196センチ、120キロだけど……“大横綱”大鵬の孫・納谷幸男の格闘家転身に、マスコミの反応は?

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『巨人、大鵬、卵焼き―私の履歴書』
(日本経済新聞社)
 今年1月に死去した元横綱・大鵬の納谷幸喜さん(享年72)の孫・納谷幸男(18)が格闘家を目指すことになった。門を叩いたのは、初代タイガーマスクの佐山サトルが総監を務める掣圏(せいけん)真陰流興義館。3月18日には、マスコミを集めて初稽古が公開されたが……。 「なんと言っていいか(笑)。微妙な空気に包まれていましたね」  そう苦笑するのは、スポーツ紙の格闘担当記者だ。納谷は祖父譲りの恵まれた体格で、身長は196センチ、体重は120キロ! 日本人離れしたサイズで「将来の格闘界を背負う逸材」ともいわれる。この日の初練習ではパンチやキック、寝技などに挑戦。パンチを受けた佐山は「重いし、スピードがある」と破壊力に太鼓判を押し「セメント(真剣勝負の意味)でイイものを持っている。いずれはUFCに出ていってもいい。必ず世界チャンピオンにする」と語った。  だが、間近で見ていたスポーツ紙記者の表情はさえない。 「亡くなった大鵬さんは孫の幸男くんにも相撲をやってもらいたかったらしいが、途中で向いていないことに気付き、あきらめたとか。それで親交のある佐山さんに“教育”をお願いしたというわけ。“向いていない”理由については定かではないが、この日の稽古を見ると、なんとなくわかる気がする。要はズブいんですよね(笑)」  格闘家には動体視力、運動神経、精神力、打撃力など、さまざまなモノが求められる。週刊誌記者は「センスの問題。佐山さんから寝技の指導をしてもらった際、言っていることの意味が理解できず、困惑の表情を幾度となく見せていた。打撃の練習でもサンドバッグの音はすごかったが、キレは全然。最初だから仕方ないことかもしれませんが、記者の間では『ウドの大木だな』という声も漏れていた」と明かす。  プロレスや格闘界では大横綱を祖父に持つサラブレットの納谷を祭り上げてはいるが、過度な期待は本人のプレッシャーにもなる。長い目で見守ったほうがよさそうだ。

非難ゴウゴウの買収劇で孤立する全日本プロレス

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『全日本プロレス40年史』
(ベースボール・マガジン社)
 プロレス界に激震が走った。故ジャイアント馬場さんが立ち上げ「王道マット」として親しまれてきた全日本プロレスの“身売り”が、先月25日に明らかになったのだ。  昨年11月1日に企業再生支援会社「スピードパートナーズ」の白石伸生社長が全日の株式を100%取得。買収額は「およそ2億円」(関係者)という。  都内で行われた会見で、白石オーナーは全日プロの大改革を宣言。業界で唯一の勝ち組といわれている新日本プロレスをライバル視し「2年以内の東京ドーム進出を厳命した。今年12月か来年3月くらいになるだろう。3年以内にドームツアーもやりたい」と青写真も掲げた。  さらに「人間の限界値を超えるのがレスラー」と繰り返した白石氏は「総合格闘技もできて当然。(所属選手の参戦も)考えている。格闘技団体を丸ごと買うかも」とぶち上げた。  一方で補強や契約解除はシビアに行い、フリー選手の契約は3月で見直し、4月から“鎖国”に入るという。だが、さっそく頼みの綱である新日プロは「関わりたくない」とばかりにソッポ。三冠王者の船木誠勝は、“プロレス新聞”である東京スポーツ上で公然と白石体制批判を行った。  その背景にあるのは、白石氏がプロレス業界のために全日を買収したのではなく、あくまで自分の金儲けのために買収したと見る向きが強いからだ。 「細かい経歴は割愛しますが、要は苦しくなった企業を安値で買い叩いて、ある程度回復してきたら、よそに購入額の数倍で売る。彼のこれまでの歴史を見ると、買収と売却の繰り返し。まったく信用できませんよ」(プロレスライター)  そもそも白石氏に買収を持ちかけた人物についても、批判の声が上がっている。 「元社長で全日のトップレスラーである武藤敬司が一枚噛んでいます。もともと全日は巨額の負債を抱えており、いつ潰れてもおかしくなかった。1年以上も前から武藤は“身売り先”を探していて、人を紹介すると聞いた時の口癖は『そいつ、金持ってんの?』。銭ゲバぶりは有名で、伝統ある全日を潰さないよう駆け回っていたというよりは、どうすれば儲けられるかと考えていた。その結果、白石氏と組んだんです」(プロレス担当記者)  “王道マット”が消滅しなければいいが……。

プロレス控室暴行事件で重傷を負わせたレスラーTARUが復帰へ 被害者ヘイトも復帰決意か

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平井伸和 公式ブログより
 2011年5月、全日本プロレスの神戸大会前にスーパー・ヘイトこと平井伸和さんを殴ったとして活動を自粛していたプロレスラー・TARUが、活動再開を発表した。平井さんは同日の試合後に倒れ、急性硬膜下血腫で緊急手術、TARUは逮捕されるというプロレス界を震撼させた“事件”――TARUが復帰を決めた一方、平井さんの現状は?  まずは事件を振り返ろう。全日本神戸大会の試合前に、ヒールユニット「ブードゥー・マーダーズ」のTARUとMAZADAが、控室で平井さんを殴打。平井さんは予定されていた試合を戦ったものの、試合後に倒れ、救急搬送された病院で開頭手術を受けた。同年11月、TARUとMAZADAは兵庫県警に逮捕、暴行罪で略式起訴されTARUは罰金30万円、MAZADAは罰金20万円の略式命令を受けた。  開頭手術するまでに至ったことに対して、少々罪が軽い気もするが「TARUらの殴打が、原因とは認められなかったため、このような結果になりました。殴られてすぐ倒れたのならともかく、試合をこなしていますから。そもそも平井さんは、TARUたちに殴られる数日前から、試合で負った傷が原因で頭が痛いと漏らしていたそうですよ」とプロレスライター。  殴打した理由として、TARUらは警察の取り調べに「日頃の態度が悪いことを注意したが、反省の色が見られず殴った」などと供述していた。前出ライターも「もちろん殴ったことはよくない。ただハッキリは言えないのですが、理由がなかったら殴らないということですよ」と重い口を開いた。  現在もリハビリ中だという平井さんは、あれから公の場には姿を現さず、ネット上では「植物人間になっている」などという書き込みもあるが、思いのほかピンピンしているという。 「普通に自分の足で歩いていますし、飯も食っています。それどころか酒も飲んでいますよ。重度の記憶障害とも報道されていましたが、以前の記憶もちゃんとあるとか。本人は『プロレスに復帰したい』という意思まで周囲に漏らしているそうです」(プロレス関係者)  TARUは2月11日にダイヤモンドリング後楽園ホール大会で復帰する予定。一方、一日も早く平井さんの雄姿をリングで見たいものだ。

「詐欺じゃないか!」全日本プロレス出場の超大物リック・フレアーが“10分前ドタキャン”の舞台裏

93353438ric.jpg 「出る出る詐欺じゃないか!」  1月26日の全日本プロレス・大田区総合体育館、怒ったファンのひとりがチケットを破り捨て、試合を観戦せずに会場を出て行った。大会に出場予定だった大物選手リック・フレアーが、当日の試合開始10分前になって「ドクターストップによる緊急欠場」と発表されたからだ。 「おそらく全日本は確信犯ですよ。はなから試合ができないと分かっていたのに、チケットを売るために隠していた。これは詐欺、犯罪行為だと思います。警察に被害届を出したい!」(ファン男性)  フレアーはこの日、武藤敬司と組んで、藤波辰爾らとタッグマッチで対戦予定で、当日の大きな目玉カードとしてセミファイナルに組まれていたが、エコノミー症候群により足が腫れているということで突然の欠場となった。 「ケガをした足が腫れ上がって、レスリングをする状態ではありません」  フレアーはリング上で痛々しく足をかばいながら挨拶をしたが、前日の記者会見までは「試合後は六本木を飲み歩く」と欠場の気配はまったくなかったため、観客からは大きなブーイングとともに「金返せ」の野次も飛び交った。フレアーの代わりには前座カードに出場予定だった息子のリードが出場したが、前出のファン男性は怒りが収まらない。 「全日本は1年前もアブドーラ・ザ・ブッチャーの引退ツアーを組んでおいて、来てみたらとても試合できるような状態になく、欠場させてサイン会でごまかした。あのときチケットがいつもよりかなり売れていたので、味をしめたんだと思います。リタイヤした大物選手に“サイン会”のオファーを出して、ファンには試合をするように宣伝しているんでしょう」  男性は過去にアメリカまでフレアーの試合を観戦に行ったり、ツーショット写真を撮ってもらったこともある熱狂的ファンで、今回も成田空港で出待ちしたほどの“追っかけ”だったが「空港を降りてきたときに、荷物が少なくておかしいとは思った」という。 「知り合いのアメリカ人関係者に後で聞いたら『フレアーは試合できるようなコンディションにはないはずだ』と言っていますし、アメリカの団体と契約があって、日本で試合するにはギャラ以上のお金が必要だと聞きました。台所事情の苦しい全日本が、そんな金を払えるとは思えないです」(同)  貧すれば鈍するということなのか、これには会場にいたスポーツ紙のプロレス記者も「明らかにおかしかった」と同調している。 「わざわざ来日する外国人プロレスラーは、足が悪くても歩けないほどでなければ試合に出て高額ギャラをしっかり受け取っていくもの。ベテラン同士のタッグマッチなら出番を少なく調整することは簡単です。100歩譲って、急きょ欠場だったとしても、試合直前に発表なんてありえない。ギリギリまで当日券を売ってしまいたかったのでしょうが、ファンの信用を落とすひどい商法です」(同)  これがもし、予定された欠場であれば詐欺だといわれても仕方のない悪質なものだが、この件について全日本プロレスに尋ねると「担当者が不在」で回答は得られなかった。

レジェンド桜庭和志もジム閉鎖でプロレスに流出……日本の総合格闘技はどこへいくのか

『独創力。』創英社
 新日本プロレスが、今年1月4日に開催された毎年恒例の東京ドーム大会で、2万9,000人の観客を動員したことを発表した。 「今年初めて実数を発表したが、今年が一番客入りが良かっただけに、入っていない年は2万人も入らなかった可能性がある。数年前なんかは、試合前日に秋葉原で入場券を大量にバラまいても客が入らなかったほど。観客動員数が冷え込むプロレス界だが、いまや新日の“1人勝ち”状態になってしまった」(長年ドーム大会を取材しているプロレスライター)  集客にかなりの効果を上げたと思われるのが、ダブルメインイベントで中邑真輔とIWGPインターコンチネンタル選手権を行った桜庭和志。最後は中邑の得意技「ボマイェ」でマットに沈んだが、総合格闘技のリングで磨いた打撃技・関節技を駆使した試合展開で、中邑を追い込み場内を沸かせた。そんな桜庭、すでに総合のリングに見切りをつけてしまったようだ。 「10年と11年は総合格闘技イベント・DREAMのリングで4戦全敗だったのに加え、DREAM自体が経営難で定期的に開催することができなくなってしまった。おまけに、都内に開設していた総合格闘技ジムも、昨年12月の頭に閉鎖に追い込まれた。それでも、妻と3人の子どもを養っていかなければならない桜庭は、昨年8月に新日への参戦を表明。もともとプロレスセンスがあり、見事に適応し観客を沸かせている」(格闘技ライター)  桜庭といえば、かつて、PRIDEのリングでグレイシー柔術のホイス・グレイシーを完膚なきまでに叩きのめして一躍名を上げ、いまや格闘技界の“レジェンド”的な存在となっているにもかかわらず、プロレスのリングに上がっている状況。もはや、日本の総合格闘技界に明るい未来はないということを意味している、と見る筋もある。 「昨年の大みそか、久しぶりにさいたまスーパーアリーナでDREMAMの興行が行われたが、セーム・シュルトやピーター・アーツらK-1の主力選手をごっそり獲得した世界的なキックボクシング団体・GLORYの傘下に入っての開催だったため、総合格闘技は完全に前座扱い。そもそもDREAMの主力選手たちには上がるリングがなく、この大みそかが昨年唯一の試合という選手も何人かいた。となると、目指すは今や名実ともに世界最高峰の総合格闘技団体となった米・UFCだが、レベルが高すぎてDREAMの主力クラスにはまったくお呼びがかならない。修斗、パンクラス、DEEPなど定期的に興行を開催している総合の団体は数あれど、ファイトマネーはたかが知れている」(同)  3月には昨年に続いてUFCが日本大会を開催するが、日本でのUFC人気がアップすれば、そのうち日本の総合格闘技の選手もファンもそっくりUFCの波に飲み込まれてしまうことになりそうだ。

死亡事故起こした現役プロレスラー 精神疾患による生活保護受給を賠償金逃れの根拠に……?

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『NHKスペシャル 生活保護3兆円の衝撃』
(宝島社)
 厚生労働省の発表によると、生活保護の受給者は今年8月の時点で213万1,011人となり、過去最多を更新した。受給世帯数は155万5,003世帯で、受給額は総額3.7兆円(2012年度予算)に達しており、いくら不況とはいえ支給のハードルが低い疑いも拭えない。  今年5月には、吉本興業のお笑い芸人、河本準一、梶原雄太の親族が受給していることが発覚。受給に至るプロセスは合法的であるものの、身近に付き合いのある裕福な親族がいるにもかかわらず支給されていたことに、多くの抗議があった。実際、6月にある大学の研究チームが都内で400名の通行人に行ったアンケート調査では、こういった支給が妥当か否かの質問に約86%が「支給すべきではない」と答えた。いまや「行政が判断したからOK」では済まされないレベルになっている。  中には現役プロレスラーでも生活保護を受給している者もいる。5月、大仁田厚と初代タイガーマスクが戦った都内での興行に出場していたプロレスラー、菅原伊織(34)も受給を明かした。  よほどのプロレスマニアでもなければ聞いたことがない無名選手の菅原だが、格闘家としても活動し、3月には総合格闘技「STRIKER」にも出場(8秒でKO負け)、その姿だけを見ればとても就業できない人物とは思えない。  生活保護受給が判明したのは、意外にも法廷の場だった。菅原は08年10月、同じチームに所属する自称プロレスラーの笠原寧と、受け身の練習も未経験のままデビューした素人同然の後輩に練習中、ダブルインパクトなる過激な技をかけて死亡させる事故を起こしている。翌年、遺族から業務上過失致死容疑で刑事告訴を受けたが、これは不起訴。続いて損害賠償を求めた民事裁判が始まった中で、菅原側の弁護士が生活保護受給を明かした。  この件を長く取材している記者によると「菅原は遺族に手紙を書いていて、働けなくなった理由を“事故によってネットなどで非難を受けたことで、もともと患っていた精神疾患が悪化し、ケースワーカーのアドバイスを受け、生活保護を受けた”としている」という。  遺族が億単位の賠償を求めた裁判では、菅原側が月2,000円、20年間支払う和解案を出しているというが、驚くほど低い金額の提示は生活保護の受給者であることが根拠となった形だ。これには遺族のひとりも「プロレスや格闘技の試合に出られるのに、働けないなんて矛盾している。まさか、事故が生活保護の受給理由に利用されるとは思わなかった」と絶句している。  これについて、厚生労働省が管轄する福祉事務所に問い合わせると「精神疾患の場合、スポーツが改善に役立つ場合もある」としたが、菅原の出場している団体がいずれも客から入場料を取っているプロ団体であることを伝えると「それはちょっと……」と言葉を濁してしまった。  また、元医師の安部寛氏は「今回のケースがどうかは分からないが、医療業界が金儲けでやたらうつ病など精神疾患を認定することで、それを理由に就業の努力をしない人が増え、生活保護はその逃げ場になっている傾向はある。最近は交通事故の加害者が次々に“精神を病んだ”といって福祉事務所に駆け込むようになっている。ますます受給者は増えていく一方」としている。  なお今回、菅原にも取材を申し入れたが、「外出先なのでコメントできない」と断られた。

“天才”ウルティモ・ドラゴンの挑戦「僕はプロレスを変えた。でも、今のプロレスは好きではない」

 
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デビュー25周年。マスクをさせておくにはもったい
ないほど、素顔もイイ男、との噂も。
 メキシコスタイルのプロレス「ルチャリブレ」。マスクマンを中心にしたレスラーたちが華麗な飛び技を繰り広げるルチャは、日本でも“仮面貴族”ことミル・マスカラスの活躍によって広く知られることになった。現在は「みちのくプロレス」などがルチャスタイルを取り入れているが、日本のルチャの第一人者として知られるのがウルティモ・ドラゴンだ。  彼はルチャの故郷メキシコと非常に縁が深く、デビューの地もマスクマンに変身した場所もメキシコ。そんな彼が、11月7日に東京・後楽園ホールで「LUCHA FIESTA 2012~ウルティモ・ドラゴンデビュー25周年記念大会~」を開催する。日本やメキシコはもちろん、アメリカのメジャー団体でもトップ選手として活躍してきた彼に、波乱に満ちたレスラー人生やプロレス界の現状について尋ねた。 ──ウルティモさんはプロレスラーになった経緯がかなり特殊だと思いますが、レスラーになろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか? ウルティモ 小学生の時に、アントニオ猪木さんに興味を持ったことですね。でも、初めてプロレスを見たのはジャイアント馬場さんの試合だったんですよ。そのころ、馬場さんの全日本プロレスは土曜日の夜8時に放送していたんですけど、僕たちの小さいころは土曜8時というと『8時だョ!全員集合』(TBS系)を見ないと、翌週の学校の話題についていけなかった。ところが、何かの時にたまたまテレビにプロレスが映ってて「なんだコレ?」って思ったんです。あくまで子どものころの印象ですけど、馬場さんの動きって、そのころは遅くなってたんですよ。「レスラーって本当に強いの?」って思ったのが最初の印象ですね。 ──それがなぜプロレスへの憧れに変わったのでしょう? ウルティモ その次に見たのが、新日本の猪木さんの試合で。ほかにもタイガー・ジェット・シンとかスタン・ハンセンとか、身体の大きい人たちがたくさん出てきて。その時に「これだ!」と思いました。小学校の2年か3年のころですね。それから毎週欠かさず新日本プロレスの放送を見るようになって。あのころは新日本の時代なんですよ。藤波辰爾さんとかタイガーマスクとか、その後に長州力さんとか。 ──レスラーを目指したということは、肉体的に自信があったのでしょうか? ウルティモ まったくないですね。公害病認定患者でしたし、小さいころは身体が弱かったですよ。実は僕、高校を卒業する時に体重が55キロしかなかったんです。今と同じ身長(172センチ)で。だから僕が「プロレスラーになりたい」と言っても、周りはあきれてましたよ。学校の先生なんか「お前なんかレスラーになれるわけない」って。 ──あの当時は、身体の大きい選手が多かったですしね。 ウルティモ そうなんですよ。今でこそ僕と同じくらいの背丈の選手はたくさんいますけど、あのころは狭き門だった。入門のパンフレットを見ても、応募条件に「身長180センチ以上・体重80キロ以上」と書いてあって。東京に来てからアルバイトをしながらトレーニングして体重を増やしたんですけど、身長はどうにもならない。そんな中、入門テストを受けにいったんですけど、そのころから自分はズル賢かったんで、履歴書に「178センチ・65キロ」って書いたんですよ。そしたら、当時教官だった山本小鉄先生から「お前、178ないだろ」って言われて。テストのメニューは全部こなしたんですけど、通知は不合格だったですね。 ──それでも、あきらめなかった? ウルティモ プロレスラーになると言って故郷の名古屋を出てきたから、そのまま帰れないじゃないですか。だから小鉄さんに直談判して「テストのメニューを全部クリアしたのに不合格なのは納得がいかない」と伝えたんです。そうしたら、道場に通って練習することは許してもらえたんですよ。でも、それが新日本の中で問題になってしまって続けられなくなった。そのころ、たまたまメキシコのプロモーターが新日本に来ていたんですけど、そこで「メキシコに行けないかな」ってひらめいたんです。小鉄先生は自分の身体が小さいから、同じ身体の小さい人間に優しくて、自分のメキシコ行きに骨を折っていただきました。 ──ひらめきでメキシコ……。かなり大胆ですね。 ウルティモ たまたま僕が行く前に新日本プロレスの先輩2人がメキシコに遠征していて、そこに合流する形になりました。メキシコは6人タッグマッチが主流なんですけど、先輩たちと組めば団体側は日本人トリオとして扱えるじゃないですか。ちょうどタイミングが良かった。 ──メキシコではどうだったのでしょうか? ウルティモ メキシコに着いて、2日後には試合に出てましたね。いきなりセミファイナルでした。デビューして3カ月で、ビッグマッチのシングル戦を組んでもらったりもしました。僕が行ったのは「UWA」という団体だったのですが、その団体の世界ウエルター級のベルトは東洋人が獲ったことがなかったんですけど、僕が21歳の時に初めて獲りました。自分で言うのも変ですけど、その時は「自分はルチャリブレをやるために生まれてきたんだろうな」と思いましたよ。 ──いきなりメキシコでスターになれた要因はなんだったのでしょう? ウルティモ 向こうでスターになるためには、技はもちろんですけど、どれだけメキシコのルチャを理解しているかという要素が大きいですね。日本のプロレスは格闘技の要素が大きいんですけど、ルチャはエンターテインメント色が強い。日本で試合経験がある選手はそれに戸惑ってしまうんですけど、僕はスタートがメキシコだったから迷うことなくできたんですよね。 ■凱旋帰国の時、新日本を天秤にかけ、背を向けた ──メキシコでのデビューから3年後、ウルティモさんは日本初のルチャ団体「ユニバーサル・プロレスリング」の看板選手(当時は素顔で本名)として凱旋帰国されました。いろいろなウワサがある団体ですが、なぜウルティモさんに白羽の矢が立ったのでしょう? ウルティモ あれはもともと、新間寿さん(昭和プロレスの伝説的な仕掛け人)の息子(新間寿恒氏)さんが、グラン浜田さんを上げるリングをつくろうとしたのが発端だったんです。その中で「メキシコのプロレスをやりたい」というイメージでつくられたと思うんですよ。そのコンセプトに合った僕を若手のエースにして、浜田さんをメインにしていくという感じだったと思いますね。実は同じ時期に、新日本プロレスからもオファーがあったんです。でも、言ってみれば新日本は僕を捨てた団体ですよね。だから天秤にかけた時、あの当時はどちらに行くか決まりきっていたというか。 ──90年代には、その遺恨があった新日本のリングに上がっていますが、特別な感慨はありましたか? ウルティモ その時はWARという団体にいたので、対抗戦なら出て行かなきゃいけないとは思っていましたけど。ただ、自分のスタイルとは違う部分でやることになって、しんどかったかなというのは正直ありましたね。新日本的なジュニアのスタイルとは、ちょっと合わなかったなと。 ──メキシコの老舗団体EMLLでウルティモ・ドラゴンに変身し、SWS、WARと所属団体が変わり、さらにアメリカにも進出されました。あの当時はまだジュニアヘビーの日本人レスラーがアメリカで成功する例が少なかったと思いますが、どうしてアメリカ行きを選んだのでしょう? ウルティモ メキシコやユニバーサルでメインを張らせてもらって、WARでアンダーカードも経験して、いろんなことが分かるようになった。そしたら、さらに上に行きたいじゃないですか。その時にアメリカのメジャー団体「WCW」を選んだんですよ。 ──WCW行きの経緯を聞かせてください。 ウルティモ 当時、メキシコからレイ・ミステリオJr.とかさまざまなレスラーがWCWに行っていて、クルーザー級を活性化させるという話があったんですよ。それを聞きつけて、いろんなツテを使ってアメリカに行きました。そしたら、いきなりデビュー戦でPPVで。ミステリオを相手に日本スタイルの叩き潰すような試合をしたんですけど、それがいい評価をもらってWCWから契約の話をもらいました。その当時、僕はジュニア8冠王座を持ってて、当時WCW世界クルーザー級王者だったディーン・マレンコと年間で一番大きい大会で防衛戦をして。それに勝つことができたんですが、あれが自分のプロレス人生のハイライトだったんじゃないかと思いますね。 ■握力8キロでも見栄えのするファイト ──アメリカでの成功は、プロレス史に残る偉業だったと思います。 ウルティモ でも、アメリカだからということに感慨はないんですよ。日本人は「全米で」とか「世界で」って言葉が好きですけど、自分は出発点がメキシコだったから「世界」ってものに特別な感覚はないですね。たまたま大きな舞台に立ったのが、アメリカだったというだけで。 ──アメリカで学んだことは何でしょう? ウルティモ アメリカでは、ビジネスについてすごく学ばせてもらいましたよ。アメリカのレスラーの収入は、グッズのロイヤリティが、かなりのパーセンテージを占めてるんですよ。そして、たくさんギャラを稼ぐ奴が価値があると。昔はプロレスをやるだけでビジネスになりましたけど、アメリカに行って「今は違うな」と思ったんです。僕は会場で必ず売店に立つんですけど、あれもレスラーにとって大事な仕事ですよ。 ──98年の試合中に左肘関節を大ケガ。アメリカで受けた手術が失敗し、神経を痛めてレスラー生命の危機を迎えたことがありました。左手が全く動かないほどの重傷だったようですが、その当時は引退を考えたのでしょうか? ウルティモ 引退は考えてなかったですね。何がつらかったって、痛みがひどかったんですよ。痛くて死んだ方がマシかなって思うくらいで。その時は引退するかどうかまで頭が回らなかった。それから、いい先生と知り合って3回くらい手術したんですが、全く動かなかった左手が徐々によくなってきて、02年に復帰できました。 ──回復はしたものの、現在も左手の握力が8キロほどしかないそうですね。 ウルティモ うーん、8キロもないんじゃないかな。 ──プロレスではロープをつかんだり相手をクラッチしたりと握力が重要になる場面が多いと思いますが、最近の試合を拝見すると、そんなハンデを抱えているとは思えない動きです。 ウルティモ だから、それをなるべく使わないファイトスタイルに変えたんですよ。まあでも、動きとしては全盛期の3分の1ですね。プロですから、お客さんにはできるだけ悟られないようにはしていますが。普通だったら復帰できないほどでしたから。僕の主治医は絶対にカムバックさせると言ってくれましたけど、他のお医者さんは「復帰は難しい」と言ってましたね。 ──脂が乗り切っていた時期だけに、大ケガと手術ミスは悔しい気持ちがありますか? ウルティモ 今になってみれば、もしケガをしないで普通に試合を続けてたら、逆にどうなってたんだろうって思いますね。さっきも自分のハイライトって話がありましたけど、人間って上がったら次は落ちるしかないじゃないですか。レスラーは年齢的にファイトスタイルを変えなきゃいけなくなる時期が来るんですが、特に自分は跳び技が多い選手なんで、ケガもなくピンピンしてたら全盛期の危険な技をやりたくなる。それで失敗して頭から落ちたり、もっと大変なことになってたかもなって思いますね。スタイルを変える、いいきっかけになったのかなと。
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11月7日も、鍛えられた肉体でメキシコ流の
「魅せる」プロレスを体現する。
■黄金時代と今、レスラーのオーラがまったく違う ──かなりポジティブに思考するタイプですね。 ウルティモ 人間は、考え方次第の部分があるじゃないですか。手術後も試合のスケジュールがあったんですが、これはプロレスの神様が「おまえは出なくていいよ」って言ってるんじゃないかと思って出ませんでした。あと、ケガをする前年に、「闘龍門」というプロレスラー育成学校をメキシコで始めたんですよ。結局、4年間は試合を休んだんですが、その間、指導や経営に専念したおかげで闘龍門も成功したのかなって。両立しようとしてたら、絶対にうまくいかなかったでしょうね。 ──闘龍門は、日本でも興行として大成功しました。 ウルティモ 最初は逆上陸だったんですよ。メキシコで練習を積んだ選手たちの「発表会」という感じで。まあ、日本に持っていったら面白いなとは思ってましたけど。 ──闘龍門は、ルチャを日本に持ち込むという意図もあったのでしょうか? ウルティモ それは違いますね。自分がやってきたのは、単なるルチャリブレじゃなくて、自分なりの総合的なスタイルなんですよ。日本のスタイルをベースに、ルチャとアメリカンプロレスのいいところをミックスしたものですね。一つのスタイルしかできないという選手は育てたくなかったし、どこの国の選手ともやれるようにしてあげたかった。よく選手を育成するコツを聞かれるんですが、自分が経験してきたことをまとめて伝えただけというシンプルな話です。 ──プロレス黄金時代と今のプロレスの違いも感じましたか? ウルティモ レスラーのオーラが全く違いますね。ただ、よく昔と今とどっちがいいかと聞かれるんですけど、時代の流れだし仕方ないと思うんですよ。それはそれでね。ただ、先輩たちと試合をさせていただいて、好きか嫌いかだったら僕は昔のプロレスの方が好きですよ。良い悪いじゃなくてね。でもじゃあ、今みたいなスタイルのプロレスの流れになったのはなぜなのかって言われたら、僕が変えた部分もある。自分で変えといて、何言ってんだって思われるでしょうけど。 ──今のプロレスは、過激な技の応酬が中心になっています。 ウルティモ 若いレスラーたちの試合はすごいですよ。僕は正直言って最近は体力的に落ちてきたなと自分で思っていて、ああいう試合を1回やったら2週間くらい休まないと次はできんだろうと思いますね。今の若いレスラーというのは、それくらいハードな試合をしてますよ。それはすごいと思いますね。ただプロレス本来の、巡業があって毎日試合をこなしていくという意味では、そのスタイルは厳しいかなと思います。自分がジュニアのハードなスタイルの流れをつくって、それからさらにエスカレートしているので、そろそろ軌道修正した方がいいかなと。なぜかというと、レスラーも生身の人間ですから、これ以上ハードになったら危ないという心配がありますね。 ──危険な技の応酬がないと、お客さんが満足しないという側面はありませんか? ウルティモ それはね、僕はちょっと違うと思うんですよ。日本の今の若いレスラーは、ガチガチでやればお客さんが沸くと思ってる。本来のプロレスは、ドラマを積み上げて興味を引くようなシチュエーションをつくって盛り上げるわけですよ。でも、今は興行数が少ないからドラマがつくれない。1試合だけで魅せるというのは限界があると思うんですよ。だから、瞬間的に沸かせる大技に頼った試合になるのかなと。 ──先ほど、昔のレスラーはオーラが違うという話がありましたが、プロレスもスケールが小さくなってしまっているのかもしれないですね。 ウルティモ レスラーだけじゃなくて、時代の流れだから仕方ないですけどね。僕は海外に住んでるから、日本は安全で良い国だとは思いますけど、政治も何もかも周りの反応を気にしすぎてスケールが小さくなってるように感じますね。このままだと危ないんじゃないかと思いますよ。 ■今なぜ、メキシコのプロレスを日本でやるのか ──11月7日に開催される「LUCHA FIESTA」ですが、なぜ日本でルチャの大会を主催しようと思ったのでしょうか。 ウルティモ 僕の出発点になったメキシコという国に感謝の気持ちがあって、何かできないかなと。メキシコに対する恩返しという意味合いもあります。 ──メキシコの空気を再現することが最大の目的だそうですね。 ウルティモ ルチャリブレができる日本の選手に加えて、本場の伝説的な選手を連れてきて、本物のルチャをやろうという大会です。メインイベントはメキシコのルールでやりますよ。日本のファンは馴染みがなくて「なんだコレ?」と思うかもしれないんですけど、それはそれでいいかなと。「これがルチャリブレなんだ」と。明らかに他の興行とは違うスタイルになると思います。 ──試合以外でも演出があるそうですね。 ウルティモ ルチャリブレは、試合と観客のヤジや声援が一体になったものなんですよ。在日メキシコ人の方を会場に呼んでヤジを飛ばしてもらいますし、マリアッチ(メキシコの伝統的な楽団様式)の演奏もあります。激しい試合が目的なら、他の興行の方がいいかもしれません。でも、メキシコの空気を完全に再現できる興行はウチだけだと自負しています。あんまりルチャを知らないプロレスファンにこそ来てほしいですね。いろんなプロレスがあってもいいと思うんですよ。デスマッチとか2階から落ちたりとか。でも、それだけがプロレスじゃないよと。 ──プロレスは斜陽産業になっているといわれていますが、25年のキャリアがあるウルティモさんからはプロレスの未来がどう見えていますか? ウルティモ プロレスは、なくなりはしません。日本のカルチャーとして根付いてるので。ただ、野球にしたってテレビ放送がなくなったり、浮き沈みがあると思うんですよ。エンターテインメントが多様化して、若い人たちがケータイとかネットとか、そっちの方に目がいっちゃって。お小遣いの使い道も分散してしまうから、プロレスのチケットが買いづらいでしょうね。 ──どのように業界が変わっていけば、プロレスの未来が明るくなるでしょう? ウルティモ 今、ブシロードさんが新日本プロレスのオーナーになって、いろんなところで宣伝をしてますよね。あれは業界にとって素晴らしいと思います。ああいう企業が業界をまとめてくれるといいんじゃないかなと。今のプロレス界が厳しいのは、団体数が増えて興行が多くなりすぎていることも大きな要因だと思います。昔は後楽園ホールでも2カ月に1回くらいの興行数でしたけど、今は1カ月に半分くらいプロレスの興行があります。週末に興行が集中する傾向もありますね。たくさんの団体がお客さんを取り合って、互いに食い合ってるような状況。これを変えていくべきだと思いますね。一つのオーナー企業が業界をまとめて、潰し合いにならないようにして、それぞれの団体を独立採算制にするとか。 ──自分もファンとして、プロレスに頑張ってほしいですね。 ウルティモ プロレスには夢がありますから、これからも続くと思います。僕の役目としては、いい形で次の世代、さらに次の世代にバトンタッチできればなと。僕が引退して70歳、80歳になって、プロレスがなくなってたら寂しいじゃないですか。 (構成=佐藤勇馬/写真=早船ケン) ●ウルティモ・ドラゴン 1966年12月12日、愛知県生まれ。プロレスラー。87年にメキシコでデビューし、3年後に凱旋帰国。以後、日本マットをはじめ、米国のメジャー団体「WCW」「WWE」などでトップレスラーとして活躍。97年にプロレス学校「闘龍門」をメキシコに設立し、多くの有名レスラーを輩出。現在は自主興行を中心に、後進を育成しながら世界各国で活躍中。公式ブログ〈http://ultimodragon.eplus2.jp/●『LUCHA FIESTA 2012』 11月7日に東京・後楽園ホールで開催される『LUCHA FIESTA 2012~ウルティモ・ドラゴン25周年記念大会~』。ウルティモを筆頭にザ・グレート・サスケ、ブラック・タイガーら有力選手が多数出場するほか、メキシコの伝説的なレスラー“稲妻仮面二世”ラヨ・デ・ハリスコ Jr.の出場も決定。さらに“誰もが知る超大物選手”の出場も予告されている。メキシコの文化や音楽も楽しめる特別な大会となるだろう。 チケット申し込み イープラス <http://eplus.jp/sys/T1U14P0010117P002026260P0050001P006001>

「実は心不全だった……」電流爆破後に緊急入院の曙 レスラー引退危機に

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全日本プロレス 公式サイトより
 大相撲の元横綱で現在はプロレスラーの曙が先月、急性肺炎のため緊急入院していたことが発覚。2カ月ほどの休業が必要と発表されたが、実際にはさらに深刻な状態で、病院に搬送時は心不全と診断されていたという。  曙は先月26日、元参議院議員の大仁田厚と「ノーロープ有刺鉄線バリケードマットダブルヘル・メガトン電流爆破デスマッチ」を戦い、これに勝利。電流爆破デスマッチを初体験し、プロレスラーとしての階段をまた一つ上ったばかりだったが、悲劇に見舞われてしまった。  プロレス関係者は「試合後の30日、体調不良を訴えた曙は救急搬送されました。発表では急性肺炎ということになっていますが、本当は心不全の症状だったんです。おなかに水がたまって、危ない状態だったと聞いています。命に別条はないようですが……」と衝撃の事実を明かした。  曙のあの巨体を見れば、心臓に大きな負担がかかることは一目瞭然だが、最近は暴飲暴食がたたって、さらに巨大化していたという。あるプロレスラーは「テレビ番組で曙の元付き人が、飲み屋で一晩1,000万円使ったと暴露していたように、曙はかなりの量を食べるし、酒を飲む量も半端じゃない。一晩で100杯近くのビールを飲んだという伝説もあります。一時はダイエットに励んでいたのですが、この夏だけで数十キロもリバウンドしてしまったそうです」と証言する。  関係者の話を総合すると、デスマッチの直後に心不全では「シャレにならん」ということで急性肺炎と発表したようだが、このままプロレスも引退するという見方が強まっている。 「もはや曙が危険水域に達していることは、みんな分かっている。試合ができる状態に復活するかも分からない。今後のことを考えると、引退という選択が濃厚でしょう」(同)  曙にとって、先日のデスマッチが文字通り、最後の打ち上げ花火ということになってしまうのか。

「実は心不全だった……」電流爆破後に緊急入院の曙 レスラー引退危機に

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全日本プロレス 公式サイトより
 大相撲の元横綱で現在はプロレスラーの曙が先月、急性肺炎のため緊急入院していたことが発覚。2カ月ほどの休業が必要と発表されたが、実際にはさらに深刻な状態で、病院に搬送時は心不全と診断されていたという。  曙は先月26日、元参議院議員の大仁田厚と「ノーロープ有刺鉄線バリケードマットダブルヘル・メガトン電流爆破デスマッチ」を戦い、これに勝利。電流爆破デスマッチを初体験し、プロレスラーとしての階段をまた一つ上ったばかりだったが、悲劇に見舞われてしまった。  プロレス関係者は「試合後の30日、体調不良を訴えた曙は救急搬送されました。発表では急性肺炎ということになっていますが、本当は心不全の症状だったんです。おなかに水がたまって、危ない状態だったと聞いています。命に別条はないようですが……」と衝撃の事実を明かした。  曙のあの巨体を見れば、心臓に大きな負担がかかることは一目瞭然だが、最近は暴飲暴食がたたって、さらに巨大化していたという。あるプロレスラーは「テレビ番組で曙の元付き人が、飲み屋で一晩1,000万円使ったと暴露していたように、曙はかなりの量を食べるし、酒を飲む量も半端じゃない。一晩で100杯近くのビールを飲んだという伝説もあります。一時はダイエットに励んでいたのですが、この夏だけで数十キロもリバウンドしてしまったそうです」と証言する。  関係者の話を総合すると、デスマッチの直後に心不全では「シャレにならん」ということで急性肺炎と発表したようだが、このままプロレスも引退するという見方が強まっている。 「もはや曙が危険水域に達していることは、みんな分かっている。試合ができる状態に復活するかも分からない。今後のことを考えると、引退という選択が濃厚でしょう」(同)  曙にとって、先日のデスマッチが文字通り、最後の打ち上げ花火ということになってしまうのか。

「プロレスはもうダメなのか」順調だったアントニオ猪木のプロレス団体「IGF」でも内紛が……

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アントニオ猪木 IGFプロレスリング
 まったくの斜陽となってしまったプロレス業界。両国国技館や日本武道館クラスで興行が打てるのは、せいぜい老舗の新日本プロレス程度で、それでも年間での回数はゴールデンタイムでテレビ放映されていた80年代からは激減した。  その一方で、違う活路を見だし成功しているのが、アントニオ猪木率いる「IGF」だ。その顔の広さで、外食産業大手をタニマチとして獲得。さらに、ギャラの未払いの続いていた「K-1」から、ジェロム・レ・バンナやピーター・アーツらを引き抜き、中国進出をぶち上げるなど大成長を遂げた。が、最近“GM追放劇”があったというから穏やかではない。 「ジェネラルマネジャーの肩書だった元レスラー・宮戸優光が、現場から外されたんです。表向きは『現場を離れて新人育成に専念』ということですが、実情は所属選手に総スカンを食っていたから。宮戸さんは、水道橋博士も通うジムの経営者としても知られ、猪木さんもその手腕に期待していましたが、そもそもレスラーとしての実績も実力もなかった。しかも、現役を退いた今でも、プレイヤーというより、まだ『プロレスファン』みたいな脳みそなんです。そのため、いまだにスクワット1,000回とか非科学的なトレーニングもさせるし、プロレスの仕組みを知らないのか理想論なのか、普通にケツ(試合の決着の申し合わせ)も決めずにガチンコをさせたりする。GMに就任したころ、超レジェンドの初代タイガーマスク・佐山聡さんを前座試合に組んでしまい、バックステージで土下座させられる事件もありました」(プロレスメディア関係者)  後任にはケンドー・カシンこと石澤常光の名前もネットなどで挙がっているが。「それはない。本人にやる気がない」とは同関係者。  どの団体も軒並み問題を抱え、新たなスターなど生まれようもないプロレス業界。このまま追憶の彼方に消え去ってしまうのだろうか?