上がったのは、現代社会における夫婦像や互いの役割、課題、そして男女のあるべき姿だった。  激流の時代、結婚・恋愛というものの変遷を追いながら、愛の本質に迫る。 ――『私たちの愛』では、その再婚された奥さまとは、当初お互いに家庭があり、いわゆる「不倫」であったことを明かしていますが、初婚時と再婚時の違いはなんだったのでしょうか? 田原総一朗氏(以下、田原) 再婚した妻とは、フィーリングが合ったんですね。彼女は日本テレビのアナウンサーで、僕は5人くらいいる番組の構成者のひとりでした。次に番組で何をやろうかと話しているうちにフィーリングが合って、ふたりで話す時間が長くなっていった。お互いの共通点をどんどん見つけていくふたり。世の中の常識とかけ離れた感覚や、まったくもって間違っているといわれるような価値観ですらフィットしたんです。数年間、そういう関係が続きました。だから「結婚がどうの」とは考えていなかったんです。 ――そういった関係からやがて恋愛へと発展し、そして前の奥さまの亡きあと、再婚されました。そのように結ばれていく過程とは、どのようなものだったのでしょうか? 田原 彼女なくしての人生はありえない――そう僕も思ったし、彼女も思ったんです。どうも、お互いに相手のことが必要だと。生きるために。それが愛だと気付いたんですね。気が合う、フィーリングが合う、話しやすい、話が合う、お互いに必要な相手だ。そういう関係が長く続いた。男女の行為なしで、恋愛が成立していたんですよ。 止められない愛 ――お互いに家庭のある者同士が惹かれ合ってしまった時には、どうすべきだとお考えですか? 田原 僕は意識が古いので、夫というものは、女房、子どもを食わせるのが第一条件だと思っています。当時はもちろん、今でもね。家長的な責任意識が強かったんです。だから、前の女房と離婚する気はまったくなかった。女房、子どもを食わせなければと、彼女と親しくなればなるほど、自分の無駄遣いを一切せずに、収入はすべて女房に渡していました。もともと全額女房に渡して、僕は預金通帳もキャッシュカードも持たずに、月に1〜2回、女房から小遣いをもらっていました。今では、その役割は娘が引き継いでくれています。だから自分ではお金を銀行から下ろしたこともないので、いくら収入や貯金があるのかも知りません。自分でお金を持たずに女房に管理してもらっているのが、気楽でもあるからですが。  だから、たとえ家庭がありながら、ほかの女性に惹かれてしまったとしても、家長としての責任、つまり女房、子どもを食わせること。それは果たすべきだと考えています。  前の女房は、僕と彼女との関係には気づいていましたよ。口に出しては言わないけれど、態度でなんとなく。女房の立派だったところは、そんな状況下でも、一度たりとも娘たちの前で僕の批判をすることがなかったこと。女房に悪いという思いは、もちろんありました。それも、長いあいだ2番目の妻と男女の行為を持たなかった理由のひとつです。 命がけで仕事に取り組む ――「家長としての責任」というお話が出ましたが、田原さんはいつも真剣勝負で仕事に挑むと本書でもおっしゃっています。 田原 だから僕は、常に仕事に対しては本気。仕事には平気で命をかけようと思っていますから、ときにはめちゃくちゃなこともします。東京12チャンネル(現テレビ東京)時代の1971年には、金曜スペシャルで『日本の花嫁』というドキュメンタリー番組をつくり、自衛隊の結婚式など、いろんな結婚式を取材に行きました。ある全共闘崩れの連中の結婚式では、列席している仲間たちがみんな裸なんです。新婦が列席者の男たちと本番行為をするという結婚式でね。で、スタッフも全員裸になれと。すると新婦が「まずディレクター(である僕)と寝たい」と言いだした。断るわけにはいかない。これも取材だと、新婦と本番行為をして、それを撮って放映しました。そのことをして、お笑い芸人の水道橋博士は「田原総一朗は日本で初めての、成人向けビデオ作品男優である」としています(笑)。それくらい本気なんですよ。 ――田原さんは、その奥様をがんで亡くされました。自分の妻や夫、恋人が、不治の病や悩みなどで苦しんでいる姿に直面したときには、どのように接したらいいのでしょうか? 田原 僕が再婚した女房(節子氏)は悪性の炎症性乳がんで、判明したときにはすでに手術ができない、長くても半年の命という状態でした。医師は彼女に乳がんであることは告げましたが、炎症性乳がんであるとは言わなかったんですね。それで「告知しますか、どうしますか?」と。僕は余命半年の女房にそんなことを告知してしまったら、彼女ががっくりくるのではと判断し、言わなかったんですね。  しかし、抗がん剤治療を数カ月間続けた結果、手術できる段階にまで回復できた。それで手術へと踏み切ったんですが、術後に女房がインターネットで病名を調べて、自分が炎症性乳がんであることを知り、烈火のごとく怒ったんですよね。  無事に手術はできたけれど、いつまで生きられるかわからない。とにかく一日でも長く生きてほしいという願いでしたね。そのためにはなんでもするからと。 ――具体的に、どのようなサポートをされたのでしょうか? 田原 治療の手助けに始まり、亡くなる前の介護に至るまで、いろんなことをしましたね。大きな手術でしたからね、術後、胸のかさぶたがはがれたあとには、骨が見えるほどの大きな穴が空いてしまいました。消毒し薬を塗らなければならないのですが、初めの2〜3度だけ病院の方にやってもらって、あとは僕がやりましたよ。亡くなる1年前には、歩けなくなり車椅子の生活になってしまったので、毎日相撲のように抱え上げてね。そういうことを1年くらい続けました。 介護とは老後の愛である ――高齢化社会において、夫婦間の介護も増えています。実際に体験されていかがでしたか? 田原 介護というのは、実に楽しいものでした。認知症の介護であれば、反応がないから大変かもしれません。しかし、反応がある場合には楽しいものですよ。だって、相手はとても愛している女房なんですから。  それに、介護をする上で、やはり相手に触れたり抱き上げたりしますよね。夫婦は60歳を過ぎたら、キスをすることも手を握ることも男女の行為をすることもなくなってきます。しかし介護というのは、毎日肌で接し合い、触れ合うんです。“老後の愛”とはこういうものなのだなと。まさに愛の再発見です。  だから夫婦間の介護というのは楽しい。きわめて楽しい。介護がつらいというのは、よくわからない。自分が動けなくなったら違ってくるかもしれませんが、お互いに動けるあいだは楽しいものですよ。 ――先ほど、家長的な責任意識が強かったとのお話しがありましたが、家庭における男性、女性、そして父親、母親、それぞれの役割とは? 田原 本来は、男女、父母の役割に区別はないのですが、ただ男性に子どもを産むことはできません。母乳も出ません。もちろん父親としてできる限りのことはするものの、幼児期のうちは父親が寝かしつけようと抱っこしても泣く、母親が母乳をあげて抱っこしていると眠るといったように、子どもも父親には母親ほど懐かないですしね。どうしても子育てにおいては、女性が中心になるわけです。中心になるということはハンディキャップが生まれるということ。  そこで、僕は早い段階から、女房に炊事洗濯をしなくていいと告げていました。人間は平等、でも子育ての負担は女性のほうが大きい。申し訳ないなと。手っ取り早く男性にできるのはお金を稼いでくること。そして炊事洗濯など、子育て以外のことをなるべくしてもらわないようにすること。そのために、生活に余裕が出てからは家政婦さんを雇いました。たとえ食べ物を貧しくしてでも、女房に炊事洗濯はしてほしくなかった。いま共働きの夫婦が家事を分担するというのは、当たり前のことだと考えています。 愛のない結婚生活を続ける必要はない ――高齢化社会が深刻化する現代では、老後に関係をぎくしゃくさせてしまったり、熟年離婚に至ってしまったりといった夫婦も多く見られます。夫の退職後や子どもが自立したあと、高齢夫婦が良好な関係を保っていくためには、どうしたらよいのでしょうか? 田原 相手を愛しているかどうかですね。夫婦の関係というものが、いかに大事か。高齢化社会になって、あらためて感じさせられます。  かつては、女性は結婚して初めて、経済的に安定するものでした。女性にとって結婚とは経済が決め手となるものであり、経済とはすなわち安定だったんです。しかし夫が退職すると、それがなくなってしまいますよね。  対して、現代は愛で結婚する時代。つまり、愛さえ続けば大丈夫なんです。愛が続かないのであれば、早く離婚したほうがいい。今ではフランスなどでは事実婚が増えていて、大統領も事実婚。男性も女性も、結婚というかたちに縛られなくてもいいわけです。我慢して結婚生活を続ける必要性など、どこにもない。我慢して続けるから、高齢になって、いざ退職だ病気だという現実に直面して困るわけでしょう。愛のない結婚生活を続けることはないんですよ。 ――昨今、若い世代の未婚率が上昇しています。なぜでしょうか? 田原 男女雇用機会均等法や男女共同参画など、女性が総合職として働くことのできる時代になりました。昔は女性は総合職には就けず、早く結婚するしかなかった。でも今は総合職に就けることで、女性も仕事に生きることが可能になりました。そうすると、なぜ結婚しなくてはならないのか、女性にとって結婚する理由が愛以外になくなってしまったんです。女性が経済的に自立していることで、結婚年齢が上がるわけですね。  少子化と言われて久しいですが、なぜいま子どもが少ないのか。女性の自立に伴って結婚年齢が上昇する一方、出産の適齢期は、当然ながら今も昔も変わらない。生物学的な出産の適齢期は18歳から24歳までです。でも24歳の時点で結婚していない女性はたくさんいる。つまり結婚した時点で、出産の適齢期を過ぎているんです。それで子どもができにくいなどの支障が出てしまう。これが少子化の原因のひとつですね。  女性が経済的な必要性に駆られて結婚しなくてもよくなったので、男性にはハードルが高くなってしまったんですね。女性は、愛のない結婚をする必要性がなくなったんですよ。 現代男性は、どうすれば結婚できるのか? ――なるほど。女性の経済的な自立により、結婚は経済よりも愛でするものへと変わってきた。それに伴い少子化も進むと。では現代の男性は、結婚にあたってどのような問題をクリアすればよいのでしょうか? 田原 日本人というのはコミュニケーションが下手。男女とも異性を口説くのが下手です。だいたいにおいて男性が女性を口説くものでしょうけれど、その際、将来出世の見込みがあるだとか給料が高い、大きな会社に勤めているなどといった、昔だったら結婚の決め手になっていたことが、今では通用しなくなってきている。男性がいかに自分の魅力を伝えるかにおいて、コミュニケーションの重要性が高まっているんです。  しかし、魅力を伝えるというと、自慢になってしまう人が多い。やれ東大を出ている、やれ外務省に勤めている。ところがそんなものは、今の時代、魅力になんてなりません。かえってとんでもなく失敗した経験なんかを話すと、おもしろい人だねとなることも。人間性をどう見せられるかが、異性を口説くときの重要なキーになるんです。 女性に自分の魅力を伝えるということ ――草食系男子という言葉の流行に見られるように、異性を口説く場面において、男性が昔に比べてガツガツしなくなったのでしょうか? 田原 男性がガツガツしなくなったのではなく、女性が難しくなったんですよ。女性が経済的に自立したことにより、経済的なことに左右されて結婚する必要性がなくなった。昔はお見合い結婚も多く、出身大学や勤務している会社、親や親戚がどうだということが条件として成立していました。ところが、今はそんなものは結婚条件にならない。そこで新しいコミュニケーションが必要になってくるんです。男性が女性に自分の魅力を伝えることが難しくなっているんですね。  かくいう僕も、自分の魅力を伝えるのは、とても下手でした。僕の最初の結婚は3歳年上のいとことでしたが、僕が叔母の家に下宿していて、彼女が親切にしてくれたのがきっかけ。長いあいだ一緒に生活していたわけですから、お互いのよさはそれとなくわかっている。だから口説き合う必要もなかった。つまりは、怠け者の結婚だったんですね。 ――今の男女の愛における課題とはなんでしょうか? 田原 愛というのは、すぐにマンネリ化してしまうもの。だから、愛は自分たちでどんどん進化させなくてはなりません。こんないいところがあったんだと、お互いに新発見をしていくこと。マンネリ化して夫婦が空気のような関係になるというのは最悪だと、僕は思います。安心しきるということは、緊張感がないということ。愛には、常に緊張感がなくてはなりません。前妻とも再婚した妻とも、亡くなるまで緊張感を維持し続け、お互いにいいところを見つけようと努めてきました。前妻にも、飽きているわけではありませんでしたからね。  高齢化社会が進むにつれて、夫婦の関係というものが、より重要になってきています。若いころから共に老いてゆくまで、そのような愛のかたちを維持し続けていくことが、老後も良好な夫婦関係を保つための秘訣なのではないでしょうか。 (構成=大川内麻里) ●田原総一朗(たはら・そういちろう) 1934年、滋賀県生まれ。60年、岩波映画製作所入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーランスとなり、テレビ朝日系列『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。現在、早稲田大学特命教授として大学院で講義をするほか「大隈塾」塾頭も務める。『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。また『日本の戦争』(小学館)、『日本人は原発とどうつきあうべきか』(PHP研究所)、『日本人のための新「幸福論」』(三笠書房)、『田原総一朗責任編集 ホリエモンの最後の言葉』(アスコム)など、多数の著書がある。 田原総一朗 公式サイト http://www.taharasoichiro.com/ ■「Business Journal」人気記事(一部抜粋) 山本一郎「まさかのバンダイナムコが新ガチャで規制逃れ」 今さらですがやっぱりFacebook使うのって危なくない? 日テレ、テレ朝、東洋経済…トヨタの軍門に下るメディアたち? 不正アクセスで手軽にネットカンニング! サッカー五輪代表は、海外移籍で1億円稼げるか? 有名女子高では4割!?医学部志望女子急増の意外なワケ ソフトバンクの落とし穴?再生エネ全量買取で東電原発の復活も

“田原伝説”再び――田原総一郎はマイケル・ムーアの師匠だった!?

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 かつて、東京12チャンネル(現・テレビ東京)のディレクターとして数々の秀逸なドキュメンタリー番組を制作していた田原総一朗。近年、田原がディレクターを務めた番組のフィルムがテレビ東京の倉庫から大量に発掘され、『田原総一朗の遺言』としてBSジャパンで放映。その高いクオリティーは、視聴者の話題をさらい、DVDとなって発売されるまでになっている。いったい、田原ドキュメンタリーの真髄とはなんだったのか? そして現在、田原は自分の作品をどのように見つめているのだろうか? 番組で相方を務める浅草キッド・水道橋博士とともに、そのドキュメンタリー史に残る偉大な仕事を振り返ってもらった。 ■山下洋輔を殺そうとした ――まず、かなり年の離れたお2人ですが、水道橋博士が田原さんに興味を持たれたきっかけはなんだったのでしょうか? 水道橋博士(以下、博士) 10年前に雑誌の企画で対談をしたのが初対面でした。ちょうどマイケル・ムーアがアカデミー賞を受賞した頃で、彼が名作ドキュメンタリーとして知られる『ゆきゆきて、神軍』の原一男に影響を受けたと語っていたんです。その原一男が、僕が『やりすぎコージー』(テレビ東京系)の“都市伝説”の中で「日本で最初のAV男優は田原総一朗だった」と紹介した作品の制作現場にいた。つまり、僕の中で「田原さんはマイケル・ムーアの師匠だ」という推論ができたんです。 ――田原さんは学生運動から連合赤軍、芸能人やポルノ女優に至るまで、さまざまなテーマや被写体を記録しています。これらのテーマに共通する部分はあるのでしょうか? 田原総一朗(以下、田原) NHKやTBS、日本テレビにはできないものをやろうと思っていたんです。当時、東京12チャンネルは“テレビ番外地”だった。視聴者が12チャンネルまでダイヤルを回さなかったんですね。制作費も他局のほうが圧倒的でした。当時、僕らの番組の制作費の3分の1はフィルム代だったんですが、NHKや他局ではフィルム代は制作費のうちにもカウントされません。僕らは他局の10分の1くらいの制作費で番組を作っていたんですね。クルーも他局がアシスタントを含め6~7人で行動するのに、12チャンネルはカメラマンとディレクターの僕2人だけでした。 ――制作費でも注目度でも人員でも及ばないから、他局にはできないようなテーマで挑むしかなかった。 田原 他局にはできないテーマってなんだかわかりますか? 危険なものです。学生運動を取材するときに、僕らは機動隊やデモ隊の後ろではなく、その間に入って撮影していたんです。学生が投げた火炎瓶を足蹴にし、催涙弾で目をやられながら撮影を行っていましたね。 120416bt_0002.jpg 博士 『私は現在を歌う ~藤圭子 6月の風景』で田原さんが追っている藤圭子も、時代状況としてタブーな存在だったんです。当時はナベプロが全盛の時代。インディーズの演歌歌手がチャートのトップを走り続けるなんて、ありえないことだった。しかも、しゃべらない、貧困の中に生まれたという設定がある彼女を、田原さんはカメラの前でしゃべらせた。他局にはできない、芸能界の掟破りをしていたんです。 田原 『バリケードの中のジャズ ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト~』は、山下洋輔が「ピアノを弾きながら死にたい」と言っていたことが始まりでした。彼がピアノを弾きながら死ねる状況を作ろうとしたんです。 ――本気で殺そうとしたんですか!? 田原 そう。だから、あの作品は失敗だった。彼が殺されたら、僕は当然逮捕されます。でも、それでいいんです。 博士 田原さんは「塀の上を走るのがドキュメンタリーだ」と定義していますからね。逮捕され刑務所に入ることは覚悟の上で撮影しているんです。ギリギリの人に取材しながら、自らもギリギリの状況に追い込まれていく。田原ドキュメンタリーは、そうやって撮影されていたんです。 ■12チャンネルとニコニコ動画の類似点  取材同日に開催されたDVD発売イベントには、歌手の岡村靖幸をはじめ、多くのファンが詰めかけた。20歳の頃からファンだったという日本テレビ土屋敏男プロデューサーも登壇し、テレビ局の垣根を越えた異色の対談に会場は沸いた。しかし、来場者の姿を見ていると、コアなドキュメンタリーファンというよりも、「何か面白いものを求めている若者たち」といういでたちの人々ばかり。いったい、どうして田原作品は時代を越えてその鋭い視線を突き付けられるのだろうか? ――今回DVDとなっている作品は、70年代に撮影されたものです。当時の世相などを理解していないと解読するのが難しい部分もたくさんありますが、そのような知識がなくても、全然古びているという印象を感じさせません。 120416bt_0006.jpg 博士 僕らは、過去の名作ドキュメンタリーの回顧展をやっているつもりはないんです。どれも「この時代だからできたんだよね」という作品ではないんです。いつの時代もドキュメンタリーは偏っているほうが面白いし、正しいんです。 田原 公平や客観性など、そんなものはあり得ない。自分の目で見るんだから、偏っているに決まっています。それを正直に出したんです。 ――自分の過去の作品が、どうして今の若い人に響いていると思いますか? 田原 若者は、今の状況に強い危機感を持っています。ところが民主も自民も、何も変えてくれそうにはない。「なんとかしなきゃいけない」という気持ちがあって、こういうドキュメンタリーを見てくれるんじゃないでしょうか。 ――確かに、今のテレビには、こういった気骨のある番組は少ないですね。 田原 僕はニコニコ動画に時々出演するんですが、テレビに出せない人間を出せるから面白い。小沢一郎、鈴木宗男、堀江貴文もニコニコ動画で放送しました。鈴木宗男さんは、収監3日前にニコニコ動画で70分も話してくれたんです。 ――“テレビ番外地”であった12チャンネルとニコニコ動画は雰囲気が似ているんでしょうか? 田原 そうですね。僕のドキュメンタリーも12チャンネルだからできた。12チャンネルの上層部も、他の局がやらないことをやらないと視聴者が見てくれないということがわかっているので、基本的に賛成してくれていたんです。 ――現在、ドキュメンタリーを取り巻く状況は厳しさを増すばかりです。この状況を、どのようにご覧になっていますか? 博士 機材の小型化によって、素人がいくらでもドキュメンタリーを撮れる環境になっています。町山智浩さんが一昨年に行った『松嶋×町山 未公開映画祭』でも紹介されたように、アメリカには、いいドキュメンタリー作品がたくさんあるし、上映する媒体もありますよね。ただ、日本ではいくらいい作品が制作されても、ドキュメンタリーが話題になることも少なく、紹介する媒体も少ないので、継続的に作品を撮り続けられる環境がないんです。 田原 しかし、作り手側の問題もあります。どういうわけか、ドキュメンタリーは被害者ばかりに焦点を当てた暗いものが多い。安易なんです。かわいそうな人を撮って涙を流せば作品っぽくなります。けれども、視聴者は暗いものは見たくない。喜劇のように面白く、問題の核心を突くようなドキュメンタリーをたくさん作ればいい。マイケル・ムーアも原一男も暗くありません。 120416bt_0013.jpg 博士 『スーパーサイズ・ミー』のスパーロックが、アメリカのテレビで『30 Days』というドキュメンタリーをつくっています。30日間最低生活をやってみるという、日本の『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系)のような番組です。ただ、モーガン・スパーロックの番組は、最低生活を行っていくと貧困層に落ちていくという構造を見せ、社会の仕組みが間違っているということにも気づかせてくれます。しかもめちゃくちゃ面白いんですよ。 ――田原さんが現在、被写体として追いたい人物はいますか? 田原 天皇をやりたいですね。何度も取材を申し込んでいるけど、いつも断られてしまう。誰もやってないことをやりたいです。 ――今年78歳ながら、「誰もやってないことをやりたい」と、田原さんを突き動かすものはなんでしょうか? 田原 好奇心です。ブッシュ、クリントン、ブレア、サッチャーなど、さまざまな世界のリーダーに取材をしましたが、天皇はまだできていないんです。フセイン大統領も取材許可が下りて、やれるギリギリまでいった。けれども、バグダッドに入ったら「フセインに会ったらCIAに爆撃されて命を失う」と言われました。僕は「死んだっていいからやらせろ」と言ったんですが、「あなたじゃなくて、フセインが殺されたら大変だからダメだ」ということで、できなかったんです。 ――田原さんは好奇心のためなら死ねると? 田原 もちろん! (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]/撮影=尾藤能暢)

“田原伝説”再び――田原総一郎はマイケル・ムーアの師匠だった!?

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 かつて、東京12チャンネル(現・テレビ東京)のディレクターとして数々の秀逸なドキュメンタリー番組を制作していた田原総一朗。近年、田原がディレクターを務めた番組のフィルムがテレビ東京の倉庫から大量に発掘され、『田原総一朗の遺言』としてBSジャパンで放映。その高いクオリティーは、視聴者の話題をさらい、DVDとなって発売されるまでになっている。いったい、田原ドキュメンタリーの真髄とはなんだったのか? そして現在、田原は自分の作品をどのように見つめているのだろうか? 番組で相方を務める浅草キッド・水道橋博士とともに、そのドキュメンタリー史に残る偉大な仕事を振り返ってもらった。 ■山下洋輔を殺そうとした ――まず、かなり年の離れたお2人ですが、水道橋博士が田原さんに興味を持たれたきっかけはなんだったのでしょうか? 水道橋博士(以下、博士) 10年前に雑誌の企画で対談をしたのが初対面でした。ちょうどマイケル・ムーアがアカデミー賞を受賞した頃で、彼が名作ドキュメンタリーとして知られる『ゆきゆきて、神軍』の原一男に影響を受けたと語っていたんです。その原一男が、僕が『やりすぎコージー』(テレビ東京系)の“都市伝説”の中で「日本で最初のAV男優は田原総一朗だった」と紹介した作品の制作現場にいた。つまり、僕の中で「田原さんはマイケル・ムーアの師匠だ」という推論ができたんです。 ――田原さんは学生運動から連合赤軍、芸能人やポルノ女優に至るまで、さまざまなテーマや被写体を記録しています。これらのテーマに共通する部分はあるのでしょうか? 田原総一朗(以下、田原) NHKやTBS、日本テレビにはできないものをやろうと思っていたんです。当時、東京12チャンネルは“テレビ番外地”だった。視聴者が12チャンネルまでダイヤルを回さなかったんですね。制作費も他局のほうが圧倒的でした。当時、僕らの番組の制作費の3分の1はフィルム代だったんですが、NHKや他局ではフィルム代は制作費のうちにもカウントされません。僕らは他局の10分の1くらいの制作費で番組を作っていたんですね。クルーも他局がアシスタントを含め6~7人で行動するのに、12チャンネルはカメラマンとディレクターの僕2人だけでした。 ――制作費でも注目度でも人員でも及ばないから、他局にはできないようなテーマで挑むしかなかった。 田原 他局にはできないテーマってなんだかわかりますか? 危険なものです。学生運動を取材するときに、僕らは機動隊やデモ隊の後ろではなく、その間に入って撮影していたんです。学生が投げた火炎瓶を足蹴にし、催涙弾で目をやられながら撮影を行っていましたね。 120416bt_0002.jpg 博士 『私は現在を歌う ~藤圭子 6月の風景』で田原さんが追っている藤圭子も、時代状況としてタブーな存在だったんです。当時はナベプロが全盛の時代。インディーズの演歌歌手がチャートのトップを走り続けるなんて、ありえないことだった。しかも、しゃべらない、貧困の中に生まれたという設定がある彼女を、田原さんはカメラの前でしゃべらせた。他局にはできない、芸能界の掟破りをしていたんです。 田原 『バリケードの中のジャズ ~ゲバ学生対猛烈ピアニスト~』は、山下洋輔が「ピアノを弾きながら死にたい」と言っていたことが始まりでした。彼がピアノを弾きながら死ねる状況を作ろうとしたんです。 ――本気で殺そうとしたんですか!? 田原 そう。だから、あの作品は失敗だった。彼が殺されたら、僕は当然逮捕されます。でも、それでいいんです。 博士 田原さんは「塀の上を走るのがドキュメンタリーだ」と定義していますからね。逮捕され刑務所に入ることは覚悟の上で撮影しているんです。ギリギリの人に取材しながら、自らもギリギリの状況に追い込まれていく。田原ドキュメンタリーは、そうやって撮影されていたんです。 ■12チャンネルとニコニコ動画の類似点  取材同日に開催されたDVD発売イベントには、歌手の岡村靖幸をはじめ、多くのファンが詰めかけた。20歳の頃からファンだったという日本テレビ土屋敏男プロデューサーも登壇し、テレビ局の垣根を越えた異色の対談に会場は沸いた。しかし、来場者の姿を見ていると、コアなドキュメンタリーファンというよりも、「何か面白いものを求めている若者たち」といういでたちの人々ばかり。いったい、どうして田原作品は時代を越えてその鋭い視線を突き付けられるのだろうか? ――今回DVDとなっている作品は、70年代に撮影されたものです。当時の世相などを理解していないと解読するのが難しい部分もたくさんありますが、そのような知識がなくても、全然古びているという印象を感じさせません。 120416bt_0006.jpg 博士 僕らは、過去の名作ドキュメンタリーの回顧展をやっているつもりはないんです。どれも「この時代だからできたんだよね」という作品ではないんです。いつの時代もドキュメンタリーは偏っているほうが面白いし、正しいんです。 田原 公平や客観性など、そんなものはあり得ない。自分の目で見るんだから、偏っているに決まっています。それを正直に出したんです。 ――自分の過去の作品が、どうして今の若い人に響いていると思いますか? 田原 若者は、今の状況に強い危機感を持っています。ところが民主も自民も、何も変えてくれそうにはない。「なんとかしなきゃいけない」という気持ちがあって、こういうドキュメンタリーを見てくれるんじゃないでしょうか。 ――確かに、今のテレビには、こういった気骨のある番組は少ないですね。 田原 僕はニコニコ動画に時々出演するんですが、テレビに出せない人間を出せるから面白い。小沢一郎、鈴木宗男、堀江貴文もニコニコ動画で放送しました。鈴木宗男さんは、収監3日前にニコニコ動画で70分も話してくれたんです。 ――“テレビ番外地”であった12チャンネルとニコニコ動画は雰囲気が似ているんでしょうか? 田原 そうですね。僕のドキュメンタリーも12チャンネルだからできた。12チャンネルの上層部も、他の局がやらないことをやらないと視聴者が見てくれないということがわかっているので、基本的に賛成してくれていたんです。 ――現在、ドキュメンタリーを取り巻く状況は厳しさを増すばかりです。この状況を、どのようにご覧になっていますか? 博士 機材の小型化によって、素人がいくらでもドキュメンタリーを撮れる環境になっています。町山智浩さんが一昨年に行った『松嶋×町山 未公開映画祭』でも紹介されたように、アメリカには、いいドキュメンタリー作品がたくさんあるし、上映する媒体もありますよね。ただ、日本ではいくらいい作品が制作されても、ドキュメンタリーが話題になることも少なく、紹介する媒体も少ないので、継続的に作品を撮り続けられる環境がないんです。 田原 しかし、作り手側の問題もあります。どういうわけか、ドキュメンタリーは被害者ばかりに焦点を当てた暗いものが多い。安易なんです。かわいそうな人を撮って涙を流せば作品っぽくなります。けれども、視聴者は暗いものは見たくない。喜劇のように面白く、問題の核心を突くようなドキュメンタリーをたくさん作ればいい。マイケル・ムーアも原一男も暗くありません。 120416bt_0013.jpg 博士 『スーパーサイズ・ミー』のスパーロックが、アメリカのテレビで『30 Days』というドキュメンタリーをつくっています。30日間最低生活をやってみるという、日本の『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系)のような番組です。ただ、モーガン・スパーロックの番組は、最低生活を行っていくと貧困層に落ちていくという構造を見せ、社会の仕組みが間違っているということにも気づかせてくれます。しかもめちゃくちゃ面白いんですよ。 ――田原さんが現在、被写体として追いたい人物はいますか? 田原 天皇をやりたいですね。何度も取材を申し込んでいるけど、いつも断られてしまう。誰もやってないことをやりたいです。 ――今年78歳ながら、「誰もやってないことをやりたい」と、田原さんを突き動かすものはなんでしょうか? 田原 好奇心です。ブッシュ、クリントン、ブレア、サッチャーなど、さまざまな世界のリーダーに取材をしましたが、天皇はまだできていないんです。フセイン大統領も取材許可が下りて、やれるギリギリまでいった。けれども、バグダッドに入ったら「フセインに会ったらCIAに爆撃されて命を失う」と言われました。僕は「死んだっていいからやらせろ」と言ったんですが、「あなたじゃなくて、フセインが殺されたら大変だからダメだ」ということで、できなかったんです。 ――田原さんは好奇心のためなら死ねると? 田原 もちろん! (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]/撮影=尾藤能暢)

テレビドキュメンタリーの旗手が自作解体!? DVD『田原総一朗の遺言』

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『田原総一朗の遺言~タブーに
挑んだ50年!未来への対話~』
 ジャーナリスト・田原総一朗。御年77際ながら、若手論客をタジタジにするその活躍は『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)などでもおなじみだが、彼が稀代のドキュメンタリー作家であったことは、最近の水道橋博士の発言によってようやく知られるところとなった。BS JAPANで放送され、ポニーキャニオンからDVD化された『田原総一朗の遺言』は、そんな田原のドキュメンタリー作家としての過去を知ることができる番組だ。  もともと東京12チャンネル(現テレビ東京)のディレクターであった田原。彼は、その中で『ドキュメンタリーナウ!』や『ドキュメンタリー青春』といった番組を手がけていた。今回DVD化されたのは、学生闘争が最高潮を迎えた早稲田大学内で行われた山下洋輔のライブを追った『バリケードの中のジャズ』、ジャーナリストによる報道のあり方を追求し、ギャラクシー賞を受賞した『総括! 知る権利』、そして、歌手・藤圭子の赤裸々な姿に迫った『私は現在を歌う』など7タイトル12作品。今後も連続ピストル射殺事件の永山則夫やピンク女優作家の鈴木いづみなどを追ったタイトルが発売される予定だ。  はたして、ドキュメンタリー作家・田原が目指したものとは何だったのだろうか。  例えば1973年に制作された『永田洋子 その愛 その革命 その・・・』という作品。あさま山荘に立てこもった連合赤軍の主犯格として東京拘置所に拘留されていた永田洋子。田原は、彼女に接見し、獄中書簡を交わす仲となったウーマンリブ活動家・田中美津に永田の手紙を朗読させる。
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DVD『田原総一朗の遺言 ~永田洋子と連合赤軍~』
発売元:テレビ東京/販売元:ポニーキャニオン
(C)2012テレビ東京
 殺人にまで発展した内ゲバ事件に対しては否定するものの、同じ活動家として永田に対するシンパシーを理論的に説明する田中美津。しかし、田原はそれでは満足しない。「永田のどこに魅力を感じるの?」「僕はバカだからわからない」と鋭く斬り込みながら、田原は活動家特有の「理論」ではなく、田中自身の言葉で永田を語らせようとする。そして、番組の終わりには「時間だから」と田中のコメントを強制的に終了。田中は一瞬憤慨した表情を見せ、抗議するものの、結局「何か田原さんに乗せられたような気がする」と笑顔を見せてしまう。  田原自身「(連合赤軍が)なんでこうなったかがわからない。だから徹底的に追求したかった」と振り返る連合赤軍事件。当時、大手メディアでは彼らを「非人」として扱う風潮が強くあり、田原のような視点から連合赤軍を切り取ることはタブーとみなされていた。田原の活躍は現在よりもはるかに自由に番組制作をできた当時のテレビ界をしても異端だったそうで「他局ディレクターからも『よくやった』と言われた」と、往時を語る。 「僕が東京12チャンネルに入ったころは、テレビがとてもいいかげんな時代だったの。ステータスも全然なかった。特に東京12チャンネルはできたばかりの『テレビ番外地』みたいな、インディーズ的な会社だった。誰にも相手にされないから、今のニコニコ動画みたいにいろんな番組が自由に作れたんですよ」(日刊サイゾー『田原総一朗が「震災報道」に見た既存メディアの問題点と可能性とは』)  DVD化の予定はないものの、フリーセックスを掲げる若者コミューンの結婚式の様子を追った作品『日本の花嫁』では、花嫁と自身のセックスまでもカメラに収めている。「日本初のAV男優」(水道橋博士)と評価されるこの活躍、しかし、田原にとってはあくまで取材の一環だった。 「こっちは取材をしたいんですよ。そのためにはなんでもやりますよ。あのね、取材ってのは最終的にどこか命を張るという部分がないとダメですよ。だから向こうもこっちを信用する。そういうもんです」(同前)  だから、どんなに辛辣な追求や仕掛けを駆使しても、田中美津は「田原さんに乗せられた」と笑ってしまう。理念や思想ではない。人間の本当の姿を見せ、奥深くの声を聞くために、田原はドキュメンタリーを制作した。それは、ジャーナリストとしてペンを取る今でも変わることはないだろう。  『朝生』の議論の方法や、田原の司会術には疑問を呈する向きも多い。しかし、彼は政治コメンテーターではなく、ドキュメンタリストであるということを理解すれば、番組の見方もまた違ったものになるだろう。政治的な高説や、空疎な社会理論ではなく、田原が聞きたいのは人間としての言葉だ。その声を聞くことができるまで、田原はしつこく、粘り強く、そして方法を選ばずに相手を追求していく。その姿勢は、ジャーナリズム不在といわれる日本のマスコミに最も必要とされる姿なのではないか。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])
田原総一朗の遺言 ~タブーに挑んだ50年!未来への対話~ ジャーナリスト生活50年を迎えた田原総一朗氏が1970年代、東京12チャンネル(現・テレビ東京)のディレクターであった時代に手掛け、今もテレビ東京にひっそりと保管されている約60本のドキュメンタリー番組の中から選ばれた珠玉の作品を、田原総一朗、水道橋博士と、時代の証言者であるゲストと共に振り返りながら討論をする。 amazon_associate_logo.jpg
【関連記事】 ・田原総一朗が「震災報道」に見た既存メディアの問題点と可能性とは【1】「なぜ"24時間ニュース番組"がない?」デーブ・スペクターが日本の震災報道を斬る!松江哲明監督が綴る「松江哲明」のドキュメンタリー

大ブーム渦中の田原総一朗が皇太子にあの質問を直撃!?

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76歳という年齢をまったく感じさせない活
躍ぶり。語れば語るほどに、その話しぶり
は熱を帯びていった。
(写真/名和真紀子)
 田原総一朗がブームだ。御年76歳を数え、テレビ朝日で20年間続いた『サンデープロジェクト』(以下、『サンプロ』)が今年3月に終了したことで、明らかに地上波の画面に登場する時間は減っている。  しかし、少し視野を広げてみれば、BSの『激論!クロスファイア』(BS朝日)で『サンプロ』と同様のスタイルで討論し、インターネット上ではニコニコ動画やユーストリームなどの討論番組にも数多く登場、さらにはラジオ番組やポッドキャスト放送も手掛け、「namatahara」名義でツイッターも熱心にやっている。つまり、地上波での出番こそ減ったが、視聴者との接点はむしろ増えているのだ。  さらにこの9月には、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ)において、謎の「ひこにゃんコスプレ」で登場、続く10月には『田原総一朗の遺言』(BSジャパン)なる番組が企画され、彼が30代の頃、テレビ東京のディレクター時代に制作したドキュメンタリー番組数本が放映された。そして11月には『情熱大陸』(TBS)に登場、番組スタッフに議論をふっかけるなど、相変わらずの意気軒昂ぶりを見せつけたのである。 『田原総一朗の遺言』内で放送された過去のドキュメンタリー番組の過激なテーマと、自ら画面に登場するスタイルは、今の田原のルーツといえる。50年近くも衰えないその勢いは、一体どこから来るのか? ──今、田原総一朗ブームともいえるような状況ですが、その理由をご自身ではなぜだと思いますか? 田原総一朗(以下、) 勝手なことを言うからじゃない?(笑)ほかの人は、だんだんおとなしくなって危険なことを言わなくなってきた。テレビはやっぱり、危険なことを言うと降ろされる。上杉隆さんも堀江貴文さんも出られない。テレビが無難化してるから、僕みたいな人間が面白がられるのかもしれない。そもそも僕は、テレビに出られなくなるかどうかなんて、考えていない。僕が言いたいことを言って、その結果どこも出さなくなったら、それまでだよ。でも、今はまだテレビ局からいろんな話が来るから、無難にする必要はないなと。 ──その一方で、ニコニコ動画などネットの討論番組への出演が増えてますよね。  テレビや既存のメディアには、「討論」がないんですよ。でも、ニコニコ動画やユーストリームには、ある。今までのテレビで、僕のやっているもの以外に、討論番組なんてありましたか? ほとんどがバラエティですよ。本当の討論番組は、命を懸けているかどうか。学者や政治家が出てきて討論して、負けたら、政治家生命、学者生命がなくなるかもしれないのが討論番組です。僕は、『サンプロ』も『朝生』もそのつもり。そういう真剣勝負をやりたくても、テレビにはその場がなくなってきた。だけど、ニコニコ動画などには真剣勝負がある。だから出る。それだけ。 ──テレビでは、なぜ討論番組ができなくなったんでしょうか? 「コンプライアンス」でしょうね。テレビ局は、「問題が起きるようなことはやるな」「クレームが来るような番組は作るな」と言う。だから、討論なんかできるはずがない。出版社も冒険をしなくなってきた。今は、訴えられて負けると賠償金の額も大きくて、何百万とか、下手すると1000万にもなる。「サイゾー」も、毎月何千万も裁判でやられたら、やっぱりやめるんじゃない? ──続けられませんね(笑)。  そういうことですよ。今は、すぐ裁判になる。僕も現に裁判を抱えているけどもね。 ──この状況をひっくり返すのは難しそうですね。  そんなことないですよ。ディレクターやプロデューサーが、自分で責任を取ればいい。番組で問題になるのは、出演者の発言か、指示したディレクターか、あるいは企画したプロデューサー、この3つでしょ? でも、お詫びは必ず局がやる。新聞社もそう。だから、会社が危ないことをさせない。それが間違いだよ。会社が責任を持って、個人が責任を持たないということでは、個人が自由にしゃべれない。 ──だとすれば、テレビでの田原さんの出番は減っていきませんか?  いや、それはわかんないね。僕は減らないと思ってる。例えば、テレビ東京やNHK、日本テレビからも、いろんなオファーは来てますよ。結局テレビ局の人間も、面白いことをやりたい、縛られたくないと思ってるんだよ。そういう「クレイジー」な人間がいるから、テレビ局はまだもっている。 ──そういう人が、まだテレビ局にもいるんですね。  そうだと思うよ。でも今は、だんだんクレイジーが減ってきたから、政治も面白くない。田中角栄とか中曽根康弘とか、昔はクレイジーな政治家がいっぱいいた。吉田茂もおかしかった。それが、小粒な優等生ばかりになってきた。今面白いのは、小沢一郎かな。小沢さんも、地上波でなくニコニコ動画だけに出るようになったのは、地上波がつまらないと思うからでしょ。 ■「バラエティ化」の速度を増す 新聞・テレビの報道番組 ──田原さんが以前手掛けたような過激なドキュメンタリー番組は、「おおらかな時代だったからこそできた」という議論もありますが。  そんなことない。今だってできるよ。だって、40年前に僕が作った番組を、テレビ東京は再び世に出してくれた。ほかの人だって、ドキュメンタリーをどんどんやればいいのにやっていない。そもそもあの時代も、やってたのは僕だけだったんだよね。 ──地上波でドキュメンタリーが減ったのは、放送できないからではなく、ドキュメンタリーがつまらなくなったからだと?