“いくえみ女子”はのび太? 不完全な“フツーの人”の成長物語『潔く柔く』

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『潔く柔く 13』(集英社)
男だって、堂々と女子マンガが読みたい!――そんな内なる思いを秘めたオッサンのために、マンガライター・小林聖がイチオシ作品をご紹介!  いくえみ綾の00年代の代表作というべき『潔く柔く』が、映画化される。10月26日公開ということなので、たぶんテレビなどでもガンガンCMが流れているだろうから(我が家にはテレビがないのでわかんないけれど)、普段は少女マンガに興味なんてない男性読者も、名前くらいは知っているんじゃないだろうか。  公式サイトなどでも「感動のラブストーリー大作」と銘打たれているので、映画版はたぶん真っ正面からラブストーリーなんだと思う。でも、原作は、単なるラブストーリーではない。少女マンガ史に残る大傑作なのだ。  原作の『潔く柔く』は、全10章からなるオムニバス連作で、それぞれの章が異なる主人公の独立した物語になっている。だが、同時にそれぞれの章と登場人物が少しずつ絡み合い、全体としては、事実上のシリーズヒロインである瀬戸カンナの物語につながっているという、複雑な構成になっている。  そこで繰り広げられるのは、確かに恋の物語だ。あるときは死んでしまった同級生に憧れていた女子高生の、あるときは中学生に言い寄られる女子大生の、それぞれに恋を軸にして話が進んでいく。シリーズの中心にいるカンナの物語も、あらすじだけを抜き出せば、冒頭に書いたように「好きだった男の子が死んじゃった女の子の恋物語」だ。  だけど、この作品は、悲劇のヒロインが王子様にめぐり会ってハッピーエンドを迎えるというような話ではない。カンナの物語は、確かに悲劇から始まっている。だが、いくえみ綾は、カンナが悲劇のヒロインとして生きることを許していない。  たとえば、ある章で死んでしまったカンナの幼なじみ・ハルタについて、別の同級生が語るシーンがあるのだけれど、これがすさまじい。 「でね! でね!」「そのハルタって死んだ男が またモテ系でさ お葬式とかでも女の子 泣きまくってさ~~」 (中略) 「あ~なんか思い出してきちゃった!」「せつな~~~い!」  語っているのは名もない(顔すら出てこない)同級生で、物語の中にも登場しないいわゆるモブキャラだ。だが、それにしたって、この描きようは冷徹だ。  ハルタの死は、同作の中心にあるエピソードであり、最後の最後までカンナにつきまとったものだ。物語の中では、アンタッチャブルな出来事ですらある。その一方で、物語の外側から見れば「過去のちょっと悲しい思い出話」であるという残酷さを、いくえみは描いている。「せつな~~~い!」と楽しげに語る、女の子たちの恐ろしさを、いくえみ作品は常に忘れずに描き込んでいる。  この毒っ気がいくえみ綾だ。“いくえみ男子”と呼ばれ、新しいモテ男の形として取り沙汰される男性キャラクターとは裏腹に、“いくえみ女子”は「フツーの子」が多いといわれるが、いくえみの描く「フツー」というのは、毒っ気を抱えているということでもある。  カンナも同様だ。いくえみキャラのセリフを集めたファンブック『いくえみ男子 ときどき女子 いくえみ綾 名言集』の中でも、いくえみはカンナについて「女子に嫌われ系」とバッサリとコメントしている。  こういうふうに紹介すると、多くの男の人に「あー、ヤダヤダ、女のドロドロしたドラマとか見たくない」と思われたりするのだけれども、いくえみ作品は深い影を持ちながら、どこかで泥沼感がない。むしろ、毒っ気があるからこそ、救いがある。  それはどういうことだろうと考えたとき、思い出したのは『ドラえもん』だった。「ドラえもん」の作者である藤子・F・不二雄は、常々「のび太は僕自身だ」と語っていた。何をやってもパッとしないのび太は自分の分身だと語り、「たいていの人たちは、自分の中に多かれ少なかれ"野比のび太"を抱え込んでいるのではないでしょうか」と述べている。  そんなのび太がひとつだけ持っているいいところを、藤子・Fは時々反省することだと語っている。時々だけれども、今よりよい人間になろうと努力するのが、のび太の美徳であると。  “いくえみ女子”は、女の子にとっての“野比のび太”なのだと思う。パッとしなかったり、うまくいかない部分を抱えていたり、嫉妬や憎しみに苛まれたりする、不完全でコンプレックスを抱えた女の子たちは、物語を通して、不完全なまま、それでも何かを変えようとあがく。  原作『潔く柔く』の中で、すごく好きなセリフがある。ハルタに憧れていた女の子・一恵がモノローグで語るセリフだ。 「あたしは人を救うことなんてできやしないけど」 「自分くらいなら救える」 「あたしはせめて あたしのことを救おう」  いくえみ綾は、徹底的に少女マンガの人だ。だけど、一恵のこのセリフに込められた、“フツーの人”が変わろうとする祈りのような思いは、男女を問わず、“フツーの人”の胸を打つと思うのだ。  長澤まさみが演じる映画版のカンナも、そういう“フツーさ”を持っているといいなと思っている。 (文=小林聖 <http://nelja.jp/>)

お蔵入り、連載中断、編集長交代……未完マンガはどうして生まれるのか?

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『別に放り出した訳ぢゃないんだけど…。~未完の漫画が或る理由~藤沢とおる単行本化初作品集』(一迅社)
 世の中には、いつまでたっても続きが出ない。なぜかはわからないが、未完のまま休載中、もしくは終了してしまったマンガがたくさんある。『ドラえもん』や『イタズラなkiss』のように、作者が亡くなってしまった場合は仕方がないが、やはりせっかく楽しみに読んでいたのに、いつまでたっても未完のままというのはどうも気持ちが悪いもの。しかし、そんな読者のモヤモヤした思いに答えるマンガが登場した。それが、『別に放り出した訳ぢゃないんだけど…。~未完の漫画が或る理由~藤沢とおる単行本化初作品集』(一迅社)だ。  『GTO』の作者としても知られる藤沢とおるが、完結していなかったり、短すぎたりして今後コミックスが出る予定のない作品ばかりを集めて作ったというこの本。未完のままここに収録されたマンガに対して、なぜ未完になってしまったのか。なぜ単行本にならなかったのか、というエピソードを語ったインタビューも掲載されているので、そこからどうして未完マンガや未収録マンガが生まれるのか見てみよう。  まず1つ目は、自分がギブアップしてしまった場合。藤沢がもともと「週刊ヤングジャンプ」(集英社)で連載していたという『ひみつ戦隊モモイダー』は、モモイダーという改造人間の女の子5人組が登場する、ゆるーいギャグマンガだった。でも、これは作者にとって「初のショートマンガ」だったので、毎回オチを考えるのがつらくなってきて「ギブアップしちゃった」そう。この本に収録されているのは単行本化した後に描いた読み切りで、ページ数も16しかなく、次の単行本をつくるためにはあと170Pほど描き下ろさなければならなかったので、そのままお蔵入りになってしまっていたようだ。こんなふうに、自分の意思でやめたのなら未完でもまだ納得できる。  自分の意思は関係なく、雑誌自体が廃刊になってしまうことも。5年ほど前、「コミックチャージ」(角川書店)という月刊誌で連載されていた『あんハピっ!』がまさにそれだ。この作品は、疫病神と呼ばれている警部・黒天あん子と何度も死にそうになりながら決して死なない強運の持ち主・桜庭刑事が出会ってコンビを組み、事件を解決していくというもの。しかし、雑誌がなくなってしまったので、彼らがコンビを組んだところで話は終わっている。当時はどんどん新興雑誌が出ていたらしいが、「どれも創刊して数カ月とかさ、1年以内に廃刊になっちゃった」んだそう。「個人的にも続けたかった」と語っているが、やはり雑誌がなくなってしまったら自分の力だけではどうにもできないし、仕方がないのかも。  さらに、編集部とモメて、やめてしまう場合もあるようだ。『愛しのDUTCHOVENガール』というグルメマンガは、連載中に編集長が交代し、「編集部の方針が変わったとかで、いきなり作品内容を変えろ」と言われてしまったそう。納得できず、編集長を呼ぼうとしたら、編集長は「来やしない」。しかも、その理由が「打ち合わせの時間帯が夜」だから。作者は昼に仕事をしているので、編集と話す時間はおのずと夜になってしまうのに、マンガの仕事は二の次にして「編集長の都合に合わせろ」と言われたら、さすがに怒りも湧いてくる。あと1話分ぐらいで単行本にもできたし、まだ主人公の顔も見えていないのに、こんなに中途半端な形で終わってしまったのは残念だろう。それに、作品に対する愛着はあっただろうし、担当編集との仲も悪くはなかったそうなので、余計に腹立たしいかもしれない。  きっと、ほかの作者の未完で終わっているマンガや単行本に収録されなかった作品には、こんなふうにさまざまな事情があるのだろう。でも、その理由がわかっていれば読者も少しは納得できるし、もし作者本人が「描きたくない」「描けない」というわけではないのなら、「描いてほしい」「待っている」と伝えることもできる。そうすれば悲しい思いをする人も少なくなるので、作者のみなさんには、せめて未完の理由を教えていただきたいものだ。

オンナとは“引き算”なのだ! 女性を哲学する最強の名言メーカー『おんなのいえ』

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『おんなのいえ 2』(講談社)
男だって、堂々と女子マンガが読みたい!――そんな内なる思いを秘めたオッサンのために、マンガライター・小林聖がイチオシ作品をご紹介!  「女性マンガ」っていうのには2種類ある。ひとつは「女性のために描かれたマンガ」。王子様キャラが出てきて、夢を叶えてくれるようなもので、いわゆる「少女マンガ」と呼ばれるタイプだ。  そして、もうひとつは「オンナについて考えているマンガ」。オンナという性を生きるということについて、掘り下げていくタイプの作品だ。かつては『ハッピーマニア』でオンナと恋を哲学した安野モヨコや、“オンナあるある”の名手である安彦麻理絵などが君臨していたジャンルで、最近なら『にこたま』でアラサーカップルの結婚と人生をめぐる物語を描いた渡辺ペコや、オンナの業を描き続けるヤマシタトモコあたりも入るだろう。  そんな「オンナマンガ」で今ひときわセンシティブなところを突いているのが、鳥飼茜の『おんなのいえ』だ。  29歳で彼氏に振られた長女・有香を中心に、その妹、父と事実上離婚状態の母というオンナだけの家族を描いた作品なのだけど、これが今屈指の名言メーカーなのだ。  たとえば、自分を振った彼氏を見返したいと話す有香に向かって語られる「男は別れた女の成長なんか、ひとつも興味ないよ」という身もフタもない言葉から始まる一連のセリフ。 「むしろ許せないのは敵じゃなくて、そいつに負けた恥ずかしい自分だ」 「本人が自分を許せない限り、終わんないんだよ」  このほかにも「ひとりでさみしい人間はね ふたりでもさみしい」などなど、おっかない名ゼリフがそこら中に出てくる。この辺のセリフ群は、男が読んでもちょっとのけぞってしまう威力がある。  だけど、同時に『おんなのいえ』はタイトル通り、徹底的にオンナについて描いている。ここで言う“オンナ”を象徴するのは、「損してる暇なんてない」という言葉だ。  このセリフは、ちょっと気になった男性が既婚者だと気付いた有香が、後日モノローグで語ったものだ。時間がない、遊び相手じゃなく、結婚できる人を探さなければいけない。アラサー女性なら、どうしてもついて回る感覚だろう。  だが、この感覚は有香世代だけのものではない。事実上離婚状態でありながら、正式に離婚せずにいた有香の母もまた、同様のことを語る。 「こんなに耐えて、こんなに費やしたのに」 「終わらしたら…キチンと決着したらその時間 その15年なんやってん? って」  これは引き算の感覚だ。  人生は基本的に足し算から始まる。新しいことを学び、経験し、年月を経るほどに持ち物が増えていく。ある年齢までは、たぶん男女ともに足し算の感覚を生きているはずだ。失敗しようが、間違えようが、足し算である限りは前進しているという感覚を生きられる。  ところが、オンナを生きるとき、ある時点でそれが引き算に変わる。失敗は時間のロス、足踏みもマイナス。正解の選択だけが、かろうじて人生を前に進めてくれる。そんな感覚だ。  アラサーという年齢は、女性の場合、この引き算の感覚が強くなる。しかし、一方で我々男は、仕事もプライベートもまだまだ足し算の感覚にある年齢だ。なんなら、ずっと足し算のまま生涯を終える人だっているだろう。このギャップは、アラサー男女の噛み合わなさのひとつの大きな原因だろう。  『おんなのいえ』は、この引き算の感覚が中心にある。「オンナである」というのは、一面では引き算を生きることでもあり、その意味で『おんなのいえ』とは「引き算のいえ」なのだ。  じゃあ、引き算を生きることに出口はあるのか? 目下連載中の本作では、まだその答えは出ていない。だけど、ヒントはある。前出の母のセリフはこう続く。 「でもなぁ 失った時間とはどっかで手を切らへんと」 「『変わる』ことはできひんかもしれんと思ってな」  「本人が許せない限り、終わらない」というセリフと通じるが、それはたぶん、引き算を終わらせることなのだ。オンナという引き算を、どうやってもう一度足し算にするか。気の持ちようで片付くほど、簡単なことではないけれど、きっと出口は足し算の人生を取り戻すことにあるはずなのだ。 (文=小林聖 <http://nelja.jp/>)

同人誌を売るコミケを守ることが、なぜ日本の国益と世界平和につながるのか?

 サイゾーのニュースサイト「Business Journal」の中から、ユーザーの反響の大きかった記事をピックアップしてお届けします。
筆者提供
 こんにちは、江端智一です。  前回「著作権侵害の同人誌でも、コミケ会場なら許される? マンガ家の太鼓判『黙認ライセンス』」では、赤松健先生の提唱された「黙認ライセンス」(CVライセンス)の概要についてご説明致しました。  「二次創作同人誌の作者による、コミケ当日だけの販売を許す」ことを、既存のライセンスで実現することは難しいため、赤松先生は、「自分の作品のキャラクターの無制限の使用を許諾しない。だが、コミケでの販売に関しては『見て見ないふり』をする」という新しい概念―― 「黙認」を案出されました。 ●まったく新しい概念「黙認」とは  「黙認」、すなわち「見て見ないふり」というのは、こういうことです。  ・私(赤松先生)は、コミケによる、私の著作物に関する著作権違反が存在していることを「知っている」  ・しかし、コミケ開催中の同人誌の販売については、私(赤松先生)は「騒ぎ立てるつもりはない」。  つまり、CVライセンスは、ライセンスといいながら、実は、なんの許諾もしていないのです。ただ、コミケ開催期間だけは、著作権侵害を「見なかったことにする」という、マンガ家からの宣言なのです。 つづきを読む

「退屈な二枚目」だらけの少女マンガに現れた、かっこいいゴリラ『俺物語!!』

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『俺物語!! 3』(集英社)
男だって、堂々と女子マンガが読みたい!――そんな内なる思いを秘めたオッサンのために、マンガライター・小林聖がイチオシ作品をご紹介!  「あいつ 女の子といる時は退屈な二枚目になっちゃうの」  『恋愛的瞬間』(吉野朔実)という作品に出てくるセリフだ。主人公のハルタが、無二の男友だちである司を評したもので、このあと「男といる時のほうが、司は面白いんだ」と続く。  いきなり今回取り上げる作品とは別のマンガから引用したのは、このセリフが男にとっての少女マンガの壁を象徴していると思ったからだ。  少女マンガは、その多くが恋愛をテーマにしている。なので、少年マンガのラブコメにヒロインがいるように、必然的にいわゆる“王子様”役の男子が登場することになるのだが、この王子様キャラというのがネックなのだ。  少女マンガの王子様役は、当然かっこよかったり、優しかったり、さわやかだったりととにかく魅力的だ。モテるのもよくわかる。だけど、一方でそういう王子様たちは、男から見て「友だちになりたい」と思わなかったりする。そう、王子様は男から見たら「退屈な二枚目」だったりしがちなのだ。  少年誌ラブコメのヒロインが女性に人気がなかったりするのと同様、「少女」マンガである以上、それは悪いことではない。けど、たぶん少女マンガにハマれない人にとって壁になっているもののひとつは、そういう王子様の「退屈さ」だと思う。  そんな中で異彩を放っているのが、「別冊マーガレット」で連載中の『俺物語!!』(作画:アルコ/原作:河原和音)だ。「このマンガがすごい!2013」オンナ編1位を筆頭に、各種マンガ賞に次々ランクイン。2012年最も話題になった作品のひとつなので、名前を知っている人は多いだろう。  『俺物語!!』は、少女マンガにおける革命的作品だった。何しろ、主人公・剛田猛男は角刈りのゴリラ顔。子どもを狙った不審者が出たと聞けば、自主的に小学校で見張りを始める正義漢だが、あまりに怖いため、自分自身が通報されてしまう始末。もちろんモテない。過去に惚れた女の子はみんな親友のイケメン・砂川に惚れる。そんな猛男が、一人の女の子を痴漢から助けたところから物語が始まっていく。  「設定上のブサイク」というキャラはそれなりにいるけれど、この作品の場合は、猛男を本当に情け容赦なくゴリラ顔に描かれており、決め顔も挙動もとにかく暑苦しくて笑わせるのだ。特に走る姿がものすごいインパクト。集英社が、疾走する猛男を描いた2メートル超の巨大ポスターを作っているのだが、店頭で見かけたときは笑えるやら怖いやらで頭がどうにかなりそうだった。たぶん、ポスターだけ見たら誰も少女マンガだと思わないはずだ。というか、恋愛ものだなんて思いもしないだろう。  どれくらいの人が知っているかわからないが、ここまで顔芸のできる恋愛マンガキャラは『ツルモク独身寮』(窪之内英策)の白鳥沢レイ子以来だと思う。しかも、笑わせた上で泣かせたりもするのだから、本当、おっそろしい作品だ。  だけど、僕が『俺物語!!』を好きで仕方ない理由は、インパクトのすごさや、笑って泣けるストーリーの部分ではない。猛男というキャラクターが、「男といる時のほうが面白い」からだ。  もちろん普通の王子キャラにも男友だちはいるし、友人関係が描かれることも多い。だけど、多くの王子キャラは、女の子たちの目線から切り取られた男の子であるがゆえに、「対女子」でのキャラクターしか見えてこない。物語の中で、恋愛に中心軸を置いているといいかえてもいい。だから、ときとして「退屈な二枚目」になる。  だけど、猛男はモテない。だから、そもそも女子との関係や、恋愛というコミュニティに軸足がなく、男友だちとの関係の中で人間性の本質が描かれている。まだ単行本に収録されていないエピソードでは、猛男が窓から上半身を出して背筋をしていて落下するなんてものもある。マンガ的な過剰さはあるにせよ、いかにもバカな男子らしい姿だ。  男の友情というのは、そういう少しもかっこよくない、バカバカしさにある。剛田猛男というキャラクターは、女の子たちの王子様であるよりも先に、「俺たちの友だち」なのだ。  だから、普段なら少女マンガは「こいつら、かっこいいなー、ちくしょう!」なんて思いながら読んだりするのだけど、『俺物語!!』を読むときは「どうだ、ちくしょう、かっこいいだろ、俺たちの猛男は!!」とちっとも関係ないのに、自分の友だちを自慢するみたいな気持ちになるのだ。 (文=小林聖 <http://nelja.jp/>)

著作権侵害の同人誌でも、コミケ会場なら許される?マンガ家の太鼓判「黙認ライセンス」

 サイゾーのニュースサイト「Business Journal」の中から、ユーザーの反響の大きかった記事をピックアップしてお届けします。
筆者提供
 こんにちは、江端智一です。  前回「ライセンスの絶望的な“面倒くささ”を救済するクリエイティブ・コモンズ・ライセンス」では、「クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(以下、CCライセンスといいます)」についてご説明しました。  CCライセンスとは、「私の著作物(創作した作品)を使っていいわよ」という意味の「キスマーク」、または「ハンコ」のようなものです。  簡単にいうと、これまでの著作権法の枠組みでは、「許諾」と「不許諾」の2つの「ハンコ」しかつくれなかったことに対して、CCライセンスは、この2つの「ハンコ」の間に存在する、6つの状態の「ハンコ」をつくって、それを著作物に表示し(貼り付け)て使えるようにしたものです。 つづきを読む

あの衝撃作が帰ってくる! 聴覚障害者へのいじめを描いた『聾の形』制作秘話

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「週刊少年マガジン 36・37合併号」(講談社)
 2013年2月。「週刊少年マガジン」(講談社)に掲載された一本の読み切り漫画がネット上を大きくにぎわせた。そのタイトルは『聲(こえ)の形』。聴覚障害者のヒロインがクラスメイトから壮絶ないじめを受ける様を生々しく描くという、少年漫画雑誌という媒体としてはなかなか際どい内容である。絵柄のタッチも力強く、そして骨太。そのストーリー、画面構成、すべてが熟練の技を感じさせる読み応え十分な本作だが、執筆したのは先日初めての連載作品『マルドゥック・スクランブル』(原作:冲方丁)を終えたばかりの新人漫画家・大今良時。弱冠24歳の女流漫画家である。  本作はもともと、2008年の「第80回週刊少年マガジン新人漫画賞」に投稿された作品で、大今は新人賞を受賞。当初は「マガジンSPECIAL」No.12に掲載される予定だったが、その内容の際どさからお蔵入りとなってしまった。しかし、編集部内において、初代『聲の形』は非常に高い評価を得ていたため、「別冊少年マガジン」班長(同誌の編集長的ポスト)は講談社の法務部および弁護士、さらに全日本ろうあ連盟との協議を重ねた結果、ついに11年2月号に掲載。掲載号のアンケートでは、並み居る連載作品を抑えて人気アンケート1位を獲得してしまった。この反響を受けて、13年2月発売の「週刊少年マガジン」12号に投稿作である初代をベースに、全面的に描き直されたリメイク版が掲載。より洗練された画風と構成で生まれ変わった二代目『聲の形』は、多くの漫画ファンの関心を呼び、Twitterやネット掲示板も話題騒然。同誌の発行部数も、掲載号のみ6万部伸びるという前代未聞の事態となり、ついには8月7日発売の同誌36・37合併号より連載スタートすることが決定した。  そんな新人の投稿作品としては異例の盛り上がりを見せ、三度読者の前に姿を現すことになる『聲の形』だが、どんな思いを込めて本作を生み出したのかを作者・大今良時本人に聞いてみるべく、講談社を訪れた。 ■東京に出る資金のために応募した新人賞 ──発表以来、大変大きな反響を得ている『聲の形』ですが、その声は大今先生の耳にも届いていますか? 大今良時(以下、大今) ROM専なんですけど、2ちゃんねるをよく見ているので(届いています)……。 ──そもそも『聲の形』という作品は、いかにして生まれたのでしょうか? 大今 『聲の形』を描き始めたのは18の時です。それまではちょっとした賞くらいにしか引っかかっていなかったので、いつかちゃんと新人賞を取りたいと思っていました。当時は岐阜の実家に住んでいたので、早く東京に出てアシスタント生活をしたいと思っていたんですが、親に反対されてたんです。ちょうど高校を卒業して、一年間くらいアルバイト生活を送っていた頃で、「あんたは一人じゃ何もできひんやろ!」って。それで「新人賞を取れば、お金が手に入るな。これは賞を取るしかない」と思い、決意が固まりました。 ──漫画家への夢や親への説得材料みたいなものが、新人賞獲得のモチベーションとして結実したんですね。 大今 はい。親からは散々「行くな、行くな」と言われていたので、逆に今ここでしか描けないものを描いてしまえと思って、自分の母校を使わせてもらったり、親から手話を教わったりして『聲の形』という漫画が生まれました。その結果、新人賞をもらったんですが、「それでもあかん」って。でも、「担当さんが『東京に来ないの?』って、しつこいんだけど……」って、ちょっとウソ入れて大げさに話したら、そこでようやく認めてくれました。
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大今良時氏
■身近な存在だった障害者たち ──お母様が手話通訳士だそうですが、聴覚障害者の方は身近な存在だったんですか? 大今 はい、身近でしたね。実家に居ながら描ける漫画ということで、こういうテーマを選んだ部分はあります。母から手話を教わったり、身近にいた障害者の方がいじめられていたという話を聞く機会もあったので、どちらかというと自然にこの物語が生まれました。 ──ここ最近の大津市の問題に限らず、定期的にいじめに関するニュースがメディアに出たりもしますが、そういう世間のムードとは関係はなく? 大今 はい。特に私がいじめられていたとか、ニュースを聞いて……というわけではないです。(少し考えて)……ただ障害者の人生、障害者の位置とはなんなのかということは常に考えているんですが、まだ答えが出ていません。この作品の中だと、ヒロイン・西宮硝子の位置ですね。彼女は主人公・石田にとって未知の存在で遠い存在だから、いじめが起こる。点と点を結ぶ話にしたかったのですが、そのためにはニ人は憎み合っていないといけなかったんです。その先にある硝子の位置は、これから探していくことになります。 ──その憎み合った結果である「健常者による聴覚障害者へのいじめ」「いじめの連鎖」という、かなり際どいテーマに、読者のみならず編集部も大きな衝撃を受けたと聞いています。 大今 そう……なんですかね(笑)。現実味とファンタジーのバランスが難しいですね。現実的すぎるという反響も、ファンタジーすぎるという反響も両方いただきました。今も悩みながら描いています。ただ、漫画のために障害者の側からだけでものを言うと、それはそれで考え方が極端になるというか。だから中立的な立場で作品は見てもらいたい、という気持ちはあります。 ──確かに聴覚障害者であるヒロイン・硝子を使って、もっと読者を泣かせる展開にすることもできたと思うのですが、そこはあまり彼女に感情移入しすぎないような構成になっているように感じました。 大今 そうですね。私も、彼女のことをよくわかんない子だと思って描いているんです。やっぱり硝子って主人公にとって何者なのかわからない存在なので、そこを意識して描かないといけないのかなって。知らない存在に対して、どう接していくのかっていう象徴(が硝子)だと思います。 ──そのほかに印象的だったのが、教師のリアルな「大人のズルさ、汚さ」でした。 大今 私はこの先生、好きですよ(笑)。完全に作者目線になってしまうんですけど、最後に主人公をボコボコにしてくれるシーンは特に。貴重な配役を担ってくれています。……そして同時に、昔、先生たちはあんな感じだったなって。それを自分で描けるのがうれしくて。 ──もしかしたら、漫画執筆を通じて、過去の出来事に復讐するというような気分も……。 大今 あるかもしれませんね(笑)。時々、ストレス発散するために漫画を描いているんじゃないか、という錯覚を覚えることもありますね(笑)。 ──漫画を描いている瞬間って気持ちいいですか? 大今 気持ちいいです。よく言われることですが、一番気持ちいいのは、主人公が痛めつけられる瞬間かもしれません。あと、肩書とは真逆の精神を持った大人、あるべき姿と違うことをする大人を描くのが好きです。子どもって失敗しても言い訳ができちゃうんですけど、大人ってあんまり言い訳ができない。その過酷さやかっこ悪さが、すごくいいですね。だからこそ描きやすいというか(笑)。 ■連載版『聲の形』に向けて ──そんな『聲の形』が今回、連載作品になります。読み切りとして描いたデビュー作が、連載作品へと成長していくのはどんな感覚ですか? 大今 二代目『聲の形』は、実は連載の形で編集部の会議に出させていただいたので、ようやく思ったものを描けるといううれしさはあります。でも、すべてはこれからです。現時点では自分はまだスタートラインにも立てていないので、自分の作品がどうこうなったと考えたり、今回の一件で感動とか感激をあまりしちゃいけないのかなと思っています。連載が始まっても打ち切りになるかもしれないので、とりあえず一生懸命描くだけです。はい、おとなしくしてます(笑)。 ──「別冊少年マガジン」班長のTwitterによると、二代目『聲の形』監修を務めた日本ろうあ連盟からは本作に関して「何も変えないでいい。ありがとうございます」とお墨付きがついたそうですが。 大今 うれしいですよね(笑)。ただ、その分、いろいろ考えてしまいます。今後、連載が始まることによって、聴覚障害者の方たちが喜ぶ話にはならないかもしれない。彼らががっかりする話を描くかもしれない。しっかりと、いろいろなことを考えて作ってきたいですね。 ■漫画家・大今良時が描きたいこと ──大今先生が一番影響を受けた作品や、漫画を描くきっかけになったエピソードを教えてください。 大今 漫画家になりたいと本格的に意識する前から漫画を描いていましたし、漫画家しかなかったんですよね。「漫画を描きたいから漫画家になりたい」と。小学生の時に、高田裕三さんの『3×3EYES』を読みながら思いました。漫画の世界に浸っていたんだと思います。 ──そんな大今先生が漫画を通じて、一番描きたいのはどんなことですか? 大今 常に「この人たち」に向けて描きたいという思いは強く持っているんですけど、それを明言してしまうと「その人たち」は見てくれなくなるだろうと思うので、そういうことは極力表に出さないようにしています。ただ、そのメッセージは『マルドゥック・スクランブル』を描かせてもらった時にも通じるテーマだったし、『聲の形』でも出てくると思います。 ──大今先生にとって漫画とは? 大今 その質問かっこいいですね(笑)。それはもう「伝えるための手段」です。……あわわ、恥ずかしい。 ──(笑)。では、新人賞受賞作であり、出世作でもあり、初の週刊連載作品でもある『聲の形』は、大今先生にとって今のところどんな作品ですか? 大今 ギリギリのところで救ってくれる、自分の気持ちを上げてくれる作品かな……。う~ん、まだうまく言えないです。連載が終わって、読者さんの心に届いて、そして売れてくれたら、きっと大好きな作品になると思います。 ──最後に、『聲の形』連載に向けての意気込みをお願いします。 大今 読んでいる人の心に届くように、思いを作品に込めています。暗い物語を描いているんですけど、よくないことが登場人物に起こったとしても、それを肯定してあげられる作品にしたいです。 (取材・文=有田シュン)

案外男には読みづらい(?)吉田秋生のターニングポイント――『海街diary』

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『海街diary5 群青』(小学館)
男だって、堂々と女子マンガが読みたい!――そんな内なる思いを秘めたオッサンのために、マンガライター・小林聖がイチオシ作品をご紹介!  吉田秋生という作家は、「男にも読みやすい少女マンガ」っていうテーマで名前が挙がりやすい作家さんだった。「だった」というか、今でも割とそうなんだけど。  最近では男性向け・女性向けというのをそれほど意識しない作品も増えているし、そういう区分も不要なんじゃないかという声もある。僕も個人的には掲載誌がいわゆる女性誌だから読む・読まないということは当然ない。けど、一昔前は男がいわゆる少女マンガを読むっていうのは割と珍しがられたし、今も「少女マンガならパス」っていう人は少なからずいるだろう。だから、こんな連載をしてるっていうのもある。  さて、そういう中で、吉田秋生は「男性にも読みやすい」といわれる女性誌作家だった。特に過去の代表作である『BANANA FISH』は、謎のドラッグをめぐるストリート・ギャングたちの構想を描くハードボイルドな作品で、「女性誌に載っているのが不思議」といわれることもあるくらいだった。絵柄も(特に当時は)大友克洋の影響が見てとれる、少女マンガふうではないタッチだったので、男性にも入りやすいというのもあっただろう。  なのだけど、僕はというと、実は吉田秋生はものすごく“少女マンガ的”な作家だと思っていて、男性が入りやすいかといわれると、すごく疑問だったりした。前出の『BANANA FISH』にしても、なまじハードボイルドな作品であるがゆえに、主人公のアッシュ・リンクスと、もうひとりの主人公ともいえる奥村英二の関係にBLっぽい匂いを強く感じてしまうというのがあった。もちろん、この2人の関係の特殊さが『BANANA FISH』の魅力であり、面白さなのだけど、「男性誌のマンガみたい」と薦められて読んだら、生粋の男性マンガ読者は「何か違うな」と感じるんじゃないだろうか。  こう書いてしまうと誤解があるのだが、吉田秋生作品が全般的にBLテイストが強いかというと、そんなことはない。『河よりも長くゆるやかに』など、初期の短編・中編を見ても、むしろ「エッチなことばっかり考えてる、バカで単純な男の子たち」というのを見事にとらえており、女の子の夢を叶える王子様みたいな(男性マンガにおける『タッチ』の浅倉南的な)偶像性は低い。その点で、男性作家的だといっていいだろう。  だけど、吉田秋生が徹底的に少女マンガの人だなと思うのは、その作品が常に少年・少女を描いてきたからだ。『吉祥天女』や『櫻の園』に代表されるように、そのキャラクターたちは他者のセクシャルな視線に晒される苦悩を抱えている。本人が自覚するよりも先に、大人や他者によって「女性」であるとみなされ、「女性」であることを強要される、そういう悲しみと孤独がバックボーンにある。吉田秋生作品は、常にそういう思春期的なセクシャリティの問題を作品の真ん中に据えていた。  こういう思春期の繊細な心や孤独感というのは、男女問わず起こりうるのだけど、原理的にはやはり女性的なテーマだ。男の場合、思春期あたりというのはヤリたくてしょうがない時期、要するに欲望の主体であるので、自分のセクシャリティにギャップがない。これが女性の場合は、自身が性を受け入れる前に、そういう男性の欲望の客体となってしまうということが起こりやすいというわけだ。そういう意味で、吉田秋生の感性、作品は、絵柄など、一見した印象とは裏腹に、極めてど真ん中の少女マンガなのだ。  だけど、『海街diary』が始まったとき、「これは本当に男も読みやすいかもな」と思った。『海街diary』は、鎌倉に住む3姉妹と、父の死をきっかけに家族に加わった異母妹の物語だ。アラサーの長女から、20歳前後の妹2人、そして、思春期の異母妹と、さまざまな年代の女性たちが描かれるという意味で、家族の物語であると同時に、吉田秋生らしい女性の物語でもある。  だが、これまでと大きく違うのは、『海街diary』では、大人たちの物語が描かれている点だ。  吉田秋生は、前述のとおり、少年・少女を描く作家だった。そこには大人を象徴とした自分を取り巻く世界との不和があり、吉田作品は常にそこで苛まれる少年・少女の側に立ち続けてきた。  『海街diary』は、四女・すずたち少女の世代の物語を描く一方で、長女・幸たち、「大人」の苦悩や和解がもうひとつの主軸になっている。そこで描かれる「大人」は、「子ども」と対立する者ではなく、他者、とりわけ家族との不和に悩み続ける、実はそれほど子どもと変わらない人間の姿だ。親との関係、不倫などのドロッとした問題に悩む大人を、汚いものでなく、ごく当たり前のものとして描き、和解する姿を描き出している。  それは、一言でいえば作風の加齢であり、そこにはかつてあった、思春期の痛々しいまでの孤独や孤高感はない。徹底的に少女マンガだった面影が消えたといってもいい。  だけど、その加齢は新しい地平を見せてくれている。ナイフのように尖った思春期を越え、子ども時代とも、大人たちの世界とも和解する、そんな「かつての子どもたち」の姿がそこにはある。  「案外男には読みづらいかもな」と思っていた吉田秋生は、今、大人も子どもも、男たちにとっても柔らかな作家になったと思う。そういう意味で吉田秋生は、『海街diary』から入り、そこから「ど真ん中の少女マンガ」である過去の作品へと導いてくれる、まさに「少女マンガの入門作家」になったんじゃないかと思っている。 (文=小林聖 <http://nelja.jp/>)

えっ、それだけ!? 海兵隊マンガ『まりんこゆみ』が原因不明の販売停止も、実は……

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『まりんこゆみ』(星海社)
 すわ「新たな表現規制か?」と情報を知った者は、みな戦々恐々とした。  現在、マンガ家・野上武志氏の単行本『まりんこゆみ』(企画・原案 アナステーシア・モレノ/星海社発行)が、Amazonのサイトで販売停止になっているのだ。  この作品は、ウェブ連載をまとめたもので、世界最強の海兵隊に日本の女子高生が入隊するというギャグテイストの作品。現在も連載は継続中で、単行本は今月10日に発売になったばかり。現在、Amazonの同作品のページでは <調査中の商品 本商品に問題があるとのご指摘をお客様からいただいたため、現在一部の販売を一時的に休止しています。問題が解決され次第、販売を再開いたします> と表示され、注文ができない状態になっている。ほかのネット書店では平常通り販売が継続されており、Amazonが独自の判断で販売を停止していることは明らかだ。  いったい、原因はなんなのか? 本日午前に、出版元の星海社に取材したところ 「当社でも原因がわからず調査中の状態で、何もお話しできないんです」 と、同社も困惑している様子。Amazonのサイトに記された文面からは、なんらかのクレームが寄せられたのではないかと予測される。だが、作者の野上氏の元にも、これまでクレームや嫌がらせめいたメールなどは届いていないという。  作品内で扱っているのは、明らかにアメリカの海兵隊と分かる集団(作中では「アメリゴ合衆国」と表記)。内容紹介で「機密スレスレなまでのリアルさに全世界の現役・OB海兵隊員が騒然」と煽っているだけに、CIAの工作か、はたまたコミンテルンの陰謀か、謎は深まるばかりだ。  この販売停止が注目を集めたのには理由がある。Amazonでは昨年3月、ひとりの女性が「児童ポルノを一切売らないよう、アマゾン社長に直接メールを送りましょう」と呼びかけたことをきっかけとして、ロリコン漫画誌「COMIC LO」(茜新社)が販売停止にされた一件もあるからだ。それゆえ、今回も「表現の自由」にかかわるなんらかの問題ではないかと注目されたのである。  ところが……実際はまったく違った。  本日、夕方に星海社にあったAmazonの返答によれば 「購入者から“本に折れがあった”とクレームがあったため、倉庫の在庫をすべて検品中だそうなんです」(野上氏・談)  大山鳴動して鼠一匹。 (取材・文=昼間たかし)

「淫乱処女」であるメガネ男子・関根くんは、非モテの敵か味方か――『関根くんの恋』

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『関根くんの恋 4』(太田出版)
男だって、堂々と女子マンガが読みたい!――そんな内なる思いを秘めたオッサンのために、マンガライター・小林聖がイチオシ作品をご紹介!  「メガネ男子」ってやつが憎い。かくいう僕も、小学校時代からメガネをかけてきた生粋のメガネ使いだ。コンタクトレンズに浮気したことだって一度もない。なので、ごくごく当然のこととして、自分のことをメガネ男子だと思っていたんだけど、何年か前に女の子に言われた。「あんたはジャンルとしては、メガネ男子じゃなくて“のび太”だ」と。  のび太。彼女の区分では、日本を代表するメガネドレッサーであるところののび太は、メガネ男子ではないということらしい。確かにのび太は原作では、大人になってからメガネをやめているけれど、たぶんそういうことではない。メガネ男子とは、メガネをかけてりゃいいってもんじゃないのだ。  そんなこともあって、僕はメガネユーザーでありながら“メガネ男子”というやつに嫉妬している。それでいうと、ここ数年一番悔しいのが『関根くんの恋』(河内遙)の関根くんだ。関根くんに対する感情は、愛憎としかいいようがない。  『関根くんの恋』は、タイトルどおり主人公・関根圭一郎の恋愛を描いた作品だが、この関根くんがそそる。三十路で、周囲の女性がうっとりしてしまうほどのイケメン。仕事も抜群にできるし、なんでも人並み以上にこなせる。だけど、関根くんのすごみは、そういうスーパーマン的な部分ではない。  関根くんは、イケメンで優秀すぎるがゆえに、積極的に自分から女性にアプローチせずに済んできた。そういう関根くんが、人生で初めて自分の恋心に気付くところから物語は始まる。しかも、その恋に気付くのは、その相手が結婚した後なのだ。そして、そこから関根くんの新しい恋が始まっていく。  そういう関根くんの姿は、モテない男のそれでもある。ヒロインである如月サラに習う手芸に没頭しながら、ああすればよかったとかこうすればよかったとかイジイジ悩む姿は、はっきりいって童貞くさい。そういう関根くんが、どこか肯定され、許されていく物語は、モテない人生をやってきた僕にとっても共感でき、甘い気持ちにしてくれる。  一方で、関根くんの煩悶は強烈な魅力でもある。繊細なイケメンメガネ男子である彼が、童貞みたいに不器用に悩む。しかも、悩みながらも、女の子がベンチに座るときにさっとハンカチを敷いてあげたり、ごく当たり前みたいに花束を抱えて絵になってしまう。その立ち振る舞いが、いちいち完璧で色っぽいのだ。悔しいけれど、こんなことはモテない僕には絶対できないし、できてもサマにならない。関根くんは共感できる一方で、その色気で圧倒し、絶望させてくる。  はっきりいって、この関根くんのキャラクターは反則的だ。それは、女の子に置き換えるとよくわかる。イケメンで優秀、天然のタラシでありながら、不器用でウブという関根くんは、いわば「美人で淫乱な処女」みたいなもんだ。要するに本来は無理筋の存在で、美しい妄想だといっていい。  ただ、この反則性は欠点ではない。本来並び立たないはずの2つの魅力を、関根くんは説得力を持って同居させている。完璧な王子様の魅力を味わわせてくれると同時に、初恋のような初々しい気持ちもくすぐってくる。  いわゆる女性誌での作品発表が多い河内遙が、男性的な感性の作家だというつもりはない。本人がどういう人なのかも知らないし、男性観について聞いたわけでもない。だけど、河内作品の描く男性像は、常に煩悶している。脆さや舌足らず的な不器用さを持っている。  それは、単に草食系というより、モテない、恋愛に苦手意識がある層に響く力を持っている。だから、ひがむ気持ちの一方で、どうしても愛してしまうのだ。悔しいけど。 (文=小林聖 <http://nelja.jp/>)