僕らが『この世界の片隅に』を「名作」と呼ぶわけ

konosekai.jpg
『この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック』(双葉社)
“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、「オワリカラ」のボーカル・タカハシヒョウリが、いま気になるカルチャーを取り上げる、月1連載。  公開前日まで映画の存在も知らなかった、原作も読んだことがなかった人間による、ネタバレなしの長文です。  そうです、まず正直に言うと、僕はこの映画の存在を公開前日まで知らなかった。 『この世界の片隅に』はクラウドファンディングで製作費を集めて作られた、ある意味「インディーズ映画」に当たるもので、公開館数も多くはなく、大作映画のような大宣伝も行われていない。  もちろん、さまざまなイベントやネットでの企画を通して精力的にプロモーションしていることは後に知ったが、本当、申し訳ないことに僕はそれほどアンテナの高い人間ではなく、映画の情報が目に入ることはなかった。  公開の前日にサイゾー編集部から、この映画を見てみないか、という提案をもらったときに初めて存在を知った。  その時に「見てみたいけど、文章を書けるかはわからないです」と答えた。もう一度正直に言って、原作も読んだことがなかった。  それで、HPを見たり、広告に躍る「主演声優は、のん!」の文字を見た時には、極端な反戦メッセージ映画、お涙ちょうだいの恋愛ものなどがぐるぐると脳内でイメージされ、どんどん書ける自信がなくなっていった(今となっては、土下座します)。  僕は本業ミュージシャンで、こうしてコラム的な文章を書く機会をもらっているのですが、いわゆる「評論家」的な存在とは程遠いと思っている。そこには明白に線引きが存在していて、自分の中のはっきりしたルールじみたものもある。  つまり、どんなものについての文章でも、人に読んでもらう価値のある作品に仕立てられる「技術」と「経験」を培ってきた人がプロです。僕にはそれが明白に足りないでしょう。  それでも、僕みたいな人間がみんなに読んでもらおうと文章を書くなら、これはもう「0か100について書く」しかない。それは、日々生きている中で出会った「本当に書きたい」という熱が湧くものについて、「本当に書く」ということです。 『この世界の片隅に』についてのコラムの最初にこんなことを書いているのは、ひたすら自分語りがしたいわけではなく(したいけど)、せめてそれくらいの熱で書いてみたいと思う「徹底的な」映画だったから。  莫大な宣伝費をかけた「大作」でないなら、こういうものを僕らは「力作」と呼ぶんだろう。  そして、これを「名作」と呼んでいくんだろうと思う。  この作品は、こうの史代さんによる原作マンガの映画化だ。昭和の初め、太平洋戦争、「すず」という1人の少女~女性の、広島・呉での生活を通して、その風景に迫り来る暴力=戦争の時代をも描いていく。 「戦争を題材としております!」とかいうと、暗くて重く、反戦メッセージが前面に出た作風か、または「ねぇ、そもそもこれ、本当に戦争を題材にした意味ある?」という単なるお涙ちょうだいか、そのどちらか(または、そのどちらも)を想像したくなるけど、『この世界の片隅に』は、もちろんそのどちらでもない。なんだかすごく不思議な、手触りの戦争マンガだ。  作品の中心にあるのは、等身大の「生活」であり、「愛情」。すずという1人の、歴史の上では名もなき女性の、「なんやしらんが、つられておかしうなって」くる生活が描かれる。  たとえば戦時中の食糧難を、とっても愉快なお料理マンガ風に描いちゃうあたりとか、絶対ほかの人には描けない、ある意味ものすごい剛胆だと思います、こうの先生。  しかし、このマンガの持つスーパーなところはそれだけでない。やわらかく、表情豊かな筆致で目の前の暮らしの細部を描けば描くだけ、その背景にある、硬質で無機質な暴力と時代の理不尽な影が描き出されていくのだ。  僕らは予備知識として、1945年の8月6日と9日に何があり、8月15日に何があったのかを知っている。  目の前の面白おかしいやりとりの裏側で、“時限カウンター”が確実に少しずつ進んでいることを、意識せずにはいられない。  そしてそれが実際に襲いかかり、その影が描ききられた後には、その向こうの希望すら感じさせるのだ。  また、作画はとんでもない職人技で、原作の豊かな筆致そのままのキャラクターたちが、アニメならではのリアルな昭和初期広島の風景の中に違和感なく描き出されていく。 「原作の再現度がすごい」というだけなら、原作ファンにとって至福のプレゼントで良かったネ、ということになるが、このアニメは原作の世界をさらに大きく拡張することに成功していると思う。  その要因は2つある。  1つは片渕須直監督の「徹底的な考証と、冷酷な演出」、そしてもう1つはキャラクターたちがアニメ化という儀式で手に入れた「声の力」だ。  原作とアニメで僕が決定的に印象が違うと感じたのは、アニメにおいて神のような「記録する視点」が登場したことで、作品全体に「冷酷な客観性」が際立っている点だ。  たとえば片渕監督が長い年月をかけ調べ尽くし、こだわり抜いたという兵器に対する描写が、原作においては「抽象的であるがゆえの迫力」をまとっていた「戦争」という恐怖に、さらなる肉体的なリアリティを与えている。  主人公のすずは、絵を描くのが好きだ。そのすずの目を通して見る世界を「絵画のように切り取った」シーンが原作にいくつか出てくる。これらのシーンは後々の展開も含めて、とても重要で、原作のキモになっている素晴らしいシーンなのだが、ある意味で主観的で、受け手の想像力にも委ねられた「余白」のようにやわらかだ。  これに象徴されるように、こうのさんの原作には、読む者が入り込めるような優しい曖昧さが常に存在する。  そしてこれは、いわゆる「日常系マンガ」の大部分がそうであるように、バイブレーションの合う人にとっては心地よい余白でありながら、それ以外の人にはチューニングが必要な「別チャンネル」になっている。  しかし、時間軸を持つアニメでは、この原作のやわらかく抽象的な手触りの、「その前」と「その後」を俯瞰的に描いている(時間といえば、先述の時限カウンターも、「時間の流れ」がある映画のほうがはるかに冷酷に、容赦なく時を刻んでいくように感じた)。  ここに、この映画の無敵の布陣が出来上がる。  ……いや、待てよ。  普通に考えれば、「徹底的で偏執的なリアル演出」というのは、よくある監督の独りよがり、アニメにおいて異物になってしまうんじゃないの……?  いや、しかし大丈夫なのだ。 『この世界の片隅に』では、大丈夫なのだ。  なぜなら、原作でも、やっぱり「生活」や「仕草」や「時代」に対する描写は、「徹底的」だからだ。細部を描き込むことで、全体を表出していく――というベクトルが原作もアニメも一致しているので、違和感なく2つのリアリティが同居、むしろ相乗効果を生んでいる。  僕が一番好きなのは、冒頭のシーンだ。  これ、開始1分くらいなのでネタバレじゃないと思うが、まだ幼いすずが海苔の入った包みを背負うところ。この時に、すずがちょっと変わった背負い方をする。身体の半分くらいもある包みを背負うためには、普通に持ち上げて背負ってはバランスを崩してしまう。  そこで、すずは荷物を壁に押し付けて、そこに背中を合わせてこれを背負う。  本当になにげないシーンなのだが、この時に「この映画、いいなー!」と思った。もし小さな身体の自分がこんなに大きな荷物を背負うなら、確かにこうするよな! という「身近さ」で、あっという間に「すず」という人が、確かにこの時代、広島に息づいていたように感じさせてくれる。  これは原作にもあるシーンなのだが、それをすごく自然に丁寧にアニメーション化し、見ている人を作品の世界にすっと連れて行ってくれる。  このシーンだけでも、類いまれなほど幸福なアニメ映画が始まったとわかるよ。  そして、この冒頭でもう1つ驚かされるのが、すず役の声優を担当したのんさんの声。  純粋さと、素朴さと、たくましさ……いま思えば、すずの全部が声の中に色づいている。言ってしまえば、声がすずの物語を語っているような。 「あぁ、そうなんだ。すずさんっていう人、そこにいるんだ」と思ってしまう。  ここばっかりは、ぜひ劇場で見て聞いてほしい。  のんさんだけでなく、潘めぐみさんらプロ声優の演技も素晴らしく(ちなみに、11歳の稲葉菜月さんの「なんやしらんが、つられておかしうなってきた」の言い方が最高)、作品に引き込み、その時々を必死に生きるキャラクターたちの声と、声にならない想いも、伝えてくれる。  豊かな原作、徹底的な演出、完璧な配役、これらが混然となったアニメ映画が理想だ理想だと言いながら、僕らは実際にそんな映画を人生で何本見ることができるだろうか?  今、それができるんだ。  というわけで、長々と書いてきたが、原作ファンや、絵柄やのんさんの主演に惹かれた人は、もうこの映画を見ているか、見に行こうと決めてるはずだ。  そこで僕としては、自分に似た「この映画、ちょっとどうなの」「あんまり褒められてて、ちょっと……」「クラウドファンディングで低予算なんでしょ」と勘繰ってる、理屈っぽい、「『シン・ゴジラ』について議論するの大好き」的な頭でっかち系の諸兄に対して、この文章を書いてみた。  何より「知らなかった」、近くでやってなくて「行かなかった」で、この作品に触れなかった人を1人でも減らせたらうれしく思います。  あと、僕はこの映画の根底にあるのは、やっぱり怒りだと思います。 takahashi1017.jpg ●タカハシ・ヒョウリ “サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、オワリカラのボーカル。たまにブログでつづる文章にも定評あり。好きなものは謎、ロック、歌謡、特撮、漫画、映画、蕎麦。 HP:http://www.owarikara.com/ ブログ:http://hyouri-t.jugem.jp/ Twitter:https://twitter.com/TakahashiHyouri?ref_src=twsrc%5Etfw

僕らが『この世界の片隅に』を「名作」と呼ぶわけ

konosekai.jpg
『この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック』(双葉社)
“サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、「オワリカラ」のボーカル・タカハシヒョウリが、いま気になるカルチャーを取り上げる、月1連載。  公開前日まで映画の存在も知らなかった、原作も読んだことがなかった人間による、ネタバレなしの長文です。  そうです、まず正直に言うと、僕はこの映画の存在を公開前日まで知らなかった。 『この世界の片隅に』はクラウドファンディングで製作費を集めて作られた、ある意味「インディーズ映画」に当たるもので、公開館数も多くはなく、大作映画のような大宣伝も行われていない。  もちろん映画製作サイドが、さまざまなイベントやネットでの企画を通して精力的にプロモーションしていることは後に知ったが、本当、申し訳ないことに僕はそれほどアンテナの高い人間ではなく、映画の情報が目に入ることはなかった。  公開の前日にサイゾー編集部から、この映画を見てみないか、という提案をもらったときに初めて存在を知った。  その時に「見てみたいけど、文章を書けるかはわからないです」と答えた。もう一度正直に言って、原作も読んだことがなかった。  それで、HPを見たり、広告に躍る「主演声優は、のん!」の文字を見た時には、極端な反戦メッセージ映画、お涙ちょうだいの恋愛ものなどがぐるぐると脳内でイメージされ、どんどん書ける自信がなくなっていった(今となっては、土下座します)。  僕は本業ミュージシャンで、こうしてコラム的な文章を書く機会をもらっているのですが、いわゆる「評論家」的な存在とは程遠いと思っている。そこには明白に線引きが存在していて、自分の中のはっきりしたルールじみたものもある。  つまり、どんなものについての文章でも、人に読んでもらう価値のある作品に仕立てられる「技術」と「経験」を培ってきた人がプロです。僕にはそれが明白に足りないでしょう。  それでも、僕みたいな人間がみんなに読んでもらおうと文章を書くなら、これはもう「0か100について書く」しかない。それは、日々生きている中で出会った「本当に書きたい」という熱が湧くものについて、「本当に書く」ということです。 『この世界の片隅に』についてのコラムの最初にこんなことを書いているのは、ひたすら自分語りがしたいわけではなく(したいけど)、せめてそれくらいの熱で書いてみたいと思う「徹底的な」映画だったから。  莫大な宣伝費をかけた「大作」でないなら、こういうものを僕らは「力作」と呼ぶんだろう。  そして、これを「名作」と呼んでいくだろうと思う。  この作品は、こうの史代さんによる原作マンガの映画化だ。昭和の初め、太平洋戦争、「すず」という1人の少女~女性の、広島・呉での生活を通して、その風景に迫り来る暴力=戦争の時代をも描いていく。 「戦争を題材としております!」とか言うと、暗くて重く、反戦メッセージが前面に出た作風か、または「ねぇ、そもそもこれ、本当に戦争を題材にした意味ある?」という単なるお涙ちょうだいか、そのどちらか(または、そのどちらも)を想像したくなるけど、『この世界の片隅に』は、もちろんそのどちらでもない、なんだかすごく不思議な、手触りの戦争マンガだ。  作品の中心にあるのは、等身大の「生活」であり、「愛情」。すずという1人の、歴史の上では名もなき女性の、「なんやしらんがつられておかしうなって」くる生活が描かれる。  たとえば戦時中の食糧難を、とっても愉快なお料理マンガ風に描いちゃうあたりとか、絶対ほかの人には描けない、ある意味ものすごい剛胆だと思います、こうの先生。  しかし、このマンガの持つスーパーなところはそれだけでなく、目の前の暮らしの細部を描けば描くだけ、その背景にある暴力の理不尽さが描き出されていくことだ。  僕らは予備知識として、1945年の8月6日と9日に何があり、8月15日に何があったのかを知っている。  目の前の面白おかしいやりとりの裏側で、“時限カウンター”が確実に少しずつ進んでいることを、僕らは意識せずにはいられない。  そしてそれが実際に襲いかかり、その影が描ききられた後には、その向こうの希望すら感じさせるのだ。  また、作画がとんでもない職人技で、原作の豊かな筆致そのままのキャラクターたちが、アニメならではのリアルな昭和初期広島の風景の中に違和感なく描き出されていく。 「原作の再現度がすごい」というだけなら、原作ファンにとって至福のプレゼントで良かったネ、ということになるが、このアニメは原作の世界をさらに大きく拡張することに成功していると思う。  その要因は2つある。  1つは片渕須直監督の「徹底的な考証と、冷酷な演出」、そしてもう1つはキャラクターたちがアニメ化という儀式で手に入れた「声の力」だ。  原作とアニメで僕が決定的に印象が違うと感じたのは、アニメにおいて神のような「記録する視点」が登場したことで、作品全体に「冷酷な客観性」が際立っている点だ。  たとえば片渕監督が長い年月をかけ調べ尽くし、こだわり抜いたという兵器に対するリアルな描写が、原作においては「抽象的であるがゆえの迫力」をまとっていた「戦争」という恐怖に、さらなる肉体的なリアリティを与えている。  主人公のすずは、絵を描くのが好きだ。そのすずの目を通して見る世界を「絵画のように切り取った」シーンが原作にいくつか出てくる。これらのシーンは後々の展開も含めて、とても重要で、原作のキモになっている素晴らしいシーンなのだが、ある意味で主観的で、受け手の想像力にも委ねられた「余白」のようにやわらかだ。  これに象徴されるように、こうのさんの原作には、読む者が入り込めるような優しい曖昧さが常に存在する。  そしてこれは、いわゆる「日常系マンガ」の大部分がそうであるように、バイブレーションの合う人にとっては心地よい余白でありながら、それ以外の人にはチューニングが必要な「別チャンネル」になっている。  しかし、時間軸を持つアニメでは、この原作のやわらかく抽象的な手触りの、「その前」と「その後」を俯瞰的に描いている(時間といえば、先述の時限カウンターも、「時間の流れ」がある映画のほうがはるかに冷酷に、容赦なく時を刻んでいくように感じた)。  ここに、この映画の無敵の布陣が出来上がる。  いや、待てよ。  普通に考えれば、「徹底的で偏執的なリアル演出」というのはよくある監督の独りよがり、アニメにおいて異物になってしまうんじゃないの……?  いや、しかし大丈夫なのだ。 『この世界の片隅に』では。大丈夫なのだ。  なぜなら、原作でも、やっぱり「生活」や「仕草」や「時代」に対する描写は、「徹底的」だからだ。細部を描き込むことで、全体を表出していく――というベクトルが原作もアニメも一致しているので、違和感なく2つのリアリティが同居、むしろ相乗効果を生んでいる。  僕が一番好きななのは、冒頭のシーンだ。  これ、開始1分くらいなんでネタバレじゃないと思うが、まだ幼いすずが海苔の入った包みを背負うところ。この時に、すずがちょっと変わった背負い方をする。身体の半分くらいもある包みを背負うためには、普通に持ち上げて背負ってはバランスを崩してしまう。  そこで、幼いすずは荷物を壁に押し付けて、そこに背中を合わせてこれを背負う。  本当に小さなシーンなのだが、この時に「この映画、いいなー!」と思った。もし小さな身体の自分がこんなに大きな荷物を背負うなら、確かにこうするよな! という「身近さ」で、あっという間に「すず」という人が、確かにこの時代、広島に息づいていたように感じさせてくれる。  これは原作にもあるシーンなのだが、それをすごく自然に丁寧に演出したアニメーションが、見ている人を作品の世界にすっと連れて行ってくれる。  このシーンだけでも、類いまれなほど幸福なアニメ映画が始まったとわかるよ。  そして、この冒頭でもう1つ驚かされるのが、すず役の声優を担当したのんさんの声。  純粋さと、素朴さと、普通さと、たくましさ……いま思えば、すずの全部が声の中に色づいている。言ってしまえば、声がすずの物語自体を語っているような。 「あぁ、そうなんだ。すずさんっていう人、そこにいるんだ」と思ってしまう。  ここばっかりは、ぜひ劇場で見て聞いてほしい。  のんさんだけでなく、潘めぐみさんらプロ声優の演技も素晴らしく(ちなみに11歳の稲葉菜月さんの「なんやしらんがつられておかしうなってきた」の言い方が最高)、作品に引き込み、その時々を必死に生きるキャラクターたちの声と、声にならない想いも、伝えてくれる。  豊かな原作、徹底的な演出、完璧な配役、これらが混然となったアニメ映画が理想だ理想だと言いながら、僕らは実際にそんな映画を人生で何本見ることができるだろうか?  今、それができるんだ。  というわけで、長々と書いてきたが、原作ファンや、絵柄やのんさんの主演に惹かれた人は、もうこの映画を見ているか、見に行こうと決めてるはずだ。 そこで僕としては、自分に似た「この映画、ちょっとどうなの」「あんまり褒められてて、ちょっと……」「クラウドファンディングで低予算なんでしょ」と勘繰ってる、理屈っぽい、「『シン・ゴジラ』について議論するの大好き」的な頭でっかち系の諸兄に対して、この文章を書いてみた。  何より「知らなかった」、近くでやってなくて「行かなかった」で、この作品に触れなかった人を1人でも減らせたらうれしく思います。  あと、僕はこの映画の根底にあるのは、やっぱり怒りだと思います。 takahashi1017.jpg ●タカハシ・ヒョウリ “サイケデリックでカルトでポップ”なロックバンド、オワリカラのボーカル。たまにブログでつづる文章にも定評あり。好きなものは謎、ロック、歌謡、特撮、漫画、映画、蕎麦。 HP:http://www.owarikara.com/ ブログ:http://hyouri-t.jugem.jp/ Twitter:https://twitter.com/TakahashiHyouri?ref_src=twsrc%5Etfw

「小さな映画館だって、社会にバズを起こせる」アップリンク社長が目指す新しいミニシアター像

DSC_0024
アップリンクの浅井隆社長。海外の監督たちとの共同製作、配給、直営館の運営と手広く手掛けている。
 人通りが絶えることのない渋谷駅前スクランブル交差点から、歩いておよそ10分。「アップリンク渋谷」は小さいながらも3スクリーン(58席、44席、40席)を擁し、1日10〜15本の多種多様な作品を上映する独自色の強いミニシアターだ。カフェやギャラリーも併設するこの小さな映画館は、配給会社アップリンクの直営館であり、グローバル企業と政界との癒着を暴いた『モンサントの不自然な食べもの』(08)、生涯現役を貫くヘビメタバンドのド根性ドキュメンタリー『アンヴィル! 夢を諦められない男たち』(09)など非メジャー系の作品をロングランヒットさせてきたことで知られている。地道にリピーターを増やしてきたアップリンクだが、2016年11月から新たに「アップリンク・クラウド」をスタートさせた。アップリンク発の個性的な映画が、ネットで気軽に楽しめるというサービス。2017年には創設30年を迎える「有限会社アップリンク」の浅井隆社長に、リアル映画館とオンライン映画館を同時運営していく狙いについて尋ねた。
holly1119
今年9月から上映が始まった『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』が早くもネット配信。期間限定のサービス価格で提供。
──アップリンク渋谷は3スクリーンを擁していますが、新たに4つめのスクリーンをネット上に立ち上げたわけですね。 浅井 そうです。ネット上で新たに映画館を始めたというのが「アップリンク・クラウド」の売りです。これまで映画業界では劇場公開からだいたい半年後にDVDが発売され、ビデオオンデマンドもDVD発売に合わせてスタートしていた。それが業界内のゆるやかな慣例でした。アップリンクでも自前でビデオオンデマンドを始めたわけだけど、劇場公開から半年間の空白期間を無駄にしたくないなと考えているんです。配信第1弾のラインナップの中で劇場公開中の作品は『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』だけですが、今後は劇場公開と同時にネット上で配信する作品を増やしていきたいと思っています。 ──ビデオ業界や地方の映画館に波紋を呼びそうな試みですね。 浅井 いやいや、そうじゃない。うちは共同製作も手掛け、配給もしているし、映画館も運営しているので、それぞれの苦労は分かっているので、各業界に余計な波風を立てるつもりはないですよ。確かに今は地方には人がいない状況。テレビで見たけど、商店街には人がおらず、シネコンが入っていたショッピングモールでさえ閉鎖されて廃墟化している。地方の映画館は「東京での劇場公開と同時にネット配信されたら、ますます客が減ってしまう」と不安に感じるかもしれません。でも、ネットで映画を観る人たちは、従来の映画館に足を運んでいた人たちとは異なる層です。東京で暮らしている人でも、渋谷のアップリンクにまで来ない人は大勢いる。忙しくて映画館にもレンタルビデオ店にも行く余裕がないけど、ネット上で気軽に鑑賞できるのなら観てみようと思うかもしれない。映画館やレンタル店に足を運ぶことのなかった新しい顧客を掘り起こすことが「アップリンク・クラウド」の狙いなんです。ファイヤーTVやクロームキャストを使って、自宅にいながら気軽に映画を楽しむことができる。「アップリンク・クラウド」に申し込んだ人の6割がスマホ、残り4割がパソコンで視聴しているんです。 ──もはや映画はスマホで観る時代なんですね。 浅井 スマホで映画を楽しんでいる層は、もともと映画館には行かないし、レンタル店で観たい映画を探す人たちとは異なる人たちだと思います。でもスマホでなら、大阪出張の新幹線の中で1本映画を観ることもできる。僕もね、ネットフリックスやHuluに加入して、風呂に入りながら観ています。ネットフリックスのオリジナルドラマ『ハウス・オブ・カード』なんかは、すごいクオリティーだと思う。でも、従来のミニシアターは客席での飲食も制限されて、身を正して観ていたことを考えると、スマホで映画を観るなんて邪道も邪道だよね(笑)。1981年に「シネマスクエアとうきゅう」が歌舞伎町にオープンして、80年代〜90年代にミニシアターブームが起き、ミニシアターは新しい情報を発進する空間だったのに、そこで時間が止まってしまっている。旧態依然となっている状況は見直すべきでしょう。『君の名は。』があれだけ大ヒットしているのだから、“若者の映画離れ”という定説は通用しない。映画館に若者がいないのはミニシアターだけですよ。 ──映画館が劇場公開作をネット配信するケースは、ミニシアターブームを牽引した「シネマライズ」(2016年1月に閉館)が2010年から取り組んでいたものの、残念な結果に終わっています……。 浅井 シネマライズはネット配信の先駆者として意識しました。シネマライズさんは家電メーカー主導で開発された「アクトビラ」で視聴する形だったんですよね。当時はスマホで映画を観ようなんて考えられなかった。動画を視聴する環境はこの数年で劇的に変わっています。
massage1119
ロウ・イエ監督の新作『ブラインド・マッサージ』。2017年1月14日(土)よりアップリンク渋谷、新宿K’s cinema全国順次ロードショー
■寺山修司と伝説の劇団「天井桟敷」から受け継いだもの ──『モンサントの不自然な食べもの』は2012年にアップリンク渋谷で公開し、話題を呼んだドキュメンタリー映画。アップリンクの代表作を配信作品の第1弾ラインナップに入れたかっこうですね。 浅井 今、多くの人が関心を持っているのは食の安全でしょう。米国大統領にドナルド・トランプが選ばれましたが、トランプはTPP離脱を訴えて大統領選に勝った。それなのに、日本の与党はTPP承認案と関連法案を強引に採決しようとしている。おかしいよね。トランプは大金持ちだけど、中小企業のおっさんマインドの持ち主。大統領選を闘っていた彼はグローバル企業の意向なんて屁とも思っていなかっただろうけど、日本の与党には圧力が掛かっているようにしか見えないよね。本当に農作物の輸入を自由化して大丈夫なのかどうかを考えてほしくて、『モンサントの不自然な食べもの』を配信することにしたんです。それでね、配信を始めてアイデアがいろいろ湧いてきた。タイムリーに映画の配信をできるだけじゃなくて、他にもビデオジャーナリストが新たに撮った映像作品やインタビュー映像を「アップリンク・クラウド」で流すこともできる。映画館がテレビ局みたいに自由に使えるチャンネルを持ったようなものだよね。2020年には東京五輪があるけど、テレビ放映されないエクストリーム系の競技の中継や練習風景を流すこともできる。やりたいことがいろいろあって、人手が足りない状態ですよ(笑)。 ──アップリンク渋谷で上映中の人気作『聖なる呼吸』を、「アップリンク・クラウド」では劇場価格よりも低料金で配信している点も気になります。 浅井 始めたばかりの「アップリンク・クラウド」を知ってもらうために、ネットではサービス価格の1,200円で提供(期間限定で30%オフのプロモーションコードを発行)しています。映画館は毎月1日や水曜サービスデには入場料が1100円になるので、その価格を意識したんです。全国にヨガ好きな人は多いんですが、『聖なる呼吸』を観てもらうためにアップリンク渋谷までみなさんに来てもらうのは難しい。でもネット配信なら、全国津々浦々に届けることができる。映画って観たいと思ったときに、届けることができるかどうかが大事だと思うんです。それもあって劇場公開と同時にネット配信することに踏み切ったんです。 ──アップリンクとネット配信の関係でいうと、3.11直後に上映して大反響を呼んだドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』(10)を2014年にYouTubeで無料配信したことも記憶に新しいところです。 浅井 小泉元総理が『100,000年後の安全』を観て、脱原発に方向転換し、都知事選に細川さんを担ぎ出したタイミングで、僕も反原発派なので細川陣営を応援するつもりで無料配信したんです。正確には把握できてないけど、YouTubeのカウンターでは再生回数30万回以上でした。それでも、細川さんは負けちゃったけどね(苦笑)。でもさ、うちみたいな小さな会社でも、今のネット社会なら多少なりともバズを起こせるわけです。面白いと思いますよ。僕らが扱っている映画、広く言えばアートって、社会に対して疑問を投げ掛けることだと思うんですよ。映画という作品として表現することで、社会や既成のシステムに対する見方を変えてみせる。今あるインフラをうまく活用することで、社会にどう関わることができるかに僕はすごく興味があるんです。国家よりもグローバル企業のほうが権力を持っている現代社会に、自分たちがどう関わっていけるかですよ。 ──アップリンクは2017年で創業30年を迎えることに。厳しい映画業界を30年間にわたってサバイバルしてきた心境は? 浅井 信じられないよね、アップリンクを始めて30年だなんて。でも、自分からは過去は振り返らないよ。設立時を知っているスタッフは自分以外には誰もいないし、創業何十周年とか銘打って派手にイベントやる企業って、その後の業績はどうなの? 企業の寿命30年という説もあるからね(笑)。
eat1119
グローバル企業の恐ろしさを暴いたドキュメンタリー『モンサントの不自然な食べもの』を配信中。TPP問題を知る上でぜひ観ておきたい。
──配給会社ながら、デレク・ジャーマンなど海外の監督との共同製作にもこれまで力を入れてきました。 浅井 アレハンドロ・ホドロフスキー監督の新作『エンドレス・ポエトリー』も共同製作し、来年公開の予定です。国際共同製作はデレク・ジャーマンの『ザ・ガーデン』(90)から始まったわけだけど、どれも監督たちとの個人的な付き合いから生まれたもの。たまたま付き合いのあったデレク・ジャーマンは英国人で、ホドロフスキーはパリに住むチリ人、ロウ・イエは中国人だったということなんです。黒沢清監督の『アカルイミライ』(03)や矢崎仁司監督の『ストロベリーショートケイクス』(06)も共同製作しています。アートや映画って、個人の力の表現であって、国境にとらわれないのがいい。 ──1990年代には税関を相手に浅井社長が裁判を起こし、週刊誌を賑わしたことも。 浅井 よく覚えているね(笑)。表現の自由を守るためには闘わなくちゃいけないこともある。あの裁判は米国の写真家ロバート・メイプルソープのすでに日本国内でアップリンクが発行販売済みだった写真集を、僕があえて国外に一度持ち出したものを国内に持ち帰る際に成田空港の税関で押収されたもの。僕が原告となり、行政訴訟で東京税関と日本国を被告として訴えたんです。一審で勝ち、二審で負け、最高裁で勝利しました。いわゆる「芸術か猥褻か」をめぐる裁判だったんだけど、猥褻問題をめぐって最高裁で個人が勝ったケースは初めてのことらしいよ。裁判で最終的に勝つまでに10年近くかかったけど、僕が亡くなったときにはきっと僕の生涯の最大の業績になるだろうね(笑)。裁判に勝つことで、それまで猥褻とされていたものが芸術になる。おかしいと思ったら、行政訴訟を起こすのは有効な手段。市民運動を続けても世の中はなかなか変わらないけど、裁判に勝てば判例を残すことで社会を変えることができるってことだよね。 ──中国で度々上映禁止処分に遭っているロウ・イエ監督の『二重生活』(12)などを、アップリンクが積極的に上映している理由がわかった気がします。 浅井 ロウ・イエは中国の体制側と闘ったり、ギリギリのところで撮ったりしている。彼のそういった姿勢やセンチメンタルな作風は僕の心にタッチするものがある。既成概念に縛られずに、自由な表現を守ることは大事なことだと思うよ。2017年1月にはロウ・イエ監督の新作『ブラインド・マッサージ』という盲人マッサージ院を舞台にした、これまた挑発的な作品を公開します。 ──浅井社長は寺山修司が率いた劇団「天井桟敷」出身。寺山修司亡き後、多くの劇団員たちは「万有引力」に参加しましたが、浅井社長は単独でアップリンクを立ち上げた。寺山修司、もしくは天井桟敷から受け継いだものがあるとすれば何でしょうか? 浅井 18歳のときに大阪のサンケイホールで初めて観た天井桟敷の舞台が『邪宗門』で最後はセットが崩れ、役者たちは自分たちの言葉をそれぞれ語り始めるというものでした。寺山修司の評論集に『書を捨てよ町へ出よう』があるけど、まさに「劇場から外へ出よう」という舞台だった。その後、僕が天井桟敷の劇団員になってやったのが阿佐ヶ谷での市街劇『ノック』。街の公園やアパートの一室で、多発的に芝居が繰り広げられるというもの。今回の「アップリンク・クラウド」に通じるものがあるんじゃないかな。劇場という縛りから離れて、街そのものを自分の映画館にしてしまおうということだからね。多くの人に自由な形で、新しい映画の楽しみ方を見つけてほしいなと思っているんです。寺山修司や天井桟敷から受け継いだものがあるとすれば、そういった自由な考え方だろうね。実はアップリンクで以前VHSでしか出していなかった『天井桟敷ビデオ・アンソロジー』を、「アップリンク・クラウド」で鑑賞できるようにしようと企画しているところなんです。これからの「アップリンク・クラウド」、楽しみにしていてください。 (取材・文=長野辰次) ●浅井隆(あさい・たかし) 1955年生まれ。劇団「天井桟敷」の舞台監督を務めた後、87年に有限会社アップリンクを設立。99年から映画上映およびイベントスペース「UPLINK FACTORY」をオープンし、2005年に渋谷区宇田川町に移転。様々な映画の制作・配給・プロデュースを行なっている。 ■アップリンク・クラウド 2016年11月2日から始まったオンラインサービス。パソコンやスマートフォン、アマゾンのファイヤーTV、クロームキャスト、アップルTV、X-BOX360を使って、アップリンクがセレクトした映画を自由なスタイルで視聴できる。『モンサントの不自然な食べもの』や『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』(16)、『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』(14)などのドキュメンタリー映画、ロウ・イエ監督の『二重生活』やグザヴィエ・ドラン主演作『エレファント・ソング』(14)などの劇映画を現在配信中。 http://www.uplink.co.jp/cloud

初めて逢うのに、どこか懐かしいアイヌの人たち。極上の音楽体験ドキュメント『カピウとアパッポ』

kapiapa01
アイヌの伝統歌を歌い継ぐ姉妹デュオの葛藤を追った音楽ドキュメンタリー『kapiwとapappo アイヌの姉妹の物語』。
 初めて聴く音楽なのに、ずいぶん昔から知っていたような気がする。初めて逢った人たちなのに、なぜか懐かしさを覚える。脳で知覚するデジャヴ感とは異なる、もっと体の芯から温かく包み込まれるような郷愁に似たものを感じてしまう。ドキュメンタリー映画『kapiwとapappo アイヌの姉妹の物語』を観ていると、不思議な気分になってくる。タイトルに謳われているようにアイヌの里出身の姉妹デュオ“カピウ&アパッポ”を主人公にした音楽ドキュメンタリーなのだが、アイヌ文化のことをまったく知らないにもかかわらず、幼かった頃に故郷の野原や浜辺で夕暮れまで遊んでいた記憶、家族や親しい人たちと過ごした思い出がゆらゆらと立ち上がってくる。  耳慣れないカピウとアパッポとはアイヌの言葉。カピウはカモメ、アパッポは福寿草のこと。北海道の阿寒湖アイヌコタンで生まれ育った姉妹の絵美と富貴子は、それぞれカピウとアパッポをニックネームにしている。小さいときからアイヌウポポ(アイヌの伝統歌)を歌ってきた仲良し姉妹だったが、性格は真逆。2つ上の姉・絵美は実家を出て、カモメのように各地を渡り歩き、今は東京でグラフィックデザイナー兼ウポポの歌い手として暮らしている。妹の富貴子は福寿草のように地元に根を張り、アイヌ料理店を営みながら阿寒湖の遊覧船で歌や民族楽器の演奏を披露している。東京と北海道で別々の人生を歩んでいる姉妹だが、お互いに3人の子どもを育てる母親となっていた。そんな折、2011年の福島第一原発事故がきっかけで、絵美は子どもたちを連れて故郷でひと夏を過ごす。幼い頃から地元の人たちに愛されてきた2人は姉妹デュオを結成し、ライブデビューすることになる。  ところが、すんなりとカピウ&アパッポのライブデビューとは事は進まない。東京で暮らしていた絵美はインディーズ系の音楽家・海沼武史とともに、アイヌ音楽を現代的にアレンジしたユニット「リウカカント」としてCDをリリースしていたが、伝統的なスタイルから離れての音楽活動にどうも気が乗れずにいた。煮え切らない絵美に対し、海沼は「歌っている瞬間にしかアイヌ民族はいないんだよ。だって日常生活にアイヌ語を使っているわけじゃないでしょ?」と厳しい言葉を発する。一方の富貴子も地元で観光客を相手に歌っていたが、いつの間にか歌うことは“生活の手段”となっていた。少女時代はまっさらな気持ちでアイヌウポポを歌っていた姉妹だったが、アイヌ民族としての帰属意識や音楽へのスタンスに迷いを生じるようになっていた。
kapiapa02
都内でアイヌ関連のイベントに呼ばれて歌う姉・絵美。家事や育児に追われているが、生活に根づいた歌唱スタイルを身に付けつつある。
 台本のないドキュメンタリーならではの面白さが中盤で待っている。絵美は子どもたちを連れてアイヌコタンに里帰りし、富貴子たち一家が温かく迎え入れる。仲良くハグしあう姉妹。ところが周囲のお膳立てでライブデビューの日程が決まり、しばらくすると姉妹間の雲行きが怪しくなってくる。富貴子が夫と経営しているアイヌ料理店で、子どもたちを寝付かせた後、かなり深酒した富貴子の感情が爆発する。ライブが迫っているのに満足に練習する時間がないこと、姉のライブデビューは自分がプロデュースしたかったこと……。多くの人に愛され、才能豊かな姉に対する憧れと嫉妬心が酒に酔って、いっきに吹き出す。「まぁまぁ」と富貴子の夫が仲裁に入ろうとするが、火に油を注ぐかっこうに。福寿草は美しいだけでなく、毒花でもあったことを思い出させる。だが、普段はのほほんとした姉の絵美も黙ってはいない。「フッキは何のために歌うの? 私は仕事のためじゃないよ。フッキと歌うときは仕事は関係ないよ」。故郷を離れて都会の片隅で暮らす姉と故郷に残って地元に根づいて暮らす妹、2人の本音がカメラの前で激しくぶつかり合う。  5年がかりで本作を完成させたのは、山形出身で東京在住の佐藤隆之監督。大林宣彦監督や堤幸彦監督らのもとで助監督を務め、本作で劇場監督デビューを果たすことになった。アイヌ文化に魅了され、姉妹のドキュメンタリーを自主映画として撮ることになった経緯をこう語った。 「覚えている人は少ないと思いますが、『REX 恐竜物語』(93)という北海道を舞台にした映画があり、僕は助監督として就いていました。常田富士男さんがアイヌの老人役で出ており、所作指導としてアイヌのエカシ(長老)に来てもらったんです。そのときのエカシの存在感に僕は圧倒され、『いつかアイヌの映画を撮ってみたい』とアイヌについて調べるようになったんです。明治初期に東北や北海道を旅した英国人イザベラ・バードの『日本奥地紀行』という旅行記があるんですが、アイヌ民族のことを彼女は『彼らのように純朴で善意の人たちは見たことがない』と書き記しているんですね。僕もコタンを訪ねる度に同じように感じていました。100年前と違って今では生活様式は変わってしまっているはずなのに、それでもどこか居心地のよさ、懐かしさを感じさせるんです。姉妹のライブデビューを追ったドキュメンタリーですが、姉妹を育んだアイヌのコミュニティーそのものを撮りたかったのかもしれません」
kapiapa03
大ゲンカした翌日の姉妹。佐藤監督は「ここは撮らないでということはなかった。表現者としての大らかさが彼女たちにはあった」と語る。
 姉妹は日々の仕事に追われながらライブの練習に励むが、彼女たちを取材している佐藤監督も似たような状況だった。長い助監督時代を経て、テレビドラマで監督デビューすることはできたが、逆に監督になると食べていくことが難しくなる。一度は映像業界を離れてタクシードライバーに転職したが、ずっと胸の中にモヤモヤしたものが残っていた。若い頃に考えていたアイヌの映画を撮ろう。タクシー業と並行する形でアイヌの取材を再開し、そんな中で絵美と富貴子に出会った。食べていくための大切な仕事と生きていることの証である自己表現の両立。それは姉妹だけではなく、佐藤監督自身の命題でもあった。  本作のクライマックスを飾るのは、カピウ&アパッポのデビューライブだ。釧路のライブハウスに、姉妹を昔から知っている人たちが集まり、アットホームな雰囲気の中でライブが始まる。深酒して大ゲンカした姉妹だったが、本音を出し合った翌日からは仕事のちょっとした合間を縫って練習や打ち合わせを重ねてきた。大人になってから姉妹でステージに立つのは初めてゆえ、ライブスタート時は緊張感が漂う。だが、姉・絵美が歌い始め、妹・富貴子が後を追うウコウク(輪唱)スタイルのアイヌウポポが進むにつれ、2人の息が見事なほどに合ってくる。いつもはカジュアルなかっこうをしている2人だが、アイヌウポポを歌っているうちにアイヌコタンで生まれ育った姉妹としてのアイデンティティーが発露されていく様子がはっきりと分かる。  アイヌウポポはアイヌの言葉ゆえ、歌詞はまるで聞き取れない。佐藤監督が姉妹に教えてもらった訳詞がテロップで流れ(姉妹も完全には分かっていないらしい)、それによるとカムイ(神)が降りてくるから、カムイが座る場所を作ろう、といったシンプルなものだ。代々歌い継がれてきた古い歌の中に、アイヌの自然観、宗教観、生活観がしっかりと息づいている。姉妹の歌声に耳を澄ませているうちに、どこか懐かしい世界に帰ってきたかのような奇妙な感覚に陥ってくる。それはアイヌウポポやムックリなどのアイヌ楽器の演奏によってトランス状態になったのか、それとも故郷の生家を失った人間のノスタルジアがもたらした幻想風景なのか。カピウとアパッポの懐かしい歌声に、酩酊している自分がいることに気づく。 (文=長野辰次)
kapiapa04
『kapiwとapappo アイヌの姉妹の物語』 企画・監督・撮影・編集/佐藤隆之 音楽/メカ・エルビス(サイバーニュウニュウ) 製作/office+studio T.P.S、オリオフィルムズ  配給/オリオフィルムズ 11月19日(土)~12月2日(金)渋谷ユーロスペースにて21時よりレイトショー公開 http://www.kapiapamovie.com

pandoracoversss
『パンドラ映画館』電子書籍発売中! 日刊サイゾーの人気連載『パンドラ映画館』が電子書籍になりました。 詳細はこちらから!

沢尻エリカ、実写映画『不能犯』ヒロイン抜擢のワケは“唯一無二の存在感”

sawajiri1114
「あの“別に”騒動以降、一時は仕事がほとんどない時期もありましたが、ここにきて持ち前の演技力で仕事をどんどん取り戻しているようです。彼女は、キャスティングする上で“ライバル”となる人はいない、唯一無二の女優になりつつありますよ」(映画関係者)  白石晃土監督、松坂桃李主演で2018年に実写映画化される『不能犯』。そのヒロインに、沢尻エリカが選ばれたという。 「このキャスティングは、監督たっての要望だそうです。やはり、それだけ今の沢尻さんにはほかの女優さんにはない魅力があるんでしょうね。年齢的なライバルでいうと、長澤まさみさんや石原さとみさんらがいますが、沢尻さんの演じる役は、不思議と彼女しか合わないって感じです」(芸能事務所関係者)  共演には今、売り出し中の真剣佑やベテラン俳優の安田顕も出演するという。 「東宝としても『ウォーターボーイズ』(フジテレビ系)のように、映画からの連ドラのようにしたいようです。そこまでヒットすれば、松坂さんの代表作になるんじゃないですかね」(テレビ局関係者)  続編“不能”とならなければよいのだが――。

大コケ続きの“映画監督”陣内孝則、役者業でも松重豊、遠藤憲一に役を取られ……

jinnai1114
『幸福のアリバイ~Picture~』公式サイトより
「18日の公開に向けて、とにかく番宣に出まくってます。前2作が大コケで、大赤字でしたからね。これが長編映画の3作目ですから、コケたら次はないでしょう」(映画関係者)  俳優の陣内孝則が9年ぶりにメガホンを取った長編映画第3弾『幸福のアリバイ~Picture~』が、18日に公開される。 「前2作の『ROCKERS』(2003)、『スマイル 聖夜の奇跡』(07)ともに、豪華な出演者を集めたにもかかわらず、興収はサッパリでした。今作も豪華出演者を集めてますが、前2作と違って『脚本家も有名だし、今作は本にはあまり口を出さない!』と、かなり意気込んでましたね」(芸能事務所関係者)  その脚本家・喜安浩平を引っ張り出すために、陣内は連日のように自宅へ通い拝み倒したという。 「喜安さんも、その熱意に負けたので仕方なく受けたそうですよ。実際、作品は面白いものに仕上がってると思います。今までと違って監督の色もそんなに出てないですしね(苦笑)。ただ、女優も木南晴夏、入山法子あたりじゃ弱いですから、興収はよくて5億円くらいでしょうか。まあ、あとはどのくらい番宣で陣内さんが頑張るかですね」(テレビ局関係者)  監督業だけでなく、俳優としても岐路に立たされているという陣内。 「実際、役者としては松重豊さんや遠藤憲一さんあたりに役を取られていますね。ただ、その2人と違って、バラエティでは陣内さんのほうが面白いです。ギャラもまだ高いままですし、これでコケたら監督としても終わりですし、本当に正念場だと思いますよ」(バラエティスタッフ)  汚名返上なるか――。

“視聴率女王”の座から、すっかり陥落! 「持ってない」天海祐希の主演映画は大丈夫か

amamiyuki1113.jpg
 相変わらず10月クールもドラマが総コケ状態のフジテレビだが、その中でも打ち切り危機がささやかれているのが、天海祐希主演の『Chef~三ツ星の給食~』(木曜午後10時放送)。  初回から8.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)と振るわず、第4話では4.9%にまで落ち込んでしまった。第5話では8.0%まで持ち直したものの、低空飛行が続いている状況だ。 「天海演じる、三ツ星レストランのシェフが小学校の給食室に転職し、悪戦苦闘する姿を描いたオリジナル作品。主題歌には大御所・ユーミンの『Smile for me』を起用。4話からはユーミンと天海のデュエットバージョンを流すなど、かなり力の入っていた作品だが、特に視聴者を引きつけるポイントがなく、コケてしまった。演出を手がける平野眞は、いまやすっかり仕事がなくなった江角マキコの夫。その江角が独立した事務所の看板女優が天海で、なんとも奇妙な巡り合わせになってしまった」(テレビ誌編集者)  天海といえば、かつてはシリーズ化された『離婚弁護士』『BOSS』(ともにフジテレビ系)、過激な内容から賛否両論を巻き起こした『女王の教室』(日本テレビ系)など、主演ドラマがことごとく大当たりし“視聴率女王”の座に君臨。しかし、いまやその座は、同じ木曜に放送されている『ドクターX~外科医・大門未知子~』(テレビ朝日系)の米倉涼子に、すっかり明け渡してしまった。  そんな現状の天海だが、阿部寛とW主演し夫婦役を演じる映画『恋妻家宮本』の公開が来年1月末に控えている。メガホンを取り、脚本を手がけたのは『女王の教室』で天海とタッグを組んだ脚本家の遊川和彦氏だが、ヒット作となるのはかなり難しそうだという。 「そもそも、天海は映画で当たった作品がなく、むしろ脇役のほうがいい味を出している。原作は直木賞作家・重松清氏の『ファミレス』で、かなりマイナーな小説。家族ものが得意な遊川氏だが、近年は『家政婦のミタ』(日本テレビ系)が大ヒットしたぐらいで、ほかは数字が取れていない。天海の主演ドラマがあるため、PR活動で稼働できるのは12月に入ってからのようで、そこからいろいろ仕掛けたとしても宣伝効果はないだろう」(映画業界関係者)  演技派として知られる天海だが、すっかり“当たり役”に恵まれなくなってしまったようだ。

誰よりも盤上で奔放に、極太に生きた男の伝説! 松ケン主演のノンフィクション映画『聖の青春』

satoshinoseishun001
大崎善生のノンフィクション小説『聖の青春』を松山ケンイチ主演で映画化。松山は18キロ増量して撮影に臨んだ。
 怪童と呼ばれ、29歳の若さで亡くなった伝説の男がいた。村山聖(さとし)がその伝説の男だ。広島で生まれた村山は幼少期は野原を駆け回る活発な子どもだったが、5歳のときに難病ネフローゼを患い、以降は入退院を繰り返す人生を歩む。まともに学校に通うことができなかった村山だが、病院のベッドで将棋の本を貪り読み、将棋の心得のある相手を見つけては勝つまで指し続けた。81マスある棋盤の世界では、村山は病身を気にすることなく自由奔放に闘うことができた。病室で過ごす時間の長い村山にとっては、将棋を指すことが外の世界と繋がる唯一の方法だった。やがて厳しいプロ棋士の競争社会に身を投じることになるが、常に死を意識しながら指す村山の将棋は、対戦相手を圧倒し、周囲の人間の心を動かすものがあった。同世代の天才・羽生善生とほぼ互角の戦績(6勝7敗)を残していることからも、村山の凄さが分かる。将棋を指すことで生の輝きを放ち、そして将棋の世界で若くして散った伝説の男に、松山ケンイチは『聖の青春』で成り切ってみせた。  原作は将棋雑誌の編集長を務め、村山を公私にわたって見守り続けた大崎善生の同名ノンフィクション小説。原作小説では村山の生い立ちからプロ棋士になる過程なども詳細に語られているが、高校球児の青春映画『ひゃくはち』(08)で鮮烈なデビューを飾った森義隆監督は思い切って村山の最期の4年間に絞った形で映画化している。阪神淡路大震災に見舞われた1995年、26歳になった村山(松山ケンイチ)は師匠・森信雄(リリー・フランキー)のもとを離れ、住み慣れた大阪のアパートから単身で上京を果たす。すべては生涯最大のライバルである羽生善生(東出昌大)を倒すため。羽生を破って名人位に就く、それが村山の生きる目標だった。『ひゃくはち』でベンチ入りを競い合う球児たちの葛藤をつぶさに描いてみせた森監督は、本作では棋盤上で羽生と村山が知力の限りを尽くして闘う様をけれんみを排して、ストイックに再現してみせる。  森監督に本作のオファーが届いたのは、『ひゃくはち』が公開された直後の8年前。『ひゃくはち』と同様な男くさい将棋の世界に森監督は魅了された。プロ棋士たちの対局は「頭脳の殴り合い」のように思えた。オファーを受けた森監督は29歳で、ちょうど村山が亡くなった年齢だった。『ひゃくはち』で念願の監督デビューを果たしたばかりだった森監督には、名人を目指して遮二無二生きた村山がその夢を叶える一歩手前で病魔に倒れたことがあまりにも痛切に感じられた。将棋会館がある千駄ヶ谷に引っ越して将棋道場に通い始めるほど、本作の映画化に情熱を注ぐ森監督だったが、将棋という地味な印象を与える題材ゆえに製作は難航。クランクインするまでに7年の歳月が流れ、その途中で宇宙飛行士になる夢に突き進む兄弟を主人公にした『宇宙兄弟』(12)を監督する。だが、7年の歳月は無駄ではなかった。外見を近づけることで演じるキャラクターの内面まで自分のものにする松山ケンイチが『聖の青春』の映画化を聞きつけて、出演を逆オファーしてきた。松山ケンイチはちょうど29歳だった。
satoshinoseishun002
7冠を制した羽生善生(東出昌大)と竜王戦で激突。「東の羽生、西の村山」と呼ばれた2人の対局は大いに注目された。
 李相日監督の力作『怒り』の撮影中は体を絞っていた松山だったが、『聖の青春』のクランクインまでの2カ月間で体重を18キロ増量し、村山のぽっちゃり体型へと肉体改造した。森監督がストップを掛けるまで、松山は増量を続けた。『三月のライオン』を愛読し、棋士たちと交流があった東出昌大も出演を希望し、演じることは容易ではない羽生役を引き受けた。東出は羽生の細かいクセや表情をコピーし、羽生本人から愛用していたメガネを譲られるなど、徹底した役づくりに打ち込んだ。本人たちに成り切った松山と東出が、村山vs羽生の死闘をカメラの前で再現してみせる。  映画の中盤、竜王戦という大一番を終えた村山は羽生を誘って近くの大衆食堂に入る。酒を交わし合いながらの、お互いのこれまでの棋士人生についての感想戦だった。普段はクールな羽生が好敵手・村山に心を開くこのシーンが何とも味わい深い。棋盤を海に例える羽生は「あまりに深くまで潜ると、戻ってこれなくなりそうで怖くなる。でも、村山さんとならどこまでも潜っていけそうだ」と語る。天才にしか見えない光景がある。村山は大天才・羽生にその光景を一緒に見ようと誘われたのだ。棋士として、こんなにうれしい言葉があるだろうか。村山にとって、大衆食堂で呑んだこの日の酒は人生最高の味だったに違いない。
satoshinoseishun003
対局に敗れた後の村山は体調を崩すことが多かった。師匠の森信雄(リリー・フランキー)や弟弟子の江川(染谷将太)が看病した。
 クライマックスは村山と羽生との最期の対局となったNHK杯決勝の様子を克明に再現してみせる。このシーンを撮影するにあたって、森監督は松山と東出に実際の対局で行なわれた棋符を一手一手すべて正確に暗記するように伝え、2時間30分にわたってカメラを一度も止めることなく長回しで撮り切った。実際の映像は編集されているものの、それでも2人の闘いの緊迫感がスクリーンから伝わってくる。森監督が「村山聖が降りてきたかと思った」と振り返るほど、撮影現場は異様な空気に包まれたという。  もうひとつ、印象に残るシーンがある。村山は無類の少女漫画好きで知られていたが、劇中では行きつけの古本屋で『イタズラなKiss』の最新刊を探すシーンが盛り込まれている。将棋の順位戦、そして病気とも闘い続けていた村山にとっては心のサプリメント『イタキス』と同じくらい、古本屋に勤めている女の子(新木優子)は気になる存在だった。何でもない会話を交わすだけで、学園生活を満足に送ることができなかった村山はドキドキしてしまう。これは原作にはなく、映画での創作エピソードだ。森監督は生前の村山を知る関係者を詳細に取材した上で、「孤独に死と向き合っていた村山には、誰にも見せなかった顔があったはず」という想いから、恋愛と呼ぶには淡すぎるこのエピソードを加えている。壮絶な闘いの日々を送る村山が垣間見せた純朴な一面が、とても愛おしく感じられる。“伝説の男”として語り継がれる村山聖とは異なる、ひとりの生身の男・村山聖がスクリーン上には確かにいた。 (文=長野辰次)
satoshinoseishun004
『聖の青春』 原作/大崎善生 脚本/向井康介 監督/森義隆  出演/松山ケンイチ、東出昌大、染谷将太、安田顕、柄本時生、鶴見辰吾、北見敏之、筒井道隆、竹下景子、リリー・フランキー 配給:KADOKAWA 11月19日(土)より丸の内ピカデリーほか全国ロードショー (c)2016「聖の青春」製作委員会 http://satoshi-movie.jp

pandoracoversss
『パンドラ映画館』電子書籍発売中! 日刊サイゾーの人気連載『パンドラ映画館』が電子書籍になりました。 詳細はこちらから!

「絶対ヒットさせろ!」キムタク映画関係者にジャニーズ事務所が厳命も、現場の反応は……

kimuratakuya1110.jpg
 いまやSMAP解散の元凶扱いされている木村拓哉が、大ピンチだ。  来年4月に主演映画『無限の住人』が公開されるが、宣伝担当者は「この1年で状況が変わりすぎた」と、大コケも覚悟しているというのだ。  同作の製作が決まったのは、今年1月に解散騒動が勃発する、はるか以前。当時は主演が“平成の視聴率男”キムタク、敵方に福士蒼汰、市川海老蔵ら豪華キャストを並べたことで、配給元も「大ヒットは確実。興行収入100億円を狙う!」と、息巻いていたというが……。 「9割方撮影が終わった1月に、SMAPの解散騒動が勃発。現場はピリピリムードで、重要な戦略会議は立て続けになくなった」(映画関係者)  一連の騒動では、木村が土壇場でジャニーズ事務所残留を決めたことで、グループが空中分解。SMAPは、解散という最悪の結末を迎えることになってしまった。  結果、裏切り者扱いされた木村の人気は急降下。 「これでは、当初の興収100億円なんて夢のまた夢。宣伝担当はどうやって挽回するか、頭を悩ませていますよ」(同)  不吉なデータもある。キムタク同様、“視聴率男”といわれた俳優・福山雅治が主演した映画『SCOOP!』が大コケしたのだ。  女優・吹石一恵と結婚後初の主演作として注目度は高かったが、ファンはシビアなもので、興収は10億円に届くかどうかのレベルだという。 「同時期に公開されたアニメ映画『君の名は。』に持っていかれた部分ありますが、それでも福山さんを起用してこの数字は低すぎ。関係者も、結婚の影響がここまであるとは思わなかったはずです」(スポーツ紙記者)  芸能界は人気商売。それは、キムタクや福山という頂点を極めた俳優も例外ではない。前出映画関係者は「福山さんの映画が大コケしたのを見て、『無限の住人』の製作サイドは、すでに泣きを入れているそうです。ジャニーズ事務所からは『絶対にヒットさせなさい!』とハッパをかけられていますが、全員が『誰のせいだと思ってんだ!』と、内心不満を爆発させているそうです(笑)」と明かす。  大コケすれば、ジャニーズ事務所に詰められるのは宣伝担当。公開前から、胃の痛い日々が続きそうだ。

「絶対ヒットさせろ!」キムタク映画関係者にジャニーズ事務所が厳命も、現場の反応は……

kimuratakuya1110.jpg
 いまやSMAP解散の元凶扱いされている木村拓哉が、大ピンチだ。  来年4月に主演映画『無限の住人』が公開されるが、宣伝担当者は「この1年で状況が変わりすぎた」と、大コケも覚悟しているというのだ。  同作の製作が決まったのは、今年1月に解散騒動が勃発する、はるか以前。当時は主演が“平成の視聴率男”キムタク、敵方に福士蒼汰、市川海老蔵ら豪華キャストを並べたことで、配給元も「大ヒットは確実。興行収入100億円を狙う!」と、息巻いていたというが……。 「9割方撮影が終わった1月に、SMAPの解散騒動が勃発。現場はピリピリムードで、重要な戦略会議は立て続けになくなった」(映画関係者)  一連の騒動では、木村が土壇場でジャニーズ事務所残留を決めたことで、グループが空中分解。SMAPは、解散という最悪の結末を迎えることになってしまった。  結果、裏切り者扱いされた木村の人気は急降下。 「これでは、当初の興収100億円なんて夢のまた夢。宣伝担当はどうやって挽回するか、頭を悩ませていますよ」(同)  不吉なデータもある。キムタク同様、“視聴率男”といわれた俳優・福山雅治が主演した映画『SCOOP!』が大コケしたのだ。  女優・吹石一恵と結婚後初の主演作として注目度は高かったが、ファンはシビアなもので、興収は10億円に届くかどうかのレベルだという。 「同時期に公開されたアニメ映画『君の名は。』に持っていかれた部分ありますが、それでも福山さんを起用してこの数字は低すぎ。関係者も、結婚の影響がここまであるとは思わなかったはずです」(スポーツ紙記者)  芸能界は人気商売。それは、キムタクや福山という頂点を極めた俳優も例外ではない。前出映画関係者は「福山さんの映画が大コケしたのを見て、『無限の住人』の製作サイドは、すでに泣きを入れているそうです。ジャニーズ事務所からは『絶対にヒットさせなさい!』とハッパをかけられていますが、全員が『誰のせいだと思ってんだ!』と、内心不満を爆発させているそうです(笑)」と明かす。  大コケすれば、ジャニーズ事務所に詰められるのは宣伝担当。公開前から、胃の痛い日々が続きそうだ。