芸妓、ラブホ、殺人事件……男女の“欲望”が渦巻く『迷宮の花街 渋谷円山町』

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『迷宮の花街 渋谷円山町』(宝島社)
 本橋信宏氏の前作、『東京最後の異界 鶯谷』(宝島社)は、奇妙な街を追ったノンフィクションだった。博物館や寛永寺などが集まる文化エリアから坂を下ると、そこにはうらぶれたラブホテルやデリヘル事務所が密集する。21世紀にありながら、時代の波を寄せ付けない鶯谷の現実を描き出した本書は、高く評価された。そして、この『異界』シリーズの第2作目として選ばれた土地は、渋谷駅から徒歩10分。道玄坂から神泉にかけて広がる「円山町」という地域だ。  ラブホテルが密集し、風俗の案内所がギラギラした照明を浴びせかける円山町には、ライブハウス「Shibuya O-EAST」や「club asia」「club atom」、映画館「ユーロスペース」が立地する。かと思えば、昭和元年創業の「名曲喫茶ライオン」や、昭和26年創業の老舗インド料理店「ムルギー」などの有名店があり、アクセスのよさからサイバーエージェントをはじめとする企業がオフィスを構えるエリアでもある(実は、「サイゾー」の編集部もここからほど近い道玄坂にある)。時間によって、場所によって、そして足を運ぶ人によって、円山町は玉虫色にその姿を変えていく。  『迷宮の花街 渋谷円山町』(宝島社)は、この不思議な繁華街の歴史を追ったノンフィクションだ。いや、歴史というよりも、「記憶」という言葉のほうが正確かもしれない。100年にわたって、この街はさまざまな変遷を遂げてきた。  江戸時代までは火葬場が設置され、雑木林の広がる丘だった円山町は、明治から大正にかけて料亭と置屋、そして待合の3つがそろった「三業地」に指定されると急速に発展していく。大正10年には、芸妓置屋137戸、芸妓402人、待合96軒を数える都内でも有数の花街へと成長していった。  映画監督の森田芳光は、生まれ育ったこの街を舞台に、デビュー作『の・ようなもの』を撮った。生家のすぐ横にあったトルコ風呂の記憶が、秋吉久美子演じる新たなトルコ嬢の姿として共感を呼んだ。また、『円山・花町・母の町』を歌った三善英史は、「母になれても 妻にはなれず」という歌詞を、円山町で芸者として生計を立てていた母を思い浮かべながら歌い、NHK紅白歌合戦にも出場を果たした。芸者とトルコ風呂、かつてそこは退廃的な物語が似合う街だったのだ。  そのイメージが一変するのが1980年代後半から。バブル経済に向かう狂乱の中で、芸者に代わり、立ち並ぶラブホテルが円山町の代名詞となっていく。現在、70軒あまりのラブホテルが林立する円山町では、固く腕を組んだカップルたちが、昼夜を問わずその路地へと吸い込まれていく。また、カラオケやゲームなどのアミューズメントが充実し、和風やアジアンなどさまざまなコンセプトで内装がしつらえられた設備は外国人の興味も集め、いまや「Love Hotel Hill」として旅行ガイドに紹介されるほどとなっている。  さらに、男たちの欲望を刺激する風俗店も数多い。普通のデリヘルだけでなく、電マ練習場、母乳デリヘル、デブ専門デリヘルなど、男たちのアブノーマルな性癖も、この街は受け入れている。カップルのありきたりなセックスだけではなく、不倫、乱交、スワッピング、SM、フェチ、さまざまな性欲が渦巻き、大量の精液を垂れ流す町、それが円山町の姿となった。  そして、そんな街を震撼させた事件が「東電OL殺人事件」だ。1997年3月19日、ひとりの売春婦が死体で発見された。この町で売春婦が殺されることは、少なくないこと。しかし、彼女は、売春婦であると同時に、慶應大学経済学部を卒業し、東京電力の企画部経済調査室副長にまで上り詰めたエリートだった。年収1,000万円以上の彼女が、なぜわずか2,000円で自らの体を売らなければならなかったのか? その謎は、世間の好奇の目を集め、週刊誌、月刊誌などさまざまな媒体が彼女の素顔を暴こうと躍起になり、この街を舞台に激しい取材合戦が展開された。だが、20年弱の時間を経ても、まだ事件の真相は明らかになっていない……。  丹念に言葉を拾いながら、本橋が記述する100年間にわたる円山町の記憶からは、「欲望」という共通点が見えてくる。表の世界ではおおっぴらにできない種類の欲望は、細い路地が密集する迷宮のようなこの街へと静かに群がってくる。だが、その「異界」は、また変化の波にさらされようとしている。渋谷駅の再開発によって、道玄坂と宮益坂をつなぐ「スカイウェイ」が2027年に完成すれば、この街の姿も大きく変わってしまうことだろう。その時、円山町にはどのような欲望が集まってくるのだろうか? それとも、「異界」としての役割を終え、なんの変哲もない街へと変わってしまうのだろうか? 時代を追うごとにフラットになっていく東京の街で、願わくば、円山町という異界が残されることを期待したい。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])

『徹子の部屋』40年の足跡に見る、“超人”黒柳徹子の絶対的な人間愛

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「『徹子の部屋』40周年Anniversary Book」(ぴあMOOK)
 きらびやかな装飾に彩られた「部屋」。そして、きらびやかな部屋の数百倍絢爛豪華なオーラを放ちながらたたずむ女主人、「徹子」。1976年放送開始、日本テレビ史に燦然と輝く『徹子の部屋』は今年40年目に突入する。招き入れた客人の数、延べ1万人、2011年には「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」としてギネス世界記録に認定されている。しかし『徹子の部屋』のすごさは、数字や記録にのみあるものではない。このたび、ぴあから発売となった「『徹子の部屋』40周年Anniversary Book」から、この番組が超人的長寿番組となった秘訣を探りたい。それは一人のテレビタレントが、超人的黒柳徹子となった足跡でもある。  こちらのムック本、表紙の、パンダをチョークスリーパー気味に抱え込んでほほえむドレス姿の徹子が、この本を手に取る者たちを若干威嚇しているが、それにひるんではいけない。巻頭に黒柳徹子本人のスペシャルインタビュー、40年間に登場した全放送ゲストリスト、思い出のゲストプレイバック、スタッフたちの座談会やコメント、『徹子の部屋』ができるまでのドキュメントパート、都市伝説化されているものも含めた『徹子の部屋』トリビアなど、一冊で『徹子の部屋』がこれでもかというほど味わえる。  まずは、40年を振り返るという壮大なテーマで語られるインタビューから。冒頭こそ「私自身が『徹子の部屋』にいるのを“楽しみにしている”」「人間というのはもともと、いい部分を多く持って生まれているんじゃないかと思うんです。(中略)だから番組を観てくださった方から、ゲストの方について“あまり好きなタイプではなかったのだけど、『徹子の部屋』を観て好きになりました!”なんて言われると嬉しいです。その方のいい部分が出たのかもしれないなって」など長寿トーク番組の司会者らしい発言が続くが、やはり徐々に“隠しきれない超人的徹子”が顔をのぞかせる。  普段からおしゃべりなイメージがあるためか「新幹線の車内で、知っている方と偶然お会いしたときのことなんですが、“黒柳さんって無口ですね”って。でもこのときは、ただ単にその方と喋ることがなかっただけなんです。だから私、思わず笑っちゃって。だって“私はずっと窓の外を見ていますけど、これは富士山を見ようとしているんですよ”とか“今日の富士山は綺麗かしら”なんてわざわざ口に出して説明しないじゃない?(笑)」と笑いながら“お前がつまんないだけ”発言。しかし、これが嫌味や皮肉に聞こえないところが、徹子の徹子たるゆえんだ。さらに話がモノホンの徹子の部屋(自宅)に及ぶと「何しろ私のおうちは、物が多くて。“クモの巣城”なので」「今は背中を反る運動ができる機械が玄関に置いてあるので、そこで夜中にトレーニングしているんです。気をつけないと“ふん! ふん!”って声を出していると新聞配達の方が通りかかって、びっくりしますから」。なぜ、玄関にトレーニングマシーン、なぜ夜中に筋トレ……。インタビュアーの「生活していれば、どうしても物は増えますしね」という冷静な受け流しに“徹子の部屋ルール”を見た思いだ。  徹子の、常人には思いもよらないような突拍子もない行動、言動にひるまない、動じないスタッフたちも、おそらく超人徹子に日々鍛え上げられているのだろう。『徹子の部屋』にはおなじみ「編集しない」という掟のほかに、「ピンマイクをつけない」というものもある。これは「ゲストの衣裳をより綺麗に見せたい」という徹子のこだわりであるが、ドラマの撮影などに使われるガンマイクは周りの音も拾いやすいという欠点があるため「カメラを動かすときも音を立てないよう、そーっと動かしていますよ」「技術系のスタッフはこの番組特有の決まり事が多いから、スタッフ間のコミュニケーションを取ることが重要」(技術スタッフ座談会より)なのだとか。そのほかにも「(食事時の)20代、30代男子に負けない量とスピードに店員も目を丸くしていました」「実は、私は見てしまったんです。黒柳さんが、足の爪を切りながら打ち合わせのメモをしている姿を」(番組スタッフコメントより)などなど、もはやここまでくると『徹子の部屋』が『魁!!男塾』にも見えてくる。わしが徹子塾塾長、黒柳徹子であるッッ!!!  しかし、そんな黒柳徹子も最初から超人徹子だったわけではない。このムック本には栄えある1976年初回放送(ゲスト森繁久彌)がプレイバックされているが、まだこの頃は昭和のギャグとお色気ネタでグイグイくる森繁を恥じらいつつ受け止める「引き」の徹子だ。それが2013年11月の放送回(ゲスト竹野内豊)のプレイバックを見ると、「ドラマ以外の番組にはほとんど出演することがない」という竹野内を独自のトーク術で翻弄する別人のような徹子がいる。竹野内が、自分からあのバレリーナに扮するCM(東京ガス)の話を振りながら、バレエつながりで中学時代の部活動(器械体操)の話をしだすと、徹子は「話は少し違うんですけど」と愛犬の話題に突然チェンジ。竹野内が尊敬する緒形拳が『徹子の部屋』に登場した際のVTRを何度も紹介し、感極まった竹野内が涙を流すと「あら、あなた涙がいっぱい出てる」「普段はお泣きにならないそうですけれど、ついつい涙を見せてしまった」と確認した直後に「話は違うんですが」と、またもやまったく違う話題にチェンジ。このムックを読むと、ウブな徹子が超人徹子に変貌していく過程がよく分かる。徹子一日にして成らず、である。  「40年間も番組を続けてこられたのは、責任感ではなく好奇心があったから」。黒柳徹子は好奇心に対して、一貫して正直で平等だ。スタッフはみな黒柳を「少女がそのまま大人になったような人」と評している。湧き上がる好奇心に正直だが、そこに下衆さはない。そして正直だからこそ、厳しい。徹子伝説の一つに「子どもが遊んでいたボールが地雷原に入ってしまったとき、地元民すら恐れるその地雷原になんの躊躇もなく入っていきボールを取ってきた」というものがあるが、『徹子の部屋』が40年もの間人々に愛された理由もそんなところにあるのだと思う。黒柳の絶対的な人間愛が、トークという地雷原に躊躇なく踏み込む依拠となる。この聖域なき『徹子の部屋』が末永く続いてくれるよう、願ってやまない。 (文=西澤千央)

ツッコミどころ満載の愛すべき“怪書”150冊が集結!『ヘンな本大全』

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『ヘンな本大全』 (洋泉社MOOK)
 珍書プロデューサーとして注目を集めるハマザキカク氏が、新刊『ヘンな本大全』 (洋泉社MOOK)を発表した。珍書やヘンな本とは、「一体誰が読むのか?」「なぜこんなテーマで1冊に?」と、ツッコミどころ満載ながら、本に携わった人たちは大マジメで作ったのであろう、愛すべき怪書たちのこと。著者のハマザキカク氏は、年間約8万冊も出版される新刊をすべてチェックし、それを日々、Twitterで珍書速報として流し、「本の雑誌」でも珍書の新刊を紹介。昨年には、自らが独断と偏見で1人で選ぶ「珍書大賞」を創設し、約20もの各ジャンルごとに与えた受賞作を紹介する「珍書フェア」が、神保町の「書泉グランデ」や秋葉原の「書泉ブックタワー」で開催されるなど、その勢いは止まらない。  本書では、そんなハマザキカク氏が選んだ、珍書大賞受賞作品の紹介と受賞理由から始まり、食べられる帯や生米とスパイス入りの缶に入った本など「ヘンな装丁」20冊の紹介へと続く。そして、今回メインとなっているのが、それぞれの分野で秀でた専門家約20名が推薦する、“ヘンな本”=珍書ガイドである。  『死ぬかと思った』(アスペクト)シリーズで有名な林雄司氏は「ヘンなビジネス書」、当サイトでもおなじみの北村ヂン氏は「ヘンな性愛本」、『へんないきもの』シリーズが大ヒットした早川いくを氏は「ヘンな生き物本」、辺境地や未確認生物に強いノンフィクション作家・高野秀行氏は「ヘンな旅本」、プロインタビューアーの吉田豪氏は「ヘンなタレント本」と「ヘンなアイドル本」、辛酸なめ子氏は「ヘンなセレブ本」などなど、絶対面白い本選んでくれるでしょ! という期待感のある人が登場し、1テーマ5冊程度ずつ紹介している。  どれもこれも、かなり興味をそそる本ばかりが紹介されているのだが、個人的に気になったのは、林氏が最初はちょっとバカにして買ったものの、ドはまりしたという『松岡修造の人生を強く生きる83の言葉』(アスコム)。「崖っぷちありがとう! 最高だ!」「勘違いを特技にするんだ」など、なんとなく意味がわかる前向きな言葉のほか、「上海見てみろ。上海になってみろ!」「今日からおまえは富士山だ!」など、人智を超えた名言まで飛び出す。意味としては、「日々変わる上海のように自分もなってみよう」「僕らしさを取り戻すには富士山が最も近い存在でした。(中略)はっきりした理由はありません」とのことのようで、林氏いわく「意味がわからないのに読んだ人を前向きな気持ちにさせるという目的は達成しているわけで、言葉というよりも歌みたいなものなんじゃないかと思うのだ」(本文より)ということ。机にあるだけで、前向きになれそうだし、なんかやけどしそうだ。  続いて、神保町で特殊古書店「マニタ書房」を経営する、とみさわ昭仁氏の「ヘンな成り上がり本」セレクトで、『ガブガブいっちゃえ!』(三天書房)。個人的にはあまり記憶がないのだが、「カブガブいっちゃうよ~」で一世を風靡した、ホスト王・零士氏のモテマニュアル本で、出版された2000年はバブルはもう終わってるハズなのに、圧倒的なバブル感が素晴らしい。いったい彼からどんなモテマニュアルが学べるのか、現代に合うのか、大変気になるところだ。それから、「たき火の会」主宰のお酒大好き・石原たきび氏が選ぶ、「ヘンな酒本」がテーマの『こどものためのお酒入門』(イースト・プレス)。子どもに酒の魅力を伝えるという、なかなかの無茶な内容で、しかも、子ども向けだからといって、お酒というテーマに一切妥協はナシ。帯に書かれた「未成年でも大丈夫!」の大丈夫ではない感が、ハンパじゃない。  このほかにも、サイゾー読者がどっぷりハマりそうな本が続々と登場。その道のプロが選んだ本だけでも100冊以上、それ以外にもハマザキカク氏が選んだ数々の珍書が珍書大賞受賞作を含め、約50冊も登場しているので、アナタにぴったりの一冊どころか、困っちゃうぐらい何冊も見つかるはず。面白い本が見つからない、と嘆いているアナタはぜひ参考にしてほしい。 (文=上浦未来)

中村淳彦『ルポ 中年童貞』が描く、社会問題としての“中年童貞”とは

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『ルポ 中年童貞』(幻冬舎新書)
 現在、30代以上未婚男性の4人に1人が性交渉未体験、つまり、童貞だといわれている。この20年間、増え続ける存在に何かを感じ取ったノンフィクションライターの中村淳彦氏は、最近、『ルポ 中年童貞』(幻冬舎新書)を上梓した。中年童貞たちの実態が克明に描かれた本書。中年童貞の増加は何を意味するのか? ――中村さんがこの本を書こうと思ったきっかけは何ですか? 中村 7年前、2008年に文筆業を辞めて介護の仕事を始めました。出版不況で自分の役割は終わったかなと思ったのと、『名前のない女たち最終章』(宝島社)という著書の取材で“死にたい”という女の子が続々現れて嫌になって、残りの20年くらいを介護業界で平穏に生きるつもりだったんです。しかし、その介護がとんでもない世界だった。頭がおかしくなりそうなくらい、いろいろあり、大変でした。多くの介護職員は、一般的には“優しい温かい人”とイメージされるかもしれませんが、実際は、経済的貧困と関係性の貧困を抱えている人が多く、毎日、必ず何かトラブルが起こっていました。 ――介護は、一般的には社会性が強い職種に聞こえるので意外です。 中村 ライターとして社会の底辺を見続けてきた自負のあった僕も、見たことのない地獄のようなところでした。ようやく昨年末に廃業までたどり着いて距離を取れましたが、思い出しただけで気分が悪くなります。数年前は、なんとか成り立たせなきゃならないと思い“どうしてこんなトラブルばかり起こるのか?”と、考え続けていました。トラブルをひもといていくと、その多くに、社会的に成功体験がなくて、人手不足の産業を転々としている中年男性が関わっていたんです。 ――彼らが中年童貞だったと。 中村 介護現場で、彼らとは四六時中に一緒に働いています。雑談の中で、セックス経験の有無を訊ねたりもします。僕が関わった中年男性は数人ですが、全員が「(セックス経験、風俗経験が)ない」と答えていました。介護業界に童貞の中年男性が著しく多いのはおかしいし、彼らがトラブルの引き金になっているのを、もっとひもといて考えるべきだと思うようになったんです。そこから、今「中年童貞」が大変なことになっているのではないかと気付いたんです。ライターとしてのネタではなくて、自社の存続や、もっと大きく介護という社会保障を崩壊させないため、というのが本音です。 ――ですが、童貞だからといって、みながトラブルを起こすわけではないですよね? 中村 もちろんそうです。幻冬舎plusで連載しているころから、それは偏見じゃないかと言われていました。しかし、最初の「おかしい」と感じた出発点は間違いなくそこですし、介護現場がトラブルまみれなのはうちだけじゃないと気付いて、無視できないと思った。これから超高齢化社会を迎える日本は、団塊の世代が後期高齢者に突入する“2025年問題”を抱えています。このままでは絶望的です。自分なりの危機感でした。 ――中年童貞の人たちを取材するに当たって、苦労した点はありますか? 中村 中年童貞は全国800万人と、膨大な人数はいるけど、話してくれる人を見つけるのは大変。自意識が高くて、逃げてごまかし続けている人たちが多いので、コミュニケーションが取りづらい。今回の取材で辛うじて会話ができたのは、高学歴系の中年童貞の方たち。彼らは、自分がズレているという自覚があるから、取材を了承してくれて自分のことを話してくれました。 ――中村さんは、『名前のない女たち』シリーズで企画AV女優たちの取材も続けています。彼女たちと比べても、中年童貞の方がより大変だったとおっしゃていましたね。 中村 00年代の企画AV女優たちは心を病んでいたり、壮絶な幼少時代を送っていたり、貧しかったりする女の子が多かった。話を聞くたびに疲弊したけど、彼女たちはなんとか自分の力で生きようとしていた。でも中年童貞の人たちは、自己正当化するばかり。途中から、彼らはどうすればいいのかを考え続けたけど、やっぱりどうにもならない。 ――中年童貞は社会問題であると。 中村 個人の自由恋愛が認められて、見合い結婚がなくなるのは、膨大な敗者が生まれるってことですよ。恋愛も結婚も格差はどんどん激しくなって、誰も手助けはしてくれない。敗者は排除されるだけ。厳しい現実です。昔に戻ることは不可能だけど、それでも、地域とか親が無理やり結婚させて、妻と子どものためには働かなきゃいけないとか、そっちの方がよかったのかもしれないとも思いました。
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中村氏
――この本では、オタク産業の衰退、ブラック企業、ネット右翼など、さまざまな分野の社会問題と中年童貞の問題がリンクしていることが明らかにされていますね。 中村 オタク産業は、かつては高学歴で収入の多いオタク層によって潤っていましたが、いまは若者が全体的に貧しくなっているので、以前ほどの勢いがありません。オタク企業は、顧客の囲い込みに必死のようです。オタク向けの老人ホーム構想まであると聞きました。死ぬまで好きなアニメに囲まれているのは幸せなのかもしれませんが、本当にそれでいいの? という疑問は、口に出さなくとも多くの人が思っていることではないでしょうか。 ――ネトウヨの人も登場します。 中村 中年童貞の人たちは、童貞というコンプレックスと、女性と社会から排除されている現実があります。いくら自己正当化しても無理がある。ブラック企業やブラック介護施設が垂れ流す前向きな言葉や、コンテンツメーカーに心と経済を操られていたり、そのコンプレックスが攻撃性に転化されてネトウヨになったりするようです。この本では、まずは中年童貞の存在を「可視化する」のが最大のテーマです。「30代以上の未婚男性4人に1人」は、衝撃的な数字だと思います。20代の童貞率はさらに多いわけですから、今後ももっと増えていく。これから何が見えてくるか分かりません。だからこそ、しばらく取材は続けていきたいと思っています。 ●なかむら・あつひこ 1972年、東京都生まれ。大学卒業後、ノンフィクションライターになる。企画AV女優たちの衝撃的な生と性を記録した『名前のない女たち』(宝島社)シリーズは代表作となり、映画化もされる。一時期、高齢者デイサービスセンターの運営に携わるも手を引き、現在は、ノンフィクション、ルポルタージュを中心に執筆。著書に『職業としてのAV女優』(幻冬舎新書)、『崩壊する介護現場』(ベスト新書)、『日本人が知らない韓国売春婦の真実』(宝島社)、『ワタミ・渡邉美樹 日本を崩壊させるブラックモンスター』(コア新書)、『日本の風俗嬢』(新潮新書)など多数。

羽田新ターミナルの全貌とは!? 空港の舞台裏を徹底取材した『空港をゆく2』

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『空港をゆく2』イカロス出版
 1月28日、“ミニスカCA”などで話題となった航空業界3位のスカイマークが民事再生法適用を申請し、事実上経営破たんとなった。JAL破たんに続き、何かと暗いムードが漂う航空業界だが、2010年、羽田空港にD滑走路が建設され、国際線ターミナルがオープンしてからは、近年落ち込んでいた空港利用者も増加傾向にあるという。  以前は世界から評判の悪かった日本の空港(主に成田)も、東京五輪を控え、大きく変わろうとしている。『空港をゆく2』(イカロス出版)は、空港の舞台裏に迫ったムックだ。空港を「支える」「動かす」「守る」という3つのテーマを徹底取材し、全4章100ページにわたり、空港がどのように運営されているかを紹介している。世界で4番目に高い羽田の新管制塔、夜の滑走路を照らす航空灯火、ラブリーな麻薬探知犬など、普段見られない裏方の仕事をのぞき見ることができるのは興味深い。「美しすぎる世界の空港」など多数のグラビアも添えられ、ビジュアル的にも楽しい一冊となっている。  くだんの東京空港(羽田空港)国際線旅客ターミナルとは、一体どのようなものなのだろうか。ゼロ年代初頭、航空需要の増加に伴い、羽田空港の再拡張が決定。着工から3年の月日を経て、2010年、4本目の“D滑走路”が完成し、待望の国際線旅客ターミナルがオープンした。  この国際線旅客ターミナルビルは、機能性だけに偏重した従来のものと大きく異なっている。我々がイメージするターミナルというと、成田のような、天井が高く、内部もやたらと広いがらんどうの空間を思い浮かべるが、羽田の新ターミナルビルは建物を大きくせず、各施設間の心地よいアクセス性を重視。外国からの旅行者をおもてなしするため、和をデザインした“空の庭園”や、ショッピング街“江戸小路”、日本のカルチャーやトレンドを楽しめる商業エリア“TOKYO POP TOWN”などを設け、高いレジャー性を実現しているだけでなく、プラネタリムまで観られるという充実っぷりだ。富士の裾野をイメージした大屋根も流麗でカッコイイ。14年9月には、日本初のトランジット(乗り継ぎ客用)ホテル「ロイヤルパークホテル ザ羽田」も開業するなど、首都の空港としてふさわしい多機能と高いクオリティを備えたターミナルだといえる。「ザ羽田!」名前もイカしてる。  成田・三里塚闘争に始まり、日航機墜落事故、赤字を垂れ流し続ける地方空港など、どことなくネガティブなイメージがつきまとっていた日本の空港・航空業界だが、この『空港をゆく2』を読むと、シビアな安全要求に応える裏方の努力や、過去の反省(主に成田)を生かして建設された新ターミナルの様子がよくわかる。鉄道や高速道路など、我々が利用するさまざまなインフラの裏側を描いたイカロスMOOK『○○をゆく』シリーズ。冬の寒い夜にいかがでしょうか。 (文=平野遼)

いったい誰が買うのか!? 『妹に教えたい世界のしくみ』が売れている……だと?

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『図でわかる!妹に教えたい世界のしくみ』(笠倉出版社)
 書店に行けば、ベストセラー書籍の影に隠れて「いったい、この本は誰が買うんだろう……」という本が、意外なほど数多く並んでいる。もちろん、そんな本のほとんどは、さっぱり売れないまま書店の棚から姿を消してしまうのだが、なぜか重版がかかるほど好調な売れ行きを記録しているのが『図でわかる!妹に教えたい世界のしくみ』(笠倉出版社)だ。「知った気になれる!」「政治宗教の派閥や力関係から経済のしくみまでいいかげんに図表化!」というキャッチフレーズが躍り、pixivでも人気の「米」氏による渾身の妹イラストが描かれた表紙。いったい、どんな人間が、なんのためにこの本を購入してしまうのだろうか……?  う~ん、手にとって実際に本書の内容をひもといてみよう。  「日本政府のしくみ」や、「自民党派閥の系譜」といった、社会の教科書や資料集に掲載されているような役に立つ知識から、「コーヒーの種類」「自己破産のしくみ」「刑務所の一日」といった話のネタや、もしもの時のために使えそうなもの、さらには「大仁田のカリスマのしくみ」「まんがタイムの家系」「エグザイルトライブの構成と変遷」といったトリビアにすらならない情報までが記載されている本書。まさに「世界のしくみ」の名に恥じず、ジャンルもカテゴリーも横断して、あらゆる世界が図表化されているのだ。  例えば「タモリのレギュラー番組年表」のページを見てみよう。そこには『空飛ぶモンティ・パイソン』(東京12チャンネル/現:テレビ東京ほか)から始まり、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)を経由し、1982年から『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)といった長寿番組が始まるタモリの歴史が手に取るように見えてくる。また、79年を境に、アイパッチからサングラスに衣装を変えたという、かゆいところに手が届く情報もうれしい。いや、役に立つかどうかは別問題だが……。  あるいは「日本のプロレス団体の系譜」というページでは、力道山の「日本プロレス」から枝分かれをして、細分化を繰り広げてきた日本プロレス史を一望できる。プロレスマニアでもない限り、使い道のない知識ではあるが、その歴史が一望できると、途端に理解した感を感じてしまうのはいったいなぜだろうか?  しかし、本書は、あくまでも「いいかげんに図表化」されたものであり、注意が必要だ。ブルースやカントリーから始まり、ビートルズやレッド・ツェッペリン、ガンズ・アンド・ローゼズを経由したロックの歴史が、なぜか「押尾学」に行き着く「押尾学に至るロックの系譜」には、とてつもない違和感を覚えるし、「オーケストラのしくみ」の章では、オーケストラとともに、矢沢永吉や米米CLUBのバンド編成の比較も描かれている……。  本書をめくり終わった後には、なぜか、古今東西のあらゆる知識が身についた気分になれるだろう。「いいかげんに図表化」というキャッチだけでなく、本文中にも「説明不足どころか間違っているところもありますけど、察してください」と書かれているにもかかわらず、その内容は(ネタを除けば)正確であることと、わかりやすいことに異常な執念が注がれている。書店で見かけたら、ぜひ「妹」になって、「世界」の幅広さと奥深さを味わっていただきたい。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])

東電、リクルート、4大証券会社が頼った“情報屋” 日本経済界の裏側で暗躍した「兜町の石原」とは

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『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』(小学館)
 一般的に「情報誌」といえば、「ぴあ」や「東京ウォーカー」などを思い浮かべる人が多いだろう。しかし「兜町の石原」こと、石原俊介が発行していた「現代情報産業」は、そんな雑誌とは一線を画す“情報誌”だ。発行部数は1,000部にも満たず、価格は法人の場合で年額12万円。だが、内容はわずか7ページあまりの冊子にすぎない。  しかし、ここには「プロ」たちが喉から手が出るほど欲しがる情報が詰まっていた。  伊藤博敏氏によるルポルタージュ『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』(小学館)は、この石原俊介の半生に迫った一冊。平和相互銀行事件、リクルート事件、総会屋利益供与事件、山一證券の経営破綻などの有名事件の陰で、「兜町の石原」は情報を収集し、重要な働きを行っていた。  リクルート、東京電力、野村・日興・山一・大和の4大証券、第一勧業銀行といった日本でも有数の企業が頼り、多額の顧問料で遇した石原。情報に対するその比類なき嗅覚は、日本を代表する企業の幹部から、新聞やテレビ局各社の記者、政治家、検察関係者、そして暴力団、右翼といったアンダーグラウンドの勢力まで、あらゆる人間が認めるところであり、石原の事務所はさまざまな人々が押しかける「情報交差点」として機能する。毎晩のように銀座の高級クラブで豪遊しながら、企業幹部や政治家から得た「生の情報」は、その道のプロフェッショナルですら舌を巻くものだった。  では、石原はどのような情報を収集し、どのようにして暗躍したのだろうか? 本書から、その実例を引いてみよう。  1997年、日本の金融界は揺れていた。総会屋・小池隆一に大手証券会社が利益供与していたことが発覚し、これが第一勧銀にも波及。歴代の経営陣が逮捕される事態に発展した。この時、第一勧銀の顧問に就任していた石原の活躍を知るのが、当時・同行に勤務していた小説家の江上剛だ。石原はこの事件が表面化する前から、独自の情報ルートで「事件になる。早く準備を進めたほうがいい」「一勧は大変なことになるぞ」と、江上に忠告している。野村證券に疑惑の目が向けられた段階から、石原は事の成り行きを正確に読んでいたのだ。  さらに、検察とも通じ、捜査情報を入手していた石原は、江上に対して「地検の強制捜査は5月20日だ。準備しておいた方がいい。特捜部は、頭取クラスまで(逮捕して)持って行きたがっているぞ」と、強制捜査の1週間前に電話をしている。おかげで、江上は役員や部長クラスに対して「強制捜査の心得」をレクチャーし、幹部の逮捕後に備えることが可能となった。  リクルート事件は、1988年に発覚した未公開のリクルートコスモス株を政治家に賄賂として譲渡した事件であり、中曽根康弘前首相(当時、以下同)、竹下登首相、宮澤喜一副総理・蔵相、安倍晋太郎自民党幹事長、渡辺美智雄自民党政調会長といった政治家の関与が取り沙汰された。この時、リクルートの顧問を務めていた石原の動きを、事件関係者は「石原さんがいなかったら、事件そのものがなかったかもしれない」と述懐する。  この事件では、日本テレビによって、リクルートコスモス社長室長の松原弘が、社民連の楢崎弥之助代議士に現金贈与を申し出る映像の隠し撮りが図られていた。この事実をつかんだ石原は、リクルート広報課長に対して「気をつけろ」と忠告していたにもかかわらず、松原は楢崎代議士に現金を贈って封じ込めを画策する。そして、その時の映像が撮影され、ニュース番組で放送されたことから大問題に発展した。石原の持つ情報を、リクルートは正しく使うことができなかったのだ。  だが、「気をつけろ」と言う石原の言葉は、事件をもみ消すことや圧力をかけろという意味ではない。その証拠に、石原は、顧問を務める企業であっても、「現代情報産業」に事件の全容を書き続けた。彼は、自分の仕事を「今そこにある危機を伝え、どう対処するか」であると生前に語っている。2000年代、原発不祥事に揺れる東京電力の社員に対して、石原はこんな檄を飛ばしていた。 「石原さんは不祥事が発覚した際、マスコミに公表する、責任の所在をはっきりさせるなどの結論を先延ばしにすることを何よりも嫌いました。アドバイスは『とにかく早め、早めに先手を打て』でした。でも、うち(東電)は図体が大きいぶん、どうしても決断が遅れてしまう。すると呼び出されて、『君らは日本を背負っているんだろ。ダメじゃないか。早く結論を出せ』と迫られたものです」(元東電社員/本文より)  しかし、2000年以降、徐々に総会屋や暴力団などの裏社会が企業から締め出されていくことによって、石原の仕事も徐々にかげりを見せていく。それまで社会の中で必要悪とされていた裏社会は徹底的に排除され、石原自身も暴力団との関係を絶たざるを得なくなった。時代の波が「兜町の石原」の席を奪っていったのだ。そして、インターネットの台頭によって、情報の持つ価値も大暴落していく……。13年4月、石原は71歳で息を引き取った。  40年にわたって情報屋として暗躍した石原の人生を振り返ると、バブルをピークにこの世の春を謳歌し、衰退していった日本経済界の裏面が見えてくる。コンプライアンスが重視され、クリーンになった経済界に、もはや石原のような裏と表とをつなぐ交差点は必要とされないだろう。石原の死は、一時代の終焉を意味するかのようだ。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])

「お手」や「おかわり」をマスターするかも!? 金魚をどんぶりで育てる『どんぶり金魚の楽しみ方』

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『どんぶり金魚』(池田書店)
 金魚を飼うというと、大きな水槽にエアーポンプやろ過装置、照明の設置、水草を植えたり……と、なかなか面倒臭いイメージがある。ところが、そんな余計な器具を一切使わず、どんぶりと水で育てよう! という画期的な飼育方法を薦める1冊が『どんぶり金魚の楽しみ方』(池田書店)だ。  著者は、金魚博士の異名を持つ東京海洋大学長・岡本信明氏と、日本インターネット金魚愛好会副会長&日本らんちう協会常任理事を務める、金魚飼育歴40年の川田洋之助氏。その出会いは、東京海洋大学で開催された、普通の飼い主が形にとらわれない自慢の金魚を持ち寄る品評会「素人金魚名人戦」なるもので、川田氏は岡本氏が出陳した小さな金魚の“シロちゃん”に衝撃を受ける。涼しげで、ろくに水も入らないガラスの器の中で泳ぎ、近づくと、シロちゃんが遊んで遊んで~と顔をもたげ、愛嬌たっぷりで、会場のお客さんもメロメロだったという。  金魚に愛嬌!? と驚かされるのだが、その理由はどんぶりで飼うので、水槽のように隔てるものがなく、エサをあげる時の距離が近いから。エサのやり方次第で「早く! 早く! ゴハンちょうだ~い」と、手渡しができちゃうほどなつかせることも可能だというのだ。これに、川田氏は器と金魚の新たなコラボの可能性を確信し、有田焼の器と自作の抹茶椀、生け花の水盆などで、数年間金魚を飼うなど、岡本氏と2人で研究を重ね、この本が誕生した。  大きなルールとしては、毎日水換えをする、エサは1粒ずつ、ひとつの器に一尾だけなど本当に簡単だが、さまざまな金魚がいるし、長生きさせるにはコツがたくさん。本書では、どんぶり飼育に向く“金魚”や器の選び方、どんぶりに入れる前に金魚にしてあげると長生きすること、仲良くなるエサのやり方、金魚の眺め方、世話の基本、病気と治療法などが、かなりわかりやすく写真付きで説明され、どれも難しいルールはないので、これならやってみようかなという気になる。室町時代に中国から渡ってきて、大名や豪族の楽しみとして飼育され、後に江戸時代に庶民へと広がった、金魚。浮世絵にも登場するほど美しいその姿は、まさに生きる芸術品。自分好みのどんぶりで、金魚を眺めて癒やされちゃおう。 (文=上浦未来) ●おかもと・のぶあき 1951年愛知県生まれ。東京海洋大学長。東京海洋大学海洋生物資源学科教授。研究分野は魚類病態生理学・魚類遺伝生理学。主に魚を病気から守るための研究を行っている。金魚博士の異名を持ち、国際誌「アクアカルチャー」などの編集委員ほか、素人金魚名人戦に参加するなど、金魚の普及に努めている。監修書に『育てて、しらべる日本の生きものずかん14金魚』(集英社)、共同監修書に『金魚 長く、楽しく飼うための本』『原色金魚図鑑 かわいい金魚のあたらしい見方と提案』『金魚のことば 君のきもちと飼い方がわかる82の質問』(すべて池田書店)がある。 ●かわだ・ようのすけ 1952年東京都生まれ。金魚銀座 座主(CEO)、素人金魚名人戦代表、日本インターネット金魚愛好会副会長、(社)日本らんちう協会常任理事、土佐金保存会副会長。金魚飼育歴40年。長年の飼育のノウハウを生きるかし、著書に『カラーガイド金魚のすべて』『らんちうのすべて』『四大地金魚のすべて』(すべてエムピージェー)、共同監修書に『金魚 長く、楽しく飼うための本』『原色金魚図鑑 かわいい金魚のあたらしい見方と提案』『金魚のことば 君のきもちと飼い方がわかる82の質問』(すべて池田書店)がある。

生きるか、死ぬか――自給自足で登る、究極の山旅ハウツー本『サバイバル登山入門』

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『サバイバル登山入門』(デコ)
 電気やお金、常識、時には社会のルールからも遠く離れ、太陽の角度で時間の流れを読み、風を感じて天気を予想する。食べるものは自分で殺し、食べられるものと食べられないものは舌で味わい分ける。装備に頼らず、食料や燃料を現地調達しながら、登山道には目もくれず、道なき道を旅して歩く―――。それが、登山家・服部文祥氏独自の登山スタイル“サバイバル登山”だ。  『サバイバル登山入門』(デコ)は、そんな“サバイバル登山”のハウツー本である。辞書のような厚みがあるこの本には、1999年からサバイバル登山を始めた服部氏が身につけた独自のノウハウが、これでもかというほど詰め込まれている。中でも注目は、獲る、殺す、解体する、精肉する、料理する、咀嚼して飲み込む、消化するなど、食にまつわるすべてについて書かれた「食べる」の章。 <舌とはうまい、まずいを判断するものではなく、本来は「食べられる/食べられない」を味わいわける器官だといえる。食べられるものはうまい。食べられないものはまずい。舌をそんなシンプルな道具として使いうることは生命体としての喜びである>(本文より) と服部氏は語り、なんでも食べてみる。キノコや山菜に始まり、カミキリムシの幼虫、マムシ、シマヘビ、アオダイショウ、ヒキガエル、たまたま山で見つけた死んだばかりのモグラ……。発見したら、なんとなくおいしそうと感じるものは少し食べてみて、味や体調を観察、体に異変がなかったらもう少し食べてみる。もちろん、狩りもする。例えば、狩猟でよく標的にするというシカ。出現場所を予測し、撃ち、解体し、食べる。その一連の流れが1から10まで、かなり衝撃的な写真とともに、実にわかりやすく説明されている。  服部氏は“殺しの思想”について、こう語る。 <食べるために生き物を獲るというのは興味深い体験であるが、同時に生き物を殺すというのはけっして気持ちのいいことではない。「生きるために殺す」ということには解消できない矛盾がある。私は日ごろ肉を食べているが、そのための「殺し」はしていない。気の進まない殺しを他人に押しつけて、その代価として金銭を払っているということは、結果として殺しを買っていることにほかならないのではないか。今後やましさを感じることなく、肉を食い続けていくには、自分で大型獣を殺すという経験(=狩猟)が必要ではないかと考えたのである>  撃つたびに、自分もいつか死ぬんだなと覚悟しながら狩りに挑む。もはや、服部氏の登山は、生きるか死ぬかなのだ。  普段、登山も滅多にしない私のような者には、正直、理解しがたい部分も多い。だが、<死のリスクがあるからこそ、生きている実感を得ることもできる。登山者は自分の夢を叶えるために死に近づきつつ、死なないように最大限の努力をしている。登山者はだれよりも「生命」にどん欲なのである>など、過剰ともいえる服部氏の独特の思想は、平和ボケした私たちに、「生きる」ということの意味を深く考えるきっかけを与えてくれる。 (文=上浦未来) ●はっとり・ぶんしょう 登山家。作家。山岳雑誌『岳人』編集者。1969年横浜生まれ。94年東京都立大学文学部フランス文学科卒(ワンダーフォーゲル部)。オールラウンドに高いレベルで登山を実践し、96年パキスタンのK2(8,611m)登頂。国内では剱岳八ヶ峰北面、黒部別山東面などに初登攀が数本ある。99年から長期山行に装備と食料を極力持ち込まず、食料を現地調達する「サバイバル登山」を始める。妻と三児と横浜に在住。

事件の裏に暗躍する半グレ、暴力団、中国マフィア……「餃子の王将社長殺人事件」は“企業テロ”だったのか

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『餃子の王将社長射殺事件』(角川書店)
 2013年12月19日、京都市山科区で一人の男が殺された。大東隆行、「餃子の王将」として知られる王将フードサービスの4代目社長だ。その死因は、4発の銃弾による失血死と判明している。事件から1年を経て、いまだに解決のめどがつかないこの事件をノンフィクション作家・一橋文哉氏が取材し、『餃子の王将社長射殺事件』(角川書店)として上梓。すると、そこには、ただの殺人事件にはとどまらない疑惑が数々に満ちていた……。  大東氏は、餃子の王将の創業者、加藤朝雄氏の義弟として、創業当初から会社経営の中枢に関わってきた人物だ。「大番頭」として勤務すること31年、00年4月に王将の社長に就任。しかし、当時は今とは比較にならないほど、王将のありさまはひどいものだった……。384億円の売上高に対して、有利子負債は470億円。3代目社長であり創業者の息子・潔氏による不動産投資などへの過剰融資が原因だった。誰もが、その社長就任を「貧乏くじ」「敗戦処理」として見ていたが、不良債権の処理や、不採算店舗の閉鎖といった改革を断行し、「王将の原点に戻る」と決意。2年後には、黒字化に成功し、デフレ景気も追い風となって、例年2ケタ成長を記録するV字回復を果たしたのだった。しかし、創業時の苦労を知る大東氏は、社長に就任してもなお、自ら朝一番に会社に赴き、正面玄関の掃除や水まき、トイレ掃除までを率先して行っていた。  大東氏が命を奪われたのは、この早朝出勤の時だった。  朝5時45分、会社に到着し、車から降りたところを大東氏は狙われた。右胸に2発、左脇腹に2発の銃弾が命中。車の中や背広のポケットなどに入っていた現金百数十万円には手が付けられていなかったことから、強盗を目的とした殺人ではないと推測される。しかし、早朝の時間、小雨模様だった天候などから、目撃情報や遺留品は乏しく、また、サイレンサーが付けられていたのか、発砲音を聞いたという住民もいない。  取材を進めながら、一橋氏は、大東氏個人のみならず、「王将フードサービス」という企業を狙ったテロである可能性をつかむ。そして、その実行犯の最有力候補として、中国人ヒットマン「抱きつきのリン」の名前を得るまでになった。  ではなぜ、王将はこのような企業テロに巻き込まれ、「中興の祖」とまでいわれた社長を失わねばならなかったのだろうか?  王将側は、事件直後の記者会見において「思い当たるトラブルは何もない」との声明を発表した。しかし、それは、真っ赤な嘘だったと言わざるを得ない。一橋氏が取材すると、そこにはさまざまな問題が浮かび上がってきたのだ……。  例えば、12年12月、金沢の「餃子の王将」で、10人の男性客が全裸になった写真をインターネット上に公開し、炎上する騒ぎとなった。一見、王将を被害者とした炎上騒動として見過ごされてしまいそうな事件だが、その実態は大きく異なるものだった。写真を撮影した10人は、近くのショーパブに務めるホストであり、以前から出店計画を練っていた場所に王将が先に進出。経営者らが、王将に押しかけたことが騒動の発端になったと警察は突き止めている。  さらに、この事件の取材を進めると、思わぬ団体との関係が見え隠れしてきた。ショーパブの元オーナーら幹部が、関東連合と盟友関係にある半グレ集団「怒羅権」のメンバーだったのだ。この騒動の起こった金沢片町店は、その後、閉店に追い込まれている。  また05年、大東氏の肝いりで、餃子の王将が中国・大連市に進出した際にも地元マフィアとのトラブルが勃発。現地コーディネータの後ろ盾となっていた地元マフィアと揉め、用地取得の契約交渉が暗礁に乗り上げたばかりか、マフィアの仲間とみられる客から連日嫌がらせを受けるなどのトラブルに発展。成功報酬の不払いが、マフィアの怒りの火に油を注いだという。  ほかにも、放漫経営で会社を破産寸前に追い込んだ3代目・潔氏の長男・貴司氏は行方不明となっており、創業者の朝雄氏には終戦前に満州である事件を起こしているのではないかという疑惑が持ち上がっている。朝雄氏の時代から、「懐刀」として暗躍してきたU氏は、許永中や山口組などともつながりを持つ、闇社会の仕事請負人だった。どれも、事件の直接の原因として確証までは至らないものの、事件につながる可能性のあるトラブルは山積している。そして、その背後には、中国マフィアの暗躍や、「東京(警視庁)から『ゆっくり捜査しろ』と指示が出ているんや」と証言される不可解な地元警察の捜査など、国境を超えた思惑がうごめいているようだ。  いったい、「餃子の王将」は、どのような虎の尾を踏んでしまったのか? 事件の全容が解明されるためには、まだまだ時間がかかるだろう。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])