国鉄民営化から30周年を記念したJR7社共同企画のイベントツアーが、発売即完売となり話題を集めている。 「24の列車で繋ぐ じっくり日本列島縦断10日間」と題された、このツアーは9泊10日。費用は39万から48万円と告知されていた。 旅程は、ほぼ列車に乗りっぱなしで日本中を巡るという、かなりの強行軍。初日は、上野から寝台列車・カシオペアで北へ。新青森駅からは新幹線に乗り換え、さらに列車を乗り継いで札幌へ。翌日は本州に戻り仙台で一泊した後、東京~名古屋経由で西へ。さらに北陸から四国・九州も巡った後に東京へ戻ってくるというもの。日によって異なるが、食事もあり、観光時間もある文字通りのツアーである。 とはいえ、かなりの駆け足。一種、苦行のようなプランであることは間違いない。 実は、こんなスパルタなツアーは他にも企画されていて「新幹線で行く 日本列島縦断3日間」は、1人15万円。初日、新函館北斗から、新幹線を乗り継いで3日目に鹿児島中央駅に到着する。こちらは、2日目にいったん新幹線を離れて、四国に渡り金比羅宮の参拝までついている。 「鉄道を用いたエクストリームな旅を求める人というものは、昔から絶えないものです」と、話すのは最長片道切符の旅に挑戦したこともある、鉄道マニア氏。最長片道切符とは、日本列島の鉄道を一筆書きで旅するというもの。ルートに変遷はあるが、現在では稚内駅から肥前山口駅までが最長ルートとされている。特急などを利用しなければ10万円を切るので、安いといえば安い。とはいえ、膨大な時間と我慢が強いられる旅である。 「在来線で長時間ロングシートに座っているとか、苦行ですよね。それに比べると件のツアーは苦行っぽい雰囲気を味わうもの。観光のついでにお寺の宿坊に泊まってるのと同じ、気軽さがありますよね」(同) とはいえ、その旅程を記録した故・宮脇俊三さんの『最長片道切符の旅』(新潮文庫)が、いまだにロングセラーになっているあたり、いつかは挑戦をしたいという人が絶えないということか。やがては、ラグジュアリーな雰囲気の9泊10日程度では物足りないという声も出てくるだろう。そのうち、最長片道切符ツアーとか企画されるかも。 しかし、どんな苦行の鉄道旅行も、宮脇俊三さんには太刀打ちできない側面も。何しろ、宮脇さんは編集者として中央公論社(現・中央公論新社)の『世界の歴史』シリーズなどの名著を担当。最後は同社の常務取締役になった人物。そんな多忙の合間に、まさに必死に鉄道に乗って、国鉄全線完乗を成し遂げたのである。 必要なのは「いつかは……」の憧れじゃない。今すぐ旅立つ思い切りとやる気だ。 (文=昼間たかし)※イメージ画像
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発売即完売の日本列島縦断9泊10日じゃ物足りない!? もっと苦行な鉄道旅行が欲しい……!!
国鉄民営化から30周年を記念したJR7社共同企画のイベントツアーが、発売即完売となり話題を集めている。 「24の列車で繋ぐ じっくり日本列島縦断10日間」と題された、このツアーは9泊10日。費用は39万から48万円と告知されていた。 旅程は、ほぼ列車に乗りっぱなしで日本中を巡るという、かなりの強行軍。初日は、上野から寝台列車・カシオペアで北へ。新青森駅からは新幹線に乗り換え、さらに列車を乗り継いで札幌へ。翌日は本州に戻り仙台で一泊した後、東京~名古屋経由で西へ。さらに北陸から四国・九州も巡った後に東京へ戻ってくるというもの。日によって異なるが、食事もあり、観光時間もある文字通りのツアーである。 とはいえ、かなりの駆け足。一種、苦行のようなプランであることは間違いない。 実は、こんなスパルタなツアーは他にも企画されていて「新幹線で行く 日本列島縦断3日間」は、1人15万円。初日、新函館北斗から、新幹線を乗り継いで3日目に鹿児島中央駅に到着する。こちらは、2日目にいったん新幹線を離れて、四国に渡り金比羅宮の参拝までついている。 「鉄道を用いたエクストリームな旅を求める人というものは、昔から絶えないものです」と、話すのは最長片道切符の旅に挑戦したこともある、鉄道マニア氏。最長片道切符とは、日本列島の鉄道を一筆書きで旅するというもの。ルートに変遷はあるが、現在では稚内駅から肥前山口駅までが最長ルートとされている。特急などを利用しなければ10万円を切るので、安いといえば安い。とはいえ、膨大な時間と我慢が強いられる旅である。 「在来線で長時間ロングシートに座っているとか、苦行ですよね。それに比べると件のツアーは苦行っぽい雰囲気を味わうもの。観光のついでにお寺の宿坊に泊まってるのと同じ、気軽さがありますよね」(同) とはいえ、その旅程を記録した故・宮脇俊三さんの『最長片道切符の旅』(新潮文庫)が、いまだにロングセラーになっているあたり、いつかは挑戦をしたいという人が絶えないということか。やがては、ラグジュアリーな雰囲気の9泊10日程度では物足りないという声も出てくるだろう。そのうち、最長片道切符ツアーとか企画されるかも。 しかし、どんな苦行の鉄道旅行も、宮脇俊三さんには太刀打ちできない側面も。何しろ、宮脇さんは編集者として中央公論社(現・中央公論新社)の『世界の歴史』シリーズなどの名著を担当。最後は同社の常務取締役になった人物。そんな多忙の合間に、まさに必死に鉄道に乗って、国鉄全線完乗を成し遂げたのである。 必要なのは「いつかは……」の憧れじゃない。今すぐ旅立つ思い切りとやる気だ。 (文=昼間たかし)※イメージ画像
一日使える無料乗車券配布で話題沸騰! 23区のローカル線「池上線」でどこへ行く?
来たる10月9日(月・祝)。東急池上線が、開通90周年を迎えたことを記念して、始発から終電まで、一日乗り降り無料乗車券を配布することになり、反響を呼んでいる。 東急池上線は、1922年に池上本門寺の参詣客の輸送を目的に、蒲田~池上間で開通。その後、1928年に蒲田~五反田間が開通したもの。当初は、五反田から先、白金・品川間へと延伸することも計画されていたが、計画は頓挫。その後、国分寺方面への延伸も成功せず、現在は東急線の中で多摩川線と並ぶローカル感溢れる路線として営業されている。ホームの前一両部分に屋根がなかった五反田駅についに屋根が。池上線が進化してる?
そんな路線で行われる、日本の鉄道史でも珍しい全線無料のサービスは、さまざまな意味で話題だ。まずは、池上線の輸送力の限界。池上線は、車両がわずか3両だけ。果たして、無料ということでやってくる乗客を、どれだけさばくことができるかは心配だ。 もちろん、各駅のホームも3両編成に合わせた狭く短いもの。毎年、池上本門寺のお会式の際には大混雑するが、それを超えた混雑になることは想像に難くない。そんな、池上線始まって以来の一日を、東急がどう乗り越えるのかに、多くの人が注目しているのである。 さて、そうした混雑は承知の上で池上線を楽しみたいという人が、まず考えるのは「どんな観光地があるのか」ということだろう。 これまで、池上線が取り上げられる時に、必ず紹介されるのは、まず戸越銀座商店街。 日本有数の長さを誇る商店街は、多くの総菜屋が並ぶ「買い食いスポット」として知られている。 けれども、ここはあまりにも定番過ぎ。 本当に池上線の真髄を知りたいなら、おすすめなのは旗の台駅から先、蒲田駅あたりまでのゾーンでの各駅下車である。路線や車両のローカル感から東京南部の下町を走る路線と思われがちな池上線。でも、実態は下町っぽい町と、ちょっと高めの住宅地とが渾然一体になった奇妙な町なのである。池上本門寺は力道山の墓があることでも有名。石段が地味にキツいので歩きやすい靴で行きたい
例えば、旗の台駅。大井町線との乗り換え駅であるここは、超オシャレタウン・自由が丘まで電車で10分程度にもかかわらず、下町感が全開。おまけに、急行運転の実施を機に近代的につくり変えられた大井町線ホームに対して、旗の台駅は、いまだにホームのベンチが木製の長椅子という昭和の雰囲気全開。こんなギャップが見られるのも、東京でここだけであろう。加えて、駅前から荏原町・中延方面へ伸びる商店街の鄙びた感じは、もっと街歩き系の媒体などで取り上げられるべき逸材だ。旗の台駅の大井町線側。自由が丘に近いことがウリなのか。改装以来オシャレを目指してる様子が
こちらが旗の台駅の池上線側ホーム。いまだに木製ベンチも。以前は上り線ホームには、立ち食い蕎麦屋もあった
そんな旗の台駅の隣、長原駅を降りて、歩くのも一興だ。この長原駅。駅前は下町っぽい商店街。ところが、商店街から南東方向へ一歩入ると、なんだか立派な邸宅が目立つ住宅街が現れるのだ。ちょっと角を曲がっただけで、ガラリと風景が変わるのには、驚くはず。そんな長原駅からほど近い小池公園からは、さっきまで下町にいたとは思えない風景が広がっていて、驚くことができるハズだ。旗の台駅周辺のうらぶれた下町感は絶妙。まだ「大人の隠れ家」系人種には荒らされていない
個人商店の数も少なくなって寂しさを漂わせている長原駅周辺の商店街
しかも、開発されてから時間が経っているからだろうか。邸宅もひと昔前の雰囲気があって、味わい深い。ちなみに、小池公園は現在は自然の多い公園になっているが、かつては私営の釣り堀だった場所。住宅街のド真ん中に釣り堀がある光景は相当シュールであった。 このあたり、トボトボ歩いていると、次第に池上線から離れていってしまうが、バスの走る通りに出れば、池上駅前まで移動できるので覚えておきたい。その長原駅から徒歩5分あまり歩くと、突然、レイクサイドな高級住宅地が。ここが釣り堀だったのも今は昔
迷いながら歩いているうちに見つけた、スゴイ地形に立つマンション。お城みたいでカッコイイ
このほか、石川台駅や久が原駅なども、池上線を楽しむ上では欠かせない。言っておくが、主な見どころは何もない。単に、23区でも、ちょっとほかとは雰囲気の違う町があるだけ。とりわけ観光地的なところや、グルメスポットなど何もない。さらに迷っているうちにたどり着くわびさびのある風景。沿線にはこんな風景が目白押しである
ただ、多くの地域で土地が山あり谷ありの丘陵地系だったり、迷い込みたくなるような狭い道がいっぱい。お仕着せのガイドではなく、そうした道に迷いこむのが、池上線沿線観光の醍醐味なのである。 この文章を書くにあたって、筆者も千鳥町駅から蓮沼駅まで、池上駅経由で歩くはずが、なぜか多摩川線の武蔵新田駅前にいってしまった。そんな道に迷うことが楽しめる人は、無料乗車券を大いに楽しめるだろう。 (文=昼間たかし)こういう21世紀的な開発からは遠い風景が魅力。竹の塚や蒲田のようなディープスポットと違いキーワードは「寂」だな、多分
赤字すぎるJR四国……このままでは、瀬戸大橋線以外が全廃されるかも?
8月18日、JR四国が「路線維持が近い将来困難になる」として、沿線自治体に路線維持のための支援を求めたことが注目を集めている。これは、この日初めて開催された四国の鉄道網維持のための有識者懇談会の席上で明らかにされたものだ。 国鉄分割民営化がなされた1987年からすでに30年を迎えて、JR各社の明暗は分かれている。2017年3月の決算を見ると、JR東日本・JR東海・JR西日本は好調だ。JR九州も新幹線の効果によって、今年初めて黒字に転換。JR貨物も鉄道輸送の増加を追い風に黒字となっている。 対して、発足以来、困難な経営を強いられているのが、JR北海道とJR四国である。この2社が困難な経営を強いられている理由は、屋台骨となる路線のないことだ。 JR北海道では、16年1月に全線区の収支状況を初めて公表。これにより、大都市圏である札幌周辺の路線の赤字運営も明らかになり、維持困難な路線の廃止縮小へと議論が進んでいる。JR四国でも今後、各路線の収支を公表する予定だ。 ただ、JR北海道には、今後利用者が増える可能性のある北海道新幹線延伸計画がある。 ところが、JR四国にはそういうものはない。唯一、収益の上がっている瀬戸大橋線だけで、残りのすべてを支えなくてはならないのだ。しかも、その額は非常に小さなものだ。JR東海の場合、東海道新幹線の収益によって、ほかの路線を維持するどころか、リニア新幹線を自社で始めるほどの企業体力を持っている。ほかの本州2社も、企業の屋台骨となるドル箱路線は明確だ。 しかし、瀬戸大橋線だけではそうはならない。岡山駅~高松駅間を走る快速マリンライナーは通勤・通学の足として定着。岡山駅着の新幹線終列車と接続するなど、極めて便利な人々の足になっている。しかし、明石海峡大橋開通後、四国は関西圏と直結。大阪や神戸へと向かう高速バスに客足を奪われているのだ。 国土交通省四国運輸局が5月に発表した推計では、人口減少によって2040年にはJR四国の利用者数は最大で4割減少するという試算も行っている。 本州とも、北海道とも、九州とも違う、独特なローカル感が味となっている四国の鉄道網。旅行者がどれほどの足しになるかはわからないが、一度は乗ってみてもよいかもしれない。 (文=昼間たかし)JR四国公式サイトより
赤字すぎるJR四国……このままでは、瀬戸大橋線以外が全廃されるかも?
8月18日、JR四国が「路線維持が近い将来困難になる」として、沿線自治体に路線維持のための支援を求めたことが注目を集めている。これは、この日初めて開催された四国の鉄道網維持のための有識者懇談会の席上で明らかにされたものだ。 国鉄分割民営化がなされた1987年からすでに30年を迎えて、JR各社の明暗は分かれている。2017年3月の決算を見ると、JR東日本・JR東海・JR西日本は好調だ。JR九州も新幹線の効果によって、今年初めて黒字に転換。JR貨物も鉄道輸送の増加を追い風に黒字となっている。 対して、発足以来、困難な経営を強いられているのが、JR北海道とJR四国である。この2社が困難な経営を強いられている理由は、屋台骨となる路線のないことだ。 JR北海道では、16年1月に全線区の収支状況を初めて公表。これにより、大都市圏である札幌周辺の路線の赤字運営も明らかになり、維持困難な路線の廃止縮小へと議論が進んでいる。JR四国でも今後、各路線の収支を公表する予定だ。 ただ、JR北海道には、今後利用者が増える可能性のある北海道新幹線延伸計画がある。 ところが、JR四国にはそういうものはない。唯一、収益の上がっている瀬戸大橋線だけで、残りのすべてを支えなくてはならないのだ。しかも、その額は非常に小さなものだ。JR東海の場合、東海道新幹線の収益によって、ほかの路線を維持するどころか、リニア新幹線を自社で始めるほどの企業体力を持っている。ほかの本州2社も、企業の屋台骨となるドル箱路線は明確だ。 しかし、瀬戸大橋線だけではそうはならない。岡山駅~高松駅間を走る快速マリンライナーは通勤・通学の足として定着。岡山駅着の新幹線終列車と接続するなど、極めて便利な人々の足になっている。しかし、明石海峡大橋開通後、四国は関西圏と直結。大阪や神戸へと向かう高速バスに客足を奪われているのだ。 国土交通省四国運輸局が5月に発表した推計では、人口減少によって2040年にはJR四国の利用者数は最大で4割減少するという試算も行っている。 本州とも、北海道とも、九州とも違う、独特なローカル感が味となっている四国の鉄道網。旅行者がどれほどの足しになるかはわからないが、一度は乗ってみてもよいかもしれない。 (文=昼間たかし)JR四国公式サイトより
池上線は、なぜ「IG」じゃなく「IK」? 駅ナンバリングの謎を東急電鉄さんに直撃!
サイゾーのニュースサイト「Business Journal」の中から、ユーザーの反響の大きかった記事をピックアップしてお届けします。
■「Business Journal」人気記事(一部抜粋)
オセロ解散の中島知子へ、番組内でナイナイ岡村「連絡ください」と呼びかけ
村上春樹最新小説が本日発売 前日深夜カウントダウンイベント、多数のファンで活況
電子ディスプレイ広告や自販機、なぜ急速普及?企業側が個人データ蓄積&活用の懸念も
■特にオススメ記事はこちら!
池上線は、なぜ「IG」じゃなく「IK」? 駅ナンバリングの謎を東急電鉄さんに直撃! - Business Journal(4月12日)
人気放送作家の鮫肌文殊氏と山名宏和氏、林賢一氏が、知ってトクもしなければ、自慢もできない、だけど気になって眠れない、世にはびこる難問奇問を直撃解決!する連載「だから直接聞いてみた」。月刊誌「サイゾー」で連載されていた同企画(宝島社より単行本となって発売中!)が、ビジネスジャーナルにて復活! 今週は、林賢一氏が、東急電鉄に駅ナンバリングの法則の謎について直撃した!世田谷線はST? SG?(「足成より)
[回答者]東急お客様相談センター 様
東京メトロ副都心線と東急東横線が相互直通運転をスタートし、それに伴うホームの地下化&乗り換え問題などは語り尽くされた感があるが、こんな些細なことが気になるのは私だけだろうか。 駅ナンバリングの略称問題、である。 通常の駅名とは別にアルファベットと数字で駅を示す、アレである。ここ最近、東急電鉄をはじめ各社で増えたような気がする。例えば、東急東横線なら「TY」。東横線渋谷駅なら「TY01」と路線&駅番号で表示される。田園都市線なら「DT」といった案配である。 まあなんとなく路線名の略式アルファベットなんだろうなぁ、ということは分かるが、これはどうだろう。 池上線=「IK」 なんだろう、この違和感。そこは「IkeGami」で「IG」じゃないのか。まさかの「池」推しで「IK」ときたもんだ。では、これはどうだろうか。 多摩川線=「TM」 「TamaGawa」で「TG」ときそうなところを、はぐらかしてからの「TM」である。「川」が可哀想じゃないか。そうでもないか? とにかく。この駅ナンバリングの略式に、法則はあるのだろうか? 気になる。 そこで【東急電鉄】に直接聞いてみた。 『駅ナンバリングのアルファベットに、法則性はあるんですか?』 担当者 (とても丁寧な女性)はい、えーっと、あったと思うんですけど、TYとかですよね? ──東横線がTY、田園都市線がDT、大井町線がOM、とかですよね。 担当者 はい。頭文字をとりまして、アルファベットを打たせていただいてます。 ──でも、池上線だとIKなんですよ…。 担当者 はい。 ──で、多摩川線だとTMなんですよ。 担当者 ええ、はい。 ──頭文字をとる法則だと、池上線はIGですし、多摩川線はTGじゃないのかなとい思いまして。 担当者 たしかに、そーですね……はい。 ──これって、どうやって決まったか分かりますか? 担当者 そうですね、外国人の方で読めない方もいらっしゃるので、便利にするために駅にアルファベットとナンバリングを打ったというのは聞いているんですけども。 ──なるほど。 担当者 ええ。日吉なら「TYの13番で待ち合わせしよう」などと、外国人の方が使いやすいように。ただ、なぜ池上線がIGなのか……(唖然)。 ──調べてもらうことは可能ですか? 担当者 ええ、すぐは分からないかもしれませんが、折り返しご連絡致します。 ~10分後~ 担当者 お待たせ致しました。担当者に確認したところ、東横線の場合は、漢字で区切ってTYということになりまして、田園都市線の場合ですと「田園」のDと「都市」の部分のTをとってDTにしたということです。つまり、漢字をどこで区切るかで分けたようでございます。 ──なるほど。でも池上線だと……IKですが。 担当者 そうですね…。えっと、こちらはですね「池」と「上」の漢字二文字ありますよね? で、えっと……あ、すみません。こちらは「池」部分のIとKをとっていますね。漢字で分けなくて。 ──「池」をIとKで? 担当者 あのー、Gは付けなかったですね。恐らく、聞きやすいですとか聞きにくいとか、他とごっちゃになるというのを色々吟味してだと思うんですけども。池上線はIとKにしたようです。あと、多摩川線も「多」のTと「摩」のMにしております。 ──それも聞きやすさとかの関係でしょうか? 担当者 ええ。漢字をどこで分けるかで決まったようですね。 はは~ん、そんな深く考えず適当につけたな? というのはこっちの勝手な想像だとしても、結局、駅ナンバリング探偵の追及はフワっとはぐらかされた形となった。モヤっとが残る形にはなったが仕方ない。 ちなみに、都内の私鉄各社はほぼ駅ナンバリングを終えているが、ここで浮かび上がってくるのが王者・JR東日本である。なぜかJR東日本だけは、駅ナンバリングをまだしていないのだ。近い将来するのだろうか? その時、山手線は「YM」なのか、それとも「YT」になるのか。想像しながら電車に乗るのも一興かもしれない。 個人的には池上線「IK」のような頭漢字プッシュパターンの「YM」を推したい。って、誰のどこに向かって推してるんだ俺。 (文=酒平民 林賢一) ■おすすめ記事 オセロ解散の中島知子へ、番組内でナイナイ岡村「連絡ください」と呼びかけ 村上春樹最新小説が本日発売 前日深夜カウントダウンイベント、多数のファンで活況 電子ディスプレイ広告や自販機、なぜ急速普及?企業側が個人データ蓄積&活用の懸念も 金融庁職員に聞く「アベノミクス活況で跋扈する悪徳金融業者の監視を強化」 自治体からの利益供与を金でもみ消し!? 大手新聞社長のスキャンダル疑惑「マイ踏切」「勝手に畑に」線路内を自由に使う住民たちのメンタリティとは?
住民が勝手に踏切を作って生活道路に使っている――。そんな光景が、全国のあちこちに点在している。牧歌的な昭和の時代ならともかく、21世紀になった今でもだ。 2月には京都府宇治市を走るJR奈良線で、そうした踏切を横断中の老人が電車に轢かれて死亡する事件も起こっている。「むやみやたらに線路内に入ってはいけない」。そんな小学生でも知っていることを守ることができない大人は多いようで、あちこちの地域には勝手に作られた踏切が存在している。それどころか、勝手に線路の傍を田畑にしている例もあるようで……。 「勝手に踏切を作るだけじゃありません。名古屋鉄道のある路線には“線路内を耕作しないで下さい”なんて看板が立っているところがありますよ」 と話すのは、鉄道史や近代産業史を扱うブログ「筆不精者の雑彙」(http://bokukoui.exblog.jp/)を運営する墨東公安委員会氏。氏は、表の顔は某大学院で博士論文を鋭意執筆中というだけに、危険も顧みずに踏切を作るどころか、耕し始めてしまう人々のメンタリティも含めて考察する。 氏によれば、「マイ踏切」は古くは明治時代以降、鉄道が全国に広がっていく中で登場したものだと話す。 「当時は線路を通すことが急がれたので、住民のために踏切を作るなんて考えないことが多かったんです。ですので、住民たちが勝手に踏切を作らなければならないことも多かった。現存するマイ踏切には、そういった意識が脈々と受け継がれているんじゃないでしょうか」 さらに、線路のそばで代々暮らしてきた住民にしてみれば、今は鉄道用地になっているところも「昔は自分たちの土地だった」という思いがある。そのため、ごくごく軽い気持ちで踏切を勝手に作ったり、線路脇の土手を畑にしたりしてしまうというわけだ。今でも地方に行くと、空き地を近隣住民が勝手に畑にして芋や野菜を植えているところがある。 「相模原市で使われていない引き込み線を見たことがありますが、近隣の住民が植木鉢を置いたり勝手に使っていましたよ」 21世紀になった今でも「空いている土地はみんなのもの」と思っている人のほうが多いということか。さらに氏は、こんな考察も。 「古代とか中世の道路を発掘すると、最初は幅の広い道路だったのに、次第に両端が畑になっている例があります。現代でも、道路をちょっとずつ削って田畑の面積を増やしていたという例もありますし、道路や線路の際を田畑に変えていくというのは農民の自然な発想なんじゃないでしょうか」 一時間に一本くらいしか列車が通らない地方のローカル線だとしても、危険なのは変わらないと思うが、そこまでして田畑を広げたいものなのだろうか……。 ■線路のほうが勝手にやってきた例も さて、ここまでは住民が勝手に踏切などを設置することについて話してきた。だが、世の中にはその逆のパターン、勝手に線路が自分の家の中に入ってくる事例も存在する。いや、正確には「存在した」である。 ある日突然、自分の家の庭に線路が敷かれて、家に出るにも入るにも、線路をまたがなければいけないというシュールな光景が、日本国内に存在したのだ。 そんな光景が存在したのは、東北本線の矢板駅と野崎駅の間。氏によれば、ここには1963年まで77年間にわたって民家の庭を列車が往来している光景が見られたのだという。 「敷設当時、鉄道の建設は国策だったので、土地を売らない場合には、こんな強引な方法もまかり通ったんです」 氏によれば、1963年に東北本線の複線化工事を機に、ようやく土地の持ち主が買収に応じたため、珍風景は消滅したという。当時、鉄道業界では話題になり「交通新聞」にも取り上げられたという。 さっそく当時の紙面を探してみたところ、「交通新聞」1963年5月8日号に掲載された「庭の中を“列車”が走る 東北線の珍名所消える」という記事を発見した。記事では、農家の門と母屋の間を列車が通過している写真も掲載、確かに庭を列車が走っているではないか! しかも、記事によれば、庭に強引に線路を引いたどころではなかった。当時、鉄道を建設した日本鉄道は「経路を変えることは不可能だったので当初の計画のままどんどん工事をすすめ、左手に母屋、右手に長屋門と、ひとつの座敷をぶち割って線路を通してしまったとのこと。以来、この家の当主は親子二代にわたって「反骨精神で頑張り続けた」そうだ。 しかも、東北本線の電化は1960年のこと。それまでは、蒸気機関車が走っているわけだから「洗濯物は真黒になるし、タタミの上はいつもザラザラ、機関車の火の粉が散って屋根や積みワラが燃え出すようなことはしばしばだった」のだとか。しかも、ローカル線と違って列車の数は多い。1963年当時で一日に120本の列車が往復していたというから、とてつもなく危険である。二十数回の交渉の末に買収に応じた、この家の当主は「思えば私は両親から小さい時毎日のように“踏切に注意しろ”といわれて育てられ……」と胸の内を語っている。 鉄道と近隣住民の関係も様々。でも、やっぱり不用意に線路に近づくのは事故のもとだよね! (取材・文=昼間たかし)
苦笑、失笑、ニヤニヤが止まらない! 鉄道マニア垂涎の駅舎本『珍駅巡礼』の続編は“私鉄編”
「本当にバカだよな~」と思う。「なんでこうなっちゃうんだろ?」と思わずにはいられない不思議なものや、「地域活性化」の名のもとに地元の名産をモチーフにした残念な建築もある。『珍駅巡礼2 (私鉄篇)』(イカロス出版)をめくると、性格の悪いニヤニヤが止まらない。 2010年に発売された『珍駅巡礼』は、遮光器土偶が不気味に張りつく「JR五能線木造駅」の写真を堂々表紙に据え、「駅舎ヲタ」という新たなジャンルを提示したムックだ。『珍駅巡礼2 (私鉄篇)』はこの続編であり、全国津々浦々の私鉄珍駅200カ所以上を収録している。2011年5月からおよそ1年間をかけて撮影された、撮りおろしの珍駅ばかりがズラリと並ぶ様はまさに圧巻。 一口に「珍駅」といっても、その内容はさまざまだ。著者の西崎さいき氏がライフワークとして追いかける駅舎シリーズとして掲載されるのは、まるで宇宙船のような「北越急行ほくほく線 くびき駅」、くじら型の「近鉄名古屋線 近鉄富田駅」など。たま駅長で知られる「和歌山電鐵貴志川線 貴志駅」は、全国の愛猫家をうならせるネコ型の駅舎だ。また、女子高生が体育祭の時にのみ使用する「えちぜん鉄道三国芦原線 仁愛グランド前」駅、米軍関係者専用出口を備えた「京急逗子線 神武寺駅」などのレア駅、「YRP野比」「京コンピュータ前」「宮本武蔵」などの珍名駅が紹介され、コアな鉄道マニアをうならせる「珍ホーム」の解説にはマニアならずとも「へぇ」という感嘆の声を漏らしてしまうだろう。 西崎氏は、本書のまえがきで「JRはどの駅も管理・整備され、そこそこのクオリティを保っているが、私鉄は都心の駅のような近代的なものが多い反面、地方のローカル線ではいまにも壊れそうなボロボロの駅舎があったりと、驚くほどバラエティ豊かだ」と記す。JRに比べて経営規模の小さい私鉄は、全国的に厳しい経営を迫られている。ましてや、車社会がいちだんと進む地方のローカル私鉄では、客足は遠のくばかり。イベントや副業、観光需要の掘り起こしなど、あらゆる工夫によって収益を確保しなければ、路線のみならず、会社全体が存亡の危機にさらされてしまうのだ。一時期、名物のぬれ煎餅販売が話題となり経営危機を脱した銚子電鉄も先頃、経営の自主再建を断念することを発表した。 一方、たま駅長が勤務するネコ型駅舎「貴志駅」には全国から観光客が訪れ、その経済効果は10億円あまりと試算されている。かつて、貴志川線は廃線が検討されていたほど赤字路線だったものの、たま駅長とネコ型駅舎、そして地域住民の協力によってその危機を脱出。まさに、駅を起点として町おこしがなされた好例だ。この仕掛け人である和歌山電鐵小嶋光信社長は「日本一、世界一の駅舎が創れれば、むしろ再生のみならず、紀の川市や和歌山市、また和歌山県の観光の大きな資源としてプラスになる」と語った。その目論見どおり、今日も貴志駅には観光客が絶えることはない。 苦笑、失笑、ニヤニヤが止まらない本書。しかし、珍駅舎には地域を支える人々の真剣な思いが込められている。 (文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●にしざき・さいき 1965年岡山県生まれ。81年、高校入学時から駅舎撮影を始める。国鉄赤字路線の廃止予定駅を中心に撮影を進め、98年『国鉄・JR廃止駅写真集』を自費出版。2000年、ホームページ「さいきの駅舎訪問(http://ekisya.net/)」を開設。2006年、JR全駅訪問を達成し、ホームページ上にJR全駅の情報を掲載。現在、「ワンダーJAPAN」(三才ブックス)に「珍駅訪問」を連載中。ほか各媒体に駅舎画像提供多数。『珍駅巡礼2 (私鉄篇)』(イカロス出版)
無人駅で孤独に過ごすぜいたくな一夜 鉄道旅行の至高の楽しみ方


アウトドア用のコンロがあるだけで随分と捗るぞ。
使用は駅舎から十分に離れて、火の用心。
使用は駅舎から十分に離れて、火の用心。

無人駅ながら、駅舎が立派で過ごしやすい。
郵便ポストもあるから、ちょっと便利かも。
郵便ポストもあるから、ちょっと便利かも。

ただし、ちょい広すぎて落ち着かない気も。

この駅で、かけこみ乗車をする人がいるとは思えないけどね。

夜が明けると、目の前には天竜川が流れていた。
翌朝目覚めて、驚いた。夜の闇でまったく見えなかったのだが、駅は天竜川の雄大な流れに面していたのだ。うん、やはり朝一番の驚きこそ駅寝の醍醐味だ。

しばし、この風景も独り占めだ。

天竜峡駅の船頭は外国人でした。
これがホントのB級グルメ! 伊那の街でローメンを食す旅
とにかく麺類が好きだ。外食はほとんどラーメンか、そば・うどん、あるいはスパゲッティのローテーションだ。そんな筆者がずっと食べたくてたまらないのが、ローメン。写真でしか見たことがない謎の食べ物だ。さまざまな情報を総合すると、マトンの肉を使った焼きそばに、スープが入っていたりいなかったり。……いまいち、ピンとこない食べ物だ。東京にも何軒かローメンを食べることのできる店があるらしいが、基本、居酒屋のメニューの一部という形態らしく、下戸の筆者には敷居が高い。
ゆえに、飯田線の旅において外すことのできなかったのが、長野県伊那市でローメンを食すこと。それに、伊那は古来よりさまざまな作品の聖地である。まず『究極超人あ~る』に、つげ義春『無能の人』(「蒸発」の回を参照)、それに小畑実が「伊那は七谷~」と歌う「勘太郎月夜歌」というのもあった。かくて、期待を持って降り立った飯田線伊那市駅。そこには、昨年旅をした富山県高岡市(記事参照)を超える衝撃が待っていた。
まずは街の散策へ。40リットルのザックは邪魔だ。コインロッカーはだいたい駅前に……ない。駅員に聞くと、
「キヨスクがなくなった時に、一緒に撤去されちゃったんです。ここから100メートルくらい先のバスターミナルにはあるみたいですけど……」
小さいとはいえ、街のターミナル駅にコインロッカーがないことには驚く。桜の名所として知られる観光地・高遠に比べて、観光客も来ない街ということなのだろうか。かくて、そぼふる雨の中をバスターミナルへ。切符売り場の人に聞くと、売店で管理しているとのこと。さっそく、売店のレジに座っている、おばちゃんにコインロッカーの場所を聞いてみる。どの荷物を入れるのか聞くので、背中のザックであると伝えると、
「ああ、それは入らないわ~」
ううむ、ザックを背負ったままの街歩きになるのか? と思いきや、
「ここで預かって置くから。200円ね」。うん、田舎の人は温かい。で、どこに置いとけばいいのかと尋ねると「そのあたり」と、売り場の通路を指す。……預かるというか、見張って置いてくれるわけね。
さて、ローメンを目指して街を歩くが、アーケードのある商店街は、意外にもシャッター通りではない。かなり古くから続いているであろう、オモチャ屋や呉服屋などの店舗も、ちゃんと営業している。ものすごく古めかしい模型屋もあったが、まったくの現役で営業している。やはり、地域の共同体が機能していて「これこれを買うときは、この店」という不文律が残っているのだろうか。そんな街だが、雨のせいもあるのか人通りは少ない。ちょうど高校駅伝開催前だったらしく、試走している高校生ばかりである。



と、歩いていると古めかしい映画館のような建物が。「かつては賑わったんだろうな……」と思ったら、ポスターは新しい! なんと建物の古さ(失礼!)にもかかわらず、バリバリ営業中の映画館であった。さらに、元は三軒並んでいた店舗をぶち抜いたらしきスーパーやら、古本屋と美容院が合体した店など、ありえないほど味のある店舗が続く。その探索の果てにたどり着いたのが、伊那でも一軒しかないという銭湯だ。いや、正確には銭湯ではない。「人工ラドン温泉」である。



恐る恐る扉を開けると、古めかしい銭湯のスタイル。常連しか利用しないのか、ぱっと見で一見とわかる筆者に、番台に座るおばあさんは「うちは暖まるの。ボイラーも直したから」としきりに説明。さて、手ぬぐいは持参していたが、石鹸がなかったのを思い出し、買おうと思ったら 「そういうのはないけど……(番台の下を手で探って)これ、貸してあげる」 と、使いかけの石鹸を渡してくれたのである。うん、やっぱり田舎の人は温かいよ。 しかし、ここは風呂屋なので暖めるのは身体だ。壁には古めかしい「人工ラドン温泉之証」なる額に入った証明書と共に、人工ラドン温泉の入浴方法が掲げられている。まずは身体を洗った後に、白湯に入ってから人工ラドン温泉に入る、という順番だ。ラドンやラジウムを含んだ鉱石を使う人工温泉というものは各地に存在しているけれど、どういう仕組みなのか半信半疑で入浴。確かに、身体の疲れが取れていくような感じはする……? しかし、この銭湯もとい温泉、市内でも唯一ということもあってか、かなり多くの常連客がいる様子。湯船に浸かりながら、「ワシも若い頃は神戸で船員をやっていたが、今じゃ百姓をやっている……」に始まる一代記を語ってくれたお年寄りによれば、「前は上諏訪のほうにも一軒あったが、今ではもうここだけ」だという。どうも、伊那市内のみならず、かなり広い地域の人々の憩いの場になっているようだ。
■ローメンは難易度の高いB級グルメだった! さて、ローメンである。まず入ったのが元祖として知られる「B」。ローメンは戦後生み出された料理で、スープに漬かっているものと焼きそば風のものと2種類あるそうだが、元祖の店はスープ系である。大盛りを注文し、料理ができるのを待つ。そして、ついにやってきたローメン。長年、夢見た味についに邂逅できた感動と共にいただきます!……あれ? 正直、脳内に「?」が点灯した。思ったほど、おいくない。おいいラーメンやそば・うどんを食べた時のような「ガツン」と来るおいしさがないのだ。カウンターに置かれた食べ方の説明書きによれば、卓上の醤油や酢、ラー油、ニンニクを好みの量入れて食べるらしい。
なるほど、店の調理は基本形で、経験則に基づいて自分が「ウマイ!」と感じるように味を調整しなくてはならないのか。これは難易度の高い食べ物である。結局、十分においしさを感じることができないまま完食。完全敗北である。それでも、長年夢に見たローメン。暗澹(あんたん)たる思いで終わるわけにはいかない。さらにもう一軒、とやってきたのは「U」。どうも居酒屋兼業らしく、入口は難易度が高い。恐る恐る引き戸を開けると、これまた驚いた。やたら客層が広いのだ。座敷には子連れの家族がいるし、カウンターには若者から年配までさまざまな男性客。テーブル席には若い女の子の2人組も。こちらの店、卓上に置かれているのは七味唐辛子のみ。つまり、味は店のほうで調整するということだな、と理解して大盛りを注文。やってきたのは、スープなし焼きそばスタイルのローメン。まず、ソースの香りが鼻をくすぐる。周囲の動きを参考にしながら、適度に七味唐辛子を振りかけて食らいつく……おいしい! ソースの香りとマトンの臭みが調和した天国だ。ああ、大盛りの上の超盛りにしておけばよかったと、多少後悔しつつあっという間に完食してしまった。

このローメンという食べ物、元祖の「B」が作り方をオープンにしていたためか、店ごとに味もスタイルもかなり異なる食べ物になっている。そして、地元民であっても味の好みはさまざまなようだ。帰りに荷物を預けた売店のおばさんに「ローメンを食べて来た」と話したら「Uに行った?」と聞かれた。 かと思うと、駅で話をしたおばさんに「ローメンを食べに伊那に来た」と話すと、「旦那や息子はよく食べに行くけど、私はちょっとねえ……」

地元民でも好き嫌いの分かれるローカルさ。そして、味の統一感のなさ。最近の町おこしでフィーバーする、ブランド化したB級グルメとは違う。自由度の高さゆえに、一通り味わうには、何日か滞在して、朝から晩まで食べ続けなければならなそうだ。この、適当な感じこそ、真のB級グルメと呼ぶにふさわしい。 (取材・文=昼間たかし)

かなり年季の入った模型店。地域でここだけだったら、かなり儲かるかも。

これぞ、老舗映画館の趣き。調べたところ、隣の「旭座1」と共に大正時代からの伝統ある映画館だそうだ。

こんな味のある劇場で『ドラえもん』を観賞できる子どもは幸せだねえ。
と、歩いていると古めかしい映画館のような建物が。「かつては賑わったんだろうな……」と思ったら、ポスターは新しい! なんと建物の古さ(失礼!)にもかかわらず、バリバリ営業中の映画館であった。さらに、元は三軒並んでいた店舗をぶち抜いたらしきスーパーやら、古本屋と美容院が合体した店など、ありえないほど味のある店舗が続く。その探索の果てにたどり着いたのが、伊那でも一軒しかないという銭湯だ。いや、正確には銭湯ではない。「人工ラドン温泉」である。

古本屋なのに美容院? と思ったら古本屋の奥が美容院になっていた。

この説得力のある立て看板。町の本屋さんの鏡である。

これまた濃厚な味わいの町の電気屋さんである。

ちゃんと、この街にもゆるキャラがいた!
恐る恐る扉を開けると、古めかしい銭湯のスタイル。常連しか利用しないのか、ぱっと見で一見とわかる筆者に、番台に座るおばあさんは「うちは暖まるの。ボイラーも直したから」としきりに説明。さて、手ぬぐいは持参していたが、石鹸がなかったのを思い出し、買おうと思ったら 「そういうのはないけど……(番台の下を手で探って)これ、貸してあげる」 と、使いかけの石鹸を渡してくれたのである。うん、やっぱり田舎の人は温かいよ。 しかし、ここは風呂屋なので暖めるのは身体だ。壁には古めかしい「人工ラドン温泉之証」なる額に入った証明書と共に、人工ラドン温泉の入浴方法が掲げられている。まずは身体を洗った後に、白湯に入ってから人工ラドン温泉に入る、という順番だ。ラドンやラジウムを含んだ鉱石を使う人工温泉というものは各地に存在しているけれど、どういう仕組みなのか半信半疑で入浴。確かに、身体の疲れが取れていくような感じはする……? しかし、この銭湯もとい温泉、市内でも唯一ということもあってか、かなり多くの常連客がいる様子。湯船に浸かりながら、「ワシも若い頃は神戸で船員をやっていたが、今じゃ百姓をやっている……」に始まる一代記を語ってくれたお年寄りによれば、「前は上諏訪のほうにも一軒あったが、今ではもうここだけ」だという。どうも、伊那市内のみならず、かなり広い地域の人々の憩いの場になっているようだ。

立体版は、ビミョーな感じが。これ、流行ってるの?
■ローメンは難易度の高いB級グルメだった! さて、ローメンである。まず入ったのが元祖として知られる「B」。ローメンは戦後生み出された料理で、スープに漬かっているものと焼きそば風のものと2種類あるそうだが、元祖の店はスープ系である。大盛りを注文し、料理ができるのを待つ。そして、ついにやってきたローメン。長年、夢見た味についに邂逅できた感動と共にいただきます!……あれ? 正直、脳内に「?」が点灯した。思ったほど、おいくない。おいいラーメンやそば・うどんを食べた時のような「ガツン」と来るおいしさがないのだ。カウンターに置かれた食べ方の説明書きによれば、卓上の醤油や酢、ラー油、ニンニクを好みの量入れて食べるらしい。

これが、スープ系のローメン。味のカスタムは難しかった……。
なるほど、店の調理は基本形で、経験則に基づいて自分が「ウマイ!」と感じるように味を調整しなくてはならないのか。これは難易度の高い食べ物である。結局、十分においしさを感じることができないまま完食。完全敗北である。それでも、長年夢に見たローメン。暗澹(あんたん)たる思いで終わるわけにはいかない。さらにもう一軒、とやってきたのは「U」。どうも居酒屋兼業らしく、入口は難易度が高い。恐る恐る引き戸を開けると、これまた驚いた。やたら客層が広いのだ。座敷には子連れの家族がいるし、カウンターには若者から年配までさまざまな男性客。テーブル席には若い女の子の2人組も。こちらの店、卓上に置かれているのは七味唐辛子のみ。つまり、味は店のほうで調整するということだな、と理解して大盛りを注文。やってきたのは、スープなし焼きそばスタイルのローメン。まず、ソースの香りが鼻をくすぐる。周囲の動きを参考にしながら、適度に七味唐辛子を振りかけて食らいつく……おいしい! ソースの香りとマトンの臭みが調和した天国だ。ああ、大盛りの上の超盛りにしておけばよかったと、多少後悔しつつあっという間に完食してしまった。

とにかく、自分好みの味になるように勝手に調整して食べるものらしい。

微妙に難易度が高そうな店だったけど、低かったよ。田舎は温かい。
このローメンという食べ物、元祖の「B」が作り方をオープンにしていたためか、店ごとに味もスタイルもかなり異なる食べ物になっている。そして、地元民であっても味の好みはさまざまなようだ。帰りに荷物を預けた売店のおばさんに「ローメンを食べて来た」と話したら「Uに行った?」と聞かれた。 かと思うと、駅で話をしたおばさんに「ローメンを食べに伊那に来た」と話すと、「旦那や息子はよく食べに行くけど、私はちょっとねえ……」

チャレンジ精神をそそられる銭湯。

時間厳守と書いてあるけど、開店時間に入ったら既に客がいっぱいであった。
地元民でも好き嫌いの分かれるローカルさ。そして、味の統一感のなさ。最近の町おこしでフィーバーする、ブランド化したB級グルメとは違う。自由度の高さゆえに、一通り味わうには、何日か滞在して、朝から晩まで食べ続けなければならなそうだ。この、適当な感じこそ、真のB級グルメと呼ぶにふさわしい。 (取材・文=昼間たかし)















