「僕はずーっと自然体」ギャンブル、借金、4度の結婚……でも憎めない、六角精児の生き方

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撮影=名鹿祥史
 『相棒』(テレビ朝日系)の米沢守役などでおなじみの、人気個性派俳優・六角精児(50歳)。最近はバラエティ番組への出演も増え、その愛嬌あるルックスと、親近感の湧くトークに癒やされている人も多いことだろう。  そんな一見愛されキャラの彼だが、過去の私生活を覗いてみると、ギャンブル狂い、サラ金地獄、4度の結婚、そして作家・西村賢太の分身ともいえる北町貫多に自身を投影……と、なかなかパンチのある生き様を見せていた。  発売中のエッセイ集『三角でもなく 四角でもなく 六角精児』(講談社)には、赤裸々に綴ってあるということで、著者本人を直撃した。 ――著書では、ギャンブルや借金、離婚のことなども、かなりぶっちゃけてますね。 六角精児(以下、六角) こういうダメな人間だってなんとか生きてるぞ、ってことを知っていただけたらうれしいですね。ダメな人間だって、生きる資格がないわけじゃないですから。まあ、そんなに大したことが書いてあるわけじゃないですが、お金をドブに捨てる気持ちで買っていただけたらと。 ――いや、結構大したことが書いてありましたよ(笑)。これを読んだ方の中には、六角さんのイメージが変わったという声もあると思うのですが。「人からよく見られたい」「かっこつけたい」というような気持ちは薄いほうですか? 六角 薄いというか、ないですね。「こうなりたい」と思ってもなれないのが常ですから、人をうらやむ気持ちもないです。普通の自分を出して、どう思っていただけるかだけで十分だなって思います。 ――あくまでも自然体なんですね。3年ほど前まで、6畳のネズミが出るような部屋に暮らしていたと著書に書かれてましたが、テレビで人気者の自分と、私生活の差に戸惑ったりはしませんでしたか? 六角 特になんとも思いませんでしたね。その頃は、飲み屋の兄ちゃんと共同生活してまして。僕の部屋は、掃除をしていなかったのでペットボトルが積み上がってましたね。ちなみに隣は、飲み屋の兄ちゃんの部屋でした。 IMG_0102.jpg ――他人と比べたりしないんですね。 六角 比べないですね。ほかの人はほかの人だし、自分のことって自分でもよく分からないじゃないですか?「自分のここがよくないな」って思うところが、案外、人から見たら魅力的だったりすることもありますし。 ――著書の中で、西村賢太さんの私小説の主人公・北町貫多にご自分を投影しているあたりは、思わず笑ってしまいました。 六角 いや~、北町貫多は人間らしいですよ。人間って、ああいうことでしょう! ――貫多は、家賃は滞納するわ、卑屈だわ、人を裏切るわ、かなり強烈なキャラクターですが(笑)。 六角 もちろん貫多と僕は違うところもあるとは思うんですけど、ダメさ加減は似てるなって思うんです。初めて読んだ時に「分かる、分かる♪」って。 ――貫多に共鳴してしまうとは(笑)。ところで、雑誌などのインタビューで、よく「なぜそんなにモテるんですか?」という質問を受けてますよね。 六角 多いですね。結婚・離婚を繰り返してるから、そう思われるのかなあ。自分ではまったくモテると思ってないですし、自信もないです。 ――それでも、4回もご結婚されているわけですが。 六角 僕みたいにダメなヤツを「私が救ってやらなきゃ」と思う女性って、結構いらっしゃるんですよね。それに女性って、結婚すると男性が変わると思っていらっしゃる方が多いんですよ。 ――男性は女性で変われないものですか? 六角 変われる人は、きっと“不自然体”でいることに慣れてる方だと思うんです。例えばちゃんとした会社勤めの方とかは、普段から大概、不自然体でいると思うんですよね。ですが僕の場合、ずーっと自然体なものですから(笑)。 ――でも、現在はギャンブル漬けから抜け出されたんですよね。 六角 借金がなくなって一度ギャンブルから離れたことで、見え方が変わってきたんです。今でもたまにパチンコ・パチスロをやりますけど、前みたいに「絶対に勝ってやる」とは思いませんから。 IMG_0354.jpg ――独身よりも、結婚を選んできた理由はなんでしょうか? 六角 実は、最初から自分で望んでした結婚って、そんなにないんですよ。10年くらい付き合って、ある時、彼女の実家に連れていかれて、お父さんに「じゃあ結婚するのか!」って言われて、「は、はい」って言ったりとかですね。仕事上の理由で「けじめが欲しい」と言われたり。あるいは子どもができたり。結婚しろと言われた時に、それを拒む理由もなかったので。 ――でも結婚すると、責任が増えますよね。男性は特に。 六角 そうなんですよ。それに気付いたのは、随分、後のことでございまして……。 ――離婚の原因は、なんだったんですか? 六角 やっぱり僕の経済力のなさと、不誠実さですね。30代の頃も仕事がなかったわけじゃないんですけど、収入をほとんどギャンブルに使ってましたから。最初は個性的な珍獣みたいに思われて結婚したとしても、思い通りにならないわ、どんどん憎たらしくなっていくわで手に負えなくなって、結局、すべて相手の方から離れていきました。どこぞの公園の池に、持て余した飼い主に捨てられるワニみたいなものですよ。 ――離婚した時は毎回、落ち込むんですか? 六角 落ち込みますね。「またか……人間としてどうなんだ」って。ただすぐに「あ、でも4度離婚した人、知ってるぞ! あの人、結構ちゃんとした人だし。やっぱ巡り合わせなのかなあ……」とか考えちゃったこともありますけど(笑)。 ――現在の奥様とは、1年半前に2度目の結婚をされましたが、離婚へのおびえみたいなものはありますか? 六角 ないですね。お互いに何がダメで別れたか分かってますから。そこを自分なりに努力しようと思ってます。 ――そんな紆余曲折を経た六角さんですが、劇団扉座(旧「善人会議」)を旗揚げされてから30年以上がたつそうですね。最近の若い劇団員を見て、思うことはありますか? 六角 自分の世界だけを大切にする人が多くて、「つまんないなあ」と感じることはありますね。若い方は、あまり出会いや経験に対して欲がないのかなって。自分の考えって、自分ではいいと思ってても、ちっぽけなものが多かったりするんですよ。もっと良いことも悪いことも経験して、それから取捨選択してほしいですね。 ――「いろんな経験」とは、六角さんが言うと説得力がありますね(笑)。 六角 役者で食べていくのは大変です。よっぽどキレイな人だったり、面白い人だったり、頭がいい人じゃないと、まず無理。んで、キレイな人はどこかですでにスカウトされて事務所に入ったりしてますから、劇団に来るってことは、無意識のうちに審査に漏れている可能性が高い。そのハンデを打破するために、若いうちはもっと積極的に無茶をして、何かをつかんでほしいなって思いますね。 (取材・文=林タモツ) ●ろっかく・せいじ 1962年生まれ。82年の劇団「善人会議」(現「扉座」)旗揚げメンバー。テレビ朝日系ドラマ『相棒』シリーズで人気を博し、09年には、同シリーズの映画『鑑識・米沢守の事件簿』で映画初主演。13年4月から放送のTBS系金曜ドラマ『TAKE FIVE』(毎週金曜22時~)、NHK BSプレミアム『真夜中のパン屋さん』(毎週日曜日22時~)にレギュラー出演、NHK Eテレ『SWITCH インタビュー達人達』でナレーションを務める。近年は、自らボーカル・ギターを担当する「六角精児バンド」でのライブや、エッセイ執筆(『三角でもなく 四角でもなく 六角精児』講談社刊)を行うなど活動の幅を広げている。

海賊国家といわれるソマリアに林立する「国家のようなもの」その実態に迫る!【後編】

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駐車してある戦車の前でくつろぐ人々(モガディショ)。
【前編】【中編】はこちらから ――『謎の独立国家ソマリランド』では、高野さんの紀行文とソマリランドを学者のように解説するくだりが交互に出てきます。読者のみなさんには、どういうところに注目して読んでもらいたいですか? 高野秀行(以下、高野) SFを読むような気分で読んでもらえると、面白いんじゃないかと思います。この世のことではなくて、別の惑星で起きているみたいな。 ――別の惑星と言われると納得できます。少なくとも、日本人の文化や概念からはほぼ外れていますよね。 高野 僕はこの本で、2つのことをいっぺんにやろうとしたんです。ひとつは専門家が読んでも、役に立つ本であること。従来のソマリアは20年も無政府で、ソマリランドは国家として承認されていない。研究者もいないし、知っているジャーナリストもいない。無政府状態になる以前は軍事独裁政権で、やはりジャーナリストや研究者は自由に入れなかった。わからないことだらけなんですよ。国自体が未知の世界で、まさに政治的秘境になっているから、そこにはいろいろな面白いことがあります。そういう意味で、この本は資料的な価値も絶対あるはずなので、研究者やジャーナリストが読んでも役に立つように書いてあります。  もうひとつは、面白い物語であること。専門書だと、一般の人が読む理由がなくなってきますよね。一般の人はソマリアなんて知らなくてもいい。地理的にも離れているし、商売をしているわけでもない。そういう人には、純粋に冒険物やSFを読むように楽しんでもらいたいです。 ■海外取材における、お金の話 ――著書ではお金、特に取材費の話が出てきますよね。当初持っていった取材費は150万円くらいとのことですが、フリーランスが海外取材する場合の予算や、現金を持ち歩くことのリスクを、どのように考えていますか?
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機関銃を携える民兵。
高野 大都市ではたいていクレジットカードが使えるから多額の現金を持って行く必要はないけど、ソマリアみたいなところではカードが一切使えないから、持って行くしかない。実は送金してもらう手もあったのですが、当時はわからなかったので。 ――現金を、どこに入れていたんですか? 高野 150万をドルにして、分厚いので分散して、腹(腹に巻くタイプの貴重品袋)に入れました。20ドルくらいまでの細かいものはビニール袋に入れてカバンの中に入れ、50ドル以上のお金は身に着けていました。 ――高野さんは「著作を一冊書いても70~80万ぐらいの収入にしかならない」とサラッと書いていますが、衝撃を受ける読者もいると思います。費用対効果は考えていましたか? 高野 まったく考えていませんね。考えたら行けないですよ。今まで出版社からお金をもらって行った取材も何回かあるけど、大半は自分でやっています。企画になるかわからないことに出版社はお金出してくれませんから。 ――それは実際に本になるまでは、高野さんが何を言いたいのか、編集者には伝わらないということでしょうか? 高野 そうそう、そういうことです。いくら説明しても、全然わかってもらえないから。それでも以前は企画にしようと頑張って伝えていたのですが、いくら言ってもわかってもらえない。今でも僕が面白いと思っていることは、だいたい編集者に伝わらなくて。行く前は全然企画として成立していなくて、行って書くと「あぁ」と納得して、ようやくわかってくれる。だから、書いたものを見せないとしょうがないんですよね。 ――企画書だけでは編集者に面白さが伝わらない、ということに苦労しているんですね。 高野 でも、簡単に伝わらないことは、すごくいいことだと思います。人が想像していることをやってもしょうがないから。人が想像できないことをやらなきゃね。 ――実際『謎の独立国家ソマリランド』が売れているのも、人の想像力を超えた物語であるということが大きいと思います。ご自身は、売れている理由をどのように分析されていますか?
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私の面倒をみてくれたモガディショの美人ジャーナリスト(右)。
高野 まあ異様な本でしょ。タイトルが『謎の独立国家ソマリランド』で、こんなしっかりした作りで、帯も「西欧民主主義、敗れたり!!」って言い切っているし。本の雑誌社の担当編集者とも話したんだけど、本当に面白い本はちゃんと売れるんだなって。出版に対して未来を感じたというか、まだまだ捨てたもんじゃないなと思いましたね。 ――存在感がすごくあるというか密度が濃いというか、詰め込まれているというのが厚さだけじゃなくてパッと見でわかりますね。 高野 編集者とレイアウト担当の人と、完璧な本を作りたいと話していたんです。地図なんかも、すごく変で複雑な地図ですが、あれも繰り返し繰り返し直して文字の大きさや色にこだわって、いかにわかりやすくきれいに仕上げるかを徹底してやったんです。地図にはやっぱり色がつかないとわからないということになり、カラーは8ページと決まっているので、最後の写真を削って入れたんですよね。 ――500ページを超える大作ですが、執筆には苦労されたんですか? 高野 自分の中では、苦労は少ないほうですね。書き直しは少なかったです。最初に書くときにものすごくいろいろ書いて、流れを自分の中で考えて作りましたからね。 ――最初から最後まで、ちゃんと考えられているわけですね。 高野 そうです。関係者全員で、完璧に作ろうと頑張りましたから。ソマリはもうこれ一冊でOKなんだ、という本にしたかった。自分の集大成なんですよね。今まで25冊近く書いてきたけど、10年前だったら、この本は書けなかったと思います。理由は、技術的に難しいから。情報だけ並べるのであればそれはできるし、ストーリーだけ書くのであればそれもできるんだけど、情報を入れてそれをストーリーにしていくとなると、こんなに要素が多いと、めちゃくちゃ難しくなってくる。10年前だと、たぶんそれが技術的にできなかったと思うんです。 ――ソマリランドでシリーズ化したいと考えているんですか? 高野 あと6~7冊は書こうかなと。まず銃撃戦を含めた続編を考えていて、それから向こうで親しくなったジャーナリストを日本に呼んで、彼らと一緒に本を作ることを計画しています。来年にはラクダで古代王国を探す旅に出る予定。そんな夢を持てる国なんてないですよね。僕にとってソマリというのはライフワークなので、それだけやるのではなくて、ひとつの大きな縦軸として今後も続けていきます。 (取材・文=丸山佑介/犯罪ジャーナリスト<http://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/>) Somali_chosha.jpg ●たかの・ひでゆき 1966年、東京都八王子市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学探検部在籍時に書いた『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)をきっかけに、文筆活動を開始。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」がモットー。アジア、アフリカなどの辺境地をテーマとしたノンフィクションのほか、東京を舞台にしたエッセイや小説も多数発表している。1992~93年にはタイ国立チェンマイ大学日本語科で、08~09年には上智大学外国語学部で、それぞれ講師を務める。主な著書に『アヘン王国潜入記』『巨流アマゾンを遡れ』『ミャンマーの柳生一族』『異国トーキョー漂流記』『アジア新聞屋台村』『腰痛探検家』(以上、集英社文庫)、『西南シルクロードは密林に消える』『怪獣記』(講談社文庫)、『イスラム飲酒紀行』(扶桑社)、『未来国家ブータン』(集英社)など。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で第一回酒飲み書店員大賞を受賞。

海賊国家といわれるソマリアに林立する「国家のようなもの」その実態に迫る!【中編】

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“海賊の首都”プントランドのボサソ。
【前編】はこちらから ■海賊と誘拐ビジネスの実態 ――高野さんが見た海賊の実態を教えてください。 高野秀行(以下、高野) 僕も最初は海賊がなんなのかまったくわからなくて、マフィアっぽいのか、あるいは山賊っぽいのかなという漠然としたイメージしかなかったし、かつてのソマリア全土に存在すると思ってました。でも実際には、ソマリランド政府の手が及んでいるところにはいない。 ――報道される海賊の被害が出ているエリアは、どのあたりになるのでしょうか? 高野 海賊のメインはプントランドで、7~8割はそこだと思います。近くの南部ソマリアでもやってはいますが、内戦状態の南部は海賊が少ないです。 ――変な言い方ですが、安定しているから海賊ができるということでしょうか? 高野 因果関係はわからないけど、もしかしたらあるのかもしれない。というのは、海賊をやっていると万事丸く収まるところがあるわけです。これがもし陸地でやったら、地元で敵を作ることになって、復讐を呼んで内戦になる。外国船を捕まえて身代金を要求すれば誰も傷つかないし、それでお金が回るわけだから、みんな丸く収まる。 ――一般にイメージされる海賊は、略奪が基本ですよね。ところが著書を拝見すると、実際にメインなのは誘拐ビジネスとのこと。それもプントランドでは、政府自体が誘拐の交渉を仲介してくれますよね。そうすることで身代金の額は跳ね上がって、交渉もまとまりやすくなる。これは国家事業ということなんでしょうか? 高野 ソマリの氏族社会の伝統なんですよね。昔から敵対している氏族を拉致して、身代金でラクダを10頭とか15頭とか支払わせる。その間、捕虜を傷つけてはいけないという掟がちゃんとある。そういうことに慣れているから、彼らにとって「海賊」はニュービジネスでもなんでもなくて、昔から陸地で散々やっていることを海に当てはめてやっているだけなんです。「不倫は文化」と言った芸能人がいたけど、ソマリでは拉致も文化の一部なんです。 ――身代金の額も大きいし、部族間でトラブルも起きない。いいシステムなんですね。 高野 みんなそのシステムをわかっているから、田舎の漁民とかラクダ使いみたいな人でもできる。海賊は特殊な職業ではなく、いつ誰が転じてもおかしくない。例えば、人手が足りないから手伝ってくれよ、みたいなこともあるんです。 ――著書の中でも「一族の中に一人くらいは絶対いる」と書かれていますよね。 高野 愛知県におけるトヨタ自動車みたいなものだから、みんな何かしら関連しているんですよ。 ――ソマリアの誘拐ビジネスは、金さえ払えば無事に釈放されるのでしょうか? 高野 そうです。殺したら金をもらえなくなる上に、復讐を呼ぶでしょ。彼らは復讐をすごく恐れている。彼らは、いかにリスクをかけずに収入を得られるか常に計算している。非常に合理的な人たちなんです。 ――著書の中で出てきた、高野さんが海賊を雇う計画ですが、どこまで本気なんですか?
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海賊に拉致されたドイツ人とそのヨット。
高野 本気です。ウソは書いていませんから。ただ、海賊をやりたいのではなく、なんとか金を取り返したくて、海賊のドキュメンタリーを撮れないかと思ったんです。地元のジャーナリストに相談したら「海賊を雇えばいい」と言われて、「そうか!」とそのときは目からうろこな気がしたんですよ。いくらくらいかかるのか聞いたら、どんどん見積もりを出してくるから、計算してみたわけです。 ――それは本当に実現可能なんですか? 高野 十分実現可能です。罪の意識が薄い海賊が多いんですよ。まず誰も傷つけない。「人質は大切だから傷つけたりしない」と言うくらいです。しかも外国船を拿捕したところで米軍が復讐に来るわけでもないので、捕まる心配がない。 ――見積もりを取るだけで、海賊の構造がすごくよくわかりますね。 高野 これまでの海賊の話って、いくら聞いてもなんかぼんやりしていて、今ひとつわからなかったんです。世界中のアンダーグラウンドが関わっていると言われても、どうしても陰謀論めいた話になっていくので、具体的にどういうことか全然わからない。でも見積もりを取ったらどんどん見えてきて、取材ではわからなくても見積もりではわかる。見積もりすげぇなって思いました(笑)。 ――見積もりから見えてくることって多いんですね。 高野 バズーカや機関銃はレンタルのほうが安い、とかね(笑)。 ――ソマリランド以外のソマリアでは、治安はどうでしょう。ソマリランドを一歩出ると危険なんでしょうか? プントランドは、やはり危険ですか? 高野 治安の面でいえば、プントランドは護衛なしだと外国人なんか5分と立っていられないと言われましたね。ただし、戦争や内乱の勃発といったことはなく、政情の安定は保たれています。同じ系列の氏族で固めてあるので大きな内戦はありませんが、氏族間の抗争みたいなものはあって、ヤクザの抗争みたいな感じで、関係している人とそうじゃない人がいるんです。トラブルの発端は大体つまらないことで、ラクダの水場を争ってケンカして殺してしまったとか、借金を返さないとかで、誰かひとり殺されると抗争が始まる、ということがプントランドでは結構ありますが、すごく大きな混乱にはならないです。 ――一番治安がヤバイなと思ったのは、南部ソマリアのほうですか? 高野 南部ソマリアは自称国家が乱立しているし、僕が行ったときはアル・シャバーブというイスラム過激派が、かなりの勢力を持っていました。そいつらは簡単に人を殺すし、外国人はすぐに拉致する。自分たちの言うことに従わなければ簡単に殺すというのは、今までのソマリにはなかった価値観なんです。今はアル・シャバーブの勢力が弱まり、今度はまた昔ながらの氏族間による戦争が再開しています。
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プントランド移動中は4人の兵士を護衛につけた。
■経済学の概念をひっくり返す、驚きの通貨事情 ――著書を読んでいて笑ったのが、プントランドの換金レートの変動で身代金の支払いがあったかどうかがわかるという話なんですが、ものすごく単純な市場原理ですね。地元の海賊にお金が入ると換金するから、周りにも回っていくという。 高野 大きい買い物はドルでするのが普通だけど、日用品はソマリア・シリングで買うしかない。洋服を買ったりガソリンを入れたりするのは全部ソマリア・シリングだから、結局換金しないといけないんです。身代金の支払いが発生すると、一度に大量にドルを換金するから、ドルのレートがガクンと下がる。 ――レートのことで気になるのは、買い物するときは大量の紙幣を持ち歩くんですか? 高野 ソマリランドはソマリランド・シリング、プントランドと南部ソマリアはソマリア・シリングと、別々の通貨を使っています。両方とも、100ドルも換金したら片手で持ちきれないほどの札束になる。  それが大変だから、今ソマリア3国で携帯マネーがすごく普及しているんです。バナナ一本でも携帯で買えるんです。「ザード」と呼ばれるシステムで、携帯会社に金を預けておいて、相手の電話番号さえわかれば、今買い物をしている店でも何百キロも離れた町の親戚にでも送金することができる。ソマリランドでもプントランドでも、屋台みたいな店でも張り紙に電話番号が書いてあって、携帯電話を操作して送金して買い物をするんです。 ――最先端の決済システムじゃないですか。まったくイメージできないですよね。 高野 僕が行ったときも、とにかくものすごくシリング札がかさばるけど、ドルを細かくするのも面倒。でも、端数って必ず出るじゃないですか。だから、旅の後半はもっぱら「ザード」に頼っていましたね。キャッシュを持ち歩かなくて済むし。このシステムには前の段階があって、それは氏族の信用取引なんです。同じ氏族同士で使えるアナログのクレジットカードみたいなものがあって、遠くに移動するときに現金を持っていくのが心配な場合、自分と同じ氏族の人にお金を預けて、行った先の同じ氏族の人にお願いするとお金を下ろすことができるんです。 ――アナログなシステムを、最新ツールでやっているんですね。とっぴなことに思えるけど、大本はあるわけですね。 高野 彼らは、借り物でやらないんです。ヨーロッパでやっているからうちでもやる、と飛びつかない。彼らがやっていることは、大体氏族の伝統社会に元がある。海賊も、そのアレンジというわけです。 ――ソマリ人は頭がいいですね。日本では本人確認に手間取ってしまうけど、携帯で電話番号に送金するのは、むしろ簡単じゃないですか。 高野 彼らは、面倒なことが嫌いだから。日本だと、送金するにしても身分証明書だとか口座を作ってとかやらなきゃいけないけど、口座なんていらないからすごく簡単です。 ――海外にお金を持ち出すのも楽ですよね。例えば海賊が5万ドル儲かったからヨーロッパに行くとか、そういうことも向こうにいる同族に預ければいいから、持ち運ぶリスクもなく楽にできる。 高野 マネーロンダリングする必要もない。誰もソマリアに来て調べないし(笑)。
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ソマリ人の生活に欠かせない覚醒植物カートの販売スタンド。
■ソマリランドの名物「カート」とは何か? ――高野さんは覚醒植物「カート」を食べて地元の人と交流していましたが、今後ソマリランドを訪れる人が食べるには難易度高いですかね。 高野 カート居酒屋(カートを提供するカフェ)は、あまりお勧めしないですね。あれは地元民にカートをたかられる(笑)。 ――他の国では、覚醒植物なんかの葉っぱを噛んだらペッと吐き出すことが多いですけど、ソマリアでは食べるそうですね。 高野 全部飲んじゃいますね。 ――おなか痛くならないんですか? 高野 それが、すごく腹の調子がよくて。僕は胃腸が弱くて下痢しやすいんだけど、ソマリアでは一回もなかった。ものすごく胃腸にいいんじゃないかな。砂漠の中をトラックで運ぶから土埃とかいっぱい付いているはずなのに全然平気ということは、多分葉っぱに殺菌作用があるんじゃないかと思います。 ――著書では随所に、どこかに行くと「地元の人とカートやりたい」と書かれていますが、それくらい一般的に普及しているものなんですね。 高野 日本でいうと酒を飲むのと同じ感じです。現地の人と友達になって、その人に「カート食べたい」と言えば連れて行ってくれますよ。楽しいと思いますよ。 ――普通の食事で、お勧めはありますか? 高野 ソマリランドの食べ物は、すごくおいしいです。特に日本人が親しみやすい味で、メインはヤギ肉と、あとはラクダ肉。魚もあります。主食は米・パン・パスタ、あとはアンジェラというトウモロコシを小麦粉で練って引き伸ばして焼いた、インドの主食チャパティみたいなものがおいしいです。 ■旧ソマリアで発揮された日本の存在感 ――ソマリアの三地域における日本の存在感って、どうなんでしょうか? 高野 日本は“すごい国”だと思われていますよ。現地では、車が99%日本車で、みんな日本の中古車に乗っています。ネットは結構普及していますが、まだアップルが入っていないので、パソコンもほとんど日本製です。スマホは、サムスン製品が最近出てきていますけどね。Wi-Fiを使えるところが多く、中級以上のホテルにはまずWi-Fiが通っているので、日本の田舎より全然使えます。砂漠で電波が飛びやすいから、日本みたいにちょっと建物や山の陰に入るとつながらない、みたいなこともない。 ――こうやってみてくると、ソマリランドがかなり身近に感じられるから不思議ですね。ソマリランドに行きたいという人も出てくるかもしれませんが、高野さんお勧めの入国ルートはありますか? 高野 一番面白いのは、僕もまだやっていないんだけど、イエメンから船が出ていて、それで渡るというのを一回やってみたい(笑)。 ――それはちょっと上級編ですね。そういう船は、海賊に拿捕されないんですか? 高野 大丈夫、知っている船は襲わない。だって、復讐されるから(笑)。 (【後編へ続く】取材・文=丸山佑介/犯罪ジャーナリスト<http://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/>) Somali_chosha.jpg ●たかの・ひでゆき 1966年、東京都八王子市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学探検部在籍時に書いた『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)をきっかけに、文筆活動を開始。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」がモットー。アジア、アフリカなどの辺境地をテーマとしたノンフィクションのほか、東京を舞台にしたエッセイや小説も多数発表している。1992~93年にはタイ国立チェンマイ大学日本語科で、08~09年には上智大学外国語学部で、それぞれ講師を務める。主な著書に『アヘン王国潜入記』『巨流アマゾンを遡れ』『ミャンマーの柳生一族』『異国トーキョー漂流記』『アジア新聞屋台村』『腰痛探検家』(以上、集英社文庫)、『西南シルクロードは密林に消える』『怪獣記』(講談社文庫)、『イスラム飲酒紀行』(扶桑社)、『未来国家ブータン』(集英社)など。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で第一回酒飲み書店員大賞を受賞。

海賊国家といわれるソマリアに林立する「国家のようなもの」その実態に迫る!【前編】

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無政府状態にあるソマリアの首都モガディショ市街。
 海賊が頻出し世界の危険地帯のひとつとして知られるソマリアは、アフリカ大陸東部の突端に位置する国家である。1991年に勃発した内戦によって政権が崩壊し無政府状態となっており、今ではどんな状態なのかすらわからない謎のエリアとなってしまった。  そんな危険地帯に乗り込んだノンフィクション作家の高野秀行氏が『謎の独立国家ソマリランド』(本の雑誌社)を上梓した。  これまで、幻の怪獣ムベンベや怪魚ウモッカなど数々の未知動物を追い続け、常に冒険へと挑む高野氏に、海賊が跋扈する国家の実態はいかなるものか、そして取材時のエピソードや今後の野望などを伺った。 ――そもそも、なぜソマリア(ソマリランド)を目指したのですか? 高野秀行(以下、高野) まず、崩壊していてグシャグシャになっている従来のソマリアの国土内にソマリランドという謎の独立国があり、それが国連の介入を拒否して独自に平和を保っているというのが、すごく不思議だったんです。「そんなものが本当にあるのか? あるとしたら、どうやって成り立っているのか?」そんな疑問が涌き起こってきて、興味を持ったことがきっかけです。 ――「ソマリランド」という単語を初めて耳にしたのは、いつ頃ですか? 高野 訪れる1年前の08年頃のことです。この時点で建国から20年近くたっている計算になるのに、ソマリランドのことがまったくわからない。ガセネタかもしれないなと思っていました。 ――高野さんといえば秘境探検の代名詞ですし、以前は辺境作家と名乗られていましたよね。出演されたラジオ番組で高野さんが目指す秘境のことを説明するのに「政治的秘境」という言葉を使われていましたが、今回もそれに該当すると思われたのでしょうか? 高野 政治的秘境ですよね。20年間も政府がないと、誰も行けないわけですよ。ソマリア自体がブラックボックスみたいな感じでしょ。実際、当時ニュースで報道されていたのも、海賊がいるとか無政府状態だとかで「ソマリランド」という単語すら出てこないので、日本で調べている段階では全然わからなかった。唯一わかっていたのは、旧ソマリア国内に「ソマリランド」と「プントランド」と「南部ソマリア」が三国志状態で乱立しているらしい、ということぐらいでした。 ――高野さんは、アフリカや中東の周辺諸国には何度も行かれていますよね? そこからイメージしたりとかはできなかったんですか?
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ラクダ肉を見せてくれたソマリランドの肉屋の人たち。
高野 いや、もう全然違うと思っていました。周辺国の人も「ソマリ人はイカれてる」って言っていたし、地獄みたいなイメージしかなかった。前に一度飛行機でモガディシュから来たソマリ人と乗り合わせたことがあって、「モガディシュって、すごく危ないんじゃないの?」と聞いたら「いや全然危なくない。武装した護衛を付けていけば全然OKだ」と言うから、「それはOKじゃないだろう!」と(笑)。 ――いざ行くとなったとき、ビザ(査証)はどうされたのですか? 高野 それもわからなかった。でも09年頃にいよいよソマリランドに行こうと思ってネットで調べていたら「ようこそ、ソマリランドへ!」と英語で書かれたソマリランド共和国のホームページが出てきて、そこでビザの用紙をダウンロードできたんですが、今度はどこに申請したらいいのか書いてなかった。一体どうしてほしいんだ? と思いました。  そこで、アフリカでずっとジャーナリストをしている昔からの知り合いで、ケニア・ナイロビ在住のカメラマン中野智明さんに話を聞いてみたら、昔エチオピアのアディスアベバでビザが取れたというので、じゃあそこに行って取ってみるかということになったんです。 ――とはいえ、どうなるかもわからない状態で、行動に移すのを後押ししたのはなんだったのでしょうか? 高野 取材対象が「国」だったことかな。なんせ、未知動物を探すことが嫌になってきて(笑)。というのは、未知動物を探す上で最大の欠点は、見つからないということでしょ。まあ動物は見つからなくてもしょうがないけど、「国」だったらあるだろうと。 ――たまには取材の“取れ高”もあったほうがいいと? 高野 そうそう。たまには見つけてみたいし(笑)。国だったら、「ある」可能性が高いだろうと思ったわけです。 ■実際に訪れて目の当たりにしたソマリランドの現実 ――実際に現地に行ってみて、どうだったんですか? また、入国にはどんな困難がありましたか? 高野 エチオピアでビザを申請したら思いのほか簡単に取れて、その後は入国も普通にできました。その段階では普通の「国」に入るみたいだなと思ったんですよね。正直、思っていたのと違うな、というのはあった。未確認国家を見つけに行ったのに、すんなり入れたので、どうしようかと戸惑ってしまいました。
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ソマリランドを走る車は99%日本車
 入ったらそこがゴールというのをイメージしていたのに、普通に入れて普通に機能している。普通に機能している国の存在を証明するためには何をしたらいいのか、わからなくなってしまったんです。 ――著書によると、ソマリランドに入国し、旧ソマリア時代の首都モガディシュに次ぐ第二の都市であるハルゲイサに着くと、すぐガイドを付けましたよね。東洋人が一人で歩いたら危ないなという感じは受けましたか? 高野 身の危険を感じることは、まったくなかったですね。変な奴が寄ってきて金をせびったり、ぼったくったりということはあるかもしれないけど。そこはアフリカの普通の国という感じでした。力ずくでなんとかするという気配はない。何しろ銃を持っている人間がいないというのが驚異的で、大体アジア・アフリカ・南米といったら民間人は武装していないけど警察や軍隊があちこちでウロウロしているのに、そういうのもない。交通整理のおまわりさんしかいないから。 ――想像していた、ブラックボックスの海賊国家というイメージは完全に打ち砕かれたわけですね。実際にソマリ人と触れ合ってみて、彼らはどんな人たちでしたか? 高野 人種的にはアフリカですが、アラブ人の血も入っているので美男美女が多いんです。性格的には荒っぽい人たちですね。とにかくガーガー怒鳴って、基本人の話は聞かないし、せっかちだし。欲しいものはガッとつかんでから「それちょっと貸して」と言う。部屋はノックしないし。驚いたのは、物乞いがいないんですよ。彼らは、恵んでもらうぐらいだったら盗むから(笑)。そういえば、ソマリ人が荒っぽいという話で本には書かなかったことなんですが、「ソマリ人にはDVがあるか?」と聞いたら「ない」と言われたんです。本当はあるのに隠しているのかと思ったら、「カミさんを殴ったら、カミさんの一族が復讐に来る」って、イカつい男性が本気で言っていて(笑)。実際、南部ソマリアでは、そんな理由から戦争になることが珍しくないんだそうです。 ――言葉や宗教、主な産業などは? 高野 言語はほぼソマリ語のみ、宗教はイスラム教。産業はラクダとヤギの牧畜だけで、工業はなんにもない。 ――高野さんはソマリアを説明するために、著書の中で「氏族」という言葉を使っていますが、この概念がないと意味がわからないですよね。「部族」とは違う。「氏族」だと確かにわかりやすいです。ソマリ人がここまで「氏族」にこだわるのは、中東・アフリカエリアでも特殊なのでしょうか? 高野 「氏族」は、日本でいう「武田氏」や「上杉氏」みたいなものです。氏族が違っても、みんなソマリ人だから言語も文化も同じ。それに対して「部族」というのは曖昧な言葉で、私は「民族」と呼ぶべきだと思いますが、言語と文化を共有する集団。アフリカのほとんどの国は多民族国家です。ソマリアもソマリランドもほぼ単一民族国家だけど、その中で異なった氏族が争っている。昔の日本の戦国時代によく似てます。 (【中編へ続く】取材・文=丸山佑介/犯罪ジャーナリスト<http://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/>) Somali_chosha.jpg ●たかの・ひでゆき 1966年、東京都八王子市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学探検部在籍時に書いた『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)をきっかけに、文筆活動を開始。「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それを面白おかしく書く」がモットー。アジア、アフリカなどの辺境地をテーマとしたノンフィクションのほか、東京を舞台にしたエッセイや小説も多数発表している。1992~93年にはタイ国立チェンマイ大学日本語科で、08~09年には上智大学外国語学部で、それぞれ講師を務める。主な著書に『アヘン王国潜入記』『巨流アマゾンを遡れ』『ミャンマーの柳生一族』『異国トーキョー漂流記』『アジア新聞屋台村』『腰痛探検家』(以上、集英社文庫)、『西南シルクロードは密林に消える』『怪獣記』(講談社文庫)、『イスラム飲酒紀行』(扶桑社)、『未来国家ブータン』(集英社)など。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で第一回酒飲み書店員大賞を受賞。

東京03メンバー激白「TSUTAYAを閉店させ、歩道橋を封鎖する」角田晃広はどれだけ天才なのか?

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 今年、結成10周年を迎えた東京03。そんな彼らが3月27日、最新DVD『第14回東京03単独公演「後手中の後手」』(コンテンツリーグ)をリリース。さらに、過去に発売されたDVD11タイトルを詰め込んだ『東京03 DVD-BOX』(同)が、1003セット限定で同時発売されることになった。2010年から始まった全国ツアーも好調で、いまやコントの王者としての風格すら漂っている3人にインタビューを行った。 ――まずは、このDVDに収録されている単独公演についてうかがいたいと思います。ライブのタイトルを『後手中の後手】にした理由は? 飯塚 単独のタイトルは、なんとなく3部作でくくってるんですよ。前回が『図星中の図星』だったので、今回も『○○中の○○』シリーズで考えていて、そこで「後手」っていうキーワードが出てきたんです。うちの角ちゃん(角田)が、何をやっても後手に回ることが多いっていう。 ――「後手に回る」っていうのは、具体的にはどういうことですか? 飯塚 単純に、今これ言っておけば面白かったのに、なんで言わないの? とか。それで「あっ、そうか」って気付いて後から変なタイミングで言ったりしても、それはもう笑えないよ、とか。とにかく後手に回ってるイメージなんですよね。 角田 例えば、食事しに行きたいと思っていたお店があって、今回はそこはやめておこう、って考えて違うところに行く。そうすると、次にもともと行きたかった方のお店に行くと、潰れてたりする。 飯塚 それでしょうがなく別のお店に行ったら、そこがまずかったりとか(笑)。 角田 単純にそういうのが多いんです。後手というより「ツイてない」っていうのもあります。わざわざ遠出して行ったら定休日、とか。引っ越した先にあるレンタルビデオ屋が、引っ越した途端に潰れたりとか。それが3回ぐらい続きましたからね。1回、TSUTAYAもなくなりましたからね(笑)。 ――あのTSUTAYAが!? 飯塚 引っ越されたら、たまったもんじゃないよね。「うちの街に角田が来たぞ!」って(笑)。
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問題の角田晃広
――今は大丈夫なんですか? 角田 今はもう、そもそもレンタルビデオ屋がないところに引っ越しましたから。 豊本 「レンタルビデオ屋がないところ」っていう条件で物件を探したの?(笑) 飯塚 何、その影響力! 角田 引っ越した先が交差点のところにある物件だったんですよ。で、そこに歩道橋があったんですけど、引っ越した途端にその歩道橋で工事が始まっちゃって、使えない状態になって。それで信号待たないといけなくて不便なんですよね。 飯塚 すごいよね。歩道橋を封鎖した。角ちゃんならレインボーブリッジもいけるんじゃないの? 角田 いっちゃう?(笑) 飯塚 でも、それを期待していくと、何もなかったりするんだよね。 角田 そう、狙っちゃうと違うんだよ。
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飯塚悟志
――では、このDVDに収録されている「後手」というコントに出てくる角田さんが演じる人物は、ご本人のキャラクターがそのまま出ているような感じなんですね。 飯塚 そういえば、結構このライブにはそういうネタが多いかも。「余裕」っていうコントもそうですね。角ちゃんの普段考えてる思いのたけをこのネタにぶつけてる。 角田 ぶつけてますね。例えば、この3人で仕事をして、僕がスベったとするじゃないですか。そのときに、とよもっちゃん(豊本)は、僕がスベったことで気が楽になって、余裕が生まれてよくしゃべったりするんですよ。 飯塚 生き生きし始める。 角田 生き生きして、のびのびしやがって、って。それで、その逆の場合もあるし。とよもっちゃんがスベって、僕が……。 飯塚 いや、どんだけスベってるんだよ!(笑) 豊本 でも、そういうことはあるよね。 飯塚 いや、あるんだけど、今の話だけ聞いてると、毎回交互にスベってるみたいになるから。なんのためのトリオなんだよ。 角田 そうやって余裕を出されるとムカつくし、自分で最初から生き生きしろよ、とか思っちゃうし。他人のスベったのを見て気が楽になって生き生きしてんじゃないよ! って思って。……まあ、(器が)小さいんですよね。 飯塚 小さいねー。だから、スベんなきゃいいのに(笑)。そんなことうだうだ考えてる時間があったら、スベんないようにしたほうがいいんじゃない? ――今回の単独公演では、全国18カ所を回るツアーを行ったそうですが、地域ごとに反応の違いなどはありましたか? 飯塚 意外にありますね。だから、毎回新鮮にできて、飽きないんですよ。大阪だとわかりやすくツッコまないと笑ってくれない、とか。あと、今回初めて沖縄でやったんです。沖縄の人ってのんびりしてて、小さいこととかあんまり考えないイメージじゃないですか。でも、僕らのネタって正反対なんですよ。人間の小さい部分ばっかりネタにしてるから、結構やるまで不安だったんですけど。 角田 別にそんな小さいことはいいじゃない、っていう感じになるのかな、って。 飯塚 僕らのネタって「逆なんくるないさー」なので(笑)。でも、意外に受け入れてもらって。出来としては一番良かったんじゃないかなって感じでしたね。 角田 だから、ああ、沖縄の人も結構小さいこと気にしてるんだな、って(笑)。 ――皆さんは今年で結成10年目ということですが、結成当初と比べて変わったことはありますか? 飯塚 角ちゃんは変わったと思う。角ちゃんは本当に面倒くさかった。まあ、わがまま、意固地、短気。大変でしたよ。相当気を使いました。最初はそれぞれ別々のコンビでやっていたから、そんなに角ちゃんの本質みたいなところを知らなかったんですよ。ただのいい人だと思ってたんです。すごい物腰も柔らかいし、いつも笑顔ですし。それが、いざ一緒に仕事をするとなるとなかなかうまくいかなくて、嫌な部分をいっぱい見ましたよ。
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豊本明長
――例えばどんなことですか? 飯塚 こっちの意見を一切聞かないんです。だから、ネタ作りとかも、お互いの意見がぶつかったときには、必ず僕の方が折れてましたし。じゃないと動かないから。単純に「ちょっと間がおかしいんじゃない?」とか僕が言っても「いや、俺は間違ってない」って。 角田 自分が完璧だと思ってたんでしょうね。できる人だと思ってましたから。でも、やっていくうちに、人力舎の先輩とかにも教育を受けて、ああ、違うんだな、って。自分は何もできてないんだな、と。それまでは大変なご迷惑をおかけした時期ですよ。 ――今ご自分で振り返ってもそう思われると。 角田 いやあ、ひどいですね。よく居れてたな、っていう感じです。 ――今はもうすっかり変わった? 飯塚 今は本当にちゃんと、会話というか話し合いができるようになりましたね。僕が全部正しいわけでもないし、話し合いたいんですけど、昔はそれをもう完全にシャットアウトしてましたから。……ただ、角ちゃんは天才だったからなー。今もそうですけど。舞台に立ったらすごいので、それで持ってたようなものですね。これでどうにもなんなかったら、たぶん1~2年で辞めてたと思いますね。 ――豊本さんは、この10年を振り返ってみていかがですか? 豊本 僕は基本、2人が持ってきたものを受け入れるだけなので。それで嫌だと思ったことはないので、それは2人が感覚が合うものを出してくれてるからだろうなと思いますけどね。3人になってから唯一僕が意見を言ったのは、3人になったときに「飯塚さん、トリオだとギャラが三等分になるけどいいですか?」って。それぐらいしか言ってない。 飯塚 豊本は金に汚いんですよ(笑)。 豊本 汚いって言う言い方は聞こえが良くないけどね。 飯塚 いや、汚いですね。僕と角ちゃんはもう、夢と希望しかないもんね。 角田 うん、そりゃそうでしょう! 豊本 いや、それはずるいよ! 確かに金の話はしたから否定はしないけど!(笑) (取材・文=ラリー遠田/撮影=名鹿祥史)
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●とうきょう・ぜろさん 飯塚悟志、角田晃広、豊本明長からなるお笑いトリオ。2003年、飯塚・豊本の「アルファルファ」に「プラスドライバー」を解散した角田が加わる形で結成。06年『お笑いホープ大賞』大賞受賞。『キングオブコント2009』優勝。

「スナックにはスナックの歌がある」酔街が教えてくれる“やらかさない”生き方

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撮影=高橋郁子
 路地裏にネオンがポツリ。エコー強めのカラオケとママの合いの手が、扉の隙間から漏れ聞こえてくる――。日本独自の風俗であるスナックの素晴らしさを世に広めようとさまざまな布教活動を続けている浅草キッド・玉袋筋太郎氏が、初のシングル「酔街エレジー」を発売する。スナックという“こころの港”を求めてさまよう、男たちの悲哀(エレジー)。この曲に玉袋氏が込めた思いとは? あなたの知らない世界“スナック”と“昭和歌謡”の魅力を、玉ちゃんが語り尽くす!! ――「酔街エレジー」拝聴しました。玉袋さんの絶妙な声の枯れ具合が、また沁みます。 玉ちゃん お酒でうがいするとこうなるよ(笑)。かつては、ウィーン少年合唱団みたいな声してたのに……この声を作るのに、どれだけ費用がかかったことか!! この「酔街エレジー」は、そうやって徐々に出来上がっていく曲だと思うんだよ。20代には20代の「酔街エレジー」があり、30代には30代の、40代には40代のね。45歳の「酔街エレジー」が、今の俺が歌うこれ。年を取れば、また違ったものになるんじゃないかな。 ――「酔街エレジー」が生まれたきっかけは? 玉ちゃん 俺は“スナック玉ちゃん”っていうイベントをずっとやってるんだけど、そのバスツアーで、俺が観光大使をやってる檜原村に行ったんですよ。檜原村でスナック玉ちゃんをオープンして、みんなで楽しく飲んで。外でたき火燃やしていいムードのところに、この男(※作詞作曲した、くろやなぎけんろう氏)がギター持ってきて歌いだしたのがこの曲。「玉ちゃんに歌ってほしくて作ったんだ」って。 ――ロマンティックですねぇ。 玉ちゃん たき火から火がついて、それから夜のネオンにも灯がついてってね(笑)。まぁ、ずっと一緒にスナック活動してきた仲間だから、自然と歌詞も曲もできたんじゃないですか。行き当たりバッタリっていうのがイイでしょ。ノープロジェクトで。 ――スナックに入るときも、直感ですか? 玉ちゃん 直感直感。そのセンサーはね、本当はみんな持ってるんだけど、ちょっと鈍っちゃってるんですよ。最近じゃあ、なんでも便利になっちゃってるから。この店は星がいくつ付いてるとかさ。そんなもんに頼っちゃダメですよ。自分のセンサーを持たないと。ぐるなびじゃない、“はーなび”(自分の鼻ナビ)ね。いい店をかぎ分ける嗅覚を持たないと。スナックこそ、そのセンサーを鍛えられる格好の場所ですよ。第六感が磨かれる。 ――すでに超能力の領域ですね。 玉ちゃん そうです。私がスナックメンタリストです(笑)。いいんですよ、分かるやつだけ分かれば。だって、飲食業やサービス業の歴史から見ても、スナックはもっとメインストリームをいくべき業種ですよ。それがさ、路地裏に追いやられて、悪いものみたいなイメージで。それに対してママもマスターも反論せず、そのイメージを背負って生きているっていうのがね、かっこいい。 IMG_0061.jpg ――確かに。コンビニがない村があっても、スナックがない村はないです。 玉ちゃん 俺にとっちゃ、スナックが額を寄せ合っている裏路地を見つけたら、Duty Freeで興奮する女の子の気持ちになるわけですよ。あっちもこっちも行かなきゃと。加齢には誰も逆らえないように、スナックに行きたい気持ちにも逆らえなくなるんだよ。 ――スナックのハードルの高さの一つとして、カラオケがあると思うのですが。カラオケボックスのカラオケとは全然違いますよね。 玉ちゃん コミュニケーションの濃さが全然違うね。カラオケボックスは気ぃ遣わないでしょ。人が歌ってても拍手しねぇし、デンモク見てるだけで。それはそれで仲間内で楽しいのかもしれないけどさ、ノンストレスでさ。だけど、ノンストレスの生活に慣れちゃうと、さっき言っていたセンサーとか鈍ってきちゃうと思うんだよ。初めて入った店でさ、いきなり曲入れられねぇじゃん。常連の人たちが歌ってるの見て、こっちが拍手すれば「お、こいつは味方だな」ってなって、そこからつながりが生まれる。公的なスペースでの自分の出し方を学ぶ場所だね、スナックは。 ――あえて自分にストレスをかけると。 玉ちゃん テンションっていうのは、少しかけといたほうがいいと俺は思うね。人とぶつかったら「ごめんなさい」って反射的に言うのも、人付き合いのテンションがかかってるからだよね。それこそ、日本のお国柄だと思うよ。ここはおもてなしと譲り合いの国だから。スナックにもまた譲り合いがあるよ。一人で3曲も連続で歌わないしさ。小さくても社会なんですよ。 ――社会の中で自分の役割(客)をロールプレイするような。 玉ちゃん スナックの素晴らしいところって、みんなが場の空気を読むってとこなんだよ。スナックでは、あえてわき役を気取るのもいい。いいスナックにはいいわき役がいるんですよ。菅原文太、北大路欣也を生かす、川谷拓三みたいなね。まぁ、ちょっと自虐的かもしれないけど、それこそがエレジーでありロマンなんですよ。スナックでバイプレーヤーの気持ちよさを知ったら、もう戻れませんよ。  スナック自体が一つの社会、そして一つの劇団みたいなもの。誰だって初舞台は恥ずかしくって当然よ。どっ外しで変な空気になっちゃった時は仕方ねぇ、次は違う作戦で行くと。プロみたいな顔した常連さんだって、昔は失敗だらけだったんだから大丈夫。それが分かっちゃえばさ、本当にラクになるよ。本当はこれくらいの湯加減でイイんだって分かるの。スナックはぬるめの半身浴だから。「心の湯治場」ですよ。 ――とはいえ、なるべくならどっ外したくない……。 玉ちゃん なら、潮目見るっていう意味で、まずカラオケの「履歴」をチェックしなさい。俺も必ず目を通しますよ。その店にどんな客が来て、どんな雰囲気なのか一発で分かるからさ。時間によってジャンルがガラっと違ったりもするし、古い曲が毎日入ってたりすると「これは常連さんの曲だな」とか。もう慣れてくると履歴見るだけで「佐久間さん来たな」とか分かっちゃうわけ(笑)。 ――すごい! 履歴探偵!! IMG_0070.jpg 玉ちゃん 履歴でだいたい足がつくっていうね。だから、履歴に残っている歌に近い雰囲気のものを入れておけば、大きく外すことはないわけよ。いきなりEXILEとか歌い出したら、おっちゃんたちは「おお! なんだなんだ!」ってザワザワしちゃうから。手拍子どこで打っていいか分からなくて。 ――やはり、スナックにはスナックの歌がある。 玉ちゃん 昭和歌謡だよね。まるで一本の映画を見ているような、メロディがそれぞれの脳裏に映像となって現れる曲ね。スナックは、それこそいろんな人が来ていろんな歌を歌うから、どんどん知らない世界に出会えるんだけど、そういうことから“鎖国”してる人が多いと思う。心のiTunesの限界を自分で勝手に決めちゃってるっていうか。本当はナンボでも入るのにさ。 ――ママたちに「酔街エレジー」は聴いてもらいましたか? 玉ちゃん もちろん。そしたらさ「やだ、玉ちゃん、アタシ泣いちゃったよ」とか言ってくれるの。ママたちは、飲んでばっかりのアホな俺しか知らないからね。 ――ママを泣かせるとは! 玉ちゃん ママに歌を褒められたら一人前だな(笑)。ママの歌ってさ、人生が匂いたつんだよね。背負ってるものっていうのかな。ママの人生そのものが見えてくる。ママの人生のPVがさ。 ――酔街には、そんなドラマがいくつもあるんでしょうね。 玉ちゃん ぐちゃっと湿ってて、道幅も大人がちょっと譲り合いながらすれ違うくらいの細さで。人生がすれ違うような「酔街」が、今どんどんなくなってるじゃないですか。どこ行っても駅前再開発なんて言ってね。しょうがないよ、時代だからね。この歌を聴いて、「あぁこういう世界もあるんだ」って、一人でも多くの人が気づいてくれたらうれしいですね。 俺自身が「酔街」に育てられたからね。小学生の頃から、新宿のションベン横丁で遊んでるから。昼から酔っぱらってるおじさんを見ては「俺も早くあんなおじさんになりてぇなぁ」ってことばっか考えてた。昼から飲んで、隣の人と肩を組んで、最終的には言い合いになってるんだけどさ。それで翌日にはまた仲良く飲んでる。なんだそりゃ(笑)。憧れたねぇ。そういう幼少期を送って、「玉袋筋太郎」って芸名もらったら、やっぱそういう人間になるでしょう。名前と場所と生き方が「玉袋筋太郎」になったの。でもさ、知っておくといいと思うよ、表だけじゃなくて裏も。面白いからさ。 ――「酔街」は“裏”側にあるんですね。 玉ちゃん そう。“裏”にこそ、表に疲れた人間たちの心の拠り所があったはずなんだよ。それが今じゃ、拠り所がパソコンでしょ。それこそ、向こうさんの思うツボじゃない。 ――「向こうさん」? 玉ちゃん あれですよ。俺たちのことを密かに支配しようとしているヤツら。インターネットっていう集団催眠でさ。 IMG_0081.jpg ――その集団催眠が唯一届かない場所がスナック? 玉ちゃん スナックには結界が張られてるから(笑)。人間力や心のつながりという部分で結界が張られてる。そこにあるのは手つかずの自然。アマゾンのジャングルがなくなったら、地球なんかすぐ滅んじまう。スナックっていうのは、地球上になくてはならない場所なんですよ。世界遺産だね。 ――日本が誇る世界遺産(笑)。 玉ちゃん オリンピック招致の役員なんか、全員スナック連れていけばよかったんですよ。飲ませちゃって歌わせちゃえば。即キマリですよ。もてなし、譲り合い・・・・・・日本のいいところが全部詰まってるじゃないですか。 ――ハイテクな仕掛けなんかより、ずっといいですね。 玉ちゃん さまざま人間模様がそこに現れるし、だからこそ、それを面白いと思えなきゃホントもったいないと思うんだよね。不思議なことにだんだん年取っていくと分かるんだよ、それが。俺だって毎晩銀座で豪遊して、六本木でチャンネーたちをアフターに連れていくとか、そういう酒池肉林の暮らしをしたいですよ。やろうと思えばできないこともないのかもしれないけど、それは自分の身の丈じゃないんですよ。だから、スナックに執着しちゃうっていうのもあるんだと思う。もう一人の自分がさ、言うんですよ。「玉袋、オマエごときがなにやってんだ」って。やらかしちゃったな……っていう人間になりたくない。 ――生き方そのものがスナックを求めるようになる。 玉ちゃん 不思議とそうなんだよね。本当に、そういう人間になってきちゃってるんだよね。自分が小さい頃憧れた、酔街の人間に。かっこつけない、やらかさない生き方の。それは伊集院(光)も作家の西村賢太も、この間飲んだ宇多丸も、分かってくれるんだよ。一から十まで説明しなくてもね。お互い譲り合って、最終的に取っ組み合いになっちゃうような感じ。落語的な与太郎的な、気を使わないように精いっぱい気を使い合うような、俺の周りにいてくれる仲間っていうのも、またすごくスナック的なんだよね。 ――生き方も仲間も、スナックとリンクしていると。 玉ちゃん 年取るに従って、かっこつけた部分とかチャラチャラしたこととか、そういう上っ面の生き方や付き合いが虚しく感じてくるんだよね。そんなエラそうに言う俺だって全然完成してないけどね。早く年取りたくて仕方ないよ。俺、アンチアンチエイジングだから(笑)。 ――「酔街エレジー」もまた、装飾や虚勢を脱ぎ捨てたところにある歌のような気がします。 玉ちゃん 演歌や歌謡曲はどうしても時代から置き去りにされがちなんだけど、結局はブーメランと一緒で、またここに帰ってくるんだと思うよ。歌謡曲もスナックも、根っこは庶民風俗。庶民の生活から自然発生的に生まれたものなんだよね。ファミレスじゃなくて大衆食堂だから、ライスって言えば「大盛りにしてあげて」って勝手に出てくるような世界。それは歴史が作り上げるものでもあるから、ゆっくり地に足つけてね。それってメディアが育てたんじゃなくて、人が育てたものなんだよね。 ――最後に、「酔街エレジー」は、どんなシチュエーションで聴いてほしいですか? 玉ちゃん 「ちょっとやりすぎたな」とか「肩肘張ってんな」っていうときに、チューニングを合わすような感覚で、この曲を聴いてほしいんだよね。まぁ、世の中そんなもんじゃねぇかっていう気持ちになれるように。 (文=西澤千央) ●発売記念イベント 3月20日(祝) 【第1ステージ】11時~赤羽美声堂(北区赤羽2-1-20 ※JR赤羽駅から徒歩4分) 【第2ステージ】13時~ミュージックショップ ダン(北区東十条4-5-25 ※京浜東北線東十条駅から徒歩5分)

テレビ界の“明日のジョー”『5時に夢中!』名物Pが明かす、お化け番組の作り方

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 2012年、スカイツリーからの送信を開始。電波状況も改善され、ますます視聴者の裾野を広げている独立系ローカルテレビ局TOKYO MX(東京メトロポリタンテレビジョン)。アニメは名作・新作を問わず週60本放送、さらにはテレビで初めてバーチャルアイドル「初音ミク」の特集番組を組むなど、キー局には見られない独自色を強く打ち出している。しかし、何よりMXを象徴する番組は『5時に夢中!』をおいてほかにはないだろう。マツコ・デラックスや岩井志麻子ら“猛獣・珍獣”を巧みに操る一方で、時には自身の下半身事情まで晒される番組名物プロデューサー大川貴史氏。彼にあらためて聞く、お化け番組『5時に夢中!』の“これまで”と“これから”。 ――大川さんは『5時に夢中!』をどんなコンセプトで作ったのですか? 大川貴史氏(以下、大川) 僕は営業からスポーツ局に異動になって、そこで1年くらいADをやっていましたが、ある時いきなり上が全員抜けちゃったんです。まだできたばかりの会社なので、政権争いがスゴかったんですよ(笑)。それで自動的に僕が一番年上になったので「じゃあ、お前がプロデューサーやれ!」みたいなノリでした。前身の音楽番組の頃はあまりにもお金がなくて、レーベルからお金をもらい、その代わりにこの人を使う――みたいなやり方でなんとかしのいでいたんですが、これがいろいろめんどくさい。出演者がスポンサーでもあるから、なかなか自由にはやらせてもらえないんです。制作会社の社長の愛人を使わなきゃいけないとか(笑)。そういう矛盾を、まず一つ一つ排除して。  うちの会社の中では、帯番組に動くお金が一番大きいんですね。そうなるといつも「帯番組をつぶせ」っていう議論になる。放送が決まってからも「やっぱりなくせ」。で、ある時になったら「やっぱりやれ」と。出演をオファーしていた(岩井)志麻子さんには「どっちなんじゃい!」と、菓子折りブン投げられましたよ(笑)。でも、それで腹くくったというか、いつ終わるか分からないんだったら、自分が興味のある人に出てもらおう。それだったら、終わっても後悔しねぇなって(笑)。それで「どっちにしろ誰も見てねぇし、スポンサーいねぇし、誰にも世話になってないから、言いたいこと言っちゃおうぜ」というコンセプトになりました。 ――意識した視聴者層は? 大川 当時の上層部的に、夕方の番組といえば『夕やけニャンニャン』のイメージ。中高生がワ~ッと集まるような番組にしてくれ、と。でも、まったく引きがないんですよ。で、急遽、新しい番組を立ち上げろと言われた時に、どうしたらいいか全然分からなくて。『5時に夢中!』というタイトルは「五里霧中」が由来なんです。実際、その時間帯に中高生はいないんですね。調査したら、5時の在宅率は主婦層が圧倒的に多い。これはもう主婦向けしかない。しかも、その時間の裏番組は全部真面目なニュースでしょ。だったらこっちは極端に色のある人たちに出てもらって、主婦向けに本音トークをしてもらおうと。主婦が絶対読まない夕刊紙を題材に、真面目な顔しながら面白おかしく、ニュースパロディみたいな形でと、試行錯誤しながらたどり着いたのが現在の姿です。 ――制作段階で参考にした番組はありましたか? 大川 テレビだったら『サンジャポ』、雑誌だったら「噂の真相」や「サイゾー」ですね。おべんちゃらでもなんでもなく(笑)。ある種マニアックかもしれないけど、熱狂的な信者を生むような。それくらい濃くやらないと視聴者に刺さらないんですよね、うちの場合。電波が弱いんで。キー局と同じコンテンツをMXが流したって、絶対数字なんて取れるはずないですからね。MXはローカル局であり、後発局でもありますから。  ただ全国ネットと違って、僕らはある程度刺激に強い、東京人だけを相手にすればいい。田舎のおじいちゃんおばあちゃんや、お子さんたちのことは考えなくていいんです。僕は第二次ベビーブーム世代で、視聴者層もだいたいその辺りがターゲット。この世代って深夜ラジオ全盛期でしょう。だから、深夜ラジオが夕方やってるっていうニュアンスでやるのがいいかなとは思っていました。大抵のことは深夜ラジオが教えてくれますしね(笑)。 ――条件的には厳しいけど、だからこそやれることをやると。
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大川貴史プロデューサー
大川 逆手に取って……って聞こえはいいですけど、結局はやれることが限られるので、そこを極端にしていっただけです。予算もそうですけど、人もいない。そうなると、この労力をどう効率的に回すか。だって帯番組なのに、当初はスタッフが5人だったんですよ(笑)。本来はできることから始まる発想なんてダメなんでしょうけど、実現不可能なことで会議しても、僕らの場合はしょうがないから。スタッフを育てながら、番組を作っていくしかない。だけど、いい感じに仕上がったところで、みんな辞めてっちゃう。もっとカネのイイところに(笑)。今は徐々に体制が整ってきて、スタッフも増えてきて、これからもっと面白いことができるかな~とは思ってるんですけどね。 ――荒波の中で船出をした『5時に夢中!』が、現在ではすっかりMXの看板番組に。ヒットの理由は、どんなところにあるのでしょうか? 大川 何が理由でヒットしたかなんて分かりませんよ。そんなの分かってたら、世の中のすべての企画は大成功しているはず。ただ、MXは数字だけを評価する会社でもないので、そうなると逆に何を信じていいかが難しい。たまたま僕が最初の異動でADをやっていた時、まだ売れる前のTKOさんがMCだったんですね。それが死ぬほど面白かった。安田大サーカスさんとか、小島よしおくんとかも出ていました。彼らがみんな売れてくれたことで、自分の目線に自信が持てたことは確かです。僕が面白いと思ったことは、世の中も面白いと思ってくれる。勝手な自信ですけど。 ――マツコさんを筆頭に、女性コメンテーターさんは皆さん売れっ子になっていますし。人選が絶妙だと思います 大川 この番組のメイン視聴者層、子育てしながら見ている主婦の人っていうのは、昔ながらの“幸せをつかんだ人”じゃないですか。家庭もあって、子どももいて。ただ、そういう人たちが本当に幸せかどうかは誰も分からない。だから、結婚や出産を選んだ主婦とは真逆な選択をして、なおかつ幸せに生きていそうな人たちを並べて、違う価値観を視聴者たちにぶつけてみたいなっていうのはありましたね。「温かな家庭=女性の幸せ」という画一的な価値観に対しても、一石を投じたいなと。まぁ、後付けですけどね(笑)。僕は自分の母親を見て、そう思っていたんです。幸せの条件は整っているんですけど、まったく幸せそうに見えなかった。本当はもっとやりたいことがあったんじゃないか、子どものために我慢しているんじゃないかっていうのは、なんとなく子どもの頃から思ってたんですよね。 ――主婦のガス抜きという側面もあると。 大川 そうそう。誰だって一歩間違えれば、こういう人生だったかもしれない。志麻子さんなんか毎週ヤリマン自慢してますけど、家庭の主婦だってチャンスがあったら覗いてみたい世界なんじゃないですか? あと歴代の男性司会者がボロクソに叩かれるっていうのも、世の主婦たちにとっては代弁なんでしょう。ダンナに対するね。溜飲が下がるらしいんです。 ――個人的に思い入れのある企画は? 大川 「おママの花道」(※註)ですね。女性の人生って、男には計り知れないところじゃないですか。僕は男子校で、しかも全寮制で、大学まで野球やってて、めちゃくちゃ男尊女卑の世界で生きてきました。だけど、知れば知るほど「女ってスゲーぞ!」と。スナックのママというのはその象徴みたいな人たちで、それこそ圧倒的な現実を生きている。離婚したとか、借金背負わされたとか。男だったら自殺するかもしれないなっていうことを、淡々と生きちゃうんですよね。その凄みみたいなものを見せたいっていうのが「おママ」です。 ――予定調和なき世界というのが『5時に夢中!』の大きな魅力だと思いますが、大川さんの中で「言論の自由」のボーダーラインは、どのように設定しているのですか? 大川 そうですね、人格を貶めるようなことですかね。個人攻撃のような。皆さん、そんなこと言わないですけど。「好き」とか「嫌い」とか言う分には個人の自由ですからいいんですけど、「アイツは本当は○○だ」のような、裏の取れない話はダメかなとは思います。新聞社から頂いた情報はあくまでも入り口であり、コメンテーターさんにはどれだけ脱線してもらっても構いません。皆さんの妄想や世界観でしゃべってもらう分には、いくらでも。ただ、出演者さんは、ほとんど悪口は言ってないんです。人によってはそう聞こえるかもしれないけど、基本的には自虐。「私はこう思う」ってこと自体を咎める理由は何もないし、それがまったく言えなくなっちゃう世の中だったら本当に怖いと思いますしね。普通の人なら記事そのものを受け入れますけど、出演者の方々はその先を見ていたり、まったく見方が違ったりとか、視点が本当に独特だから、何年やっても飽きないのかなと思います。 ――サイゾーもそうですが、表層部分だけを見て「悪口だ」とされるのが一番つらい(笑)。 大川 「こういう見方もあるんじゃないの?」っていう問題提起なんですよね。こうやって見たら、もっと面白いんじゃない? と。僕らが王道になっちゃうほうが世の中おかしいな、って思うし(笑)。 ――『5時に夢中!』がサブカルだという意識は? 大川 まったくないですね。ただ、僕自身は吉田豪さんや水道橋博士さんのようなサブカル的な人が好きです。それは「こういう見方があるんだな」っていう視点が好きなんです。キャッチボールをしていても、とんでもない方向から球が来るような。 ――『5時に夢中!』は、いつサブカルのアイコンになってもおかしくないと思いますが、番組がずっと「下世話」を貫き通しているのがすごいなと。 大川 サブカルは、もう「権威」ですからね。本当にいつ終わるかも分からない低予算番組なので、出てくれる人はみんな“ほかで飯が食える人”です。テレビがなくても飯を食っていける人のほうが、本当のことを言ってくれるから。それが、いい意味での下世話感を生んでいるのかもしれません。 ――刹那的に始まったものが、ここまで長く続いている。 大川 結局は「偉大なるマンネリ」を作った人が勝ちなんですよね。ドリフみたいな。僕も40で、見てくれている人も同世代だと仮定すると、新しいことを追い続けるよりも、水戸黄門的な定番モノが欲しくなると思うんですよ。昔の人は情報も多くなかったから、みんな似たような生活をしていて、同じようなモノ見て、同じようなモノ食って。そういう共通項が多いほど、共感を呼ぶのかなとも思います。『5時に夢中!』を始めて、最初にリアクションがあったのは、実はゲイの方たちと水商売の人たちだったんです。コアに反応にしてくれた層です。『5時に夢中!』は、水商売の人のための“めざましテレビ”でもある。これから接客する人たちの情報収集として。もしできることなら朝の5時くらい、水商売の人たちが帰ってくるくらいの時間に再放送したいですね。 ――再放送! ぜひお願いしたいです! 大川 ギャラの問題がね(笑)。ほら、皆さん大手事務所に入ってるから、二次使用とかなんとか大変で。今でも番組予算の3分の2くらいはギャランティーじゃないですかね。だからこっちはいつまでたっても人が足りない。人も足りなきゃ機材も足りない。編集室なんて奪い合いですよ、わが社は(笑)!! しかし、あえてそういう配分にしているのは、何はさておきトークが番組の生命線だから。とはいえ、キー局の10分の1にも満たないギャラです。本当によく出てくれるな、って涙が出ます。皆さん義理堅いんです。 ――これからの『5時に夢中!』は、どんな展開を考えていますか? 大川 ちょっとやってみようかなって思ってるのは、祝日だけコメンテーターを一人足そうかと。3人いると、いろいろシャッフルもできるし。ふかわさんがようやく溶け込んできて、チームワークが取れてきたところですしね。DVDもね……新聞使ってるから難しいんだよなぁ。それこそイベントやったり、本出したりしてみたいですけどね。いざやるとなると、僕が全部やらなきゃいけないから、めんどくさい(笑)。なんで権利処理まで僕がやらなきゃいけないんだと。会社として専門家が全然いないし、前例もないから、なるべくその第一歩になりたいと思ってはいるんですけど。一番いいのは、地方局に買っていただくことでしょう。暴走族みたいに全国制覇していきたいですね。 ――昨今のテレビ界では「地方から東京へ」というインパクトが目立っていますが、『5時に夢中!』が地方にもたらす影響は大きいと思います。 大川 『5時に夢中!』というか、MX自体がマイノリティなんです。東京という都会のマイノリティ。出演者さんが弱者の味方なのは、ご自身もマイノリティの自覚がある方が多いから。だから根底にあるものが優しいんですよ。スポンサーニーズには全然応えてくれないけど(笑)。もしウチがフジテレビみたいに恵まれている会社だったら、マツコさんはすぐに辞めていたと思いますよ。視聴者からのお便りで「もう何年も笑ってなかったけど、この番組で笑うことができた」ってもらった時、あぁ誰かの役には立ってるんだなって。常に逆風の中で生きている人たちの味方でありたいなと思っています。リアル“明日のジョー”として。 (取材・文=西澤千央) ※註 スナックのママが己の波瀾万丈な人生を赤裸々に語り、魂を込めて熱唱する、月曜日の人気コーナー。

被災者はサバイバーズギルトにどう対処している? 中田秀夫監督による映像碑『3.11後を生きる』

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『リング』シリーズの世界的ヒットで知られる中田秀夫監督。
今回は被災地で働く人々の姿を丹念に取材して回った。
 中田秀夫監督が自主製作として完成させたドキュメンタリー映画『3.11後を生きる』が2月23日(土)より劇場公開される。東日本を襲った大震災から4か月後となる2011年7月から中田監督は津波の被害が大きかった岩手県、宮城県の沿岸エリアに入り、4か月間にわたって取材撮影を続けた。津波によって家族を一瞬にして失うという悲劇に見舞われた人々があの日をどのように受け止め、また“3.11後”をどのように生きているのかを中田監督は追っている。中田監督といえば、『リング』シリーズを大ヒットさせたホラー映画の名手。『リング』(98)や『仄暗い水の底から』(02)では家族と引き離される恐怖を描いてきたが、本作との関連性について問うと大きく首を振った。「今回のドキュメンタリーと劇映画はまったく別物」と明言する。海外でも活躍する人気監督を突き動かしたものは、果たして何だったのだろうか。  中田監督はこれまでに3本のドキュメンタリー映画を撮ってきた。『唇からナイフ』などで知られるジョセフ・ロージー監督の評伝『ジョセフ・ロージー 四つの名を持つ男』(98)、中田監督の師匠である小沼勝監督と“にっかつロマンポルノ”を扱った『サディスティック&マゾヒスティック』(00)、ハリウッド映画『ザ・リング2』(05)での体験をベースにした『ハリウッド監督学入門』(08)とどれも映画業界を題材にしたもの。いわば、ドキュメンタリー製作を通して中田監督は自分の足元を見つめてきた。
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岩手県山田町でスナックを経営する三浦恵美子さん。
ひとり娘と3人の孫を失い、自分が代わりになれなかったことを責めている。
中田 「今までに撮った3本のドキュメンタリーはそうですね。もともと僕は学生の頃からドキュメンタリー映画が好きで、『岩波映画製作所』に入りたいなと思っていたんです。岩波映画はもうないんですが、羽仁進、黒木和雄、土本典昭といったドキュメンタリー監督たちが活躍していた映画会社で、憧れていました。結局、僕は『にっかつ撮影所』に入り、劇映画の世界に身を置くことになったわけですが、今回はドキュメンタリーを撮ることで現実の社会と向き合わざるを得なかった。でも現実社会と向き合うほどの思想を持たない人間が社会問題を扱うドキュメンタリーを作ることはおこがましいという気持ちもあり、自分がいる世界を撮るのが順当だろうという気持ちで今まではやってきていたんです。ですから、被災地で取材を進めた今回は、今までの自分が撮ってきたドキュメンタリーとは大きく異なりますね」  中田監督の劇場デビュー作となった『女優霊』(96)は、もともとは英国留学中に撮影を始めた『ジョセフ・ロージー 四つの名を持つ男』を完成させる資金を捻出するために撮ったもの。その後、『リング』シリーズをヒットさせた後に『サディスティック&マゾヒスティック』、ハリウッドデビュー後に『ハリウッド監督学入門』を撮っている。中田監督のキャリアを振り返ると、節目節目にドキュメンタリーを残していることが分かる。 中田 「確かにそういう一面はあるかもしれません。今回の企画は、最初はテレビ用のドキュメンタリー番組としてスタートしたものでした。でもかなり初期の段階で、テレビ局側とどうまとめるか話し合った結果、今回は僕個人の自主映画としてやった方がいいという判断で進めていくことになったんです。ドキュメンタリーを撮るときは、自分の中で“やりたい”という衝動と“やらねば”という気持ちが重なると“何がなんでもやる”という心境になるんです。今回は最初こそテレビ局からの話でしたが、自分自身でやると決めてからは、がむしゃらにやるという気持ちになりました。自分のお金で撮るわけですから、そうならざるを得なかったわけです(苦笑)。劇映画の場合はほとんどがオファーを受けて向こうの提示したテーマに沿って撮ることになるんですが、それに対して自分の中から沸き上がってくるものを撮っているのがドキュメンタリーだと言えるかも知れません」
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家族5人を失った漁師の五十嵐康裕さん。
「海を糧にしてきたので、海を憎いとは言えない」とタラ漁を再開することに。
 自宅に残した両親、妻、2人の子どもを失ったタラ漁師の五十嵐康裕さん、車で迎えにきたひとり娘と3人の孫が目の前で津波に呑み込まれたスナック経営者の三浦恵美子さんらが“あの日”を振り返る。ナイーブな演出で知られる中田監督にとって、家族と引き裂かれた人たちにカメラを向けることは容易な作業ではなかったはずだ。 中田 「辛い、大変だと思うと、もうカメラは向けられません。そこは事前にリサーチして、お話できる状態かどうか確認してからカメラを回しています。アポなしで撮影するような突撃取材はしていません。向こうも、『こいつなら話せるかな』という、お互いに感じ合うものがあってインタビューが成立したように思います。カメラに向かって話すことで気持ちの整理ができたのではないか? いや、インタビュー中はとてもじゃないけどこちらも余裕はないし、僕の口からはそんなことは言えない。ただ、まだ被災から4か月で行方不明の方たちが多い状況だったので、身内に行方不明者がいる方の場合は過去形にならないよう語尾には注意しました。恐る恐るインタビューしていては取材になりませんが、最低限そういうことは気を遣いました」 ■懸命に働くのは悲しみを一瞬でも忘れたいがため  町を呑み込んだ津波のニュース映像や被災後の生々しい情景も盛り込まれているが、本作の主眼は“3.11”を生き延びた人々が被災地で懸命に働く姿だ。新たにスナックを始めた三浦さんはお化粧をしてカウンターに立ち、お客さんに笑顔を見せる。漁師の五十嵐さんは家族を奪った海に向かって仲間たちと漁へ出ていく。仕事とは単にお金を稼ぐ行為ではなく、個人と社会を結びつけるものでもあることがポジティブに描かれている。
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「取材を始めたからには途中で止めるわけにはいかなくなった。
完成させることが最低限の義務だと思った」
と中田監督は製作過程を振り返った。
中田 「働かざるを得ないというよりも、何もしないでジッとしていると頭を掻きむしり、どこかに消え去りたくなるような苦しみに襲われるんだと思います。僕もそのような立場だったら、そうなるでしょうね。三浦さんの場合は仏壇に供える花代を稼ぐためでもあるし、三浦さんと同様に家族や家を失ったスナックの従業員たちを食べさせていくためでもあるわけです。だからこそ、前向きに働いている。いや、まだ前向きという言葉は早過ぎるかもしれません。ばっくりと開いた心の傷を、仕事をすることで少しでも縫い合わせる、縫い合わせるのは無理でも、ヒリヒリする痛みを仕事に集中することで一瞬でも忘れることができる。それは長いスパンで見れば、傷の回復に繋がるのかも知れない。もちろん、傷自体は一生消えることはないでしょう。傷という言い方も失礼かも知れない。喪失感とでも言いましょうか。飲み屋とかに行くと、意外とみなさん明るいんですよ。でも、それは笑っていないとやっていられないから。笑いながらも、五十嵐さんが『タイムマシンがあって、あの日のあの時刻の1~2分前に戻ることができたら』と口にすると、みんな泣き出してしまうんです。前向きに懸命に生きようとする気持ちとどうして自分は生き残ってしまったんだろうという、二つの引き裂かれる想いの中で大きく揺らぎながら、被災地の方たちは暮らしているんです」  『3.11後を生きる』は、残された人たちは復興を目指して懸命に働いているという美談だけでまとめることなく、被災地の問題点についても言及する。被災地では略奪行為や暴動は起きなかったと報道されているが、実際にはショッピングセンターで衣料品の略奪が行なわれ、警察も金銭がらみでないものは見逃していたこと。ほぼ海抜0mという危険な場所に介護老人保健施設を建て、入居していた高齢者たちや介護スタッフが犠牲となったことへの行政責任についても触れている。 中田 「被災地のネガティヴな面を強調するつもりはありません。本当に『うわぁ……』と言葉を失ってしまう部分に関しては編集でカットしています。やはりカットしましたが、避難所では食料品の分配を巡るトラブルも起きていました。『日本人は譲り合いの精神で、略奪行為はなかった』というイメージは外国人やマスメディアが伝えているものであって、現実は違うんだよということだけはちゃんと言っておきたかった。危険な海沿いに介護施設を建てたことに対する行政責任は当然問われるべきですが、その危険性を事前に報じなかった地元メディアにも責任があるように思います。原発問題もそう。福島第一原発の危険性を指摘していた物理学者の高木仁三郎先生がいましたが、どれだけのメディアが高木先生の言葉に耳を傾けたことか。そういう僕自身も学生の頃は原発反対運動に参加したりしていたのに、映画の世界に入ってからは何もせずにいた。でも、今回はジャーナリスティックに問題を追求するというよりも、“職業意識”について描いたものにしています。海抜0mに建てられた介護老人施設で介護スタッフの責任者として働いていた加藤譲さんは車椅子で待機していた高齢者を救おうとして施設に戻り、波に呑まれてしまった。船長だった父親の加藤昭二さんから『責任者が逃げるのは、いちばん最後だ』と教えられ、その教えを忠実に守ったわけです。オーナーや行政側の責任を問うと昭二さんは話していますが、その一方では自分の教えを守ったことで息子を失ったことに苦しんでいる。本当に引き裂かれる想いでしょう……」
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三浦さんらは青森県恐山へ。菩提寺・南院代の「前世の因果という考えは、
亡くなった人を軽んじることになる」という言葉に耳を傾ける。
■“前世の因縁”に悩む、残された人たち  撮影クルーは終盤、日本三大霊山のひとつに数えられる恐山へと向かう。「恐山菩提寺」の院代・南直哉さんが説く「死者は生きている人以上に強烈に存在する。あせらずに亡くなった人との付き合い方を学ぶことが大切」という言葉が印象的だ。南さんの著書を読んでいた中田監督から、自分が生き残ったことに悩んでいた三浦さんを誘って恐山まで会いに行ったそうだ。 中田 「僕自身が震災の前から人の生き死について関心を持ち、永平寺で19年間修業された南院代にお会いできればと思っていました。被災地沿岸部には曹洞宗の信者の方が多かったこともあり、曹洞宗を宗旨とする菩提寺に行くことを考えたんです。もちろん、遺族の方たちが『行きたくない』と言えば、違った終わり方を考えなくてはいけなかったんですが、三浦さんは『娘や孫たちの供養をしたい』と言ってくれた。三浦さんを始め被災地の多くの方たちが、『自分は何か悪いことをしたのだろうか』『前世の因縁があるのだろうか』という考えに囚われている。サバイバーズギルトに悩んでいるんです。南院代の話を聞きに行くことで、救済にはならなくとも、大きな喪失感に覆われた人にどういう言葉を掛けてあげられるか、どういう会話が成り立つのかが分かれば……という想いがありました。」  3.11によって日本人の意識は大きく変わったと言われている。『3.11後を生きる』を撮った中田監督はどのように感じているだろうか? 中田 「3.11によって世界がガラリと変わった人もいるでしょうね。僕自身は、被災地にいたわけでもないし、家族や家を失ってはないので、そんなことを言える立場にはありません。でも、被災地の方たちは大きく変わっているはずです。南院代が言われていたことですが『日本は明治以降は富国強兵で進み、敗戦以降は経済最優先で来て、バブル以降は新自由経済を追求したところに震災が起きてしまった。』と。仏教用語で『少欲知足』という言葉があります。そもそも欲するものが少なければ、比較的楽に足ることを知る境地に至れるわけです。経済成長=幸福という考え方は改める必要はあるでしょう。もちろん経済不況からは脱しないといけないけど、国土強靭化や公共事業への投資による経済再生だけでいいのかとは思います。まだ2年も経っていないのに、メディアも含めて『喉元すぎれば熱さ忘れる』になっていないかということも気がかりです。被災地の方たちにもう少し気を配れる為政者はいないものかと思いますね」  中田監督が撮った『3.11後を生きる』は自戒の念も込めた映像による鎮魂碑なのかも知れない。編集を終えた中田監督はDVDを持って、被災地を再訪。五十嵐さんの新居で、三浦さん、加藤さんと一緒に鑑賞している。上映終了後、3人の口から言葉は出なかった。ただし、最後まで見届けてくれたそうだ。 (取材・文=長野辰次/写真=名鹿祥史) 『3.11後を生きる』 製作・監督/中田秀夫 撮影/さのてつろう 編集/高橋信之、山中貴夫 録音/三澤武徳 整音/柿澤潔 効果音/柴崎憲治 音楽/川井憲次 配給/エネサイ 2月23日(土)よりオーディトリウム渋谷にてロードショー <http://wake-of-311.net> ※ 2月24日(日)~3月1日(金)オーディトリウム渋谷にて中田秀夫監督によるドキュメンタリー映画『ジョセフ・ロージー 四つの名を持つ男』(98)、『サディスティック&マゾヒスティック』(00)、『ハリウッド監督学入門』(08)を連日特集上映。 ●なかた・ひでお 1961年岡山県生まれ。1985年にっかつ撮影所に入社。助監督を経て、92年にテレビドラマ『本当にあった怖い話』(テレビ朝日系)で監督デビュー後、文化庁芸術家在外研修員として渡英。帰国後、『女優霊』(96)で劇場デビュー。『リング』(98)の大ヒットでJホラーの旗手となる。『ザ・リング2』(05)でハリウッドデビュー。『Chatroom/チャットルーム』(10)はイギリスで製作・撮影された。その他、『ラストシーン』(02)、『仄暗い水の底から』(02)、『怪談』(07)、『L change the WorLd』(08)、『インシテミル 7日間のデス・ゲーム』(10)などを監督。5月には前田敦子、成宮寛貴主演作『クロユリ団地』の公開が控えている。

ベンチャー企業もカルト!? 元「エホバの証人」ビジネスパーソンが語る“社会の中の洗脳”

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著者の佐藤典雅氏。
 地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教や、白装束集団のパナウェーブ研究所、ミイラ事件のライフスペースなど、「カルト宗教」の行動や思想は、一般人にとっては理解しがたい。  『ドアの向こうのカルト』(河出書房新社)を上梓した佐藤典雅氏は、「東京ガールズコレクション」を手がけた現役ビジネスマンでありながら、25年にわたって「エホバの証人」の信者だった人物だ。エホバは世界で739万人、日本でも20万人以上の信者を持ち、有名人ではシンガーソングライターの矢野顕子や『クレヨンしんちゃん』の作者である故・臼井儀人氏などが知られる。また、マイケル・ジャクソンも元信者だった経歴を持ち、あのプリンスも現役である。  佐藤氏が本書で描くのは、9歳の頃から信者となり、35歳になるまで過ごしたエホバでの日々と、そこから脱会するまでの半生。いったい、元カルト信者は、どんな視点から世界を見ているのだろうか? ――6年前に佐藤さんは「エホバの証人」を脱会されました。本書を執筆するきっかけはなんだったのでしょうか? 佐藤典雅氏(以下、佐藤) 宗教をやめてから、その世界とは無縁の生活を送ってきました。もう、自分の中ではすでに過去のことになっていたんです。ただ、完全にその経験を消化しきれておらず、感情的に押し込めていたんです。けれども、たまたま子どもの頃のビデオを見る機会があり、押し込められていた感情が一気にあふれてきた。そして、衝動的に、ブログにその経験を書きました。60日分のエントリーを、わずか2日間で書いてしまったんです。 ――反響はどうでしたか? 佐藤 宗教のことを詳細に書くのは初めてでした。誰も興味ないだろうと思っていたのですが、恋愛やセックスについて書くよりも、はるかに大きな反響があったんです。個人的な宗教体験に、そこまで多くの人が興味を示すのが不思議でしたね。宗教に関係する知り合いがどう反応するかには興味がありましたが、宗教に関係のない知り合いからも「面白い」という反応でした。 ――外の人間からすれば、カルト宗教の実態やそこでの経験は、とても興味をそそられます。しかし、佐藤さん本人としては、そこまで特殊な経験だと思っていなかった? 佐藤 9歳からエホバの証人に入っていたので、特殊だと思っていなかったんです。親が濃い宗教に引っかかってしまったけれども、脱会できてよかったね、といった程度の体験だと思っていました。 ――25年間で経験した布教活動や、集会の様子、周囲の信者など、さまざまなエホバの証人の内幕が綴られています。中でも興味深かったのが、オウム事件の時に「カルトは大変だな」と、エホバの証人の信者たちが言い合っていたという描写でした。なんというか……皮肉ですね。 佐藤 エホバの証人たちは、この世のあらゆる悪はサタンの仕業だと信じています。まさか自分たちが洗脳されているなんて、考えたことはありませんでした。「サタンの宗教に騙されてしまってかわいそう」と思っています(笑)。ただ、僕はそれと同時に「彼らは幸せだろうな」と感情移入もしていましたね。同じ信仰を持っている人と連帯しながら共同で生活する。それは、ある意味とても幸福なことなんです。 ■村上春樹の『1Q84』では描かれなかった、エホバ信者の心情 ――また、年に1度行われる大会の様子もすごいですね。佐藤さんのホームページには、横浜スタジアムを埋め尽くす人々の写真が掲載されています。 佐藤 大会の会場にはある種の高揚感があり、ハイになることができます。同じ信条、価値観を持っている人が集まっているので、連帯感があります。会場の外の人たちは、とても“かわいそうな人”という意識でした。 ――サッカーの試合やロックバンドのライブのような高揚感でしょうか? 佐藤 そうですね。ただし、熱狂的にワーッと興奮するのではなく、ふわ~っとおとなしく、心地よい波が押し寄せてくるんです。 ――「カルト宗教」「エホバの証人」といえば、一般的にはおどろおどろしいイメージを持たれます。しかし、本書に描かれているエホバの証人の内幕は、ある意味「健康的」という印象です。 佐藤 なるべく細かく人物を描写するように気をつけました。カルトの信者だからといって特別に違う人ではありません。うちの両親なんかは典型的で、街で会えば普通にいい人。もちろん、周囲の信者も同じです。ただ、宗教の話になると異常性を帯びてくる。  村上春樹は『1Q84』(新潮社)でエホバの証人を題材にしていますが、なぜ信者がそれにハマってしまったかという心境までは書いていません。彼らは「ひたすら強く信じていた」と書きますが、「なぜ信じていたか」は当事者でないとわからない部分なのでしょう。この部分をあぶり出したかったので、我が家を例に、どうやってカルトにのめり込んでいくかを詳細に描いています。 ――本書は佐藤家にエホバの証人の勧誘がやってくるところから始まり、そのまま一家全員がエホバの洗礼を受ける過程を詳細に追いかけます。 佐藤 僕が書きたかったのは、信者の意識の変化です。読んでいる中で、読者もある意味エホバの証人に“洗脳”されます。そして、脱会する場面の描写で、バーンとその洗脳を解き放つんです。 ――読書によって、洗脳のプロセスを体験できる。佐藤さん自身は、今振り返って、信者だったことで得たメリットは何かありますか? 佐藤 エホバは信者間のコミュニティがとても強く、家族のようなものです。父親の仕事の都合で、日本とアメリカを転々としていたのですが、どこに引っ越しても心配はありませんでした。コミュニティが強いので、現在問題となっているような、孤独死や孤立といった問題も起こりようがないんです。 ■社会に蔓延する、排他的な意識と“洗脳” ――では、エホバの異常性はどこにあるのでしょうか? 佐藤 「教団以外のすべての人が、サタンに支配されている」と洗脳されていることですね。信者ではない人と一緒に飲みに行くのも反対されますし、信者ではない友達や彼女も作れない。 ――「サタンに支配されている人」との付き合いを持てない。まっとうに社会生活を送ることは難しいですね……。 佐藤 しかし、そのような概念はキリスト教全般に見られます。キリスト教には「キリスト教ではないから悪」という考え方が根付いています。  例えば、アメリカと中東の戦争がそう。「キリスト教ではない」から、イラクのようなイスラム国に対して爆弾を落とすことに、アメリカはあまり良心を痛めません。インディアンを迫害した時代から、そのような考え方が脈々と続いているんです。中東の問題は、石油が原因だといわれますが、あくまでも引き金でしかありません。そこには根深い宗教問題が横たわっているんです。 ――しかし、一般のキリスト教は、エホバの証人ほど過激ではありません。 佐藤 カトリックは、いわば大企業病のようなもの。競争の必要もないし、結束力も求められない。「なんとなくやっていればいい」ので、平和に見えるんです。しかし、その本質にはサタンへの恐怖があります。 ――キリスト教はそもそも抑圧的で排他的な宗教である、ということ? 佐藤 キリスト教というよりも、一神教といったほうがいいでしょう。イスラム、ユダヤ、キリスト、すべて神は一人です。自分たちの神が一人である以上、他の神が神であるわけがない。一神教には、他のものを排除する性質が秘められているんです。 ――戦争のような政治的な問題のほかに、佐藤さんが活躍しているビジネスの世界ではどうでしょうか? エホバでのスピーチは、ビジネスの現場でのプレゼンテーションの練習に役立ったと書かれていますね。 佐藤 そのような、ビジネスの現場で役に立つスキルを得られたことも確かです。また、構造として、ブランディングやマーケティングというのは、少なからず宗教のような「洗脳」という要素がありますから、その方面を理解する上でも信者だった経験が役に立っています。 ――ブランディングが洗脳? 佐藤 自らの思想や価値観、哲学を付加価値として売るというロジックですから、軽い洗脳ですよね。 ――確かに“アップル信者”なんていう言葉もあります。 佐藤 ベンチャー企業は、その典型例でしょう。例えば、かつてのライブドアはYahoo!に勝つために、「ライブドア以外は敵」として社員の結束力を高めました。その結束力によってハイになり、突き進む。そういう意味では「信者以外は、すべてサタンに支配されている」というエホバと変わらないんです。その結束力の中心になるために、ベンチャーにはホリエモンやスティーブ・ジョブズといったカリスマ経営者が求められるんです。 ――エホバの信者であったことを、後悔している部分はありますか? 佐藤 後悔していた時期もありますが、トータルで考えて、自分なりに意味があったんだろうと考えるようにしています。過去を悔いるよりも、この経験からどういうことを教訓として学べるかが大切だと思いますね。 ――ただ、それにしては25年間という年月は長すぎます。また、佐藤さん自身、「高等教育を受けることを推奨しない」という当時のエホバの方針から、大学進学もあきらめましたよね? 佐藤 子どもの頃からエホバが当たり前だったので、25年間が長いかどうかもわかりません。それに、人生、手持ちのカードに文句を言っても始まらないでしょう。宗教の時代に得た物事の考え方や人の意識の捉え方は、Yahoo!で働いていた時代や、東京ガールズコレクションを立ち上げる際などのビジネスに応用できています。大切なのは、後悔しながら過去に生きることではなく、自分が今持っているカードをどのように未来に生かすかだと思います。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●さとう・のりまさ 1971年広島県生まれ。少年期の大半をアメリカで過ごす。Yahoo!を経て、ブランディング社で東京ガールズコレクション等のプロデュースを行う。2010年に事業戦略のコンサルとして独立。現在はロス在住。著者に『給料で会社を選ぶな!』(中経出版)がある。

あのクネクネダンスの原点は、石野卓球のPVだった!? 「NO MORE 映画泥棒」“中の人”o-kiの素顔

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現在40歳のo-kiさん。ダンス歴は25年!
 映画館でおなじみのCM「NO MORE 映画泥棒」。「劇場内での映画の撮影・録音は犯罪です」というメッセージとともに、クネクネと踊る通称・カメラ男の姿は誰もが一度は目にしたことがあるだろう。そんなカメラ男の“中の人”が先日、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)で素顔を披露。生キレキレダンスとそのイケメンっぷりに、ネット上は一時大騒ぎとなった。そこで“中の人”こと、ダンサーのo-ki氏の素顔をさらに探るべく、独占取材を敢行した! ――先日の『いいとも!』出演後は、一時「Google」の検索ワード上位にお名前が挙がるなど、大反響でしたね。 o-ki ネタがネタなんで、一時的に盛り上がるだろうなとは思っていましたが、予想以上でしたね。でも、実はカメラ男の“中の人”であること自体は別に隠していたわけじゃなくて、ネットで調べれば僕の素性は出てくるんですよ。 ――この「NO MORE 映画泥棒」CMは、2007年の映画盗撮防止法の施行を受け、同年6月から第1弾、10年3月からはダウンロード違法化に合わせた第2弾、12年11月からは違法ダウンロード刑事罰化に合わせた第3弾に切り替わっているそうですね。最新バージョンではカメラ男の人数が増えていて、ビックリしました。
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(c)「映画館に行こう!」実行委員会
o-ki すべて僕一人でやってます。今まではフリースタイルで踊っていたんですが、新バージョンでは、振付け担当に「振付稼業air:man」が入ってやっているので、以前よりマネしやすいかもれませんね。 ――そもそも、どういう経緯でカメラ男になったんですか? o-ki 以前からかぶり物をつけて気持ち悪い動きをする、というのをずっとやっていて、PVやCMなどにも出ていたんですが、オファーが来た直接のきっかけは、堤幸彦監督のホラー映画『サイレン』の主題歌を石野卓球さんが担当されて、そのPV(「石野卓球 サイレン」YouTube検索結果)を作ったんです。大きなテレビのモニターをかぶった黒スーツの男が、不穏な音に合わせて気持ち悪く踊るというものだったんですが、それを見た「映画泥棒」の監督が、“そのままのイメージで使いたい”ということでオファーを受けました。 ――確かに、カメラ男を彷彿とさせるPVですね。 o-ki 実は第1弾放映後に、「子どもが泣く」とか「怖すぎる」といった声があったようで、だんだんと怖さを薄くしていってるんですよ。第2弾では、キャラクターを増やして怖さを分散させたつもりなんですが、まだ怖いって言われているようで……。それで第3弾では完全にポップなイメージで、音も怖くないようになりましたよ。 ――“中の人”ならではの苦労って、何かあるんですか? o-ki うーん、特にないですね。僕、たいがい誰かの“中の人”なんで。YUKIちゃんの「JOY」のPVに出てくる黒ずくめの男や、木村カエラさんの「jasper」の男のキャラクターも僕です。マスクをかぶって踊るというのが好きなので、そういう仕事が来るんでしょうね。自分が踊るというより、何かのキャラクターになってパフォーマンスしているほうが性に合ってるんですよ。
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Vシネ好きが高じて、過去には俳優としてVシネにも
出演していたという、異色の経歴を持つ。
――そう言われてみると、みんな“気持ち悪い”動きをしてますね(笑)。普段はそういったお仕事を中心に、ダンサーや振付師としてご活躍されているということですが。 o-ki 年も年なんで、率先してダンサーの仕事をするって感じではなく、普段は副理事をしているNPO法人 「Japan Hip-Hop Dance Association」(以下、協会)のPR活動やイベント制作などが多いですね。 ――この協会では、どんなことをしているんですか? o-ki ヒップホップに限らず、ダンスを通じてみんなをつなげていくための協会です。メインの仕事は、毎年3月にやっている「JAPAN HIPHOP CHAMPIONSHIP」という大会。この大会は世界47カ国でやっていて、毎年8月には「WORLD HIPHOP CHAMPIONSHIP」という世界大会があるんです。いわば、ヒップホップダンスのオリンピックです。日本大会で3位までに入ったチームが参加できます。 ――今年は3月30~31日にディファ有明で開催されるこの大会、o-kiさんは毎年、MCとして出演されているそうですが。 o-ki カテゴリーごとに年齢や人数の規定があるので、それに沿っていれば誰でも出場できます。子どもから40歳過ぎまで、過去には70歳を越えた方もいらっしゃいましたね。ほかにもヒップホップの大会はたくさんありますが、この大会は競技としての要素が強いですね。世界共通規定に基づく点数制で、内容も決まったものを入れなくてはいけないですし、シンクロとかに近いんじゃないでしょうか。実際、参加者はみんな日本で勝ち抜いて世界戦に行こうというやつばかりなので、アスリートみたいですよ。 ――世界的に見て、日本のレベルってどうなんですか? o-ki 実は、日本のダンスのレベルはすごく高くて、これまでメダルを取らなかったことってないんです。日本人って根本的には、昔からダンスが世界一うまいと思ってるんですよ。細かい動きが得意で、みんなでぴったり合わせることができる。実際、昨年のジュニア部門(6~12歳)の3位、バーシティ部門(12~18歳)の1位と3位は日本人なんですよ。せっかくみんないい成績を残しているのに、この大会自体があまり知られていないのはもったいないなと思って、今年は僕がこうやって表に出て積極的にPRしているわけです。 ――確かに、“カメラ男”のo-kiさんがこうやってメディアに出ると、PR効果抜群ですね! o-ki 僕はダンスで食べていこうと思ったことはないし、今もそういう感覚はあまりないんです。実際、ダンス以外のこともしてますし。ただ、ダンスが好きだから、踊れる場所が身の回りからなくならないでほしい。そのためには、ダンスが盛り上がることをすればいいって話で。そうすれば当然僕の仕事にもつながるし、それが増えれば増えるほど、みんなの仕事も出てくる。そんなふうに、ダンスというカルチャーをバックアップする役割を担っていきたいなと思っているんです。僕は、みんなが踊れる場所があったらそれでいい。だから、顔を隠しているのが好きなんです。 (取材・文=編集部) jhc.jpg ●「JAPAN HIPHOP CHAMPIONSHIP」 日程 3月30~31日 場所 ディファ有明 < http://www.hip-hop-japan.com/>