イノベーションか、それとも凶器か――人間とロボットの共生のカギを握る『ドローンの衝撃』

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『ドローンの衝撃』(扶桑社新書)
 4月に起こった、首相官邸ドローン落下事件を覚えているだろうか?  ネガティブな事例であったためか、同事件はドローンの名を日本で広く知らしめる契機となった。あれから約3カ月。ドローンという言葉は、一般に広く定着したかのように見える。現在、日本ではドローンに対する世論が二分されている。ドローンを商業や趣味に積極的に採用しようという企業や個人が増えつつある一方で、自治体を中心に飛行制限・禁止するための議論が活発に行われている。イノベーションか、規制か――。これまで世界を変えてきたテクノロジー同様、ドローンもまた、メリットとデメリットを推し量られながら、社会における立ち位置を見定められているという状況にある。     扶桑社新書『ドローンの衝撃』では、ドローンとは何かという問いに始まり、日本および世界の関連市場の規模や関係者の声を解説していく。また、その未来の展望についても、荒削りではあるがブループリントを提示していく。  特に注視したいのが、ドローンを取り巻いた議論を日本国内の視点だけではなく、国際的な視点から俯瞰している点だろう。ドローン市場は、日本単独で存在するものではない。本書は、ドローンの開発、流通、そしてシェア争いがすでに激しく繰り広げられ始めているということを指摘しつつ、各国のプレイヤーたちの声を拾い、その全体像の一端を解き明かそうとする。また同時に、日本が無人飛行機の分野で優れた歴史を持つことや、世界のライバルと比べて優位な点を持つことについても、関係者へのインタビューで明らかにしていく。    また、同書には、以下のような問いが提起されている。    「ドローンの未来に必要なのは世論の同意」 「ドローンはロボットと人間の共生の第一幕を開く」  この2つの問いは、最近のドローンの現場で盛んに叫ばれているテーゼである。  現在、ロボット関連市場が世界経済における新たな投資先として注目されているものの、商業用に広く普及・利用することが難しいという問題点を抱えている。ここにはさまざまな問題があるのだが、ひとえにリスクや人間への影響がまだ定かではないという点、言い換えれば、人間とロッボトのあるべき関係がまだはっきりしていないという要因が大きい。本書では、そういう状況を打開し、ロボットと人間の共生の先鞭となる存在としてドローンに注目する。  またそれは、ロボット大国として名高い日本の未来にも少なからず影響するのではないかと、本書は指摘する。日本のロボット市場は現在約6,000億円といわれているが、安倍政権は「今年はロボット革命元年だ」とし、ロボット産業の振興を経済政策の目玉のひとつとして据えている。15年1月に最終的にまとめられた「ロボット新戦略」では、2020年までに4倍の2兆4,000億円まで市場を拡大することを目標に掲げた。  日本が、ロボット大国としてさらなる発展を遂げるか否か。ドローンの市場、法制度、そして世論がどのように変遷していくかが、その未来を占うひとつの試金石となりそうである。  なお、同書は技術を解説した専門書ではない。どちらかというと、ビジネスの全体を俯瞰しようという意図がある。そのため、ちまたで話題になっているドローン関連市場の現在地に興味がある方々にとって、有益な新書になるはずである。

「人はそれぞれ自由に生きればいい」蛭子能収の最強の生き方を学ぶ

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『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社)
 クズだなんだと言われようともテレビに引っ張りだこで、大人気の蛭子能収。最近では、自由に生きる蛭子さんの人生哲学も注目されている。そんなノッてる蛭子さんが読者の人生相談に答える、週刊誌「女性自身」(光文社)のコーナーが書籍化された。『蛭子能収のゆるゆる人生相談』がその本。  ゆるゆるとはいえ、中にはヘビーな相談内容もある。そんな悩みに対し「はっきり言ってめんどくさいです」と言いつつも、的確な回答や金言を連発している。 「上に立つ立場になっても実力がないのなら、立派なことをしようと力まない方がいいですよ。(中略)上司に適しているかどうかなんて自分じゃ決められないし、ダメだと思われたっていいじゃないですか」(店長を任されるプレッシャーに悩むエステティシャンへの回答) 「オレは、仕事をしている間は、雇い主に自分の考えも時間も拘束されていると割り切っているので、嫌なことがあっても我慢できますね」(職場のわがままな上司に悩む女性への回答)  どうだろう、蛭子さんの、この職業観。できないものはできない。自分ができることを、自分のやり方でやるしかないのだ。ダメな自分を受け入れられる上司なら、ダメな部下への理解もあるだろう。結果的に全員がハッピー。なんなの、この名回答。  そして、仕事は自分の考えさえも拘束されることを理解していれば、煩わしい人間関係の悩みからも解放される。ただ仕事をして、お金をもらうのみ。余計なことは考えない。つまり、自我を捨てよということだろうか。すごすぎる……。悟りを開いていらっしゃるのでしょうか、蛭子さんは。    ほかにも、 「自由で楽しく生きるためには、後ろめたい気持ちにならないことも大事。そのためには、しっかりルールを守らなければいけません」(厳しい校則に納得がいかない女子高生への回答)  など、「おっしゃる通り」と感心する回答ばかり。まったく、誰よ、蛭子さんのことをクズだなんていう人は。失礼よ!  とはいえ、やっぱりクズかも……というエピソードもちゃんとある。 「事務所には美人マネージャーとワンランク下のマネージャーがいたんです。美人には「どうせオレなんか」と思い、美人じゃないほうのマネージャーに結婚しようと付きまとったことも。でも、すぐに彼女も辞めちゃったんです。このときに「ブスに限って、いい男を求めている」と気づけたのですが、それも彼女を作ろうと行動したからこそ」(交際経験のない49歳女性への回答)  付きまとわれて仕事も続けられなくなった女性マネージャーをブス呼ばわりした挙げ句、教訓を得るという身勝手さ……! ドイヒー!  しかし、本人はいいことを言っているとか、ひどいこと言っているとか考えずに、ただ自由に楽しく生きているだけ。そんな蛭子さんに、誰が文句を言えましょうか。蛭子さんのように生きられたら、どんなにいいことだろう。そんな蛭子さんの生き方を学べる本書は、今よりちょっとだけかもしれないけれど、人生をラクにしてくれるはずだ。 (文=ナカダヨーコ)

“断れない作曲家”新垣隆が振り返る「あの騒動」と、バラエティ番組に出まくるワケ

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撮影=河野英喜
 小保方晴子、号泣議員……と、メチャクチャ濃いお騒がせキャラクターが登場しまくっていた2014年。その中で、唯一の勝ち組ともいえるのが作曲家の新垣隆だ。  耳が聞こえない作曲家ということで、「現代のベートーベン」なんて呼ばれていたあやしいおっさん・佐村河内守のゴーストライターを長年やっていたということを告白した結果、佐村河内さんのほうはすっかりメディアから消えてしまったのに対し、新垣さんはなぜか人気者となってしまい、バラエティ番組などに引っぱりだこという不思議な状況となっている。  そんな新垣さんが、ゴーストライター事件をはじめとした、自分の人生を振り返った著書『音楽という<真実>』(小学館)を上梓した。「真面目そうではあるけど、だいぶ変わってる人だな~……」とは思っていたのだが、この本を読んでみたら、それ以上に意外な一面も。  「ゴーストライター」として有名になった彼は、果たしてどんな人生を送ってきたのか、そして、佐村河内さんって実際どんな人なの!? ■YMOとの出会い   ――例の記者会見や、その後の活動を見ていて、音楽一筋で世間知らずな人が、うさんくさいおじさんに騙されちゃったのかな? ……と思っていたんですが、今回の本を読んでも、やはり子どもの頃から音楽ばっかりで、浮き世離れしているなという印象を受けました。漫画なんかは、読んでいなかったんですか? 「兄が4つ上だったものですから、兄が買ってきた漫画は読んでいましたよ。『ドカベン』や、中村雅俊さん主演でドラマ化もされていた『ゆうひが丘の総理大臣』なんかが好きでした。ただ、ある時期からは、ほとんど漫画も読まなくなってしまいましたね」 ――アイドルなどにも興味を持たず? 「そうですね。子どもの頃はテレビっ子だったものですから、アニメの再放送やドラマの再放送、野球中継なんかはよく見ていたんですけど。『巨人の星』『タイガーマスク』『はいからさんが通る』なんかが好きでした。ただ、夜9時くらいには寝てしまう子でしたね。中学校までは学校が家から近かったですし、帰宅部だったので帰ったらすぐにテレビをつけて……みたいな生活を送っていたんですが、高校になると学校も遠くなり、オーケストラ部に入って練習に打ち込んでいたので、テレビはほとんど見なくなりました」 ――高校からは音楽一直線という感じなんですね。いわゆる、クラシック以外の音楽というのは聴いていなかったんですか? 「子どもの頃は、両親が持っていたカーペンターズのレコードをかけてもらうのが好きでした」 ――初めて自分で買ったレコードは? 「レコードは、なかなか買えなかったんですよ。だから5本で1,000円くらいの、どこのメーカーかわからないようなカセットテープを買ってきて、ラジオから録音して聴いていましたね。初めて自分で買ったレコードは、小学校5~6年くらいの時、シンセサイザーで有名な冨田勲さんの『展覧会の絵』です。それから、やはり兄の影響でYMOとかも聴くようになりました」 ――バンドブーム直撃世代だと思いますけど、バンドなんかはやらなかったんでしょうか? 「自分ではやらなかったですね、周りにそういう仲間がいなかったんで。それにYMOを聴くようになってから、いわゆる歌謡曲などを突然見放すようになってしまいましたね(笑)。それまではあらゆる音楽を浴びているという感じだったんですが、中学校2年生くらいから、パッタリ流行歌というようなものを聴かなくなっちゃったんですよね。さらに、高校に入ってほとんどテレビを見なくなっちゃったんで……」 ――それくらい、YMOとの出会いは大きかったと。 「特に坂本龍一さんですね。クラシック畑から出てきて、現代音楽を通過してきた人だったので、すごく格好いいなと。その影響もあり、音楽のみならずアートや現代美術にも興味を持つようになって、そういうのが格好いいな、と思っていました」
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■自由に作るよりも、指示や制限があったほうが…… ――その頃から、将来は作曲家になりたいと思っていたんですか? 「具体的に展望を持っていたかどうかはわからないですけど、作曲家になりたいというのは、子どもの頃からずっと思っていました」 ――現代音楽の作曲家になるためには、どういうルートを経るのが普通なんでしょう? 「作曲家で食べていく、ましてや現代音楽でというのは、ほとんど不可能なんですよね。それだけをなりわいにして、というのは無理。だから普通は、別に音楽関係の仕事をしながら、仲間とイベントをしたりコンサートを開いたりするという……つまりはアマチュア……趣味の世界なんですよ」 ――新垣さんも、同じような感じで活動を? 「ずっとピアノを習っていたので、演奏の仕事というのはあったんですね。そういうアルバイトをしながら、趣味レベルで、って自分では芸術活動と思ってるんですけど(笑)、やっていました」 ――本には、大学の非常勤講師としての給料も書かれていましたが、こんなに安いのか(年100万円程度)って驚きました。当然、それだけで生活するのは難しいですよね? 「そうですね。演奏のアルバイトをしたり、たまにアレンジャーや、コマーシャル用の作曲仕事なんかも入ってきていましたが」 ――そういう請け負いでの作曲仕事と、自分の作品を作曲するのは違うという認識なんでしょうか? 「私は現代音楽、現代美術に憧れてきましたので、そういうアートとしての音楽をやりたいという思いがある一方で、コマーシャルの音楽や映画音楽というのにも興味はありました。80年代の坂本龍一さんや、私の作曲の先生である中川俊郎先生なんかは、コマーシャル音楽なんだけれども、アートとして成り立っている曲をよく作っていて、そういう仕事をしたいなと思っていました。それに、相手とのやりとりでできていくので、請け負い仕事のほうがうまくいくということも多かったんですよね」 ――自由に自分で作るよりも、指示だったり、制限があったほうが? 「『これこれこうやってよ』と人から言われて引き出される曲というのはありますね」 ■人間としては凡庸な、普通の人でした ――コマーシャル音楽などは、わりと誰が作ったのかわからない、匿名性の高い音楽だと思いますが、佐村河内さんの案件も当初はそういう感覚で引き受けたものなんでしょうか? 「そうですね。映像に音をはめていくということに興味があったものですから、やりたいなと思っていた矢先……悪魔の声が聞こえてきたんですよ(笑)」 ――最初は、いつものような請け負い仕事が来たという認識だったんですよね? 「まあそうですね。……かなり変な人でしたけど」 ――最初から、あんなルックスだったんですか? 「最初からです、全然変わらないです。ちょうどその頃、ビジュアル系という……聖飢魔IIみたいな、そういう人たちがクローズアップされてきた時期だったんですが、デーモン小暮(現・閣下)さんとか、そういう感じの風貌だったんですよ」 ――デーモンさん!? 白塗りしていたんですか? 「化粧はしていなかったですけど、ロングヘアーで、黒い服を着て。いかにもという格好をしていました。ビジュアル系自体があやしいとは決して思わないですけど、佐村河内さんはあやしかったです」
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――あやしさを感じたら断るという手もあったと思いますけど、仕事としては魅力的な話だったんですか? 「彼が映画音楽を作ることになっているという話自体は、本当だったんですね。だから、映画音楽を手伝ってみたかったということもあり……。結果的に、大部分を私が作曲して仕上げたわけですけど、それを佐村河内さんがすごく喜んでくれて『あくまでも自分の名義ということにしてくれ』と。その時は、特に自分の名前を出す必要性も感じなかったので、『いいですよ』と要請に従ってしまったわけです。思えば、それが問題の原点ですよね」 ――その時のギャラに関しても、うやむやになっているらしいですね。 「『いくらでやってくれ』という話はなかったので……。クラシックの世界でもそういう風潮はあるんですけど、ビジネスとして契約するというよりも口約束で。それまでのアレンジやコマーシャル音楽でも、それでうまくいっていたので、金額に口を出したことはなかったんですよ」 ――まあ、ノーギャラでも名前が出るんだったら、次につながるからいいか……という考え方もあると思いますが、名前も出ない、ギャラも出ないじゃ、やる意味ないんじゃないですか? 「それに関しては、彼がすごく情熱的に、その映画音楽に取り組んでいたというのもありますね。『秋桜』という映画だったんですが、非常に燃えていました。あの時はたぶん、彼の持ち出しでオーケストラにギャラを払っていたはずです。それと、作曲の名義は佐村河内 さんにしたわけですが、演奏のほうで私の名前をクレジットしてくれたんですよね。まあ、寄せ集めの学生オーケストラだったんですけど『新垣チェンバー・オーケストラ』と名づけてくれて(笑)、CDにもクレジットされています」 ――クレジットされたことがうれしかったから、ということですか? 「別にうれしくはなかったですね。どちらでもよかったです」 ――その後のギャラは18年間で700万円程度ということで、あまり高くはないと思うんですが、作業量には見合っていたんですか? 「彼のリクエストは、たとえば30分の曲とか、オーケストラの曲だとか、規模が大きかったので、時間はかなりかかっていましたね」 ――仕事としては、ワリに合ってなかった? 「安いといえば安いですけれども……。それでも、ある程度まとまったお金をもらって生計が助かっていたという認識はあります」 ――佐村河内さんって、ものすごく極悪人でサギ師みたいな言われ方をしていますが、作曲もできない、楽譜も書けないで、あれだけ仕事を取ってくるというのは、プロデュース能力だけはすごかったんじゃないかと思っているんですが。 「まあ、すごいといえばすごいんだろうな……という感じです。人間としては凡庸な、普通の人でしたね。普通の人なのだけれども、ちょっと度が過ぎてしまうタイプですよね。自分がのし上がるためになんでもしてしまうという、ちょっと困ったところがあるんです」 ――もともと佐村河内さんって役者志望だったり、「第二の矢沢永吉」という触れ込みでレコードを作ったり、いろいろやってきた人なんですよね。 「そういうチャンスはいろいろとあったと思うんですけど、ことごとく失敗してきているんですよね。まあ、役者としては、なかなかいい味を出していましたけど。80年代にチョイ役でテレビドラマに出ていたんですが、川崎麻世さんにぶっ飛ばされる姿はなかなかよかったですよ(笑)」 ――そのまま役者でいけばよかったのに、という感じですか? 「まあ、ある意味、役者をしてたわけですね。『作曲家だ』っていうキャラクターを演じていたんですから」
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■誰も知らないなら…… ――ゴーストライター事件に関して、新垣さんが佐村河内さんに騙され、心酔して従っていたのかなというイメージを持っていたんですが、お話を聞いていると、わりと冷静に見て距離を保っていたんですね。それでも「やめる」という判断はできなかったんですか? 「最初の数年間は、ところどころで『何を考えているんだ?』というようなことはあったにせよ、大きな問題はなかったんですよ。その時は映画音楽やゲーム音楽をやっていたので、作曲者の名義がなんであれ、そのプロジェクトのスタッフの一員としてコンテンツをちゃんと作ることができればいいなと思っていたんですね。しかし、ゲーム音楽である程度の成功を収めて、彼はそれを元にして世界に打って出ようというような野望を抱いたんですよ。そのためにいろんなことをやっていたみたいですけど、ことごとくうまくいかなくって、私は『そのまま失敗し続けてくれ』と思っていたんですが……」 ――うやむやに終わっていけばいいなと? 「最終的に彼が誰にも相手にされなくなって、もうゴーストライターをやらなくていいという状況になればいいなと思っていました」 ――しかし佐村河内さんが「耳が聞こえない」というギミックを利用して世間から注目されてしまうわけですね。 「そういうことを言って注目を集めるまでは、誰も彼のことを知らなかったわけですよ。もちろん、それでも世間を騙していることには違いなかったんですが、誰も知らないから『存在していない』わけです」 ――そこで「耳の聞こえない作曲家」という顔をして、世間に出てきちゃうと、ちょっと違うんじゃないかと。 「今『HIROSHIMA』と呼ばれている曲は、彼が失敗し続けていた時期に、おそらく演奏されることはないだろうという前提で作った曲で、案の定そのプロジェクトはポシャッて、お蔵入りになっていたんです。しかし、そういったことで注目を集めた結果、実際に演奏されることになってしまったんです。まさかと思っていたことが起こってしまったという。……これは参ったなと」 ――「耳が聞こえない」というギミックがあったとはいえ、『HIROSHIMA』は大きな評価を受けたわけですが、そこに喜びというのはなかったんですか? 「あの曲は『お蔵入りになってよかったな』と思っていた半面、『せっかく作ったんだから、演奏されたら、そんなに悪いもんじゃないと思うけどな』とも思っていたんですね。もちろん、世間を欺いてまで演奏されてはいけないとはわかっていましたけど。それが作ってから5~6年たって、うっかり蘇って実際に演奏されて、評価を得てしまった。オーケストラの方々がとてもいい演奏をしてくださって、そのこと自体はもちろんすごくうれしいことだったんですけど、作曲家としてやってはいけないという気持ちは強かったです」
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■この本は、ライターの先生がうまくまとめてくださったものです ――すべての仕事がなくなってしまう覚悟でゴーストライターをやっていたことを告白した結果、逆に今、仕事が増えているんじゃないかと思いますが、音楽の仕事はともかくとして、バラエティ番組に出る必要はないんじゃないですか? 「まあ、あれだけ世間を騒がせてしまってですね、すごく顔を知られるようになって、いろいろな番組から依頼が来たんですね。そんなことは自分にとって今までにないことですから、断ればいいという話ではあるんですけど……迷うところではあったんですけど、断らないということを選んだわけです」 ――佐村河内さんの件といい、断るのが苦手なんですか? 「(笑)。そうですね。そういう部分もあるんですけど……。日常生活で無理なことを言われたら『できないことはできない』と断れますけどね。私はあくまで音楽家であって、音楽の仕事はプロとしてやる自信があるわけです。バラエティは音楽でもなんでもないんですけど、拡大解釈をすると、あれもステージなわけですね。ステージに立つというのは音楽家の仕事のひとつともいえるんじゃないかと……。あとは、世間を騒がしたお詫びをさせてもらう機会を頂いたら、なるべくきちんとお話ししたいという気持ちもありました」 ――それにしても、ダウンタウンの番組(日本テレビ系『ダウンタウンのガキの使いや あらへんで!!大晦日年越しSP』)に出てクワガタに鼻を挟まれ血を流すみたいなのは、音楽と全然関係ないじゃないですか。 「全然関係ないですね(笑)。私は、長い間テレビを見ていないという生活を続けていたもので……DVDなんかは見るんですけど、テレビは映らないんですね。自宅にいても、曲を描いているか、本を読んでいるか、寝っ転がっているかという毎日なんで。だから、ここ10年くらいのテレビの状況が、まったくわからないんですよ。あの番組は、年末の人気番組だということはお聞きしていたので『はい、わかりました』と引き受けたんですが、何をやらされるかはわかっていなかったですね」 ――音楽の仕事も、記者会見以前と比べたらすごくたくさん来ていると思いますけど、おそらくああいったことがなく、地道に音楽活動をやっていたら、こういう状況にはなっていませんよね? そこはラッキーだったと思いますか? 「そうですね……。ああいうことを公表して、もう二度と音楽の仕事はできないんじゃないかと思ってたんですが、多くの方が支えてくださったおかげで、少しずつ再スタートすることができて、その点においてはラッキーだったとは思いますね。ただ、地道な活動というのも、自分にとっては幸福なものだったんですよ。楽しく、気楽にやっていたんです」 ――今のように脚光を浴びている状況は、うれしいわけではない? 「うれしくないとは言いませんが、そこを目指していたわけではないですからね。逆にこういうことになって、前の状況に戻れなくなってしまったわけですよ。もちろん、すごく恵まれた状況ではあるので、チャンスであり、どう生かしていけるのかというのは考えています」 ――このゴーストライター事件のせいで、僕のような文章を書くライターは少々迷惑を被ったんですが、今回の本も新垣さん本人が書かれているわけではないですよね? 「そうですね。私がインタビューに答えていくという形で、ライターの先生がうまくまとめてくださったものです」 ――そのライターさんの名前もちゃんとクレジットされていますし、出版の世界では普通の仕事なわけなんですが、世間ではこういうのも「ゴーストライターだ」と思われてしまったフシがあるので、最後に新垣さんから説明していただければ……。 「もちろん、文芸作品などを本人以外が書いていたということになると別だと思いますが、ひとりの音楽家が、世間を騒がしてしまった事件のあらましを関心のある方々に伝える……という今回のような本を、私が語ってライターさんにまとめていただくというのは、なんら問題のない作業だと思います。こんなことをわざわざ説明しなければならないという状況になっていること自体が、申し訳ないことなんですけどね(笑)」 (取材・文=北村ヂン)

10年分のギネス記録が、この1冊に!『人はなぜ世界一が好きなのか?』

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『人はなぜ世界一が好きなのか?』(KADOKAWA)
 「世界一」は響きがいい。世界一の何々と聞くと、なんだかものスゴイ偉業を成し遂げているように聞こえる。たとえ、その内容が口にストローを400本詰め込んだり、洗濯ばさみを顔に161本とめたり、耳毛が18.1cmも伸びている、というだけだとしても――。  『一歩踏み出す人のためのビックリ挑戦・記録図鑑 ギネス世界記録 人はなぜ世界一が好きなのか?』(KADOKAWA)は、数々の世界一の記録が収められた『ギネス世界記録』年鑑本の過去10年分をひもとき、独自の目線でギネス世界記録をまとめた1冊である。選者には「デイリーポータルZ」の関係者、作家の宮田珠己氏、書籍デザイナーの早川いくを氏らが名を連ね、1分間勝負、集まる、おもしろ夫婦、ギネス記録男、走る家具、スプーン系、からだ自慢など、様々な切り口のギネス世界記録がピックアップされている。  また、実際に世界一になった個人や企業・団体のサクセスストーリーのインタビューも充実し、冒頭にはなんと「高須クリニック」の高須克弥院長が登場。まさか、整形の回数でギネス世界記録か!?  と思いきや、そうではない。高須院長いわく「自分の体で実施した整形回数」というのを出そうかと思ったけれど、もう数が多すぎちゃって。初めのうちは全部テレビでオンエアしたり、動画を撮ったりして記録してたけれど、今はもう気が向いたらやっちゃいますからね。いちいち記録に残ってない」とのことで、じゃあなんの記録かというとゴルフなのだ。一体ゴルフでどんな記録を打ち立てたのか、はたまたなぜ記録に挑戦したのか、高須院長にとってギネス世界記録とは? などが語られ、普段とは違う高須院長の一面を知ることができる。  また、消しゴムの削りカスをヒモにして、9.19mつなげた「最も長い消しゴム削り」でギネス世界記録を打ち立てた田中優光君のインタビュー内容には心ゆさぶられる。1999年生まれの田中君は、中学2年生の時にギネス世界記録に挑んだ。これまでに消しゴムを使った記録がないことを事前に確認し、10種類以上の消しゴムを使い比べて、どの消しゴムが削りカスが長くつなげられるのかを実験。当日は「公共の場所で記録挑戦を実施すること」という規定にのっとり、どんな状況でも安定した削りカスが出せるようにと、まな板を持参して記録に挑み、9m超えの大記録を打ち立てた。写真の印象では物静かで控えめな見た目の彼だが、インタビューでは「正直、目立ちたいという気持ちもありました」という若者らしい本音も垣間見せる。ギネス世界記録取得後、担任の先生から「やったな!」と握手を求められ、教室のみんなに拍手してもらい、記念撮影もした。図書室に置かれた『ギネス世界記録』には、“田中君が達成した”とふせんが貼ってあり、それまで話したこともなかった生徒から質問攻めに遭ったりもしたという。これぞ、まさに青春。世界一を成し遂げたことで人気者になれる、という素晴らしいエピソードではなかろうか。  本書には本気ですごいと驚く記録よりも、圧倒的に「なんだって、こんな記録に挑戦しようと思ったんだろう?」「なんだソレ!?」とツッコミどころ満載の記録が次々に登場する。ひょっとしたら自分も挑戦できるかもという内容も多数あり、ギネス世界記録の申請&挑戦の仕方もまとめられているので、いっちょ世界一に挑んでやろうかと意気込んでみるのもいいかもしれない。 (文=上浦未来)

レギュラー10本! 内村光良は“最も理想的な芸人”なのか『コントに捧げた内村光良の怒り』

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『コントに捧げた内村光良の怒り』 (コア新書)
 当サイトの人気連載「テレビ裏ガイド」の、てれびのスキマこと戸部田誠氏が、新著『コントに捧げた内村光良の怒り』を上梓。『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか』に続く、“テレビっ子”視点で描写するエンターテイナー評伝集の第2弾。  映画監督を志した青年時代、盟友・出川哲朗、戦友・松本人志との出会い、不幸な事故による番組打ち切りを乗り越え、「コントの求道者」へ――。内村光良の「怒り」とは? 有吉弘行・さまぁ~ず・バナナマンなどをブレイクさせた“プロデュース術”とは? デビュー30周年、「第三の全盛期」を迎えたウッチャンを2万5,000字超の文量で解き明かす!! ●目次 序 章 内村光良「怒り。」(前編) 第一章 出川哲朗のリアルガチな成りあがり  第二章 笑福亭鶴瓶があこがれられない理由 第三章 タモリ少年期 第四章 中居正広とSMAPの時計 第五章 早見あかりとももクロの背中 第六章 博多華丸・大吉の“来世” 第七章 レイザーラモンの人生すごろく 第八章 キャイ~ンが泣いた日 終 章 内村光良「怒り。」(後編)

ネットの寵児「LINE」はどこへ向かう? 突然の上場廃止のもくろみとは――

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『ヤバイLINE 日本人が知らない不都合な真実』(光文社新書)
 5月27日、LINEの出澤剛社長は日本外国特派員協会で講演し、今後のLINEの世界戦略について言及。WhatsAppなど、世界の強豪メッセンジャーアプリに挑む上での課題、また自社サービスの優位性について語った。  会見後、記者団からは、IPO(新規株式公開)に可能性について質問が飛び交った。が、出澤氏は、明言を避け、従来通りの見解を示した。 「企業の成長にとって、資本の調達は非常に重要な要素なので、IPOを含めた選択肢は、常に検討したり議論したりしています。ただ、具体的に決まっていることはありません」(出澤氏)  昨年、上場の目玉として注目を浴び、突如、延期を発表したLINE。その理由は果たしてなんだったのか、また今回も上場の名言を避けた理由はなんなのか? 光文社新書『ヤバイLINE 日本人が知らない不都合な真実』では、その複雑な実情について分析している。  この本を読んだ感想で言うと、その複雑さの最も大きな要因は“親会社との関係性”にありそうである。LINEの親会社は韓国最大のIT企業「NAVER」である。NAVERは、GoogleやYahoo!などを押しのけ、韓国シェアナンバー1検索ポータルとして盤石の地位を築いており、LINEの成功でさらに盤石な体制を築きつつある。両社は親会社と子会社という関係だが、相互に依存し合っている。LINEが上場するかどうかは、NAVERなしには考えられない問題なのだ。  今年もLINEは上場を騒がれている。であれば、韓国NAVERの挙動もともに観察すべきである。この本には、そうしなければならない理由がいくつも書かれている。  また『ヤバイLINE』には、次のような一節がある。 「日本国内のユーザー数は約5,800万人。これは日本の人口の約45パーセントに相当する。一日に利用するユーザーの割合は、63.6パーセント。単純に見て、日本人4人にひとりがLINEを毎日使用している計算になる」  ここ数年で、LINEを取り巻く環境は大きく変わった。何よりも変わったのは、LINEに対する日本人の感覚である。本書では、「LINEは日本の国民的プラットフォーム」になったと指摘する。  一方で、LINEはどう変化したのだろうか? どのようなビジネスを展開し、いま何を目指そうとしているのだろうか? また現在、LINEが国民的に普及したことにより、トラブルも日常茶飯事になった。イジメ、売春、犯罪などなど……。LINE社は、インフラとしての社会的責任をどう考えてくるのだろうか?  本書は、そんなさまざまな問いの答えを見つける上でヒントを与えてくれる。同時に、LINEを使うすべての人が、ふと立ち止まって考えなければならないことが込められている。特に、LINEを使う子を持つ親には必見の一冊である。

日韓国交正常化50周年、本当にこのままでいいのか?『韓国インテリジェンスの憂鬱』

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『韓国インテリジェンスの憂鬱』(KKベストセラーズ)
 今年6月22日は、日本と韓国にとって、ちょっと特別な日ということをご存じだろうか?日本と韓国はその日、国交を結んでちょうど50周年を迎えるのだ。しかし現在、国交正常化50周年を記念する祝福ムードはまったくなく、むしろ日韓関係は過去最悪に冷え込んでいるとさえいわれている。  過去最悪の日韓関係、その原因はどこにあるのだろうか――。それを韓国人に、しかも名だたる知識人に直接ぶつけてみた意欲作が『韓国インテリジェンスの憂鬱』(KKベストセラーズ)だ。  本書には、6人の韓国人識者が登場する。トップバッターは、ヒュンダイ自動車の元CEOで、国会議員を務めたこともあるイ・ゲアンという人物。ヒュンダイ自動車といえば、韓国が“世界ブランド”と自賛する自動車企業だが、日本の自動車技術を取り入れて成長した企業だ。その元CEOイ氏は、日韓の経済協力についてこんなことを話している。 「1962年に韓国が初めて経済開発計画を行ったときは、何でも日本から学べばいいと考えていました。また、日本にもその意思がありました。日本にとって韓国は“生徒”だったのです。両国は長らく先生と生徒の関係でしたが、いつしかその差は縮まりました。先生と呼ぶには生徒が大きくなりすぎましたし、かといって相互に恩恵を与えられるほど生徒が成長したわけでもないという時代を迎えています。相互関係というのは、互いに補完的か、代替的な関係でなければ成り立たないのですから、現状のままだとお互いにメリットは少ない」(本文より)  最近、「日韓の経済協力にはメリットがないのでは?」と考える人が増えているが、イ氏も同じように見ているのだ。  本書にはその他、弁護士、歴史学者、社会学者などが登場するのだが、特に興味深かったのは韓国外務省(外交通商部)で東北アジア局長を務めたチョ・セヨン氏のインタビュー記事だ。チョ氏は、1998年の日韓パートナーシップ宣言の韓国側担当者で、小渕恵三首相と金大中大統領の首脳会談で通訳も務めたほどの人物。こちらも日韓関係に精通した、なかなかの人物というわけだろう。 ただ、他の登場人物が“一人語り調”でまとめられているのに対して、チョ氏の部分だけは編著者がわざわざ前書きで「本人の希望もあってインタビュー形式で掲載した」と断っており、なにやら特別な事情があったようにも見える。実際に、チョ氏のインタビューはかなり刺激的な内容。すべてを紹介できないのが残念だが、例えば、日本の嫌韓現象の原因についての返答はこうだ。   「日本の立場としては、日本の経済協力によって韓国が豊かになれたのだから、日本に対して態度も良くなると考えていたのに、韓国は豊かになると過去問題を主張するようになりました。(中略)そんな中で韓国が中国と関係を深め、日本に反発するので、裏切られたという思いもあるのかもしれません。その余裕のなさが嫌韓感情として表れるのでしょう。慰安婦問題、独島(竹島の韓国呼称)問題などのきっかけがあると、寂しい心が嫌韓感情として表れる。ヘイトスピーチもそうです」(本文より)  なんとも一方的な意見だが、もし現在の韓国外務省の感覚も同じようなものであるとしたら、日韓関係がギクシャクする理由もなんとなくわかる気がする。誤解のないように断っておくが、本書に登場する人物には、もちろん「ハッ!」とさせる鋭い指摘も多い。  いずれにせよ、韓国知識人の“レベル”を知る上でも、役に立ちそうな『韓国インテリジェンスの憂鬱』。韓国の国内問題、韓国人の日本観、そして次の日韓関係50年を考える上で、目を通しておいて損のない一冊だ。

“迷”作短歌集が文庫本で復刊!『念力家族』が短歌の常識を覆す!

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『念力家族』朝日新聞出版
 「短歌」といえば、俳句と並び日本が生み出した代表的な定型詩であり、万葉の昔から現代まで読み継がれてきた言葉の芸術。そこには、日本人が古来から育んできた美しき心が映し出されている。西行法師は「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」と自分の死を見つめ、在原業平は「名にし負わば いざ言問はん都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」と京都を離れた悲しみを綴った。まさにクールジャパン。31文字が織り成す叙情的な風景こそが、日本民族の豊かな感性なのだ!  ……だが、歌人・笹公人の歌集『念力家族』(朝日文庫)に収められている短歌は、どうも様子が違っている。 「ベランダでUFOを呼ぶ妹の 呪文が響く我が家の夜に」 「ワシントンの伝記を読みし弟が 庭の桜の木を伐っている」 「エジソンに勝たんと発明繰り返す 父の背中の鳩時計鳴る」 「中華丼天丼カツ丼親子丼 牛丼うな丼兄の食欲」  ここには、「わび・さび」や、「美しい日本」はない。その代わりに、キャラ立ちした「念力家族」たちのバカバカしくも愛すべき姿が見えてくるのだ!  もともと、2003年に1,000部限定の通信販売で単行本として発売された本書。通信販売としては異例の好評を博し、04年にインフォバーンから一般発売されると、一躍、新人歌人・笹公人の名前を世に知らしめた。それから12年、今年3月にはなんと『念力家族』がNHK Eテレでまさかのドラマ化という展開に! これを記念して、文庫本として復刊されることとなったのだ。  1975年生まれの笹が繰り出す作品の数々は、まるで深夜ラジオの投稿ネタのようなシュールな笑いに満ちている。そのひねくれたユーモアセンスと、鋭く突き刺さる言葉の数々が、糸井重里、山田太一、大林宣彦、そして蜷川幸雄ら、各界の一流どころの感性を刺激する。格調高い「短歌」のイメージを覆すその作風は、作者自ら「お笑い短歌」と表現されているほどだ(インタビューで、笹は「爆笑問題を見てお笑い芸人への夢を諦めた」と語っている)。もともと、寺山修司に影響を受けて短歌を志した笹だが、寺山が、演劇や映画などさまざまなジャンルを横断しながら活躍したように、テクノポップバンドのミュージシャンやラジオパーソナリティとして活動していることも、型破りな作品を生み出し続ける一因だろう。  そんな笹が生み出した短歌は、短歌の常識を覆すものばかり。念力をモチーフにした短歌が異例なら、ビッチの美人生徒会長を描くことも異例だし、金星人が登場する短歌など聞いたことがない! ほとんど冗談としか思えない設定のキャラばかりがひしめき合い、31文字の宇宙には独特の世界観が広がっているのだ。  もはや、ツイッターでは「偶然短歌bot」がWikipediaから勝手に短歌(のようなもの)を生成している時代。日本が生み出した最古の文学である短歌も、日々アップデートが繰り返され続けなければならないのだ。シュールな笑いと、バカ家族の日常が醸し出すノスタルジーが詰め込まれている21世紀型短歌は、これまで歌集など手に取ったことがない人にこそ、ぜひ読んでほしい!

世界の立ち入り禁止エリアを写真付きで公開!『絶対に行けない世界の非公開区域99』

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ダニエル・スミス『絶対に行けない世界の非公開区域99 ガザの地下トンネルから女王の寝室まで』(日経ナショナルジオグラフィック社)
 インターネットの普及により、地球上でまったく未知の場所というのは、失われてしまったかのように思える。ところが、「いやいやそんなことはない!」と言うかのように発表された1冊が『絶対に行けない世界の非公開区域99 ガザの地下トンネルから女王の寝室まで』(日経ナショナルジオグラフィック社)。ロンドン在住のジャーナリスト、ダニエル・スミス氏が、公式報告書や新聞社をはじめ、信頼できる報道機関などの膨大な情報をわかりやすく整頓し、世界中の非公開区域99カ所を紹介している。ヒトラーが自殺をして最後を迎えた地下壕、教皇とローマカトリック教会に関する最重要文書が保存されているバチカン機密文書館、グーグルが極秘で完成させた巨大なデータセンター、おびただしい量の廃棄物が海に浮遊する太平洋巨大ゴミベルトなどなど、驚くような非公開区域の存在を浮き彫りにし、それにまつわる事実を補足している。  タイトルにもある、「ガザ地区とエジプトをつなぐ地下の密輸トンネル」のページを開くと、真っ暗なトンネルの中で光の先を見つめる男性、エジプト側から密輸されてきた荷物を中身がわからないまま必死で引き上げる男性の写真が飛び込んでくる。紹介文には、トンネルはどんなところに作られるのか、1本作るためににかかる金額が一体どれぐらいなのか、これまでに何本ぐらい作られてきたのか、どんなものが送られているのかなどの詳細が記され、ともかく彼らがいかに決死の思いで、この密輸トンネルを使い、暮らしているのが伝わってくる。  また、宇宙や地球外生命体などに興味がある人は、宇宙人の地下基地があると疑われている、アメリカニューメキシコ州の「ダルシー基地」に注目してもらいたい。かつて宇宙人が地球にやってきてアメリカ政府と共謀し、人体実験やマインドコントロールを行っているというウワサが一大ブームになったが、そのウワサを発信した主であるポール・ベネウィッツが、本拠地と指摘した場所である。ベネウィッツは1970年の初めから、空に奇妙な光が現れるのを何度も目撃し、近くの空軍基地に何か関係があるのでは、と指摘。基地自体はかねてから極秘の開発を行っているとのうわさが絶えなかった場所で、当時、牛の殺戮体が相次いで発見されるなど、謎の現象が報告されていた。その後、徹底的に証拠をかき集めるも、結局、変人としてのレッテルを貼られ、精神的なバランスを崩して亡くなってしまう。今も謎が多く残る場所だ。  最も身近な場所で気になったのは、コカ・コーラのレシピ保管庫。コカ・コーラは世界中で愛され、毎日17億杯も飲まれているといわれているが、その原材料に何が入っているのか? それを答えられるのは社内でもごくわずかだという。レシピは当然ながらパソコンで記録されることはなく、鋼鉄製の巨大な金庫に収められ、厳重に保管されていている。ここに限ってはなんと誰でも訪れることができるので、アメリカに旅行へ出かけた時に訪れてもいいかもしれない。もちろん、警備員、監視カメラが配置され、数メートル離れた柵越しだが。  このように“絶対に行けない”に差はあれど、こんな場所が世界にはあるのかと衝撃を受ける内容に仕上がっている。世の中にはまだまだ知られざる場所が山ほどある。きっと私たちが住む日本にも……。 (文=上浦未来)

「半グレ老人」急増中!? ストーカー、売春、万引……超高齢化社会を生きる『老人たちの裏社会』

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『老人たちの裏社会』(宝島社)
 孔子は、『論語』において「七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」、つまり「欲望に従って道徳から外れることがなくなった」と語っている。しかし、30にして立たず、40にして惑い続け、50にして天命のなんたるかを知らない現代社会。70を越えてもなお、道徳の規範を乱す高齢者は少なくない……。  『老人たちの裏社会』(宝島社)で、ジャーナリストの新郷由起が描く高齢者たちは、読者の予想をはるかに超えて道徳をはみ出してしまった者ばかり。4人に1人が65歳以上という超高齢化社会を迎え、彼らは万引をし、売春をし、暴力を振るい、ストーカーになり……と、若者と変わりない犯罪行為や迷惑行為を行っているのだ。  青少年の犯罪という印象が強い万引だが、2013年には未成年者の検挙数1万7,000人に対して、65歳以上の高齢者はなんと2万8,000人あまり。実に、万引検挙者の3人に1人が老人という状況になっているのだ。その動機として、少ない年金では生活ができなくて思わず万引に手を染めてしまった……と、苦しい経済状況を語る高齢者も少なくない。しかし、その一方で、家庭での不満が鬱積し「生きている感じがする」と語る高齢女性や、「大した金額じゃなきゃ、見つかってもそれほど怒れないでしょ」とうそぶき、万引が見つかって問い詰められると「年寄りをいじめて何が楽しいんだ」と逆ギレし……など、「スリルを感じたい」と遊び半分で万引に手を染める若者以上に悪質な事例も多いのだ。  そして、そんな「元気な」高齢者たちは、恋愛やセックスに対しても貪欲。出会い系サイトやシニア専門の婚活パーティーで恋愛を求める老人は、伴侶に先立たれた寂しい生活を共に過ごすパートナーを探すのみならず、自らの性欲を満たすためにも積極的に異性を探している。そんな彼らの下心につけ込んで、年老いた女性たちは個人売春やデート商法、結婚詐欺などさまざまな手法でその預貯金を巻き上げていく。  また、デリヘル嬢やAV女優として活躍しながら、マニアックなニーズに応える高齢女性も少なくない。かつて、「性欲がない」と思われていた老人たちだが、そのあふれんばかりのバイタリティは、草食系と呼ばれる若者顔負け。62歳のデリヘル嬢が「自分がどれほど干からびていたか、どんなに飢えていたのかを思い知りました。いくつになっても女の部分が消えてなくなるわけじゃないんですね」と語る姿からは、生涯にわたって尽きることがない性欲という業の深さを思い知ることだろう。  これら、高齢者をめぐる問題の根底にあるのは、進歩した医療技術によって、かつてよりも格段に向上したシニアの体力と、リタイアした彼らが持て余す時間の大きさ。人生のタイムリミットを意識しながら、「やり残したこと」に対して焦りながら、性欲や物欲を引き金にして犯罪や迷惑行為に手を染めていくのだ。  社会は彼らを「高齢者」の枠に押し込めて接点を持とうとせず、「普通」の社会から遠ざけていく。そんな社会で子や孫などの親類とも疎遠になれば、孤独感や疎外感などの満たされない思いは募るばかりとなる。ストーカーとして、若い女性につきまとっていた男性は「あのときは情熱があって1日が充実していた」と、遠い目で述懐する。犯罪行為や反社会的行為は、彼らが見つけることができた唯一の生きがいとなってしまった……。  元気な老人が増えるのは、超高齢化社会を迎えた日本にとって明るい話であるはず。しかし、元気が余って犯罪に手を染めるような老人が増えるのは困りもの。そのためにも、本書が警告を発する「老人」のあり方について、もう一度考える必要があるのではないだろうか? (文=萩原雄太[かもめマシーン])