幼女虐待を描いた映画『無垢の祈り』が強烈すぎ!! ベテラン監督が自主製作に踏み切った内情とは……

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幼女虐待を生々しく描いた『無垢の祈り』。撮影時9歳だった子役の福田美姫が鬼気迫る演技を見せている。
 現在、渋谷のミニシアター「アップリンク」でロングラン上映が続き、密かに話題を呼んでいるのが『無垢の祈り』だ。人気ホラー作家・平山夢明の短編集『独白するユニバーサル横メルカトル』(光文社)に収録された同名小説が原作。10歳になる少女フミは小学校でイジメに遭い、自宅に帰れば義父からの執拗な虐待が待っている。母親は新興宗教に依存し、助けてはくれない。どこにも救いを求めることができないフミは、街で噂になっている連続殺人鬼に救いを求め、殺人現場となっている廃墟を訪ね歩く――。いかにも平山作品らしくハードさを極めた内容だ。幼女虐待を題材にしていることから、海外の映画祭でも上映困難だったという曰く付きの映画となっている。本作を自主製作という形で完成させたのは、壇蜜初主演映画『私の奴隷になりなさい』(12)を大ヒットさせた亀井亨監督。SM映画で人気を博したベテラン監督は、なぜ児童虐待を主題にした作品を自主製作&自主配給までして公開するに至ったのだろうか。
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妻の連れ子に手を出す最悪の義父を演じたのは物まね芸人のBBゴロー。亀井監督に口説かれての出演だった。
――平山夢明さんと亀井監督のトークショー付きの上映を拝見しましたが、アップリンクはフルハウス状態で独特な熱気を感じました。『無垢の祈り』を自主映画として製作した経緯を教えてください。 亀井 10年前に独立UHF局で平山夢明さん原作の深夜ホラー『「超」怖い話』というオムニバスものを撮ったんです。とても好評だったんですが、苦情も局に届き、再放送は一度もされませんでした。平山さんの作品って、テレビ向きじゃないんですよね(苦笑)。でも、それから平山さんは僕のことを信頼してくれ、一緒に呑みにいくようになったんです。その後も映画会社に平山さん原作の映画化の企画を出し続けたんですが、「もう少し、表現を柔らかくできない?」と戻されるわけです。平山作品の面白さを表現するには、加減したものでは意味がない。中途半端な形になるなら映像化しないほうがいいと、企画を引っ込めることが何度も続きました。僕もここ10年くらい監督をやっていて、「綺麗事を撮るだけでいいのかな」と考えるようになってきたこともあり、商業映画ではまず不可能な“児童虐待”を題材にした『無垢の祈り』を自主映画としてやろうと決めたんです。商業映画の場合、問題が起きるとプロデューサーと監督が共同で責任を負う形になりますが、自主映画ならプロデューサーと監督を兼ねた僕がひとりで負えばいいわけです。 ――亀井監督が配給も手掛け、3年がかりで劇場公開に漕ぎつけたわけですね。 亀井 そうです。3年前に平山さんに『無垢の祈り』の映画化のお話をさせてもらい、2年前に映画として完成させました。1年間ほど海外の映画祭に出品しようと動いたんですが、軒並みダメでしたね。日本の映画界で児童虐待ものがNGなように、海外でも扱ってもらえませんでした。規模の大きな映画祭ほどダメでした。唯一、上映できたのが香港アンダーグランド映画祭。アングラ映画祭のオープニングを飾りました(笑)。国内の映画祭は、平山さんが付き合いのあるカナザワ映画祭で今年9月に上映することができたんです。内容が内容だから、一般公開は上映館が限定されることは最初からわかっていたので、ミニシアター系の映画館と今も話をじっくり進めています。渋谷のアップリンクは僕の作品を以前から取り上げてくれていたので、「映倫を通していない作品ですが……」とお願いして、ロングラン上映してもらっています。平山さんも妥協しないで完成させた本作を気に入ってくれて、毎週のようにトークイベントをやっているところです。
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母親を演じた下村愛。セクシータレント・穂花として活躍後、2015年に自叙伝『籠』を執筆し、虐待された過去を公表した。
■壮絶な少女時代を体験した女優をキャスティング ――亀井監督は『私の奴隷になりなさい』をヒットさせ、また『幼獣マメシバ』(09)や『ねこタクシー』(10)などの動物モノも数多く手掛けています。なぜ、自主製作までして児童虐待ものを撮ることにこだわったんでしょうか? 亀井 動物モノに関してぶっちゃけて言うと、僕は人間よりも動物のほうが好きだからです。あまり人間が好きじゃない(笑)。人間を撮るよりも動物を撮っているほうが楽なんです。SM映画にしても、『私の奴隷になりなさい』以前も石井隆監督の助監督や団鬼六さんの監督作品で監督補をしてきたんですが、僕はSMというプレイ自体よりもSとMという関係性に興味があるんです。平山さんは僕と違って人間好きな方ですが、平山さんの小説は倫理の壁を突き抜けた向こう側を描き、とても残酷でグロいけれど、書いてあることはすごく正論。信用できる文章なんです。そういう作品なら、自腹を切ってでも本気で映画化したいと思えた。僕は今47歳なんですが、あとどれだけ映画を撮ることができるかを考えたら、そろそろ自分が本当に撮りたいものを撮らなくちゃいけないなと。みんなが「面白い、楽しかった」と言ってくれるような映画はこれからも撮り続けるつもりですが、観た人の人生の軌道を変えてしまうような映画も撮りたいと思ったんです。 ――虐待に遭う少女フミ役の福田美姫ちゃんが大熱演。本作が俳優デビューとなる芸人・BBゴローは迫真の演技。また、新興宗教にハマる母親を演じた下村愛さん(2015年に穂花から改名)は亀井監督作品にたびたび出演してきましたが、彼女自身も少女時代に壮絶な虐待を体験していたんですね。 亀井 下村愛さんにはそれもあって出演してもらいました。下村さんからは自叙伝『籠』(主婦の友社)を発表された際に、「こんな本を出したので、読んでください」と言われていたんです。自身が体験したことを、逆側の母親役として演じることは容易なことではなかったと思いますが、大変な過去を背負った彼女が母親役を引き受けてくれたことで、作品に深みが出たように思います。福田美姫ちゃんはスターダスト所属なんですが、スターダストとは動物モノの作品で付き合いがあり、僕が無茶苦茶なことはしない監督だということはわかってくれて、作品内容に理解のある子役として美姫ちゃんを紹介してくれたんです。もちろん彼女の両親の了解をもらった上での出演ですし、撮影中も法律に反するようなことはしていません。BBゴローさんは平山さんと一緒に呑む仲間で、5年以上前からの付き合いがありました。僕の作品は板尾創路さん、カンニング竹山さん、塚地武雅さんといった芸人さんに出演してもらうことが多いんですが、芸人さんは芝居がうまい。しかもBBゴローさんは形態模写をやっているので人間観察力に優れているんです。僕が「こんな感じで」と頼むと、ピッとひらめいて、サッと演じてみせる。題材が題材なだけに、僕が信頼できる人たちに出演してもらったんです。
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撮影中の亀井監督。映画の内容はハードだが、撮影はキャストに精神的にも肉体的にも苦痛を与えないよう配慮して進められた。
■「闘うことにまるで興味がない」 ――亀井監督の作品を振り返ってみると、本作で母親を演じた下村愛さんが穂花時代に主演した『テレビばかり見ていると馬鹿になる』(07)は引きこもりの女性が主人公で、『私の奴隷になりなさい』で壇蜜とのSMプレイに溺れる青年はそれまでずっと無気力に生きてきた。亀井作品は生きていく気力を持てずにいる人たちを描いていることが非常に多いです。 亀井 『幼獣マメシバ』の佐藤二朗さんも中年ニートでした(笑)。オファーの来た仕事は何でも受けている監督のように映るかもしれませんが、実は社会的に弱い立場の人間を描いているということで僕の作品は一貫しているんです。基本、自分が気に入った仕事しか受けないし、きちんとした原作がある場合以外は、なるべく自分がやりたい方向に持ってくるようにしています。僕の作品の主人公たちは、物理的に何かに立ち向かって闘うということは一切しません。僕自身が、闘うことに興味が持てないんです。優劣が歴然としてあるこの世の中で、弱者という立場にいる人たちは何を考えて過ごしているのだろうという部分に興味が湧くんです。その結果が動物モノだったり、引きこもりやSMだったりする。それが今回は児童虐待になった。ジャンルは違うけれど、描きたいことはいつも同じなんです。 ――闘うことに興味がないとのことですが、映画製作の際にはプロデューサーたちとやりあうこともあるのでは? 亀井 もちろん、自分がやりたいことはプロデューサーに対して主張しますが、それは作品を作るために必要最低限なディスカッションであって、闘いだとは思っていません。殴るとか拳銃を撃つといった戦いや、オリンピックのようなスポーツも含め、物理的な争いごとにまったく関心が持てない。『スター・ウォーズ』(77)はちゃんと観たことがないし、『シン・ゴジラ』もまだ観ていません。『ゴジラ』シリーズで描かれるゴジラは何かのメタファーなんでしょうが、そんな怪獣と戦おうという人間の心理が僕には分からない(苦笑)。もちろん人間が生きていく上で、時間との闘いだったり、人間関係をめぐる闘いはあるわけで、僕はそちらに興味がある。他人と競って勝利を得るということには心が動かないんです。 ――人間があまり好きでなく、闘うことに興味が持てない映画監督が、児童虐待を題材にした映画を撮り上げたことが興味深いです。 亀井 僕自身は、人間としてちゃんと生きていかなくちゃとは常々思っているんです。本当にちゃんとした大人は尊敬しています。でも、ほとんどの人はそうじゃない。ちゃんとした大人のふりをしているだけ。でも、そのことに文句を言っても何も始まらない。自分から世の中を変えようとはしないけど、世の中は変わってほしいとは思っています。『無垢の祈り』は最下層のどこにも行き場がない人たちの物語。悲鳴を上げたくても上げられない人たちなんです。今回、『無垢の祈り』を映画化したことで、悲鳴を上げられなかった人たちが悲鳴を上げられるようになればいいなと思うんです。「クリーンな世の中にしましょう」と言い出すと、表面に出てこない形でもっと酷な状況に追い込まれる人たちがいる。「イジメをなくしましょう」とキャンペーンを張れば、自分がイジメられていることを言い出せなくなる子どもたちが現われるわけです。本当の問題はそこじゃない。いちばん酷い目に遭っている人たちは何も話せなくなってしまう。僕にはどうすれば問題を解決できるかわかりませんが、他の監督たちとは違うことをやる監督がいてもいんじゃないかと思うんですよ。 ――この映画のいちばんの恐ろしさは、これが決してホラーファンタジーではなく、現実の世界を描いているということですね。 亀井 中には「こんなこと本当にあるの?」と思う人もいるでしょうが、現代の日本では影に隠れているけれど大きな問題だと思います。本作を上映するにあたって怖いのは、実際に虐待に遭っている若い人が観て、映画の世界と現実とをシンクロさせてしまうこと。過去に体験したという人でもフラッシュバックしてしまう恐れがあるので、その点は気を付けてほしいし、映倫には通していませんが、自主的にR18+にしています。精神的にきちんと自律できている状態で観てほしいと思います。年明けから名古屋、京都、松本でも上映されることが決まったので、平山さんは各地でトークショーをやる気になっています(笑)。今回の『無垢の祈り』が成功例になれば、今後は平山作品の面白さをそこねることなく映像化しようという流れも起きると思うんです。平山さんの小説は『ダイナー』をはじめ人気作が多数あるので、次回はぜひ商業ベースで撮ってみたいですね。 (取材・文=長野辰次)
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『無垢の祈り』 (c)YUMEAKI HIRAYAMA /TORU KAMEI 原作/平山夢明 製作・脚本・監督/亀井亨 撮影/中尾正人 音楽/野中“まさ”雄一 美術/松塚隆史 録音/甲斐田哲也 音響効果/丹愛 出演/福田美姫、BBゴロー、下村愛 R18 10月8日より渋谷アップリンクにて上映中 宮崎キネマ館:11月14日~18日再上映/シネマスコーレ(名古屋):17年1月上映予定/松本CINEMAセレクト:17年2月上映予定/京都みなみ会館:2017年上映予定 http://innocentprayer.s2.weblife.me ●亀井亨(かめい・とおる) 1969年福岡県福岡市出身。RKB毎日放送で情報番組のディレクターを経験後に上京。石井隆監督作品の演出部で活動し、『心中エレジー』(05)で監督デビュー。本作で母親役を演じた下村愛(穂花)主演作『テレビばかり見ていると馬鹿になる』(07)や『ヘクトパスカル』(09)、佐藤二朗主演作『幼獣マメシバ』(09)、カンニング竹山主演作『ねこタクシー』(10)、塚地武雅主演作『くろねこルーシー』(12)など数多くの作品を手掛けた。壇蜜初主演作『私の奴隷になりなさい』(12)は大ヒットを記録。性同一障害を題材にした『アルビノ』(16)もアップリンクで公開されている

貯金ゼロ目前、食費は1日100円……苦境極まった片渕須直監督『この世界の片隅に』は、どう完成したか

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 11月12日、ようやくアニメーション映画『この世界の片隅に』(原作/こうの史代)が全国公開を迎える。  最初に制作発表がなされたのは、2012年の8月。しかし、企画は遅々として進まなかった。  事態がガラリと変わったのは、制作発表から2年半後の15年3月だった。クラウドファンディングによる資金調達が始まると、わずか9日間で当初の目標額2,000万円に到達。最終的には、3,374人の支援者が総額3,622万4,000円を出資する国内最高金額を記録した。  こうして同6月には製作委員会も発足。さらに、今年8月には本予告と共に、主役である「すずさん」の声を、7月に芸名を新たにするなど動向が注目されていた女優・のんが担当することも発表され、『この世界の片隅に』のタイトルは、多くのメディアが取り上げるに至った。  多くの困難を乗り越えて、ようやく完成に至った『この世界の片隅に』。ここに至るまでのさまざまなエピソードを、片渕須直監督に語っていただいた。
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■クラウドファンディングが作品にもたらしたもの ──WEBアニメスタイルで連載してきたコラム『1300日の記録』。いわば『この世界の片隅に』の制作日誌ですが、12年8月20日に始まった連載の第1回では、遡って10年8月6日のことを記されていますね。ここで、監督はプロデューサーの丸山正雄さん(MAPPA代表取締役会長/本作では企画)とのやりとりを記しています。ここでは、こう書いていらっしゃいますね。 「この頃、2009年夏に完成した『マイマイ新子と千年の魔法』の次回作になる企画を模索している。丸山さんには、片渕には次はTVシリーズを作らせたい、というかなりはっきりした思いがあったらしかった」 『マイマイ新子と千年の魔法』に続いて次回作も、丸山さんと一緒に歩もうと思うに至るには、どのような経緯があったのでしょうか? 片渕 うーん『マイマイ新子と千年の魔法』をやった結果、その次という話をしやすかったということがあります。 当初、丸山さんは『この世界の片隅に』を、アニメーションにするのはよいが、テレビシリーズ向けなんじゃないかと考えていました。それは、映画のほうが企画を成立させるためのハードルが高いからです。 ところが、丸山さんが映画でやるべきだと考えを改める出来事がありました。 10年10月に作品の舞台となった防府市で『マイマイ新子と千年の魔法』の野外上映会が開催されたことです。このとき、地元だけでなく全国から1,000人あまりの人が集まってくれました。 ──ほとんど村祭りみたいですね。 片渕 そう。しかも会場には、横幅20メートルのスクリーンを貼って、後ろに映画の中に映るのと同じ山がそびえてたんですから。 丸山さんは、防府市に行くまでは「映画は無理だからあきらめろ」と僕に話すつもりだったようです。ところが、野外上映のスクリーンの前に集まっている人を見て考え方が180度変わったらしく、翌朝「やっぱり映画で作らなくちゃだめだ」と。野外上映会の後、温泉宿に一泊したんですが、丸山さんは一晩ずうっと、僕にどう切り出すか考えていたそうです。 そうしたお客さんが存在していること、そうしたお客さんをあらかじめ見積もることができたのが、丸山さんとしては大きかったと思います。 その後、クラウドファンディングを行ったのも、スポンサードしている方々に、そうしたお客さんの存在を可視化して理解していただくためでした。 ──月並みな言い方ですが、丸山さんは、純粋にアニメーションを愛している方と聞いています。 片渕 ゼロ号試写のときには、上映中から声をあげて泣いていたみたいです。終わった後、別のスタッフが聞いたんですが「生きていてよかった」とまで言っていたそうです。 丸山さんが、いっぱいお客さんがくるのを形で示さなきゃだめだよというので、クラウドファンディングをやったのですが、そこまでも本当に完成するのか、さまざまな出来事がありました。だから、形になったときに、いろんなものがこみあげてきたのでしょう。 ──丸山さんは、これからもクラウドファンディングで制作をと考えていらっしゃるのでは? 片渕 いや『この世界の片隅に』の前から「クラウドファンディングができれば、いろんなことは解決できるね」とは言っていました。けれども、通常のクラウドファンディングって、どんなに頑張っても、映画の制作費の10%くらいが限界だと思うんですよね。それが、わかったときに、丸ごとクラウドファンディングで映画を作るのは無理だと、消極的になっていた時期もあるんですよ。 だけど、クラウドファンディングでお客さんの数が確認できたら、道が拓けるんじゃないかと思ったときに、映画の完成へ向けての道が始まったと考えています。
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■先行上映や試写会の評判は「称賛しかない」 ──取材前にTwitterで『この世界の片隅に』を検索してみました。すでに先行上映や試写会で鑑賞した人の声をみると、ほぼ称賛のコメントしかありません。批判がひとつもないのは、逆に恐ろしいのではありませんか? 片渕 わかんないんですよね。批判よりは称賛というのが、存在してはいつつも、それが大勢を占めているのかが気になるところです。称賛と批判があるのではなくて、称賛と無関心がある。無関心のほうが怖いです。無関心ほど、始末に負えない批判はないと思っている。自分には関係ない映画だよといわれてしまう。それは、今でもTwitterで見ますね。「戦争中の映画なんでしょ」という風に思われてしまっていることも否めません。 ──かなり冷静に見ていらっしゃいますね。 片渕 ええ、最近でいうと『この世界の片隅に』に言及されている方は、のんちゃんのファンが多いなと思っています。のんちゃんファンの中には『マイマイ新子と千年の魔法』にまで遡って見てくれる方まで出現しています。のんちゃんを使って監督してくれている人は、どんな作品をつくっているのかと気になって『マイマイ新子と千年の魔法』を観て、こんなのがあったのかと、初めて知る。そして「世界が広がった」といった感想を寄せてくださる。 大事なのは、そういうことなんだと思っています。何かの関連ができて、自分に関わりがあるものなのだなと思った瞬間から、いろんなものが拓ける……。「自分に関わりがない」という意識を覆すのは、一番難しいハードルではないでしょうか。
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■当初の資金は「持ち出し」で、貯金額が4万5,000円に ──2010年から完成まで約6年。その間には、この企画は頓挫するのではないかと思うときもあったのではないですか? 片渕 ぶっちゃけいうと、当初の資金は自分の持ち出し……企画が成立するまでの立て替えですね。でも、限界があるわけですよ。貯金をゼロにするわけにはいかない。何しろ、子どもの学費もありましたし。 このあたりが限度かなと思ったのは、12年の4月頃。この頃には「限界かな、これ以上収入にならないと大変だ」と思っていました。でも、同時に「なんか上手くいきそう」という動きもちらつき始めていました。だから「むしろ、ここまでやったのを投げ捨てないほうがいいんじゃないかな」と考えて続けることにしたんです。 ──具体的に、上手くいく保証は、まだなかったのではありませんか? 片渕 それは丸山さんが、いろんなところでプロデューサーとして仕掛けているわけですよ。そのときに話を聞いて下さっていた人たちは、みんな製作委員会に入っていただいています。 それまで何が上手くいかなかったというと、この映画がきちんと誰かのところまで届くものなのか、きちんと示せなかったからことです。その決め手となったのがクラウドファンディングだったというわけです。 ──そこまで貯金を持ち出していると、家族の説得も大変だったのではありませんか? 片渕 いや、うちの奥さんも監督補だから。ただ最後は、貯金が4万5,000円になりました。そうなったところで「さすがに……」と丸山さんが少しお金を準備してくれました。あと、子どもの学費の支払いなど、節目ごとに少しずつ出してもらっていました。 最終的に企画が成立するまでの立て替えだと考えてはいましたけれど、貯金の残高が4万5,000円になると、さすがにおののきますね。貯金がその額になったころから、家族で1日、1食100円にしましょうということになりました。一人ではなく一家4人で100円です。100円でもいけるんですよ。 そうした生活をしていて「ああ、今やっているのが、すずさんだな」と思っていました。大根を食べたら、大根の皮は干して……とかやっていましたから。雑草を抜いてくるまではやりませんでしたけど。家族で「なんとかなるもんだね」と話をしていました。
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■原作者・こうの史代、主演・のんとの“手紙”のやりとり ──完成までの過程で腹が立ったことも、うれしいこともあったのではありませんか? 片渕 腹が立ったことはありません。もっともうれしかったのは、こうの史代さんに出会ったことと、のんちゃんに決まったことです。 ほかでも話していますが、こうのさんが僕の「作品を映画にしたい」としたためた手紙を枕の下に敷いて寝てくれたというのが、うれしかった。 同時に僕も、こうのさんから、私は『名犬ラッシー』(1996年にフジテレビ系「世界名作劇場」で放送された片渕監督作品)が大好きで、すごく運命的な出会いだというお手紙をもらって、うれしかったです。 また、のんちゃんに出演をお願いしたときも、やはり手紙をもらいました。自分は「のんちゃんにやって欲しいけれど、まず読んでください」と原作の単行本を渡しました。そうしたところ、手紙が届きました。「原作を読むまでは戦争物と身構えていましたけれど、これはすごく自分にやる意味があって、すずさんを演じてみたいと思ったので、私にやらせて頂けるのでしたら、本当にうれしいです」と書いてありました。そのときも、すごくうれしかった。仲間をもう一人得られたような気がして……。 ──お話を伺っていて、またさまざまなメディアの記事を読んで思うのは、制作陣や出演者の誰もが、仕事でやっている感じではないということです。どんどん仲間を増やして、一緒に作っている感じがあります。クラウドファンディングに参加した人も含めて、すべてがそうです。 片渕 お互いに理解し合えるんだなと、思う瞬間の繰り返しでした。なんか、のんちゃんと初めて顔を会わせたときに「やっと会えた」という気持ちがありました。こうのさんは『名犬ラッシー』を観ていてくれたし「運命」とまで言ってくれた。一人で映画を作ったなんて感じはまったくありません。
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■宮崎駿監督への思い ──かつて、監督自身が「『名探偵ホームズ』脚本の『片渕須直』というのは、あれは宮崎駿のペンネームだろう」くらいにいわれていた。自分の存在なんか、無に等しかった。(http://www.style.fm/as/05_column/katabuchi/katabuchi_030.shtml)とも記されています。それが、今では「ポスト宮崎駿」と評する人もいます。ご自身では、「追いついた/越えた」という気持ちがありますか? 片渕 いや、もうジャンルが違ってきた感じがしています。宮崎さんは空想でモノを描く人なのだと思っています。空想の中で、自分が理想だなと思うものを描く人。僕は全然違うタイプのものづくりのほうに移行したなと思っています。 ──過去、越えたいという意識をお持ちだったのではないですか? 片渕 脚本を担当した『名探偵ホームズ』の頃には、宮崎さんのやろうとしていることはトレースできました。こうやるんじゃないかなと思っていたら、その通りに絵コンテを起こしていた。その瞬間は、同じ土俵に乗っていた感じはありますが、そこから先は宮崎さんの方が、違う道に歩み出ていかれた。今ではもうかなり道が違うんじゃないかなと思っています。
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■放っておいても仕事は来る。それでも…… ──正直なところ、監督の才能と実績であれば、放っておいても仕事は次々と来るでしょう。なのに、あえて苦労して貯金を削ってまで、自分の作りたい作品のほうを選んだわけです。あらゆるジャンルのものづくりにおいて、お金選ぶか、自分の作品を選ぶかは究極的な選択だと思います。監督が、苦労してまで自分の作品をつくるほうを選んだのはなぜでしょうか。 片渕 確かに、仕事は来ます。でも「そこに身を委ねていていいのか」と考えます。こういうマンガがすごく有名で読まれているから、アニメーションにしましょうという話が舞い込んできたときに、乗れたのは『BLACK LAGOON』だけでした。 『BLACK LAGOON』の前に『アリーテ姫』で<自己実現とは何か>を問いました。『アリーテ姫』では「こうやってやれば、自己実現のために自分を奮い立たせるための根拠を見つけることができる」ことを描きました。 けれども、世の中には自己実現をしようとしても、全然違う、例えば犯罪者への道を歩んでしまう人生だってあるわけです。戦争の中では自己実現も何もないわけじゃないですか。 そういった意味合いを手がけておかなくては、その先には進めないと思ったときに、目の前に現れたのが『BLACK LAGOON』だったのです。 その制作を通り過ぎてようやく描けたのが『マイマイ新子と千年の魔法』の子どもたちの世界だったのです。それは『この世界の片隅に』に直結していくわけです。 だから、自分がこの瞬間にこういう作品やりたいと思ったときに、うまくハマるような企画の提示があるのならば、よそから提示されたものにのっかるのはやぶさかではありません。 けれど『この世界の片隅に』は、よそから提示はされていない、本当に自分が今までやりたいといってきたものです。だから、完成に至らなければ、自分がやりたいものは、やれないままになってしまうと、意地のようなものが芽生えました。 そうそう、先日、のんちゃんと一緒に(PRで赴いた映画の舞台である)呉の坂道を登っている写真を見て『恩讐の彼方に』の、穴を掘り続ける坊さんと、その弟子の若者みたいだなという感想をもらいました。『名犬ラッシー』の準備が始めてから21年目で、洞門が開通する瞬間、今がそのときなのかもしれません。  * * *  この日、片渕監督は昼食のための休憩も取れないほどの取材ラッシュであった。そうした過密スケジュールにもかかわらず、監督は真摯に質問に答えてくれた。原作者のこうの史代さんが「運命」と言い、主演の、のんさんに「私にやらせて頂けたら、本当にうれしいです」とまでいわしめたのは、作品作りに対する誠実さと、強い意志が伝わったからに違いない。  そして、貯金がゼロ目前になっても支えてくれる家族や仲間、無数のファンの存在こそが『この世界の片隅に』を完成に導いたのだと改めて感じた。ここに記された言葉は、あらゆる、ものづくりに携わる人々に共有されるべき言葉なのではなかろうか。  11月12日以降、アニメーションをとりまく状況がガラリと変わる気がしてならない。 (取材・構成=昼間たかし) ●『この世界の片隅に』 原作/こうの史代 監督・脚本/片渕須直 音楽/コトリンゴ  出演/のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、藩めぐみ、岩井七世、牛山茂、新谷真弓、澁谷天外 配給/東京テアトル 11月12日(土)よりテアトル新宿ほか全国公開 (c)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 http://konosekai.jp

芸能界の荒波を生きるのんと主人公が重なり合う、戦時下における日常アニメ『この世界の片隅に』

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能年玲奈あらため、のん主演の劇場アニメ『この世界の片隅に』。物資のない戦時下、主人公すずは自分の居場所を探し続ける。
 広島市出身の漫画家・こうの史代の『夕凪の街 桜の国』と並ぶ代表作『この世界の片隅に』が劇場アニメーションとして公開される。戦時下の広島と呉を舞台にした『この世界の片隅に』は単純に反戦映画と括ることが難しい。主人公のすずは18歳で嫁入りし、嫁ぎ先に溶け込むことに懸命で、日本が戦争を始めた理由も戦況もよく分かっていない。むしろ、嫁ぎ先の呉は軍需産業で成り立っている町で、軍縮が叫ばれていた時期は町に失業者が溢れて大変だった。すずは日々の暮らしに精一杯で、国際情勢や戦局を分析する見識も余裕もない。小さな世界で生きるすずの健気な、でも周囲の人々から見ればかなり天然な、毎日の生活が丁寧に描かれていく。戦時下の日常アニメという新鮮みのある作品に仕上がっている。  映画の冒頭、現在は広島平和記念公園となっている広島市中島町一帯が広島県産業奨励館(原爆ドーム)をはじめ見事な色彩で再現され、思わず目を奪われる。原作に魅了され、6年がかりで本作を完成させたのはベテランのアニメーション作家・片渕須直監督。前作『マイマイ新子と千年の魔法』(09)では平安時代の街並みを鮮やかに甦らせた片渕監督が、今回は原爆によって一瞬で消えてしまった広島の街並みを、そこで暮らしていた人たちの息づかいと共に再現してみせる。本作を見ている自分たちは昭和18~20年にタイムスリップし、すずと一緒に戦時中の庶民の生活を体感することになる。  広島市の海沿いの町・江波で生まれ育った主人公すず(声:のん)は感受性豊かな女の子。子どもの頃に怪物に連れ去られそうになったり、祖母の家で座敷童子のような不思議な少女に出会ったりした。無垢なすずの心の中では、リアルとファンタジーが仲良く共存している。絵を描くことは得意だが、それ以外のことはボンヤリしているすずは18歳になり、縁談話が持ち上がった。断る理由もないことから、呉で軍関係の裁判所に勤めている北條周作(声:細谷佳正)のもとに嫁ぐことに。気分はまだ子どものままのすずは、同じ広島県内とはいえ顔見知りがまったくいない呉での周作一家との同居生活にはすぐには馴染めない。久しぶりに広島の実家に里帰りして、うたた寝から目覚めると「あせった……。呉へ嫁入りする夢を見とったわ」と大ボケをかまし、両親からあきれかえられる始末だ。
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すずのことを気に入っているという周作のもとに嫁ぐ。戸惑いながらも、嫁ぎ先で新婚初夜を迎えることに。
 すずは毎日のように小事件を巻き起こすが、そんなすずの天然ぶりを夫の周作は気に入っており、嫁ぎ先の北條家でも笑いが絶えないようになっていく。食料事情は次第に悪くなるものの、すずは近所で野草を摘んでは代用食づくりに励み、ヤミ市に出掛けては縁日気分ではしゃぎ、砂糖の値段が高騰していることにヘコむ。そんなすずを中心にした慎ましい日常生活が、たまらなく愛おしく感じられてくる。だが、70年後の未来から戦時中にタイムスリップしている我々は、これからすずたちの身の上に降り掛かる恐ろしい出来事を知っている。すずのちょっとズッコケた日常生活がいつまでも続けばいいのに。そんな願いも虚しく、広島の街並みを詳細に再現したリアルさで、米軍による大空襲が描かれる。圧倒的な暴力がスクリーンを覆い、そこにはすずを育んできたファンタジー要素が顔を出す余地はまったくない。すずが懸命に築いてきた日常生活はあっけなく破壊されていく。  すず役を演じたのは、本作が声優初主演となる、のん(本名・能年玲奈)。慣れない声優の世界に飛び込んだのんと、嫁ぎ先の北條家で悪戦苦闘する主人公すずの姿が重なり合う。周作との新婚初夜や幼なじみの水兵・水原(声:小野大輔)と同じ布団に入るなどセクシャルなシーンも用意されているが、すずが周作の職場にまで帳面を届けに行く1シーンが印象深い。帳面は急ぎを要するものではなく、いつも姑や小姑と顔を付き合わせているすずに街の空気を吸わせてやろうという周作の気遣いだった。そのことを知ったすずは、しばらく間を置いてから彼女らしい感情表現を見せる。「しみじみニヤニヤしとるんじゃ!」というすずのひと言から、所属事務所を独立し、ようやく待望の作品に出会えた新生のんの喜びが伝わってくる。  戦時下の庶民の暮らしをディテールたっぷりに再現してみせた片渕監督は、アニメーション界の苦労人として知られている。日大芸術学部在籍中に宮崎駿監督が手掛けたTVシリーズ『名探偵ホームズ』(84)で脚本家デビューを飾り、「青い紅玉」「海底の財宝」などの名エピソードを生み出したが、途中から製作体制が変わってしまった。続く劇場アニメーション『NEMO/ネモ』(89)では高畑勲、近藤喜文、大塚康生ら熟練アニメーターたちのアシスタントを務めたが、完成した作品は片渕監督とは関係のないものになっていた。『魔女の宅急便』(89)は当初は監督に予定されていたが、宮崎監督が現場復帰し、演出補に回ることになった。世界名作劇場『名犬ラッシー』(96)でようやく監督デビューを果たすものの、長編アニメ『アリーテ姫』(01)はたびたび企画中止に追い込まれ、渾身作『マイマイ新子と千年の魔法』は予算がなく、まともに宣伝することができなかった。本人がいくら頑張ってもどうにもならない、ビジネス上の都合に振り回されてきた。
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すずと最初に仲良くなる周作の姪っこ・晴美。彼女が指差す先には、戦艦大和や巡洋艦青葉など多くの軍艦が海に並んでいた。
 そんな片渕監督の作品には共通して流れているテーマがある。『名犬ラッシー』で主人公が“永遠の少年性”の象徴である愛犬ラッシーのことを思い続けていたように、片渕作品の主人公たちは自分にとっていちばん大事なものを懸命に守ろうとし、また消えゆく運命にあるものを大切に思い続けるということだ。ままならない人生を生きていくには、せめて自分が本当に大切にしているものを心の中で守り抜くしかない。形は失われても、心の中で思い続けることで、大切なものは本人と一緒に生き続けることができる。  すずが大切にしていたもの、守ろうとした世界を、片渕監督はアニメーションとして甦らせ、そしてのんが声優としてその世界に命を吹き込んだ。愛すべき日常生活がスクリーンの中に息づいている。126分間にわたるタイムトラベルを終えた我々は、70年前にすずが味わった喜びと痛みを同時に体感することになる。 (文=長野辰次)
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『この世界の片隅に』 原作/こうの史代 監督・脚本/片渕須直 音楽/コトリンゴ  出演/のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、藩めぐみ、岩井七世、牛山茂、新谷真弓、澁谷天外 配給/東京テアトル 11月12日(土)よりテアトル新宿ほか全国公開 (c)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会 http://konosekai.jp

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『君の名は。』が空前ヒットも、“2つの駄作”が邦画ブームをしぼませる?

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『君の名は。』公式サイトより
 興行収入160億円を突破した『君の名は。』、同じく70億円超えの『シン・ゴジラ』の大ヒットのおかげで、邦画界が盛り上がっている。だが年末に向けて、2本の大型作品が邦画ブームに冷や水を浴びせるのではないかと映画関係者の間で危惧されているという。 「ひとつは、10月29日に公開された『デスノート Light up the NEW world』です。原作の核心である『夜神月 vs L』といった明確な対立軸がなく、観客を驚かせる演出も貧弱。演技面でも前作までの藤原竜也や、ドラマ版(日本テレビ系)の窪田正孝のような切れ味の鋭さに欠け、これといった見どころがない。やはり、原作ファンが懸念したとおり、オリジナルストーリーに無理があったのかもしれません」(映画誌編集者)  それ以上にひどいのが、12月17日に公開される実写版『映画 妖怪ウォッチ 空飛ぶクジラとダブル世界の大冒険だニャン!』だという。映画ライターが首をかしげる。 「すでに『妖怪ウォッチ』(テレビ東京系)自体が“オワコン”です。昨年7月に始まったセカンドシーズンでは、新キャラの“USAピョン”を軸に据えたものの、子どもたちにはまったく響かず、視聴率がダウン。そこに、意味不明な実写化ですからね。大人は『妖怪ウォッチ』の世界観を知りませんし、子どもには実写化されたキャラなど気持ち悪いだけ。ウチの子どもも、まったく興味を示していませんよ」  10月26日には、遠藤憲一が扮する“じんめん犬”のビジュアルが公開されたものの、ファンは無反応。どうせなら、このまま『君の名は。』を延々と公開し続けて、『デスノート』と『妖怪ウォッチ』は“なかったこと”にしたほうが日本の映画界のためにはいいかも!?

『君の名は。』が空前ヒットも、“2つの駄作”が邦画ブームをしぼませる?

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『君の名は。』公式サイトより
 興行収入160億円を突破した『君の名は。』、同じく70億円超えの『シン・ゴジラ』の大ヒットのおかげで、邦画界が盛り上がっている。だが年末に向けて、2本の大型作品が邦画ブームに冷や水を浴びせるのではないかと映画関係者の間で危惧されているという。 「ひとつは、10月29日に公開された『デスノート Light up the NEW world』です。原作の核心である『夜神月 vs L』といった明確な対立軸がなく、観客を驚かせる演出も貧弱。演技面でも前作までの藤原竜也や、ドラマ版(日本テレビ系)の窪田正孝のような切れ味の鋭さに欠け、これといった見どころがない。やはり、原作ファンが懸念したとおり、オリジナルストーリーに無理があったのかもしれません」(映画誌編集者)  それ以上にひどいのが、12月17日に公開される実写版『映画 妖怪ウォッチ 空飛ぶクジラとダブル世界の大冒険だニャン!』だという。映画ライターが首をかしげる。 「すでに『妖怪ウォッチ』(テレビ東京系)自体が“オワコン”です。昨年7月に始まったセカンドシーズンでは、新キャラの“USAピョン”を軸に据えたものの、子どもたちにはまったく響かず、視聴率がダウン。そこに、意味不明な実写化ですからね。大人は『妖怪ウォッチ』の世界観を知りませんし、子どもには実写化されたキャラなど気持ち悪いだけ。ウチの子どもも、まったく興味を示していませんよ」  10月26日には、遠藤憲一が扮する“じんめん犬”のビジュアルが公開されたものの、ファンは無反応。どうせなら、このまま『君の名は。』を延々と公開し続けて、『デスノート』と『妖怪ウォッチ』は“なかったこと”にしたほうが日本の映画界のためにはいいかも!?

知らぬ存ぜぬは許しません!! 90歳の認知症患者がナチス狩りに燃える復讐談『手紙は憶えている』

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もうすぐお迎えが来るので、怖いもの知らず。90歳になるゼヴ(クリストファー・プラマー)は手紙を頼りに、ナチス狩りを始める。
 法が裁かぬ極悪人に鉄槌を喰らわせてやりたい。自分の人生を狂わせた相手に同じ目を遭わせてやりたい。復讐心という感情は、人間を突き動かす大きなエネルギーとなる。サスペンスものを得意とするアトム・エゴヤン監督の新作『手紙は憶えている』(原題『Remember』)はこれまで数多く作られてきた復讐ドラマの中でも、最上級の設定が用意されている。主人公はあの世からもうすぐお迎えが来そうな90歳の老人。カナダの名優クリストファー・プラマー演じるこの主人公は第二次世界大戦時のユダヤ人強制収容所からの生還者で、70年前に家族を皆殺しにしたナチス兵への復讐を果たすことを生き甲斐としている。あの憎きナチス兵をぶっ殺すまでは、おちおち死んではいられない。認知症を患い、ゆっくりとしか動かない体を奮い立たせ、生きているか死んでいるのか分からないナチス兵を探し出す復讐の旅へと向かう。  90歳になるゼヴ(クリストファー・プラマー)は高齢者向けの施設で何不自由なく暮らしていたが、認知症が進み、眠りから覚めると傍らに妻ルースがいないことに動揺する。ルースは1週間前に亡くなっており、そのことを思い出す度にゼヴは深い喪失感に見舞われてしまう。そんなゼヴに同じ施設に入っているユダヤ人のマックス(マーティン・ランドー)から「1週間前に渡した手紙を覚えているか。今こそ手紙に書いた約束を実行してほしい」と告げられる。その手紙には自分たちはアウシュビッツ収容所からの生還者であり、家族はナチス兵によって殺されたこと、そのときのナチス兵は名前を偽って米国で暮らしていることが記されていた。ナチス兵は“ルディ・コランダー”と名乗り、4人の容疑者が米国にいるところまでマックスは突き止めていた。車椅子でしか動けないマックスが情報を集め、容疑者の現住所リストや宿泊先の手配は整えてくれていた。後はまだ体が動くゼヴが現地へ赴き、本人かどうかを確かめた上で処刑を行なうだけだった。覚束ない手つきで拳銃をかまえる90歳のナチスハンターはこうして誕生した。
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ゼヴと共にアウシュビッツ収容所から生還したマックス(マーティン・ランドー)が情報収集を担当。二人三脚でナチスへの復讐を果たす。
 荒唐無稽な復讐劇のように思えるが、物語を構成している要素はリアリティーのあるものばかりだ。終戦の混乱に乗じ、身分や名前を偽って海外に脱出したナチス関係者は、アドルフ・アイヒマンをはじめ多数に及んだ。ナチスハンターとして活躍したサイモン・ヴィーセンタールは生涯に1100人ものナチス戦犯を捕らえ、彼の名前を冠したLAの「サイモン・ヴィーセンタール・センター」ではホロコースト関係の記録を保存し、世界各地に今も潜伏しているナチス戦犯についての情報を収集している。マックスはこのセンターから“ルディ・コランダー”についての情報を得たことになっている。また、ナチスによる戦争犯罪は時効が成立せず、アウシュビッツで事務仕事をしていた実在の人物オスカー・グレーニングは2015年に94歳で起訴され、4年の刑を言い渡されている。だが、オスカーのように刑が確定するケースは稀で、高齢化したナチス戦犯の多くは告訴されても裁判中に自然死してしまう。ゼヴやマックスはそれを許さない。ルディ・コランダーが生きている間に復讐を果たそうと、ゼヴはもつれそうになる足を懸命に前へ前へと進める。  4人いる容疑者をひとりひとり訪ねて回るゼヴ。今どき個人情報はなかなか教えてもらえないが、90歳のおじいちゃんのゼヴは戦時中の古い親友を探し歩いているようにしか見えず、旅先の人たちからは親切にされ、容疑者宅に無事辿り着くことに成功する。だが、ゼヴがそこで見る光景は、ドイツから逃げるようにして米大陸に渡り、ひっそりと暮らしてきた者たちの痛々しい姿だった。ある者は「ドイツ軍にはいたが、アウシュビッツで何が起きていたのか戦時中は知らなかった」と無罪を主張し、またある者はゼヴのことを元ナチス兵だと勘違いして、ハーケンクロイツの旗を飾った部屋で手厚く歓迎しようとする。ゼヴと同様に、4人の“ルディ・コランダー”たちもまた生々しい戦争の記憶に取り憑かれたままだった。悲惨な復讐旅を続けるゼヴとドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』(87)の怪人・奥崎謙三との姿がどこか重なって映る。自分自身で落とし前をつけなくては、彼らはどんなに時間が流れても終戦を迎えることができないのだ。
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ハーケンクロイツの旗が飾られた容疑者宅。ナチス崇拝者が米国にいまだにいることを、ゼヴは目の当たりにする。
 脚本は本作でデビューを飾った新人ベンジャミン・オーガストのオリジナルストーリー。実績のない新人の脚本を読んだプロデューサーのロバート・ラントスは「この物語を現在の物語としてみせるには、今すぐ撮るしかないと思った。もし10年後に作ってもリアルじゃなくなってしまう」と速攻でアトム・エゴヤン監督に連絡し、製作に着手した。エゴヤン監督とは、ホロコーストの30年前に起きたアルメニア人大虐殺を題材にした『アララトの聖母』(02)でタッグを組んだ仲だった。終戦からすでに70年以上の歳月が経過し、戦争体験者は年々減りつつある。認知症に悩まされ、手紙を読み返さないと自分が何者であるかも容疑者の名前もすぐに忘れてしまう哀しい復讐鬼・ゼヴは、1929年生まれのクリストファー・プラマーでなくては演じられない役だろう。  復讐ものの常で、結末は非常に後味が悪い。『手紙は憶えている』は最上級の復讐ドラマゆえに、最上級の後味の悪さが待っている。この舌先にザラザラと残る苦味は、復讐ミステリーとして不完全さがあるからなのか、それとも戦争体験は敵味方の区別なく忌わしさを植え付けるものだからなのか。70年という歳月に比べればほんの一瞬に過ぎないが、映画を見終わった後、かなり長く後味の悪さが尾を引くことになる。 (文=長野辰次)
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『手紙は憶えている』 脚本/ベンジャミン・オーガスト 監督/アトム・エゴヤン  出演/クリストファー・プラマー、マーティン・ランドー、ブルーノ・ガンツ、ユルゲン・プロホノフ、ハインツ・リーフェン、ディーン・ノリス、ヘンリー・ツェニー   配給/アスミック・エース PG12 10月28日(金)よりTOHOシネマズハンテほか全国ロードショー (c)2014,Remember Productions Inc. http://remember.asmik-ace.co.jp

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銭湯を舞台にした宮沢りえ主演作は海外でも話題! 新鋭・中野量太監督が銭湯に託した熱い愛を語る

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双葉(宮沢りえ)をはじめとする「幸の湯」を経営する幸野家の人々。世間の常識に縛られない、かなりユニークな一家。
 リゾート地に行かずともワンコインで気軽に温泉気分が楽しめる銭湯は、庶民にとって心のオアシス。経営者の高齢化や建物の老朽化によって年々消えつつある銭湯だが、レトロな風情が漂うあの空間を愛する銭湯マニアなら見逃せない映画が『湯を沸かすほどの熱い愛』だ。主演女優・宮沢りえが脚本に惚れ込んで出演を即決した本作は、インディーズ映画『チチを撮りに』(12)がベルリン国際映画祭をはじめ世界各国で絶賛された新鋭・中野量太監督のオリジナル作品。昔ながらの銭湯を舞台に、宮沢りえ扮する肝っ玉母さんが家族に、そして銭湯に集まる人たちにありったけの愛情を注ぐ感涙作なのだ。本作で商業デビューを飾った中野監督が、銭湯というコミュニティー空間と血縁にこだわらない新しい家族の在り方について語った。
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インタビューに応じた中野量太監督。「母にも観てもらいました。感想は聞いていませんが、多分喜んでくれているはずです(笑)」
――東京の下町の銭湯みたいに熱い熱い映画。中野監督が日本映画学校(現・日本映画大学)の卒業制作として撮った作品も銭湯が舞台だったとのこと。銭湯がどれだけ好きなのかが伝わってきます。 中野 はい、ボクが初めて撮った映画が『バンザイ人生まっ赤っ赤』(00)という作品で、銭湯が舞台でした。実家は京都なんですが、近所に銭湯が2つあり、友達がうちに遊びに来るとよく一緒に銭湯に行っていたんです。銭湯って不思議な空間ですよね。いろんな人たちが裸になって、同じ湯船に浸かり、知らないおじさんからも当たり前のように声を掛けられたりする。あの雰囲気が不思議で面白い場所だなと思っていたんです。絵的にもいいですよね。大きな富士山の壁絵があり、番台からは男湯も女湯も見渡せる。ボクがテーマにしている人と人との繋がりや親子の愛情を描くには最高の舞台だなと思って、映画学校の卒業制作で、舞台に選んだんです。今回、商業デビューするにあたって、オリジナル脚本ということで内容は任されていたので、自分らしさがいちばん発揮できて、初心に戻れる場所として、もう一度銭湯を舞台にしたドラマを描くことにしたんです。 ――銭湯って日本ならではの文化ですが、『湯を沸かすほどの熱い愛』は海外での評判もいい。すでに香港、韓国、台湾などでの公開が決まったと聞きました。 中野 ヨーロッパはちょっと分かりませんが、アジアはけっこーいけそうですね(笑)。先日、釜山国際映画祭に参加したんですが、上映後のお客さんの反響がすごかった。最近の韓国は家族を描いた映画がヒットしていて、是枝裕和監督の作品もかなり人気があるみたいです。配給の方から「だから『湯を沸かすほどの熱い愛』もきっと韓国で当たるよ」と言ってもらっています(笑)。普遍的な家族のドラマを描けば、海外でも観てもらえるとは考えてはいたんですが、実際にアジア各国での公開が決まって、うれしいです。 ――最近はジャグジータイプ、サウナや露天風呂付きの新しい銭湯もありますが、『湯を沸かすほどの熱い愛』は昔ながらのトラディショナルな銭湯。ロケ地にはこだわった? 中野 そこはこだわりました。基本、ボクが知っている銭湯、ボクが子どもの頃に通っていたような懐かしい銭湯で撮影したかったんです。昭和の香りがする銭湯をずいぶん探しました。映画の中の「幸の湯」は2軒の銭湯を組み合わせたものです。外観は足利市にある「花の湯」です。「花の湯」は内観も悪くなかったんですが、ボクの理想とする銭湯を求めて、さらに調べて回り、都内で最古級の銭湯「月の湯」を内観にしています。「月の湯」は2015年5月に廃業したんですが、すぐ取り壊される予定だったところを撮影の期間だけ延ばしてもらいました。営業中の銭湯だとどうしても休業日と平日の午前中だけしか撮影できないなどの制限があるんですが、「月の湯」では自由に撮影することができて、助かりました。撮影が終わった翌月には取り壊されましたが、都内で最古級の木造建築の銭湯を映画の中に残すことができてよかったなと思います。
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『とと姉ちゃん』で注目を集めた杉咲花は宮沢りえの娘役を熱演。「演技の感度が違う。彼女の出演を前提で脚本を書いた」と中野監督。
■家族の繋がりは血縁だけではない。それを証明するための映画 ――中野監督の銭湯愛を感じさせますが、中野監督は前作『チチを撮りに』もシングルマザーに育てられた2人の娘たちの成長物語で、今回も主人公の幸野双葉(宮沢りえ)は女手ひとつで娘・安澄(杉咲花)を育てているという設定。父親の不在も、中野監督の作品に共通しているテーマのように感じます。 中野 自分の中にある本当の感情を使って表現したいなと常に思っているんです。映画の世界でも、ウソはつきたくないんです。自分がちゃんと分かっている感情を使って演出することで、自信の持てる作品にできると考えています。ボク自身、父親を早くに亡くし、母親が女手で兄とボクを育ててくれました。双葉=ボクの母というわけではありませんが、母親の愛情のお陰でボクは育つことができたという想いがすごくある。なので、その感覚を使って、ウソのないものを描こうとすると、どうしても片親の物語になってしまうんです。 ――主演の宮沢りえさんも、お母さんと二人三脚で芸能活動してきたことで有名でしたね。 中野 宮沢りえさんが主演を受けてくれたのも縁あってのことだったなと思います。最初は新人監督のボクが、『紙の月』(14)での演技が絶賛されていた宮沢さんにオファーしていいものかと躊躇しました(苦笑)。当たって砕けろと思い、脚本を送ったところ、読んだその日に出演を決めたそうです。宮沢さんはこれまで母親役のイメージはなかったんですが、実際にはお子さんを育てていますし、絶対にこの役をできると確信していました。存在感のある母親役ですが、宮沢さんは現場でも座長としてみんなを引っ張ってくれる姿がすごくかっこよかったですね。 ――前半は双葉と安澄の母子の物語ですが、次第に母子の縦の関係だけでなく、「幸の湯」に関わる人たちが家族同然の関係へと広がっていくことに。 中野 家族って何だろうと考えてみると、血の繋がりだけが家族ではないとボクは思っているんです。家族の定義はないと思っていますし、もしあったとしても家族の数だけ定義はあると思うんです。だから、幸野家みたいにアンバランスな家族でも、家族だと言えると思うし、そのことを証明してみたくて映画にしたところがあります。でも唯一、家族として大切なものは食卓だとボクは考えているんです。ひとつ屋根の下で、食卓を囲んで一緒にご飯を食べるということが、もし家族の定義があるとすればそれが家族の証じゃないのかなと思うんです。逆に血が繋がっていても、同じ食卓を囲むことがない家族もいる。それって本当の家族なのかなというと、ちょっと難しいですよね。それもあって、幸野家が食事をするシーンは何度も登場させているんです。 ――映画の撮影中はスタッフもキャストも同じ弁当を食べて、寝起きを共にする。撮影クルーも家族みたいなもの? 中野 そうですねぇ、映画の撮影隊ってひとつのチームですし、よく“組”って言い方しますしね。一緒に映画を作っているうちに、家族みたいな関係になっていきますね。撮影中、オダギリさんはよくひとりで食べようとするので、子役の女の子たちに「ちょっとお父さんのところに行って、『一緒に食べよう』と言ってきて」とけしかけていました。子どもたちに声を掛けられたら、オダギリさんも逆らえなかったみたいです(笑)。 ――なるほど、カメラの裏側でも、中野監督は演出していたわけですか。 中野 もちろん。カメラの回っていないときも、いろいろ考えて演出しています(笑)。双葉たち幸野家がみんなそろって浴場を清掃するシーンがありますが、撮影とは別にクランクインの10日間くらい前に宮沢りえさんたちに集まってもらい、「月の湯」のご主人に清掃の仕方を教えてもらい、実際に掃除しました。銭湯の仕事を体験することで、キャスト間の親子感も生まれ、役づくりに繋がったんじゃないかと思います。でも、やっぱりオダギリさんだけいませんでしたけど(笑)。 ――本作はかなりシリアスなホームドラマですが、オダギリジョー扮する頼りない父親の存在が笑いを誘う。 中野 オダギリさんの三の線の芝居が大好きなんです。『舟を編む』(13)の演技とか素晴しいですよね。オダギリさんが加わってくれたことは頼もしかったし、双葉(宮沢りえ)と安澄(杉咲花)との母子のドラマ部分はかなり熱い芝居だったので、オダギリさんがふっと力の抜いた芝居をしてくれたことで、すごくいいバランスになったと思います。そこも計算して脚本段階から練り込みました。
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幸野家の人々が熱海旅行中に出会うバックパッカーの青年・拓海(松坂桃李)。彼も「幸の湯」にとって欠かせない一員となる。
■コミュニティー空間としての銭湯のこれから ――今も中野監督は銭湯に通っているとのこと。銭湯の素晴らしさを改めて語ってください。 中野 最近はたまにしか行けていませんが、やっぱり疲れたときは自宅の狭い浴槽ではなく、銭湯の広い湯船に浸かりたくなりますね。ダイエットしたいときも利用しています。子どもの頃は「銭湯の番台に上がっているオバさんは男の裸を見て恥ずかしくないのかな」なんて不思議に思っていました。今回の撮影中に、ボクも番台に上がってみました。番台って、浴場中が見渡せて眺めがいいんです。撮影の最終日には松坂桃李くんも番台に上がって喜んでいました。番台って、誰もが一度は座ってみたい場所みたいですね(笑)。あと、僕は銭湯の帰り道も好きなんです。風呂から上がって外を歩く機会ってあまりない。湯上がりに髪がまだちょっと濡れたまま家に帰るのっていいなと。冬だと外は暗くて寒いんですが、自分の家へこれから帰るんだという気持ちが際立ってくる。ボクは帰り道も含めて、銭湯は楽しいなと感じています。 ――銭湯と同じように、街の映画館も知らない人たちが集まって、笑ったり泣いたり感情をあらわにする一種のコミュニティースペースだと思うんです。銭湯と映画館って、どこか通じるものを感じさせます。 中野 ミニシアターはお客さんとの距離感も近くて、確かにそんな感じがします。上映後などに気軽に話ができると面白いでしょうね。 ――昔ながらの銭湯や街の映画館は年々姿を消しつつありますが、これからどうなっていくと中野監督は予測していますか? 中野 最近は若い人が古い銭湯の経営を受け継いでいるというケースがあるみたいです。銭湯の経営者とは血の繋がりのない若い人が、意欲を持って経営を引き継いで営業しているそうです。川口市の「喜楽湯」や京都市の「サウナの梅湯」はまさにそうです。新しく改装して機能的な銭湯にするのか、それとも古いまま残すのか、どちらが正解かは決められませんが、頑張っている銭湯は多いみたいですね。 ――川越市の映画館「川越スカラ座」は2007年に一度閉館したものの、地元の若者たちがグループ経営する形で営業を再開しています。ヤル気のある若者たちが血縁にかかわらずに、街の公共財産を受け継ぐケースが増えていくといいですね。 中野 そういう映画館もあるんですね。いい話だなぁ。若者の映画離れが進んでいるなんて言われましたけど、『君の名は。』はあれだけ大ヒットしているわけですから、内容が面白ければ映画館に足を運ぶ予備軍はちゃんといるってことですよね。映画界の将来は決して暗くないとボクは思っています。 ――オリジナル脚本で商業デビューを飾るわけですが、今後の抱負について聞かせてください。 中野 これまでオリジナル作品にこだわってきたので、基本はオリジナルを作っていきたいと思っています。でも、前作『チチを撮りに』から『湯を沸かすほどの熱い愛』まで3年ほど時間を要したように、どうしてもオリジナル作品をゼロから立ち上げていくのは時間も労力もかかってしまうんです。「次もオリジナルで撮っていいよ」と言われても、なかなかすぐには出来ない。今回の『湯を沸かすほどの熱い愛』に全力を注いだばかりですし(苦笑)。でも、それではプロの映画監督としては食べていけない。なので、面白い原作ものがあれば受けますし、その間にオリジナルの企画も温めて、ここぞというときにオリジナル作品で勝負できるといいなと思っているんです。人と人との関わりをテーマにした面白い話は、いくらでも作れる自信はありますので。 (取材・文=長野辰次)
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『湯を沸かすほどの熱い愛』 脚本・監督/中野量太 主題歌/「愛のゆくえ」きのこ帝国  出演/宮沢りえ、杉咲花、伊東蒼、篠原ゆき子、駿河太郎、松坂桃李、オダギリジョー  配給/クロックワークス 10月29日(土)より新宿バルト9ほか全国ロードショー (c)2016「湯を沸かすほどの熱い愛」製作委員会 http://atsui-ai.com
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●なかの・りょうた 1973年京都府出身。日本映画学校の卒業制作『バンザイ人生まっ赤っ赤』(00)が日本映画学校今村昌平賞、TAMA NEW WAVEグランプリなどを受賞。助監督やテレビディレクターを経て、6年ぶりに撮った短編『ロケットパンチを君に!』(06)がひろしま映像展グランプリなどに輝く。35ミリフィルムで撮影した短編『琥珀色のキラキラ』(08)の後、初めての長編『チチを撮りに』(12)がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭監督賞を受賞、ベルリン国際映画祭に正式招待されるなど高い評価を得た。2013年のTAMA CINEMA FPRUMでは「中野量太監督特集−作品に息づく人生賛歌」として『バンザイ人生まっ赤っ赤』『琥珀色のキラキラ』『チチを撮りに』が一挙上映された。中野監督自身が執筆したノベライズ版『湯を沸かすほどの熱い愛』(文春文庫)も発売中。

映画『怒り』高評価も、映画界から不満の声「吉田修一さん原作の作品は、もう……」

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『怒り』公式サイトより
 2016年の映画賞の先陣を切る「第40回山路ふみ子映画賞」の作品賞に当たる山路ふみ子映画賞に、李相日監督の『怒り』が選ばれた。 「李監督は、同じ吉田修一氏の小説が原作の『悪人』に続く2度目の受賞でした。『悪人』は結局、8つの映画祭で20もの賞を獲得しましたが、映画関係者の間では『怒り』はそれを超えるんじゃないかって話です」(映画関係者)  主演の渡辺謙をはじめ、宮崎あおい、森山未來、松山ケンイチ、妻夫木聡、綾野剛、広瀬すずと、今の日本映画界を代表するようなメンバーをそろえたのも、原作者である吉田氏の強い要望があったようだ。 「吉田さんは『悪人』でかなり評価が上がった作家さんで、『怒り』を映画化したいと相談したときに『豪華キャストじゃないと、映画化は許可しない』と、映画会社に言ったそうです。『悪人』も、妻夫木に深津絵里、満島ひかり、樹木希林、柄本明と錚々たる面々だったのですが、それ以上を要求したそうです。実際問題、原作者の人でキャスティングにそこまで口を出す人はいないので、映画会社は『予算のことを無視していろいろ言う面倒な人だな』ってあきれてましたよ」(芸能事務所関係者)  昨今の作品と違って、CGを使うことがなかったので、製作費のほとんどがキャストの出演料になるという。 「興収の目標は15億円程度だそうですが、最初の週でアニメの『聲の形』に動員数、興行収入で負けたんです。1位は今もなおヒットを続ける『君の名は。』だったのですが、そのときに『実写映画観客動員No.1』という広告を打ったんです。この広告が恥ずかしいんじゃないかって話題になりました。確かに作品の評価は高く、日本アカデミー賞でもいくつか賞を取るでしょうが、興収に結びつかないとなると、今後、吉田さんの原作を映画化しようという流れはなくなるかもしれませんね」(映画誌ライター)  そうなると、誰の“怒り”が一番大きいのだろうか――。

地上最強の幻覚剤を求めてジャングルクルーズ! カルト映画になること必至の難作『彷徨える河』

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アマゾンの密林で暮らす先住民カラマカテを先頭に、男たちは地上最強の幻覚剤ヤクルナを求めて旅に向かう。
 口当たりのよいスナック菓子的な映画ばかりに接していると、簡単には咀嚼できない作品かもしれない。異なる時代に実在した2人の探検家の旅行記をベースに、コロンビアの新鋭シーロ・ゲーラ監督が撮った『彷徨える河』は非常にカルト色の強い作品だ。例えるなら、日本屈指のカルト漫画家・諸星大二郎の『マッドメン』の世界観を、フランシス・F・コッポラ監督の『地獄の黙示録』(79)的なドラマツルギーで描いたらこうなったと言うべきか。ジャングルという緑色の闇に魅了された男たちはカヌーに乗って、長い長い河を遡行していく。その旅の途中で、彼らは異なる文明の衝突、歪んだ形で広まる宗教、そして強力な幻覚作用をもたらす伝説の薬草と遭遇することになる。映画館にいながら異界の闇に触れたような、心のざわめきが止まらない。  舞台はアマゾン河が流れる南米の密林地帯。どこまでも広がるジャングルの奥地に、若き呪術師・カラマカテ(ニルビオ・トーレス)が孤独に暮らしている。そこへ重い病気を患ったドイツ人の民俗学者(ヤン・ベイヴート)が現われ、助けを求める。白人を忌み嫌うカラマカテは治療を一度は拒否するが、民俗学者が口にした幻の薬草ヤクルナに興味を示す。このヤクルナが手に入れば、南米ではポピュラーなアヤスカワやコカの葉よりも強力な幻覚剤を調合することができ、どんな病にも効くとされていた。地上最強の幻覚剤を求めて、男たちはカヌーでの旅へと向かう。序盤のストーリーは極めてシンプルである。  ところが、ジャングルは不思議な空間だ。緑色の闇の中に迷い込むと、方向感覚だけでなく、時間の概念さえも溶解していく。若いカラマカテがドイツ人民俗学者と共にヤクルナを探す旅に出た直後、年老いたカラマカテ(アントニオ・ボリバル・サルバドール)が現われる。ドイツ人民俗学者との旅からすでに数十年が経過したらしく、孤独に生きてきたカラマカテは記憶も感情も失った空っぽの存在“チュジャチャキ”となっていた。そこへ今度はアメリカから植物学者(ブリオン・デイビス)が訪ね、やはりヤクルナを探しているという。かつてヤクルナを探す旅に出たはずのカラマカテだったが、ヤクルナがどんなものだったのか思い出せない。再び白人とカヌー旅に出れば、空っぽになった記憶が戻るかもしれない。若き日のカラマカテ、年老いたカラマカテという時代の異なる2つの冒険が同時に進んでいく。このパラレルな関係にある2つの旅が、やがてお互いに影響を与え合うことになる。
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呪術師であるカラマカテは幻覚剤を病人の鼻孔に吹き込むことで、だいたいの病気は治してしまう。
 呪術師であるカラマカテは、ジャングルにおけるタブーに厳しい。また、様々な薬草を調合して幻覚剤を作り出し、寝たきり状態の病人を元気にすることができる。幻覚剤の力で弱っている病人の魂を活性化させ、病魔を追い払うというのがジャングルでの伝統的な医療法だ。自然を崇拝し、伝統を重んじる一方、白人のことをひどく憎んでいるカラマカテ。白人がジャングルに眠る豊かな資源を求めて押し寄せてきたために、先住民にとって未知なる病原菌がバラまかれ、多くの集落が死滅してしまった。白人を追い返そうとした一族は次々と虐殺された。イーライ・ロス監督のモンド映画『グリーン・インフェルノ』(13)では先住民が恐ろしい食人族として描かれたが、先住民からしてみれば、文明人のほうが災いを招く悪魔であり、侵略者なのだ。  カラマカテの話す言葉は先住民独特のもので、宗教観や自然観がまるで異なるため、その意味を理解することは容易ではない。中でもカラマカテが度々口にする“チュジャチャキ”という言葉が印象深い。民俗学者がカラマカテを撮った写真を見せると「これは俺のチュジャシャキか?」と尋ねる。どうやら外見は自分そっくりだが、中身が空っぽな存在のことをチュジャチャキと呼ぶらしい。カラマカテによれば、誰にでも自分そっくりなチュジャチャキがいて、この世界をさまよっているとのこと。そういうカラマカテも、数十年後には先祖の教えや自分の生い立ちをすっかり忘れたチュジャチャキ状態となってしまう。聖なる薬草ヤクルナを求めてジャングルへやって来た民俗学者たちも、西洋社会に馴染めず、魂が抜け出しかかっている半分チュジャチャキみたいなものだろう。ヤクルナが手に入れば、チュジャチャキではない完全なる人間となることができるのだろうか。この映画を観ている我々もチュジャチャキではないのかという不安を感じながら、彼らと共にさらなるジャングルの奥地へと旅を続けることになる。
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カラマカテの2度目の旅。米国から来た植物学者の見た夢を手掛かりに、再度ヤクルナを探す旅に出る。
 コッポラ監督は『地獄の黙示録』でアジアのジャングルへ、ドイツのヴェルナー・ヘルツォーク監督は『アギーレ 神の怒り』(72)と『フィツカラルド』(82)で南米のジャングルへ、そして宮崎駿監督は『もののけ姫』(97)で縄文時代から続く原生林へ、それぞれ主人公の姿を借りて哲学的思索の旅に向かった。巨匠監督たちは結局のところ、大自然と文明との融和を果たすことなく旅を終えることとなった。1981年生まれのコロンビア人であるシーロ・ゲーラ監督の『彷徨える河』が、名作とされる巨匠監督たちのそれらの作品と異なる点は、カラマカテたちは幻覚剤の力を使って大自然との同化を試みているということだろう。人間も動物であり、本来は大自然の一部であったはず。だが、社会を築くことで、人間は自然との繋がりを意識的に遮断している。『彷徨える河』の主人公たちは伝説の幻覚剤ヤクルナがもたらす神秘的な力によって、人間がまだ文明を持たずに森の中で暮らしていた頃の原始の記憶を呼び戻し、大自然との一体化を図る。  本作のクライマックス、カラマカテたちと一緒に密林を旅していたはずの我々の意識は、SF映画の金字塔『2001年宇宙の旅』(68)、もしくは『アルタードステーツ 未知への挑戦』(79)のようなインナーワールドへトリップすることになる。カルト映画好きな人は、ぜひとも映画館の闇の中でこの奇妙な体験を味わってほしい。 (文=長野辰次)
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『彷徨える河』 監督/シーロ・ゲーラ 脚本/シーロ・ゲーラ、クリスティーナ・ガジェゴ 撮影監督/ダヴィ・ガジェゴ  出演/ヤン・ベイヴート、ブリオン・デイビス、アントニオ・ボリバル・サルバドール、ニルビオ・トーレス、ヤウエンク・ミゲ  配給/トレノバ、ディレクターズ・ユニブ 10月29日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー (c)Ciudad Lunar Producciones http://samayoerukawa.com

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TBSが映画版『神の舌を持つ男』から撤退していた!? 『真田十勇士』も不発、堤幸彦氏の演出家生命ピンチ

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マスコミ宛てに送られた「映画化決定のおしらせ」
 前クールに放送された向井理主演の連続ドラマ『神の舌を持つ男』(TBS系)の映画版で、12月3日に公開される『RANMARU 神の舌を持つ男』(タイトル中略)。ドラマが大コケしたことから、映画の不入りが心配される中、20日発売の「週刊新潮」(新潮社)が「TBSが堤幸彦氏を見限った」と報じている。  同ドラマは、原案・演出を手掛ける堤氏が「この構想に20年を費やした」と語るギャグ満載の“コミカルミステリー”。脚本を『ATARU』(同)の櫻井武晴氏、プロデューサーを植田博樹氏が務める“最強トリオ”が放送前に話題となったが、全話平均視聴率は5.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と大コケ。ドラマ開始前から決まっていたと見られる映画化について、白紙撤回が予想されていたものの、先月中旬に「映画化決定のおしらせ」というハガキがマスコミに撒かれた。 「堤氏は、台本にないギャグも、現場でどんどん加えていくスタイル。現場ではノリノリでギャグを増やしていたものの、多くの視聴者にその笑いが共感されなかった。また、舌で事件を解決する主人公が、死体やら血やら畳やらをペロペロしているシーンも、『気持ち悪い』と不評でした」(テレビ誌記者)  堤氏といえば、映画化もされた同局の『ケイゾク』や『SPEC~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿~』がブームとなり、TBSとのタッグが名物化。  しかし、「新潮」は『RANMARU 神の舌を持つ男』の製作チームにTBSの名前がないことを指摘。これには、配給の松竹も「TBSが製作に入っていないのは事実」と認めているほか、TBS関係者も興行収入のボーダーラインである20億円が見込めないため、製作費を全額負担しないという判断に至ったと証言しているという。なお、映画版での撤退はレアケースだ。 「『RANMARU 神の舌を持つ男』については、堤氏が手掛けたKinKi Kids・堂本光一主演『銀幕版 スシ王子! ~ニューヨークへ行く~』(08)の『二の舞いになるのでは?』との指摘が相次いでいる。この時も、連ドラが不発だったにもかかわらず、映画化を強行。案の定、興行収入3.65億円の大赤字だった。また、堤氏が監督を務めた中村勘九郎主演映画『真田十勇士』が先月公開されるも、大コケ。大物演出家の堤氏に、オワコン感が漂っています」(同)  TBSに見放されながらも、映画化を強行した堤氏。『RANMARU 神の舌を持つ男』をヒットに導き、汚名返上となるだろうか? (※注:映画版正式タイトルは『RANMARU 神の舌を持つ男 酒蔵若旦那怪死事件の影に潜むテキサス男とボヘミアン女将、そして美人村医者を追い詰める謎のかごめかごめ老婆軍団と三賢者の村の呪いに2サスマニアwithミヤケンとゴッドタン、ベロンチョアドベンチャー! 略して…蘭丸は二度死ぬ。鬼灯デスロード編』)