「魂を削る思いで書きました」唯一無二の小説家・紗倉まなが向き合った、自身の“闇”と“病み”の正体

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 人気AV女優・紗倉まなの2作目となる小説『凹凸』(KADOKAWA)が、3月18日に発売になった。4人のAV女優を描いた短編集『最低。』(同)で鮮烈な文壇デビューを飾ったのが、昨年2月。それから1年、初の長編となった新作の筆致には一切の迷いがなく、読者に「伝わっていること」への確信に満ちていた。  物語の主人公・栞と同じ24歳になったばかりの紗倉まなに、話を聞きに行った。あいかわらず天真爛漫な笑顔を振りまきながら、作家は「今回は自由に書いた」「書きたかったことを書いた」と繰り返した。そして「魂を削る思いで書いた」とも──。  このインタビューでは、前半に『凹凸』に込めた思い、後半には処女作『最低。』の映像化と、紗倉まなが“唯一無二の小説家”である所以について話を聞いた。
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『凹凸』(KADOKAWA)
──2作目となりますが、OKが出て脱稿した瞬間の気持ちって、1作目に比べてどうですか? 紗倉 正直、今回のほうが前回より喜びが全然大きかった気がします。前回は自信がなかったし、自分の職業を題材にすることで「イコール自分のこと」と思われちゃうことに囚われていた部分もあって。今回は自分が書きたかったものだし、家族がテーマだし、自由に表現できる分だけ、出し切れた、絞り出せたっていう感覚がすごく大きかったです。出来上がったときは「産み落とせたー!」みたいな、大きな感情がありました。 ──主人公・栞は紗倉さん本人にプロフィールを寄せて描かれています。作品に登場する栞の家族も、実際の紗倉さんのご家族をモチーフにしているのでしょうか? 紗倉 家族構成も一緒ですし、離婚の時期だったり、母が13年くらい子どもができなくて私を産んでくれたこともそうですし、設定は私の家族を元に書いています。もちろん自叙伝ではなく物語なので、人物の行動は事実もあれば想像もあるんですけど、参考にはさせてもらいました。 ──では、栞の母・絹子を描写しているときは、実際のお母さんの顔が浮かんでいた? 紗倉 そうですね。だいぶ美化された母が浮かんでいました。でもやっぱり、両親と本当に向き合ってしまうことが苦しいなって思う瞬間があったりして、途中からは自分のキャラクターとして、父親も母親も動かしていました。おおまかな器だけお借りしました、みたいな感じです。 ──読み進めていくうちに、鮮烈なイメージを伴ったシーンが現れます。栞の祖父、絹子の父である辰夫という人物が自殺を遂げますが、その方法がもう、ちょっと想像の範疇を超えているというか……。 紗倉 祖父の話は、小さいときになんとなく聞いていたんですが、断片的な記憶しかなくて、それを両親にも深く聞けなかったんです。どんな風に死んでいったのかとか……。でも、昔ながらの生粋の下町っ子というか、ギャンブル好きで、自分でも馬を買っちゃって、スクラップ屋を経営していて、そういう要素を重ねたときに、たやすく死なないだろうな、と思ったんですよ。 ──なるほど、ここまでの方法じゃないと、死にそうもないという。 紗倉 だろうな、と思って。あと、自分は自殺したことはないですけど、自殺する人って慢性的に死にたいと思っているか、刹那的な瞬間で死ぬキッカケがあったとか……死との向き合い方を考えることが、すごく難しいなと思っていて、もし辰夫のような死に方があったら、拍手喝采だなと。 ──あ、拍手喝采なんですね。 紗倉 あははは、闇が深い……。 ──では、自分が作ったキャラクターが壮絶な自殺を遂げたり、目を覆いたくような狂い方をしたりするシーンって、書いていてちょっと気持ちいいんじゃないですか? 紗倉 あっ、気持ちいいですね~。なんか、生きてるぅー! って感じがします。生かしてやってるし、殺してやってるしっていう。人は人を操縦できないけど、物語はやっぱり自分が操縦できるっていうのが気持ちいいし、苦しいし、楽しいしっていう……なんかこう、ホントに病みますね(笑)。 ──けっこうニヤニヤしながら書いてたんだろうなっていうのは、伝わってきます。 紗倉 そうですね、逆に書きすぎて、担当さんとかには、「すごい暴れてますね」って言われたこともあって。なんか、けっこう、ほんとに(笑)。
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■家族の死と、堕胎された命の“重み”とは ──その辰夫が亡くなったあとの妻・孝子(栞の祖母)もそうですし、栞の父・正幸もそうですが、登場人物たちが家族が亡くなったことをきっかけに大きく変化するというか、狂ってしまいます。この物語の中では、人が変化する瞬間が、常に家族が死ぬことによって訪れますね。 紗倉 今、私それを聞いて、発見というか、家族が死ぬことで変わるって、確かにそうだったって。自分で書いていたんですけど、無意識だったかもしれないです。赤ちゃんもそうですよね。 ──栞の堕胎を恋人・智嗣が見つけることで、関係が進展していきます。逆にいうと、家族が死なないと人は変わっていけないという意識が、紗倉さんの中にあるんでしょうか? 「家族に死んでほしい」というほどじゃないですが、家族が死んだら自分が大きく変化するのかな、みたいな思いが。 紗倉 それはすごいあります。すっごいあります。私は母子家庭で一人っ子で、母親のことは大好きだし愛してるし、いなかったらすっごい苦しいけど、その方が気が楽だなと思うことも多くて。今後、介護していかなきゃいけないとか、老いておかしくなっていく瞬間にも立ち会わなきゃいけないじゃないですか。それはもう自分の宿命というか、背負わされてる感じは間違いなくあって。家族って大事だけど大事じゃないみたいな、切り離し方がすごく残酷だなって、ずっと思ってて。 ──一方で栞は、堕胎を繰り返して、人の親になることを拒み続けています。この堕胎されていく命というのを、例えばお母さんの命と比べて、どういう風に見ているのか教えてください。 紗倉 私は出産って経験したことがないですけど、世の中ってクルマの運転をする人が当たり前にたくさんいるじゃないですか。私、出産と似ているなと思っていて、私たちが生まれたときから世の中の人はみんな運転しているけれど、自分が運転しようとしたときに免許を取るのはすごく大変だし、でも当然自分もできるでしょ、みたいな感じで試験を受けていたんです。出産も、もちろん価値の大きさは違いますけど、みんなが産んでいるし、自分も産まれてきているんだから、自分も産めるでしょ、母親になれるでしょって思われている気がするんですね。でも、私にとってはすごく違和感があって、子どもをおろすことより産むことの方が信じられない行為なんです。なんでできるんだろう、なんで為し得てしまうんだろうって、ずっと思っていて。 ──それは、「なんでこんな難しいことができるの?」というのと、「なんでそんな無責任なことができるの?」というのも。 紗倉 うんうんうん、ありますね確かに。両方、どっちもありますよね。出産も堕胎も、どっちも「何、無責任なことしてるの?」だし、「なんでそんな難しいことができるの?」だし。「おろすのなんて絶対無理」って言う人もいれば、「おろさざるを得ないからおろすね」って言う人もいる。向き不向きっていうのは絶対あるし、そこについて「命は尊いんだ」みたいなことを言うのは、そういうことじゃないんじゃないかなと思います。自分の身体の中から肉の塊を出すことが、どれくらい怖くて大変なことなのかっていうのは、きっと他人に言われる筋合いのないことなんじゃないかなって思います。
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■「ヤリマンになりたい」思いは成就したか ──前回の『最低。』の際にインタビューさせていただいたとき(記事参照)、書籍の話をしているのに、唐突に「ヤリマンになりたいんです!」と言い出したのって、覚えてます? 紗倉 あー、言ったかもしれないです。なんか、枯渇していた時期ですか? ──それは知りませんが、『凹凸』の栞も彼氏がいるのにバイト先の男の子と平気で寝たり、ある意味ではヤリマンだと思うんですが、紗倉さんがあのとき言っていたヤリマンとは違いますよね? 紗倉 栞はどちらかというと、コミュニケーションを取れない子で、息を吸う感覚でやっていることなんだと思うんです。たまたま流れるように出会った人たちと、そういう行為を繰り返すことで生きている実感を得たりだとか、さりげないものなんですよね、きっと。 ──紗倉さんが目指すヤリマンは、これではない? 紗倉 そうですね。すごい寂しいヤリマンじゃないですか、栞の気質って。孤独なヤリマンは嫌なんです。それは超寂しいじゃないですか。 ──孤独なヤリマン。 紗倉 私が目指すのは孤独なヤリマンじゃなくて、パコリンナイト……パコリンナイトは変か。なんかそういう、「フー!」みたいな、充実した陽気なヤリマンになりたいんです。……私は、充実っていう感覚がよくわからなくて、今まで、どれだけ忙しくても、どれだけ楽しくても、充実っていうのが実感しにくいことだったので、もしかしたら、ないものねだりなだけかもしれないです。充実っていうのは、自分がそうだって思い込まないと、いつまでたっても実感できないことなのかもしれないです。 ──それでも、凹と凸の物語は、ささやかなハッピーエンドを迎えます。そこに充実があるんじゃないかっていうところに落ち着いたように読めましたが。 紗倉 着地点はそうですよね。でも……ハッピーエンドなのかな、どうなのかな。 ──そもそも、なぜ物語を書くのか、という話を伺えますか? すごく面倒だし、ストレートにエッセイとして本音を出すことだってできたはずなんです。なぜ物語を作るのか、物語にしか乗せられないものがあるのか。 紗倉 やっぱり、都合がいいからだと思います。物語なら嘘もつけるし、本当のこともいえる。実は、小説のほうが自分を赤裸々にして、書きたいことが書ける。「だって、私じゃない」って言っちゃえばいいことだから。それに、小説なら「自分のことを知ってほしい」ではなく「物語を楽しんでほしい」っていう気持ちで書けるから、自己満足の仕方が違うんだなって思いましたね。
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■処女作『最低。』映像化と“唯一無二の小説家”紗倉まなの存在 ──『最低。』が瀬々敬久監督で映画化されると聞きました。おめでとうございます。 紗倉 ありがとうございます。瀬々監督とはクランクインの日に少しお話をさせていただきましたが、自分の作品を大切に思ってくださっていることが感じられて、ありがたかったです。 ──『最低。』に関しては、各方面から絶賛の声が相次いだと思います。だから、あのAVを見たときに、「すげえな……」と思ったんですよ。SOD版『最低。』って、あったじゃないですか。タイガー小堺監督の。AVの。 紗倉 ふほほほほほほ。すっげえ性格悪い女優を演じるやつですよね。 ──そうそう、「最低のAV女優を演じる」という。あれは本人じゃなかったら、大変なことだと思うんですよ。一生懸命書いたのに。 紗倉 うんうんうんうん。 ──あのAVは、なんだったんでしょう……。 紗倉 あれはホントに……ちょっと聞いてくださいよ! 高橋がなりさんっていらっしゃるじゃないですか。がなりさんが、紗倉が『最低。』を出版したし、「最低」っていうのにまつわるテーマで、じゃあ「最低のAV女優」を演じろみたいな。 ──確かに、SODらしい企画だなとは思ったんですけど、あの小説をあのように扱われるっていうのは……。 紗倉 ふははははは。 ──非常に特殊な環境に置かれた小説家だなと思ったんです。完全に唯一無二だし、前代未聞だと思うんですよ。自分で著作と同タイトルのAVが作れるというのは。 紗倉 私も本当は「ちょっとー!」って思いましたけど、口が裂けてもそんなこと言えないですから。私は自分の身を置いている場所がSODだから、それは許容することだなと思っていて。なんか楽しく演じられちゃったのもあって、複雑な心境でしたね。そこに乗り気になっちゃう自分は、やっぱりSODの人だなって感じたし、別にそれでもいいなって、ちょっと思いました。でもこれ、そもそもはじめはカッパのAVを撮る企画だったんですよ。 ──カッパ? 紗倉 カッパの企画だったんです。3回くらいカッパのメークテストして、「カッパはマンコがついてないから、タピオカを生み落せ」みたいなことを言われたんです。 ──SODstarで、そんなことやっている女優さんいましたっけ? 紗倉 いないです……。 ──でも、『凹凸』も重版が決まったそうですし、知名度が上がればAV版の話が出てくる可能性もありますね。 紗倉 そしたらもう、『凹凸』なんて「身体で表現しろ」とか言われますよ。「凹でーす! 凸でーす!」みたいな。挿れた瞬間に「おうとつー!」って叫ぶみたいな。絶対そっちですよ……。でも、やったほうがいいのかなー。やっちゃおうかなー。 ──出たら買いますよ。 紗倉 じゃあ、いいものにします。せめて。 ──作家業とAV女優って、両方紗倉まなであるとは思うんですけど、交わらないラインだと思ってたんです。あまりに小説の出来がよかったから。作家がこれだけ魂を削ってるのに、うわべだけでやられちゃう感じ、おもしろいなーと思って、やっぱりすごい人ですよ。存在というか、表現者としてすごいです。 紗倉 そっすか、お恥ずかしい限りですけど、本当に。 (取材・文=編集部/撮影=尾藤能暢)
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●『凹凸』 結婚13年目で待望の娘・栞が生まれた一家に、ある異変が起きていた。“あの日”を境に夫と決別した絹子は、娘を守ろうと母親としての自分を貫こうとする。しかし、24歳になった栞は“ある日”の出来事に縛られ続け、恋人の智嗣に父親の姿を重ねている自分に気付く…。家族であり、女同士でもある母と娘、二代にわたる性と愛の物語。 ●紗倉まな 1993年3月23日、千葉県生まれ。工業高等専門学校在学中の2012年にSODクリエイトの専属女優としてAVデビュー。2015年には「スカパー! アダルト放送大賞」で史上初の三冠を達成する。テレビ出演や雑誌グラビアでも活躍し、「週刊プレイボーイ」(集英社)、『messy』(サイゾー)でコラム連載。著書に今秋の実写映画化を控える処女小説『最低。』(KADOKAWA)、エッセイ集『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』(宝島社)、スタイルブック『MANA』(サイゾー)がある。 金属系女子・紗倉まなの「愛ってなんですか?」(messy) http://mess-y.com/archives/category/column/sakuramana
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凹凸 まなてぃの恐るべき才能 「魂を削る思いで書きました」唯一無二の小説家・紗倉まなが向き合った、自身の闇と病みの正体の画像8

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 人気AV女優・紗倉まなの2作目となる小説『凹凸』(KADOKAWA)が、3月18日に発売になった。4人のAV女優を描いた短編集『最低。』(同)で鮮烈な文壇デビューを飾ったのが、昨年2月。それから1年、初の長編となった新作の筆致には一切の迷いがなく、読者に「伝わっていること」への確信に満ちていた。  物語の主人公・栞と同じ24歳になったばかりの紗倉まなに、話を聞きに行った。あいかわらず天真爛漫な笑顔を振りまきながら、作家は「今回は自由に書いた」「書きたかったことを書いた」と繰り返した。そして「魂を削る思いで書いた」とも──。  このインタビューでは、前半に『凹凸』に込めた思い、後半には処女作『最低。』の映像化と、紗倉まなが“唯一無二の小説家”である所以について話を聞いた。
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『凹凸』(KADOKAWA)
──2作目となりますが、OKが出て脱稿した瞬間の気持ちって、1作目に比べてどうですか? 紗倉 正直、今回のほうが前回より喜びが全然大きかった気がします。前回は自信がなかったし、自分の職業を題材にすることで「イコール自分のこと」と思われちゃうことに囚われていた部分もあって。今回は自分が書きたかったものだし、家族がテーマだし、自由に表現できる分だけ、出し切れた、絞り出せたっていう感覚がすごく大きかったです。出来上がったときは「産み落とせたー!」みたいな、大きな感情がありました。 ──主人公・栞は紗倉さん本人にプロフィールを寄せて描かれています。作品に登場する栞の家族も、実際の紗倉さんのご家族をモチーフにしているのでしょうか? 紗倉 家族構成も一緒ですし、離婚の時期だったり、母が13年くらい子どもができなくて私を産んでくれたこともそうですし、設定は私の家族を元に書いています。もちろん自叙伝ではなく物語なので、人物の行動は事実もあれば想像もあるんですけど、参考にはさせてもらいました。 ──では、栞の母・絹子を描写しているときは、実際のお母さんの顔が浮かんでいた? 紗倉 そうですね。だいぶ美化された母が浮かんでいました。でもやっぱり、両親と本当に向き合ってしまうことが苦しいなって思う瞬間があったりして、途中からは自分のキャラクターとして、父親も母親も動かしていました。おおまかな器だけお借りしました、みたいな感じです。 ──読み進めていくうちに、鮮烈なイメージを伴ったシーンが現れます。栞の祖父、絹子の父である辰夫という人物が自殺を遂げますが、その方法がもう、ちょっと想像の範疇を超えているというか……。 紗倉 祖父の話は、小さいときになんとなく聞いていたんですが、断片的な記憶しかなくて、それを両親にも深く聞けなかったんです。どんな風に死んでいったのかとか……。でも、昔ながらの生粋の下町っ子というか、ギャンブル好きで、自分でも馬を買っちゃって、スクラップ屋を経営していて、そういう要素を重ねたときに、たやすく死なないだろうな、と思ったんですよ。 ──なるほど、ここまでの方法じゃないと、死にそうもないという。 紗倉 だろうな、と思って。あと、自分は自殺したことはないですけど、自殺する人って慢性的に死にたいと思っているか、刹那的な瞬間で死ぬキッカケがあったとか……死との向き合い方を考えることが、すごく難しいなと思っていて、もし辰夫のような死に方があったら、拍手喝采だなと。 ──あ、拍手喝采なんですね。 紗倉 あははは、闇が深い……。 ──では、自分が作ったキャラクターが壮絶な自殺を遂げたり、目を覆いたくような狂い方をしたりするシーンって、書いていてちょっと気持ちいいんじゃないですか? 紗倉 あっ、気持ちいいですね~。なんか、生きてるぅー! って感じがします。生かしてやってるし、殺してやってるしっていう。人は人を操縦できないけど、物語はやっぱり自分が操縦できるっていうのが気持ちいいし、苦しいし、楽しいしっていう……なんかこう、ホントに病みますね(笑)。 ──けっこうニヤニヤしながら書いてたんだろうなっていうのは、伝わってきます。 紗倉 そうですね、逆に書きすぎて、担当さんとかには、「すごい暴れてますね」って言われたこともあって。なんか、けっこう、ほんとに(笑)。
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■家族の死と、堕胎された命の“重み”とは ──その辰夫が亡くなったあとの妻・孝子(栞の祖母)もそうですし、栞の父・正幸もそうですが、登場人物たちが家族が亡くなったことをきっかけに大きく変化するというか、狂ってしまいます。この物語の中では、人が変化する瞬間が、常に家族が死ぬことによって訪れますね。 紗倉 今、私それを聞いて、発見というか、家族が死ぬことで変わるって、確かにそうだったって。自分で書いていたんですけど、無意識だったかもしれないです。赤ちゃんもそうですよね。 ──栞の堕胎を恋人・智嗣が見つけることで、関係が進展していきます。逆にいうと、家族が死なないと人は変わっていけないという意識が、紗倉さんの中にあるんでしょうか? 「家族に死んでほしい」というほどじゃないですが、家族が死んだら自分が大きく変化するのかな、みたいな思いが。 紗倉 それはすごいあります。すっごいあります。私は母子家庭で一人っ子で、母親のことは大好きだし愛してるし、いなかったらすっごい苦しいけど、その方が気が楽だなと思うことも多くて。今後、介護していかなきゃいけないとか、老いておかしくなっていく瞬間にも立ち会わなきゃいけないじゃないですか。それはもう自分の宿命というか、背負わされてる感じは間違いなくあって。家族って大事だけど大事じゃないみたいな、切り離し方がすごく残酷だなって、ずっと思ってて。 ──一方で栞は、堕胎を繰り返して、人の親になることを拒み続けています。この堕胎されていく命というのを、例えばお母さんの命と比べて、どういう風に見ているのか教えてください。 紗倉 私は出産って経験したことがないですけど、世の中ってクルマの運転をする人が当たり前にたくさんいるじゃないですか。私、出産と似ているなと思っていて、私たちが生まれたときから世の中の人はみんな運転しているけれど、自分が運転しようとしたときに免許を取るのはすごく大変だし、でも当然自分もできるでしょ、みたいな感じで試験を受けていたんです。出産も、もちろん価値の大きさは違いますけど、みんなが産んでいるし、自分も産まれてきているんだから、自分も産めるでしょ、母親になれるでしょって思われている気がするんですね。でも、私にとってはすごく違和感があって、子どもをおろすことより産むことの方が信じられない行為なんです。なんでできるんだろう、なんで為し得てしまうんだろうって、ずっと思っていて。 ──それは、「なんでこんな難しいことができるの?」というのと、「なんでそんな無責任なことができるの?」というのも。 紗倉 うんうんうん、ありますね確かに。両方、どっちもありますよね。出産も堕胎も、どっちも「何、無責任なことしてるの?」だし、「なんでそんな難しいことができるの?」だし。「おろすのなんて絶対無理」って言う人もいれば、「おろさざるを得ないからおろすね」って言う人もいる。向き不向きっていうのは絶対あるし、そこについて「命は尊いんだ」みたいなことを言うのは、そういうことじゃないんじゃないかなと思います。自分の身体の中から肉の塊を出すことが、どれくらい怖くて大変なことなのかっていうのは、きっと他人に言われる筋合いのないことなんじゃないかなって思います。
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■「ヤリマンになりたい」思いは成就したか ──前回の『最低。』の際にインタビューさせていただいたとき(記事参照)、書籍の話をしているのに、唐突に「ヤリマンになりたいんです!」と言い出したのって、覚えてます? 紗倉 あー、言ったかもしれないです。なんか、枯渇していた時期ですか? ──それは知りませんが、『凹凸』の栞も彼氏がいるのにバイト先の男の子と平気で寝たり、ある意味ではヤリマンだと思うんですが、紗倉さんがあのとき言っていたヤリマンとは違いますよね? 紗倉 栞はどちらかというと、コミュニケーションを取れない子で、息を吸う感覚でやっていることなんだと思うんです。たまたま流れるように出会った人たちと、そういう行為を繰り返すことで生きている実感を得たりだとか、さりげないものなんですよね、きっと。 ──紗倉さんが目指すヤリマンは、これではない? 紗倉 そうですね。すごい寂しいヤリマンじゃないですか、栞の気質って。孤独なヤリマンは嫌なんです。それは超寂しいじゃないですか。 ──孤独なヤリマン。 紗倉 私が目指すのは孤独なヤリマンじゃなくて、パコリンナイト……パコリンナイトは変か。なんかそういう、「フー!」みたいな、充実した陽気なヤリマンになりたいんです。……私は、充実っていう感覚がよくわからなくて、今まで、どれだけ忙しくても、どれだけ楽しくても、充実っていうのが実感しにくいことだったので、もしかしたら、ないものねだりなだけかもしれないです。充実っていうのは、自分がそうだって思い込まないと、いつまでたっても実感できないことなのかもしれないです。 ──それでも、凹と凸の物語は、ささやかなハッピーエンドを迎えます。そこに充実があるんじゃないかっていうところに落ち着いたように読めましたが。 紗倉 着地点はそうですよね。でも……ハッピーエンドなのかな、どうなのかな。 ──そもそも、なぜ物語を書くのか、という話を伺えますか? すごく面倒だし、ストレートにエッセイとして本音を出すことだってできたはずなんです。なぜ物語を作るのか、物語にしか乗せられないものがあるのか。 紗倉 やっぱり、都合がいいからだと思います。物語なら嘘もつけるし、本当のこともいえる。実は、小説のほうが自分を赤裸々にして、書きたいことが書ける。「だって、私じゃない」って言っちゃえばいいことだから。それに、小説なら「自分のことを知ってほしい」ではなく「物語を楽しんでほしい」っていう気持ちで書けるから、自己満足の仕方が違うんだなって思いましたね。
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■処女作『最低。』映像化と“唯一無二の小説家”紗倉まなの存在 ──『最低。』が瀬々敬久監督で映画化されると聞きました。おめでとうございます。 紗倉 ありがとうございます。瀬々監督とはクランクインの日に少しお話をさせていただきましたが、自分の作品を大切に思ってくださっていることが感じられて、ありがたかったです。 ──『最低。』に関しては、各方面から絶賛の声が相次いだと思います。だから、あのAVを見たときに、「すげえな……」と思ったんですよ。SOD版『最低。』って、あったじゃないですか。タイガー小堺監督の。AVの。 紗倉 ふほほほほほほ。すっげえ性格悪い女優を演じるやつですよね。 ──そうそう、「最低のAV女優を演じる」という。あれは本人じゃなかったら、大変なことだと思うんですよ。一生懸命書いたのに。 紗倉 うんうんうんうん。 ──あのAVは、なんだったんでしょう……。 紗倉 あれはホントに……ちょっと聞いてくださいよ! 高橋がなりさんっていらっしゃるじゃないですか。がなりさんが、紗倉が『最低。』を出版したし、「最低」っていうのにまつわるテーマで、じゃあ「最低のAV女優」を演じろみたいな。 ──確かに、SODらしい企画だなとは思ったんですけど、あの小説をあのように扱われるっていうのは……。 紗倉 ふははははは。 ──非常に特殊な環境に置かれた小説家だなと思ったんです。完全に唯一無二だし、前代未聞だと思うんですよ。自分で著作と同タイトルのAVが作れるというのは。 紗倉 私も本当は「ちょっとー!」って思いましたけど、口が裂けてもそんなこと言えないですから。私は自分の身を置いている場所がSODだから、それは許容することだなと思っていて。なんか楽しく演じられちゃったのもあって、複雑な心境でしたね。そこに乗り気になっちゃう自分は、やっぱりSODの人だなって感じたし、別にそれでもいいなって、ちょっと思いました。でもこれ、そもそもはじめはカッパのAVを撮る企画だったんですよ。 ──カッパ? 紗倉 カッパの企画だったんです。3回くらいカッパのメークテストして、「カッパはマンコがついてないから、タピオカを生み落せ」みたいなことを言われたんです。 ──SODstarで、そんなことやっている女優さんいましたっけ? 紗倉 いないです……。 ──でも、『凹凸』も重版が決まったそうですし、知名度が上がればAV版の話が出てくる可能性もありますね。 紗倉 そしたらもう、『凹凸』なんて「身体で表現しろ」とか言われますよ。「凹でーす! 凸でーす!」みたいな。挿れた瞬間に「おうとつー!」って叫ぶみたいな。絶対そっちですよ……。でも、やったほうがいいのかなー。やっちゃおうかなー。 ──出たら買いますよ。 紗倉 じゃあ、いいものにします。せめて。 ──作家業とAV女優って、両方紗倉まなであるとは思うんですけど、交わらないラインだと思ってたんです。あまりに小説の出来がよかったから。作家がこれだけ魂を削ってるのに、うわべだけでやられちゃう感じ、おもしろいなーと思って、やっぱりすごい人ですよ。存在というか、表現者としてすごいです。 紗倉 そっすか、お恥ずかしい限りですけど、本当に。 (取材・文=編集部/撮影=尾藤能暢)
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●『凹凸』 結婚13年目で待望の娘・栞が生まれた一家に、ある異変が起きていた。“あの日”を境に夫と決別した絹子は、娘を守ろうと母親としての自分を貫こうとする。しかし、24歳になった栞は“ある日”の出来事に縛られ続け、恋人の智嗣に父親の姿を重ねている自分に気付く…。家族であり、女同士でもある母と娘、二代にわたる性と愛の物語。 ●紗倉まな 1993年3月23日、千葉県生まれ。工業高等専門学校在学中の2012年にSODクリエイトの専属女優としてAVデビュー。2015年には「スカパー! アダルト放送大賞」で史上初の三冠を達成する。テレビ出演や雑誌グラビアでも活躍し、「週刊プレイボーイ」(集英社)、『messy』(サイゾー)でコラム連載。著書に今秋の実写映画化を控える処女小説『最低。』(KADOKAWA)、エッセイ集『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』(宝島社)、スタイルブック『MANA』(サイゾー)がある。 金属系女子・紗倉まなの「愛ってなんですか?」(messy) http://mess-y.com/archives/category/column/sakuramana
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絶対に言うなよ! 新生活にオススメ!?『話すと100%空気が悪くなる! 言ってはいけないゲス知識200』

絶対に言うなよ! 新生活にオススメ!?『話すと100%空気が悪くなる! 言ってはいけないゲス知識200』の画像1
『話すと100%空気が悪くなる! 言ってはいけないゲス知識200』(宝島社)
 毎年この季節になると、入学、入社、異動などと環境がガラリと変わる方も多いのではないだろうか。入学式や花見など、4月は何かと華やかな印象が強い。  しかし、4月は総じて面倒臭いものだ。なぜならば、4月は“ポジション取り”の月だからである。新たな出会いというポジティブな言葉に惑わされてはいけない。4月というのは「組織の中でどのようなポジションに就きたいか」「他人からどんな人間だと思われたいか」という熾烈なアピール合戦の月なのである。 『話すと100%空気が悪くなる! 言ってはいけないゲス知識200』(宝島社)は、そんな大事な4月に交わす会話では絶対に披露すべきではない“暗黒豆知識”を、約400ページにわたって紹介。新生活には、全くもって必要のない一冊である。4月には、この本で得た知識を披露してはいけない。この本で紹介されている話題以外をすべきである。そう、この本に載っているような話はしてはいけないという、ある種の反面教師としての利用価値がバツグンな本なのである。失敗例から成功を学び取っていこうという図式だ。  では、本書の中からいくつか豆知識を抜粋してみよう。昼休みを、机に突っ伏して寝たフリをして過ごすハメにならないようにしっかりと学び取っていただこう。 「硫化水素で自殺すると、死体は綺麗な緑色になる」。自殺というナイーブな話題であるにもかかわらず、「緑色」という微妙な面白要素が組み込まれているのが、この豆知識のタチが悪いところだ。こんな話をされても、笑っていいのかどうかの判断に困る。以前、リストカットの常習者の女友達に「リストカット跡を棒でこすると、(民族打楽器の)ギロみたいな音がするんだよ〜」というギャグを言われたことがあるが、そのときと同じ気持ちになる。  気を使って「へ〜、そうなんだ……」くらいのことは言ってもらえるだろうが、「ケロロ軍曹みたいだね!」とか「『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』(フジテレビ系)のナンチャンを探せのコーナーで、キャベツ畑に隠れていたとき、そんな色だったよ!」とは言ってもらえないだろう。 「ブルドッグの後頭部を叩くと目が飛び出る」。まず、大前提として、ブルドッグの後頭部は叩いてはいけないはずだ。相手が愛犬家だった場合、もうこの時点でアウトなのは間違いないし、目玉が飛び出るときたもんだから、ひんしゅくを買うことは必至。「濡れた布で眼球を覆い、押し戻さないと元に戻らない」という補足情報まで提供しようものなら、あなたは犯罪者予備軍であるかのような扱いを受けるだろう。 「水戸黄門は嫌がらせで、綱吉に犬の生皮を大量に送りつけた」、なんて豆知識まで披露すれば、もう完全にあなたには“犬虐待キャラ”という、まったくもって使いどころのないキャラが定着することが決定。“犬虐待キャラ”がモテることは古今東西どこを探してもなく、どんなにテニスがうまくても、どんなに歯が白くても、何回落とした消しゴムを拾ってあげても、“犬虐待キャラ”をカバーすることはできない。 「暴漢に刺された板垣退助は、板垣死すともではなく、痛い!と叫んだ」、なんて豆知識も披露してはいけない。いくら板垣でも、僕たちと同様に痛覚がある人間だ。『佐賀県』のタレントはなわみたいに、「スネが異様に強いので、スネで大根を割れる」みたいなことを板垣が明言していたのなら話は別だが、恐らく板垣は、痛みに強いキャラでは売っていなかったはず。それくらいは許してあげてほしい。  このように、華やかな新生活の邪魔をするようなゲス知識が、200本ほど収録。この膨大なゲス知識を体内に取り込んでしまったあなたは、恐らく、新生活に失敗するだろう。しかし、知ってしまったからには披露したくてたまらないはずだ。ついうっかり口を滑らせてしまい、周囲からつまはじき者にされる人が1人でも多く増えることを心から願う……などとは言ってはいけない!?。 (文=大谷皿屋敷[劇団「地蔵中毒」])

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まん延する暴力、信者の減少、教祖の方針転換……甲子園常連の名門「PL学園野球部」はなぜ消滅したのか?の画像1
『永遠のPL学園: 六○年目のゲームセット 』
 史上初の大阪勢同士の決勝となった春の選抜高校野球は、大阪桐蔭が8-3で履正社を制し、5年ぶり2回目の優勝を飾った。  だが、かつて甲子園の風物詩といえば、アルプススタンドを埋め尽くす応援団が描く「PL」の二文字だった。桑田真澄、清原和博、立浪和義、片岡篤史、松井稼頭央、前田健太など数多くのプロ野球選手たちを輩出したPL学園は、創部以来60年間の歴史上、37回にわたって甲子園の地を踏み、7回の全国制覇を達成している。しかし、もう二度と、胸に「PL GAKUEN」と書かれたユニフォームが甲子園をにぎわせることはない。伝統ある強豪校の野球部は2016年、「休部」という形でその歴史に幕を下ろした。  いったい、PL学園野球部に何が起こったのか? その隆盛から崩壊までを追ったノンフィクション『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』(柳川悠二/小学館)からひもといてみよう。  その名の通り、PL教団(パーフェクト リバティー教団)が1955年に創設したPL学園は、当初から野球に力を入れており、野球部設立からわずか6年目の62年で異例の甲子園出場を果たす。その裏には、国民的な娯楽であった野球で有名になることによって、全国にPLの名前をアピールしようという教団側の思惑もあったようだ。当時の教祖・御木徳近(みき・とくちか)は、時に監督の人事や特待生の選定に口を出すまで、熱心に野球を後押しをする。そして83年、徳近は鬼籍に入ったものの、その先見の明はついに開花する。清原・桑田が入学し、PL学園には本格的な黄金時代が到来。信者数も、公称256万人を記録するまでに膨れ上がった。  しかし、80~90年代にわたって長らく続いてきたPL黄金期の歯車は、次第に狂い始める。2001年3月、2年生部員が1年生をパイプ椅子で殴打する事件が発生。学校側は、2年生部員を自宅謹慎としたものの、高野連に対しての報告を怠った。これが発覚し、当時の監督が引責辞任。また、顧問として選手勧誘を担当しながらPLの人材を支えてきた井元俊秀も学園を去ってしまう。  そんな暴力の温床となったのが、PL学園野球部に受け継がれてきた厳しい伝統だ。「3年神様、2年平民、1年奴隷」と言われる野球部で、入学したばかりの1年は先輩の付き人となり、先輩に対する受け答えは「はい」「いいえ」しか許されない。そのほかにも、笑顔禁止、シャンプーの使用禁止、お菓子禁止、部屋では体育座り、廊下を通る女子を見てはいけない……など数々の禁止事項が存在していた。もしもこの掟を破った場合、1年生は連帯責任で厳しい鉄拳制裁を加えられる。そんなPL野球部について、OBである清原は、かつてメディアの前で「暴力はPLの伝統です」と語った。  ただし、昭和の時代は、どの強豪野球部でも似たような状況だっただろう。だが、伝統のプライドを持ったPL学園では、時代が変わっても、その伝統を変えることができなかった。08年には監督が部員に対して暴力を振るい、解任。11年には部員の部内暴力と喫煙で1カ月の対外試合禁止。さらに、13年には上級生による暴力事件が発覚し、6カ月の対外試合禁止と、たびたび暴力事件が発生する。これらの事件によって、世間では「暴力はPLの伝統」というイメージが強まるばかり。もちろん、そのような負のイメージは、教団側にとってもうれしいものではない。  また、PL教団や学校側が置かれた状況も、野球部を追い込んでいく一因となった。最盛期には公称250万人以上だった信者数は、90万人にまで減少。実質的には、おそらく数万人程度であるといわれている。信者数が減少することによって、教団側は財政的にも追い込まれ、教団から学園に対する寄付が停止。有望な人材を全国から集めることも難しくなってしまった。また、野球部のみならず、かつて大阪一といわれた「教祖祭PL花火芸術」もその規模を縮小しており、全国に400あった教会も半数以下にまで統廃合が進む。1,000人以上が学んだPL学園も、今や、全校生徒数188人にまで減少しているのだ。この人数では、名物だった人文字も作れないだろう。  そして、そんな状況に追い打ちをかけるのが、教団上層部の権力関係だ。  2代目・徳近は教育、芸術、スポーツなどに力を入れ、それが布教活動の一端を担っていた。しかし、3代目・貴日止(たかひと)の時代になると、PLランド(大阪府富田林市あった遊園地。PL教団の敷地内に建設され、同教団のベンチャー企業である光丘が経営していた)が閉園され、定時制高校が廃止、花火も規模を縮小していくなど、徳近の敷いた路線から、徐々に離れていく。そして、貴日止が07年に硬膜下出血で倒れると、発言権を増したのが、その妻である美智代だ。彼女は教団や学園の財政難を理由に、独断で野球部の新入部員募集を停止した。  暴力の伝統を引きずる野球部、逼迫する教団の台所事情、そして、教団上層部の方針転換……と、さまざまな事情が重なり、野球部は休部に追い込まれていった。本書の中で、柳川は「はっきりとした『悪者』を見つけるのは難しい」と語り、「明確な悪意も悪者もないのに、組織が崩壊に向かった」と、その経緯を分析している。  16年夏、新入部員の募集も停止され、わずか12人にまで減少した野球部員たちは「史上最弱のPL」と揶揄されながらも、夏の大阪大会に出場。名門・東大阪大柏原と戦い、善戦を果たすも6対7で敗れ、60年の伝統は幕を閉じた。1,000人に達するOBたちは、野球部存続に向けた嘆願を行っているものの、現実的には再開は難しいだろう。いまや、常勝軍団・PL学園の姿は、高校野球ファンの記憶の中に刻まれるのみとなってしまったのだ。 (文=萩原雄太【かもめマシーン】)

「AneCan」「SEDA」「Soup.」に続き、きゃりー輩出の「KERA」も休刊! 女性ファッション誌がなくなる!?

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「KERA」の読モだったきゃりー
 個性派原宿系ファッションなどを19年にわたり紹介してきた女性ファッション誌「KERA(ケラ!)」(ジェイ・インターナショナル)が、4月15日発売号をもって休刊することがわかった。  1998年に創刊され、歌手デビュー前のきゃりーぱみゅぱみゅが読者モデルを務めていたことでも知られる同誌。パンクファッションやロリータファッションなどのサブカル系ファッションから、カジュアル系まで幅広く扱ってきたが、近年は売り上げが低迷。ゴスロリファッションに特化した姉妹誌「ゴシック&ロリータバイブル」も、5月24日発売号をもって休刊するという。 「昨年から代表的な女性ファッション誌の休刊が相次いでいる。特に10代後半から20代中盤がメーンターゲットの雑誌は厳しく、『インスタグラム』や、ZOZOTOWNと連動したファッションアプリ『WEAR』の普及がモロに影響したと見られている。中でも、昨年11月の『AneCan』(小学館)休刊は、出版業界や世の女性に衝撃を与える大事件でした」(女性誌編集者)  昨年はそんな「AneCan」のほか、「SEDA」(日之出出版)や「RANZUKI」(ぶんか社)など、コンビニでも売っていたメジャーファッション誌が次々と休刊に。また、今月も、ピーク時には約30万部を売り上げていた「Soup.」(スープ)が休刊。「Soup.」の版元の親会社は、休刊の理由を「雑誌の発行に係る制作費及び造本費など多大な原価に対する安定した収入を得ることが難しく、出版関連事業において利益を計上するには至っておりません」とコメントしている。 「休刊したファッション誌は、その多くがデジタル版に移行したものの、どこも広告枠の販売に苦戦。編集部員のリストラなどが行われています。また、主に宝島社が大成功した豪華な付録をウリにする売り方も完全に飽きられ、随分前に頭打ち。それでも、『CLASSY.』(光文社)や『BAILA』(集英社)、『and GIRL』(M-ON! Entertainment)といったキャリア女性向け雑誌はまだ勢いがあるため、『JJ』(光文社)もターゲット層を25歳前後に引き上げるなど、スマホ世代の若年層を切り捨てる流れが見受けられます」(同)  暗いニュースが続いている女性ファッション誌業界。「上質の紙でファッションを見る」という文化が、日本からなくなる日も近い……?

「東大生に50円の価値もない」月給1,500円!? 高野りょーすけが“日本の最高学府”東京大学を飛び出したワケ

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「おっさんレンタル」「レンタル彼女」……と物に限らずありとあらゆる体験が“レンタル”できるようになった昨今、インターネットやSNSを介して、自らの時間のレンタルを受け付ける人たちが出てきた。1日50円という労基署も真っ青な金額で、レンタルを受け付ける男がいる。なぜ、彼はフルタイムで働いても月給にして1,500円にしかならないこの生活を始めたのか? そんな「1日を50円で販売する」生活の中で出会った、さまざまな人々との交流をまとめた『現役東大生が1日を50円で売ってみたら』(KADOKAWA)を上梓した、著者の高野りょーすけ氏に話を聞いた。
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――1日を50円で売るきっかけは、そもそもどういった経緯だったんですか? 高野りょーすけ(以下、高野) 大学で留年してしまって、どうしようかなって思っていたら、「おっさんレンタル」とか「レンタル彼女」とか、自分の時間を売る方々を見つけたんですよ。自分もいろんな依頼に応えていけば、長所が見つかるのかもなって思ったんです。「おっさんレンタル」が1時間1,000円とか……「レンタル彼女」は、8,000円でしたかね。それで、この金額で売ったとしても、買ってくれるのかなって不安になっていたところ、その中で最安値だった50円で、やってみようかなというのが始まりです。 ――本書にも書いてありますけど、勉強が自分の長所だったけど東大に入ったらそうでもない。落胆した気持ちが強かったですか? 高野 勉強で1番にならなきゃってずっとやってきて、合格したんですけど入ってみたら周りもみんな勉強できる。その中で医者を目指す人だったり、弁護士になりたい人だったり、官僚になるぞ、みたいな人がうじゃうじゃいて、その人たちと比べて自分は取りえがあるわけでもないですし、将来これで食っていこうみたいなのもなくて。ある種のコンプレックスはありましたね。完全に埋もれて、やばいなって思いました。 ――1日って、24時間を50円で売っているんですか? 高野 泊りがけもありますけど、ほとんどが数時間ですね。午前中は、この人、午後はこの人って場合もあります。1日に3件と4件入る日とかもありますね。月給にすると1,500円、今月末に控えているのが、お話してください1件、仕事の相談1件、一緒にご飯食べてください1件とラジオ出演で1日に4件入っている日があります。 ――出会った人で、印象に残っている人っています? 高野 最近だと、不登校の小学生がいましたね。いじめで、小4から小6の2年間、学校に行けてなくて、お母様から「うちの子と遊んでほしい」って依頼。なんだろうな……まさに勉強が通じない世界というか、勉強がまったく役に立たないんですよ、その子と話していると。僕は東大入試をひいひい言いながら突破したけど、その能力じゃこの子を救ってあげることができないんだなって心の底から感じました。結局、その依頼は、2~3時間カードゲームとかして遊んで、話せば学校に行くきっかけの一つになるかなって思っていたんですけど、まだ学校に行けてないみたいで、役に立てたのかどうか。 ――依頼は、全部受けているんですか? それとも選んでいますか? 高野 基本的には受けます。だけど、「宿題をやってください」っていうのは、ちょっと無理だと。僕は全然やってもいいんですけど、それが大学にバレたらその頼んだ人も一緒に世間にさらされるかもしれないから、断っていますね。あとは、地方に住むお母様からご依頼がありまして、地方で情報もないから、勉強のコツとか、これから1年間どうやって計画を立てたらいいか、来年受験の息子のために教えてくださいって依頼がありました。それで「それって、息子さんは知っているんですか?」って聞いたんですよ。お母さんが僕のアドバイスを聞いて、それを息子さんに伝えたところで“やらせている感”が出るから、結局は息子さんにとってはいい選択なのかな? と思いまして。そしたら承諾しているけど、直接僕に聞くのが恥ずかしいから、お母様伝いで依頼してきたそうなんです。その後「いつでも相談にのるんで、その気になったら息子さんから連絡ください」ってLINE教えたんですけど、全然連絡ないですね。結構、悲しくなりました。
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――依頼を受けてきた中で、「これはいいことができたな」というのと「もうちょっと力になれたのかな」では、どちらが多いですか? 高野 それを聞かれると、すごく不安ですね。依頼が終わった後もTwitterやフェイスブックでつながっている人が多いです。この前、大学進学の相談の依頼を受けた女子高生から「あの後、第一志望が決まって、無事に合格しました」って連絡がきて、やっていてよかったと思いましたね。 ――外の世界を見てからだと、東大はどのように映りますか? 高野 よく、東大生は変わり種として紹介されますけど、どの大学にもそういう方っているじゃないですか。それに50円でお会いした方々も、良い意味でみなさん変わっていらっしゃいますし。東大だから〇〇っていうのは、思っているよりは少ないのかな、と。 ――あとがきで「東大生に50円の価値もない」という言葉が出てきますけど。 高野 すごく納得しました。もう終わったレースなので、そこで胸を張ってもしょうがないぞと。でも、なんだかんだこんなに依頼が来るのも東大生だから、というのもあると思うんです。東大なんて、とまでは言うつもりはないですし、東大に恩は感じています。 ――50円活動をする中で、自分の長所って見えてきました? 高野 僕の中には、特長みたいなものがないんだなって実感しましたね。当初は、依頼を受けていく中で自分に共通するものがあれば、それが自分の長所だろうって思っていたんですけど、ご依頼ごとに会う人も境遇も悩みも違う。この方には、自分はこういったことができる、あの人にはこういうことができるというふうに、その人との関係の中で、ようやく自分の長所ができるんだなと感じたんです。本書にも出てきますけど、発達障害の人には数学の話、不登校の小学生だったらカードゲームで遊んであげられるなという、依頼してくれた人と接する中で、出てくる。 ――50円活動を始めてから、社会に対するイメージって変わりました? 高野 変わりましたね。やっぱり、今まで接してきたタイプとは全く違う人たちで、本当に想像できないほどの数の人たちが社会をつくっているんだなと。 ――50円でいつまで売り続けるんですか? 高野 昨年も同じご質問をいただいて、そのときは100件越えたらやめますって言った気がします。今、200件くらいなので、わからないですけど、今年1年は頑張ろうって思っています。 (取材・文=編集部) ●高野りょーすけ(たかのりょーすけ) 1995年、茨城県生まれ。私立の中高一貫校に通うも部活に入らず、ゲームで知り合ったニートの人と遊びすぎて、成績が急降下。親の放任主義に見かねた兄にブチ切れられ、勉強を開始。成績が良ければモテるかなと思い、さらに勉強を積み重ねて学年1位をとるも、まったくモテず、せめて勉強だけはと、なんとか東京大学理科2類に現役合格。しかし、自分の取り柄がないことと将来に不安を覚えて、自主留年。留年が決まった翌年の2016年1月1日にブログを立ち上げ、同年3月から「東大生の1日を50円で買ってくれませんか」企画を始める。
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現役東大生が1日を50円で売ってみたら 学びはキャンパスの外へ 「東大生に50円の価値もない」月給1,500円!? 高野りょーすけが日本の最高学府東京大学を飛び出したワケの画像5

「君たちはどんなに頑張ってもリア充にはなれない」意識高い系は、なぜ面倒くさい? 文筆家・古谷経衡が暴く“承認欲求の怪物”の正体

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 SNSに毎日投稿し、土日は仲間たちとバーベキュー、せっせと自己啓発セミナーに足繁く通う若者を「意識高い系」と呼ぶ。時に炎上する彼ら「意識高い系」は、どこからやってきたのか。若手文筆家・古谷経衡が、このたび『「意識高い系」の研究』(文春新書)を上梓した。自身も「意識高い系」の一人だと自認する古谷に、世間をにぎわす彼らの実態について話を聞いてみた。
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――意識高い系は、「イライラする若者」ぐらいの捉えられ方だと思うんですけど、今回はそういうことではなくて、「こういう思考回路を持っている人」たちだと枠を広げたところが新鮮だと思いました。リア充になれない人たちが、意識高い系になるということですが、リア充にも意識高い系にもなれない人たちもいると思うんですね。 古谷経衡(以下、古谷) リア充でも意識高い系でもない人というのは、“見えない”んだと思うんです。要するに、本人も諦めちゃっているし、諦めているが故に承認される必要もない。たまたま知り合いにそういう人がいれば、見えますけど、大多数はそういう自己アピールをしないと思うので。ぶっちゃけて言うと、それが普通だと思うんですけどね。数的にも多いと思います。だって、普通は、インスタグラムなんかに毎日写真を上げないわけですから。20代とか30代でくくったときに、物言わぬ彼らのほうがマジョリティだと思うんです。彼らが意識高い系にならない理由は、そこまでものすごいコンプレックスを持っているわけではないからです。意識高い系が若者の実態だ、みたいなのは、上の世代によくある錯覚で、意識高い系の方がマイノリティでしょうね。 ――NHK『ねほりんぱほりん』で、大阪に住んでいるのに“六本木に勤めるOL“を偽装する「キラキラ系女子」が登場して驚いたんですけど、これも「意識高い系」になるんでしょうか? 古谷 僕も見たことありますよ、「この(SNSにアップしている)画像、海外のホテル予約サイトのあれでしょ」って。よくその嘘写真がネット上で検証されたりしていてね。偽装・偽証しておるんだったら、それはもはやキラキラ女子とか意識高い系ですらなくて、別のメンタルの問題なのではないかと思います。意識高い系によくある「バーベキュー行きました」アピールって、一応実際に行っているわけですから。大阪に住んでいるのに、六本木でOLしている設定って、全部嘘なワケですよね。詐術を弄しておるわけだ。 盛ることもしてないですよね、だって盛る基礎が0なんだから。10を14にしたり、10を17にしたりとか盛ることは、意識高い系の中ではよくあることですけど。あとは、自撮りの中からいいところ(奇跡の一枚)しかアップロードしなかったりだとか。日常生活や交友の良いところだけを針小棒大にアピールするのがキラキラ女子=意識高い系で、元々の事実を改ざんして詐術を弄するのは……また別次元ですね。 ――0に50を掛けるのは、意識高い系ではないということですね。 古谷 0に何を掛けても0ですからね(笑)。 ――偽物のブランド品を販売して逮捕された、「ばびろんまつこ」のように、法に抵触する行為が問題となっています。あれを見たときに、意識高い系は遠い世界の話ではなく、誰にとっても身近な問題なんだと思いました。 古谷 根本として、人間は他者から承認されたい気持ちが普遍的にある。仮にそれがリア充だとしても、薄いでしょうけど誰でも皆にあるものです。その中で“承認欲求の怪物”になったのが意識高い系。“ここではないどこかで羽ばたきたい”という欲求が全世界のある種の思春期の若者たちにあるのと同じように、たぶん承認欲求を根絶するのは不可能だと思うんです。でも、その欲求は少なくなっていった方が楽ですよね。だって、意識高い系はその承認欲求と対になった自己アピールが故に、生活水準を背伸びまでするから、それを維持できなくなって犯罪まで手を伸ばすのです。(ばびろんまつこの例=詐欺・商標法違反)。承認欲求の怪物、意識高い系は、根絶はできないけど、軽減させていくことはできます。もしかしたら僕も、ばびろんまつこのように九州の田舎に生まれて、ジャパネットたかたに入社して、都内でOLして、そこでも承認欲が満たされず悶々としていたら、もしかすると彼女のようになっていたかもしれない。だから、僕も同族なんです。半分否定はするけど、いなくなったほうがいいと言ってしまうのは酷。意識高い系は人間に普遍的にある承認欲求が肥大化しただけの存在なので、根っこのところはある意味凡庸で小心者なのです。意識高い系はその自己アピールのウザさ故に、ネット上で目立つから「意識高い系www」みたいなやり口で嘲笑されるわけですよね。
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――相手をバカにする言葉として扱われる傾向にあります。 古谷 なんか……そこまでバカにされると意識高い系の人々を抱き締めたくなってしまうんですよ。「もう頑張んなくていいよ。身の丈にあった生活をしなさい」と言いたい。だからといって彼らの承認欲求のコンプレックスがなくなるわけでもないし、地方から東京に出てくる人はいっぱいいる。東京の中でもスクールカーストに悩まされる人も、これから新しい学年になるたびに出てくる。そうすると、意識高い系が生まれる素地は温存された状態になる。じゃあ、そういった人が現出してきたときに「お前たちはいなくなれ」って言ってはいけないのではないか。本当に唾棄すべきなのは、この本書にも縷々書いてあるように「リア充」なんですよ。彼らは天然的に恵まれていて、天然的に強くて、土地を親から相続される「強者」なわけだ。時として彼らが学校空間の中で支配階級となり、加害者になってしまうことの自覚さえ持っていない。あるいは、忘れてしまっている。僕は意識高い系の人たちを教導するべきだと思うんです。「君たちはどんなに頑張ってもリア充にはなれないんだから、そこまで虚勢を張らなくてもよい。それより己のコンプレックスを直視して不断の努力で戦力を蓄え、共同戦線を張ってリア充と戦おうじゃないか!」ぐらいの方が、まだいいんじゃないかと。だって、意識高い系はリア充を目指し続ける青春時代の弱者なんですから。 ――「リア充」と「意識高い系」の線が曖昧だったと思うんですが、この本でそれがはっきりし、かついろんなタイプがいることがわかった気がします。 古谷 例えば『東京タラレバ娘』(講談社)が流行ってますけど、あれの主人公なんか典型的な意識高い系だと思うんです。地方から出てきて、東京で頑張っている。相応の実力もある。でも、すでに30を過ぎて路頭に迷う兆しがある。真に異性から承認されずに焦燥感ばかりが募り、苦悶している設定ですよね。僕は東村アキコ先生が大好きですけど、たぶん東村先生にもそういう意識が共感できる素地があるんだと思います。前提的なことから考えてみました。なんでこの物語の舞台は東京じゃないとダメなんだろう、と。これ、『金沢タラレバ娘』でもいいじゃんって僕は思ったんですけど、やっぱり、東京に自意識があるという地方上京組のキャリアウーマンの設定だからこそ東京を持ってくるわけです。それに比べて同じく東村先生の『ひまわりっ』は全く逆で、宮崎県が舞台の作品ですが。『タラレバ娘』の主要登場人物3名って、“東京で頑張っている私”の女性の話でしょ。でも、「地方から出てきて私頑張っているんだぜ」っていくら苦悶しても、元々東京にいるやつには敵わない。伊集院光さんとか石田衣良さんとか西村賢太さんには敵わないんですよ。元々の江戸っ子の余裕には、地方上京組は敵わないんですね。石田さんはともかくとして、伊集院さんや西村さんには気取ったところなんて何一つない。ラジオや本を読んでいると泥臭さの塊ですよね。東京の地元民だから東京という土地に自意識を持たないんですよ。東京にブランド意識を持っていて、東京という土地のブランドに固執するのは地方上京組の田舎者です。マンションデベロッパーの良い食い物ですよね。ニコタマとか吉祥寺とかベイエリアのブランドイメージだけで物件を高値掴みしてくれるんだから一番の上客ですね。その実勢より高く評価されたコンクリートの塊を、「東京のブランド」というイメージだけで、超長期25年間分割ローンで買ってくれるんだから、銀行にとってもこの上ない上客ですよ。こんなに良いお客さんはいない。  害悪だと思うのは自らを意識高い系とは自称しないが、「意識高い系の生き方はいいよ、意識高い系は最高だ」っていうニュアンスで抽象的な「働き方」とか「生き方」とかを提示して、そこに「ノマド」とか横文字をくっつけて“あるべき、都市的で洗練さえた生活スタイル”を先導しちゃう人ですな。これはいわば“意識高い系商法”ですね。いいわけないじゃないですか、そんなの。洗練には時間がかかるから東京の地元民のようにはなれない。一方、真に承認されたいなら「ノマド」がどうのとかではなくて、地道な努力しかない。世の起業家は、いちいち自分の起業過程を見せびらかしたりしませんから。でもそこをアピールしたい人は、「起業に向けて頑張っている自分」をアピールして承認されたいわけですよね。実は起業精神などどこにもなく、興味もない。好きなのは自分自身で、でも中身が空っぽだから精一杯虚勢を張ってSNSに自己アピールを投稿し、刹那の「いいね」承認に満足するのです。そんなことに何の意味がありますか。だから、身の丈に合った生活水準を堅持し、不言実行で努力し、それが成就した暁にこそ他者からの承認がなされるのですから、そんなに背伸びしなくてよいと思います。意識高い系は常に「頑張っている自分」をアピールしたがるが、本当に頑張っている人はその過程をいちいち他者に喧伝しない。いい加減自己矛盾に気がつき、不言実行の精神を涵養するべきです。それ以外に天然に強き者=リア充に対し、青春時代の弱者たる「意識高い系」が打ち勝つ方法はない。 (取材=綾門優季[青年団リンク キュイ]/文=編集部) ●古谷経衡(ふるやつねひら) 1982年札幌市生まれ。立命館大学文学部史学科(日本史)卒。文筆家。一般社団法人日本ペンクラブ正会員。NPO法人江東映像文化振興事業団理事長。インターネットとネット保守、若者論、社会、政治、サブカルチャーなど幅広いテーマで執筆評論活動を行う一方、TOKYO FMやRKBラジオで番組コメンテイターも担当
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「意識高い系」の研究 (文春新書) 高く保つ 「君たちはどんなに頑張ってもリア充にはなれない」意識高い系は、なぜ面倒くさい? 文筆家・古谷経衡が暴く承認欲求の怪物の正体の画像5

前田日明は、本当にただの「ヘタクソ」だったか……ベテランプロレス記者が読み解く『1984年のUWF』

前田日明は、本当にただの「ヘタクソ」だったか……ベテランプロレス記者が読み解く『1984年のUWF』の画像1
『1984年のUWF』(文藝春秋)
 文藝春秋より刊行された単行本『1984年のUWF』が、かつてUWFのファンだった人を中心に話題を呼んでいるという。  著者はスポーツ雑誌「Number」(文藝春秋)の元編集者で、フリーライター転向後、『1976年のアントニオ猪木』(同)、『1985年のクラッシュ・ギャルズ』(同)、『1993年の女子プロレス』(双葉社)、『1964年のジャイアント馬場』(同)などを執筆した柳澤健氏。 『1984年のUWF』は、序章=北海道の少年(中井祐樹)、第1章=リアルワン(カール・ゴッチ)、第2章=佐山聡、第3章=タイガーマスク、第4章=ユニバーサル、第5章=無限大記念日、第6章=シューティング、第7章=訣別、第8章=新・格闘王、第9章=新生UWF、第10章=分裂、終章=バーリ・トゥードから構成され、全411ページとかなりのボリュームだ。  同書は後のプロレス界、格闘技界に多大な影響を与えたプロレス団体UWFが設立された経緯、内情、分裂のいきさつや、佐山聡(初代タイガーマスク)が設立したシューティング(後の修斗)の成り立ちなどを克明に記している。  ちなみに筆者は、当時の事情を知る元プロレス専門誌の記者であるが、この本で著者がどのようなことを訴えたかったのかを知りたく、興味深く拝読させていただいた。  UWFというプロレス団体をよく知らない方のために書いておくと、第1次UWF(ユニバーサル・プロレス)は、新日本プロレスを追われた“過激な仕掛け人”新間寿氏(元新日本プロレス専務取締役営業本部長)が中心となって設立され、1984年4月11日、埼玉・大宮スケートセンターで旗揚げした。当初は既存のプロレス団体の域を出なかったが、後に佐山が合流したこともあり、“格闘スタイル”を全面に押し出して、プロレス界に新風を吹かせた。佐山のほか、前田日明、藤原喜明、木戸修、高田伸彦(現・延彦)、山崎一夫らが在籍した。だが、85年9月に経営難のため活動停止。  佐山を除く、残った選手たちは、プロダクション化して、新日本と業務提携を結び、同団体のリングに上がることになる。両軍によるイデオロギー対決は注目を集めたが、新日マットで始まった世代抗争にUWF軍も巻き込まれる格好となり、だんだんUWF軍の存在自体も、その闘いのスタイルも形骸化していく。  そんな折、87年11月19日、後楽園ホールで行われた6人タッグ戦で、サソリ固めを決めた長州力をカットしようとリングに入った前田は、防御できない状態で長州の顔面を蹴って、右前頭洞底骨折及び前頭骨亀裂骨折の大ケガを負わせた。「故意に相手にケガをさせるような攻撃を行った」として、前田は無期限出場停止処分を下された。アントニオ猪木には前田を救いたい意向もあったが、翌88年2月に前田は解雇処分となった。  これを契機に、UWF再興への動きが始まり、同5月12日、前田、高田、山崎、そして若手選手らが決起し、第2次UWF(新生UWF)が後楽園ホールで旗揚げした。第2次UWFは、第1次時代の“佐山ルール”をベースに、格闘スタイルを推し進め、既存のプロレスに疑問を感じていたファンを熱狂させ、一大ムーブメントとなった。89年には新日本から藤原、船木優治(現・誠勝)、鈴木実(現・みのる)を引き抜き、大阪球場や東京ドームにも進出し、大成功を収めたかにみえた。しかし、経営面ではひっ迫して下降線をたどっており、フロントと選手間に摩擦が起きる。その結果、90年12月には両者間に大きな亀裂が入り、選手は一致団結をアピール。神新二社長は所属全選手を解雇し、第2次UWFはあっけなく終焉を迎えた。その後、前田が中心となり、新団体設立に動いたが、一部の若手選手が反発したため、前田は解散を宣言。第3次UWF構想は幻に終わり、“UWF”という名の団体は、6年8カ月で幕を閉じた。  結局、UWFは前田一人のリングス、高田がエースとなったUWFインターナショナル、藤原が代表を務めるプロフェッショナル・レスリング藤原組と3派に分裂。さらに、方向性の違いで、藤原組から船木、鈴木らが離脱し、パンクラスを設立した。一方、第1次UWFでプロレスと訣別した佐山は、新格闘技シューティングの普及活動に精を出すことになる。これがUWFのあらましだ。  そういった背景を踏まえて、同書は書かれているが、序章でプロレス、UWFとは何の縁もない中井がいきなり登場して、「何のこっちゃ?」と違和感を覚えた読者は少なくないだろう。中井は佐山が創設したシューティングの元選手で、あの“400戦無敗の男”ヒクソン・グレイシーと対戦したこともある実力者。幼い頃から熱狂的なプロレスファンだった中井は、中学2年のときに誕生した第1次UWFに刺激を受け、学生時代は柔道、レスリングに熱中した。UWFに幻想を抱いた若者だったが、北海道大学1年のとき、89年8月13日、神奈川・横浜アリーナで開催されたUWFの試合をクローズド・サーキットで観戦し、衝撃を受けたという。この日、組まれた高田VS船木戦は、船木が掌底で高田をKO寸前に追い込んだ。ダメージの大きい高田はコーナーマットに寄りかかったままだったが、レフェリーは船木のKO勝ちとみなさず、試合を続行させた。結局、高田がキャメルクラッチ(ラクダ固め)という、UWFらしからぬ技で逆転勝ちを収めた。この試合を見た中井は、「UWFは真剣勝負の格闘技ではなかったのか」との思いに駆られ、プロレスとの訣別を決めたと記されている。  違和感といえば、同書における前田への低評価にも首を傾げる。佐山側から書かれた本であることは明白だが、あまりにも前田に手厳しすぎるのだ。確かに第1次UWFにおいて、佐山が果たした役割は大きく、格闘スタイルのプロレスが築けたのは佐山がいたからこそ。ただ、第1次UWFはマイナーな域を脱せず、社会現象ともいえるブームを巻き起こしたのは第2次UWF。前田は、そのエースであり、ファンの間でも“最強説”が存在した。ところが、同書で前田は、藤原のように関節技がうまくなく、キックも佐山のように強力ではなかったと断定。さらには、「対戦相手にケガばかり負わせるヘタクソなプロレスラー」というのが、同書での前田評だ。  第1次UWFの末期である85年9月2日、大阪で組まれたスーパー・タイガー(佐山)VS前田の一戦は異様な雰囲気の中、進んだ。前田は佐山の蹴りを受けないなど、ある種、ガチンコを仕掛けたような試合だった。最後は前田が急所蹴りを見舞ったとして、反則負けが宣せられた。結局、佐山はこの試合を最後に第1次UWFから去った。一部では、まったくUWF道場での合同練習に参加しない佐山が、リング上では主導権を握っていることに不満を募らせたフロントが、前田をたきつけたとともいわれている。あたかも、前田が佐山を潰すため、急所を狙ったともされるが、実際には通常ではない前田の雰囲気を察した佐山が、早々に試合を終わらせるため、入ってもいないのに急所蹴りをアピールしたとの説もある。  例の長州襲撃事件では、長州のみならず、藤波辰巳(現・辰爾)や外国人レスラーにケガをさせて欠場に追い込む「ヘタクソ」と断罪。これに関して、前田を擁護する気など毛頭ない。ただ、ヘタであっても、その強さはもう少し評価してもいいのではないか? あのデカい体なのだ。上に乗られただけで、対戦相手にとっては厄介な選手であることは間違いない。  第2次UWF時代の89年10月25日、前田は新人の田村潔司と対戦した。田村は負傷欠場した船木の代役だったが、本気で向かってきた田村に激怒した前田は、顔面に強烈なヒザ蹴りを何発もたたき込み、眼窩底骨折の重傷に追い込んだとされる。同書では、この行為を「エースのやることではない」と断罪している。確かに新人相手にムキになって、ケガさせるのはよくないことだ。ただ、格闘スタイルのUWFだ。前田のことを“ぬるい試合”ばかりやっていたと酷評しているが、既存のプロレスのごとく、新人の技を受けて立っていたのではUWFではなかろう。UWFなのだから、団体のエースが新人をボコボコにして勝利するのは当然だろう。  総じて、同書の大部分が、すでにほかの書籍や雑誌で書かれた内容を引用したものであるため、既読感が強く、新たな情報は少ないような気がする。プロレスラーへの取材はほぼなく、UWFの元フロントや関係者に聞いた話が多くの部分を占めているだけに、やや物足りなさを感じる面もなきにしもあらず。やはり、読者としては、当時の真実を知る上で、プロレスラーの話をもっと読みたいと思ったのではなかろうか? とはいえ、UWFのことを、これだけ詳細にまとめ上げるのは大変な労力で、その点には敬意を表するし、一読の価値がある本だといえよう。  同書では、佐山が創設した新格闘技シューティングはリアルファイトで、UWFを含むプロレスはショーだとの表現が盛んに見受けられる。著者が最もいいたかったのは、その部分なのか? 日本で第2次UWFが消滅した後、米国ではUFC、日本ではPRIDEという、いわゆる「何でもあり」の総合格闘技がブームとなった。国内では、プロレスラーVS格闘家の構図に人気が集まり、あくまでも興行の核になったのはプロレスラー。Uインターでは一介の若手選手にすぎなかった桜庭和志が総合格闘技の世界でスターになれたのは、プロレスラーだったからだ。  どの格闘技も同様だが、プロである以上、観客がいてこそ成立するものであり、エンターテインメントだ。国技である大相撲でさえ、長らく八百長が存在していたことが明らかにされた。この時代に、やれリアルファイトだの、ショーだのと論争しても不毛だし、それも含めて楽しむのが、エンターテインメントであり、プロレスだろう。ただ、単に勝った負けただけで、見ておもしろくなければ仕方がない。リアルファイトを追求しても、観客不在であれば、プロとして成立しない。  この本で主役となっている佐山は、シューティングを追われた後、プロレス界に復帰。現在でも、リアルジャパン・プロレスの主宰者として、リングに立ち続けている。衰えたとはいえ、その姿を見て、喜んでいるファンが数多くいるのも事実。  いみじくも、故ジャイアント馬場さんは、「シューティングを超えたものがプロレス」という名言を残した。UWFのスタイルも、総合格闘技での関節技もプロレスの一部分にすぎない。 (文=森岡剛)
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パンクすぎ! 伝説のハガキ職人の挫折の日々と、妄信し続けた“才能”の終着点とは――

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著者のツチヤタカユキ氏。
「1日2000本のボケを考える」というノルマを自分に課すというクレイジーな生活を送り、『着信御礼!ケータイ大喜利』(NHK総合)でレジェンドの称号を獲得。  その後も、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)、『伊集院光 深夜の馬鹿力』(TBSラジオ)など、数々のラジオ番組や雑誌の投稿コーナーで常連となっていたハガキ職人・ツチヤタカユキ。  やがて、常連だったラジオ番組の芸人に誘われ、構成作家見習いとして上京。しかし「人間関係不得意」ということで、その道もあきらめ、地元に帰ってしまったことなどが番組で語られていたが、最近ではめっきりそんな話も出なくなって、ツチヤの行方を気にしていたリスナーも多いのではないだろうか。  そんなツチヤタカユキが突然、自伝的私小説『笑いのカイブツ』(文藝春秋)を上梓した。  投稿していたネタからはうかがい知れなかった、私生活を破滅させてまで「笑い」に突き進む自らの姿を描いた衝撃的な一冊だ。  シド・ヴィシャスやカート・コバーンのように若くして死にたいと思い、笑い以外のすべてをかなぐり捨ててきたヤバイ人が、まともにインタビューなんて受けるわけないと、ビクビクしながら取材場所に向かったのだが……。

■シド・ヴィシャスみたいに、21歳で死のうと思っていた

――どんなキチガイが来るのかと思ってたんですが、意外とまともそうですね。 ツチヤ 27歳でお笑いをやめて、そこで一回死んだと思って生きてるんで……。それまでは本当にヤバかったですよ。トンガリまくってて、こういう取材が来ても、あの頃だったら何もしゃべらんと、にらみつけてたと思います。 ――(そんな取材相手イヤだ……。)宣伝のためのインタビューなんか、やってられるかと。 ツチヤ 今は価値観が変わって、この本が売れることで関わったみんなが幸せになるなら、インタビューでもなんでも受けたろう、という気持ちです。 ――(よかった……!)お笑いにハマる前は、どんな人だったんですか? ツチヤ 漫画オタクでしたね。それからネトゲ廃人になって、メシ食う時にもコントローラー握ったままで、そのまま寝たりとか。 ――ああ、なんにでものめり込んじゃうタイプなんですね。お笑いにハマッたきっかけは? ツチヤ 中学生の頃、関西で『吉本超合金』(テレビ大阪)とか、ヤバイ深夜番組がいっぱいあったんですよ。それ見てハマりましたね。『M-1』が始まった頃だったし、お笑いブームが来てるぞと。 ――だったら、普通は芸人になろうと思うじゃないですか。 ツチヤ とにかく「ネタを作りたい!」という衝動が先行していたんですね。芸人って食レポとか、情報番組のMCとかもやらされるじゃないですか。僕はネタだけを作りたかったんですよ。芸人なっても、ネタだけでメシ食えないんじゃ意味ないなと。 ――その衝動が『ケータイ大喜利』に向かったんですかね。レジェンドになった先は、どうなろうと思っていたんですか? ツチヤ ゴールは見えてなかったですね。漠然と、コント番組のネタを書いたりしたいなとは思ってましたけど、どうやったらそうなれるかもわからなかったし。とにかくネタを作り続けて、衝動が尽きたらそこでおしまい。シド・ヴィシャスみたいに、21歳で死のうと思ってました。格好いいじゃないですか、死んで「伝説」って言われたら。 ――シド・ヴィシャスは死ぬまでに、世界的に有名になっていたから伝説になれたんですよ! ツチヤ 21までに、売れている予定だったんですよね。このスピード感でネタを作ってたら、当然クドカンさんレベルにはなるだろうと。……アホだったんですよ、衝動で何も考えんと、ネタだけ作っていたんです。 ――面白いネタさえ作っていれば、誰かが見つけてくれるんじゃないかと? ツチヤ 「打席にさえ立たせてくれたら、絶対にホームラン打ったる!」と思ってましたね。
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『笑いのカイブツ』(文藝春秋)

■オレ以外全員死ね!

――それから吉本の劇場に入り込むわけですが、そこでは「打席」に立てなかった? ツチヤ 劇場で作家としてネタを書かせてもらうためには、上に気に入られなきゃならなかったんですよね。「なんでオレにネタを作らさへんねん!」とか「お前らが使こうてる作家より、オレのほうが面白いのに!」なんてことばっかり思ってました。業界の仕組みもなんにもわかってなかったんです。 ――そこで周りと同じように媚びようとは思わなかった? ツチヤ ダサいじゃないですか。そんなことやるより、ハガキ職人になったら全部打席だから。 ――ああ、そっちにシフトするんですね。でも、ハガキ職人って、仕事ではないですよね? ツチヤ 仕事とか関係ないんですよ。自分の笑いを世に出せたらいい。「おもんない先輩作家がエライさんの肩を揉んで仕事取ってる間に、こっちはハガキ職人やって全部の打席で打ちまくって抜いたらぁ!」と思ってました。 ――ラジオは好きだったんですか? ツチヤ ハガキ職人になるまで、ほぼ聴いたことなかったですね。ラジオって、フリートークがメインじゃないですか。当時は作り込んだものが好きだったんで、フリートーク聴いてる時間があったら、コントのDVDを見まくろう、映画を見て吸収しようって思ってましたね。ハガキ職人やってる頃も、ハガキコーナーしか聴いてなかったですもん。 ――それじゃ、楽しんでラジオを聴けないでしょう? ツチヤ 完全に、表現の場所としか考えてなかったです。「こういうネタが採用されんのや」とか、ずっと分析しながら聴いてました。 ――ほかのハガキ職人のネタも分析したり? ツチヤ いや、「オレ以外全員死ね」と。全員事故って死んで、オレだけのネタで番組を埋めたいと思ってましたから。

■頭おかしいんか、オレ以外全員!?

――常連だったラジオ番組の芸人さんに誘われて、東京で構成作家の見習いを始めるわけですが、普通に考えたら華々しいサクセスロードですよね。どうして続けていけなかったんですか? ツチヤ 作家の仕事をやるのにも人間関係っていうのが重要で、単純に仕事がまったくなかったんですよ。「これだけ毎日ネタを作って、100%努力しているのに認められないなんて、頭おかしいんか、オレ以外全員!?」と思ってました。 ――「もしかしたら、自分に才能がないのかも」というふうには思わなかったんですか? ツチヤ 現実問題として仕事が来ないということは、ビジネスとしてお笑いをやる才能がないんだなとは思いましたけどね。 ――でも、「面白さの才能」で負けていると思わない? ツチヤ 面白さで負けたと思ったことはないですね。当時は天才で、松本(人志)さんよりオレのほうがおもろいと思ってたんで! ――おお……。そう考えている人って、どんなスタンスでテレビのお笑い番組を見るんですか? ツチヤ 審査。 ――審査! ツチヤ 「なんや、このネタ。アドリブでやってるレベルやんけ」「金返せ、殺すぞ!」とか……そんなことをテレビに向かって言っていました。 ――そこまで自分に才能があると思いつつも構成作家をやめ、地元に帰ったわけですけど、バイト生活に戻るくらいなら、構成作家としてガマンして下積みしたほうがよくないですか? ツチヤ バイトのイヤさと、構成作家としての人間関係のイヤさは同じような感じでしたからね。どうせバイト中にもネタを書いてましたし、同じことですよ。 ――同じイヤだったら、構成作家をやっていたほうが、ネタも書きやすい環境じゃないですか。 ツチヤ バイト中にも普通にネタ書けてたんで、バイトの時間が無駄だっていう感覚もなかったですね。「クビにするならクビにしろ、オレは働かんと書いたらー!」と思ってました。 ――「バイト中にあえてそこんなことやってるオレ、格好いい」みたいな感覚もあった? ツチヤ 「特別だろオレは? お前ら凡人とは違う!」って、逆境にいることに酔ってましたね。岡本太郎さんが好きなんで、オレはあのイズムを継承しているなと。岡本太郎だって、虐げられてきた時代があったはずなんですよ。今のオレは、その時代の岡本太郎だと。
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■ダサくても、ジョン・ライドンのように生き残ったほうがいい

――やがて、それだけこだわってきた「ネタを書くこと」もやめてしまいます。 ツチヤ 地元に帰ってからもネタを書き続け、細々とお笑いの仕事を続けていたんですが、27歳で完全に心が折れたんですよ。そこで「お笑いにしがみつくのはやめて、もう死のう」と思ったんです。 ――どうして、その時に死ななかったんですか? ツチヤ ブログを始めて、これを書いてから死のうと思ったんです。遺書みたいなもんですよね。ここまでやってもダメだった。オレは負け犬だ。最後、負けをさらして死んでやる……という気持ちですね。  ブログにここまで書いたら、もうお笑いはできないでしょう。ここまで暗い生活を送ってきたヤツのネタなんて、笑えないですもん。そうやって、二度とお笑いができないようにしたかった。そうやって断ち切らないと、一生お笑いにしがみついてしまうんで。  そう考えた時に、いろんな価値観が全部ひっくり返ったんです。それまでずっとシド・ヴィシャスが好きで、バンドメンバーのジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)はダサいと思ってたんですよ。あんな生き永らえてデブなって……。でも、一回死んだ気になってみたら「格好悪いほうが格好いい」「ダサくても、ジョン・ライドンのように生き残ったほうがいい」って。 ――結果的に、そういう覚悟で書いたブログが、今回の本につながったわけですよね。 ツチヤ 最初の1カ月は読者もひとりとかしかいなかったんですけど、2カ月くらいした頃、急に「書籍化しませんか?」みたいなメールが何通も来て。同時期にcakesからも「連載しませんか?」って……でも、そんなのイタズラだと思ったんですよ。ただ、cakesだけは「ウソつくにしても、こんな誰も知らない無名の社名を出すかな?」と思って。 Cakes担当編集 ひどい(笑)。その時期に、出版界隈でツチヤさんのブログが軽くバズッたんですよね。僕も、Facebookで誰かが「ヤバイ」って書いてるのを見かけてメールしたんです。 ――それでcakesでの連載も決まったと。 ツチヤ いきなり書籍化するよりも、連載だったら日銭が入るんで……。タイミングもよかったですね。これ(ブログ)が全然認められてなかったら、本当に死んでたと思います。その連載が1年続く間に、またいろいろと書籍化の話が来て、今回の出版となりました。 ――ここまで自意識が強い人が、帯で「伝説のハガキ職人」とか書かれちゃうのって、イヤじゃなかったですか? ツチヤ イヤでしたね! このタイトルもイヤでしたもん。「自分で『笑いのカイブツ』言うてんで、メチャ痛いやんけ」って。でも今は、一周回って、かっこ悪いのがかっこいいと思えるようになりました。その上で、世間の評価なんてどうでもいいし、どう思われてもいいと考えられるようになりました。

■そのへんの小説家が書くような文章はいらん

――本のターゲットはどんな人? ツチヤ 27歳の頃の僕ですね。 ――心の中に「カイブツ」を抱えている人ということですね。そういう人たちを、この本で安心させたい? ツチヤ 安心……そうですね。僕が27歳の時にこういう本が読みたかった、こういう本があったら救われただろうというものを書きました。 ――当時は「自分みたいなヤツは、ほかにいないんじゃないか」と思っていた? ツチヤ 一般人にはいないと思っていました。かつてはいっぱいいたのかもしれないけど……岡本太郎とかゴッホとか。 ――そこと同列……! お笑いネタは膨大な数を書いてきましたけど、小説を書くに当たって、苦労はなかったですか? ツチヤ それまでお笑いに向けていた熱量を、小説にぶつけるという意味では同じでしたね。ノートやチラシの裏にバーッと書いたのをスマホで清書して。最初4万字書いたら、そこから4,000字だけ選抜してほかは捨てる――。ハガキ職人の頃に投稿するネタを選抜していたように、文章も選抜していきましたね。 ――急に話が飛んだり、説明が足りないんじゃないかなという部分があるのは、つまらない部分を削ったからなんですね。 ツチヤ 僕なら、ダラダラした説明があった時点で捨てますから、そんな本。常に「面白い」を与え続けないといけない。全ページ面白くしたかったですね。そのへんの小説家が書くような文章はいらんと。そいつらより絶対にすごいもん書いたるっていう気持ちはありました。 ――小説でも、上から目線になるんだ……。 ツチヤ 小説家なんて全員おもんないなと思ったからこそ、これを書いたわけなんで。 ――今後は、小説家として活動していくんですか? ツチヤ なんのこだわりもなく、依頼が来たヤツ全部やろうと思ってます。一回、死んだと思って生きてるんで。それで失敗して、バカにするならしたらいい。「AV出ろ」って言われたらイヤですけど。 ――それ、オファーするほうがどうかしてますけどね。今はバイトもしてない? ツチヤ 印税前借りしてるんで。それがなくなって食えなくなったら、「いつ死んでもいいやって。それは常に思ってますね。 ――それはまだ思ってるんだ……。 *** 『笑いのカイブツ』が出版されて以降、執筆の仕事だけでなく、お笑いの仕事依頼も次々舞い込んでいるというツチヤ。  一度はお笑いをあきらめたツチヤが、ここからスゴイ笑いを生み出してくれるのか、それともやっぱり「人間関係不得意」だからドロップアウトしてしまうのか?  停滞しているテレビの「お笑い」をぶっ壊してくれそうな存在であるツチヤの活動を、楽しみに見守りたい。 (取材・文=北村ヂン)

銀幕を彩る古今東西の女優へ、等身大の愛を語る『パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男』

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『パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男』(キネマ旬報社)
 私が初めて秋本鉄次さんの映画批評を読んだのは、1979年の春、「キネマ旬報」誌に掲載された角川春樹プロデュース&村川透監督による東映映画『白昼の死角』評だった。  当時は日本映画界が2本立プログラムピクチュアから1本立大作路線へとめまぐるしく変貌していった時期で、映画マスコミはそれらの作品群を「贅肉のつきまくった大作」と頭ごなしに批判しまくっていたが、このとき秋本さんは「そんな贅肉なんて、バリバリ食ってやる!」といったエネルギッシュな気概で当時の風潮を一蹴し、その上で『白昼の死角』を贅肉の少ない映画として評価されていた。  SNSなどの影響もあってか、もはや1億総評論家時代なんて言葉すら死語になりつつある中、昔も今も映画評論というやつは権威主義的で上から目線の傲慢なものか、シネフィル気取りでやたら小難しいことばかり書き連ねるか、逆にわざとおちゃらけながらオバカを装いながら、ともに己のエリート意識を満たすかのようなものが大半を占めてしまいがちではある。  しかし、秋本さんの映画批評は常に簡潔かつ明快で歯切れがよく、その上Hだ。  要は「この映画に出ているパツキンの女優はエロい!」といった一言で、その映画を見たくなるような文章を書ける人なのである。  この「エロ」という要素、一歩間違うと下世話になるし、あまり高尚に書いても気取りと捉えられて反感を買うし、実はものすごくモノカキにとって表現が難しいものなのだが、そこを秋本さんは軽々と、それこそ天性の才能(?)でクリアーしているのがすごい。  現に秋本さんの文章は、男性のみならず、実は女性ファンが多い。  このたびキネマ旬報社から刊行された著書「パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男」(何というタイトルじゃ!?)の担当編集者も女性で、そもそも彼女は「キネマ旬報」誌で秋本さんが長年連載している「カラダが目当て」「カラダが目当てリターンズ」(キネ旬で、このようなタイトルのコラムが存在していること自体、奇跡的!?)の編集担当で、およそ10年に及ぶこの長期連載を抜粋して1冊の本にまとめるべく奔走し、めでたく悲願(?)を達成したのであった。  彼女だけでなく、秋本さんには「いざ鎌倉」ではないが、何かあったら協力は惜しまないという想いを誰しも抱かせる、そんな人間的かつ文章的魅力が備わっているのだ。  帯に「ボクは頑迷なパツキン原理主義者」と記載されているように、本書の中身は明快で、それこそキャバクラに通うかのように映画を見ては、その中の女優たちを愛で、讃えることを主旨としている。ロリ的少女趣味は皆無に近く、あくまでもグラマラスなねーちゃんがお好き。  基本はパツキン女優だが、アンジェリーナ・ジョリーのような非パツキンも無問題。世界最愛の女優はキム・ベイシンガーで、ミラ・ジョジョヴォヴィッチを「美裸女菩」と、スカーレット・ジョハンソン(秋本さんはヨハンソンではなく、この呼び方にこだわってらっしゃる)を「スカ・ジョ」と呼ぶ。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15)にスキンヘッドで登場したシャーリーズ・セロンにも「エア金髪のシャリ子」と最大級の賛辞を惜しまない。キッ子ことニコール・キッドマンが全裸で街をさまよう『虹蛇と眠る女』には「やっぱり全裸は勲一等だね」などと、読んでる側が思わずウンウンとうなづいてしまうほどに、うれし恥ずかしといった言葉のオンパレードなのである。  古今東西の西洋の女優陣に比べると、日本をはじめとする東洋系女優の登場はさすがに少なくなるが、それでも風吹ジュンや余貴美子といった熟女勢から小池栄子に真木よう子などなど、「ああ、秋本さんお好きだよね、ああいうタイプ」とニマニマさせる名前が連なるのであった。  一方でパツキンまみれの本かと思いきや、時折ふっとオンナ断ちして『007』シリーズのダニエル・クレイグやリーアム・ニーソンなどの男優に言及する「オトコ旬報」化する回もあり、それはそれで秋本さんの映画観賞の原点が活劇にあることを露呈させてくれている。  同時に、こういった秋本さんの一貫した姿勢からは、男女の俳優の別を問わず「映画はやっぱりスターから」という映画の楽しさの基本を思い起こさせてくれるものがある。つまりスターが銀幕の中で映えてこその映画の楽しさであり、そんな彼ら彼女らを魅力的に引き立ててこそ、監督はじめスタッフの功績として讃えるべきで、そこに難解な物言いなど必要ないし、ゴラクであろうがゲージュツであろうが、どっちでもいいからとにかくねーちゃんをエロく美しく魅せてくれ!  そういった秋本さんの批評に触れるたび、何かと背伸びしようとしては上手くいかずに、反省するのみの己の未熟さを思い知らされる。そんなことよりも必要なのは、やはりどんな贅肉でもバリバリかみ砕くだけのエネルギッシュさと明快さをもって、その映画を褒めようが貶そうが見たくなるような、そんな姿勢なのである。  さすがにアニメーションだけは苦手なご様子だが、だからといってこれみよがしにアニメを批判したり悪口を言ったりするようなことは一切ない潔さがあり、その伝ではジブリや押井、細田あたりのメジャー作品しか見ずに「今どきのアニメは……」などとしたり顔で評する巷の連中より、よほど人としても信頼できる(最近はルパンやエヴァのパチンコを打ったりすることもあるようなので、そのあたりの作品ならば少しは知識もおあり……かな!?)。 「飲む」「打つ」「見る」といった映画無頼派としての生きざまを、硬派でも軟派でもなく等身大の好もしいバランスで示し続ける秋本さんの男気とその批評は、昔も今も私の指標のひとつである。 (文=増當竜也)
パツキン一筋50年 パツキンとカラダを目当てに映画を見続けた男 なんて一途! amazon_associate_logo.jpg