「フリーメーソン」の名前を知らない人はほとんどいないだろう。世界中に600万人のメンバーを抱える秘密結社であり、GHQのマッカーサーや日本に開国を迫ったペリーもメンバーであったといわれている。世界中にあらゆる陰謀をめぐらし、裏から社会を牛耳ってきたと、まことしやかに語られている組織だ。 だが、世界を操る秘密結社はフリーメーソンだけではない。メンバー数にして、メーソンの9倍以上、別名「チャイニーズ・フリーメーソン」と呼ばれる「洪門」という組織が存在するのをご存じだろうか? この組織のメンバーであり「國際洪門日本國総会会長」を務める鈴木勝夫の著書『秘密結社 チャイニーズ・フリーメーソン』(宝島社)に従って、この秘密結社の謎を解き明かそう。 洪門の歴史は400年前にさかのぼる。17世紀に明から清へと国が変わる頃、清に反旗を翻し、明の復興を目指す=「反清復明」の合言葉のもと、洪門は結成された。これだけならば、歴史の中に現れた革命組織のひとつにすぎない。しかし、彼らの活動は清の時代から中華民国、そして中華人民共和国になった現代まで続き、華僑の世界進出に伴ってアジア、ヨーロッパ、アメリカ大陸など世界中に5600万人ものメンバーを擁する巨大組織に拡大しているのだ。 辛亥革命を起こし、中華民国建国の父である孫文、80年代に改革開放路線を推し進めた鄧小平といった政治家、さらにはジャッキー・チェンやブルース・リーというアクションスターまでもがメンバーだったと目されている洪門。その影響力は、フリーメーソンに勝るとも劣らないもの。では、その実例を見てみよう。 2011年、アメリカで、国債のデフォルト(債務不履行)騒動が巻き起こった。毎年、債務上限引き上げは議論されており、野党は政権批判の道具として形だけの反対票を投じる。しかし、当時は下院において野党・共和党が多数を占めており、強固に引き上げ反対を主張した。実は、そのバックにはロックフェラーとロスチャイルドが控えており、このデフォルトを機に、世界経済を一からつくり直そうという勢力が暗躍していた。 そして、デフォルトが現実化すれば、最もダメージを受けるのが1兆ドルを超えるアメリカ国債を保有する中国。この資産喪失を食い止めるために、洪門は行動を開始する。その組織力を総動員し、対立していたロックフェラー、ロスチャイルドの双方と話をつけることに成功。見事デフォルトを回避し、中国のみならず世界経済を混乱から救ったのだ。この事件は報道もされておらず、にわかには信じがたいスケールの話だが、鈴木によれば「洪門の上層部では常識と化している」話だという……。 もちろん、秘密結社である洪門が行ってきたのは、合法的な活動ばかりではない。かつては革命をもくろむアウトローたちの集まりだった洪門は、イギリスから輸入されたアヘンを中国国内にばらまき、民衆の反乱である太平天国の乱にも加わっている。また、辛亥革命にも、共産革命にも、天安門事件にも洪門は深い影響を与えてきた。中国の近現代史は、洪門抜きには語ることができないのだ。 いまだ、中国ではその存在を認められていない洪門。しかし、日本の洪門組織は社団法人資格を取得し、「開かれた洪門」として、その活動を表舞台に移しつつある。日本では、世界中に広がるネットワークを生かし、東南アジアからの看護師来日支援や、公営ギャンブルシステムの輸出などのビジネスを手掛けるメンバーも数多い。中国本土でもまた、世界的なその影響力が重視され、徐々にその姿を現してきつつある。 10兆ドルのGDPを誇り、世界第2位の経済大国になった中国の影響力は強まるばかり。政治、経済などの「表」の世界だけでなく、秘密結社が跳梁跋扈する「裏」の世界でも、中国の脅威は拡大していく――。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『秘密結社 チャイニーズ・フリーメーソン』(宝島社)
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日本経済の停滞が“危険なJKビジネス”を横行させた!? 衝撃の一冊『女子高生ビジネスの内幕』
たびたびニュースに取り上げられる「JKビジネス」。相次ぐ摘発にもかかわらず、東京の繁華街では客を引く制服姿の女たちの姿が絶えることはない。とりわけ、秋葉原はそうしたビジネスの中心地として、幾たびもメディアに取り上げられている。 メディアを通じて取り上げられる「JKビジネス」は、いわば売春の温床。昨年10月には来日した国連人権理事会の特別報告者・ブーア=ブキッキオ氏が「日本の女子学生の13%が援助交際をしている」と発言し、大きな論争を巻き起こした。 しかし、何度メディアに取り上げられようとも、どういう人々が働き、利用しているのかという疑問は消えない。報道の大半は、最初からなんらかの結論ありきによって成り立っていて、余計に人々が実態を知ることを困難ならしめているのだ。 井川楊枝『女子高生ビジネスの内幕』(宝島社)は、そうした「JKビジネス」に対する素朴な疑問にことごとく応えてくれる本格的なルポルタージュだ。 当初、出版社の書誌情報に記された「知られざるJKビジネスの内幕をルポ」という言葉から感じたのは、覗き見趣味的にただれた世界を描いているのではないかというものだった。けれども井川氏はそこで働く女性たち、経営者、客にまで徹底的な取材を行った果てに「JK」に価値が見いだされる現代日本の赤裸々な姿をあぶり出していくのだ。 この一冊を上梓するまでに至る取材は、2012年から4年あまりにも及ぶという。取材当日は、かつて井川氏とさまざまな映像作品で現場を共にした仕事仲間であり、拙著『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)の解説にて、私と井川氏の見えざる絆を鋭く考察した増田俊樹氏。また、私のアシスタントとして取材先に同行したマスコミ業界就職活動中の女子大生・内藤さんも女性の視点からインタビューに参戦。それぞれの視点から寡黙な著者の問題提起をえぐり出してみた。(文=ルポライター・昼間たかし/取材=増田俊樹) ■JKビジネスとAKB48の関係性 ──丹念に取材されていますね。取材費はかなり使われたのでは? 井川楊枝(以下、井川) 2012年にたまたま秋葉原でビラ配りをする女子高生と出会って、それから興味を持ち、実話誌やらお宝系の雑誌、エロ系の雑誌とかに企画を出したら、軒並み企画が通ったんですよね。たぶん今まで20万円近くは払ってきたと思うんですけど、ほとんど編集部に経費を出してもらっているから、自分の懐はあんまり痛んでいません(笑)。それだけ「JK」というキーワードを入れると、雑誌の反響があったということなんでしょう。 ──井川さんと私(増田)が、たびたび仕事で組んだグラビア系の雑誌や映像は、セクシー系がメインでした。JKなんか当時は全然注目されていなかったですよね。 井川 ええ。05年から09年ぐらいでしたっけ。ちょうど着エロブームの頃で、私たちはどちらかというと、そういうセクシー系の子たちと仕事で関わる機会が多かったんですよね。でもいつの間にかAKB旋風が巻き起こって、セクシー系グラドルが下火になった。今は、さまざまな地域でAKB48を模倣したご当地アイドル、萌え絵を使った町興しをやってて、エロより萌えになっちゃっていますよね。 ──つまり、AKBのデビュー以降、時代がJKに変わったんですかね? 井川 そうですね。詳しい流れをいうと、まず02年くらいからメイド喫茶が誕生し始めたんですね。05年に「萌え」が流行語大賞を受賞。そんな萌えブームの上に、AKB48が誕生してメディアを席巻、そこにJKビジネスが生まれたわけで、全部つながっているんですよ。10年ぐらいからアイドル戦国時代っていわれるぐらい有象無象のアイドルが生まれましたけど、JKビジネスはそんなアイドルの成長曲線と一致しています。表の世界がアイドルなら、裏の世界がJKビジネスなわけです。メディアはJKビジネスばかり批判してるけど、両方の根っこにあるのは同じものですよ。 ──そう言えば、井川さん、AKBみたいなアイドルをプロデュースしてませんでした? 井川 はい。これもJKビジネスを取材していくうちに、どうやら「今の世の中はJKだ!」ということがわかってきて、15年に、若い子らを集め、そのまんま学生服みたいな衣装を着たユニットを作ってみたんです。でも、私自身が全然、地下アイドルも好きじゃないし、若すぎる女の子と話すのは苦手だしっていうので、うまくいかなかったですね。両者は似通ってるけど、アイドルビジネスはJKビジネスよりも大変だし、儲からないこともわかりました(笑)。 ──でもなんで、セクシーよりもAKBになっちゃったんでしょう? 井川 それだけ、今の男たちが草食化していて、リアルで重たいものを受け入れられなくなってるんじゃないでしょうか。90年代半ば以降も、JKの援交ブームがあったけど、そのときのJKってリアルな女の子だったと思うんですよ。当時はアムラーとかコギャルが流行ってましたよね。でも、今のJKビジネスの女の子たちって、「萌え」っていうパッケージに包まれてて、メイドさんのような2.5次元的な存在で、ある種の男の理想を具現化したようなものとして売られているんです。大人の女を相手にするのは疲れるけど、アニメのヒロインみたいな無垢な感じの子を相手にするのは癒される。別にこれはオタクだけに限った話じゃなくて、全国の刑務所でもAKB総選挙の話題で盛り上がっているらしいから、日本全国、総「萌え」化ですよ。 ──そうリアルにおっしゃる井川さんはロリコンなんでしょうか? 井川 いえいえ(笑)。ただ、ここはよく勘違いされている方が多いんで言っておきますと、医学的に言えば、小児愛好家は13歳以下の少女に性欲を覚える人たちのことなんです。日本では女性の婚姻年齢が16歳からとなっていますし、JK店に通う客が医学的に問題のある人たちかというと、必ずしもそうではない。性的にノーマルな人だって、ひょっとしたらJKに惚れることだってあるかもしれない。でも、日本の法律は18歳未満が児童と定められていることもあり、社会的・法的な観点からいえば、JKとは一線を越えた関係を結んじゃいけないんです。取材していて驚いたのは、そういう法的なリスクを考えず、JKと一線越えようという客が多かったことですよね。それだけ日本が病んでいるという証拠だと思いますよ。 ■JKビジネスで働く女の子、そして集まる客たち ──まず、JKビジネスで働いている女性の大半は本当にJKなんですか? 井川 13年のリフレ摘発やお散歩補導まではリアルなJKでしたね。でもそれ以降は規制が進んで、今は18歳未満は、JKリフレやお散歩などの仕事に就いてはいけないと定められています。それに、たとえ18歳以上であっても、高校に通っていたらダメ。だから、JKリフレやJKお散歩で働く女の子たちは、18歳以上の高校に通っていない女の子たちです。秋葉原には今もたくさんJKリフレ店がありますけど、そこで働く女の子たちはリアルJKではありません。言ってみれば、メイドみたいなJKコスプレですよ。 ──じゃあ、もうJKはいない? 井川 いえ。今はその法を潜り抜けるように、都内ですと、JKカフェやJK占い、JKコミュ(=コミュニケーションの略)のような店が流行っていて、そこでは18歳未満のリアルなJKがたくさん働いています。これらの店はリフレのような肉体的接触がなくて、お話だけという体ですね。その形態の店だったら、まだ法には触れないので。ただ、池袋や新宿辺りにある悪質なJKコミュなどの場合、トークスペースをカーテンで仕切って外から見えないようにしており、その中で裏オプ(裏オプション)が蔓延しています。女の子に取材したら「手コキ1万、フェラ2万、本番3万で、一日20万稼ぐ。店の大半の子が手を染めている」って言ってましたね。 ──そこで働いている女の子はどういう子たちなんですか? 井川 見た目は黒髪で清楚で、さらに言えばセミロングの前髪パッツンみたいな、今のアイドルと同じような感じが主流なんですけど、だいたい社会的にはドロップアウトしていますね。高校を中退していたり、高校に通っていても通信高校だったり。あとは、親がシングルだったり、家庭が崩壊している子が多い印象は受けました。今、日本は一人親家庭の貧困率が50%を越えていて、世界最悪の水準になっています。JKビジネスに女の子が絶えず集まってくるのは、そういう社会的背景が大いに関係していると思われます。 ──貧困がJKビジネスへの引き金になっていると。 井川 ただ結局、ジャニーズのライブに月何十万も使ったり、バンドの追っかけなんかやっていたり、ホストクラブも18歳未満では行けないはずなんですけど、知り合いの保険証を借りて入店して、お気に入りのホストにつぎ込んでしまったりとか、散財している子が多かった。やっぱり、学校にもろくに行っていないから、将来の職業選択の幅も狭まっちゃうでしょ? それで教師になるとか商社に勤めるとかいうごく普通の将来の夢が見つけられず、せっかく稼いだ金を無意味に使うんですよ。ごくまれに目的意識の高い子もいて、専門学校に行きたいからとのことで、その学費とかを貯めている子もいましたけど。 ──ちなみに、オタク女子率は高いんですか? 井川 多いですね。JKビジネスの大半は萌え系のサイトで募集をかけているから、萌えとか二次元の世界にハマっている子が、そういうところにたどり着いて、よく応募するようですね。客の男とはオタク話で盛り上がったりするみたいです。 ──客層の傾向は? 井川 年齢は30代から40代ですね。夜になると賑わいが増すので、会社帰りのサラリーマンの利用が多いんですけど、歌舞伎町や六本木のキャバクラとかで遊んでいる客層よりは、おおむねお金を持っていないです。仕事はプログラマーとかSEとかのIT系が多い印象です。そこそこ稼いでいても寂しさを抱えていて、一般社会では満たされていない男性が多いと思いますね。 ──お客さんには、どうやって取材したんですか? 井川 店の前を張って、初めての客を装い、「ここの店入ろうと思うんですけど、どんな感じでした? お勧めの子は?」とか聞いて、一緒に喫茶店に入ったりして話を聞いたりしました。取材って伝えるとものすごく嫌がられたので、身分を隠しつつ(苦笑)。 ──取材後に情報を得るなり、継続した本人取材なんかは続けているんですか? 井川 女の子に対しても客に対しても、ほとんど身分を明かさない潜入取材を試みているんです。なので、そこで知り合った取材対象者とは連絡先を交換することは、ほとんどありません。ですが、今回の書籍を書く上で何人かには身分を明かして取材していて、その人たちとは連絡を取り合っているから、今でも常に新しい情報は入ってきていますね。この店は過激に突っ走っているとか、これはヤバいなあとか。『女子高生の裏社会』(光文社新書)の著者・仁藤夢乃さんは、性的被害に遭っている女の子たちと助けようと社会運動もされている方ですけど、私は女の子を保護したり、警察に通報したり、店に注意を促したりなんてことはしません。ただのルポライターなんで、SNSで情報発信したり、雑誌に書くまでが仕事と割り切っています。私の情報を参考にしていただいた上で、JKビジネス関係者なりが対応したり、警察なりNPO団体なりが動いてくれればいいですよね。 ──JKビジネスの動向は刻一刻と変化していますが、その報道についてどう思われますか? 井川 とんちんかんな報道が多いですよね。今でも秋葉原がJKビジネスのメッカみたいな感じで報道されることは多いんですけど、先に言ったように今の秋葉原の大半は、18歳以上のJKコスプレです。東京オリンピックが間近に迫っているのに、都内随一の観光スポットである秋葉原にJK店が乱立していたら見栄えが悪いということなんでしょうけど、実態としては、秋葉原よりも問題なのが新宿や池袋のJKコミュ、それに池袋の某お散歩店。そこは裏オプが蔓延しているので。秋葉原にもアンダー(18歳未満)が働くJKカフェはあるけど、そこはせいぜいお茶を飲んだりオセロをするぐらいですからね。JKビジネスが騒がれたことで、ただの秋葉原のメイドすらも白い目で見られるようになっていて、ちょっとかわいそうだなあと思ったりもしますよ。 ──本書は日本経済の停滞が、危険なJKビジネスを横行させてしまったという井川さんからの問題提起ですよね? 井川 そうですね。今の日本の閉塞感もあって、働く少女、買う客、経営者と、三者三様に、この日の当たらない世界に寄り集まってきています。JKビジネスの経営者は若い人が多いんですけど、まともに働いても給料も上がらないし、企業に搾取されるだけ。そんな冴えない人生を歩むぐらいなら、JKビジネスで一発当てよう。仮にパクられても労働基準法違反で30万程度の罰金で済む……って考えて、経営者は何度パクられても店を立ち上げるんですよ。取材していて経営者の名前を聞いてみたら「この店って、あのパクられた店長の店だったんだ」ってことは、よくあります。今、JKビジネス界隈には、慶応とか早稲田とかの高学歴の経営者グループがあって、そこがかなりイケイケで、法スレスレで突っ走ったりもしているんですよ。本来だったらそれだけの大学出てたら、大手企業に就職しようって考えるでしょ? でも、今はそういう道に夢が持てなくなっているんでしょうね。実は、私自身も早稲田大学を卒業した後、コンピュータ会社に就職してSEになったんですけど、過酷な仕事に音を上げて、こんな人生は嫌だって思い、ホストクラブ関連やアダルトビデオ、着エロ系グラビアとか、ダークな仕事をやってきたんです。だから、経営者の気持ちもすごくよくわかるというか、ひょっとしたら自分も彼らと同じことやっていたかもしれないと思っちゃうんです。貧困が蔓延している今、JKビジネスは決して私らと隔たれた世界にあるわけじゃなくて、すぐ間近に横たわっているんですよ。自分の娘が小遣い稼ぎに働いちゃうかもしれないし、友人が満たされない思いを抱えつつ客で通っているかもしれないし、ある日、自分がそういう店を立ち上げることになるかもしれないんです。これは日本社会全体の問題なんですよ。『女子高生ビジネスの内幕』(宝島社)
「やりすぎ横暴演出」が愛しい『美味しんぼ』連載終了!? 一方「終われない」人気作の惨状は……
人気料理マンガ『美味しんぼ』(小学館)の連載再開が決定し、それと同時に連載終了になることが明らかとなった。原作者の雁屋哲氏によれば、「今までの登場人物総出演で、美味しい食べ物の話でどんちゃんどんちゃん楽しく騒いで大団円。そう考えています」と最終回の構想を語っている。 「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で1983年の連載開始から30年以上、単行本は111巻を数える。連載中期以降は国際問題などにも料理を通して切り込み「左翼色が強い」という批判もあったが、ファンからすれば数ある名エピソードの思い出のほうが強いはずだ。 「トンカツ慕情」を筆頭に初期の人情話や市井の人々にスポットを当てた「神回」はもちろん、主人公である山岡士郎と父・海原雄山との「究極・至高の料理対決」、山岡とヒロインである栗田ゆう子の結婚までのエピソードなど、単純にマンガ作品としても評価が高かった同作。しかし、往年のファンからすればイチイチ大げさで「やりすぎ」な演出ネタこそが、このマンガの真骨頂という認識ではないだろうか。 特に山岡の父、海原雄山のぶっ飛んだエピソードは枚挙に暇がない。古きよき料理を愛する海原は、ハンバーガーなどファストフードが嫌いで「(ハンバーガーを食べて)手が汚れてしまった!」と激怒したり、評判のカレー店に行って「じゃあ本当のカレーとはなんだ」と店主に難癖をつけるなどやりたい放題。車が渋滞していると「馬鹿どもに車を与えるな」と八つ当たり。当代一の美食家で芸術家ではあるが、特に初期はかなり横暴な人物だった。最も有名なセリフは「このあらいを作ったのは誰だあっ!!」か。しかし、基本的に息子である山岡を厳しくも温かく見守るツンデレな面もある。 他にも、栗田ゆう子が美味しいヒラメを食べた時に出た名言「シャッキリポン」や、山岡が生きる気力をなくしたうつ病患者に「死ねよ」と突き放したり……(もちろん意図があって)。なんともやりすぎな演出が多く印象に残っている。 しかし連載25年目、長くあった「父と子の戦争」が終わり、山岡と海原が和解し休載になると、ファンの間でも「そろそろ終わりか」という声がささやかれ始めた。親子の意地の張り合いがこのマンガの根幹だっただけに、そう考えるのは極めて自然だ。 さらに2009年の連載再開後、福島原発に関する「鼻血」の描写で世間からバッシングを喰らい、またも連載休止。その後、現在にいたる。 そろそろネタ切れになるのも仕方がないし、雁屋氏も「30年は長すぎた」と語っている。まさに“潮時”を迎えたということだろう。作品にとっても制作陣にとってもその選択は正しいように思える。 逆に、同じく単行本が100巻以上となる「少年マガジン」(講談社)連載のボクシング巨編『はじめの一歩』などは、連載から20年以上が経った今でも、主人公の一歩が25戦23勝(23KO)2敗という成績でいまだ世界戦に挑めないという非現実的な状況が続いている。人気作だけに編集部としても長引かせたいのはわかるが、さすがにもう限界ではないのか。そういう意味では『美味しんぼ』は悪くないタイミングに終了するといえるのではないか。『一歩』作者の森川ジョージ氏も羨ましがっていたりして。『美味しんぼ 111 (ビッグコミックス) 』(小学館)
「ちょっと失礼します!」馬上で出産!? バカでマヌケな人々が世間を賑わす『100年前の三面記事』
1986年から続くTBSのラジオ番組『大沢悠里のゆうゆうワイド』。今年の4月に約30年の歴史に幕を閉じることがアナウンスされ、業界内外から惜しむ声が多くあがった。 同番組内のコーナー「100年前の三面記事特集!」が人気を博し、2011年から14年放送分を元に一冊にまとめたのが本書『100年前の三面記事』(KADOKAWA)である。 今から100年前というと明治後期から大正時代。まるで落語のような話題を明治中期、明治後期、明治末期~大正~昭和初期と3編にわけて本書は紹介。 スタートを飾る記事は、明治12年11月20日の東京日日新聞に掲載された『馬上で出産した妊婦』の話題。記事によれば、臨月の妊婦を迎えの馬に乗せたところ、その移動中に陣痛が始まってしまった。妊婦は、慌てる周囲に「騒ぎなさるな! ちょっと失礼します!」と一喝し、馬に乗ったまま尻を突き出して、無事出産したという。 また、明治34年4月23日の朝日新聞では、秋田県に赴任した武田千代三郎知事が、「県庁の職員が何を言っているかさっぱりわからない」と訛りを矯正させたという記事がある。明治に入り、文明開化といっても秋田をはじめとする東北と東京では、まだまだ隔たりがあったのだ。秋田県庁に勤める人々の多くは、農家出身で「ズーズー弁」を使っていた。武田知事は、ズーズー弁を矯正させるために、何人かの職員を連れて幾度となく上京し、彼らをあえて東京にほったらかしにしたという。 知事の努力は実り、やがて県庁内で「洋行会」という集団が結成され、積極的に新しい文化に触れていくようになった。 現在、大相撲を白鵬など外国人力士が席巻しているが、それに先立ち国技館に出たいと一大決心をして日本へやってきたドイツ人力士がかつていた。大正2年12月5日東京・朝日新聞の記事によれば、そのドイツ人は身長180cm体重98kgと恵まれた体型で、親方からも将来有望と期待されていたが、ある日を境に姿を消してしまったそう。のちにわかったその理由は「ちゃんこ鍋が苦手だったから」。 ほか、137本の話題を収録。実際に大沢悠里が番組内で発した「人情だねえ」「大したもんだ」など暖かみのあるコメントを、イラスト付きで掲載。 大沢もあとがきで語っているが、100年前とはいっても自分の祖父や両親たちが生きていたかもしれない時代。陰鬱な事件ばかりの昨今より、バカバカしくてマヌケな話題が世間を賑わせた100年前に、豊かさを感じずにはいられない。『100年前の三面記事』(KADOKAWA)
「もう、カラダを売っても生きられない」“熟女”風俗嬢の売春格差 『熟年売春 アラフォー女子の貧困の現実』
風俗業界では26歳から上を熟女とし、60歳越えを超熟女、超熟と呼んで分け、熟女好きや一部の客に向けて売り出している。 本書『熟年売春 アラフォー女子の貧困の現実』(ミリオン出版)は、その熟女~超熟の層にいる風俗嬢のリアルな実態に迫った191ページにわたるルポである。 著者である中村淳彦は、これまで性産業に切り込んだ数多くの著書で知られる人物。本書は、中村に「お惣菜も買うお金もない」という53歳の風俗嬢から電話が入ることからはじまる。 中村は、その風俗嬢にインタビューをする。風俗系求人誌をめくって、手当たり次第に風俗店に応募する毎日だという女性。50代になってしまったら、新たに受け入れてくれる店舗などあるはずもないが、本人いわく「熟女というジャンルがあるから大丈夫」らしく、まだまだ自分が稼げると信じている。現在の収入は、風俗嬢の時に懇意にしていたお客の相手をする月5万の収入と、テレホンセックスのバイトが1分30円。10分で300円ほどにしかならない。最低限の生活すらままならないという。 33年間風俗嬢として働いたこの女性は、男性経験が1人しかなく最後に好きになったのは勤務先の店長。猛アタックをしたが拒否された。その理由を女性は「インポとしか考えられない」と断言する。多くの風俗嬢は、男性からさまざまな知識や社会性を吸収して、独立したり結婚したりとが貧困になることを避けるが、この女性の場合20歳から業界に入り、長くいたことで他の働き方も知らず精神的にも未熟なままなのだ。 後半では、住宅ローンを払うために風俗嬢になった主婦が登場する。本書の中でもいわれているが、性産業で働く中高年の女性は、真面目で家柄が堅いことが共通点だという。この主婦も、厳格な両親のもとで育ち、結婚の条件として「持ち家であること」を両親から迫られ、35年のローンを組んだ。 しかし、直後に夫の経営していた喫茶店が廃業したために、鶯谷で働くことを決意。仕事をはじめてから多い時では1カ月50万以上稼いだが、今では1日に1人つけばいいほうだという。日給は6,000円~1万2,000円で、当然客がつかなければ収入はない。 業界に足を踏み入れて早20年近く。相手にした男は数千人以上。夫は、池袋の飲食店でパートをしているという妻の言葉を今でも信じ続けている。 現在、風俗をはじめ“裸の世界”で働く女性は年々増加し、全国に約40万人以上いるといわれる。その過半数が熟女と呼ばれる年代の女性たち。美貌と品の良さから、74歳でも現役AV女優として働く女性が登場する一方で、裸の世界から弾かれ困窮の中で細々と性的サービスを提供し、日銭を稼ぐ女性も存在するのだ。 需要と供給が逆転してしまった性産業が、“女性最後の駆け込み寺”として機能していた時代は終わった。普段あまり明るみにならない世界だが、私たちの知らないところで暗い日常が顔を覗かせている。『熟年売春 アラフォー女子の貧困の現実』(ミリオン出版)
自称“不遜”な小説家・天童荒太が描いた、震災5年目の「サバイバーズ・ギルト」
東日本大震災から5年。被災地からは続々と「復興」のニュースが届き、その安心感も手伝って、震災被害に思いを寄せる時間は格段に少なくなってきている。 直木賞作家・天童荒太の新作『ムーンナイト・ダイバー』は、そんな私たちに冷や水をぶっかける力作だった。描かれるのは、震災から4年半が過ぎた原発周辺地域。立ち入りが制限され、復興から取り残された町で行方不明になったままの方々の家族のために、主人公は月明かりだけを頼りに危険な海に潜って、遺品を拾い上げてくる。 あの震災を生き残ってしまった者の苦悩、いわゆる「サバイバーズ・ギルト」に苦しむ登場人物たちの姿は、あの日見た被災地のニュース映像を、自ら体験した大きな揺れとともに、まざまざと思い出させてくれた。 まだ、たった5年だった。深く自省しながら、ページを繰った。 ──深く自省しながら読み始めたのですが、そういう意識がすぐに吹っ飛んでしまったんです。どんどん読み進めてしまって、すごく面白い本を読んでいるという幸福感に包まれてしまい……。 天童 それは何よりです。願っていることなので(笑)。 ──幸福な読書体験だったのですが、読み終わった後に、少しだけ「私は震災を面白がってしまった」という罪悪感が湧いてきたんです。震災でつらい思いをした方がいる、まだまだいるということに思いを馳せようとして、思いを馳せながらも、時間を忘れて楽しんでいる自分がいた。そこに戸惑いを感じたんですね。 天童 それは自分が書くときにも生じるんですよ。『永遠の仔』で虐待された子を書くとき、あるいは『悼む人』で忘れられた人の死を書くときもそうですけれど、自分の中で昂揚感がなければ、表現として書くことができないですから。そうして昂揚していくときに「昂揚していいのか?」という罪悪感は、否定すべきものではないのではないか、と思っています。その罪悪感は、愛情の薄い人間だったり、「そんなことどうでもいいよ」と思っている人間だったら感じないものだから、肯定すべきものなのではないかと。それは人間の美質なんだろうと思います。大事なものだと思いながら表現しますし、届けるっていうのはありますね。 ──誠実さの裏返しとしての罪悪感。 天童 そう思っていましたし、物語の中の罪悪感、サバイバーズ・ギルトを書くときの基本路線はそれでしたね。生き残った側が、生き残ったことを幸せに思えない。「なんで俺が生きているのか」と。そのことを周囲は「おまえのせいじゃないんだから、そんなふうに考えるな」とか「くよくよせずに、そんなこと忘れて精一杯生きていけよ」って言い方をすると思うんですけれど、それは彼の持っている愛の豊かさを否定することになったり、大事に思う心を「忘れろ」と言っているに等しい。だから、言われた方はもっと苦しくなるし、「そんなことできない」と、もっと自分を責めてしまう。そういうことを、この世界はずっとしてきたんじゃないかと思ったんです。むしろ、そう思えることが愛の豊かさだし、忘れる必要もないし、そう思うことは大事なことだという社会に変わった方が、すごくいいんじゃないかっていう思いが根っこにあったんですね。
■作家自身の震災体験と、「小説は不遜だ」という思い ──この作品の出発点となった2011年3月11日の東日本大震災を、どういう状況で迎えたのでしょうか。 天童 都内の自宅で、そのときは仕事はしていなかったですね。くつろいでいる時間帯でした。これだけの大きな揺れは経験したことがなかったので、とっさに思ったのは「これが東京の震源地ならいいんだけどな」ということでした。他が震源地だったら、その震源地はひどいことになっているだろうと。で、テレビをつけると、震源地は東北だった。これはもう尋常じゃないことが生じているだろうということを感じたのが、いちばん最初でしたね。 ──その報道を見ているときも、小説家としての職業意識は働くものですか? 天童 最初はやっぱり職業人としてではなく、属性のない一個の人間として驚愕の目で見ていました。小説家としてそこでできる仕事は、まずないので。ただ、2日3日たって、死者が1,500人、1,600人、もっと増えそうだとカウンティングが始まってきたときに……阪神淡路大震災の翌日に、自分の父親が亡くなっているんですね。これは病気で亡くなったので震災とは関係ないけれど、テレビでは「おまえの母ちゃんダメだったんだ」「えー!」みたいなことをずっと追いかけているし、地元の地方紙のお悔み欄に父親の名前を探したら、震災と関係なく大勢の方が亡くなっていて、子どももいて。人の死は死に方で扱いが変わるっていう現実を、肌感覚で感じたんです。その後、2001年の9.11があって、人の死がカウンティングされていくことの限界と、家族にとっては1万人分の1ではなく「オール」であるということのギャップに、我々はどう向き合っていけるんだろう。あるいは、向き合うことを忘れている世界は、人間にとって本来の幸せなのかと。3.11でも、カウンティングで災害の大きさが測られていくときに、またこのことが繰り返されていくのか、この世界は何も変わっていないということが、すごく重く堪えるようになってきた。そのときに、小説家として意識し始めたのかな。 ──その後、2011年の6月に、被災者にインタビューをするテレビの取材で陸前高田と大船渡に入っています。 天童 小説家として被災地に行くのは間違っている、という気がしていたので、葛藤はありましたね。そのときは『悼む人』を書いた人間としてどう思うかという取材依頼をいただいて、自分が媒介としての役割を果たせると思って、ようやく行けました。何かを表現するために行くっていうのは違うと思っていたんですが、小説家という人種は困ったもので、行くとそういう気持ちが絶対に芽生えるんです。単純にボランティアで行っても、それを何かに生かしてしまおうとするのではないか、という。 ──そのときの様子が『静人日記』の文庫版に収録されていますが、この文章は「一万五千、七千、という波底にもぐり、一つ一つのいのちの相貌を拾い上げられる本物の想像力がほしい」という一文で締めくくられています。これは「いつか小説を書くぞ」という決意表明だったのでしょうか? 天童 小説として書くことは、まったく考えていませんでした。現実を現実として表現するのは、小説として不遜であるという気持ちが強くあるんです。はっきり言えば小説はウソを通して真実を表現することなので、ああいう大きな災害は、ウソではなく現実を通して真実を伝えるべきだろうと。であれば、報道であったりノンフィクション、ドキュメンタリストの仕事なので、自分の仕事ではないという気持ちが強かったんですね。 ──書くにいたったきっかけというのは? 天童 あの震災が起きたときには、それまで経済優先だったがゆえに備えを低く見たり、怠ってきた部分があったのではないか? といった反省が起きたり、改めて人と人がつながり合うこと、絆が大事なのではないかという空気が生まれたにもかかわらず、1年2年たつうちにどんどん忘れられて……3.11以前にも増して、経済優先で格差を肯定している、あるいはそれによって孤立化が生まれ、モラルが中枢まで崩れていってしまうという現状がありました。それは根底に、我々が被災者を忘れようとしているがゆえに、自分たちの無意識のうちにも「利益を上げないと忘れられていくのではないか?」「悲しいことを背負ったら置き去りにされるのではないか?」という強迫観念を植え付けられているような気がしたんです。もう一度、悲しい思いをした人たち、つらい立場の人たちと向き合うことによって、我々の本来の美しさとか、豊かな在り方みたいなものを求めうるのではないかと。これは可能性であり、事実ではない。可能性を表現するのが小説の仕事ですから、自分の仕事がここにあると思ったんです。 ──それを実感した瞬間というか、奮い立った何かというのはあるのでしょうか。 天童 奮い立った何かはないですね。いろいろなものの総合的な感覚だったし、時代の流れだったし。そこで小説としての特性とか、小説にできることというのを考えたときに、今から2年前ですね、立ち入り禁止の町に海から入ることを思い立った。小説は人の目に見えないもの、カメラで写せないものを見せられるのが特性なので、立ち入ることができない海の底を見せるというのを思いついたときに、「それなら表現できる」「小説にできる」という小説家としての昂揚が生じたわけです。それがきっかけになっています。
■原発が見える海に、手をつけて「約束」してきた ──執筆を前に赴いた浪江町の港への取材は「復興できない場所」を見に行くという意図だったのでしょうか? 天童 最初はそんなことを考えて行ったわけではなく、主人公たちが海に潜るために出航する港を見つけに行こうという取材でした。実際に現地名は出さないことを決めていましたが、生活者が主人公なので、生活者としての生活に即した現場をしっかり見てこようという気持ちが強くあったんですね。そこで浪江町の請戸という港に入ったのですが、取材に行った去年の4月というのは、もう4年目なんです。当時の報道は「復興しています」「被災現場は更地になって、きれいになって、高台に街ができ始めています」「失われた店はこんなふうに復興していて、元のようではないけれど、みんな元気で頑張っています」という笑顔があふれるシーンばかりだったので、その場所のイメージがなかったんです。行ってみたら、11年6月に陸前高田に入った時とほぼ変わらない風景だった。土台だけを残して失われた街の情景がずーっと続いているのを見たとき、大きなショックを受けましたね。何も、あのときから変わっていない。我々が見てきた「復興しています」という報道はなんだったんだという、そのギャップに茫然としてしまった。意図して行ったわけではなく、行ってみて、ショックを受けて、これをちゃんと心に入れて書くべきだと、そのときに感じたんです。 ──作中では原発を「光のエリア」とだけ呼んで、放射能にも一切言及していません。ただそこは「立ち入り禁止である」ということだけに留めたのは? 天童 ひとつは、小説であるのに、現実と混同されて整合性をひとつひとつ見られていくと、フィクションとしての真実性が届かなくなるということ。それと、さまざまな問題にさらされている人たちを傷つけたくないという気持ちですね。取材に行ったときに、不遜なことをしている気持ちがすごくあったので、原子力発電所が見えて、もしかしたら汚染されているかもしれない海に、実際に手をつけて「書かせていただきます」と、約束をしたんです。それがどう読まれるかというのは、もう委ねるしかない。委ねるしかないがゆえに、全力を尽くさなければならない。この表現に対しては、自分の今持っている技術と、ここまで培ってきたキャリアをすべて注ぎ込んで、一片の悔いもないところまで作り込まざるを得なかった。委ねるということに、甘えは許されないとは思っていました。 ■「言葉が言葉を呼んで、もっと潜れる──!」 ──登場人物たちのセリフや行動には、実際に取材で聞いた言葉も入っているのでしょうか。 天童 僕、基本的に決めているんです。小説を書くために人の話は聞かない。テレビカメラを通してその方の言葉を伝えたりする仕事で聞くことはありましたが、自分が小説を書くときには、もう聞かない。お話を一度二度聞いただけでその人のことをわかったと思うのは間違いだし、どれだけ深く付き合っても、本音の部分なんてなかなか話さないと思うんです。それを取材して、聞いて、語ったから、この町の人はこんなふうに思っていると書いたら、それはとんだ間違いになる。それに、小説で人間を描くとき、よい部分もあれば、悪の部分、醜い部分も書かなければ、その人間を本当に描いたことにならない。話を聞いておいてそういう部分を書いたら、その人が嫌な気分になると思うんです。だから、話は聞かない。聞かない代わりに、リサーチをしっかりして、自分がそこにいたらどんな思いをするんだろう、自分だったらどうするんだ、っていうのはとことん突き詰めて、追い込みますね。 ──読んでいてすごくスピード感を感じましたが、書くスピード感はいかがでしたか? 天童 スピードはすごく速くて、ありえないくらいでしたね。最初は短編でという話だったので、物語がストレートにどーんと1本あるだけなのもあって、書き始めたらどんどん言葉が言葉を呼んで、このくらいの浅さ潜るつもりが、もっと潜れるという感じで。海の底に潜ることがメタファーになって、人間の心に潜ることに直結していくのが、書きながらわかったんです。これは自分の、あるいは人間の心の奥底に潜っていく、主人公や自分自身の心の奥底に潜って、無意識層に当たれば、それは多くの人々が持っている無意識層と重なるはずだと。その人類の無意識層にどこまで潜っていけるか、という感覚に変わっていったんですね。物語ラインは1本で、より深く潜っていく。より深く潜るためには、一回上がってきて息継ぎをしていると、距離感が取れなくなると思ったんです。だからもうそのまま、一気に潜っていき続けたのでスピード感があったし、この作品においては、レトリックをできるだけ省いて、いかに強くて深いところまで潜れる言葉を選択できるかというのを、自分に対して課していました。 ──主人公は危険なダイビングをするようになって、肉を欲するようになった、女の人の体を強く欲するようになったということが象徴的に描かれていますが、それは潜りきった奥底にあったのがそれだったということでしょうか? 天童 いや、あれは自分が取材に行って、何もない街を歩いて、どんどん歩いて、どこまで行っても死の匂いがするわけです。自分自身が『悼む人』を書いた人間なので、その死がどんどんどんどん体に入ってくるんですよね。そうして死が蓄積していって、いわきの大都会に戻ってきたときに、いちばん最初に思ったのが「肉を食いたい!」だったんですよ。なんで肉を食いたいのかなと思ったら、自分が死の世界にずーっと行ってきて、戻ってきて、その生命体として、細胞として、生きることを渇望している感じがしたんです。年齢的なこともあるから性的なものはそんなにないけれど、主人公は自分よりもっと死に近い場所に行くし、若いし、さらに本能的に生の活動が強くなるんじゃないかなと。人間にはいろいろな理屈があるけれど、まず生き物だから、死に近づいたら生きることに餓えるのではないかと。命を取り込みたいとか、肉体への渇望も強まるのではないかというのが、自然に出てきましたね。 ──では、それはキャラクターに潜り込んで探り当てたというよりは、最初に感じたこと。 天童 そうですね。それをフィードバックした感じです。
■小説が社会に果たす役割と、作家・天童荒太の役割とは ──『永遠の仔』では、書いた後にぶっ倒れてしまったという話を聞きました。今回はどうでしたか? 天童 あのときは虐待された子の感情を生きたので、疲れたのは疲れたんですが、本当にぶっ倒れたのは、読者からものすごい数の手紙をいただいたときなんです。実際に自分が虐待されてきた方々から、精神科医やカウンセラーにも話さないような体験を書いた分厚い手紙がどんどん送られてきて、その体験が全部自分の中に入ってきた。それで、耐え切れなくなって倒れたという感じですね。いわゆる二次トラウマのような。今回はまだ倒れるということはないです。やっぱり慣れもあるし、『悼む人』なんかも仕事上で続けてきたので、リカバリーの仕方もわかりますし。 ──小説というメディアは、社会の中でどんな役割を果たすべきだと考えていますか? 天童 「べき」とまでは考えないですね。 ──では、ご自分の小説がどんな役割を果たしてくれたらなぁ、という思いを込めて書いてらっしゃいますか? 天童 小説は可能性を表現できるメディア、ある種の奇跡を見せられるメディアなので、報道とは違う、時事性とは違うものを拾い上げて、それを使ってどう人々に気づきをもたらすことができるか、人間や社会における深みにどれだけ潜っていって、人々の幸せや、本当の幸いとはなんなのかということに、どれだけ向き合って伝えられるかということは考えていますね。今回、いただいた感想の中に「被災地や被災者に対して感じていた後ろめたさを、きちんと消化する形で書いてくれて、自分としても救われました」というのがあって、そういう役割もあるんだなぁ、とは思いましたね。多くの人が実は被災地や被災者に対して、サバイバーズ・ギルトというほどではないにしろ、後ろめたさや罪悪感を持っているのではないか、そこに対しての訴えかけが届いたというのは、それはひとつ小説としての役割を果たし得たかな、というのはありますね。 ──将来的に、また震災をテーマに小説を書くことはあるのでしょうか。 天童 どうだろう、今回も震災はシンボル化してしか書けなかったし、そのことが自分の小説としての意味合いだと思っているので……。考えてみると僕は、忘れられた傷とか、忘れられていく死者とか、今回だったら忘れられていく場所だったり、そういうことを表現して届ける人であって、そういう作家は日本にそんなにいないな、という。自分はそういう場所に立てているという「恵まれ」があると思うんです。『永遠の仔』以降、そういう場所に恵まれている。それは読者に置いてもらったので、多くの悲しみやつらさを抱えている人が、「自分と同じようなことを考えている、語っている表現者はいないのか」「この世界には、明るいことばっかり書く作家しかいないのか」と考えたときに「1人はいるよ」っていう作家であれればいいなと思っているんですよ。「いや、1人はいるよ」という作家で。『永遠の仔』で、自分が倒れるほどの手紙をいただいて、そこから復帰してくるときに、こんな手紙をもらえる作家は世界でも自分だけだろうと。だったら、その世界でたったひとりの作家になれればいいじゃないかと。これで生きていこうと決めたんです。 ──先ほどから何度も「小説家は不遜だから」とおっしゃっていますが、その意識は『永遠の仔』以降に感じるようになったのでしょうか? 天童 より強く感じるようになったのは『永遠の仔』以降ですが、昔からあったんですよ。あのね、米が作れない、食料が作れないっていうのは、いちばんダメだなという。本来は、お米を作ってくれる人とか、食料を作ってくれる人が人間にとっていちばん価値があるし、大事だろうと思っているので、物語を作ってお金をいただくというのは……これは小説を書くより前、16歳で映画監督になりたいと思ったあたりから、「うわぁ、これは不遜な、申し訳ない仕事だよね」という意識は、すごくあります。ぜんぜん拭えないです。 ──あのー、自分でも、こういうことを聞いちゃうのか、という感じなのですが……。 天童 はい? ──小説家になって、よかったですか? 天童 聞いちゃったなー。 ──出てきちゃいました。 天童 いや、すっごく、よかったです。映画をやりたかったのは本当だし、自分のすべてをそっちに向けて生きていた時代もあるんですが、今、小説の世界に立っているときに、小説で書けること、表現できることって、すごく豊かだと思っているんです。例えば病気になると、なんか気持ち悪い、なんだろうこれは、というときがあるじゃないですか。そんなときに、これはこういう病気ですよと言われると、ホッとする。そういう病気だってわかったことで、それに対して何かができる。そういう言葉付け、名付けって大事だと思っていて、それに似ているんですね。言葉にならない思いだとか、なんでこんなふうに自分を責めてしまうのか、どうしてこんなに悲しいのかっていうことに対して、それはこういうことなのではないか、誰もが持っている「生きたい」という気持ちや、「生きていてもいい」という肯定感を求めるからこそ起きているのではないか。罪悪感やサバイバーズ・ギルトを抱えていても人は幸せになれるし、なっていいのではないかという、言葉付け、名付けをすることができるのは、たぶん小説だけなんです。小説は物語によって伝えるので、深層心理の感情に届く、感情に届いたものは長く続くんです。人間を根底から変化させていく力を持っている。それに携わっていることが意識できたときに、本当に小説家にならせていただいてよかったなと、心から思いますね。 (取材・文=編集部/撮影=尾藤能暢) ●てんどう・あらた 1960年、愛媛県生まれ。86年「白の家族」で野性時代新人文学賞を受賞、93年『孤独の歌声』が日本推理サスペンス大賞優秀作となる。96年『家族狩り』で山本周五郎賞、2000年に『永遠の仔』で日本推理作家協会賞、09年に『悼む人』で直木賞受賞。13年に『歓喜の仔』で毎日出版文化賞を受賞。ほか著作に『あふれた愛』、『包帯クラブ』、画文集『あなたが想う本』(舟越桂と共著)、対談集『少年とアフリカ』(坂本龍一と共著)、荒井良二画の絵本『どーしたどーした』がある。近著に新書『だから人間は滅びない』。
中年アイドルオタは本当に迫害されているのか?『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』
日本人は、何かと卒業したがりだ。 学校の卒業はともかくとして、暴走族、番組、アイドルグループ、この支配からの……などなど、いろんなものから卒業していく。 何かに関するオタクを辞めることを「オタ卒」なんて言ったりもする。卒業とはいうものの、「もう○○歳だし、オタクやってる年でもないよな」的な意味合いのほうが強い言葉だといえるだろう。 まあ、何をやる上でも「年齢」っちゅうのは判断基準のひとつとなるもんで、「だいたい○○歳くらいまでには、こういうことをやるのは辞めましょうね」的な暗黙の了解というのは世の中にたくさん存在する。 ただ、インターネットが一般に普及して以降、さまざまなジャンルにおいて「もう○○歳だし」というハードルが、かなり低くなっているのではないだろうか。 だって、ネットの世界を見渡せば「いい年こいて」なことを、キーポン○○な精神でずーっとやり続けているスゴイ先達がいっぱいいるのがわかっちゃうんだもん。 そんな感じで、かつては「いい年こいて」と言われていたようなジャンルにも、いい年こいた人たちがわんさか残っていて、エイジレス状態となっているのだ。 ■中年アイドルオタクって、迫害されてる? で、この本『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』(ワニブックス)だ(コレのレビュー記事を頼まれていたんだった!)。 プロレスファンならば「週刊プロレス」(ベースボール・マガジン社)の、アイドル好きならば、ももクロの公式記者としておなじみのライター・小島和宏さんの新刊。 ボクも、ももクロ好きとして小島さんの記事はしょっちゅう読んでいたので、小島さんの語る中年アイドルオタク論とはどんなものかと期待していたのだが……。すみません、正直あんまピンとこなかったっす。 本書の中では、 ・中年アイドルオタクは冷たい目線にさらされている ・世間の理解がまったく進んでいない ・「恥じらい」や「うしろめたさ」を抱いていたほうがアイドルを楽しめる というのが前提としてあり、そのアンチテーゼとして『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』となっていくのだが、本当に中年アイドルオタクって、そんなに冷たい目線にさらされているだろうか? もちろん、中年アイドルオタクに対して「キモイ!」「大人げない!」「ロリコン!」という偏見全開で接してくる人も少なくない……というか、結構多いとは思う。 でもそれが、ハロウィンにドンキで買ったコスプレを着て渋谷を闊歩するヤングたちに向けられる「ウザイ!」「邪魔!」「頭悪そう!」「どーせこれからセックスするんだろ!? ハロウィンでもクリスマスでも、なんでもいーんじゃねーか!」という偏見と、どっちが多いかといえば、まあ同じようなもんなんじゃないだろうか? 取り立てて中年アイドルオタクが迫害されているわけでもなく、価値観が多様化しまくって小さなジャンルの村社会が大量に作られた結果、なにかっちゅうと村人同士が石を投げ合っているのが現代なのだ。 アイドル界隈だけでいっても、中年アイドルオタクはピンチケ(AKB48劇場で販売される中高生向けのチケットのこと。転じて、マナーを守らない若者を揶揄する言葉として使われる)をバカにしがちだし、モノノフ(ももクロのファン)はCDを大量買いするAKBオタクをバカにしがち。かと思えば、他のアイドルグループのファンは、やたらとももクロだけを神聖視するモノノフをウザがったり……。 もちろん、アイドルとかにまったく興味のないリア充は、そんなオタクたちをひとまとめにして「キモイ!」と思っているし、オタクのほうはオタクのほうで、Facebookでステキな飲み会写真ばっかりアップしているリア充をバカにしまくっていることだろう。 以前、アニメオタクの友人と話している時に、 「アイドルオタクはバカだ。いくらCD買ったってアイドル自身には金なんか入らないで、秋元康みたいなおっさんが儲かるだけだろ?」 「だったらオメーの買ってる美少女フィギュアも、作ってるおっさんに金入るだけだろーが!」 みたいな不毛極まりない議論となり、つかみ合いになりそうになったが、もうね……オタクもリア充もヤンキーも意識高い系も、人間は理解し合えないと考えたほうがいい。 こんな時代なんだから、村の外の人たちの目線を気にしても仕方がないのだ(「清潔感」とか、最低限のラインは守りたいところだが)。 学校や会社で、周囲から冷たい目で見られたとしても、気持ちの通じ合える仲間はネットや現場でいくらでも探せるし、もちろん「いい年こいて……」という世間の目を気にしてオタ卒する必要もない。 『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』……と、最終的なところで小島さんと意見が一致するんだけど。 ■アイドル記者奮戦記として読もう 『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』の帯には「アイドルを追いかけることは大人の立派な“たしなみ”である!」とのキャッチフレーズが書かれているが、同時期に発売された、大森望さんの『50代からのアイドル入門』(本の雑誌社)の帯にも「アイドルは大人のたしなみだ!」との文字があるのも興味深い。 まあ「中年がアイドルを追いかけるなんてキモイ!」という声に対しての理論武装として「大人のたしなみだ!」なんだろう。 小島さんも大森さんも、ボクのひとまわりぐらい上の世代の方たちなのだが、「上の人たちって、周りの目をいろいろ気にして大変そうだなぁ~……」と思ってしまう。 「大人のたしなみだ!」なんて強がらなくても、周りが何と言おうと「ボクは好きだから好きなんだもーん!」でよくない? ……ほら、理解し合えないでしょ? ちなみに本書は、中年アイドルオタク論うんぬんは置いといて、ももクロをはじめとしたアイドルに密着取材してきた、アイドル記者である小島さんの奮闘記として読めばすごく面白いよ。 (文=北村ヂン)『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』(ワニブックス)
中年アイドルオタは本当に迫害されているのか?『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』
日本人は、何かと卒業したがりだ。 学校の卒業はともかくとして、暴走族、番組、アイドルグループ、この支配からの……などなど、いろんなものから卒業していく。 何かに関するオタクを辞めることを「オタ卒」なんて言ったりもする。卒業とはいうものの、「もう○○歳だし、オタクやってる年でもないよな」的な意味合いのほうが強い言葉だといえるだろう。 まあ、何をやる上でも「年齢」っちゅうのは判断基準のひとつとなるもんで、「だいたい○○歳くらいまでには、こういうことをやるのは辞めましょうね」的な暗黙の了解というのは世の中にたくさん存在する。 ただ、インターネットが一般に普及して以降、さまざまなジャンルにおいて「もう○○歳だし」というハードルが、かなり低くなっているのではないだろうか。 だって、ネットの世界を見渡せば「いい年こいて」なことを、キーポン○○な精神でずーっとやり続けているスゴイ先達がいっぱいいるのがわかっちゃうんだもん。 そんな感じで、かつては「いい年こいて」と言われていたようなジャンルにも、いい年こいた人たちがわんさか残っていて、エイジレス状態となっているのだ。 ■中年アイドルオタクって、迫害されてる? で、この本『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』(ワニブックス)だ(コレのレビュー記事を頼まれていたんだった!)。 プロレスファンならば「週刊プロレス」(ベースボール・マガジン社)の、アイドル好きならば、ももクロの公式記者としておなじみのライター・小島和宏さんの新刊。 ボクも、ももクロ好きとして小島さんの記事はしょっちゅう読んでいたので、小島さんの語る中年アイドルオタク論とはどんなものかと期待していたのだが……。すみません、正直あんまピンとこなかったっす。 本書の中では、 ・中年アイドルオタクは冷たい目線にさらされている ・世間の理解がまったく進んでいない ・「恥じらい」や「うしろめたさ」を抱いていたほうがアイドルを楽しめる というのが前提としてあり、そのアンチテーゼとして『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』となっていくのだが、本当に中年アイドルオタクって、そんなに冷たい目線にさらされているだろうか? もちろん、中年アイドルオタクに対して「キモイ!」「大人げない!」「ロリコン!」という偏見全開で接してくる人も少なくない……というか、結構多いとは思う。 でもそれが、ハロウィンにドンキで買ったコスプレを着て渋谷を闊歩するヤングたちに向けられる「ウザイ!」「邪魔!」「頭悪そう!」「どーせこれからセックスするんだろ!? ハロウィンでもクリスマスでも、なんでもいーんじゃねーか!」という偏見と、どっちが多いかといえば、まあ同じようなもんなんじゃないだろうか? 取り立てて中年アイドルオタクが迫害されているわけでもなく、価値観が多様化しまくって小さなジャンルの村社会が大量に作られた結果、なにかっちゅうと村人同士が石を投げ合っているのが現代なのだ。 アイドル界隈だけでいっても、中年アイドルオタクはピンチケ(AKB48劇場で販売される中高生向けのチケットのこと。転じて、マナーを守らない若者を揶揄する言葉として使われる)をバカにしがちだし、モノノフ(ももクロのファン)はCDを大量買いするAKBオタクをバカにしがち。かと思えば、他のアイドルグループのファンは、やたらとももクロだけを神聖視するモノノフをウザがったり……。 もちろん、アイドルとかにまったく興味のないリア充は、そんなオタクたちをひとまとめにして「キモイ!」と思っているし、オタクのほうはオタクのほうで、Facebookでステキな飲み会写真ばっかりアップしているリア充をバカにしまくっていることだろう。 以前、アニメオタクの友人と話している時に、 「アイドルオタクはバカだ。いくらCD買ったってアイドル自身には金なんか入らないで、秋元康みたいなおっさんが儲かるだけだろ?」 「だったらオメーの買ってる美少女フィギュアも、作ってるおっさんに金入るだけだろーが!」 みたいな不毛極まりない議論となり、つかみ合いになりそうになったが、もうね……オタクもリア充もヤンキーも意識高い系も、人間は理解し合えないと考えたほうがいい。 こんな時代なんだから、村の外の人たちの目線を気にしても仕方がないのだ(「清潔感」とか、最低限のラインは守りたいところだが)。 学校や会社で、周囲から冷たい目で見られたとしても、気持ちの通じ合える仲間はネットや現場でいくらでも探せるし、もちろん「いい年こいて……」という世間の目を気にしてオタ卒する必要もない。 『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』……と、最終的なところで小島さんと意見が一致するんだけど。 ■アイドル記者奮戦記として読もう 『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』の帯には「アイドルを追いかけることは大人の立派な“たしなみ”である!」とのキャッチフレーズが書かれているが、同時期に発売された、大森望さんの『50代からのアイドル入門』(本の雑誌社)の帯にも「アイドルは大人のたしなみだ!」との文字があるのも興味深い。 まあ「中年がアイドルを追いかけるなんてキモイ!」という声に対しての理論武装として「大人のたしなみだ!」なんだろう。 小島さんも大森さんも、ボクのひとまわりぐらい上の世代の方たちなのだが、「上の人たちって、周りの目をいろいろ気にして大変そうだなぁ~……」と思ってしまう。 「大人のたしなみだ!」なんて強がらなくても、周りが何と言おうと「ボクは好きだから好きなんだもーん!」でよくない? ……ほら、理解し合えないでしょ? ちなみに本書は、中年アイドルオタク論うんぬんは置いといて、ももクロをはじめとしたアイドルに密着取材してきた、アイドル記者である小島さんの奮闘記として読めばすごく面白いよ。 (文=北村ヂン)『中年がアイドルオタクでなぜ悪い!』(ワニブックス)
『路線バスの旅』でも見られない!? 誰も知らない日本を今日もバスが走る『秘境路線バスをゆく』
蛭子能収が大ブレイクを掴んだ『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)。この番組では、蛭子能収と太川陽介が毎回違う女性ゲストとともに、繰り広げるゆるい旅が人気だ。 私たちも日常的に利用する路線バスは、全国で約2,700路線。バス停の数は25万カ所あるといわれている。その中から、週にたった1便しかない路線や片道6時間半の路線など、各種ジャンル分けして語り尽くすのが本書『秘境路線バスをゆく』(イカロス出版)だ。 北は北海道、南は九州まで土地ごとの秘境を走るバスを紹介。たとえば、“絶景チャンピオン”の冠を戴く北海道の宗谷バスの天北宗谷岬線は、廃止された鉄道のかわりに誕生したいわゆる鉄道転換バスで、雪化粧の道北を、日本最北の地・宗谷岬を目指して走る。 また、“路線距離チャンピオン”の奈良交通の八木新宮線は、その距離166km、総時間6時間半と圧倒的な数字を誇り、バス停167カ所、通過する市町村は8つ。路線バスファンでなくても、きっと目がくらむはずだ。奈良県の郊外「八木駅」を出発し、温泉や世界遺産などを横目にしながら和歌山県「新宮駅」をつなぐ。 昨今のレトロブームにあやかり、昔懐かしいバスターミナルも特集。都内と違いバスが主要な交通手段の地方では、巨大なバスの停留所がある。掲載されているバスターミナルのほとんどは、昭和に建てられた。古めかしい雰囲気が残り、立ち食いそば屋や切符売り場、土産物屋などが現在でも営業しており、地元の人々から愛されている。 「伝説の廃路線」のコーナーでは、全国津々浦々の廃止されてしまったバス路線を網羅。その多くが、かつて存在した炭鉱街で働く人々の足であったり、新たに開通した鉄道が原因で存在を忘れられてしまったりなど、人々の生活と密接に結びついていた歴史があるのだ。 じわじわと再び注目をあびる路線バス。私たちと遠くて近いバスは、今日も誰も知らない日本を走る。『秘境路線バスをゆく』(イカロス出版)
『路線バスの旅』でも見られない!? 誰も知らない日本を今日もバスが走る『秘境路線バスをゆく』
蛭子能収が大ブレイクを掴んだ『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)。この番組では、蛭子能収と太川陽介が毎回違う女性ゲストとともに、繰り広げるゆるい旅が人気だ。 私たちも日常的に利用する路線バスは、全国で約2,700路線。バス停の数は25万カ所あるといわれている。その中から、週にたった1便しかない路線や片道6時間半の路線など、各種ジャンル分けして語り尽くすのが本書『秘境路線バスをゆく』(イカロス出版)だ。 北は北海道、南は九州まで土地ごとの秘境を走るバスを紹介。たとえば、“絶景チャンピオン”の冠を戴く北海道の宗谷バスの天北宗谷岬線は、廃止された鉄道のかわりに誕生したいわゆる鉄道転換バスで、雪化粧の道北を、日本最北の地・宗谷岬を目指して走る。 また、“路線距離チャンピオン”の奈良交通の八木新宮線は、その距離166km、総時間6時間半と圧倒的な数字を誇り、バス停167カ所、通過する市町村は8つ。路線バスファンでなくても、きっと目がくらむはずだ。奈良県の郊外「八木駅」を出発し、温泉や世界遺産などを横目にしながら和歌山県「新宮駅」をつなぐ。 昨今のレトロブームにあやかり、昔懐かしいバスターミナルも特集。都内と違いバスが主要な交通手段の地方では、巨大なバスの停留所がある。掲載されているバスターミナルのほとんどは、昭和に建てられた。古めかしい雰囲気が残り、立ち食いそば屋や切符売り場、土産物屋などが現在でも営業しており、地元の人々から愛されている。 「伝説の廃路線」のコーナーでは、全国津々浦々の廃止されてしまったバス路線を網羅。その多くが、かつて存在した炭鉱街で働く人々の足であったり、新たに開通した鉄道が原因で存在を忘れられてしまったりなど、人々の生活と密接に結びついていた歴史があるのだ。 じわじわと再び注目をあびる路線バス。私たちと遠くて近いバスは、今日も誰も知らない日本を走る。『秘境路線バスをゆく』(イカロス出版)










