銀幕を彩る古今東西の女優へ、等身大の愛を語る『パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男』

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『パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男』(キネマ旬報社)
 私が初めて秋本鉄次さんの映画批評を読んだのは、1979年の春、「キネマ旬報」誌に掲載された角川春樹プロデュース&村川透監督による東映映画『白昼の死角』評だった。  当時は日本映画界が2本立プログラムピクチュアから1本立大作路線へとめまぐるしく変貌していった時期で、映画マスコミはそれらの作品群を「贅肉のつきまくった大作」と頭ごなしに批判しまくっていたが、このとき秋本さんは「そんな贅肉なんて、バリバリ食ってやる!」といったエネルギッシュな気概で当時の風潮を一蹴し、その上で『白昼の死角』を贅肉の少ない映画として評価されていた。  SNSなどの影響もあってか、もはや1億総評論家時代なんて言葉すら死語になりつつある中、昔も今も映画評論というやつは権威主義的で上から目線の傲慢なものか、シネフィル気取りでやたら小難しいことばかり書き連ねるか、逆にわざとおちゃらけながらオバカを装いながら、ともに己のエリート意識を満たすかのようなものが大半を占めてしまいがちではある。  しかし、秋本さんの映画批評は常に簡潔かつ明快で歯切れがよく、その上Hだ。  要は「この映画に出ているパツキンの女優はエロい!」といった一言で、その映画を見たくなるような文章を書ける人なのである。  この「エロ」という要素、一歩間違うと下世話になるし、あまり高尚に書いても気取りと捉えられて反感を買うし、実はものすごくモノカキにとって表現が難しいものなのだが、そこを秋本さんは軽々と、それこそ天性の才能(?)でクリアーしているのがすごい。  現に秋本さんの文章は、男性のみならず、実は女性ファンが多い。  このたびキネマ旬報社から刊行された著書「パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男」(何というタイトルじゃ!?)の担当編集者も女性で、そもそも彼女は「キネマ旬報」誌で秋本さんが長年連載している「カラダが目当て」「カラダが目当てリターンズ」(キネ旬で、このようなタイトルのコラムが存在していること自体、奇跡的!?)の編集担当で、およそ10年に及ぶこの長期連載を抜粋して1冊の本にまとめるべく奔走し、めでたく悲願(?)を達成したのであった。  彼女だけでなく、秋本さんには「いざ鎌倉」ではないが、何かあったら協力は惜しまないという想いを誰しも抱かせる、そんな人間的かつ文章的魅力が備わっているのだ。  帯に「ボクは頑迷なパツキン原理主義者」と記載されているように、本書の中身は明快で、それこそキャバクラに通うかのように映画を見ては、その中の女優たちを愛で、讃えることを主旨としている。ロリ的少女趣味は皆無に近く、あくまでもグラマラスなねーちゃんがお好き。  基本はパツキン女優だが、アンジェリーナ・ジョリーのような非パツキンも無問題。世界最愛の女優はキム・ベイシンガーで、ミラ・ジョジョヴォヴィッチを「美裸女菩」と、スカーレット・ジョハンソン(秋本さんはヨハンソンではなく、この呼び方にこだわってらっしゃる)を「スカ・ジョ」と呼ぶ。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15)にスキンヘッドで登場したシャーリーズ・セロンにも「エア金髪のシャリ子」と最大級の賛辞を惜しまない。キッ子ことニコール・キッドマンが全裸で街をさまよう『虹蛇と眠る女』には「やっぱり全裸は勲一等だね」などと、読んでる側が思わずウンウンとうなづいてしまうほどに、うれし恥ずかしといった言葉のオンパレードなのである。  古今東西の西洋の女優陣に比べると、日本をはじめとする東洋系女優の登場はさすがに少なくなるが、それでも風吹ジュンや余貴美子といった熟女勢から小池栄子に真木よう子などなど、「ああ、秋本さんお好きだよね、ああいうタイプ」とニマニマさせる名前が連なるのであった。  一方でパツキンまみれの本かと思いきや、時折ふっとオンナ断ちして『007』シリーズのダニエル・クレイグやリーアム・ニーソンなどの男優に言及する「オトコ旬報」化する回もあり、それはそれで秋本さんの映画観賞の原点が活劇にあることを露呈させてくれている。  同時に、こういった秋本さんの一貫した姿勢からは、男女の俳優の別を問わず「映画はやっぱりスターから」という映画の楽しさの基本を思い起こさせてくれるものがある。つまりスターが銀幕の中で映えてこその映画の楽しさであり、そんな彼ら彼女らを魅力的に引き立ててこそ、監督はじめスタッフの功績として讃えるべきで、そこに難解な物言いなど必要ないし、ゴラクであろうがゲージュツであろうが、どっちでもいいからとにかくねーちゃんをエロく美しく魅せてくれ!  そういった秋本さんの批評に触れるたび、何かと背伸びしようとしては上手くいかずに、反省するのみの己の未熟さを思い知らされる。そんなことよりも必要なのは、やはりどんな贅肉でもバリバリかみ砕くだけのエネルギッシュさと明快さをもって、その映画を褒めようが貶そうが見たくなるような、そんな姿勢なのである。  さすがにアニメーションだけは苦手なご様子だが、だからといってこれみよがしにアニメを批判したり悪口を言ったりするようなことは一切ない潔さがあり、その伝ではジブリや押井、細田あたりのメジャー作品しか見ずに「今どきのアニメは……」などとしたり顔で評する巷の連中より、よほど人としても信頼できる(最近はルパンやエヴァのパチンコを打ったりすることもあるようなので、そのあたりの作品ならば少しは知識もおあり……かな!?)。 「飲む」「打つ」「見る」といった映画無頼派としての生きざまを、硬派でも軟派でもなく等身大の好もしいバランスで示し続ける秋本さんの男気とその批評は、昔も今も私の指標のひとつである。 (文=増當竜也)
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熱を入れすぎてパブ嬢とデキちゃった!? “研究者失格”の著者がのぞいた、フィリピンパブという社会

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著者の中島弘象氏
 もはや、過去の遺産となりつつある「フィリピンパブ」。バブル期からその数は増え始め、ピーク時には年間8万人もの女性が、フィリピンパブで働くために来日していた。しかし、2017年の今、風前のともしびとなっている……。  そんなフィリピンパブの実態に迫る研究者、中島弘象氏が『フィリピンパブ嬢の社会学』(新潮新書)を上梓した。中部大学大学院でフィリピンについて研究をしていた彼は、ひょんなことからフィリピンパブの世界に足を踏み入れ、「ミカ」というホステスと恋仲に発展! ついには、結婚までしてしまったのだ。  いったい、フィリピンパブ嬢との愛を、どのように育んできたのか? そして、ミカさんとの恋愛を通じて見えてきたフィリピンパブの実態とは? *** ――そもそも、中島さんはなぜ、フィリピンパブを研究することになったんですか? 中島弘象(以下、中島) 学部生の頃からフィリピンを研究対象にしていて、日本に住んでいるフィリピン人のおばさんたちへの支援活動も行っていました。その過程で、彼女たちの多くは興行ビザで、エンターテイナーとして来日していたことがわかったんです。 ――80~90年代にかけて来日した女性の多くは、フィリピンパブで働いていたんですよね。 中島 けれども、2005年に興行ビザの適用が厳格化され、パブでの就労を目的とした新規の入国が難しくなり、若いフィリピン人女性の供給を断ち切られたパブは大打撃を受けた――。当時読んでいた論文にはそう書いてあったし、僕もその認識でした。ところが、大学院に入学した11年、先輩に連れられて初めてフィリピンパブに行ったところ、日本に来て数カ月という若い女性が数多く働いていたんです。 ――ビザの発給要件が厳しくなり、フィリピンからの出稼ぎは絶望的になっているはずなのに……。 中島 これは何かあるんじゃないかと思って調べたんですが、論文にも本にも書いていない。だったら、フィリピンパブに通って、女の子たちから直接話を聞こうと思ったんです。でも、彼女たちもそんなに簡単にはビザのことは教えてくれません。そんなときに出会ったのがミカなんです。意気投合し、プライベートでも親しくなるうちに、彼女たちが日本人ブローカーの仲介のもと、偽装結婚をして配偶者ビザを獲得しているという現実が見えてきました。 ――ミカさんと出会い、デートを重ねるうちに、2人は恋仲に発展していきます。いったい、何があったんですか? 中島 ある日のデートで、ミカから「付き合って」と言われました。ただ、向こうはフィリピンパブ嬢だし、偽装結婚もしている。お客さんの延長なのか、本気の恋愛なのかはわかりません……。だからこちらも、研究のために利用してやろうという気持ちがあったんです。ただ、付き合っていくうちに、本当に僕のことを思ってくれていると気づきまして。だんだんと研究対象としてではなく、彼女の人生に寄り添ってみたいと思うようになったんです。
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『フィリピンパブ嬢の社会学』 (新潮新書)
――本来、研究者としては、恋仲に発展することはNGですよね……。 中島 研究者としては失格です(笑)。大学の指導教官からも「早く別れなさい」と忠告されました。けれども、目の前で彼女が大変な状況に置かれているのに、研究なんかしてもしょうがない。研究は社会のためにはなりますが、知的好奇心の満足や論文の執筆など、いわば「自分のため」の要素が大部分。そうではなく、彼女のためにできることがあるなら、それをやるべきだと思ってしまったんです。 ――しかし、そんな「失格」の視点から見えてきたのは、客観的な場所からは知りようのない、彼女たちの現実でした。 中島 フィリピンパブの裏には暴力団関係者がいるし、休みは月に2回しかありません。逃亡しないようにいつも監視されていて、自由に遊びにいくこともできない。ミカも、偽装結婚相手と同居していました。ただ、そんな過酷な現実よりも驚いたのが、彼女たちにも「日常」があること。普通の人なら耐えられないような毎日を送っているはずなのに、僕らと変わらずにリラックスしたり、笑ったりしながら過ごしていたんです。 ――決して、過酷な生活に耐え忍んでいるだけではない、と。 中島 そう。僕自身も、ミカやその友達と生活を共にしていたのですが、初めは暴力団の影が怖くて脅えていたのに、だんだんとそれが日常になってしまいました。だから、本書を出版することが決まったときも、こんな普通の経験を誰が読むんだろう……と不安だったんです(笑)。 ――ミカさんのビザ契約をめぐるトラブルのために暴力団と交渉したり、全然、普通の経験じゃありません! 中島 もう二度としたくないですけどね(笑)。ミカは急に偽装結婚の解消を迫られ、離婚すれば配偶者ビザを失い、不法滞在になってしまうという切羽詰まった状況だったんです。彼女を助けられる人は、僕以外、誰もいなかった。正直、僕だって暴力団のところになんて行きたくなかったんですが、彼女と付き合いながらフィリピンパブを研究しようとしてるのだから、責任を持とうと腹を決めたんです。数発殴られるくらいで済めば……と。 ――イケメンすぎっ! ところで、純愛ノンフィクションのようにも読める本書ですが、フィリピンパブをめぐっては、入国制度や構造的な問題も浮き彫りになっていますね。 中島 さまざまな問題がありますが、不法入国で来日するフィリピンパブ嬢や、背後に暗躍する暴力団だけを糾弾すればいいという単純な話ではありません。そもそも、フィリピンパブという業態は、80年代に興行ビザが開放され、大量の女性が日本に送り込まれたことから生まれました。日本政府も、彼女たちが資格外活動していることを事実上黙認してきたんです。しかし、00年代に入って、アメリカから「性的搾取による人身売買」と指摘され、態度を一変させます。国では、この政策の変更を「効果的だった」と評価していますが、実態は偽装結婚や偽装パスポートでの入国など、地下に潜っているだけ。突然「受け入れません」と言われても、一度開放した流れは止まらないんです。 ――そもそも、このような実態を生み出したのは、過去の日本の政策なんですね。 中島 また、違法化されたために、ブローカーとの契約を終えても偽装結婚の相手とちゃんと離婚できない、離婚したらビザを失ってしまうといった問題が起こっています。彼女たちは、暴力団に苦しめられているだけでなく、法律の間で一番弱い立場に追い込まれてしまった。しかも、誰もケアをする人がいないんです。 ――フィリピンと日本との経済格差もまた、フィリピンパブ嬢を送り出す原因となっています。ミカさんの稼いだ金で、彼女の家族は貧困から抜け出し、フィリピンで裕福な暮らしを送っていますね。 中島 しかし、金を受け取っている家族には、フィリピンパブ嬢が日本でどういう思いで働いているかを理解していないことも多いんです。日本で働いているんだから無尽蔵に金を持っていて、いくらでも金をもらえると思っているし、お金がなくなると、急に家族が冷たくなってしまうという話も耳にします。それで関係がギクシャクし、本国の家族と疎遠になってしまうケースもあるんです。 ――本書にも、里帰りして数十万円分の現金を持ち帰ったミカさんにたかる家族の姿や、金がなくなると急に冷たくなる様子が描かれています。 中島 もちろん、それは日本人である僕の目線から見た姿です。ミカは、「自分が稼ぐお金で家族を助けたい」と納得しているんです。 ――日本の入国制度、フィリピンの貧困、暴力団との関係など、フィリピンパブをめぐっては、単純な善悪の問題では割り切れない、複雑な様相が横たわっているんですね。 中島 フィリピンパブには「売春」や「犯罪」というイメージが根強く、色眼鏡で見られてしまうことはしばしば。けど、フィリピンパブ嬢たちも、それぞれの立場で普通に生活し、彼女たちの日常を生きています。僕らだって、少し状況が変わったら、そのような立場に置かれてしまうかもしれませんよね。短絡的に、彼女たちを非難したり排除しようとするのではなく、寛容な心を持ちながら「なぜ、このような状況が生まれているのか」と、考えてほしいですね。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●なかしま・こうしょう 1989年、愛知県春日井市生まれ。中部大学大学院修了(国際関係学専攻)。在学中より、フィリピン人女性と日本人男性の間に生まれた経済的に恵まれない日比国際児たちの支援活動に関わり、現在は比NGO組織「DAWN」と連携して活動している。

『仁義なき戦い』のモデルの“元ヤクザ”美能幸三は、本当は映画化を望んでいなかった?

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『仁義なき戦いの“真実” 美能幸三 遺した言葉』
 1973年に公開され、社会現象を巻き起こした日本映画の金字塔『仁義なき戦い』シリーズ。近年でも、菅原文太(2014年没)や松方弘樹(17年没)の訃報を伝えるニュースにおいて、今から40年以上も前の同シリーズが彼らの代表作として繰り返し紹介されたのは記憶に新しい。だが、公開から長い年月が経つにつれて、このシリーズが戦後の広島県で実際に起きた暴力団同士の抗争をモデルにしていることを知らない世代も増えている。  本書『仁義なき戦いの“真実” 美能幸三 遺した言葉』(鈴木義昭/サイゾー)は、後に広島抗争と呼ばれた抗争劇の真相を、その中心人物となった元暴力団員・美能幸三の手記とインタビューで解き明かす一冊。美能は10年に83歳でこの世を去ったが、著者は生前の彼のもとを何度も訪ねて聞き取りを重ねていたという。  美能は中学生の頃から非行を繰り返し、ついには人を傷付けて警察に捕まってしまう。警察が保釈の条件として出したのは、軍隊に志願することだった。戦争が終わって外地から復員した彼は、いつしかヤクザと関わっていく。戦後の混乱期は警察に今ほどの力がなく、各地の任侠団体が社会の秩序維持に大きな役割を果たしていた時代。軍隊にはひとつも良い思い出がないと美能は語るが、深層心理では軍隊的な組織や規律を求めていたのかもしれない。  やがて彼は親分にそそのかされ、敵対する組の組長を銃撃してしまう。組長は一命をとりとめたが、美能は逮捕され、懲役8年の刑を受ける。裁判では親分が証人として呼ばれ、被告人を知っているかとの問いに「うちの若い者だ」と答えてしまう。美能は親分の指示であることを隠すため、「こんな人は知らない」とシラを切るが、その配慮がわからない親分は法廷で激高。「この恩知らずが」と吐き捨てたという。美能は後に、ヤクザとしての心構えをこう語った。「どんな親分でも、ひとたび神輿として担いだ親分は親分である」。  彼が獄中にいる間に、地元の新聞記者たちによって広島抗争の真相を書いたとする著作が世に送り出される。「ある勇気の記録」と銘打ったこの本は菊池寛賞を受賞したが、その内容を知った美能は愕然とする。抗争の原因はすべて自分にあるとされ、事実とは異なる仕方で卑怯者に描かれていたからだ。  一連の抗争では20人以上の命が失われたが、物事には何事もそれまでの流れというものがあり、一部分だけを切り取るのはおかしい。自分の罪は認めるが、関わった人誰もが、それぞれの立場で罪の意識を背負う責任があるのではないだろうか。そう考えた美能は獄中で抗争に関する詳細な手記を書き始めた。これが後に、「仁義なき戦い」シリーズの原案になったのである。  出所後ヤクザを辞めた美能は、手記の映画化を了承。出演していた役者たちとも交流を持っていた。だが、公開から30年経ったある日、彼は衝撃の言葉を著者に語る。「ワシは本当に、しとうなかったんや、映画にはのう」。今さら言うか、と突っ込みたくなるところではあるが、美能には美能なりの理由があった。シリーズの監督を務めた深作欣二も、美能が映画を気に入っていないことはわかっていたという。気になるその理由は、ぜひ本書を手にして確かめてほしい。 (文=編集部)
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仁義なき戦いの“真実"~美能幸三 遺した言葉 刮目せよ 『仁義なき戦い』のモデルの元ヤクザ美能幸三は、本当は映画化を望んでいなかった?の画像3

歴史あり!? エロに情熱を燃やす愛すべきオトコたち『わが青春のマジックミラー号 AV界に革命を起こした男』

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『わが青春のマジックミラー号 AVに革命を起こした男』(イースト・プレス)
一冊の本、一枚のCDによって人生が大きく変わってしまうということがある。 僕の場合、浪人中に手にしたひとつのアダルトDVD(AV)がそれにあたる。  何の気なしにふらりと立ち寄ったブックオフで僕が手にしたアダルトDVD(AV)は、当時、『やりにげコージー』(テレビ東京系)や『ああ探偵事務所』(テレビ朝日系)に出演するなど、もはやAV界“最強”の風格すら漂っていた、女優の夏目ナナがパッケージを飾っていて、夏目ナナの口からは、「10枚も入ってるなんてお得やで~」みたいな吹き出しが飛び出ていた。  夏目ナナが「お得やで~」と言うからには、きっとお得なんだろうと、大学に落ちるのもうなずけるような超短絡思考回路でもって購入したDVDに、僕は打ちのめされた。 「女柔道家とレイプ魔による柔道対決」、「美人女優が豪勢なディナーを堪能している間に、ブスがカップラーメンを食わされる」、「全裸女性数人による引っ越し作業」など、“何のためにそんなことを……”的なパンチのありすぎる映像群がDVD10枚分にわたって展開されていた。  どう考えても受験勉強に差し障りしかないシロモノだと判断した僕は、合格するまでそのDVDを隣のマンションのガレージの隅に封印しておくことに決めた。僕が大学生になるまで、ガレージの隅で眠っていたDVD。 そのDVDこそが、ソフト・オン・デマンドの10周年記念メモリアルBOXだった。 『わが青春のマジックミラー号 AV界に革命を起こした男』(イースト・プレス)は、言わずと知れた名シリーズ「マジックミラー号」の初代監督マメゾウこと、久保直樹氏が、AV界で頭角を現し活躍していくさまを記した自伝的エッセイ。 映画監督を目指していた久保氏が、ひょんなことからAV製作に関わるようになり、その時何を思い、次々に直面する問題をどのように解決していったのかが克明に記されている。  今でこそAVメーカーの大手として知られるソフト・オン・デマンドだが、発足当時から順風満帆というわけではなかったようだ。  高橋がなり氏が率いていた同社は、設立以前から「ビデオ安売王」での販売用として製作していた「全裸バレーボール」、「全裸バスケットボール」が1万本を超えるヒットを記録したことを受け、製作し続けた「全裸スポーツシリーズ」が累計10万本を超える空前の大ヒット。  しかし、“もっと世間にインパクトを”と9,000万円もの制作費をつぎ込んだ『地上20メートル 空中ファック』がまさかの大赤字。クレーンを利用した大掛かりなセットを組み、上空20メートルに設置された透明なアクリル板の上でセックスをするという、“潔さ”しか感じられないこのおバカ企画は、ほとんど売り上げにつながらず、前作の儲けのほとんどを失ってしまう。その損失は、会社の存続が危ぶまれるほどだった。 『全裸スポーツシリーズ』という“二次会で飛び出た面白フレーズ”みたいな作品が10万本の売り上げを上げていること自体どうかしているのに、その儲けを『地上20メートル空中ファック』が吸い取ってしまうという事実。読んでいるだけで、“何が正しくて、何が間違っているか”という感覚が完全に麻痺してしまう。  そんな危機的状況から抜け出すため、同社はできるだけ制作費をかけずにインパクトを与える企画が目下の課題になっていく。  そこで発案されたのが、“合法露出マシーン”こと「マジックミラー号」だったという。トラックの後ろのマジックミラーBOXの中で、ナンパされた女の子が裸になるというこの企画は、スタジオ代、女優のギャラ代も安上がりで済み、それでいて、まるで外で裸になっているような非日常感を演出することもできる、まさに一石二鳥の企画だった。  ご存じの通り、このマジックミラー号シリーズは大ヒット。累計315万本を売り上げ、同社を年商100億を稼ぐ大企業へと発展させる礎となった。  それほどのヒットを生み出すだけあって、マジックミラー号には、女の子の抵抗感をなくすためのプロのこだわりが隠されている。スタッフに女性を混ぜる、繁華街の路上に停車しておくことで女の子の移動距離を短くする、内装を爽やかな青空にすることで、ラブホテルのようないかがわしさを払拭するなど、きめ細やかな心配りが随所に施されている。長年の疑問であったあの青空模様には、そんな意味が隠されていたとは。  ちなみに僕も、一度だけマジックミラー号に乗ったことがある。と言っても、“素人お姉さんに筆下ろしを手伝ってもらう童貞”として乗ったわけではなく、浅草で開催されたファン感謝イベントでマジックミラー号に試乗しただけなのだが、内装は思ったよりもきれいで、作りもしっかりしていた。  しかし、まさにここで、DVDで見た“マッサージからの、いつのまにか挿入”や“オナニーのお手伝いからの、いつのまにか挿入”が繰り広げられていたのかと想像すると、なんとも言えない無言のエロスに興奮したのも事実だ。  そんな社の発展に大きく貢献した久保氏だが、ある日、ソフト・オン・デマンドを追放されてしまう。その後入社したAVメーカーも社長が逮捕され、一年で解散。“制作ができる人間は生きていける”が持論の久保氏は、制作する場所すら失ってしまった。ものづくりに生きた男が、その機会を奪われた時の絶望は想像に難くない。  職を失い食えなくなっていた久保氏が、周囲の力を借り、高橋がなり氏と和解して、自身の映像制作会社「マメゾウピクチャーズ」を設立するまでに至る再起の物語は、まるで一冊の小説を読んだのような清々しい読後感すら残す。  AV業界という特殊な環境に青春を費やした男の物語がここには記されている。僕たちが普段、何気なく見ているAVにも、製作者のこだわりや苦労が隠されている。そんな裏側を知ってから見るAVはまた違った趣があり、格別だ。マジックミラー号をより一層楽しむためのスパイスとして、ご一読をお勧めしたい。 (文=大谷皿屋敷[劇団「地蔵中毒」])

出版界に大旋風! 『夫のちんぽが入らない』こだまが語る、夫とネットと大喜利と

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著者のこだま氏。この日は「友達と旅行」とウソをついて上京。
「このタイトルで出せないなら、他社に持っていく」。担当編集者にそこまで言わせる作品は、昨今なかなかないかもしれない。文学フリマで異例の大行列を生んだ同人誌「なし水」。そこに収められた一編のエッセーが、2017年出版界に大波乱を巻き起こしている。ただ衝撃的なタイトルに惹かれて読み進めれば、必ずやいろいろな意味での裏切りに遭う。お涙頂戴路線で読もうとすると、センスあふれる表現力が痛快に感動のはしごを外す。ちんぽが入る人も入らない人も、すべての生きとし生けるものたちへの挽歌『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)。うらやましい、あやかりたい、そして、こだま氏の素顔が知りたい!! *** ――いやー、各所で話題になっていますね! 発売1カ月で「4刷13万部」という数字は、昨今の出版業界においては大事件だと思うのですが、こだまさんご自身は、どういうお気持ちですか? こだま 戸惑いと不安がすごく多くて。こんなタイトルですから、ネット上で見た人が面白がって買ってくれる程度だと思っていたんですよ。これが地元の書店にも並んで……恐怖しかない。いつ家族の手に渡るんだろうと思うと。 ――まだご家族には……。 こだま 言ってないです。 ――『夫のちんぽが入らない』は、もともと「なし水」という同人誌に1万字くらいの短いエッセーとして書いたのが始まりだったそうですね。 こだま 「なし水」は、私を含めて4人で出していたんですけど、その方たちが皆さん面白い文章を書くんですよ。だから最初は「この3人にウケたい」っていうだけの気持ちでした。 ――ウケたい(笑)。 こだま このタイトルも……深刻は深刻なんですけど、でも、この機会に全部出しちゃえば、楽になるかなっていう気持ちでした。最初は100部くらいしか刷らなかったので「100人程度なら、知られてもいいや」って。ただ3人と、買ってくれた100人にウケたかったっていう。 ――その100人が、いまや大変なことに……。 こだま まさか、こんなことになるとは……。ただただ、ウケを狙っていただけなのに。 ――「なし水」の方々とは、どういうお知り合いだったんですか? こだま 引きこもっていた時期に「ネット大喜利」っていう投稿サイトに参加していたんですけど、そこでよく一緒になった4人なんです。それで、「なし水」ではみんなで家族の暴露話や創作を書き合って。メンバーだったのりしろさん(乗代雄介)は「群像」(講談社)の新人賞を取られて今は作家活動していて、爪切男さんはウェブの「日刊SPA!」で連載(https://nikkan-spa.jp/spa_comment_people/%E7%88%AA%E5%88%87%E7%94%B7)されていて……「次はたかさんだね」って、言われてる。たかさんは漫画家志望なんです。面白いです。 ――たかさん、プレッシャーでしょうね……。 こだま 「自分以外は、みんな売れてる」って言ってます(笑)。だから本当に、ただただ面白い人たちに面白いと思ってほしいという気持ちで書いていたのが、いつの間にか「感動する」みたいになっていて、身近な人たちは納得してないんですよ。「ただの笑い話だろ?」って。
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『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)

◆ネットと出会って、才能が開花

――「ウケたい」っていう気持ちは、ずっと持ってらっしゃったんですか? こだま 小さい頃はまったく……とにかくしゃべらない子だったんで、自己表現をすることもないし。ネットと出会って、そこでブログを書くようになってから、自分もウケれるんだ……と。だって、面白い人しかウケないと思ってたんですよ。だけど、ネットだったら、暗くても評価されることもあるんだなっていうのを、初めて知りました。 ――クラスの人気者的な人がウケるって思い込み、ありますよね。 こだま そう、絶対なれない地位(笑)。 ――ウケるの、気持ちいいですよね……。 こだま そうですね。みんなにっていうよりは、一緒にやっている人たちに認められたいっていう気持ちが強いかもしれない。 ――これは人によるのかもしれませんが、何か書いていると「ほかはどう思われてもいいから、とにかく面白いと思われたい」「ウケたい」みたいな気持ちとの戦いになることがよくあります。 こだま ですね(笑)。この作品を書いていたときは本当に何もやっていない時期で、単なる引きこもりの主婦で、ただブログをやっているだけの。でも、これがきっかけで「クイック・ジャパン」(太田出版)さんに連載のお話をいただいて、「週刊SPA!」(扶桑社)さんからいただいて、すべての始まりが、ただウケたいとだけ思っていた同人誌だったんです。 ――(担当編集の)高石さんにお聞きしてもいいですか? 高石さんが絶対このタイトルに……と会社を説き伏せたと伺いましたが、そこまで強く思ったのはなぜでしょうか? 高石 最初、僕にこの作品の存在を教えてくれたのは、まんしゅうきつこさんだったんですよ(※高石氏は、漫画家まんしゅうきつこさんの担当でもある)。それで、普通の面白エッセーみたいなノリで読むじゃないですか。「ちんぽ」ですし。でも、想像と中身のギャップに驚いた。それを読者にも味わってほしいという気持ちが強かったんです。 ――確かに。「ちんぽ」は何かのたとえなのかなって思いながら読んだら……。 こだま そのまんまの意味(笑)。最初は、ただこの事実を知ってもらいたいというのがあって、タイトルに持ってきたんです。それでこのタイトルにした限りは、何かにつけてこのフレーズを出さねばと。入らない、入らないと連呼して。 ――よく「勃起しない」つらさの話は耳にしますけど、「勃つけど入らない」というのは、あまり表面化してこなかった悩みだと思います。 こだま そう、こうやって書いたことによって「実はうちも入らないんです」っていう声をよく聞いて、そんなに珍しいことじゃなかったというのを初めて知って、それも私にとって大きかったです。 ――“そもそも勃たない”派からしたら「ぜいたくな悩み」って言われそうで、なかなか声にできなかった人もいたのかなぁ……。 こだま 悩みの方向は違うかもしれないけど、できないことは一緒なんですよね。ただ私自身に関しては……普段は家からまったく出ないので、特に何も変化はないんですよ。外側だけ盛り上がっている感じで。Twitterやネットをしているときだけ「あぁ、本当に(本が)出たんだな」っていう実感があって。パソコンから離れると、地味~な山奥での暮らしが待っている。

◆売れても素直に喜べない……

――そのギャップを楽しむ気持ちはないですか? 旦那は知らないけど……みたいな。 こだま それ以上にバレたときの恐怖がデカすぎて、楽しめない。毎日高石さんに「今日は無事でした」っていう報告のメールをするんですよ。おそらく私以上に、高石さんはその責任を負ってくださっているというか。 高石 だって、僕が悪いじゃないですか。声かけたし、企画通したし、「ちんぽ」出しちゃったし。だから僕も素直には喜べてなくて。バレないでほしいので……こだまさんからの「無事」メールがくるとホッとする。 ――2人だけノイローゼ(笑)。 高石 売れてほしいけど、売れてほしくない。うれしいけど、うれしくない。ずっと引き裂かれている。 こだま 私が怖がることで、高石さんにも不安を与えてしまっている。周りのみんなは「いっそバレて、きちんと旦那さんにも言ったらいいんじゃない? これなら怒らないと思うよ」って言ってくださるんですけど……。 高石 そうは言いますけどね……。 こだま 内容が内容なので……完全にネタにしてるし……。 高石・こだま ……。 ――(暗くなっちゃった!!)でも、ほら、「キング」じゃないですか。男性にとってキング、相当褒め言葉ですし。 高石・こだま ……。 ――(もっと暗くなっちゃった!!)あの、どうも「ちんぽ」に目がいきがちですが、こだまさんの文章は表現のセンスがすごいな……って。そういうセンスって、どうやって培われてきたのでしょうか? こだま 私が育ったのは集落も集落で、映画館もないですし、本当に文化がないところ。テレビもろくに見せてもらえませんでしたので、子どもの頃は本だけ、推理小説とか。大人になってネットをやるようになって、面白い人の文章を読んだりして、そこで急速に情報を得たんです。やっぱりネット大喜利ですね。 ――なんか、道場みたいですね。 こだま そう! よく投稿していたサイトも「○○道場」みたいな名前で。全国から300~400人くらい一気にお題に投稿して、採点されて順位を付けられるんです。自分の書いたものが点数になるって、引きこもりの主婦にとっては面白くて。小さい頃の抑圧されていた感じが、そこで一気に爆発した、みたいな。ようやく面白いもの見つけた! って。 ――その道場では、「ちんぽ」的なジャンルにも参加していたんですか? こだま いや、私、どちらかという下ネタはあんまり得意じゃなくて……。「ちんこ」でも「ちんちん」でもなくて「ちんぽ」にしたのも、自分から一番遠い言葉だったからなんですよ。下ネタは言ったら怒られるんじゃないかっていう怖さがあって。 ――「下ネタ言うと怒られる」って、なんかわかる気がします。世代的なものかもしれませんが。 こだま でも、私が唯一優勝したのは「下ネタ大喜利」だったんですよね。 ――……今、ちゃぶ台ひっくり返しましたね。 こだま すみません(照)。

◆“入らないこと”より、つらかったこと

――こだまさんの文章は、面白いのももちろんですけど、すごく読みやすいんです。 こだま 私、本当に一時ですけど、タウン誌でライターとして働いていたことがあって。そのときに「わかりやすく読ませる」ことを編集さんに教えてもらったから、それがよかったのかもしれません。 ――なるほど。自分のことだけどすごく客観的で、ご自身の気持ちですら「事実」として書かれているなぁと。 こだま そうですね。事実ですね。もうどうしようもない。あまり入り込みすぎないように書こうとはしてました。 ――執筆中はどうでしたか? つらかったですか? こだま つらい時期のことは割と書けるんですけど、付き合っているときの甘い話を書きたくなかった。あまり身内を褒めたくない。だから、同人誌のときは全然書かなかったんですけど、高石さんからは「そこを重点的に書いてください」と言われて。 ――確かに。 こだま 「すごく幸せなんだけど、そういう関係性を持てない」という落差につながるから……だけど、当時のことを書くときは、当時の気持ちにならなきゃいけないじゃないですか。夢中になっている自分を書かなきゃいけない。その恥ずかしさと向き合うのが、つらくて。 ――こだまさんのような、自分の中の「恥ずかしさ」とちゃんと向き合って、作品として笑いに昇華させている方々が今、次々とブレークなさっている気がします。まんしゅうさんもそうですよね。 こだま 恐れ多いです。私、故・雨宮まみさんから「一生に一度しか書けない文章っていうのがあって、これはまさにそれなんだけど、それを書いちゃったら終わりかっていうと、書いたら次も書ける。ビビッて書かない人は、ずっと何も書けない」という言葉をいただいて、これは思い切って出してよかったんだなって、そのとき本当に思いました。この本に全部自分の人生を押し込めちゃったんで、もう書きたいことはないだろうって思ったんですけど、「また書ける」という雨宮さんの言葉が、今すごく励ましになってます。 ――次回作のプレッシャーはありますか? こだま これを機に大きく何かやりたいっていう気持ちは特になくて、今いただいている連載だけは頑張ろうと……。身元が危ないっていうのが、根底にあるので。 ――こだまさんの面白さの根底にいつもある「身元が危ない」(笑)。 こだま それが私の中で、いいバランスになっているのかもしれません。はしゃげない、喜べない。 ――すごく謙虚に見えるけど……。 こだま ただおびえているだけ。

◆書籍化自体が“壮大な大喜利”

――でも、「週刊SPA!」のインタビューで松尾スズキさんがおっしゃってましたけど、こだまさん、フェイクの入れ方が微妙だと……。 こだま 創作っていう、イチから作ることに慣れてないんです。自分の原体験を基にしなきゃ書けないので、ほぼありのまま。松尾さんに「ちょっとしかズラしてないんじゃないか」って指摘されてハッとしました。 ――誠実なんだと思います。ひとつ大きなウソが出てくると、そこに引っ張られちゃう。 こだま 大きく変えたら全然詳しくも書けないですし、かなり外れたものになっちゃったと思います。ただこの本は、美談ではなくて、情けない人間の話として読んでもらえるのが一番ありがたいかなぁ。私のやっていることの中には悪いこともありますし。それをいいように捉えられてしまうのはちょっと……。 ――でも、アレですよね。同人誌時代からのお知り合いの、この作品を純粋に面白がっていた人にとっては最高のオチですよね。ただウケたいだけの同人誌が、本になり、13万部売れて、ちょっと感動するみたいな話にもなって……。 こだま で、本人だけがビクビクしてる(笑)。 ――すべてが大喜利のような。 こだま 周りの人が一番喜んでますね。 ――もしも、もしも、旦那さんにバレたらどうしますか? こだま 夫次第ですね。「もうこんなもんやめろ」って言われたら、反省の意味も込めてやめるかな……でも、名前だけ変えて、また書いてそうな気もする……。 高石……こだまさん、絶対やめられないと思う。 こだま そう。怖いけど、それを超えるくらい、書いていて楽しいし。 ――また「こだま」から、そんな離れてないペンネームつけて(笑)。 高石 間違いなく、ひらがな3文字でしょうね。ヘタしたら「こまだ」。 ――ひらがな三文字の作者の面白い作品見つけたら、「あぁ」って思います。 こだま みんな素知らぬふりして、「こだま出直したのか」と迎えてくれたらいいなと思います。 (取材・文=西澤千央)

「名古屋闇サイト殺人事件」ハンマーで40回殴打されながらも被害者が守り抜いたものとは?

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『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』(角川書店)
 2007年8月24日夜の11時過ぎ、その事件は起こった。  帰宅途中の磯谷利恵さん(当時31歳)が、愛知県名古屋市千種区の路上を歩いていたところ、白いワンボックスカーから出てきた男に道を尋ねられた。そして、一瞬の油断をつき、利恵さんは車の中に押し込まれ、手錠をはめられてしまう。バッグから現金とキャッシュカードを奪った3人の男たちは、拉致現場から30キロメートルあまり離れた愛西市の駐車場まで移動。彼女の頭にガムテープをぐるぐる巻きにし、頭にレジ袋をかぶせた上、40回にわたってハンマーで殴りつけて殺害。無残な遺体は、岐阜県内の山林に埋められた。  凄惨な内容もさることながら、犯人グループがインターネット上の「闇サイト」と呼ばれる場所で知り合い、犯行に及んだこともあり、発生当初から、多くの注目が集まった この事件。あれから10年、作家の大崎善生がこの事件を追ったノンフィクション『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』(角川書店)が刊行された。本書の内容に従って、この事件を振り返ってみよう。  加害者たちが知り合ったのは、インターネット上の掲示板「闇の職業安定所」だった。 「刑務所から出てきたばかりで、派遣をやっています。実にばかばかしい。東海地方で一緒になんか組んでやりませんか」  この書き込みをしたのが、住所不定無職の川岸健治という男。そして、この言葉に呼応して、堀慶末は「どうですか、何か一発やりますか?」というメールを送信。神田司は「以前はオレ詐欺をメインにしていたのですが貧乏すぎて強盗でもしたい位です」と、メールを送った。さらに、途中で離脱するもうひとりを加えた4人の男たちが、犯罪のために動きだしたのだった。  それぞれ、金に困っていた4人だが、どんな犯罪をするのかは誰ひとり考えていなかった。8月21日、ファミリーレストランで落ち合った即席の犯罪集団は、「夜間金庫を狙うか、パチンコ屋がいいのではないか」などと話し合う。しかし、いざ実行に移そうにも、強盗のターゲットを尾行中に見失い、ダーツバーを襲撃しようとしたら休み、さらに昔勤めていた会社事務所に忍び込み金庫を盗もうとしたところ 、金庫自体が 見当たらなかった。行き当たりばったりで、何一つ成果も挙げられない。これで終われば、ただの間抜けな人間たちだった。  しかし、初対面から3日後の8月24日。事件は起こった。  業を煮やした彼らが計画したのが、女性の拉致だった。 「ブランド品とか持っていなくて、黒髪で、あんまり派手じゃない地味系のOLだったら、たくさん貯金しているだろうから」というもくろみで、名古屋市内をぐるぐると移動しながら ターゲットを物色。磯谷利恵さんの外見は、まさに彼らが考えてたものと一致した。155センチと小柄な彼女の体格は、180センチの堀に押さえつけられるとひとたまりもなく、車の中に引きずり込まれた。  車内で手錠をはめられ、包丁を突きつけられ、恐怖のどん底に突き落とされた利恵さん。しかし、彼女は、犯人たちに臆することもなく、気丈に振る舞った。母親に家を買うために貯めていた800万円以上の預金が入ったキャッシュカードを奪われても、決して正しい暗証番号を伝えることはない。頭をハンマーで殴られ、血が飛び散りながらも、利恵さんは「ねえ、お願い、話を聞いて」「殺さないって約束したじゃない」「お願いします。殺さないで」と犯人を説得しようとした。彼女は、母親に女手一つで育てられた。もしかしたら、その脳裏には、ひとり残される母親のためにも、死ぬわけにはいかないという強い思いがあったのかもしれない。しかし、そんな希望は、無残にも振り下ろされるハンマーによって打ち砕かれた。  翌日、犯人グループのひとり、川岸の自首によって、事件は明らかになった。  被害者の母、富美子さんは、事件後、加害者の死刑を求める署名活動を行い、その数は33万人にまで膨れ上がった。この署名は結果として判決に反映されることはなかったが 、神田・堀両被告に対して被害者がひとりの事件としては異例の死刑判決が言い渡される結果を勝ち取った(堀は、上告で無期懲役の判決となるも、余罪が判明し、死刑判決が下された)。  闇サイトで集った男たちによる、無計画な犯行の犠牲となった磯谷利恵さん。あまりにも短絡的な犯行によるその死を追っていくと、怒りや悲しみといったありきたり体の言葉ではとうてい表現できないような強い感情に襲われる。しかし、大崎が注目するのは、そんな卑劣な犯人たちを前に堂々と自分を保ち続けた利恵さんの勇気だった。 「凍りつくような恐怖の中で、 それでも利恵は最後まで自分を保ち続けた。どんなに痛かっただろう、どんなに苦しかっただろう、どんなに怖かっただろう。しかし孤絶する状況の中で、死の恐怖に向かい、 理恵はひとりで戦い抜いた。凍りつくような絶体絶命の状況で、取り乱すこともなく、また絶望することもなかった。敢然と立ち向かい、ひたすら耐え抜いた。その知性と勇気を“誇り”に思い、また“感謝”する」    死の淵に立っても、利恵さんは暴力に屈しなかった。大崎は、その毅然とした態度を後世にまで書き残そうとしている。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])

『スター・ウォーズ』に高田馬場が登場していた!? 名前のルーツを探る!『知っているようで知らない「ネーミングの謎」』

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『知っているようで知らない「ネーミングの謎」』(三笠書房)
 日刊サイゾー読者のビジネスマン諸氏に、ぜひともおすすめしたい一冊がある。『知っているようで知らない「ネーミングの謎」』(三笠書房)では、ありとあらゆる商品名の由来や、企業名の成り立ちについて解説している。  さて、誰もが知る大ヒットシリーズ『スター・ウォーズ』。現在、新作が絶賛公開中だが、同作品に、早稲田大学などで知られる学生の街、高田馬場の名前が登場するのをご存知だろうか?  本書によれば、15年に公開した『フォースの覚醒』で登場する「タコダナ」という惑星が高田馬場から取って名付けられたという。『フォースの覚醒』の監督は、JJエイブラムス。エイブラムスが初来日した際に、宿泊したホテルが高田馬場にあり、その思い出を込めてつけたとのこと。  『スター・ウォーズ』には、他にも日本がルーツの名称が盛りだくさん。ジョージ・ルーカスは、黒澤明監督の大ファンだというのは周知の通りだが、人気キャラクター「ハン・ソロ」は、戦国時代の忍者・服部半蔵から、「オビ=ワン・ケノービ」は“帯は一番で黒帯”からきているそう。  先日の第4・四半期決算でも広告収入2.5兆円という誇らしい業績をあげる、大手検索サイトのGoogle。検索サイトのみならず、GmailやGoogle mapなど、ほぼ毎日利用するのではないだろうか?  そんなGoogleだが、実はそのGoogleという企業名は、スペルミスから生まれたものだそう。Googleは、前CEOのラリー・ペイジとアルファベット社長のセルゲイ・ブリンの2人によって1998年に創立。名称に、10の100乗を意味する「googol」という数の単位を付ける予定だったが、間違えて「google」とスペルミスで名称を登録してしまい、それがそのまま今日まできているのだとか。  一方で、日本国内で使えても海外では使えないという名称もある。1919年の発売以来、長年愛されている「カルピス」。もともと、カルピスという名称は、原材料である牛乳に含まれる「カルシウム」の“カル”とサンスクリット語で醍醐味を意味する「サルピルマンダ」をくっつけて、語呂を調節したもの。その後、海外進出をはたすカルピスだが、英語圏では「カルピス」が「カウ(牛)ピス(おしっこ)」と聞こえてしまうために「カルピコ」となっている。  また、こちらも親しみのある江崎グリコのお菓子「ポッキー」。英語圏ではポッキーそのままだと、男性器を意味してしまうため、ヨーロッパで人気のテーブルゲーム「ミカド」にそっくりなことから、そのまま「ミカド」という名称に変更されて販売されている。  ほか、国内の企業に多い「フジ◯◯」「サン◯◯」企業それぞれの全く違う由来や、濁音を入れるとヒットするというジンクスの解説など、驚くべき知識が網羅。名称の由来を調べていくと、我々の生活には、さまざまな歴史と結びついていることに気付かされるだろう。

相模原障害者殺人事件は前触れにすぎない? 植松容疑者の「思想」はなぜ、共感を呼んだのか

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『相模原障害者殺傷事件 ―優生思想とヘイトクライム―』(青土社)
 神奈川県相模原市にある障害者福祉施設「神奈川県立 津久井やまゆり園」で、この施設の元職員・植松聖(当時26)の凶行によって19人の入所者が殺害された事件から、半年が経過した。戦後日本国内で発生した事件として、「津山三十人殺し」に次ぐ犠牲者の多さとその規模もさることながら、ネット上に寄せられたこの事件の犯人に対する共感は、ショッキングな出来事として記憶された。いったい、なぜこの事件は起きたのか? そして、この事件から何を考えなければならないのか? 社会学者で、『弱くある自由へ』『精神病院体制の終わり』(青土社)などの著作を持つ立岩真也と、『非モテの品格』(集英社新書)、『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)などで知られる批評家の杉田俊介による共著『相模原障害者殺傷事件――優生思想とヘイトクライム』(青土社)から、この事件を振り返る。  植松容疑者は、事件決行5カ月前、2016年2月半ばに衆議院議長大島理森に宛て、「職員の少ない夜勤に決行致します」「見守り職員は結束バンドで身動き、外部との連絡を取れなくします」など、犯行予告と理解できる手紙を書いて、公邸を警戒中の警察官に手渡している。  その一方で、日本軍の設立、5億円の支援を要求するなど、支離滅裂な内容がしたためられたこの手紙で、彼は「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」「障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」と主張する。「全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意を持って行動しました」「私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます」と、社会のために障害者を殺害することを強調。事件後にも、捜査関係者に対しては「殺害した自分は救世主だ」「(犯行は)日本のため」と供述している。  いったい、どうしてこんな支離滅裂で身勝手な主張に、シンパシーが寄せられるのだろうか?   今回の事件を受けて語られるようになった言葉のひとつに「優生思想」がある。優れた子孫の出生を促し、劣った子孫の出生を防止することで、民族の質を高めると考えるこの思想。ナチス・ドイツ政権下での精神病者・障害者に対する断種などが有名だが、実は日本でも1996年まで「優生保護法」があったように、その思想はつい最近までわれわれの身近に存在していた(現在は「母体保護法」に改称されている)。植松容疑者の「人類のために」障害者を殺害するという発想も、この優生思想に影響されたものである。そんな彼の思考や、事件がもたらした余波を受けて杉田が感じたのは、次のような「ヘイト」とのつながりだった。 「青年(編注:植松容疑者)の精神が、この国をじわじわと侵食してきた近年のヘイト的なものの空気を確実に吸い込んできた、(中略)彼の言葉はヘイトスピーチ的なものを醸成してきたこの国の『空気』をどう考えても深く吸い込んできたのであり、その意味でこれはヘイトクライム(差別的な憎悪に基づく犯罪)なのである」  もちろん、現在では優生思想はタブー視されている。しかし、一部の人々がシンパシーを感じてしまうように、それを乗り越えることは簡単なことではない。杉田も、自身の経験から、自分の中にある「内なる優生思想」に対する迷いを、以下のエピソードとともに記述している。  超未熟児として生まれた杉田の息子は、平均的な身長に追いついていないため、成長ホルモンの注射を打っている。保育園でほかの子どもから「なんで小さいの?」と言われ、母親に泣きつく子どもと、ほかの子どもたちとの体格や運動能力の差が目につくようになる。「男の子の場合、背の低さ、身体の小ささが大きなデメリットになるはずだ、そういう功利計算が親である僕らには働いた」と語る杉田。彼自身も、内なる優生思想に対して解決のめどがついていないことを告白する。  一方の立岩は、かつて日本で起こった障害者殺害事件を丹念に掘り返し、この事件を精神医療の問題とすべきではない、と主張。さらに、この事件を取り巻く社会について、社会学の言葉でドライに記述していく。杉田と立岩の思考も、必ずしも一致しているわけではない。本書の中で、2人は安易な「正解」には決して飛びつかず、回りくどくても本当の意味でこの事件の真実に迫る道を探しているようだ。  本書に収録されている立岩との対談の中で、杉田は「悪い方に考えすぎだ、と笑われるかもしれませんが」と前置きしながらこう語る。 「今回の事件はまだ入口にすぎない気がするんです。あれが最悪という感じが少しもしない。これからもっとひどいことが起こる前兆であり、前触れという気がする」  今後の裁判では、次々と新たな事実が明らかにされていくことだろう。杉田の予言めいた言葉が現実のものとならぬよう、この事件については、さまざまな側面から議論がなされなければならない。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])

かわいいアイツも食べるとウマイ!?  アルマジロ、イグアナ、アルパカ……珍肉エッセイ『世界のへんな肉』

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『世界のへんな肉』(新潮社)
『世界のへんな肉』(新潮社)は、100以上もの国や地域を訪れたフリーライター・白石あづさ氏が、旅の話を交えながら“珍肉”の味を伝える、ほんわか珍肉エッセイ。「おとなの週末.com」での連載「世界一周“仰天肉グルメ”の旅」を加筆修正し、書籍化したものだ。  白石氏は、プロフィール写真だけ見ると、線の細い色白美女といった感じだ。しかし、なんでもよく食べる。南米グアマテラでは「君の肌もツルツルさ」と勧められ、ゼラチン質たっぷりの「アルマジロのブラウンシチュー」を、エルサルバドルでは、“樹上のニワトリ”と呼ばれる「イグアナのスパイス炒め」、スウェーデンではちょいとおしゃれに、日本で天然記念物に指定されている「雷鳥のロースト」と「トナカイのカルパッチョ」を食す。  ほかにも、イグアナ、水牛、ビーバー、ダチョウ、ガゼルなど、20種類以上の珍肉を食べまくった。その中には、日本ではアイドル的な存在の、もふもふの毛に、くりんくりんの長いまつ毛が愛らしいアルパカの姿も。「Oh、残酷!」と嘆く人もいるかもしれないが、南米のレストランでは、結構よくメニューに登場する動物である。  筆者も、ペルーへ行った時に現地人に勧められて食べてみたが、これが……うまいんですよねぇ。本書でもつづられているが、脂肪たっぷりでやわらかく、臭みもない。申し分なく、ウマイ肉なのだ。日本では、食用肉といえば、豚、鳥、牛の3種類が超王道だが、世の中には、日本人は知らぬ食用肉だらけ。動物をペットとして見るのか、ハタマタ、食用とするのかは、人間次第で国によってさまざま。  なお、日本にも家畜としてワニを300匹ほど飼育する、食用ワニ牧場があるそうで、白石氏は果敢にも“ワニおじさん”に会いに出かける。そして、ワニの背中部分のゴツゴツとした部分を煮込んだスペシャルカレーを食べることに。気になる、そのお味は……。  まずは本書を呼んで、国内のどこかでお確かめを。 (文=上浦未来) ●しらいし・あづさ 日本大学芸術学部学科卒業。地域紙の記者を経て、約3年の世界放浪へと旅立つ。帰国後はフリーライターとして旅行雑誌、グルメ雑誌等に執筆。これまでに訪ねた国や地域は100以上に上る。著書に『世界のへんなおじさん』(小学館)。

元ハリガネロック・ユウキロックが語る、お笑い界で「迷子」になった芸人がすべき“決断”

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撮影=尾藤能暢
 漫才師としては異色なパンクファッション、そしてグラサンを外して「目ぇ離れてました~」。テンポのいいボケ、ひょうひょうとしたツッコミで、初期『M-1』の常連コンビだったハリガネロック。2014年にコンビを解消し、芸人人生に幕を引いたユウキロックが初の自叙伝『芸人迷子』(扶桑社)を上梓した。一時は渋谷公会堂を単独で埋め尽くした彼が「売れなかった」と振り返る過去、自分を飛び越えていく天才たち、そして相方へのやるせない思い……。地獄を見たユウキロックが語る、複雑化したお笑い界で「迷子」から抜け出すために芸人がすべき“決断”とは――。 ――『芸人迷子』拝読致しました。これは……執筆するのがつらい部分もあったのではないかと思いますが、あらためて今どんな気持ちでいらっしゃいますか? ユウキロック 今はもうスッキリしましたね。まず、本当に(メルマガ「水道橋博士のメルマ旬報」での)連載を始められるかどうかというのも半信半疑だったので、正直書籍にするなんておこがましいと思ってました。ただ、仕事の中で、これだけが嫌な仕事でした。 ――思い出したくないことが多かったですか? ユウキロック 解散して前向きに頑張ろうという中で、この振り返りの作業だけが残ってしまったんですよ。さらに書籍化のお話いただいて、まとめることになって、大幅に加筆もしました。終わったときは、これでようやく解放されると。解散は2年前ですけど、これで本当に終わったんだなって。 ――メルマガで書いているときの気持ちと、書籍としてまとめているときの気持ちは違いましたか? ユウキロック メルマガのときは、過去の自分の失敗だけではなく「漫才」「お笑い」「演芸」に関する細かいことも書いていました。でも、書籍ではテーマをひとつに絞りたいなと。“ちょっと調子よかった芸人”が落ちていくさまというのが、本一冊で見せられたらいいなというのがありました。まとめながら思い出したこともあったし、書籍だからこそ書かなアカンこともあったので、また違う苦労がね……。 ――時間軸が行きつ戻りつするのが印象的でした。 ユウキロック 「どうまとめるのか」っていうのが、一番時間がかかったところかもしれません。自分が芸人を始めてから解散するまでを、ただ普通に書いても面白くないなと。面白くないというか、そうじゃないなって。やっぱり調子よかったときより落ち込んでいたとき、自分が一番衝撃受けて、自分がやってきたことが失敗だったんじゃないかって気づいた日から過去をひもといていこうと。そうすると「これを成功させようとしてやったことが、この失敗の始まりやった」というのもわかってきた。『(爆笑)オンエアバトル』(NHK)で勝つためにやっていたことが、『M-1(グランプリ)』(テレビ朝日系)ではアカンかったとか。自分がやってきたことって、なんやったんかな……って、それを自分自身にわからせるための作業だったかもしれないですね。 ――周囲の反響は、いかがですか? ユウキロック そうですね。自分や編集さんが想像した以上に、ある種、戸惑いを覚えるくらいの反響をいただいています。自分は二十数年やってきた芸人人生、結局うまくいかなかったし、取るに足らない人生やったんかなって思いながら書いてました。でも、読んでくれた方はいろいろ感じてくれたというのが、それが本当にうれしかったです。 ――寄せられた反響で、印象に残っているものは? ユウキロック (平成)ノブシコブシの徳井(健太)くんが「骨削って血で書いてる」っていうふうに言ってくれて。「こういう世界で生きてる人間は全員読むべきだ」と。あと徳井くん自身が今の状況を考えて、あいつは全然そんなことないけど、しっかりできている人間なんだけど、「俺は芸能界のRPGでいうと村人Aでしかない。それはどうなんだ?」と。そういうことを考えてくれたのはうれしかったし、書いてよかったなと思いました。 ――芸人さんに取材すると、みなさんからよく聞くんです。「芸人は楽しい。楽しいから、辞め時がわからない」と。そういう人にとっては、ある種、残酷な書でもあるのかなと思いました。 ユウキロック 「はっきり答えを出しなさい」っていう本ですからね(笑)。でも、芸事やっている人間には考えてほしいんですよ。どれくらい本気で取り組んでいるのかということを。僕もやっぱり20代30代、その20年くらいは、ほかのことを何も考えずに漫才だけに打ち込んだって、胸張って言える。それだけはね。今と当時じゃ、環境も全然違うけど、でもそれくらいの気持ちでやってほしいなと思います。
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■芸人全体が「村人A」化 ――ユウキロックさんはストイックすぎるくらいにストイックだったんだなと、本を読んであらためて思いました。 ユウキロック 芸事に関するこだわりが強すぎるので辞めた、っていうところはあるんでしょうね。 ――今のお笑い界では、その「こだわり」がマイナスに働くこともあると思いますか? ユウキロック 今は僕がやってた頃より、団体競技感が強い。みんな仲いいほうがいい。みんなと合わせられる、協調性のある人間が生き残れるのかなって。ダウンタウンさんみたいな人は絶対に現れない。 ――お客さんが、そういう芸人を望んでいるのでしょうか? ユウキロック お客さんというより、テレビじゃないですかね。テレビが求めていると思う。だから、テレビの変革者の人が現れて、芸人の変革者が現れて、そのときに変わるんかなぁとは思いますね。それこそダウンタウンさん、ナインティナインさん、ロンブー(ロンドンブーツ1号2号)さん……あぁロンブーは後輩か(笑)。ロンブーくらいまでじゃないですかね。囲うじゃないけど、冠番組しかやらせないでしょ。今はそういう芸人を作ろうともしていないし。それより、売れてる先輩と仲良いほうがチャンスもあるんでしょうし。 ――芸人全体が「村人A」化しているのかもしれないですね。 ユウキロック そうです。全員がそうなってる。 ――お正月に、とろサーモンの久保田(和靖)さんがTwitterで「売れた者の金で海外にいってる去年何もしてない労働なき後輩や先輩に告ぐ」とつぶやいていたんですよね。君たちが海外の景色を見ている間に、自分は劇場でお客さんを笑わせていたという旨の。 ユウキロック あいつ……そういうキャラじゃないですけどね(笑)。エライですね。まぁでもね……この本には書かなかったですけど、それしなかったことも僕のひとつ失敗かなと思ってるんですよ。僕は、なかなか扱いにくい芸人だと思われていた気がするんですよ、先輩たちから。相方は相方で、好きな人としか一緒にいない。両方とも、(先輩との)そういう付き合いをしてこなかったのが大きかったかなぁと思うんです。 ――難しいですね……。 ユウキロック それこそ久保田くんが言っていること、売れてる先輩芸人の金で海外に行くことを仮に能力のある芸人がやっていたとしたら、そのときのエピソードを劇場やバラエティ番組で面白おかしく話すじゃないですか。でも、なんでかわからないですけど、先輩のお金で海外行く芸人は能力ない人間が多いんで。 ――……。 ユウキロック あ、全部書いてもらっていいですからね。躊躇しないで結構ですから。 ――「先輩のお金で海外行く芸人は、能力ない人間が多い」。 ユウキロック だって、自分の金を使わずに先輩と海外行って、エピソード作って、先輩の面白いところって先輩自身が言うわけにはいかないんで、そいつが出てきて面白おかしく話したらテレビで使われますよ。たとえば久保田くんがね、久保田くんは腕のある人間ですから、うまいことひょいひょいして、先輩と一緒に旅行行って、そういうことやったら状況も変わってくるかもしれない。久保田くんの言ってることは正しい。ただ、この世界では何が「正しい」のかわからない。 ――ご自身の経験を踏まえると。 ユウキロック そうですね。 ――本当に芸人さんが「売れる」ための要素って、多すぎますよね。「人気」「実力」「かわいげ」……「タイミング」もあるでしょうし。 ユウキロック タイミングが一番かもしれませんね。 ――ユウキロックさんが活躍されていた頃だと、やはり『M-1』でしょうか。 ユウキロック 『M-1』はデカイですね。『M-1』前後で、環境がガラッと変わりましたからね。『(オレたち)ひょうきん族』(フジテレビ系)終わって以降、芸人全体で売れるっていうのが、しばらくなかったんですよ。だから僕たちは、個の力で売れていった人たち、ダウンタウンさん、とんねるずさん、ウンナン(ウッチャンナンチャン)さん……その人たちに憧れて、その人たちを目指してやってきたんです。ネタで評価されてテレビ出て冠やって、そこでコントやって……みたいな。みんなトガってたけど、ピュアやったんですよ。「ネタさえ評価されたらええのや」って。「面白かったら、なんとかなる」って。それが『M-1』ができて、『エンタ(の神様)』(日本テレビ系)とか『(爆笑)レッドカーペット』(フジテレビ系)とかどんどん始まって、そのシステム自体が変わりましたし、全体で売れるようになった。今はその「『M-1』さえ獲れば」……というのすら違うでしょ? 賞獲った人じゃなくて、テレビ的にいいと思う人を使います……という。今は、どうやったら売れるのかわからない。でも、ある意味、チャンスも多くなっている。若い頃は後輩に「兄さん、このネタどうですか?」と聞かれたら、すぐ「こんなん絶対アカンで」「売れへん」とか答えられましたけど、そういうネタがテレビに出たりするので、今は何も言えない(笑)。素っ裸でおぼんで前隠して踊るみたいな芸人を、昔はみんな嫌ってましたからね。「汚れや」言うて。トガってたんでね。でも、今はそんな時代じゃない。何がどう化けるかわからない。どう売れたらいいかわからん分、どう売れるかもわからない。
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■「お笑い講師」としての指針 ――ユウキロックさんは、いま講師としてお笑いを教えてらっしゃるんですよね。難しさはないですか? ユウキロック 難しいですけど、やるにあたって指針のようなものは決めました。 ――それはどのような? ユウキロック あの、レギュラーっているじゃないですか。レギュラーはあるある探検隊で売れましたけど、あれ当時、劇場の支配人が「あんなおもんないことやんな」って言って、彼ら自身もずっと封印していたネタなんですよ。でも、暮れの『オールザッツ漫才』(毎日放送)という漫才コンテストの番組で、久しぶりにあるある探検隊をやったんです。それを『めちゃイケ』(フジテレビ系)のスタッフが見ていて、「笑わず嫌い王」にブッキングされて、売れた。支配人の判断は間違いとは言わないですけど、やっぱりスタッフや講師たちは「怒る」人が多い。僕は、みんな人生賭けてやってると思うので、自分がそれを壊したくないんです。やりたいことは好きにやってくれと。技術は高いけど個性がない人には個性の出し方を教えるし、技術ないけどすごい突出したことやっている人には、それをわかりやすくするための技術をしっかり教える。だから、講師になってから、怒ったことは一回もない。 ――なるほど。 ユウキロック とはいいつつ、吉本以外は、スクール入った1年後に契約うんぬんがあるんですよ。契約してもらえないと、せっかく通ったのにフリーになっちゃう。そういうこともあるんで、生徒たちには半年くらいたったら聞きますね。「契約のことを、どう考えてるのか?」って。契約を勝ち取るためには、技術つけたほうが絶対いいから。まずは契約を押さえて、それからやりたいことをやればいい。僕、人力舎さんでも講師やってるんですけど、たとえば50組芸人がいて、いい線いってるなと思っても、全部が全部契約できるわけじゃないんですよ。物理的に事務所が面倒を見きれないので、毎年決まった人数しか取らない。だから、そのへんは、現実に即したアドバイスをするようにはしていますね。そのネタは遠回りなのか、近道なのか。「10年後に受け入れられるかもしれへんけど、今は厳しいかもしれへん。それでもやるか?」は言います。それでもやると言うのなら、徹底的にサポートはしますけど。 ――お笑い界は、特に遅咲きの方も多いですからね。 ユウキロック 僕らの同期に(ハリウッド)ザコシショウがいるんで。ザコシショウは去年『R-1』獲りましたけど、僕が養成所で見たネタの方向性と、まったく変わってないんですよ(笑)。ずっとあんなんやってる。 ――世に言う“ザコシショウショック”。 ユウキロック あれはもう磁場ですね。お笑いが一周したタイミングというのもあるでしょうし、その場所にいたお客さんが、お笑い慣れしてるというのもあったと思う。お笑い慣れというのは、頭の中にフリが作れるということ。ザコシショウを知ってて、ケンコバと同期で、20年ずっとこんなことやってて……っていうフリがあってあれを見たら、面白いじゃないですか。でも、ザコシショウは今の事務所が3つ目で、しかも結果を出してる。すごい。一概に、すべてを否定できません。 ――ずっと続けることのすさまじさはありますね。 ユウキロック だから、僕が怒るとしたら……やっぱり本気でやってなかったら、注意はします。授業では「みんなが、この本の俺くらいの気持ちでやってると思って話してるからね」って言います。 ――おおお(笑)。ユウキロック先生から見て、いまお笑い芸人を目指している子たちは、どんなふうに映りますか? ユウキロック ライトですね。去年の夏に『ハイスクールマンザイ』というイベントの審査で高校生の漫才をたくさん見せてもらったんですけど、特にそういう印象を受けました。漫才コントがそうさせたのかなぁ。 ――漫才コントですか? ユウキロック 漫才コントの基本がわかりやすいんでしょうね。「これ今度やりたいからちょっと練習させて」っていうフォーマットがあるじゃないですか。みんながその型を知っちゃった。楽な型を知っちゃった。でもね、実際にネタを作るときって、もっと細かく調べるんですよ。そこが足りないから薄くなる。 ――「っぽい」感じにはなるけど……。 ユウキロック 自分の頭の中だけで完結してしまってるんですね。もっと細かくフリを入れたりしなきゃいけないところを、してなかったりする。小説家が小説を書くときに、どんだけの資料を集めるかっていう話と一緒なんです。資料が全然ない中で、書き始めないじゃないですか。どうしてそれを漫才でできないのか? って。僕も死ぬほど調べましたし、このタイミングでダンスしたら面白いって思ったら、死ぬほどダンスも練習しましたし。ダンスなんか大っ嫌いですよ、ホンマは。だけど、ウケる思うから練習できる。
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■ナイナイ岡村が「ガム」のネタにこだわったわけ ――「芸人になる」というハードルが高いのか低いのか、よくわからない時代になったような気がするんです。面白さのハードルというか……。 ユウキロック 何に関してもそうだと思うんですけど、要するに「フリ」と「オチ」なんですよね。そこがわかれば、お笑いのことがわかってくる。それをわからない人が、養成所にもたくさんいる。みんなオチばっかり気にするんですよ。フリの重要性がなかなか理解してもらえない。たとえばライブのコーナーで、テーブルクロス引きがあるとするじゃないですか。もし、できるなと思えば「うわぁ、こんなんできませんよ」ってフるべきやし、逆に絶対できひんと思ったら「簡単ですわ」って。それを最初に自分でパッと判断して、逆にフっていく。オチに向かっていくのはそこからです。漫才やコントだけじゃなくて、コーナーもVTRもみんなそう。それがわかればネタは簡単に作れるようになるし、ある意味、そこからですよ。個性なんてものが出てくるのは。それが本当に難しいんですけど。   ――本にも書かれていましたが、ハリガネロックは、とにかく目の前のお客さんにウケることを一番に考えていたと。 ユウキロック 仕事が欲しかったし、そのためには、今ここにいる人たちをどれだけ笑わせられるのか。それこそが正解だと思っていました。 ――芸人さんは、マーケティングをするべきだと思いますか? ユウキロック するべきだと思います。これも本には書きませんでしたけど、僕にその意識を植え付けたのって、ナイナイの岡村(隆史)さんなんです。僕が1年目くらい、ナイナイさんもまだ大阪時代に、岡村さんはずーーーーっとガムのネタやってたんですね。岡村さん自身がガムになるネタ。どのチャンネルを見ても、そのネタばっかりやってる。正直、そんなめっちゃ面白いわけじゃない。ほかに面白いネタたくさんあるのに。あるとき、やしきたかじんさんの前でそのネタやって、たかじんさんに言われるんです。「ナインティナイン、そのネタおもろいんか?」って。そしたら岡村さん「面白くないです」って。「じゃあ、なんでこのネタやってんのや?」「これやってたら、いつか『あぁガムの兄ちゃんや』って覚えてもらえるじゃないですか。だから漫才やらずに、このネタばっかりやってるんです」。印象を付けるためだけに、そのネタをずっとやり続けてた。そういう方法もある。ただ、岡村さんくらいのレールに乗ってないとできませんが(笑)。だから今、何かに特化する人が多いのもそうなんやな、って。 ――飽きられる怖さはないですか? ユウキロック これがね、またその時代も変わってきていて、それだけでは残れなくなってる。結局また同じこと言ってしまいますけど、本当に今が一番大変なんちゃうかな。なんとかそれでテレビに出ても、すぐ消えてしまう。去年もたくさんそういう芸人いましたけど、その中でひとりだけ残ったのが平野ノラだと思うんです。球打ちながら、その上で、どうやって残るのかまで考えなきゃいけない。 ――テレビ、劇場、インターネット……芸人さんの活躍する土壌はどんどん広がっていると思いますが、これからの芸人さんは、どのようにそのバランスを取るべきだとお考えですか? ユウキロック 僕、今44歳なんですけど、もし20代に戻ったとして一番キツイと思うのは、この若い時期の大事な時間を何に充てるべきなのかってことなんです。本当にわかりづらい。たとえば、YouTubeでネタやり続けたら当たるのか? ――みんな「迷子」ですね……。 ユウキロック 逆に、なんでもやったほうがいいのかもしれない。いま自分で「なんでも屋」って名乗ってますけど、結果を残せれば、別に肩書なくてもできることは多いので。僕も芸人時代に“家電”や“節約”でテレビ出させてもらったし、それこそ家事が得意でブレークする人もいる。 ――もともと本気で好きかどうかが問われそうです。 ユウキロック 本当は何がしたいのか、突き詰めればわかると思う。「テレビに出たい」んだったら、選択肢は変わってくる。なんなら、芸人じゃなくてもいい。「お金欲しい」もそうですよね。自分の欲求を明確にしたら、道も見えてくるんじゃないでしょうか。自分への問いかけをね。
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■2020年にコンビ解散の流れが一気に押し寄せる!? ――お笑い界の未来、どうなっていくのでしょうか? ユウキロック おそらく2020年に、コンビ解散の流れがすごくくると思うんですよ。東京オリンピックがひとつの節目となって。ただね、辞めるんやったら、今やと思う。2020年まではいろんな仕事があるんで。その仕事をうまく取り込むには、今やと。2020年に解散しても何もない、焼け野原しかない。 ――芸人さんのセカンドキャリア問題……。 ユウキロック セカンドキャリア問題……あるか、あるかなぁ。 ――本には「ハリガネロックは売れなかった」と書かれていましたが、でも一般の認識はそうではなかったと思うんです。面白かったし、売れてる芸人さんとして見ていました。しゃべれて、筆力もある。だからこそ、ユウキロックさんは次のステップに進めたのかなって。ということは、そうはできない「元芸人」さんも、たくさんいらっしゃるのではないかと。 ユウキロック 解散という選択肢の前に、何をしておくかっていうのが大事。現状イマイチだなと思う芸人がおるとしたら、それはもう環境を変えないと、何も変わらないと思うんです。たとえば、ずっと組んでる作家を代えるとか、なんでもいいんですけど、今までとは違うものを注入して状況を変えない限り、そのままなんです。でも、それをみんなしようとはしない。 ――変えることの怖さでしょうか? ユウキロック 大阪から東京に出てきて、今また大阪に帰ろうか悩んでいる後輩が何組かおりまして、話聞いたんですよ。そしたら「あと2回、『M-1』のチャンスあるんで、それでダメだったら戻ろうかと」って言う。いやいや、それじゃ同じことの繰り返しにならへんか? 大阪で『M-1』受けたほうが環境変わるやん。ダメだったから大阪戻りましたっていうのも、大阪に失礼じゃないですか。大阪はね、いま腕のある漫才師たくさんいるんで、その中でもまれて苦しんで考えたほうがよくないか? って。あと戦略的に考えると、いま大阪帰ろうか迷っている芸人が何組かおんのやったら、その中で一番最初じゃないと意味ないと思うよ、って。なんでも一番に決断して、一番に動いたやつの勝ちなんですよ。仕事場所、話す人、遊ぶ人、すべて変えるくらいじゃないと、逆転は難しい。 ――それ、芸人さんの世界だけでなく、広く一般に言えることかもしれません。 ユウキロック でもホンマ、40歳ですよ。40歳を境に、思いのほか体が動かなくなる(笑)。やろうと思えばなんでもできると思っていても、体がついていかない。この本には、解散から次の仕事に向かうまでの紆余曲折も全部書いてますから、なんらかの参考にしてもらえたらうれしいです。 ――最後にお伺いしたいのですが、芸人に戻りたいなと思うことはありますか? ユウキロック そうですね。芸人というか、漫才をやりたいなというのは、常に思いますね。でも、昔以上のことができんのかとか、それくらいの相方と出会えるのかというのもありますし。本まで出したので、それに泥を塗るような真似だけはしたくないです。 ――元相方さんは、読まれたでしょうか……? ユウキロック どうでしょう、わかりませんね。昔から相方に厳しいと言われ続けてきて、でもそれくらい真剣にやってきたし、僕のギャラの半分は相方が稼いでくれていると考えてましたから。僕らはお互い、先輩にかわいがってもらうようなタイプの芸人じゃなかったので、仕事は自分たちの実力で勝ち取るしかないと思ってました。そのためには、相方にも、もっともっと向上してもらいたかった。それを考えたら、生半可に優しくとか仲良くとかできないですよね。それくらいの気持ちでやってた……というだけの話で。そうできると思った相手だったから、自分の芸人人生賭けられましたし。 ――だからこそ切ない、この物語は……。 (取材・文=西澤千央)
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