元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の29回目! 今回はセイントフォーの元メンバー、声優としては『デビルマンレディー』の不動ジュン、『カードキャプターさくら』の大道寺知世、『妖しのセレス』のセレス……などなど、数え切れない作品で活躍中の岩男潤子さんが来てくれました!
――この連載についに元セイントフォーが来てくれました……! 岩男さんが「いわお潤」としてセイントフォーの正式メンバーになってから、どれくらい活動されたんですか?
岩男 1年ぐらいです。
――けっこう短かったんですね。
岩男 私が入ったときには、もう解散時期も決まっていて、その解散に向けてのスケジュールはびっちりだったんですけど、まだ解散することはお知らせしていない状態で。わずか1年ぐらいだけど、精一杯がんばろうという気持ちでした。
――終わることがわかっているなかでやるっていうのは、心境としては複雑じゃないですか?
岩男 でも、アイドルの活動っていうのは、年齢もそうなんだけど、ある程度決まっているものなのかなって。オーディションに受かったときは、正直、アイドルとしてデビューすることを目標としていなかったんです。当時は、朗読とか、童謡やバラードを歌う歌手になりたくて、でも、それをどうすればいいのかわからなくて……。そんななかで、1番最初に受けたオーディションがセイントフォーだったんです。はじめに「解散時期が決まっている」と説明はされたんだけど、「もしかしたら延びるかもしれないし」という思いもありましたし。でも、“あること”が理由で辞めてしまったので、解散ライブには出席できなかったんですけど……。そのあたりのことは、この度のフォトエッセイで初めて書いてあるんです。
――フォトエッセイ『voice-声のツバサ-』(ジービー)、すごく綺麗な装丁で写真集かと思ったんですが、エッセイ部分では、いじめに遭ったり、悪い大人に騙されたり、ストーカーに遭ったり、闘病したり、かなり壮絶で驚きました……。そういえばセイントフォーは元メンバーの半数以上が脱いでますし、心中お察しいたします。解散当時、岩男さんはまだ高校生ですよね。
岩男 はい。17歳のときでした。解散ライブは出られないけれど、通っていた定時制高校の卒業式はきちんと出席して、本来の目標に向かって、また進んでいきたい、勉強し直したいと思って、アルバイトをしながら高校に通っていましたね。当時は、お笑い芸人さんが多く所属する石井光三さんの事務所にお世話になりながら、石井さんとのデュエットレコードを発売して、そこで「潤」という名前でソロデビューさせていただいたんです。けど、そこからまた何も決まらなくて……ずっとアルバイトでしたね。
――どんなアルバイトをされていたんですか?
岩男 高層ビル街の社員喫茶のウエイトレスを。
――社員さんに口説かれたりしなかったですか?
岩男 全然そんな感じじゃなかったです(笑)。私は本当にドジでのろまな人間で……『スチュワーデス物語』でありましたけど、本当そんな感じで。セイントフォー時代にも「ドジでのろま」ってよく言われて、それでよく泣いていました。それでバイト先でもまた言われていて……。
――それは、筋金入りですね! 果てしなく辞めたくなります!
岩男 でも、私、13才でオーディションに受かって上京して、父親との約束で「10年間で、自分の歌が出せないようだったら、あきらめて帰って来なさい」っていうタイムリミットがあったので、いろんなことに必死で……。セイントフォー時代から、とにかく声を嫌われていたんです。「アニメ声が受け入れられない」とか「ぶりっ子声」とか、本当にいろんな人に言われて、ウエイトレス時代も「イラつく声だな」って言われていたので、辞めたくなくても、辞めさせられたというか……。
――お、おお……。
岩男 それで、もう声を出さない仕事をしようと思ったの。派遣社員として、入力作業を覚えられれば、パソコンに向かって誰とも会わずに仕事ができるから。それで会話をしなくて済むような仕事を選んで、高校卒業するまでは事務員ですね。いろんな現場に派遣されてました。
――さびしい選択……っていうか、それでまだ高校生だったんですか!? 13歳で上京といい、ハード過ぎますよ!
岩男 たまには、何をしたいのか聞いてくれて、「それならこんな仕事があるよ」って、デパートの屋上で司会をさせてもらったりもしたんですけど、そこに歌手の方が来たりするとね、「歌手の誰々さんです、どうぞ!」って言いながら、うらやましくて、舞台袖から「自分もここにいきたい」と思って……。「やっぱり心を閉ざしてはいけないんだ!」って一念発起して、歌を入れたデモテープを、プロフィールと一緒にいろんなところに配ったりして(笑)。でも、デスクにはさっぱり読んでもらえない資料が積み上がっているのも見るから、いかに厳しい世界なのかを思い知らされながら、OLをやって、高校に行って、売り込みをやって、声優さんの仮歌を歌わせてもらったりしていました。
――ダラダラしていただけの自分の高校時代が恥ずかしくなってきました……。さらに、なかなか表舞台の仕事にたどり着かないので不安になってきます……。
岩男 父が決めたタイムリミットの23歳を迎えたときも、まだ東京駅のキオスクと、宝石屋の販売員をしていて、とにかく生きることに必死だったんですよね。“23歳”というのが自分のなかで離れなくて、「ここで何かを決めなければ、実家に帰らなくちゃいけない……」と焦っているときに、たまたま以前お仕事をしたことがある芸能関係の方が、東京駅のキオスクを通りがかって、「あれ? 今はどうしてるの? 芸能の仕事は?」って言われて、「オーディションはたくさん受けているんだけど、勝つことができないんです」って言ったら、「歌える声優さんを募集しているから、応募してみたら?」って。それがNHK総合の『モンタナ・ジョーンズ』っていう、今からちょうど20年前の作品で、オーディションは受けたものの、なかなかお返事がこなかったから、「これはダメだったな」と思って、アパートの更新も迫っているし、もう引っ越しもしなくちゃならない。引っ越しの荷物に囲まれながら、オーディションの結果を待つっていう感じ。大家さんにも「もう出て行ってくださいね!」って言われて、泣きながらダンボールの封を閉じていたら、そこに、「1年間ヒロインでお願いします」って、オーディションの合格の連絡をいただいて。
――いろいろとギリギリ!! 肝が冷えましたね!!
岩男 そうなんです(笑)! 「10年間がんばったな……」って、泣きながら閉じていた荷物のテープを今度は喜びいっぱいで剥がして、やっと実家の父と母にも、「もう1年がんばらせてください」って連絡することができて。そのとき、両親が「あと1年じゃないよ。あと10年がんばりなさい」って言ってくれて、そこからまた、10年がんばろうって気持ちで、23歳からのスタートです。
――素敵なご両親ですね……! そしてついに声優人生の幕開けが!
岩男 放送は24才のときなので、1994年の4月に自分が初めてアフレコしたアニメが放送されて、そこからNHKの『モンタナ・ジョーンズ』のイメージソングを歌うお仕事もいただいて。それも、あくまでも“声優さんの仮歌”として歌ったものだったんですけど、なんとそれがポニーキャニオンさんのサプライズで、「君が歌ったこの歌が、君のデビュー曲だよ」って言われて。
――ヒュ~かっこいい~! ポニーキャニオン、粋~!
岩男 すごくビックリしましたよ、本当に! キャラクターしてのシングルも、岩男潤子としてのシングルも、ほぼ同時に2枚リリースして、それが入ったアルバムも作りましょう、という夢のようなお話で! そこから、憧れていた歌手としての活動と、声優としての活動を全力でがんばると決めたんです。「どっちかにしなさい」「なんで中途半端なことするの?」って厳しいことも言われていたんだけど……。
――え、岩男さんの周り、辛辣なこという人多くないですか(怒)?
岩男 器用にどっちもできてたら何も言われなかったんでしょうけど、なんせドジでのろまだから(笑)。歌って言われたら歌のことにしか集中できなかったんだろうし、おそらく「どっちがいい!」っていうものでもなかったと思うんですね。歌があったからセイントフォーにも入れたし、どっちも私にとってはなくてもならないもので。だから、こだわりぬいて、プロフィールにも「声優・歌手」と、今でも書かせていただいてます。
――いっぱい書いて! というか、声優として何作ぐらいに出演されたかご自分で覚えていますか?
岩男 そうですね。デビューしたときは、スケジュール帳にも週に一度『モンタナ・ジョーンズ』と書いてあるだけで、後はキオスクに通い続けていたので、「早く声優、歌手というお仕事でスケジュール帳が真っ黒になるといいな」と思って、それを目標にしてましたけど、気がつけば、ゲーム、その主題歌、キャラクターソング……あんなにやりたくてもできなかった歌のお仕事もたくさんいただいて。アニメも、子どもの声、動物の声、お母さんの声、と幅広くやらせていただいて、気がつけば何百作品と、もう数えきれないほど……!
――なかでも、印象に残っているお仕事はありますか?
岩男 やっぱり、デビュー作の『モンタナ・ジョーンズ』は、マイク前に立つのも初めてだったので、当時の主役の大塚明夫さんとか、中尾隆聖さんとか、滝口順子さんたちに、手取り足取り、厳しくも優しく指導していただきながらのアフレコで、すごく印象に残ってます。
――その豪華メンバーに手取り足取り教えてもらうのは、養成所に何十万積んでも無理ですね……!
岩男 『カードキャプターさくら』については、原作本を見て「なんてかわいいんだろう!」って思って開いて見たら、歌が大好きな大道寺知世ちゃんという役がいて、「そこに私も入れたらいいな~」と思っていたときにオーディションをやらせていただいて。歌を歌うキャラクターを演じたいと思っていたので、その夢が叶ったのが『カードキャプターさくら』でした。その後もたくさん出演させていただいて。今も『魔法少女まどか☆マギカ』で担任の先生をやらせていただいて、シリアスなお話なんですけど、先生だけコメディなんです。これまで無口で、おとなしいイメージがついていたんですけど、役を通じて「岩男さんっておもしろい人なんだね!」って声をかけてもらえるようになって、すごく楽しいです。
――つくづく、声を出す仕事を封印しなくてよかったですね~!
岩男 そうですね。声を封印していた時期があったからこそ、反動もありましたし、あるオーディションで「君の声は子どもに喜ばれるよ」って言っていただいたときに、目の前の閉ざしていた扉が開いたような想いがしたので、うれしかったです。いろんなことを封印しながらも、やっぱりあきらめきれてはいなかったんですよね。子どものころの自分に、「あきらめないでね、10年、20年先にはすばらしい出会いが待っているから」って言ってあげたいな。そう思えるぐらい、今がいちばん楽しいと思える人生になっています。
――素敵すぎる! 最近ではフランスや台湾などなど、海外でも活躍されていますね。それはどういう流れで呼ばれるんですか?
岩男 そうですね。私が声優デビューする前から、仮歌のお仕事でチャンスをくださっていたのが、音楽家の田中公平先生(藤子不二雄作品やドラゴンボール、ポケモン、サクラ大戦の音楽を手がける偉人)だったんですね。田中先生が「いつか自分の歌が歌えるチャンスに恵まれたらいいね」って、数々の仮歌のチャンスをいくださって。その後、私が声優デビューして、歌う機会に恵まれはじめたとき、ようやくある作品で再会できたんです。そうしたら、「アニメの世界にようこそ。待ってましたよ」って言ってくださって。
――辻仁成の「やっと会えたね」より惚れるセリフです……!
岩男 その田中先生が「よく歯を食いしばって、がんばってきたね。フランスで開催されるジャパン・エキスポの舞台にシンガーをひとり招くことができるんだけど、僕はあなたを選びます」って言ってくれて……。なので、もともとは田中公平さんのステージで、私が呼ばれて行ったわけじゃないんです。だから、会場では「あの人、誰?」って人も多かったんですけど、公平さんが「この方が『エヴァンゲリオン』『カードキャプターさくら』『パーフェクト・ブルー』に出演されている、岩男潤子さんです」って紹介してくださったら、お客さんが「生の未麻(パーフェクトブルーの主人公)なんだ!」「エヴァンゲリオンの委員長!」「るろうに剣心の巴に会えた!」って感動してくれて、みんな大好きだって言ってくださって。
――アニメは放送時に現地の言葉で訳されているけど、ファンはあえて日本語で聞くんですよね。
岩男 そうなんですよ。日本だけじゃなくて、世界の人たちもアニメを見てくれているんだって思ったら、私も感動してしまって。翌年には、「ソロライブを開きませんか?」っていうお話をいただいて、アニメカフェでソロライブもさせていただいて……! そうやって海外に行くきっかけを作ってくださった田中公平さんには本当に感謝です。その2カ月後には、台湾のファンの方が企画してくださった岩男潤子の公演があって、そこに、公平さんをスペシャルゲストにお迎えさせていただいて、公平さんがジャパン・エキスポのために作ってくれた新曲を披露させてもらったりして。
――美しい師弟愛! 台湾は日本の文化に詳しいから、ライブは盛り上がりそうですね~。
岩男 そうですね。アニメを通して日本語を学ばれる方も多くて、公演中は通訳の方が隣にいてくれるんですけど、みんな私がしゃべったことをリアルタイムで笑ってくれる(笑)。歌のタイトル言うだけで感動してくれたり……熱かったですね、台湾(笑)!
――今後、ライブをしてみたい国はありますか?
岩男 フランスと台湾には、どちらも2年連続で行くことができたので、来年も……と思っています、フフフ。ジャパン・エキスポで歌っているときは、スペインの方が「スペインにも来てください」って言ってくださったり、台湾に行ったときは、「香港、中国にも来てください」って言ってくださって。
――香港、中国の方は、岩男さんのライブのために台湾まで行ってたってことですね? すごい!
岩男 フランスでも、「アメリカにも来てほしい」とかありますし、みなさん、そういって声をかけてくださるので、いろんなところに行きたいです。
――ワールドワイド! こんなに活動の幅が広がると思っていましたか? まさかスケジュール帳に、四ッ谷とか飯田橋とかキオスクとかじゃなく、フランスと台湾と書くなんて!
岩男 思っていなかったですね。そういえば、『モンタナ』が決まったときに、両親から「日本でとどまってはダメなんだ、もっと視野を広げて世界中の人に潤いを与えてあげるような人にならなくちゃ。責任重大な使命をもって親元を離れたんだから、ちょっとやそっとのことで負けてはいけない」ってことを言われて、だから、それが自分のある意味スタート地点になって……。その時に世界を目指そうとは思っていましたけど、まさかこんなに早く叶うなんて!
――だから潤子って名前なんですかね、どこまでも素敵なご両親(涙)! 国内の活動では、コミケにも参戦しているとのことですが、それはまたどういった流れで?
岩男 コミケを薦めてくださったのも田中公平さんさんなんです(笑)。公平さんと、現在の私の音楽活動のプロデューサーの川村竜さんという方。川村さんは、国際コンテストのコントラバスで優勝された方で、今、公平さんや中川翔子ちゃんのバンドマスターもされているんですけど、そんなお二人の薦めだったら……。
――乗るしかないですね! どんな作品を作ってるんですか?
岩男 「一人でも多くの方に声を知ってもらわなくちゃいけない」と思って、普段はバラード中心の真面目な歌を歌っていることが多いので、コミケではうんと弾けて、普段見せない、聞かせていない声で、ドラマCDにしました。フフフ。お笑いたっぷりの弾けたドラマCDを3作作って、夏、冬、夏と参加して、また冬が抽選で決まれば、参加したいな!
――自分で手売りしているんですか? ストーカー被害にも遭われましたし、危険はないんでしょうか?
岩男 ……? 今まで心配したことがなかったです。危険も全然ないですし、みなさん本当にそれこそ20年前のソロコンサートのころから、ライブ会場の人が驚くぐらいマナーがよくて、「整列してください」って言ったらすぐに並んでくれますし、会場の方にも「帰るときにチリひとつ落ちていない」「岩男潤子さんのファンの方は本当にマナーがよくて、感動しました」ってよくファンの方を褒められるんですよ。
――すごい! 何か特殊な訓練でもしているんですか?
岩男 何もしていないんですけど、優しい方が集まってくれて、みんなのおかげで10年、20年を迎えられるし、本当にいい仲間に支えられています。
――マナーが残念なアイドルファンは全員岩男潤子ライブで修行を積むべき! ちなみに、新しいアルバム『voice』には、どういった曲が入っているんですか?
岩男 私が『KEY THE METAL IDOL』というアニメに出演させていただいたときに「手のひらの宇宙」という、ファンの方が合唱できるぐらい覚えてきてくれる歌を作ってくれた濱田理恵さんと寺嶋民哉さんのコンビにお願いした『voice』というタイトル曲から始まり、カードキャプターさくらの音楽が大好きで、その音楽を担当されていた根岸拓哉さんにお願いしたり、大好きなシンガーソングライター相曽晴日さんでしたり、私の初めて作った歌に作詞を付けてくれた森由里子さんでしたり、もちろん田中公平さんの曲でしたり、この20年間を、力強くサポートしてくれた皆さまに、「おかげさまで20年目を迎えることができました」というご報告とともにお願いした楽曲ばかりです。
――売れ行きのほうはどうですか?
岩男 おかげさまで、初回プレスが完売しまして、それで、11月4日に、館内アプローズというホールコンサートが決まったんです。ここで、初回プレス完売祝いで、みなさんにおめでとうを言ってもらえたらうれしいなと思って。
――完売おめでとうございます! しかしながら、声優業に歌手業のツアーにキャンペーンに、本当に忙しいですね……!
岩男 もっと忙しくしたいぐらい。毎日どこかで歌っていたいです(笑)。
――そんな岩男さんですが、今までで引退を考えたことはありますか?
岩男 23歳以降は、本当にたくさんの仕事をさせていただいて、充実はしていたんですけど、結婚もして、10年間は結婚しながらお仕事をさせていただいていたんですけど、その後、まさかの離婚も経験することになって……そこからのダメージが体にきてしまって、離婚した翌年に倒れてしまったんですね。精神的なものというより、過労でしたね、完全に。耳の病気になって、ウィルスが脳に近いところに溜まってしまって、後頭部にすごい痛みが走ったんですよ。病院に行ったら「即手術」ということで、鼓膜からチューブを入れて膿を吸い出して……。「耳は聞こえなくなるだろうし、もしかしたら歩けなくなるかもしれない」って言われたんです。
――声優・歌手の命の耳が……!
岩男 その手術の後は、顔面全体に痛みが広がって、手術の方法によっては亡くなる方もいると聞いて、手術をしていいのか迷うぐらいだったんですけど、実際は迷うヒマもないままに麻酔を打って即手術だったので、カチャカチャという音と、膿を吸い取られる気持ち悪さが、術後もずっと離れないのが辛かったです。手術後に車いす生活になって、そのときに「終わってしまった……」と思いました。「まだ終わりたくないのに、これが引退のときなのか」って。歩行困難で、何カ月も続くリハビリが苦しかった。川村竜さんとコンサートをした翌々月の手術だったんですけど、腫れたすごい顔を誰にも見られたくなくて、メンバーには誰にも知らせませんでした。あのときは、初めて母も「もう、帰ってくる?」って言ったぐらい。
――そういう状況で、鬱になりませんでしたか?
岩男 そのときはね、「鬱病にならないように」っていうお薬も飲んでいて、それでも、なんかこう、「こんな人生だったら、ないほうがマシなんじゃないか」って思い始めたときもあって。でも、本当は鬱になりたくないって気持ちもあるから、本棚には『鬱にならない方法』とか『前向きに生きる方法』とか、そういう本がたくさんあって(笑)。それってもう実際は鬱病だったと思うんですけど、当時はそういうタイトルを見て励まされていたのかな。ファンの方から、「カードキャプターさくらの知世ちゃんの声は、もう聞こえないんですか?」とか、「知世ちゃんの歌は聴けないんですか?」っていうお便りが届いても、もう、音も楽器も錆びて聞こえるぐらいだったんですよ。テレビも見たくないぐらい、なんの音も聞きたくなかった。そんなときにパソコンから、自分が歌った『カードキャプターさくら』の大道寺知世の歌が聴こえてきて、そこでやっと「がんばろう」って思えたんですよね。だから、アニメに救われて、アニメに支えられて、一歩踏み出せたというか……。今も、耳にチューブが入っているんですけど、聞こえなくなるって言われた耳も聞こえるようになったし、歩けるようにもなった。だから、同じ病気で苦しんでる人がいたら、あきらめないでって伝えたいです。
――想像を遙かにこえる壮絶さでした……。そんなことがあっても捻くれずに明るくて優しさを保てる岩男さんはどこまでも偉大です! 今後の野望があれば、是非教えてください!
岩男 昔から、声を嫌われていじめに遭っていたんですが、今は、そういういじめを苦に幼い人たちが命を絶ってしまったり、夢をあきらめてしまったりするでしょう? そういう人たちに、「自分もそういうときがあったけど、大丈夫でした!」って言いたいなって。ライブとか、イベントとか、握手会で、少しでも「目指しているんです」って言ってくれたら、「あきらめないでがんばって!」って直接言ってあげたい。自分の経験を通じて、希望と言っては大げさですけど、それを与えてあげられるような人になりたいですね。
――まさに聖母……! どうもありがとうございました!
(取材・文=小明)
●いわお・じゅんこ
大分県別府市出身。『カードキャプターさくら』(大道寺知世)、『新世紀エヴァンゲリオン』(洞木ヒカリ)、『魔法少女まどか☆マギカ』(早乙女和子)など、新旧問わず話題作に出演し、今年声優活動20周年を迎えた。
2009年よりプロデューサーにベーシスト川村竜を迎え、前作「やさしさの種子(たね)」などを発表。パリで開催されるジャパンエキスポ出演や、今年2月には2度目の台湾単独ライブを行うなど、国内外に於いて、さらなる飛躍を誓い活動中。
『岩男潤子20th Anniversary -voice- in 横浜』
11月24日(月・祝)関内/アプローズ
“ voice 初回プレス完売記念ライブ”
開場17:00 開演17:30 終演予定 20:00
出演:岩男潤子(Vo)川村竜(b)鈴木直人(gt)真部裕(vln)成田祐一(p)
齋藤たかし(d)
*チケット¥5,500(当日¥6,000 ・ 全席自由)
*学生:前売り当日共¥5,000
*イープラスにてお求めいただけます
*本公演はドリンク・フード等ございません
*会場:アプローズ
*住所:横浜市中区太田町2-23 横浜メディアビジネスセンター1F
『岩男潤子20th Anniversary -voice- in 京都』
12月13・14日(土・日)京都/都雅都雅TOGATOGA
■12月13(土) 【heal for people vol.80】
開場13:30 開演14:00 終演予定16:30
出演:岩男潤子(Vo) 川村 竜(B) 熊谷ヤスマサ(P) 鈴木直人(G)
■12月13日(土) 【岩男潤子トークライブ in TOGATOGA】
開場18:00 開演18:30 終演予定20:30
出演:岩男潤子・川村 竜
*チケット¥4,000(当日¥4,500・全席自由・ドリンク別)
■12月14日(日) 【heal for people vol.81】
開場13:00 開演13:30 終演予定16:00
出演:岩男潤子(Vo) 川村 竜(B) 熊谷ヤスマサ(P) 鈴木直人(G)
*チケット(13日昼及び14日)¥4,800(当日¥5,300・全席自由・ドリンク別)
*整理番号順入場(FC優先入場)
*住所:京都市下京区寺町通四条下ル貞安前之町639 B1
*各プレイガイドにてお求めいただけます。
*学生証ご持参の方、各500円割引いたします。
●ししど・るみ
1973年、福岡県生まれ。1990年にアイドルデビュー、18歳でフリーアイドルになり現在まで様々な分野で活動中! フランス、ドイツ等でもライブを行い音楽活動で高い評価を得ている。
ルミネッセンス
形態:8曲入り
定価:¥2,500(税込)
品番:SNDL-0003/JAN:4514306011869
レーベル:sundaliru
公式ブログ http://s.ameblo.jp/sundaliru/ ●あかり 1985年、栃木県生まれ。02年、史上初のエプロンアイドルとしてデビューするも、そのまま迷走を続け、フリーのアイドルライターとして細々と食いつないでいる。『卑屈の国の格言録』(サイゾー)、『アイドル墜落日記 増量版』(洋泉社)、DVD『小明の感じる仏像』(エースデュース)発売中。ブログ「小明の秘話」<http://yaplog.jp/benijake148/> サイゾーテレビ<http://ch.nicovideo.jp/channel/ch3120>にて生トーク番組『小明の副作用』(隔週木曜)出演中。ニューシングル「君が笑う、それが僕のしあわせ」発売中<http://www.cyzo.com/akr/>。

元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の28回目! 今回は「ロリータ18号」の元ギタリスト、『がんばれ!おでんくん』では、つみれちゃんやペロの声優をしているエナポゥさんが来てくれました!
――エナポゥさんはギタリストでボーカリストでイラストレーター、さらに声優業までされているんですよね。今日はいろいろご教示ください!
エナポゥ(以下エナ)いやいや、それで忙しくてあたふたしているっていうならアレですけどね、なんかもう自由に生きているだけな感じです……。
――芸歴は今、何年くらいになるんですか?
エナ 芸歴? 何から始めて芸歴と呼ぶか…バンドを始めたのは高校の軽音部からですね。でも、それは芸歴に入るのか!? 「ロリータ18号」に入ったのは1991年かな。
――ということは……23年! 思い出の引き出しもたくさんありそうですね。
エナ もうね、記憶が曖昧で、引き出しが開かなくなりつつあるんで、フフフー。
――昔から芸能に興味があったんでしょうか? 例えば子どもの頃とか。
エナ いやいや、子どもの頃は、人見知りでモジモジしていて、石をひっくり返して遊んでいるような子でした。石の下のジメジメした場所に生息する虫を見て「ひゃー!」って。
――わりとヤバイ! 高校は軽音部で、小・中学の部活はどんなものを?
エナ 小学校のときはローラースケート部に入って、屋上でローラースケートをしていました。
――エキサイトするとそのまま墜ちそうで恐いですね。
エナ で、中学のときは卓球部に入ってました。多分、黙々と一人でやることが好きだったんですね。壁打ちとか、素振りの練習とか。でも、うまくはならなかったです。やっぱり、一人でやらないで、うまい人とみんなでやらないと!(笑)。だから、卓球は長続きせず、中2のときに自宅の物置にギターがあるのを発見して、それでギターに目覚めた感じですね。パパさんが若い頃に友達から買った、モズライト(ギター)とアンプで5,000円のやつだったんですけども。ホラ、石の裏の虫を探しているような子だったので、物置の中をゴソゴソと「何があるかな~」ってやってたら「ギター見つけた!」って(笑)。
――そのギターとの出会いから、やがてプロのギタリストになるなんて、映画のオープニングのようですね。
エナ そうですね。映画化してもいいぐらい。してください、ぜひ!
――サイゾーにそんな財力はないです! お父さまもギターがうまかったんですか?
エナ それが、パパさんは『禁じられた遊び』しか弾けなかったんですよ。チューニングも全然わからないって言われて、しょうがないから、かき鳴らすくらいでジャーンってメチャクチャ弾いてて。それから高校受験があったので、うちのママさんが「高校に受かったら自分のギターを買ってあげる」って言ってくれて、高校から本格的にやり始めたんです。カセットテープつきの教本とかで勉強して……カセットってところで、すごく年がわかっちゃう感じですね(笑)。
――高校の軽音部は、どんなバンドを組まれてたんですか?
エナ 私の学年の軽音部にはバンドが2つしかなくて、あんまりメンバーもいなかったんですよ。だから2つのバンドを掛け持って、JUN SKY WALKER(S)とかカステラとかTheピーズとかのコピーをして……これもまた世代がわかっちゃう感じですね。フフフー。でも、そこでみんなでバンドをやる楽しさを知ったんです。
――その後、すごく良い大学(当社比)に進学されましたよね。すごいですよ。音楽をやりながら勉強もって。
エナ 一応、進学校だったんで、なぜか推薦入学で入れちゃって……。そこの大学がわりとバンドが盛んなところで、サークルで知り合った当時ロリータでドラム叩いてた子に「ロリータ18号ってバンドがあるんだけど、ベース弾かない?」って誘われて「ベースならヘルプでもいい?」みたいな軽い感じでロリータ18号に入ったんです。その後ギターになったんですけど。
――おお~! 伝説が始まった感! しかしながら、良い大学ですし、大学卒業後に就職しようとは思わなかったんですか?
エナ すごい思いましたよ、5時に帰れるから公務員とか! 将来をいろいろ考えて、みんな就職活動をしているときに、ママさんに「バンドをするか、就職をするか」って相談したら「エナちゃんはスーツが似合わないから、バンドでいいんじゃない?」って言ってくれて。そっから、バンドやりながら、バイトをして、ライブをやったりして。
――かっこいいお母さまですね! それからロリータ18号としてBENTENLabelからリリース、メジャーデビュー、海外でのメジャーリリース、全米ツアー、ヨーロッパツアーと怒濤の日々を送るわけですが、ガールズバンドということで、アイドルグループみたいに“恋愛禁止”みたいなのはルールはありましたか?
エナ なかったなかった(笑)。かと言って、恋愛ができるかっていうと、ずっとライブの全国ツアーとかで休み無くて、家にも帰れない状態だったから家賃ももったいない感じだったんで。ほんと家賃返してほしいよ~。
――1年のうち、家にいる時期はどれくらい?
エナ 1/3くらいかな~。でも、家にいる時も曲作ったり、あとレコーディングしたり取材があったり、なんだかんだで忙しくて、あの頃が人生の忙しさマックスだったかな。
――いやらしい話なんですけど、その忙しさマックス時で、どれくらい儲かっていたのでしょうか……?
エナ 全然儲かっていないですよ! その頃、事務所が給料制だったんですよ。「給料制と歩合、どっちがいいか?」って言われて、給料制にしてたから!
――おお、わかりますよ。売れていない時は安定を求めて給料制がいいけど、忙しい時期は給料制が憎らしくなるんですよ。
エナ そうそうそう(笑)!
――メンバー同士でケンカになったりはしないでしょうか?
エナ 殴り合いになったりはしないけど、ライブで「あそこのテンポが早かった」とか言い合いみたいなのはあったかも。でも、家族よりも一緒にいる時間が長いから、もうお互いに細かいことは気にしなくなって空気みたいになってきますね(笑)。
――その、10年続けたロリータ18号を辞めたきっかけは?
エナ 辞めたきっかけは、本当にライブばかりやって、ロリータ18号で自分がやりたいことはやりつくしたかなと。ドラクエで言ったらレベル99まで行っちゃったよ、みたいな。それで「もう後悔はない。転職しようかな」とダーマの神殿に行ったわけです。
――ロリータ18号のページに「もも栗3年柿8年、エナポゥ10年。エナポゥは人生の節目をつけることにしました!」ってものすごい元気に書いてあって、全く悲壮感のない脱退発表でしたね。
エナ 悲壮感なんて、ないない! ないですね! 辞めて、フリーというか、全部において自由になったんです。そして辞めたのが2001年の12月8日だから、もうずいぶん経ちましたね~。ヤバイ!
――当時、名前はまだエナゾウさんでしたよね。なぜエナゾウからエナポゥに変わったんですか?
エナ エナゾウは、画数が12なんですよ。私、占い大好きで、姓名判断とかすごい気にしていて、エナゾウだと年をとるたびにどんどん衰退していく、波瀾万丈で大凶だったんですよ。だから、辞めるときに13画になったらいいなと思って、エナポゥに変えて。エナポウのウは、大きいとあんまり可愛くなかったんで、小さく。でも、エナゾウのほうがまだ日本人ぽいのかな。エナポゥってまず、「ナニ人ですか?」って聞かれます。
――“ポゥ”にパンチがありすぎるんですよ! その後、どういうきっかけで声優に?
エナ 声優になったきっかけね! そのときのことはすごくよく覚えているんです。ロリータ18号時代に文化放送で『インディーズ大辞典』って番組をやらせていただいてたんですけど、そこに宍戸留美さんがゲストで来てくださって。そこで「アニメ監督が、エナちゃん声優やってくれないかな~って言ってたよ」って伝えてくださって、「やりたいやりたい!」って。それから声優のお話がいろいろつながっていってくれて。「いつか、また留美さんに会えたら御礼をしなくては……」と思っていたら、『プリティーリズム』(テレビ東京)のオーディションで会えまして。でも、オーディションだったから、これに落ちたらまた会えないし、今のうちに全部言っておこうと思って「留美さんに会わなかったら、声優やってなかったです!」と。
――そして宍戸さんが天羽ジュネ役、エナポゥさんがラブリン・ピコック・エスニ役と、二人とも受かってるのがすごいですよね。
エナ よかったです、本当に!
――私はてっきり忌野清志郎さんの勧めで始めたのかと思ってました。
エナ そうそう! 脱退ライブのときにビデオレターをもらって、それで清志郎さんが「エナゾウは声優になるように」って言ってくださって。「やりたいのは山々だけど、なるようにって言われて、なれるものかな~」って思ってたんですけど、そのライブを見ていたアニメ監督の小林治さんが「誘おうかな」って思ってくれたのかもしれないですし。
――そこに宍戸さんも交差して、ドラマチックな人生ですね。
エナ そう! ドラマチック! また会えると思わなかったし! 初めてのアフレコのことはすごい覚えていて、マイクの後ろにみんなで座って、自分の出番になったら立つっていう緊張と、みんなすごいセリフを練習しているし、「どうしたらええんや!」ってドキドキしましたよ。私は変な声だから、「こんな感じの声でお願いします」って言われても「こんな感じでって言われても、その声、どうやって出すんだろう!」って慌てて……。声を張らなくちゃいけないけど、吹いちゃうとダメだし、みんながやっているのをマネして勉強しました。マイクに行くまでに緊張しちゃうし、台本をパタパタして音出ちゃうし、「まず手の震えを直さなければ!」みたいな。
――現場では完全に挙動不審!?
エナ そう、まさに私にピッタリの言葉、挙動不審。挙動不審な感じがモワーって出てしまう。あの、声優養成所をでたりしてる若い声優さんは、30分前には来ているし、必ず挨拶をしてくれるんですよ。多分、ちょっと年齢が上=先輩だと思ってくれてるんでしょうけども、みんな丁寧に「どこどこ事務所の誰々です!」って言ってくれるから、挙動不審になりながらも「こんなに挨拶されることってないし、ちょっと気持ちいいな」と思ったりして。フフフ
――その頃は、無所属で仕事をしてたんですか?
エナ 無所属というか、ロリータ18号を辞めてからは、ずっと事務所なし(フリー)です。
――無所属で、これだけの仕事こなせるって相当ですよ!
エナ 相当ですか? 本当ですか? 忌野清志郎先生と宍戸留美さんのおかげです。でも、私、なかなか人間の役っていうのがないんですよね。
――何の役が多いんでしょうか?
エナ 鳥です。人間では、『BECK』のときにカヨちゃんっていうかわいい女の子の役をやったけど、ペイジっていう「クギャオ!」って言ってるオウムもやったし、その後の『海底二万里』のときも鳥だった……。それから『おでんくん』の具とか、犬とかウサギが入りまして、その後の『プリティーリズム』も、あれは鳥かな? ペンギンかな? でもペンギンも鳥か。なんか、鳥類専門なんですかね?
――国籍だけじゃくて、人類かどうかすら怪しくなってきますね……。声優業で苦労したのはどんなところですか?
エナ 自分ではそのキャラでやっているつもりが、マイクを通すと全然なっていないというか……。なんだろうな? 恐らく、誰もが一度は経験する、マイクの前で何度も同じことをやって、どんどんハマって、蟻地獄のように、「すみません、すみません」ってなる感じ? あれが大変です。自分ではいいと思ってやっていることが「違う」って言われるんですよ。それでわかんなくって、噛んじゃったりとか。で、「もう何やってんだぁ、パタパタパタパタ(手を振りながら)」みたいな。
――あ、鳥っぽくなってる。
エナ そう、ほんとに鳥っぽくなっちゃう。
――仕事で落ち込んだときは、どのように解消されるんですか?
エナ お酒を飲むしかない(即答)。飲んで忘れるというか、「そんな日もある!」とか「ダメだったのかもしれないけど、OKが出たんだからOK!」と自分で納得して。でもOA見て、「ひゃーもう一回やりたい~」って!(パタパタパタパタ)。あと、すごい好きな声優さんにお会いできたときは、ふわーってなりますよ!八奈見乗児さんとか!(パタパタパタパタ)。はー、なんかもう、暑い~。
――文字なので伝わらないですけど、暑いのはエナポゥさんがしゃべりながらずっとパタパタ動いているからですよ……! 今はどんなバンドをされてるんですか?
エナ 『おでんくん』で友達になった小日向しえちゃんと“nelca(ネルカ)”っていうガールズバンドをやっていて、それが今はメインですね。しえちゃん、かっこいいんですよ。「しえちゃんかっこいいからベース弾きながら歌いなよ」って言って、組んでからベース買わせて(笑)。ゆっくりですけど、今年はライブができたらいいなって。……あ、しえちゃんと出てる『がんばれ!おでんくん』も、まだやってるよ~。民放でやっているよ~。観てくださいね~。
――声優として、今後「これに出たい!」っていう作品はありますか?
エナ そ、そうだな、『進撃の巨人』に出られたら……鳥でもいいので……。休みの日はずっとマンガ読んだり、ゲームをしたりしてるんですけど、今は進撃なんですよ。(『進撃の巨人』クリアファイルを見せびらかして)これはロッテリアで食べてもらったんですよ。フフフ。
――では、キャスティング担当者が日刊サイゾーを読んでいることを祈りつつ!
エナ 祈りつつ!
――引き続きグラビア撮影がんばってください!
エナ こんな写真が出ることないですから、脇汗すごいかいちゃって。1万枚ぐらい撮ったら、1枚ぐらいは、なんとかならないかな! ギターがないと落ち着かない感じ(笑)。
――今日はありがとうございました!
(取材・構成=小明/撮影=宍戸留美)
(余談:インタビュー直後のグラビア撮影で、エナポゥさんは「ひゃ~」「ふぁふぁふぁ」「あ~~~」などと言いながらカメラから逃げ続け、「動物を撮っているみたい!」と宍戸留美を感動させました。もしかしたら鳥だったのかもしれません。)

元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の27回目……ですが、1990年代に輝いたあのアイドルグループ“Melody”の元メンバー・田中有紀美さんが来てくれるとなれば話は別! 今回は特別編でお送りします!
――ゆきどんだ! まさか来てくださるとは! 今回は特別編ですよ~。
田中 特別編ですか、あかりがとうございます(笑)。
――1993年にレモンスカッシュのCMでデビューしてから、今、芸能活動が21年目になりますね。
田中 ね、びっくりしました(笑)。そんなに続いてると思わなかった。20周年も、どこかのレコード会社の方から聞くまで気づかなかった。あんまり、今は何年目とか、誰が先輩で誰が後輩とかを気にしないでやってきちゃって……。
――90年代はアイドル冬の時代と言われていましたし、アイドル同士、横の結束が強いと思ってました。
田中 んー、どうなんですかね~? 大人になってから、先輩達と仲良くさせていただいたとき、「誰が同期で~」って話になって「あ、そういうものなんだ」って気づきました。
――フワフワっとした感じで冬の時代を生き抜いたんですね……。
田中 そうですね、あんまりガツガツしてなかったと思う(笑)。
――なぜ芸能界に入ろうと思ったんですか?
田中 最初はスカウトだったんです。場所はサービスエリア(笑)。Melodyは3人グループで結成したかったらしくて、すでに2人決まっているところで、あとの1人を捜してたみたいで。そこにたまたま私がいて……そのまま家まで追いかけられてスカウトされたんですよ。
――運命的っていうか、怖い! その前から芸能界に憧れとかは?
田中 まったくないです。誘われたので入ってみました。
――誘われて入ってみた芸能界はどうでしたか?
田中 うーん……どうなんだろう……。Melodyは楽しかったですけど、今考えると、学生生活は学生をしていた方が良かったんじゃないかな、と思ったりすることもありますね。
――当時はちょうど16歳くらいで、女子高生ですもんね。学校にはほとんど通えなかったですか?
田中 ほとんど行けなかった……。
――その頃、映画『嵐の季節』に主演されてましたね。どんな話だったんですか?
田中 原作がですね、高橋玄さんで、美保純さんと高嶋政宏さんがいて、その高嶋さんを好きになる女子中学生の役で、えーと、それで、あのー……ハァ(ため息)。
――完全に忘れてるじゃないですか……。
田中 覚えてるんですけど、説明が難しいんですよ。最終的には、結ばれたのかな? うーん? アハハ! これじゃ意味わかんないですよね!
――わかんないです! そのお仕事はオーディションで?
田中 オーディションでした。5次審査までやって、セリフから動きまで全部やって、最終的には高嶋さんがいらして、一緒にお芝居して……残ってる人にはけっこう凄い人がいたんですけど。
――おお、どんな人がいたんですか?
田中 え~……ちょっと覚えてないんですけど……ええ~と。
――覚えてないことが多すぎます! でも、それほど忙しかったってことですよね。学生時代を犠牲にして打ち込んだMelodyは、なぜ4年で解散してしまったんでしょうか?
田中 事務所の人が「解散するよ」って言うから、「あ、解散するんだ~」って(笑)。
――受け入れますね~! 他のメンバーは反対しなかったんですか?
田中 他の2人も「そうなんだ~」って。反対はしてないですねぇ。Melodyの活動以外にも1人ではドラマとかはやっていたので、なんとなく……なんで反対しなかったんでしょうね? メンバー同士で「なんでだろうね~」みたいな話もしなかったです。好きだったんですけどね、Melodyの活動は(笑)。
――ファンが反対して暴動が起きたりしませんでしたか?
田中 解散イベントは一応したんですけど、ファンの方が事務所に抗議に来たりしたらしいです。後から聞いた話ですけどね。当時は私たちには外出禁止令が出ていたから……危ないと思ったんでしょうね~。
――解散後は、ソロで音楽活動をされたり、女優業をされたりしているんですね。ソロシングルの「あなたの涙の場所になりたい」は、ご自分で詩を書かれたとか。
田中 あれは、大森祥子さんという方が書いてくださったんですよ。私、そのとき、歌詞がぜんぜん書けなくて、2行の言葉を書いて、それを膨らませてもらったんです。
――その時の2行の言葉は覚えてますか?
田中 「涙は行く場所をなくし、ただそこに落ちるだけ」っていう言葉を……恥ずかしいな(笑)。
――それを書いた時には、何か悲しいことでもあったんですかね。
田中 悲しいことは……多々ありました(笑)。でも、たぶんこの時は切ないのが好きだったんだと思います。当時まだ17歳くらいだったから、ちょっと大人になりたい、みたいな。
――悲しいことが多々あったとか聞き捨てなりませんね。
田中 あったけど言えないと思う(笑)。大人のケンカに巻き込まれたり……(自主規制)……でも、今ではいい思い出です。お世話になったので今はとても感謝してます。
――あー、本当に言えないやつですね。いろいろお疲れ様でした! 元メンバーは解散後に結婚したり出産したりがありますが、田中さんは? 一度活動を休止されていた時期がありますよね。もしかしてそこで……?
田中 結婚しようと思ったことはあったんですよ。23歳くらいの時ですかね? 思ったんですけど、やめました。なんか違う、と思って。
――人生の決断が潔い!
田中 母からは「いつ結婚するの~?」って言われますけどね(笑)。
――芸能活動を休止していた期間はどれくらいあったんですか?
田中 え~と……5年、いや3年……5年くらい……そんなないかな、4年?
――その間は何をされてましたか?
田中 歯医者で歯科助手をしてました。
――え! なんでまた歯科助手?
田中 なりたかったわけではなく、たまたま近所の歯医者さんで募集をしてたんですよ。歩いてたら募集の紙が貼ってあったので、医療事務だったら私にもできるかなぁって、人生で初めて履歴書を書いて……。
――履歴書の経歴の欄には“Melody”って書きましたか?
田中 書いてないです(笑)。
――それで、医療事務のつもりが歯科助手に?
田中 そう、でも「まぁいっかぁ」と。わりと受け入れる方でして(笑)。それも3年くらいやりましたね、辞め方もわからないし、休み方もわからないし、遅刻の仕方もわからないですし、わからないことだらけで……芸能界にいるときって、熱が出ても仕事に行くし、ちょっとのことではお休みできないじゃないですか。その感覚でずっとやってきたので、「熱が出たから帰ります」とか「お腹痛いから帰ります」とか、みんなが普通にしているのを見て衝撃を受けました。「帰っていいんだ! 遅刻していいんだ!」って。そういうのもあって、今は昔よりも気の張り方みたいなのはマシになっていると思います。別に遅刻をするわけではないんですけど(笑)。
――今日も誰よりも先に到着されてましたね。……歯科助手から、どうやって復帰に至ったんですか?
田中 お友達から、私に興味がある事務所があるって聞いて……でも私はもう事務所恐怖症になっていたので、「ヤダ~」って断ったんですよ。昔から、「誰かを押しのけてまで!」っていう、ザ・芸能界みたいなのは向いてないな、と思っていたし。でも、お友達が、「本当に普通の感覚を持った方だから、一回会ってみません?」って言うので、お会いしてみて、復帰に……。
――普通の感覚は大事ですよねぇ。復帰してからは、ご自分でショートフィルムを撮られてるとか。
田中 もうけっこう前になっちゃったんですけど……5年くらい前かな? そんなにたった感じはしてないんですけどねぇ。
――きっかけは何だったんですか?
田中 自分のブログを立ち上げた時、「自転車を盗まれた!」って勘違いしちゃった話をブログに書いたんですよ。そしたらそれにずいぶん反響があって、当時の事務所の人に「これ、動画にしてみたら?」と言われて、「あ、そうだね~」って、軽く言ったところから始まったんですよ。でも、いざ作ってみると、初めて脚本も書くし、台本の書き方とかも勉強しないといけないし、「じゃあ撮ろう!」となっても1人じゃ撮れないので、映画とかでお世話になったスタッフさんに手伝っていただいて。編集作業も初めてだったんですけど、もう事務所に寝泊まりしながら勉強していたので、当時はずっと事務所の床に寝てました(笑)。
――その作品はどこで発表したんですか?
田中 『自転車どろぼう』ってタイトルでDVDになって、TSUTAYAでレンタルできるんです。えへへ。その後、短編映画のサイトに、「短編映画の監督を6人募集する」っていう企画があったので、応募してみたんです。そしたら「企画書を送ってください」ってことになって、企画書も書いたことがなかったので、また勉強しながら3つ企画書を書いて応募したんです。それで、選んでいただいて、次の2作目の『傘どろぼう』が生まれたんですよ。
――ずっと泥棒されてるんですね……。
田中 それも勘違いなんですけどね(笑)。それと、自分で曲を作り始めました。Melodyの時は、大人に言われたことを一生懸命こなすことが仕事だったけど、今は自分から発信しなくちゃならない。短編映画を作ったときもそうですけど、わからないことだらけで、勉強することばっかりなんです。でも、それを自分のペースでやっていけることが嬉しいです。
――アコースティックのライブも定期的にされているんですよね。ギターかっこいい!
田中 キターは弾けませんよ。
――へ?
田中 指が短いんですよ。コードに指が届かなくてイラッとして(笑)。ピアノは目で見えるから理解できるんですけど、ギターは自分で見えないし、どうも理解できなくって……。でも、自分の曲の歌詞は自分で書くようになりましたよ。
――2行からの、進歩ですね!
田中 2行から、もう7曲に! アルバムを作ったので、7つの恋愛の歌詞を書いたんですけど、失恋系の歌詞が多かったです。
――それは、実体験を元に?
田中 想像を元に、ですよ。ンフフー。
――今後の活動の予定を教えてください!
田中 今、アコースティックライブをやっていて、『田中珈琲店』って言うんですけど、それが2月22日に13杯目(13回目)です。それを続けながらお芝居もできたらいいな。「息の長い女優さんになる」っていう目標は、Melodyの時から変わってないですから。……あ、あと、エレクトーンの先生にもなりたいかな(笑)。
――元・Melodyメンバーが教えるエレクトーン教室なんて素敵!
田中 でも、そしたらまた勉強しなくちゃいけないですね(笑)。
――今日はありがとうございました!
(取材・構成=小明/撮影=宍戸留美)
●たなか・ゆきみ
Melodyのメンバーとして歌手デビュー。女優としてはCM「青春18きっぷ/JR」、映画『嵐の季節』で主演デビュー、ドラマ『神様もう少しだけ』『ソムリエ』などに出演。楽曲の作詞・作曲や、ショートフィルムの脚本・監督など、クリエーターとしても活動している。
2008年5月、全7曲の作詞・作曲したアルバム『潤恋花 じゅんれんか』を発売。アコースティックライブ「田中珈琲店」を楽しく開店中。
カバー曲を中心に歌っており、現在、iTune他音楽配信サイトで「田中珈琲店のテーマ」配信中。
2013年10月、芸能活動20周年を記念して名古屋で開店した「田中珈琲店11杯目」には、元Melodyのメンバー2人(望月まゆ、若杉南)が集まりゲスト出演した。
・今後のライブ予定
2014年2月22日(土)アコースティックライブ「田中珈琲店13杯目」開店
場所:荻窪「BUNGA」予約受付中
元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の26回目! 今回はTVアニメ『リトルバスターズ!~Refrain~』の主題歌を歌っているアーティストの鈴湯ちゃんが私のCDのプロデューサー・樫原伸彦先生と一緒に来てくれました!
――樫原先生の秘蔵っ子、鈴湯ちゃんだ! 以前、樫原先生の誕生日ライブで歌ってるのを観ましたよ、同じ樫原チルドレンとしてよろしくね~!
鈴 え? 秘蔵っ子? あ、はい、ありがとうございます。よろしくお願いします。
――もしかして、緊張してます?
鈴 はい、いつも緊張してます。ライブでも毎回緊張してます。
――初々しい! 活動のきっかけは何だったんですか?
鈴 友達に誘われて……。
――おお、アイドル王道パターンじゃないですか。
鈴 あは(笑)。でも、そこで誘われて行ったのが音楽スタジオだったんです。楽器をやってる人が20人くらいいて、バンドのセッションがはじまって……そこで自分たちでアニソンコピーバンドを組んだのが、私の初めての音楽活動ですね。
――コピーバンドっていうと、BOØWY、X JAPAN、GLAYを真っ先に浮かべる世代には、複雑な時代になってきましたね。メンバーは全員オタクなんですか?
鈴 はい、全員もれなくオタクです。居心地の良い感じで(笑)。
――ニコニコ動画で歌い手もされてましたか?
鈴 歌い手と言いますか、最初に音楽をはじめた頃は学生だったので、知り合いもいなければお金もなくて、そういうときに、「インターネットっていうツールはすごく便利だ!」と思って、ラジオを配信してみたり、ニコニコ生放送だったり、自分の音源をニコニコ動画に投稿したり、自分でできることは何でもやってみたんです。
――現代……!
鈴 そうですね(笑)。我ながら現代っ子だと思います。
――そうした活動が樫原先生の目に止まってデビューに?
鈴 いえ、ぜんぜん! もうひとつ自分でできることで、「ライブやりませんか?」みたいな募集ページに自分から連絡して、ひとりでライブに出るっていうのをやりはじめて。
――ひとりで!? 行動力ありますね~!
鈴 ひとりでできることはなんでもやってみよう、と。そのライブを続けていく中で、ご縁があって知り合ったのが樫原先生で。
――樫原先生、鈴湯ちゃんをはじめて見つけた時には「コレだ!」っていうものがありましたか?
樫原 もちろん。秋葉原のライブアイドルのイベントを定期的にパトロールしていたときだったんだけど……
――それは趣味で?
樫原 仕事で!! 新人発掘のために見てきたライブイベントに彼女が出てきて「アレ?」って。良い意味で浮いてたんだよね。普通のライブアイドルみたいに飛んだり跳ねたりもしないし、おべんちゃらも言わないし、ちゃんと挨拶もできないし(笑)。でも、歌ってるときの目線とか、オーラがひとりだけ全然違った。だからそれから定点観測してたんだよ。
――ライブアイドルとよく一緒になるなら、ご自分もアイドルユニットに入ろうとは思わなかったんですか?
鈴 えーっと……あるにはあります……ね。でも、見る方がアイドルは好きっていうか、あのー……たぶん、やっても、継続してうまくやれないだろうと。
――お気持ち、わかります! ひとりでできるならひとりが一番! ちなみに、ニコニコに音源をアップしたりするときは、どういう気持ちでアップするんですか? 例えば「有名プロデューサーよ、私を発掘しろ」みたいな念を込めるとか……。
鈴 ぜんぜんそこまで考えてなかったです(笑)。「この曲が好きだなぁ、カバーしたい」って自宅で歌って録音して、「あ、いいのが録れたな」と思ったらアップロードっていう、記録というか、メモ? 日記帳みたいなものでしたね。
――なるほど~。あんまりガツガツしない方がいいのか……私もやってみます! ちなみに他にはどんな活動を?
鈴 同人活動を少々……。
――へ!? BL? 薄い本?
鈴 いえ、同人音楽の方ですね。CDを自分で作ったりしてました。BLも好きですけど……今は「Free」がアツいですよ(照)。あと、ゲーマーでして、PCゲームが好きで、クリエーターさんたちといろんな作品作りをしたり、歌ったりしていたんです。
――そういう人がライブアイドルに混じっていたら、そりゃ確かに浮くかもしれませんな。
鈴 みなさん元気に踊って歌っている中で、ひとりだけ暗い歌を歌ってましたし……みなさんと同じく、わっしょいわっしょい明るく頑張ってみたこともあるんですけど、「無理してやらなくていいよ?」「そういう芸風じゃないんだから」ってアドバイスされて……。
――せつねぇ!! その活動の中で、どうやってTVアニメ『リトルバスターズ!』の主題歌を歌うことに?
鈴 はじめに、クリエイターさんに「興味ある?」って聞かれて、「あります」って答えたら、いつのまにかボイスサンプルみたいなものの選考があったのかな? 気づいたら決まっていたんですよ。
――大抜擢!? すごいじゃないですか!
樫原 その時は俺の主催のライブに毎週出てもらってたんだけど、はじめはアイドルファンで予約が埋まるところ、だんだん誰の客でもない大人が入るようになったんだよ。もしかしたら、他にも業界の人が偵察に来てたのかもしれないね。それくらい光ってたんだよ。
――私、10年くらいイベントやってますけど、なんのスカウトも来ないですよ。くすんでいるのかな。というか、話を聞いていると、樫原先生って鈴湯ちゃんの何なんでしょう?
樫原 主催ライブに出てもらってたよ。
――それだけ? 私、てっきり樫原先生が発掘して、一から育てたのかと……。
樫原 いや、勝手に育っていったね。
――TVアニメの主題歌も、本当は樫原先生が決めてきたんじゃないんですか?
樫原 いや、俺なんにもしてない。実力。ボイスサンプルとか、これまでの活動の実績で勝ち取ってた。
――じゃあ……樫原先生はいったい何をしていたの?
樫原 そばで、微笑んでいたよ。
――……邪魔じゃない?
鈴 (笑)!
樫原 俺はこれからいろいろ頑張るの! そこはもう任せてください。
――そうですか……。では、鈴湯ちゃん、『リトルバスターズ!』の主題歌が決まった時はどんなお気持ちでしたか?
鈴 うーんと……私、さっきPCゲームが好きって話をしてたと思うんですけど、そのPCゲームの中でも特に大ファンだったのが、『リトルバスターズ!』だったんですよ。
――じゃあ、もともと大ファンなゲームがアニメ化、さらに自分がその主題歌を歌うって状況に?
鈴 そうなんです(泣)。すごすぎて、もう現実感がないんですよ。テレビで流れていても実感が湧かなくて、他人事みたいな気分です。初めて自分の声と映像が一緒になっているのを観たのはコミケの企業ブースだったんですけど、その時はさすがに実感が湧いて、感動で涙目になりましたね。遠くの物陰からじっとブースを眺めて、名乗りもせずに去りましたが……。
――消極的を超えて忍者みたいだね……。では、今は、これから自分の人生がどうなるのか、希望と不安に満ちている頃ですね。
鈴 希望ももちろんあるんですけど、根が暗いもので、不安がいっぱいです……。
――同じ樫原チルドレンとしてアドバイスさせていただくと、年齢があがってくるにつれて同級生がガンガン子どもを生み出したり出世したりするので、その不安要素は増えるばかりですよ☆
鈴 わぁ~……。でも、たくさん悩んで考えた結果、普通の生活はできないだろうな、と思って。協調性がなくて、人と一緒にいるのも、なかなか苦手なので、普通に就職して、結婚して、子供産んで……そっちの方が自信ない。そっちの方がハードモードだなって。
――超わかる~(満面の笑み)!
鈴 なので、「これをやるしか道はない」というか……。不安だったり、悩んだりしているときも、辛いけれど、辛い時間の方をいつもの時間よりも大切にして、創作活動につなげるようにしています。創作に回していくことで、だんだん元気が出てくるので。
――創作活動では、具体的にどういうことを? 歌詞を書いたりとか?
鈴 実は歌詞はあんまり得意じゃなくて、詩とか、絵とかですね。
――落ちこんでるときに書く詩と絵は、翌朝冷静になった時に見返すとヤバそうです。
鈴 そうなんですよ(笑)、後になって自分で「うわっ暗!! 大丈夫!?」って驚きます(笑)。
――そういうのは古くなれば古くなるほど面白くなってくるので、歌詞カードの挿絵にしよう! でも、ネガティブな部分を創作につなげていくと、幸せなときには創作意欲が湧かなくなるのでは?
鈴 幸せなときや、前向きな気分のときは、創作よりも日々の歌の練習とかトレーニングをしてますね。ポジティブな時は努力にまわして、ネガティブな時は創作にまわそうと心がけてます。
――まぶしすぎるお言葉……。最近はどんなときに幸せを感じましたか?
鈴 『リトルバスターズ!』で知ってくださった方が、私の歌う「Boys be Smile」を「僕が初めて自分で買ったCDです」って言ってくださって。それがすごく心にきましたね。
――人の初めて奪っちゃった的な?
鈴 思い出のひとつに私がなれるんだ、と思って感動しました。
――美しい言葉で言い換えられた! 今後の野望を教えてください!
鈴 自分ができるライブを突き詰めていきたいし、いろんな作品と関わりたいです。
――いつか自分の描いた暗い絵をバックにバーっと貼り詰めて真っ暗な部屋で暗いポエムを読みましょうよ。
鈴 いいと思います(笑)!
――ちなみにグラビア撮影ははじめて?
鈴 初めてなんですよ、緊張します、うまく笑えるか不安です(照)。
――では、初めてを宍戸留美に奪われてきてください! これからの鈴湯ちゃんの活動をお楽しみに~!
(取材・構成=小明/撮影=宍戸留美)

元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとして可愛い声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の25回目! 今回は特別企画!? 『クリーム』『投稿写真』などのお菓子系雑誌で一世風靡した元グラビアアイドル/ライブアイドルの小林有子さんが来てくれました!
――はじめまして! 今回は初の声優さん以外のグラビアになるんですよ。
小林 そうですよね、本当にどうしよう。私、カラオケの映像とか、雑誌とかには出たことはあるんです。だから、むしろ声以外で、ビジュアルメインで出てました。
――あはは! グラビアは『クリーム』みたいな、お菓子系の雑誌にたくさん出られていましたね! お菓子系大好物です!
小林 あと、『投稿写真』とかも出てましたね、主にパンチラとかが(笑)。
――『投稿写真』にパンチラ掲載はステータスです! 当時はやっぱり嫌でしたか?
小林 私、パンチラが嫌いで、パンチラするぐらいだったらパンツ見せるから、チラはやめてって思ってました。グラビア時代の後半は、あまりにもエロ本の仕事が多すぎて、もう事務所を辞めて、『クリーム』の仕事も個人でやってたんですよ。
――グラビアをフリーランスでやるのは、さすがにリスクが高すぎませんか?
小林 「脱がされそうになったら泣けばいい」っていうのを聞いてたんで(笑)。だから、もしエッチな要求をされたら、「嫌です……」って泣けば大丈夫ですよ。
――おおー、当時も今も、流されて脱がされた後に泣く子が多いはずですよ! 強い!
小林 そうなんですかね(笑)。自分が出ている雑誌は、エロ本でも一応見ておきたいので、平気でひとりで買いに行ってたんですけど、店員のおじさんに「これ載ってるの?」「遊ばない?」って言われることもありました(笑)。で、ある日、うっかり自宅のテレビの前にまとめたファイルを置いたまま出かけて、帰ってきたら母が怒っていて、「お母さんが嫌がることをしていない?」って言われて……。私は、たとえ表紙が『素人わんさかマガジン』みたいなザ・エロ本でも、自分のグラビアはまっとうなページだったから、そんなに激しいと思ってなかったんですよね。多分、麻痺していたんだな。
――エロ本は普通のアイドルのグラビアの横に平気で他人のハメ撮りが載ってますし、親は抵抗があるかもしれません……。
小林 でも、今は、AKBとかも下着でゴロゴロしてますよね。あれ、親はどう思うんだろうな?
――国民的アイドルにそういうことをやられると、グラビアアイドルは一部の売れてる子以外、全く出番がなくなりますよね。
小林 本当ですよ。そもそも、AKBがデビューしたとき、私も秋葉原でライブをやっていたので、「終わったな」って思いましたもん。私たちがやっていたライブの入場料は3500円とか4000円だったのに、AKBは1000円ですよ!? そりゃあ、もう行くよね、向こうに。
――ライブ活動は、どのくらい続けてたんですか?
小林 ざっくり言って、10年ぐらい?
――ギャー! 長い!! 10年選手の息の根を止めるAKB、怖い!!
小林 AKBのデビューと同時くらいに感じたことなんですけど、ライブアイドルって、ファンの人との境目がなくなりやすいんですよね。「これは、もう軽いキャバクラみたいになってしまう……」と思って、毎月やっていたイベントを休止したんです。今のアイドルは、毎回、握手会とかやってるけど、たま~に会えるからいいもんじゃないのかなぁ?
――距離が近いと、その分お互いの悪いところが目につきやすくなりますし、適度な距離感は必要な気がしますよね。でも、10年続いたなら、ライブ活動は向いていたのかも。
小林 始めた頃は、事務所の人に「フェアリープロジェクトっていうグループをやります」って言われて、女の子を何人も集めて、けっこう真面目にダンスも練習して、ステージでグラビアで私を知っててくれた人が初めて生を見て「本物がいる!」「いたんだ、本当に!」みたいな感じで感動してくれて……そのときが一番しあわせだったのかもしれない(笑)。
――ちゃんとしあわせな時期もあったんですね……! 小林さんのブログのプロフィールを見たら、「何をしてる時が幸せ?」 っていう質問に、「いつでも不幸」って書いてあって。近年はずっと不幸だったんですか?
小林 そうですね、今はただの障害者なんで。
――おお。そうなると、ツイッターで24時間テレビを皮肉っていたのも説得力が違いますな。
小林 そう。24時間テレビに対して良くないことをつぶやくと、フォロワーが、3人、3人、3人とハイペースで減っていくんですよ(笑)。でも、「そりゃあ、頑張って一生懸命やれば、みんな感動するに決まってんじゃん」と思う。そういう番組も、去年くらいまでは、普通に「良かったねー!」って見れていたんだけど、「私も障害者手帳持ってるけど、別になんもないよ」って思ったら急に冷めて。募金とかも凄いと思うけど、「私はこの施しをどこで受け取れるんですか?」みたいな。「番組を作ること自体に何億円もかかるのに、募金じゃ補えないよね」とか思ってしまう。でも24時間テレビは見てしまう。何故ならジャニオタだから……!
――入り交じる感情が複雑すぎ! あと、それほとんどサイゾーの記事ですよ! ブログのプロフィールにも、ツイッターにも、「ひとつだけ願いが叶うなら:苦しまずに死にたい」「まさかのOD」「明日私が生きてる保証はない」「飲んでる抗うつ剤をネット調べたら『最強』って出てきた」とかサラーっと出てきてドキッとします。いったいどんな難病なんでしょうか?
小林 私、難病なのかな? 手帳もあるからそうなのかな。躁鬱で、8年ぐらい経ってる。でも、初期に比べたら、全然いいほうだと思います。最初は、「瞳孔開いちゃってるけど大丈夫?」って感じで、外にも一歩も出なかったし、こんなに人と会ってしゃべるなんて、年に1回あるかないか。以前は「誘いは100%断りません!」「この日が空いてる、どうしよう!」って人だったんだけど、本当はそっちのほうが、自分には合ってるはずなんです。あ、障害者手帳見る?
――見たい見たい! わぁ、パッと見は学生証みたいな感じですね! どうやってもらうんですか?
小林 診断書は2年ごとに出して、治ればもちろんなくなるし、治らなければ、どんどん更新していくよ。3級はそんなに難しくなくとれるの。
――そんな資格みたいな(笑)。
小林 診断書とかにちょっとお金かかるけど、その代わりに自立支援法っていう、精神病にかかってる人のための保険証みたいなものがあって、それを見せると、病院の負担額がゼロになったりするんです。そうすると、今までかかってた膨大な医療費が急に安くなるから、今までなんで申請しなかったんだろうって……。私は身「体」障害者じゃなく、「心」身障害者だから、移動手段に関してはあんまり安くはならないけど、映画はいつ観ても1000円で、都営の美術館はタダ。そういう施設の入り口で手帳を見せると、受付の人にはあんまり見ちゃいけないものだと思われるみたいで、伏し目がちに「どうぞ……」って。同行者もタダだよ。
――わー! じゃあどっか行きません?(図々しく) ちなみに、いつ取得されましたか?
小林 最近まで申請できるって知らなくて、「なんで取らないの?」って言われて、「ハッ、私、取れるんだ」と思って取ったの。1回精神病院に入院してたんで。
――おー、サラッと次々に出てきますね! どんなところでしたか?
小林 ほんとにずっと看護士さんが優しくしてくれて、薬も「はい飲んで~」って渡されるし、ごはん食べたら「今日はどれぐらい食べられた~?」って言われて、起きたら「血圧図ろうね~」って言われて、みんな優しいし、わがまま言っても聞いてくれるし、「30分だけ外に出ます」とか紙に書けば出られたんで、けっこうフリーで快適でしたよ。私は個室を選んだからかもしれないですけどね。入院って、やっぱり6人部屋とかじゃないですか。で、「患者同士は仲良くなっちゃいけない」みたいなルールがあるのかな? 普通の病院でも。
――普通の病院だと、多分ないっすよ。
小林 うちは精神だから、仲良くなると、片方がどーんと欝になったら、もう片方も持ってかれたり、他の子と仲良くなると、「なんなの!?」って揉めるから、なるべく仲良くしないようになってました。退院した後も連絡を取りあうと良くないことが起こるらしく、はじめに「連絡先は交換しないでください」って言われて、それを律儀に守ってると、今度は部屋の中で「あいつマジで守ってるらしい」ってハブられると聞いて……超怖い! 個室でお願いします! って頼みました。
――同じフロアでも、病み具合が違うし、難しそうですね。
小林 本当に色々でした。マジすぎる人もいるし、ちゃんと化粧もして、ぴしっとして、「え? あなたがそうなの?」って人もいるし。だから、私もどう思われてるかわからない。
――どのぐらいで退院しましたか?
小林 先生に「退院したい!」って懇願したら、「検査もはじめたばかりで、全然まだまだなのに……」って、嫌々ながら1週間ぐらいで出してくれました。みんなそうなんじゃないかな、仕事とかで精神的に疲れると休みたくなって入院するのに、したらしたで、消灯は夜9時だし、朝は6時半に絶対起床、決まった時間に食事。だんだん窮屈になってきて「お願いだから出して!」みたいな。
――まだまだだったって、大丈夫!? そして、ものすごい痩せられたんですよね。ちょっと前のブログの写真を見たら、思いのほか丸くて、今とはシルエットが別人でしたよ。いつ太られて、どの位で戻したんですか?
小林 なんか、気がついたら太ってたんですよ。いつ、とかもぜんぜん覚えていない。自分が太ったってことも、なかなか気付かなくって、うっすら「太ったかな~、体重計乗ってみようかな」って思ったら、「エーッ!!!」みたいな。
――それは、具体的に何キロぐらいになったんですか?
小林 80キロぐらい。
――お~!! それは、ライブアイドルをされていたとき? 入院前後? 20代? あれ? 時系列が絡まってきました。
小林 あー……。もう、ぶっちゃけて言うと、『クリーム』で全盛期だった頃で、私24歳くらいなんです。
――へ!? てっきりあの頃で17歳ぐらいだと思ってました!
小林 あの時代、24歳なんかがグラビアに出してもらえなかったんですよ。最近、友達が出てる週プレを買ったら、表紙の女の子は24歳で「まだまだこれから!」みたいに書いてあって、「エーッ!?」ですよ。
――お菓子系の雑誌のアイドルは、若けりゃ若い程いい、みたいな風潮もありましたしね……。
小林 それと、ポルノ法みたいな、厳しいのが入ったんだよね。真実はわからないけど、16歳とかの若い子を、本人や親の許可なく撮ったってことで、カメラマンがどんどん逮捕されたの。だから、『クリーム』でセーラー服を撮ることができなくなった時期があったんです。だから、みんな慌ててサーっとブレザーに移行して、「制服に見えるけど、制服じゃないよ」みたいな(笑)。……あれ? 今なんの話だっけ?
――体重!
小林 そうだ(笑)。病院でもよくあるのよ、「今、何の質問だっけ?」みたいな(笑)。ダンスとかラジオ体操とか、やれるもん全部やって、ごはんも制限したら、一年間でほぼ元通りになったよ。もう大人なんで、痩せすぎるとげっそりになっちゃうじゃないですか。だから、ちょっと太ってるぐらいがちょうどいいかなって思うけど、もうカレーとか、ラーメンとかは、食べたくても胃が無理で。ずっと食べなかったから。
――体内の改革に成功したんですね。体重が一年で半減っていうのは凄すぎます! それにしても、小林さんは病んでる風にはぜんぜん見えないですね。
小林 今はかなり良くなりましたけど、前はもっと喋れなかったんですよ。ろれつが全く回らなくなっちゃって。それも東京医大でぜんぶ調べてもらったけど、「悪いところはありません」って言われて、原因がわからなくて。こういう機会では大丈夫なんですけど、親しい人と電話とかしてると完全に何を言ってるのかわからなくなっちゃうみたいで、母にもうまく伝わらなかったりします。でも、緊張状態からか医者では喋れちゃうので、「喋れてるじゃん」ってなっちゃって……本当は違うのに! しゃべれないから人とも会えないし、外国に行ったんです。英語はわりとすらすらしゃべれるから。
――不思議! 呂律が上手いこと英語の発音とマッチしたんでしょうか? リハビリにもなりそうですね。
小林 そうですね。外国に行くのは、すごい良かった。でも、お金がかかるんで、そんなに行ってらんないじゃないですか。ちょっと前まで、1ヶ月で2回ぐらい行ってましたけど……。
――高いリハビリですね! しかもヨーロッパばっかり、何故?
小林 サッカーです(ニヤり)。サッカー観戦だけで、世界を回ってるようなもんですから。元々、某サッカー選手のファンで、それがいけないんだよね。
――そうだ。某選手が日本にいないから悪いんだ。
小林 そう。全部某選手が悪いの。その人がイギリスに行ってたから留学したこともあって、本人に「私も留学した!」って伝えたら「馬鹿じゃねぇの」って言われた(笑)。
――意味不明に仲良いですね! イギリスだけじゃなく、フランスもいっぱい行かれてますよね。
小林 フランスは、宍戸留美ちゃんに誘われて一緒にモン・サン=ミッシェルっていう修道院に行ったら、感動してハラハラと涙が流れて止まらなくて……その魅力に取り憑かれて、キリスト教の信者になったんです。
――へ!?
小林 障害者でキリスト教信者って、すごい差別されるのかな……(笑)。
――キリスト教は超メジャーだから大丈夫ですよー。小林さんが応援してるサッカー選手も某学会だって週刊誌で見ましたし!(無責任)
小林 本人に聞いたら、家がそうだから継がないといけないみたいで、本人は全然気にしないみたい。
――聞いたんですか!?
小林 聞いたよ!
――どういう関係!? ……ええっと、話を戻して、キリスト教は洗礼も受けたんですか? どんなことをするんでしょう?
小林 額のところに水をかけるんですけど、ハンカチで抑えて、すぐ終わりますが、一年以上はシスターのクラスで勉強しましたよ。
――信仰を持つことで、精神的には楽になりそうですね。
小林 そうそう。世界に出ると、みんな自分の宗教があったり、何かに思想を持ってるのに、日本人って何もないなと思って。だから、宗教に入ったらどうなるんだろうって、けっこう気になってたんだよね。
――けっこう好奇心で入ってますね!
小林 でも、モン・サン・ミッシェルって、大天使ミカエルの修道院なのね。それで、私ミカエルをとにかく気に入ってしまって、大天使ミカエルって言葉だけで「キター!」って状態になっちゃう(照)。だからキリスト教の名前をミカエラにしてもらったの。ミカエルは男性の名前だから、女性にしてミカエラ。マリー・アントワネットも大好きで、パリに行った時は、マリー・アントワネットの所縁の土地には全部行って、ちゃんとバラの花束を置いて、しかも泣いて帰ってくるという。逆にエッフェル塔とかは、行っても見ない時があるね。フランスだけで多分、20回ぐらいは行っているかも。ガイドになれるよ。
――20回……! ヨーロッパは高いから、一回の旅行に30万として、20回だと……?
小林 1000万円ぐらいかかってると思う。
――……(絶句)! し、資金はどこから?
小林 バイ、マイファーザー。
――お父さま、富豪の方? っていうか小林さんって、どうやって、生活されてるんですか?
小林 よく聞かれる。最初は貯金があったし、家族の援助もあったけど、もう「うちは富豪じゃなくて、普通の家なのに、あんたなんか勘違いしてる」って言われてるし、「もうお金がないぞ」ってことになってきて、いよいよもう無理って感じ。
――やばい(緊迫)!!
小林 占いとか見ると、わたしのところいつも浪費家とか書いてありますよ。
――そんなのんきな。でも、占いって意外と当たるんだー。
小林 ねー。占いとかも大好きで、スピリチュアル系とかハマッっちゃうんですよね。ハワイで流行ってる、ホ・オポノポノっていうのもスピリチュアルの一種だと思うんだけど、あれで初めてセミナーというものを受けてきたんですけど……。
――おぽ……ぽ……?
小林 「ごめんなさい」「許してください」「ありがとう」「愛しています」という言葉を、感情を込めなくっても、唱えていれば、クリーニングという名の浄化方法になって、クリーングをつづければ、無の状態になり、ウニヒヒピピリという潜在意識が理解し、アウマクアという神聖な場所からインスピレーションが降りるんです。
――よくわからないけど、自己啓発セミナーの一種ですか?
小林 そうかな? 受けたら「ちょっと違うかな?」と思って、セミナー料金8万もしたけど、一日で辞めちゃいましたけどね。
――高っ!!!! もったいな!!!!
小林 みんなそれぐらいするんですよぉ。
――っていうか、精神病院、自己啓発、宗教、すがれるもの、全部にすがってるじゃないですか!
小林 でも、キリスト教はタダですから(キリッ)。それでも、ちゃんと一応勉強してるんですよ。苫米地さんとか、私たちスピリチュアル界の中では超有名人ですよね。
――サイゾーのオーナーは苫米地さんですよ。
小林 えっ(ガタッ)!? はわー。『ザ・シークレット』(角川書店)って本、読みました?
――いえ、知らないです。
小林 この本は、たぶん、みんな知ってると思うけど、一応、秘密な本。ぜんぜん秘密じゃないんだけど。
――落ち着いて、ちょっと意味がわからない。
小林 いや、なんかね、モチベーションの問題かな? 「シークレット読んだでしょ?」みたいな。
――え? 何? 世界の秘密が書いてあるの? こわい。
小林 ロンダ・バーンって人が書いたんだけど、それを読んで派生したと思われる、日本人が書いた本を読んだりすると、イラッとするよんだね。「なんちゃらの法則」とか。そういう本にハマッちゃうと、amazonでどんどんどんどん「この本を読んだ人はこの本も買っています」っていうのが出てきて、迷いこんだら、もう出られないの……・。
――ヤバイ! その世界はどんどんお金がかかる! お金を稼ぎましょう! もう、ライブ活動はされないんですか?
小林 ファンの人との線がなくなっちゃった時点で、アイドル的なライブは辞めたんだけど、どうなんだろ? 私、気持ち悪くないですか、今?
――ぜんぜん気持ち悪くないですよ! ちょっと面白いですけど!
小林 2年前、震災があった後に、ライブアイドルの子たちと一緒にチャリティライブをやったんです。そしたら、私だけ慣れてないからアワアワしちゃって、みんなはいつもやってるからすごいキビキビしてて、「私だめだ、遅れてる」って……。
――10年もやってたんですから、すぐに取り戻せますよー! ○○ちゃんとか××ちゃんとか、実年齢が同世代のアイドルいっぱいいるじゃないですか。
小林 ん? 違うよ? 私の年齢知らない?
――Wikipediaには36歳って。あ、そっか、『クリーム』のときが24歳だから、今は、えーと……?
小林 43歳。
―― ん?
小林 ん?
―― これって、書いていいやつですか?
小林 いつ言おうか迷ってたんだよね。
――びっくりしたー! びっくりしたー! やっぱりヨーロッパ旅行とかの趣味が良いんですかね、信仰ですかね、自己啓発ですかね、全部お金がかかりますね。
小林 そうなの。貯金もないし、実家も頼れないし、そろそろもう無理なんで、「助けてください」って宍戸さんに頼んで、今日はここに来たんです。
――サイゾーは何もできないですよ! ちょっとエロい写真を載せるくらいしか出来ない! これからどうするんですか!
小林 これから? だから、それを小明さんに決めてもらおうと……。
――おお、自分の人生もままならないのに、その決定権は重い……! 今日はありがとうございました(逃亡)!
(撮影=宍戸留美/構成=小明)
●こばやし・ゆうこ
6月5日生まれ。劇団ひまわりで15歳より芸能活動を始める。
ドラマ、CM、映画などに多数出演。雑誌「Cream」などでグラビアでも活躍。50誌以上。同時にライブアイドルとしての活動を開始。1996年には「コスプレックス」としてEMIよりメジャーデビュー。コスプレでゲームイベントに出演。大阪プロレスイメージガールになったのをきっかけに2000年、スカパー「格闘ジャングル」で司会を努める。その後。芸能事務所に所属し、女優業をメインに力を入れる。病気発病後、休みを生かしてイギリスに留学。海外の魅力に取り憑かれ、30カ国以上訪問。南アフリカW杯を2往復するほどサッカーが好き。サッカー関連のコラムも執筆。写真展開催など、ゆっくりと活動中。
●ししど・るみ
1973年、福岡県生まれ。1990年にアイドルデビュー、18歳でフリーアイドルになり現在まで様々な分野で活動中! フランス、ドイツ等でもライブを行い音楽活動で高い評価を得ている。
元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとして可愛い声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の24回目! 今回は、『おジャ魔女どれみ』のララ役でおなじみ、高村めぐみさんが来てくれました!
――よろしくお願いします! 唐突ですが、高村さんの名前をネットで検索すると、同名のAVの女優が出てきますよね。もしや……?
高村 別人です(笑)! それ、うちの父も勘違いしてたんですよ。「芝居をやってたから、若気の至りで出たのかと思った」って、失礼にもほどがある(笑)! たまに、ウェブでどなたかが私のことを書いてくださるとき、出演作に『夢のクレヨン王国』、『おジャ魔女どれみ』、『さやかの診察室』……ちょっと、それは出てない!! みたいなこともありますね(笑)。
――さりげなくタイトルが紛れ込んでると信じちゃいますね! あと、婚活の本を出しているライターさんにも同名の方がいたんですよ。これは……?
高村 違いますね! 婚活の本は書いてないです~。
――そうでしたか~。では、“風流三昧”という女芸人も別の方?
高村 それは……やってました(笑)! 今まで本当に色々やってきたので、なんでも「この人ならやっててもおかしくない」って思われてしまうんですよ。でも、婚活とAVはやってないので!
――あはは、了解しました! 芸人さんとしての活動は、どんな流れで始めたんですか?
高村 もともとお芝居をしていて、たまたま舞台で知り合った方と、「劇団みたいなのを作って、芝居っぽいことやらない?」って話になって、その流れで3人集まり、なぜかお笑いに……。
――トリオを組まれていた女優さんが、当時を振り返って「地獄の日々」とおっしゃってました。そうとうハードだったようですね。
高村 地獄でした……! ネタも自分たちで考えるんですけど、だんだん「笑いを取るって、何!?」って、わけがわからなくなるんですよ……。
――トリオは全員若くて美人だったのに、「だっちゅーの!」みたいなユルい感じではなかったんですね。
高村 シティーボーイズさんが好きだったので、「芝居×コントをやりたいよね」ってやっていたんですけど、いかんせんノウハウを知らず、誰かに教えてもらうわけでもないから、結局ピヨピヨピヨピヨやってるだけで……。
――でも、歌も出されてましたよね。「高飛車音頭」と「ざけんなよ! 高砂や」を聴きました、面白かったですよ!
高村 それはたまたま知り合いが作ってくれただけで、歌手活動ってほどでは……聴いたの? そんなのどこに残ってるんですか!?
――インターネットの渦の中に……。結婚する元彼にずっと文句を言い続ける歌詞で、面白かったです~。
高村 それ、私が作詞しました……。お恥ずかしい。ネットって怖いですね~。なんで残ってるんだろ~。
――風流三昧はどれくらいの期間活動されていたんですか?
高村 えっと……10年?
――そんなに長く!?
高村 いろいろあって1人抜けて、残った2人でパーティカラーっていうコンビもやってたので、その時期を合わせると、やっぱり10年弱ですね。『おジャ魔女どれみ』と『夢のクレヨン王国』をやってる期間と綺麗にかぶっているので。
――お笑いをやりながら、どうやって声優さんのお仕事を始められたんですか?
高村 偶然です。当時所属していた事務所の先輩に、ピンクの電話さんがいたんですけど、お2人が声優のお仕事をされていたこともあって、マネージャーが声優のオーディションを取ってきてくれて、たまたま私が受かった。それが『夢のクレヨン王国』という東映のアニメで、私はキャーベッタと水色大臣、シルバー号の3役をやらせてもらうことになったんですね。
――デビューで3役も!?
高村 ラッキーでしょ(笑)。だから、声優さんを目指している方には申し訳ないぐらい、運がよかったの……。
――運だけで3役は無理ですよ! そして今は、声優業や女優業だけじゃなく、マジックもやられているとか。手広いですね~。
高村 そうですね。でも、Dr.レオンというマジシャンのアシスタントをやっているだけで、私はマジックはできないですよ(笑)。できるようになった方がいいかな、と思って勉強はしてるんですけど、何もかも中途半端で……。
――プリンセス・テンコーさんも何度も大怪我されてますし、けっこう危ないジャンルですよね。運動神経は良い方ですか?
高村 ぜんぜん(笑)。よく転ぶし、ぶつかるし、スカートを履くと膝小僧が傷だらけ(笑)。アシスタントをやっていても怖いですよ! でも、変な話、舞台に上がると、自分じゃなくて“マジックのアシスタントのお姉さん”になるんです。そうやって常に自己催眠をかけています(笑)。
――他のお仕事と比べて、マジックの大変なところは?
高村 お芝居も、歌も、踊りも、本当にいろいろやったけれど、誤解を生むかもしれませんが、他の芸能は失敗してもなんとかなることがあるではないですか。例えば、終わりよければ、みたいなかんじで。でもマジックは、失敗したらトリックがあからさまになってしまって、芸能として成立しなくなってしまう。そういう意味で一番怖い芸能です。
――箱に入ってる人に剣を刺すマジックとかだと、本当に最期になってしまいますしね……。そういう危機感からでしょうか? 高村さんのブログを読んでいたら、突然『遺言』が出てきて……。「延命処置はせずに、臓器は全部提供して、残りは献体に……」って、ビビリますよ!
高村 それは、酔った勢いで、つい(笑)! でも、死んだあとの体には執着がないんですよ。それで助かる人がいるなら、焼いちゃうのはもったいなくないですか?
――あと、他のブログ記事にも、急に「私はパートタイムラバーに望まれやすい」って書いてあって爆笑しました。それも酔った勢いで?
高村 やだ(笑)! 酔った勢いでしょうね(笑)! でも、望まれやすいだけで、なってはいないですからね! そこは大事ですよ!! でも、なんでなんだろう……? 軽そうで、後腐れなさそうに見られるのかなぁ。後腐れあるのになぁ。すごいネチネチしてるんですよ、私……。
――外見が華やかな人は「若い時は口説けなかったけど今の俺ならイケるかも」みたいな希望を持った年配の人が寄ってくる気がします。
高村 っていうか、ブログとかウェブのものって、酔っ払った勢いで、ろくでもないことを書いてるので、こうして掘り返されると、すごく恥ずかしい。
――あはは。お酒はよく飲まれるんですか?
高村 飲みます。かなり控えようとはしています。記憶がなくなるまで飲むのは、今はやめてますので(笑)!
――記憶をなくすまで飲むのをやめると、だいぶ自分を信用できるようになると思います! ちなみに、この業界以外の仕事に就こうと思ったことは?
高村 ちょっと思ったことはあるんです。でも、必ずそういうタイミングで「芝居に出ない?」とか「マジックのアシスタントやらない?」ってお話をいただくんです。だから、「これは続けろってことだな!」と思って(笑)。
――そうですね! では最後に、今後の野望を教えてください!
高村 いつか、芝居も、踊りも、マジックも、コントも、すべて融合したようなものをやっていきたいです。もう、いまさら後には引けないし、やっぱり好きなので(笑)。
――どうもありがとうございました!
(撮影=宍戸留美/構成=小明)
●たかむら・めぐみ
1969年11月2日生まれ、東京都出身。声優、舞台女優、マジックアシスタント等、幅広いジャンルで活動中。
劇団『うわの空』「水の中のホームベース」に出演予定。
10月5日(土) 名古屋・七ツ寺共同スタジオ
10月12日(土)~14日(月・祝)新宿・タイニイアリス
11月9日(土) 大阪・ウイングフィールド
11月16日(土) 札幌・シアターZO
●ししど・るみ
1973年、福岡県生まれ。1990年にアイドルデビュー、18歳でフリーアイドルになり現在まで様々な分野で活動中! フランス、ドイツ等でもライブを行い音楽活動で高い評価を得ている。
元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとして可愛い声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の23回目! 今回は、『天元突破グレンラガン』のニア役や『トップをねらえ2!』のノノでおなじみ、福井裕佳梨さんが来てくれました!
――ギャー!! 本当に福井裕佳梨さんが来てしまいました、グラビア時代から観てました! 今日はよろしくお願いいたします!! さっそくですが、ゆかりんは中学生の時に同級生と一緒にオーディションを受けて芸能界に入ったんですよね。どちらが言い出しっぺだったんですか?
福井 なぜ、そんなことを!? お友達が「受けようよ」って誘ってくれて、お芝居が好きで、役者さんになりたいと思っていたので、受けてみたいなと思って。うふふ。
――これは、友だちに誘われた方が合格する黄金パターン!?
福井 事務所に入るためのオーディションだったので、お友達も受かったんですよ~。でも、お友達は途中で辞めて、気がついたら私だけ残ってるんですけど……。
――福井さんは14歳の時に「すっぴん」(英知出版)の表紙でグラビアデビューして、後に日テレジェニックにも選ばれましたね。グラビアに抵抗はなかったですか?
福井 みなさんに顔を知ってもらった方が、もっと幅広くお芝居の仕事ができるかもしれない、ということで、グラビアもやらせていただいて。でも、やっぱり恥ずかしくて。布地が小さくてお腹が出てるじゃないですか……! 私、すごく筋肉質だったので、腹式呼吸の為に腹筋してたら腹筋が割れてきちゃって(笑)。カメラマンさんがいつも腹筋を写さないように撮影したりして、ご迷惑をおかけしました。なので、抵抗というより「私なんかが見せられる体型じゃないな」という感じで……(照)。
――日テレジェニックで同期の真鍋かをりさんは、プライベートで大御所ミュージシャンと熱愛したり破局したりといろいろな報道がありましたが、福井さんのプライベートはどうですか?
福井 えっ! そうきますか、そうですね(笑)、年齢的にも結婚適齢期みたいな年なので、そろそろ浮いた話があればいいな、と思っております。
――ネットで「福井裕佳梨 結婚」と検索すると、トップにご自身のブログのなんちゃって結婚報告(撮影でウエディングドレスを着た時にアイドルが良くやるドッキリ)が来て、そのブログの最後に「結婚したいなぁ」って書いてあるんですけど、それ、2009年のブログなんですよ。……4年前!
福井 あはは! この業界にはなぜか手相を見てくれる方がけっこういて、私も何度か見ていただいたんですけど、私の結婚線によると、なんだか、20歳の前半に婚期があったらしいんです。
――ちょっと過ぎた!?
福井 それで、次は去年か、今年らしいんですよ。「今年と言われましても~」みたいな。
――まだ、あと6カ月残ってますから!
福井 6カ月だけ残っていても……(遠い目)。
――……えーと、福井さんは15歳の時に『彼氏彼女の事情』で声優デビューですよね! 声優業を始めてみてどうでしたか?
福井 声優になるなんて、自分でも思っていなくて、滑舌も本当にお恥ずかしい、赤ちゃん言葉みたいな状態でしたし……。あと、しゃべるのがすごく遅くて、「絵に合わせるなんて!」って感じで。もともと声が高くてみんなからマネされたりとか、お芝居をしている時も「それ、本当の声ですか? 作ってるの?」「アニメキャラみたい」って言われることが多くて、ちょっとコンプレックスだったんですけど、声優のお仕事ではその声がプラスになることもあって、良かったなぁと。
――2003~04年の間、8カ月ほど休まれてましたね。あの時はいったい何があったんでしょうか?
福井 あの時は皆さんにご心配とご迷惑をかけてしまって……詳しく言っていいのかわからないんですが、急性大腸炎で1カ月ちょっと入院して、そのあとも体調が良くなくて、動けない状況が続いてしまって……。ファンのみなさんや、キャストさん、スタッフのみなさんにもお会いしていなかったし、それまで自分にあったものが、ワーッて遠のいてしまったような気がして、そのせいで余計にフラフラしてしまったんじゃないかって。
――そうだったんですか……! 体力が低下すると、気力も低下してしまいますよね。
福井 そうなんです。心身ともにそういう感じだったので、「すごいムキムキにしてから、ちゃんと復活しないといけない」と思って、休ませていただいている間、リハビリのために、お外に繰り出してみようと思ったんです。そうしないと自分が動けるかどうかもわからないし。それでお散歩をしていたんですけど、熱射病で、田んぼでフラッとなってしまって……。偶然荷台がついたトラックのお爺さんが通りかかって、「どうしたんじゃ!?」と止まってくださって。「動けなくなってしまって……」って言ったら、水筒に入っていたお茶を「飲むか?」って。それで生き帰りました。「心配だから、家まで送ってあげる」って、家の近くまで荷台に乗せていただいて……。
――荷台!? 『トトロ』の冒頭のさつきとメイみたいな!?
福井 それで、車ってすごいなぁと思って免許も取れたんですよ。もう少し元気になってからは、今までアルバイトというものをしたことがなかったので、どうしてもウエイトレスさんになってみたくて! 店長さんにいろいろと根回しをしていただいて、「福井」という名字を変えたり、メガネをかけたりして、念願のウエイトレスをさせていただいたんです。すごく勉強になりました。
――アルバイトは、つつがなくこなせましたか?
福井 自分ではなんとかやれていると思ってるんですが……。まず、先輩に「新人さんは挨拶とお手洗い掃除から始めましょう」と教えていただいたんですけど、私、恥ずかしくて、なかなか思い切った「いらっしゃいませ!」が言えなくて。お手洗い掃除をしながら「いらっしゃいませ……いらっしゃいませ……」ってブツブツ練習していたら、ちょうどお客さんが入ってきて、つい振り返り際に「いらっしゃいませ!」ってすごい笑顔で言っちゃって……お手洗いで……。
――予期せぬ歓迎にお客さんもビクッとしますね。尿意が限界じゃなかったことを祈ります。
福井 あと、ご案内もさせていただけるようになって、「空いているお席にお座りください」みたいなことを言っていたんですけど、ちょうど「あ、空いてるお皿もお下げしなくちゃ」っていう時で、あたふたしてしまって、お客さんに「あちらの空いているお皿にお座りください!」って言っちゃって、店長に二度見されて……。その生活ですごく元気になれましたよ!
――そのお店に行ってみたかったです。その後、『トップをねらえ2!』の主役のノノ役で復活されましたね。
福井 休養している間に、『トップをねらえ2!』のスタッフの方からお話をいただいたんです。ガイナックスさんの20周年記念作品と言う事もあって、プレッシャーもありながらも本当に光栄で、やらせていただきたいという気持ちがありつつ、体調面の心配もあって、「今、できるのか? でも、させていただきたい!」と思って、「よろしくお願いいたします」と。そして、私が演じるノノちゃんも最初はウエイトレスさんで登場していて、ちょっとシンクロ!
――無事に復帰されて何よりです! なかなか激動の休養期間だったんですねー!
福井 はい! あと、『トップをねらえ2!』をやる前に、精神統一と修行をしようと思って、お寺に座禅と滝をお願いしに行きました。
――滝って滝行……!? 尋常じゃない気合いですね。
福井 そしたら、「冬だから、今、滝やってないんだよ」って言われて、滝には打たれられなかったけど、何日か通って座禅はしました。
――しかも冬かよ! 半端ない! お寺に行くのは好きなんですか?
福井 好きですね。前に、宮村優子さんが大阪でお芝居をされていると知り、「ぜひ観に行かせていただこう! そして、せっかくだから一人で京都の神社仏閣巡りもしてみよう!」と思って、京都に泊まって、色んな所を回る予定だったんですけど、絶対に“写仏”をしてみたいって気持ちがあって。一番最初に行った小野小町のゆかりのお寺、随心院さんで写仏をさせていただいたら、朝から夕方まで、5時間かかりまして……。鳥の声と虫の声が気持ちよくて、すごくありがたい気持ちになりました。結局、そこしか行けなかった(笑)。
――すごい集中力ですね。1カ所しか行けなくても、それだけ楽しめば元は取ってますよ! お寺効果でスピリチュアルな面も無意識に鍛えられていそうですが、霊感はある方ですか?
福井 あはは(笑)! でも、ぬいぐるみに「これは、入っているかも」っていうのは何となく感じた事はあります。
――えっ怖い! 職業柄、ぬいぐるみをいただく機会も多いから、ファンの方からいただくぬいぐるみには色んなものが入っているんじゃ?
福井 そこには入っていなかった。(笑)
――そこに入っていなかったら、いったい何処に!?
福井 えーと、私、チーキーちゃんっていうぬいぐるみが好きで、高校生の時にずっと原宿のショーウィンドウで見てたんです。ガラス越しに「ゆかりーん♪あそぼ♪」って言われてる気がして(笑)。3万円くらいするから、買うのにも勇気がいるし、お金を貯めながらずっと通ってやっと買えて、とても大事にしていたんです。それで、その話を調べて、お仕事でお世話になっている素敵なお方が、節目のお誕生日に、ほんとにでっかいチーキーちゃんをくださって。
――素敵な人脈持ってますね!
福井 いただいたのはフランスのアンティークのチーキーちゃんだったんですけど、いただいた時に、「可愛いなー! ……あれ?」って。それからしばらくして私はひとり暮らしをすることにして、なぜか「この子だけ連れて行こう」って気持ちになったんです。それでひとり暮らしの部屋に飾っていたら、いつも、すごい視線を感じるようになって……。気になって仕方がないから、「とりあえず、クローゼットの中にいてくださいね~」ってクローゼットにしまったら、お兄ちゃんが遊びに来たとき、突然「あそこに何がいるんだ?」ってクローゼットの方を見るんです。「クマのぬいぐるみを入れてるんだけど……」と答えたら「ちょっと見せてみろ」って言われて、出したら、笑い話をした後、フーッとため息をついて「……こいつ、クマじゃねぇ」って。お兄ちゃんは霊感が強いんです。
――えー!! じゃあ、何!?
福井 「たぶん男の子で、寂しがっているから、どっかにやっちゃうよりも手をつないでやったり抱きしめてやったりしておけ」みたいなことを言われて、その日はお兄ちゃんが手を握りながら寝たんですけど(笑)、お兄ちゃんすっごいよだれを垂らして寝てて(笑)! 「お兄ちゃん、優しいけど(笑)、よだれ、よだれ!」みたいな(笑)!
――笑ってますけど、けっこう怖い話ですよ! そして良いお兄さんですね、独身ですか? 良かったらくださ……
福井 その後は、本当にさみしくて、ちっちゃい虫とかが飛んでいても「私と一緒に住んでくれてる」と思うようになっちゃって、ひとり暮らしは終わりましたね……。やっぱり家に帰って家族がいた方がホッとしますよね。
――わかります、私も虫と同棲してました、というか今もしています。お友だちとは普段、どんな遊びをするんですか?
福井 山菜採りに行ったり。つくしとか。
――平和! お酒を飲まれたりはしないんですか?
福井 飲み会というのが周りに全然ないんです。けど、以前、親戚の集まりで、親に「ウイスキーだ! 飲め飲め!」と飲まされて、気付いたら親戚の子どもと一緒に三輪車に乗っていたことがありました。あはは。
――いい感じの酔い方! ちなみに、今年で芸歴が16年めになりましたが、16年前はこんなに長く続けると思っていましたか?
福井 驚きですね。でも、マイペースに、一歩一歩成長して、愛される女優さんになっていこうと思ってのんびりやってきたので、あんまり考えたことなかったです(笑)。ただ、何年前だったかな? 16歳か17歳のときのDVDで、「10年後の私へ」っていうお手紙を書いてたんですけど、そのとき、一行目から「10年後のゆかりん母さんへ」って書いてて……! のんびりしてたら、10年は過ぎてゆきました(遠い目)。
――あはは! これからも応援してます! 今日はどうもありがとうございました!
(撮影=宍戸留美/構成=小明)
●ふくい・ゆかり
1982年生まれ。1997年にピザ・カリフォルニアのCMでデビュー。翌年には『彼氏彼女の事情』で声優デビューを果たし、2000年にはグラビアアイドルの登竜門「日テレジェニック」に選出される。同年ではミュージカル『魔法使いサリー』、その翌年に『赤毛のアン』でそれぞれ主演を務める。現在グラビアは突業しているが、声優、タレント、女優など、幅広く活動中!
福井裕佳梨公式blog『Yukalyric』
元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとして可愛い声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の22回目! 今回は、『REC』のヒロイン、恩田赤や『地獄少女』のきくりでおなじみ、酒井香奈子さんが来てくれました! 映画『キサラギ』の如月ミキちゃんですよー!
小明 酒井さんは代々木アニメーション学院の卒業生なんですね。代アニは超有名校なイメージですが、卒業生のうち、どれくらいの人が声優になれるんでしょう?
酒井 けっこう厳しいんじゃないかなぁ。私、福岡の地方校だったんですけど、卒業しても東京に出てくる人は3割ぐらいだったと思います。上京しても事務所の養成所でずっと研修したり……。別に遠回りしてもいい仕事だと思うんです。ただ、私は高校を中退して専門に行っていて、みんなより2歳ぐらい若いから、できるだけ早く現場に行けるのが自分の強みだと思っていて。だから、事務所もできるだけ早くチャンスをくれそうな所を選ぼうと思って。今考えたら、よくデビューできたなと思います(笑)。
小明 若い時って妙に焦っちゃいますもんね。今ならゆっくりやればいいのにって思えるんですけど。
酒井 ゆっくりやるタイミングを逃したんですよ。チャンスをくれそうな事務所を選んだけど、「声優さんになりたい人ってこんなにいるんだ」ってビックリしちゃって。だから、上京したときには、なれないと思ってました。もともと舞台が好きだったので、「まず舞台を一生懸命やって、そこで人気がでてからの声優だ!」と思って、一応事務所には入ったけど、上京半年くらいは別で劇団のオーディション探したりとかしていましたし。
小明 今も舞台をよくやられていますもんね。事務所に入ってすぐに寮で先輩声優の井ノ上奈々さんと同居になったそうですが、同居生活はスムーズにいかれましたか?
酒井 大変でした(笑)。事務所も入りたてだし、1回だけ先輩が集まっているところでご挨拶しただけで、2回目に会ったときには「さぁ一緒に住みましょう」だったので、距離感もぜんぜん分からなくて「なんて呼べばいいんだろう……」とか。私は3日ぐらい前に寮に入っていたんですけど、井ノ上さんが引っ越してきて、まず最初にしたのが共同スペースのリビングの棚にフィギアを飾りだして「この人とうまくやっていけるかな……」と思いました(笑)。でも、そこから、2年も暮らしたんですよ。
小明 2年も? ずいぶん相性が良かったんですね。
酒井 お互い掃除ができなくて……(笑)。初日のリビングは初歩の初歩で、各自の部屋からどんどんリビングに汚染が広がっていきましたね。足の踏み場もなくて、事務所内でも汚部屋として有名でしたね。本当、ひどかったです。
小明 こんな美少女が住んでいて、可愛い声は聞こえるけど、部屋は汚いっていう……。
酒井 それはもう、女の子が集まってキャッキャ騒いでティータイムしたりするんですけど、汚い。おしゃれな物とかもない。みんな知らないと思います、私たちが住んでいた部屋がどんなだったのかは。ドン引きされちゃうエピソードばっかりで、掃除だけで、2日は語れますよ。
小明 端から見ると楽しそうだけど、遊びに行くと大変そうな家ですね。
酒井 汚かったなぁー!
小明 今はきれいに保たれているんでしょうか?
酒井 引っ越して1カ月半ぐらいなんですけど、きれい欲がギリギリ継続しています。今のところ大丈夫なんですけど、若干、忙しくなっていったりすると……。
小明 服が積まれていったり……。
酒井 服ですよね、スタートは。一番散らかしていた部屋のときは、積み上がった服を猫がベッドにしていました。
小明 私の部屋でも、それは日常茶飯事ですよ! お仕事では、事務所に入ってすぐにアニメ『REC』でヒロインデビューでしたね。これはオーディションだったんですか?
酒井 はい。まだデビューしていない人の中から選ぶという条件だったので、タイミングがよかったな、と。何も仕事していない状態で、事務所から「オーディションがあるからテープを録ります」と言われて、いつの間にか決まっていたような。
小明 たくさん審査員が並ぶ中、「○○事務所から来ました! △△です! 特技は……」みたいなことではなく?
酒井 はい。完全に宝くじみたいなことだと思います。
小明 そこからCDを出されたり……。
酒井 アニメにくっついて主題歌も決まっていたし、キャラソンも決まっていたし、TBSでラジオをやるのも決まっていたし、なんか、「わーすごい!」よりも、「へー」って感じで、今やることをとりあえずやるみたいな感覚で、「シンデレラガールですね」って言われてもピンとこなくて、「こういうこともあるものかー」と受け入れていたんです。たぶん、環境に馴染むのが早いんですよ。「こういうことしてください」って言われたとき、「そういうものなんだ」と思って受け入れちゃう。
小明 なるほど。その2年後には、映画『キサラギ』で壮絶に焼死したマイナーアイドル、如月ミキ役もやられてましたね。あの如月ミキが歌うエンディングテーマはいいですよね! あえて外し気味にレコーディングをするのって大変じゃなかったですか?
酒井 レコーディング……(暗い顔で)。「如月ミキは上手くないっていう設定なんで、とりあえずCD用にちゃんときれいに歌ったものを録ってから、本編用のを録りましょうか」と言われて、歌ったらすぐに、「うん! 本編これで! きれいバージョン、いらないです!」って言われて。私、完全に外した気はないのに。
小明 わー……なんと言うか、失礼いたしました。
酒井 とんでもないです。いい仕事ができました。一番苦労しなかったレコーディングです。他にも偶然やる役がド音痴という設定がちょいちょいあって、「下手に歌ってください」ってオファーもちょいちょいあって、一発OKがちょいちょい出るんですよ。レコーディングでなかなかそういうことないのに。向いているんですよね、才能かな? 自分では音もちゃんと当たっているつもりなんですけどね……。
小明 それも踏まえて『キサラギ』はハマり役ですね! あのオーディションはどうやって通ったんですか?
酒井 それも宝くじです。キャスティングをしている映画会社が、「昔のアイドルのような、ちょっと神聖な感じのあるアイドルが良いんだけど、それって今の声優さんに近いかもしれない」ってことで、声優事務所で顔出しできる子を探していたらしくて、事務所の人に「映画のオーディションあるから」って言われて、行きの車の中で「アニメ映画ですか?」って言ったら「いや、実写」って言われて。「え、なんで? 私、顔出し?」みたいな。顔出しのオーディションなんて行ったことないから緊張する……と思って行ったら、「今、最終選考の2人です」と。
小明 え!! 一次面接と思ったら最終!?
酒井 写真とデータだけで最終まで残っていて、会議室でおじさんとちょっとおしゃべりして、「歌ってみて」って言われたので、その時に自分が歌っていたシングルをひとりで振り付きで歌ったら、監督がニヤニヤしながらすごい近くまで来て、ニカーッて笑って「帰っていいよ!」って。受かってから気づいたんですけど、歌も下手だし、完全D級なのを気づかれた瞬間だったんだと思って……。後になって聞いたら、最終選考に残ってたあとひとりは当時同じような黒髪パッツンだった、今、声優さんとしてもアーティストとしても大活躍の方だったらしくて。もし彼女が同じ状況で歌っていたとしたら……。
小明 上手すぎてマイナーアイドルの役じゃなくなっちゃいますね。
酒井 ね。そりゃ私が受かるわ~と思いました。
小明 あはは! 話は変わりますが、酒井さんは16歳のころから大槻ケンヂさんのファンなんですよね。
酒井 そうです、そうです。「特撮」というバンドからなんですけど。16歳のとき、完全にナゴム世代で筋少のおっかけしてた姉と一緒に住んでいたので、家にアルバムがあって、ちょっと精神不安定だった私がどっぷりハマるっていう。
小明 16歳って、人生が一番楽しい時期っぽいですけど、振り返ってみると、ちょうど高校を中退したあたりで何となく不安定さが見え隠れしますね。
酒井 そうですね。高校は『ごくせん』(集英社)の女子校版みたいな感じだったので、10カ月で「これ以上いても得るものは何もない」と気づいて中退して、ちょうど専門に入った頃。部屋には黒いレースと深紅のカーテンでしたもん。シルクの完全遮光のやつ。今、考えると、なんであれ、選んだんだろう……。
小明 わかりますよ、私は電球を赤く塗りました。ちなみに、小・中学のときはどんな感じだったんですか?
酒井 小学生のときは、もっと体重があって、かんしゃく持ちで暴れる子というか、切れる子どもというか、やっかいな生徒だったんですよね。中学まではそれを引きずっていて、男子からしたら「え~酒井~?」みたいな。クラスでワーストランキングに入るやつ。
小明 それが今やこんなにきれいに! 学生時代にバイトとかはされてましたか?
酒井 バイトもいっぱいクビになったんですよ。愛想はいいんですけど、仕事が覚えられないので。ファミレスでも「接客がすごくいい」ってお客さんにすごい喜んでもらえるんですけど、機械で出すオーダーが全部間違っていて……。機械がローマ字じゃなくて英語読みの頭文字2個とかになっているんですよ。デミグラスうんたらソースのハンバーグだと、「デミグラスだから、D? ハンバーグだからH? DH?」って。英語がダメで、学校も英語の授業の後から登校していたから……。結局、オーダーが取れないから、「バイトのテストで90点以上とれなかったら申し訳ないけど辞めてくれて」って店長に言われて、芝居の台本はいくらでも覚えるけど、メニューを覚えても人生の何の役にも立たないから、正直覚えられないと思って、「店長ごめん、私、90点とれないから、辞めます」「それじゃ、辞めてくれ」って。いっぱいバイトはしたんですけど、そんなのばっかりですね。
小明 私も1カ月でファミレス辞めましたよ! 大槻さんはそういう少女をホイホイ釣りあげますよね。
酒井 釣られちゃいましたね。
小明 ラジオでオーケンとの結婚を語るコーナーまでやっていたとか。
酒井 やってました(笑)。まずは、私が大槻さんと出会う方法を真剣に考えて。事務所に、「特撮」で一緒にライブをやっていた方がいたから、事務所パワーを使ってライブに行って、楽屋で大槻さんに会って、1回目はあいさつだけして、何も伝えず、「ありがとうねぇ、なにかで食事でも」なんてのを妄想で語りまくるっていう……。
小明 あ、もうすごい計画的なやつじゃないですか。いいなぁ。
酒井 当時、大槻さんは対談とかもされていたから、まずはそれに呼ばれて仲良くなるって設定なんですよ。で、2回目に連絡先を交換して、そこから食事に行くようになって、おつきあいして、できちゃった結婚して、そしたら、16歳の女の子が家にピンポンピンポンって来るんです。愛人というか。
小明 不幸まで想定済みなのが妙にリアルです。
酒井 完全に来るでしょう。ケンヂさんは隠れちゃって、「ごめん、ぼく、怖いから香奈ちゃん出てぇ」って言うんですよ。私は朝からキャロットケーキを焼いているので、「じゃあ、一緒にティーパーティーしましょう」って言って、肩を狭くするケンヂさんに「そういう時代ってあるよねって。間違ってないよ」って……。
小明 浮気は容認なんですね。すごい、この話、対談中は盛り上がって聞けたけど、文字に起こすとなんか怖いよ!
酒井 そんな妄想話をコーナーにしていたら、番組のスタッフさんが大槻さんを呼んじゃって。大槻さんに「老後を看取らせてくれ」って話をして、実際に対談もさせていただいて……。
小明 老後って……。あ、対談までは順調じゃないですか! 夢が現実に!
酒井 カラオケで私のためだけに『香菜、頭をよくしてあげよう』歌ってもらって……!
小明 シット(嫉妬)!!
酒井 キタコレ! このままどうなっちゃうのかしらって思って外に出たら、「じゃっ」てタクシーに乗って帰って行っちゃいましたね。置いていかれた、私。それからは、なんて言ったらいいのかな、すごいかわいい方なんだなって思って、私の下心がなくなりました。
小明 あー……。私も大槻さん大ファンで、仕事の流れでお食事させてもらったこともあるんですけど、終始「最近ニューハーフAVにハマッててさぁ、このブログの子なんだけどね、かわいいでしょ? でもAVだとやっぱり男なんだよ~」って話で、もちろん食後は「じゃっ」で直帰でしたよ。
酒井 同じ枠だ……。
(その後、宍戸留美も加わり「私もあんなこと言われた」「こんなこと言ってた」と本人不在の大槻ケンヂさん座談会。ちなみに全員口説かれてませんでした。大槻さん贅沢だよ!)
小明 2011年には、水着写真集も出されたんですね。グラビアに抵抗はないですか?
酒井 まったくないですね。やったことないことは、何でもやってみたい。それで好きだったことはそれからもやっていくし、「これはやらなくていいかな」って思うことは推していかなくてもいいかなって。
小明 ちなみに苦手だったことはどんなこと?
酒井 歌?
小明 オゥ……歌、全然いいと思いますよ! グラビアは好きですか?
酒井 グラビアは面白いし、けっこう好きです。他の声優さんも水着の写真集を出されているけど、なんだろう? 私、超清純派でもなければ、とびっきりの売れっ子アイドルでもないから、「じゃあ、逆に出せるものがあるよね」って。実用的な写真を撮りたいなと。この連載も元々、第一回から見ていたんですよ。けっこうセクシーな写真も多いので、普段攻めない人がセクシーを撮っているなら、セクシーを撮ったことがある人はもっとセクシーに攻めないとダメなんじゃないかと。
小明 なんたるサービス精神です! 今日はありがとうございました、撮影、レフ持ちします!!
酒井 がんばります(笑)。
(撮影=宍戸留美/文=小明)
●さかい・かなこ
1986年、福岡県生まれ。尾木プロ THE NEXT 所属。2005年、TVアニメ『REC』でヒロイン・恩田赤役で声優デビュー。以降、声優、歌手、グラビア、舞台等で活躍中。
・4月スタート アニメ『波打際のむろみさん』出演中
・6月26日(水)~7月7日(日)
舞台「The Fake Time Machine Story ~ウソヘノトビラ~」
劇場:中野ザ・ポケット
脚本:伊福部崇 演出:吉岡毅志
出演 増田裕生・小川麻琴・甲斐田ゆき・真山明大・酒井香奈子・高木俊・袴田裕幸/吉岡毅志・福澤重文/小野健斗 中津真莉子
チケット料金:4,500円 (税込・全席指定)
※前売り・当日共 ※イベントのみの日は4,000円
チケット発売:2013年4月下旬頃よりを予定
企画・制作:株式会社トライフルエンターテインメント
・最終目標はみんなでハワイ旅行!本人主催イベント企画の『アロハプロジェクト』も要チェックです。
●ししど・るみ
1973年、福岡県生まれ。1990年にアイドルデビュー、18歳でフリーアイドルになり現在まで様々な分野で活動中! フランス、ドイツ等でもライブを行い音楽活動で高い評価を得ている。








