貼って貼られて貼り返されて!? 「ビックリマンチョコ 悪魔VS天使シール」今昔物語

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アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。懐かしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   天使、お守り、悪魔の三勢力が織りなす壮大な神話的ストーリーを描いたシール入りチョコで、日本全土に一大ブームを巻き起こした「ビックリマンチョコ 悪魔VS天使シール」がロッテから発売されたのは1985年のこと。  シリーズ開始当初はそこまで大きな反響はなかった「悪魔VS天使シール」だが、魅力的なキャラクターと想像力をかきたてるシール裏面のテキストが全国の小学生に大いに受け、翌86年に大ブレイク。小学館の男児向け雑誌「コロコロコミック」とのタイアップも追い風となり、漫画・アニメ・ゲーム・おもちゃと次々とメディアミックス展開をした。  ブーム最盛期には、需要と供給のバランスが完全に崩壊し、「一度に買えるのは一人3個まで」というローカルルールや、プレミア度の高いキラキラシールが箱の特定の位置に出やすいなどの都市伝説。そしてシールだけを集める子どもや、パチモンの「ロッチシール」などの記事が新聞をにぎわせるなど、80年代後半の日本は“ビックリマンフィーバー”の真っただ中にあった。  今回はそんな「ビックリマンチョコ 悪魔VS天使シール」の原点と今の姿を追いかけてみよう。 ■ビックリマン誕生から大ブレイクまで  最初に気をつけておきたいのは、「ビックリマンチョコ 悪魔VS天使シール」は、2010年に登場した 23代目ビックリマンチョコ「漢熟覇王」まで続く、あまたの「ビックリマンチョコ」の中の10代目に当たるタイトルだという点だ。ということで、まずは「悪魔VS天使シール」に至るまでのビックリマンチョコの歴史を紐解いてみよう。
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 初代「ビックリマンチョコ どっきりシール」が誕生したのは1977年のこと。それ以前、ロッテは「危険!」「おやつちょうだい!」などの一言コメントをコミカルなデザインでプリントしたシールをおまけにつけたチョコバー「はりはり仮面」を発売していた。 「次にロッテは、子どもたちに海外で流行しているウェハースチョコレートのお菓子を食べてほしいと考え、最初は一般的なウェハースチョコを売ろうと思っていました。しかし、ただウェハースチョコを出すのでは面白くないから、何かを加えようと考えた結果、『ビックリマンシール』が生まれました」(ロッテ商品開発部・大野友幸氏)  そして、「人をビックリさせたい、ドッキリさせたい」というコンセプトを元に、初代「ビックリマンチョコ」は「しょうゆの染み」「針を上にした画びょう」などの絵をリアルに描いた「どっきりシール」をおまけに採用。壁や机に貼れば、家族や友達が思わず二度見してしまうほどリアルなイラストのシールは大ヒットを記録した。  以降、赤塚不二夫、手塚治虫風のキャラクターが描かれた「まんギャシール」、風景写真とコミカルなイラストの組み合わせがシュールな笑いを誘う「特ダネシール」などが登場。一発ネタのインパクト重視なシールは、これまたいずれもヒット。  このように、さまざまなアプローチでユーザーを「ビックリ」させてきたビックリマンチョコだが、動物と物体の掛け合わせキャラが登場する8代目「まじゃりんこシール」、当時の流行やダジャレを元にしたキャラクターが登場する9代目「ギャグポスターシール」辺りから、キャラクター性を強めたシリーズが多くなっていく。  そして85年、ついに空前の大ヒットシリーズである10代目「悪魔VS天使シール」がスタートすることとなる。
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 時代はファミコン全盛期。『スーパーマリオ』に代表される個性的なビジュアルを強調し、アイコン化されたゲームキャラクターが人気を得るようになってきた時代だけあって、たった1枚で強烈なインパクトを残すシールは容易に子どもたちに受け入れられた。また、2枚、3枚とシールを集めていくことで、どんどん広がっていく奥深い世界観も、子どもたちの探究心を刺激。  シールをコレクションすることで、より悪魔と天使の抗争のドラマを堪能できるという物語性とコレクション性を兼ね備えた「悪魔VS天使シール」の新鮮な魅力に、全国の子どもたちは酔いしれた。 ■年間4億食が売れた? 驚異のビックリマン伝説  とはいえ、「悪魔VS天使シール」が後に30年近くも熱烈なファンがつくようなヒット作になるとは、最初は誰も思ってはいなかったようで、事実、第2弾まではそこそこ売れていたものの、「次にヒットが出なかったら、もう終わりにしよう」とロッテ社内でも意見が交わされていたそうだ。  その流れが大きく変わったのは、第3弾が登場した頃だ。  それまで「スーパーゼウス」「シャーマンカーン」など、天使側のヘッド(各弾に1~2枚のレアシール)しか存在しなかったところに、敵対する悪魔側のヘッド「スーパーデビル」が登場。さらに悪魔側のリーダーとしての形態のほかに、天使側に潜入するために変装した「偽神」状態のシールも用意され、一層ドラマ性が強調されるようになる。  そのせいかは定かではないが、この第3弾が登場した頃から急激にビックリマンチョコの売り上げが上がり始めたそうだ。  その後、小学生男子のバイブル誌「コロコロコミック」(小学館)の強力なバックアップもあり、シールで描ききれない物語や設定を誌面で補完することにも成功。ビックリマンファンの必需品として、コロコロコミックはビックリマンチョコと足並みをそろえるようにヒット街道を驀進するようになる。
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「シールの裏面には数行しかテキストが書けないから、どうやって世に広めようかと苦慮している時に『コロコロコミック』でストーリーをきちんと伝えるような態勢ができ、世界観をきちっとつくることができたおかげで、物語に深みを持たせることができました。ブーム最盛期の88年には、年間4億食が販売されました」(大野氏)  ロッテのヒット商品「ガーナミルクチョコ」が、年間1億食ということから、「ビックリマンチョコ」がいかに驚異的なヒット商品であったかが分かるだろう。  この大ヒットにもかかわらず、生産が追い付かず「購入は一人3個まで」のようなルールが各店舗でつくられたのは先述の通り。88年夏に発売された『コロコロコミックビックリマン臨時増刊号』は、20万部が即日完売となるという記録を樹立。その後、「悪魔VS天使シール」は91年の第31弾まで続くロングランシリーズとなる。 ■シールもチョコも手を抜かないロッテのこだわり  そんな日本のお菓子史上最大級のヒット商品となった「ビックリマンチョコ 悪魔VS天使シール」だが、商品開発に対するロッテのこだわりぶりもほかのお菓子の追随を許さない。  各弾に天使、お守り、悪魔の三すくみを12組計36種類に加え、ヘッド数種類がベースとなる「悪魔VS天使シール」。それが31弾まで続くということで、実に1,000種類以上のキャラクターが生み出されていた計算になるが、それをおよそ2~3カ月ごとに発表。このペースだけでも驚きだが、当時はまだ今のようにパソコンでお手軽にイラストの修正もできない時代だ。それらすべてのキャラクターを手描きで仕上げ、手直しが行われる度に絵を描き直していたという。  また、大野氏によると、だいたい2弾ごとに新たな技術をシールに盛り込んでいたそうだ。中でもホログラムシールの美しさとプレミア度は出色で、今もマニアの間では高額で取引されるほど。2009年に発行された印刷業界の専門誌「デザインのひきだし」では、ホログラム、箔押し、疑似エンボス、2枚重ねシールなどの技術を活用した身近なシールとしてビックリマンシールが取り上げられるなど、今もなお印刷業界からも注目を集めている。  そして、チョコへのこだわりぶりにも注目したい。  当初はアーモンドやピーナッツをチョコに混ぜ込んでいたビックリマンチョコだが、現在の「ビックリマン伝説チョコ」はクッキークランチ入りチョコとなっている。  その理由は、「シリーズ初期は、当時の食事情を考慮して栄養価の高いナッツを入れていましたが、今は上品な味わいや食べ応えを追求してクランチを入れています」とのこと。 「シールとお菓子が一体となっているのが『ビックリマンチョコ』です。シールだけ欲しいというお客様もいるのですが、やはりお菓子メーカーとしての意地がありますので、どちらも楽しんでいただきたいと考えています」  大野氏は意気込んだ表情でこのように語る。 ■2012年、待望の新シリーズ始動!  現在、「ビックリマン」は「悪魔VS天使シール」第1弾を復刻した「ビックリマン伝説チョコ」を2月から東日本で発売。そして4月24日より、販売地域を全国に拡大すると同時に、新シリーズ「聖魔化生伝」の販売をスタートする。
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復刻版は当時よりもサイズアップ!
「2012年の今、つぎ込めるものを全部つぎ込んだ」という「ビックリマン伝説チョコ」は、伝説の「悪魔VS天使シール」の原点である第1弾を、ゴージャスなエンボスシールで復刻すると同時に、現在ユーザー数が120万人以上を数えるソーシャルゲーム版「ビックリマン」と連動するほか、「聖魔化生伝」に登場する新キャラクターのラフカットを収録したシールも封入している。  そして過去のシリーズと新シリーズを繋ぐような「ビックリマン伝説チョコ」を受けスタートする「聖魔化生伝」は、「悪魔VS天使シール」の前史に当たる内容になるそうだ。 「『悪魔VS天使シール』で活躍したキャラクターのルーツを持つキャラクターがたくさん出てきます。新鮮でありながら、過去のキャラクターとの繋がりを探すという楽しみもできるようになっています」  そう語る大野氏は、かつての「悪魔VS天使シール」がそうだったように、まずはお菓子としてコンスタントに展開することを目標に掲げているとも語る。  タイアップやメディア展開を前提とした商品開発が当たり前となったこの時代、あえて直球で勝負をかけてくるロッテに、「お菓子メーカーとしての意地」を感じるのは筆者だけではないはずだ。  再始動し始めた「ビックリマン」だが、将来的にはどんな展開を目指しているのだろうか?
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新シリーズ「聖魔化生伝」の下絵。
「今は、かつてのシリーズを楽しんでくださった方に支えていただいている部分も大きい『ビックリマンチョコ』ですが、やはり『ビックリマンチョコ』は子どもたちに楽しんでもらうということがスタートだったので、いつかはそこに戻りたいという思いがあります。ですので、今の小学生にかつての私たちと同じように楽しんでもらえるものを、これからも目指していきたいと思います」(大野氏)  2012年に生誕35周年を迎えた「ビックリマンチョコ」は、今後も新たな「ビックリ」を子どもたちに提供するべくネタの仕込みに余念がないようだ。  ところで余談だが、ビックリマンチョコといえば「箱の奥から3~4個目くらいにキラシールが出やすい」という都市伝説があったが……。 「それは全く根拠のない都市伝説ですね。商品製造の工程上、狙った位置に特定のシールをパッケージすることはできないんです」  とは大野氏の弁。  これはビックリ。根拠のないウワサに全国の子どもたちは踊らされていたことが、これで証明されてしまったわけだ。それでもついつい奥の方からビックリマンチョコを取り出してしまう癖が抜けそうもないのは、筆者だけではないはずだ。  ちょっとした行動パターンにまで深い影響を与えたビックリマンチョコは、まぎれもない「国民食」なのである。 (取材・文=有田シュン) ●【バック・トゥ・ザ・80'S】バックナンバー 【Vol8】 "懐かしのおもちゃ"から"スポーツ"へ 「ルービックキューブ」今昔物語 【Vol7】練り続けて25年! 家族の絆を繋ぐ遊べるお菓子「ねるねるねるね」秘話! 【Vol.6】合体のロマンに全国の男子がハマりまくった! 「合体シリーズ」「ミニ合体シリーズ」今昔物語 【Vol.5】男子だって着せ替えしたいんです、プロテクターを! 「聖闘士聖衣大系」今昔物語 【Vol.4】学校で唯一読めたコミック! 『エスパークス』今昔物語 【Vol.3】ゲームの可能性を広げた80年代のミッキーマウス 「パックマン」今昔物語 【Vol.2】世代を超えて愛される地上最速ホビー「ミニ四駆」今昔物語 【Vol.1】手のひらに広がる大冒険!「ゲームブック」今昔物語

"懐かしのおもちゃ"から"スポーツ"へ 「ルービックキューブ」今昔物語


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アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。懐かしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   「3×3×3の立方体をガチガチっと組みかえて、一面を同じ色でそろえよう!」というこの上なくシンプルな立体パズル「ルービックキューブ」。  1974年に、ハンガリーの発明家にして建築家、エルノー・ルービックが考案したこの立体パズルは、1980年にツクダオリジナルより日本でも発売開始。それからわずか8カ月で約400万個以上という売り上げを記録した。  10万個売れればヒットといわれる玩具業界において驚異的なヒット商品となったルービックキューブは、日本全国に一大ブームを巻き起こし、81年1月31日には帝国ホテルにて「第1回全日本キュービスト大会」が行われるほどの大ヒット商品となった。  読者の中には、当時、なんとか一面だけでも色をそろえようと必死にカラフルな立方体をいじり倒した人もいるのではないだろうか。今回は、そんなルービックキューブの今を追いかけてみよう。 ■インターネット時代が追い風に
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「2000年代に入ってから日本国内のみならず、世界で大きなブームがきています」  そう語るのは、現在日本でルービックキューブを販売している株式会社メガハウスの広報担当・板垣有記氏だ。  05年に発売されたニンテンドーDS用ゲームソフト『脳を鍛える大人のDSトレーニング』(任天堂)に端を発する脳トレブームが追い風となり、知的玩具として大きな注目を浴びるようになったルービックキューブは、07年には日本国内のシリーズ年間出荷個数が90万個を記録。同年、国内累計出荷数が1,000万個を突破したそうだ。  また世界的に見ても、03年に82年の第1回以来約20年ぶりとなる世界大会がカナダ・トロントで開催されたのを皮切りに、以降2年ごとに世界各地で同大会が催されている。  世界的なムーブメントの理由として板垣氏は、 「親がルービックキューブを持っていたから......という事情もあるのでしょうが、動画投稿サイトの影響も考えられます。ルービックキューブ愛好家が続々と自分のプレー動画をアップロードし、それを面白いと思った若い世代が興味を持ってルービックキューブを手にすることが多いようです」
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2×2×4という変則的なデザインが印象的な「ルービックタワー」。
 と、インターネット時代ならではの隆盛の理由を語る。実際に大会の上位入賞者の顔ぶれを見ると、発売当初のブームを知るはずもなさそうな10代の若者が非常に多い。  彼らはルービックキューブを回転させるための特殊なテクニックを駆使して、1秒でも速くパズル完成を目指す。達人クラスともなれば親指から小指までを駆使して、一瞬で何回転もさせてしまうという。  こういったテクニックを習得するのは、もちろん一朝一夕にできるものではない。実に、4,325京2,003兆2,744億8,985万6,000通りも存在するブロックの配置から、すべてそろった状態に復元すべく、若きトップ・キュービストたちはルービックキューブを「懐かしのおもちゃ」ではなくスポーツ的な競技と認識し、日々鍛錬に明け暮れているのだ。 ■日本の中高生が活躍した2011年の世界大会!  さて、そんな奥の深いルービックキューブだが、世界大会ではどんな競技が行われているのだろうか。  有志のキュービストが集まり、日本国内でルービックキューブ普及活動を行っている「日本ルービックキューブ協会」のサイトによれば、「3×3×3」、「4×4×4」、「5×5×5」のルービックキューブの色をそろえるという標準的な競技のほか、「片手でそろえる」「両足でそろえる」といったアクロバティックな競技まで多種多様。中には「目隠ししたままそろえる」という神業レベルの競技まであり、過去には目隠ししたまま19個のルービックキューブを53分ですべてそろえた、という中国代表による驚異的な記録も残っているそうだ。
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ブロックの形状自体が変わっていく「ルービックミラーブロックス」。
 このような世界各国のトップ・キュービストが集う「ルービックキューブ世界大会2011」が、今年もタイにて開催されたことはご存じだろうか。  世界36カ国317名が参加した本大会に、日本からは過去最大の36名が参加。各部門で日本人選手が好成績を残す中、「3×3×3片手部門」で中学3年生の伏見有史君が15秒56で優勝を。そして高校3年生の田渕雄夢君が15秒57で準優勝を飾った。 「81年の第1回全日本キュービスト大会では46秒台だった3×3×3のベストタイムも、今や7秒台。タイムは日々更新され続けています」  という板垣氏の言葉からも分かるように、四半世紀を経てもなおルービックキューブを究めんとするキュービスト達の挑戦は続いており、日本の若者達がその最先端を走っているようだ。 ■進化し続けるルービックキューブ  日本での発売開始以来、基本的に一切変更点のないルービックキューブだが、そのアイデアを生かした新製品が毎年のように発売されている。
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初心者向け対戦型ゲーム「ルービックレース」
 スタンダードなモデルのほかに、2×2×4という変則的なデザインが印象的な「ルービックタワー」。ブロックの形状自体が変わっていく「ルービックミラーブロックス」という非常に高難度な上級者向けアイテムが好評を博す一方、 「今後は日本ルービックキューブ協会と協力して、子供や年配の方に向けてルービックキューブを定着させていきたいです」  そう板垣氏が語るように、先月発売されたばかりの初心者向け対戦型ゲーム「ルービックレース」など、魅力的なラインナップがズラリと並ぶ。国内での発売からおよそ30年を経た今日もなお、ルービックキューブは進化し拡大し続けているのだ。  人間の頭脳と手先に潜む無限の可能性に挑む立体パズルに、読者のみなさんもぜひとも挑戦してみてはいかがだろうか。 (取材・文=有田シュン)
ルービックキューブ 一度もそろった試しがないよ。 amazon_associate_logo.jpg
●【バック・トゥ・ザ・80'S】バックナンバー 【Vol7】練り続けて25年! 家族の絆を繋ぐ遊べるお菓子「ねるねるねるね」秘話! 【Vol.6】合体のロマンに全国の男子がハマりまくった! 「合体シリーズ」「ミニ合体シリーズ」今昔物語 【Vol.5】男子だって着せ替えしたいんです、プロテクターを! 「聖闘士聖衣大系」今昔物語 【Vol.4】学校で唯一読めたコミック! 『エスパークス』今昔物語 【Vol.3】ゲームの可能性を広げた80年代のミッキーマウス 「パックマン」今昔物語 【Vol.2】世代を超えて愛される地上最速ホビー「ミニ四駆」今昔物語 【Vol.1】手のひらに広がる大冒険!「ゲームブック」今昔物語

練り続けて25年! 家族の絆を繋ぐ遊べるお菓子「ねるねるねるね」秘話!

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 アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。なつかしいおもちゃたちの現在の姿を探る!  「ねるねるねは......ひっひっひ。練れば練る程色が変わって、こうやってつけて、......うまい!」  テーレッテレー!  このフレーズを耳にした瞬間、満面の笑みを浮かべる魔女の姿が脳裏に浮かんだ人も多いのではないだろうか。そんな読者には言うまでないが、今回取り上げるのは1986年の登場以来、四半世紀にわたって、化学的な驚きとミステリアスな味を子どもたちに提供し続けているおもしろお菓子「ねるねるねるね」だ。カップ1杯の水と2種類の粉を混ぜ合わせると、クリーム状のお菓子が次々と色を変え、そして物凄い勢いで膨張していく! まるで魔法のようなお菓子に、全国の子どもたちは夢中になり、その怪しげな制作過程にお母さんたちは眉をひそめた。そんな「ねるねるねるね」を発売しているクラシエフーズにお邪魔して、その開発裏話を聞いてみた。 ■泥遊びから生まれた「ねるねるねるね」 「弊社はもともと粉末のジュースの素など、粉を使ったお菓子をずっとやっていたのですが、その粉を使って子どもが自分で作るお菓子ができないかと思って開発を開始しました。自分で作る満足感や、色が変わって膨らむといった化学的な好奇心を刺激することで、子どもがワクワクしてもらえればという思いがスタート地点です」
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人気のソーダ味とブトウ味、そして今夏に
新発売された「なぞなぞねるねる」。
 このように語るのは今も毎日「ねるねるねるね」を試食し、日々研究と商品開発に勤しむクラシエフーズの津田未典さんである。元々、「渡辺のジュースの素」で一世を風靡した渡辺製菓を吸収合併し、粉末菓子の技術を持っていたクラシエフーズ(当時、「ベルフーズ」)は、砂場で子どもたちが泥をこねて遊んでいる姿から、練る動作を取り入れた「作って遊べるお菓子」というアイデアを思いついたそうだ。同社のこのアイデアは大当たり。子どもたちがテレビをよく見る時間帯を狙って大量に放送された冒頭のキャッチーなCMの効果もあいまって、たちまち「ねるねるねるね」は空前の大ヒットを記録した。1986年の発売以来、これまでに実に20種類以上のフレーバーが登場。発売当初から18年間不動の人気を誇ったメロン味や、現在商品の新たな看板として愛されているブドウ味といった定番フレーバーの他に、コーラ味、いちご味など毎年次々と新たなフレーバーを開発し、25年にわたり子どもたちの目と舌を楽しませ続けている。中にはピーチプリン味、梅あられ味など挑戦的すぎて、あまり人気が出ずにすぐに店頭から消えてしまったフレーバーも存在するものの、常にチャレンジ精神を失わないその姿勢はお見事だ。結果、「ねるねるねるね」は発売開始以来なんと7億食以上も消費され、今もなお大ヒットお菓子のトップを独走中である。 ■徹底したリサーチと気配りから生まれるヒット商品  まったく人気の衰える様子が見えない「ねるねるねるね」だが、子どもが熱中するのに比例して眉をひそめていたのはそのスポンサーたるお母さんたちだ。 「やっぱり魔女が出てくるCMが『怪しいお菓子』というイメージを助長していたみたいですね(笑)」  水を入れると粉の色が変化し、なんだかモコモコと膨らんでくる......。このケミカルなビジュアルと「例のCM」の合わせ技で、発売当初より「体に悪そう」というイメージが付きまとっている「ねるねるねるね」だが、実は発売当初より保存料、合成着色料などは一切使用されていないのだそうだ。 「なかなかそういう部分が伝わりにくいので、最近はパッケージに大きく『保存料、合成着色料ゼロ』っていうマークを入れて、保護者の方に一目で分かっていただけるように努力しています」  粉の色変化についてもちゃんとパッケージに解説を入れている。ブドウ味を例に挙げると、酸性だと赤色に、アルカリ性だと青色に、中性だと紫色になるという赤キャベツ色素の「アントシアニン」の性質を利用して色変化するそうだ。
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裏面には、色変化の解説がしっかり書かれて
いる。
「理科の実験で行うリトマス試験紙の色が変わるのと同じ原理です。また、膨らむのはケーキを膨らませたりするのにも使われる重曹の反応によるものなんです」  何かと事実が隠ぺいされがちな昨今。ここまで情報を開示してくれると、親も安心して「ねるねるねるね」を買ってあげられるというものだろう。とはいえ、やはりいちばん大切にしているのはメインターゲットの子どもたちの目線を忘れないことだ。 「基本的に子どもたちが、面白い、おいしい、と思うようなものを開発するというスタンスは崩さないようにしています」  「ねるねるねるね」は年齢問わずいつまでも食べる類のお菓子ではなく、どうしても子どもが一定の年齢に達すると卒業してしまうため、常に新しい消費者──子どもたちに新商品をプレゼンしなければならないという宿命を背負っている。そのため、開発スタッフは常に子どもたちの流行や思考の変化を追い続けなければならない。そこで、クラシエフーズは年に何十回も親子モニターを招待し、新商品を試食してもらっているという。 「試作して、試食している子どもの横で、ひたすら私たちはメモをとっています。実際お菓子を作ってもらった時の様子や、食べた時にどんな表情をしているか。『まずい』みたいなちょっとしたつぶやきを全部記録して、子どもたちの嗜好の変化を常にキャッチするようにしています」 「子どものお菓子に、ここまで徹底して調査しているメーカーはないと思います」と津田さんは胸を張る。25年に及ぶ、この不断の努力が今もなお子どもたちの心をとらえ続ける商品の魅力の源だったのだ。 ■震災以降、再評価される「ねるねるねるね」  「ねるねるねるね」のヒット以降、作って遊べる「知育菓子」シリーズが誕生。これまでに100種類以上もの商品が登場し、今日も子どもたちの好奇心を刺激している。オーブンで加熱することで本物の焼き菓子のようなお菓子を作ることのできる「ハッピーキッチン」シリーズ。リアルなカブトムシやバッタのグミキャンディをジオラマできるという男子心をくすぐる「昆虫グミ図鑑」。麺とスープを自作ししょうゆラーメンをお手軽に作ることのできる「ラーメンセット」。これら全てを「水と粉」だけで作り上げるというから驚きだ。粉に無限の可能性を感じてしまう「知育菓子」シリーズだが、3月の東日本大震災以降「ねるねるねるね」を始めとする同シリーズの売り上げが急上昇しているそうだ。
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男の子に大人気の「昆虫グミ図鑑」。
「外で遊ぶのが危ない、という保護者の判断もあるんでしょうけど、それ以上に親子でコミュニケーションをとりたいと思われるご家庭が増えたんでしょうね。おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に作りましたというお話もよく聞くようになりました」  昨年に比べてすでに150%以上の売り上げ増を記録しているそうだ。かつて「不健康そうなお菓子」の代表格であった「ねるねるねるね」は、今や「知育菓子」シリーズの顔となり、家庭のコミュニケーション・ツールとして全国各地で愛されているのだ。 ■時代が変わっても変わらぬ「ねるねるねるね」イズム  水と粉を混ぜて遊びながら作る、というかつてないお菓子「ねるねるねるね」が誕生した1980年代とは、いったいどんな時代だったのだろうか。 「いろいろな実験や挑戦ができたし、さまざまな可能性があった時代だったんでしょうね。80年代にリリースされた商品は、今見てもトリッキーなものが多いんですが、その分面白いと思える物ばかりだと思います。企業としても元気な時期だったので、色々な新商品を出してチャレンジできる風土があったんじゃないかなと思います」  どんなアイデアでも実践でき、面白いと思えるものがどんどん市場に登場した80年代に誕生した「ねるねるねるね」が、今、日本中の家庭に元気を与え、コミュニケーションのきっかけとなっているなんて、ちょっといい話じゃないだろうか。
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本物の焼き菓子のようなお菓子を
作ることのできる「ハッピーキッ
チン」シリーズ。
「そう言われると何だか壮大な話のように聞こえるかもしれませんが、あくまで『ねるねるねるね』は100円です(笑)」  そう津田さんは笑って答えた。  現在「ねるねるねるね」は、ブドウ味、ソーダ味、マスカット味の3種に加え、今夏より新発売された、いちごソーダ味とレモンスカッシュ味の2種類のフレーバーが楽しめる上、混ぜて食べると3種類目の味に変化するという1個で3倍楽しめる新商品「なぞなぞねるねる」といったラインナップで展開している。  また、津田さんはこう語る。 「今年は『ねるねるねるね』を大きくリニューアルして、10年間変わらなかったブドウの味を少し変えたんです。今までは酸っぱさを強調していたのですが、今年はより甘さを感じられるようジューシーに調整しました」  これも子どもの嗜好の変化に合わせたリニューアルだという。神は細部に宿る、とはよく言ったものである。この細やかな気配りこそが25年にもわたって、子どもたちに愛されるお菓子を生み出してきたのだ。 「日本中の方が『ねるねるねるね』を知って下さるということは非常にありがたいのですが、今後もそれにあぐらをかくことなく、味もおいしく作って楽しいものを提案していきたいと思います。きっと皆さんを飽きさせませんので、ずっと食べ続けてください」  どんなに時代が変わろうとも、核になる魂が変わらなければ商品は愛され続けるのだろう。「ねるねるねるね」を食べながら、そんなことを思ってしまう筆者であった。 (取材・文・写真=有田シュン)
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●【バック・トゥ・ザ・80'S】バックナンバー 【Vol.6】合体のロマンに全国の男子がハマりまくった! 「合体シリーズ」「ミニ合体シリーズ」今昔物語 【Vol.5】男子だって着せ替えしたいんです、プロテクターを! 「聖闘士聖衣大系」今昔物語 【Vol.4】学校で唯一読めたコミック! 『エスパークス』今昔物語 【Vol.3】ゲームの可能性を広げた80年代のミッキーマウス 「パックマン」今昔物語 【Vol.2】世代を超えて愛される地上最速ホビー「ミニ四駆」今昔物語 【Vol.1】手のひらに広がる大冒険!「ゲームブック」今昔物語

合体のロマンに全国の男子がハマりまくった! 「合体シリーズ」「ミニ合体シリーズ」今昔物語

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今も再販されている人気ロボット・アトランジャー。
「合体シリーズ」の顔のような存在だ。
 アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。なつかしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   「合体」。それは男のロマンである。もちろん性的な意味ではなく、メカニック的な意味で、だ。  何種類かの飛行機や自動車がグリグリっと形を変え、グワシッ! と組み合わさり、1体のマシンにパワーアップするギミックに心をたぎらせた少年は今も昔も数知れず。どんなに時代が移り変わろうとも、戦隊ヒーローやアニメに登場するロボットの合体シーンは、作品のハイライトとして多くの少年に夢と希望を与えている。  そんな、もはやDNAレベルで「合体萌え」を刻まれたとしか思えない全国の男子を熱狂させたプラモデルシリーズが、1970年代から80年代にかけて存在していた。その名は「合体シリーズ」と「ミニ合体シリーズ」。
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アオシマが誇るオリジナルロボット・アトランジャー!
今回は青島文化教材社のご厚意で、社内に残るキットを貸していただきました。
 発売していたのは「創造のプラモデル」というキャッチコピーを掲げ、近年も「痛車」や「小惑星探査機はやぶさ」などかゆいところに手の届くキットをリリースする模型メーカー・青島文化教材社だ。  ばら売りされているプラモデルを4体集めて合体させると、「アクロバンチ」や「トライダーG7」などのかっこいいロボットになってしまう! そのコレクション性と合体のダイナミズムに子どもたちは酔いしれた。  よりリアルな合体を追求した高価格な「合体シリーズ」と、1個100円というリーズナブルな価格設定が子どもたちの懐に優しかった「ミニ合体シリーズ」の両輪で、青島文化教材社は子どもたちに新たな「創造」を提供し続けたのだ。今回はそんな「合体シリーズ」「ミニ合体シリーズ」を振り返ってみよう。 ■逆転の発想と子ども目線から生まれた「合体シリーズ」と「ミニ合体シリーズ」
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筆者の持っているガンプラ(約15センチ)と大きさを比較。
この力強さ、この巨大さこそアオシマよ!
「そもそも『合体シリーズ』は、『マッハバロン』のプラモデルを売る時に、主役のロボットしか版権が取れなかったことからスタートしたんです」  このように語るのは、74年の「合体シリーズ」スタート時から企画開発に携わっていた青島文化教材社の堀井康吉氏だ。 「『マッハバロン』シリーズを始めるに当たり3~4社で競合となったのですが、うちは何種類かあるメカのうち、主役ロボットの『マッハバロン』しか版権が取れなかったんです。そこでなんとか商品点数を増やすために『合体』というアイデアが生まれたんです」  ゼンマイ仕掛けやモーターを搭載した動くプラモデル全盛の当時、動力のない合体プラモデルを発売した同社には、「売れるのか」と疑問視する声が業界内から上がったそうだが、予想に反して「マッハバロン」は大ヒットを記録した。 「当時、お母さんたちから頂いていた『無駄なパーツが多くてもったいない』『シンナーを使わせないで』という意見を参考にして、余ったパーツを合体させて新しいメカを作れるようにしたり、接着剤を使わずにパーツをはめ込むために穴の規格を統一したりと、プラモデルのマイナス面をすべてプラスに逆転させるように心掛けました」  発想の転換が功を奏したのだ。  子どもたちには、「合体」という斬新なプラモデルの遊び方を提示し、保護者には安全で無駄のないプラモデルというアピールを行った「合体シリーズ」は、瞬く間に全国のおもちゃ屋や駄菓子屋の棚を埋め尽くした。
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なぜか4体のメカが合体する「ミニ合体」版ザンボット3。
残念ながら社内にも3体しか残っていなかった。
 ちなみに「合体シリーズ」の特徴は、「原作では合体しないロボットも、強引に分割し合体メカにアレンジする」というとんでもないもの。そのパターンはだいたい、頭部・腕部・胴体・脚部の四分割。その中でも、頭部がメカの上にちょこんと乗っかる「生首マシン」のインパクトは大きかった。 「版元さんも『合体は面白そうですね』と、(合体のアレンジについて)OKをしてくれました。今では考えられないですね。そのころはスタッフで担当を割り振ってデザインをしていました。私は『頭部』担当だったんですが、頭だけでどうやってメカを作ろうかと本当に苦労しました(笑)。ちなみに『合体シリーズ』の外箱は、内箱に比べて少し寸足らずに作っているんです。そのおかげで、小さなお子さんでも箱を外しやすくなっています」  そんな苦労や工夫もあって、「合体シリーズ」はヒットシリーズに成長し、新作が続々登場。自社で開発したオリジナルロボット「アトランジャー」も「マッハバロン」に続くヒット商品となり、「合体シリーズ」は人気シリーズとしての地位を確かなものとした。  だが、1個500円。4つそろえると2,000円という子どもの懐には少々厳しい金額設定のため、正月、クリスマスなどの大きなイベント時期以外には売れづらいことが分かってきた。  そこで、1個100円にプライスダウンし、設計もよりシンプルにした「ミニ合体シリーズ」を考案。そのおかげで子どもたちは、日々のわずかなお小遣いでも合体プラモデルを手にすることが可能となった。 「お小遣いを100円しかもらえないお子さんは、1個500円だと買うのに5日もかかってしまう。まして他のパーツも全部そろえるとなると、とんでもない時間がかかってしまいます。でも1個100円なら、毎日一個ずつ買って4日で全部そろえられるんじゃないかと考えました。現実に3号までそろえたのに、4号がお店からなくなっていたので完成できなかった、というようなご意見がよく届いていたんです」  徹底的に子どもの目線で作られた「ミニ合体シリーズ」は、「合体シリーズ」に続き、またも大ヒット。「合体シリーズ」と同じく「マッハバロン」からスタートし、「トライダーG7」「ザンボット3」「イデオン」「アクロバンチ」と70年代後半から80年代半ばにかけて、ブラウン管の中で大活躍したロボットが続々登場した。 ■『ヤマト』『ガンダム』『エヴァ』も合体していたかも?
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ズラリ並んだ生首マシーン。
微妙にアニメの設定を生かしている点がポイント。
「もしかしたら『機動戦士ガンダム』のプラモデルも、弊社で出すかもしれなかったんです」  取材も半ばに差し掛かった時、堀井氏の口から聞き捨てならない言葉が飛び出した。日本のSFアニメ史に残る作品のプラモデルが青島文化教材社から出るかもしれなかった、とはどういうことなのだろうか。 「弊社は『合体』を登録商標にしているということで、当時、『ガンダム』の合体おもちゃを出されていたクローバーさんが『"合体"という言葉をおもちゃに使わせてもらえないか』と相談に来られたのがきっかけで、『プラモデルを出しませんか?』という話になったんです。ただ、ちょうどそのころは『ガンダム』のテレビ放送があと3回で終わっちゃうというタイミングだったので、『じゃあ、その次の番組(『トライダーG7』)からお願いします』と返事をしてしまったんですよ」  放送打ち切り後、バンダイはガンダムブーム到来を察知し『ガンダム』のプラモデル、通称「ガンプラ」を発売。その後、今もなお続く大ヒットシリーズへと成長していくことは、ご存じの通りだ。 「『宇宙戦艦ヤマト』も『新世紀エヴァンゲリオン』も、最初はうちにお話が来たんです。いずれも立ち消えになってしまいましたが......。歴史のIFを言っても仕方がないのですが、私たちがやっていたらどうなっていたのだろうと考えてしまいますよね。いつも通りの合体シリーズを発売して、そこで作品が終わっていたかもしれませんが......」  と、堀井氏は苦笑いだ。  もし「合体シリーズ」の『ガンダム』や『ヤマト』『エヴァンゲリオン』が実現していたら、生首ガンダムやエヴァの腕だけの戦車、はたまた輪切りになったヤマトがおもちゃ屋さんに並んでいたのだろうか(ちなみに青島文化教材社は、当時「合体レッドホークヤマト」という合体する戦艦のキットや、ガンダムを意識したと思われる「ザクレス」シリーズなどのオリジナル商品を販売していた)。興味は尽きないが、それも今は歴史の闇の中である。 ■今も変わらぬ「創造」のアオシマイズム
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シリーズ後期のキット。偉い人にはわからないかも知れませんが、
足は飾り的なデザインです。
 合体シリーズで一世を風靡した青島文化教材社だが、21世紀に入って以降も、萌えキャラをペイントした乗用車「痛車」をスケールモデル化した「痛車シリーズ」や、2010年6月に地球へと帰還した探査機「はやぶさ」のキットなど、独自のセンスがキラリと光るヒット商品を多数発売。7月にはゴキブリを擬人化した禁断のキット「!!ごきチャ」「!!!ちゃば」という挑戦的すぎるラインナップが控えている。 「(『!!ごきチャ』『!!!ちゃば』は)正直私の理解を超えているのですが(笑)、こういう商品はうちじゃないと出せないと思います。社風的に、常に新しい物を追求していこうという気持ちがあるんでしょうね。私みたいな年寄りが若い人たちにあまり口出ししすぎると、結局、既成概念にとらわれたままになってしまいますので、『とりあえずおやりなさい』と言っています。そういう空気は『合体シリーズ』の時からあります」  もちろん数多くの失敗作や、成功したとは言えない企画もあるのだろう。だが、それでも確実にコンスタントにユーザーの心に刺さるアイテムを開発し続けられる、その理由は青島文化教材社の根底に「創造」の文字が流れているからではないだろうか。 「普通はちゃんと市場調査や分析をして、これはやめておくべきという判断も当然生まれるのでしょうが、それだけでは物事は前に進まないと思います。だからうちは、おおざっぱに『こんなお客さんがいるだろう』ってノリでやっている部分も多いです。ですから、他社さんからしたら、一見不マジメな会社に思えるかもしれませんね(笑)」  そうおおらかに笑う堀井氏は、模型メーカーに携わる人間として大切なものは何か、という問いに「遊び心」と答えた。 「模型を作ることそのものが遊びですから、自分が作って楽しくないものは、誰が作っても楽しくないと思います。そこに青島文化教材社ならではの独特な味付けを加えるんです。一つの素材を生で食べるのか、煮るのか、焼くのか、あるいは蒸すのか。いろいろな食べ方を比較検討していく中で、私たちのやっている仕事は答えが出てくるのかなと思います」    これこそ独自のプラモデルを「創造」し続ける青島文化教材社を表現する言葉だろう。その魂は独創的な現行ラインアップの中にも、確実に息づいている。  なお、「合体シリーズ」のヒット商品「アトランジャー」は今も生産されており、お手軽に入手することが可能だ。合体がまだ珍しかったあのころの気持ちを思い返しつつ、もう一度組んでみてはいかがだろうか。 (取材・文・写真=有田シュン)
合体ロボット アトランジャー プラモ誕生50周年記念の再販。 amazon_associate_logo.jpg
●【バック・トゥ・ザ・80'S】バックナンバー 【Vol.5】男子だって着せ替えしたいんです、プロテクターを! 「聖闘士聖衣大系」今昔物語 【Vol.4】学校で唯一読めたコミック! 『エスパークス』今昔物語 【Vol.3】ゲームの可能性を広げた80年代のミッキーマウス 「パックマン」今昔物語 【Vol.2】世代を超えて愛される地上最速ホビー「ミニ四駆」今昔物語 【Vol.1】手のひらに広がる大冒険!「ゲームブック」今昔物語

男子だって着せ替えしたいんです、プロテクターを! 「聖闘士聖衣大系」今昔物語

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現在発売中の「聖闘士聖衣神話」シリーズ。技術の進歩が見て取れる。
(写真協力は全て「まんだらけコンプレックス(新秋葉原店)」)
 アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。なつかしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   1980年代後半、日本の男子向け玩具の概念を一変させたホビーが存在した。その名は「聖闘士聖衣大系(セイントクロスシリーズ。以下、大系)」。後に多くのフォロワーを生み出し、いわゆる「クロス系フィギュア」ブームの火付け役となった画期的なフィギュアのシリーズである。今回の「バック・トゥ・ザ・80's」は、「大系」、そして「クロス系フィギュア」を振り返ってみよう。 ■男子向け玩具の歴史を変えた「聖闘士聖衣大系」  まずは「大系」について解説しよう。シリーズ名を見た時点で気づいた人も多いかもしれないが、これは1986年に原作漫画が「週刊少年ジャンプ」(集英社)にて連載開始、同年テレビ朝日系列でアニメ放送がスタートした大ヒット作『聖闘士星矢(セイント・セイヤ)』の、バンダイから発売されたキャラクター・フィギュアのシリーズである。  女神アテナを守り、地上の平和を守るために戦うという少年たちのバトルを描いた本作は、主人公・星矢たちの熱い戦いぶりや多くの魅力的なキャラクター。そして、神話をモチーフとしたロマン溢れる設定が、男子から大きなお姉さんのハートをがっちりキャッチ! スタートと同時に大きな話題を呼んでいた。
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こちらが「聖闘士聖衣大系」の新生ペガサス
聖衣。未装着状態だが、「神話」版との違い
は一目瞭然。
 というわけで、まだアニメが子ども向け玩具の販促番組として成立していた時代ということもあり、主人公・星矢たちのフィギュアが発売されるのは当然の流れだと言える。しかし、「大系」が凡百のキャラクター・フィギュアと一線を画していたのは、「聖衣(クロス)」というプロテクターが着脱可能な上に、それが星座や神話上のキャラクターをモチーフにしたオブジェに変形するという点だろう。  さまざまな意匠のオブジェがバラバラのパーツに分割し、キャラクターに装着されるという、それまでにないギミックを搭載した「大系」は、当時の男子に空前のヒットを記録したのだ。  その勢いを物語るエピソードとして、主人公たちの敵キャラとして登場した「暗黒聖闘士」もすさまじい勢いで売れた、というものがある。  物語序盤に登場した「暗黒聖闘士」は、姿形は主人公達と同じではあるものの、聖衣は真っ黒というダーティなルックスの日陰者。発売元のバンダイも、「まさか売れるまい」と数量限定で発売したところ、これが飛ぶように売れたというから、どれだけ当時の子どもたちが「大系」を欲していたかが分かるだろう(ちなみに筆者が初めて買ってもらったのも「暗黒聖闘士」のペガサスだった)。
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クロス系フィギュアのブーム時に発売された
『鎧伝サムライトルーパー』の玩具。こちら
も多くのシリーズが発売された。
 以降、白銀聖闘士、全身金ピカのド派手な黄金聖闘士、アニメオリジナルキャラの鋼鉄聖闘士や神闘士をはじめ、テレビシリーズ最後の敵となった海闘士と多くのキャラクターが商品化され、そのいずれも好調なセールスを記録。  87年には、黄金聖闘士の「サジタリアスクロス」が男子向け玩具最大のヒットという快挙を達成した。 「当時、『サジタリアスクロス』はすさまじい人気があり、何度も再生産されました。その度に少しずつパッケージなどのデザインが変更されています。また、生産を請け負っていた下町の工場によっても製品に微妙な違いがあったようですね」  そう語るのは、漫画から玩具、ゲームなどサブカルチャーに関するアイテムを数多く取り扱う「まんだらけ」の店員T氏だ。  そんな「大系」だが、「クロス系フィギュア」という新ジャンルを開拓すると同時に、男子向け玩具の常識を大きく覆す実績も残している。 「それまで男子向け玩具では、主人公は赤色というルールがあったのですが、『聖闘士星矢』の星矢は服こそ赤色ですが、聖衣は白色です。にも関わらず、ヒットを飛ばしました。そして金一色の黄金聖衣も、当時としては異色の玩具ですが、これも大ヒット。『暗黒聖衣が売れたことから、敵役でも魅力的なら売れる』と判断した当時のバンダイの先見の明の賜物ですね」(「大系」コレクターA氏)  ただ売れただけではなく、売れる玩具の常識すらも塗り替えた「大系」は、名実ともに時代を変えたホビーだったのだ。
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こんなものも出てました。『ビックリマン』の
人気キャラ・ヘッドロココがアンドロココの
クロスを装着して変身!
■続々誕生したクロス系フィギュア  空前の大ブームが起こると、二匹目のどじょうを狙うフォロワーが次々と誕生するのが世の常である。  もちろん『聖闘士星矢』に続けとばかりに、「聖衣」っぽいプロテクターを着けたヒーローが80年代末から90年代初頭にかけて大量に生まれた。  戦国武将チックなプロテクターを装着する和風アクション『鎧伝サムライトルーパー』、SFチックな洗練されたデザインがクールな『超音戦士ボーグマン』、インド神話をモチーフにしたプロテクターがミニ四駆のように走る『天空戦記シュラト』など、雨後の筍のように「クロス系」アニメが誕生。それに伴い、クロス系フィギュアも続々と発売された。  また、「大系」を世に放ったバンダイも、「中の人」にプロテクターを装着させる仮面ライダーのフィギュアや、アムロやカミーユといった『ガンダム』のキャラクターにプロテクターを装着させてSDガンダムにしてしまう「ガンダムクロス」という異形のフィギュアを発売。  さらにはゲームでおなじみのエニックス(現スクウェア・エニックス)からも、『ドラゴンクエスト』の主人公にロトの鎧などの装備を装着させる「伝説の鎧」シリーズなる玩具も発売され、80年代末から90年代序盤は「クロス系フィギュア」百花繚乱の時代であった(ちなみに、リアルタイプのガンダムにクロスを装着させる「リアルガンダムクロス」なんてブツも存在している)。
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なんとも言えないゴージャス感がたまらない。
黄金聖衣が勢揃い。当時の玩具業界を代表
するヒット商品となった。
 しかし、やはり「クロス」の魅力はプロテクターとして装着したときのカッコよさと、オブジェ形態の美しさであり、それらが両立するところにこそある、と筆者は言いたい。  確かにフォロワーの「クロス系フィギュア」は、技術の向上などもありプロテクター形態の完成度は眼を見張る物も多くあるが、一方のオブジェ形態については二の次のような印象を受けてしまう。中には、オブジェ形態そのものが存在しないアイテムもあったりして、やはり両者のクオリティを保っていた元祖「クロス系フィギュア」である「大系」の完成度は群を抜いていたと再認識させられるばかりだ。 「多くのフォロワー的作品が生まれて、クロス系フィギュアも数多く誕生しましたが、やはり『大系』以上の美しさと完成度、そして人気を得た商品はありませんでした。さすが元祖といったところでしょうか」  先述のまんだらけ店員T氏もこのように語る。
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クロス系フィギュアブームの末期に発売された
『特捜エクシードラフト』の「トライジャケッ
ト」シリーズ。思い切りコストダウンされた
構成になっており、全体的に残念な感じ。
 また、日本と同じくらい『聖闘士聖衣』の人気が高い海外では、なんと04年まで「大系」の新作が作られ続けていたというから驚きだ。 「日本国内で、『聖闘士星矢』に関する新作商品の発表会などがあれば、今でも海外から多くのファンが訪れています」(まんだらけ店員T氏)  かつて庶民の娯楽に過ぎなかった浮世絵が海外に紹介された際に西洋の芸術へ多大な影響を与えたように、今やクロス系フィギュアもまた世界中の玩具コレクターやアニメファンに影響を与える世界的なアイテムとして定着した......というのは言い過ぎだろうか。 ■そして神話へ......  さて、その後の「大系」についても追いかけてみよう。90年代に入り、テレビアニメの放送終了に伴い「大系」は一旦終了。それから時を置かずに一世を風靡した「クロス系フィギュア」ブームも沈静化する。  しかし、そのクオリティの高さから「大系」は、オークションなどにおいて高額で取引させる人気アイテムとして流通し続けることとなる。  そして、01年にはバンダイから12体の黄金聖衣が復刻販売。その反響の大きさからアニメの復活、そして新たな「クロス系フィギュア」シリーズとして「聖闘士聖衣神話(セイントクロスマイス)」が03年よりスタートすることとなった。  10年以上の時を経て復活した新シリーズは、当時ファンだった若い世代のスタッフが多く参加し、ファン心理をビシビシとついてくる痒いところに手の届くアイテムを続々リリース。現在も新作が発売される人気シリーズとなっている。  ちなみにもっとも売れたのは、「大系」と同じくサジタリアスの聖衣らしい。  また『聖闘士星矢』以外にも、バンダイは『鎧伝サムライトルーパー』や『仮面ライダー』シリーズのクロス系フィギュアを発売している。その血統は現在も脈々と受け継がれているのだ。
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クロス文化の正当な継承者として2000年代半ば
まで発売された「変身装着」シリーズ。平成
ライダー以外にも、昭和ライダーや宇宙刑事
シリーズなども扱った渋いシリーズ。
 なおクロス系フィギュアの元祖「大系」だが、つい最近まで香港バンダイより新作が発売され続けていたというのは先述の通り。 「『聖闘士星矢』の人気は海外でも高く、また香港は日本と同じくらい玩具市場が成熟しているということで、わざわざ日本から金型を持ち出して現地スタッフで新作を生産したようです」(先述のまんだらけ店員T氏)  クオリティそのものは日本国内で生産された過去の商品と比べるとちょっぴり残念な点もあったりするが、80年代に発売されたフィギュアをベースに、最新の技術を惜しみなくつぎ込んでいる現代の「大系」には、ロートル車に最新のモーターを搭載した改造車的な味わいが感じられる。  現在は海外でも「聖闘士聖衣神話」が人気の主流となっている模様だが、80年代ハンター的には今後の「大系」の展開も気になるところである。 (取材・文=有田シュン) ※取材協力:まんだらけコンプレックス < http://www.mandarake.co.jp/shop/index_cmp.html>
聖闘士聖衣大全 パーフェクトブック。 amazon_associate_logo.jpg
●【バック・トゥ・ザ・80'S】バックナンバー 【Vol.4】学校で唯一読めたコミック! 『エスパークス』今昔物語 【Vol.3】ゲームの可能性を広げた80年代のミッキーマウス 「パックマン」今昔物語 【Vol.2】世代を超えて愛される地上最速ホビー「ミニ四駆」今昔物語 【Vol.1】手のひらに広がる大冒険!「ゲームブック」今昔物語

学校で唯一読めたコミック! 『エスパークス』今昔物語

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歴代エスパークスが勢揃い! いま見てもかっこいい!
 『エスパークス』。  この名前にビビッと来た人は、ほぼ間違いなく1980年代から90年代に、清く正しいジャリ文化を享受できた幸せな人だ。  エスパークスとは、「たれぱんだ」「リラックマ」「まめゴマ」などの女の子向けファンシーグッズを多数生み出したサンエックスの「男の子向け」オリジナルキャラクターである。ストーリーは、スーパーヒーロー・エスパークスが相棒の小猿・キー助を始めとする多くの仲間と共に、地球のみならず宇宙の平和を乱すさまざまな悪とバトルを繰り広げる、という壮大なファンタジー・アクション活劇。  その人気ぶりは、「『これは文房具ではない』と校則で持ち込み禁止になった学校が続出するほど」(昨年、発売された再録本より)だったというから驚きである。  今回は、そんな僕らのヒーロー『エスパークス』のスタッフにエスパークス誕生秘話をうかがった。 ■実は作家性が非常に強かった『エスパークス』 『エスパークス』が誕生したのは1989年のこと。  その歴史は、一冊のノートから始まった。  主人公・エスパークスをはじめとするカッコよくてかわいいキャラクターが表紙に描かれた、B5サイズのノート。一見、よくあるキャラクター文具かと思いきや、その中身の大部分を占めるのは漫画や迷路、すごろくなどのアナログゲームだ。
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ファンシーキャラらしい可愛らしさ
とヒーロー要素を兼ね備えた初代
エスパークス。
 ノートと漫画、アナログゲームのハイブリッド・メディアとして彗星のごとく文房具シーンに登場した『エスパークス』は、魅力的なキャラクターの活躍や壮大な物語もさることながら、学校でも「合法的に」読める漫画(だって購買部でも売ってる文房具だったもんね!)という側面や、ノートのみならず鉛筆、消しゴム、カンペンケース、下敷きなどに描かれたストーリーを補完することで物語の全体像が見えるというコレクション性が大いに受けて、当時の小学生男子を中心にスマッシュヒット! 最終的に、95年リリースの第9弾まで続くロングランシリーズとなったのだ。  当時の盛り上がりぶりについて、『エスパークス』プロジェクトの一員だったサンエックス広報担当の黒田政和氏はこう語る。 「当時はノートなどの単品の他にも、『エスパークス』関連の文房具が全部セットになったボックスを売っていたのですが、それもすぐにソールドアウトになっていました。小売店からも『いつ次が入る?』とよく問い合わせがありました。具体的な金額は出せないのですが、当時の『エスパークス』は他のキャラクターのおよそ4倍の売り上げでした。非常に大きな数字で、まさに商品が右から左にどんどん流れていくという感じでしたね」  ちなみに、文房具の他にもスーパーファミコンでゲーム化、小学生向け漫画雑誌「コロコロコミック」(小学館)でコミック版が連載されるなど幅広いメディア展開も行われた『エスパークス』。実現には至らなかったが、テレビアニメ化企画までも存在していたという。そんな一時代を築いた『エスパークス』の生みの親とも言えるのが、キャラクターデザイン、漫画制作を担当したデザイナーの征矢浩志氏だ。  征矢氏は、企画の始まりを以下のように語る。 「当時『ドラゴンクエスト』のようなファンタジー物が流行していたので、似た感じの新しいヒーロー物をやろうというところから企画が始まりました。当初は入社したばかりの僕がキャラクターデザインをして、プランナーさんと二人でお話を考える、という小さな体制で作っていたので、そんなに長く続くとは考えてはいませんでした」  そんな軽い気持ちでスタートした『エスパークス』だが、あれよあれよと言う間に人気に火がつき、先述のような大ヒット商品に急成長していったという。
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二代目エスパークスは、少年漫画らしいカッコ
良さを追求したデザインだ。
 驚きなのは、通常の商業コミックにおける担当編集者に相当する存在はなく、基本的に征矢氏が漫画家と編集者を兼ねていたということだ。 「ある意味、同人誌みたいなものです(笑)。ただ、やはりお金を出して買ってもらう商品なので、自分の趣味性だけを押し出していくのはいけないというバランス感覚は働いていました」  と、当時を述懐する征矢氏。  そんな征矢氏の作家性と商業作品としての良心がギリギリのバランスで共存していた『エスパークス』には、主人公・エスパークスをはじめ、ジャディーン、二代目エスパークスなどのヒーローのほか、キー助、ハガエル3世のようなファンシーキャラ。はたまたキューカー、マジックカプセルから出てきた3人組など、ホラー映画に出てきそうな迫力満点の敵キャラといったさまざまな要素をもったキャラクターが混在している。  そんな「ごった煮」な『エスパークス』ワールドの原点は、一体何だったのだろうか。 「元々アメコミやプログレッシブ・ロックのCDジャケット・イラスト、H・R・ギーガー(映画『エイリアン』のデザイナー)やホラー映画が好きで、その影響が表紙イラストやキューカーなどの敵キャラの絵に出ていますね。でも、サンエックス的にはキー助みたいなファンシーキャラも生かさないといけない。さらに男の子にはカッコいいと思ってもらわないといけない。それらをどうミックスしようかと思った時に参考にしたのが、香港映画です。ドタバタと全然物語と関係ないところでカンフーアクションをやっていたら、いつの間にか終局に向かっていた、という雰囲気を参考にしました。もう一つ参考にしたのは遊園地です。絶叫マシンもあれば、小さい子も楽しめるような乗り物があるというような、皆が楽しいものを心がけました。そういう自由な創作ができたのは、商業誌ではなかった、ということもあるかと思います」  「香港映画」に「遊園地」──。
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20周年記念の表紙。
 確かに、誌面狭しと大活躍するキャラクターや楽しげなゲームの数々の持つカラフルで賑やかな雰囲気は、それらとよく似ている。僕たち男子が大好きなものを惜しみなく盛り込んだ「ぜいたく感」こそが、『エスパークス』の楽しさの本質だったのかもしれない。  そんな『エスパークス』は、第9弾で唐突にシリーズが終了してしまうが、完結編の第10部の構想もあったそうだ。今のところ発表される予定はないようだが、「機会があれば、いずれ発表したい」という気持ちは今でもあるそうだ。  現在『エスパークス』はオフィシャルサイトが立ち上げられ、昨年にはこれまで発表された『エスパークス』第1弾から第9弾までを完全収録した再録コミックスも発売され、ファンから根強い声援が今も届いているという。  今後の展開については、 「即座に何かをするということは難しいのですが、今も応援してくださる皆さんの声を伺いつつ、何らかの形で応えていきたいと考えています」  と黒田氏は語っており、まだ『エスパークス』の戦いは終わりを告げていない模様。次なる展開に期待が高まるばかりだ。 ■時代の境目に立っていた『エスパークス』  『エスパークス』が誕生した89年は任天堂の携帯ゲーム機ゲームボーイが登場し、翌年にはスーパーファミコンが発売されるという、子ども向けのデジタル・ホビーが急速に高性能化し始めた時代。  そして、『エスパークス』が終了した95年はソニーのプレイステーション、セガのセガサターンなど、次世代機と呼ばれる超高性能ゲーム機が流行し始めた時代である。
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ズラリと揃ったエスパークス関連グッズ。
ちなみに一番売れたのは、中心にある札束メモだそうだ。
「『エスパークス』が生まれた頃は、アナログなホビーがデジタル・ホビーと共存できた、最後の幸せな時代だったと思います。それがデジタルに傾いていった理由は、世相的にバブルが弾けて、一つのパッケージの中での充実感というものが重視されるようになってきたために、バラバラの商品を集めるという行為が時代にそぐわなくなったからなのかも知れません。カードゲームはアナログ・ホビーですが、一つのパッケージに何枚かカードが入ってるし、テレビゲームはソフトを一本買えば、とりあえず事足りてしまうわけですから。子どもとしては、グッズをコレクションするという行為はすごく魅力的ではあるのですが、例えば800円くらいする缶ペンケースなどを度々買い換えるとなると、スポンサーのお母さん方からしたら苦しいものがあったのかもしれませんね」  征矢氏は、このように語る。  『エスパークス』のメディアミックスが始まったのは、ブームの末期である93~95年から。完全に人気を後追いする形でのやや遅めのメディア展開は、現在よく見られる最初から計画されたメディアミックスとは少し感覚が異なる。
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缶ペンケースの中には、すごろくゲームが。
合法的に学校でのゲームプレーを可能とした
救世主でした。
 このように、純粋に子どもたちからの人気だけで盛り上がり、大きなブームとなった『エスパークス』は、80年代から90年代におけるホビーの性質の変化を象徴する記念碑的な作品なのかも知れない。  それにしても、漫画のような出版物とは異なるため、どんなに売れても発行部数という数字での記録は残らず、リアルタイムでブームを体験した小学生以外にはほとんど知られることもなく、時代の荒波に揉まれて、そっと役割を終えたかのように表舞台から去っていった『エスパークス』の姿は、まるで名も告げずにそっと立ち去る孤高のヒーローのようだ。 「新しいものを望む皆さんの声には、できるだけ応えていきたいと思うのですが、皆さんの中で『エスパークス』を育てていただいてもいいと思います。いろんな人が自分なりのエスパークスを作ってくれれば幸いです」 「権利関係に絡んじゃったりするのは困りますけど(笑)」と苦笑しつつも、征矢氏は語った。もしかすると『エスパークス』の新たな活躍を一番心待ちにしているのは、彼本人なのかもしれない。 (取材・文=有田シュン) ●エスパークスオフィシャルサイト <http://esparks.jp/>
エスパークススタンダード・エディション 知ってる人も知らない人も。 amazon_associate_logo.jpg
●【バック・トゥ・ザ・80'S】バックナンバー 【Vol.3】ゲームの可能性を広げた80年代のミッキーマウス 「パックマン」今昔物語 【Vol.2】世代を超えて愛される地上最速ホビー「ミニ四駆」今昔物語 【Vol.1】手のひらに広がる大冒険!「ゲームブック」今昔物語

ゲームの可能性を広げた80年代のミッキーマウス 「パックマン」今昔物語

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海外でも人気の『パックマン』。グッズの多さが、それを物語る。
 アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。なつかしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   日本が世界に誇るサブカルチャーの一つが、ビデオゲームだ。  最近はもっぱら海外ゲームの勢いに押され気味ではあるものの、やはり芸術的なドット絵とチープなピコピコ音、そしてアイデアに満ちた80年代のビデオゲームこそ、日本製ゲームの原点にして至高である!  そんな日本製ゲーム史の始まりを1978年の『スペースインベーダー』とするなら、ゲームの可能性を広げた作品として『パックマン』をぜひ挙げておきたい。ポップなキャラクター要素や縦横無尽にキャラを操作できる自由度という点で、非常にエポックメイキングだった『パックマン』がリリースされたのは1980年のこと。2010年でちょうど生誕30周年を迎える。  今年はそんな記念すべきアニバーサリー・イヤーというわけで、10月2日より秋葉原のアートスペース「アーツ千代田 3331」にて、「パックマン展-80's to 10's ゲーム&カルチャー」が開催されている。  80年代ハンター的には、このイベントに注目せざるを得ない! ということで、さっそく足を運んでみた。 ■偉大なる先人、『パックマン』の歴史を振り返る  アメリカでは、家庭用ゲーム機「Atari2600」に移植され約500万本を売り上げた他、アニメ、レコードが大ヒットを記録。「80年代のミッキーマウス」と称され、今もなお世界中で愛され続ける「パックマン」。  そんな「古今東西のパックマンを一堂に集めてご紹介する初めての展示会」(公式サイト紹介文より)である当イベント。「古今東西」とは聞き捨てならない一言である。これは期待するなという方が無理な相談だ。
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伝説はここから始まった! 記念すべき初代筐体。
 ウキウキしながら会場に足を踏み入れると、まずはパックマンの筐体がお出迎え。会場に設置されているゲームは全て無料でプレーできるようだ。おもむろに、まずは1パックマン(プレー)! ひとしきり堪能したところで横を見れば、これまで発売された『パックマン』グッズがズラリ。さらに、『パックマン』の企画書やキャラデザイン資料も展示されており、思わず感動してしまう。「バック・トゥ・ザ・80's」的に最大の注目展示プログラムは、家庭用ハードに移植された『パックマン』が全て展示されている一角だ。
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インストラクションカード。いま見てもワクワクする。
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無数に作られた『パックマン』グッズが所狭しと展示されている。
 先述の、一世を風靡したアタリ社のゲームハード「Atari 2600」に始まり(なんと実機をプレーすることも可能!)、AMIGAで、ファミコンで、インテレビジョンで、MSXで動く『パックマン』を思う存分堪能することができるのだ!(AMIGA、MSXは正確にはパソコンだけど)
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AMIGA500、MSX、カセットテープ......。一時代を築いた、愛すべきマシーンたち。
 80年代を駆け抜けたお宝ハードが一堂に会するなんて! ゲームファンでなくとも、部屋いっぱいに展示される大量のゲームハードに、家庭用ゲームの歴史の重みを感じることができるはずだ。
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数々のアーケードゲームもプレー可能。海外ゲームもプレーできます。
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メジャーハードからマニアックなハードまで、完全制覇した『パックマン』。
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近年も、さまざまなハードで発売されている『パックマン』。
 『パックマン』の歴史を辿る展示のみならず、ゲームデザイナーでもある女子美術大学短期大学部教授・伊藤ガビン氏による『パックマン』の可能性を探るアート作品や、フランス人アーティストのニコラ・ビュフ氏による新作オブジェも会場を飾る。その他、多くのアーティストや識者たちによる、『パックマン』をテーマにさまざまなイベントも予定されている「パックマン展-80's to 10's ゲーム&カルチャー」。
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(左)パックマンをイメージしたオブジェ。
(右)フランス人アーティストのニコラ・ビュフ氏によるオブジェ。
 ゲーム・キャラクターという枠を超え、カルチャー・アイコンとして世界中で愛される『パックマン』を通じて、ゲームの歴史や文化を振り返ってみてはいかがだろうか。なお、「パックマン展-80's to 10's ゲーム&カルチャー」は10月11日まで開催。入場は無料なので、ショッピングのついでにでも軽く足を運ぶもよし、だ。 ■『パックマン』の生みの親・岩谷徹氏が語る『パックマン』の時代! ビデオゲーム黎明期より活躍し、『パックマン』を生み出した男・岩谷徹氏。会場を訪れていた岩谷氏に、突撃インタビューを敢行! 『パックマン』が生まれた1980年代とはどんな時代だったのか? そして次の『パックマン』は一体どんなゲームなのか? 気になるところを聞いてみた。
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左より展示のディレクションを担当
した伊藤ガビン氏、パックマンの
生みの親・岩谷徹氏、企画監修のサ
イトウ・アキヒロ氏。パックマンをイメー
ジしたピザの前で記念撮影!
──『パックマン』がリリースされた当時、ゲーム業界はどういう雰囲気でしたか? 「最初は白黒モニタの『ジービー』というゲームを作っていたのですが、それがカラーになり、解像度もだんだんと上がっていって、クリエイターとして表現したいものが少しずつ描けるようになってきた。いわば、新しいキャンパスを手に入れることができたような時代でした。また、続編ものではなく、新しいゲームを作ることがゲーム業界の使命だった時代だとも思います。新しいコンセプトを創出する喜び、他社からそれが出るという悔しさ。あの時代の面白さは、そういう部分でした」 ──当時、岩谷さんがライバル、目標としていた相手は何でしたか?
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会期は11日(月・祝)まで。
この機会をお見逃しなく!
「やはり米国のアタリ社ですね。常に新しいコンセプトのゲームを出してくるという姿勢も含めて、アタリが自分の師匠でした」 ──80年代というと、日進月歩で技術が発展した時代だと思います。コンピュータの発展に伴い、パックマンも手足が生えたり鼻が伸びたりしていきました。『パックマン』が時代の変化に対応して、どんどん進化できた理由は何だと思いますか? 「まずシンプルなゲームシステムで作られていた、ということがあります。『パックマン』のルールに対して、『もっとこうした方がいい』とおっしゃる方もいましたが、自分は限界までそぎ落として、あらゆる可能性を考えぬいて『これ!』というものがあればいいと思っていました。逆に『パックマン』は無駄がないキャラデザインとゲーム内容だったので、何を足しても本質は変わらなかったのだと思います」 ──今後、どんな『パックマン』のゲームを作ってみたいですか? 「歌うパックマンのゲームを作りたいと思っています。映画でいうと、『ブルース・ブラザーズ』、音楽でいうとポップスのような、『あ~、楽しい!』って思えるようなノリのいい『パックマン』のゲームを作りたいです」 ──ありがとうございました。 (取材・文=有田シュン) ・パックマン展 <http://www.3331.jp/schedule/000638.html> ・パックマン ウェブ <http://pacman.com/>
パックマン いまも進化中。 amazon_associate_logo.jpg
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世代を超えて愛される地上最速ホビー「ミニ四駆」今昔物語

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改造という言葉をミニ四駆で知りました。
 アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。なつかしいおもちゃたちの現在の姿を探る!  「行け!」と言えばグワシ! と前進し、「曲がれ!」と言えばギューン! と曲がる。ホッケースティックみたいな「アレ」でマシンの動きを制御して、僕たちは地平線の彼方を目指して走り続けていた......。  これだけで「ピン!」と来た御仁も多いだろう。そう、これぞ80年代が生んだ地上最速のホビー。タミヤ(当時・田宮模型)のミニ四駆だ! 単三電池2本、スナップフィット(はめ込み式)のお手軽キット、創意工夫次第でいくらでもパワーアップさせることのできる自由度。そしてただ速いだけでは勝ち残れないレースの奥深さ! 今回はそんな手のひらサイズのレーシングマシン、ミニ四駆の今昔物語をお送りしよう。 ■レーサーミニ四駆誕生前夜  ミニ四駆が産声を上げたのは1980年代初頭のこと。当時、プラモデルの精密度は年々高まり、子どものおもちゃから大人向けのホビーに成長しつつあった。そんななかでスタートしたミニ四駆開発の発端は、「リアルな模型の追求も大事だが、もっと気楽に作れる模型も欲しい!」というタミヤ社長(現会長)・田宮俊作氏の思いだった。かくして82年「『もっと気楽に』『子どもでも作れる』四輪駆動の模型」というコンセプトの元、当時人気の実車フォード・レインジャー4×4、シボレー・シビック4×4をモデルとした四輪駆動スケールモデル「ミニ四駆」が世に誕生した。 「出発点は当時RCカーを買えなかった子どもたちのためのプラモデルというイメージでした」  このように語るのは、現在もミニ四駆イベントに携わるタミヤスタッフ・A氏(以下・A氏)。アニメ作家・大塚康生監修による当時の人気RCカー「ワイルド・ウイリス」を手のひらサイズにダウンサイジングした「ワイルド・ウイリスJr.」は、RCカーに手が届かなかった子どもたちの間に広く受け入れられた。やがて子どもたちから「もっと速く走らせたい」という声が上がり始め、それに応える形で86年、新しいミニ四駆「レーサーミニ四駆」が誕生する。シャーシ(モーターやシャフトなどを搭載する車体部分)を再設計し、スピードレース仕様となったレーサーミニ四駆。そのモチーフとなったのは、ホットショットやホーネットといった当時の人気オフロードRCカーだ。 「実際にレース志向のものを出したところ、子どもたちの食い付きがすごかったですね。やっぱり男子って誰しもそうですけど、速いものが好きなんですよね(笑)」(A氏)  男子のハートをがっちり掴んだレーサーミニ四駆は、発売の翌年には累計1000万キットの売上を記録。瞬く間にスーパーヒット商品となった。
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全盛期の公式大会画像。子どもたちの目も真剣そのもの。
 また、タミヤは小学館との共催で「コロコログランプリ」というRCカーのイベントを定期的に開催していたが、ここでミニ四駆用のサーキットも設置。ここで、子どもたちは創意工夫を凝らした改造を施したミニ四駆を持ち寄ってレースに勤しんでいた。これを見てタミヤは性能を上げるための「グレードアップ・パーツ」の発売を開始。ミニ四駆に「作る楽しさ」「走らせる楽しさ」、さらに「改造する楽しさ」が加わったのだ。 ■ミニ四駆フィーバーに沸いた80年代末   ここから破竹の快進撃が始まる。  87年末に、小学生向け漫画雑誌「コロコロコミック」(小学館)で、ミニ四駆漫画『ダッシュ!四駆郎』の連載がスタート。88年夏にはミニ四駆全国選手権大会「ジャパンカップ」が日本全国各地で開催。タミヤ社員が扮する「前ちゃん」、「ミニ四ファイター」といったキャラクターの人気もあって、累計5万3000人もの動員を記録。この現象に日本のメディアのみならず、アメリカのCNNからも取材陣がかけつけるほどの話題を振りまいた。 「当時はデパートの屋上とかで大会をやったのですが、ある場所では行列がデパートの周りで収まらず、地下鉄の駅まで伸びて、それがそのまま隣の駅まで伸びていたそうです。それだけでなく、デパートの飲食店街から軒並み食べ物が消えたっていう話もあるんですよ」(A氏)  かくしてレーサーミニ四駆は、90年には累計5000万キットを売り上げる。80年代末期はミニ四駆黄金期と言っても過言ではなかった。この時期が世に言う「第一次ミニ四駆ブーム」である。 ■ミニ四駆PROで甦る懐かしのマシン
みんなのヒーロー・ミニ四ファイター。実は
途中で2代目に交代していたのを知ってる!?
 90年代に入り、ブームの中核を担っていた小中学生が成長したことで、一旦ブームは沈静化するも、レーサーミニ四駆に続く新シリーズ「フルカウルミニ四駆」が第一次ブームを知らない小学生にヒット。それを受けて始まった漫画『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』は、メインターゲットの小中学生の間で大人気となるが、その登場キャラクターはいわゆる「腐女子」層にもがっつりブレイク。キャラクターグッズとしてもミニ四駆が受け入れられ、第二次ミニ四駆ブームが到来した。  その後、90年代末には再びブームは沈静化。新商品のリリースペースは落ちたものの、タミヤは2000年以降も公式イベントは地道に開催し続けていた。A氏は「この時期に一過性のホビーから、国民的ホビーとして定着し始めた」と回顧する。 「05年に新たなミニ四駆としてミニ四駆PROを発売したのですが、これまでは参加資格が中学生までに限られていた公式大会に大人でも参加出来るクラスを用意しました。すると、80年代当時にミニ四駆を楽しんでいた大学生や社会人の方が「洒落でやってみようぜ」と、同世代の仲間を連れて参加してくれるようになったんです。」(A氏)  ちなみに現在、ミニ四駆レースで主流となっているミニ四駆PROでは新しいデザインのマシンもリリースされているが、冒頭で紹介したホットショットJr.やエンペラーといったかつての人気マシンをリメイクしたモデルの人気も高いのだそうだ。 ■ミニ四駆が誘う、奥深い「技術」の世界 現在のブームはかつてミニ四駆で遊んでいた第一次ブーム世代の親とその子どもたち、そして現在社会人となった第二次ブーム世代が支えていると言える。小中学生が中核を担っていたかつてとは違い、非常に幅広い世代から愛されているのが「第三次ブーム」の特徴だ。  今やミニ四駆は世代を超えた、一つのホビーとして確立し始めている。
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大会に参加する親子三代チーム。もちろんおじ
いちゃんもミニ四レーサーだ!
 08年に新橋にオープンした「タミヤプラモデルファクトリー新橋店」の大型サーキットには、仕事を終えたスーツ姿のサラリーマンたちが集い、仕事帰りの麻雀ならぬレースに興じている。定期的に行われている公式レース大会では、年端もいかない少年少女から還暦を迎えるおじいちゃんまでが「ミニ四駆」というマシンを通じてコミュニケーションを重ねている。彼らは愛車に創意工夫をこらした改造を施し、レースの勝敗に一喜一憂している。筆者はそこに、日本人が古来より持っている「技術信仰」の表れを見たような気がした。 「先日、小惑星探査機「はやぶさ」が戻ってきて、日本全体がものすごく盛り上がりましたよね? ミニ四駆は、そういう最先端技術には追いついていないかもしれないけど、「技術」に触れている時の高揚感を体験できる最小のホビーだと考えています。そして『俺のマシンは最速かもしれない。これならいけるかもしれない』っていう気持ちを持って、コースの前に立ってガクガク足を震わせている子どもたち。少年時代にこの気持ちを体験できるのは素晴らしいと思うんです」(A氏)  05年には販売累計台数が1億7000万台を突破したミニ四駆は現在、「レーサーミニ四駆」、「スーパーミニ四駆」、「フルカウルミニ四駆」、「ミニ四駆PRO」、「エアロミニ四駆」、「マイティミニ四駆」など様々なシリーズが展開。07年にはタイ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、ロシア、日本の代表がワールドチャンピオンの座を争う世界大会「ミニ四駆マグナムGP ワールドチャンピオン戦」が91年以来16年ぶりに開催されるなど、いまやミニ四駆熱はワールドクラス。技術立国「日本」の生み出した地上最速のホビーは、すさまじいスピードで世界中を駆け抜けている。  ミニ四駆を通じて、言語も人種も異なる世界中のミニ四レーサーが繋がることができたら......、ちょっとだけ素敵なことじゃないだろうか。  miniyonku07.jpg ■特別企画! 「ミニ四駆GP2010」レポート in 浅草ROX  6月12日、13日に浅草ROXにてミニ四駆の公式大会が開催される! ということで、13日の取材に行ってみた。オープンクラス(年齢、ホイールサイズなどの制限なし)、大径タイヤ限定クラスという2つのクラスが同時に開催されるということもあり、老若男女問わず幅広いミニ四レーサーが集い、丁々発止の白熱レースを繰り広げた。  会場には、熱気ムンムンのホビー少年&少女やベテランレーサーのみならず、お弁当片手に来場した父子や親子三代で参加するホビー一家、10年来の美人過ぎる女性ミニ四駆ファン、地方から駆け付けた夫婦など、バラエティに富んだ参加者がズラリ。実に500人以上もの来場者を記録した。写真から会場の盛り上がりを少しでも感じていていただければ幸いである。 (取材/文=有田シュン[n3o])
ミニ四駆限定 レーサーミニ四駆 メモリアルBOX1 『ダッシュ!四駆郎』ファン、垂涎必至。 amazon_associate_logo.jpg
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手のひらに広がる大冒険!「ゲームブック」今昔物語 

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ゲームブックファンのマスターピース!『火吹山の魔法使い』
 アナログとデジタルの過渡期であった1980年代。WiiもPS3もなかったけれど、ジャンクでチープなおもちゃがあふれていた。足りない技術を想像力で補い、夢中になって集めた「キン消し」「ミニ四駆」「ビックリマンシール」......。なつかしいおもちゃたちの現在の姿を探る!   まだゲームが一日一時間と、高橋名人によって決められていたあの頃。どうしてもゲームがしたくて仕方がなかった時にお世話になったのが「ゲームブック」である。異論は認める。 ■ゲームブックとはなんぞや?  「ゲームブック」を知らないという方のために簡単に解説すると、読者は番号によって分けられた数十~数百個のパラグラフ(段落)を読み、文章の末尾にある選択肢を選んで指定された番号のパラグラフに移動。また文章を読み、次の選択肢を選ぶ。この繰り返しで物語を進めるゲーム形式の小説のことである。ちなみに本文のイメージは以下の通り。 <1> 君は今、大きな部屋の中にいる。扉は木の扉と鉄の扉がある。どちらを開ける? ・木の扉を開ける→46へ ・鉄の扉を開ける→172へ <172> 重い扉をやっとのことで開けると、大きな棍棒を手にしたオーガが待ち構えていた! いきなり殴られて君は即死した。 GAME OVER  こんな感じで、RPGやアドベンチャー・ゲームを本の形式で楽しむわけだ。ちなみに戦闘シーンなどは、サイコロで行動の成否を決めたりする。もちろん、ダメージを受けたりした場合は、ちゃんと残りの体力などをメモしておく必要がある。今にして思うと、驚くほど面倒くさくてアナログな遊びである。しかし、頻繁にゲームソフトを買うお金がないお子様にとって、お手軽に冒険を体験できるゲームブックは、代替アイテムとしてはまさに打ってつけだったのである。個人的には「またゲームばっかりして!」と顔をしかめる母親の目をごまかしながら、思い切りゲームを堪能できる点が素晴らしかった。 私「おかーさん、この本買って!」 母「あら、小説なんて読むようになったのね? いいわよ」 私(ニヤリ。計画通り......) ってな感じである。 ■ゲームブックの時代  さてさて、そんなゲームブックの歴史は1982年のイギリスから始まる。この年に発表された『火吹山の魔法使い』は、元々複数人でプレーすることが前提となっていたテーブルトークRPG(会話とサイコロによる判定で楽しむゲーム。後のコンピュータRPGの元となる)を一人でも楽しむために考え出されたものだった。本作以前にもゲームブック形式の書籍は存在していたが、パラメータ(数値化されたキャラクターの強さ)やアイテムの管理などの本格的なシステムを確立したという点で、『火吹山の魔法使い』がゲームブックの元祖と言われている。その後、84年に同作が日本語に翻訳されたちまちベストセラーとなり、日本にもゲームブック・ブームが訪れた。  80年代半ばには『ソーサリー』シリーズや『バルサスの要塞』など海外でヒットした作品やゲームブック専門誌『ウォーロック』が翻訳・刊行される一方で、国産ゲームブックも非常に多く制作された。オリジナル作品の他に、既存のテレビゲームやアニメを題材としたものも相当数発行されていたわけだが、その理由としてはまだまだゲーム機の表現力が乏しかったことや、ビデオデッキが十分に普及していなかったため、テレビゲームの副読本、もしくはアニメを追体験するためのツールとして重宝されたという側面もあったのではないか、と筆者は考えている。  つまり、当時のゲームファン、アニメファンは足りない技術を文字と数枚の挿絵から喚起される想像力をフル動員して、強引に脳内補完していたわけだ。ちなみに80年代後半には、『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』『MOTHER』といった人気RPGだけではなく、『スーパーマリオ』『魂斗羅』といったバリバリのアクションゲームまでもがゲームブック化されており、この時期はまさにームブック爛熟期であったと言える。  しかし、90年代に入るとビデオデッキはほとんどの家庭に普及し、テレビゲーム機の性能も上昇し単体で十分に物語を語ることが可能になった。ということは、代替品としての性格が強かったゲームブックの存在意義がなくなる、ということでもある。案の定、この90年代半ばには日本国内のみならず、海外においてもゲームブックは市場からほぼ姿を消してしまった。
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名作TRPG『ソードワールド』がニンテンドーDSに、
ゲームブックとして登場!
■よみがえるゲームブック  ゲームブックの刊行が止まってしまったとはいえ、ゲームブックのファンが世の中からいなくなったわけではない。21世紀に入って以降、再び世界中でゲームブックの息吹が聞こえ始めている。  海外ではイギリスのアイコン・ブックスが新ブランド"ウィザード・ブックス"を立ち上げて『火吹山の魔法使い』を復刊。その他、新作もリリースしているらしい。そして日本国内の状況はと言うと、まず創土社が01年より『アドベンチャーゲームノベル』シリーズを立ち上げ、過去の名作のみならず、新作をコンスタントにリリースしている。また、ホビージャパン社からは名作『デストラップ・ダンジョン』、『ハウス・オブ・ヘル』などが今はやりのライトノベル風イラストとテキストでリメイクされた。  その他、携帯端末という新たなフィールドでニーズを模索する動きも見られる。携帯サイト「ゲームブック・ラボR」では『ファイティング・ファンタジー』シリーズを携帯ゲームとして復活させた他、株式会社ブロッコリーは「GAMEBOOK DS」というシリーズを立ち上げ、携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」用ソフトとして『ソード・ワールド2.0』、『アクエリアンエイジ Perpetual Period』、『鋼殻のレギオス』の3タイトルをリリースした。
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twitterでも登場したゲームブック。
ゲームブックには無限の可能性がある!? 
 さらには、いま流行りの「Twitter」を使いゲームブックを再現しようとする強者までもが登場。わずか140文字のツイートを1パラグラフと考え、ツイート末尾に用意された選択肢(リンク)を選び、次のツイートに移動するというものだ(http://twitter.com/peretti/status/10731245477)。肝心のストーリーはと言うと、将軍様の統治する北の某国に潜入し、核ミサイルの発射を阻止するというちょっぴりアレな内容で、選択肢も少なくすぐにクリアできてしまう。とは言え、ゲームブックの新たな可能性を感じさせる面白い試みではある。 ■再評価されるゲームブック  「テキストを読み、文末の選択肢を選ぶ」。そのスタイルを変えることなく、今日もさまざまなメディアで断続的に新作が発表されているゲームブック。今なおファンに愛され続けるその理由は、一体何なのだろうか。テレビゲームの表現力は映画をも凌駕し、ビデオデッキどころかインターネットに接続さえできれば、いつでも好きな映像を堪能できる現代、「代替品」として消費されているとは到底考えられない。ということは、やはり「ゲーム」としての面白さが再評価され始めたためではないだろうか。  冒頭の本文イメージにもある通り、読者=主人公一人ひとりに語りかけるような、独特の文体から生まれるロールプレイ感覚。文章(と挿絵)から喚起される想像力。短いセンテンスの積み重ねから生まれるリズム感と、クリア後に用意されている長めの文章を読む時の達成感。そして「自分の手で」ページをめくり、選択肢の結果を確認するという緊張感と、その後訪れる解放感によるカタルシス。そんなアナログで、プリミティブな「快感」こそがゲームブックの魅力だと多くの読者が気付き始めた事が、ゲームブック熱再燃の理由ではないだろうか(実際、デジタルコンテンツで再現されたほとんどのゲームブックが「サイコロでの判定」「ページをめくる」などのアクションを律儀に再現している)。  さあ、全国の冒険者たちよ。書を手に旅に出よう! そして想像力という翼を広げて、自分だけの物語を紡ぐのだ! ■特別企画! 創土社ゲームブック担当者に聞く、「ゲームブックの魅力とは」!  今回は本文中でも話題にとりあげたゲームブックを断続的に刊行し続ける、冒険大好き出版社・創土社のゲームブック担当者に突撃インタビューを敢行! ゲームブックへの熱い思いを思う存分語ってもらった。 ──創土社が過去作の復刊や新刊の発行などを始めた理由は何でしょうか? 「私自身、少年時代にゲームブックファンであり、現代でも本で遊ぶゲームには独特の味があって十分に楽しめるモノだという思いがあったからです。オンラインゲーム全盛の昨今、私もオンラインゲームをよくプレーしていますが、ゲームブックにはまたそれらとは違った良さがあり、絶滅して当然のメディアとは考えていません」 ──売れ行きは好調ですか? 「儲かっていますか? と聞かれたならば、答えは「いいえ」ですね。私の自己満足で存続しているとか言われることもあります(笑)。って笑いごとじゃないな。もっと他社さんが「うちもゲームブックを」とどんどん参入するくらいにがんばらねば。他社さんもちょっと参入するものの、後が続かないのはやっぱりコスト的に難しいからでしょうね」 ──では、読者の反響はありますか? 「実売部数が少ないので、絶対数は大したことありません。ただ、それを考慮すると相対比率としては驚異的な反響があるとも言えます。また、ひとりひとりの声がすごくパワーがあるんですよね。それにお手紙やメール以上に多いのが、ファンの方が直接私に電話してくるケースです(笑)。そういう反響があると、多少赤字でも頑張らねばって思っちゃうんです」 ──ファンの心をいつまでも捉えて離さないゲームブックの魅力とは何でしょうか? 「『ゲーム』であり『ブック』であることが特徴ですが、だから魅力的だということはとくにありません。ストーリーがダメな小説は面白くないし、システムが手抜きなゲームがつまらない。それと同じで、ゲームブックも作り手次第で玉石混交です。ストーリー性を重視したゲームブックは小説のように感動できるし、パラグラフ構造の練りこまれた作品は匠の心を感じさせます。要は作品次第ってことですね」 ──ありがとうございました! これからもゲームブックの火を絶やさないよう、無理をしない程度にがんばってください! (取材・文=有田シュン)
火吹山の魔法使い これが元祖にして本家! amazon_associate_logo.jpg
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