精神科医が見つけた“自殺希少地域”の共通点とは――『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』

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『その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く』(青土社)
 自殺大国と呼ばれる日本。まったく不名誉なことだが、毎年3万人近い人が自らの命を絶ち、世界トップクラスの自殺率という事実がある。けれど、国内にも、自殺が多い地域と少ない地域がある。それは、一体なぜなのか? 『その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く』(青土社)は、精神科医の森川すいめいさんが、自殺で亡くなる人が少ない地域“自殺希少地域”の5カ所を訪れ、それぞれ1週間ずつ滞在した記録だ。  調査というほどカッチリしたものではまったくなく、森川さんは、現地で暮らすできるだけ多くの人に声をかけ、雑談をした。少し関係が深まったと思ったときに、「自殺で亡くなる人が少ない地域と聞いたのだけど、どうして?」と聞く、あるいは、「生きやすい地域だと聞いたのだけど、どうして?」と尋ねた。  自殺が少ない地域と聞いて、どんな場所を想像するだろうか? 個人的には、人の良さや将来への希望がある場所ではないかと思った。森川さんは、ゆっくり休めて癒やされる、そういう空間があるものと期待した。けれど、最初に訪れた「自殺希少地域」のひとつ、徳島県海陽町の旅館へ到着して、ガッカリする。  友人の友人に「この地域のことは、この旅館のおやじさんに聞いたらいい」と案内された旅館だったが、特に旅館らしい丁寧なおもてなしがあるワケではなく、浴衣は潮風でパリパリ。用意されたお菓子の賞味期限を確認すると、ちょっと切れていた。それで、従業員のおばちゃんにそのことを伝えると、「へっ?」と驚き、「ほお。ほうかほうか。さすが若いひとは、そういう気にすんのやね。ほうかほうか」と、まったく悪気のない様子で、「わかったわかった、おばちゃん、新しいのもってきといたる」と言って、すぐにいなくなってしまった。その後、もらったお菓子は、おそらくおばちゃんが家から持ってきたものだった……。  また、同じ町に滞在中、親知らずを抜いたばかりで、痛みでどうしようもなくなってしまった。最初はスマホで歯科医院を探していたが、ゴールデンウィークだったので、どこも閉まっていて、電話をしても、当然断られる。困り果てて、旅館の主人に相談した。すると、「この町の歯医者は今日は休みやけど、さっきいるの見たから起こしてきちゃろう」とか、「ここから82キロ先にある歯医者が今日はやってるのがわかったから、送るわ」と、いろいろなツテを使って情報をかき集め、その場で、解決してくれようとした。その結果、近所の人たちから、「あんた、歯が痛いひとやろ、大丈夫か?」と声をかけられることになるのだが、それは、田舎特有のウワサがすぐに広まってしまう、というようなどこか暗いものではなく、本人まで筒抜けのウワサ話だった。なお、最終的に、近所に住んでいた元看護師さんの家に案内され、事なきを得た。  森川さんは、こうした“ちょっとした”出来事であったり、そこに住む人々の人と人の関わり合いを垣間見る、あるいは、体験することによって、なぜ「自殺希少地域」なのか、納得をしていく。その最も大切なことは“対話”だ。とにもかくにも、対話をすること。困ったことがあれば、人に相談し、ひとりで抱え込まない。  この本には、ある意味では、当たり前のことが描かれている。けれど、都会で暮らす人にとっては、「あぁ、もっと人に助けを借りてもいいんだ」とか「もっと適当でいいんだ」とか、少なくとも日本にもそういう地域があるということが感じられ、ほっとするだろう。  このほかの「自殺希少地域」でも、たくさんの“ちょっとした”気になる出来事がちりばめられている。それぞれのエピソードに驚き、笑って、なるほど、そういう人付き合いや心の持ち方って大切だな、なんて思う。  心の病を持っていなくても、日本には、都会で生活する独特の息苦しさや、仕事で多忙な毎日に疲れ切っている人も多い。そんな人たちにとっても、生きやすさとは何かを考えるきっかけになり、小さなヒントを与えてくれる一冊だ。 (文=上浦未来) ●もりかわ・すいめい 1973年まれ。精神科医。鍼灸師。現在、医療法人社団翠会みどりの杜クリニック院長。阪神淡路大震災時に支援活動を行う。また、NPO法人「TENOHASI(てのはし)」理事、認定NPO法人「世界の医療団」理事、同法人「東京プロジェクト」代表医師などを務め、ホームレス支援や東日本大震災被災地支援の活動も行っている。アジア・アフリカを中心に、世界45カ国をバックパッカーとして旅した。著書に『漂流老人ホームレス社会』(朝日文庫)がある。

迷い込んだのは“秘境”で“魔境”だった!? 藝大生のヘンテコな青春『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』

artschool1012
『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』(新潮社)
 本の帯に“前人未到、抱腹絶倒の探検記”という興味をそそられる煽り文句があり、恐る恐る『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』(新潮社)を読み始めた私にとって、予想だにしない事実が待ち構えていた。  そこには前人未到の場所も、腹を抱えて笑うべき部分もなかった。それどころか、驚くべきことなどどこにも存在してはいなかったのだ。より正確に言えば、日本大学藝術学部を卒業した私が普段身を置いている日常に酷似したものが“カオスな日常”と呼ばれてしまっていた。 探検隊のつもりでいたらそうではなく、探検される先住民の側だったのだ。カオスの中で普通に呼吸をしていれば、当然のことながらそこがカオスであると自覚するきっかけは与えられない。麻痺していたのだ。  本書は、藝大生の妻を持つ作家の二宮敦人が、藝大生の生態に興味を持ち潜入した東京藝大で出会った若き天才たちの青春をしたためた一冊。  私にとって、この本に登場する中で立場として最も近い人物は、“体に半紙を貼り始めたり”、授業で使用したガスマスクのフィルターを“台所に置いたり”して、日常的に二宮へ衝撃を与え続けている妻、その人である。    率直に言って、私だってそれぐらいやりかねないな、と思った。世の芸大生、芸大の卒業生にとっては、そんなことで驚くのか、ということに改めて新鮮に驚く本となっている。出てくる学生はいずれも、自らの専門分野に真摯に取り組んでいる者ばかりだ。それでもどこかたがが外れている、世間の常識からは逸脱していると感じるのであれば、それは東京藝大がおかしいのではなく、大学で芸術を学ぶということ自体がそもそもどこかで滑稽さを孕んでしまうという証明に他ならない。芸術大学そのものが秘境なのだ。  もちろん、普段接しない世界の未知の部分に触れられるという楽しさは、随所に仕掛けられている。例えば、工芸科の漆芸専攻。漆がカブれやすいのは知っていたが、学内バレーボール大会で“漆芸専攻がトスしたボールで、他の専攻の人がカブれる”ことさえあり、「近くに座んないで」と疎まれ、端的に言って迫害されているというのは、半ば冗談であるとしてもなかなかのエピソードである。普段完成品しか目にしない者にとって、漆がそこまでの破壊力を備えている素材であることは、想像の埒外にある。  ただ何度も言うように、そこは狂人ばかりがはびこる魔境ではない。 「ぼくには最近悩みがあります。それは本番が終わった日にさみしくて眠れないことです。今日は盛りだくさんだった夏休みの中でも一番大切な本番でした。」この文章は、本書に登場する学生の一人が、演奏したコンサートの本番が終わった寂しさから思わずFacebookに投稿したという記事である。素朴過ぎるほどに素朴な悩みを抱える人も、この本には多数登場する。決して遠い世界の住人ではない彼ら、彼女らに、どこかで愛着に似た気持ちを覚え始めていた。  これからどこかで会うかもしれない、会わなくてもその名前をどこかでみるかもしれない、控えめに言って今後の日本の代表的芸術の一角を担うかもしれない、今日もどこかでたゆまず努力を続けている彼ら、彼女らの今もなお続いている日常を本気で頭の中で思い描こうとしてみた時、きっとこの本は異なる色彩を帯びる。  それは必ずしもカオスな日常ではないかもしれないが、間違いなく魅力的な日常として目の前に現れる。 (文=綾門優季[青年団リンク キュイ])

迷い込んだのは“秘境”で“魔境”だった!? 藝大生のヘンテコな青春『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』

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『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』(新潮社)
 本の帯に“前人未到、抱腹絶倒の探検記”という興味をそそられる煽り文句があり、恐る恐る『最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常』(新潮社)を読み始めた私にとって、予想だにしない事実が待ち構えていた。  そこには前人未到の場所も、腹を抱えて笑うべき部分もなかった。それどころか、驚くべきことなどどこにも存在してはいなかったのだ。より正確に言えば、日本大学藝術学部を卒業した私が普段身を置いている日常に酷似したものが“カオスな日常”と呼ばれてしまっていた。 探検隊のつもりでいたらそうではなく、探検される先住民の側だったのだ。カオスの中で普通に呼吸をしていれば、当然のことながらそこがカオスであると自覚するきっかけは与えられない。麻痺していたのだ。  本書は、藝大生の妻を持つ作家の二宮敦人が、藝大生の生態に興味を持ち潜入した東京藝大で出会った若き天才たちの青春をしたためた一冊。  私にとって、この本に登場する中で立場として最も近い人物は、“体に半紙を貼り始めたり”、授業で使用したガスマスクのフィルターを“台所に置いたり”して、日常的に二宮へ衝撃を与え続けている妻、その人である。    率直に言って、私だってそれぐらいやりかねないな、と思った。世の芸大生、芸大の卒業生にとっては、そんなことで驚くのか、ということに改めて新鮮に驚く本となっている。出てくる学生はいずれも、自らの専門分野に真摯に取り組んでいる者ばかりだ。それでもどこかたがが外れている、世間の常識からは逸脱していると感じるのであれば、それは東京藝大がおかしいのではなく、大学で芸術を学ぶということ自体がそもそもどこかで滑稽さを孕んでしまうという証明に他ならない。芸術大学そのものが秘境なのだ。  もちろん、普段接しない世界の未知の部分に触れられるという楽しさは、随所に仕掛けられている。例えば、工芸科の漆芸専攻。漆がカブれやすいのは知っていたが、学内バレーボール大会で“漆芸専攻がトスしたボールで、他の専攻の人がカブれる”ことさえあり、「近くに座んないで」と疎まれ、端的に言って迫害されているというのは、半ば冗談であるとしてもなかなかのエピソードである。普段完成品しか目にしない者にとって、漆がそこまでの破壊力を備えている素材であることは、想像の埒外にある。  ただ何度も言うように、そこは狂人ばかりがはびこる魔境ではない。 「ぼくには最近悩みがあります。それは本番が終わった日にさみしくて眠れないことです。今日は盛りだくさんだった夏休みの中でも一番大切な本番でした。」この文章は、本書に登場する学生の一人が、演奏したコンサートの本番が終わった寂しさから思わずFacebookに投稿したという記事である。素朴過ぎるほどに素朴な悩みを抱える人も、この本には多数登場する。決して遠い世界の住人ではない彼ら、彼女らに、どこかで愛着に似た気持ちを覚え始めていた。  これからどこかで会うかもしれない、会わなくてもその名前をどこかでみるかもしれない、控えめに言って今後の日本の代表的芸術の一角を担うかもしれない、今日もどこかでたゆまず努力を続けている彼ら、彼女らの今もなお続いている日常を本気で頭の中で思い描こうとしてみた時、きっとこの本は異なる色彩を帯びる。  それは必ずしもカオスな日常ではないかもしれないが、間違いなく魅力的な日常として目の前に現れる。 (文=綾門優季[青年団リンク キュイ])

“王者”はなぜ、玉座から引きずり降ろされた? 関係者が独白『フジテレビ凋落の全内幕』

fuji1019
『フジテレビ凋落の全内幕』(宝島社)
 「“王者”が窮地に立たされている。」という書き出しから本書は始まる。ここでいう王者とは、フジテレビのことである。  『フジテレビ 凋落の全内幕』(宝島社)は、視聴率の悪化と、業績不振が騒がれているフジテレビ及び、フジの巨大メディアグループを多角的に検証、全11章からなる一冊だ。筆を握るのはジャーナリストやノンフィクションライター、さらには、放送作家、元フジテレビの記者などといった様々な職種の面々だ。  まず、第1章で1988年より社長として君臨、2001年以降会長の座に居座り続ける日枝久氏の長期独裁体制が抱える問題点をフリージャーナリスト中川一徳氏が指摘する。第2章では、フジの株主総会の異常性、第3章では、決算書からフジ・メディア・ホールディングスの経営状態にメスを入れている。  また、第5章では、俳優・高岡蒼甫(現・高岡奏輔)のTwitterの書き込みから端を発した、11年の「反フジテレビ“嫌韓”デモ」を考察している。こういった比較的近年の事象を挙げているため、その当時の経験や感情を鮮明に思い出しながら読み進むことができる。  当時を振り返ると、韓流ドラマ、K-POPなど、韓国のコンテンツがブームから一つのジャンルとして定着する過渡期だったように思う。国民的行事の『NHK紅白歌合戦』でも東方神起、少女時代、KARAの韓国グループ3組が出場していた。フジテレビだけに限らず、日本中の各局が、多かれ少なかれ、韓流ブームに乗っていたはずだった。  高岡の「8(フジテレビ)は今マジで見ない」のツイートで、フジテレビと韓流が直結したのだろう。結果、嫌韓運動が反フジテレビへと移行していった。こういった流れを、デモの参加者の様子などを交えて考察しているのが非常に興味深い。  第8章では、“カトパン”こと元フジテレビ女性アナウンサー、加藤綾子の退社及び移籍の話が出てくる。この章のタイトルは「エースアナもフジを見放した!?『カトパン』がフリー移籍先に大手芸能事務所を選んだ裏事情」である。フジテレビ凋落がテーマである本書において、一人のアナウンサーの進退について1章を使って取り上げられているのが面白い。“フジの女子アナ”というブランドは、同局において大きな意味を持つのだろう。  さらに、最終章の他局との比較。日本テレビ系『エンタの神様』の企画、演出を行っていた五味一男氏が、日テレとフジの違いを自身の経験をもとに考察している。例えば、“視聴者のため”という番組作りと視聴者の立場に立つ番組作りの違いは、「天と地ほどの開きがあります」と主張する。  普段、何気なくテレビを見ている一般視聴者には両者の違いは、わかりにくい。その違いを、私たちの生活に身近な事例を挙げて解説している。  テレビは、我々のごく身近にある。「インターネットの普及で、テレビは衰退した」という意見を耳にするが、そのネット上で取り沙汰されているコンテンツは、いまだテレビのものが多い。そういう意味では、今でもテレビはメディアの王様だろう。王様であればこそ賛辞の声は減り、一方で批判は増える。  一つの事象があると、「その原因はこれだ」と短絡的に考えてしまいがちだが、本来、そんな簡単に見通せるものではない。本書は、内幕本としても楽しめるが“フジテレビの視聴率低下”という一つの事象をさまざまな角度から検証しているという点で、問題追及のあり方としても有意義な一冊である。 (文=二木知宏[スクラップロゴス])

“王者”はなぜ、玉座から引きずり降ろされた? 関係者が独白『フジテレビ凋落の全内幕』

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『フジテレビ凋落の全内幕』(宝島社)
 「“王者”が窮地に立たされている。」という書き出しから本書は始まる。ここでいう王者とは、フジテレビのことである。  『フジテレビ 凋落の全内幕』(宝島社)は、視聴率の悪化と、業績不振が騒がれているフジテレビ及び、フジの巨大メディアグループを多角的に検証、全11章からなる一冊だ。筆を握るのはジャーナリストやノンフィクションライター、さらには、放送作家、元フジテレビの記者などといった様々な職種の面々だ。  まず、第1章で1988年より社長として君臨、2001年以降会長の座に居座り続ける日枝久氏の長期独裁体制が抱える問題点をフリージャーナリスト中川一徳氏が指摘する。第2章では、フジの株主総会の異常性、第3章では、決算書からフジ・メディア・ホールディングスの経営状態にメスを入れている。  また、第5章では、俳優・高岡蒼甫(現・高岡奏輔)のTwitterの書き込みから端を発した、11年の「反フジテレビ“嫌韓”デモ」を考察している。こういった比較的近年の事象を挙げているため、その当時の経験や感情を鮮明に思い出しながら読み進むことができる。  当時を振り返ると、韓流ドラマ、K-POPなど、韓国のコンテンツがブームから一つのジャンルとして定着する過渡期だったように思う。国民的行事の『NHK紅白歌合戦』でも東方神起、少女時代、KARAの韓国グループ3組が出場していた。フジテレビだけに限らず、日本中の各局が、多かれ少なかれ、韓流ブームに乗っていたはずだった。  高岡の「8(フジテレビ)は今マジで見ない」のツイートで、フジテレビと韓流が直結したのだろう。結果、嫌韓運動が反フジテレビへと移行していった。こういった流れを、デモの参加者の様子などを交えて考察しているのが非常に興味深い。  第8章では、“カトパン”こと元フジテレビ女性アナウンサー、加藤綾子の退社及び移籍の話が出てくる。この章のタイトルは「エースアナもフジを見放した!?『カトパン』がフリー移籍先に大手芸能事務所を選んだ裏事情」である。フジテレビ凋落がテーマである本書において、一人のアナウンサーの進退について1章を使って取り上げられているのが面白い。“フジの女子アナ”というブランドは、同局において大きな意味を持つのだろう。  さらに、最終章の他局との比較。日本テレビ系『エンタの神様』の企画、演出を行っていた五味一男氏が、日テレとフジの違いを自身の経験をもとに考察している。例えば、“視聴者のため”という番組作りと視聴者の立場に立つ番組作りの違いは、「天と地ほどの開きがあります」と主張する。  普段、何気なくテレビを見ている一般視聴者には両者の違いは、わかりにくい。その違いを、私たちの生活に身近な事例を挙げて解説している。  テレビは、我々のごく身近にある。「インターネットの普及で、テレビは衰退した」という意見を耳にするが、そのネット上で取り沙汰されているコンテンツは、いまだテレビのものが多い。そういう意味では、今でもテレビはメディアの王様だろう。王様であればこそ賛辞の声は減り、一方で批判は増える。  一つの事象があると、「その原因はこれだ」と短絡的に考えてしまいがちだが、本来、そんな簡単に見通せるものではない。本書は、内幕本としても楽しめるが“フジテレビの視聴率低下”という一つの事象をさまざまな角度から検証しているという点で、問題追及のあり方としても有意義な一冊である。 (文=二木知宏[スクラップロゴス])

“超変態セックス”の報酬は月400万円! 知られざる裏仕事の全貌を網羅『実話! 超ヤバい裏仕事』

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『実話! 超ヤバい裏仕事』(宝島社)
 世の中には、いろんな職業がある。宝島社から発売中の『実話! 超ヤバい裏仕事』は、品行方正な職業の紹介……というわけではもちろんない。排泄物を食べるスカトロAV女優や、芸能人にシャブをバラまく売人といった裏のプロフェッショナルの稼ぎを月収で網羅。さらには、警察や医師など一見ホワイトに見える職種の裏稼業が取り扱われている。  ドラマや映画などのフィクションでたびたび扱われる“裏仕事”。本書によれば、下は月3,000円と小遣い程度だが、上は月400万円稼ぎ出す者も。月400万円を手にできる仕事とはいったいどんなものなのだろうか?  女優を目指していたとある女性は、ある日、知り合いの女性から「いいバイトがある」とチャットレディーの仕事を紹介されたそうだ。仕事に慣れ始めたある日、雇い主からさらに高収入の仕事を紹介された。それは“あてがわれたセレブ男性とセックスをすること”。女性は怖くなり断ったが、その仕事を引き受けた紹介者の女性がセックスに従事する姿を目撃してしまう。  そのプレイ内容がなんとも衝撃的だ。紹介者の女性は、血のようなもので全身が真っ赤。「相手が腕や足を切って、その血を私に飲ませるのが気持ち悪かった」「ウンコを塗られたり、食べさせられたりした」と紹介者の女性は、苦情を訴えた。しかし、雇い主は「月400万円払っているんだから、我慢してよ」と返した。血とウンコまみれの女性は、その後、清純派歌手としてデビュー。誰もが知る売れっ子になったそう。  裏仕事といっても、種類は多種多様。延々とゴキブリを踏み潰す「フェチ系女優」は月3万円。今の恋人と別れたいカップルの間に入る「別れさせ屋」は月60万円。テレビ番組や音楽のMVの無断アップロードで稼ぐ「違法ユーチューバー」は、平均して月15万円ほどの稼ぎになるという。さらに、僧侶に化けて葬式に紛れ込む無資格の「ニセ坊主」は月35万円を手にしているとか。ちなみに、このニセ坊主は自ら売り込みを行い、多数の葬儀社と契約を結んでウハウハだそうだ。  裏仕事師インタビューとして“秒速で1億稼ぐ男”与沢翼が登場。転落から復活し、現在のシンガポールでの新生活にいたるまでを、洗いざらい語っている。「嫌われっぷりではホリエモンに勝ったぞ!」と語る与沢は、資産15億円まで上り詰めた。  悪巧みを思いつくのは人間の性か。その手腕と稼ぎ出す数字に、良くも悪くもため息が出る。

最年少球団社長は、横浜DeNAベイスターズの何を変えたか? 池田純『空気のつくり方』

kuuki1013
『空気のつくり方』(幻冬舎)
「あのベイスターズが、よもやここまで変わるとは……」  最下位がもはや“定位置”と化していたかつての弱小ぶりをつぶさに見てきた野球ファンなら、今季、悲願のクライマックスシリーズ(CS)初進出を果たした横浜DeNAベイスターズの躍進には、誰もがそんな感想を抱いていることだろう。  何しろ、本拠地・横浜スタジアム(以下、ハマスタ)の今季の観客動員は、マシンガン打線&大魔神を擁して日本一にも輝いた1998年さえをも凌駕する過去最多の約194万人。5位のカープにすら11.5ゲームもの大差をつけられて、ぶっちぎりの最下位に沈んだ“身売り”直前の11年シーズンが、12球団ワーストの約110万人だったことを思えば、まさに「超」がつくほどの驚異的なV字回復だと言っていい。  そうしたベイスターズの“再生”までの道のりを、経営者の立場から詳細に語ってくれているのが、現役最年少の球団社長でもある池田純氏の手による本書『空気のつくり方』(幻冬舎)。35歳という若さで、巨額の赤字を垂れながす弱小球団の舵とり役を託された氏が、どのようにしてチームの「空気」を変えてきたかが、豊富な具体例&数字とともにうかがい知れる、野球ファン必読の1冊だ。 「経営は私が必ず再建してみせる。ファンと観客動員数を増やして全試合満員にし、必ず健全経営(黒字化)を実現してみせる。だから、選手みんなには、そのファンのために必ず結果を出せるようなチームになってもらいたい」  球団初年度となった12年の船出は、キャンプイン前日のホテルで社長自らがした、そんな“決意表明”にも、選手たちのあいだから冷ややかな声が「実際に漏れ聞こえた」というほど前途多難。その時点では、“新生”ベイスターズが、たったの5年でここまで見違える球団になるなどとは、現場レベルでさえ露ほども思っていなかったに違いない。  だが──。11年時点で24億円もあった赤字は、この5年で3億円へと大幅に圧縮され、昨季オフには「不可能」とまで言われたハマスタのTOBも実現。「コントロール可能な領域に徹底的に力を注ぐ」という信念のもとで次々に打ちだされる施策によって、今年度中には早くも当初の目標である「黒字化」をも達成する見込みだというのだから、その手腕たるや卓絶の一語。  ハマスタのTOBに際して掲げられた「横浜に根づき、横浜と共に歩む」というメッセージが、いかに横浜という街に浸透してきたかは、たった5,000人しかいなかったファンクラブ会員が、7万5,000人を超えるまでに膨れあがっていることからも、容易に想像がつくはずだ。  むろん、ここ5年の成績は、6位、5位、5位、6位と来て、11年ぶりのAクラスとなった今季も3位とはいえ、69勝71敗3分で借金は「2」。98年当時のような、誰もが認める「強いチーム」になるまでには、まだまだ時間もかかるだろう。  しかし、そうであるからこそ、ベイスターズの「これから」が楽しみなのもまた事実。 「チームに投資できるのは経営健全化の過程で、最後のフェーズです。『投資してチームを強くすることで経営を健全化させる』のではなく、『まずは経営を健全化させ、その後にチームに投資し、経営とチームの好循環を生む』のです」 「経営や組織に対する信頼感を構築できたこれからのフェーズでは、結果をきちんと出した選手に年俸の面でもしっかりと報いていき、『活躍すれば夢のある年俸を手にすることができる』という空気をつくっていくことが重要だと考えています」  本書の中で社長自らがそう言いきっているように、球団が「チームへの投資」に本格的に乗りだすのは、名実ともに「健全経営」の基盤が整う来季以降。  徹底したマーケティングとブランディングを武器に、ベイスターズを「経営のしっかりした、革新的・挑戦的で、カッコいい球団」へと変貌させてきた若きリーダーがみせる次なる一手には、ファンならずとも、いまから期待を抱かずにはいられない──。 (文=鈴木長月)

野球賭博、覚せい剤、女性問題……腐敗止まらぬ、巨人軍の「闇」

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『巨人軍「闇」の深層』(文春新書)
 クライマックスシリーズでDeNAに敗れ、今シーズンを終えた読売ジャイアンツ。2016年は球団にとって、球場外でも苦しい1年となった。  2月には、OBの清原和博氏が覚せい剤取締法違反で逮捕され、3月には、昨年膿を出し切ったはずの野球賭博問題で高木京介投手が謝罪し、契約解除。さらに、昨年野球賭博で解雇された笠原将生元投手、松本竜也元投手は練習中も「声出し」(試合前の円陣で声出しをした選手は、チームが試合に勝った場合にはほかの選手たちから祝儀として現金を受け取り、負けた場合には逆に全員に現金を支払うというもの)と呼ばれる賭けに興じる選手たちの姿を証言。その結果、桃井恒和球団会長、白石興二郎オーナー、そして、「ナベツネ」こと渡邉恒雄最高顧問の引責辞任が発表された。 「週刊文春」(文藝春秋)記者・西崎伸彦氏は『巨人軍「闇」の深層』(文春新書)において、それらの問題を巨人軍が抱える構造的な問題と看破している。「紳士」たるはずの巨人選手に、いったい何が起こっているのだろうか?   一連の野球賭博事件は、15年9月30日、読売ジャイアンツ球場に、野球賭博常習者で大学院生の松永成夫がやってきたことに端を発する。彼は、福田聡志元投手に貸した195万円の返済を求めて乗り込んできたのだった。その後、芋づる式に笠原、松本らの関与が発覚し、球界を揺るがす大事件へと発展する。  3選手の解雇が決定し、事態は沈静化の兆しを見せたものの、16年2月、笠原の告白から再び事件は動きだす。文春の取材に応じた笠原が、野球賭博に至った経緯をつぶさに語ると、この記事に触発された松本は、選手寮内で恒常的に行われていた賭けトランプや賭けマージャンなどの実態を告白し、練習中にエラーした選手に対する賭けの実態を証言する。さらに、文春の綿密な取材によって浮かび上がってきたのが、高木の名前だった。文春側が巨人軍に対し、正式な質問状として高木の野球賭博への関与を確認すると、回答期限の翌日、巨人軍は緊急記者会見を行った……。  なぜ巨人軍では、このような犯罪行為が横行しているのだろうか? 筆者は、過去の事件を検証しながらその原因を探る。  かつて西崎がスクープし、世間の注目を集めた、原辰徳監督の恐喝事件。過去の女性問題で恐喝を受け、1億円もの大金を暴力団員に支払っていた経緯を報じたものだった。しかし、実は記事になる前、この動きをかぎつけた巨人軍側は、新聞広告や電車中吊りなどの、すべての文春の広告から原監督に関する記事を塗り潰すなどして削除するよう求める仮処分申立を東京地裁に起こすなど、躍起になって文春側に対して圧力をかけてきた。彼らは、原監督は脅迫の被害に遭っただけであり、恐喝の相手が反社会的勢力に所属する人間だという認識はなかったと言い逃れをしている。 「プロ野球の憲法」と呼ばれる野球協約には、「暴力団、あるいは暴力団と関係が認められる団体の構成員又は関係者、その他の反社会的勢力と交際し、又は行動を共にし、これらの者との間で、金品の授受、饗応、その他いっさいの利益を収受又は供与し、要求はまた申込み、約束すること」に対して、1年間もしくは無期の失格処分を規定している。加害者側が「反社会的勢力」であると認められれば、シーズン途中での原監督の退任も避けられなかったのだ。また、警察側も巨人軍に対して、加害者は「反社会的勢力」ではないと説明。実は、原監督は09年、暴力団排除をうたう警視庁のポスターに起用されており、反社会的勢力との交際が発覚すれば、警察としてもメンツが丸つぶれとなってしまう。余談だが、覚せい剤取締法で捕まった清原氏も西武時代に「覚せい剤うたずにホームラン打とう」というポスターに起用されている……。結局、原監督はお咎めなしのまま、続投した。  反社会的勢力や密接交際者が、プロ野球選手に近寄ってくるのは、珍しいことではない。12年の日本シリーズMVPに選ばれた内海哲也投手は、元暴力団員に女性との交際トラブルの解決を依頼。この人物は、阿部慎之助捕手とタレント・小泉麻耶との不倫スキャンダルにも深く関わり、「密接交際者」として球界では悪名高い存在であった。さらに遡れば、1990年に発覚した「投げる不動産王」こと桑田真澄元投手による、元暴力団関係者に対する「登板日漏洩事件」でも、巨人軍は野球協定にある「1年間の出場停止」を「1カ月の公式戦出場停止」にねじ曲げ、事実関係もうやむやなまま、事態の収拾を図っている。  もしも、過去に問題を深く掘り下げ、抜本的な改善がなされていたなら、今日の反社会的勢力と選手との関わりや、野球賭博との関わりも防げたはずだ。しかし、問題を先送りにし、対症療法を繰り返してきた「球界の盟主」は、醜態をさらし続けることとなる……。  残念ながら、今回の野球賭博事件でも「根本治療」が果たされることはないだろう。  賭博事件以降、産経新聞とサンケイスポーツのインタビューにおいて、前述の「声出し」を告白した笠原に対して、巨人軍は両紙が事実に反する情報を流布していると、NPBに緊急の対処を求めた。また、NPBもその姿勢を後押しするように、産経新聞に対して記事の訂正を求める抗議書を送り、事実上の取材拒否となる管理施設内への立ち入りの通告を行っている。  高木の賭博告白会見から7カ月。現在もなお、野球賭博に関わった「第5の選手」の存在が噂され、各メディアでは水面下での取材が行われている。巨人軍をめぐるスキャンダルは、まだ終わらないだろう。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])

「あ~もう将軍やめたいなぁ……」歴史上の偉人たちがかく語りき『笑って泣いてドラマチックに学ぶ 超現代語訳・戦国時代』

tyogendai0928
『笑って泣いてドラマチックに学ぶ 超現代語訳・戦国時代』(幻冬舎)
 ドラマチックに歴史を語る人をご存じですか? 歴史の本であるはずなのに、まるで小説を読んでいるかのように、ドキドキ・ワクワクする本を最近執筆されました。  その人とは、お笑いコンビ「ブロードキャスト!!」の房野史典さまです。そんな房野さまが書かれた本が今、密かに話題になっております。『笑って泣いてドラマチックに学ぶ 超現代語訳・戦国時代』(幻冬舎)で、遥か昔である戦国時代の出来事を、まるで今、目の前で起きているかのように語ってくれます。  戦国時代の話なのに、学校で休み時間に、クラスメイトが芸能ニュースを話しているみたいに解説してくれます。私は、歴史が好きです。今まで、歴史書や教科書などから歴史を学んできましが、この本を読んで、もっともっと歴史を好きになりました。  この本は、今まで歴史に興味がなかった方でも楽しめる本です。歴史って、人の生き様なんです。だから、面白いのですが、学者さんが書くエピソードは史実に基づいています。歴史は諸説あります。本書は、有力ではない説なども掲載されてはいるものの、お笑いライブに来ているかのように歴史をおもしろく伝えてくれます。  例えば、応仁の乱。普通であれば、8代将軍・足利義政の跡継ぎ争いであったと説明するところを 「あ~もう将軍やめたいなぁ……そろそろバトンタッチしたいな……」 「いや、オレ子供いねーじゃん」 という口語訳から始まります。小説のようなテンポで、説明があり、このように続きます。 「あ、でも弟いるわ。弟でいいや」 そのあと子供が生まれてしまい、弟と子供、どちらが跡継ぎになるか、そのことを昼ドラのようだと説明する著者。  さらに、佳境を迎えたNHK大河ドラマ『真田丸』で堺雅人演じる真田信繁率いる真田一家についても解説しています。1586年、真田一家は天下分け目の戦いこと、関ヶ原の戦いを目前にして、徳川側につくのか豊臣側につくのか迫られます。苦渋の決断のすえに、兄の昌幸は徳川側に。父・信幸と弟・信繁は豊臣側につくことになりました。こうすれば、どちらか一方が生き残る。しかし、逆に言えば二度と会えない“今生の別れ”というべき、涙なくしては語れない逸話です。  こちらを本書では…… 昌幸「三成が家康を討つつもりらしい」 信幸・信繁「え!?」 昌幸「協力してくれないかと要請が来てる」 信幸・信繁「え!?」 昌幸「どう思う?」 というゆる~いテンションではじまるのです。まるで、漫才の台本のようですね。  今まで、このような書きぶりの歴史の本を見たことがありません。この本は手取り足取り、説明してくれるので、まだ歴史を習っていない子供でも理解できます。ひとり語りで、講談師のような、笑って泣ける戦国時代がここにあります。  歴史上の人物の生き方を知るのは、いろんな歴史の引き出しが重なり合うことが必要です。中学校の日本史、高校の世界史、新聞記事等、知識がミルフィーユ上に重なった時にはじめて面白いと感じるのです。  でも、この本はそれが1冊でできるので、歴史好きが持つ、面白いという感覚をすぐに体得できます。  教科書では読めない裏話や面白エピソードも満載です。関ヶ原の戦いで家康が何をしていたのか。なんと、150通手紙を書いていたそう! 情報戦を勝ち抜くため、さらには寝返ってほしいという手紙をしたためていたというのは、さすがは家康だと思いました。  これは東大では習いません! 教科書で習った人が、これって友達の○○さんみたい!というような感じでリアリティを持てるんです。  歴史をこれから学ぶ方にもぜひ読んでいただきたいです。きっと歴史を嫌いにならなくて済むと思います。買って帰ったら、ヒーローになれるかもしれません。  私も娘のために、もう1冊買います! あっ、私まだ結婚してなかった……。 (文=たかまつなな)

子供を殺すのはいったい誰か? 現場からの告発『告発 児童相談所が子供を殺す』

codomo0927
『告発 児童相談所が子供を殺す』(文藝春秋)
 最近、虐待死のニュースをよく目にするようになった。日常的に行われる虐待の末に死んでしまう子供や、親に子育ての知識がないために知らず知らずのうちに命の危機にさられている子供たち。  そんな子供と親の救済措置として機能する“はず”なのが、「児童相談所」である。機能する“はず”というのは、「児童相談所」で働く児童福祉司の怠慢な仕事ぶりが、『告発 児童相談所が子供を殺す』(文藝春秋)で暴露されているからだ。  本書は、かつて児童福祉司として実際に働き、現在は独立してカウンセラーとして活躍する山脇由貴子のルポだ。山脇がカウンセリングした子供は2,000人以上。その実績から児童相談所の実態を、辛辣に指摘している。  そもそも、児童相談所に勤める「児童福祉司」とはいったいどんな職業なのだろう? 本書によれば「1、子供、保護者からの福祉に関する相談に応じる。2、必要な調査・社会診断を行なう。3、子供、保護者、関係者等に必要な支援・指導を行なう。4、子供、保護者等の関係調整を行なう」とある。要するに、家庭内で起きた案件の相談役ということで、法的な強制力は持ち合わせていない。しかも、児童福祉司は大学や専門機関で訓練を積んだ専門家ではなく、地方公務員が異動でやってくるだけだというのだ。ということであれば、一時の職場と捉える公務員も多いわけで、本書には彼ら児童福祉司が家庭からの緊急を要する相談を、ないがしろに扱う様子が記されている。  虐待の相談があったとき、どのようにして虐待が認められるか、あるいはどのようにして虐待がなくなったとするのか? この判断についての明確な判断基準はなく、これもまた担当した児童福祉司に委ねられる。どう見ても虐待が続いているのに、虐待はなくなったというとある児童福祉司は、それを「見た感じ」と言っていたそう。   “子供の悲鳴よりも親のクレームの方が怖い”というのが本音のようで、親からの苦情、場合によれば逆恨みをされたり、担当者が信頼関係を築くことに失敗して、保護所から子供が逃げ出してしまうこともあるそうだ。  児童相談所は、基本的に受け身の体制だ。虐待が発覚するのは、地域の学校や病院からの連絡が圧倒的に多い。赤子を何度も揺さぶる「揺さぶられっ子症候群」の場合は、子育てをよく知らないことが原因なので、ちゃんと指導をすれば虐待はなくなる。  虐待はなぜなくならないのか? 山脇は、本書で「親の無知」が原因だとしている。赤子の夜泣きに耐えられなくて押し入れに閉じ込めたり、口にガムテープを貼る。「犬のしつけだと思って」とは親の言葉。赤子が泣いたりするのは、意思表示だということをわかっていない。  言うことを聞かない子供を無視したり、家から追い出したりする。親としては一時的なものだとしても、子供は「ひどいことをされた」と記憶する。叱られるよりも親の無関心に耐えられない子供は、再び親を怒らせるなどして関心を向けさせる、そして親の暴力が激しくなる。全て、親の無知が招いた結果だと言えるだろう。  虐待の相談件数は年々右肩上がり。8万件を超えるその数を見ると陰鬱な気分になる。本書の最後に、山脇は児童相談所のあるべき姿を示している。そこから感じられるのは、山脇の未来ある子供たちに対する真摯な思いだ。