「タモリ学」「有吉本」が大ヒット! 新進気鋭のテレビっ子ライター・てれびのスキマとは何者なのか

sukima0414.jpg  当サイトの人気連載「テレビ裏ガイド」(http://www.cyzo.com/cat8/tv_ura/)を執筆する、てれびのスキマこと戸部田誠氏が、『タモリ学』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか』(コア新書)の2冊を上梓した。  前者は、イースト・プレスが運営するウェブ文芸誌「マトグロッソ」の不定期連載をまとめたもの。テレビやラジオ、書籍などでのタモリの発言やエピソードを通して、その哲学や魅力を浮かび上がらせている。一方、後者は、浅草キッド・水道橋博士が編集長を務めるメールマガジン「水道橋博士のメルマ旬報」に連載していた「芸人ミステリーズ」を書籍化。有吉をはじめとする8組の芸人を取り上げ、それぞれの“謎”を通して、芸人の苦悩や、それをいかにして乗り越えていったのかを解き明かす。  戸部田氏は、お笑い、格闘技、ドラマなどをこよなく愛する、いわき市在住の“テレビっ子”だ。ブログ「てれびのスキマ」(http://littleboy.hatenablog.com/)が業界内で話題を集め、あれよあれよという間に、雑誌やウェブで多数の連載を抱える人気ライターに。さらに、そこから時を待たずして、立て続けに2冊上梓。ブックファースト渋谷文化村通り店の週間ランキングで2冊同時にトップ10入りするという、鮮烈なデビューを遂げた。  そんな戸部田氏のコラムの魅力について、あるテレビ誌編集者はこう語る。 「ナンシー関さんが亡くなって以降、“ポスト・ナンシー”を気取るコラムニストが増えましたが、“愛情ある辛口”が売りだったナンシーさんに対し、彼らの多くはやみくもに相手を批判する、ただの悪口でしかないケースが目立つ。それに比べ、“テレビっ子”という視点で、ただただその愛情だけでテレビを語る戸部田さんは、今までにいなかった新しいタイプの書き手ですね。“裏”を読み解くのが主流になってしまったテレビ批評界において、彼の文章にはいつも、番組の作り手や出演者への尊敬のまなざしが感じられます」  戸部田氏の作り手に対する尊敬のまなざしは、かつて、われわれが子ども時代に夢中になってテレビを見つめていたまなざしそのものだ。この2冊は、その頃の気持ちで、もう一度、テレビという魔法の箱をのぞいてみるチャンスを与えてくれる良書といえよう。

「側近は『モンスター』と呼んでいる」ボロは出てても実利で帳尻を合わせる池田大作のすさまじさ

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著者近影
 「あるある本」ブームも収束に向かいつつあるが、そんな中、トンデモないタイトルの「あるある本」が登場した。その名も『創価学会あるある』。公称の会員世帯数は827万世帯に上るマンモス教団でありながら、実態は見えづらい創価学会。非学会員からはうかがい知れない学会カルチャーを「あるある形式」でピックアップするという本だ。  たとえば、「学会員は日蓮を日蓮上人と呼ばれるとイラッとする」という最初のネタからして、ぜんぜんわからない。「聖教新聞はネガティブキャンペーンを張っているときのほうが筆がのっているように感じる」。ちゃんと読んだことはないけど、これはちょっとわかる。「池田先生の側近とも言える第一庶務は、池田先生のことを『モンスター』と呼んでいる」という、ちょっとドキッとするネタも載っている。  学会シンパ本でもなければ、アンチ学会本でもない。学会カルチャーや学会員の考え方などを紹介しつつ、創価学会や池田大作に対する辛らつな意見やスキャンダルについても具体的に書いてあり、“すぐ隣に存在する異次元世界”を理解するガイドとして気軽に楽しめる一冊になっている。  著者の「創価学会ルール研究所」さんは、キャリア30年以上のバリバリの創価学会員とのこと。今回は匿名を条件に、直撃インタビューが実現した。 ■「Fを取る」「命に入る」…学会員ならニヤリとする「学会言葉」 ――まずは、この本を書こうと思ったきっかけを教えてください。 研究所 縁あって、編集の方から「創価学会ネタで『あるある本』を書かないか」と提案をいただいたことがきっかけです。企画書を見て、1秒もたたないうちに「あ、これは書けます」とお返事しました(笑)。ただ、内容が内容なだけに、名前を出すと厄介なことになりそうなので……。 ――厄介なこととは、どんなことなのでしょう? 研究所 自分としては中立の立場で書いているつもりですが、創価学会の公式見解とは違うことも書いてありまして、そうなるとマークされてしまう可能性があります。そこで今回は匿名という形にさせていただきました。 ――ちなみに、この本を書いたことを周りの人にはお話しされたんですか? 研究所 何人かには話しました。モノがモノだけに、みんな二の句が継げなくなりますね(笑)。本を渡しても、そそくさとカバンにしまったり。 ――学会の方たちには? 研究所 言ってません。だから、リアクションがまだわからないんですよね。 ――「あるある本」ということは、ここに書かれていることは学会員の方たちが共有、あるいは共感するような事柄だということでしょうか?  研究所 たとえば、創価学会の御本尊を勧誘する人に渡す「本尊流布」のことを「ほんる」と略したり、ほとんど活動をしていない学会員のことを「未活」と呼んだりするような学会内の用語に関してはそうですよね。「Fを取ろう」(※選挙活動における票取りのこと)とか「命に入る」(※学会の教えをしっかり理解すること)とかは日常的な会話に出てくるので、学会員の人も読めば思い当たるでしょう。 ――第1章の「学会言葉の世界」のネタですね。 研究所 一方で、「捨て金庫事件」(※1989年、横浜市のゴミ処分場で2億円近く入った金庫が発見されたが、のちに持ち主が創価学会の経理担当者だと判明した事件)や「竹入・矢野の退会事件」(※元公明党委員長の竹入義勝と矢野絢也が脱会。学会がバッシングを繰り広げた事件)のような学会のスキャンダルについても書いていますが、それは少人数のグループになったとき話題に出るような感じです。 ――身内だったり、お酒の場では話題に上ると。 研究所 特に私だけが突っ走っているわけではないと思います。ただ、竹入・矢野の事件などはちょっと前の話なので、若い学会員は知らないかもしれませんね。 ――スキャンダルに関しても、学会の公式声明を真に受けない学会員が増えてきたということでしょうか? 研究所 疑問がないことはないでしょうが、形にできない、言葉にできない学会員は多いと思います。教えを守っていれば自分の人生が開けると考えている学会員は、まだまだ多いですからね。 ――聖教新聞しか読まないような方が多いと。 研究所 そうですね。聖教新聞がすべて正しいと思っている学会員は多いです。 ――でも、聖教新聞を読む一方で、日刊サイゾーを読む学会員もいるわけですよね(笑)。 研究所 いてもおかしくはないです(笑)。ウェブのニュースは、みんな読んでいるでしょう。ただ、ネットを見ると創価学会の悪口はゴマンと出てきますが、大手メディアは学会の話題をまったく取り上げませんよね。だから、学会員がネットで学会への批判的なニュースを見ても、あまりなんとも思わないんです。 ■元ヤクザでもDV男でも“役に立つ”人間になれば全部チャラ! ――「平和教育文化を推進する学会員だが、平和教育文化に関して自分なりの意見や活動はほとんどない」という“あるある”はリアルで面白かったです。 研究所 学会員は、学会に入ることイコール平和教育文化に貢献していると自動的に考えているんですね。平和教育文化について具体的に何か考えているわけではない。だから、楽なんですよ。池田大作は平和教育文化について貢献しているから、毎日世界中から勲章をもらっていますよね(笑)。その池田大作に従っている自分も自動的に貢献していることになっているわけです。それでいて世界の問題を解決するムーブメントの中に身を置いている、と思っているんですね。あくまでも、そんな気になっているだけですけど(笑)。創価学会に入って、池田先生の言うことに従っていればいいという設定になっているわけです。 ――学会員の主な目的は「ほんる」と「F活動」の2つなんでしょうか? 研究所 そうですね。その2つさえできていれば、多少悪いことをしたような人でも受け入れられます(笑)。人殺しはさすがに難しいでしょうが、盗みで刑務所に入ったことがあったり、DVが大好きな男だったりしても、「ほんる」して「F」をたくさん取れば、すべてチャラ。 ――すごい。シノギの世界みたいだ。 研究所 昔、シノギの世界にいた人も大勢いますよ。私も何人か会いました(笑)。どれだけ嫁を泣かせていようが、シャブを打っていようが、池田先生の弟子になればオッケー! という考え方ですね。 ――さすがにシャブを打ったままではダメですよね?(笑) 研究所 ダメです。でも、たまにまた捕まったりする人もいますけど(笑)。 ――「学会員もいろいろいるので、急に蒸発しちゃう人や逮捕されちゃう人もいる」というネタですね。 研究所 だいたい元ヤクザのような人のほうが、実行力があるんですよ。実務能力も高いし、処世術にも長けているので、人を勧誘するのは真面目な信徒よりうまいんです。昔シャブやってたような人が、いつの間にか地域の部長になって学生たちを指導していたりする。で、その人がまたシャブで捕まって、急にいなくなったりするんです(笑)。 ――本の中に、創価学会は「貧乏人と病人と訳ありな人物の集まり」という表現があります。「暴走族だった人が、地元の学会のリーダーに」というネタもありました。 研究所 雑食性が学会の面白いところですね。そのへんのものは、なんでも食べちまえ的な(笑)。訳ありの人間でも役に立たせてしまう再生力は、すごいものがありますね。池田大作という人が、そういう人だったと思うんです。貸金業、今でいうサラ金みたいな仕事でのし上がって、選挙で勝ちまくって、今の地位を築いたわけです。メディアには金をバラまいて、公明党を徹底的に利用して、矢野絢也氏に税務調査の妨害を指示したりする。トンデモない人間ですよね。そのあたりの話は、『乱脈経理 創価学会vs国税庁の暗闘ドキュメント』(矢野絢也/講談社)に詳しく描かれています。 ――本にも書いてありましたが、50議席を獲得して維持しているってすごいことですよね。幸福実現党があんなに頑張っても、1議席も取れないわけですから。 研究所 大川隆法は一度学会に入って、やり方を習ったほうがいいと思います(笑)。頭はいい人だと思うから、元ヤクザとか元シャブ中とか暴力亭主を、票が取れる人間に変える方法を学べばいいと思いますよ。営利を目的に活動しているすべての人たちは、学会に学ぶところがあると思います。 ■池田大作は、なぜ側近から“モンスター”と呼ばれているか? ――この本には、あるあるネタとは別に、「池田先生のすごいところ」という一種の“池田大作論”が記されていました。「ドリームメイカー」という表現も使われていましたが、あらためて池田大作のすごいところとは、どのような部分なのでしょうか? 研究所 結局、池田大作によって、それまでの人生では就けなかったようなポジションに就けた人がたくさん現れたわけですよね。そういう意味では、池田大作の実行力、実現力はすごいですよ。これを30年、40年やり続けている人はいませんから。その代わり、宗教ということでタダ働きの人がたくさんいたり、税務調査潰しを指示したりするんですけど。たくさんボロは出ていて、信徒の人たちも気づいていると思いますが、実利で帳尻を合わせている。その決定力がすごいと思いますね。 ――「池田先生の側近とも言える第一庶務は池田先生のことを『モンスター』と呼んでいる」というようなネタは、どこから仕入れてくるんですか? 研究所 単純に、直接聞いた話ですね(笑)。池田大作が現場でバリバリやっていたときは、夜中であろうが構わずいろいろな指示や命令が飛んできたそうです。あと、極めて黒に近いグレーなミッションをこなさなければいけない不条理な状況に遭遇したりするときは、「ちょっとこの人はモンスターだな」と思わざるを得なかったということでしょう。 ――池田氏に対する認識は、学会員たちと共有しているものなのでしょうか? 研究所 うーん、揺れている人はかなりいると思います。 ――本にも書かれていましたが、それが今の学会の活気のなさ、求心力の低下につながっていると。 研究所 そうですね。学会は宗教として考えるなら、グレーの部分があってはいけないんです。白なら全部白でなければならない。ただ、公明党や周りの外郭団体、利権につながるような組織にいる人たちは学会で食べていますから、池田大作の多少のゴシップやマイナス面を踏まえた上で行動しているはずです。 ■そんなにオイシイわけではない「学会タレント」 ――「活躍する学会タレント」という学会員の芸能活動について書かれた章があります。「『学会タレントは芸能界で有利である』という噂があるが、そうでもない」や「学会タレントが学会員であることを隠すのは、広告対策が理由の一つだ」などのリアルなネタが多いのですが、「池田先生が芸術部の、特定の芸能人を褒めてあげることはある」というネタもありました。どなたの名前が挙がったのか、教えてもらうことはできますか? 研究所 ご迷惑をかけるといけないので、具体的な名前を挙げるのは避けさせていただきたいのですが、池田大作は学会タレントが所属する「芸術部」を、とにかく立てるんです。学会のイベントになると、芸能人とスポーツ選手と政治家が、ずらっと並びますよ。これだけそろったら、けっこう視聴率いくんじゃない? と思うような顔ぶれです(笑)。ハービー・ハンコックが来ていたのは見ましたね。あと、オーランド・ブルームが「牙城会」に入りたがっているとか(笑)。 ――ええっ。牙城会というのは、学会本部を警備する組織のことですよね。 研究所 はい、女性会員たちの間では、かなり話題になっていましたよ。 ――「都市伝説学会タレント」という表現がありますが、実際には学会員ではないのに学会員だとウワサされているタレントもいるということですが、具体的にはどなたなんでしょう? 研究所 これも誰が学会員で、誰が学会員ではないか、ということを明確に言及するのは避けています。たとえば、石原さとみさんが創価高校出身なのは事実ですが、現在、信心されているかどうかはわかりませんからね。 ――なるほど。 研究所 間違えられている現状そのものが面白い、というスタンスです。ただ、学会タレントと共演している人は間違えられやすいですね。あとは、「パンプキン」や「第三文明」などの学会関連雑誌に出る人。実際は、登場している全員が学会員というわけではありません。「灯台」は学会員が多いかな。あと、男性アイドルをめぐる学会員のウワサが多いですが、実際は10分の1ぐらいですね。 ――先輩タレントが後輩タレントを折伏(※学会に勧誘すること)することもあるのでしょうか? 研究所 実は、逆のケースが多いんですよ。後輩が先輩に「学会に入りたい」と言ってくることが結構あるんです。もちろん、事務所的にアウトですけどね。 ――学会がタレントを売り出そうとしているわけではない? 研究所 芸能事務所は、すでに力がありますからね。そこに学会が介入しても、あまり意味はないかなと思います。 ■3年は姿を見ていない……池田大作Xデーは、もう訪れている!? ――本の最後に、著者なりの創価学会への見方が披露されています。「学会の未来は明るい」ということですが、これはどういうことでしょう? 研究所 学会は“地肩が強い”んです。学会の支持層や活動している人は、ロウワークラスの人が多いんですね。学会に代わる彼らの受け皿は、世の中に存在しません。別の組織が創価学会の真似をすればよかったんですけど、そういう組織は現れませんでした。たぶん、学会の汚れ仕事を厭わないような部分を真似できなかったんでしょうね。結局、創価学会が求められることになるんです。 ――「プア集団の受け皿」と書かれていますね。よく言えば“セーフティネット”なんでしょうけど。 研究所 ドロップアウトした人たちを救って、彼らに“幸せだった”と思える人生にしてあげている、ということなんです。本人が幸せだったと思えればいいですからね。宗教に力があるのかどうかわかりませんが、何かに一生懸命打ち込んでいれば、いいことが起こりますからね。劇的に自分が変わったように思えることもあります。すると、信心はすごい、池田先生はすごい、となるでしょうね。一方で、エリート層からの受けは相変わらずよくないだろうな、とも思います。 ――日本が貧しくなればなるほど、創価学会は強いと。 研究所 結局、やっていることが泥臭いんです。選挙もずっとドブ板選挙で、地上戦に極めて強い。今でも自民党のキンタマ握っていますからね。そのあたりは、池田大作の政治的な嗅覚だと思います。 ――こういう質問をすると怒られそうですが、池田氏のXデーは、学会のみなさんは想定されているのですか? 研究所 学会の人間はしていると思います。話には出ますけど、大声では言わない感じです。「先生がいなくなった後は、私たちが頑張らないといけないよね」という話にはなりますね。 ――Xデー後の学会は、どうなると思われますか? 研究所 しばらくは変わらないでしょう。池田大作が作ってきたマニュアルを上層部がしっかり踏襲して、このままプア集団を受け入れていくと思います。ただ、やっぱり池田大作が出てきて講演すると盛り上がるんですよ。学会以外の人が聞いても、クソつまらないと思いますけど(笑)。 ――今年も講演はされたんですか? 研究所 声は聞きましたが、動く池田大作はまだ現れていません。もう3~4年、姿を見せていないです。だから、もうXデーは訪れているんですよ。池田大作がいないという想定で、いろいろなことが進んでいますから。急激な瓦解はないと思います。 ――最後に、研究所さんは脱会の意思はないのですか? 研究所 ないですね(即答)。学会員だということが、自分の中では面白いと思っていて。あと、学会員が使えることもあるんですよ。面倒くさい付き合いやコミュニティに入ってしまったときは、学会の話をするといいんです(笑)。みんな、パッと去っていきますから。今日早く帰りたいな、というときは、学会の話をすると、みんなのトーンが下がりますからね(笑)。非常脱出装置として使いやすいんです。 ――意外な活用法があるんですね(笑)。 研究所 みなさんも、ぜひお使いください。ただし、「あいつ、学会員だぞ」とウワサされることになりますが(笑)。僕は最初からレッテルが貼られているから、関係ないんですよ。 (構成=大山くまお)

田原総一朗夫人を看取った主治医が監修——“がんに不安を感じた”人、必読の書『がんに不安を感じたら読む本』

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『がんに不安を感じたら読む本』(光文社新書)
 もし自分ががんになってしまったら? あるいは、自分の大切な人ががんになってしまったら? 健康に暮らしている時には、そんな可能性があることすら忘れているかもしれない。だが、その宣告はある日突然やってくるかもしれないのだ。その時に、以前から「がん」という病気に対して知識を蓄え、心構えをしていたのと、そうでなかったのでは、がんに対していかに懸命に対処できるかが変わってくるのではないだろうか。今回紹介する本は、その、いわば「がんリテラシー」を高めておくには格好のテキストとなる一冊だ。  本書『がんに不安を感じたら読む本』の医療監修を担当するのは、昭和大学病院ブレストセンター長の中村清吾氏。乳がん治療界のオピニオンリーダーとして知られる中村氏は、ジャーナリスト田原総一朗の夫人である故・田原節子さんの主治医も務めた。田原氏は夫人を看取った後も、折に触れ講演などで中村氏との闘病エピソードを明かし深い信頼を寄せている。  そして同書の著者である本荘そのこさんは、週刊誌記者をしていた2004年、35歳のときに乳がんであることが発覚。がんの進行度合を表すステージはIIIまで進んでおり、本荘さんは、手術、抗がん剤、放射線と、がんの三大治療法のすべてを身をもって経験した。  本書では、本荘さんの生々しい闘病体験がリアルな筆致で蘇るだけではなく、週刊誌記者として取材した、がんと闘う医師や患者たちの多彩なエピソードが紹介されている。  いまや、がん医療は日進月歩の時代といわれるが、何がどう進化したのか──。かつてのがんが見つかったら即手術という時代から、現代非手術の時代へと進むがん医療の革新がつぶさに記されていることも読みどころともいえよう。  本書では、中村清吾氏が率いるブレストセンターでの乳がんの最先端治療の様子が克明につづられ、また、アンジェリーナ・ジョリーの告白でにわかに注目を集めた、がん遺伝子についての考察も加えられている。 「私はいままで自分のがんのことをあまり周囲に話さずに来たのですが、この本を書き始めてから、不思議なことに何人かの男性から乳がんについて相談を受けました。自分の妻が、あるいは親しい人が、あるいは姉や妹が乳がんになってしまって、といったものなのですが、男性が何かしてあげられることは、と模索しても、女性はかえって負い目を感じてしまったり、難しいですよね。そのあたりの距離感をつかむためにも、ぜひ男性にもこの本を読んでほしいし、もちろん実際に苦しまれている女性の方や、そのほかあらゆるがんに直面している人も読んでいただきたいです」(本荘さん)  この本には、これまでのがん関連本ではスルーされがちだったが、実は当事者にとっては最も気になるあることについても、詳しく書かれている。それは、がん治療にかかるお金にまつわる問題だ。 「闘病に経済的な問題はつきものです。日本の国民健康保険制度は確かに充実していますが、やはりそれだけでは賄えない部分があります。例えば、自由診療の部分とか、通院にかかるタクシー代、セカンドオピニオン、代替医療、さらには脱毛に対応するためのかつらの費用などもかかります。私は幸運にも、多額のがん保険に入っていたので、1,000万円近くを受け取ることができました。一回の飲み会の費用くらいで月々のがん保険には十分手厚いものに加入できますので、そういう備えも大切だということは強調しておきたいです」  本書ではカットされてしまったが、本荘さんも実際は髪の毛からまつげまですべてが抜け落ちてしまう脱毛を経験。ウィッグ(かつら)を専門店で購入した。 「でもそのときにおかしなエピソードがあって。のちに結婚した男性と一緒に行ったのですが、彼がお茶目心を出して見本のかつらをかぶって見せて、お店の人に呆れられたんです(笑)。ほかにもがん闘病中のことって、微笑ましい思い出もいろいろあって、9カ月間仕事を休んでいる間に、抗がん剤の投与のスケジュールの合間を縫って、フィリピンのセブ島のリゾートホテルに海外旅行に出かけました。ミュージカルを見たり、時間がなくて読めなかった本をまとめて読んだり、毎日仕事に追われていた頃にはできなかった経験もできました。この本を読む人も、がんになったらどういう闘病生活を送りたいか、事前にイメージしておいてもいいかもしれませんね」  さらに、本書では、本荘さんががん闘病後に妊娠・出産を経験するエピソードも詳しく書かれている。いまは7歳の女の子の母として、家庭も仕事も生き生きとこなす本荘さん。いまがんに直面している人はもちろん、いまは自分とは直接関係ないと思っている人も含めて、ぜひこの本を読んで、いつか来るかもしれないその時に向けた前向きな姿勢を手にしてほしい。 adsjhfgkfg.jpg ●本荘そのこ(ほんじょうそのこ) 1969年北海道札幌市生まれ。法政大学大学院経済学研究科経済学専攻修士課程修了。地方新聞社、法律事務所勤務などを経て、98年から女性誌記者として活動。2004年に乳がんが発見され、約9カ月間にわたって治療を受ける。05年に結婚し、06年に出産。現在はフリーライターとして、取材・執筆活動を行う。

旅好き必見! 海外でよく巻き起こる小ネタを集めた『海外あるある』

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『海外あるある』(双葉社)
「“とにかくWi-Fiどこだ!”と叫んだことがある」 「“日本に帰ったら何食べる”のネタだけで何時間も話したことがある」 「旅の末期に“就職”を考えて鬱になる」 などなど、海外好きならば「うわー、わかるわ~!」と共感せずにはいられないネタが詰まった『海外あるある』(双葉社)が発売された。著者は、旅行関係の著書を多数持ち、犯罪ジャーナリストとしても活躍する、丸山ゴンザレス氏。バックパッカー系の旅好きには、超過激な旅の体験をつづった『アジア『罰当たり』旅行』(彩図社)が有名じゃないかと思う。この本は過激さが売りな分、読む人を選ぶが、本書は旅行好きならば、旅行初心者からディープな長期旅行者まで、男女問わず誰でも楽しめるような仕上がりになっている。  内容としては、海外、海外旅行、バックパッカー、海外文化、国別をテーマに、冒頭で紹介したようなごくごく短い、旅の小ネタを500以上まとめたネタ帳のような感じで、30分もあれば、さーっと読めてしまう。けれど、この本が面白い点は、ネタに目を通していくうちに、いつの間にやら旅の記憶がぶわっとよみがえり、脳内トリップが楽しめるところ。  例えば、 「英語や現地語で話しかけたら、日本人だった」 とあれば、そういえば、現地人並みに肌が浅黒かった女の人に、なんの迷いもなく「Hello!」って挨拶したら、「こんにちは」と返されて超気まずかったな……とか。 「何の仕事をしているのかわからないが、ホテルの前にむろしているおっさん多すぎ」 とあれば、外だけじゃなくて、ホテルの中にもそういうおっさんがやたら多かったなぁ。インドのデリーでは、おっさん集団に取り囲まれたおばあちゃんバックパッカーが、「デリーは今、どこもホテルも予約でいっぱいだ。だから、ネパールへ行こう」なんて訳のわからないことを言われて、ネパールに連れて行かれそうになっていたけど、その後、どうなったんだろう……などと、当時のエピソードが一気に頭の中をかけめぐり、いらぬ心配まで思い出してしまったりする。  なにせ500以上もネタがあるので、実際に体験していないネタも多数あるが、あの国ならそんなこともありそうだなとか、実際に行ったらこんなことが起こるのかな、と妄想は膨らむ。多くの人が体験したであろう、この「あるある」ネタは、旅人の共通語のようなもの。ひとりで読むのもいいが、旅好き同士で集まって読んだら大いに盛り上がりそうな一冊だ。 (文=上浦未来) ●丸山ゴンザレス 1977年、宮城県生まれ。犯罪ジャーナリスト。アジアやアフリカなどの海外放浪体験をまとめた『アジア罰当たり旅行』(彩図社)でデビュー。その後、出版社勤務を経て、丸山佑介名義で裏社会や猟奇殺人事件などを追いかけるジャーナリストとして活動。主な著書・共著書に『図解裏ビジネスのカラクリ』(イースト・プレス)、『裏社会の歩き方』『海外ブラックグルメ』(彩図社)、『ブラック・マネジメント』(双葉社)などがある。

空気を読む日本人の「うやむや」「なあなあ」文化を大分析!『正しい日本人のススメ』

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『正しい日本人のススメ』(宝島社)
 日本人は、場の「空気」を読む。とことん、読む。外国人にしてみたら、もはやエスパー並みだ。小さな島国で育ったわれわれは、「以心伝心」という言葉があるように、口に出さずとも、相手になんとなく伝わる、理解し合えると信じている節があり、プライベートでもビジネスでも、日々、ごくごく自然に場の空気を読みながら生活している。  『正しい日本人のススメ』(宝島社)は、そんな日本人特有の空気で物事が決まっていく、「うやむや」「なあなあ」の不思議な文化を、英国人の日本文化様式学者のアラン・スミシー氏が来日10年にわたり、とことん研究した調査報告書。お手洗い、満員電車、合コン、行列行動、謝罪、会議、朝礼、残業など、プライベートからビジネスまで、場面ごとに日本のしきたりや習慣、なぜそういう行動をとるのか、その歴史にまで踏み込んで調べ、分析している。  その冒頭のテーマが、「カラオケ」だ。アラン氏によれば、長年の研究の結果、そのルーツはなんと平安時代に行われた、貴族たちの短歌を歌い合う「歌会」にまでさかのぼるという。当時は、短歌の力量によって歌い手の教養が問われ、ときに恋愛の行方や、政治的な立場までも左右された。それゆえ、カラオケは単なるレジャーを超え、特別なコミュニケーションとみなされ、「自分のパーソナリティーをアピールしたり、メンバーの上下関係や立ち位置、人間性を推し量っている」場ではないか、という壮大な考えにたどり着く。  そんなカラオケ時の注意事項は、「絶えず盛り上がっていますよ」というムードを演出すること。楽しげでアッパーな空気を停滞させず、「気まずい」状態を避けることが重要であるという。また、人前でこれ見よがしに快感や自信をあらわにすることは「はしたない」とされる日本人独特の概念に言及し、どんなに歌い込んでいて自信のある曲でも、「これ久しぶりだわ~、歌えるかなあ?」と自信なさげに歌い出したり、「ダメだ、今日は声出ないわ」と言って保険をかけたりしている、などと細かな報告もしている。  カラオケ以外にも、みんなで同じ行動をして仲間意識や結束を固める“バンザイ”などの「コール行動」、ヨソ者に対する心のバリアゆえに心の内を見せず、嫌われないようにする「おもてなし行動」、本音を引き出す必要悪「根回し行動」など、日本の変わったしきたりや文化について、独自の持論を展開。その内容が、“外国人がまたそんなこと言っちゃって”というものではなく、“確かに!”と納得してしまう鋭い分析ばかりなので、ほうほうと納得しながら読み進められる。    また、アラン氏が初めてお葬式に参加し、お焼香をあげるときに、背中越しに何をしているかさっぱりわからず、考えに考えた末「お焼香を食べる」という、とんでもない間違いをおかしたエピソードなど、自らの体験も披露され、驚きと笑いが詰まった内容に仕上がっている。ぜひ、外国人向けに英訳版も発売してほしい一冊だ。 (文=上浦未来) ●アラン・スミシー 1946年生まれ、日本在住10年の英国人。文化様式学者として、日本各地でフィールドワークを精力的に行う。最初に覚えた日本語は「モッタイナイ」。

ダウンタウン・松ちゃんも特許出願してた!?  笑えて学べる『すばらしき特殊特許の世界』

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『すばらしき特殊特許の世界』(太田出版)
 発明品の権利を独占できる「特許」。“特許を取って、一発大儲けしたい!”と、一度は考えたことがある人も多いのではないだろうか?  本書『すばらしき特殊特許の世界』(太田出版)は、ただの特許の話ではない。少し変わった発明者・出願人、技術の内容や解釈、権利の範囲が“普通じゃない”、特殊な特許のみを集めて紹介している。  著者の稲森謙太郎氏は、科学技術ジャーナリストであり、知的財産権と呼ばれる特許権、商標権、著作などについて、オモシロおかしく伝える第一人者。本書では、特許庁が特許出願の1年6カ月後に発行している「公開公報」を入手し、出願された内容を分析。さらに、発明者や出願人にコンタクトを取り、彼らの話を元に、出願された特許の内容を解説している。許可が下りたものはもちろん、下りなかったものについても扱っている。    その中でも気になったのは、バンダイナムコゲームスと秋元康事務所が、現在進行形で共同出願中らしい、「AKBをフッてフッてフリまくれ!」のキャッチコピーで大きな話題になった『AKB1/48 アイドルと恋したら』の恋愛妄想ゲームシリーズ。「公開公報」によると、はっきりとゲーム名は書かれていないようだが、「本命の女性を決めて、ほかの女性をフリまくる」というコンセプトが記されている。また、恋愛シミュレーションゲームの進め方や、グッドエンディング演出の概念図など、特許取得のために提出された図解があれこれと掲載されており、どうやら本当に特許出願されているようだ。  また、なんとダウンタウンの松本人志氏も特許の出願をしているらしい。さかのぼること、およそ20年。1993~96年まで放送されていた、発明バラエティ『発明将軍ダウンタウン』(日本テレビ系)を覚えているだろうか? 素人発明家や松本氏自身が考え出したオモシロ発明品を紹介する番組で、よくもこんなモノを大真面目に作ったなと爆笑していた記憶がある。けれど、あの番組に特許になりうるような発明品なんてあったっけ……? と、首をかしげたが、さすがは松本氏。確かに、特許になりそうな発明を考えていたのだ!     著名人の発明以外にも、阪急不動産と竹中工務店が共同出願した大阪駅前の巨大観覧車ビル、葬式のやり方や、夫婦が別れることのない指輪など、ユニークな特許ネタがぎっしり。  本編の合間には、アップルVSサムスンの行方や、アンジェリーナ・ジョリーと遺伝子特許などについて書かれたコラムも8本あり、かなり読み応えがある。一般人にはあまり縁がない、トンデモな特許の世界を覗き見してみよう。 (文=上浦未来) ●いなもり・けんたろう 1970年東京都生まれ。科学技術ジャーナリスト、弁理士、米国公認会計士。94年、横浜国立大学大学院工学研究課博士前期課程修了(工学修士)。大手電気機器メーカーにて、ソフトウェア関連発明の権利化業務、新規事業領域における戦略的提携の立案、グローバル研究開発や産官学連携の推進などに携わる。特許権、商標権、著作権などの知的財産権(知財)関連の小難しい話を楽しくわかりやすく伝える、知財啓蒙の第一人者。主な著書に、『勝手に使うな! 知的所有権のトンデモ話』(講談社+α新書)、『女子大生マイの特許ファイル』(楽工社)がある。

『風の谷のナウシカ』が現実になる日は近い――? 倉本聰『ヒトに問う』

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『ヒトに問う』(双葉社)
 『ヒトに問う』(双葉社)読了後、頭に浮かんできたのは『風の谷のナウシカ』だ。ジブリ作品の多くは、現代社会にあふれるコンクリートジャングルではなく、森や空などの自然が中心に描かれている。そんな主観的形象があり、『風の谷のナウシカ』も現代社会とは違う、ある種のパラレルだと思っていた。  だが、そうではない。第一話には、こんな冒頭文が添えられている。 「ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明は、数百年のうちに全世界に広まり巨大産業社会を形成するに至った。大地の富をうばいとり大気をけがし、生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は、1000年後に絶頂期に達し、やがて急激な衰退をむかえることになった。『火の7日間』と呼ばれる戦争によって、都市群は有毒物質をまき散らして崩壊し、複雑高度化した技術体系は失われ地表のほとんどは不毛の地と化した」    『ターミネーター』が、人間が社会の機械化を進めたゆえに生んだ怪物ならば、『風の谷のナウシカ』は、人間の欲が生んだ地球の生態系の崩壊といえる。本書の著者・倉本聰氏は、それが現実のものになるかもしれない、と警鐘を鳴らす。  『北の国から』などの脚本家と知られ、30年以上前から北海道の富良野に住み、自然破壊や崩壊した社会秩序について作品を通じて問題提起している倉本氏。本書は、3.11で壊滅した福島を歩き、今後の日本のあるべき姿について2年半にわたり書き綴った、渾身のメッセージ本だ。  「最悪の場合、首都圏の3000万人が避難対象となることを想定していた」(菅直人元首相)という福島第一原子力発電所事故。その恐ろしさから、脱原発を訴える人も少なくないが、その先に新たな代替エネルギーを求めていることに、倉本氏は疑問を呈する。「エネルギー量そのものを減らすことしか根本的解決策はない」と。  倉本氏の代表作である『北の国から』には、こんなやりとりがある。「電気がなかったら暮らせない」という純に対し、「夜になったら寝るんです」と父・五郎が返すシーンだ。    屁理屈にも聞こえるかもしれないが、夜になったら寝るというのは人間の本能的な行動だ。東京ベイ浦安市川医療センター長の神山潤氏も「早起き 早寝 生活リズム」(http://www.hayaoki.jp/gakumon/gakumon.cfm)で推奨している。睡眠をはじめ、食事や排泄など人間本来の行動を基本としなければ、体は蝕まれていく。減少傾向にある睡眠時間を増やすだけで、BMI(メタボリックシンドローム)が下がるというデータもある。それなのに、生活が改善されないのには理由がある。それは、人間の欲だ。  私自身、南アフリカW杯の取材で現地に滞在した際、夜間出歩けないことにストレスを感じた。私が宿泊したホテルは簡易的な朝食会場しかなく、夕食がとれるレストランは併設されていない。FIFAメディアセンターにあるのは、舌に合わない日替わりのもの(まれにおいしい食事があるが)か、チーズバーガー。食事をとりに外出したいが、電灯も少なく、治安の悪い南アフリカでは危険極まりない。睡眠、食事、排泄は確保されているものの、どこか満たされない。そんな生活が3週間を超えると、ストレスがたまってくる。食べたいものを食べたい。開放的な空間で過ごしたい――。人間の欲望はキリがない。本書も、そんな現代人の性(さが)を浮き彫りにする。  こんな興味深いデータがある。これからの人間生活のあり方について、京都府宮津市の講演会場で約800人に問うたところ、一般市民90%が「過去に回帰する」ことを選んだ半面、高校生の70%が「現在享受している生活を捨てられない」と答えたという。また、渋谷の若者に生活必需品を聞くと、1位:金、2位:ケイタイ、3位:テレビ、4位:車という回答だったのに対し、富良野塾(倉本による脚本家や俳優の養成施設)では、1位:水、2位:火、3位:ナイフ、4位:食料という結果だったと記されている。「若者達は生まれた時から恵まれた暮らしと便利さがあり、それのない生活は考えられないのだ」と倉本氏が指摘しているように、現代人が過去の生活に戻るのはそう簡単なことではない。私自身もそれに当てはまるから耳が痛い。 だからこそ、いま一度、真剣に考えるべきだと思う。「ヒトが生きるために何が必要なのか」という、根本的なことを。本書は、便利さ豊かさを享受しすぎた日本人の目を覚ます一冊になるだろう。 (文=石井紘人@FBRJ_JP)

ジャーナリスト青木理が語る鳥取連続不審死事件──毒婦と地方格差と劣化する刑事“地方”司法の問題点

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青木理氏。
 2009年、婚活サイトなどで知り合った男性3人を自殺に見せかけ殺害したとして、昨年4月に1審で死刑判決を受けた木嶋佳苗被告(昨年10月より控訴審が始まった)。セレブ生活に憧れ、毒婦などと形容される彼女は、ワイドショーをはじめとするマスコミでも話題となり、多数の本が出版されるほどの注目が集まった。  ちょうど同じ頃、鳥取では木嶋と年齢もほぼ同じ30代後半で、容姿も似た上田美由紀という女性のまわりで数人の男性が不審な死を遂げていた。いわゆる、鳥取連続不審死事件である。  木嶋とは違い、美由紀はひとりで5人もの子どもを育てるためスナックで働き、決してセレブ生活を夢見ていたわけではなかった。だが、彼女と交際した男性の中には数百万円を貢ぐため借金をし、家庭を捨てた者までいた。彼女のまわりで不審な死を遂げた6人のうち2人の死についてだけが、強盗殺人罪などで立件されている。  美由紀と面会を重ね、鳥取の地を地道に取材してきたジャーナリストの青木理氏が13年11月、事件を追った『誘蛾灯 鳥取連続不審死事件』(講談社)を上梓した。その青木氏に「美由紀とはどんな女か?」「都会と地方の格差や貧困問題、そして刑事司法」、さらに「今後の裁判の見通し」について話を聞いた。 ──木嶋佳苗の事件と鳥取の事件の上田美由紀は、よく比較対象になると思います。木嶋に関して言えば、木嶋の顔を初めて見たとき、どうしてこんな女にダマされるんだろうと多くの男性は思ったはずです。実際に面会し、美由紀はどんな容姿でしたか? 青木理(以下、青木) 人間の恋愛感情なんて本来、相手方の美醜など無関係でしょう。もちろん、ものすごく魅力的なら初対面のときに一瞬ハッとなるかもしれないけど、心の底から好きになったり、嫌いになったりするのに美醜は基本的に関係ないと私は思う。それを前提とした上でも、率直に言って美由紀は魅力に欠ける女でした。その上、付き合った男性にはすぐに妊娠したと告げ、中絶費や養育費を要求する。ほかにもさまざまな名目で金銭をせびり取ろうとする。払わなければ自殺や自傷をちらつかせる。さらには交際相手の実家にまでウソで近づき、金をむしり取る。取材してみると美由紀は、病的ともいえるほどの虚言癖者でした。それなのに読売新聞の記者や鳥取県警の刑事までが美由紀に惹かれ、妻子を捨て、何百万円ものカネを貢いだ挙げ句に不審死していたんです。  でも、実際に付き合っていた男たちに話を聞くと、美由紀は熱烈な愛の文句を綴ったラブレターを何通も送ってきたり、意外にカワイイところもあって礼儀正しかったそうです。5人の子どもを女手ひとつで育てているのを目の当たりにし、情が湧いたと振り返る男も多かった。だからといって家族まで捨てて何百万円も貢ぐというのは理解できませんが、そんな美由紀に惹かれた男たちの気持ちが分からないでもありませんでした。 ──下世話な話ですが、性的に素晴らしいということではないのでしょうか? 青木理氏(以下、青木) 美由紀と付き合っていた男には幾人も話を聞いたけれど、そう言う人はひとりもいませんでした。むしろフツウだって(笑)。 ──取材対象として、木嶋ではなく、美由紀の事件のほうを選んだのはなぜでしょう? 青木 当時、木嶋佳苗の事件にメディアが大騒ぎしていたでしょ。元来がへそ曲がりの私は、まったく興味をそそられなかった。むしろ、バカ騒ぎするメディアを冷めた眼で見ていたし、同じ時期に発覚した鳥取の事件も似たようなものだろうと思っていたんだけど、ノンフィクション誌「g2」(講談社)の編集者から「木嶋の事件は別の書き手に依頼したんだけど、あんた、鳥取の事件を取材して短いルポを書いてみないか」と言われてね。鳥取の事件は木嶋の事件に比べて全然騒がれていなかったし、へそ曲がりの私には、何か心に響く提案だった。それに鳥取市には行ったことがなくて、一度行ってみたいと思ってたし(笑)。その程度の理由で、取材を始めたんです。  でも、取材するうちにのめり込みました。メディアがどうして事件取材に熱中するかといえば、面白いからということももちろんありますが、事件の背後に時代の臭いや社会の歪みが見えてくるというところに醍醐味があるからでしょう。鳥取の事件と同じ頃に起きた木嶋の事件は、「婚活」とか「出会い系サイト」とか「セレブ」とか、一見いまの時代を象徴しているキーワードがちりばめられていたからメディアは飛びついた。でも、それはなんだか表面的で薄っぺらく、本当の意味での時代の歪みを象徴しているようには、私には思えなかった。ところが鳥取で実際に取材してみると、美由紀の事件のほうがよほど、現代日本に巣食う深刻な病が底流で脈打っていると感じましたね。 ──それは、どういうことでしょうか? 青木 たとえば「都市と地方の格差」。あるいは「拡大する一方の格差と貧困の問題」。それに「刑事司法の歪み」でしょうか。  私は今回の取材で鳥取市に初めて入ったのですが、街が非常に疲弊していると同時に、陳腐化している印象を受けました。地方都市が疲弊しているのは鳥取に限った話じゃないけれど、ご存じの通り、鳥取は全国の都道府県の中でも人口最少の小さな県です。だから疲弊の度合いがことさらひどい。地元商店街や歓楽街は完全に没落し、代わりに国道沿いには巨大資本のスーパーやショッピングモール、ファミレスやコンビニが林立している。 ──典型的な地方の郊外ですね。 青木 そう。疲弊しているのに風景が画一化、陳腐化しているのは、現代日本の地方の荒んだ現状です。その上に鳥取は交通の便が極度に悪く、軽自動車の保有率が全国1。その他の指標でいうと、カレールーの消費量もインスタント麺の消費量も全国トップクラス。つまり、世帯の平均収入が低いから共働き率が高く、軽自動車やインスタント食品の需要が高い。全国的に見ても、人々が貧しい生活を強いられているんです。鳥取は、日本の地方が抱える歪みが凝縮されている場所といえるでしょう。そんな街の寂れ切った歓楽街を舞台に事件は起きた。 ──「貧困の問題」ですが、立件されていないものの、不審な死を遂げた6人のうち読売新聞の記者や県警の刑事を除いては、本書では生活保護受給者が数多く登場します。 青木 ええ。事件に関連した人々には、生活保護受給者が多くいます。不審死した男たちと美由紀が出逢う場となった「スナック・ビッグ」は、昔ながらの歓楽街の片隅で営まれている。ママはアパートも経営していて、本書に登場する中では唯一、辛うじて「持てる者」といえる存在ですが、そのママが持たざる者たちを食い物にしている面もあった。ママが経営するアパートに生活保護受給者を住まわせ、その人たちに自分の店で酒を飲ませている。ささやかだけど、一種の貧困ビジネス。美由紀も持たざる者だったけど、その彼女が周辺の人々にカネをせびり、カネを巻き上げて生を紡ぐ。生活保護受給者の増加や貧困問題といった日本社会の歪みが、事件にはベッタリと張りついています。 ──「スナック・ビッグ」は本書の要所要所に登場し、ひとつのキーポイントになっている印象を受けました。 青木 物語としては、そうなるように狙って書いた部分もあります。美由紀の周辺で不審死した男たちの大半はビッグで美由紀に出逢っているから、事件の面でも重要な場所なんですが、ビッグに来た男たちがどういう気分であそこで飲み、ホステスとして働いていた美由紀に惹かれていったのかを追体験させられないだろうかと思って。ある読者には「読んでいて、ビッグの場面に戻るとホッとする」と言われました。実際、陰惨な事件現場や事件関係者の話を聞き続けた私も、取材を終えてビッグに行くとホッとしてしまうところがあった。それを読んでいて「ホッとする」と感じるということは、私もあなたもダマされた可能性があるんじゃないかと(笑)。そんなふうに読んでもらえると、私の狙い通りでもあります。 ──「刑事司法の問題」とは? 青木 刑事司法は私が以前から取材しているテーマでもあります。美由紀の場合、1審公判は鳥取地裁で開かれ、すでに死刑判決が言い渡されていますが、検察が立件に踏み切った2件の強盗殺人について美由紀は逮捕時点から一貫して否認している。しかも警察と検察は脆弱な状況証拠しか示せず、決定的な証拠は何ひとつない。実際に現地で取材してみると、美由紀が事件とまったく無関係とは思えないけれど、女ひとりでできるような犯行と考えるのはどうしても無理があった。1審の公判には検察側の最重要証人として美由紀の最後の同棲相手である安西という男が出廷し、検察側立証を支える証言を口にしました。ところが、これは誰が聞いても明らかに不自然なところばかりの証言だった。そんな公判なのに死刑判決です。  死刑制度に賛成か反対かはさておき、一般の人はこんなふうに考えているんじゃないでしょうか。つまり、死刑になるような被告はとてつもない凶悪犯罪に手を染め、警察や検察の捜査もきちんとした証拠を集め、長期間の裁判を重ねた結果として被告の犯行であるということが確実に立証され、これは死刑以外にやむを得ないと判断されたんだろう、と。でも、現実は違う。特に美由紀の裁判は、警察も検察もヘボだし、さらにいえば弁護側もヘボ。こんな捜査と裁判で死刑にして大丈夫なのか、という思いは拭えません。いわば刑事司法の失態です。 ──刑事司法の失態とは、具体的にどんなことでしょうか? 青木 いま申し上げた通り、公判そのものも極めて不十分だし、何よりも鳥取県警の捜査がひどくずさんでした。今回の事件は、立件された2件のほかに美由紀の周辺で2004年から2009年までの間に読売新聞の記者や警備員、鳥取県警の刑事が不審死しています。真相は不明だけれど、彼らの死因や周辺をもう少しきちんと調べていれば、もっと早く事件化され、これほど多くの人が亡くならなくて済んだかもしれない。ところがロクな検視もせずに2件は自殺、もう1件は海水浴中の事故として処理してしまった。今となってみれば、すべてが藪の中ですけれどね。  ほかにも問題はある。今回立件された2つの事件の被害者のうち、日本海沿岸で溺死体で発見された方がいます。判明している計6人の不審死のうちでは4番目の死者ですが、彼が死ぬしばらく前に家から不審火が出て、彼は警察に対し「殺されそうになったかもしれない」と話したそうなんです。そして実際に遺体で発見された。慌てた県警が遺体を解剖したところ睡眠導入剤が検出され、美由紀との交際や金銭的な関係が浮上し、ようやく本格捜査を始めたんです。もっと迅速に対応していれば、彼は死ななくて済んだかもしれない。  そこから県警は、美由紀と安西を行動確認監視対象に置きます。この間にも2人は取り込み詐欺のような行為を繰り返していたのに、それを見逃した上、2つ目の殺人まで許してしまったんです。この事件が発生したとされる当日も県警は美由紀と安西を行動確認していたはずなのに、犯行時間帯だけは美由紀を尾行していなかったと警察・検察は裁判で言った。にわかには信じがたいし、もし事実だとすれば大失態でしょう。きちんと尾行していれば、2つ目の殺人は防げたんですから。 ──美由紀の弁護士は国選です。 青木 ええ。1審と2審は別々の弁護団で、いずれも国選ですが、1審の弁護人はヒドかった。弁護方針もブレブレで、メディア取材も拒否。失礼だけど、死刑という究極の刑罰がかかる重大事件の弁護団としては、明らかに力不足でした。 ──裁判官はいかがでしょうか? 青木 1審・鳥取地裁の裁判官は比較まっとうでしたが、結局は検察の脆弱な立証を丸呑みして死刑判決を下していますからね。裁判員だって黙秘権の意味をろくに理解していない状態で、これは明らかに裁判長の責任でしょう。鳥取である人に聞いた話ですが、警察にせよ、弁護士にせよ、刑事司法に関わる人々の平均レベルが低いのも地方都市の現実だと。そうなのかもしれません。 ──昨年の12月10日から控訴審が始まり、美由紀は1審での黙秘から一転、口を開きましたが、これはどう考えますか? 青木 美由紀は1審で黙秘権を行使して口を閉ざしましたが、美由紀の弁護団は起訴事実を否認するにとどまらず、「安西こそが真犯人だ」とまで主張していました。驚きの主張でしたが、2審で口を開いた美由紀の証言は、基本的にそれをなぞるものだったといえます。明確に安西が犯人だと言ったわけではないけれど、一緒に暮らしていた安西の事件当時の不審な行動を数々指摘し、誰が聞いても「安西が犯人だ」という内容でした。しかも極めて具体的で詳細。ただ、それはほとんどウソだと思います。  さりとて、1審で安西が証言したことにも明らかにウソが含まれている。安西によれば、美由紀から三つ子を妊娠したと言われて信じていた上、出産予定日を過ぎてから薬物で子どもを小さくして堕胎したと聞かされ、これも警察に教えられるまですべて信じていたと訴えました。もともと安西はやり手の自動車セールスマンで、40代の半ばを過ぎた妻子ある中年男ですよ。そんな安西の主張を信じろというほうが無理です。つまり美由紀も安西もウソをついていて、裁判は真実をほとんど明らかにできていない。 ──控訴審以降の裁判の見通しについては、どうお考えでしょうか? 青木 死刑判決が覆る可能性は極めて低いでしょう。そもそも日本の刑事司法は、検察が起訴した際の有罪率が99%を超え、1審でのわずかな無罪判決すら2審でひっくり返されてしまうことが多い。広島高裁松江支部で始まった控訴審は、裁判長が美由紀に証言の時間を与えましたが、1審で黙秘した被告が2審で証言すると言っているのにしゃべらせないわけにはいかないという判断でしょう。死刑という究極の刑罰がかかった裁判なのに、審理が尽くされていないじゃないかと批判されかねませんからね。従って美由紀の証言を受け入れる可能性は薄いと思います。  ただ、今回の公判は、日本の刑事司法の歪みを照らし出している。先ほども申し上げましたが、今回の事件では、警察・検察側も脆弱な状況証拠しか出せていません。しかも、それを支えているのは、これも怪しげな安西の証言。それなのに死刑判決です。「このままで本当にいいのか?」という私の思いは今も変わりません。 (取材・構成=本多カツヒロ) ●あおき・おさむ 1966年、長野県生まれ。ジャーナリスト、ノンフィクションライター。共同通信社警視庁公安担当、ソウル特派員などを務めた後、2006年からフリーに。主な著作に『日本の公安警察』(講談社現代新書)、『絞首刑』(講談社文庫)、『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』(小学館文庫)、『国策捜査』(角川文庫)など。最新作が『誘蛾灯 鳥取連続不審死事件』(講談社)。朝の情報番組『モーニングバード!』(テレビ朝日系)のコメンテーターなど、テレビ、ラジオでも活躍中。

虐待を生き延びた子どもたちの“その後”『誕生日を知らない女の子』

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『誕生日を知らない女の子』(集英社)
「なぜ、幼い生命を救えなかったのでしょうか?」  虐待死事件が報道されるたびに、レポーターが繰り返す言葉だ。毎年、少なくとも50人以上の子どもたちが、虐待の犠牲となってその生命を奪われている。だが、児童虐待の相談対応件数は、6万6,807件(平成24年度)。死亡してしまう子どもは、全体のほんの一部であり、「救えた」子どもたちが直面する過酷な現実に光が照らされることは、ほとんどない。  虐待を受けた子どもたちの“その後”を描いたノンフィクションが、黒川祥子よる『誕生日を知らない女の子』(集英社)だ。虐待を逃れ、里親のもとで暮らす子どもたちの生活を描いた本書。だが、そこに描かれているのは、里親のもとで安心した生活を送る幸せな子どもたちの姿ではない。  「川村のママ」と呼ぶ実母に、フライパンで手を焼かれ、タバコの火を押し付けられた美由は小学3年生。保護施設では、能面のように表情を変えず、「しゃべれないかもしれない」と心配されながら過ごしてきた。日常的に虐待を受け続けた生活が、彼女の感情を動かないように変えたのだ。里親のもとに引き取られて、少しずつその感情は改善していくも、嫌なことがあるとすぐに白昼夢に逃避してしまう美由。いまだに、「おまえなんか、ぶっ殺す」という実母の声に苛まれ、お店の商品をいつの間にか「持ってきちゃう」のは、実母から万引きを強要されていた過去がフィードバックするからだ。  虐待を受けた子どもたちは、多かれ少なかれ、いろいろな問題を抱えている。他人との距離がうまくつかめず、すぐに暴力に走ってしまう問題児や、いつ殴られるかわからない恐怖と闘ってきたため、脳の健全な発達は遅れ、学習障害と診断されるケースも少なくない。  捨てられたも同然で児童相談所に預けられ、里親のもとにやってきた明日香は、実母に恋焦がれている。「おかあしゃんは、女神さまのように優しくて、どんな願いでもかなえてくれる」と実母を理想化する明日香。しかし、継父と実母のもとに引き取られた彼女は、1カ月以上ひとりで放置され、再び児童相談所に送られることとなった。 「虐待はトラウマという、傷つけられた体験で語られがちですが、一番重要なキーワードは、喪失なのだと思います」 と、子どもの虹情報研修センターの増沢高研修部長は語る。子どもに関心の薄い母親のもとで、周囲の大人たちの誰もが、明日香が幸せになれるとは考えられなかった。それは、明日香自身も薄々わかっていたことだろう。けれども、彼女は「奴隷でもいいから、帰りたい」と言って、里親のもとを去っていた。現実を見つめないことが、唯一、彼女の喪失感を回避する手立てだったのだ。  二人の子どもがいる沙織は、父親からの暴力や性的虐待を受けて育った。 「上の子は女の子だからなのか、育児のたびに否が応でも自分とかぶるんです。育児をする上で、フラッシュバックを体験するというか……。『あの子歩いたな、よかったな。うれしい』って思った瞬間、『誰が私が歩いたのを喜んだ? 誰が私が歩いたのを見ただろう』って、だんだん上の子に当たっていくんです」  「スイッチが入る」と長女の「夢」を殴り、蹴り、首を絞めてしまう沙織。「このままだと殺してしまいます」という電話をかけ、彼女の子どもたちは児童相談所に保護された。「父親に言いたかったこと、継母に言いたかったこと、押し込めていた気持ちを自分の子どもにぶつけていたんです。小さい頃からの怒りが、夢ちゃんに向かって出ていたんです」まるで呪いのように、虐待の記憶は、何十年を経ても沙織を苦しめている。  母親の虐待を受けながら育った青年が、その母親を殺害する事件の裁判で、青年は「僕は今、虐待死させられた子どものほうがずっとうらやましい」と話した。  「『虐待の後遺症』という視点を持って、『殺されなかった』被虐待児の現実を、私たちは社会全体で見つめていかなければならないと強く思う」と黒川は書く。虐待を経験した子どもたちは、その成育の過程において人間としての当たり前な経験を得られず、社会に馴染むことができない。だから、彼らの扱いは難しく、本書には「育児放棄」のような扱いをする一部施設の姿も描かれている。向き合うことが困難だからといって、虐待を経験した子どもたちを見放すならば、この社会は虐待をする親たちと何も変わらないだろう。  これ以上、彼らが虐待を受けなければならない理由はどこにもないはずだ。 (文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●くろかわ・しょうこ 1959年生まれ。福島県出身。東京女子大学文理学部史学科卒業。弁護士秘書、ヤクルトレディ、デッサンモデル、業界紙記者などを経て、フリーライター。家族の問題を中心に執筆活動を行う。橘由歩の筆名でも著書がある。息子が二人いるシングルマザー。第11回開高健ノンフィクション賞受賞。

6人の人気脚本家からひも解く、テレビドラマの歴史と魅力『キャラクタードラマの誕生』

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『キャラクタードラマの誕生: テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)
 2013年、『あまちゃん』や『半沢直樹』がヒットし、テレビドラマは大きな話題となった。実は、このふたつの作品には共通点がある。それは、どちらも「キャラクタードラマ」であることだ。  成馬零一氏が上梓した『キャラクタードラマの誕生: テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)は、岡田惠和(『銭ゲバ』『泣くな、はらちゃん』)、坂元裕二(『それでも、生きてゆく』『最高の離婚』)、遊川和彦(『家政婦のミタ』『純と愛』)、宮藤官九郎(『11人もいる!』『あまちゃん』)、木皿泉(『すいか』『野ブタ。をプロデュース』) 、古沢良太(『鈴木先生』『リーガルハイ』)という、現在のテレビドラマを代表する6人の脚本家について評論したもので、各章の合間には「ホームドラマ」「トレンディドラマ」「キャラクタードラマ[1]、[2]」「朝ドラ」「現実とフィクション」という、テレビドラマ史を体系的に振り返るコラムが挟み込まれている。  テレビドラマ評論の多くは、山田太一、向田邦子、倉本聰といった、後に「シナリオ文学」などと呼ばれるような重厚な人間ドラマを描いた脚本家を高く評価するあまり、それ以降のトレンディドラマは批判的に語られがちだった。ましてや、漫画原作のドラマは、それだけで黙殺されてしまう。しかし、本書でテレビドラマの歴史やその連続性を知ることで、それがいかに不当な評価であるかが浮き彫りになってくる。  成馬氏は、前出の「キャラクタードラマ」について、本書の中で下記のように定義している。   ・漫画やアニメを原作とするドラマ、もしくは漫画やアニメの表現(方法論)を作品内に持ち込んだドラマ ・役者のキャラクター性に強く依存したドラマ ・主人公の個性がドラマの前面に出ているドラマ ・人間の内面をキャラクターという表現で描いたドラマ  前著『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)で、成馬氏はジャニーズの俳優たちを例にとり、最近のテレビドラマの演技は、複雑な感情の機微を感じさせる「人間芝居」と、個性がハッキリとしたキャラを演じる「キャラクター芝居」があると指摘し、分類している。「キャラクタードラマ」とは、それを元にして定義された概念である。これまでの映画的な評価基準では、「人間芝居」よりも「キャラクター芝居」は低い評価をされがちだった。その評価基準は、そのまま「キャラクタードラマ」に対する低評価にもつながっている。もちろん、原作を安易に翻案しただけのドラマも少なくはない。しかし、キャラクタードラマの本質は、漫画をそのまま実写で再現することではない。 「生身の人間が二次元のキャラクターとして振る舞おうとすればするほど、逆に身体性や内面がにじみ出てしまう。そしておそらく、そのにじみ出る人間性にこそキャラクタードラマの面白さが宿るのだ」(本書より)  キャラクタードラマとは、「人間」を描くための手法にすぎない。現在、現実世界でも僕らはお互いに「空気」を読み合いながら、なんらかの「キャラ」として振る舞うことを要求されている。だとするなら、強固なキャラクターを中心に据えてドラマを描くことは「現在」を描くことにほかならない。  また、本書は初めてのテレビドラマが『夕餉前』というホームドラマであったことが象徴するように、極論すれば日本のテレビドラマの歴史は、実はホームドラマ(アンチ・ホームドラマ)の歴史であるという、目からうろこの事実を指摘。それを描く手法が「人間ドラマ」「トレンディドラマ」、そして「キャラクタードラマ」に変遷していったにすぎないことを丁寧に解き明かしている。  テレビドラマは、ずっと日本のお茶の間を描いてきた。かつては、それを家族で、お茶の間の食卓を囲んで眺めていた。そして現在、SNSなどにより、新たな“お茶の間”ができ上がった。よく「インターネットはテレビの敵」のような言説がある。しかし、そうではないはずだ。僕たちは、インターネットによって生まれた「バーチャルなお茶の間」で、馴染みのあるキャラクターたちを見守っている。「キャラクタードラマ」の誕生とSNSとの出会いは、そんなテレビの原風景を取り戻したのだ。 (文=てれびのスキマ<http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)