有楽町駅前に巨大リングが登場! 蝶野正洋&苫米地英人が『サイバー防災』呼びかける

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 6月16日、JR有楽町駅前広場で、プロレスラーの蝶野正洋氏が代表を務めるNWHスポーツ救命協会が主催する都市型・地域防災イベント「STOP THE RISK有楽町~安心・安全な街づくり~」が開催され、途中、認知科学者の苫米地英人氏が出席して、蝶野氏と「災害時のサイバー防災」について熱いトークショーを行った。
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有楽町駅前に巨大リング!
 有楽町駅前広場に巨大なリングを設置し、半日に渡ってリング上で、防災予防の大切さをさまざまなプログラムを通じて訴えた蝶野氏。プロレスラーの活動と並行して、かねてから「消防応援団」として普段から地域防災啓発活動に積極的に取り組んでおり、苫米地氏は「蝶野君の社会貢献活動が素晴らしいんで応援したい」とそんな蝶野の活動を絶賛。2人はTOKYO MXで放送中のバラエティ番組『バラいろダンディ』でも共演しており、トークが始まると息もぴったり。
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苫米地氏の話に蝶野も興味津々
 世界的な情報セキュリティの研究組織であるカーネギーメロン大学の「cylab(サイラボ)」のフェローも務める苫米地氏、2007年頃からサイバーセキュリティに関わる活動を積極的に行っており、イベントに集った消防関係者らや街行くサラリーマンを前に「サイバーセキュリティは消防の分野でも必要。みなさんの意識をもっと高めて欲しい」と呼びかけ。  苫米地氏は「サイバー攻撃は攻撃の側が防衛の側の1,000倍有利。世界中のサーバーだったりパソコンの常時接続されているものが乗っ取られたりすると、全世界から攻撃できるわけですから、それを守ることはものすごく困難なんです」とコメント。「北朝鮮から発進された、『ビットコインを払え』と身代金のように要求する『ランサムウェア』攻撃が問題となっていますが、イスラム国もサイバー攻撃を研究中。北朝鮮に限らず、シリアなど、サイバー攻撃はどこからでもやってくる。日本のサイバーのリスクはますます上がっている」と警笛を鳴らす。  その上で「サイバーに関して皆さんは、ほとんどSFのような世界だと思っているでしょうが、実際に起きていること。その気になれば原子力発電所なんかもサイバー攻撃の脅威の下にある。ビルのシャッターが突然止められる、病院の電気が突然止められる。そういうことが起きるリスクがあり、そのリスクを考える時代がもう来ている」と続けた。
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熱弁を振るう苫米地氏
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プロレスの時とは違って優しい表情の蝶野氏
 また、コンピューターウィルスが発見されると、『CERT(Computer Emergency Response Team)』という組織にまず登録され、企業の管理者はそれを常にチェックし、アップデートを行っていくというが、『ゼロデー(zero-day)』攻撃など、CERTと連絡を取り合った企業が防げない攻撃が主流になっており、防衛がますます困難になっていると苫米地氏。「『日本は大丈夫ですか?』と聞かれて『大丈夫です』としか公には言うしかない。でも本当を言うと、サイバーは攻撃の側が1,000倍有利なわけですから、守りきれない。企業の中に『CSIRT(Computer Security Incident Response Team)』のようなものを作っていく必要がある」とメッセージ。  蝶野氏のほうは苫米地氏の話に「防ぎようがないようにも感じるのですが」と心配そうに話したが、苫米地氏はこれに「防ぎようがないのは地震が止められないのと同じ」と切り返し、「我々は地震を止めようと研究開発しているわけじゃない。地震が起きるという可能性があるということを認識し、最後は止められないということをわかった上で準備することが大切なんです」と話し、蝶野氏を感心させていた。  そのほか、苫米地氏は脳科学や認知科学の専門家として、災害時に起こりうる集団や個人、それぞれでのレベルでの心理的リスクを紹介。「クライシスサイコロジー」と呼ばれる、災害時における心理的危機管理術の重要性についても駆け足で解説していた。  一見、異色の組み合わせの対談だが、有楽町駅前を行き交う多くの人々が脚を止めて、2人の話に耳を傾けていた。 (取材・文=名鹿祥史)

「今こそ業界をバッサリ改革すべき」“黒のカリスマ”蝶野正洋が、プロレス界の暗部に斬り込む!

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撮影=尾藤能暢
“黒のカリスマ”こと、プロレスラー・蝶野正洋。武藤敬司、橋本真也とともに「闘魂三銃士」と呼ばれ、ベビーフェイス(善玉)から「狼軍団」でヒール(悪役)ターン、以降も「nWo ジャパン」、「TEAM2000」を結成し、一大ムーブメントを築いた男。常にプロレス界をリードし、その頂点を極めたカリスマは、業界全体が衰退している今、一体どんなことを考えているのだろうか。著書『プロレスに復活はあるのか』(青志社)で、これまでタブー扱いされていた現役レスラーによる業界への苦言を呈した彼の真意とは? ――まずは、本書『プロレスに復活はあるのか』を出版しようと思ったいきさつを教えてください。 蝶野正洋(以下、蝶野) 今年9月で50歳という節目を迎えたのが理由のひとつ。それまで新日本プロレス(1984~2010年まで所属)で選手兼フロントの立場でやってきて、デビューから10~15年で(自身やプロレス界の)状態がすごく上がっていたんですけど、20年目くらいから下降してきて。それを止められたし、業界全体をもっと上昇させられたはずだという思いがあったんです。 ――2000年頃までのプロレス人気をもっと維持、上昇させる手段はあったと? 蝶野 ええ。オレがこれまで蓄えた知識や経験を、プロレス業界全体で共有したほうがいいと思ったんですよ。プロレス団体は昔から分裂を繰り返してきて、新日本プロレスも、今自分がアドバイザーとして携わっている全日本プロレスも、経営陣がもともとプロレス業界じゃない人たちになっている。新日本にいたときも、ユークスさんが経営に入って、現場のことをゼロから教えなきゃいけない状況でした。これは残して、これは切り捨てるという判断は、業界外には分かりづらいし難しいんです。それなのに業界はそのままで進んでしまって、無駄な時間があったなと感じて。ほかの団体もそうですけど、他業種からオーナーが入って来たときに、同じことを繰り返さないように注意したいんです。そうすれば業界はもっとよくなるはずです。 ――著書の中では、業界に対して苦言を呈していますが、当の業界関係者からの反響はありましたか? 蝶野 業界に古くからいる人たちからは「本当にその通りです」ってことを言われてますよ(笑)。ただ、それがわかる人たちが、どんどん業界から排除されているのが現状なので、残る人たちにも最後の投げかけになるのかもしれないですね……。新日本プロレスも、上層部はほとんど変わっていますし。 ――そんな状況の中で、特に危惧している点はなんですか? 蝶野 業界の、悪い意味でのビジネステクニックがあって、過去を見渡してもそれがトラブルの原因になってることが多いんですよ。そこはやめていくべきだと思っています。 ――悪いビジネステクニックといいますと? 蝶野 例えば、チケット販売ですね。チケット=金券(カネ)ですから、そこはしっかり管理しなくちゃいけない。ところが、今でも営業の人間が自分たちで勝手にチケットを発行して、売掛を作っては回収できないってことが多いんですよ。自分で金券を発行しているようなものですから、そこは曖昧にしないで、バッサリ改革するべきです。それを続けていると変な欲がでてくるから、そんな材料なんか持たせないほうがいい。これから業界に入ってくる新しい人たちのためにもね。 ――それが、団体が分裂したり揉めたりする原因にもなっていると? 蝶野 新しく入ってくる営業の人が、そういうのを見るのは嫌気が差すと思うんです。それに、チケットのノルマを与えられて、どっかで行き詰まってしまったときに、自分で金券を作れるというのは、なんかの間違いのきっかけになっちゃうし、やる気や正義感のある若い人たちを変な方向に持っていっちゃう可能性も大きいですから。 B8411291.jpg ――蝶野さんの目にも余る悪習だったんですね。 蝶野 みんな、言われればわかるんですけどね。営業の人間が分裂を繰り返していくうちに、根本の原因を忘れて、人同士のケンカになっちゃって。何が最初のケンカのきっかけだったのかっていったら、カネなんですよ。本にもそのことを書いているので、業界の古い人たちからの反響がしっかり来るのではないかなという感じはしてますね。 ――ところで、新日本プロレスがブシロードの子会社になってから、集客数が2~3割伸びているそうですけど、蝶野さんはどう感じていますか? 蝶野 先日、久しぶりに新日本の会場に行ったんですけど、オレたちがいた頃に少しずつ近づいている気がしますね。プロモーターと話したんですけど、全盛期の3分の1、最近ようやく2分の1くらいの集客に戻ってきたように感じます。長州(力)さん、藤波(辰爾)さんの時代はテレビのプロレス、オレたちの世代は紙=週刊誌のプロレスで、今はSNSをはじめとするITの時代。その攻め方が世間とうまくマッチングすれば、全盛期の2~3倍の集客も可能だと思います。 ――そこまで集客を伸ばすために、今プロレス業界がするべきことはなんでしょうか? 蝶野 今、プロ野球全試合で、半年間で864試合(リーグ戦のみ)ありますよね。今のプロレス団体の規模でやったら、とてもそこまでの試合数はできない。それに、例えばゴールデンウィークなら、どの団体も東京、大阪、名古屋など人が多い都市で試合をやりたがるから、そこで客の奪い合いが起きるんです。日本全国どこへ行ってもゴールデンウィークなんだから、最低でも西と東、その中でもさらに3ブロックに分かれて、それぞれが興行をしなきゃいけないんですけど。それは、業界としてスケジュールを組まなきゃいけないし、そうすると団体数も多くなきゃいけない。そこが全然発展していないので、それができる興行体制、選手体制を作らなきゃいけないんですよ。 ――それを難しくしている要因は、どこにあるんでしょうか? 蝶野 「あの団体とは一緒にやりたくない」っていう上層部同士のぶつかり合いもありますし、会場の問題もそうですね。会場となるホールや体育館は1年前に押さえて、2~3月前までキャンセルを受け付けるんですよ。だけど、それが今では大きい会場でもイベントが少なくなってきて「半年前に確定の内金を入れてください」という状態。興行は変更になることも多いから、なおさら業界全体で年間スケジュールが立てづらいんです。でも、今の業界が衰退しているときこそ、お互いが歩み寄って全体の管理ができる時期だとは思っているんですけどね。 ――今の若い選手に対して思うところはありますか? 著書の中では「怒りが足りない」とおしゃってましたけど。 蝶野 今の選手もオレらの若い頃もそうでしたけど、キレイな試合を組み立てたい、競技を見せたいっていう意識が強いんですよね。先日、全日本の解説に行って、ドリー&テリー兄弟のザ・ファンクス対淵(正信)さんと西村(修)の試合を見たんですけど、最初はザ・ファンクスの二人とも自分のいいところを見せようとしていて。もういい年なんで、それでいいと思ったんですよね。ところが、淵さんのキックがドリーの口に入って出血した途端に、ドリーの戦い方が変わったんですよ。ドリーはもう72歳なのに、カーっとなっちゃって(笑)。 ――ドリーほどの技術と経験を持っている選手でもそうなってしまうのが、プロレスなんですね。 蝶野 もうジジイなのに(笑)。現役選手には勝てないけど、相手に立ち向かっていくあの気持ちはプロだと思いましたね。闘争心に火が付いたところで初めて戦いが始まるのがプロレスなんですよ。 B8411279.jpg ――近年、蝶野さんは試合への出場を控えめにしていますけど、その怒りやフラストレーションはどこで発散しているんでしょうか? 蝶野 今は若い選手の相談に乗ったり、攻防面でのアドバイスをしたり、選手を焚きつけることで発散してます。「ここはチャンスだぞ、やってしまえ!」と(笑)。 ――蝶野さんが若い頃も、そうやって焚きつけられてたんですか? 蝶野 オレは焚きつけられた選手を仕向けられるほうだった(笑)。三銃士は好き勝手にやってたから、上の人からしてみたら押さえつけるのが大変だったって。だからマサ(斉藤)さんなんかが、(ビッグバン)ベイダー、(クラッシャー・)バンバン(・ビガロ)、(スコット・)ノートンら外人選手をけしかけてたみたいで。相手に「マサが『あいつらは若いから何やってもいいぞ!』って言ってたぞ」って聞いて、「マサさんが!? なんだとコノヤロー!」って感じで、滅茶苦茶やられては、やり返して(笑)。 ――確かに、その当時は激しい試合が多かったですね! 蝶野 ノートンなんか腕力はあるけど経験がないから、まともにやったらプロレスにならない。それでマサさんが「おいノートン、お前は力が強いんだから腕力だけでぶん殴ってこい!」なんて焚きつけてさ。武藤さんなんて、それでケガしちゃって。 ――武藤選手とノートン選手の試合はすごい試合が多かったですが、マサさんが後ろで糸を引いていたんですね! その武藤選手とは最近、やりとりはあるんですか? 蝶野 最近はないですね。武藤さんが全日本を辞める騒動のちょっと前に、彼の右腕である内田(雅之)さんを通して、「現場ではここに気をつけないと、足元をすくわれるぞ」っていうアドバイスをしたりはしてたけど、結局、現場じゃなくて上層部と揉めちゃったから、そこはノータッチでした。 ――武藤選手は独自路線、自分の思った道を突っ走る人ですよね。 蝶野 それはそれでいいと思いますよ。武藤さんの全日本は、彼をトップにキレイな縦社会が形成されていて、とてもよくまとまっていましたし。ただ、縦社会になりすぎると、下の選手がいつまでも上に行けないんですよ。オレたち三銃士は自分たちの意見を出して、その上を倒していったんですけどね。今の若い奴らは、手を上げて物を言わない。アンダーテーブルで意見交換をし合って、ヘタしたらみんなで手を上げて意見を言うような感じ。それは時代の風潮なのかもしれないけど、オレは自分から手を上げて、前に進んで行きましたから。 ――蝶野さんは本当にいろんなことをしていますよね。プロレス以外でも露出が多いですし。それもプロレス人気復活のためにやっていることですか? 蝶野 いや、そこらへんが難しいところで。(月亭)邦正をビンタするのは、プロレスにつながってないような気がしてきて(苦笑)。プロレスを知っている人は「お、蝶野が出てる」って注目してくれるけど、若い人には違ったイメージが付いちゃったみたい。それはしょうがないですけどね(笑)。まぁ、プロレスラーとして見てくれる分にはいいかなと。 ――十分、プロレスラーの強さは伝わっていると思いますよ(笑)。最後に、本には書ききれなかったこと、あえて書かなかったことってありますか? 蝶野 それはプロレス界が次のステップに移行するための方法論です。各団体、関係者には提案していますけど、それはオレのライフワークとしてこれからやろうとしていることだから。ファンにはその活動に注目してほしいし、期待していてほしいですね。 (取材・文=高橋ダイスケ) ●ちょうの・まさひろ 1963年9月17日、アメリカ・シアトル生まれ。84年10月、新日本プロレスでデビュー。海外修行から帰国後、武藤敬司、故・橋本真也とともに「闘魂三銃士」を結成、一躍看板選手へと成長を遂げた。とりわけ96年以降、一大ムーブメントとなった「now」の総帥として絶大な存在感を発揮。その後、「TEAM 2000」を結成。10年2月に、デビュー以来26年所属していた新日本プロレスを離れ、現在フリーランスとして活動中。

ボクシング亀田戦に登場の“黒のカリスマ”蝶野正洋に関係者騒然「脚が細すぎる……!」

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「massiv2°インナーサウナスーツ」
 プロボクシングのタイトルマッチ、開場前のリハーサルで関係者から「細っ!」という声があちこちから聞かれた。リング上にいたのはプロレスラーの蝶野正洋だ。  7月23日、東京ビッグサイトで行われたWBA世界バンタム級王者・亀田興毅の防衛戦。蝶野は選手を呼び込む際のリングアナウンサーを務めたのだが、脚の筋肉を見慣れているボクシング関係者の目に留まったのは蝶野の脚だった。  リングに上がった蝶野は、Tシャツに短パン姿。日ごろはほとんど見せることのない軽装だが、目に付いたのは脚の細さ。 「あれは、ほとんど運動していない脚だな」  ボクシング業界歴30年以上の古参会長がつぶやけば、若いボクシングトレーナーも「走ってもいないような感じですね」。横に並んだ小柄なテレビスタッフなどと比べても、太くは見えなかった。  それも仕方ないところか。現在の蝶野は、選手としてはセミリタイヤ状態にある。3年半前、新日本プロレスの東京ドーム大会を最後に、古傷の治療のために戦線を離脱、同団体を辞めてフリーとなった。以降、アントニオ猪木の団体IGFでプロデューサーを務めたが試合は行わなかった。一昨年は故・橋本真也の長男、橋本大地のデビュー戦の相手を務めたが、大技の使えない新人だからこそ成り立ったような動きの少ない試合で、以降も試合出場は単発。今年1月の試合出場でもタッグマッチの中で出番は少なく、やはり大技を受ける激しい攻防はないままだった。  そもそも近年の蝶野は、プロレスラーでありながら肉体もほとんど露出していない。指から足首に至るまで黒いコスチュームで覆い隠しており、素肌があらわになっているのは顔と拳だけ。これについてプロレス雑誌のライターに聞いたところ「蝶野さんは首が相当に悪く、何年もウェイトトレーニングすらろくにできない状態、見せられる肉体ではない」という。 「関係者が控え室などでチラリ見した上半身も、老人のように衰えが目立っていたと聞きますし、下半身のコスチュームも脚にまでクッションを入れて太く見せているもの。今後も肉体を見せることはないでしょうし、現役バリバリの若い世代と、まともに試合することも難しい」(同)  言われてみれば、最近は試合よりタレント活動の方が目立つ気もする蝶野。今回、リングアナを務めたのも“本業”がリタイヤ気味だからなのかもしれない。  ただ、そのタレント活動も「みんなが思うほど景気のいいものではなさそう」と話すのは、試合中継をしたTBSの関係者だ。 「普通なら、選手が他競技のリングアナなんてやるのはプライドが許さないもの。それを高くない出演料で受けたんですからね。今回は国歌を歌った土屋アンナともども、番組冒頭に登場して視聴率に貢献できたら、そのタレント価値も上がったんですが、数字が伸びなかったので、意外と世間の知名度も高くはないのかな、と」(同)  ただ、前出プロレスライターは「あとは小橋健太のように、いかに引退興行で退職金代わりの大金を手にするかなので、リングアナでもやって少しでも露出を増やしておくのはよかった」と話す。もっとも、あの細い脚のままではラストマッチも顔見せ程度に終わってしまいそうだが。 (文=鈴木雅久)

蝶野正洋さんの至言「自分の役割の中で、最大限に光らなきゃならない」(後編)

akari_chono02.jpg ■前編はこちら ──そうだったんですか。バラエティーはどうして嫌いなんですか? 蝶野 瞬発的に対応しないといけないからね。それが苦手で、インタビューも以前はダメだったし。オレはインタビューされたら、「ああそうですね」とか、ずっとそういう感じで、記事にならない。バラエティーでは、武藤(敬司)選手だとか、橋本(真也=故人)選手だとか、彼らは対応できるんだよ。俺は全然しゃべれない。だから会社にも「俺は出たらマイナスだから!」って、ずっと断っていた。 ──武藤選手や橋本選手が対応できすぎたんじゃ......? 普通無理ですよ、タレントでもないのに! っていうか、蝶野さんがテレビでしゃべらないのは、威圧感を出すための設定なんだと思ってました。 蝶野 テレビだけじゃなくて、試合でもそうなんだけど、オレはもう緊張しいなんだよね。若手のころ、海外遠征では、客が入っても200~500人の小さい会場ばかりで試合をしていたのに、東京ドーム大会の初興行に呼ばれて帰ってきたとき、500人がいきなり5万人の規模になって。だから、「ここはいいとこ見せてやろう!」って気合を入れて入場ゲートに出たとたん、3時間くらい記憶飛んじゃって、試合もぐだぐだで。俺、東京ドーム大会には30回くらい出ているんじゃないかな。でも20回くらいまでは負けてばかりで、東京ドームって言ったら、最初のうちは負けて天井を見てるイメージしかない。でも、それも徐々に慣れてきたら、対戦相手もお客さんも落ち着いて見れるようになるし、要は慣れだよね。 ──失敗して落ち込んだ時や、怪我で不安な時期もあったと思うんですけれど、そういう時はどうしていましたか? 蝶野 当時も、40歳になっても毎日不安はあるし、もう信じるしかないよね。「自分は倒れない」「あきらめない」って。そこだけだと思うね。実際、最初の7、8年なんて食えてないし、海外から帰ってきて「闘魂三銃士」なんて言われていても、大して金ももらってないし。もう結婚していたけど食うのが精一杯で......そんな生活ですよ。 ──「闘魂三銃士」が儲かってなかったなんて......。人気のレスラーさんたちは、もっと豪華な日常を送ってると思ってました。心が折れなかったですか? 蝶野 プロレスって、俺らは興行地に行って試合をするだけだけど、プロモーターは1年前から準備をして、興行のためにいろんな人に協力を求めて、何千人って人を集めて......それは雑誌も一緒だと思うよ。何万人の人に雑誌を見てもらう世界で、小明さんみたいに表に出てる人たちっていうのは氷山の一角。だけどやっぱり大事なんだよ、その下で支えてる人たちの努力というものは。それに見合うために、自分は最大限に光らなきゃいけない。......でも、そういう役割が分かってくるのって、ある程度経験を積んでからなんだよね。 ──最大限に光らなきゃ......。そう思うとこの「私が相談したい」ってだけの理由で始まった対談もすごく価値のあるものに思えてきます......レッツひかり! ちなみに、蝶野さんが、一番影響を受けた方って誰ですか? 蝶野 やっぱり、猪木さんでしょうね。オレが猪木さんの付き人やっているときは会社が一番落ちている時期で、興行地でチケットがぜんぜん売れていない、と。すると猪木さんは、トレーニングがてらに若手の俺たちを連れて1時間くらい町を走るんだよね。最初は「何やってんのかな、こんな走って......」って思っていたけど、今考えれば、宣伝カーが回せなかったり、営業マンがいなかったから、猪木さんが「プロレスラーが来てるよ!」「試合に来てるよ!」と分からせるために、自ら町を走っていたんだよね。 ──走る広告塔ですね! かっこいい! でも、それで言うと、蝶野さんも多方面で活躍されていて、ものすごくプロレス界に貢献されてますよ! 蝶野 小明さんも、今はライターもやって、被写体としてだけじゃなく、内側の武器を増やしているわけでしょ? あんまり喧嘩はしない方が良いけど、そうやって自分の価値を磨いて、上げて、辞めた事務所から「もう一回帰ってきてくれ!」くらいにするのが、まず目標だろうね。今、まだ25歳でしょ? そんなの、まだまだガキだよ、ガキ! ──アイドルではもう賞味期限切れっぽいですけど、プロレスラーだったらまだまだグリーンボーイ! ありがとうございました! (取材・文=小明) ●蝶野正洋(ちょうの・まさひろ) 1963年、アメリカ・シアトル生まれ。84年、「新日本プロレス」入団。アントニオ猪木の付き人、海外遠征などを経て「闘魂三銃士」としてブレイク。94年からは黒をイメージカラーにヒールに転じ、抜群の存在感を発揮。10年1月、新日本を退団しフリー転向。 ●小明(あかり) 1985年、栃木県生まれ。02年、史上初のエプロンアイドルとしてデビューするも、そのまま迷走を続け、フリーのアイドルライターとして細々と食いつないでいる。初著『アイドル墜落日記』(洋泉社)、DVD『小明の感じる仏像』(エースデュース)発売中。 ブログ「小明の秘話」<http://yaplog.jp/benijake148/
会社に負けない喧嘩の仕方 オラ、エ~! amazon_associate_logo.jpg
小明の「大人よ、教えて!」"逆"人生相談バックナンバー 【第12回】 有野晋哉さんの至言「アイドルは『育ちがええねんなー』っていうのが大事です」 【第11回】  鳥居みゆきさんの至言「やりたくないこと、やらないだろうな、ってことをやるの」 【第10回】  宇多丸さんの至言「人にはだいたい『ちょうどいい』ところがあるんです」 【第9回】  桜木ピロコさんの至言「あたしいつもだいたいいやらしいことしてるもん!」 【第8回】 伊集院光さんの至言「結局、うんこを食うしかない状況になるんです」 【第7回】 ルー大柴さんの至言「ライフっていうのはマウンテンありバレーありです」 【第6回】 大堀恵さんの至言「私、いつも『アンチ上等』って思ってるんです」 【第5回】 品川祐さんの至言「なったらいいなと思ってることは、だいたい実現する」 【第4回】 福本伸行さんの至言「俺は『面白いものを作ろう』じゃなくて、作れちゃう」 【第3回】 大根仁さんの至言「ネットの書き込みなんて、バカにしていいんじゃない?」 【第2回】 杉作J太郎さんの至言「そんなことより『ファフナー』見ろ、『ファフナー』を」 【第1回】 河原雅彦さんの至言「もう無理やりヤラれちゃえばいいんじゃない?」

蝶野正洋さんの至言「自分の役割の中で、最大限に光らなきゃならない」(前編)

akari_chono01.jpg  モテない、金ない、華もない......負け組アイドル小明が、各界の大人なゲストに、ぶしつけなお悩みを聞いていただく好評連載。第13回のゲストは、書籍『会社に負けない喧嘩の仕方』を刊行されたプロレスラー・蝶野正洋さんです! [今回のお悩み] 「喧嘩の仕方を教えてください......」 ──『会社に負けない喧嘩の仕方』読みました! 私は喧嘩が苦手で、今日は蝶野さんに喧嘩の仕方を教えていただきたく......。 ──『会社に負けない喧嘩の仕方』読みました! 私は喧嘩が苦手で、今日は蝶野さんに喧嘩の仕方を教えていただきたく......。 蝶野 あ、俺もきらい。 ──えっ! 蝶野 喧嘩なんて、しない方がいいよ。 ──......え~っと、同書では、『同期とは早めに喧嘩せよ』っていうことで、新日本プロレス入門初日から橋本真也選手と喧嘩をした話を書いていらしてたんですけど......。 蝶野 そんなこともあったね。 ──私も他人に対してそのくらい強く出られたらいいんですけど、トラブルがあった時に何か言わなきゃと思っても、「この人とは今後も付き合わなきゃいけないしなー」って思うと何も言えなくなっちゃって、気づいたらストレスがたまって、フェードアウトの繰り返しで......。 蝶野 それ、普通だよ。俺なんかもそうだよ。俺も、カッとなったことをすぐに口には出さないで、溜めて溜めて。で、ある程度、マナーの部分を越しちゃったやつに対しては怒る。たぶん皆そうだと思うよ。自分が持ってる不満っていうのは、相手も同じように、違う立場で不満を持っているはずなんだよ。 ──なるほど、確かにこっちが「オラ、エ~!」って思ってたら、向こうもそう思ってるはずですからね! ところで私もフリーなので、この『会社に負けない喧嘩の仕方』っていうタイトルにはすごく惹かれました! アイドルとして売れな過ぎて事務所を辞めて『アイドル墜落日記』(洋泉社)なんて本も出しちゃったので、決して円満退社とは言えないし......。いつも「こんなこと書いて、あの事務所に怒られないかな」と不安なんです。 蝶野 俺も(1月末の新日本プロレス退団は)そんなに円満退社じゃないよ。会社的にはボロ雑巾みたいになるまで使って、定年まで仕事をさせて使いものにならなくなったときに、初めていらなくなるからね。でも、その状況で辞める人なんて、今、いないから(笑)。会社は、思ってるほど辞めていった人間のことを気にしてないよ。「もういない人間より今の戦力を」って考えてるから。 ──なるほど。ちょっと心が軽くなりました! 事務所の人、私のことは忘れてください! それと、この本にも『自己プロデュース力』について書かれてましたけど、私それも失敗して......。事務所を辞めてすぐライターの仕事を始めたので、落ち着いたら徐々にアイドルの仕事もしたいなーと思ってたんですけど、もう、外に出たときにどう振舞ったらいいか分かんなくなるし、外見的な華もどんどん減るし、全然アイドルの仕事も来ないんですよ......! 蝶野 大丈夫だよ、表に出てたらまた華も出るって! でも、グラビア、ものすごい人数いるわけでしょ? すごいよね。 ──だから雑誌に載せてもらうためには、今までやってなかったことをやらなきゃいけないとかで、「じゃ、脱いじゃおうか」みたいな流れは必須で。蝶野さんはプロレスで海外に遠征をされてたときに、「はじめて自分が商品になれて嬉しかった」って書かれてましたけど、私はグラビアをやって自分が商品だったときに、嬉しい反面すごく悲しいなって思っていて。自分が商品としてできることっていったら、服を脱ぐとか、そういうことしかなかったから、会社にお金が入っても、自分の価値がドンドン下がってるなっていうのも分かって。「やりたくない」って思っても、「社長に嫌われたらいけない」と思って強く出られなかったり......。そうやって人間関係をこじらせるより、いっそさっぱり喧嘩できた方が、わだかまりが残らなかっただろうなぁ、と思います。 蝶野 さっきも言ったけど、人を売ってるプロダクションとか、プロレスの業界とか、そういう会社の基本は、「ボロボロになるまで使い切る」。それはもう、しょうがない。そういう方針っていうのは、多分どこも一緒だと思う。そこでどう生き抜くかだよね。実際、俺も「こういう仕事はしたくない!」っていうものはいっぱいあって。バラエティーとか、出るの大嫌いだったから。 ──えー! 『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』(日本テレビ)のとか、すごい楽しく見てましたよ! 蝶野 俺はリングの外で体を使ってアピールすることはやってなかったんだけど、マネージャーがもう仕事を請けちゃってて、どうしようもなくって。まぁ、今はプロレスがテレビであまり放映されていないから、そういうところに出ることでプロレスのアピールをしよう、と。 (後編につづく/取材・文=小明) ●蝶野正洋(ちょうの・まさひろ) 1963年、アメリカ・シアトル生まれ。84年、「新日本プロレス」入団。アントニオ猪木の付き人、海外遠征などを経て「闘魂三銃士」としてブレイク。94年からは黒をイメージカラーにヒールに転じ、抜群の存在感を発揮。10年1月、新日本を退団しフリー転向。 ●小明(あかり) 1985年、栃木県生まれ。02年、史上初のエプロンアイドルとしてデビューするも、そのまま迷走を続け、フリーのアイドルライターとして細々と食いつないでいる。初著『アイドル墜落日記』(洋泉社)、DVD『小明の感じる仏像』(エースデュース)発売中。 ブログ「小明の秘話」<http://yaplog.jp/benijake148/
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小明の「大人よ、教えて!」"逆"人生相談バックナンバー 【第12回】 有野晋哉さんの至言「アイドルは『育ちがええねんなー』っていうのが大事です」 【第11回】  鳥居みゆきさんの至言「やりたくないこと、やらないだろうな、ってことをやるの」 【第10回】  宇多丸さんの至言「人にはだいたい『ちょうどいい』ところがあるんです」 【第9回】  桜木ピロコさんの至言「あたしいつもだいたいいやらしいことしてるもん!」 【第8回】 伊集院光さんの至言「結局、うんこを食うしかない状況になるんです」 【第7回】 ルー大柴さんの至言「ライフっていうのはマウンテンありバレーありです」 【第6回】 大堀恵さんの至言「私、いつも『アンチ上等』って思ってるんです」 【第5回】 品川祐さんの至言「なったらいいなと思ってることは、だいたい実現する」 【第4回】 福本伸行さんの至言「俺は『面白いものを作ろう』じゃなくて、作れちゃう」 【第3回】 大根仁さんの至言「ネットの書き込みなんて、バカにしていいんじゃない?」 【第2回】 杉作J太郎さんの至言「そんなことより『ファフナー』見ろ、『ファフナー』を」 【第1回】 河原雅彦さんの至言「もう無理やりヤラれちゃえばいいんじゃない?」