北朝鮮版“ゴジラ”は歪んだ映画愛が生み出した!『将軍様、あなたのために映画を撮ります』

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1983年10月。金正日を挟んで左がシン・サンオク監督、右が女優のチェ・ウニ。金正日の要請を受け、北朝鮮で映画を製作することに。
 庵野秀明総監督のこだわりが細部にまで宿った『シン・ゴジラ』にはリピーターが続出しているが、北朝鮮版ゴジラと呼ばれる金正日プロデュース映画『プルガサリ 伝説の怪獣』(85)はご覧になっただろうか。こちらは世界屈指の映画オタクとして知られた金正日の狂おしいまでの映画愛、ゴジラをはじめとする日本の特撮映画への偏愛ぶりがひしひしと伝わってくる怪作。北朝鮮映画への物珍しさもあって、1998年に日本でも単館系で劇場公開されている。ドキュメンタリー映画『将軍様、あなたのために映画を撮ります』(原題『The Lovers and the Despot』)は韓国の人気監督シン・サンオクとそのパートナーだった女優チェ・ウニが北朝鮮に拉致され、金正日のために『プルガサリ』を含む17本もの映画を製作することになる奇々怪々な事件を掘り起こしていく。  北朝鮮を建国した金日成の息子として独裁体制を築き上げた金正日。独特なヘアスタイルと共に権力者としての特権を駆使して、古今東西さまざまな映画をコレクションしたシネフィルとしても有名だった。彼にとって映画とは独裁者の立場を強固にするためのプロパガンダの手段であり、また独裁者としてのコドクさを癒すためのものでもあった。金正日は『男はつらいよ』(69)や『ゴジラ』(54)の大ファンだったと言われている。誰にも理解されることなく街を破壊し尽くすゴジラや愛を求めて各地をさまようフーテンの寅さんに、心を許せる友達がいなかった金正日は過剰に感情移入していたに違いない。誰よりも映画を観る目は肥えていた金正日だったが、肝心の北朝鮮には面白い映画がまるでない。誇り高き将軍様にとって、これはゆゆしき問題だった。そこで閃いたアイデアが恐ろしい。自国にいい監督がいないのなら、お隣りの韓国から連れてこようと。北の将軍様の独善的な映画愛が、韓国きっての人気監督と女優との運命を大きく狂わせていく。
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「事実をそのまま描くこと」を条件に、インタビューに応じた最近のチェ・ウニ。北朝鮮で生死を共にしたシン・サンオクとは復縁を果たす。
 金正日から白羽の矢が当てられたのは、1960年代に韓国で多彩なヒット作を飛ばしたシン・サンオク(申相玉)監督。彼を北朝鮮に連れてくるために、北朝鮮の工作員たちは綿密な計画を練り上げる。1978年1月、まずシン・サンオク作品のミューズとして活躍した女優で元妻であるチェ・ウニ(崔銀姫)が香港で拉致される。当時、チェ・ウニは愛人を囲っていたシン・サンオクとは離縁状態だったが、元妻が香港で行方不明になったことからシン・サンオクはみずから現地で捜索に乗り出す。チェ・ウニ失踪から6か月後、今度はシン・サンオクが消息を絶つ。2人とも北朝鮮へ強制連行され、5年間にわたって個別にチュチェ思想と将軍様の恐ろしさを学ぶことになる。北朝鮮に入国したチェ・ウニは金正日が笑顔で出迎え、表向きは手厚く扱われる。ソ連映画『女狙撃兵マリュートカ』(56)を金正日と一緒に鑑賞するが、主人公が射殺されるラストシーンを観て、チェ・ウニは「裏切ったら容赦なく殺しますよ」という金正日からのメッセージだと気づく。シン・サンオクは元妻に一度も逢えないまま、強制収容所で拷問責めの日々を過ごす。絶望感に打ちひしがれた頃を見計らい、金正日の立ち会いのもとでシン・サンオクとチェ・ウニは劇的に再会。2人は金正日に忠誠を誓い、北朝鮮で世界最高の映画を作ることを約束する。  シン・サンオクが監督と撮影を兼任し、国際派女優として鳴らしたチェ・ウニが助監督をつとめるという二人三脚体制で、1983年〜1985年の3年間で17本もの映画が作り出された。金正日がプロデューサーなので、予算は使いたい放題だった。集大成とも言える最後の17本目の作品が、北朝鮮初の特撮大作『プルガサリ』となる。特技監督の中野昭慶、スーツアクターの薩摩剣八郎ら『ゴジラ』シリーズに参加していた精鋭スタッフを日本から招き(拉致ではないが、常に監視された状態だった)、『プルガサリ』を本家ゴジラと遜色のないスペクタクル大作に仕上げてみせた。DVD化されている『プルガサリ』を改めて観ると、民衆を弾圧する悪い国王が巨大化したプルガサリに踏み潰されるクライマックスは、独裁者としての立場を確固たるものにしつつあった金正日への返歌的メッセージとしても解釈できる。金正日はそのことに気づいていたのか。それともシネフィルでもあった金正日は“権力者はいつの時代も愚民から批判されるもの”と冷静に受け止めたのか。世界公開を目指して作られた大作『プルガサリ』だったが、結局のところ完成直後にシン・サンオクが引き起こした事件によってお蔵入り状態となる。
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1986年3月。『プルガサリ』を完成させたシン・サンオクはチェ・ウニを伴ってウィーンの米国大使館に逃げ込み、亡命を訴えた。
 このドキュメンタリーを観ていると、どこまでが実なのか虚なのかの線引きに悩む。シン・サンオクは良質な映画を次々と作ることで金正日からの信頼を得ることになる。いつ寝首を切られるか分からない独裁者にとって、韓国きっての名監督が自分のために作った新作映画を鑑賞する機会は、数少ない幸福な時間だっただろう。そして、金正日がシン・サンオクとチェ・ウニのことを共に映画を作る仲間と完全に信頼しきった時点で、その機を見逃さずにシン・サンオクはチェ・ウニを連れて亡命することになる。本音で語り合う友人のいない北の将軍にとっては、2人の脱北者を出した以上に、信頼していた映画仲間を失った心の痛手は大きかったに違いない。北朝鮮からの亡命に成功したシン・サンオクとチェ・ウニだが、韓国ではいまだにシン・サンオクは拉致ではなく、自分から北朝鮮に渡ったと勘ぐる向きがある。当時のシン・サンオクは借金など多くの問題を抱え、韓国で映画を撮ることができない状態だったからだ。本作を撮ったロス・アダムスとロバート・カンナンの両監督も、チェ・ウニが北朝鮮の工作員によって拉致されるくだりは詳細に再現しているが、シン・サンオクの北朝鮮入りはあいまいにしている。  民主主義からいちばん遠くにあるのが芸術であり、様々なクリエイターたちのエゴイズムがぶつかり合う総合芸術が映画と呼ばれるものだ。プルガサリは朝鮮に古くから伝わる伝説上の怪物で、その名前には不可死(絶対死なない)という意味がある。クリエイターの持つエゴが大きければ大きいほど、異形の怪物がスクリーンで暴れ回ることになる。韓国で映画を撮れなくなっていたシン・サンオクは、金正日という強力なスポンサーを得たことで映画監督としてのエゴイズムを蘇らせ、精力的に映画づくりに打ち込む。元妻チェ・ウニとの愛情も取り戻すことができた。そうやって完成した映画の数々は、金正日が抱える稚拙で醜悪なエゴも充足させた。シン・サンオクと金正日の映画に対する歪んだ愛情が大怪獣プルガサリを突き動かしている。そして、この大怪獣は決して死ぬことはない。映画という表現形態がこの世に存在する限り、大怪獣は空を切り裂くように咆哮し続けることだろう。 (文=長野辰次)
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『将軍様、あなたのために映画を撮ります』 監督/ロス・アダムス、ロバート・カンナン 出演/チェ・ウニ、シン・サンオク、金正日、元CIA職員ほか  配給/彩プロ 9月24日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開 (C)2016 Hellflower Film Ltd/the British Film Institute http://www.shouguneiga.ayapro.ne.jp

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精神科医が話題の実録犯罪映画をカウンセリング!「家族への幻想は捨てたほうが楽に生きられる」

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父アルキメデスを中心にしたプッチオ家。家族の絆パワーで、凶悪犯罪を次々と積み重ねていく。
 家族とは共に支え合い、いたわり合うもの。誰もがイメージする普遍的な家族像だろう。ところが南米アルゼンチンで実際に起きた誘拐事件を題材にした映画『エル・クラン』に登場するプッチオ家はあまりに強烈なモンスターファミリーだ。ブエノスアイレス郊外の高級住宅街で暮らすプッチオ家は一見すると平穏そのものな幸福家族だが、家長である父親の職業はなんと営利目的の誘拐犯。ラグビーで鍛えた息子たちに手伝わせて人質をさらい、身代金の交渉がうまく進まないとあっさり人質は殺してしまう。母親と娘たちは自宅の一室に人質が監禁され、悲鳴を上げているのを知りながら、警察に通報することなく平然と暮らしていた。本作を手掛けたパブロ・トラペロ監督の軽妙な演出ぶりは高く評価され、ベネチア映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞。アルゼンチンで300万人を動員する記録的大ヒットとなった注目作だ。  事件が発覚したのは1985年。アルゼンチンは長らく軍事独裁政権が続いていたが、フォークランド紛争を経て、ようやく民主化の道を進み始めた時代の変換期でもあった。軍事政権下で秘密警察として働いていた父親アルキメデス(ギレルモ・フランセーヤ)は職を失い、家族を路頭に迷わすわけにいかず誘拐業に手を染める。シリアスな社会派ドラマとしても、軽快な音楽に乗せて犯罪が描かれるブラックコメディとしても楽しむことができる。だが、この家族は謎めいた行動がとても多い。長男アレハンドロ(ピーター・ランサーニ)はアルゼンチン代表選手に選ばれるほどの名ラガーマンだったのに、父親は長男と同じチームの選手を誘拐する。父親は「家族のため」と言いながら、同時に子どもたちが逃げられないよう共犯関係に追い込んでいく。一方、次男マキラ(ガストン・コッチャラーレ)は海外で暮らしていたにもかかわらず、一家がそろそろヤバいという状況になって、わざわざ帰国して家族と合流する。本作を観ていると、家族とは何なのか分からなくなってくる。『「毒親」の子どもたちへ』(メタモル出版)や『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(小学館)などの著書で知られる精神科医の斎藤学氏に、本作で描かれた登場人物たちの行動心理について尋ねた。 ──アルゼンチンで実際に起きた事件を題材にした『エル・クラン』ですが、斎藤先生がプッチオ家をカウンセリングするとしたら、まず誰から診ますか? 斎藤 家族の中でいちばん強い人間が一家の代表として、私のところに来ます。強い人間といっても、それは腕力があるとか大きな声を出すということではなく、いちばん柔軟性のある人物ということで、それは母親であることが多いんです。でも、母親はいちばん厄介な存在でもある。家族内で起きたトラブルを母親は黒いベールで覆い隠してしまい、「私は何も見ていません」と答えるわけです。『エル・クラン』の母親エピファニア(リリー・ポポヴィッチ)もそうですし、綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め事件や新潟少女監禁事件のときも、犯人と同居していた母親は犯行に気づきながら、気づかないふりをしていました。母親が家族に与える影響力はとても大きい。事件の真相を解く鍵は女性が握っていることがほとんどです。
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長男のアレハンドロはラグビー選手として活躍し、地元の人気者だった。でも、家族の秘密は誰にも話せない。
──母親という存在が凶悪犯罪を補完させてしまうわけですか。威厳たっぷりに息子たちに犯罪計画を指示する父親アルキメデスは罪悪感なさそうですね。 斎藤 あの父親は最後まで罪の意識は感じていないでしょう。軍事政権時代は秘密警察に勤めており、日常的に政治犯を拉致したり拷問していたのが、民主政権に変わり、食べていくために誘拐犯になった。それまで政治犯を拉致していたのが、裕福なご近所さんが標的に変わっただけ。威張っているけれど父親の思考回路は頑迷で、社会が変わったことを認識できずにいるんです。これは私の推測に過ぎないのですが、ご近所さんが集まっての宴会などの場で政治談話など交わしているのを父親のアルキメデスは耳にしており、彼なりの基準で左寄りの人間を選んで犯行に及んでいたんではないかと思うんです。トラペロ監督はあえて細かい描写は省略していますが、アルキメデスは秘密警察時代からの自分の任務をまっとうしていた、くらいの認識だったのではないかと思います。男は社会の中に取り込まれてしまい、その中での自分の立場でしか物事を考えられないので、おかしなことをしでかしても気づかないことが多いんです。逆に妻であり母親であるエピファニアは客観的に状況を把握しています。夫たちの犯罪を知りながら、一家の経済状態を維持するために必要なことだと冷静に受け止めていたのかもしれない。 ──次男マギラは家族とは距離をおいて海外で暮らしていたのに、警察の手が一家に及びそうな段階になって、のこのこ帰国する。自分からわざわざ逮捕されるために家族と合流してしまう次男のこの行動は、理解しがたいものがありますが……。 斎藤 そこが家族の恐ろしさです。毒親の毒に子どもたちもすっかり毒されていたということなのか。私から見ても、この家族はおかしな行動がとても多いですよ。父親はなんで足がつきやすいご近所さんをターゲットにして誘拐を続けたのか。身代金を要求する電話を掛ける際は、地声でしゃべっていますよね。あんなことをしてたら、すぐにバレるでしょうに(笑)。この映画は底が抜けたようなおかしさがありますが、実際の事件の解明には大変な労力と時間が掛かります。裁判所や弁護士から依頼され、当人の精神状態についての「精神鑑定」や「意見書」を私たちが作成するのに最低でも3カ月は要しますが、裁判員制度が導入されてからは迅速化が求められ、1カ月しか与えられていません。こういった事件の真相を知ることが、ますます難しい状況に今の日本はなっていますね。 ──家族とは困ったときに助け合うものだと一般的に言われていますが、プッチオ家の場合は家族の団結が間違った方向に暴走してしまう。家族って一体、何なんでしょうか? 斎藤 家族は温かいもの、というイメージは人間が抱く願望でしょう。家族とは太古からある社会保障制度でしかないんです。国家が成立する以前から家族は存在したわけで、女性や子どもが食べ物に困らないための福祉制度として機能していたシステムだったものです。もちろん家族の存在が癒しをもたらすなどの側面はあるわけですが、システムであり社会制度である家族というものを、あまり美化して幻想を抱くと辛い思いをします。「毒親のせいで、酷いめにあった」と訴えてくる人は私の診療所にもいっぱいいますよ。
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斎藤先生が要注意人物だと指摘する母親エピファニア。海外で暮らしていた次男マキラだが、家族のもとに戻ってしまう。
──斎藤先生の著書『家族の闇をさぐる』では、“家族とは「近親姦防止装置」だ”とあまりにも明快に喝破されています。 斎藤 科学的な視点から見ると、人類は家族という制度を生み出したことで近親姦を防ぎ、また世代という概念を作ることで安定した関係性を得ることができたわけです。もともと家族とは毒性の強いものであって、その毒が強まらないように努めてきたというのが人類なんです。中国の孔子の教えは、礼儀に関するものがほとんどですが、それは親や親の世代と適度に距離を保つための知恵でもあったんです。時代によっても、家族の在り方はずいぶんと変わってきています。万葉集に「金も銀も玉も、どんな宝も子どもには及ばない」と歌った一首があり、親子の愛情は昔から変わらないなんて言われていますが、あの時代の日本は集団婚が認められており、現代の家族制度とはずいぶん違ったものでした。「明治時代は良かった」と言う人もいますが、明治時代の家族制度の中では現代人は息苦しさを感じるだけだと思いますよ。跡取りである長男だけが優遇され、次男以下の男の子や女の子は冷遇されていた時代でもあったわけですから。現代の日本も今の家族制度に固執していると、どんどん少子化していく一方でしょう。フランスではシングルマザーが50%を越えていますが、逆に出産率が上昇するようになってきました。「親としての役割を果たそう」「良い子でいよう」という考え方に縛られ過ぎていると、みんな疲れていく一方で、不幸になるだけです。家族の繋がりはもちろんこれからの時代も続くわけですが、もっと緩やかな家族関係が必要になってくると思いますよ。 ──カウンセリングで忙しい斎藤先生ですが、日本では劇場未公開だったグウィネス・パルトロー主演コメディ『恋人はセックス依存症』(12)をご覧になるなど、かなり映画がお好きなようですね。 斎藤 『恋人はセックス依存症』はね、シェアリング(集団セラピー)の様子が描かれているので、患者さんに説明するのが面倒くさいときに、「これを観て」と勧めているんです(笑)。若いころはずいぶん映画を観ましたね。私の生涯ベスト作品は、『ゴッド・ファーザー』三部作と医者が主人公の『ドクトル・ジバゴ』(65)なんです。音楽がいい映画が好きですね。今回、パンフレットに寄稿させてもらった『エル・クラン』は映画としても面白かったので、トラペロ監督の過去の作品もネットで注文しようかなと考えているところです。トラペロ監督は音楽の使い方に才能を感じさせますし、もっと注目されていい監督じゃないですか。機会があれば、またいろいろお話しましょう。  映画『エル・クラン』以外にも、多彩な話題について語ってくれた斎藤先生。南米のジャングルに潜む食人族を描いたイーライ・ロス監督のホラー映画『グリーン・インフェルノ』(13)はどうやら実話らしいという衝撃の逸話まで会話の中では飛び出した。斎藤先生、また取材させていただく機会を楽しみにしています! (取材・文=長野辰次)
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診療の合間にインタビューに応じてくれた斎藤学先生。動物行動学から少子化問題まで、話の内容は実に多彩。
『エル・クラン』 製作/ペドロ・アルモドバル、パブロ・トラペロ 監督/パブロ・トラペロ 脚本/パブロ・トラペロ、ジュリアン・ロヨラほか  出演/グレルモ・フランセーヤ、ピーター・ランサーニ、リリー・ポポヴィッチ  配給/シンカ、ブロードメディア・スタジオ 9月17日(土)より新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほかロードショー  (c)2014 Capital Interlectual S.A./MATANZA CINE/EL DESEO http://el-clan.jp ●さいとう・さとる 1941年東京生まれ。慶応大学医学部卒業後、フランス政府給費留学生、国立療養所久里浜病院精神科医長、東京都精神科医学総合研究所副参事研究員などを経て、95年より「さいとうクリニック」「家族機能研究所」を設立。『「毒親」の子どもたちへ』(メタモル出版)、『「家族神話」があなたをしばる 元気になるための家族療法』(NHK出版生活人新書)、『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(小学館)など多くの著書を執筆している。

精神科医が話題の実録犯罪映画をカウンセリング!「家族への幻想は捨てたほうが楽に生きられる」

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父アルキメデスを中心にしたプッチオ家。家族の絆パワーで、凶悪犯罪を次々と積み重ねていく。
 家族とは共に支え合い、いたわり合うもの。誰もがイメージする普遍的な家族像だろう。ところが南米アルゼンチンで実際に起きた誘拐事件を題材にした映画『エル・クラン』に登場するプッチオ家はあまりに強烈なモンスターファミリーだ。ブエノスアイレス郊外の高級住宅街で暮らすプッチオ家は一見すると平穏そのものな幸福家族だが、家長である父親の職業はなんと営利目的の誘拐犯。ラグビーで鍛えた息子たちに手伝わせて人質をさらい、身代金の交渉がうまく進まないとあっさり人質は殺してしまう。母親と娘たちは自宅の一室に人質が監禁され、悲鳴を上げているのを知りながら、警察に通報することなく平然と暮らしていた。本作を手掛けたパブロ・トラペロ監督の軽妙な演出ぶりは高く評価され、ベネチア映画祭銀獅子賞(監督賞)を受賞。アルゼンチンで300万人を動員する記録的大ヒットとなった注目作だ。  事件が発覚したのは1985年。アルゼンチンは長らく軍事独裁政権が続いていたが、フォークランド紛争を経て、ようやく民主化の道を進み始めた時代の変換期でもあった。軍事政権下で秘密警察として働いていた父親アルキメデス(ギレルモ・フランセーヤ)は職を失い、家族を路頭に迷わすわけにいかず誘拐業に手を染める。シリアスな社会派ドラマとしても、軽快な音楽に乗せて犯罪が描かれるブラックコメディとしても楽しむことができる。だが、この家族は謎めいた行動がとても多い。長男アレハンドロ(ピーター・ランサーニ)はアルゼンチン代表選手に選ばれるほどの名ラガーマンだったのに、父親は長男と同じチームの選手を誘拐する。父親は「家族のため」と言いながら、同時に子どもたちが逃げられないよう共犯関係に追い込んでいく。一方、次男マキラ(ガストン・コッチャラーレ)は海外で暮らしていたにもかかわらず、一家がそろそろヤバいという状況になって、わざわざ帰国して家族と合流する。本作を観ていると、家族とは何なのか分からなくなってくる。『「毒親」の子どもたちへ』(メタモル出版)や『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(小学館)などの著書で知られる精神科医の斎藤学氏に、本作で描かれた登場人物たちの行動心理について尋ねた。 ──アルゼンチンで実際に起きた事件を題材にした『エル・クラン』ですが、斎藤先生がプッチオ家をカウンセリングするとしたら、まず誰から診ますか? 斎藤 家族の中でいちばん強い人間が一家の代表として、私のところに来ます。強い人間といっても、それは腕力があるとか大きな声を出すということではなく、いちばん柔軟性のある人物ということで、それは母親であることが多いんです。でも、母親はいちばん厄介な存在でもある。家族内で起きたトラブルを母親は黒いベールで覆い隠してしまい、「私は何も見ていません」と答えるわけです。『エル・クラン』の母親エピファニア(リリー・ポポヴィッチ)もそうですし、綾瀬で起きた女子高生コンクリート詰め事件や新潟少女監禁事件のときも、犯人と同居していた母親は犯行に気づきながら、気づかないふりをしていました。母親が家族に与える影響力はとても大きい。事件の真相を解く鍵は女性が握っていることがほとんどです。
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長男のアレハンドロはラグビー選手として活躍し、地元の人気者だった。でも、家族の秘密は誰にも話せない。
──母親という存在が凶悪犯罪を補完させてしまうわけですか。威厳たっぷりに息子たちに犯罪計画を指示する父親アルキメデスは罪悪感なさそうですね。 斎藤 あの父親は最後まで罪の意識は感じていないでしょう。軍事政権時代は秘密警察に勤めており、日常的に政治犯を拉致したり拷問していたのが、民主政権に変わり、食べていくために誘拐犯になった。それまで政治犯を拉致していたのが、裕福なご近所さんが標的に変わっただけ。威張っているけれど父親の思考回路は頑迷で、社会が変わったことを認識できずにいるんです。これは私の推測に過ぎないのですが、ご近所さんが集まっての宴会などの場で政治談話など交わしているのを父親のアルキメデスは耳にしており、彼なりの基準で左寄りの人間を選んで犯行に及んでいたんではないかと思うんです。トラペロ監督はあえて細かい描写は省略していますが、アルキメデスは秘密警察時代からの自分の任務をまっとうしていた、くらいの認識だったのではないかと思います。男は社会の中に取り込まれてしまい、その中での自分の立場でしか物事を考えられないので、おかしなことをしでかしても気づかないことが多いんです。逆に妻であり母親であるエピファニアは客観的に状況を把握しています。夫たちの犯罪を知りながら、一家の経済状態を維持するために必要なことだと冷静に受け止めていたのかもしれない。 ──次男マギラは家族とは距離をおいて海外で暮らしていたのに、警察の手が一家に及びそうな段階になって、のこのこ帰国する。自分からわざわざ逮捕されるために家族と合流してしまう次男のこの行動は、理解しがたいものがありますが……。 斎藤 そこが家族の恐ろしさです。毒親の毒に子どもたちもすっかり毒されていたということなのか。私から見ても、この家族はおかしな行動がとても多いですよ。父親はなんで足がつきやすいご近所さんをターゲットにして誘拐を続けたのか。身代金を要求する電話を掛ける際は、地声でしゃべっていますよね。あんなことをしてたら、すぐにバレるでしょうに(笑)。この映画は底が抜けたようなおかしさがありますが、実際の事件の解明には大変な労力と時間が掛かります。裁判所や弁護士から依頼され、当人の精神状態についての「精神鑑定」や「意見書」を私たちが作成するのに最低でも3カ月は要しますが、裁判員制度が導入されてからは迅速化が求められ、1カ月しか与えられていません。こういった事件の真相を知ることが、ますます難しい状況に今の日本はなっていますね。 ──家族とは困ったときに助け合うものだと一般的に言われていますが、プッチオ家の場合は家族の団結が間違った方向に暴走してしまう。家族って一体、何なんでしょうか? 斎藤 家族は温かいもの、というイメージは人間が抱く願望でしょう。家族とは太古からある社会保障制度でしかないんです。国家が成立する以前から家族は存在したわけで、女性や子どもが食べ物に困らないための福祉制度として機能していたシステムだったものです。もちろん家族の存在が癒しをもたらすなどの側面はあるわけですが、システムであり社会制度である家族というものを、あまり美化して幻想を抱くと辛い思いをします。「毒親のせいで、酷いめにあった」と訴えてくる人は私の診療所にもいっぱいいますよ。
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斎藤先生が要注意人物だと指摘する母親エピファニア。海外で暮らしていた次男マキラだが、家族のもとに戻ってしまう。
──斎藤先生の著書『家族の闇をさぐる』では、“家族とは「近親姦防止装置」だ”とあまりにも明快に喝破されています。 斎藤 科学的な視点から見ると、人類は家族という制度を生み出したことで近親姦を防ぎ、また世代という概念を作ることで安定した関係性を得ることができたわけです。もともと家族とは毒性の強いものであって、その毒が強まらないように努めてきたというのが人類なんです。中国の孔子の教えは、礼儀に関するものがほとんどですが、それは親や親の世代と適度に距離を保つための知恵でもあったんです。時代によっても、家族の在り方はずいぶんと変わってきています。万葉集に「金も銀も玉も、どんな宝も子どもには及ばない」と歌った一首があり、親子の愛情は昔から変わらないなんて言われていますが、あの時代の日本は集団婚が認められており、現代の家族制度とはずいぶん違ったものでした。「明治時代は良かった」と言う人もいますが、明治時代の家族制度の中では現代人は息苦しさを感じるだけだと思いますよ。跡取りである長男だけが優遇され、次男以下の男の子や女の子は冷遇されていた時代でもあったわけですから。現代の日本も今の家族制度に固執していると、どんどん少子化していく一方でしょう。フランスではシングルマザーが50%を越えていますが、逆に出産率が上昇するようになってきました。「親としての役割を果たそう」「良い子でいよう」という考え方に縛られ過ぎていると、みんな疲れていく一方で、不幸になるだけです。家族の繋がりはもちろんこれからの時代も続くわけですが、もっと緩やかな家族関係が必要になってくると思いますよ。 ──カウンセリングで忙しい斎藤先生ですが、日本では劇場未公開だったグウィネス・パルトロー主演コメディ『恋人はセックス依存症』(12)をご覧になるなど、かなり映画がお好きなようですね。 斎藤 『恋人はセックス依存症』はね、シェアリング(集団セラピー)の様子が描かれているので、患者さんに説明するのが面倒くさいときに、「これを観て」と勧めているんです(笑)。若いころはずいぶん映画を観ましたね。私の生涯ベスト作品は、『ゴッド・ファーザー』三部作と医者が主人公の『ドクトル・ジバゴ』(65)なんです。音楽がいい映画が好きですね。今回、パンフレットに寄稿させてもらった『エル・クラン』は映画としても面白かったので、トラペロ監督の過去の作品もネットで注文しようかなと考えているところです。トラペロ監督は音楽の使い方に才能を感じさせますし、もっと注目されていい監督じゃないですか。機会があれば、またいろいろお話しましょう。  映画『エル・クラン』以外にも、多彩な話題について語ってくれた斎藤先生。南米のジャングルに潜む食人族を描いたイーライ・ロス監督のホラー映画『グリーン・インフェルノ』(13)はどうやら実話らしいという衝撃の逸話まで会話の中では飛び出した。斎藤先生、また取材させていただく機会を楽しみにしています! (取材・文=長野辰次)
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診療の合間にインタビューに応じてくれた斎藤学先生。動物行動学から少子化問題まで、話の内容は実に多彩。
『エル・クラン』 製作/ペドロ・アルモドバル、パブロ・トラペロ 監督/パブロ・トラペロ 脚本/パブロ・トラペロ、ジュリアン・ロヨラほか  出演/グレルモ・フランセーヤ、ピーター・ランサーニ、リリー・ポポヴィッチ  配給/シンカ、ブロードメディア・スタジオ 9月17日(土)より新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほかロードショー  (c)2014 Capital Interlectual S.A./MATANZA CINE/EL DESEO http://el-clan.jp ●さいとう・さとる 1941年東京生まれ。慶応大学医学部卒業後、フランス政府給費留学生、国立療養所久里浜病院精神科医長、東京都精神科医学総合研究所副参事研究員などを経て、95年より「さいとうクリニック」「家族機能研究所」を設立。『「毒親」の子どもたちへ』(メタモル出版)、『「家族神話」があなたをしばる 元気になるための家族療法』(NHK出版生活人新書)、『家族の闇をさぐる 現代の親子関係』(小学館)など多くの著書を執筆している。

地雷女と分かってながら地雷を踏む40男の心理。山下敦弘監督の恋愛もの『オーバー・フェンス』

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オダギリジョー、蒼井優が主演した函館ロケ作品『オーバー・フェンス』。おもちゃ箱のような小さな街を舞台に、男女の痛い出会いが描かれる。
 あっ、この人と自分はセックスすることになるな。予知能力者でなくとも、ある種の予感がピピピッと働くことはないだろうか。映画『オーバー・フェンス』の主人公であるバツイチ男と函館のキャバクラに勤めるヒロインとの2度目の遭遇には、そんなエロい空気が濃密に漂う。フェロモンとコドクさを滲ませたお互いの視線が田舎のキャバクラで激しく絡み合い、店内ですでに前戯が始まっているかのようだ。山下敦弘監督の『オーバー・フェンス』は人生の美味しい時季はすでに終えてしまった男と女が惹かれ合い、傷つけ合いながらも生の灯火を再点火させていくドラマとなっている。  映画の序盤、男たちはみんな灰色の作業服を着て、やる気がなさそうに木工作業に取り組んでいる。『オーバー・フェンス』というタイトルから、刑務所内の話なのかなと思わせるが、そうではなかった。男たちが集まっているのは職業訓練学校で、東京から故郷の函館に帰ってきた白岩(オダギリジョー)は大工になるための実習を受けていた。でも、ここに通っている生徒たちのほとんどは真剣に大工になろうとは考えていない。職業訓練学校に通えば、失業手当ての受給が1年間延長されるからに過ぎない。荷物のない安アパートに戻った白岩は、近所で買った弁当を肴にして缶ビールを毎晩2本飲み干す。まるで刺激のない生活だったが、東京の建設会社を辞め、妻や子どもと別れて心の中はズタズタな白岩にはそんなヌルい暮らしが妙に心地よかった。  ひとり暮らしのアパートに戻って、その日も缶ビールを2本飲むつもりだった白岩は、奇妙なひとりの女に出くわす。コンビニに立ち寄ろうとしたところ、中年男性の連れの女がダチョウの求愛ダンスをいきなり店の前で踊り始めたのだ。かなりヤバそうな女だが、なんだか気になってしまう。数日後、同じ職業訓練学校に通う元営業マンの代島(松田翔太)に連れられ、代島の行きつけのキャバクラへ入ったところ、そこで働いていたのがあの求愛ダンスの女、さとし(蒼井優)だった。男みたいな名前のさとしは、店でもやっぱり変わり者だった。離婚の傷が癒えていない白岩は、他人と適度に距離を置くようにしていたが、さとしはズカズカと間合いを破って白岩に迫ってくる。社会から浮いた者同士で、お似合いなのかもしれない。さとしが運転する車で、アパートまで送ってもらう白岩。「うちに寄ってく?」と白岩が軽く声を掛けさえすれば、さとしとはそのままベッドインすることになるだろう。あまりにイージーな展開に、白岩はかえって躊躇してしまう。
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さとし(蒼井優)は感情の起伏が激しいメンヘラ女だった。白岩(オダギリジョー)はさとしを懸命に受け止めようとするが……。
 原作は函館出身の作家・佐藤泰志の短編小説集『黄金の服』(河出書房新社)に収録された同名小説。5度芥川賞候補になりながらも不遇のまま41歳の生涯を終えた佐藤文学を、『海炭市叙景』(10)の熊切和嘉監督、『そこのみにて光輝く』(14)の呉美保監督に続いて、両監督と同じく大阪芸術大学映像学科卒業の山下敦弘監督が映画化している。原作では主人公・白岩の年齢は20代前半だったが、映画では40歳前後に変更。ヒロインとなるさとしも、実家の花屋の手伝いからキャバクラで働く、躁鬱が激しいメンヘラ女となった。職業訓練学校に通う主人公のモラトリアムな日々を描くという山下監督らしい内容ながら、『リアリズムの宿』(03)や『リンダ リンダ リンダ』(05)のような作品全体に流れていた大らかさは消え、痛々しさや苦味が先に伝わってくる。  主人公の年齢変更に加え、蒼井優扮するヒロインが物語の要所要所で踊ってみせるダチョウや白鳥の求愛ダンスも、原作にはないアイデア(脚本・高田亮)。かつて蒼井優は岩井俊二監督の『花とアリス』(04)で匂い立つような可憐なバレエを披露してみせた。10代の少女ならではのイノセントさに溢れた踊りだった。あの頃、彼女の未来には無限の可能性が広がっていた。それから10年あまりが経ち、『フラガール』(06)や『百万円と苦虫女』(08)などゼロ年代の邦画シーンで脚光を浴びてきた蒼井優も今年で30歳。そんな彼女が20代最後の役に選んだのが、“メンヘラ系の女”さとしだった。さとしが路上で踊る求愛ダンスは、どこか滑稽で物哀しい。代島をはじめ街で暮らす男たちは、みんな彼女のエキセントリックさを持て余していることが次第に分かってくる。さとしは迂闊に手を出すと痛い目に遭う、それはそれは恐ろしい“地雷女”だった。  オダギリジョーと山下監督は共に1976年生まれで、今年で40歳を迎えた。世間的には“不惑”なんて言うけれど、40歳になっても男は悩みから解放なんてされない。出演ドラマの視聴率が悪いと、戦犯扱いされてネットで叩かれる。芥川賞受賞作をメジャー系で全国公開したところ、残念な興収結果に終わってしまった。数字よりも中身で評価してくれよと言いたいところだが、そういう弁解もできない年齢に2人ともなってきた。本作の白岩は、オダギリと山下監督の本音が混じったキャラクターだろう。故郷の職業訓練学校にのんびり通う白岩のように、これからの人生を考えるモラトリアムな時間が男は欲しくなってしまう。
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白岩の別れた妻・洋子(優香)。白岩が残業続きで家を空けていた時期、洋子は育児に追われて精神バランスを崩した過去があった。
 若い頃は挑戦することが賞讃されたが、いつの間にか大人になってしまい、失敗することが許されない窮屈な世界で暮らすはめになっていた。『オーバー・フェンス』というタイトルには幾つもの意味が込められている。キャバ嬢のさとしは、昼間は函館山にある小さな遊園地兼動物園で働いており、暇を持て余していた白岩はさとしに逢いに函館山へと自転車を漕ぐ。昼間は檻の中でおとなしくしている動物たちだったが、夜の動物園は独特な雰囲気に変わる。動物たちの解き放たれた野性の匂いが、フェンス越しに伝わってくる。白頭鷲の求愛ダンスを踊ってみせるさとしが、白岩の目にはとても愛しく思えた。さとしは天岩戸を開けてみせたアメノウズメのような女だった。ずっと自分の心の中の檻に篭っていた白岩だったが、その夜は檻を出て外へ出てみる。地雷女だと分かっていながらも、白岩は生まれたままの姿になったさとしとベッドを共にすることになる。  最初は滑稽さや痛々しさが強く感じられた蒼井優の求愛ダンスだが、何度か繰り返されるダンスを観ているうちに、そのダンスには人生を生きるおかしみや切実さも含まれていることに気づく。イノセントな季節はもう終わった。周囲から笑われてもかまわない。今は求愛ダンスを遮二無二踊るこの女を精一杯抱きしめてやりたい。蒼井優やオダギリジョーたちの力を借りて、モラトリアムにこだわる主人公を描き続けてきた山下監督の作風がほんの少しだけ変わった。フェンスから一歩外へ出たのは山下監督自身だった。新しい物語がここから始まる。 (文=長野辰次)
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『オーバー・フェンス』 原作/佐藤泰志 脚本/高田亮 監督/山下敦弘  出演/オダギリジョー、蒼井優、松田翔太、北村有起哉、満島真之介、松澤匠、鈴木常吉、優香 配給/東京テアトル 9月17日(土)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー http://overfence-movie.jp

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大コケのTBS『神の舌を持つ男』が映画化を強行! KinKi Kids・堂本光一の黒歴史『スシ王子!』の悪夢再び!?

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 俳優・向井理主演の連続ドラマ『神の舌を持つ男』(TBS系/金曜22時~)の最終回が9日に放送され、平均視聴率4.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)と、第6話の3.8%に続く自己2番目の低視聴率を記録。期間平均は5.6%で、プライム帯にもかかわらず、剛力彩芽主演の深夜ドラマ『グ・ラ・メ!~総理の料理番~』(テレビ朝日系/23時15分~)をも下回る大コケドラマとなってしまった。  同作は、向井、木村文乃、佐藤二朗演じる3人が、ミヤビ(広末涼子)を探して日本各地の温泉地を巡りながら、主人公が“舌”で事件を解決していくギャグ満載の“コミカルミステリー”。放送前には、演出を手掛ける堤幸彦氏が「この構想に20年を費やした」と熱い思いを語っていた。 「初回から『木村の演技がウザイ』『向井の“舌ペロ”がキモイ』『劇中のギャグがサムイ』と不快感を訴える視聴者が続出。放送前から決定していた映画化について、EXILE・AKIRA主演『HEAT』(フジテレビ系)の時のように、『いつの間にか立ち消えるのでは?』との声が相次いでいたが、俳優陣の撮影スケジュールを、ドラマと映画でまとめて長期で押さえてしまっていたため、バラすことができなかったようだ」(芸能記者)  12月3日には予定通り、映画『RANMARU 神の舌を持つ男』が公開予定。しかし、ネット上では、2007年に堤が原案・脚本・演出を務めたKinKi Kids・堂本光一主演『スシ王子!』(テレビ朝日系)の「二の舞いになるのでは?」との声が相次いでいる。 「『神の舌を持つ男』同様、『スシ王子!』も連ドラ放送前から映画化が決定しており、連ドラが不発だったにもかかわらず、映画化を強行。『銀幕版 スシ王子! ~ニューヨークへ行く~』(08)は案の定、興行収入3.65億円の大赤字に。なお、キャッチコピーは、『お前なんか、NY(にぎってやる)!』だった。『神の舌を持つ男』にノリが似てるので、心配です」(同) 『RANMARU 神の舌を持つ男』は今月、報道陣にロケ風景を公開。堤監督は、その場で思いついたギャグを、現場で次々と台本に盛り込んでいくスタイルで、この日も「鬼子の呪い?」というセリフが急きょ「お肉の呪い? 牛や豚が怒るみたいな?」に変更されたり、「りん先生に違いね。りんじゃ」というセリフが、「りんだ、リンダ、山本リンダ!」という絶叫に急きょ変更されたという。  全体に「面白いだろう」感が漂い、視聴者の好みが別れがちな『神の舌を持つ男』。あらかたの予想通り、『スシ王子!』の二の舞いとなってしまうのだろうか?

『シン・ゴジラ』損益分岐の80億円突破も近く……それでも続編制作に高いハードル

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『シン・ゴジラ』公式サイトより
 庵野秀明氏が脚本、総監督を務め、7月29日に公開された映画『シン・ゴジラ』が、9月6日までの40日間で観客動員420万人を突破し、1984年公開『ゴジラ』以降の“平成ゴジラシリーズ”において、最高の観客動員数を記録した。 「公開40日時点で興行収入は61億円を超えるなど文句はないのですが、実は東宝の設定している損益分岐点は80億円だそうです。製作費に20億円以上かかっているみたいで、黒字になるには80億円が最低ラインだとか。ただ、この調子でいけば、そこも突破しそうですけどね」(映画関係者)  内容については賛否両論分かれるものの、リピーターも多いことから製作側もおおむね前向きに捉えているという。 「続編、つまり『シン・ゴジラ2』をやるのかどうか気になるところですが、こういった場合、往々にして『2』はヒットしないんですよね。また、庵野監督が“遅筆”ということもあって、完成がギリギリになったということも、次を考える上での障害になりそうです。東宝の担当者は、完成するまで何度も胃に穴が開きそうになったと聞いています。本当はマスコミ試写も大々的にやりたかったようですが、完成が遅れたためにできませんでしたからね。まあ、今回はそれが功を奏して、観客の飢餓感を煽ることができたので、結果的によかったのかもしれませんが」(芸能事務所関係者)  果たして、続編はあるのか――。

これはエマ・ワトソン主演版“愛のむきだし”だ!! 実在したカルト教団からの脱出劇『コロニア』

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あの“魔法少女ハーマイオニー”ことエマ・ワトソンがカルト教団に潜入する社会派サスペンス『コロニア』。無事に生還できるのか?
 現在も「アーレフ」と「ひかりの輪」に分裂して活動を続けるオウム真理教、900人以上もの信者が一斉に集団自殺を遂げた人民寺院、映画監督ロマン・ポランスキーの妊娠中の妻シャロン・テートを惨殺したチャールズ・マンソン率いるザ・ファミリー……。様々なカルト集団がこれまでにショッキングな事件を引き起こし、世界中を驚愕させた。これらのカルト集団はそれぞれの教祖が考え出した終末思想に基づくXデーの決行によって、皮肉にも組織の内情が明らかになっていったが、国家権力と巧妙に結びつき、長きにわたって楽園時代を謳歌しているカルト系教団も少なくない。エマ・ワトソン主演映画『コロニア』は南米チリに実在した「コロニア・ディグニダ」を題材にし、カルト系コミュニティーの実態をリアルに再現している。恋人を拉致監禁されたヒロインが、カルト教団に入信し、恋人を助け出そうとする社会派サスペンスとなっている。  コロニア・ディグニダは元ナチスの軍曹パウル・シェーファー(1921~2010)が逃亡先のチリで1961年に設立したドイツ系移民のコミュニティー。表向きはパブテスト系の慈善団体を装っていたが、チリのピノチェト独裁政権と裏で繋がっており、ピノチェト政権に逆らう思想犯たちを拷問&洗脳する秘密研究所、および武器貯蔵基地としての役割を担っていた。アウシュヴィッツ収容所で人体実験を行なった殺人医師ヨーゼフ・メンゲレも一時的に匿われていたと言われている。有刺鉄線のフェンスで囲われた広大なコロニア内には民間人は誰も手を出すことができなかった。チリの民主化が進んだ1990年代後半になり、少年たちへの性的虐待からシェーファーに逮捕状が出るまで、シェーファーはこのコロニア内の絶対的な支配者“教皇”として君臨し続けた。  こんなヤバいカルト教団への潜入を試みるのは、『ハリー・ポッター』シリーズの魔法少女ハーマイオニー役でおなじみのエマ・ワトソンだ。本作でのエマの役は、ドイツの航空会社に勤めるキャビンアテンダントのレナという普通の女性。フライトでチリの首都サンディアゴを訪れたレナ(エマ・ワトソン)は、ジャーナリストで恋人のダニエル(ダニエル・ブリュール)との逢瀬を楽しむ。アパート内で延々といちゃついていた2人だったが、折しもチリは軍事クーデターの真っ最中。民主的に選ばれた社会主義政権から軍事政権へと逆戻りし、街中にきな臭さが充満していた。軍事政権は外国人にも容赦なく、反ピノチェト勢力を支援していたダニエルは拉致され、洗脳施設であるコロニア・ディグニダへと送り込まれてしまう。ピノチェト政権に反対していた人々も、悪名高いコロニアは恐ろしくて誰も関わりたがらない。彼を救い出せるのは自分しかいない。そう腹を括ったレナは、コロニアの門を叩き、入信希望者として潜入する。
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1973年に南米チリで軍事クーデターが発生し、多くの市民が虐殺・拷問される。南米の共産化を恐れたCIAが暗躍したと言われている。
 レナが目撃することになるコロニアの内情が強烈だ。コロニア内では男性と女性の生活テリトリーは厳格に分けられ、コロニア内で暮らす男女は教皇シェーファー(ミカエル・ニクヴェスト)の許可なしでは恋愛もセックスすることも許されていなかった。女性たちは早朝から夜遅くまで農作業や家事に従事させられた。連日の重労働でレナはヘトヘトになり、恋人ダニエルの捜索どころではなかった。少しでも怪しい言動を見せると、他の信者たちが幹部に密告するため、ダニエルに関する情報収集もままならない。シェーファーはお気に入りの男の子たちを周りにはべらせ、恐怖と暴力で信者たちを支配していた。もしかしたら、このままコロニアから永遠に出られないのでは? 敬虔な信者のふりをすればするほど、本当に洗脳されてしまいそうな恐怖とレナは闘うことになる。  数少ないチャンスがようやく巡ってきた。ピノチェト大統領がコロニアを訪問し、信者全員で歓迎イベントを催すことになる。ピノチェトを迎え入れる集団の中にいるダニエルをレナは発見。度重なる電気ショックによる拷問でやつれていたダニエルだが、洗脳されたふりをして辛うじて生き伸びていた。周囲に気づかれないよう、こっそりと喜び合うレナとダニエル。だが、2人に残された時間はわずかだった。ピノチェトの要請を受け、コロニア内で化学兵器サリンの人体実験が行なわれることになり、その実験台にダニエルが選ばれていたのだ。恋人たちは絶体絶命のピンチを迎える。
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コロニア内に君臨したナチス残党のパウル・シェーファー(ミカエル・ニクヴェスト)。多くの子どもたちが性的虐待の犠牲となった。
 本作を企画したのはドイツ人監督のフロリアン・ガレンベルガー。チリを度々訪ね、コロニアで実際に暮らしていた元住人たちから当時の状況を微細に聞き出すことで、本作をリアリティーのある作品に仕立てている。ドイツのインディペンデント映画にイギリスの人気女優エマ・ワトソンが出演してくれるか不安混じりでのオファーだったそうだが、アイドル系女優からの脱皮を目指していたエマ・ワトソンは、本作のテーマ性とヒロインが恋人のために体を張るというストーリーの面白さから出演を快諾。ハーマイオニーのイメージとはガラリと変わる“大人の女”レナを熱演してみせた。『ラッシュ/プライドと友情』(13)のダニエル・ブリュールとの序盤のラブシーンも丁寧に演じ、中盤以降の恋人奪回劇を説得力のあるものにしている。園子温監督が実在するカルト教団をモデルにして描いた『愛のむきだし』(08)で満島ひかりが大ブレイクを果たしたように、エマ・ワトソンにとっても本作は大きな転機作となりそうだ。  それにしてもカルト教団の組織運営の巧みさには驚かせられる。信者たちには修業の一環として過酷な労働を強い、考える気力も逆らう体力も根こそぎ奪ってしまう。教団内にしかお前の居場所はないのだと洗脳する。教祖への絶対忠誠を誓う信者は幹部へと出世し、逆に教祖や組織への疑問を少しでも匂わせた人間は速攻でリンチ処分となる。密告される恐れがあるので、誰も本音を口にできない。さらに政界やメディアにすり寄って、外部にはクリーンなイメージを広める。これって、今あるブラック企業とまったく同じではないか。日本にはびこるブラック企業の多くも、カルト教団と同じような組織運営を行なっているわけだ。レナたちが味わった恐怖は他人事ではない。カルト社会はとても身近なところに存在する! (文=長野辰次)
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『コロニア』 監督/フロリアン・ガレンベルガー 出演/エマ・ワトソン、ダニエル・ブリュール、ミカエル・ニクヴェスト、リチェンダ・ケアリー、ヴィッキー・クリープス、ジャンヌ・ウェルナー  配給/REGENTS、日活 9月17日(土)よりヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ新宿ほか全国ロードショー公開 (C)2015 MAJESTIC FILMPRODUKTION GMBH/IRIS PRODUCTIONS S.A./RAT PACK FILMPRODUKTION GMBH/REZO PRODUCTIONS S.A.R.L./FRED FILMS COLONIA LTD. http://colonia.jp

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“ピンク映画の巨匠”が若松孝二、可愛かずみらと過ごした日々を語る『つわものどもが遊びのあと』

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ピンク映画50年の歴史を語る渡辺護監督。とりわけ若松孝二監督たちと競い合った黄金時代のエピソードは語りにも熱が入る。
“ピンク映画のクロサワ”と呼ばれた男がいた。ピンク映画とは1962年に歴史が始まったインディペンデント系の成人映画を指した呼び名だが、ピンク映画の黎明期にあたる1965年にデビューし、生涯200本以上ものピンク映画を撮り上げた渡辺護監督がその人である。ピンク映画全盛期には年間12本ペースで作品を量産し、連続暴行殺人魔・大久保清をモデルにした『日本セックス縦断 東日本篇』(71)は大久保逮捕の翌月に撮影され、大ヒットを記録した。美保純のデビュー作『制服処女のいたみ』(81)、可愛かずみのデビュー作『セーラー服色情飼育』(82)を撮ったのも渡辺監督だ。2013年12月、ピンク映画50周年記念作『色道四十八手 たからぶね』(14)の撮影直前に大腸がんで亡くなった渡辺監督だが、生前に自身の生涯とピンク映画の歴史を語っており、「渡辺護監督自伝的ドキュメンタリー」(全10部)として記録されている。中でも第2部『つわものどもが遊びのあと』は、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)など数多くの社会派作品を放った若松孝二をはじめとする奇才たちと競い合ったピンク映画の黄金期が語られ、見逃せない内容となっている。  第1部『糸の切れた凧』は渡辺監督の少年期から始まり、ピンク映画『あばずれ』(65)で監督デビューを果たすまでが語られたが、第2部『つわものどもが遊びのあと』で渡辺監督の口から飛び出す名前は錚々たる顔ぶれだ。『壁の中の秘事』(65)などの問題作で世間を騒がせた若松監督とはお互いに監督デビューする以前からの知り合いだった。センセーショナルな作風でいち早く注目を集めた若松監督に対し、渡辺監督は新劇出身らしい理論的な演出で、しかも男女の絡みもエロチックに撮ることから、次第に評価を高めていく。ほぼ同時期にデビューした若松監督と渡辺監督はライバルであり、ピンク映画というインディペンデントな製作現場で共に闘う同志でもあった。「若ちゃんと新宿で呑むと、『革命が成功したら、新宿御苑はナベさんにあげるよ』なんて言うんだよ。あいつは革命を何だと思ってるんだ(笑)」といった若松監督との交流が語られる。また、『トゥナイト』(テレビ朝日系)の風俗レポートで人気を博す山本晋也監督の作品はすべて“客観カット”で撮られていることに気づき、渡辺監督は大いに触発されたという。多忙を極めた向井寛監督からは、「ギャラは弾むから」と 内緒で監督代行を頼まれたことを明かす。  本作の配給を手掛けているのは、ピンク映画専門誌『PG』の編集人である林田義行氏。本作の資料的価値をこう語る。 林田「ピンク映画のほとんどはフィルムもスチールも処分されており、ビデオ化やDVD化されている作品はごく僅か。渡辺監督のデビュー作『あばずれ』も処分されていたと思われていたんですが、最近になって神戸映画資料館が発見したんです。ピンク映画は資料もほとんど残っていない状況なので、渡辺監督が語るピンク映画界の内情はとても貴重なもの。僕自身もピンク映画を見始めたのは80年代後半に入ってからなので、ピンク映画最盛期の熱気は体感していないんです。渡辺監督が若松監督たちと過ごした、ピンク映画がいちばん活気があった頃のエピソードの数々は感慨深いものがあります」
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演出中の渡辺監督。女優を美しく撮り、男女の絡みをエロチックに描くことで配給会社と観客からの信頼は厚かった。
『つわものどもが遊びのあと』の後編では、荒井晴彦、高橋伴明、小水一男(ガイラ)、滝田洋二郎ら若手の台頭が語られる。多士済済な才能を育んできたピンク映画だったが、80年代に入ると代々木忠監督によるアダルトビデオ作品が爆発的ヒットとなり、AV時代が到来。ピンク映画は徐々に衰退の道を辿ることになり、渡辺監督の製作ペースも落ちていく。そんな中で出会ったのが、82年に劇場公開された『セーラー服色情飼育』に主演することになる可愛かずみだった。デビュー前から周囲の人たちが立ち止まるほどの美少女だった可愛かずみに、渡辺監督はぞっこんだったことがその口調からうかがえる。可愛かずみには人を惹き付ける不思議な魅力があった。「脱ぐのはかまわないけど、男との絡みはいや」と撮影を拒んでいた可愛だが、「監督がモノをつくるときは狂気の世界。いい映画を撮ろうとは思わない、この子で撮るんだということしか考えない」という渡辺監督の熱情に寄り切られることになる。自分のもとを去ったかつての恋人との蜜月の日々を振り返るような、そんな哀歓の交じった表情を渡辺監督は浮かべる。  全10部という大長編のドキュメンタリーを1年がかりで撮り上げたのは、脚本家であり、『たからぶね』で渡辺監督が亡くなった後のバトンを受け継いで監督デビューを果たした井川耕一郎氏。渡辺監督との出会いと渡辺監督の自伝ドキュメンタリーを思い立った経緯についてこう語る。
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シナリオタイトルは『ロリータ』だった『セーラー服色情飼育』の台本。ところどころに、渡辺監督が記したスケッチやメモが残されている。
井川「1993年に亡くなった大和屋竺さん(『荒野のダッチワイフ』の監督、アニメ『ルパン3世』などの脚本家として有名)のシナリオ集を編纂した際に、大和屋さんと付き合いのあったピンク映画の監督たちを訪ね、そのときに渡辺さんにもお会いしたのが最初でした。その後、僕は脚本家になり、渡辺さんとも仕事をするようになるんですが、仕事がないときも渡辺さんの自宅にお邪魔して、いつも映画の話を楽しく聞いていたんです(笑)。『たからぶね』は当初は国映製作で2011年ごろに渡辺さんが撮るはずだったんですが、国映が製作本数を減らしたことから撮影延期となり、せっかくだからと渡辺さんにピンク映画の歴史を語ってもらうことにしたんです。渡辺さんのしゃべりは話芸と呼べるくらい達者だったことに加え、渡辺さんが独特の世界観を持っていたことも大きかったですね。渡辺さんの代表作『夜のひとで』(70)などの作品にも通じるんですが、どんなに楽しい時間もやがて終わるときがくるという悲哀が感じられるんです。そして、自分もその例外ではないと。しゃべりは軽妙ですが、物事をすごく冷静に見つめている人でした。そんな渡辺さんだからこそ、ピンク映画全体を客観 視して語ることができたんだと思うんです」  井川氏によると、渡辺監督にはピンク映画よりも予算が潤沢な日活ロマンポルノからのオファーもあったそうだが、自由度の高いピンク映画の現場を愛していた渡辺監督はこの話を断ったそうだ。メジャー作品とも一般映画とも異なる、インディペンデントな世界で輝きを放つ男たち女たちがいた。『つわものどもが遊びのあと』にはそんな彼らの残光が記録されている。 (文=長野辰次)
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渡辺護監督自伝的ドキュメンタリー 『つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史』 監督/井川耕一郎 撮影/松本岳大 録音/光地拓郎 製作・編集/北岡稔美 出演/渡辺護 前編は9月5日(月)~11(日)、後編は9月13日(火)~19日(月)、ラピュタ阿佐ヶ谷にてレイトショー上映 ※期間中に井川耕一郎監督とゲストによるトークショーあり  http://watanabemamoru-documentary.com

“ピンク映画の巨匠”が若松孝二、可愛かずみらと過ごした日々を語る『つわものどもが遊びのあと』

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ピンク映画50年の歴史を語る渡辺護監督。とりわけ若松孝二監督たちと競い合った黄金時代のエピソードは語りにも熱が入る。
“ピンク映画のクロサワ”と呼ばれた男がいた。ピンク映画とは1962年に歴史が始まったインディペンデント系の成人映画を指した呼び名だが、ピンク映画の黎明期にあたる1965年にデビューし、生涯200本以上ものピンク映画を撮り上げた渡辺護監督がその人である。ピンク映画全盛期には年間12本ペースで作品を量産し、連続暴行殺人魔・大久保清をモデルにした『日本セックス縦断 東日本篇』(71)は大久保逮捕の翌月に撮影され、大ヒットを記録した。美保純のデビュー作『制服処女のいたみ』(81)、可愛かずみのデビュー作『セーラー服色情飼育』(82)を撮ったのも渡辺監督だ。2013年12月、ピンク映画50周年記念作『色道四十八手 たからぶね』(14)の撮影直前に大腸がんで亡くなった渡辺監督だが、生前に自身の生涯とピンク映画の歴史を語っており、「渡辺護監督自伝的ドキュメンタリー」(全10部)として記録されている。中でも第2部『つわものどもが遊びのあと』は、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)など数多くの社会派作品を放った若松孝二をはじめとする奇才たちと競い合ったピンク映画の黄金期が語られ、見逃せない内容となっている。  第1部『糸の切れた凧』は渡辺監督の少年期から始まり、ピンク映画『あばずれ』(65)で監督デビューを果たすまでが語られたが、第2部『つわものどもが遊びのあと』で渡辺監督の口から飛び出す名前は錚々たる顔ぶれだ。『壁の中の秘事』(65)などの問題作で世間を騒がせた若松監督とはお互いに監督デビューする以前からの知り合いだった。センセーショナルな作風でいち早く注目を集めた若松監督に対し、渡辺監督は新劇出身らしい理論的な演出で、しかも男女の絡みもエロチックに撮ることから、次第に評価を高めていく。ほぼ同時期にデビューした若松監督と渡辺監督はライバルであり、ピンク映画というインディペンデントな製作現場で共に闘う同志でもあった。「若ちゃんと新宿で呑むと、『革命が成功したら、新宿御苑はナベさんにあげるよ』なんて言うんだよ。あいつは革命を何だと思ってるんだ(笑)」といった若松監督との交流が語られる。また、『トゥナイト』(テレビ朝日系)の風俗レポートで人気を博す山本晋也監督の作品はすべて“客観カット”で撮られていることに気づき、渡辺監督は大いに触発されたという。多忙を極めた向井寛監督からは、「ギャラは弾むから」と 内緒で監督代行を頼まれたことを明かす。  本作の配給を手掛けているのは、ピンク映画専門誌『PG』の編集人である林田義行氏。本作の資料的価値をこう語る。 林田「ピンク映画のほとんどはフィルムもスチールも処分されており、ビデオ化やDVD化されている作品はごく僅か。渡辺監督のデビュー作『あばずれ』も処分されていたと思われていたんですが、最近になって神戸映画資料館が発見したんです。ピンク映画は資料もほとんど残っていない状況なので、渡辺監督が語るピンク映画界の内情はとても貴重なもの。僕自身もピンク映画を見始めたのは80年代後半に入ってからなので、ピンク映画最盛期の熱気は体感していないんです。渡辺監督が若松監督たちと過ごした、ピンク映画がいちばん活気があった頃のエピソードの数々は感慨深いものがあります」
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演出中の渡辺監督。女優を美しく撮り、男女の絡みをエロチックに描くことで配給会社と観客からの信頼は厚かった。
『つわものどもが遊びのあと』の後編では、荒井晴彦、高橋伴明、小水一男(ガイラ)、滝田洋二郎ら若手の台頭が語られる。多士済済な才能を育んできたピンク映画だったが、80年代に入ると代々木忠監督によるアダルトビデオ作品が爆発的ヒットとなり、AV時代が到来。ピンク映画は徐々に衰退の道を辿ることになり、渡辺監督の製作ペースも落ちていく。そんな中で出会ったのが、82年に劇場公開された『セーラー服色情飼育』に主演することになる可愛かずみだった。デビュー前から周囲の人たちが立ち止まるほどの美少女だった可愛かずみに、渡辺監督はぞっこんだったことがその口調からうかがえる。可愛かずみには人を惹き付ける不思議な魅力があった。「脱ぐのはかまわないけど、男との絡みはいや」と撮影を拒んでいた可愛だが、「監督がモノをつくるときは狂気の世界。いい映画を撮ろうとは思わない、この子で撮るんだということしか考えない」という渡辺監督の熱情に寄り切られることになる。自分のもとを去ったかつての恋人との蜜月の日々を振り返るような、そんな哀歓の交じった表情を渡辺監督は浮かべる。  全10部という大長編のドキュメンタリーを1年がかりで撮り上げたのは、脚本家であり、『たからぶね』で渡辺監督が亡くなった後のバトンを受け継いで監督デビューを果たした井川耕一郎氏。渡辺監督との出会いと渡辺監督の自伝ドキュメンタリーを思い立った経緯についてこう語る。
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シナリオタイトルは『ロリータ』だった『セーラー服色情飼育』の台本。ところどころに、渡辺監督が記したスケッチやメモが残されている。
井川「1993年に亡くなった大和屋竺さん(『荒野のダッチワイフ』の監督、アニメ『ルパン3世』などの脚本家として有名)のシナリオ集を編纂した際に、大和屋さんと付き合いのあったピンク映画の監督たちを訪ね、そのときに渡辺さんにもお会いしたのが最初でした。その後、僕は脚本家になり、渡辺さんとも仕事をするようになるんですが、仕事がないときも渡辺さんの自宅にお邪魔して、いつも映画の話を楽しく聞いていたんです(笑)。『たからぶね』は当初は国映製作で2011年ごろに渡辺さんが撮るはずだったんですが、国映が製作本数を減らしたことから撮影延期となり、せっかくだからと渡辺さんにピンク映画の歴史を語ってもらうことにしたんです。渡辺さんのしゃべりは話芸と呼べるくらい達者だったことに加え、渡辺さんが独特の世界観を持っていたことも大きかったですね。渡辺さんの代表作『夜のひとで』(70)などの作品にも通じるんですが、どんなに楽しい時間もやがて終わるときがくるという悲哀が感じられるんです。そして、自分もその例外ではないと。しゃべりは軽妙ですが、物事をすごく冷静に見つめている人でした。そんな渡辺さんだからこそ、ピンク映画全体を客観 視して語ることができたんだと思うんです」  井川氏によると、渡辺監督にはピンク映画よりも予算が潤沢な日活ロマンポルノからのオファーもあったそうだが、自由度の高いピンク映画の現場を愛していた渡辺監督はこの話を断ったそうだ。メジャー作品とも一般映画とも異なる、インディペンデントな世界で輝きを放つ男たち女たちがいた。『つわものどもが遊びのあと』にはそんな彼らの残光が記録されている。 (文=長野辰次)
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渡辺護監督自伝的ドキュメンタリー 『つわものどもが遊びのあと 渡辺護が語るピンク映画史』 監督/井川耕一郎 撮影/松本岳大 録音/光地拓郎 製作・編集/北岡稔美 出演/渡辺護 前編は9月5日(月)~11(日)、後編は9月13日(火)~19日(月)、ラピュタ阿佐ヶ谷にてレイトショー上映 ※期間中に井川耕一郎監督とゲストによるトークショーあり  http://watanabemamoru-documentary.com

本命とはエッチせず、非本命とエッチしちゃう! 肉体言語としてのSEX『好きでもないくせに』

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“謎の聖女”璃子の主演デビュー作『好きでもないくせに』。秋田から上京してきた琴子(璃子)は好きでもない相手とつい寝てしまう。
 人間の心の中にある、まだ言語化されていない曖昧な感情を捕らえて、サンプル化してみせるという行為は、小説や映画といったメディアが請け負う大きな役割だろう。この世界にはまだ発見されていない微生物がたくさんいるように、人間の内面に隠れ、見逃され続けてきた心の動きは少なくない。吉田浩太監督&脚本作『好きでもないくせに』は、好きになった異性とはエッチできず、好きでもない相手とついついセックスしてしまうという、理屈では割り切れない20代女性の揺れ動く感情にスポットライトを当てた官能ドラマとなっている。 『好きでもないくせに』の主演女優は、本作で女優デビューを果たす璃子。週刊誌「FLASH」(光文社)で“謎の聖女 璃子”としてセクシーグラビアを披露してきた彼女の実体験に着想を得て、吉田浩太監督が軽快なコメディに仕立てている。璃子いわく、「好きな人の前では緊張して、うまく自分の気持ちを伝えられない」「強く口説かれると断れなくなって」「お酒を呑んだ勢いで」、好きでもない男性とエッチした過去があるそうだ。恋愛感情と性的欲望は、必ずしもぴったり一致するわけではない。そんな2つの感情の狭間に本作の主人公たちはつまずき、右往左往することになる。  主人公は秋田から上京してきた売れないグラビアモデルの琴子(璃子)。芸能事務所に籍を置くものの、たまに舞い込む芸能活動では食べていけず、普段はキャバクラで働いていた。同じキャバクラでボーイをしている大学生の元気(川村亮介)に誘われ、珍しく璃子は合コンに参加。元気が通う大学の後輩で、モデルをやっている陸(根岸拓哉)のイケメンぶりに思わずひと目惚れしてしまう。でも、気になる異性ほど、意識しすぎて会話がうまく繋がらない。いまいち盛り上がれなかった合コンの後、琴子は自宅まで送ってくれた元気を追い返せず、流れに身を任せてエッチしてしまう。意中の琴子との初エッチに感激する元気とは裏腹に、琴子は流されやすい自分の性格に呆れるしかなかった。
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琴子と同じキャバクラに勤める元気(川村亮介)をはじめとする男たちは、琴子の優柔不断な性格に思いっきり振り回されるはめに。
 数日後、連絡先を聞きそびれていた陸から琴子のFacebookに友達申請が届く。小躍りして喜ぶ琴子。遊び慣れている陸は、琴子をさっそくシャレたバーに誘い、センスのいい会話で心地よく酔わせくれる。気づいたときには琴子は陸のマンションに上がって、陸に抱かれていた。念願の陸とのベッドインだ。でも、いよいよ本番という寸前で陸を拒絶してしまう。「本当に好きだから、セックスはできない。セックスすると体だけの関係になってしまう」と弁解する琴子。今まで女性に拒否されたことのない陸は、琴子のこの理屈がまったく理解できない。セックスすることに達成感を覚える男たちと、セックスよりも大事なものがあると考える琴子との間には深い深い溝がある。  演技経験のない璃子は、本作で琴子を演じているというよりは、素のままの自分をさらけ出している。ブレイク前の新人女優らしく“決め顔”が定まっておらず、カメラアングルやちょっとした仕草によって印象がずいぶんと変わる。秋田出身の純朴そうな女の子に映る一方、ベッドシーンでは大胆なフルヌードを披露する。特に同じキャバクラに勤める元気との2度目のSEXシーンはかなりエロい。大本命の陸を袖にして自宅に泣きながら帰ってきた琴子は、好きでもない元気とまたエッチしてしまう。前貼りをしていない璃子のこんもりしたアンダーヘアは丸見えで、正常位から座位へと体位を変えていく中で白い肌が次第に上気していく様子が分かる。演技っぽさがない分、余計にエロチックに感じられる。
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大胆な濡れ場は撮影初日に行なわれた。璃子いわく「上京してすぐの頃は若気の至りの黒歴史があった。今でも好きな人とはできないです」。
 新人女優・璃子の体当たりの濡れ場を、臨場感たっぷりに描いてみせたのは1978年生まれの吉田浩太監督。これまでにも、江口のりこ&染谷将太主演の匂いフェチもの『ユリ子のアロマ』(10)、女子校の拷問部を舞台にしたガールズSMムービー『ちょっとかわいいアイアンメイデン』(14)など、変わった性癖を持つ若者たちのビミョーな感情をモチーフにしてきた。ピンク映画とはひと味異なる、ライト感覚な官能コメディを得意とする監督だ。恋愛対象ではないもののエッチしまう本作の琴子と元気の関係は、世間的にはセックスフレンド、ヤリ友になるわけだが、裸と裸のお付き合いを重ねることで2人の間には恋愛感情とは違う、“セックスフレンドシップ”とでも呼ぶべき奇妙な感情が芽生えていく。あまりクローズアップされることのないレアな心理なだけに、より興味をそそる。  セックスを単に生殖を目的にした行為として定義してしまうと、性欲を伴って生きる人生はとても窮屈で、息苦しいものになってしまう。その点、フィクションである映画の世界では、セックスはもっと大らかなもの、人と人とを繋げる自然な営みとして描かれる。琴子も元気も陸もFacebookやLineを使って頻繁に他者とのコミュニケーションを図るけれど、男と女の間に横たわる大きな大きな溝の問題は、最新のコミュニケーションツールを駆使しただけでは到底解決できない。言葉よりも、もっと饒舌な肉体言語としてのセックスの在り方を本作は浮かび上がらせる。“謎の聖女”璃子はカメラの前ですっぽんぽんになることで、心の中に渦巻く言語化されていない感情を繊細かつ雄弁に語ってみせる。 (文=長野辰次) 『好きでもないくせに』 監督・脚本/吉田浩太 出演/璃子、根岸拓哉、川村亮介、神戸浩、藤田朋子  配給/太秦 9月3日(土)よりシネ・リーブル池袋にてレイトショー公開 ※18歳以上のみ鑑賞可能 (c)2016 キングレコード

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