『カルト村で生まれました。』高田かやに聞く、村の生活、そして“家族”のこと――

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高田かや氏
 朝は5時半起床で労働、食事は昼と夜のみ、体罰は当たり前、テレビは『日本昔ばなし』(TBS系)だけ、そして親とは別の場所で集団生活……。所有のない、争いのない“理想郷”を目指す「カルト村」で生まれ育った少女が、当時の生活をありのままに描いた『カルト村で生まれました。』(文藝春秋)。WEB連載時から話題を呼んでいたこの実録コミックエッセイの作者である高田かや氏に、作品を描き上げた現在の心境と「家族」に対する思いを伺った。 ――まずは、この本『カルト村で生まれました。』を描くことになった経緯を教えてください。 高田かや(以下、高田) 現在、夫であるふさおさんのお母さんと同居しているのですが、私がお義母さんに子どもの頃の話をすると、すごく熱心に聞いてくれて。自分にとっては当たり前の思い出も、一般(※村以外の地域のこと)の人には面白いのかなぁと思ったことが、この本を描くきっかけでした。 ――もともと漫画は描いていたのですか? 高田 本当に、ちょこちょこっとしたイラストだったり、いたずら描きとか、そんな程度でした。まさか、初めてWEBに投稿した作品が本になるなんて……と、自分でもびっくりしています。 ――本にまとめるにあたって、最も苦労した点はどんなところでしたか? 高田 そうですね。漫画を描くという行為が初めてだったため、自分がどの作業にどれだけ時間がかかるかまったくわからず、思いっきりタイトなスケジュール設定にしてしまいました(笑)。それゆえ、ひたすら時間に追われることになってしまって……。 ――本を描く前と描いた後で、ご自身の中に変化はありましたか?  高田 描く前はぼんやりとしか見えていなかったことが、描いていくうちに「あれ、これっておかしくない?」と、はっきり見えてきたというのはあると思います。以前に比べて、村のことを、やや客観的に見られるようになったのかもしれません。 ――最初にWEBで高田さんのこの作品を拝見したとき、非常に衝撃を受けたんですよ。 高田 本当ですか!? どんなところが? ――それまで私が目にした村に関して書かれているものは、たいてい「被害者」という視点ばかりで、『カルト村で生まれました。』のように、淡々とその生活をつづったものを読んだことがありませんでした。 高田 なるほど。私も、もし村にいるときに、リアルタイムでそのときの気持ちを描いていたら、また違った作品になったんじゃないかなと思います。月日がたつうちにいろんなことが自分の中で落ち着いてしまい、その上で現在、頭にあるものだけを描いたら、こうなりました。 ――作風も、この表現が正しいかはわかりませんが、“あっけらかん”としているから、余計にひとつひとつのエピソードが胸に落ちてきます。 高田 作風については特に意図はなく……最初からこの描き方でした。これが私の表現方法の限界で、これ以外、描きようがないというだけです(笑)。 ■“問題児”として過ごした、「村」の生活―― ――本の中で、高田さんはご自身を「村の問題児」と表現されています。高田さんのどんなところが、村的に問題児だったのでしょうか? 高田 私、大人の「子どもはこうあるべきだ」「こうするのが当然だ」という雰囲気を感じると、反発したくなるんです。それで、わざとその大人の思惑とはまったく逆の行動をしてしまうので、そういう態度が問題視されたのではないかと思います。 ――では、村で「良い子」とされるのは、どんな子どもでしたか? 高田 大人に言われたことを素直にそのままできる子、どうしたらみんなが暮らしやすいだろうと自発的に考えて行動できる子が、「良い子」とされていた気がします。 ――高田さんのように「村で生まれた」子どもと、途中から「村に来た」子どもでは、村の捉え方に違いはありましたか? 高田 違いはあったと思います。途中から村に来た子は、一般の生活を知っているので、村と一般の違いを比較できますよね。だから、村で生まれた子より冷静に、村や親を分析していたと思います。 ――外からやってきた子に、影響されたりはしませんでしたか? 高田 外の子からの影響というより、外の子が持ち込んだ物に影響されました。人それぞれ趣味が違い、持ち込む物も違うので面白かったです。アガサ・クリスティを持ち込んでいる子に全巻借りて読んで、翻訳ミステリもいいなぁと思ったり、TOKIOのファンの子が大事にしていたスクラップブックを貸してくれたので、妙にメンバーについて詳しくなったり(笑)。自分は活字を通して影響されることが多かったです。 ――村時代、「反抗期」みたいなものはあったのでしょうか? 高田 親と一緒に暮らせなかったので、村にいたときは、反抗期らしいものはなかったと思います。高等部を卒業したときに、親と一緒に村を出ることになったんですけど、一般で暮らすのも初めてなら、親と生活するのも初めて。そのあたりで、ようやく反抗期がやってきました。毎日、家で母に口うるさく注意をされているうちに、嫌になってしまって。ほとんど口もきかず、食事も別に作って食べるようになりました。 ――それは、親だからこそ、安心してぶつけられる「本音」みたいなものでしょうか? 高田 逆に、親だとあまり認識していないからそうなってしまったと思っています。世話係さん(村では親と子が離されて暮らしているので、子供の世話や説教を担当する大人)に反発したのと同じような感覚でした。ひとつの家に大人の女性が2人いる状況に違和感があって、我慢できなかったんです。 ――高等部卒業時に「大方の予想を裏切り一般に出る」と描かれていましたが、村を出ようと決意したのはどうして? 高田 村を出る理由やそのときの葛藤は、決意する前後の話の流れもあるので、続編で詳しく描こうと思っています。続編が完成したら、また読んでいただけるとうれしいです。 ■一人暮らし、そして、結婚 ――楽しみにしています! しかし、高校卒業までの18年間をずっと村で暮らしていて、いざ「一般」に出てきたとき、戸惑いはありませんでしたか? 高田 パートの初任給で13万円ももらえたときは、本当にびっくりしました! 今までそんな大きな金額を手にしたことはなく、この金額に見合うほど自分が働いたとは思えず(笑)。うれしかったのは、一人暮らしができたことでしょうか。村にいたときは、常に大勢の人と暮らしていたので、一度でいいから一人暮らしというものをしてみたいなと思っていたんです。 ――一人暮らしは楽しめました? 高田 すごく気楽(笑)。自分が、一人でいることが好きなタイプだと知りました。逆に苦しかったことは……村のミーティングで思ったことをなんでも話す癖がついていたため、何げなく発した言葉で人を傷つけたり怒らせたりしてしまう事態が続いたことです。「どうしたら、この癖が直るんだろう?」と悩んだ時期もありました。 ――村での生活では「所有する」「自己主張する」ことが激しく制限されていたと思います。今でも、自分の考えを出すことにためらいはありますか? 高田 自己主張を制限されたような気はしていないのですが……鈍いんですかね?(笑) だから、よく叱られてたのかな……。今は思ったことをそのまま口に出すのではなく、常に言っていいことと悪いこととの区別をつけながら話すように心がけています。 ――ふさおさんとの結婚を決意した一番の理由は、どんなところでしたか? 高田 本書で描いた子ども時代は、「親子で一緒に暮らせないなんて、私は絶対に子どもは産まない」と思っていました。でも村を出て大人になって、その当時は子どもが欲しかったので、順番としてまず結婚かなと思いました。 ――「子どもを持ちたい」と気持ちが動いたのには、何か理由があるのですか? 高田 不思議ですよねー、ずっと産まないって決めていたのに。母が自分を産んだ年齢に近づき、急に産みたくなりました。 ――作品にも「ふさおさん」はたびたび登場しては、“ツッコミ役”として作品に絶妙なバランスを与えてくれていますよね。 高田 実際のふさおさんは、確固たる自分を持っている人で、他人に対してかなり辛辣で、威圧的です。ただ、私の考え方や習性をかなり理解してくれていて、私の話したいことをほかの人にもわかるような言葉に直して説明してくれるんですよ。ですので、漫画上でも、私と読者の方をつなぐ通訳をしてもらったり、私が言い難いことを代わりに話してもらったりしています。 ――今現在、ご家族(実のご両親や妹さん)とは、どんな関係を築いていますか? 高田 たまにふさおさんと一緒に実家に行って、食事をして話をして、泊まって次の日みんなで出かけて……と、たぶん一般の方々と同じような付き合いをしていますよ。妹も村を出て、一般の人のところにお嫁に行ったので、今はそんなにしょっちゅう会ってはいませんが、彼女も幸せに暮らしています。 ■一緒にいたくてもかなわない存在、それが“家族”だった ――幼少期にご両親と一緒に過ごさなかったことは、今の自分にどのような影響を与えていると思いますか? 高田 村にいたとき、家族は「たまに会える、血のつながった人たち」「同じ名字の人たち」という関係でした。だからなのか、私、人との距離感がうまくつかめないんです。仲良くなっても別れるときのことを想像してしまうので、ショックが大きくないように、人とあまり深く付き合わないようにしよう……と、つい思ってしまいます。 ――今に限らず、昔から親による虐待やネグレクトの事件は後を絶ちませんが、高田さんはこのような虐待やネグレクトについて、どのような考えをお持ちでしょうか? 高田 特定の考え方などは持っていないのですが……ただ子どもが外に立たされて凍死したニュースなどを聞くと、その子の気持ちを想像して泣きたくなります。 ――作品の中で「今でも受けた体罰や暴言は忘れないし、たびたび考え込んでしまう」とありますが、それを思い出すのはどんなときですか? そのときに抱く感情は怒りですか? それとも恐怖? 高田 思い出すのはたいてい、夜寝つけないときや暇なとき、夢に世話係さんが出てきたときなどです。怒りも恐怖も今は感じませんが、「いまだに思い出す、夢に見るってことは、自分がまだその当時の出来事にとらわれて縛られてるってことなのかなぁ。いっそ、記憶喪失になって昔のことを忘れてしまえたら、この考え込むめんどくさい性格も変わるかなぁ」と、らちの明かないことを考えています。 ――「村に戻りたいな」と考えるときはありますか?  高田 戻りたいと思ったことは、一度もありません。 ――村に限らず、“カルト”と称される集団については、どんな印象を持っていますか? 高田 何か怖いイメージ。そういった集団と一生関係を持たずに過ごせるなら、それに越したことはないと思います。 ――もし自分が村で育たなかったら……と想像することはありますか?  高田 その想像はしたことがありませんが、もし一般で今の両親の元に生まれたとしたら、きっともう少し勉強ができたんじゃないかなと思います。そして、ふさおさんと一緒になることもなかっただろうと思います。 ――生まれたときから村で育った高田さんにとって、「家族」とはどんな存在でしょうか? 高田 一緒にいたくてもかなわない存在……かな。 (取材・文=西澤千央)

ある日“イスラム過激派”になった──報道の裏にあるテロリストの素顔とは!? 『僕がイスラム戦士になってシリアで戦ったわけ』

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『僕がイスラム戦士になってシリアで戦ったわけ』』(金曜日)
 日本人ジャーナリスト・後藤健二さんがイスラム国に殺害されるショッキングな事件から、ちょうど1年が過ぎた。“イスラム過激派”。2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降、日常的に目にする単語だが、一体彼らはどんな組織で、どんな人たちなのか? 私たちは知らない。  本書『僕がイスラム戦士になってシリアで戦ったわけ』(金曜日)の著者、鵜澤佳史(27)氏は“イスラム過激派”と呼ばれる人々と寝食を共にし、戦った人物。残虐性のみ取り沙汰される彼らの素顔や、内戦地シリアでの生活など、体験談を中心にした300ページにわたるルポをしたためた。  鵜澤氏がシリアに入ったのは、13年4月のこと。当時のシリアは、チュニジアから始まり中東各国に急速に広がっていった「アラブの春」を経て、現在も続くシリア政府軍と反体制派との戦いの真っ只中だった。  自ら志願して反体制派に加わった鵜澤氏は、指導者の元でイスラム教を熱心に勉強した。イスラム教徒でないと入隊できないうえ、彼らは、人々のために戦っているのではなく彼らの信奉する神のために戦っているため、イスラム教を理解することから始めなくてはならなかった。ムスリム(イスラム教信者)たちと共に、1日5回の礼拝をこなし、ラマダン(断食月)には水の一滴も飲まない生活を送った。そんな生活の中で、鵜澤氏は自分の中にあった彼らに対する「野蛮で残虐なテロリスト」というイメージが、「仲間思いで心温かい人たち」へと変わっていたことに気付く。  それが決定的となった出来事が起こる。シリアの都市、アレッポにある刑務所を政府軍から奪う作戦の際のこと。鵜澤氏は砲弾の攻撃に遭い、脚を負傷してしまう。身動きができないまま、1人戦場に取り残された。死を覚悟したが、銃弾の飛び交う中、決死の覚悟で鵜澤氏を助けだしたのは、他でもない“イスラム過激派”の彼らだった。  先の戦闘で受けた攻撃が原因で、眼の奥に銃弾の破片が埋没していることが発覚し、手術のために日本に帰国することになった鵜澤氏。この時も「帰国後の生活が大変だろうから」と多額の金銭を渡してくれた。たった3カ月の“イスラム過激派”としての生活だったが、鵜澤氏は彼らの本当の姿を伝えたいと強く感じたという。  本書を読み進めていくと、国内で報道される“イスラム過激派”と、鵜澤氏が目の当たりにした姿が大きく異なることに驚く。本書にもあるように、彼らは決して自爆攻撃を強要することはなく、戦闘も参加したい人が参加すればいいという程度だったのだという。  シリア騒乱での死者数は11万人以上といわれ、史上最悪の混乱となっている。幸い、日本国内では“イスラム過激派”とみられる集団による事件は、まだ起きていない。  日本人には、遠い国の出来事ではあるが、現地でいったい何が起きているのか、どんな悲惨な現状が繰り広げられているかを知るきっかけになる一冊である。

ある日“イスラム過激派”になった──報道の裏にあるテロリストの素顔とは!? 『僕がイスラム戦士になってシリアで戦ったわけ』

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『僕がイスラム戦士になってシリアで戦ったわけ』』(金曜日)
 日本人ジャーナリスト・後藤健二さんがイスラム国に殺害されるショッキングな事件から、ちょうど1年が過ぎた。“イスラム過激派”。2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降、日常的に目にする単語だが、一体彼らはどんな組織で、どんな人たちなのか? 私たちは知らない。  本書『僕がイスラム戦士になってシリアで戦ったわけ』(金曜日)の著者、鵜澤佳史(27)氏は“イスラム過激派”と呼ばれる人々と寝食を共にし、戦った人物。残虐性のみ取り沙汰される彼らの素顔や、内戦地シリアでの生活など、体験談を中心にした300ページにわたるルポをしたためた。  鵜澤氏がシリアに入ったのは、13年4月のこと。当時のシリアは、チュニジアから始まり中東各国に急速に広がっていった「アラブの春」を経て、現在も続くシリア政府軍と反体制派との戦いの真っ只中だった。  自ら志願して反体制派に加わった鵜澤氏は、指導者の元でイスラム教を熱心に勉強した。イスラム教徒でないと入隊できないうえ、彼らは、人々のために戦っているのではなく彼らの信奉する神のために戦っているため、イスラム教を理解することから始めなくてはならなかった。ムスリム(イスラム教信者)たちと共に、1日5回の礼拝をこなし、ラマダン(断食月)には水の一滴も飲まない生活を送った。そんな生活の中で、鵜澤氏は自分の中にあった彼らに対する「野蛮で残虐なテロリスト」というイメージが、「仲間思いで心温かい人たち」へと変わっていたことに気付く。  それが決定的となった出来事が起こる。シリアの都市、アレッポにある刑務所を政府軍から奪う作戦の際のこと。鵜澤氏は砲弾の攻撃に遭い、脚を負傷してしまう。身動きができないまま、1人戦場に取り残された。死を覚悟したが、銃弾の飛び交う中、決死の覚悟で鵜澤氏を助けだしたのは、他でもない“イスラム過激派”の彼らだった。  先の戦闘で受けた攻撃が原因で、眼の奥に銃弾の破片が埋没していることが発覚し、手術のために日本に帰国することになった鵜澤氏。この時も「帰国後の生活が大変だろうから」と多額の金銭を渡してくれた。たった3カ月の“イスラム過激派”としての生活だったが、鵜澤氏は彼らの本当の姿を伝えたいと強く感じたという。  本書を読み進めていくと、国内で報道される“イスラム過激派”と、鵜澤氏が目の当たりにした姿が大きく異なることに驚く。本書にもあるように、彼らは決して自爆攻撃を強要することはなく、戦闘も参加したい人が参加すればいいという程度だったのだという。  シリア騒乱での死者数は11万人以上といわれ、史上最悪の混乱となっている。幸い、日本国内では“イスラム過激派”とみられる集団による事件は、まだ起きていない。  日本人には、遠い国の出来事ではあるが、現地でいったい何が起きているのか、どんな悲惨な現状が繰り広げられているかを知るきっかけになる一冊である。

“風俗の墓場”は勝手なイメージ!? デブ・ブス・ババア専門「デッドボール」に見る、激安風俗店の意外な可能性とは

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坂爪真吾氏
「レベルの低さ日本一」を掲げるデリヘル、デッドボールをご存じだろうか? 風俗で働く女性たちのルックスが上がっている時代に、「デブ・ブス・ババア」を在籍させた「危険球いっぱい」な同店は、その奇抜なコンセプトで風俗好きには有名な店舗だ。  そんなデッドボールをはじめ、激安風俗店、熟女専門店、母乳専門店など、異端すぎる風俗店の実態を取り上げたのが、『性風俗のいびつな現場』(ちくま新書)。著者の坂爪真吾氏は、一般社団法人ホワイトハンズの代表として、現代の性問題の解決に取り組んできた人物であり、本書はただの「風俗ルポ」には終わらない。“風俗の墓場”といわれるような激安風俗店の背景に、坂爪は「風俗と福祉」という可能性を見いだし、風俗で働くための生活相談会「風テラス」を開催しているのだ。  いったいどうして、男性の欲求を満たす風俗産業と、福祉とがつながるのだろうか? そこには、坂爪氏の風俗産業への「愛情」ともいえるまなざしが見えてくる。 ――本書では、危険球専門店「デッドボール」を中心に、30分3,900円という「サンキューグループ」などの激安風俗店、熟女専門店「おかあさん」や母乳専門店の姿など、風俗の中でも異質なジャンルの店舗を取り上げ、その実態をつづっています。なぜ、このような店舗に焦点を当てようと考えたのでしょうか? 坂爪真吾(以下、坂爪) そもそもは、デッドボールとの出会いがきっかけでした。ホワイトハンズで発行している専門誌で、デッドボールの総監督(店長)が執筆した『なぜ「地雷専門店」は成功したのか?』(東邦出版)という本を批判したんです。すると、それを読んだ総監督から「一度現場をじっくりと観察してほしい」と、Twitterでリプライが送られてきた。そこで、実際にデッドボールに足を運び、総監督や働く女性たちから話を聞いていくうちに、さまざまな問題が見えてきたんです。 ――坂爪さんは、どのような点を批判されていたんでしょうか? 坂爪 もともと僕は「どうしたら性風俗で働く女性たちが幸せになれるのか?」というテーマで活動してきました。しかし、デッドボールのキャッチフレーズは「デブ・ブス・ババア」の危険球専門店。お店で働く女性たちを貶めているのではないかと感じていたんです。しかし、現場を見ると、専属のメイクさんがいて、女性たちは無料でメイクをしてもらえる。看板通り「デブ・ブス・ババア」を突き詰めるなら、メイクなどのケアは必要ないはずですよね。店が対外的に訴えていることと、実際に起こっていることには大きなギャップがあったんです。 ――本書にも、女性に「デッドボールが一番いいと思ってほしい」という総監督の言葉が引用されており、女性たちに対する意外なほどの思いやりを感じます。では、「デブ・ブス・ババア」と呼ばれる女性たちは、実際はどのような人々だったのでしょうか? 坂爪 ほかの風俗に比べると、激安風俗で働くのは、複合的な困難を抱えた女性が多いですね……。 ――というのは? 坂爪 生活保護を受けていたり、知的障害や精神障害などの疾患、虐待、DVといった体験のある人が多く働いているんです。けれども、彼女たちには、ほかに行き場がないため、自ら進んで激安風俗の門を叩いています。だから、風俗の世界から引き剥がしたとしても、すぐに戻ってしまうんです。 ――激安風俗は、男性が安く女性と遊べる場所というだけでなく、貧困、障害、暴力など、女性を取り巻く問題が詰まっている場所でもある、と。坂爪さんは、激安風俗を追う過程で、「デッドボール」や熟女専門店「おかあさん」などの激安風俗店待機所で生活相談会「風テラス」を行うようになりました。 坂爪 彼女たちが抱えた問題も、福祉という視点があれば、多少は解きほぐせるのではないか。そのため、ソーシャルワーカーや、弁護士、精神保健福祉士などとともに、相談会を開催したんです。実は、今まで、風俗に対して「ソーシャルワーク」という視点から取り組む人はほとんどいなかった。風俗にはどうしても「女性を搾取している」というイメージがつきまとっており、支援という発想が結びつきにくい世界だったんです。 ――実際、「風テラス」では、どのような相談が寄せられるのでしょうか? 坂爪 家族との問題や、お金の問題、精神疾患についての相談などが多いですね。そういう意味では、普通の生活相談とあまり変わりありません。これまで、3カ月にわたって月1回ペースで行っており、20人ほどの相談を受けました。激安風俗で働く女性の多くは、複数の問題を抱えています。ひとつひとつ解きほぐさなければならないため、まだ目に見える効果はありませんが、継続的な支援が必要だと感じていますね。 ――前例のないプロジェクトですが、「風テラス」の活動に対して批判はないのでしょうか? 坂爪 「風俗に入ってから支援しても手遅れではないか?」「風俗に入る前にすくい上げなきゃ意味がない」という意見がありました。でも、そこには、風俗に入ったら「終わり」であり、別世界に行ってしまったという偏見が働いていますよね。 ――風俗を特殊な目線で眺めないから、デリヘルの待機所を支援相談の場所として捉えることができるんですね。ただ、お店側としては、そういった支援によって、女性に辞められてしまうリスクもあるのではないでしょうか? 坂爪 「風テラス」によって辞める人の数よりも、「風テラス」があるから安心して入店してくる女性の数のほうが多いんです。だから、店側のデメリットにはなりません。ソーシャルワーク側としては、困っている人を把握し、支援を届けられるというメリットがあり、店側には女性を求人するための宣伝効果になる。特に、デリヘルの中には、闇社会と結びついたイメージを断ち切りたいと思っている経営者も多いので、ニーズはあります。 ――この活動によって、坂爪さんは何を目指しているのでしょうか? 坂爪 風俗とソーシャルワークを結びつけることで、デリヘルの待機所を貧困問題と戦う最前線の場所にしたいと考えています。それができれば、世の中に、風俗の社会的な意義を理解してもらえるし、風俗に対する差別や偏見も緩和できるのではないでしょうか。確かに、性風俗は女性を搾取する悪かもしれません。けれども、上から批判したり、非難したりしても、現状は変わらないんです。善悪の判断は一旦置いておいて、グレーのままに連携をすることが、彼女たちを支援する鍵だと思います。 ――ただ、本書に書かれているような激安風俗で働く女性の裏側は、風俗で遊ぶ男性側としてはあまり知りたくないものですが……。 坂爪 男性としても、自分が利用しているお店の女性が、どういう背景や事情を抱えているのか考えて利用してほしいですね。遊んで、すっきりしておしまいではなく、こういう背景の人がいるから利用できていることを知ってほしい。もちろん、そんな背景を知ると萎えるという人もいるかもしれませんが……そこは頑張ってください(笑)。男性側にも、性産業を「守る」とは言わないまでも、理解して支えるという姿勢があってもいいのではないかと思います。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●さかつめ・しんご 1981年新潟市生まれ。東京大学文学部卒。在学中に、歌舞伎町の性風俗産業の研究を行う過程で、性風俗産業の問題を知る。卒業後、性に関するサービスを「関わった人全員が、もれなく幸せになる」ものにする=「性産業の社会化」をテーマに起業。2008年、「障害者の性」問題を解決するための非営利組織・ホワイトハンズを設立。 <http://www.whitehands.jp/>

一瞬の判断ミスが命取りに! 第一線の新聞記者が明かす、危険地帯の取材裏『戦場記者』

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『戦場記者 「危険地取材」サバイバル秘話』(朝日新書)
 約1年前の1月30日。イスラム国(IS)に拘束され、殺害予告を受けたジャーナリスト後藤健二さんの“その時”が近づき、日本中の人々がその行方をかたずをのんで見守っていた。  同日午前0時40分。朝日新聞東京本社に、外務省幹部から極めて異例ともいえる一本の電話が入った。 「シリアに、おたくのイスタンブール支局長が入っていますね。とても危険なんです。大臣の指示です。即刻出国してください」 「具体的に脅威が高まっているという情報があるのなら、教えてほしい」 「2人が誘拐されている。3人目を出したくはないんですよ。3人目の拘束者が出たら、どうするおつもりなんですか。3人目の邦人保護なんてできませんよ」  緊迫したやりとりを行ったのは、朝日新聞国際報道部長であり、『戦場記者 「危険地取材」サバイバル秘話』(朝日新書)の著者の石合力氏。およそ20年もの海外取材経験を持つベテラン記者で、2011年に中東特派員として派遣されたときには、“アラブの春”と重なり、エジプトやリビアで政権崩壊にも立ち会った。上記の外務省幹部とのやりとりの返事に、自身の経験から相当高い確率で安全を確保しながら取材できる地域がある、と考え「安全に最大限注意した上で、取材を続ける」と返答した。すると、ほかの新聞や週刊誌からは、シリアで取材を続ける朝日新聞に疑問を投げかけるような記事が出た。  外務省の邦人保護関係者の間に「冒険ダン吉」という言葉がある。それは戦前の人気漫画のタイトルで、南の島の王となった勇気ある少年ダン吉が、機転を利かせてさまざまな敵に打ち勝っていくという内容だ。「危険を顧みず、現場に飛び込むジャーナリスト」の隠語として使われているという。  そんな“ダン吉”とまでいかなくとも、危険地で取材している記者たちが、一体どうやって安全を確保し、取材しているのか? 本書では、爆弾テロが発生したらどのタイミングで近づくのか、どんな場所に宿泊するのか、催涙弾を受けたらどうするのか、危機や紛争に記者とともに現場に飛び込む“戦場運転手”の存在など、危険地取材の舞台裏が、石合氏の身に起きた実際の体験をもとに短いエッセー形式でつづられている。また、戦地で携帯は使えるのか、一日の滞在費用の相場など、一般人の素朴な疑問に対して、戦場の常識があまりにもぶっ飛んでいて、安全を確保することがどれだけ大変なのかを痛感させられる。場所はエジプト、シリア、レバノン、イラク、パレスチナ自治区など、日本人にはあまりなじみのない中東での経験がベースとなっているので、読んでいるうちに、中東情勢が難解ながらも少しずつわかってくる。  危険地に行かないから関係ない――。このご時世、なかなかそうも言っていられない。フランス・パリで起きた同時多発テロのように、いつ先進国の観光地がテロの現場となり、自分たちの身に危険が降りかかってくるかわからない。まして、4年後には東京オリンピックが開催されるのだ。今こそ、サバイバルスキルを上げておくべき、なのかもしれない。 (文=上浦未来) ●いしあい・つとむ 1964年、大阪市生まれ。朝日新聞国際報道部長。88年入社。カイロ、ワシントン両特派員、政治部次長、国際報道部次長、GLOBE副編集長、中東アフリカ総局長などを歴任。フセイン政権下のイラクや“アラブの春”に揺れる中東、アフリカ各国を現地取材。2013年6月から現職。同志社大学一神教学際研究センター共同研究員。

「ああ、美しい思い出が……」『東京ラブストーリー』連載化に見る“中高年ビジネス”の可能性

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『東京ラブストーリー (1) (小学館文庫)』(紫門ふみ/小学館)
 先日「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)に掲載された25年後の『東京ラブストーリー』が、好評を受け連載化が検討されていることがわかった。 『東京ラブストーリー』は、柴門ふみによって1988年から同誌で連載され、91年にフジテレビ系でドラマ化。主人公のカンチ役を織田裕二、恋人役のリカを鈴木保奈美が演じた。「ねえ、セックスしよ!」の大胆なフレーズも流行語となった。  舞台は、バブル真っ盛りの東京の広告代理店だ。結論からいえば、恋人同士であった2人は結婚しない。カンチは別の人間と結婚、リカはシングルマザーとなる。その後、思わぬ縁から25年ぶりの再会を果たすというのが、読み切りのストーリーだった。 「25年後のカンチは、民間人として学校の教頭先生となり単身赴任中。リカは、シングルマザーを続けつつ、ロハス的な農業に従事しています。この設定は、賛否両論といった感じですね。特に“自由人”だったリカが、収入よりも生きがい重視の農業で生活しているのは納得という人もいれば、都合がよすぎるという人もいますね」(雑誌編集者)  続編の連載化には、作者である柴門も乗り気なようだ。『東京ラブストーリー』だけでなく、『あすなろ白書』や『Age,35』など、彼女の作品は90年代に数多くドラマ化されている。いずれも、特定の年代、世代を描いたものであり、その後の展開が気になる読者も多いだろう。 「いまや雑誌文化は風前の灯火。若い人を狙うより、中高年の読者を“懐かし”のキーワードで取り込む方が効果的といえるでしょう。昨年の紅白で、マッチと聖子ちゃんが大トリを務めたのは示唆的です。やっぱり中高年は、若い人よりはお金も持っていますし趣味にお金をかけてくれますからね」(同) 「東京ラブストーリー」の登場人物と同世代の人間たちは、80年代に大学生活を送り、就職後の20代はバブル真っ盛りである。さすがに“勝ち逃げ”とはいかないまでも、恵まれた世代であり、経済的余裕もある。  そのため、高額なCD-BOXや何万円もするディナーショーチケットなど、彼らの“財布”をターゲットにしたようなビジネスが数多く存在する。懐かし漫画の復活も、そのひとつかもしれない。  だが、今回のリバイバルが賛否両論であったように、美しい思い出のままでとどまっていたほうがいいものがあることも確かだろう。 (文=平田宏利)

「ああ、美しい思い出が……」『東京ラブストーリー』連載化に見る“中高年ビジネス”の可能性

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『東京ラブストーリー (1) (小学館文庫)』(紫門ふみ/小学館)
 先日「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)に掲載された25年後の『東京ラブストーリー』が、好評を受け連載化が検討されていることがわかった。 『東京ラブストーリー』は、柴門ふみによって1988年から同誌で連載され、91年にフジテレビ系でドラマ化。主人公のカンチ役を織田裕二、恋人役のリカを鈴木保奈美が演じた。「ねえ、セックスしよ!」の大胆なフレーズも流行語となった。  舞台は、バブル真っ盛りの東京の広告代理店だ。結論からいえば、恋人同士であった2人は結婚しない。カンチは別の人間と結婚、リカはシングルマザーとなる。その後、思わぬ縁から25年ぶりの再会を果たすというのが、読み切りのストーリーだった。 「25年後のカンチは、民間人として学校の教頭先生となり単身赴任中。リカは、シングルマザーを続けつつ、ロハス的な農業に従事しています。この設定は、賛否両論といった感じですね。特に“自由人”だったリカが、収入よりも生きがい重視の農業で生活しているのは納得という人もいれば、都合がよすぎるという人もいますね」(雑誌編集者)  続編の連載化には、作者である柴門も乗り気なようだ。『東京ラブストーリー』だけでなく、『あすなろ白書』や『Age,35』など、彼女の作品は90年代に数多くドラマ化されている。いずれも、特定の年代、世代を描いたものであり、その後の展開が気になる読者も多いだろう。 「いまや雑誌文化は風前の灯火。若い人を狙うより、中高年の読者を“懐かし”のキーワードで取り込む方が効果的といえるでしょう。昨年の紅白で、マッチと聖子ちゃんが大トリを務めたのは示唆的です。やっぱり中高年は、若い人よりはお金も持っていますし趣味にお金をかけてくれますからね」(同) 「東京ラブストーリー」の登場人物と同世代の人間たちは、80年代に大学生活を送り、就職後の20代はバブル真っ盛りである。さすがに“勝ち逃げ”とはいかないまでも、恵まれた世代であり、経済的余裕もある。  そのため、高額なCD-BOXや何万円もするディナーショーチケットなど、彼らの“財布”をターゲットにしたようなビジネスが数多く存在する。懐かし漫画の復活も、そのひとつかもしれない。  だが、今回のリバイバルが賛否両論であったように、美しい思い出のままでとどまっていたほうがいいものがあることも確かだろう。 (文=平田宏利)

キムタク・浜崎あゆみコラボに捏造記事……名物ファッション誌「Free&Easy」休刊に見る出版不況の“深刻度”

freeeasy
「Free&Easy 2016年 03 月号」(イースト・コミュニケーションズ)
 ラギッドファッションなど、中高年を中心にライフスタイルを提唱してきた雑誌「Free&Easy」(イースト・コミュニケーションズ)が、現在発売中の3月号で休刊することが明らかになった。  同誌は1998年9月に創刊。男性ファッションやライフスタイルをメインテーマにさまざまな特集企画に取り組み、中高年の物欲を刺激し続けてきた。雑誌の世界観をリアルな店舗に表現したショップ「ラギッドミュージアム」を東京と大阪で展開するなど、新たな試みも行ってきたが、こちらもすでに閉店することが発表されている。 「同誌が提唱するラギッドファッションとは、アメカジやアイビーをベースに無骨なヴィンテージテイストなどを打ち出したものですが、一つひとつのアイテムが非常に高価。中高年ファッションの一潮流として、雑誌『LEON』(主婦と生活社)のようなイタリアンファッションがありますが、これに負けず劣らずカネがかかる。しかし、昨今は不景気もあって、高価な洋服が売れない時代。最近のファッション誌の主流は、H&MやZARAなどのプチプラブランドを取り入れて、いかにオシャレに見せるかというもの。そうした時代の流れに、雑誌が合わなくなってきたのでしょう。加えて、広告出稿の激減も原因のひとつだと思います。雑誌に広告を出しても売り上げにつながらないことが、各ブランドともわかっていますから。今は出版不況というだけでなく、特にファッション誌にとって“冬の時代”なのです」(ファッション誌編集者)  同誌の編集長の小野里稔氏は出版畑ではなく、テレビ業界の出身。それだけに出版界の既成概念にとらわれない誌面作りで話題を集めたこともある。 「同誌の全盛期は2000年代初頭で、当時は大人の男性ファッション誌にジャニーズのタレントを起用することは珍しかった時代なのですが、木村拓哉を大々的にフィーチャーしたり、浜崎あゆみとコラボして別冊を作ったりするなど、出版界の人間では思いつかないアイデアを発揮していたのが小野里氏です。もともとは、テリー伊藤氏のテレビ制作会社でディレクターを務めていました。強引な演出で知られるテリー氏の愛弟子だけに、編集部も小野里編集長のワンマン体制だったと聞きます。あの不祥事も、同誌のそんな体質から起きてしまったといっていいでしょう」(同) “あの不祥事”とは、14年6月号で特集したイラストレーターの故・安西水丸氏の追悼企画において、作家の赤瀬川原平氏や角田光代氏への取材記事を捏造し、同号が自主回収された件だ。 「担当者によると、実際に取材する時間がなく、ネット上の記事を参考に捏造していたとのことですが、これも小野里編集長が強引に進めたものだといわれています。雑誌が出れば必ずバレるのに、我々のような出版業界の人間からすれば考えられない不祥事ですよね。休刊は前述した事情もありますが、この不祥事もひとつのキッカケになったのでは」(同)  一時代を築いた雑誌だけに休刊が惜しまれるが、出版不況には抗えなかったということだろう。

「STAP細胞はありま~す」小保方晴子氏『あの日』に早大生激怒も、バカ売れで本人ウハウハ状態!?

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撮影=吉田尚弘
「STAP細胞はありま~す」と、世間を騒がせた元理化学研究所・ユニットリーダーの小保方晴子氏が出した著書『あの日』(講談社)に、出身の早稲田大学理工学部の学生たちから怒りの声が上がっている。 「こっちはあの人のせいでレポートがやたら厳しくなったりしているのに、稼げるうちに金儲けですか」(理工学部3年) 「『入院して思考力と集中力が低下して、論文を書けない』とか言ってたのに、そこから3カ月もたたずに本を出版する小保方さんにはあきれますけど、これで商売する講談社はもっと不快」(同2年)  話を聞いた理工学部8名のうち7名は、不快感からその著書を手にも取っていないとしたが、ひとり2年生の女性は「参考までに読んでみた」という。 「中身に新事実があったりもせず、ほかの話でごまかしている感じでした。STAP細胞のプロジェクトがあったはずの大学の博士論文のところまでちゃんと振り返ってもいないし、とても元研究者とは思えないほど主観的で、自分のイメージ回復用という感じで余計にガッカリしました」(同)  ただ、書籍の売れ行きは良く、Amazonの売れ筋ランキングでも1位、都内の書店でも「発売から2日で17冊が売れた」という話を聞いた。本の中身は「若山照彦教授にだまされた」とする責任転嫁が半分ほどを占め、ほかはマスコミや理研内のリークへの批判などで、STAP細胞の研究自体に関することはかなり少ない。黒幕であると名指しされた若山教授の反応が気がかりなところではあるが、教授に近い人間にコメントをもらおうとしたところ「まだきちんと本を読んでいないらしいので、時間が必要」とのことだった。  また、博士号の取り消しを決めた経緯について「大学の教育方針よりも社会風潮を重視した判定」と批判された早稲田大学も、広報が「内容を見ていないので、なんとも言えません」ということだった。  関係各所は、この件に、もうあまり関わりたくなさそうな印象だった。大学関係者からも、非公式ながら「騒動が大きくなればなるほど彼女の本が売れる炎上商法で、我々はイメージダウンを被るだけで不愉快極まりない」という声があった。  本書に対して、世間からもネガティブな感想が寄せられているが、この書籍の印税は相当なものとなりそうだ。周囲の困惑がこれだけ大きくても、稼いだもん勝ちというわけか。 (文=ハイセーヤスダ)

「STAP細胞はありま~す」小保方晴子氏『あの日』に早大生激怒も、バカ売れで本人ウハウハ状態!?

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撮影=吉田尚弘
「STAP細胞はありま~す」と、世間を騒がせた元理化学研究所・ユニットリーダーの小保方晴子氏が出した著書『あの日』(講談社)に、出身の早稲田大学理工学部の学生たちから怒りの声が上がっている。 「こっちはあの人のせいでレポートがやたら厳しくなったりしているのに、稼げるうちに金儲けですか」(理工学部3年) 「『入院して思考力と集中力が低下して、論文を書けない』とか言ってたのに、そこから3カ月もたたずに本を出版する小保方さんにはあきれますけど、これで商売する講談社はもっと不快」(同2年)  話を聞いた理工学部8名のうち7名は、不快感からその著書を手にも取っていないとしたが、ひとり2年生の女性は「参考までに読んでみた」という。 「中身に新事実があったりもせず、ほかの話でごまかしている感じでした。STAP細胞のプロジェクトがあったはずの大学の博士論文のところまでちゃんと振り返ってもいないし、とても元研究者とは思えないほど主観的で、自分のイメージ回復用という感じで余計にガッカリしました」(同)  ただ、書籍の売れ行きは良く、Amazonの売れ筋ランキングでも1位、都内の書店でも「発売から2日で17冊が売れた」という話を聞いた。本の中身は「若山照彦教授にだまされた」とする責任転嫁が半分ほどを占め、ほかはマスコミや理研内のリークへの批判などで、STAP細胞の研究自体に関することはかなり少ない。黒幕であると名指しされた若山教授の反応が気がかりなところではあるが、教授に近い人間にコメントをもらおうとしたところ「まだきちんと本を読んでいないらしいので、時間が必要」とのことだった。  また、博士号の取り消しを決めた経緯について「大学の教育方針よりも社会風潮を重視した判定」と批判された早稲田大学も、広報が「内容を見ていないので、なんとも言えません」ということだった。  関係各所は、この件に、もうあまり関わりたくなさそうな印象だった。大学関係者からも、非公式ながら「騒動が大きくなればなるほど彼女の本が売れる炎上商法で、我々はイメージダウンを被るだけで不愉快極まりない」という声があった。  本書に対して、世間からもネガティブな感想が寄せられているが、この書籍の印税は相当なものとなりそうだ。周囲の困惑がこれだけ大きくても、稼いだもん勝ちというわけか。 (文=ハイセーヤスダ)