行きたくても行けない!? “本邦初”日本の秘島ガイドブック『秘島図鑑』

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『秘島図鑑』(河出書房新社)
 島はいい。なんといっても、空気がゆるい。伊豆大島(東京都)や初島(静岡県)のように、首都圏から2時間かからずに行ける島であっても、足を踏み入れた途端、不思議なほどのんびりとした空気や時間が流れる。  そんな魅力的な有人の島を紹介するガイドブックはこれまで何冊もあったが、『秘島図鑑』(河出書房新社)は、本邦初の“行けない島”のガイドブックだ。日本全国に約7,000もあるという島々の中から、興味深い歴史や文化をひもとき、中でも特別感のある“秘島”を絞り、紹介している。登場する島は、全部で33島。女人禁制の伝統を持つ神聖な島として崇められる沖ノ島(福岡県)、太平洋戦争で激闘が繰り広げられた硫黄島(東京都)、北方四島・竹島・尖閣諸島といった領土問題に揺れる島から、アホウドリの生息地としても有名な鳥島(東京都)、トカラ列島のさらに先にある横島(鹿児島県)、フランスの軍艦バイヨネースが発見したベヨネース列岩(東京都)など、ほとんど耳にしたことがない島まで、幅広い。  本書はこれらの島について、例えば沖縄県東部にある沖大東島(ラサ島)であれば、「1543年、スペイン人(B・デ・ラ・トーレ)が島を発見。1807年、フランス軍艦カノリエル号により、「ラサ島」と命名。1900年、日本領に編入。11年にラサ島燐砿合資会社(34年ラサ工業に改称)が設立され、リン鉱石の採取・搬出が始まる。37年、日本政府よりラサ工業に沖大東島が譲渡され、正式にラサ工業の私有地となる。45年、太平洋戦争の激化で、従業員やその家族ら民間人が引き揚げる。58年、在日米海軍が島全体を射撃場として使用開始」などと、見開きの島の写真に基本情報が添えられ、ヒジョーに興味をそそる。これに加え、熾烈を極めた資源採取や島の開拓、男性しか暮らすことができなかった時代、現在の島の様子などが続き、これは本当に日本の話ですか? なんてツッコミたくなるほど、驚きの情報が詰まっている。  また、島紹介とは別に、50ページほどにわたる、行けない島を身近に感じるための「実践編」の章も興味深い。「秘島の“最寄”有人島まで行ってみる」「浜辺の漂着物をチェックする」「マイナー航路に乗って絶海を感じる」など、具体的な提案がされているのだが、中でも気になったのが「本籍を島に移してみる」というもの。都会で暮らしつつ、どんな島に本籍を置くことができるのかなどが詳細に記されており、ちょっとやってみたくなる。  本書を読んでいると、日本の島にはずいぶんいろいろな歴史があって、自分は全然知らないんだな、ということを痛感させられる。行ってみたいけれど、アクセスの方法もないし、行けない――。そんな近くて遠い日本の秘島へ、思いを馳せてみてはどうだろうか? (文=上浦未来) ●しみず・ひろし 1971年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。テレビ局勤務を経て、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了、同大学院新領域創成科学研究科博士課程中退。現在、編集者・ライター。『海に癒される。 働く大人のための「海時間」のススメ』(水中クラブOB高橋啓介と共著、草思社)など。

「オスグッド病」「ヘルニア」は無能な医師の言い訳? 元サッカー日本代表を蘇らせた『足ゆび力』とは

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『足ゆび力~つま先を使うだけで一生健康でいられる~』(ガイドワークス)
 オスグッド・シュラッター病や椎間板ヘルニアという病名は、無能な医師の言い訳なのかもしれない。『足ゆび力~つま先を使うだけで一生健康でいられる~』(ガイドワークス)を読了し、そう感じている。  腰痛の人が病院に行くと、医師に「レントゲンを撮りましょう」と言われる。そして、レントゲンを見せながら「腰の骨が変形して突出したことにより、神経を圧迫させている」と、椎間板ヘルニアと診断されるのがほとんどではないか。  だが、2011年に放送されたNHK『ためしてガッテン』では、「MRI検査でヘルニアを確認、緊急手術が必要とのことで、手術を受けた。手術は成功したが、腰痛は消えず、5年たった現在も腰痛は残っている』とある腰痛患者の様子がリポートされ、椎間板ヘルニアへの疑問が投げかけられている。  さらに、「腰に負担のかかる職業の15人を調べ、うち2人にはMRIでヘルニアがハッキリ確認できたが、2人とも腰痛はまったくなかった。この点について、最新の医学研究では、腰に痛みがない人でも80%にヘルニアが見つかり、ヘルニアが腰痛の真の原因ではないことが判明している。また違うデータでは、ヘルニアを手術した場合としない場合(経過観察)で、2~10年後の痛みの回復状況はほぼ変わらない。もちろん、ヘルニアの症状によっては手術が必要な場合もあるが、ほんの数%のケースでもある」と、真っ向からヘルニアが腰痛の原因とする説を否定している。  近年の医学界では、腰の痛みの原因をヘルニアではなく、「仙腸関節のズレ」と提唱する医師が増え、名医と呼ばれている。本書『足ゆび力』の監修者である夏嶋隆氏も、そのひとりだ。  ただし、夏嶋氏とほかの名医たちには違いがある。夏嶋氏は仙腸関節のズレを治すだけでなく、このズレが生じる原因も正す。本書には、仙腸関節のズレとなる原因が足の内旋であることが詳細に記されており、足の内旋を防ぐために“足指トレーニング”が推奨されている。  実際に夏嶋氏は、サッカー元日本代表であるゴンこと中山雅史氏や、ドラゴンこと久保竜彦氏を再起させている。久保氏は、「自分の人生に影響を与えた人は誰ですか?」という質問に対し、「(山形県にいる)断食(道場)の先生。サッカー関係は、高校の先生と、『FWやってみいや』って言った河内(勝幸)さん。あと、ジーコもうまぁって思ったね。(膝が悪いから)こんな歩き方(ひょこひょこ歩き)してんのに、ミニゲームとかになるとめっちゃうまい。でも、一番は夏嶋先生。命の恩人のような恩人というか。師匠じゃないけど、人間に大事な感覚というのをよみがえらせてくれた。あそこで夏嶋先生に会わんかったら、どんな人生になってしまったんやろって思います」と語っているくらいだ。  そんな本書に記されている理論はもちろんだが、それ以上に興味深いのが夏嶋氏の“物の見方”である。 「今の世の中に出ていることを疑うことも大切ではないでしょうか。常識や通説の中だけで生きていたら、発明や発展は起きません。いろいろな経験者がそれぞれ方法論を持っています。それがテレビや本で世に出るワケです。ただし、そこには経験という主観も入ってくるので、正論もあれば、違う部分もありますよね。伝言ゲームみたいになっていますから。だからこそ、理論の原点には学問がなければいけません」(『足ゆび力』より抜粋)  ヘルニアを削ってもなぜ腰の痛みがなくならないのか? オスグッドになると休むしか方法がないのはなぜなのか? その“WHY”がなければ、医療の発達はない。

実は意外と多い!? 人には聞けない「きょうだいコンプレックス」原因と対処法とは

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『きょうだいコンプレックス』(幻冬舎)
 きょうだいは、親以上の支えとなる存在なのか、それとも永遠のライバルなのか――。同じ境遇で育ち、血を分けたきょうだいは特別なつながりを持つかけがえのない存在だが、互いに争い、劣等感を抱きやすい、一番身近なライバルでもある。そのため、何かのきっかけで一度こじれると、そう簡単には修復不能で、きょうだいだからこそ激しい憎しみを抱き、同時に憎しみきれない面もある。  親の介護や遺産相続など、きょうだい間のトラブルは珍しいことではない。古くは旧約聖書の『創世記』に、アダムとイブの間に生まれた2人の息子、カインとアベルの確執の話が語られている。兄カインは弟アベルのほうが両親から愛されているとねたみ、とうとうアベルを殺してしまうのだ。  ところが、このきょうだい間の確執は、心理学ではおなじみでも、一般的にはあまり語られることがなかった。そんな問題について鋭く切り込んだ一冊が、『きょうだいコンプレックス』(幻冬舎)だ。きょうだいコンプレックスの原因と対処法について、著者の岡田尊司氏に話を聞いた。 *** ――まず、本書のテーマである「きょうだいコンプレックス」とはなんなのか、簡単に教えてください。 岡田 コンプレックスとは、劣等感という意味で使われることが多いですが、元来はもう少し大きな意味を持つ言葉で、「わだかまり」「こだわり」のほうが近いと思います。つまり、きょうだいコンプレックスは、きょうだい間にある心のわだかまりやこだわりだといえます。相反する気持ちが結びついていることも多く、憧れる気持ちと劣等感が同居していたり、仲良くしたい気持ちとライバルとして敵対する気持ちが併存していたりします。きょうだいに対する思いを、いつの間にか無関係な相手に投影してしまうことも多く、他の人間関係にも影響します。 ――きょうだいコンプレックスは、どのように生じるのでしょうか? 岡田 親の愛情や関心を、ほかのきょうだいに奪われた状況下で強く生じます。最も多いパターンのひとつは、きょうだいが優秀で、常にそのきょうだいと比較されて、いつも否定的な評価を受けてしまう場合です。また、病気や障害、行動や適応上の問題を抱えたきょうだいに親の関心が集中し、放っておかれるという場合、子どもが親や祖父母らの大人の事情に巻き込まれる場合もあります。いずれにせよ、親の不公平な愛情が、きょうだい間にわだかまりを生む最大の原因といえるでしょう。 ――なぜ、そのようなことが起こるのでしょうか? 岡田 これは、親の未熟な自己愛が原因です。自分が主役でないと気が済まず、子どもが自分の期待に応えられると持ち上げ、応えなくなると見捨てる、という養育態度がその典型です。“良い”“悪い”と判断されて育った子どもたちには明暗が生じ、それが不遇感や嫉妬を生み、きょうだい間の確執を生みます。自己愛の強い人は、自分を振り返り、自分の非を認めるのが難しい。独善的に、自分だけが正しいと思いがちです。えこひいきや不公平をしていても、自分にとって都合が良ければ、それが当たりとしか思わず、自分の非に気づくことができないんです。  一方、きょうだい間の仲がいいところは、自分を振り返ることができる親に育てられていることが多いです。自分を振り返ることができる人は、相手への思いやりもある。少しでも不遇感を抱いている子がいると、自分の対応がその子を傷つけたのではないか、寂しい思いをさせているのではないのかと、すぐ考えることができます。 ――成熟した自己愛を持った親であっても、知らず知らずのうちに子どもを分け隔てていることもあるそうですね。 岡田 はい、愛着の問題もあります。親との愛着が強く、関係が安定した子どもとそうでない子どもでは、決定的な差が生まれます。愛着とは、物心がつく以前に主に母親との間に生まれる絆であり、自分がよく世話をした子はかわいく、あまり世話をしなかった子は、あまりかわいくないということが起きてしまうのです。しっかりとした愛着によって結びついた存在は、その子にとっての「安全基地」となり、心のよりどころになります。しかし、安全基地となっていた存在がいなくなったり、機能しなくなると、心のよりどころを失い、パニックになる。親が安全基地となっている子と、そうでない子で差が生まれ、ひいては、きょうだい間や他の対人関係においても、敵意や被害者意識を生みやすくなります。 ――本書にはニーチェをはじめ、フロイト、黒澤明、武田鉄矢、長谷川町子など、さまざまな有名人の事例も取り上げられていますが、きょうだいコンプレックスは仲の良いきょうだいでも、潜在的に持っているものなのでしょうか? 岡田 境遇に恵まれ、うまく克服された場合には、年上のきょうだいは、自分の良いモデルや目標として、年下のきょうだいは守り世話すべき存在として、その人の人間的な成長に役立つといえます。わだかまりがあまりない、幸福なきょうだいも、もちろんいらっしゃいます。ただ、一方は仲の良いきょうだいだと思っていても、相手のきょうだいは、そうは受け取っていないということもあるでしょう。お手本となるような“良い”きょうだいにしろ、常に領分を脅かしてくるような“悪い”きょうだいにしろ、小さい頃、きょうだいが大きな存在だった人には、なにがしかの心理的な支配があり、きょうだいコンプレックスが潜んでいるといえるでしょう。 ――私自身、幼いころから2歳年上の兄との仲が悪く、よく暴力を振るわれていたのですが、兄が中学3年くらいになると、親との関係もいっそう悪化し、兄一人が家族から孤立するようになりました。その後、4年間の海外留学を機に、家族との関係が改善。しかし、帰国後2~3年でまた元の兄に戻り、現在は音信不通の状況です。私から見ると、両親の愛情は公平で、どちらかといえば、何をやっても器用にこなせる兄と比べられることが多く、兄のほうがかわいがられていたように思うのですが、それでもやはり、原因は両親にあるのでしょうか?  岡田 まず考えられることは、2歳という年齢差で生まれた妹に対して、兄が、親からの愛情を奪われたという気持ちを抱き、それを引きずっていた可能性です。その嫉妬心が、暴力という形で表れていたと思われます。お兄さんは何かと頑張ることで、親に認めてもらおうとしていたのではないでしょうか。  あなたには、お兄さんの不遇感は理解しづらく、親の対応も公平に思えるのでしょうが、お兄さんには、別の見え方をするのだと思います。あなたの記憶にある親との関わりだけをたどっても、そこには物心つくまでの時間的な空白もありますし、当事者としてのフィルターがかかってしまいますので、お兄さんが感じていた現実は見えてこないのでしょう。いずれにしろ、お兄さんからすると、親から距離を取ったほうが落ち着くということでしょうから、親が「安全基地」としてうまく機能してこなかった面があると思われます。 ――うちの兄のように、一度コンプレックスが解消されたと思っても、また再発してしまうケースは多いのでしょうか? またその場合、再び解消される可能性はありますか? 岡田 距離を取ることで一見落ち着いたように見える場合、接触が増えて、またギクシャクし始めることは、よくあります。本当の意味で、コンプレックスが解消されたわけではないためです。お兄さんの場合は、きょうだいコンプレックスというだけでなく、その根底には、親との不安定な愛着の問題があるように思います。もしご両親が、本人だけの問題のように見ているとすると、改善には時間がかかるかもしれません。 ――本書では、きょうだいコンプレックスが解消されるきっかけとして、結婚や身内の死、危機が迫り、不安が高まったケースが挙げられています。 岡田 きょうだいコンプレックスを克服するにはまず、その問題ときちんと向き合うことが第一歩です。そのきょうだいに対するネガティブな感情がどこから由来したのか、大きな視点で振り返る作業が必要です。また、結婚式や葬式のような特別なセレモニーの場に会することがきっかけとなって、わだかまりが緩んでいくことがあります。逆の場合もあります。解決のためのアプローチとしては、親に働きかける方法と、本人に直接働きかける方法があるといえます。拒絶されるのを恐れず、大きな優しさを持つということが大事でしょう。 ――きょうだいコンプレックスは昔からあるものだと思いますが、いま特に注目すべき点はありますか?   岡田 端的な現象としては、相続をめぐるきょうだい間の紛争事案が急増していることです。家庭裁判所の調査官は、てんてこ舞いの忙しさだそうです。この傾向は、都市部だけでなく地方でも顕著だそうです。また、親子関係や夫婦間の悩みでカウンセリングに訪れる方が非常に多くなっていますが、そこにきょうだい間の確執が微妙に絡んでいるケースが少なくありません。 ――きょうだいコンプレックスを生まないために、親としてどんなことに特に注意すべきでしょうか?  岡田 何よりも大事なのは、公平さということです。ただ、公平さというのは、主観的なものなので、その子に応じた気配りが必要です。時には、話をする時間の長さとか、話す時の口調といったことも関わってきます。一人の子とばかり話をしているだけで、疎外感を抱く子もいるわけです。親としては、話しやすい子、求めてくる子とつい話す機会が多くなるのですが、常にほかのきょうだいのことも忘れないでいる必要があります。  また、親側の基準や期待を押し付けないということも大事です。親側の期待に沿う子どもを、どうしても優遇しがちです。親の基準ではなく、その子の基準を常に考えて、接するという姿勢が大事です。一人一人の最高の応援団長であるという心構えが必要です。もうひとつ大事なのは、自分を常に振り返り、非に気づくということです。完璧な親などいませんが、完璧かどうかではなく、自分を振り返り、非を認めることができるかできないかが、鍵を握ります。  こんなふうに親子関係が難しいのも、核家族化、小家族化したことがあるでしょう。雑多な人が一緒に暮らす生活ならば、今のような息苦しい関係にならずに済むのですが。しかし、今は小家族の時代なので、いっそうこまやかな気遣いをする必要があるといえます。 (取材・文=編集部) ●おかだ・たかし 1960年、香川県生まれ。東京大学哲学科中退。京都大学医学部卒。同大学院高次脳科学講座神経生物学教室、脳病態生理学講座精神医学教室にて研究に従事。医学博士。岡田クリニック院長。パーソナリティ障害、発達障害治療の臨床医として活動。著書に『愛着障害』(光文社)、『マインド・コントロール』(文藝春秋)、『母という病』(ポプラ社)などがある。

90年代の子どもカルチャーの変遷が一目瞭然!?『よみがえるケイブンシャの大百科 完結編』

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『よみがえるケイブンシャの大百科[完結編]』(いそっぷ社)
 みんなー! ケイブンシャの大百科の大百科だよー!  君はどの大百科を読んだことある? ちなみに僕のファースト大百科は「超新星フラッシュマン大百科」。当時小学生だった僕は、敵の女幹部役の女優さんがにこやかに取材に応じるオフショットやら、少女漫画チックな漫画(いわゆる同人誌的なタッチ)に衝撃を受けたもんだ。「スーパーマリオブラザーズ1・2・3大百科」では、女性モデルさんがマリオのコスプレしてて、生まれて初めて「コスプレ」なるものを知ったのはこれまた大百科……。  この後、僕はオタク道を驀進するようになったんだけど、間違いなくケイブンシャの大百科の影響だろう。  そんな感じで、アラサー以上の世代にサブカルチャーの洗礼を与えまくったケイブンシャの大百科とは、今は亡き出版社・勁文社より1977年から2002年まで発行され続けていた文庫サイズの子ども向け豆事典シリーズである。通し番号は697番。改訂版などを含めれば、700種以上の大百科が世に産み落とされた定番シリーズであった。  その内容は、特撮、アニメ、プラモデル、ゲーム、鉄道、釣り、スポーツなど子どもなら誰もが興味を持ちそうなホビー系から、オカルト、怪談、芸能ネタ、料理、クイズ、マナーまで実に多彩。  ライター陣も、各ジャンルのマニアが集結。専門誌顔負けのコアな情報満載で、その充実した情報には大人のマニアのファンも多くついていたという。  このケイブンシャの大百科の、昭和時代に発売されたラインナップを網羅した『よみがえるケイブンシャの大百科』(いそっぷ社)が上梓されたのが昨年のこと。それからおよそ1年のスパンを経て、平成時代に発売された大百科を集めた続編『よみがえるケイブンシャの大百科 完結編』(同)が、先日満を持して出版された。この2冊でケイブンシャの大百科の全タイトルが明らかとなった!  それだけでも当時の読者は感涙ものだが、今回の『完結編』では別冊として出版された「ゴジラマガジン」編集者・野村宏平氏、数多くの大百科を制作した編集プロダクション・ワークハウスの元主宰者・山下幸雄氏などケイブンシャの大百科黄金期を盛り上げた人々へのインタビュー。さらに2000年代以降、ネット上で幻のトラウマ漫画として一世を風靡した「蝉を食べた少年」の作者への取材&漫画の再録も敢行するなど、大百科ファンにはたまらないラインナップが並ぶ。後にも先にも「ケイブンシャの大百科」をここまで丸裸にした書籍なんて、存在しないはずだ。  そんな『完結編』最大の見どころは徐々に子ども向けホビーがテレビゲームとアニメに駆逐されていく姿であろう。90年代初頭までは、ゲーム、アニメ、特撮に混じって鉄道、野球、釣り、料理など幅広く題材を取り扱っていた大百科も、90年代半ばになるとほぼゲーム、アニメの(しかも、かつてのようなライターの遊び心あふれる内容ではなく、お行儀のいい公式感バリバリの!)ラインナップ一色となる。いかに当時、テレビゲームとアニメが強かったのか、ということがうかがえる。と同時に、バブル崩壊の影響か、それまでのように取材や撮影に予算が割けなくなったのでは……という台所事情も、当時の関係者へのインタビューからもうかがい知れる。その点、アニメやゲームは基本的に編集部内でゲームをプレーし、画面を撮影すればいいのだからかなりお手軽である。  シリーズ末期になると、かつて出版された大百科の改訂版ラッシュに突入。そして2002年に勁文社は倒産する。  図らずも前作『よみがえるケイブンシャの大百科』では、サブカルチャー・ホビー文化が一斉に花開く70年代後半から80年代という時代の波に乗って、大躍進する大百科の姿が収められ、今作「完結編」では趣味の細分化の影響か、はたまた経営的な事情なのか、大百科が徐々に縮小し、時代の本流に呑み込まれていく姿が収められている。この2冊には、日本の近代子どもカルチャーの歴史が凝縮しているといっても過言ではない。  掲載されているラインナップから、幼き日の思い出にひたるもよし。徐々に多様性を失っていくタイトルに涙を流すもよし。関係者の証言から、編集部がいかに大百科を作っていたかに思いをはせるもよし。 『よみがえるケイブンシャの大百科 完結編』は、そんな甘酸っぱい思春期の思い出いっぱいの一冊である。

料理を作って妻の帰りを待つスタン・ハンセン かつての不沈艦のリタイア後の驚愕のライフスタイル

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 至宝・ウエスタン・ラリアットを武器に、日本のマットを(ときどき客席も)縦横無尽に暴れまくった不沈艦ことスタン・ハンセン。特に今の30代後半以降のプロレスファンに強烈な印象を与えたハンセンも、2001年に現役を引退し、15年8月には66歳となった。そんな彼が11月に著書『日は、また昇る。』(徳間書店)を上梓。プロレスデビューから現役引退までの思い出と当時の心境、そして引退後の今の生活についても語った同書だが、その中には当時のファンからすれば思いもよらないことが書かれていた。どうやら、今は主夫として家族のために料理をし、妻の帰りを楽しみに待つという生活をしているらしい……。 ――本を読みました。引退後はずいぶん穏やかな生活を送っているようですね。まさか、あのハンセンがアップルパイを焼いて奥さんの帰りを待つような暮らしをしているなんて、思ってもみなかったです。 スタン・ハンセン(以下ハンセン) HAAH! ライフスタイルが変わったんだよ。リング上で見せてたキャラも自分の一部、もう一人の人格だ。でも引退して、それが変わったんだ。現役の頃だって、趣味のことや家族のこと、プロレス以外にもいろいろ考えていることがあったしね。プロレスは自分の仕事でもあり収入源でもあったけど、自分の人生はそれだけではないよ。自分はレスリングをすごく愛してたし、本気でやっていたことは間違いない。ものすごくハングリーで、トップに立ってやろうって、それを目標にして頑張ってきたし、トップに立てるなら手段を選ばずにやってきた。ただ引退して、自分のライフスタイルの中で、自分が興味を持っていたレスリング以外のものが前に出てくるから、当然変化が出る。いつまでも過去の栄光に浸ってられない。前を見て進むしかないからね。 ――その興味があることというのは? ハンセン 今はファミリーだね。子どももいるし、孫もいて、愛する妻もいる。家族で旅行に行ったり、出かけたり、毎日一緒に食事したり。ファミリーがメインになっているよ。 ――家族のために料理もよくするそうですけど、その愛する奥さんがあなたの料理で好きなのはなんですか? ハンセン スペシャルパスタディッシュだね! 週一で作っているパスタ料理があるんだ。ナスやマッシュルームを使ったパスタで、それが特にお気に入りだよ。 ――本でそのレシピも公開してくれればよかったのに。次の本はハンセンのレシピ集をぜひ。 ハンセン レシピの版権を登録できたらやろうかな(笑)。ただ、妻は料理のプロだけど、私はまだグリーンボーイだから。引退したら、またグリーンボーイになってしまったよ(笑)。 ――引退後に不幸になる選手が多い中、あなたはとても充実した暮らしを送っているようですね。 ハンセン その理由は神様が見てくれているのが一点(※ハンセンはクリスチャン)、最高のパートナーがいるのが一点。ほかにどんな悩みがあるっていうんだい? もちろん現役のときはレスリングが大事だったけど、引退した今は典型的なミドルクラスで、充実した日々を送っているよ。 ――今現役のプロレスラーが引退して、あなたのような暮らしを送るためにアドバイスするとすれば? ハンセン 残念ながらアドバイスはあげられない。ハンセンのやり方はハンセンに合ったやり方で、ほかの人に合うとは思えないからね。ただ、ひとつあるとすれば、ポジティブでいることだ。レスラーは蓄積したダメージが大きく、体中のあちこちが痛いのは当たり前。でも、体が痛いからといって、それをメインのポイントにすると幸せにはなれない。そりゃ何十年もやってるから体が痛いのは当然。大事なのはポジティブに考えることだ。
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――まさに今、あなたがやってることですね。 ハンセン 自分のライフスタイルは自分が今まで作り上げてきたものだから、満足して受け入れるしかないんじゃないか。これはレスラーだけじゃなく、サラリーマンであろうが主婦であろうが一緒。ネガティブなことじゃなくて、新しく楽しいことを見つければいいと思うよ。 ――ときどきこうしてサイン会なんかをしていますけど、今後、日本でやりたいことはありますか? ハンセン 将来どうなるかはわからないけど、願わくばまた来たいね。日本には40年も来ているし、友達もいっぱいいて、食べ物も大好き。こういうふうに定期的に来たいとは思っているよ。 ――2年間、日本(神奈川県大和市)に住んでいたこともあるそうですね。地元の祭りで神輿まで担いでたとか。 ハンセン そうそう、ハッピを着て太鼓を叩いたりもしていたよ(笑)。今の時代だったらYouTubeにアップされていただろうね。あの時代だからできたことかもしれない。自分のプライべートまでは公開したくないからね。あのときは実にグレートタイムで、とてもエンジョイしていたよ。 ――周りも驚いたでしょう。 ハンセン いや、誰も気づいてないよ。ただのガイジンだったんじゃないかな。特別目立つようなことはしてないよ。見た目は多少違うかもしれないけど(笑)。 ――僕が子どもの頃から見ていたハンセンのイメージと違って、穏やかな人だということがよくわかりました。 ハンセン 現役の頃はプロレスラーで、リアルな人格で、正真正銘のひとつの人格だ。リングから降りたら、まるっきりあの人格はあり得ない。引退したら現役じゃないから、そうなるよ。 ――今もプロレスを見る機会は多いですか? ハンセン めちゃくちゃ見てるわけじゃないけど、私は日本のプロレスの歴史の一部だと思っているから、ときどきはチェックしてるよ。 ――引退後に本を出すプロレスラーの中には、今のプロレス界に対して、苦言や厳しいことを言うレスラーが多いけれど、あなたは違いますね。まったくなかった。 ハンセン 私が現役の頃はプロレスの黄金時代だと思っているし、あの時代で活躍できてたことも、とてもうれしく思っている。日本でもアメリカでも、今活躍している選手の中にはすごいタレントが多くいるのはわかっているし、それに対して悪口とか不安とか、ジェラシーとか、意味のない気持ちは持っていないよ。
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――日本人プロレスラーは、プロレスを人生や生き様として語る人が多いが、あなたはビジネスとして捉えている。この違いをどう感じていますか? ハンセン プロレスが本当に人生のすべてと言えることはない。自分は初め、学校の先生として働いていて、食えてなくて苦労してた時代もあった。それで少しでも収入を増やすために始めたのがプロレスだから、それが自分のすべてとは言えないね。 ――ちなみに、前田日明氏から、あなたへのメッセージを預かってきているんです。「ハンセンと天龍(源一郎)の試合、あんなにタフな試合を見せられたのはあなたと天龍だけで、あんな試合はそれ以降、誰もやっていない」と。 ハンセン 天龍とはタフな試合はしていたし、前田にそういうことを言ってもらえるのは光栄だ! 前田は新弟子時代から知っているけど、そのときから「こいつは違うな、やってくれるな」と感じていたよ。 ――ファンの間では、若手時代の前田氏がセコンドにいるときに、ハンセンによく狙われてたっていうのが有名な話ですけど、本当に狙っていたんですか? ハンセン 前田はなんて言っているんだ? ファンがどう思うかじゃない、彼がどう思うかが大事だよ(笑)。 ――聞いておきますね(笑)。今日はありがとうございました! ハンセン こちらこそありがとう。インタビューを受けられてうれしいよ。  * * *  終始穏やかな雰囲気で進んだインタビュー。しかし、最後にカメラマンが「手をあごの前で組んでほしい」とリクエストしたところ、すかさず「NO!」という返事が。その際に見せた一瞬の鋭い眼光は、まさに現役時代の不沈艦のもので、スタッフ一同、一瞬ヒヤっとした。もちろん直後には柔和な表情になったが……。  ちなみに、インタビュアーの従兄が観戦時にハンセンにブルロープで背中を叩かれたことがあると伝えると「そのイトコはボーイか? だったら彼はそうなるべきだったんだよ」とコメントするも、最後は「彼に『ゴメンナサイ』と伝えてくれ(笑)」という気遣いも。やっぱり優しい人だった。 (取材・文=高橋ダイスケ/撮影=後藤秀二) ●スタン・ハンセン 1949年8月29日、アメリカ・テキサス州ノックスシティ出身。1973年にプロレスデビュー。1975年に全日本プロレスに参戦し、日本デビュー。1977年に新日本プロレスと契約、アントニオ猪木らと名勝負を繰り広げ、その後1981年に全日本プロレスへ。ブルーザー・ブロディとの「超獣コンビ」として人気を博し、シングルでもジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、四天王(三沢光晴、川田利明、田上明、小橋建太)らと死闘を繰り広げる。2001年に現役引退。現在はアメリカ・コロラド州で暮らしている。

【特別イベント無料招待】昆虫を溺愛するカブトムシゆかり、ついに禁断の昆虫食に目覚めるか !?

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内山さん(左)とカブトムシゆかりさん(右)。お互いムシ好きだけど……。
■無料招待! 内山昭一(昆虫料理研究家)×カブトムシゆかり(タレント)  どうすればより昆虫をおいしく食べられるか。味や食感、栄養をあらゆる角度から研究し、バッタ会、セミ会、若虫会など各種昆虫料理イベントを主催する内山昭一さんの新刊、『食の常識革命! 昆虫を食べてわかったこと』(サイゾー刊)が発売された。  本書の内容は、「おいしい昆虫ベスト10」「昆虫食あるある」「虫食い女子が昆虫食の魅力を語る」など珍談奇談に満ちていますが、それだけではありません。 「都会に暮らす人たちは食料を自力で生み出す術を知りません。食料危機という非常時は、動物性タンパク質をどう摂るかを考える必要に迫られます。このとき検討される食材に昆虫が入るかどうかはとても重要です」(内山さん)  そんな現代日本の食料問題にも警鐘を鳴らす本書の刊行を記念して、11月19日にジュンク堂書店池袋本店にて、著者の内山さんと、『アウト×デラックス』などでお馴染みの、“芸能界一の昆虫好き”カブトムシゆかりさんとのトークセッションを行います。  愛する昆虫たちを食料としてはとても考えられないカブトムシさんは、内山さんが語る「さまざまな昆虫の料理法やその味」の話をどう受け止め、「食べてみよう」と気になるのか。  対象的な2人の対話から、昆虫食の魅力、昆虫と付き合うことの楽しさと大切さを語り合います。  さらに、参加者にはイナゴを使ったクマさんクッキープレゼント。ぜひご賞味ください。
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可愛い?美味しい? イナゴを抱いたクマさんクッキーをプレゼント
  【お知らせ】 このトークイベントへ、当サイトの読者20名様を先着で無料招待(通常1000円)いたします。希望者は、メールにて「cyzoevent@cyzo.com」宛に、タイトルを「昆虫食イベント希望」と書き、本文に本名をお書きください。当選者には折り返し、ご招待メールをお送りさせていただきます。 【開催情報】 内山昭一(昆虫料理研究家)×カブトムシゆかり(タレント) 「かわいい昆虫がおいしいとはかぎらない──内山昭一が昆虫食をやめられない理由、 そしてカブトムシゆかりが昆虫を食べられない理由」 ●場所:ジュンク堂書店 池袋本店 ●日時:2015年11月19日(木)19:30~ ●イベント詳細 http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=10548 ●内山昭一(うちやましょういち) 1950年長野県生まれ。昆虫料理研究家。幼少から昆虫食に親しみ、99年より本格的に研究活動に入る。2013年5月、国連食糧農業機関(FAO)が昆虫食を推奨する報告書を発表して以降、メディアから取材殺到。 こうした気運を受け、代表を務める昆虫料理研究会の活動が大きく広がる。また、日本初の昆虫食を科学的に研究する食用昆虫科学研究会が14年にNPO法人の認可を受け、理事として啓蒙活動を続けている。 主な著書に、『楽しい昆虫料理』(ビジネス社)、『昆虫食入門』(平凡社新書)、共著に『人生が変わる! 特選 昆虫料理50』(山と渓谷社)、監修に『食べられる虫ハンドブック』(自由国民社)がある。 東京都日野市在住。【昆虫食彩館】(昆虫料理研究会ホームページ)http://insectcuisine.jp/ ●カブトムシゆかり 1989年東京都生まれ。タレント。オスカープロモーション所属。「虫のお姉さん」を目指して昆虫を勉強中。テレビ埼玉「真王伝説」レギュラーアシスタント、J:COM「じもっティ!」レギュラー、フジテレビ「アウトデラックス」準レギュラー

思わずセミやゴキブリも食べずにはいられなくなる! 意外と真面目でシビアな「昆虫食の世界」

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内山さんオススメレシピ1「カミキリムシの幼虫のかまぼこ包み」
 どうすればより昆虫をおいしく食べられるか。味や食感、栄養をあらゆる角度から研究し、バッタ会、セミ会、若虫会など昆虫料理イベントを主催する内山昭一さんの本、『食の常識革命! 昆虫を食べてわかったこと』が刊行された。  本書の内容は、「おいしい昆虫ベスト10」「昆虫食あるある」「虫食い女子が昆虫食の魅力を語る」など、エンターテインメントに満ちているが、それだけではない。著者の内山さんは「都会に暮らす人たちは食料を自力で生み出す術を知りません。食料危機という非常時は、動物性タンパク質をどう摂るかを考える必要に迫られます。このとき検討される食材に昆虫が入るかどうかはとても重要です」という。  現代日本の食料問題に警鐘を鳴らす著者に、本書の狙いを聞いた。 ■FAOが食料問題を解決する手段として高く評価した昆虫食 ──内山さんはこれまで、昆虫食レシピ本、昆虫食の研究書などを上梓されていますが、『食の常識革命! 昆虫を食べてわかったこと』は、それらと比べると異彩を放っています。 内山 昆虫食には「捕る楽しみ」「料理する楽しみ」「食べる楽しみ」の三拍子が揃っています。その魅力を伝えたくて、これまで本を出してきましたが、昆虫食に興味がある人でないと手に取りにくかったかもしれません。しかし、2013年の5月13日以降、昆虫食が世に広まると確信したので、昆虫食と聞いて及び腰になる人にも、まずはその世界を覗いてみようと思ってもらえる本を出したいと考えていました。 ──2013年5月13日になにがあったのですか。 内山 その日、国連食糧農業機関(以下、FAO)が、今後予想される人口増加と地球温暖化にともなう食料問題を解決する手段として、昆虫食を高く評価する報告書を出したのです。そして、報告書が出た翌日の夕方、NHKの『ニュースウオッチ9』から取材があり、その夜の番組に放送されました。この出来事で、昆虫食の存在が世に広まると確信しました。実際、2013年5月13日以降、メディアからたくさん取材されるようになり、「昆虫は地球を救う」というタイトルとともに紹介されるようになりました。 ──たしかに本書には、昆虫料理研究家とは何者なのか、興味を喚起する話がたくさん出てきます。カラー写真で内山さんの虫部屋も掲載されていますね。 内山 本書で初めて公開する自宅2階の虫部屋には、定住している虫や四季折々やってくる虫などでいつもあふれかえっています。たとえば、虫の標本、食材を入れる冷凍庫、カイコ、ゴキブリ、カメムシなどが入った飼育ケース、天井から吊り下げている乾燥地蜂がぎっしり詰まったネット、スズメバチ成虫を漬けた焼酎。第1章では、昆虫料理研究家がどんな生活と研究をしているかだけでなく、家族に私の活動をどうやって理解してもらっているかも包み隠さず書きました(笑)。 ■まずい虫はごくわずか。おいしい虫は探せばもっといる ──虫部屋にいる虫は、ご自身で食べるために飼育しているのですか? 内山 はい。ですが、それだけではありません。FAOの報告書が発表されて以来、昆虫食イベントの回数が増え、メディアからの取材依頼も増えています。そうした際には当然ながら数点の昆虫料理を提供することになりますが、この要望に応えるため一定量の食材を常に用意しておかなければなりません。そのためにも飼育しています。普通に店で手に入る食材ではありませんから。 ──ゴキブリも飼育しているんですね。 内山 だいぶ以前のことですが、冬に雑誌「漫画実話ナックルズ」(ミリオン出版)からゴキブリ特集を組みたいという依頼がありました。「この季節に捕まえるのは難しいですよ」と答えると、「では、こちらで用意します」という返答でした。そして取材の当日、なんと連れてきたマダガスカルゴキブリが百匹あまり! 私もさすがに茫然自失。とりあえず取材に参加した仲間数人で食べきれそうな五十匹を調理し、残った五十匹を持ち帰り飼育することにしました。それが、いま虫部屋に同居しているマダガスカルゴキブリたちの先祖です。
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内山さんオススメレシピ2「セミの親子揚げ」
■もっともおいしかった虫はカミキリムシの幼虫 ──本書からは、昆虫食と聞いて及び腰になる人に興味をもってもらおうという意気込みが伝わります。 内山 第2章の、おいしい昆虫ベスト10で、私が食べた虫の中でも特においしかったものをランキング形式で紹介しました。私はこれまで130種類以上の昆虫を食べてきました。その経験から言えることですが、「これはまずくてとても食べられない!」という虫はほんのわずかにすぎません。たいていは普通の虫の味です。 ──普通の虫の味ってどんな味ですか? 内山 「ほんのり甘くて何となく植物系の味」といえば伝わるでしょうか。たとえば、私たちの主食と同じ米を食べるイナゴを焼いて食べてみてください。昆虫のほとんどは焼いた香ばしいイナゴの風味に似ています。もちろん私が食べていないだけで、ほかにもおいしい虫がたくさんいるに違いありません。実は昨年の夏、初めてスズムシを食べたのですが、コオロギよりずっと濃厚な旨味があることを知ったばかりです。 ──ちなみに、内山さんがおいしいと思う昆虫の第1位を教えていただけますか。 内山 カミキリムシの幼虫です。日本に生息する昆虫の中で最高のおいしさといえるでしょう。テッポウムシ、ゴトウムシ、トッコムシなどさまざまな愛称で親しまれてきたことが、おいしさを物語っています。カミキリムシの幼虫のおいしさは「マグロのトロ」の味にたとえられます。トロリとした脂肪の甘味が特徴です。いっぽうマグロの背側を赤身といいますが、カミキリムシの場合は成虫の胸肉がそれに似ています。よく発達した筋肉の旨味が味わえます。幼虫を好む人が圧倒的に多いのですが、なかにはあっさりして旨味の濃い成虫が好きという人もいます。 ■木の上のほうにいるセミはうまい。落ちたセミはまずい ──昆虫を食べたことがない人でも、おいしいセミの見分け方など、いざというとき役に立つ情報が満載です。 内山 第3章の「昆虫食あるある」で、みなさんに伝えたい昆虫食の情報を盛り込みました。私の経験上ですが、「木の上のほうにいるセミはうまい。落ちたセミはまずい」は間違いありません。 ──その根拠はなんでしょうか。 内山 若いセミほどタンパク質や脂肪が充実しておいしくいただくことができます。そんな羽化したばかりの元気なセミは、木の上のほうにいることが多い。鳥などの天敵に見つかりにくいからでしょう。それに対し、交尾を終え生殖の役目を終えたセミは、身を守るセンサーが鈍くなり、目につく木の下のほうにいることが多くなります。子供でも簡単に捕まる老いたセミはだいぶ味が落ちるように感じます。また、落ちて死んでいると思って触ると、急に鳴いて暴れるセミがいます。いわゆる「セミ爆弾」です。これはかなり弱って死期が近い状態なので、味も一段とまずくなります。セミに限らず小さな昆虫は死ぬと鮮度が急速に落ち、水分が失われ干からびてしまいます。でも昆虫は外骨格なので外観からはそれがよくわかりません。できるだけ竿の長い虫取り網を用意して、木の上のほうにいるおいしいセミを取ってください。 ■虫を食べる女性が増えている理由 ──第4章の「虫食い女子が昆虫食の魅力を語る」では、食の常識が粉々になる話が飛び交い驚きましたが、昆虫食にはまる女性が多いことも意外でした。 内山 昆虫食のイベントに男女で参加する場合、積極的なのはたいてい女性です。昆虫を食べるときの様子を見ればはっきりします。男性はかなり躊躇しますが、女性は調理が始まると一気に食材に見えるようでこだわりなく食べてくれます。女性には、「なんでも食べなきゃ生きていけない」という意識が根底にあるのではないでしょうか。だから飢餓に強いのは女性だと思います。昆虫食への好奇心も、そのあたりに由来するのではないでしょうか。一方、男性は食に対して保守的です。また、狩猟は男性のほうが得意ですが、飼育となると女性の能力が高い。飼うことに対してものすごく興味を持っているように見えます。世話焼き上手でもあるし。でも、そのあと食べるんですが。 ──最近の昆虫食イベントでは、子供連れのお母さんの参加が目立つとか。 内山 昆虫を食べる会を続けてきて感じることは、年々、昆虫を食べることに真剣な女性が増えてきているということです。なかにはお子さんをおんぶして参加されたお母さんもいらっしゃいました。各地で昆虫食イベントが開かれることも多くなり、親子で参加される集まりに呼ばれると、お母さんが率先して食べて子供に勧める光景をよく目にします。「虫を見る目が変わりました。子供たちも『食』で虫に親しんでくれるといいなと思いました」「貴重な体験でした。食糧難時代になっても大丈夫かも」などといったアンケートを読むと、昆虫食に本気なお母さんが多いのに驚きます。
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内山さんオススメレシピ3「むし寿司」
■不安な日本を生き延びるための昆虫食 ──エンタテインメント色が一転して、第五章「騙されないための昆虫食」では食の危機的状況に警鐘を鳴らしています。これはどういう狙いでしょうか。 内山 第4章までは、昆虫食にかんする珍談奇談を盛り込んで、昆虫食に興味をもってもらおうとしました。しかしそれだけでは、昆虫食に興味はない、あえて食べる必要はないという方が本書を手に取ることはないでしょう。そこで、FAOが提唱した食料問題を解決する手段としての昆虫食から始まって、不安な日本を生き延びる力となる昆虫食について、考えてみました。 ──不安な日本を生き延びる力となる昆虫食とは、具体的にはどういうことでしょうか。 内山 現在、火山噴火、地震、局地的大雨、猛暑など、かつてなかった全地球規模の気候変動がおこっています。私たちはいい知れぬ不安を抱きながら暮らしています。地球温暖化がこれら異常気象の誘因のひとつかもしれません。FAOがいう、人口増加と地球温暖化による地球規模の食料危機はこれからも対策が必要でしょう。しかし、それと同じくらい警戒しなくてはならないのは、日本の政情不安によって生じるかもしれない食料危機です。日本は1000兆円という想像もできない借金を抱えています。アベノミクスの恩恵は貪欲な新自由主義の巨人が食いつくし、多くの国民の生活は改善されず、高齢者の5世帯に一世帯は貧困とされ、将来を担う子供たちも6人に一人が貧困といわれています。日本の食料自給率はカロリーベースで39%と低く、主要国のなかで外国への食料依存度がもっとも高い国です。TPP(環太平洋経済連携協定)の施行によって、さらに外国への食料依存度が高まる可能性があります。そのような状況で、世界的な金融破綻がおこり、国債や株価が暴落したらどうなるでしょう。超インフレで食料を買えなくなる、または激しい円安となって食料輸入が激減したとき、多くの日本人は兵糧攻めにどれだけ耐えられるでしょうか。 ■都会に暮らす人は食料を自力で生み出す術を知らない ──本書では食料危機のリアリティを、内山さんは祖父との会話から説明しています。 内山 私が幼少の頃、農家には、農薬がさほど普及していませんでした。稲などまさしく今どきの有機栽培でした。したがって草は伸び放題でしたから、暑い盛りの草取りほど辛い作業はありません。暑さでめまいがしてフラフラすることもありました。今でいう熱中症なのでしょう。そんなとき、祖父のよく言っていた言葉を思い出しました。 「終戦直後は畦に草一本生えていなかった」  戦争など非常事態には、土地のある農家は有利です。食べ物が自給自足できる強みがあります。米や野菜は自前で収穫できますし、動物性タンパク質は川魚や昆虫で摂取することができます。ところが都会に暮らす人たちは食料を自力で生み出す術を知りません。戦中戦後の非常事態においては、地主に頼んで、せいぜい食べられそうな畦草を刈らせてもらって持って帰るぐらいだったでしょう。非常時は、平時以上に体調維持を心がけ、栄養のバランスにより注意を傾け、動物性タンパク質をどう摂るかを考える必要に迫られます。このとき検討される食材に昆虫が入るかどうかはとても重要です。 ──昆虫を食べるという行為は、嘘を見抜く精神につながると本書で述べています。どういうことでしょうか。 内山 戦後70年が過ぎた今ぐらい、日本人にとって未来が見通せない時代はないでしょう。「そこはかとない不安」を本能的に感じながら暮らしている人がほとんどではないでしょうか。ヒトの学名はホモサピエンス、つまり「知恵のある人」なのですが、どうも学名は買いかぶりのようです。私たちは歴史に学ばず、再び戦前の国家主義に戻ろうとする気配が感じられます。大戦の惨禍を経験している以上、私たちは「国家に騙されるのも罪なのだ」ということを肝に銘じておくべきでしょう。いまこそ騙されない覚悟が求められているのです。昆虫を食べるという行為は卑小なことに思われますが、実は国家と向き合い、ためらい、見つめなおし、その嘘を見抜く精神を養うことにつながります。なぜなら、これまで口にしたことのない昆虫を食べるというのはとても勇気のいることだからです。「昆虫は食べ物ではない」という間違った情報が社会を支配しています。こうした誤った社会通念を鵜呑みにせず、自らの五感を研ぎ澄まし、覚悟を決めて昆虫を食べてみると、意外に肉や魚と同じ普通の食べ物だということが納得できます。「備えあれば憂いなし」という言葉もあります。いまから昆虫食に慣れ親しんで、準備しておくことをお勧めします。 (構成=野口英明) 『昆虫を食べてわかったこと』発売記念イベント開催! 内山昭一(昆虫料理研究家)×カブトムシゆかり(タレント) 「かわいい昆虫がおいしいとは限らない!」 ・11月19日(木)19時半~  ・ジュンク堂書店 池袋本店 ・入場料1000円(1ドリンクつき)。4階喫茶コーナーにて ・要事前予約 電話 03-5956-6111(ジュンク堂池袋本店) ・詳細はコチラ ■さらにディープな世界を知りたい人は…… 「東京虫食いフェスティバル」 ・11月23日(月・祝)15時30分~ ・SHIBAURA HOUSE(東京都港区芝浦3-15-4) ・詳細はコチラ ●内山昭一(うちやま・しょういち) 1950年長野県生まれ。昆虫料理研究家。幼少から昆虫食に親しみ、99年より本格的に研究活動に入る。どうすれば昆虫をよりおいしく食べられるか、味や食感、栄養をはじめ、あらゆる角度から食材としての可能性を追究する。2013年5月、国連食糧農業機関(FAO)が昆虫食を推奨する報告書を発表して以降、メディアから取材殺到。こうした気運を受け、代表を務める昆虫料理研究会の活動が大きく広がる。また、日本初の昆虫食を科学的に研究する食用昆虫科学研究会が14年にNPO法人の認可を受け、理事として啓蒙活動を続けている。 http://insectcuisine.jp/

“現役”ミスキャンパスたちがビキニ姿に! オジサンにはたまらない電子写真集が発売

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『キャンパスクイーンコレクション―あの大学の、気になるあの子たち―』(文藝春秋)
 “女子大生ブーム”は過去のものとなった感があるが、世のオジサンたちにとって、今でも“現役女子大生”は特別な存在だ。  その女子大生がビキニ姿を披露した電子写真集が発売されたというから、ヒジョーに気になるところだ。しかも、フツーの女子大生ではなく、「ミスキャンパスコンテスト」でグランプリ、ファイナリストに選ばれた美女揃いの面々なのだ。  10月29日、写真集『キャンパスクイーンコレクション―あの大学の、気になるあの子たち―』(文藝春秋)が電子書籍限定で発売された。  撮影に参加したのは、現役ミスキャンパス13人で、そのうちの3人が、ありがたいことにビキニ姿にチャレンジしているというから、たまらない。  写真集に収められているのは、「お茶の水女子大学ミスコンテスト2014」ファイナリスト・井上真理子さん、「成蹊大学ミスコンテスト2014」グランプリ/「Miss of Miss2015」アナトレ賞・岡田彩花さん、「慶應義塾大学ミスコンテスト2014」ファイナリスト・西村萌さん、「専修大学ミスコンテスト2014」ファイナリスト・三木茉莉さん、「帝京大学ミスコンテスト2014」準グランプリ・高尾美有さん、「埼玉大学ミスコンテスト2014」準グランプリ・清水みゆきさん、「獨協大学ミスコンテスト2014」準グランプリ・鈴木茉由さん、「横浜市立大学ミスコンテスト2014」グランプリ/「Miss of Miss2015」審査員特別賞・栗本苑さん、「中央大学ミスコンテスト2013」グランプリ・西澤由夏さん、「明治学院大学ミスコンテスト2014」ファイナリスト・平田梢子さん、「横浜国立大学ミスコンテスト2014」グランプリ・末岡志保美さん、「白百合大学ミスコンテスト2014」グランプリ・榊原莉奈さん、「千葉大学ミスコンテスト2014」グランプリ・谷元星奈さんの13人。  このうち、ビキニ姿を披露してくれたのは井上さん、岡田さん、高尾さんの3人。みんな、なかなかの巨乳で、“見応え”は十分。水着にはなっていないが、栗本さんの女子大生らしからぬ妖艶な色香もたまらない。  昨今、ミスキャンパスといえば、女子アナ、キャスター、タレントの登竜門ともいわれるようになった。この13人の中から、後に女子アナやキャスターになる者が出てもおかしくないだろう。そうなれば、この電子写真集は“お宝”になりそう。ビキニ姿にトライした3人には、グラビアやイメージDVDのオファーも殺到しそうだ。 (文=森田英雄)

日本一の観光都市・京都に広がる深い闇『京都の裏社会 山口組と王将社長射殺事件の聖域』

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『京都の裏社会 山口組と王将射殺事件の聖域』(宝島社)
 11月に入ると、京都では紅葉の季節を迎える。  2014年には市内年間観光客数5,500万人を上回った、日本一の観光地・京都。しかし、そんな古都には、知られざる深い闇が広がっている。ジャーナリスト・一ノ宮美成氏による『京都の裏社会 山口組と王将社長射殺事件の聖域』(宝島社)は、そんな京都の裏側を描き出す一冊だ。  13年暮れ、山科区で起こった王将フードサービス社長・大東隆行氏の射殺事件は、いまだ犯人が捕まらないどころか、拳銃の発射音を聞いたという証言すらも得られず、捜査は難航を極めている。「餃子の王将」で全国的に知られる同社だが、一ノ宮氏の調査からは、ある不可解な人脈が浮かび上がってきた。  故・上杉佐一郎氏は、部落解放同盟委員長であり、暴力団ですらも恐れをなした人物。王将は、全国展開にあたって上杉氏の力を使い、300億円もの大金をメガバンクから引っ張ってきた。本書では、不動産ブローカーによる、こんな証言が引用されている。 「『王将』のバックは、なんといっても上杉佐一郎さんでしたよ。最盛期の上杉委員長の実力は絶大なもので、(税務申告の書類に)部落解放同盟のハンコがあれば税金フリーパスだったわけです。京都の財界人も、多かれ少なかれ世話になっていたんです」  王将の創業家である加藤一族と、上杉やその異母弟である昌也氏は、かねてから昵懇の関係だった。昌也氏は、王将子会社「キングランド」が投資した「福岡センチュリーゴルフクラブ」の経営者であり、王将ではこのゴルフクラブへの貸付金が回収できずに赤字に転落した過去を持っている。実直な人柄で知られる大東社長は、王将を取り巻く裏社会と手を切ろうとしてトラブルに巻き込まれた可能性が低くない。  さらに、別の側面からも王将の闇が見えてくる。創業者の長男・加藤潔氏の息子の3代目社長・貴司氏は、ウクライナ出身の女性と結婚し一児をもうけるも、妻と息子に対して激しいDVを繰り返すようになる。その後、貴司氏は息子を連れて海外へと逃亡し、7年を経た現在でもその消息はつかめていない。貴史氏は王将フードサービスの株式、約27万株を保有しており、配当金は毎年約2,000万円。現在でも、海外のどこかで逃亡生活を送っているといわれている。  また、世界遺産として知られる「醍醐寺」でも、トラブルが勃発している。  醍醐寺の境内に建立された「真如三昧耶(さんまや)堂」には、新興宗教団体・真如苑の開祖である伊藤真乗氏と二代目・伊藤真聰苑主の胸像が並べられている。さらに、醍醐寺開祖・聖宝理源大師1,100年御遠忌の中日法要の主催は真如苑が務めており、醍醐派の有力者は「醍醐寺は完全に真如苑に乗っ取られた」と漏らしている。  真如苑開祖の伊藤真乗氏は醍醐派で得度したものの、1,100年の歴史を誇る醍醐寺と新興宗教である真如苑との蜜月関係は不可解と言わざるを得ない。一ノ宮氏が調べを進めていくと、そこにはカネにまつわる疑惑が見え隠れする。1987年には、真如苑から醍醐寺に渡った1億円とも1億4,000万円ともいわれる寄付金が行方知れずとなっているほか、08年にも落雷によって消失した上醍醐・准胝(じゅんてい)堂の再建のために4億円が真如苑から醍醐寺に寄進されたという話が持ち上がる。醍醐寺側は、ようやく翌々年になってその一部である1億円の寄付を認めることとなったが、醍醐寺の不透明な経理は信者でもさっぱり全容がつかめないという。  さらに、醍醐寺にすり寄る新興宗教は真如苑にとどまらない。「ゆず」の北川悠仁の母・北川慈敬氏が教祖を勤める新興宗教「かむながらのみち」も醍醐寺に深く食い込んでおり、慈敬氏は醍醐寺仲田順和管長の就任式に参列。また、500万円の寄進を行っている。さらに、醍醐寺・仲田管長は北川悠仁と元フジテレビアナウンサー・高島彩の結婚式にも参列している。  このほかにも、本書ではエムケイタクシーと民族系信組の関係、東本願寺の内紛、そしてパチンコ企業の「マルハン」を支える京都大学人脈など、古都を舞台にさまざまに暗躍する金と闇勢力が描かれている。この秋、京都に足を運ぶならば、美しい景色の裏側に広がる「京都の闇」にも目を向けてみるべきだろう。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])

「実はボクシング界のすごい人」具志堅用高に聞く、“あの伝説”の真相

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「チョッチュネ」でおなじみな、アフロの面白いおじさん・具志堅用高。  今はテレビでのタレント活動で目にする機会が多いが、元WBA世界ライトフライ級チャンピオンで、日本記録となる13回も王座を防衛。2015年には国際ボクシング殿堂入りを果たすなど、ボクシング界のすごい人なのだ。  そんな、元チャンピオンならではの含蓄ある名言から、テレビで見る天然キャラならではの面白エピソードなど、具志堅さんの名言&迷言を集めた書籍『具志堅良好!語録』(宝島社)が発売された。  なかなか常人には理解しがたい、具志堅さんならではのすごい伝説がいっぱい載っていて、ビックリさせられる一冊! ……ということで、具志堅さん自身にさまざまな伝説が本当なのか確認しつつ、「チャンピオンだったんだぞ!」というアピールをしてもらった。 ■入試で名前を書き忘れて、人生が決まった ――今の若い人たちの中には、具志堅さんがすごいボクサーだったということを知らない人もいるんじゃないかと思うので、そのあたりのことを中心に聞いていきたいんですが。 具志堅用高(以下、具志堅) そうなんだよねぇ~。テレビの、お笑いの人だとか思われてるから……。 ――子どもの頃はボクシングじゃなくて、野球に興味があったそうですね? 具志堅 小学生の頃、石垣島ってテレビはNHKしかなかったからね。プロ野球はNHKで流れてるからさぁ~。 ――サイン入りの野球ボールを手に入れて、そこに自分の名前を書いちゃったという伝説がありますけど、それはいつ頃の話ですか? 具志堅 それはいつだったかな……。そんなことあったかな……? ――えーっ、覚えてないんですか!? それじゃあ、当時好きだった選手は? 具志堅 やっぱり長嶋茂雄さんと王貞治さん。ジャイアンツが強かったからね。野球は(中学)2年までやってたよ。 ――じゃあ3年生の時は? 具志堅 卓球。 ――なんで急に卓球を!? 具志堅 野球は団体競技だから、レギュラーになれなくって。体が小さかったし、うまくなかったからさぁ~。ボール拾いとかばっかりさせられてたし。卓球は個人の競技だから、面白いなと思ったなぁ~。動きが。目で追うし。早いし。 ――早い? 具志堅 早く終わるでしょ? 卓球。 ――ああ、野球だったら1試合3時間くらいはかかりますからね。それから高校に進むわけですけど、入試で名前書き忘れたらしいですね。 具志堅 名前を書き忘れて、落とされちゃったの。そしたら中学の担任の先生が、那覇の興南高校を勧めてくれたんですよ。「島を出て勉強してこい!」と。 ――そこでボクシングと出会うわけですよね。 具志堅 最初は野球部に行ったんだけどね。 ――え、中2でやめたのに? 具志堅 んまあ、興南は野球で有名だったからね。行ってみたかったのよ、甲子園に。入れてもらえなかったけどね。「無理だからやめとけ」って。そこで人生が決まったね。最初の高校に受かって野球部に入れていたとしたら、ボクシングをやってなかったと思うよ。 ――それでは、ボクシングを始めたきっかけは? 具志堅 ボクシングって、それまで見たこともなかったけどね。クラスの人に誘われたのよ。「お前も来いよ、ボクシング部に」って。 ――球技とは全然違うスポーツですけど、殴り合うことに怖さはなかったですか? 具志堅 それはなかったのよ。誘われてついて行って、構えを教えてもらったら、先輩に褒められたんだなぁ~。 ――「お前、構えがいいな!」みたいな? 具志堅 そうそう、左利きだから、最初からサウスポーだったんですよ。右利きからわざわざサウスポーに変える人もいるんですよ、ボクサーは。格好良く見えるんだなぁ~。で、調べた。「サウスポー」って言われたけど、サウスポーの意味がわからなくて。 ――ウハハ! 褒められたけど、わかってなかった! 具志堅 その後、グローブをはめて、殴られたけどね。最初、痛かったね~。 ――痛いからやめようとは思わなかったんですか? 具志堅 我慢してたよ。負けず嫌いなところがあるから、とにかく続けてみようって。そしたら、試合にすぐ出された。 ――始めてどれくらいでですか? 具志堅 3カ月。まあ新人戦……1年生、2年生だけの試合だけど。無我夢中でガンガン攻めたら、行ったよ決勝戦まで。決勝は、同じ高校の2年生に負けましたよ。 ――同じ高校同士が決勝で当たるなんて、興南高校はボクシングが強かったんですね。 具志堅 あの頃は、沖縄全体でボクシングが盛り上がってたからなぁ~。沖縄の予選は全国大会並みなんだから。 ――その沖縄で、始めて3カ月でいきなり決勝戦に進んだっていうのはすごいですね。 具志堅 それで、2年生の時にまた(同じ先輩に)決勝で当たって勝っちゃってさぁ~。先輩は最後の試合で、勝ったらインターハイ行けたんだけど、僕が(インターハイに)行っちゃったのよ。高校2年の時に。それから2年続けて行ってね。 ■チャンピオンになればモテる! ……でも、遊ばなかった ――その頃には、プロボクサーになろうと思っていたんですか? 具志堅 いやいや、大学に行って五輪を目指そうと思ってたの。それで東京に行ったんだけど、空港で協栄ジムのマネジャーに捕まっちゃってね。 ――それで、無理やりプロに? 具志堅 空港からジムに連れてかれて、そのままプロ入り記者会見をさせられちゃったからね。まあ、それも運命だよね。 ――大学に進んでいたら、五輪に行けたと思いますか? 具志堅 いやいや無理だ。チャンスがあったとすれば、モントリオールかモスクワ五輪だったんだけど、モスクワはボイコットしたでしょ。結局、プロの道に進んで、モスクワ五輪の頃には、もう世界チャンピオンで10回くらい防衛してたんじゃないかな? ――一番脂が乗ってる時期に、モスクワ五輪だったんですね。 具志堅 ああいう、運命の……なんていうかな、どこへ行くかっていうので変わっちゃうんだろうなぁ、人生は。 ――プロボクサーになっても、最初は全然お金にならないらしいですね。 具志堅 そうそう、電車の定期券買って終わりだよ。プロっていっても、みんなバイトしてるからね。デビュー戦は、先輩のトランクス借りて試合したのかな、買えないから。 ――トランクスって、そんなに高いものなんですか? 具志堅 2万円ぐらいするんじゃない? 靴はもっとするよ。だから高校時代のを履いてたよ、シューズ。 ――全然お金にならない世界で、将来どうなるんだろうっていう不安はありませんでしたか? 具志堅 将来なんて、なんにも見えない見えない。負けたらすぐに島に帰って、漁師になろうと思ってたもん。でもアマチュア時代からずっと、何年も負けてなかったから。どんどん勝っていって、プロ7戦目で世界ランクを倒したんですよ。それで先が見えたんじゃないかな? バイトやってる最中に、世界タイトルマッチ決定の電話がかかってきたんですよね。 ――まだバイトをやってるような時期に、世界戦が! 試合中のことって、覚えてますか? 具志堅 覚えてる。あんなの二度とできないね。あの1試合だけです。挑戦者だからね、「こんなチャンスない」と思ってどんどん攻めまくったんですよ。一歩も引かないでね。だから勝てたんだし……攻めたってのがよかったね。 ――世界チャンピオンになって、夢がかなっちゃった後、ボクシングに取り組む気持ちって変わりましたか? 具志堅 ボクシングが好きになったのよ。練習も好きになったね。 ――チャンピオンになってから好きになった? 具志堅 だって練習ってキツいんですよ、サボりたいの。でも、世界チャンピオンになったら楽しいよ。モテるし、誘いも多いし、おいしいもの食べれるし。すごいなぁ~! ――そういう誘惑で、堕落していっちゃう人もいるんでしょうね。 具志堅 いや、ならないなぁ~。世界チャンピオンになったら、みんな気合入れてくると思うよ。ベルトなんか持って歩いている人もいるし、飲み屋に。それで、また頑張ろうと何倍も練習するし、練習も楽しい! 世界チャンピオンでい続けたいっていう目標があるからさぁ~。 ――ああ、チャンピオンを続けるということが目標になってくるわけですね。やっぱり、お金もガンガン入ってくるようになるんですか? 具志堅 ああ、そうですよ。世界チャンピオンになったら、お金の価値がまったくわからなくなったよ。すごいお金が、どんどん入ってくる! 5回ぐらい防衛したら……マンション買えるよ。とにかくボクシングってのは「勝てば金が入る」ってことを頭に入れてやればいいと思う。 ――勝てばお金も入るし、キャーキャー言われるし……。 具志堅 楽しかったなぁ~……。ディスコ行ってバーッと遊んで、バーッて戻って練習して。やっぱり、現役の世界チャンピオンってモテるよ! 相撲の横綱や、プロ野球選手もモテるね。だから、それを長く続けたいんですよ。そしたらもう、防衛記録がどんどん伸びていくわけですよね。 ――「モテたい」という一心で! でも、セックスすると調子が狂う、なんて言いますけど……。 具志堅 そりゃ、狂いますよ。女性は敵ですよ、試合前は。だから僕はモテたけど、遊ばなかった(笑)。 ――具体的に、どうおかしくなっちゃうんですか? 具志堅 だって疲れるでしょ。その力を、試合で出さなきゃいけないんですよ。プロスポーツの世界では、私生活が乱れて成績が落ちるって多いと思うよ。自分の経験から見たら。「この選手、強かったのに、なんで急に落ちたのかな?」って思ったら、たいてい、私生活のリズムが狂ってるんだよね。 ■ラスベガスで試合ができるような選手を育てたい ――結局、日本最多記録となる13回もタイトルを防衛したわけですが、途中でやめたいなんて思うことはなかったですか? 具志堅 チャンピオンのまま引退しようなんて思ったこともあるけど、やめられなかったね。だって、ジムのオーナーが、あちこちで契約交わしてるから。もう先々の試合まで決まっちゃってるもん。ジムのスタッフもいっぱいいるし、勝手にはできなかったね。最後のほうは体もつらかったよ、やっぱり。 ――14回目の防衛戦では、試合前にアイスクリームを食べられなかったから負けた、なんて伝説もありますけど。 具志堅 それね! 計量が終わったらいつもアイスクリームを食べてたんだけどさぁ~、その日は取り上げられちゃったんだよなぁ~。 ――それで、保ってきたリズムが崩れちゃったということですかね? 具志堅 うまくいかなかったなぁ~、あの試合は。途中でリズムが狂っちゃった。負ける相手じゃなかったんだけどさぁ~。 ――それで引退するわけですけど、それまでボクシング一筋だったのが、急にボクシングがなくなっちゃって、どうしようと思いましたか? 具志堅 とにかく第2の仕事をしなくちゃいけないからね。だからいろいろ飲食店もやったけど、長続きしなくって。その後にジムを始めたんですよ。それからテレビ番組に出て、片岡鶴太郎さんとの出会いがあった。そこからタレントもやってますよ。 ――鶴太郎さん、具志堅さんのモノマネをよくしてましたもんね。あのモノマネは、どう思ってましたか? 具志堅 最初は、いい気持ちしなかったよ。「そうっすね」とは言ってたけど、「チョッチュネ」なんて言ってないもん。まあそれがウケるんだから、いいだろうという感じで。今は、たまに自分でも「チョッチュネ」って言ったりするけど(笑)。 ――テレビの世界はどうですか? ボクシングとは、まったく違うと思いますけど。 具志堅 いやあ、やっぱりそれも一緒よ、ボクシングと。かみ合えば盛り上がるし、かみ合わなければ負けちゃう。若いタレントさんたちも、もっと人気が欲しいって、みんな一生懸命だもん。 ――今は、その芸能人的な活動とジムが活動の中心ってことですかね? 具志堅 そうそうそう。 ――ジムで注目している選手はいますか? 具志堅 うちに、比嘉大吾っていうユースの世界チャンピオンがいるんですよ。あと、世界を狙ってる江藤光喜っていう東洋チャンピオンもいる。年内に世界挑戦させたいなって思ってるんですよ! ――自分の若い時と比べて、今のボクサーたちはここが違うなっていう点はありますか? 具志堅 まるで変わってますよ。今の若い子たちのほうが賢いっていうか。ちゃんとバイトして、部屋の荷物もそろえて、彼女も作って……。 ――私生活もちゃんと楽しんで、ボクシングにも打ち込んでいるという感じですか? 具志堅 そうだと思いますよ。でも本当は、世界チャンピオンになってから彼女を作るのが一番だと思いますけどね。彼女ができると、楽なほうへ楽なほうへ行っちゃうんですよ。ボクシングをやれる時間なんて、そんなに長くないんだから。5~6年頑張れば、次の人生があるんだから。本気でやってる人は、そういう気持ちで練習に来てますよ。そういう選手には、チャンスを作ってあげたいよね。 ――そういう選手にチャンスを作ってあげて、世界チャンピオンを育てるというのが今の夢でしょうか? 具志堅 それもそうだし、いつかラスベガスで試合ができるような選手を育てたいよね。1試合で何十億円取れるような選手を。日本人ボクサーにも、そういう時代が来なくちゃいけないんですよ! (取材・文=北村ヂン) ●ぐしけん・ようこう 1955年6月26日生まれ。沖縄県石垣市出身。元プロボクサー。生来のサウスポー・ボクサーで、76年、デビューからわずか9戦目で、WBAジュニアフライ級のタイトルに挑戦。以後、81年まで13回防衛。14回目の防衛戦でペドロ・フローレスに敗れ、引退。現在は、白井・具志堅スポーツジムの会長として、若い世代の指導に当たっている。