元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の36回目! 今回は、25枚目のシングル発売を控えた、今年でデビュー21周年というライブアイドル界のレジェンド、森下純菜さんが来てくれました! ――ご無沙汰しています! あの、私、昔ライブでご一緒させていただいたことがあるんですが……。 森下 ご無沙汰してます、バッチリ覚えてます(笑)。 ――ひー恥ずかしい! 私はそれが初めてのライブで、もうボロボロのひどい有り様で、マネージャーに「あの人を見て勉強して」って言われたのが森下さんのライブでした。それから10年以上経過して、森下さんは今年で芸能生活21年目ということで……人生の半分以上も歌を歌って生きているなんてすごすぎです! 森下 数字にすると「おお~」と思いますけど、本当に気付いたら……という感じで(笑)。ファンの方も、20歳で出会った方がもう40歳ですし、みんなで一緒に年を重ねています。 ――もう親戚感覚ですね。ファンが増え続けているというのも素晴らしい! 森下 昔からの方はずっとですし、新規の方もちょっとずつ。あと、昔応援してくれていたけれど、お仕事の都合だったり、家族ができたりで一度は離れていた方が、「まだ歌ってたんですね」って帰ってきれくれたりするんです。そういうときはとてもうれしく思いますね。 ――ずっと続けていると、そういう出会いと別れを繰り返しますよね。ファンからすると、いつも歌っていてくれるからうれしいことでしょう。 森下 そう思ってもらえれば。ふふふ。 ――森下さんのライブはとにかく可愛いですよね! 90年代のサンミュージック系アイドルの王道スタイルというか。このスタイルを確立したのはいつなんですか? 森下 確立したのは……ずっと? デビュー前からやっていたと思います。 ――えっ、デビュー前から!? 森下 CDデビューしたのは1996年ですけれど、活動を始めたのは94年くらいなので……。デビューまでは事務所の主催ライブとか、ジョイントライブとか、そういうものに出ていました。 ――はじめから、あの完成度ですか!? 森下 そんなに完成はしてないっていうか、今でもまだまだですよ(笑)。ずっとアイドルが好きで、1人で振りつけを真似していたので、それが染みついているのかも? ――なるほど~。やっぱり小さい頃から「アイドルになろう」って決めてたんですか? 森下 アイドルが大好きで、音楽を聴いたりアイドル雑誌を見たりはしていたんですけど、自分がなろうって思ったのは、高校2年生とか……遅いんですよ。ただ本当に憧れているだけでした。 ――その、憧れを現実にしようとしたきっかけは? 森下 きっかけは、CoCoさんのコンサートかな。ステージを見て、「私もあっち側で、可愛い衣装を着て、名前を呼んでもらえるようになりたい」と思いまして、まず、名古屋の芸能の養成所に入りました。 ――なぜ養成所に? アイドルオーディションとかでなく? 森下 当時は私もよくわかってなかったんですけど、ビッグアップルさんと、ヒラタオフィスさんの系列の養成所だったので、ゆくゆくはビッグアップル所属の高橋由美子さんみたいになれるかな、なんて期待したんですけど、どうやら違ったらしく(笑)。歌と殺陣を習いながら、先輩方が「自分でチャンスを掴んでいかなければいけないんだよ」「ここにずっといてもしょうがないんだよ」って教えてくれて、事務所に入ることにしたんです。それが、当時、水野あおいさんが所属していたアルテミスプロモーションでした。
――ライブアイドルの草分けですね! それはオーディションで? 森下 オーディションというか、その時、アルテミスもタレントがあおいさんしかしなかったので、「もしかしたら次に売り出してもらえるかも」と思って、アイドル雑誌に載っていたファンレターの送り先に、履歴書を送りました。それで連絡をいただいて、ちょうどクリスマスの時期に、社長が名古屋まで会いに来てくれて、姉と一緒に会ったんです。 ――社長がわざわざ!? でも、それ、物語だったらお姉さんがスカウトされるやつですね! 森下 あはは! 姉は一生懸命「まだ何にも染まってない妹なので、そちらの事務所でデビューに向けて育てていただけませんか?」って売り込みをしてくれました(笑)。 ――マネジャーみたいなお姉さんですね、貸してほしいです……! それで、すぐ所属に? 森下 所属になったかどうかはわからなかったんですが、社長に会ったのが年末で、その後すぐ「年始にアイドルライブが川崎のクラブチッタであるから出ないか」って言われて……びっくりしましたね。 ――会ってから初ライブまで一週間後くらいじゃないですか! そんな風に言われて、すぐに歌えるものでもないですよね? 普通は事務所でレッスンを積んでから……。 森下 それが、私、瀬能あづささんがCoCoを抜けたときに、いつでも入れるように振り付けを練習していたので(笑)……そのライブではCoCoさんと、三浦理恵子さんの曲を歌わせていただきました。完成度はよくわからないんですけど、自分なりには、はい(照)。 ――瀬能さんも、ちょうどいいタイミングで抜けてくれたものですね……! 形は違えど、森下さんも可愛い衣装で名前をコールされる側になられたわけですが、ご苦労も多いことと思います。可愛い衣装なんて、本当に高いですもんね。こういうステージ衣装はどこで買っているんですか? 森下 ステージ衣装は、スタイリストの方に作ってもらっています。 ――作るの!? それは、かなりお高いんじゃないでしょうか? おいくらするんですか? 森下 ……? ちょっと、わからないです。聞いたことがないので……いくらなんだろう? 事務所代表 うちはそういうのは教えてないので、彼女はひとつも知らないと思う。 ――なにそれ、昔のアイドルみたい……! えっと、衣装の他にも、ファンの求める“ザ・アイドル”な自分をキープするのは大変じゃないですか? 森下 うーん……? それも、あんまり考えたことがないですね。一番自分の好きなアイドル像が、このスタイルなので、これからも続けて行きたいと思っています。 ――ファンの理想と自分の理想がマッチしているという奇跡のアイドルがここに……!! でも、ライブや物販なんかでファンの方との距離が近いぶん、危ない目にあったりしませんか? 森下 そういうのは、一度もないです。
――そんなまさか! 私には定期的に殺害予告みたいな手紙が届きますのに? 事務所代表 本人が良い人だから、ファンもミラーリングされて、良い人ばかり集まるんですよ。 ――そうですか……んっ? それはどういう意味かな? 森下 あっえっと、皆さん良い人ばっかりです! ――ちなみに、アイドルには男の影があっちゃいけないとか、そういうのも実践されてますか? 森下 そうですね、いつまでも夢を与える存在でありたいので……。 ――つ、爪の垢をください!! 歌手活動の他に、写真集を5冊も出されてますよね、私『金魚』(00年/ぶんか社)大好きです! 露出度は高いのにぜんぜん下品じゃない、独特な作品ですよね。グラビア活動はどうでしたか? 森下 ありがとう、うれしいです(照)。事務所に入ったときは、まさか自分がそういう仕事をするとは思いもしなかったんですけど、不思議と嫌ではなくて、やっていくうちに楽しくなって、「意外とこういうのも向いてるのかな」って思いました。“魅せる”っていうことが楽しかったです。 ――5冊出せる人なんて、いまAKB48にもいないですよ! でも、露出度が多い仕事に不安はなかったですか? 森下 露出度に関しては不安もありました。露出の多いグラビアをやり始めてから離れて行ったファンもいましたし……。やっぱり、清純なイメージで好きでいてくれた方にとっては、違うものになってしまったんでしょうね。 ――「かわいいお洋服を着て歌ってる純菜ちゃんが見たいのに!」ってことなんですかね。気持ちはわかりますけど、難しいですよね。 森下 グラビアで、グラビア方面のファンの方も増えましたし……難しいですよねぇ。 ――いろいろと難しい中で、引退を考えたことは? 森下 一度、水野あおいさんが引退されたときに、「私もアイドルとしてこのままでいいのかなぁ」とか、「普通の生活もいいのかなぁ」って、引退とはいかないまでも、将来のことを考えました。このまま続けて、女優になるわけでもないし……。その時に、現在所属している事務所の代表の大山さんの紹介で、台湾に渡ったんです。台湾でお仕事をして、台湾の大学にも通って……。 ――私、後輩です。台湾で同じ大学ですよ。私はぜんぜん仕事なかったですけどね! 森下 偶然ですね、私も(笑)。
――ちなみに、森下さんはどういう流れで台湾に? 森下 今の事務所の代表が『ウリナリ!』のプロデューサーさんと仲が良くて、紹介していただいて、3人で台湾に見学に行って……。はじめは「日本から通いながらお仕事できるのかな」って甘い考えでいたんですけど、「言葉を覚えるために向こうで暮らす」っていう条件があって……。悩んだんですけど、もともとアジアで活動したいと思っていましたし、ビビアン・スーさんも好きだし、行ってみようって。 ――『ウリナリ!』なんてビデオに撮って爪も折ってました……すばらしい人脈です! 森下 ありがたいことに……(しみじみ)。でも、最初に3人で行ったときは、美味しい物もたくさん食べて、「わぁ楽しい~」って感じだったんですけど、1人になると途端にホームシックになってしまって。いろんなことにネガティブになってしまって、一つ一つ楽しむことができなくて。それで、やっとお友達ができて、楽しくなってきた頃に活動の期限が終わるっていう(笑)。 ――台湾で生活していたのはどれくらいだったんですか? 森下 半年くらいです。お仕事は、台湾の芸能情報を伝えるパーソナリティのアシスタントをしていました。 ――中国語で!? 森下 日本語で(笑)。はじめはホームシックで不安ばっかりでしたけど、大学では、誰も私のことを知らない状態から、普通に同級生と仲良くなってお友達になれたりして……そういう普通の生活を久しぶりに送れたのがすごく楽しかったです。だから、帰るときは「これからもっといろいろなことができるんじゃないかな」って残念に思ったくらい。 ――本当にこれからなのに、ちょっともったいないですよね。 森下 台湾の景気が下り坂の時期で、当時所属していた事務所の経営もあまりよろしくなかったみたいで……。 ――おお、せちがらい。帰国してからの活動はどんな感じだったんでしょう? 「留学する」って言うと、引退扱いされちゃいませんか? 森下 一応「留学します」っていう最後のライブをしてから行ったので、みんな待っててくれて。でも、留学中は、まだツイッターとかブログもなかった時代だし、しかも留学中に当時の事務所も傾いてしまっていて。 ――ファンは昔の遠距離恋愛みたいな状態に置かれてたんですね……え! 事務所が!? どうしよう!! 森下 なので、帰ってきたときに、今の代表に新しい事務所を紹介してもらったんですけど、それがタレント事務所だったんです。その期間は名前もちょっと変えて、ライブ活動もしないで、タレントをやっていたんですよ。でも、タレント活動って大変ですね(苦笑)。テレビでは自分の力不足が大きく出てしまって、言葉で伝えるっていうのは大変なんだなぁって思いました。そうやっていくうちに、やっぱり私はテレビタレントでもなく、台湾にいたときのような普通の生活でもなく、“アイドル歌手”がやりたいんだって気付きました。いろんな寄り道をさせてもらった結果、本当にやりたいものに気付いたんです。やっぱり、これが大好きだから……。
――天性のアイドル歌手だ~!! では、このお仕事を続けていて良かったことはなんですか? 森下 デビューする前に『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)っていう番組のスーパーキックベース(出演者がキックベースで対戦するコーナーで、レギュラーメンバーの名字にはみんな“森”がついている)のオーディションを受けて、私は落ちてしまったんです。けど、森口博子さんが、私に「これが終わりじゃないから。これから頑張ればいいんだよ」って言葉をかけてくださって……。その後に無事デビューして、2007年に森口さんと同じステージで共演させていただく機会があったんです。その時、楽屋に挨拶に行かせていただいて、「森口さんの言葉をいただいて、私は今も頑張ってます」って言ったら、森口さん、私のことを覚えていてくださって……! その時に一番「続けていて良かった」と思いましたね。 ――森下さんも私のこと覚えててくれましたもんね、私も続けてて良かった! 森口さんのステージはどうでしたか? 森下 涙が止まらないほど感動しました。やっぱり“本物”っていうか、貫禄が違いますし、いろんな思い出が駆け巡っていきました。 ――辛いできごとも駆け巡りましたか? 森下 んー……私、本当に「辛い」って思ったことがなくって……。好きなことばかりやってきたから。今も、家族とか、今の事務所の方が、本当に良い環境でやらせてくれているので、それに甘えてしまって。ふふふ。 ――なんて羨ましい言葉!! しかしながら、多くのライブアイドルにとって、森下さんのように長く続けていくのはそうとうハードルが高いことですよ。活動を長く続けるコツはなんですか? 森下 私をよくわかってくれてる人がいろいろとやってくれているので、私はそのレールに乗っているだけなんです……。 ――そういうところも、ザ・アイドル! 運営的にはどうですか? 事務所代表 夢を壊さないことと、作品を出し続けることです。彼女とファンの世界を守ってあげること。デビュー記念ライブをやって、お誕生日ライブをやって、クリスマスライブをやって……毎年同じようなことの繰り返しかもしれないけど、それを着実にやって、ファンの夢を壊さない。それがとても大切だと思います。 ――なるほど、ファンの夢を壊さずに森下さんの夢も叶えているという素晴らしい手腕! でも、森下さんみたいにナチュラルボーン・アイドルじゃないと無理が出ちゃいますね……。ちなみに、21年で、曲は全部でどのくらいあるんですか? 森下 160曲ですね。 ――160曲!? オリジナルで!? 森下 オリジナルで(笑)。
――気が遠くなる数字です……! 作詞もされていますけど、恋の歌は実体験だったりしますか? 森下 私、21年目ですけど、未だに手も繋げないような歌詞ばかり書いてしまうんです。あとは夢を追うとか、元気を与える歌が多いですね。 ――大人の恋愛の歌とかは? 森下 難しいですよね、私はたぶん書けない(笑)。そういう機会が与えてもらえるんですけど、なかなか……。 事務所代表 彼女の書く歌詞に生々しさは一切ないんです。ファンもそれは求めていないですしね。 ――ア、アイドルだ……! では、もし、アイドルになってなかったら、何になっていたと思いますか? 森下 うーーーん。……やっぱり、アイドルがいいですね(笑)。もしかしたら名古屋にいたかもしれないけど、今は名古屋にいても活動できるだろうから、名古屋の地方アイドル……かな(笑)。 ――場所が変わっただけ! 最後に、今後の野望をお願いします! 森下 ファンの方のコミュニケーションする場を大切にしながらライブをやって、作品を残しつづけていきたいです。その作品と共に、ファンの方と一緒に成長していければいいなぁ。 ――私も一緒に成長したいです! 今日はありがとうございました! また会える日を楽しみにしています! (取材・文=小明/撮影=宍戸留美) ●もりした・じゅんな 1994年芸能活動開始。1996年CDデビュー、徳間ジャパンやバンダイミュージックなどでアルバム12枚、シングル25枚を2015年までに発売、写真集5冊をワニブックスなどで発売。ソロライブ開催は83回、オリジナル曲は160曲に及ぶ「ライブレジェンド」。 最新CDは、9月27日全国発売のシングル「夢時間(Dream Time)」 オフィシャルホームページ http://junna.tv/ Twitter @JunnaMorishita ■9月26日(土)森下純菜 大阪ソロライブVol.83「Dream time」 レコ発バースデー 時間:18:00 Open 18:30 Start 場所:南堀江ビレボア・・・06-6536-2002 住所:大阪市西区南堀江1-15-11 WINビル2F 料金:前売3500円・当日4000円(D別) ■9月27日(日)森下純菜シングルCD「夢時間(Dream time)」発売記念イベント TOWERレコード難波店にて開催! 時間:16:00~17:00 場所:TOWERレコード難波店 住所:大阪府大阪市中央区難波千日前12-22 難波センタービル5Fイベントスペース ■10月17日(土)森下純菜レギュラーライブ「GENKI!? Vol.81 SP」 時間:11:30 Open 11:50 Start 場所:恵比寿CreAto(クレアート)・・・03-3770-7755 住所:東京都渋谷区東3丁目14-19 ■11月23日(祝)太田貴子トーク&ライブ「Dreams」新宿ルイード 時間:18:00 Open 18:30 Start 場所:新宿ルイードK4・・・03-5292-5125 住所:東京都新宿区歌舞伎町1-2-13新光ビルB2 出演:太田貴子 トークゲスト:大山文彦 オープニングアクト:森下純菜 詳細ページ:http://idolshot.com/takako.html ■12月29日(火)森下純菜ソロライブ「純菜降臨28 Super LIVE2015」 日時:2015年12月29日(火)18:00 Open 18:30 Start 場所:渋谷テイクオフセブン・・・03-6427-5273 住所:渋谷区宇田川町32-12 アソルティ渋谷1F ●ししど・るみ 1973年、福岡県生まれ。1990年にアイドルデビュー、18歳でフリーアイドルになり現在まで様々な分野で活動中! フランス、ドイツ等でもライブを行い音楽活動で高い評価を得ている。 子供達に絶大な人気を誇るNHKアニメ『はなかっぱ』ももかっぱ役で声優を務める。 デビュー25周年! 『デビュー25周年記念プロジェクト始動中!! 』 https://motion-gallery.net/projects/runrun25 最新インタビュー掲載中 http://otapol.jp/2015/08/post-3687.html テレビアニメ 『はなかっぱ』ももかっぱ役『VENUS PROJECT-CLIMAX-』黒城星役 webドラマ『鬼の人美に涙』配信中! https://www.youtube.com/watch?v=_6geVevMNG8 ルミネッセンス 形態:8曲入り 定価:¥2,500(税込) 品番:SNDL-0003/JAN:4514306011869 レーベル:sundaliru
公式ブログ http://s.ameblo.jp/sundaliru/ ●あかり 1985年、栃木県生まれ。02年、史上初のエプロンアイドルとしてデビューするも、そのまま迷走を続け、フリーのアイドルライターとして細々と食いつないでいる。『卑屈の国の格言録』(サイゾー)、『アイドル墜落日記 増量版』(洋泉社)、DVD『小明の感じる仏像』(エースデュース)発売中。ブログ「小明の秘話」<http://yaplog.jp/benijake148/>シングル「君が笑う、それが僕のしあわせ」発売中<http://www.cyzo.com/akr/>。







元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の32回目! 今回は声優から少し逸れ、1989年の某Hプロスカウトキャラバングランプリを受賞し、『陽春(はる)のパッセージ』で各賞を総なめにしたにもかかわらず、たった1年半で芸能界を引退した伝説のアイドル、よっきゅんこと田中陽子さんが来てくれました!
――伝説のアイドル・よっきゅんが日刊サイゾーにいる! デビューから25年経った今、こんなものに出ていただいて、本当にありがとうございます……!
田中 こんなもの……(笑)。留美ちゃんから熱烈に口説かれて来ました(笑)。よろしくお願いします、田中です。
――はじめの方から伺いますが、1989年某Hプロタレントスカウトキャラバングランプリ、1989年HプロTHEオーディション・グランプリ、翌年にはデビュー曲「陽春(はる)のパッセージ」(アニメ『アイドル天使 ようこそようこ』の主題歌)で第9回メガロポリス歌謡祭、優秀新人賞受賞および最優秀新人賞受賞。全日本歌謡祭・銀座音楽祭・新宿音楽祭で銀賞を受賞……その翌年に引退って、展開があまりにスピーディ過ぎますよ!
田中 燃え尽きちゃった、人生を生き急いだ感じで(笑)。
――いろんな賞を総なめにして、アイドルとしての将来は約束されたようなものじゃないですか! 一度も売れたことのない私からすると、超もったいないです!
田中 そうでしたねぇ、ここからは多分書けない話だと思うんですけど……。
――書けない話の出現が早いなぁ。
田中 正直なことを言うと、女性特有の一番嫌な仕事を、内容を知らされずに現場に行って、それで何もかも信用できなくなって……。
――なんでだろう、ぼかされると余計にいやらしく聞こえます。
田中 あははは(笑)。衣装でニプレスを渡されて……。
――おお、アイドルあるある! 私も経験ありますけど、それって私みたいに売れてないグラドル限定のあるあるだと思ってました、田中さんにはナシナシじゃないですか?
田中 そうですよね。私も、始めからそういう売り方をされていれば、自分の中でも処理ができたと思うんですけど、私、基本は水着もやらないって方向性だったので……。でも、やらないって言ってても、どうしても断れない番組や雑誌も出てくるじゃないですか。そういうときには、あらかじめ水着も選ばせてもらって、「じゃあこれでやりましょう」って進めてたのに、なぜか翌年のその仕事に限って、仕事の内容も何にも知らされず、現場に行ったらそういう状況になってて……。それまでは「こういう月刊誌からこういう仕事がきてるよ」っていう相談がちゃんとあったのに……。そのときは何にも聞いてなかったの。
――水着NGにしたから「じゃあ水着もナシなら良いよね」みたいな……とんちなのかな?
田中 あははは! そうだったのかも(笑)! でも、内緒にして現場に行かせるんだったら、いつものメイクさん、スタイリストさん、いつものカメラマンとか、そういう心のよりどころが欲しかったなぁ。そうじゃなかったから、私1人vsみんな、みたいな感じで現場の雰囲気に圧倒されちゃって……。その状況が何よりも一番傷ついた感じでした。
――その当時は何歳くらいだったんですか?
田中 17歳かなぁ。
――若っ!! といっても宮沢りえも17歳でヌード写真集出してたし、昔の芸能界はいろいろとアリなんですねぇ。
田中 ですねぇ。そういう仕事って、普通は逃げられないように海外に連れて行かれるって聞いてたんだけど、私のときは国内で、しかも普通にタクシーに乗って行ったような現場だったから、完全に油断してました。「聞いてない」で、1時間くらい粘りましたが……某有名カメラマンに「やるまで帰さない」って言われて、逃げ出すにも逃げ出せず……。
――私も似たような経験があります……放課後電磁波クラブみたいな水着を用意されて……しぶってると今までニコニコ和やかに話してたメイクさんが急に目を合わさなくなって……。
田中 そうそう! そうなの! ああいう現場のメイクさんってなんであんなに強そうに出てくるんだろうね!? 途端に「フーン」って、そっぽ向く!
――売れないアイドル特有の悩みだと思ってたのに、まさか売れてるアイドルにも同じ悩みがあったなんて……。
田中 事務所との信頼関係が一瞬で壊れちゃいますよね。私はこれがキッカケで精神的に耐えられなくなり、「もう頑張れない」って辞めたんですよ。
――田中さんが主題歌を歌った『アイドル天使 ようこそようこ』も、初めはアイドルを目指すようこがアダルト系の事務所に「私アイドルになりたいんです!」って乗り込むところから始まっていたなぁ。
田中 あはははは! そうか、そのままを行ってたのかな(笑)!
――未来を予知するようこそようこ……。でも、アイドルはたいてい契約があるから「辞めます」って言ってすぐに辞められるものでもないですよね。
田中 私は5年契約だったんですよ。でも、まぁ、私がそのまま連絡がつかなくなったということで、クビというか、解雇というか。あは。きちっと事務所に行って話し合いをしてれば、書き方も「休業」とかになったんだけど。やっと連絡ついて「来い」って言われても、一度あの現場でアウェイ感を味わっちゃってるから、二度のアウェイ感は、もう私にはなかったんですよね。会社になんて、のこのこ出向けない。だからもう「お好きなようにしてください」って言ったのが最後でした。
――清々しい! でもその結果、田中陽子で検索すると「素行不良」「クビ」と出てくることに……。
田中 そう(笑)。だけど、そうしてくれたことによって、そのまま失踪に近い形でフェードアウトできて、その後、いろんな伝説が出たわけで……。
――確かに、ちょっとネットでググっただけでいろんな伝説が出てきます! まず、クイズ番組で、「69を英語で言うと?」の問題に、アイドルなのに「シックスナイン」と答えたとか。身に覚えはありますか?
田中 あはは! それは、早とちりをして、シックス“ティー”ナインって言わなきゃいけなかったのを、慌てちゃって、言ったあとに気づいた。みんなが「あぅええぇーー!?」って顔をしているから(笑)!
――引っかけ問題に見事にひっかかったんですね……! 続いて、生放送を逃亡してすっぽかしたっていうのは?
田中 『鶴ちゃんのプッツン5』かな? あれはすっぽかしたというか、遊びにいってて……(笑)。日付を間違えてたか何かで、帰れなくなっちゃって、エンディングで鶴太郎さんが「田中ー! 来週はこいよー!!」って、言ったっていうのを後から聞きましたね(笑)。プッツンは本当に良くしてもらったなぁ。
――今のところ全部身に覚えがあるっていうのもすごいですね。
田中 大丈夫、みんな覚えてる! しらばっくれないから安心して(笑)!
――あと、プロのカメラマンに「あんたうまいね!」と言ってのけたというタレコミも。
田中 えっ? 誰だろう! でも言ってたとしても冗談だよね、冗談。お笑い的な感じ!? ……たぶん。相当仲良くないと言えないですよね……。
――ロケバス立てこもり事件は? 撮影中にマネージャーがロケバスのドアを叩きながら「陽子ー! 出てきてくれー!」と叫ぶのを聞いたというタレコミが……。
田中 (爆笑)!!! それはね、えーと、わかんない!!!!
――なんかもう、やってそうですね! そして極めつけは、引退して田舎に帰るときに、駆けつけたファンに向かって「どうせ、すぐに中嶋美智代ちゃんを応援するんでしょ!」と吐き捨てたというウワサ!
田中 それはウソ! それはない! だって辞めたときは誰にも見送られてないし、飛行機でも新幹線でもなく、ひっそりと寮を出たもん。私もびっくりだよ。
――ウワサが一人歩きしちゃったんですね……! やったやってないは別として、ウワサのひとつひとつがエリカ様騒動を余裕で越えるプッツンぶりで痺れます!
田中 やってないものもありますからねぇ~! 後からこんな風に悪いほうに伝え漏れて聞くと……楽しく仕事していたことさえも「え、なんだったの?」って思いますね。
――ちなみに、一年半で引退されて、「もっと続ければ良かったかな」と「辞めといてよかったな」では、どちらが大きいですか?
田中 辞めといてよかった(即答)。私、学校に行ってなかったぶん、朝から晩まで一日の仕事量がすごく多くて。同じ年代のアイドルはみんな学校終わりで仕事に来てるのに、私はそれまでに既に3~4本の仕事をこなしているから、すごくテンションが違った。温度差があったっていうか……。毎日朝の5時くらいに家を出て、帰ってくるのはもう深夜1時とかで、睡眠時間も2~3時間……完全に燃え尽きましたね。
――育ち盛りに詰め込まれすぎたんですね……。
田中 だから、ネットで「遅刻した」って書かれてるんだけど、よく遅刻してたのはマネジャーの方で、私は「飛行機乗らなきゃいけないのにチケット持ってない!」みたいな(笑)。マネジャーは私と同じスケジュールな上に、私を送ってから帰るから、もっと眠れないんですよね。
――マネージャーは1~2時間くらいの睡眠で、さらに田中さんほどの若さもないから、体力的にそうとうキツそうですね……。
田中 そうそう! ああ、だから遅刻したんだぁって、辞めてから気づきました(笑)。マネジャー、大変だったでしょうねぇ(しみじみ)。
――そんなスケジュールの中で、恋愛事情は? イケてる男の子のアイドルと付き合ったりとか……。
田中 ないです(即答)。寮だったし、学校に行ってないから友達いないし、昔のアイドルはみんな寝る間を惜しんで遊んでたとかいうけど、私、寝たかったの(笑)! 本当に、恋愛なんてしてる暇があったら寝たかった! 今と違って携帯電話なんかもなかったし。
――芸能界、外から見るのと中からみるのじゃ全然違いますね……。
田中 入り口(デビュー)までは完璧だったんですけどね。こわいですねぇ~。みんな本当に頑張ってるなぁ。(感心……)、私は頑張れなかった人なので、あはは!
――頑張れなかったというか、頑張りすぎてエンストって感じですね。芸能界を辞めてからは、どうやって過ごしてたんですか?
田中 辞めてから、今の仕事をずっとやってますよ。辞めて数カ月後には働いてました。やっぱり報道でマイナスな出方をしたので、そこは負けてられないかなって、意地ですよね。「ぜってー負けない!」っていう。「絶対」じゃないですよ、「ぜってー!」って気持ちで頑張りました。だから、他事務所の、報道だけでしか私を知らない人とご一緒すると、「あれ? ウワサほどじゃないね」って言われたり(笑)。
――伝説だけ聞いてると「おっ、元ヤンかな?」って思えますもんね。
田中 そうそう(笑)。「今は何を言い返しても誰も認めてくれないけど、絶対時間が解決するから頑張れ」って、その頃一緒に仕事をした人たちはみな応援してくれたりして。芸能界は状況が悪くなると離れていく人が多いので、この時期に励まして支えてくれた人たちは今でもとっても良い関係です。
――私もてっきり素行が不良な方なのかと思ってたので、今日はいろいろびっくりですよ! ちなみに元ヤンとかではない?
田中 ないですないです! ほんとに普通(笑)。
――現在のお仕事はどんな業種なんですか?
田中 芸能関係でイベントの企画制作やブッキングの仕事です。役職ついてま……す(笑)。
――ずっと働いてるから、完全に出世してるじゃないですか! 芸能界の内側にいたから活かせた部分はありますか?
田中 ありますよ~。クライアントさんが望んでることと、演者さんがやりたいこと、どちらの立場も気持ちがわかるから、いろんな調整がスムーズだったり。ありがちなのが、企業の社長さんは、タレントさんをパーティーに呼んだら、タレントさんとお食事なんかをしたがる。だけどタレントさんや事務所はあまり……ね。そういうのを丁重に、角がたたないように調整したり……。
――おお、それは助かります……! 私も若いときに、どこかの会社に営業で呼ばれて社長とごはん食べさせられて、すごく気まずかった……!
田中 ですよね、喉通らないですよねぇ。味わかんなくなっちゃう。そういう段取り的な面では、気持ちがわかるので役に立ってるかなぁ。
――社長もタレントも嫌な気持ちにさせないテクニック! 若い時にメイクさんに見てみぬふりされた経験が活きてるのかも!? それにしても、引退後はずっと潜伏されていたのに、最近は急にTwitterを始めたり、イベントに出演したりもしてますね。いったいどんな心境の変化が?
田中 脳活(きっぱり)!! リハビリ! なんか刺激を与えないと、脳は老いていくから、トレーニング(笑)!!
――じゃあ、今日のこの撮影もリハビリの一環?
田中 うーん、これは、一種のおばあちゃん孝行というか……。
――おばあちゃん孝行!?
田中 おばあちゃんが、ちょっと痴呆になってて……。私が会いに行っても「わかんない、この人知らない」って言われちゃって……。でも、1時間くらい一緒にいたら「東京へ行った陽子ちゃん?」って思い出してくれて。よく「印象深いことは覚えてる」っていうでしょ? それがすごく嬉しかった。それからしばらくして、このオファーをもらったから……。
――なるほど! じゃあグラビアでおばあちゃんに再びショックを与えましょう(笑)! 次に会うときに「あ、サイゾーに載ってた陽子ちゃんね?」と。
田中 あはは! プリントアウトして見せてあげたいな!

元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の32回目! 今回は『マジでオタクなイングリッシュ! りぼんちゃん』のトナー役、声優の平田由季さんとのユニット『pink☆away』として音楽方面でも活躍中の声優・五十嵐浩子さんが来てくれました!
――誕生日おめでとうございます(取材時2月27日)! いいんでしょうか、誕生日が日刊サイゾーで……!
五十嵐 いいんです(笑)! 33歳の初仕事です(笑)!
――これが初仕事じゃ、お気の毒としか言いようがないですよ! ちなみに年齢は公表されてるんですか? 声優業界では珍しい方ですよね。
五十嵐 別に隠してるわけではないけど、曖昧な感じです。アハハ。今日も普通にTwitterで誰かが「33歳おめでとうございます!」って書いてて、普通にリツイートしちゃってから「あっ」って気づいたんですよ(笑)。最初の事務所にいたときは年を書いてたんですけど、前の事務所に移ったときに「どうします?」って言われて、年をそんなに言うのもどうかなぁと思い……。
――あと、他の所属の方がみんな書いてないと、それに揃えちゃいますよね。
五十嵐 そうそうそう! だからWikipediaとかには一応生年月日が載ってるんですけど、“要出典”って書いてあるんですよね、さだかじゃないみたいで(笑)。
――なるほどー! 今日は今まで何をされてましたか?
五十嵐 美容院に行って、あと銀行。銀行に行きました。この後も特に予定はないです。
――誕生日感の薄さが素敵です! ちなみに、今回は初の応募(※最近声優さんから離れていたので、宍戸留美さんが直々にがTwitterで募集をかけました。今後もどしどしご応募ください!)ということで、ご応募ありがとうございました! なぜ応募してくださったんですか?
五十嵐 宍戸さんのツイートを見て「面白そうだな」と思って。今までずっと事務所に入ってたんですけど、ちょうど去年フリーになったし、“フリーだからできること”をしたいなって。
――ありがた~い! 綺麗な声優さんがみんなフリーになればいい! ところで、プラモ作りにも相当ハマってますよね。ブログを拝見したんですけど、延々ガンプラ作ってる画像と『筋彫り』とか『墨入れ』とか専門用語が並んでいたり、ベアッガイを作って『電撃ホビーマガジン』に載ったり、「あ、コレはガチな人だ!」と。
五十嵐 ええ……。でも、まぁ、声優業と業界的にはつながってはいるので、仲間っちゃ仲間ですよ!
――開き直った! どうしてプラモデルを作りはじめたんですか?
五十嵐 もともと、何かを作ることはすごく好きで、料理とかお菓子とか手芸とかをやってたんです。
――そこまではすごいガーリー!
五十嵐 だからきっとプラモデルに手を出したらハマってしまうだろうなぁと思って、あえて手を出さずにいたんですよ。そもそも、私、ガンダムをほとんど観たことがなかったので、「観ないで作るのって失礼だな」と思って。ただ、「かっこいいなぁ、作ってみたい」って思いはずっとあったし、「ガンダムは素晴らしい!」っていう話も周りの方から聞いていたので、とりあえず観ようかな、とファーストから全部観て……。
――全部!? 膨大な時間がかかるんじゃ!?
五十嵐 なんだかんだ2年くらいはかかってますね。ファーストからゼータ、ダブルゼータ、OVAのちょこちょこしたのも観て、ユニコーンまで観て、そういうことをしていたら「だったらもう作りなよ!」って話に……(笑)。
――そこまで観たらさすがに古参にも怒られないですね!
五十嵐 それで作り出して、いろいろと縁がつながって、お仕事にもなりました。えへへ。
――あっぱれです! 今、ご自宅にはどのぐらいあるんですか?
五十嵐 作りはじめてからまだ2年半くらいなので、まだ12~3体かな。
――今後も増えていくのでしょうね……! プラモ作りと聞くとインドア派な印象を受けますけど、毎年富士山に登られてるとか?
五十嵐 そうです、もともとアウトドアが好きで、引きこもってるよりは外に出たいはずなんですけども、プラモデル作ってるときは別なんですよねぇ(しみじみ)。
――なぜ富士山が好きなんですか?
五十嵐 最初はただ「てっぺんが見たい」と思って登ったんです。でもやっぱりいろいろ調べれば調べるほど、「高山病が……」とか「装備が……」とか、気を付けることがあるので、不安でいろいろと揃えて、その上、体力がそんなにないので半年間走ったんですよ。
――え! 走り込み!?
五十嵐 「今年の夏に登るぞ!」って決めて、1月にランニングシューズを買って、そこから週に2~3日ですけど、1日5キロくらい走って、万全に万全を期して。一人で登るわけじゃないから、足手まといにはなるまいと思って……。
――誰も半年前から体力作りはしてないよ!
五十嵐 当時、富士山に登ろうとしている方から「20キロくらい走ってる」という話を聞いて「そんなに体力がないと登れないのか!」ってビビッちゃって(笑)。それで一回登ってみたら、富士山に、私の中のいらないものを、全部置いてくる感じだったんですよ。
――おお、デトックス!?
五十嵐 そうそうそう!
――何を置いてったんでしょうね?
五十嵐 わからない(笑)! だから毎年登ろうと思うんですけど、去年はプラモの締め切りがギリギリまであったので、走ってる時間がなくって、ぜんぜん運動ができないまま、久しぶりの運動が富士山登山になってしまって不安だったんですけど、前年よりぜんぜん楽に登れるようになってましたね~。
――体が覚えていたんですかね~。というか、プラモの締め切りに追われるって同人作家みたいな生活なんですね。休みの日は何をしてるんですか?
五十嵐 プラモ作り(きっぱり)。
――極端だなぁ。体力作りに走り込みができるあたり、学生時代は運動部ですか?
五十嵐 ダンス部で、中学、高校とずっと踊っていました。だから、最初に事務所に入ったとき、声優事務所に入ったはずなのに、なぜかミュージカルに出てましたよ。声優がやりたくて入ったのに、たぶん“踊れる”っていう点だけで採用されて、お芝居がどうとかはあんまり関係なかったような(笑)。
――ちなみに、なぜ声優を志されたんでしょう?
五十嵐 「声が変」っていうのと、「声が通りすぎてうるさい」って言われてたのもあったんですけど、世代的に『幽☆遊☆白書』がすごく好きで……あのアニメで声優っていう職業を知ったんです!
――わかります! 「中の人っているんだ!」って衝撃を受けますよね。
五十嵐 そう! 考えれば当たり前なんだけど、「いるんだ!」って気づきだして。そのとき、学校の友達に宝塚とか劇団四季が好きな子がいて、その子に巻き込まれて、“中学3年生の追い出し会”とか、“中学1年生のおめでとうの会”みたいなやつで15分くらいのちっちゃいお芝居をやるようになって、「声優さんって楽しそうだな」って思うようになって、大学生の時に、大学と並行して養成所に通い始めたんです。
――おお! いっきに夢に近づきましたね!
五十嵐 でも、大学が短大だったのもあって忙しすぎて、本当は2年間養成所に行かなきゃいけなかったんですけど、1年間で「無理だ!!」と養成所は辞めて……。
――短大はそれだけでも、めちゃめちゃ忙しいですからね……。短大ではどんな勉強をしてたんですか?
五十嵐 児童教育学科にいました。2年間だと幼稚園の先生、3年間だと保育園の先生にもなれるんです。その保育士になるための課程の中に、2週間くらい山にこもるっていう実習があって。
――なにそれこわい。
五十嵐 自給自足の生活をしている人たちのところに行って、一緒に畑仕事とか、ヤギの乳をしぼって生活するっていう実習なんですけど、それにめちゃめちゃ行きたくて、そのために3年目も通って……。
――もう山で暮らしてしまう勢いじゃないですか!
五十嵐 その実習はすごく良かったですよ! でも、やっぱり「声優になりたい」って思いがあったので、もう一回、別の声優の学校に入ることにして……。
――じゃあ入学金とか2倍じゃないですか! ヤバイ!!
五十嵐 夜間のところだったから、そんなにはかからなかったです(笑)! ただ、年齢的なことも考えて、「ストレートで行けなかったら声優は諦めようかな」とは思ってました。そしたら、一番下のクラスから上のクラスまでストレートで上がれて、事務所に所属もできたので、今こういう感じです(笑)。
――結局フリーになっているけど、いろいろと良かったー!! ちなみに、フリーになって良かったことはありますか?
五十嵐 「これをやると事務所に悪いかな」とか、そういうことを考えなくてよくなったことかな。ライブをちょくちょくやっているんですけど、その都度、事務所に「この日はライブなんでNGです」って言わなきゃいけないじゃないですか。
――ライブいっぱい出てるなぁとは思ってましたけど、事務所がやってるやつだと思ってました! 自分でやってたんですね!
五十嵐 そうです(笑)。呼んでいただいたものに出ているだけなんですけど、NG日程をいっぱい事務所に出すことになるから、あんまり良く思われないだろうなぁって……。プラモも、最初はどのくらい自由に自分でやっていいかわからなかったし……。
――きっと事務所もわからなかったでしょう……。ライブはユニットの『pink☆away』で出らることが多いんですよね。ユニットは今どのくらいやられているんですか?
五十嵐 もう6年くらい。
――ベテランですね!
五十嵐 気づいたらベテランでした(笑)! アニソンのカバーを歌ったり、オリジナル曲もあってCDも出して、その後は友達のツテを使ってCDを出したりしてたんですけど、そこから3年くらいCDは作ってないから、そろそろ作ろうかなって。
――というか、6年って、前の事務所にいた時間よりも長いですな。
五十嵐 本当だ! 前の事務所もそんなに窮屈な方ではないし、むしろ自由にさせてもらってたんですけど、それでもやっぱり「自由にさせてもらってる」っていう感じが申し訳なくなっちゃうので、それがないのが一番いいです。
――スケジュールも自分で管理できるのも最高ですよね! なぜか今日は誕生日に変なインタビューをされていますが……。
五十嵐 あはは! 「今日空いてます」って言ったのは私ですから、大丈夫です!
――明るい方に見えますが、普段、落ち込むこととかはありますか?
五十嵐 あります! いっぱいある! 私、自意識過剰なんですよ!!
――(爆笑)!
五十嵐 いらんことを気にしすぎるというか、言ってから「あれ? 私そういえばあんなこと言っちゃったけど大丈夫だったかな」とか、そういうことがすごくよくあって……。
――それだと、コミュニケーションを取れば取るほど後から落ち込んだりしそうですね。
五十嵐 そうなんですよ! だから「本当にしゃべらないようにするべきか」を真剣に考えたりして……。
――誰に何を言ったんだ!
五十嵐 それももう覚えてないんですけど、盛り上がってるときにポロッといらんことを言ってしまい、場が「あっ……」ってなるみたいな……そこで「いま私この話、言わなくてよかったよな」って思うこととかが、よくあるんですよね……。
――それはお酒が入ってない状態ですか?
五十嵐 そう! 入っていない状態で、です! だからニコ生とかに出るときは超怖いと思って、事前に「この言葉は絶対に言っちゃいけないのとかありますか?」「こういう話はしないでとか……」って確認しますもん!
――確認しないと放送禁止用語をしゃべりだす恐れが?
五十嵐 自分で自分が怖いですよ……!
――それはそれで観たいので、ほどほどに気を付けましょう! 話を声優業に戻しますが、声優になってから、思い出に残ってるお仕事は?
五十嵐 やっぱり一番最初の仕事ですかね。初めてアニメのお仕事で、ガヤとかじゃなくてセリフがあったのが『蟲師』っていう作品で、すごく丁寧につくられているアニメなんですよ。作品にかけるスタッフさんの思いがすごい伝わってきて、「私はこんな所でいっぱいしゃべっていいのだろうか」って思うくらい。
――どんな役だったんですか?
五十嵐 しゃべると、その子の声のせいで蟲がどんどん寄って来ちゃって、周りの人が病気になるから、「もうしゃべりたくない、声をつぶそう」と思って声がガラガラになってる女の子の役です。
――「もう自分はしゃべらない方がいい」って部分は、五十嵐さんと通じますね! でも、わざと声をガラガラにするのって大変じゃないですか?
五十嵐 それが、私、昔はもっと声がガラガラだったんですよ。昔、夢と魔法の国でアルバイトをしてたら声が出なくなってしまって……。ちょっと出るようになったらしゃべる、を繰り返していたらガラガラ声から抜け出せなくなってしまって、「このままじゃ声優になれない!」と思ってバイトを辞めて……。どうやら、私の声帯が強すぎて、普通だったらまったく声が出なくなっててもおかしくないのに、音として声が出ちゃってたんですよね。このまま喉の筋肉を間違った方法で使い続けると声帯が完全に壊れてしまうから、ボイストレーニングに通って、なんとか治ったのが今の声だと思います。
――良かったー! 夢と魔法じゃ声帯は治らないですからね!
五十嵐 でも、そのガラガラ声のまま声優になれちゃったんですよ。そのまま『蟲師』の役に合ったので、そのままデビューさせてもらっちゃって……。
――わー! それだと、ガラガラのままの方がいいのか、治すべきなのか悩みますね!
五十嵐 悩んだんですけど、ガラガラのままだと、自分の思うところが出ないんですよ。音の幅が狭すぎて、もっとこう表現したいのに音にはどうしても出なかったりで……だから治しました。
――声が治ったところで、やってみたい役はありますか?
五十嵐 最初にやらせていただいた『蟲師』のときはガラガラ声だったし、今までは動物とか、男の子とかが多かったので、普通の女の子の役ができればいいなぁ。
――サイゾー読者の声優業界の皆さま(いるかな)、お仕事お待ちしてます! では、今後のプライベートでの目標は?
五十嵐 富士山には今年も登りたいと思ってます! あと、星の勉強をして、星の検定とかも受けたいなぁ。宇宙もいいですね。星とか宇宙とかが好きで、宇宙博とかも行ってます!
――富士山から星、そして宇宙。どんどん高いところへ……!
五十嵐 あ、あと深海も好きで、深海展とかも行く。
――深海から宇宙までとは、趣味の振り幅も末広がり!
五十嵐 30過ぎてからの方が、俄然いろんなことがやりたくなってしまって(笑)! 私の20代、なんだったんだろう?
――きっと富士山に置いてきたのでしょう! 本日はどうもありがとうございました!!
(取材・文=小明/写真=宍戸留美)
●いがらし・ひろこ
誕生日:2月27日 出身地:東京都 身長:157cm 血液型:B型
趣味:プラモデルを中心に、もの作り全般・登山・シュールなキティ集め
特技・資格:保育士資格・幼稚園教諭2免・ピアノ・歌
【出演作品】
『蟲師』 しげ
『ヒャッコ』 古囃独楽
『ダンボール戦機ウォーズ』 篠目アカネ
『マジでオタクなイングリッシュ!りぼんちゃん』 トナー
ほか
【ライブ】
今年もやるよ!アツの5時間超えライブ!!
『Brilliant.05 Respect The ANI-SON』 開催!
【名称】アキバ系BBチャンネル10周年記念 Brilliant.05 Respect The ANI-SON
【日時】4月5日(日) 開場13:45、開演14:30(予定)
【会場】Birth Shinjuku
【料金】一般:前売¥3,500/当日¥4,000
女性:前売¥2,000/当日¥2,500
高校生以下:¥500 *全て+1D代 *途中入退場可
【出演】EAST STREET(3)/石戸なつみ(2)/島涼香(初)/瞬間リアライズ(2)/泰勇気&鈴木コウタ(5)/
永井真衣(5)/ pink☆away(5)/風雲侍(4)/ベースボールガールズ(初) /
MieT(諸岡みなみ&平野恵里佳)/ 他(五十音順)
【MC】比嘉モエル/渋木美沙(2)/凪沢怜奈(3)
OpningAct/MAICA
オリジナル番組配信サイト
アキバ系BBチャンネル
元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の31回目! 今回は1990年に「今世紀最大の美女」「第二の山口百恵」のキャッチコピーでアイドルデビューした後、『マネーの虎』(日本テレビ)にて華麗に実業家に転身。現在は健康総合プロデューサー、歯科医院経営者、好感度コミュニケーション講師として活躍中の揚田亜紀さんが来てくれました!
──揚田さん、このたびは本当にどうもあり……
揚田 いえいえ! このたびは天下のサイゾーさんにお呼びいただいて、本当にありがとうございます!
──えっ!? サイゾーが天下取ったことなんてありましたか?
揚田 私の中では神ですよ! だってサイゾーなんていったら、もう、クリックの神じゃないですか!? クリックせざるを得ないでしょ? サイゾーといったらクリック!!
──この連載も、たくさんクリックしてもらえるように頑張ります! いやぁ、今回は揚田さんがいらしてくれるということで、前もってご友人の宍戸留美さんに、どんな方か聞いておいたんですよ。そしたら「すごい美人だけど、よくしゃべるよ」って。
揚田 もうね、世の中のよくしゃべる人をマシンガントークって呼ぶのは古いよ、そういう手垢のついた表現は。
──は、はい……(言ってないよ)。
揚田 マシンガントークって、なんかさ、理性もなしに、しゃべりたいからしゃべりたいままに人の会話を無視してしゃべる、飲みたいときに飲むし食べたいときに食べる、性にはだらしがない、そういうしょうもない自堕落な奴みたいじゃない?
──さすがに、そこまで思ったことはないですよ!
揚田 だから、これからは“彩りトーク”とか言ってくれないかな。“華やかトーク”とかさ。そういうふうに表現できたら、その人、好感度が上がると思うんだよね。
──今日も出だしから相当お口が彩ってますね! 今回はインタビューとグラビア撮影ですが、グラビアはかなり久しぶりになりますか?
揚田 久しぶりもなにも、オファーがないから!!(笑) 私だってアイドルのときにグラビアやりたかったんですよ!! 一度だけ水着になったことがあったんですけど、太りすぎてて反響がないどころか、その数カ月後に「Momoco」(学習研究社、現・学研ホールディングス)が廃刊になったんだから!!(笑)
──伝説のアイドル雑誌が、揚田さんの水着で廃刊に!
揚田 私がアイドルだったと証明できる唯一の雑誌だったのに……ちぎれるくらい持ち歩いてます! 自分が出てる号は、Amazonで追加して買ってるからね。もうボロボロになっちゃって、顔とかもすり切れちゃってるから。どなたか原本お持ちでしたらご提供くださ~い、あははは!
──お気持ちわかります! 私もデビューした年の本とか死ぬほど集めました! 揚田さんはご自分でいろいろできる方だから、大人の言うことを聞かなきゃいけないアイドル時代は窮屈じゃなかったですか?
揚田 当時から「自分はアイドルのプロじゃない」と思ってたから、プロの人に任せようと思って、言われたことは全部やってましたよ。相手は芸能事務所、プロモーションのプロだから、「髪の毛を切りなさい」って言われたらすぐに切ったし、「痩せろ」って言われたら……うまく実行はできなかったけど、やろうとはしてましたよ。ダイエット本まで出したくらいですからね。『やせるが勝ち!?』(1996年/実業之日本社)っていう、何百種類ものダイエットの失敗談の列挙という……普通は成功談を書くんだけど、痩せなかったからね~。アイドル界の小錦って言われてたのよ。
──えっ! 本当に!?
揚田 そっ、衣装が入らなくてね。忘れもしない「モモコクラブ」の最初のグラビア撮影のときに、足が太すぎてスキーの靴が入らなくて、無理やり履いたらパッチーンって留め具の部分に肉が挟まって「イギャギャギャギャギャ~!!」「うわ、アイドルの揚田さんの肉が挟まっています!」って、大変なことになったのよ! 骨格がアイドルに向いていなかったのね(笑)。
──そんなバカな! キャッチコピーは「第二の山口百恵」なのに?
揚田 あれは……もう釣り広告みたいなもんでね。私のキャッチコピーは「第二の山口百恵」と「今世紀最大の美女」だったの。ホリプロの山口百恵を育てた人にスカウトされたからなんだけど、まぁ顔だけは痩せてたかもね……。顔だけのプロフィールでスカウトして、会ってみたらデブった三頭身で大変だったでしょうね。しまいには当時の社長が「そんなこと(第二の山口百恵とか)言ってない」って言いだしてさ(笑)。
──もう、クリック詐欺みたいですね。
揚田 サイゾーみたいなもんだよね。あ、サイゾーは詐欺じゃないね、クリックリアル! サイゾーはクリックリアル!
──でも、アイドル業は相当儲かったんじゃないですか?
揚田 アイドル時代は、むしろ親に借金してるから。アイドル時代なんて売れるわけないし貧乏話がいっぱいですよ。食べ物も留美んちの冷蔵庫からかっさらってたんだから。おなかすいて、留美んちの冷凍庫のアイスというアイスを全部食べまくって怒られたり、あと近くのパン屋さんでパンの耳をこんもりたっぷり30円で買って、あまりにそればっかり食べてたから、店員さんに「何のペット飼ってるんですか?」って聞かれて、「手乗り文鳥16羽です」って答えてみたり。それくらい貧乏だったの。だから、実質稼いだのは実業家になる手前くらいじゃない? そこからは年収200倍だよ。まぁ元が貧乏だったからなんだけどさ(笑)。
──200倍はすごい!! 『マネーの虎』効果ですかね?
揚田 アレでやっぱり人生変わったなぁ。私の代表作『マネーの虎』ですから!
──『鶴ちゃんのプッツン5』(日本テレビ系)じゃなく!?
揚田 人生初のプレゼンテーションで、1,435万円の投資を成立させましたからね。
──健康ドリンクバーの店ですね! 『マネーの虎』で開業の資金源を獲得したにもかかわらず辞退されたと聞いたんですが、それはなぜ?
揚田 その後すぐに番組が終わることになって、追跡取材もないので、投資家側のメリットが変わってくるでしょうから、投資を申し出てくださった方にもメリットがなくなったら申し訳ないし、「私に投資しようと決めてくださったお気持ちに大変感謝して、お気持ちだけで、ありがとうございました」って、こちらから白紙に戻させてもらったんです。1,435万円のプレゼンを成立させたってたことが、後に大きな話題となりましたが。
──その後、開業に至るまで、資金源はどうされたんですか?
揚田 自分の貯金や、親から借りたり、バイトしたりして出しました。
──自腹!?
揚田 1,435万円っていうのは、がらんどうからお店を作って、ランニングコストとかも含めて、「たとえ赤字でもしばらくは維持できます」っていう額だから、居抜きで出店したら全然もっと安くできたわけよ。
──自腹で麻布十番に店なんて、すごすぎますよ!! それから10年ずっと人気店で、銀座に2号店まで出したのに、なぜ閉店させてしまったんですか?
揚田 なんか、欲が出てきたんだろうね。だいたい10年区切りでアイドルもやったし、実業家にもなったし、お店も2軒やった。やりきったの。そしたら今度は「女の子として生きてみたい」と思ったんだよね。17歳の頃からずっと普通の女の子とは違った生活をしてきたから、女の子としての私は、17歳で時間が止まってるわけよ。自分の違う可能性を試したくなったんだよね。お店をやっていると、「バイトの子、大丈夫かな」「食べ物は大丈夫かな」「お客さん楽しんでるかな」って、24時間、本当に休まるときがなかったの。もちろん最高に楽しかったけど、やっぱり責任もあるからね。そこで「なんにもない人生ってなんだろう」と思って、全部リセットさせてもらったの。そうして考えたのが「趣味じゃなくて、仕事として今、自分がやりたいことってなんだろう」──それが、講師業だったんだよね。それで、“好感度コミュニケーション”を開発したんです。
──へー、なんで急にコミュニケーション講師に?
揚田 芸能っていう好感度が命の世界と、接客っていうコミュニケーションが物を言う世界で一番学んだことは「正しいことを言っていても嫌われる人と、正しくなくても好かれる人がいる」ってこと。そして、その違い。私なら、それを人に論理的に教えられると思ったの。そもそも芸能界にいるときも芸能人向けにレッスンしていたので。「好感度を十分に引き出すためにはどうすべきか。今、あなたが言った一言が、なぜ感じが悪かったかというと……」って。そして魅力的な表現の仕方を教える。だから講師業は、実は、10年以上前からやってるのよ。「仕事はできるのに、人から好かれない」とか「正しいことを言っているのに、なぜか友達がいない」とか「こんなに一生懸命やってるのに、すべて裏目に出る」とか、そういう空回りって、すごくかわいそうだと思う。私が独自に研究を重ねて作り上げた、特殊な“揚田メソッド”では、これらがすべて解決できるんです。
──“揚田メソッド”って何!? えっと、いろいろと気になるんですけど、私、人からよく「壁がある」って言われるんですよ、どうしたら人から好かれやすくなりますか?
揚田 反射。私が教えているのは反射コミュニケーションだから、反射で好感度をキャッチできるようにしてるの。
──は、反射で好感度をキャッチ……?
揚田 座学で「好感度とは~」「人から好かれるためには~」なんてやっても、頭でできた気になって終わり。まったく体に身についてない。論理的な解説はもちろんしますけど、実践にかなうものはないから、私のレッスンでは四の五の言わずに体で教え込むのよ。
──やってみたいやってみたい! 仕事がうまくいかなかったり、婚活がうまくいかなかったり、家族間でうまくいっていないサイゾー読者と、好感度を上げたい私のために“揚田メソッド”を教えてください!
揚田 教えられないよ! だって普段それを、お金もらって教えてるんだもん! 生徒さんに悪いじゃん!(笑)
──じゃあ書かないから、教えてよ!!(真顔)
揚田 えー……じゃあちょっとやってみせますけど、まず……(以下、企業秘密)……。
──……おお!! すごい!! なんだかさっきよりも、ずっと揚田さんのことが好きになってきた……!!
揚田 これが揚田流・特殊メソッド“ひなぎき”よ……!
──“ひなぎき”とは?
揚田 それはね、ひなのように愛くるしく、そしてひな祭りのひな人形のように慎ましく……あれ? おひなさまのひなのように慎ましく……だったかな、まぁどっちでもいいんだけど、赤ちゃんのように愛くるしく、ひな人形の、あ、ひな祭りのおひなさま……だとカブってるかな、あれ? ひな祭りの……赤ちゃんのひなの……(省略)ちょっとどうにかして! 文字のプロでしょ!!(笑)
──わからないですよ!! 赤ちゃんみたいに愛らしく、ひな人形みたいに慎ましくってことですか? でも、揚田さんって、決して慎ましいタイプではないですよね。
揚田 はぁ~~~~~!? 私という存在を全部ひっくるめると慎ましさになるでしょうよ!! そもそも本当の慎ましさって? って、思うんだよね。本当の慎ましさって、自己主張の仕方が慎ましい人だと思う。人は誰でも自己主張をしたいものじゃない? でも自己主張を押し通すと嫌われる。控えめすぎると相手に捨てられる。私がよくしゃべるのは、相手の主張とのオトシドコロを見つけるために言葉のジャブを多く打つ。この配慮! だから私は慎ましい!
小明・宍戸留美・編集 ……(無言)。
揚田 あ、声を張りすぎってのは100%慎ましくないね(笑)。
──うん、そうですね、うん……。あー、えっと、“ひなぎき”をはじめとした“揚田メソッド”の講座を受けた生徒さんたちは、どんな感じで卒業していかれるんでしょうか?
揚田 すごいよ。みんな「人生で初めて、こんなこと教えてもらった!」「具体的でわかりやすい」「こんなに楽しいと思わなかった」「気づいたら体で覚えてた」って。あと、私の授業を3時間受けた人が言うには「職場で、いろんな人から話しかけられるようになりました」「人から信用されるようになった」「誤解が解けました」とか。ビジネスマンは結果、出世や売り上げに反映されるので好評ですね。
──すごい効果!! 一般の人は、どこに行けば講座を受けられるんですか?
揚田 基本は企業とか法人と組んでやってるけど、一般参加の方は私に直接メールして! マンツーマンでやった方が効果が早いからね!
──でも、お高いんでしょ?
揚田 ピンキリ!!
──気になった方は是非ブログから連絡を! ……あっ、話は変わるんですが、ご結婚おめでとうございます! 歯医者さんのご主人との出会いはどちらで?
揚田 出会いはね、旦那が勤めていた大学病院で診てもらったのが出会い。で、惚れ込んだのは、みんなでお食事をしてる時。何かのタイミングで「亜紀さんがいない時間、僕がマワシテおきますよ」って、業界用語を使ったのよ。それで後から注意してあげたわけ。「よく、芸人さんの真似する素人さんいるけど、あれ、本当にかっこ悪いからやめたほうがいいですよ、自分の言葉に変えてオリジナルで話したほうがカッコイイですよ」って。そしたら「違う。僕は芸人さんの真似をしたのではなくて、あの状況を次に進めたかっただけなんです。ただ、進めるにあたり、適した言葉が僕のボキャブラリーにはなく、見当たらなかったので、芸人さんの言葉を借りるしか思い浮かばなかった」って。
めちゃくちゃ自分の言葉で話せる人だなあーーって(笑)。それからリスペクトするようになり、仲良くなった時、私の“特殊メソッド”に興味を持って、「亜紀さんはすごい!」って私に惚れ込んだんだって(笑)。
──へー!
揚田 「こんな話は聞いたこともない」って感動してね……。旦那、学者なのよ。歯学博士号を持ってるから、研究でも論文ガンガン書いてる人で、歯医者もできるけど、私は研究者だと思ってる。そういう勉強してる人って、コミュニケーションの勉強はしてきてないから、私というものをナマで見て、びっくりしなんじゃない? こんなにキレイで、面白くて、人気者は初めて見たんだって! もんのすごいキレイだったらしいんだよね。もう輝いてたんじゃない? こんなにキレイで(3回目)、キレのある格言も持っていて、ビシッと論理的に話もできて、何より愛嬌もあるしね! 世の中の魅力という魅力が、全てバランスよく揃ってたんだと思う。性的な魅力だけなかったけど、彼は別にそこは求めてなかったから!
──確かに揚田さんはすごい美人です! けど、こんなに自分で自分を褒める人、初めて見ました!
揚田 え、私、自分で言ってる? でも美人だよね! 私ね、配置が良いんだよ。良くできた顔だって言われるの! シンメトリーっていうの? クリエイターとかの集まりがあると、すっごい好かれるんだよ、クリエイターって黄金比とか求めるから、芸術家とクリエイターに囲まれてじっくり顔見られながら「ここの比率がいい」とか会議されて、「ギリシア彫刻くらいしかないね、揚田さんの顔に並ぶのは」って……言われてたと思う!(笑)
──でも、アイドル時代にグラビアはやられなかったんですよね。
揚田 だからオファーがないから!!(泣)
──ご主人といえば、揚田さんは茨城県に歯科医院「ヒナ歯科&ケアクリニック」を開業されましたが、ご主人は、ご実家が茨城県なんですか?
揚田 そういうわけじゃなく、旦那が以前、茨城県で勤務していたときに地元の方にとてもよくしてもらったらしく、茨城が好きになったんだって。だから、東京の最新技術と設備を、茨城にそのまま持っていったんです。大学病院と同じレベルの治療が受けられるんだよ。本当に「こんなに明るくポップで、おしゃれで、腕がいい歯医者は初めてだ!」って言われるの。
──えぇ~? 明るくポップ~? 歯医者がですかぁ~?(怪訝そうな顔で)
揚田 「好きなものを、なんでも食べてもらいたい」「女性を美しくしたい」という思いで旦那は治療してるみたいよ。歯医者に限らず、医療って閉ざされたイメージがあるじゃない? 歯を治す場所なのに行きたくない、なんて元も子もないじゃん! 行きにくいなんて、最も思われちゃダメな場所なんだよ。私が健康ドリンクバーの店を10年やってたときに、青汁っていう苦くて飲みにくいものをポップにのし上げたんだよね。青汁ビール作って、青汁ラーメン作って、青汁焼酎つくって……みんなが今まで好きだったものにブレンドすることによって「あ、青汁って美味しい飲み方あるじゃん!」って気づいてもらって、もんのすごいヒットしたわけ。そうやって健康業界をポップにしたから、今度は医療業界をポップにしようと思ってるの。歯医者って、だいたい「痛くなったら行く」でしょ? それから「痛くなくても(メンテナンスで)行かなきゃ」とか。でも、うちは「痛くなくても行きたい」って歯医者なの。だから、うちには歯医者恐怖症の患者さんもいっぱい来るよ。もう、入った瞬間にパァァって明るいから、すごく入りやすいし、腕もいいしね! おかげさまでバカウケしてます!(笑) ちなみにスローガンは「楽しいから笑うんじゃない! キレイな歯を見せたいから笑うんだ!」あ、運がよければ私の「魅力的な笑顔の講習」も受けられますよ!
──揚田さんの歯医者なら、笑気ガスいらずかもしれない! ぜひ行ってみてくださいね! ところで、揚田さんはいつもポジティブでバイタリティにあふれていますが、ストレスはないんですか?
揚田 やりたいことをやっているからではなく、やりたいことが世の中から需要があって、さらにそれがお金になってるから、奇跡のストレスフリーなの!(笑) あ、この間、J-WAVEの秦基博さんの番組に呼ばれたの。テーマが『最もストレスのない人生を送ってる人』で、ゲストが蛭子能収さんと揚田亜紀。
──(爆笑)!!!
揚田 そこで「奇跡のストレスフリー」って言ったら秦さんも「え? 奇跡のストレスフリー?」って。言葉を最も大切にする作詞家の人がワードで引っかかったんだから! つまりシンガーソングライターに、私のキーワードを伝授したってことでしょ? ……どうしよう、新曲に使われたら(笑)。
──ネットで「秦さん作風変わった」って叩かれるかな……。
揚田 まぁ、「しゃべり方にキャラがありすぎて内容が耳に入ってこない」「早すぎて何言ってるかわからない」とも言われたけどね!
──トークが彩りすぎてたのかな! 本日は素敵な“彩りトーク”、どうもありがとうございました!!
(取材・文=小明/撮影=宍戸留美)
●あがりた・あき
1972年6月7日、和歌山県生まれ。B型。
1990年、“第二の山口百恵”としてアイドルデビュー。『笑っていいとも』(フジテレビ系)、『鶴ちゃんのプッツン5』など、バラエティー、歌、ドラマ、映画、レポーター、著書『やせるが勝ち』など、多岐に渡り芸能活動をへた後、30歳、プレゼンテーション番組『マネーの虎』にて、1,435万円のマネー成立、実業家に転身。銀座と麻布十番で「健康ドリンクバー」を経営するや、たちまち人気店となり、メディアに多数とりあげられる。同時に、タレント新人育成と、お店のスタッフ研修で培ったコミュニケーション技術を独自のメソッドとして作り上げ、現在は法人を中心にOLからビジネスマン、経営者、医師など幅広い層を対象に「好感度コミュニケーション講座」を行う。2014年10月より歯科医院経営。
揚田オフィシャルブログ 揚田亜紀のアガリタアガリタ







元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の29回目! 今回はセイントフォーの元メンバー、声優としては『デビルマンレディー』の不動ジュン、『カードキャプターさくら』の大道寺知世、『妖しのセレス』のセレス……などなど、数え切れない作品で活躍中の岩男潤子さんが来てくれました!
――この連載についに元セイントフォーが来てくれました……! 岩男さんが「いわお潤」としてセイントフォーの正式メンバーになってから、どれくらい活動されたんですか?
岩男 1年ぐらいです。
――けっこう短かったんですね。
岩男 私が入ったときには、もう解散時期も決まっていて、その解散に向けてのスケジュールはびっちりだったんですけど、まだ解散することはお知らせしていない状態で。わずか1年ぐらいだけど、精一杯がんばろうという気持ちでした。
――終わることがわかっているなかでやるっていうのは、心境としては複雑じゃないですか?
岩男 でも、アイドルの活動っていうのは、年齢もそうなんだけど、ある程度決まっているものなのかなって。オーディションに受かったときは、正直、アイドルとしてデビューすることを目標としていなかったんです。当時は、朗読とか、童謡やバラードを歌う歌手になりたくて、でも、それをどうすればいいのかわからなくて……。そんななかで、1番最初に受けたオーディションがセイントフォーだったんです。はじめに「解散時期が決まっている」と説明はされたんだけど、「もしかしたら延びるかもしれないし」という思いもありましたし。でも、“あること”が理由で辞めてしまったので、解散ライブには出席できなかったんですけど……。そのあたりのことは、この度のフォトエッセイで初めて書いてあるんです。
――フォトエッセイ『voice-声のツバサ-』(ジービー)、すごく綺麗な装丁で写真集かと思ったんですが、エッセイ部分では、いじめに遭ったり、悪い大人に騙されたり、ストーカーに遭ったり、闘病したり、かなり壮絶で驚きました……。そういえばセイントフォーは元メンバーの半数以上が脱いでますし、心中お察しいたします。解散当時、岩男さんはまだ高校生ですよね。
岩男 はい。17歳のときでした。解散ライブは出られないけれど、通っていた定時制高校の卒業式はきちんと出席して、本来の目標に向かって、また進んでいきたい、勉強し直したいと思って、アルバイトをしながら高校に通っていましたね。当時は、お笑い芸人さんが多く所属する石井光三さんの事務所にお世話になりながら、石井さんとのデュエットレコードを発売して、そこで「潤」という名前でソロデビューさせていただいたんです。けど、そこからまた何も決まらなくて……ずっとアルバイトでしたね。
――どんなアルバイトをされていたんですか?
岩男 高層ビル街の社員喫茶のウエイトレスを。
――社員さんに口説かれたりしなかったですか?
岩男 全然そんな感じじゃなかったです(笑)。私は本当にドジでのろまな人間で……『スチュワーデス物語』でありましたけど、本当そんな感じで。セイントフォー時代にも「ドジでのろま」ってよく言われて、それでよく泣いていました。それでバイト先でもまた言われていて……。
――それは、筋金入りですね! 果てしなく辞めたくなります!
岩男 でも、私、13才でオーディションに受かって上京して、父親との約束で「10年間で、自分の歌が出せないようだったら、あきらめて帰って来なさい」っていうタイムリミットがあったので、いろんなことに必死で……。セイントフォー時代から、とにかく声を嫌われていたんです。「アニメ声が受け入れられない」とか「ぶりっ子声」とか、本当にいろんな人に言われて、ウエイトレス時代も「イラつく声だな」って言われていたので、辞めたくなくても、辞めさせられたというか……。
――お、おお……。
岩男 それで、もう声を出さない仕事をしようと思ったの。派遣社員として、入力作業を覚えられれば、パソコンに向かって誰とも会わずに仕事ができるから。それで会話をしなくて済むような仕事を選んで、高校卒業するまでは事務員ですね。いろんな現場に派遣されてました。
――さびしい選択……っていうか、それでまだ高校生だったんですか!? 13歳で上京といい、ハード過ぎますよ!
岩男 たまには、何をしたいのか聞いてくれて、「それならこんな仕事があるよ」って、デパートの屋上で司会をさせてもらったりもしたんですけど、そこに歌手の方が来たりするとね、「歌手の誰々さんです、どうぞ!」って言いながら、うらやましくて、舞台袖から「自分もここにいきたい」と思って……。「やっぱり心を閉ざしてはいけないんだ!」って一念発起して、歌を入れたデモテープを、プロフィールと一緒にいろんなところに配ったりして(笑)。でも、デスクにはさっぱり読んでもらえない資料が積み上がっているのも見るから、いかに厳しい世界なのかを思い知らされながら、OLをやって、高校に行って、売り込みをやって、声優さんの仮歌を歌わせてもらったりしていました。
――ダラダラしていただけの自分の高校時代が恥ずかしくなってきました……。さらに、なかなか表舞台の仕事にたどり着かないので不安になってきます……。
岩男 父が決めたタイムリミットの23歳を迎えたときも、まだ東京駅のキオスクと、宝石屋の販売員をしていて、とにかく生きることに必死だったんですよね。“23歳”というのが自分のなかで離れなくて、「ここで何かを決めなければ、実家に帰らなくちゃいけない……」と焦っているときに、たまたま以前お仕事をしたことがある芸能関係の方が、東京駅のキオスクを通りがかって、「あれ? 今はどうしてるの? 芸能の仕事は?」って言われて、「オーディションはたくさん受けているんだけど、勝つことができないんです」って言ったら、「歌える声優さんを募集しているから、応募してみたら?」って。それがNHK総合の『モンタナ・ジョーンズ』っていう、今からちょうど20年前の作品で、オーディションは受けたものの、なかなかお返事がこなかったから、「これはダメだったな」と思って、アパートの更新も迫っているし、もう引っ越しもしなくちゃならない。引っ越しの荷物に囲まれながら、オーディションの結果を待つっていう感じ。大家さんにも「もう出て行ってくださいね!」って言われて、泣きながらダンボールの封を閉じていたら、そこに、「1年間ヒロインでお願いします」って、オーディションの合格の連絡をいただいて。
――いろいろとギリギリ!! 肝が冷えましたね!!
岩男 そうなんです(笑)! 「10年間がんばったな……」って、泣きながら閉じていた荷物のテープを今度は喜びいっぱいで剥がして、やっと実家の父と母にも、「もう1年がんばらせてください」って連絡することができて。そのとき、両親が「あと1年じゃないよ。あと10年がんばりなさい」って言ってくれて、そこからまた、10年がんばろうって気持ちで、23歳からのスタートです。
――素敵なご両親ですね……! そしてついに声優人生の幕開けが!
岩男 放送は24才のときなので、1994年の4月に自分が初めてアフレコしたアニメが放送されて、そこからNHKの『モンタナ・ジョーンズ』のイメージソングを歌うお仕事もいただいて。それも、あくまでも“声優さんの仮歌”として歌ったものだったんですけど、なんとそれがポニーキャニオンさんのサプライズで、「君が歌ったこの歌が、君のデビュー曲だよ」って言われて。
――ヒュ~かっこいい~! ポニーキャニオン、粋~!
岩男 すごくビックリしましたよ、本当に! キャラクターしてのシングルも、岩男潤子としてのシングルも、ほぼ同時に2枚リリースして、それが入ったアルバムも作りましょう、という夢のようなお話で! そこから、憧れていた歌手としての活動と、声優としての活動を全力でがんばると決めたんです。「どっちかにしなさい」「なんで中途半端なことするの?」って厳しいことも言われていたんだけど……。
――え、岩男さんの周り、辛辣なこという人多くないですか(怒)?
岩男 器用にどっちもできてたら何も言われなかったんでしょうけど、なんせドジでのろまだから(笑)。歌って言われたら歌のことにしか集中できなかったんだろうし、おそらく「どっちがいい!」っていうものでもなかったと思うんですね。歌があったからセイントフォーにも入れたし、どっちも私にとってはなくてもならないもので。だから、こだわりぬいて、プロフィールにも「声優・歌手」と、今でも書かせていただいてます。
――いっぱい書いて! というか、声優として何作ぐらいに出演されたかご自分で覚えていますか?
岩男 そうですね。デビューしたときは、スケジュール帳にも週に一度『モンタナ・ジョーンズ』と書いてあるだけで、後はキオスクに通い続けていたので、「早く声優、歌手というお仕事でスケジュール帳が真っ黒になるといいな」と思って、それを目標にしてましたけど、気がつけば、ゲーム、その主題歌、キャラクターソング……あんなにやりたくてもできなかった歌のお仕事もたくさんいただいて。アニメも、子どもの声、動物の声、お母さんの声、と幅広くやらせていただいて、気がつけば何百作品と、もう数えきれないほど……!
――なかでも、印象に残っているお仕事はありますか?
岩男 やっぱり、デビュー作の『モンタナ・ジョーンズ』は、マイク前に立つのも初めてだったので、当時の主役の大塚明夫さんとか、中尾隆聖さんとか、滝口順子さんたちに、手取り足取り、厳しくも優しく指導していただきながらのアフレコで、すごく印象に残ってます。
――その豪華メンバーに手取り足取り教えてもらうのは、養成所に何十万積んでも無理ですね……!
岩男 『カードキャプターさくら』については、原作本を見て「なんてかわいいんだろう!」って思って開いて見たら、歌が大好きな大道寺知世ちゃんという役がいて、「そこに私も入れたらいいな~」と思っていたときにオーディションをやらせていただいて。歌を歌うキャラクターを演じたいと思っていたので、その夢が叶ったのが『カードキャプターさくら』でした。その後もたくさん出演させていただいて。今も『魔法少女まどか☆マギカ』で担任の先生をやらせていただいて、シリアスなお話なんですけど、先生だけコメディなんです。これまで無口で、おとなしいイメージがついていたんですけど、役を通じて「岩男さんっておもしろい人なんだね!」って声をかけてもらえるようになって、すごく楽しいです。
――つくづく、声を出す仕事を封印しなくてよかったですね~!
岩男 そうですね。声を封印していた時期があったからこそ、反動もありましたし、あるオーディションで「君の声は子どもに喜ばれるよ」って言っていただいたときに、目の前の閉ざしていた扉が開いたような想いがしたので、うれしかったです。いろんなことを封印しながらも、やっぱりあきらめきれてはいなかったんですよね。子どものころの自分に、「あきらめないでね、10年、20年先にはすばらしい出会いが待っているから」って言ってあげたいな。そう思えるぐらい、今がいちばん楽しいと思える人生になっています。
――素敵すぎる! 最近ではフランスや台湾などなど、海外でも活躍されていますね。それはどういう流れで呼ばれるんですか?
岩男 そうですね。私が声優デビューする前から、仮歌のお仕事でチャンスをくださっていたのが、音楽家の田中公平先生(藤子不二雄作品やドラゴンボール、ポケモン、サクラ大戦の音楽を手がける偉人)だったんですね。田中先生が「いつか自分の歌が歌えるチャンスに恵まれたらいいね」って、数々の仮歌のチャンスをいくださって。その後、私が声優デビューして、歌う機会に恵まれはじめたとき、ようやくある作品で再会できたんです。そうしたら、「アニメの世界にようこそ。待ってましたよ」って言ってくださって。
――辻仁成の「やっと会えたね」より惚れるセリフです……!
岩男 その田中先生が「よく歯を食いしばって、がんばってきたね。フランスで開催されるジャパン・エキスポの舞台にシンガーをひとり招くことができるんだけど、僕はあなたを選びます」って言ってくれて……。なので、もともとは田中公平さんのステージで、私が呼ばれて行ったわけじゃないんです。だから、会場では「あの人、誰?」って人も多かったんですけど、公平さんが「この方が『エヴァンゲリオン』『カードキャプターさくら』『パーフェクト・ブルー』に出演されている、岩男潤子さんです」って紹介してくださったら、お客さんが「生の未麻(パーフェクトブルーの主人公)なんだ!」「エヴァンゲリオンの委員長!」「るろうに剣心の巴に会えた!」って感動してくれて、みんな大好きだって言ってくださって。
――アニメは放送時に現地の言葉で訳されているけど、ファンはあえて日本語で聞くんですよね。
岩男 そうなんですよ。日本だけじゃなくて、世界の人たちもアニメを見てくれているんだって思ったら、私も感動してしまって。翌年には、「ソロライブを開きませんか?」っていうお話をいただいて、アニメカフェでソロライブもさせていただいて……! そうやって海外に行くきっかけを作ってくださった田中公平さんには本当に感謝です。その2カ月後には、台湾のファンの方が企画してくださった岩男潤子の公演があって、そこに、公平さんをスペシャルゲストにお迎えさせていただいて、公平さんがジャパン・エキスポのために作ってくれた新曲を披露させてもらったりして。
――美しい師弟愛! 台湾は日本の文化に詳しいから、ライブは盛り上がりそうですね~。
岩男 そうですね。アニメを通して日本語を学ばれる方も多くて、公演中は通訳の方が隣にいてくれるんですけど、みんな私がしゃべったことをリアルタイムで笑ってくれる(笑)。歌のタイトル言うだけで感動してくれたり……熱かったですね、台湾(笑)!
――今後、ライブをしてみたい国はありますか?
岩男 フランスと台湾には、どちらも2年連続で行くことができたので、来年も……と思っています、フフフ。ジャパン・エキスポで歌っているときは、スペインの方が「スペインにも来てください」って言ってくださったり、台湾に行ったときは、「香港、中国にも来てください」って言ってくださって。
――香港、中国の方は、岩男さんのライブのために台湾まで行ってたってことですね? すごい!
岩男 フランスでも、「アメリカにも来てほしい」とかありますし、みなさん、そういって声をかけてくださるので、いろんなところに行きたいです。
――ワールドワイド! こんなに活動の幅が広がると思っていましたか? まさかスケジュール帳に、四ッ谷とか飯田橋とかキオスクとかじゃなく、フランスと台湾と書くなんて!
岩男 思っていなかったですね。そういえば、『モンタナ』が決まったときに、両親から「日本でとどまってはダメなんだ、もっと視野を広げて世界中の人に潤いを与えてあげるような人にならなくちゃ。責任重大な使命をもって親元を離れたんだから、ちょっとやそっとのことで負けてはいけない」ってことを言われて、だから、それが自分のある意味スタート地点になって……。その時に世界を目指そうとは思っていましたけど、まさかこんなに早く叶うなんて!
――だから潤子って名前なんですかね、どこまでも素敵なご両親(涙)! 国内の活動では、コミケにも参戦しているとのことですが、それはまたどういった流れで?
岩男 コミケを薦めてくださったのも田中公平さんさんなんです(笑)。公平さんと、現在の私の音楽活動のプロデューサーの川村竜さんという方。川村さんは、国際コンテストのコントラバスで優勝された方で、今、公平さんや中川翔子ちゃんのバンドマスターもされているんですけど、そんなお二人の薦めだったら……。
――乗るしかないですね! どんな作品を作ってるんですか?
岩男 「一人でも多くの方に声を知ってもらわなくちゃいけない」と思って、普段はバラード中心の真面目な歌を歌っていることが多いので、コミケではうんと弾けて、普段見せない、聞かせていない声で、ドラマCDにしました。フフフ。お笑いたっぷりの弾けたドラマCDを3作作って、夏、冬、夏と参加して、また冬が抽選で決まれば、参加したいな!
――自分で手売りしているんですか? ストーカー被害にも遭われましたし、危険はないんでしょうか?
岩男 ……? 今まで心配したことがなかったです。危険も全然ないですし、みなさん本当にそれこそ20年前のソロコンサートのころから、ライブ会場の人が驚くぐらいマナーがよくて、「整列してください」って言ったらすぐに並んでくれますし、会場の方にも「帰るときにチリひとつ落ちていない」「岩男潤子さんのファンの方は本当にマナーがよくて、感動しました」ってよくファンの方を褒められるんですよ。
――すごい! 何か特殊な訓練でもしているんですか?
岩男 何もしていないんですけど、優しい方が集まってくれて、みんなのおかげで10年、20年を迎えられるし、本当にいい仲間に支えられています。
――マナーが残念なアイドルファンは全員岩男潤子ライブで修行を積むべき! ちなみに、新しいアルバム『voice』には、どういった曲が入っているんですか?
岩男 私が『KEY THE METAL IDOL』というアニメに出演させていただいたときに「手のひらの宇宙」という、ファンの方が合唱できるぐらい覚えてきてくれる歌を作ってくれた濱田理恵さんと寺嶋民哉さんのコンビにお願いした『voice』というタイトル曲から始まり、カードキャプターさくらの音楽が大好きで、その音楽を担当されていた根岸拓哉さんにお願いしたり、大好きなシンガーソングライター相曽晴日さんでしたり、私の初めて作った歌に作詞を付けてくれた森由里子さんでしたり、もちろん田中公平さんの曲でしたり、この20年間を、力強くサポートしてくれた皆さまに、「おかげさまで20年目を迎えることができました」というご報告とともにお願いした楽曲ばかりです。
――売れ行きのほうはどうですか?
岩男 おかげさまで、初回プレスが完売しまして、それで、11月4日に、館内アプローズというホールコンサートが決まったんです。ここで、初回プレス完売祝いで、みなさんにおめでとうを言ってもらえたらうれしいなと思って。
――完売おめでとうございます! しかしながら、声優業に歌手業のツアーにキャンペーンに、本当に忙しいですね……!
岩男 もっと忙しくしたいぐらい。毎日どこかで歌っていたいです(笑)。
――そんな岩男さんですが、今までで引退を考えたことはありますか?
岩男 23歳以降は、本当にたくさんの仕事をさせていただいて、充実はしていたんですけど、結婚もして、10年間は結婚しながらお仕事をさせていただいていたんですけど、その後、まさかの離婚も経験することになって……そこからのダメージが体にきてしまって、離婚した翌年に倒れてしまったんですね。精神的なものというより、過労でしたね、完全に。耳の病気になって、ウィルスが脳に近いところに溜まってしまって、後頭部にすごい痛みが走ったんですよ。病院に行ったら「即手術」ということで、鼓膜からチューブを入れて膿を吸い出して……。「耳は聞こえなくなるだろうし、もしかしたら歩けなくなるかもしれない」って言われたんです。
――声優・歌手の命の耳が……!
岩男 その手術の後は、顔面全体に痛みが広がって、手術の方法によっては亡くなる方もいると聞いて、手術をしていいのか迷うぐらいだったんですけど、実際は迷うヒマもないままに麻酔を打って即手術だったので、カチャカチャという音と、膿を吸い取られる気持ち悪さが、術後もずっと離れないのが辛かったです。手術後に車いす生活になって、そのときに「終わってしまった……」と思いました。「まだ終わりたくないのに、これが引退のときなのか」って。歩行困難で、何カ月も続くリハビリが苦しかった。川村竜さんとコンサートをした翌々月の手術だったんですけど、腫れたすごい顔を誰にも見られたくなくて、メンバーには誰にも知らせませんでした。あのときは、初めて母も「もう、帰ってくる?」って言ったぐらい。
――そういう状況で、鬱になりませんでしたか?
岩男 そのときはね、「鬱病にならないように」っていうお薬も飲んでいて、それでも、なんかこう、「こんな人生だったら、ないほうがマシなんじゃないか」って思い始めたときもあって。でも、本当は鬱になりたくないって気持ちもあるから、本棚には『鬱にならない方法』とか『前向きに生きる方法』とか、そういう本がたくさんあって(笑)。それってもう実際は鬱病だったと思うんですけど、当時はそういうタイトルを見て励まされていたのかな。ファンの方から、「カードキャプターさくらの知世ちゃんの声は、もう聞こえないんですか?」とか、「知世ちゃんの歌は聴けないんですか?」っていうお便りが届いても、もう、音も楽器も錆びて聞こえるぐらいだったんですよ。テレビも見たくないぐらい、なんの音も聞きたくなかった。そんなときにパソコンから、自分が歌った『カードキャプターさくら』の大道寺知世の歌が聴こえてきて、そこでやっと「がんばろう」って思えたんですよね。だから、アニメに救われて、アニメに支えられて、一歩踏み出せたというか……。今も、耳にチューブが入っているんですけど、聞こえなくなるって言われた耳も聞こえるようになったし、歩けるようにもなった。だから、同じ病気で苦しんでる人がいたら、あきらめないでって伝えたいです。
――想像を遙かにこえる壮絶さでした……。そんなことがあっても捻くれずに明るくて優しさを保てる岩男さんはどこまでも偉大です! 今後の野望があれば、是非教えてください!
岩男 昔から、声を嫌われていじめに遭っていたんですが、今は、そういういじめを苦に幼い人たちが命を絶ってしまったり、夢をあきらめてしまったりするでしょう? そういう人たちに、「自分もそういうときがあったけど、大丈夫でした!」って言いたいなって。ライブとか、イベントとか、握手会で、少しでも「目指しているんです」って言ってくれたら、「あきらめないでがんばって!」って直接言ってあげたい。自分の経験を通じて、希望と言っては大げさですけど、それを与えてあげられるような人になりたいですね。
――まさに聖母……! どうもありがとうございました!
(取材・文=小明)
●いわお・じゅんこ
大分県別府市出身。『カードキャプターさくら』(大道寺知世)、『新世紀エヴァンゲリオン』(洞木ヒカリ)、『魔法少女まどか☆マギカ』(早乙女和子)など、新旧問わず話題作に出演し、今年声優活動20周年を迎えた。
2009年よりプロデューサーにベーシスト川村竜を迎え、前作「やさしさの種子(たね)」などを発表。パリで開催されるジャパンエキスポ出演や、今年2月には2度目の台湾単独ライブを行うなど、国内外に於いて、さらなる飛躍を誓い活動中。
『岩男潤子20th Anniversary -voice- in 横浜』
11月24日(月・祝)関内/アプローズ
“ voice 初回プレス完売記念ライブ”
開場17:00 開演17:30 終演予定 20:00
出演:岩男潤子(Vo)川村竜(b)鈴木直人(gt)真部裕(vln)成田祐一(p)
齋藤たかし(d)
*チケット¥5,500(当日¥6,000 ・ 全席自由)
*学生:前売り当日共¥5,000
*イープラスにてお求めいただけます
*本公演はドリンク・フード等ございません
*会場:アプローズ
*住所:横浜市中区太田町2-23 横浜メディアビジネスセンター1F
『岩男潤子20th Anniversary -voice- in 京都』
12月13・14日(土・日)京都/都雅都雅TOGATOGA
■12月13(土) 【heal for people vol.80】
開場13:30 開演14:00 終演予定16:30
出演:岩男潤子(Vo) 川村 竜(B) 熊谷ヤスマサ(P) 鈴木直人(G)
■12月13日(土) 【岩男潤子トークライブ in TOGATOGA】
開場18:00 開演18:30 終演予定20:30
出演:岩男潤子・川村 竜
*チケット¥4,000(当日¥4,500・全席自由・ドリンク別)
■12月14日(日) 【heal for people vol.81】
開場13:00 開演13:30 終演予定16:00
出演:岩男潤子(Vo) 川村 竜(B) 熊谷ヤスマサ(P) 鈴木直人(G)
*チケット(13日昼及び14日)¥4,800(当日¥5,300・全席自由・ドリンク別)
*整理番号順入場(FC優先入場)
*住所:京都市下京区寺町通四条下ル貞安前之町639 B1
*各プレイガイドにてお求めいただけます。
*学生証ご持参の方、各500円割引いたします。
●ししど・るみ
1973年、福岡県生まれ。1990年にアイドルデビュー、18歳でフリーアイドルになり現在まで様々な分野で活動中! フランス、ドイツ等でもライブを行い音楽活動で高い評価を得ている。
元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の28回目! 今回は「ロリータ18号」の元ギタリスト、『がんばれ!おでんくん』では、つみれちゃんやペロの声優をしているエナポゥさんが来てくれました!
――エナポゥさんはギタリストでボーカリストでイラストレーター、さらに声優業までされているんですよね。今日はいろいろご教示ください!
エナポゥ(以下エナ)いやいや、それで忙しくてあたふたしているっていうならアレですけどね、なんかもう自由に生きているだけな感じです……。
――芸歴は今、何年くらいになるんですか?
エナ 芸歴? 何から始めて芸歴と呼ぶか…バンドを始めたのは高校の軽音部からですね。でも、それは芸歴に入るのか!? 「ロリータ18号」に入ったのは1991年かな。
――ということは……23年! 思い出の引き出しもたくさんありそうですね。
エナ もうね、記憶が曖昧で、引き出しが開かなくなりつつあるんで、フフフー。
――昔から芸能に興味があったんでしょうか? 例えば子どもの頃とか。
エナ いやいや、子どもの頃は、人見知りでモジモジしていて、石をひっくり返して遊んでいるような子でした。石の下のジメジメした場所に生息する虫を見て「ひゃー!」って。
――わりとヤバイ! 高校は軽音部で、小・中学の部活はどんなものを?
エナ 小学校のときはローラースケート部に入って、屋上でローラースケートをしていました。
――エキサイトするとそのまま墜ちそうで恐いですね。
エナ で、中学のときは卓球部に入ってました。多分、黙々と一人でやることが好きだったんですね。壁打ちとか、素振りの練習とか。でも、うまくはならなかったです。やっぱり、一人でやらないで、うまい人とみんなでやらないと!(笑)。だから、卓球は長続きせず、中2のときに自宅の物置にギターがあるのを発見して、それでギターに目覚めた感じですね。パパさんが若い頃に友達から買った、モズライト(ギター)とアンプで5,000円のやつだったんですけども。ホラ、石の裏の虫を探しているような子だったので、物置の中をゴソゴソと「何があるかな~」ってやってたら「ギター見つけた!」って(笑)。
――そのギターとの出会いから、やがてプロのギタリストになるなんて、映画のオープニングのようですね。
エナ そうですね。映画化してもいいぐらい。してください、ぜひ!
――サイゾーにそんな財力はないです! お父さまもギターがうまかったんですか?
エナ それが、パパさんは『禁じられた遊び』しか弾けなかったんですよ。チューニングも全然わからないって言われて、しょうがないから、かき鳴らすくらいでジャーンってメチャクチャ弾いてて。それから高校受験があったので、うちのママさんが「高校に受かったら自分のギターを買ってあげる」って言ってくれて、高校から本格的にやり始めたんです。カセットテープつきの教本とかで勉強して……カセットってところで、すごく年がわかっちゃう感じですね(笑)。
――高校の軽音部は、どんなバンドを組まれてたんですか?
エナ 私の学年の軽音部にはバンドが2つしかなくて、あんまりメンバーもいなかったんですよ。だから2つのバンドを掛け持って、JUN SKY WALKER(S)とかカステラとかTheピーズとかのコピーをして……これもまた世代がわかっちゃう感じですね。フフフー。でも、そこでみんなでバンドをやる楽しさを知ったんです。
――その後、すごく良い大学(当社比)に進学されましたよね。すごいですよ。音楽をやりながら勉強もって。
エナ 一応、進学校だったんで、なぜか推薦入学で入れちゃって……。そこの大学がわりとバンドが盛んなところで、サークルで知り合った当時ロリータでドラム叩いてた子に「ロリータ18号ってバンドがあるんだけど、ベース弾かない?」って誘われて「ベースならヘルプでもいい?」みたいな軽い感じでロリータ18号に入ったんです。その後ギターになったんですけど。
――おお~! 伝説が始まった感! しかしながら、良い大学ですし、大学卒業後に就職しようとは思わなかったんですか?
エナ すごい思いましたよ、5時に帰れるから公務員とか! 将来をいろいろ考えて、みんな就職活動をしているときに、ママさんに「バンドをするか、就職をするか」って相談したら「エナちゃんはスーツが似合わないから、バンドでいいんじゃない?」って言ってくれて。そっから、バンドやりながら、バイトをして、ライブをやったりして。
――かっこいいお母さまですね! それからロリータ18号としてBENTENLabelからリリース、メジャーデビュー、海外でのメジャーリリース、全米ツアー、ヨーロッパツアーと怒濤の日々を送るわけですが、ガールズバンドということで、アイドルグループみたいに“恋愛禁止”みたいなのはルールはありましたか?
エナ なかったなかった(笑)。かと言って、恋愛ができるかっていうと、ずっとライブの全国ツアーとかで休み無くて、家にも帰れない状態だったから家賃ももったいない感じだったんで。ほんと家賃返してほしいよ~。
――1年のうち、家にいる時期はどれくらい?
エナ 1/3くらいかな~。でも、家にいる時も曲作ったり、あとレコーディングしたり取材があったり、なんだかんだで忙しくて、あの頃が人生の忙しさマックスだったかな。
――いやらしい話なんですけど、その忙しさマックス時で、どれくらい儲かっていたのでしょうか……?
エナ 全然儲かっていないですよ! その頃、事務所が給料制だったんですよ。「給料制と歩合、どっちがいいか?」って言われて、給料制にしてたから!
――おお、わかりますよ。売れていない時は安定を求めて給料制がいいけど、忙しい時期は給料制が憎らしくなるんですよ。
エナ そうそうそう(笑)!
――メンバー同士でケンカになったりはしないでしょうか?
エナ 殴り合いになったりはしないけど、ライブで「あそこのテンポが早かった」とか言い合いみたいなのはあったかも。でも、家族よりも一緒にいる時間が長いから、もうお互いに細かいことは気にしなくなって空気みたいになってきますね(笑)。
――その、10年続けたロリータ18号を辞めたきっかけは?
エナ 辞めたきっかけは、本当にライブばかりやって、ロリータ18号で自分がやりたいことはやりつくしたかなと。ドラクエで言ったらレベル99まで行っちゃったよ、みたいな。それで「もう後悔はない。転職しようかな」とダーマの神殿に行ったわけです。
――ロリータ18号のページに「もも栗3年柿8年、エナポゥ10年。エナポゥは人生の節目をつけることにしました!」ってものすごい元気に書いてあって、全く悲壮感のない脱退発表でしたね。
エナ 悲壮感なんて、ないない! ないですね! 辞めて、フリーというか、全部において自由になったんです。そして辞めたのが2001年の12月8日だから、もうずいぶん経ちましたね~。ヤバイ!
――当時、名前はまだエナゾウさんでしたよね。なぜエナゾウからエナポゥに変わったんですか?
エナ エナゾウは、画数が12なんですよ。私、占い大好きで、姓名判断とかすごい気にしていて、エナゾウだと年をとるたびにどんどん衰退していく、波瀾万丈で大凶だったんですよ。だから、辞めるときに13画になったらいいなと思って、エナポゥに変えて。エナポウのウは、大きいとあんまり可愛くなかったんで、小さく。でも、エナゾウのほうがまだ日本人ぽいのかな。エナポゥってまず、「ナニ人ですか?」って聞かれます。
――“ポゥ”にパンチがありすぎるんですよ! その後、どういうきっかけで声優に?
エナ 声優になったきっかけね! そのときのことはすごくよく覚えているんです。ロリータ18号時代に文化放送で『インディーズ大辞典』って番組をやらせていただいてたんですけど、そこに宍戸留美さんがゲストで来てくださって。そこで「アニメ監督が、エナちゃん声優やってくれないかな~って言ってたよ」って伝えてくださって、「やりたいやりたい!」って。それから声優のお話がいろいろつながっていってくれて。「いつか、また留美さんに会えたら御礼をしなくては……」と思っていたら、『プリティーリズム』(テレビ東京)のオーディションで会えまして。でも、オーディションだったから、これに落ちたらまた会えないし、今のうちに全部言っておこうと思って「留美さんに会わなかったら、声優やってなかったです!」と。
――そして宍戸さんが天羽ジュネ役、エナポゥさんがラブリン・ピコック・エスニ役と、二人とも受かってるのがすごいですよね。
エナ よかったです、本当に!
――私はてっきり忌野清志郎さんの勧めで始めたのかと思ってました。
エナ そうそう! 脱退ライブのときにビデオレターをもらって、それで清志郎さんが「エナゾウは声優になるように」って言ってくださって。「やりたいのは山々だけど、なるようにって言われて、なれるものかな~」って思ってたんですけど、そのライブを見ていたアニメ監督の小林治さんが「誘おうかな」って思ってくれたのかもしれないですし。
――そこに宍戸さんも交差して、ドラマチックな人生ですね。
エナ そう! ドラマチック! また会えると思わなかったし! 初めてのアフレコのことはすごい覚えていて、マイクの後ろにみんなで座って、自分の出番になったら立つっていう緊張と、みんなすごいセリフを練習しているし、「どうしたらええんや!」ってドキドキしましたよ。私は変な声だから、「こんな感じの声でお願いします」って言われても「こんな感じでって言われても、その声、どうやって出すんだろう!」って慌てて……。声を張らなくちゃいけないけど、吹いちゃうとダメだし、みんながやっているのをマネして勉強しました。マイクに行くまでに緊張しちゃうし、台本をパタパタして音出ちゃうし、「まず手の震えを直さなければ!」みたいな。
――現場では完全に挙動不審!?
エナ そう、まさに私にピッタリの言葉、挙動不審。挙動不審な感じがモワーって出てしまう。あの、声優養成所をでたりしてる若い声優さんは、30分前には来ているし、必ず挨拶をしてくれるんですよ。多分、ちょっと年齢が上=先輩だと思ってくれてるんでしょうけども、みんな丁寧に「どこどこ事務所の誰々です!」って言ってくれるから、挙動不審になりながらも「こんなに挨拶されることってないし、ちょっと気持ちいいな」と思ったりして。フフフ
――その頃は、無所属で仕事をしてたんですか?
エナ 無所属というか、ロリータ18号を辞めてからは、ずっと事務所なし(フリー)です。
――無所属で、これだけの仕事こなせるって相当ですよ!
エナ 相当ですか? 本当ですか? 忌野清志郎先生と宍戸留美さんのおかげです。でも、私、なかなか人間の役っていうのがないんですよね。
――何の役が多いんでしょうか?
エナ 鳥です。人間では、『BECK』のときにカヨちゃんっていうかわいい女の子の役をやったけど、ペイジっていう「クギャオ!」って言ってるオウムもやったし、その後の『海底二万里』のときも鳥だった……。それから『おでんくん』の具とか、犬とかウサギが入りまして、その後の『プリティーリズム』も、あれは鳥かな? ペンギンかな? でもペンギンも鳥か。なんか、鳥類専門なんですかね?
――国籍だけじゃくて、人類かどうかすら怪しくなってきますね……。声優業で苦労したのはどんなところですか?
エナ 自分ではそのキャラでやっているつもりが、マイクを通すと全然なっていないというか……。なんだろうな? 恐らく、誰もが一度は経験する、マイクの前で何度も同じことをやって、どんどんハマって、蟻地獄のように、「すみません、すみません」ってなる感じ? あれが大変です。自分ではいいと思ってやっていることが「違う」って言われるんですよ。それでわかんなくって、噛んじゃったりとか。で、「もう何やってんだぁ、パタパタパタパタ(手を振りながら)」みたいな。
――あ、鳥っぽくなってる。
エナ そう、ほんとに鳥っぽくなっちゃう。
――仕事で落ち込んだときは、どのように解消されるんですか?
エナ お酒を飲むしかない(即答)。飲んで忘れるというか、「そんな日もある!」とか「ダメだったのかもしれないけど、OKが出たんだからOK!」と自分で納得して。でもOA見て、「ひゃーもう一回やりたい~」って!(パタパタパタパタ)。あと、すごい好きな声優さんにお会いできたときは、ふわーってなりますよ!八奈見乗児さんとか!(パタパタパタパタ)。はー、なんかもう、暑い~。
――文字なので伝わらないですけど、暑いのはエナポゥさんがしゃべりながらずっとパタパタ動いているからですよ……! 今はどんなバンドをされてるんですか?
エナ 『おでんくん』で友達になった小日向しえちゃんと“nelca(ネルカ)”っていうガールズバンドをやっていて、それが今はメインですね。しえちゃん、かっこいいんですよ。「しえちゃんかっこいいからベース弾きながら歌いなよ」って言って、組んでからベース買わせて(笑)。ゆっくりですけど、今年はライブができたらいいなって。……あ、しえちゃんと出てる『がんばれ!おでんくん』も、まだやってるよ~。民放でやっているよ~。観てくださいね~。
――声優として、今後「これに出たい!」っていう作品はありますか?
エナ そ、そうだな、『進撃の巨人』に出られたら……鳥でもいいので……。休みの日はずっとマンガ読んだり、ゲームをしたりしてるんですけど、今は進撃なんですよ。(『進撃の巨人』クリアファイルを見せびらかして)これはロッテリアで食べてもらったんですよ。フフフ。
――では、キャスティング担当者が日刊サイゾーを読んでいることを祈りつつ!
エナ 祈りつつ!
――引き続きグラビア撮影がんばってください!
エナ こんな写真が出ることないですから、脇汗すごいかいちゃって。1万枚ぐらい撮ったら、1枚ぐらいは、なんとかならないかな! ギターがないと落ち着かない感じ(笑)。
――今日はありがとうございました!
(取材・構成=小明/撮影=宍戸留美)
(余談:インタビュー直後のグラビア撮影で、エナポゥさんは「ひゃ~」「ふぁふぁふぁ」「あ~~~」などと言いながらカメラから逃げ続け、「動物を撮っているみたい!」と宍戸留美を感動させました。もしかしたら鳥だったのかもしれません。)

元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の27回目……ですが、1990年代に輝いたあのアイドルグループ“Melody”の元メンバー・田中有紀美さんが来てくれるとなれば話は別! 今回は特別編でお送りします!
――ゆきどんだ! まさか来てくださるとは! 今回は特別編ですよ~。
田中 特別編ですか、あかりがとうございます(笑)。
――1993年にレモンスカッシュのCMでデビューしてから、今、芸能活動が21年目になりますね。
田中 ね、びっくりしました(笑)。そんなに続いてると思わなかった。20周年も、どこかのレコード会社の方から聞くまで気づかなかった。あんまり、今は何年目とか、誰が先輩で誰が後輩とかを気にしないでやってきちゃって……。
――90年代はアイドル冬の時代と言われていましたし、アイドル同士、横の結束が強いと思ってました。
田中 んー、どうなんですかね~? 大人になってから、先輩達と仲良くさせていただいたとき、「誰が同期で~」って話になって「あ、そういうものなんだ」って気づきました。
――フワフワっとした感じで冬の時代を生き抜いたんですね……。
田中 そうですね、あんまりガツガツしてなかったと思う(笑)。
――なぜ芸能界に入ろうと思ったんですか?
田中 最初はスカウトだったんです。場所はサービスエリア(笑)。Melodyは3人グループで結成したかったらしくて、すでに2人決まっているところで、あとの1人を捜してたみたいで。そこにたまたま私がいて……そのまま家まで追いかけられてスカウトされたんですよ。
――運命的っていうか、怖い! その前から芸能界に憧れとかは?
田中 まったくないです。誘われたので入ってみました。
――誘われて入ってみた芸能界はどうでしたか?
田中 うーん……どうなんだろう……。Melodyは楽しかったですけど、今考えると、学生生活は学生をしていた方が良かったんじゃないかな、と思ったりすることもありますね。
――当時はちょうど16歳くらいで、女子高生ですもんね。学校にはほとんど通えなかったですか?
田中 ほとんど行けなかった……。
――その頃、映画『嵐の季節』に主演されてましたね。どんな話だったんですか?
田中 原作がですね、高橋玄さんで、美保純さんと高嶋政宏さんがいて、その高嶋さんを好きになる女子中学生の役で、えーと、それで、あのー……ハァ(ため息)。
――完全に忘れてるじゃないですか……。
田中 覚えてるんですけど、説明が難しいんですよ。最終的には、結ばれたのかな? うーん? アハハ! これじゃ意味わかんないですよね!
――わかんないです! そのお仕事はオーディションで?
田中 オーディションでした。5次審査までやって、セリフから動きまで全部やって、最終的には高嶋さんがいらして、一緒にお芝居して……残ってる人にはけっこう凄い人がいたんですけど。
――おお、どんな人がいたんですか?
田中 え~……ちょっと覚えてないんですけど……ええ~と。
――覚えてないことが多すぎます! でも、それほど忙しかったってことですよね。学生時代を犠牲にして打ち込んだMelodyは、なぜ4年で解散してしまったんでしょうか?
田中 事務所の人が「解散するよ」って言うから、「あ、解散するんだ~」って(笑)。
――受け入れますね~! 他のメンバーは反対しなかったんですか?
田中 他の2人も「そうなんだ~」って。反対はしてないですねぇ。Melodyの活動以外にも1人ではドラマとかはやっていたので、なんとなく……なんで反対しなかったんでしょうね? メンバー同士で「なんでだろうね~」みたいな話もしなかったです。好きだったんですけどね、Melodyの活動は(笑)。
――ファンが反対して暴動が起きたりしませんでしたか?
田中 解散イベントは一応したんですけど、ファンの方が事務所に抗議に来たりしたらしいです。後から聞いた話ですけどね。当時は私たちには外出禁止令が出ていたから……危ないと思ったんでしょうね~。
――解散後は、ソロで音楽活動をされたり、女優業をされたりしているんですね。ソロシングルの「あなたの涙の場所になりたい」は、ご自分で詩を書かれたとか。
田中 あれは、大森祥子さんという方が書いてくださったんですよ。私、そのとき、歌詞がぜんぜん書けなくて、2行の言葉を書いて、それを膨らませてもらったんです。
――その時の2行の言葉は覚えてますか?
田中 「涙は行く場所をなくし、ただそこに落ちるだけ」っていう言葉を……恥ずかしいな(笑)。
――それを書いた時には、何か悲しいことでもあったんですかね。
田中 悲しいことは……多々ありました(笑)。でも、たぶんこの時は切ないのが好きだったんだと思います。当時まだ17歳くらいだったから、ちょっと大人になりたい、みたいな。
――悲しいことが多々あったとか聞き捨てなりませんね。
田中 あったけど言えないと思う(笑)。大人のケンカに巻き込まれたり……(自主規制)……でも、今ではいい思い出です。お世話になったので今はとても感謝してます。
――あー、本当に言えないやつですね。いろいろお疲れ様でした! 元メンバーは解散後に結婚したり出産したりがありますが、田中さんは? 一度活動を休止されていた時期がありますよね。もしかしてそこで……?
田中 結婚しようと思ったことはあったんですよ。23歳くらいの時ですかね? 思ったんですけど、やめました。なんか違う、と思って。
――人生の決断が潔い!
田中 母からは「いつ結婚するの~?」って言われますけどね(笑)。
――芸能活動を休止していた期間はどれくらいあったんですか?
田中 え~と……5年、いや3年……5年くらい……そんなないかな、4年?
――その間は何をされてましたか?
田中 歯医者で歯科助手をしてました。
――え! なんでまた歯科助手?
田中 なりたかったわけではなく、たまたま近所の歯医者さんで募集をしてたんですよ。歩いてたら募集の紙が貼ってあったので、医療事務だったら私にもできるかなぁって、人生で初めて履歴書を書いて……。
――履歴書の経歴の欄には“Melody”って書きましたか?
田中 書いてないです(笑)。
――それで、医療事務のつもりが歯科助手に?
田中 そう、でも「まぁいっかぁ」と。わりと受け入れる方でして(笑)。それも3年くらいやりましたね、辞め方もわからないし、休み方もわからないし、遅刻の仕方もわからないですし、わからないことだらけで……芸能界にいるときって、熱が出ても仕事に行くし、ちょっとのことではお休みできないじゃないですか。その感覚でずっとやってきたので、「熱が出たから帰ります」とか「お腹痛いから帰ります」とか、みんなが普通にしているのを見て衝撃を受けました。「帰っていいんだ! 遅刻していいんだ!」って。そういうのもあって、今は昔よりも気の張り方みたいなのはマシになっていると思います。別に遅刻をするわけではないんですけど(笑)。
――今日も誰よりも先に到着されてましたね。……歯科助手から、どうやって復帰に至ったんですか?
田中 お友達から、私に興味がある事務所があるって聞いて……でも私はもう事務所恐怖症になっていたので、「ヤダ~」って断ったんですよ。昔から、「誰かを押しのけてまで!」っていう、ザ・芸能界みたいなのは向いてないな、と思っていたし。でも、お友達が、「本当に普通の感覚を持った方だから、一回会ってみません?」って言うので、お会いしてみて、復帰に……。
――普通の感覚は大事ですよねぇ。復帰してからは、ご自分でショートフィルムを撮られてるとか。
田中 もうけっこう前になっちゃったんですけど……5年くらい前かな? そんなにたった感じはしてないんですけどねぇ。
――きっかけは何だったんですか?
田中 自分のブログを立ち上げた時、「自転車を盗まれた!」って勘違いしちゃった話をブログに書いたんですよ。そしたらそれにずいぶん反響があって、当時の事務所の人に「これ、動画にしてみたら?」と言われて、「あ、そうだね~」って、軽く言ったところから始まったんですよ。でも、いざ作ってみると、初めて脚本も書くし、台本の書き方とかも勉強しないといけないし、「じゃあ撮ろう!」となっても1人じゃ撮れないので、映画とかでお世話になったスタッフさんに手伝っていただいて。編集作業も初めてだったんですけど、もう事務所に寝泊まりしながら勉強していたので、当時はずっと事務所の床に寝てました(笑)。
――その作品はどこで発表したんですか?
田中 『自転車どろぼう』ってタイトルでDVDになって、TSUTAYAでレンタルできるんです。えへへ。その後、短編映画のサイトに、「短編映画の監督を6人募集する」っていう企画があったので、応募してみたんです。そしたら「企画書を送ってください」ってことになって、企画書も書いたことがなかったので、また勉強しながら3つ企画書を書いて応募したんです。それで、選んでいただいて、次の2作目の『傘どろぼう』が生まれたんですよ。
――ずっと泥棒されてるんですね……。
田中 それも勘違いなんですけどね(笑)。それと、自分で曲を作り始めました。Melodyの時は、大人に言われたことを一生懸命こなすことが仕事だったけど、今は自分から発信しなくちゃならない。短編映画を作ったときもそうですけど、わからないことだらけで、勉強することばっかりなんです。でも、それを自分のペースでやっていけることが嬉しいです。
――アコースティックのライブも定期的にされているんですよね。ギターかっこいい!
田中 キターは弾けませんよ。
――へ?
田中 指が短いんですよ。コードに指が届かなくてイラッとして(笑)。ピアノは目で見えるから理解できるんですけど、ギターは自分で見えないし、どうも理解できなくって……。でも、自分の曲の歌詞は自分で書くようになりましたよ。
――2行からの、進歩ですね!
田中 2行から、もう7曲に! アルバムを作ったので、7つの恋愛の歌詞を書いたんですけど、失恋系の歌詞が多かったです。
――それは、実体験を元に?
田中 想像を元に、ですよ。ンフフー。
――今後の活動の予定を教えてください!
田中 今、アコースティックライブをやっていて、『田中珈琲店』って言うんですけど、それが2月22日に13杯目(13回目)です。それを続けながらお芝居もできたらいいな。「息の長い女優さんになる」っていう目標は、Melodyの時から変わってないですから。……あ、あと、エレクトーンの先生にもなりたいかな(笑)。
――元・Melodyメンバーが教えるエレクトーン教室なんて素敵!
田中 でも、そしたらまた勉強しなくちゃいけないですね(笑)。
――今日はありがとうございました!
(取材・構成=小明/撮影=宍戸留美)
●たなか・ゆきみ
Melodyのメンバーとして歌手デビュー。女優としてはCM「青春18きっぷ/JR」、映画『嵐の季節』で主演デビュー、ドラマ『神様もう少しだけ』『ソムリエ』などに出演。楽曲の作詞・作曲や、ショートフィルムの脚本・監督など、クリエーターとしても活動している。
2008年5月、全7曲の作詞・作曲したアルバム『潤恋花 じゅんれんか』を発売。アコースティックライブ「田中珈琲店」を楽しく開店中。
カバー曲を中心に歌っており、現在、iTune他音楽配信サイトで「田中珈琲店のテーマ」配信中。
2013年10月、芸能活動20周年を記念して名古屋で開店した「田中珈琲店11杯目」には、元Melodyのメンバー2人(望月まゆ、若杉南)が集まりゲスト出演した。
・今後のライブ予定
2014年2月22日(土)アコースティックライブ「田中珈琲店13杯目」開店
場所:荻窪「BUNGA」予約受付中
元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の26回目! 今回はTVアニメ『リトルバスターズ!~Refrain~』の主題歌を歌っているアーティストの鈴湯ちゃんが私のCDのプロデューサー・樫原伸彦先生と一緒に来てくれました!
――樫原先生の秘蔵っ子、鈴湯ちゃんだ! 以前、樫原先生の誕生日ライブで歌ってるのを観ましたよ、同じ樫原チルドレンとしてよろしくね~!
鈴 え? 秘蔵っ子? あ、はい、ありがとうございます。よろしくお願いします。
――もしかして、緊張してます?
鈴 はい、いつも緊張してます。ライブでも毎回緊張してます。
――初々しい! 活動のきっかけは何だったんですか?
鈴 友達に誘われて……。
――おお、アイドル王道パターンじゃないですか。
鈴 あは(笑)。でも、そこで誘われて行ったのが音楽スタジオだったんです。楽器をやってる人が20人くらいいて、バンドのセッションがはじまって……そこで自分たちでアニソンコピーバンドを組んだのが、私の初めての音楽活動ですね。
――コピーバンドっていうと、BOØWY、X JAPAN、GLAYを真っ先に浮かべる世代には、複雑な時代になってきましたね。メンバーは全員オタクなんですか?
鈴 はい、全員もれなくオタクです。居心地の良い感じで(笑)。
――ニコニコ動画で歌い手もされてましたか?
鈴 歌い手と言いますか、最初に音楽をはじめた頃は学生だったので、知り合いもいなければお金もなくて、そういうときに、「インターネットっていうツールはすごく便利だ!」と思って、ラジオを配信してみたり、ニコニコ生放送だったり、自分の音源をニコニコ動画に投稿したり、自分でできることは何でもやってみたんです。
――現代……!
鈴 そうですね(笑)。我ながら現代っ子だと思います。
――そうした活動が樫原先生の目に止まってデビューに?
鈴 いえ、ぜんぜん! もうひとつ自分でできることで、「ライブやりませんか?」みたいな募集ページに自分から連絡して、ひとりでライブに出るっていうのをやりはじめて。
――ひとりで!? 行動力ありますね~!
鈴 ひとりでできることはなんでもやってみよう、と。そのライブを続けていく中で、ご縁があって知り合ったのが樫原先生で。
――樫原先生、鈴湯ちゃんをはじめて見つけた時には「コレだ!」っていうものがありましたか?
樫原 もちろん。秋葉原のライブアイドルのイベントを定期的にパトロールしていたときだったんだけど……
――それは趣味で?
樫原 仕事で!! 新人発掘のために見てきたライブイベントに彼女が出てきて「アレ?」って。良い意味で浮いてたんだよね。普通のライブアイドルみたいに飛んだり跳ねたりもしないし、おべんちゃらも言わないし、ちゃんと挨拶もできないし(笑)。でも、歌ってるときの目線とか、オーラがひとりだけ全然違った。だからそれから定点観測してたんだよ。
――ライブアイドルとよく一緒になるなら、ご自分もアイドルユニットに入ろうとは思わなかったんですか?
鈴 えーっと……あるにはあります……ね。でも、見る方がアイドルは好きっていうか、あのー……たぶん、やっても、継続してうまくやれないだろうと。
――お気持ち、わかります! ひとりでできるならひとりが一番! ちなみに、ニコニコに音源をアップしたりするときは、どういう気持ちでアップするんですか? 例えば「有名プロデューサーよ、私を発掘しろ」みたいな念を込めるとか……。
鈴 ぜんぜんそこまで考えてなかったです(笑)。「この曲が好きだなぁ、カバーしたい」って自宅で歌って録音して、「あ、いいのが録れたな」と思ったらアップロードっていう、記録というか、メモ? 日記帳みたいなものでしたね。
――なるほど~。あんまりガツガツしない方がいいのか……私もやってみます! ちなみに他にはどんな活動を?
鈴 同人活動を少々……。
――へ!? BL? 薄い本?
鈴 いえ、同人音楽の方ですね。CDを自分で作ったりしてました。BLも好きですけど……今は「Free」がアツいですよ(照)。あと、ゲーマーでして、PCゲームが好きで、クリエーターさんたちといろんな作品作りをしたり、歌ったりしていたんです。
――そういう人がライブアイドルに混じっていたら、そりゃ確かに浮くかもしれませんな。
鈴 みなさん元気に踊って歌っている中で、ひとりだけ暗い歌を歌ってましたし……みなさんと同じく、わっしょいわっしょい明るく頑張ってみたこともあるんですけど、「無理してやらなくていいよ?」「そういう芸風じゃないんだから」ってアドバイスされて……。
――せつねぇ!! その活動の中で、どうやってTVアニメ『リトルバスターズ!』の主題歌を歌うことに?
鈴 はじめに、クリエイターさんに「興味ある?」って聞かれて、「あります」って答えたら、いつのまにかボイスサンプルみたいなものの選考があったのかな? 気づいたら決まっていたんですよ。
――大抜擢!? すごいじゃないですか!
樫原 その時は俺の主催のライブに毎週出てもらってたんだけど、はじめはアイドルファンで予約が埋まるところ、だんだん誰の客でもない大人が入るようになったんだよ。もしかしたら、他にも業界の人が偵察に来てたのかもしれないね。それくらい光ってたんだよ。
――私、10年くらいイベントやってますけど、なんのスカウトも来ないですよ。くすんでいるのかな。というか、話を聞いていると、樫原先生って鈴湯ちゃんの何なんでしょう?
樫原 主催ライブに出てもらってたよ。
――それだけ? 私、てっきり樫原先生が発掘して、一から育てたのかと……。
樫原 いや、勝手に育っていったね。
――TVアニメの主題歌も、本当は樫原先生が決めてきたんじゃないんですか?
樫原 いや、俺なんにもしてない。実力。ボイスサンプルとか、これまでの活動の実績で勝ち取ってた。
――じゃあ……樫原先生はいったい何をしていたの?
樫原 そばで、微笑んでいたよ。
――……邪魔じゃない?
鈴 (笑)!
樫原 俺はこれからいろいろ頑張るの! そこはもう任せてください。
――そうですか……。では、鈴湯ちゃん、『リトルバスターズ!』の主題歌が決まった時はどんなお気持ちでしたか?
鈴 うーんと……私、さっきPCゲームが好きって話をしてたと思うんですけど、そのPCゲームの中でも特に大ファンだったのが、『リトルバスターズ!』だったんですよ。
――じゃあ、もともと大ファンなゲームがアニメ化、さらに自分がその主題歌を歌うって状況に?
鈴 そうなんです(泣)。すごすぎて、もう現実感がないんですよ。テレビで流れていても実感が湧かなくて、他人事みたいな気分です。初めて自分の声と映像が一緒になっているのを観たのはコミケの企業ブースだったんですけど、その時はさすがに実感が湧いて、感動で涙目になりましたね。遠くの物陰からじっとブースを眺めて、名乗りもせずに去りましたが……。
――消極的を超えて忍者みたいだね……。では、今は、これから自分の人生がどうなるのか、希望と不安に満ちている頃ですね。
鈴 希望ももちろんあるんですけど、根が暗いもので、不安がいっぱいです……。
――同じ樫原チルドレンとしてアドバイスさせていただくと、年齢があがってくるにつれて同級生がガンガン子どもを生み出したり出世したりするので、その不安要素は増えるばかりですよ☆
鈴 わぁ~……。でも、たくさん悩んで考えた結果、普通の生活はできないだろうな、と思って。協調性がなくて、人と一緒にいるのも、なかなか苦手なので、普通に就職して、結婚して、子供産んで……そっちの方が自信ない。そっちの方がハードモードだなって。
――超わかる~(満面の笑み)!
鈴 なので、「これをやるしか道はない」というか……。不安だったり、悩んだりしているときも、辛いけれど、辛い時間の方をいつもの時間よりも大切にして、創作活動につなげるようにしています。創作に回していくことで、だんだん元気が出てくるので。
――創作活動では、具体的にどういうことを? 歌詞を書いたりとか?
鈴 実は歌詞はあんまり得意じゃなくて、詩とか、絵とかですね。
――落ちこんでるときに書く詩と絵は、翌朝冷静になった時に見返すとヤバそうです。
鈴 そうなんですよ(笑)、後になって自分で「うわっ暗!! 大丈夫!?」って驚きます(笑)。
――そういうのは古くなれば古くなるほど面白くなってくるので、歌詞カードの挿絵にしよう! でも、ネガティブな部分を創作につなげていくと、幸せなときには創作意欲が湧かなくなるのでは?
鈴 幸せなときや、前向きな気分のときは、創作よりも日々の歌の練習とかトレーニングをしてますね。ポジティブな時は努力にまわして、ネガティブな時は創作にまわそうと心がけてます。
――まぶしすぎるお言葉……。最近はどんなときに幸せを感じましたか?
鈴 『リトルバスターズ!』で知ってくださった方が、私の歌う「Boys be Smile」を「僕が初めて自分で買ったCDです」って言ってくださって。それがすごく心にきましたね。
――人の初めて奪っちゃった的な?
鈴 思い出のひとつに私がなれるんだ、と思って感動しました。
――美しい言葉で言い換えられた! 今後の野望を教えてください!
鈴 自分ができるライブを突き詰めていきたいし、いろんな作品と関わりたいです。
――いつか自分の描いた暗い絵をバックにバーっと貼り詰めて真っ暗な部屋で暗いポエムを読みましょうよ。
鈴 いいと思います(笑)!
――ちなみにグラビア撮影ははじめて?
鈴 初めてなんですよ、緊張します、うまく笑えるか不安です(照)。
――では、初めてを宍戸留美に奪われてきてください! これからの鈴湯ちゃんの活動をお楽しみに~!
(取材・構成=小明/撮影=宍戸留美)

元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとして可愛い声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の25回目! 今回は特別企画!? 『クリーム』『投稿写真』などのお菓子系雑誌で一世風靡した元グラビアアイドル/ライブアイドルの小林有子さんが来てくれました!
――はじめまして! 今回は初の声優さん以外のグラビアになるんですよ。
小林 そうですよね、本当にどうしよう。私、カラオケの映像とか、雑誌とかには出たことはあるんです。だから、むしろ声以外で、ビジュアルメインで出てました。
――あはは! グラビアは『クリーム』みたいな、お菓子系の雑誌にたくさん出られていましたね! お菓子系大好物です!
小林 あと、『投稿写真』とかも出てましたね、主にパンチラとかが(笑)。
――『投稿写真』にパンチラ掲載はステータスです! 当時はやっぱり嫌でしたか?
小林 私、パンチラが嫌いで、パンチラするぐらいだったらパンツ見せるから、チラはやめてって思ってました。グラビア時代の後半は、あまりにもエロ本の仕事が多すぎて、もう事務所を辞めて、『クリーム』の仕事も個人でやってたんですよ。
――グラビアをフリーランスでやるのは、さすがにリスクが高すぎませんか?
小林 「脱がされそうになったら泣けばいい」っていうのを聞いてたんで(笑)。だから、もしエッチな要求をされたら、「嫌です……」って泣けば大丈夫ですよ。
――おおー、当時も今も、流されて脱がされた後に泣く子が多いはずですよ! 強い!
小林 そうなんですかね(笑)。自分が出ている雑誌は、エロ本でも一応見ておきたいので、平気でひとりで買いに行ってたんですけど、店員のおじさんに「これ載ってるの?」「遊ばない?」って言われることもありました(笑)。で、ある日、うっかり自宅のテレビの前にまとめたファイルを置いたまま出かけて、帰ってきたら母が怒っていて、「お母さんが嫌がることをしていない?」って言われて……。私は、たとえ表紙が『素人わんさかマガジン』みたいなザ・エロ本でも、自分のグラビアはまっとうなページだったから、そんなに激しいと思ってなかったんですよね。多分、麻痺していたんだな。
――エロ本は普通のアイドルのグラビアの横に平気で他人のハメ撮りが載ってますし、親は抵抗があるかもしれません……。
小林 でも、今は、AKBとかも下着でゴロゴロしてますよね。あれ、親はどう思うんだろうな?
――国民的アイドルにそういうことをやられると、グラビアアイドルは一部の売れてる子以外、全く出番がなくなりますよね。
小林 本当ですよ。そもそも、AKBがデビューしたとき、私も秋葉原でライブをやっていたので、「終わったな」って思いましたもん。私たちがやっていたライブの入場料は3500円とか4000円だったのに、AKBは1000円ですよ!? そりゃあ、もう行くよね、向こうに。
――ライブ活動は、どのくらい続けてたんですか?
小林 ざっくり言って、10年ぐらい?
――ギャー! 長い!! 10年選手の息の根を止めるAKB、怖い!!
小林 AKBのデビューと同時くらいに感じたことなんですけど、ライブアイドルって、ファンの人との境目がなくなりやすいんですよね。「これは、もう軽いキャバクラみたいになってしまう……」と思って、毎月やっていたイベントを休止したんです。今のアイドルは、毎回、握手会とかやってるけど、たま~に会えるからいいもんじゃないのかなぁ?
――距離が近いと、その分お互いの悪いところが目につきやすくなりますし、適度な距離感は必要な気がしますよね。でも、10年続いたなら、ライブ活動は向いていたのかも。
小林 始めた頃は、事務所の人に「フェアリープロジェクトっていうグループをやります」って言われて、女の子を何人も集めて、けっこう真面目にダンスも練習して、ステージでグラビアで私を知っててくれた人が初めて生を見て「本物がいる!」「いたんだ、本当に!」みたいな感じで感動してくれて……そのときが一番しあわせだったのかもしれない(笑)。
――ちゃんとしあわせな時期もあったんですね……! 小林さんのブログのプロフィールを見たら、「何をしてる時が幸せ?」 っていう質問に、「いつでも不幸」って書いてあって。近年はずっと不幸だったんですか?
小林 そうですね、今はただの障害者なんで。
――おお。そうなると、ツイッターで24時間テレビを皮肉っていたのも説得力が違いますな。
小林 そう。24時間テレビに対して良くないことをつぶやくと、フォロワーが、3人、3人、3人とハイペースで減っていくんですよ(笑)。でも、「そりゃあ、頑張って一生懸命やれば、みんな感動するに決まってんじゃん」と思う。そういう番組も、去年くらいまでは、普通に「良かったねー!」って見れていたんだけど、「私も障害者手帳持ってるけど、別になんもないよ」って思ったら急に冷めて。募金とかも凄いと思うけど、「私はこの施しをどこで受け取れるんですか?」みたいな。「番組を作ること自体に何億円もかかるのに、募金じゃ補えないよね」とか思ってしまう。でも24時間テレビは見てしまう。何故ならジャニオタだから……!
――入り交じる感情が複雑すぎ! あと、それほとんどサイゾーの記事ですよ! ブログのプロフィールにも、ツイッターにも、「ひとつだけ願いが叶うなら:苦しまずに死にたい」「まさかのOD」「明日私が生きてる保証はない」「飲んでる抗うつ剤をネット調べたら『最強』って出てきた」とかサラーっと出てきてドキッとします。いったいどんな難病なんでしょうか?
小林 私、難病なのかな? 手帳もあるからそうなのかな。躁鬱で、8年ぐらい経ってる。でも、初期に比べたら、全然いいほうだと思います。最初は、「瞳孔開いちゃってるけど大丈夫?」って感じで、外にも一歩も出なかったし、こんなに人と会ってしゃべるなんて、年に1回あるかないか。以前は「誘いは100%断りません!」「この日が空いてる、どうしよう!」って人だったんだけど、本当はそっちのほうが、自分には合ってるはずなんです。あ、障害者手帳見る?
――見たい見たい! わぁ、パッと見は学生証みたいな感じですね! どうやってもらうんですか?
小林 診断書は2年ごとに出して、治ればもちろんなくなるし、治らなければ、どんどん更新していくよ。3級はそんなに難しくなくとれるの。
――そんな資格みたいな(笑)。
小林 診断書とかにちょっとお金かかるけど、その代わりに自立支援法っていう、精神病にかかってる人のための保険証みたいなものがあって、それを見せると、病院の負担額がゼロになったりするんです。そうすると、今までかかってた膨大な医療費が急に安くなるから、今までなんで申請しなかったんだろうって……。私は身「体」障害者じゃなく、「心」身障害者だから、移動手段に関してはあんまり安くはならないけど、映画はいつ観ても1000円で、都営の美術館はタダ。そういう施設の入り口で手帳を見せると、受付の人にはあんまり見ちゃいけないものだと思われるみたいで、伏し目がちに「どうぞ……」って。同行者もタダだよ。
――わー! じゃあどっか行きません?(図々しく) ちなみに、いつ取得されましたか?
小林 最近まで申請できるって知らなくて、「なんで取らないの?」って言われて、「ハッ、私、取れるんだ」と思って取ったの。1回精神病院に入院してたんで。
――おー、サラッと次々に出てきますね! どんなところでしたか?
小林 ほんとにずっと看護士さんが優しくしてくれて、薬も「はい飲んで~」って渡されるし、ごはん食べたら「今日はどれぐらい食べられた~?」って言われて、起きたら「血圧図ろうね~」って言われて、みんな優しいし、わがまま言っても聞いてくれるし、「30分だけ外に出ます」とか紙に書けば出られたんで、けっこうフリーで快適でしたよ。私は個室を選んだからかもしれないですけどね。入院って、やっぱり6人部屋とかじゃないですか。で、「患者同士は仲良くなっちゃいけない」みたいなルールがあるのかな? 普通の病院でも。
――普通の病院だと、多分ないっすよ。
小林 うちは精神だから、仲良くなると、片方がどーんと欝になったら、もう片方も持ってかれたり、他の子と仲良くなると、「なんなの!?」って揉めるから、なるべく仲良くしないようになってました。退院した後も連絡を取りあうと良くないことが起こるらしく、はじめに「連絡先は交換しないでください」って言われて、それを律儀に守ってると、今度は部屋の中で「あいつマジで守ってるらしい」ってハブられると聞いて……超怖い! 個室でお願いします! って頼みました。
――同じフロアでも、病み具合が違うし、難しそうですね。
小林 本当に色々でした。マジすぎる人もいるし、ちゃんと化粧もして、ぴしっとして、「え? あなたがそうなの?」って人もいるし。だから、私もどう思われてるかわからない。
――どのぐらいで退院しましたか?
小林 先生に「退院したい!」って懇願したら、「検査もはじめたばかりで、全然まだまだなのに……」って、嫌々ながら1週間ぐらいで出してくれました。みんなそうなんじゃないかな、仕事とかで精神的に疲れると休みたくなって入院するのに、したらしたで、消灯は夜9時だし、朝は6時半に絶対起床、決まった時間に食事。だんだん窮屈になってきて「お願いだから出して!」みたいな。
――まだまだだったって、大丈夫!? そして、ものすごい痩せられたんですよね。ちょっと前のブログの写真を見たら、思いのほか丸くて、今とはシルエットが別人でしたよ。いつ太られて、どの位で戻したんですか?
小林 なんか、気がついたら太ってたんですよ。いつ、とかもぜんぜん覚えていない。自分が太ったってことも、なかなか気付かなくって、うっすら「太ったかな~、体重計乗ってみようかな」って思ったら、「エーッ!!!」みたいな。
――それは、具体的に何キロぐらいになったんですか?
小林 80キロぐらい。
――お~!! それは、ライブアイドルをされていたとき? 入院前後? 20代? あれ? 時系列が絡まってきました。
小林 あー……。もう、ぶっちゃけて言うと、『クリーム』で全盛期だった頃で、私24歳くらいなんです。
――へ!? てっきりあの頃で17歳ぐらいだと思ってました!
小林 あの時代、24歳なんかがグラビアに出してもらえなかったんですよ。最近、友達が出てる週プレを買ったら、表紙の女の子は24歳で「まだまだこれから!」みたいに書いてあって、「エーッ!?」ですよ。
――お菓子系の雑誌のアイドルは、若けりゃ若い程いい、みたいな風潮もありましたしね……。
小林 それと、ポルノ法みたいな、厳しいのが入ったんだよね。真実はわからないけど、16歳とかの若い子を、本人や親の許可なく撮ったってことで、カメラマンがどんどん逮捕されたの。だから、『クリーム』でセーラー服を撮ることができなくなった時期があったんです。だから、みんな慌ててサーっとブレザーに移行して、「制服に見えるけど、制服じゃないよ」みたいな(笑)。……あれ? 今なんの話だっけ?
――体重!
小林 そうだ(笑)。病院でもよくあるのよ、「今、何の質問だっけ?」みたいな(笑)。ダンスとかラジオ体操とか、やれるもん全部やって、ごはんも制限したら、一年間でほぼ元通りになったよ。もう大人なんで、痩せすぎるとげっそりになっちゃうじゃないですか。だから、ちょっと太ってるぐらいがちょうどいいかなって思うけど、もうカレーとか、ラーメンとかは、食べたくても胃が無理で。ずっと食べなかったから。
――体内の改革に成功したんですね。体重が一年で半減っていうのは凄すぎます! それにしても、小林さんは病んでる風にはぜんぜん見えないですね。
小林 今はかなり良くなりましたけど、前はもっと喋れなかったんですよ。ろれつが全く回らなくなっちゃって。それも東京医大でぜんぶ調べてもらったけど、「悪いところはありません」って言われて、原因がわからなくて。こういう機会では大丈夫なんですけど、親しい人と電話とかしてると完全に何を言ってるのかわからなくなっちゃうみたいで、母にもうまく伝わらなかったりします。でも、緊張状態からか医者では喋れちゃうので、「喋れてるじゃん」ってなっちゃって……本当は違うのに! しゃべれないから人とも会えないし、外国に行ったんです。英語はわりとすらすらしゃべれるから。
――不思議! 呂律が上手いこと英語の発音とマッチしたんでしょうか? リハビリにもなりそうですね。
小林 そうですね。外国に行くのは、すごい良かった。でも、お金がかかるんで、そんなに行ってらんないじゃないですか。ちょっと前まで、1ヶ月で2回ぐらい行ってましたけど……。
――高いリハビリですね! しかもヨーロッパばっかり、何故?
小林 サッカーです(ニヤり)。サッカー観戦だけで、世界を回ってるようなもんですから。元々、某サッカー選手のファンで、それがいけないんだよね。
――そうだ。某選手が日本にいないから悪いんだ。
小林 そう。全部某選手が悪いの。その人がイギリスに行ってたから留学したこともあって、本人に「私も留学した!」って伝えたら「馬鹿じゃねぇの」って言われた(笑)。
――意味不明に仲良いですね! イギリスだけじゃなく、フランスもいっぱい行かれてますよね。
小林 フランスは、宍戸留美ちゃんに誘われて一緒にモン・サン=ミッシェルっていう修道院に行ったら、感動してハラハラと涙が流れて止まらなくて……その魅力に取り憑かれて、キリスト教の信者になったんです。
――へ!?
小林 障害者でキリスト教信者って、すごい差別されるのかな……(笑)。
――キリスト教は超メジャーだから大丈夫ですよー。小林さんが応援してるサッカー選手も某学会だって週刊誌で見ましたし!(無責任)
小林 本人に聞いたら、家がそうだから継がないといけないみたいで、本人は全然気にしないみたい。
――聞いたんですか!?
小林 聞いたよ!
――どういう関係!? ……ええっと、話を戻して、キリスト教は洗礼も受けたんですか? どんなことをするんでしょう?
小林 額のところに水をかけるんですけど、ハンカチで抑えて、すぐ終わりますが、一年以上はシスターのクラスで勉強しましたよ。
――信仰を持つことで、精神的には楽になりそうですね。
小林 そうそう。世界に出ると、みんな自分の宗教があったり、何かに思想を持ってるのに、日本人って何もないなと思って。だから、宗教に入ったらどうなるんだろうって、けっこう気になってたんだよね。
――けっこう好奇心で入ってますね!
小林 でも、モン・サン・ミッシェルって、大天使ミカエルの修道院なのね。それで、私ミカエルをとにかく気に入ってしまって、大天使ミカエルって言葉だけで「キター!」って状態になっちゃう(照)。だからキリスト教の名前をミカエラにしてもらったの。ミカエルは男性の名前だから、女性にしてミカエラ。マリー・アントワネットも大好きで、パリに行った時は、マリー・アントワネットの所縁の土地には全部行って、ちゃんとバラの花束を置いて、しかも泣いて帰ってくるという。逆にエッフェル塔とかは、行っても見ない時があるね。フランスだけで多分、20回ぐらいは行っているかも。ガイドになれるよ。
――20回……! ヨーロッパは高いから、一回の旅行に30万として、20回だと……?
小林 1000万円ぐらいかかってると思う。
――……(絶句)! し、資金はどこから?
小林 バイ、マイファーザー。
――お父さま、富豪の方? っていうか小林さんって、どうやって、生活されてるんですか?
小林 よく聞かれる。最初は貯金があったし、家族の援助もあったけど、もう「うちは富豪じゃなくて、普通の家なのに、あんたなんか勘違いしてる」って言われてるし、「もうお金がないぞ」ってことになってきて、いよいよもう無理って感じ。
――やばい(緊迫)!!
小林 占いとか見ると、わたしのところいつも浪費家とか書いてありますよ。
――そんなのんきな。でも、占いって意外と当たるんだー。
小林 ねー。占いとかも大好きで、スピリチュアル系とかハマッっちゃうんですよね。ハワイで流行ってる、ホ・オポノポノっていうのもスピリチュアルの一種だと思うんだけど、あれで初めてセミナーというものを受けてきたんですけど……。
――おぽ……ぽ……?
小林 「ごめんなさい」「許してください」「ありがとう」「愛しています」という言葉を、感情を込めなくっても、唱えていれば、クリーニングという名の浄化方法になって、クリーングをつづければ、無の状態になり、ウニヒヒピピリという潜在意識が理解し、アウマクアという神聖な場所からインスピレーションが降りるんです。
――よくわからないけど、自己啓発セミナーの一種ですか?
小林 そうかな? 受けたら「ちょっと違うかな?」と思って、セミナー料金8万もしたけど、一日で辞めちゃいましたけどね。
――高っ!!!! もったいな!!!!
小林 みんなそれぐらいするんですよぉ。
――っていうか、精神病院、自己啓発、宗教、すがれるもの、全部にすがってるじゃないですか!
小林 でも、キリスト教はタダですから(キリッ)。それでも、ちゃんと一応勉強してるんですよ。苫米地さんとか、私たちスピリチュアル界の中では超有名人ですよね。
――サイゾーのオーナーは苫米地さんですよ。
小林 えっ(ガタッ)!? はわー。『ザ・シークレット』(角川書店)って本、読みました?
――いえ、知らないです。
小林 この本は、たぶん、みんな知ってると思うけど、一応、秘密な本。ぜんぜん秘密じゃないんだけど。
――落ち着いて、ちょっと意味がわからない。
小林 いや、なんかね、モチベーションの問題かな? 「シークレット読んだでしょ?」みたいな。
――え? 何? 世界の秘密が書いてあるの? こわい。
小林 ロンダ・バーンって人が書いたんだけど、それを読んで派生したと思われる、日本人が書いた本を読んだりすると、イラッとするよんだね。「なんちゃらの法則」とか。そういう本にハマッちゃうと、amazonでどんどんどんどん「この本を読んだ人はこの本も買っています」っていうのが出てきて、迷いこんだら、もう出られないの……・。
――ヤバイ! その世界はどんどんお金がかかる! お金を稼ぎましょう! もう、ライブ活動はされないんですか?
小林 ファンの人との線がなくなっちゃった時点で、アイドル的なライブは辞めたんだけど、どうなんだろ? 私、気持ち悪くないですか、今?
――ぜんぜん気持ち悪くないですよ! ちょっと面白いですけど!
小林 2年前、震災があった後に、ライブアイドルの子たちと一緒にチャリティライブをやったんです。そしたら、私だけ慣れてないからアワアワしちゃって、みんなはいつもやってるからすごいキビキビしてて、「私だめだ、遅れてる」って……。
――10年もやってたんですから、すぐに取り戻せますよー! ○○ちゃんとか××ちゃんとか、実年齢が同世代のアイドルいっぱいいるじゃないですか。
小林 ん? 違うよ? 私の年齢知らない?
――Wikipediaには36歳って。あ、そっか、『クリーム』のときが24歳だから、今は、えーと……?
小林 43歳。
―― ん?
小林 ん?
―― これって、書いていいやつですか?
小林 いつ言おうか迷ってたんだよね。
――びっくりしたー! びっくりしたー! やっぱりヨーロッパ旅行とかの趣味が良いんですかね、信仰ですかね、自己啓発ですかね、全部お金がかかりますね。
小林 そうなの。貯金もないし、実家も頼れないし、そろそろもう無理なんで、「助けてください」って宍戸さんに頼んで、今日はここに来たんです。
――サイゾーは何もできないですよ! ちょっとエロい写真を載せるくらいしか出来ない! これからどうするんですか!
小林 これから? だから、それを小明さんに決めてもらおうと……。
――おお、自分の人生もままならないのに、その決定権は重い……! 今日はありがとうございました(逃亡)!
(撮影=宍戸留美/構成=小明)
●こばやし・ゆうこ
6月5日生まれ。劇団ひまわりで15歳より芸能活動を始める。
ドラマ、CM、映画などに多数出演。雑誌「Cream」などでグラビアでも活躍。50誌以上。同時にライブアイドルとしての活動を開始。1996年には「コスプレックス」としてEMIよりメジャーデビュー。コスプレでゲームイベントに出演。大阪プロレスイメージガールになったのをきっかけに2000年、スカパー「格闘ジャングル」で司会を努める。その後。芸能事務所に所属し、女優業をメインに力を入れる。病気発病後、休みを生かしてイギリスに留学。海外の魅力に取り憑かれ、30カ国以上訪問。南アフリカW杯を2往復するほどサッカーが好き。サッカー関連のコラムも執筆。写真展開催など、ゆっくりと活動中。
●ししど・るみ
1973年、福岡県生まれ。1990年にアイドルデビュー、18歳でフリーアイドルになり現在まで様々な分野で活動中! フランス、ドイツ等でもライブを行い音楽活動で高い評価を得ている。