瀧本哲史が考える、最強の「マッチメイク」読書術!『読書は格闘技』

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『読書は格闘技』(集英社)
 本屋に行けば「ブックガイド本」というジャンルの書籍が並び、雑誌「サイゾー」でも「本特集」は人気企画のひとつ。いったい、どんな本を読めばいいのかという指針を求めている人は少なくないようだ。しかし、ブックガイド本を購読するくらいならば、そこに紹介されている本から手に入れるほうが早いのではないだろうか? いったいなぜ人はまず「ブックガイド本」を選んでしまうのだろうか? 『武器としての決断思考』(星海社新書)、『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)などで知られる瀧本哲史の新著『読書は格闘技』(集英社)は、「組織論」「グローバリゼーション」「教養小説」「児童文学」など、12のテーマごとに読むべき本を紹介するブックガイド本である。本書の中で、瀧本は「読書は格闘技」であり「書籍を読むとは、単に受動的に読むのではなく、著者の語っていることに対して、「本当にそうなのか」と疑い、反証する中で自分の考えを作っていくという知的プロセス」と持論を展開する。瀧本は、いったいどのような形で「格闘」を繰り広げているのだろうか? いくつかの例を見てみよう。  本書の中で、瀧本はテーマごとに、アプローチの異なる2冊の本を取り上げる。「心をつかむ」というテーマであれば、カーネギーの名著として知られる『人を動かす』(創元社)とロバート・B・チャルディーニの『影響力の武器』(誠信書房)を、「組織論」というテーマであれば、ジム・コリンズ、ジェリー・I・ポラスの『ビジョナリー・カンパニー』(日経BPマーケティング)と、マキャベリの『君主論』(講談社学術文庫)をそれぞれ「マッチメイク」している。では、瀧本の立場はその2つの間に立つレフェリーなのだろうか?  褒めるところは褒め、批判するべきは批判する瀧本は確かに中立を保つレフェリーに似ている。しかし、彼の役割は、勝ち負けを決めることではなく、2つの書籍にどんな使える「武器」が眠っているかを掘り起こすこと。トーマス・フリードマン『フラット化する世界』(日本経済新聞出版社)と、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』(集英社)を紹介する「グローバリゼーション」のページでは、2005年に原書が刊行され、もうすでに「古典」と化している前者を「どこが古くてどこが新しいのか、何が一時的なブームで何が大きなトレンドなのかを自分で考えるための素材」として紹介し、アメリカ中心で描かれ、事象を単純化していると批判されることも少なくない後者を「この20年間を冷静に振り返ってみると、各地域で『文明の衝突』とみられる紛争が数多く起きている」と擁護する。  また、「教養小説」のテーマでは、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(岩波文庫)とともに、なぜかあだち充の『タッチ』(小学館文庫)が取り上げられる。「主人公が大人になるまでの過程を描く小説」と定義される教養小説というジャンルにおいて、両者を比較して見えてくるのは「大人」というイメージの変遷。かたやヒロインの朝倉南をモチベーションとして、甲子園に出場しても野球を続けることに「疲れた」という個人的な自己承認の物語である『タッチ』に対し、「意識高い系学生」に似ているというヴィルヘルム・マイスターは旅をしながら新たな人物に出会い、自己を形成し、再び日常へと戻る。時代ごとに、「大人になっていく過程」は異なっているようだ。  瀧本にとって、読書は、著者の高説を承るものではなく、「武器」を引き出し「世界という書物を直接読破」するためのツールである。2冊の本を取り上げることによって、複眼的にテーマに迫る瀧本の姿勢から見えてくるのは、彼がどのように「世界を読解しているか」ということ。だから、文芸としての「読書の楽しみ」や狭い意味での「教養」はここには描かれていない(瀧本はあとがきで「教養について考えるのであれば、『自分にとって』読むべき本、読む必要のない本を判断することが『教養』と言えるだろう」と語っている)。  書物を読みこなすのではなく、世界を読みこなそうとしている瀧本の記した『読書は格闘技』は、単なる本の紹介には終わらない魅力を持っている。では、そんな瀧本の「格闘スタイル」から、読者はどのような武器を取り出すのか? ただの指針にとどまらず、読者はそんな「格闘」を迫られることだろう。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])

うっとうしいけど、憎めない!? 時代に翻弄される中国人の姿を描く“倦中本”『激ヤバ国家 中国の正体!』

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『激ヤバ国家 中国の正体! 』(宝島社)
 いまやお昼の情報番組から週刊誌まで、中国ネタは欠かすことのできないおなじみコンテンツとなっている。  しかし、そこに登場する中国人たちの行動といえば、白昼の路上で突然裸になったり、横転したトラックの積み荷をわれ先にと奪い合ったりと、われわれ日本人からすれば“とっぴ”と言わざるを得ない。彼らは、日本人と顔形が似ているからこそ、われわれの常識にそぐわない行動をすると、余計に奇妙奇天烈に映る部分もあるだろう。  そのせいか、内閣府が2016年3月に発表した「外交に関する世論調査」によると、中国に「親しみを感じない」と答えた日本人は、が83.2%に達し、1978年以降で過去最高となっている。  そんな日本人のステレオタイプな「中国人不信」を少しだけ好転させるかもしれない本が、奥窪優木氏による『激ヤバ国家 中国の正体! 』(宝島社)である。  本書は、「週刊SPA!」(扶桑社)で8年間にわたって連載されていた人気コラム「中華人民毒報」の中の、習近平体制発足前夜から4年間の記事をまとめた一冊だ。中国で巻き起こる3面記事的なドタバタ劇が、現地在住者の視点を交えてつづられている。  ところが、ページをめくるうち、不可解で迷惑千万な中国人の行動が「実は、激動の時代を死に物狂いで生き抜こうとしている結果なのかもしれない」と、同情の念すら湧いてくる。  例えば、コソ泥を捕まえて恥ずかしい写真を撮影し、ネット上に晒すという「私的制裁」が流行する裏には警察の不作為があり、危険を顧みず車道を横切る歩行者が後を絶たない背景には、地下横断歩道の治安の悪さもある。  また、習政権によるさまざまな政策や不透明な経済状況のもと、庶民らが翻弄される姿も見えてくる。反腐敗運動で公務員の袖の下が激減する中、回鍋肉で税務署職員を買収する飲食店経営者や、モーターショーから一掃され、途方に暮れる元コンパニオンたちの末路など……。  そのあたりが、いわゆる嫌中本とは一線を画しているわけだが、著者は本書を「倦中本」と呼んでいる。確かに本書に登場する中国人たちには、うっとうしいけどどこか憎めない、そんな倦怠期の連れ合いに対するような感情が芽生えてくるのである。

日本人だけのソウルフードではなかった!? 辺境作家・高野秀行が追った納豆ルポ『謎のアジア納豆』

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『謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>』(新潮社)
 納豆。それは、日本人だけが食べる超庶民派ソウルフード、のはずであった。ところが、実はミャンマーやタイ、ネパール、中国、ブータン、ラオスでも、古くから食べられていた――!  そんな世界を股にかけた衝撃の納豆ルポ『謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>』(新潮社)が発売された。著者は、辺境作家のレジェンド・高野秀行氏。早稲田大学在学中の『幻獣ムベンベを追え』(PHP研究所)でデビューした彼も、まもなく50歳を迎える。にもかかわらず、まったくといっていいほどその好奇心と行動力は衰えず、まさに生きる伝説である。これまでに、コンゴ奥地の幻獣ムベンベ探し、ゴールデン・トライアングルでアヘンを栽培する村に潜入、無政府状態のソマリア国内に存在する独立国家ソマリランドを取材したりと、好奇心の赴くまま、奥へ奥へと突き進み、取材を繰り返してきた。  その高野氏が、次に目をつけたのが納豆だ。出合いは、ミャンマー北部カチン州のジャングルを歩いていたとき。密林が途切れた平原にある小さな村で、ふいに白いご飯に生卵と納豆が添えられた食事が目の前に現れた。しょうゆではなく、塩で食べたというが、ちゃんと糸も引くし、味は間違いなく日本の納豆と同じだったという。さらに、タイ北部の町・チェンマイにある、当時「麻薬王」と呼ばれていたクンサーの地下宝石工場でも“納豆汁”に出くわす。納豆は厚さ2~3ミリの薄っぺらい円盤状をしていて、薄焼きせんべいのようなものを火であぶり、杵(きね)でついて粉にし、スープにしたのだという。  高野氏は、辺境での納豆との出合いから、日本人が外国人に対し、踏み絵のごとく「納豆は食べられるのか?」と問う場面に出くわすと、ついつい口を挟んでしまう。納豆は日本人だけの専売特許ではない! と。けれど、返ってくる答えはいつも同じだ。それは「日本の納豆と同じなのか?」「作り方は?」。そこで、答えに窮していた高野氏が、アジア納豆、さらには、そもそも日本の納豆とはなんぞや、という調査に本格的に乗り出す。その答えとして、季刊誌「考える人」(新潮社)で発表。大幅に加筆して導き出した報告書が、本書だ。  例えば、ミャンマーのシャン族の場合。彼らは、日本人が納豆をソウルフードと思い込んでいるように、「納豆はわれわれのソウルフード」と豪語する。しかも、納豆のことをシャン語で「トー・ナウ」といい、それは中国語の「豆(トゥ)」から来ているというから、とても偶然とは思えない。高野氏は本格的な調査を行うため、入り口となるタイのチェンマイへと飛び、シャン料理店の美人女将に日本の納豆を差し出した。すると、「ホーム・ホーム(いい香り)」と喜び、「これ、炒めるよね?」と言って、タマネギ、生姜、唐辛子を刻み、中華鍋で炒めた後、納豆を放り込んだ! しかも、これを餅米とともに食べた……。東京に20年暮らす、シャン族のサイさんは、日本の納豆についてこう語る。「おいしいけど、日本の納豆は味がひとつしかないからね」。  ひょっとして、日本は納豆の後進国なのか? 高野氏は、これまでに培った辺境のマニアックな語学力を生かし、ミャンマーのカチン州で竹筒を使って発酵させるという幻の竹納豆、同じくミャンマーのナガ山地で暮らす元首狩り族の納豆汁、ネパールの“納豆カースト”の人々が食べるヒマラヤ納豆カレーなど、数多くのアジア納豆を求めて取材を重ねる。さらには、日本へと立ち返り、岩手県和賀町(現・北上市)に伝わるという、雪の中で納豆を発酵させる、謎の雪納豆の正体まで追いかける。  その中で高野氏は、アジア納豆とは「辺境食」ではないか? という、ひとつの結論に達する。その理由について、辺境と納豆の関係について、熱を帯びて解説されているページをめくるたび、あまりに壮大な納豆の世界に、凡人はひれ伏してしまう。読み終えたとき、“納豆観”が、変わること間違いなし。 (文=上浦未来) ●たかの・ひでゆき ノンフィクション作家。1966年、東京都八王子市生まれ。早稲田大学第一文学部仏文科卒。1989年、同大学探検部の活動を記した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろおかしく書く」をモットーとする。2006年『ワセダ三畳青春期』(集英社)で第1回酒飲み書店員大賞を受賞。13年『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(本の雑誌社)で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。その他の著書に『アヘン王国潜入記』『未来国家ブータン』(集英社)、『西南シルクロードは密林に消える』(講談社)、『イスラム飲酒紀行』(扶桑社)などがある。

納豆は日本人だけのソウルフードではなかった!? 辺境作家・高野秀行が追った納豆ルポ『謎のアジア納豆』

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『謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>』(新潮社)
 納豆。それは、日本人だけが食べる超庶民派ソウルフード、のはずであった。ところが、実はミャンマーやタイ、ネパール、中国、ブータン、ラオスでも、古くから食べられていた――!  そんな世界を股にかけた衝撃の納豆ルポ『謎のアジア納豆 そして帰ってきた<日本納豆>』(新潮社)が発売された。著者は、辺境作家のレジェンド・高野秀行氏。早稲田大学在学中の『幻獣ムベンベを追え』(PHP研究所)でデビューした彼も、まもなく50歳を迎える。にもかかわらず、まったくといっていいほどその好奇心と行動力は衰えず、まさに生きる伝説である。これまでに、コンゴ奥地の幻獣ムベンベ探し、ゴールデン・トライアングルでアヘンを栽培する村に潜入、無政府状態のソマリア国内に存在する独立国家ソマリランドを取材したりと、好奇心の赴くまま、奥へ奥へと突き進み、取材を繰り返してきた。  その高野氏が、次に目をつけたのが納豆だ。出合いは、ミャンマー北部カチン州のジャングルを歩いていたとき。密林が途切れた平原にある小さな村で、ふいに白いご飯に生卵と納豆が添えられた食事が目の前に現れた。しょうゆではなく、塩で食べたというが、ちゃんと糸も引くし、味は間違いなく日本の納豆と同じだったという。さらに、タイ北部の町・チェンマイにある、当時「麻薬王」と呼ばれていたクンサーの地下宝石工場でも“納豆汁”に出くわす。納豆は厚さ2~3ミリの薄っぺらい円盤状をしていて、薄焼きせんべいのようなものを火であぶり、杵(きね)でついて粉にし、スープにしたのだという。  高野氏は、辺境での納豆との出合いから、日本人が外国人に対し、踏み絵のごとく「納豆は食べられるのか?」と問う場面に出くわすと、ついつい口を挟んでしまう。納豆は日本人だけの専売特許ではない! と。けれど、返ってくる答えはいつも同じだ。それは「日本の納豆と同じなのか?」「作り方は?」。そこで、答えに窮していた高野氏が、アジア納豆、さらには、そもそも日本の納豆とはなんぞや、という調査に本格的に乗り出す。その答えとして、季刊誌「考える人」(新潮社)で発表。大幅に加筆して導き出した報告書が、本書だ。  例えば、ミャンマーのシャン族の場合。彼らは、日本人が納豆をソウルフードと思い込んでいるように、「納豆はわれわれのソウルフード」と豪語する。しかも、納豆のことをシャン語で「トー・ナウ」といい、それは中国語の「豆(トゥ)」から来ているというから、とても偶然とは思えない。高野氏は本格的な調査を行うため、入り口となるタイのチェンマイへと飛び、シャン料理店の美人女将に日本の納豆を差し出した。すると、「ホーム・ホーム(いい香り)」と喜び、「これ、炒めるよね?」と言って、タマネギ、生姜、唐辛子を刻み、中華鍋で炒めた後、納豆を放り込んだ! しかも、これを餅米とともに食べた……。東京に20年暮らす、シャン族のサイさんは、日本の納豆についてこう語る。「おいしいけど、日本の納豆は味がひとつしかないからね」。  ひょっとして、日本は納豆の後進国なのか? 高野氏は、これまでに培った辺境のマニアックな語学力を生かし、ミャンマーのカチン州で竹筒を使って発酵させるという幻の竹納豆、同じくミャンマーのナガ山地で暮らす元首狩り族の納豆汁、ネパールの“納豆カースト”の人々が食べるヒマラヤ納豆カレーなど、数多くのアジア納豆を求めて取材を重ねる。さらには、日本へと立ち返り、岩手県和賀町(現・北上市)に伝わるという、雪の中で納豆を発酵させる、謎の雪納豆の正体まで追いかける。  その中で高野氏は、アジア納豆とは「辺境食」ではないか? という、ひとつの結論に達する。その理由について、辺境と納豆の関係について、熱を帯びて解説されているページをめくるたび、あまりに壮大な納豆の世界に、凡人はひれ伏してしまう。読み終えたとき、“納豆観”が、変わること間違いなし。 (文=上浦未来) ●たかの・ひでゆき ノンフィクション作家。1966年、東京都八王子市生まれ。早稲田大学第一文学部仏文科卒。1989年、同大学探検部の活動を記した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろおかしく書く」をモットーとする。2006年『ワセダ三畳青春期』(集英社)で第1回酒飲み書店員大賞を受賞。13年『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(本の雑誌社)で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。その他の著書に『アヘン王国潜入記』『未来国家ブータン』(集英社)、『西南シルクロードは密林に消える』(講談社)、『イスラム飲酒紀行』(扶桑社)などがある。

「世の中は甘いものだと思いなさい」蛭子能収の荒唐無稽な人生哲学『僕はこうして生きてきた NO GAMBLE,NO LIFE.』

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『僕はこうして生きてきた ―NO GAMBLE,NO LIFE. 』(コスモの本)
 今や、テレビでは見ない日はないほどブレイクした蛭子能収。番組ではニタニタとした笑顔を振りまく一方で、ネットを検索すればブラックすぎる“マジキチ伝説”がゴロゴロと出てくる、デタラメな人物。本職がマンガ家であることを忘れられてしまっているようにすら思える。  『僕はこうして生きてきた NO GAMBLE,NO LIFE.』(コスモの本)は、そんな蛭子本人が幼少から現在までの半生を語る。  「遊んでいる時が人生で一番楽しくて充実した時間」だと語る蛭子。 “ギャンブラー”としての片鱗は、小学生のときからみえていたという。当時、友人とビー玉やお菓子を賭けて『自分が考えたゲーム』で遊んでいた。当然、考案した蛭子がそのゲームを熟知しているので、負けることはない。まるで、ドラマなどに登場するイカサマ師のようだ。  蛭子の有名なエピソードで、『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)に出演した際、タモリに井の頭公園の思い出を尋ねられ「よく青姦しにきた」と語ったというものがある。事実のようで「場所は井の頭公園の動物園とは反対側の森の中でした。(中略)やるなら絶好のロケーションでした。」と本書に詳細を綴っている。  また、蛭子を語るには外せない『ローカル路線バス 乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)。番組内で歯に衣着せぬ発言をする蛭子だが、蛭子なりに思うところがあるらしい。「あまり人に気を遣わない僕でさえやはり女優さんには気を遣います。だからマドンナがバラエティ系のタレントさんだと正直ほっとします」と胸の内を明かしている。“バス旅”は人気を博し、映画版が制作され今年公開された。  ほか、漫画雑誌ガロに掲載されたデビュー作「パチンコ」を全編掲載。「ギャンブラーこそ働き者である」「世の中は甘いものだと思いなさい」など、蛭子がギャンブラー人生のなかで会得した『蛭子流・ギャンブル人生の哲学』その24か条を網羅。 “ちょっとヤバい人”蛭子能収。その飄々としたキャラクターは波瀾万丈な人生から得たものに違いない。

「21世紀はホームレスの世紀」現代社会に警鐘を鳴らす圧倒的ルポ『釜ヶ崎から: 貧困と野宿の日本』

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『釜ヶ崎から: 貧困と野宿の日本』(筑摩書房)
 2000年代に入ってから、中学生や高校生などの若者たちによるホームレス殺人事件が頻発した。そのほとんどが、行き当たりばったりな理由だったことに恐怖を感じた人もいるだろう。そんな物騒な事件を久しく聞かなくなったが、一方で“ネットカフェ難民”や“マック難民”など、野宿者の若年化が社会問題となっている。 『釜ヶ崎から: 貧困と野宿の日本』(筑摩書房)は、その野宿者に迫った約360ページにわたるルポである。著者の生田武志は、野宿者が多くいる大阪・釜ヶ崎で実際に生活していたという人物。昼間は住民と同じようにキツい日雇い労働に従事し、夜はボランティアとして野宿者支援を30年間続けてきた。  生田が、初めて釜ヶ崎を訪れたのは学生のとき。当時のテレビ番組で、冬を迎える釜ヶ崎を見た。そこには、失業したため路上で暮らす人々が映っており、大阪市内だけで毎年数百人が路上死していると報じられていたという。「自分が今まで生活してきたのとはまったく違う世界が、行こうと思えば1、2時間のところにあるというのは大きな衝撃を受けた」と語っている。  現地では、他の住民たちと同じように狭いドヤ(簡易的な宿泊施設)に宿泊し、朝4時になると“寄せ場”と呼ばれる仕事が集まる場所へいった。そこでは、「1000円・8~5時・枚方市・土木」と仕事の概要が書かれたワゴン車が何台も並び、手配師と呼ばれる仲介業者によって現場に送り込まれる日々を繰り返した。  生田は、野宿者問題は社会と密接に関係していると語る。長期休みの大学生やフリーターが好んで日雇い労働を利用するようになってから、釜ヶ崎でも仕事が減った。若くて安い労働力にシフトしていき、比較的年配者が多い釜ヶ崎は相手にされなくなった。仕事が月に10日あるかないかが当たり前となり、ドヤ代すら支払えなくなった日雇い労働者が路上にあふれていったという。  最近になって、釜ヶ崎は姿を変えた。ドヤはマンションになり、日雇いの街は福祉の街になった。これはマンションだと「住居」とみなされ、生活保護が支給されるからで、ドヤの経営者たちは、生活保護受給者を住まわせることで収入を得ている。    ほか、野宿者を狙った貧困ビジネスや野宿者襲撃に関する構造など、知られざる貧困と社会の関係が克明に描かれる。 「21世紀はホームレスの世紀」。豊かさの裏側には、現代社会の歪な姿が見え隠れする。

憲法も、人魚姫も、明治維新も童貞のおかげ!? 世界を動かした「童貞」たち『童貞の世界史』

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『童貞の世界史』(パブリブ)
「童貞」であること。それに対してどこか「不完全な人間」というイメージを抱く人は少なくないだろう。「まだ女も知らないくせに」と揶揄され、「童貞のまま30歳を超えると魔法使いになる」とバカにされる童貞たち。「童貞を捨てる」という言葉に象徴されるように、現在の日本社会では、童貞とはできるだけ早く通過しなければならない人生のステージとして受け止められているようだ。  しかし、そんな我々の固定観念を鮮やかに覆す書籍が刊行された。松原左京と山田昌弘による『童貞の世界史 セックスをした事がない偉人達』(パブリブ)には、世界中で活躍した82人の童貞および処女たちが列挙されている。本書の中から、童貞としてその生涯を閉じた偉人たちを見てみよう。 『純粋理性批判』『実践理性批判』などを記し、ドイツ観念論の祖とされるイマヌエル・カントは、その生涯を通じて童貞を守りぬいた人物。彼は生涯において2度恋に落ちているが、慎重過ぎる態度のために、結婚までに至ることはなかった。女性との社交も巧みで、求愛の手紙を受け取ったこともあるカント。その著作において「男性は女性なくしては人生の満足を享受することができない」と書いているにもかかわらず、ついに女性と親密な関係になることはなかった。カントの著作『永遠平和のために』は、国連憲章や日本国憲法の第九条にも影響をもたらした名著として知られている。そんな「永遠平和」という哲学は、童貞だからこそ考えられたものであり、世界中の童貞たちが誇りに感じるべき事実かもしれない。  また、『人魚姫』『醜いアヒルの子』などを生み出した童話作家・アンデルセンと、『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』、日本を代表する童話作家・宮沢賢治は、どちらも童貞作家であった。  アンデルセンは、何人かの女性に対して片思いの愛情を抱いたこともあり、自慰行為の記録を日記につけているところからも、性欲がない人間ではなかった。けれども、「デンマークのオランウータン」というあだ名がつけられるほど外見の魅力にとぼしく、また、内気で繊細な性格や潔癖で純粋な価値観も災いし、女性の心を捕まえることはできなかったという。一方、「私は一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません」「性欲の乱費は君自殺だよ、いい仕事は出来ないよ」と語った宮沢賢治は、その生涯にわたって徹底的に女性の存在を遠ざけた。だが、最晩年には「禁欲は、けっきょく何にもなりませんでしたよ、その大きな反動がきて病気になったのです」と述懐しているように、禁欲的な生活は、彼にとって苦しみにしかならなかったようだ。いずれにせよ、誰もが子どもの頃にその作品に触れたアンデルセンと宮沢賢治。2人の童貞作家の精神が、いまだに子どもたちの豊かな想像力を刺激し続けているのだ。  この他にも、ルネサンス期を代表する芸術家・ミケランジェロや、高杉晋作・伊藤博文・久坂玄瑞などを育てた吉田松陰、『サグラダ・ファミリア』のアントニオ・ガウディ、『国富論』を記したアダム・スミスなど、歴史を動かしながらも下半身を動かさなかった偉人たちは数多い。古代ローマ時代の英雄であるユリウス・カエサルは、武勇を重んじたゲルマン人の間に「いちばん長く童貞を守っていたものが絶賛される。その童貞を守ることによって身長ものび体力や神経が強くなるものと思っている。二十歳前に女を知るのは恥としている」という風潮があったと証言している。童貞であっても、豊かな想像力を育み、体躯を強靭にし、後世に多大な影響を与えることもできるのだ。  優れた業績の前に、童貞であるか非童貞であるかは関係がない。現代の日本において、童貞の価値が低いからといって、それをコンプレックスに思う必要は全くないのである。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])

少年A、ネオむぎ茶、加藤智大、片山祐輔……「キレる17歳」と呼ばれた世代の“その後”

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著者の佐藤喬氏
 神戸連続児童殺傷事件(1997年)を起こした「少年A」や、西鉄バスジャック事件(2000年)の「ネオむぎ茶」、そして、土浦連続殺傷事件(08年)の金川真大、秋葉原事件(08年)の加藤智大。日本の犯罪史上に深く刻み込まれたこれらの事件の犯人たちは、1982~83年にかけて生まれた同世代だ。思春期には「キレる14歳」「キレる17歳」と言われ、社会から「不気味な若者」というまなざしを向けられてきたこの世代。そんな世代の特徴を、時代的な背景から浮き彫りにしたのが、83年生まれの佐藤喬氏による著作『1982 名前のない世代』(宝島社)だ。  思春期の頃には、当時の大人たちから多くの言葉が投げかけられ、さまざまな分析を施されてきたにもかかわらず、彼らには「ロスジェネ」や「ゆとり」といった世代を代表する名前が存在しない。いったい、82~86年にかけて生まれたこの「名前のない世代」とは、どのような存在なのだろうか? 「大人になれない」「オタク」「共感」といったキーワードから、この世代の特徴が浮かび上がってきた。 ――佐藤さんと同じく83年生まれの同世代として、本書はとても興味深い内容でした。まず、この本を書いたきっかけから教えてください。 佐藤 僕の世代の上にはロスジェネ、下にはゆとり世代がいる。彼らについての本はたくさん書かれているのに、この世代についての本がないのはなぜだろうと不思議に思っていたことが発端でした。特に昨年、元少年Aの名義で『絶歌』(太田出版)が出版されてからは誰かが書くのではないかと思っていたのですが、やはり書かれない。本書を執筆していてわかったのは、書かないのではなく、書きたくないということ。この世代は、世代論を避けてきたのかもしれません。 ――10代の頃に「キレる14歳」「キレる17歳」と言われ、メディアではさんざん世代の特徴について語られてきました。同じ世代を生きてきた人間として、「書きたくない」という気持ちはとてもよく理解できます。 佐藤 僕も正直言って、世代論は嫌いですし、子どもの頃も、大人たちに対しては「勝手なことを言いやがって」という気持ちがありました。もちろん、僕らの世代を批判するような論調のものには反抗したくなる一方、好意的な論調も気持ち悪かったんです。神戸連続殺傷事件のとき、少年Aの犯行声明文について「文学的」などという意見を述べていた大人たちもいたのですが、僕は「いや、単なる中二病だろう」と思っていた。もちろん、当時は中二病という言葉も生まれていませんが。 ――この世代には、言葉にしにくい「気分」のようなものが流れていると思います。本書でも言及されている少年Aや、秋葉原事件の加藤智大、西鉄バスジャック事件のネオ麦茶などの犯罪者は、あくまでも特殊例です。けれども、同世代としては、彼らに対してある種の共感も覚えます。 佐藤 今までの世代論は、無理やり共通項を見つけて語るか、特殊な個人に代表させて語ってきました。でも、この「気分」を形にするためには、どちらも不適切だったんです。だから、無理やり形に当てはめるのではなく、ぼんやりとしたものを浮かび上がらせながら共通項を探していきました。同じ30数年間を過ごしてきたのだから、時代を示していくことで、世代の輪郭が浮かび上がってくるのではないかと考えたんです。 ――この世代が過ごしてきた時代とは、どういうものでしょうか? 佐藤 思春期の入り口には阪神大震災が発生、オウムが「地下鉄サリン事件」(95年)を起こし、神戸連続児童殺傷事件(97年)がありました。翌年には、13歳の少年がバタフライナイフで教師を刺殺した栃木女性教師刺殺事件が起こります。その一方で、インターネットが普及し始め、世界が変わるかもしれないという希望が生まれた。有権者となる00年代には小泉純一郎が総理大臣になり、新自由主義的雰囲気の熱を経てから、しかし格差社会の時代に突入していく。加藤智大が事件を起こしたのは、社会人として仕事に慣れてきた08年です。そして、われわれが20代後半を迎えると、東日本大震災(11年)が発生しました。切れ目切れ目で、重要な事件が発生しているんです。そしてこの後、2020年には東京五輪が控えている。 ■オタク文化の全盛期 ――オタク文化が前面に出てきた時代であったことも、この世代の特徴として挙げられます。その背景には、多くの人間が「14歳」の当事者として『新世紀エヴァンゲリオン』(95年)を見てきたことも関係しそうですね。 佐藤 この世代にとって、秋葉原はひとつのキーワードかもしれません。加藤智大も金川真大も、事件前後には「メイド喫茶」に行っています。00年代になると、オタクたちが、表舞台に登場していくんです。97年に僕が初めて秋葉原に行った時には、マクドナルドと牛丼サンボくらいしか食べるところがなかったのに、どんどんと店も増えていった。同時期に東浩紀の『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、01年)や、大塚英志の著作などが話題となり、オタクや「オタク的なもの」が社会で存在感を持った。 ――そして、そんなオタクの地位向上は、現在のクールジャパンへとつながっていきます。 佐藤 ただ、『エヴァ』をはじめ、『ドラゴンボール』や『ファイナルファンタジー』など、この世代の代表的なコンテンツが「終わりそこねている」んです。卒業できず、次に進めていない。大人になりきれていないから、終わりそこねて「こじらせている」面はあるでしょう。 ――ある意味では、終わらないことを強いられた。 佐藤 そういったコンテンツを作ったのは、僕らの上の世代です。ネットも2ちゃんも。僕らの世代は与えられた世界の中で右往左往するばかりで、当事者になり損ねたんです。 ――そんなわれわれの世代と、下の世代とは様子が違うのでしょうか? 佐藤 次の世代というと、SEALDsが特徴的です。いろいろな意味で、彼らの登場は衝撃的でした。僕が20代前半のころは、やはり同世代の『電車男』にあるようにオシャレに四苦八苦していたのに、彼らは自然体な上に、センスがいい。その衝撃は、僕らの世代でないとわからないかもしれません。古谷経衡さんが書いていますが、SEALDsは政治の問題ではなく、文化運動として驚異的なんです。 ――彼らの活動の中には、政治運動としてのメッセージだけでなく、洗練されたカルチャーとしての側面もありますね。 佐藤 また、そんな彼らの活動に対して、上の世代が積極的に語りかけようとします。知識人と学生とが政治やカルチャーを通じてつながる中、僕らの世代はその間で「名前のない世代」として孤立している気がするんです。 ■共感の時代 ――ほかの世代とつながれない一方、ブログやTwitterでは自分語りを好むのも、世代的な特徴かもしれません。 佐藤 同世代の人が書いた本書のレビューに散見されるのが、著者である僕のエピソードが書かれていないということ。この本のような批評やノンフィクションには著者が出てこないのは当たり前なのに、本には自分語りがあるものだという前提があるんです。この世代には、自分語りでこそコミュニケーションが成立すると思い込んでいる人が多いかもしれません。 ――どんどんとクラスタが細分化され、同時に、狭いクラスタ内では過剰に「共感」がもてはやされるようになったのも00年代でした。どことなく、「共感」を媒介にしないと他者とつながれないという気分も抱えています。 佐藤 いわば「共感依存症」ですが、狭いクラスタの中で行われる共感は気分でしかないので、あっという間に敵対性へと反転して「炎上」を誘発します。そうすると、クラスタの中にいることができず、追い出されてしまう。だから、いつかクラスタを追い出されてしまうかもしれないという恐怖がある。その典型が加藤智大ですね。 ――彼は、ネット上の掲示板の中でなりすましの被害に遭ったことから、事件を引き起こしたと語っています。 佐藤 加藤が、共感を求めていたから犯罪に走ったと言っているわけではありません。ただ、彼は常に追放されるのを恐れながらも共感を求めて掲示板に出入りし、結局追い出された。もしも、彼が共感に価値を認めていなければ、違う行動を取ったかもしれません。 ――その意味では、共感ではない、自分語りではない、別のコミュニケーションの方法を生み出すことは、世代的な課題かもしれませんね。 佐藤 だから、この本を読んだ読者には共感をしてほしくない。共感ではなく、違和感や驚きを受け取って、納得してほしいと思います。この本は俗流世代論には否定的ですが、世代論を否定しているわけではありません。時代がある以上、世代があるのは事実です。ただ、表現しにくいというだけ。でも、棚卸しをしないと、結局、出発できない。だから、同世代に対しては「いったん整理して、卒業しませんか?」という思いも込めています。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン])

母親による射精介助、タブー視される性教育……世間が黙殺する「障害者と性」の実情とは

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『セックスと障害者』(イースト新書)
 今年3月、「週刊新潮」(新潮社)がスクープした乙武洋匡氏の不倫騒動は、世間の耳目を引き付けるニュースとなった。昨今の「不倫ブーム」に乗って注目された側面もあるが、少なくない人々が「障害者」と「セックス」との「意外な」結びつきに驚いたことだろう。  一般社団法人ホワイトハンズ代表・坂爪真吾氏の著書『セックスと障害者』(イースト新書)は、そんな「障害者の性」に対する誤解や偏見を解きほぐしていく一冊だ。「障害のある人も障害のない人と同じように、毎日の生活の中で恋愛やセックス、結婚や出産、育児の問題にぶつかり、時には笑いながら、時には悩みながら、それぞれの現実に向き合っています」と、坂爪氏が語る障害者の性の現実とは、一体どのようなものなのだろうか?   平成25年度版の障害者白書によれば、全国の障害者の数はおよそ741万人。うち、身体障害のある人の数は357万を数えている。しかし、障害者に対して「純粋」「かわいそう」「性的弱者」というイメージを持つ人は多く、乙武氏の不倫は必要以上にセンセーショナルなものとして受け取られた。だが、言うまでもなく障害者も人間であり、乙武氏に限らず、ほとんどすべての障害者が性的な欲求を持っている。  本書で紹介されている筋ジストロフィー症を患う孝典さん(仮名)は、小学校2年生から自慰行為を開始し、初めて射精に至ったのは小学校5年生の頃。小学校6年生から車椅子生活となった彼は、床に性器をこすりつける、いわゆる「床オナ」にいそしんでいた。だが、筋ジストロフィー症が進行するに従って、徐々に自力で自慰をすることが困難になる。彼は、母親にズボンと下着を脱がしてもらい、自慰の介助を頼んだこともあるが、思春期の性欲が高まる時期の大半を、ひたすら我慢と夢精によって耐え忍ばなければならなかったという。  障害者の目前には、障害がない人よりも、はるかに高い「性の壁」が屹立している。  その背景のひとつとして坂爪氏が注目するのが、障害者にとって最も頼りとなる「母親」という存在だ。子どもをケアするために、さまざまな支援を行う母親と子どもとの間には心理的に密着した関係が生じやすい。障害のある子どもの母親の中には、「自分だけの大切な宝物」として溺愛し、坂爪氏によれば「自分以外の誰かに欲望を抱く性的な存在であること、自分以外の誰かから欲望を抱かれる性的な存在になることを認められない人」もいるという。そんな、母親による過度な愛着は、障害を持った子どもを性的な情報から遠ざけ、彼らの性欲にフタをしてしまう。さらに、母親の愛情がプライベートな時間や空間を奪ってしまうことによって、障害を持った子ども自身の性的な自立や社会的な自立が妨げられてしまうのだ。  また、社会の中にホワイトハンズのような障害者の性に向き合う第三者の組織がないことも、母親が自立を阻む壁になってしまう原因のひとつ。孝典さんのケースでは、母親による自慰の介助は数回にとどまったが、母親が子どもの自慰行為を継続的に手伝うことは珍しくない。母親が性の介助をせざるを得ない状況は、障害者自身の自立を阻むだけでなく、重い精神的な負担として、双方を苦しめることとなってしまうのだ。  さらに、障害者に対する性教育がタブー視されていることも、社会における「障害者の性」を象徴しているだろう。現在でも「男女が話をするときには40cmは距離を開けなさい」と指導する特別支援学校があるように、学校や福祉の現場では「障害者と性」の問題は黙殺され、放置されてきた。特別支援学校の中で、定期的に性教育を行っている学校は全体のわずか3割。性教育はおろか、男女として触れ合う機会もないまま、多くの障害者が学校から社会へと出て行くのだ。  日本福祉大学社会福祉学部の木全和巳教授は、模擬カップルによる恋愛のロールプレイングや自慰のマナー、月経・出産といった身体のつくりなど、障害者に対して積極的な性教育を行っている人物。木全氏は、障害者の性教育がタブー視されている現状に対して「たった一度の人生の中で、かけがえのない存在として、人生の主人公として、お互い尊敬し合いながら生きていくために、生と性の学びは欠かせません。学ばせてもらえないこと自体が人権侵害だと私は思います」と、憤りを隠さない。  では、いったいどうして障害者の性は、ここまで抑圧されなければならないのだろうか? そこには、障害者を取り巻く人々の「善意」が存在しているという。  彼らは、障害児に対して、性について知ることなく、ただ周囲から「愛される障害者」に育ってほしいと願っている。性的な欲望を見せず、従順で、他人に迷惑をかけない存在としての障害者は、多くの人に愛されやすくなるだろう。しかし、そんな障害者像は、木全氏によれば「都合のいい障害者」にすぎない。意思を剥奪され、人間として当たり前の性欲すらも表に出さない「都合のいい障害者」ではなく、多くの困難やトラブルに見舞われ、誰かを傷つけたり、自分が傷ついたりしながら、性や恋愛に向き合っていく「愛する障害者」となること。それが本当の意味でのノーマライゼーションを実現するのだ。 日本のみならず、世界中で、障害者の性に対する支援は立ち遅れている。しかし、人間らしく生きていくためには性という問題は避けて通れず、障害者の性的な自立を奪うことは、恋愛、出産など、社会の中で人間として当たり前に生活していく権利を奪っていくことにほかならない。社会のタブーを打ち破り、「障害者と性」が当たり前に認められる世の中となること。そのためには、障害者に対する社会のまなざしこそを、変えていかなければならないのではないだろうか。  その意味で、乙武氏の不倫騒動から学ぶことは少なくない。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])

母親による射精介助、タブー視される性教育……世間が黙殺する「障害者と性」の実情とは

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『セックスと障害者』(イースト新書)
 今年3月、「週刊新潮」(新潮社)がスクープした乙武洋匡氏の不倫騒動は、世間の耳目を引き付けるニュースとなった。昨今の「不倫ブーム」に乗って注目された側面もあるが、少なくない人々が「障害者」と「セックス」との「意外な」結びつきに驚いたことだろう。  一般社団法人ホワイトハンズ代表・坂爪真吾氏の著書『セックスと障害者』(イースト新書)は、そんな「障害者の性」に対する誤解や偏見を解きほぐしていく一冊だ。「障害のある人も障害のない人と同じように、毎日の生活の中で恋愛やセックス、結婚や出産、育児の問題にぶつかり、時には笑いながら、時には悩みながら、それぞれの現実に向き合っています」と、坂爪氏が語る障害者の性の現実とは、一体どのようなものなのだろうか?   平成25年度版の障害者白書によれば、全国の障害者の数はおよそ741万人。うち、身体障害のある人の数は357万を数えている。しかし、障害者に対して「純粋」「かわいそう」「性的弱者」というイメージを持つ人は多く、乙武氏の不倫は必要以上にセンセーショナルなものとして受け取られた。だが、言うまでもなく障害者も人間であり、乙武氏に限らず、ほとんどすべての障害者が性的な欲求を持っている。  本書で紹介されている筋ジストロフィー症を患う孝典さん(仮名)は、小学校2年生から自慰行為を開始し、初めて射精に至ったのは小学校5年生の頃。小学校6年生から車椅子生活となった彼は、床に性器をこすりつける、いわゆる「床オナ」にいそしんでいた。だが、筋ジストロフィー症が進行するに従って、徐々に自力で自慰をすることが困難になる。彼は、母親にズボンと下着を脱がしてもらい、自慰の介助を頼んだこともあるが、思春期の性欲が高まる時期の大半を、ひたすら我慢と夢精によって耐え忍ばなければならなかったという。  障害者の目前には、障害がない人よりも、はるかに高い「性の壁」が屹立している。  その背景のひとつとして坂爪氏が注目するのが、障害者にとって最も頼りとなる「母親」という存在だ。子どもをケアするために、さまざまな支援を行う母親と子どもとの間には心理的に密着した関係が生じやすい。障害のある子どもの母親の中には、「自分だけの大切な宝物」として溺愛し、坂爪氏によれば「自分以外の誰かに欲望を抱く性的な存在であること、自分以外の誰かから欲望を抱かれる性的な存在になることを認められない人」もいるという。そんな、母親による過度な愛着は、障害を持った子どもを性的な情報から遠ざけ、彼らの性欲にフタをしてしまう。さらに、母親の愛情がプライベートな時間や空間を奪ってしまうことによって、障害を持った子ども自身の性的な自立や社会的な自立が妨げられてしまうのだ。  また、社会の中にホワイトハンズのような障害者の性に向き合う第三者の組織がないことも、母親が自立を阻む壁になってしまう原因のひとつ。孝典さんのケースでは、母親による自慰の介助は数回にとどまったが、母親が子どもの自慰行為を継続的に手伝うことは珍しくない。母親が性の介助をせざるを得ない状況は、障害者自身の自立を阻むだけでなく、重い精神的な負担として、双方を苦しめることとなってしまうのだ。  さらに、障害者に対する性教育がタブー視されていることも、社会における「障害者の性」を象徴しているだろう。現在でも「男女が話をするときには40cmは距離を開けなさい」と指導する特別支援学校があるように、学校や福祉の現場では「障害者と性」の問題は黙殺され、放置されてきた。特別支援学校の中で、定期的に性教育を行っている学校は全体のわずか3割。性教育はおろか、男女として触れ合う機会もないまま、多くの障害者が学校から社会へと出て行くのだ。  日本福祉大学社会福祉学部の木全和巳教授は、模擬カップルによる恋愛のロールプレイングや自慰のマナー、月経・出産といった身体のつくりなど、障害者に対して積極的な性教育を行っている人物。木全氏は、障害者の性教育がタブー視されている現状に対して「たった一度の人生の中で、かけがえのない存在として、人生の主人公として、お互い尊敬し合いながら生きていくために、生と性の学びは欠かせません。学ばせてもらえないこと自体が人権侵害だと私は思います」と、憤りを隠さない。  では、いったいどうして障害者の性は、ここまで抑圧されなければならないのだろうか? そこには、障害者を取り巻く人々の「善意」が存在しているという。  彼らは、障害児に対して、性について知ることなく、ただ周囲から「愛される障害者」に育ってほしいと願っている。性的な欲望を見せず、従順で、他人に迷惑をかけない存在としての障害者は、多くの人に愛されやすくなるだろう。しかし、そんな障害者像は、木全氏によれば「都合のいい障害者」にすぎない。意思を剥奪され、人間として当たり前の性欲すらも表に出さない「都合のいい障害者」ではなく、多くの困難やトラブルに見舞われ、誰かを傷つけたり、自分が傷ついたりしながら、性や恋愛に向き合っていく「愛する障害者」となること。それが本当の意味でのノーマライゼーションを実現するのだ。 日本のみならず、世界中で、障害者の性に対する支援は立ち遅れている。しかし、人間らしく生きていくためには性という問題は避けて通れず、障害者の性的な自立を奪うことは、恋愛、出産など、社会の中で人間として当たり前に生活していく権利を奪っていくことにほかならない。社会のタブーを打ち破り、「障害者と性」が当たり前に認められる世の中となること。そのためには、障害者に対する社会のまなざしこそを、変えていかなければならないのではないだろうか。  その意味で、乙武氏の不倫騒動から学ぶことは少なくない。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])