今夏に公開された新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』が、12月2日に中国でも公開され、日本でのヒット作という前評判も手伝って公開初日にアニメ映画としては歴代2位の224万人を動員する大ヒット。その翌日の興行収入で早くも24億円に達し、公開2週間で日本アニメの同国での最高益87億円を記録した『STAND BY ME ドラえもん』を超える90億円を突破した。 しかし、映画関係者からは「おそらく、どれほど収益を上げようと、日本に入ってくる利益はわずか2,000万元(約3億3,000万円)だといわれている」という話が出ている。興行収入と比べて、あまりに少ない額なのはなぜか? 「中国の映画輸入システムは、諸外国にとってかなり不利なんです。中国で放映される海外作品は主に、あらかじめ分配率を定めるロイヤリティ方式と、一定額で買い取ってしまう2種類があるんですが、それぞれに年間の本数制限が設けられて、ロイヤリティを選びたくても枠が埋まっていて仕方なく買い取りを選ぶケースもあります。映画の場合、ヒットするかどうか不透明な部分もあるので高値が付きにくいんですが、聞いたところ『君の名は。』は買い取り式で、中国映画製作大手の光線伝媒が権利を獲得して、中国でどんなにヒットしても日本サイドに大金が落ちてこないそうです」(同) 政府がクールジャパンで海外にコンテンツを売り出すことをぶち上げているが、自国にまっとうな利益が落ちる仕組み作りには着手できていないようだ。 「しょせん、海外戦略なんていってもその程度。アメリカのディズニーみたいにバカ高い著作料を取るようなビジネスができていないのは、特に中国のような特殊な国だと民間企業ではどうにもならない部分が多く、それこそ政府に助けてほしいんですよ」(同) そもそも中国では、当局の情報統制が強いことから興行関係には制約が多く、日本企業が自力で現地商売をするのは、ほぼ不可能。プロレスや格闘技の大会、音楽コンサートの分野でも、開催直前に役人の茶々が入って中止に追い込まれたことが何度もある。ただ、そもそも日本側が海外相手の商売を不得手とする部分も大きい。「そこは昭和の時代から変わっていない」と話すのは、古いアニメ制作会社の経営者だ。 「その昔、鉄腕アトムがアメリカで『アストロボーイ』として放映されたとき、原作者の手塚治虫には1円も報酬が入ってこなかったということがありました。これは、アメリカの権利会社から『アメリカの法律で一部の表現が問題視され契約違反だ』という難癖がつき、屈したから。このあたりのいきさつは当時、アトムのシナリオライターだった豊田有恒さんが自著にも詳しく書き残していますよ」(同) アトムの海外ヒットは結果的に手塚治虫の名を世界中に知らしめ、現在の日本アニメの世界的人気となる礎を築いたとはいえるのだが、「もともと外交下手な日本の政府も、この部分には特に無関心」と経営者。 実際、著作権を中心とした知的財産を売るコンテンツビジネスは、日本が苦手といわれてきた分野でもある。日本のアニメやマンガを海外に売り込む際、その権利を行使するノウハウがアメリカなどに比べてもかなり弱く、正当な利益を還元できていないというケースはいくらでもある。 「日本人は、良いものを作れば、あとは勝手に売れてくれる、というビジネス交渉に無頓着な職人気質があって、そのノウハウを成熟させてこなかったんですよね。いろいろなジャンルで先進国とは思えないパクリが横行していても、コンテンツを売る側に専門知識がなく、やられ損になることが多いのは、権利の管理が下手だからでしょう」(同) 著作権の認識が発達していなかった60年前ならともかく、この現在でもお人好しな商売のおかげで製作費を下回る金額でコンテンツを手離し、他人にばかり儲けさせているのは傍目にももどかしく、ただでさえ苦しいアニメ制作現場をより疲弊させることにもつながる。この点はまったく「クール」ではない話ではないか。 (文=藤堂香貴/NEWSIDER Tokyo)『君の名は。』公式サイトより
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『君の名は。』中国で90億円突破も、実入りは3億円だけ……“クールジャパン”の課題とは
今夏に公開された新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』が、12月2日に中国でも公開され、日本でのヒット作という前評判も手伝って公開初日にアニメ映画としては歴代2位の224万人を動員する大ヒット。その翌日の興行収入で早くも24億円に達し、公開2週間で日本アニメの同国での最高益87億円を記録した『STAND BY ME ドラえもん』を超える90億円を突破した。 しかし、映画関係者からは「おそらく、どれほど収益を上げようと、日本に入ってくる利益はわずか2,000万元(約3億3,000万円)だといわれている」という話が出ている。興行収入と比べて、あまりに少ない額なのはなぜか? 「中国の映画輸入システムは、諸外国にとってかなり不利なんです。中国で放映される海外作品は主に、あらかじめ分配率を定めるロイヤリティ方式と、一定額で買い取ってしまう2種類があるんですが、それぞれに年間の本数制限が設けられて、ロイヤリティを選びたくても枠が埋まっていて仕方なく買い取りを選ぶケースもあります。映画の場合、ヒットするかどうか不透明な部分もあるので高値が付きにくいんですが、聞いたところ『君の名は。』は買い取り式で、中国映画製作大手の光線伝媒が権利を獲得して、中国でどんなにヒットしても日本サイドに大金が落ちてこないそうです」(同) 政府がクールジャパンで海外にコンテンツを売り出すことをぶち上げているが、自国にまっとうな利益が落ちる仕組み作りには着手できていないようだ。 「しょせん、海外戦略なんていってもその程度。アメリカのディズニーみたいにバカ高い著作料を取るようなビジネスができていないのは、特に中国のような特殊な国だと民間企業ではどうにもならない部分が多く、それこそ政府に助けてほしいんですよ」(同) そもそも中国では、当局の情報統制が強いことから興行関係には制約が多く、日本企業が自力で現地商売をするのは、ほぼ不可能。プロレスや格闘技の大会、音楽コンサートの分野でも、開催直前に役人の茶々が入って中止に追い込まれたことが何度もある。ただ、そもそも日本側が海外相手の商売を不得手とする部分も大きい。「そこは昭和の時代から変わっていない」と話すのは、古いアニメ制作会社の経営者だ。 「その昔、鉄腕アトムがアメリカで『アストロボーイ』として放映されたとき、原作者の手塚治虫には1円も報酬が入ってこなかったということがありました。これは、アメリカの権利会社から『アメリカの法律で一部の表現が問題視され契約違反だ』という難癖がつき、屈したから。このあたりのいきさつは当時、アトムのシナリオライターだった豊田有恒さんが自著にも詳しく書き残していますよ」(同) アトムの海外ヒットは結果的に手塚治虫の名を世界中に知らしめ、現在の日本アニメの世界的人気となる礎を築いたとはいえるのだが、「もともと外交下手な日本の政府も、この部分には特に無関心」と経営者。 実際、著作権を中心とした知的財産を売るコンテンツビジネスは、日本が苦手といわれてきた分野でもある。日本のアニメやマンガを海外に売り込む際、その権利を行使するノウハウがアメリカなどに比べてもかなり弱く、正当な利益を還元できていないというケースはいくらでもある。 「日本人は、良いものを作れば、あとは勝手に売れてくれる、というビジネス交渉に無頓着な職人気質があって、そのノウハウを成熟させてこなかったんですよね。いろいろなジャンルで先進国とは思えないパクリが横行していても、コンテンツを売る側に専門知識がなく、やられ損になることが多いのは、権利の管理が下手だからでしょう」(同) 著作権の認識が発達していなかった60年前ならともかく、この現在でもお人好しな商売のおかげで製作費を下回る金額でコンテンツを手離し、他人にばかり儲けさせているのは傍目にももどかしく、ただでさえ苦しいアニメ制作現場をより疲弊させることにもつながる。この点はまったく「クール」ではない話ではないか。 (文=藤堂香貴/NEWSIDER Tokyo)『君の名は。』公式サイトより
ロボトミー手術、地雷撤去の強制……世界残酷史『ニーゼと光のアトリエ』『ヒトラーの忘れもの』
人類に大きな貢献を果たした人々に贈られるノーベル賞だが、過去には化学兵器を開発したフリッツ・ハーバーにノーベル化学賞が与えられるなど、かなりおかしな選考もしている。神経科医のエガス・モニスは精神疾患を根本的に治す“ロボトミー手術”を考案し、ノーベル生理学・医学賞を1949年に受賞している。ロボトミー手術は患者の前頭葉部分を切除することで、激昂しやすい患者の性格を穏やかにするというもの。当時は画期的な発明として賞讃されたが、手術後に廃人化してしまう患者も少なくなく、1970年代になってロボトミー手術は行なわれなくなった。ブラジル映画『ニーゼと光のアトリエ』はロボトミー手術が最新の医療だと信じられていた1940年代の精神病院を舞台に、実在の精神科医ニーゼ・ダ・シルヴェイラを主人公にした実録映画だ。 1943年のリオデジャネイロ。女医のニーゼ(グロリア・ピエス)はかつて勤めていた精神病院に復職するが、監獄のような鉄格子で覆われた病棟内の現状に驚きを隠せない。病院側や家族の介護の負担が減るという理由から、精神疾患を抱えた患者へのロボトミー手術が行なわれており、しかも患者の眼孔からアイスピックを突き刺し、前頭葉部分を手探りで切断するという簡易な方法が奨励されていた。当時の精神病院では電気ショック療法も行なわれていた。ベッドに患者を縛り付け、患者が泡を吹いて意識を失うまで電圧は上げられた。患者たちをモルモットのように扱うそれらの医療法は、ニーゼには受け入れがたいものだった。 女医に対する偏見が強い病院内で、ニーゼは与えられた病室を鍵の掛からない出入り自由なアトリエとして開放し、患者たちに思い思いに絵を描かせることを始める。またニーゼは患者のことをクライアントと呼び、病院の中庭で犬を飼い、その世話を患者たちに任せる。「精神は身体と同じように自然治癒力を持ち、本来の形に戻ろうとする」というユング理論に従ったものだった。ニーゼの根気づよい指導によって、患者たちは次第に心を開くようになり、彼らの描いた色彩豊かな絵画は、美術界で評判を集める。だが病院の主流派医師たちは、ニーゼが取り組む芸術療法や動物セラピーといった穏やかな医療スタイルを頑なに認めようとしない。衛生上の問題を口実に、患者たちがかわいがっていた犬たちを殺処分してしまう。明るさを取り戻しつつあった患者たちの怒りが病院内でついに爆発する―。ブラジルの精神病院を舞台にした『ニーゼと光のアトリエ』。速効性のあるロボトミー手術に対し、女医ニーゼは穏やかな芸術療法を取り入れる。
デンマークとドイツの合作映画『ヒトラーの忘れもの』も知られざる歴史の暗部を暴いた作品だ。第二次世界大戦中、ドイツによって占領されていたデンマークには連合軍の上陸を防ぐために200万個もの地雷が海岸線に埋められていた。ドイツの全面降伏によってデンマークは5年ぶりに解放されたが、海岸線の地雷はそのままの状態。この地雷群の撤去を命じられたのは、デンマークに取り残されていたドイツの捕虜兵たちで、その大半は15歳から18歳までの少年兵だった。ナチスドイツが残した負の財産を処理するなかで、少年兵たちは手足を、そして命を次々と落としていくことになる。 デンマーク軍のカール軍曹(ローラン・ムラ)が監視する中、双子のレスナー兄弟(エーミール&オスカー・ベルトン)ら11名のドイツ少年兵たちが砂浜に埋まった地雷群の撤去に従事する。あどけない顔の少年兵たちは「母国が犯した戦争犯罪を自分たちが償なわなくては」と地雷撤去の経験もないまま、手探りでの作業に当たる。カール軍曹から「地雷撤去さえ済めば、帰国できる」と言われた少年兵たちだったが、彼らが置かれている状況は最悪だった。デンマーク兵だけでなく民間人もドイツ兵のことを憎み、食料をろくに与えない。1日の作業が終わると逃げ出さないように、狭い粗末な小屋の中に鍵を掛けて閉じ込める。お腹をすかせ、体調を崩しても休ませてもらえず、少年兵たちはひとり、またひとりと地雷を誤って爆発させてしまう。ドイツ人を憎んでいたカール軍曹だが、少年兵たちのあまりに悲惨な状況を見かねて、こっそり食べ物を調達する。だが、このことからカール軍曹はデンマーク軍の上官に睨まれ、少年兵たちはより苛酷な運命に追い込まれてしまう。 『ヒトラーの忘れもの』を手掛けたのは、戦後日本の裏社会を描いたジャレット・レト主演のヤクザ映画『The Outsider』を撮影中のデンマーク出身のマーチン・サントフリート監督。「戦争において自分たちがいかに正しかったか、どれほど人々の助けになったかという話はよく聞くけれど、どの国の歴史にも暗黒面はある。地雷を埋めたのはドイツ人であり、ドイツ人が撤去すべきだとは思うが、だからといって地雷撤去の経験のない少年たちにやらせるべきだったのかは大きな疑問だ。この出来事に関する歴史資料はほとんどなく、墓地や病院を訪ね、また民間の歴史研究家たちから話を聞いて回った。70年前の戦争の物語だが、人間は戦時中と戦後でどんな態度をとるのか、また怪物を倒すために自分も怪物になってしまうことに警鐘を鳴らしたものなんだ」と語っている。終戦直後のデンマークを舞台にした『ヒトラーの忘れもの』。地雷撤去にドイツの少年兵が駆り出された実話をベースにしたものだ。
ブラジルの精神病院を舞台にした『ニーゼと光のアトリエ』とデンマークでの地雷撤去を題材にした『ヒトラーの忘れもの』は描かれている世界はまったく異なるが、主人公たちは似たような状況に追い詰められる。女医ニーゼはロボトミー手術を推し進める病院側との軋轢を招き、カール軍曹は少年兵たちと交わした「地雷撤去が済めば、家に戻れる」という約束を守ろうとし、デンマーク軍内で白眼視されることになる。自分が所属する組織からの命令に背けば、組織内での自分の居場所を失ってしまいかねない。厳しい選択を主人公たちは強いられることになる。 時代が変われば、社会的倫理観も大きく変わり、そのときは正しいと思われた判断も、後から責任を問われる可能性が生じる。砂丘のように刻々と形を変えていく大きな時流の中で、我々は少年兵たちと同じように手探りで少しずつ前に進むことしかできない。人間は過ちを犯すものであり、そんな人間たちが集団で犯した大きな過ちに、個人としてどう向き合うかを両作品は問い掛けてくる。 (文=長野辰次)地雷撤去に従事する少年兵たち。ドイツ兵捕虜2600人が強制労働させられ、その半数が地雷の犠牲となった。
『ニーゼと光のアトリエ』 監督・脚本/ホベルト・ベリネール 出演/グロリア・ピレス、シモーネ・マゼール、ジュリオ・アドリアォン、クラウジオ・ジャボランジー、ファブリシオ・ボリヴェイラ、ホネイ・ヴィレラ 配給/ココロヲ・動かす・映画社 12月17日(土)渋谷ユーロスペースほか全国順次公開 (c)TvZero http://maru-movie.com/nise.html
『ヒトラーの忘れもの』 脚本・監督/マーチン・サントフリート 出演/ローラン・ムラ、ミゲル・ボー・フルスゴー、ルイス・ホフマン、ジョエル・バズマン、エーミール・ベルトン、オスカー・ベルトン 配給/キノフィルムズ 12月17日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー (c)2015 NORDISK FILM PRODUCTION A/S & AMUSEMENT PARK FILM GMBH & ZDF http://hitler-wasuremono.jp
『パンドラ映画館』電子書籍発売中! 日刊サイゾーの人気連載『パンドラ映画館』が電子書籍になりました。 詳細はこちらから!
ロボトミー手術、地雷撤去の強制……世界残酷史『ニーゼと光のアトリエ』『ヒトラーの忘れもの』
人類に大きな貢献を果たした人々に贈られるノーベル賞だが、過去には化学兵器を開発したフリッツ・ハーバーにノーベル化学賞が与えられるなど、かなりおかしな選考もしている。神経科医のエガス・モニスは精神疾患を根本的に治す“ロボトミー手術”を考案し、ノーベル生理学・医学賞を1949年に受賞している。ロボトミー手術は患者の前頭葉部分を切除することで、激昂しやすい患者の性格を穏やかにするというもの。当時は画期的な発明として賞讃されたが、手術後に廃人化してしまう患者も少なくなく、1970年代になってロボトミー手術は行なわれなくなった。ブラジル映画『ニーゼと光のアトリエ』はロボトミー手術が最新の医療だと信じられていた1940年代の精神病院を舞台に、実在の精神科医ニーゼ・ダ・シルヴェイラを主人公にした実録映画だ。 1943年のリオデジャネイロ。女医のニーゼ(グロリア・ピエス)はかつて勤めていた精神病院に復職するが、監獄のような鉄格子で覆われた病棟内の現状に驚きを隠せない。病院側や家族の介護の負担が減るという理由から、精神疾患を抱えた患者へのロボトミー手術が行なわれており、しかも患者の眼孔からアイスピックを突き刺し、前頭葉部分を手探りで切断するという簡易な方法が奨励されていた。当時の精神病院では電気ショック療法も行なわれていた。ベッドに患者を縛り付け、患者が泡を吹いて意識を失うまで電圧は上げられた。患者たちをモルモットのように扱うそれらの医療法は、ニーゼには受け入れがたいものだった。 女医に対する偏見が強い病院内で、ニーゼは与えられた病室を鍵の掛からない出入り自由なアトリエとして開放し、患者たちに思い思いに絵を描かせることを始める。またニーゼは患者のことをクライアントと呼び、病院の中庭で犬を飼い、その世話を患者たちに任せる。「精神は身体と同じように自然治癒力を持ち、本来の形に戻ろうとする」というユング理論に従ったものだった。ニーゼの根気づよい指導によって、患者たちは次第に心を開くようになり、彼らの描いた色彩豊かな絵画は、美術界で評判を集める。だが病院の主流派医師たちは、ニーゼが取り組む芸術療法や動物セラピーといった穏やかな医療スタイルを頑なに認めようとしない。衛生上の問題を口実に、患者たちがかわいがっていた犬たちを殺処分してしまう。明るさを取り戻しつつあった患者たちの怒りが病院内でついに爆発する―。ブラジルの精神病院を舞台にした『ニーゼと光のアトリエ』。速効性のあるロボトミー手術に対し、女医ニーゼは穏やかな芸術療法を取り入れる。
デンマークとドイツの合作映画『ヒトラーの忘れもの』も知られざる歴史の暗部を暴いた作品だ。第二次世界大戦中、ドイツによって占領されていたデンマークには連合軍の上陸を防ぐために200万個もの地雷が海岸線に埋められていた。ドイツの全面降伏によってデンマークは5年ぶりに解放されたが、海岸線の地雷はそのままの状態。この地雷群の撤去を命じられたのは、デンマークに取り残されていたドイツの捕虜兵たちで、その大半は15歳から18歳までの少年兵だった。ナチスドイツが残した負の財産を処理するなかで、少年兵たちは手足を、そして命を次々と落としていくことになる。 デンマーク軍のカール軍曹(ローラン・ムラ)が監視する中、双子のレスナー兄弟(エーミール&オスカー・ベルトン)ら11名のドイツ少年兵たちが砂浜に埋まった地雷群の撤去に従事する。あどけない顔の少年兵たちは「母国が犯した戦争犯罪を自分たちが償なわなくては」と地雷撤去の経験もないまま、手探りでの作業に当たる。カール軍曹から「地雷撤去さえ済めば、帰国できる」と言われた少年兵たちだったが、彼らが置かれている状況は最悪だった。デンマーク兵だけでなく民間人もドイツ兵のことを憎み、食料をろくに与えない。1日の作業が終わると逃げ出さないように、狭い粗末な小屋の中に鍵を掛けて閉じ込める。お腹をすかせ、体調を崩しても休ませてもらえず、少年兵たちはひとり、またひとりと地雷を誤って爆発させてしまう。ドイツ人を憎んでいたカール軍曹だが、少年兵たちのあまりに悲惨な状況を見かねて、こっそり食べ物を調達する。だが、このことからカール軍曹はデンマーク軍の上官に睨まれ、少年兵たちはより苛酷な運命に追い込まれてしまう。 『ヒトラーの忘れもの』を手掛けたのは、戦後日本の裏社会を描いたジャレット・レト主演のヤクザ映画『The Outsider』を撮影中のデンマーク出身のマーチン・サントフリート監督。「戦争において自分たちがいかに正しかったか、どれほど人々の助けになったかという話はよく聞くけれど、どの国の歴史にも暗黒面はある。地雷を埋めたのはドイツ人であり、ドイツ人が撤去すべきだとは思うが、だからといって地雷撤去の経験のない少年たちにやらせるべきだったのかは大きな疑問だ。この出来事に関する歴史資料はほとんどなく、墓地や病院を訪ね、また民間の歴史研究家たちから話を聞いて回った。70年前の戦争の物語だが、人間は戦時中と戦後でどんな態度をとるのか、また怪物を倒すために自分も怪物になってしまうことに警鐘を鳴らしたものなんだ」と語っている。終戦直後のデンマークを舞台にした『ヒトラーの忘れもの』。地雷撤去にドイツの少年兵が駆り出された実話をベースにしたものだ。
ブラジルの精神病院を舞台にした『ニーゼと光のアトリエ』とデンマークでの地雷撤去を題材にした『ヒトラーの忘れもの』は描かれている世界はまったく異なるが、主人公たちは似たような状況に追い詰められる。女医ニーゼはロボトミー手術を推し進める病院側との軋轢を招き、カール軍曹は少年兵たちと交わした「地雷撤去が済めば、家に戻れる」という約束を守ろうとし、デンマーク軍内で白眼視されることになる。自分が所属する組織からの命令に背けば、組織内での自分の居場所を失ってしまいかねない。厳しい選択を主人公たちは強いられることになる。 時代が変われば、社会的倫理観も大きく変わり、そのときは正しいと思われた判断も、後から責任を問われる可能性が生じる。砂丘のように刻々と形を変えていく大きな時流の中で、我々は少年兵たちと同じように手探りで少しずつ前に進むことしかできない。人間は過ちを犯すものであり、そんな人間たちが集団で犯した大きな過ちに、個人としてどう向き合うかを両作品は問い掛けてくる。 (文=長野辰次)地雷撤去に従事する少年兵たち。ドイツ兵捕虜2600人が強制労働させられ、その半数が地雷の犠牲となった。
『ニーゼと光のアトリエ』 監督・脚本/ホベルト・ベリネール 出演/グロリア・ピレス、シモーネ・マゼール、ジュリオ・アドリアォン、クラウジオ・ジャボランジー、ファブリシオ・ボリヴェイラ、ホネイ・ヴィレラ 配給/ココロヲ・動かす・映画社 12月17日(土)渋谷ユーロスペースほか全国順次公開 (c)TvZero http://maru-movie.com/nise.html
『ヒトラーの忘れもの』 脚本・監督/マーチン・サントフリート 出演/ローラン・ムラ、ミゲル・ボー・フルスゴー、ルイス・ホフマン、ジョエル・バズマン、エーミール・ベルトン、オスカー・ベルトン 配給/キノフィルムズ 12月17日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー (c)2015 NORDISK FILM PRODUCTION A/S & AMUSEMENT PARK FILM GMBH & ZDF http://hitler-wasuremono.jp
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“理想の夫婦”を演じたエリートカップルの惨劇!! 共依存による殺人事件『ひかりをあててしぼる』
事件は2006年12月12日に起きた。新宿、渋谷でバラバラに切断された男性の遺体が発見され、中国系マフィアの仕業ではないかと噂された。やがて、バラバラ死体は外資系投資会社に勤める30歳のエリートサラリーマンであることが判明し、翌年1月になって代々木公園近くのデザイナーズマンションで暮らしていた被害者の妻・三橋歌織(事件当時32歳)が逮捕される。凶器はワインボトルで、就寝中の夫の頭部を何度も殴りつけ、ノコギリによってバラバラにしている。逮捕直後は夫のDVに苦しめられていた美人妻の逆襲として騒がれたが、事件の真相はそう簡単なものではなかった。ブランド品を愛する虚言癖のある女とギャンブル好きで虚栄心の強い男というある意味よく似た、でも出会ってはいけない男女間に起きた惨劇だった。映画『ひかりをあててしぼる』はこのミステリアスな事件をモチーフに、夫婦間の闇にスポットライトを当てた密室ドラマとなっている。 浩平(忍成修吾)と智美(派谷恵美)は合コンの席で出会った。社長令嬢で、お嬢さま大学を出ている智美は人目を惹く華やかさがあった。ひと目惚れした浩平は智美が暮らすマンションに転がり込み、やがて2人は結婚することに。周囲は美男美女のカップルとして祝福する。だが、弁護士事務所に勤める浩平は弁護士ではなく司法浪人の身。智美は浩平の子どもを身籠るも、浩平の収入が少ないこと、自分の自由がなくなることから一方的に堕胎してしまう。 ブランド好きな智美がイメージする“理想の夫”になろうと、浩平は外資系の有名企業に転職。念願叶って年収1000万円以上の高給取りとなるが、そのころから浩平は暴力を智美に振るうようになっていく。専業主婦となった智美はカードで高額な買い物を続け、浩平には浮気相手がいた。2人は完全な“仮面夫婦”だった。浩平のDVは次第に激しくなっていくが、智美はマンションから逃げ出そうとしない。これ以上、智美を殴り続ければ殺してしまいかねない。恐ろしくなった浩平は「離婚してほしい」と懇願するが、智美は離婚届にサインすることを頑なに拒む。ある晩、智美はワインボトルを手に、ついに一線を越えてしまう──。渋谷エリートバラバラ殺人事件を題材にした『ひかりをあててしぼる』。都心の高級マンションで暮らす夫婦の間に何が起きたのか?
理想の夫になろうと努力して転職するも、ストレスから妻への暴力が止まらなくなる浩平に『リリィ・シュシュのすべて』(01)や『ヘヴンズ ストーリー』(10)といったシリアスドラマに出演してきた二枚目俳優の忍成修吾。DVに遭いながらも高級マンションで暮らすセレブ妻という立場を手放そうとしない智美に、『非・バランス』(00)で主演デビューし、中島哲也監督の『渇き。』(14)でオダギリジョーの妻役を好演した派谷恵美。この2人をキャスティングし、実在の事件をモチーフにした本作を撮った坂牧良太監督に製作の発端について聞いた。 坂牧「2011年に舞台版『ひかりをあててしぼる』を上演したんです。そのときは飯田橋にあるビルの6階でのアトリエ公演だったんですが、高速道路などの夜景が見渡せるロケーションだったことから、この景観を活かせる舞台ができないかと考えたんです。それで思いついたのがデザイナーズマンションの一室で起きたあの事件でした。2010年には判決が出ていたこともあり、事件に関する資料はかなり調べたんですが、そこで気になったのは加害者だった妻が『暗くしか見えなかった代々木公園の景色が、(事件直後の)その朝はとても美しく見えた』と証言していたことでした。事件を起こしていながら、なぜ窓からの景色が美しく感じられたのか? いくら頭で考えても分からない。それで舞台、そして映画にすることで、自分なりに突き止めてみたくなったんです」 世界各国で大ヒットしたデヴィッド・フィンチャー監督の『ゴーン・ガール』(14)も本作と同じように、世間からは“理想の夫婦”と思われていたセレブカップルのそれぞれの仮面が次々と剥がされていく家庭内サスペンスだった。一緒に暮らしている夫婦の間には深い溝が横たわっている。実際のバラバラ殺人事件では、加害者の歌織は新潟の実家から毎月30万円の仕送りをもらいながら白百合女子大学に通う一方、性風俗店でアルバイトし、ブランド品で着飾っていた。大学卒業後は丸紅のOLと周囲に吹聴していたが、丸紅には短期間派遣されただけだった。歌織に出会うまでは友人宅を転々としていた夫は学生時代からギャンブルにハマり、借金があることを隠して歌織と交際を始めた。お互いに美しい部分だけを相手にプレゼンしての結婚は、実生活を共にすれば破綻するのは当然だった。だが、意中の相手に自分のプロフィールを盛って見せ、付き合い始めてからも自分の理想像を相手に押し付けてしまう行為は誰もが犯すことだろう。秘密を抱え、理想の生活に固執した歌織が引き起こしたこの事件は、他人事としては済ませられない恐ろしさがある。浩平(忍成修吾)と智美(派谷恵美)は周囲に対し“理想の夫婦”を演じるが、浩平の年収が倍増したことで妻へのDVが始まる。
坂牧「2人は共依存の関係だったとも言われていますが、共依存だと判断するのは僕らであって、本人たちにはその実感はなかったはずです。現代社会はネットであらゆる情報が出回り、視覚から得る情報が圧倒的に多い。でも、あの2人は視覚以外の、触覚や嗅覚など五感で繋がっていたのかもしれません。五感のすべてで繋がってしまうと、錠をガチッと掛けたように離れられなくなってしまうんじゃないでしょうか。高層マンションで、逃げ場がなかったことも影響しているように思います。この作品を撮ったことで、夫婦の謎が分かったか? いえ、全然分かりません。僕は結婚して15年になる妻がいますが、いまだに彼女のことがよく分からない(苦笑)。でも、台詞やキャスティングを考える際に、演劇や映画業界とは無縁の妻からはずいぶんアドバイスをもらいました。相手のことがよく分からない。でも、だからこそ知りたいと思うのかもしれません」 実際の事件をそのまま詳細に再現したものではないものの、2人の運命的な出会いから事件が起きるまでを時間の流れに沿って順撮りで撮影された本作。夫をバラバラにしたラストシーンで、智美役を演じた派谷恵美はうっすらと笑顔を浮かべる。それは共依存から抜け出せた喜びの笑みなのか、それともハードな撮影からもうすぐ解放されるという安堵感がもたらした表情なのか。観客それぞれのフォーカスの絞り方次第で、本作は血まみれのホラー映画にも、似たもの同士の男女の哀しい純愛ドラマにも映るはずだ。 (文=長野辰次)舞台版では佐藤寛子が演じた智美役を、『渇き。』の派谷恵美が演じている。「彼女の醒めた笑顔が決め手だった」と坂牧監督。
『ひかりをあててしぼる』 監督/坂牧良太 脚本/宮崎大祐、坂牧良太 出演/忍成修吾、派谷恵美、桜井ユキ、Erina、江口亜衣子、川連廣明、真田幹也、永山たかし 配給/アルゴ・ピクチャーズ 12月3日より渋谷ユーロスペースにてロードショー上映中 (c)2016 ひかりをあててしぼる製作委員会 http://hikariwo.tokyo
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迷宮入りした怪事件をメソッド演技で解明する!? 芸能界の闇と舞台がリンクする『貌斬り KAOKIRI』
天才漫画家・楳図かずお先生を取材する機会があり、興味深い話を聞いた。子どもの頃に「宇宙の果てはどうなっているの?」「人間は死んだらどうなるの?」という素朴な疑問を周囲の大人に投げ掛けたものの、誰も答えてくれなかったそうだ。それならば、自分が描く漫画の世界で自分自身が科学者や神様となってその答えを導き出してやろう。そう考えた楳図少年が大人になって完成させた作品が『14歳』だった。『14歳』のラスト、楳図先生と我々読者は共に宇宙の果てに辿り着き、生命の神秘に触れることになる。想像力を駆使したフィクションの世界を通して、現実世界の謎に迫る―。『シャブ極道』(96)や『竜二Forever』(02)で知られる細野辰興監督の新作『貌斬り KAOKIRI ~戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より~』を観ながら、あらためてフィクション世界の深遠さに気づかされた。 『シャブ極道』では役所広司がシャブ中毒のヤクザに迫真の演技でなりきり、『竜二Forever』では自分の命と引き換えに主演映画『竜二』(83)を残す俳優・金子正次の太く短い青春を高橋克典が全身全霊で演じてみせた。細野監督は骨太な題材をもとに、俳優たちのポテンシャルをぐいぐいと引き出す名演出家だ。そんな細野監督の『私の叔父さん』(12)以来4年ぶりとなる新作『貌斬り』もまた、タブー知らずの挑発的な作品となっている。日本映画全盛期に二枚目俳優として大活躍した長谷川一夫が松竹から東宝に移籍する際に暴漢に襲われ、カミソリで顔に大きな傷をつけられたスキャンダラスな事件の真相を探るものだ。芸能界の闇を感じさせるこの迷宮化した怪事件を、細野監督はフィクションの力を使って究明しようとする。 『貌斬り』の舞台となるのは、高円寺にある小さな劇場「明石スタジオ」。ここでは舞台『スタニスラフスキー探偵団』の公演が行なわれている。この公演は映画監督(草野康太)や映画プロデューサー(山田キヌヲ)たちが新作映画の脚本の打ち合わせをしている様子を描いたバックステージもの。劇中劇という形で、新しいドラマが生まれる瞬間を追っている。映画監督たちは長谷川一夫の顔斬り事件を題材にした野心作を撮ろうと考えているが、消えない傷を負ったまま芸能活動を続けた長谷川一夫は事件の真相を生涯口にすることがなく、実行犯に襲撃を命じた黒幕の正体は闇に包まれたままだった。真犯人は誰か、犯行の動機は何だったのか? その手掛かりを探すために、映画監督は助監督たちと一緒に会議室でロールプレイを始める。このロールプレイが、思いがけず人間の心の闇を引きずり出してしまう。骨太な作風で知られる細野辰興監督の最新作『貌斬り KAOKIRI』。人気スターの移籍問題の度に騒がれる“芸能界の闇”が描かれる。
会議室に篭った監督たちはロールプレイと称して、顔斬り事件の被害者・実行犯・関係者をそれぞれスタッフがなりきって演じ、事件を様々な角度から再現していく。事件をリアルに再現することで、当事者たちがそのとき心に生じた感情までも甦らせようというものだ。これは演劇用語でスタニスラフスキー・システム、いわゆる“メソッド演技”と呼ばれているもので、アクターズスタジオ出身のマーロン・ブランドやジェームズ・ディーンはこのメソッド演技を取り入れ、名優としての評価を手に入れている。だが、人間の深層心理のダークサイドに触れすぎ、同じくアクターズスタジオ出身のマリリン・モンローやモンゴメリー・クリフトは情緒不安定に陥ったとも言われている。劇中の監督、プロデューサー、助監督たちも長谷川一夫移籍騒ぎをめぐる芸能界の暗部だけでなく、自分たちの心の闇にも向き合わざるをえなくなる。 メソッド演技を活用して、迷宮入りした事件の真相を探ろうというアイデアがユニークだ。この発想はどのようにして生まれたのか、細野監督に尋ねた。 細野「『シャブ極道』を撮り終えて、『売春暴力団』(97)の脚本を書いていたとき、富士の御殿場に車で行った帰りに、『黒澤明の別荘がこのあたりにあるから探してみよう』ということになったんです。しかし、別荘が見つからない。そこでスタニスラフスキー・システムで黒澤明になりきって探してみようという話になり、何と本当に見つかった(笑)。スタニスラフスキー・システムという言葉は知っている。でも、そんなこと大げさに標榜しなくても役者も演出する側も分かっているよという、おちょくり半分、真剣半分から生まれたアイデアが舞台『スタニスラフスキー探偵団』(2010年初演)だった。映画ではいろいろ考え直し、再構成しています。長谷川一夫の顔斬り事件の本質は、非近代性だと僕は思う。ヤクザと映画界ががんじがらめの核となり、芸能の民が生きていた。そういう時代だった。しかし、日本人の意識も変化し、一般人がテレビに出始め、芸能の民がいらなくなってしまった。土地を売って金を得るバブルがダメ押しした。だからこそ、流浪承知で芸能の民として生きていこうとする人たちをこの映画で描いてみたいと思ったんです」『渚のシンドバッド』(95)や『月光の囁き』(99)での好演が印象に残る草野康太が主演。舞台上で映画監督に扮し、ロールプレイを始める。
衣装やメイクによって外見を変えるだけでなく、内面まで他人になってしまう。芸能の民=俳優という職業の特異性がクローズアップされる『貌斬り』。本作の映画監督たちはメソッド演技を用いた“安楽椅子探偵”となるわけだが、マーロン・ブランドやジェームズ・ディーンといったメソッド演技の達人は名探偵にもなりえただろうか? 細野「なるほど……。あの2人なら、なりえたかもしれません。ジェームズ・ディーンは出演作が少なく、資質でやっていたかもしれませんが、マーロン・ブランドはいろんな役をやっているから、なりきるタイプの人な気がする。ダニエル・デイ=ルイスも、なりきるタイプでしょう。役所広司さんもそう。役に入ると、『えっ、彼は役所さん?』となってしまう。予定調和の中だけで芝居をしない人です。役へののめり方が凄かったのは、『竜二Forever』の高橋克典くん。減量から始まり、『竜二』のシーンを再現し、私生活の金子正次も演じなくてはいけなかった。まったく自分と資質の異なる金子正次役に果敢に挑んでみせた。『竜二』の金子正次さんにもそれは言える。世間では金子正次=竜二と語られているけれど、『竜二Forever』の脚本を作るときに金子さんの実家を訪れ、部屋に入ると18歳の写真があり、とてもいい笑顔で写っていた。それを見たとき、金子さんは竜二じゃない、努力して竜二をつかんだなと思ったわけです。そういう点で、今回の『貌斬り』は『竜二Forever』と繋がっていると言えますね」 演技というフィクションの世界を通して、現実世界の暗部にスポットライトを当てる。そこに浮かび上がるのは、非近代的な土壌の芸能の世界からビジネスとしてすべて割り切られる現代社会へと一本の細いロープを綱渡りするひとりのスター俳優の姿だ。背景となる闇が深ければ深いほど、ロープ上のスターは輝きを増していく。非近代から現代へ、フィクションからリアルへ。『貌斬り』で斬り裂かれた顔の傷口から、意外な真実が見え隠れしている。 (文=長野辰次)演出家を演じるのはアクの強い作品に欠かせない木下ほうか。舞台役者たちに「その気になったら、本当に斬りつけてしまえ」と耳打ちする。
『貌斬り KAOKIRI ~戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より~』 プロデューサー・脚本・監督/細野辰興 出演/草野康太、山田キヌヲ、和田光沙、金子鈴幸、向山智成、森谷勇太、森山千有、南久松真奈、日里麻美、嶋崎靖、佐藤みゆき、畑中葉子、木下ほうか 配給/マコトヤ 12月3日(土)より新宿K’s cinema、12月10日(土)より名古屋シネマスコーレ、17年1月14日(土)より福岡・中洲大洋劇場にて公開 (C)2015 Tatsuoki Hosono/Keiko Kusakabe/Tadahito Sugiyama/Office Keel http://kaokiri.makotoyacoltd.jp
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4年ぶりの主演映画が大コケ! 織田裕二の“オワコン”ぶりが露呈してしまった……
今月5日、織田裕二の4年ぶりとなる主演映画『ボクの妻と結婚してください。』が公開された。 初日の公開館数は、大ヒット中のアニメ映画『君の名は。』の296館を上回る313館だったが、関係者はあまりの不入りに頭を抱えてしまっているという。 「末期のすい臓がんで余命6カ月と宣告された主人公のテレビの放送作家が、自分が死んだあとを憂い、妻の再婚相手を探すというストーリー。業界内ではなかなか高評価だったものの、興行通信社が発表する週末の興行成績の動員数をもとにした『国内映画ランキング』では、初週6位。2週目は8位で、3週目でトップ10圏外に陥落してしまった。興行収入は、大規模公開館数なら10億円が及第点だが、現状では5億円に届くかどうかというところ。織田はかなり作品に入れ込み、これまでの作品ならあれこれ口を出したりしたが、今回の作品では製作サイドの意向を受け入れた。プロモーション活動にもかなり気合が入っていたが、配給元の東宝の同規模の公開館数作品ではワーストを争う低調な数字。すっかり織田自身が“オワコン”となったことを露呈してしまった」(映画ライター) 織田といえば、代表作『踊る大捜査線』(フジテレビ系)シリーズがドラマ・映画ともに大ヒット。しかし、その後のドラマ『外交官␣黒田康作』(同)と、映画化2作は、そこまでの大ヒットとはならず。現在は、TBS系ドラマ『IQ246~華麗なる事件簿~』で偏屈な貴族の末裔を熱演。20日放送の第5話まで、毎回2ケタの視聴率をキープしてはいるのだが……。 「『踊る』以降の織田の方針として、役のイメージがつくのを嫌がり、同じ役は引き受けない。『IQ246』は、視聴率次第では映画化する話も浮上しているが、“オワコン”ぶりが明らかになり、崖っぷちの織田なら、方針を転換して同じ役を受けることもありそうだ。いずれにせよ、今後の仕事は、同ドラマが終盤にかけてどこまで数字を伸ばせるかにかかっている」(芸能デスク) 『踊る』の続編をやれば、それなりの数字を叩き出すはずだが、織田の胸中やいかに——。
映画監督の願望と性癖が露呈する新作ロマンポルノ『ジムノペディに乱れる』&『風に濡れた女』
昭和世代には懐かしく、平成生まれには新鮮に感じられる日活ロマンポルノ。1971年~88年に量産された成人向けプログラムピクチャーのブランド名であり、セックス抜きでは語ることができない大人の恋愛事情を赤裸々&しっぽりと描いた名作が少なくない。若手女優・橋本愛が高校卒業後にハマっていたことをカミングアウトするなど、ロマンポルノを彩ってきた女優たちの官能美に魅了される女性ファンも近年増えつつある。そんな時流に乗って、企画されたのが「ロマンポルノ・リブート・プロジェクト」。行定勲、塩田明彦、白石和彌、園子温、中田秀夫といった脂が乗り切った時期にある実力派監督たちが、それぞれオリジナル作品でエロスを題材に競作を果たしている。 第1弾を飾るのは、『世界の中心で、愛を叫ぶ』(04)以降も『今度は愛妻家』『パレード』(10)、『ピンクとグレー』(16)が高く評価されている行定勲監督の『ジムノペディに乱れる』。若手時代に麻生久美子&つぐみ主演作『贅沢な骨』(01)で官能表現に挑んだ行定監督だが、メジャー進出後はごぶさた状態。今回の日活からのオファーに意欲をみせ、2本のオリジナル脚本を書き上げている。1本は映画業界に伝わる伝説を描いた本作で、もう1本はスカトロものだった。後者は日活からNGを出されたが、行定監督は「そっちは自主制作でやる」と意気込むほど、「オリジナル脚本で官能映画を」という日活からのオーダーに触発された。エリック・サティの代表曲をタイトルに使った『ジムノペディに乱れる』の主演男優は板尾創路。『私の奴隷になりなさい』(12)で壇蜜を相手に濃厚な調教プレイを見せた名優・板尾が孤高の映画監督に扮し、毎晩違う女たちと交わる愛欲まみれの1週間が描かれる。行定勲監督作『ジムノペディに乱れる』。これまでBOMIとしてミュージシャン活動してきた芦那すみれが官能シーンに初挑戦している。
映画監督の古谷(板尾創路)はかつて海外の映画祭で賞讃を浴びた時期もあったが、商業ベースにうまく迎合できずに過去の存在となりつつあった。金に困った古谷は主演女優のヌードがあることが売りの低予算映画を撮ることになるが、肝心の主演女優・安里(岡村いずみ)が撮影当日になってベッドシーンに難色を示し、撮影中止に。「精神が研ぎ澄まされていれば、金がなくても映画だ」と以前は語っていた古谷だったが、もはや「こんな現場は映画じゃない」と愚痴るしかなかった。手持ち無沙汰に昔なじみの衣装スタッフとラブホで体を重ねるが、翌朝には映画が正式にお蔵入りした知らせが入る。行き先を失った古谷は街でばったり出会った映画専門学校の教え子・結花(芦那すみれ)が暮らすマンションに転がり込む。お金も仕事もない古谷は、知り合いの女たちのもとを転々とすることに。女たちとの情事に溺れる古谷の頭の中に、思い出の曲「ジムノペディ」が流れては消えていく。 古谷が棲んでいる自宅は立川の米軍ハウス、新作映画の撮影場所は新宿、ラピュタ阿佐ヶ谷でのトークイベントもある。『ジムノペディに乱れる』のロケ地はどこもJR中央線で見覚えのある景色ばかりだ。撮りたい映画が思うように撮れない主人公の葛藤は映画監督なら誰もが抱えているものだが、女たちを渡り歩く主人公には実在のモデルがいる。生涯独身を貫き、荻窪の西日が差し込むアパートで暮らし続けた相米慎二監督だ。映画製作に情熱を注ぎ続けた相米監督は、撮影現場で俳優たちに終日ダメ出しを続ける厳しさで知られたが、昔ながらの映画屋気質はスタッフから愛され、特に女性にモテモテだったそうだ。中央線沿線で暮らす女たちの家を泊まり歩き、1週間自宅に戻らなかったという逸話を残している。打ち合わせと称しては酒を呑み、女たちを愛し、そして他の誰にも撮れない傑作の数々を残し、53歳の若さで相米監督は亡くなった。そんな伝説の監督に対する、行定監督の羨望が本作の根底には流れている。エリック・サティもまた、パリのシャンソン酒場でピアノを弾き続けた。こぎれいな会議室ではない、酒場の喧噪と女の匂いから生まれてきたような映画を、行定監督は撮りたかったのではないだろうか。映画監督の古谷(板尾創路)は新作を撮ろうとするが、主演女優の安里(岡村いずみ)からヌードになることを拒絶される。
第2弾となる塩田明彦監督の『風に濡れた女』も、塩田監督自身の心情が投影された作品となっている。高校生男女のSM関係を描いた『月光の囁き』(99)で鮮烈なデビューを飾り、『どこまでもいこう』(99)や『害虫』(02)などの珠玉作を放った塩田監督だが、『カナリア』(05)以降はなかなかオリジナルの劇場映画を撮ることができずにいる。そんな監督自身の溜め込んでいた澱を吹き飛ばすかのように、『風に濡れた女』のヒロイン・間宮夕貴は本能の赴くまま、おっぱい剥き出しで暴れ回る。塩田監督作品のヒロインたちは『月光の囁き』のつぐみ、『どこまでもいこう』の芳賀優里亜、『害虫』の宮崎あおい……、みんな頭で考えるよりも先に体が動き出し、感情がそれを追いかけていく。『風に濡れた女』は塩田監督の原点回帰を感じさせる清々しさがある。 オーディションで選ばれた間宮夕貴は、石井隆監督の『甘い鞭』(13)で壇蜜の少女時代に扮して注目を集めた若手女優。『甘い鞭』は監禁陵辱される超ハードな役だったが、『風に濡れた女』では正体不明な野性味たっぷりのヤリマン女・汐里を実に楽しげに演じている。山奥で人知れず隠遁生活を送る元劇作家の柏木(永岡佑)を相手に、組んず解れつの肉弾戦を全編にわたって繰り広げる。濡れ場というよりも、男と女のどちらが恋愛&セックスの主導権を握るかの格闘技戦だ。本能の赴くままに責めてくる汐里に、理詰めで考える柏木は防戦一方で常にマウントポジションを取られてしまう。塩田監督作品は『ギプス』(01)の佐伯日菜子、『黄泉がえり』(03)、『どろろ』(07)の柴咲コウとS系の顔立ちのヒロインが多いことにもふと気づく。女優たちがフルヌードを披露するのと同じように、それを撮る監督自身の性癖や願望も官能映画には如実に現われる。間宮夕貴のワイルドさは塩田監督だけでなく、海外の女性たちの目も釘付けにし、20代の女性審査員が半数以上を占めたロカルノ国際映画祭の若手審査員賞に『風に濡れた女』は選ばれている。 新世紀のロマンポルノに参加した5人の監督たちに対し、日活側が出した条件は「撮影期間は1週間」「10分に一度の濡れ場」という往年のロマンポルノとほぼ同じものだった。メジャー大作を経験している5人の監督たちにとっては難儀なはずだったが、レイティングを気にせずにオリジナルの新作を自由に撮ることができるこの企画は楽しくて仕方なかったようだ。官能映画というジャンルの中で、実力派監督たちがオリジナル色を競い合ったロマンポルノ・リブート・プロジェクト。年明けに待機している白石和彌監督の『牝猫たち』(1月14日公開)、園子温監督の『アンチポルノ』(1月28日公開)、中田秀夫監督の『ホワイトリリー』(2月11日公開)は後日あらためて紹介したい。 (文=長野辰次)こちらは塩田明彦監督の『風に濡れた女』。神代辰巳監督の『恋人たちは濡れた』(73)のオマージュシーンから始まる。
『ジムノペディに乱れる』 監督/行定勲 脚本/行定勲、堀泉杏 音楽/めいなCo. 出演/板尾創路、芦那すみれ、岡村いずみ、田山由起、田嶋真弓、木嶋のりこ、西野翔、岩谷健司、宮本裕子、三浦誠己、伊藤洋三郎、風祭ゆき 配給/日活 R18+ 11月26日(土)より新宿武蔵野館、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開 (c)2016日活 http://www.nikkatsu-romanporno.com/reboot
『風に濡れた女』 監督・脚本/塩田明彦 音楽/きだしゅんすけ 出演/間宮夕貴、永岡佑、テイ龍進、鈴木美智子、中谷仁美、加藤貴宏 配給/日活 R18+ 12月17日(土)より新宿武蔵野館、横浜シネマ・ジャック&ベティほか全国順次公開 (c)2016日活 http://www.nikkatsu-romanporno.com/reboot
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「この年で愚直に生きるのはマジでツラい!」……けど、俺たちが文化系にこだわる理由
「プロレスブーム再燃」といわれて久しい。棚橋弘至、オカダ・カズチカ、中邑真輔、飯伏幸太など、人気・実力ともに兼ね備えたレスラーが続々と登場し、古参のプロレスファンはもちろん、若い女性たちも黄色い声援を飛ばす。そのブームの一端を担う団体が、“文化系プロレス”を名乗る「DDT」だ。体育会系のプロレス界に、文化系な発想でエンタテインメント要素を持ち込んだDDT。そのオリジナリティあふれるスタイルはいつしか「文化系プロレス」と呼ばれ、いまや業界の盟主・新日本プロレスに次ぐ規模にまで成長している。 そんなDDTのエース・HARASHIMAと、新日プロレスのエースで“100年に1人の逸材”といわれる棚橋の対戦を軸に、DDTの歴史、そしてプロレスの魅力に取りつかれてしまった男たちの姿を追ったドキュメンタリー映画『俺たち文化系プロレスDDT』が、11月26日(土)より公開される。 メガホンを取ったのは、DDT所属のレスラーであり、前作『劇場版プロレスキャノンボール2014』のヒットも記憶に新しいマッスル坂井氏と、坂井主宰の興行「マッスル」でプロレスに目覚めたドキュメンタリー作家、松江哲明氏の2人だ。 アラフォー男たちの愚直な青春ドキュメンタリーに、2人が込めた思いとは――? *** ――そもそも『俺たち文化系プロレスDDT』に、松江さんが参加した経緯は? 松江哲明(以下、松江) DDTの高木三四郎社長から頼まれたんですけど、僕は「坂井さんと一緒なら」って。 ――お2人とも「監督」とクレジットされていますが、役割分担は? 松江 レスラーたちの日常を追ったりしたのは、坂井さんと今成(夢人)さん。僕が現場に行ってるのは、「#大家帝国」の興行と、新潟くらいですね。最初からべったり撮影にくっついてやるつもりはなかったんで。 マッスル坂井(以下、坂井) 完全に遠隔操作してましたよ(笑)。この映画を撮るって決まったのが昨年の春で、夏にいよいよ「映画どうしよう」ってなったときに、松江くんが「坂井くんが一番得意なことをやるべきだ」って。「一番得意なことはなんですか?」って聞かれて、「興行を自分で企画して、その興行を通してプロレスとは何かということを見せたり、考えたりすることかなあ」って答えたら、「じゃあ、それをどっかでやりましょう」って。興行なんてなかなかやらせてもらえないから、それをどうしたらできるかってところから考えていったんです。 松江 たぶん当初、高木さんはもっと客観的なドキュメンタリーを期待してたんだと思う。けど、僕が作りたいプロレスのドキュメンタリーって、「マッスル」なんです。興行ってやっぱり、お客さんが体験するものじゃないですか。でも、ドキュメンタリーで撮ることによって、それとはまったく違う視点を作ることができる。だから、視点作りだけを僕がやって、何を見せたいとか、どういうことを表現したいかっていうのは、坂井さんがリングの上でやったんです。 ――松江さんは「ドキュメンタリーは手法だ」とよくおっしゃっていますが、プロレスも、虚実皮膜を行き来する部分など、表現方法としてドキュメンタリーと近いですよね。そのプロレスをドキュメンタリーで撮ることに、やりにくさのようなものは感じませんでしたか?撮影=後藤秀二
松江 いや、それは感じませんでしたね。僕は映画を作るときに、何が真実で何がウソかっていうのは正直言うとどうでもよくて、撮れた素材にどれだけ真実味があるかっていうことのほうが大事なんですね。だから、素材の力が強いか弱いかが重要なんですけど、ヘタな芝居って、素材として弱いんですよ。それでいうと、今回の作品を編集してて面白かったのは、いい意味でレスラーの人たちみんながカメラを意識するんです(笑)。今成さんや坂井さんがカメラを回していると、高木さんがチラッとカメラを見てから「お前たち、覚悟しろよ!」とかやってくれたりする。それが完全に芝居かっていうと、そうではない。カメラの前で誇張しているだけで。それを日常的にやってるから面白い。だから、普通にしゃべっているのが、いちいちセリフみたいに聞こえるんですよ。 ――特に、大家健選手なんかは常に激情的ですね。 松江 そう! だから英語字幕版を見たときに、大家さんがすごいいいこと言ってるふうに聞こえる。あれは、もともとの言葉が、そういうセリフっぽいからなんです。僕は、被写体にカメラの前で自然でいてほしいとは思わない。ミュージシャンを撮るのが好きなのも、そういうところなんです。 ――本作は棚橋弘至選手とHARASHIMA選手の対戦が軸になっていますが、それは最初から決まっていたんですか? 松江 最初は<DDTの1年間を追ったドキュメンタリー>という構成だったんですけど、素材としてDDTを象徴してるなって思ったのが、「#大家帝国」の試合でした。棚橋選手と小松(洋平)選手が、すごい巨大な存在として君臨してくれてたのがよかったですね。もちろん、棚橋選手のインタビューを撮ったりもできたんですけど、それをやっちゃうと……。 坂井 弱くなっちゃうんだよなあ。 松江 そうなんです。やっぱり“強者”でいてほしい。説明より、存在を強調したいんです。そんな人があそこで……という仕掛けもありますから。 坂井 そこでの公平な視点は、いらないんですよ。言い方は悪いけど、あくまで“いじめられっ子”の視点で見たほうがいい(笑)。 ――今回の映画の性質上、いわば最初から「ネタバレ」をしている部分がありますが。 松江 そこは、最初から心配していませんでしたね。「#大家帝国」の興行のラストで何が起きたのか、観客が知っていても全然いい。ただ、あの場で何が起こっていたのか、観客席からは見えない視点を作れる自信があったので。それは、前後のドラマも含めてですけど。あの現場の出来事を、単に両国国技館の大会から始まった数カ月のドラマっていうのではなく、もっと以前の、2000年代初頭からの坂井さん、HARASHIMAさん、大家さん、(男色)ディーノさんたちの関係性があっての一夜だったんだっていうのを描ける自信はあった。現に、映画の中では棚橋選手の言葉は切っていますし。むしろ、あそこで棚橋選手が何を語ったのかよりも、なぜ“あの展開にしたのか”のほうが重要だと思う。そこの関係性を描けば、あの試合を見た人でもこの映画は楽しめるって確信してました。 ――坂井さんやDDTにとって、棚橋選手の存在はどんなものだったんでしょうか? 坂井 俺は今のプロレス界の象徴であり、正義だと思ってる。こっちが棚橋選手にお願いしたくても、「新日本プロレスがなんて言うか……」って、周りのみんなは言うんですよ。でも、それは違う。棚橋選手が「やる」って言ったら、会社も「イエス」って言うんですよ。器がでかいからこそ、こっちも飛び込みがいがある。棚橋選手も言ってるけど、良くも悪くも自分たちがやっているプロレスと棚橋選手がやっているプロレスっていうのは、「違うんだ」と。違うものをやっているという意識は僕の中にもあって、そういう意味では、わかり合える部分もある。 ――だから、最後の場面で棚橋選手に協力してもらうために、坂井さんが直接交渉されたんですね。その一部始終は、映画にはありませんでしたが。 坂井 だって俺、カメラをまいていきましたもん! 撮られたら危ないじゃないですか。DDTにバレたらいけないんです、あのミッションは。 松江 監督なのに(笑)。僕は、“監督だったら、回してよ”って思いましたけど。ドキュメンタリーに、あの素材はあってもいいじゃないですか(笑)。 坂井 でも! あの場を成立させることが、勝ち負けを超えた何かを見せることが俺の勝負だと思っているから、あそこはいらないんですよ! 松江 まぁ、結果を一番知っているのは坂井さんですからね。僕は新潟まで行きましたけど、「#大家帝国」で何をやるのかは別に聞かなかったし、プロレスで本当に撮っていいものと撮っちゃいけないものの最終的なジャッジは、坂井さんにお願いしてましたから。 坂井 アハハハハ。ないですからね、そんなの! あるがままを撮っているだけですから。
松江 この前、『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)で「アイスリボン」が取り上げられたドキュメンタリーを見ましたけど、「こういう視点になっちゃうかー」と思いました。 坂井 いつまでプロレスは、世間にだまされ続けるんだって! 世の中に仕掛ける側であってほしいのに、なに仕掛けられてるんだよって。 松江 「プロレスラーって、こうなんですよ」ってノリで語っちゃうと、魅力が消えるんですよ。プロレスラーは常識人じゃないんだから。『ザ・ノンフィクション』である以上、日曜昼に見ている人に向けた「わかりやすさ」は絶対に崩せないんですよ。そこを崩せない以上、プロレスを撮るのは難しいと思いました。みんなが知っている1センチ、2センチ、3センチ……っていう物差しを持ってきちゃいけないんですよ。僕がマッスルとかDDTに教わったのは、俺たちの物差しは違うんだってことなんですよ。自分たちの物差しじゃなきゃ描けない世界があるんだよ、っていうのをやってるんですよ。プロレスって、そういうものなんですよ。 坂井 親がプロレスやるのを反対していようがしてなかろうが関係ないんだけど、絶対、親を連れてきたがりますね、テレビは(笑)。でも、関係ないから! お客さんが沸くか沸かないか、レスラー仲間がバックステージで「グッドマッチ!」って握手してくれるかどうか、トレーナーの先輩たちが「いい試合だった」って評価してくれてるかどうかだけなんです。勝ち負けを超えて、自分がレスラーとして表現したいことができたかどうか、それだけを考えてるから、親がどう思ったかなんてホンットどうでもよくて、親が止めたからってやるんですよ、プロレスラーは! バカなんですよ! 松江 「学校辞めます」なんて、当たり前じゃん!って。 坂井 実家の家業継ぐためにプロレスラー引退するやつなんて、いないですから! ――そうなんですか!(笑) 松江 でも、そこを取ると「わからない」ってなっちゃうんですよね。日曜昼に見る人は。 坂井 お父さん、お母さんは反対しないの? って当然思いますよね(笑)。まあ、しょうがないか。 松江 でも、そこを超えたものを撮っているはずなのに、排除しているなっていうのが、ドキュメンタリーを作っている身としては残念で。この映画は、そういうドキュメンタリーにはしないぞって。なるはずはないんですけど。大家さんは、『プロレスキャノンボール』上映のとき、パンフレットを買った人への特典として握手会してるのに、上映が終わった後、来場した人全員と握手しちゃう(笑)。ルールを超えちゃう人なんですよ。 坂井 そういうところって、確かに『ザ・ノンフィクション』では描けない。「マジでヤベえ」ってなっちゃうから。 一同 (爆笑) 松江 僕が感動したのはね、HARASHIMAさんがモヤモヤしてるときに引っ張るのが、やっぱり大家さんをはじめとする“文化系”のアラフォーの人たちで、僕は、大森での映像(※棚橋組との再戦日時が発表された大森駅東口前公園「UTANフェスタ2015」でのHARASHIMAと大家の挨拶)が好きなんですよ。 坂井 わかる! 松江 あのとき、HARASHIMAさんが大家さんに「ガンバレ、HARASHIMA!」って言われて、ちょっと戸惑ってるんですよね。あれがすごい大事なんですよ。ああいうときに立ち上がるのが、“文化系”の仲間。僕はそこにちょっとグッとくるんですよね。で、最後に「ガンバレ、オレ!」で締めるっていう図々しさ(笑)。そこもまた素晴らしいじゃないですか。あのシーンが、この作品での友情物語になっている。たぶん、普通のドキュメンタリー作る人が今のDDTを撮ると、飯伏(幸太)さんや竹下(幸之介)さんが主役だと思うんですよ。“輝く人”っていて、テレビだったらそっちなんですよ。でも、暗闇で見る映画だと、大家さんなんですよ。
――今回の映画で“主役”となっているのはみんな同世代ですが、そこに特別な意識はありますか? 坂井 ありますね。今、お客さんがプロレスやプロレスラーに求めるものって、変わりつつある。2000年代当時は、プロレスに対抗する概念として、総合格闘技とかアメリカのWWEがあったから、「プロレスはこんなことができるよ」って表現のひとつがDDTだったりマッスルだったんです。けど、今は総合格闘技などが当時ほど影響力を持っていない中で、若い人たちにとって、プロレスは真剣勝負だという前提で見るスポーツになってしまっている。だから、僕たちがやっている「文化系プロレス」というアプローチは、今のプロレスファンには必要とされない時代になってきているという自覚はあります。そんな中で、DDTのエースであるHARASHIMAさんは純粋に強さを競う「体育会系プロレス」にもちろん対応して、DDTを引っ張る存在として、「キング・オブ・スポーツ」を社是としている新日本プロレスのエース・棚橋選手と同じ土俵で勝負を挑んだんです。そこから起こった齟齬とか、価値観の違いとかは、HARASHIMAさん個人に対してではなくて、DDT全体へのメッセージだと思ったから、自分らとしても何らかの答えは出さなきゃならないなって。だから僕は、映画っていうジャンルでプロレスの面白さを表現したんです。 松江 僕はこれまで自分の映画って若い人たちに見てもらいたかったんですが、今回の映画は同世代に見てもらいたい。 坂井 ホント、そう! 松江 意外とこういう「文化系」の表現をアラフォーまで続けている人っていないんだってわかってきたんですよ。みんなやめちゃう。自主映画をやってた人も、もうそういうんじゃないよねって。僕と一緒に自主映画やってた仲間も、漫画原作の映画の監督とか、名前が重視されないディレクターをやるわけですよ。愚直にサブカルを続ける人は、本当にいなくなった。「文化系」をアラフォーになっても続けるって、ホントに他人事でなく、体を壊すし、お金にならないし、マジでツラいし、キツイんですよ。 坂井 確かに、いま愚直にものづくりをしようとしても、情報も入ってくる。ちゃんと考えればエラーが起きにくいし、能力さえあれば、いい会社に入れたりする。結局、ホントにすげーヤツって朝井リョウみたいになりますからね。 松江 そう、そう、そう! 坂井 東宝に入れちゃうんですよ! われわれの世代なんて募集してないですからね、きっと(笑)。 松江 いや、ホントにそういう話で、僕らの映画が好きな若い人は今、東宝とかに入ってるんですよ。ちゃんと金を稼いだ上で、生活は生活、好きなものは好きなものってやっている。僕らのお手本は、お金よりも大切なものがあるはずだっていう、例えばいましろたかしさんとかだったんですよ。僕らは、あれが正しいって思ってたんです。でも実はね……、あれ、正しくなかったんです(笑)。 坂井 ええっ!? でも、たとえあきらめたとしても、意外と夢がかなってしまうことはあるし、最近、それを感じさせてくれるような素晴らしい出来事もたくさんありました。同世代の人で、何かの形でやめたり、まだ続けている人も少なからずいるわけで、そういう人にはどうしても見てほしいし、共有したいし、一緒に戦っていきたいなって思いますね。でも、愚直にものづくりしようとしている人が東宝に入れる、いい時代なんですよ、実は。 松江 俺、入れたかな…? 坂井 入れないよ! 専門学校卒だから!(笑) 松江 そうだった、そうだった(笑)。 (構成=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ※このインタビューのロングバージョンは、近日、てれびのスキマのブログで公開予定です。(c)2016 DDTプロレスリング
●『俺たち文化系プロレスDDT』 監督:マッスル坂井、松江哲明 音楽:ジム・オルーク 出演:マッスル坂井、大家健、HARASHIMA、男色ディーノ、高木三四郎、鶴見亜門、KUDO、伊橋剛太、今成夢人、棚橋弘至、小松洋平 配給:ライブ・ビューイング・ジャパン 11月26日(土)から新宿バルト9ほか全国公開 公式サイトURL http://liveviewing.jp/obpw2016/ 予告URL https://www.youtube.com/watch?v=WJCyqA3ggIQ&feature=youtu.be
「この年で愚直にやりたいことをやるのは、マジでツラい!」……けど、俺たちが文化系にこだわる理由
「プロレスブーム再燃」といわれて久しい。棚橋弘至、オカダ・カズチカ、中邑真輔、飯伏幸太など、人気・実力ともに兼ね備えたレスラーが続々と登場し、古参のプロレスファンはもちろん、若い女性たちも黄色い声援を飛ばす。そのブームの一端を担う団体が、“文化系プロレス”を名乗る「DDT」だ。体育会系のプロレス界に、文化系な発想でエンタテインメント要素を持ち込んだDDT。そのオリジナリティあふれるスタイルはいつしか「文化系プロレス」と呼ばれ、いまや業界の盟主・新日本プロレスに次ぐ規模にまで成長している。 そんなDDTのエース・HARASHIMAと、新日プロレスのエースで“100年に1人の逸材”といわれる棚橋の対戦を軸に、DDTの歴史、そしてプロレスの魅力に取りつかれてしまった男たちの姿を追ったドキュメンタリー映画『俺たち文化系プロレスDDT』が、11月26日(土)より公開される。 メガホンを取ったのは、DDT所属のレスラーであり、前作『劇場版プロレスキャノンボール2014』のヒットも記憶に新しいマッスル坂井氏と、坂井主宰の興行「マッスル」でプロレスに目覚めたドキュメンタリー作家、松江哲明氏の2人だ。 アラフォー男たちの愚直な青春ドキュメンタリーに、2人が込めた思いとは――? *** ――そもそも『俺たち文化系プロレスDDT』に、松江さんが参加した経緯は? 松江哲明(以下、松江) DDTの高木三四郎社長から頼まれたんですけど、僕は「坂井さんと一緒なら」って。 ――お2人とも「監督」とクレジットされていますが、役割分担は? 松江 レスラーたちの日常を追ったりしたのは、坂井さんと今成(夢人)さん。僕が現場に行ってるのは、「#大家帝国」の興行と、新潟くらいですね。最初からべったり撮影にくっついてやるつもりはなかったんで。 マッスル坂井(以下、坂井) 完全に遠隔操作してましたよ(笑)。この映画を撮るって決まったのが昨年の春で、夏にいよいよ「映画どうしよう」ってなったときに、松江くんが「坂井くんが一番得意なことをやるべきだ」って。「一番得意なことはなんですか?」って聞かれて、「興行を自分で企画して、その興行を通してプロレスとは何かということを見せたり、考えたりすることかなあ」って答えたら、「じゃあ、それをどっかでやりましょう」って。興行なんてなかなかやらせてもらえないから、それをどうしたらできるかってところから考えていったんです。 松江 たぶん当初、高木さんはもっと客観的なドキュメンタリーを期待してたんだと思う。けど、僕が作りたいプロレスのドキュメンタリーって、「マッスル」なんです。興行ってやっぱり、お客さんが体験するものじゃないですか。でも、ドキュメンタリーで撮ることによって、それとはまったく違う視点を作ることができる。だから、視点作りだけを僕がやって、何を見せたいとか、どういうことを表現したいかっていうのは、坂井さんがリングの上でやったんです。 ――松江さんは「ドキュメンタリーは手法だ」とよくおっしゃっていますが、プロレスも、虚実皮膜を行き来する部分など、表現方法としてドキュメンタリーと近いですよね。そのプロレスをドキュメンタリーで撮ることに、やりにくさのようなものは感じませんでしたか?撮影=後藤秀二
松江 いや、それは感じませんでしたね。僕は映画を作るときに、何が真実で何がウソかっていうのは正直言うとどうでもよくて、撮れた素材にどれだけ真実味があるかっていうことのほうが大事なんですね。だから、素材の力が強いか弱いかが重要なんですけど、ヘタな芝居って、素材として弱いんですよ。それでいうと、今回の作品を編集してて面白かったのは、いい意味でレスラーの人たちみんながカメラを意識するんです(笑)。今成さんや坂井さんがカメラを回していると、高木さんがチラッとカメラを見てから「お前たち、覚悟しろよ!」とかやってくれたりする。それが完全に芝居かっていうと、そうではない。カメラの前で誇張しているだけで。それを日常的にやってるから面白い。だから、普通にしゃべっているのが、いちいちセリフみたいに聞こえるんですよ。 ――特に、大家健選手なんかは常に激情的ですね。 松江 そう! だから英語字幕版を見たときに、大家さんがすごいいいこと言ってるふうに聞こえる。あれは、もともとの言葉が、そういうセリフっぽいからなんです。僕は、被写体にカメラの前で自然でいてほしいとは思わない。ミュージシャンを撮るのが好きなのも、そういうところなんです。 ――本作は棚橋弘至選手とHARASHIMA選手の対戦が軸になっていますが、それは最初から決まっていたんですか? 松江 最初は<DDTの1年間を追ったドキュメンタリー>という構成だったんですけど、素材としてDDTを象徴してるなって思ったのが、「#大家帝国」の試合でした。棚橋選手と小松(洋平)選手が、すごい巨大な存在として君臨してくれてたのがよかったですね。もちろん、棚橋選手のインタビューを撮ったりもできたんですけど、それをやっちゃうと……。 坂井 弱くなっちゃうんだよなあ。 松江 そうなんです。やっぱり“強者”でいてほしい。説明より、存在を強調したいんです。そんな人があそこで……という仕掛けもありますから。 坂井 そこでの公平な視点は、いらないんですよ。言い方は悪いけど、あくまで“いじめられっ子”の視点で見たほうがいい(笑)。 ――今回の映画の性質上、いわば最初から「ネタバレ」をしている部分がありますが。 松江 そこは、最初から心配していませんでしたね。「#大家帝国」の興行のラストで何が起きたのか、観客が知っていても全然いい。ただ、あの場で何が起こっていたのか、観客席からは見えない視点を作れる自信があったので。それは、前後のドラマも含めてですけど。あの現場の出来事を、単に両国国技館の大会から始まった数カ月のドラマっていうのではなく、もっと以前の、2000年代初頭からの坂井さん、HARASHIMAさん、大家さん、(男色)ディーノさんたちの関係性があっての一夜だったんだっていうのを描ける自信はあった。現に、映画の中では棚橋選手の言葉は切っていますし。むしろ、あそこで棚橋選手が何を語ったのかよりも、なぜ“あの展開にしたのか”のほうが重要だと思う。そこの関係性を描けば、あの試合を見た人でもこの映画は楽しめるって確信してました。 ――坂井さんやDDTにとって、棚橋選手の存在はどんなものだったんでしょうか? 坂井 俺は今のプロレス界の象徴であり、正義だと思ってる。こっちが棚橋選手にお願いしたくても、「新日本プロレスがなんて言うか……」って、周りのみんなは言うんですよ。でも、それは違う。棚橋選手が「やる」って言ったら、会社も「イエス」って言うんですよ。器がでかいからこそ、こっちも飛び込みがいがある。棚橋選手も言ってるけど、良くも悪くも自分たちがやっているプロレスと棚橋選手がやっているプロレスっていうのは、「違うんだ」と。違うものをやっているという意識は僕の中にもあって、そういう意味では、わかり合える部分もある。 ――だから、最後の場面で棚橋選手に協力してもらうために、坂井さんが直接交渉されたんですね。その一部始終は、映画にはありませんでしたが。 坂井 だって俺、カメラをまいていきましたもん! 撮られたら危ないじゃないですか。DDTにバレたらいけないんです、あのミッションは。 松江 監督なのに(笑)。僕は、“監督だったら、回してよ”って思いましたけど。ドキュメンタリーに、あの素材はあってもいいじゃないですか(笑)。 坂井 でも! あの場を成立させることが、勝ち負けを超えた何かを見せることが俺の勝負だと思っているから、あそこはいらないんですよ! 松江 まぁ、結果を一番知っているのは坂井さんですからね。僕は新潟まで行きましたけど、「#大家帝国」で何をやるのかは別に聞かなかったし、プロレスで本当に撮っていいものと撮っちゃいけないものの最終的なジャッジは、坂井さんにお願いしてましたから。 坂井 アハハハハ。ないですからね、そんなの! あるがままを撮っているだけですから。
松江 この前、『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)で「アイスリボン」が取り上げられたドキュメンタリーを見ましたけど、「こういう視点になっちゃうかー」と思いました。 坂井 いつまでプロレスは、世間にだまされ続けるんだって! 世の中に仕掛ける側であってほしいのに、なに仕掛けられてるんだよって。 松江 「プロレスラーって、こうなんですよ」ってノリで語っちゃうと、魅力が消えるんですよ。プロレスラーは常識人じゃないんだから。『ザ・ノンフィクション』である以上、日曜昼に見ている人に向けた「わかりやすさ」は絶対に崩せないんですよ。そこを崩せない以上、プロレスを撮るのは難しいと思いました。みんなが知っている1センチ、2センチ、3センチ……っていう物差しを持ってきちゃいけないんですよ。僕がマッスルとかDDTに教わったのは、俺たちの物差しは違うんだってことなんですよ。自分たちの物差しじゃなきゃ描けない世界があるんだよ、っていうのをやってるんですよ。プロレスって、そういうものなんですよ。 坂井 親がプロレスやるのを反対していようがしてなかろうが関係ないんだけど、絶対、親を連れてきたがりますね、テレビは(笑)。でも、関係ないから! お客さんが沸くか沸かないか、レスラー仲間がバックステージで「グッドマッチ!」って握手してくれるかどうか、トレーナーの先輩たちが「いい試合だった」って評価してくれてるかどうかだけなんです。勝ち負けを超えて、自分がレスラーとして表現したいことができたかどうか、それだけを考えてるから、親がどう思ったかなんてホンットどうでもよくて、親が止めたからってやるんですよ、プロレスラーは! バカなんですよ! 松江 「学校辞めます」なんて、当たり前じゃん!って。 坂井 実家の家業継ぐためにプロレスラー引退するやつなんて、いないですから! ――そうなんですか!(笑) 松江 でも、そこを取ると「わからない」ってなっちゃうんですよね。日曜昼に見る人は。 坂井 お父さん、お母さんは反対しないの? って当然思いますよね(笑)。まあ、しょうがないか。 松江 でも、そこを超えたものを撮っているはずなのに、排除しているなっていうのが、ドキュメンタリーを作っている身としては残念で。この映画は、そういうドキュメンタリーにはしないぞって。なるはずはないんですけど。大家さんは、『プロレスキャノンボール』上映のとき、パンフレットを買った人への特典として握手会してるのに、上映が終わった後、来場した人全員と握手しちゃう(笑)。ルールを超えちゃう人なんですよ。 坂井 そういうところって、確かに『ザ・ノンフィクション』では描けない。「マジでヤベえ」ってなっちゃうから。 一同 (爆笑) 松江 僕が感動したのはね、HARASHIMAさんがモヤモヤしてるときに引っ張るのが、やっぱり大家さんをはじめとする“文化系”のアラフォーの人たちで、僕は、大森での映像(※棚橋組との再戦日時が発表された大森駅東口前公園「UTANフェスタ2015」でのHARASHIMAと大家の挨拶)が好きなんですよ。 坂井 わかる! 松江 あのとき、HARASHIMAさんが大家さんに「ガンバレ、HARASHIMA!」って言われて、ちょっと戸惑ってるんですよね。あれがすごい大事なんですよ。ああいうときに立ち上がるのが、“文化系”の仲間。僕はそこにちょっとグッとくるんですよね。で、最後に「ガンバレ、オレ!」で締めるっていう図々しさ(笑)。そこもまた素晴らしいじゃないですか。あのシーンが、この作品での友情物語になっている。たぶん、普通のドキュメンタリー作る人が今のDDTを撮ると、飯伏(幸太)さんや竹下(幸之介)さんが主役だと思うんですよ。“輝く人”っていて、テレビだったらそっちなんですよ。でも、暗闇で見る映画だと、大家さんなんですよ。
――今回の映画で“主役”となっているのはみんな同世代ですが、そこに特別な意識はありますか? 坂井 ありますね。今、お客さんがプロレスやプロレスラーに求めるものって、変わりつつある。2000年代当時は、プロレスに対抗する概念として、総合格闘技とかアメリカのWWEがあったから、「プロレスはこんなことができるよ」って表現のひとつがDDTだったりマッスルだったんです。けど、今は総合格闘技などが当時ほど影響力を持っていない中で、若い人たちにとって、プロレスは真剣勝負だという前提で見るスポーツになってしまっている。だから、僕たちがやっている「文化系プロレス」というアプローチは、今のプロレスファンには必要とされない時代になってきているという自覚はあります。そんな中で、DDTのエースであるHARASHIMAさんは純粋に強さを競う「体育会系プロレス」にもちろん対応して、DDTを引っ張る存在として、「キング・オブ・スポーツ」を社是としている新日本プロレスのエース・棚橋選手と同じ土俵で勝負を挑んだんです。そこから起こった齟齬とか、価値観の違いとかは、HARASHIMAさん個人に対してではなくて、DDT全体へのメッセージだと思ったから、自分らとしても何らかの答えは出さなきゃならないなって。だから僕は、映画っていうジャンルでプロレスの面白さを表現したんです。 松江 僕はこれまで自分の映画って若い人たちに見てもらいたかったんですが、今回の映画は同世代に見てもらいたい。 坂井 ホント、そう! 松江 意外とこういう「文化系」の表現をアラフォーまで続けている人っていないんだってわかってきたんですよ。みんなやめちゃう。自主映画をやってた人も、もうそういうんじゃないよねって。僕と一緒に自主映画やってた仲間も、漫画原作の映画の監督とか、名前が重視されないディレクターをやるわけですよ。愚直にサブカルを続ける人は、本当にいなくなった。「文化系」をアラフォーになっても続けるって、ホントに他人事でなく、体を壊すし、お金にならないし、マジでツラいし、キツイんですよ。 坂井 確かに、いま愚直にものづくりをしようとしても、情報も入ってくる。ちゃんと考えればエラーが起きにくいし、能力さえあれば、いい会社に入れたりする。結局、ホントにすげーヤツって朝井リョウみたいになりますからね。 松江 そう、そう、そう! 坂井 東宝に入れちゃうんですよ! われわれの世代なんて募集してないですからね、きっと(笑)。 松江 いや、ホントにそういう話で、僕らの映画が好きな若い人は今、東宝とかに入ってるんですよ。ちゃんと金を稼いだ上で、生活は生活、好きなものは好きなものってやっている。僕らのお手本は、お金よりも大切なものがあるはずだっていう、例えばいましろたかしさんとかだったんですよ。僕らは、あれが正しいって思ってたんです。でも実はね……、あれ、正しくなかったんです(笑)。 坂井 ええっ!? でも、たとえあきらめたとしても、意外と夢はかなってしまうことってあるし、それを感じさせてくれるような素晴らしいことがたくさんあるんです。同世代の人で、何かの形でやめたり、まだ続けている人も少なからずいるわけで、そういう人にはどうしても見てほしいし、共有したいし、一緒に戦っていきたいなって思いますね。でも、愚直にものづくりしようとしている人が東宝に入れる、いい時代なんですよ、実は。 松江 俺、入れたかな…? 坂井 入れないよ! 専門学校卒だから!(笑) 松江 そうだった、そうだった(笑)。 (構成=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/) ※このインタビューのロングバージョンは、近日、てれびのスキマのブログで公開予定です。(c)2016 DDTプロレスリング
●『俺たち文化系プロレスDDT』 監督:マッスル坂井、松江哲明 音楽:ジム・オルーク 出演:マッスル坂井、大家健、HARASHIMA、男色ディーノ、高木三四郎、鶴見亜門、KUDO、伊橋剛太、今成夢人、棚橋弘至、小松洋平 配給:ライブ・ビューイング・ジャパン 11月26日(土)から新宿バルト9ほか全国公開 公式サイトURL http://liveviewing.jp/obpw2016/ 予告URL https://www.youtube.com/watch?v=WJCyqA3ggIQ&feature=youtu.be

























