さよなら119系 浅春の飯田線の旅――雨と涙の下山ダッシュ

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 3月某日、『究極超人あ~る』を見ていたら、急に飯田線に乗りたくなった。折しも飯田線の名物車両・119系が3月で引退するという。かくて、40リットルのザックに寝袋や食料を詰め込んで、自転車も担いでの旅路は東京駅から始まった。  東京駅で「青春18きっぷ」を購入し、熱海行きの東海道線。徹夜明けでそのまま出発したので、少し休みたいと思って贅沢にグリーン車に乗ってみたら、やたらと混雑をしていた。主な乗客は年配の団体。おそらくは伊豆方面への温泉旅行なのだろうと思いつつ目をつむり、気がつくと早や熱海に到着していた。ホームの向かいには浜松行きが待っていたが、以前、慌てて乗車したらトイレ無し車両だった悪夢を思い出し、一本見送って、次の列車に乗車する。  静岡が近づくと、高校生がトイレで一服する姿も見えて、次第にローカルな感じが漂ってくる。「青春18きっぷ」で旅行する者なら誰もが知っていることだが、静岡県は東西に長い。ずっと乗りっぱなしなのは旅行者くらいのものだ。浜松に到着した頃には、もう夕方6時過ぎになっていた。仕事を終えて帰宅する人々の姿も多く見られる。都内ならば、まだ誰もが必死に仕事をしている時間だろう。賃金は安くとも地縁・血縁に庇護されて、夕方には家に帰ることのできる地方在住者とどちらが幸せだろうかと考えているうちに、列車は豊橋駅に到着した。駅構内の立ち食い蕎麦屋で、きしめんを一杯。ようやく飯田線の旅路の始まりだ。乗り込んだ平岡行きは、まだ7時前だというのに最終列車である。
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豊橋駅の立ち食い「壺屋」のきしめん。ただでさえ絶品なのに、刻み揚げがかけ放題
 しばし、都市近郊の代わり映えしない風景が続くが、気がつくと列車はガランとして、時刻表を手にした、いかにもな愛好者ばかりになっていた。途中駅で、高校生らしき二人組と話してみると地元民だそうで、このところは毎週のように飯田線に乗っているという。119系は次々と廃車回送が行われているそうで、もう乗車するのは難しいという話を聞かされる。
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残念ながら、119系じゃなかった……

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飯田線の旅路は長い。中部天竜駅に到着しても、まだ旅は始まったばかりか?
「でも、運転手に聞いたら、えちぜん鉄道に持っていくかもって話もあるんですよ」  といった情報も。飯田線から姿を消しても、二度と乗れなくなるわけじゃなかったらいいかななどと話しつつ列車に戻る。と、ドアが締まり、今まさに走り始めようとした時に「あれ、(対向列車が)313系の音じゃないな……」とつぶやく高校生。そして、向かいのホームに滑り込んできたのは119系。しかし、我々の乗っている列車は無情にも発車していくのであった……。
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この駅をはじめ、為栗とか金野とか難読駅名の宝庫でもある

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終電も行ってしまった小和田駅。いったい、これからどうすればいいんだろうか

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一応、小和田駅に来たらあちこち写真を撮影しないと損だよね
 音で車両を判断できるレベルの高さに、彼らの将来に期待しつつ、この日の旅路を小和田駅で終えた。 ■飯田線の儀式「下山ダッシュ」  翌朝、小和田駅から始発電車に乗り込む。登山に使っている40リットルのザックを背負い、自転車も担いで乗り込めば、車内はやはり鉄道愛好家風の人々がちらほらと。しかし、乗車駅と持ち物は、こちらのほうが妙らしく「この人はなんなのだろう」と、チラ見されている。たしかにザックはともかく、自転車まで持っているのは珍しいかもしれない。
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駅ノートはバックナンバーまで完全に完備。多くの人が降りる観光名所になっている

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夜が明けて、ようやく駅周辺の全貌がわかってきた

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観光気分だけど、夏の北アルプスの登山装備を着込んでなんとか……という寒さです
 『究極超人あ~る』を見ている人ならばピンと来るだろうが、自転車を持参したのには目的があった。「下山ダッシュ」の完遂が、それである。さすがにザックを背負って走るのは辛いので、妥協の産物が自転車である。しかし、天候は最悪。車内アナウンスが「次は下山村~」とアナウンスする頃には大粒の雨が降り始めている。しかし、ここで諦めては自転車を持参した意味がない。慌てて雨ガッパを着込み、ザックを背負う。  駅に到着しても、慌ててはならない。地図を確認しながら、列車が見えなくなるまで見送るのだ。「また20分後に会いましょう」と、つぶやきながら。
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下山村駅8:02。あの列車にもう一度乗るのだ

 列車が見えなくなったら、自転車に跨り、交通ルールを守りながらも猛ダッシュである。目指すは、伊那上郷駅。距離はさほどではないが、下山村駅から伊那上郷駅はすべて上り坂である。次第に雨が強くなってくるし、準備運動もしていないので、自転車とはいえ、筋肉が悲鳴を挙げる。  雨も降っているし、田舎ゆえか車は走っているけれども、歩行者はまったく見かけない。
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伊那上郷駅8:24。あまりに必死だったので途中の写真はナシ
 ザックを背負って、雨ガッパを着込んで必死に自転車を漕いでいる様は、ちょっと異様である。とはいえ、乗り遅れれば敗北感と共に、一時間あまり呆然と次の列車を待たなければならない。必死でペダルを漕いで進めば、さらに坂道はキツくなっていく。「アホらしい、もうやめようかな……」と、半ば諦めそうになったところで、ようやく目の前に線路と踏切が見えた時は、心底ホッとした。こうして、列車到着の5分前に伊那上郷駅に到着することができたのである。
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ありがとう、俺の轟天号
 成功を祝って一人で缶ジュースで乾杯して、20分ほど前に別れた列車に乗車。車掌は「ああ、さっきの人か」といった感じで、一瞥して横を通り過ぎていく。おそらく、この路線に乗務していたら、電車と競争する人なんて、珍しくもなんともなくなっているのだろうか。  飯田線が飯田市内をオメガカーブを描くように走るがために、直線距離で走れば列車に追いつくことができるという「下山ダッシュ」。今でも、自転車ではなく自分の足で挑戦する人は多いというが、最初は伊那上郷駅からスタートすることをオススメする。ずっと下り坂なので、ちょっとは楽なハズだ。 ■今も健在! 元祖「アニメの聖地」  再び列車に乗って次の目的地、田切駅を目指す。ここが、今では知る人ぞ知るアニメの聖地だということは、どれだけの人が知っているだろうか。今回の旅行のきっかけであった『究極超人あ~る』のOVAが製作されたのが1991年。その時に前述の「下山ダッシュ」と並んで登場したのが、この田切駅である。一時は、数多くのファンが訪れたという、まさに<聖地巡礼>の元祖ともいわれる駅である(最近は麻雀漫画『咲-Saki-』の聖地だったりもする)。そして、駅近くの元酒屋だった個人宅では、今でも『究極超人あ~る』の駅スタンプを保管しているという。
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ようやく辿り着いた! ここが元祖アニメの聖地

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ここが元祖、アニメに出た光景

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こっちも同じく
 期待を持って降りた田切駅は、ホームが極端に狭い駅だ。小さな待合室にはタバコの吸い殻が転がっていたので、まずは聖地に到達した感動を味わいつつ、簡単に掃き掃除(ホウキとちりとりは備え付け)。そして、駅周辺を撮影しながら駅スタンプを求めて歩き出す。  事前に、駅スタンプを保管している酒屋は今は商売をやめていて個人宅になっているという情報を得ていたが、元酒屋っぽい建物はすぐに見つかった(今は個人宅のためかネットでも詳細な情報は掲載されていない。もし、これを読んで訪問を決意したならば、自分で調べてほしい)。とはいえ、個人のお宅なので迷惑でないか躊躇しながらドアをノックする。すぐに返事がして、おばあさんが出てくる。 「あの、こちらに駅スタンプがあると聞いてきたのですが……」  と尋ねると、店のほうに回るよう指示され、店だった部分の戸を開けて中に招いてくれた。出してくれたのはスタンプと駅ノート。開いてみれば、今年になってからも10人あまりが既に訪問していた。聞けば、多い時には30人も来たことがあるというし、かつてのブームの時以来、今では子ども連れで訪れてくれる人もいるそうだ。おばあさんも「ああ、“あ~るくん”のファンね」「119系もなくなっちゃうね」と、とても詳しかった。そんな歴史の重みを感じるノートをじっくりと見せてもらったが、誰もが田切駅を訪れた感動を書き記している。
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これが、あの駅スタンプ。今でも大切に使われている

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かつて行われたファンのツアーのポスターも貼られている
 きっと、現在盛り上がりを見せているアニメの聖地も、廃れて誰も来なくなるなんてことはなくて、数が減っても何度も訪問する人は絶えないだろう。
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ここまで来なければ絶対に手に入らない。その苦労が楽しい
 丁重にお礼の言葉を述べて、再び田切駅から次の目的地に向けて列車に乗り込む。こうして綴ると、順調に列車が来ているように見えるかもしれないが、通常の飯田線の運転感覚は1時間に1本程度。それに、全線は乗りっぱなしでも7時間はかかる長大な路線だ。  とにかく、この路線に来ると時間はゆっくりと流れていく。乗っている時も、誰もいない駅で待っているときも。都会でせかせかと過ごしている時には、絶対に味わえない贅沢な時間の使い方が、ここではできるのだ。旅行だからといって、値段の高い旅館に泊まったり、贅沢な料理を食べなくてもよい。流れていく車窓を長めながら、うとうととしているだけで十分に満足することができるのだ。  乗るなり、撮るなり、聖地巡礼なり、多様な楽しみ方ができるのも魅力だろう。『飯田線のバラード』を聞きながら、ずっとこのまま乗り続けていたいと思った。 (取材・文=昼間たかし/次回は伊那市駅に停まります)

この「青春」って味わいたいか? 松本市「旧制高等学校記念館」に行ってみた!

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 JRが発売する「青春18きっぷ」。この春の期間も、いよいよ10日までとなった。学生ならいざしらず、社会人になると、鉄道旅行を楽しむ時間を確保するには、己の才覚をフルに発揮せねばならぬところ。紀行作家の宮脇俊三は、作品も一流だけれど編集者としても一流、中央公論社の常務にまでなったわけで、社会人としても一流。その文章を読んでいると、土日に旅行に出かけて、月曜日の朝に東京駅に到着、そのまま出社ということも記されている。なるほど、旅を趣味にするには体力も必須か。  さて、いくら日本が一極集中の進んだ国だからといって、東京で得られる情報ばかりではない。なので、旅行はネタ探しの一環。そこで、「青春18きっぷ」を手に得た面白ネタを記していくことにする。  3月某日、筆者は長野県の松本駅に降り立った。松本市は、南信地方の大都会。ちょうど休日だったのか、中央本線の各駅停車は、家族連れや若者たちで混雑していた。松本市までは新宿から特急で約2時間半と、東京からはかなりの距離のある街。にもかかわらず、都会の香りはあり、文化レベルも高い不思議な場所だ(ちなみに、オタクショップは駅前に)。  加えて妙なのは、単ににぎやかな街というわけでなく、文化レベルも高いということ。象徴的なのは、松本市の目抜き通りに位置する松本市美術館である。主に、この地域にゆかりのある芸術家の作品を展示しているのだが、目玉は、玄関脇に展示されている草間彌生の作品「幻の華」。草間彌生といえば、一般にはちょっとアレな感じの現代美術家と認識されていると思うのだが、その作品を「どうだ!」とばかりに展示する、この美術館は懐が深い!
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ここが市の名所! う~ん、すごいセンスだ。
 この妙な文化レベルの高さを生み出した要因となっていたのが、おそらく旧制高校の存在だ。この街に存在した旧制松本高等学校は、作家・北杜夫をはじめとした多くの人材を輩出した高校だ。その校舎の一部は今でも現役で使われ、「旧制高等学校記念館」という博物館もある。普段から「寮歌」を愛唱する筆者として、これは訪れるしかないスポット。さっそく足を運ぶことにした。  まずやってきたのは、かつての旧制松本高等学校の本館。現在は文化会館や図書館として使用されているそうで、保存状態は良好だ。東京だったら、“スペースを有効活用する”という触れ込みで、こうした建物でも保存せずに取り壊されかねないところ。それを、現在でも全室を博物館などにするのではなく、現役の建物として使用しているのだから、松本市はすごい。本館で当時を再現する形で公開されているのは、教室と校長室の部分。当然ながら、机も椅子もすべてが木製である。古ぼけた木の独特の感触が、古き良き時代を感じさせてやまない。
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本館は古いけど現役。隣の記念館は単なるビル。
 さて、本館の隣にあるのが、この探訪の目的である「旧制高等学校記念館」だ。ここは、全国にあった旧制高等学校の資料を収集し展示する施設。かつて使われていた、旗、書、当時の教科書から答案までさまざまなものを展示している。戦前の教育システムでは、旧制高等学校は入学した時点で、もはやエリート確定。大学は選ばなければどこかに入学できるし、学生にもかかわらず社会的地位も高い。
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内装もほとんどそのまま。この時代が好きな人にはたまらない。

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この椅子で授業を受けていたら、確実にお尻が痛くなりそうだな。
 さらに、原則的に全寮制だったこともあり、そこには独特の文化が生まれた。今でもそれを懐かしむ風潮は強く、さまざまな創作にも生かされているわけだが、この記念館は文字通り「あの頃は楽しかったなあ~」が展示のスタンスなのだ。
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この窓の外には、どんな青春の光景があったのだろうか。

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旧制高校に関するあらゆる物品が展示されている。
 ゆえに、フツーの博物館と呼ばれる施設に比べて、ちょっと妙な感じが。それが如実に現れているのが、展示の説明文だ。通常の博物館ならば、無機質な感じで「これは○○年に撮影された写真で、○○をしている姿である~」と、わかりやすく説明するだろう。でも、ここはちょっと違う。  当時の寮で撮影された写真には「常識や不潔を超越し、カオスの中に沈潜呻吟してこそ青春であるとする若者の部屋である」との説明文が。さらに、ほかの説明文を見ると「店構えは粗末だが、おやじの気風が気に入った」など、個人の感想も。かと思えば「憂愁を秘めた麗人佐々木きみは、三高生の共同幻想の女性、いや生身の女性であったのか」……うーん、この説明文を書いた主は、喫茶店のウェイトレスに袖にされた悔しさを長い人生で、ずっと引きずっていたのか?
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「外見に惑わされない精神=バンカラ」。単に汚いだけか?

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この上から目線。「お前とは身分が違う」と言いたいのか?

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おそらく故人だろうけど。展示で名前晒し上げなんて……。
 こうした展示をたどっていき、「青春の思い出」が最高潮に達するのは、当時の学生寮の一室を再現した展示だ。畳にせんべい布団の部屋はとても住み心地はよいと思うのだが、問題は壁に書かれた青春のほとばしりだ。うーん、現代の若者がこんなところで過ごしたら何日持つだろうか。プライバシーの概念なんか皆無っぽいから、筆者は即日逃亡しそうだ。ぶっちゃけ、過去から現代まで、「旧制高校=青春=最高!」という意識を持つ人も多いけれど、その逆もしかり。エリート意識ばかりを肥大させた欠陥だらけの教育システムという見方もある。
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この問題、解けた人は編集部までご連絡を。

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この部屋に住みたい! とは決して思わない。
 ともあれ「青春」を大義名分にして、やりたい放題ができたのはうらやましい限り。誰もが進学と就職で頭がいっぱいの現代では、こんな無茶な青春なんてあり得ないのだから。ミュージアムショップには、これまた旧制高校グッズがたくさん売られているので、自宅に帰ってからも、無軌道な青春が味わえるぞ。 (取材・文=昼間たかし)
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【関連記事】 ・今年こそ出かけよう! 黒部の秘境を貫く「高熱隧道」見学ツアー純・木造駅舎の記憶と記録とノスタルジー 消えゆく鉄道遺産『木造駅舎の旅』“新秋葉電気鉄道”出発進行! 鉄ヲタ大満足の鉄道居酒屋藤子不二雄Aだらけの町・富山県氷見市!ファン狂喜乱舞モノ!?  藤子・F・不二雄ミュージアムに行ってきた

この「青春」って味わいたいか? 松本市「旧制高等学校記念館」に行ってみた!

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 JRが発売する「青春18きっぷ」。この春の期間も、いよいよ10日までとなった。学生ならいざしらず、社会人になると、鉄道旅行を楽しむ時間を確保するには、己の才覚をフルに発揮せねばならぬところ。紀行作家の宮脇俊三は、作品も一流だけれど編集者としても一流、中央公論社の常務にまでなったわけで、社会人としても一流。その文章を読んでいると、土日に旅行に出かけて、月曜日の朝に東京駅に到着、そのまま出社ということも記されている。なるほど、旅を趣味にするには体力も必須か。  さて、いくら日本が一極集中の進んだ国だからといって、東京で得られる情報ばかりではない。なので、旅行はネタ探しの一環。そこで、「青春18きっぷ」を手に得た面白ネタを記していくことにする。  3月某日、筆者は長野県の松本駅に降り立った。松本市は、南信地方の大都会。ちょうど休日だったのか、中央本線の各駅停車は、家族連れや若者たちで混雑していた。松本市までは新宿から特急で約2時間半と、東京からはかなりの距離のある街。にもかかわらず、都会の香りはあり、文化レベルも高い不思議な場所だ(ちなみに、オタクショップは駅前に)。  加えて妙なのは、単ににぎやかな街というわけでなく、文化レベルも高いということ。象徴的なのは、松本市の目抜き通りに位置する松本市美術館である。主に、この地域にゆかりのある芸術家の作品を展示しているのだが、目玉は、玄関脇に展示されている草間彌生の作品「幻の華」。草間彌生といえば、一般にはちょっとアレな感じの現代美術家と認識されていると思うのだが、その作品を「どうだ!」とばかりに展示する、この美術館は懐が深い!
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ここが市の名所! う~ん、すごいセンスだ。
 この妙な文化レベルの高さを生み出した要因となっていたのが、おそらく旧制高校の存在だ。この街に存在した旧制松本高等学校は、作家・北杜夫をはじめとした多くの人材を輩出した高校だ。その校舎の一部は今でも現役で使われ、「旧制高等学校記念館」という博物館もある。普段から「寮歌」を愛唱する筆者として、これは訪れるしかないスポット。さっそく足を運ぶことにした。  まずやってきたのは、かつての旧制松本高等学校の本館。現在は文化会館や図書館として使用されているそうで、保存状態は良好だ。東京だったら、“スペースを有効活用する”という触れ込みで、こうした建物でも保存せずに取り壊されかねないところ。それを、現在でも全室を博物館などにするのではなく、現役の建物として使用しているのだから、松本市はすごい。本館で当時を再現する形で公開されているのは、教室と校長室の部分。当然ながら、机も椅子もすべてが木製である。古ぼけた木の独特の感触が、古き良き時代を感じさせてやまない。
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本館は古いけど現役。隣の記念館は単なるビル。
 さて、本館の隣にあるのが、この探訪の目的である「旧制高等学校記念館」だ。ここは、全国にあった旧制高等学校の資料を収集し展示する施設。かつて使われていた、旗、書、当時の教科書から答案までさまざまなものを展示している。戦前の教育システムでは、旧制高等学校は入学した時点で、もはやエリート確定。大学は選ばなければどこかに入学できるし、学生にもかかわらず社会的地位も高い。
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内装もほとんどそのまま。この時代が好きな人にはたまらない。

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この椅子で授業を受けていたら、確実にお尻が痛くなりそうだな。
 さらに、原則的に全寮制だったこともあり、そこには独特の文化が生まれた。今でもそれを懐かしむ風潮は強く、さまざまな創作にも生かされているわけだが、この記念館は文字通り「あの頃は楽しかったなあ~」が展示のスタンスなのだ。
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この窓の外には、どんな青春の光景があったのだろうか。

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旧制高校に関するあらゆる物品が展示されている。
 ゆえに、フツーの博物館と呼ばれる施設に比べて、ちょっと妙な感じが。それが如実に現れているのが、展示の説明文だ。通常の博物館ならば、無機質な感じで「これは○○年に撮影された写真で、○○をしている姿である~」と、わかりやすく説明するだろう。でも、ここはちょっと違う。  当時の寮で撮影された写真には「常識や不潔を超越し、カオスの中に沈潜呻吟してこそ青春であるとする若者の部屋である」との説明文が。さらに、ほかの説明文を見ると「店構えは粗末だが、おやじの気風が気に入った」など、個人の感想も。かと思えば「憂愁を秘めた麗人佐々木きみは、三高生の共同幻想の女性、いや生身の女性であったのか」……うーん、この説明文を書いた主は、喫茶店のウェイトレスに袖にされた悔しさを長い人生で、ずっと引きずっていたのか?
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新入社員は「Uターン転職男」と「養殖漁師」!? 被災ローカル線が"鉄道ダンシ"キャラを公募


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三陸鉄道公式サイトより
 東日本大震災の津波により大きな被害を受けた岩手県三陸鉄道(以下、三鉄)が来年度の新入社員キャラクターを募集し、ネット上で話題となっている。  岩手県の沿岸部を走る三陸鉄道は1984年開業で、宮古と久慈を結ぶ北リアス線(71.0km)と、盛(さかり)と釜石を結ぶ南リアス線(36.6km)からなる。国鉄時代の赤字ローカル線を引き継いだ第3セクターで、過去20年近く赤字が続いているという。  今回の震災で宮古駅の本社は被害を免れたものの、沿岸部を走る路線とあって、全線にわたって津波の被害を受けた。中でも島越(しまのこし)駅は駅舎が付近の陸橋とともに丸ごと消えてしまうという壊滅的な状況だったが、震災直後、社長自ら被害の現場を視察。震災5日後には一部区間で運転を再開させた。また、運転を再開した3月16日から31日までは運賃を無料にし、被災した地元住民の足となるため、採算を度外視した対応を行ってきた。現在は2014年4月の全線復旧に向け、全社員が一丸となって取り組んでいる。  今回のキャラクター募集について、同社公式サイトでは「全線再開と将来に渡る弊社の発展を見据え、また、地域雇用の確保という視点から、地元出身の男性社員キャラクターを募集することとなりました」と説明。「田野畑」と「恋し浜」という名字の2名のキャラクターを募集している  名前、勤務地、仕事内容といったベースとなる情報に加え、容姿や性格、人物背景等までこと細かに設定されており、「田野畑」青年はクールだが、心には地元への熱い思いがある人物。実家は酪農家で、高校時代は三鉄で通学していたので運転士に憧れているそう。東京の大学を卒業後、一旦就職するも震災を契機に帰郷。現在は実家を手伝いながら地域復興・活性化を考えており、三鉄に興味を持ったという設定。  一方、「恋し浜」青年は海の男で情に厚く、面倒見がいい。大船渡市小石浜出身で実家は代々、ホタテの養殖漁師。高校卒業後、漁師になるが、地域の活性化のため仲間と駅名改称に取り組んだことをきっかけに、三鉄と関わるようになる。三鉄復興を三陸復興のシンボルと考え、その手伝いをしたいと考えているそうだ。  今回の震災では、JR東日本が東北新幹線の復旧を急いだ反面、被災したローカル線の多くはいまだに完全復旧の目途が立っていないというのが現状だ。現行法上、三鉄の復興費用110億円のうち、国庫負担が可能なのは4分の1まで。残りの4分の1を地元自治体、2分の1を事業会社が負担しなければならず、三鉄の負担は約55億円に上る計算になる。これまで赤字経営だった三鉄にとっては、この額は致命的といっても過言ではない。そんな苦しい状況にありながらも、「当社の使命は、地域住民の皆様の生活の足となること、そして三陸沿岸地域の産業振興や地域の活性化に貢献することです。私たちは、被災地の復興のシンボルとなるよう、そして県内外から多くのお客様をお迎えして地域振興に貢献できるよう、社員一丸となって努めてまいります」と復旧に向け力強く語る三鉄を、ぜひ応援したい。  なお、キャラクターの募集期間は12月4日~2012年1月31日まで。2月中下旬に"内定が決定"し、"入社予定"は4月1日だという。 ●三陸鉄道 公式サイト <http://www.sanrikutetsudou.com/>
三陸鉄道運転席展望~南リアス線~2011年2月14日撮影 鉄ヲタ集まれ! amazon_associate_logo.jpg
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新幹線の現役運転士が語る時速270キロの世界『新幹線を運転する』

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『新幹線を運転する』
(メディアファクトリー)
 フランスのTGV、ドイツのICEと高速鉄道は数あれど、日本の新幹線の正確さは世界に類を見ない。速さではTGV(時速320キロ)に抜かれたが、1964年、世界に先駆けて開業して以来長らく、新幹線は世界最速の鉄道だった。そもそもダイヤがほとんど乱れず、定刻どおりに運行している国は日本だけ。このシステムこそ、鉄道大国と言われるゆえんだろう。  新幹線が優れているのはテクノロジーだけではない。『新幹線を運転する』(メディアファクトリー)は、ノンフィクション作家・早田森氏が一人の現役新幹線運転士に取材し、運転士業務の知られざる実情に迫った新書だ。驚異の運転技術や緻密に決められた仕事の流れ、運転室からの風景など、普段、われわれが見ることのできない舞台裏が子細に描かれており、鉄道ファンならずとも興味深い一冊だ。ちょうど、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』のようなドキュメンタリー番組を見ている感じだと言えるだろうか。巻末には5人の現役東海道新幹線運転士による座談会も収録されている。  木内辰也氏は、東海道新幹線が開通した1964年生まれの現役東海道新幹線運転士。幼いころから電車が大好きで、旧・国鉄に入社したのち、在来線運転士などを経て、幾度もの厳しい審査・試験に合格して新幹線運転士となった。列車長も兼務するキャリア21年のベテラン運転士で、JR東海の社内コンテストにおいて優勝したほどの人物だ。運転士の技術とは、定刻に到着する、停止位置どおりに止まることはもちろん、「ATCに当てない運転が上手な運転」であると木内氏は語っている。東海道新幹線では、区間ごとに細かくATC(自動列車制御装置)の制限速度が決まっている。余計なブレーキをかけず、かつ運行ダイヤを乱さず到着させるためには、絶えず制限速度ギリギリで走行しなければならない。そのため、東海道新幹線全17駅間の距離・通過時刻・制限速度など、木内氏の頭にはあらゆる情報がインプットされている。そんなスゴ腕運転士の木内氏であるが、ゲーム「電車でGO!」(タイトー)はあまり得意ではないらしい。  意外にも、新幹線の運転士をメインに扱った本はこれまでに少ない。 「走りがあまりにスムースすぎるため、『生身の人間が運転している』ことすら、すっかり忘れていた」  と、著者の早田氏がまえがきで述べているように、運転士の存在を忘れるほどに新幹線は安全で正確な運行をしている。その安全・正確・迅速の裏側をあらためてクローズアップしたのがこの『新幹線を運転する』である。"新幹線の運転士"として、尋常ならざる気概とプライドを持って仕事に臨む木内氏の姿に、読者は大きく心を動かされることだろう。 (文=平野遼) ●はやた・しん ノンフィクション作家。1960年東京都生まれ。千葉大学卒業後、編集プロダクション勤務を経て、独立。雑誌を中心に活躍してきた。読む者の心を揺さぶる筆致に定評があり、書籍のライターとしての仕事も数多い。ノンフィクション作家としては、本書がデビュー作となる。
新幹線を運転する フロリダの高速鉄道計画は頓挫しちゃいましたが。 amazon_associate_logo.jpg
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