安保法案可決も「“負けた”とは思っていない」高橋源一郎が“教え子”SEALDsと8時間語り尽くす!

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『高橋源一郎×SEALDs 民主主義ってなんだ?』(河出書房新社)
 9月19日、集団的自衛権の限定的な行使を容認した安全保障関連法案、別名「戦争法案」が、怒号が飛び交う中で強行採決された。わたしも採決の数日前に国会前で行われたデモを訪れたが、ともかく人、人、人だらけ。あまりの混雑で前にも後ろにも進めない中、10~80代ぐらいの幅広い年代の人々が共に“声を上げる”姿を見て、驚いた。バックグラウンドも違う日本人が力を合わせて活動する、という行為に感動すらした。  そして、この大群衆の先頭に立ち、トラメガを手に「戦争法案、絶対反対!」「安倍はヤメロ! ヤメロ! ヤメロ!」と叫ぶ、SEALDsメンバーを見て、あらためて驚かされた。テレビやネットでは見ていたが、表参道や青山にいそうなかわいらしい女子に、イケメン率の高い男子。これだけの巨大な人の渦を作り出したのが、彼らなのか。  SEALDsについては、すでにさまざまなメディアが「これが『SEALDs』の正体だ!」「中心メンバー奥田愛基の正体とは!?」などとあちこちで書き立てているので、サイゾー読者なら、おそらく何かしらの記事をすでに目にしたことはあるのではないかと思う。  良くも悪くもいろいろな“正体”が暴かれていると思うが、まったくイロのついていないSEALDsの素顔が見えてくる1冊が、『高橋源一郎×SEALDs 民主主義ってなんだ?』(河出書房新社)だ。これは、今年5月に発売された『僕らの民主主義なんだぜ』(朝日新聞出版)が10万部を超えるベストセラーとなっている作家であり、明治学院大学国際学部教授の高橋源一郎氏と、同学部4年の奥田愛基氏、同じく社会学部4年牛田悦正氏、上智大学国際教養学部4年の芝田万奈氏を中心とする、SEALDsの学生メンバーが、2日間、8時間をかけて「SEALDsってなんだ?」「民主主義ってなんだ?」を軸に語り合う対談集だ。  とくに、奥田氏とは大学入試の面接で出会ってからの付き合いだという高橋氏の、奥田氏を見る目はとても独特だ。「(奥田氏は)“野生”っぽかった。っていうか、本当に、学校教育を受けてきたんだろうか、と思った」とか、文章を書く授業では「惚れ惚れするような、変な文章を書いてくるんだ」と語り、社会や学校教育にまるで「洗脳」されたところがなく、異彩を放っていたのだという。  本書では、それぞれのメンバーがどういう家庭環境で育ったのかを含め、詳しい自己紹介から、そこからどうして「SEALDs」が生まれたのか、なぜデモを始めたのか、どういうふうにして今のデモの形になったのか、などの話が続き、合間、合間で、バイトでデモに参加できなかったなど、メンバー同士の大学生らしい話も出たりする。また後半では、高橋氏の講義のような形で、古代ギリシアの民主制にまでさかのぼり、民主主義とは何かをマジメにひもといていく。  先日、下北沢B&Bで行われたトークショーで高橋氏は、安保法案は可決されたが「決して“負けた”とは思っていない」と語っていた。 「政治学者の丸山眞男さんは、『政治運動や社会運動は“勝った”“負けた”ではない』と言っていた。運動をやることによって、法律を施行させなくすることに意味がある。実際、1952年に施行された破壊活動防止法も、法案は通ったが、反対の声が多くて長年使われていなかった。オウムの事件のときも使えなかった。これはどういうことかというと、社会がある法律に対してすごく反対したというトラウマが指導者に残るので、次回の選挙で落選したくない指導者はそうやすやすと施行できない。今回の安保法案も通ったけれど、いろいろと不備があることは指摘されているので、使おうとするたびに、みんなの記憶が蘇る。これが、社会運動が持つ、不思議な力なんです」(同)  本書は発売2週間ですでに7万部を超える大ヒットとなっているというが、続編『民主主義ってこれだ!』(大月書店)も、今月中に出版予定だという。  果たして、デモを通して学生たちがたどり着いた“答え”とは――。 (文=上浦未来)

AV誕生から30周年の思い出をAV好き作家・高橋源一郎とAVライター・安田理央がアツく語り合った!!

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対談は2012年3月某日、東京・高田馬場の安田理央氏事務所にてなごやかにとり行われました。
 佐川一政による「パリ人肉事件」が起きた1981年、アダルトビデオは誕生した。それから30年。このスペシャルイヤーを記念し、主要AVメーカー40社超が集結。プロジェクト名は、その名も「AV30」。時代とメーカーの垣根を超えてセレクトされたこのコンピレーション・AVシリーズが、12年1月より毎月5作品、合計30作品リリースされている。  このプロジェクトの監修を努めるライター/アダルトメディア研究家の安田理央氏と、安田氏とは旧知の仲で、AV好きとしても知られる作家の高橋源一郎氏の対談が実現。世代は違えど同じAV時代を生きた2人は、日本のAVシーンをどう見ているのか? 安田理央(以下:安田) 高橋さんがAVを見始めたのって、いつ頃ですか? 高橋源一郎(以下:高橋) 1983年ですね。僕は82年に作家デビューして、翌年に荻窪に引っ越すんだけど、マンションの隣にレンタルビデオ屋があったの。初めて借りたのは、和服を着たお姉さんが脱いでエッチしてるのかしてないのか、よくわからない作品。このとき僕は32歳かな。それから1~2本を経て、『ミス本番・裕美子19歳』(84年/宇宙企画)を見てびっくりしたんです。 安田 伝説の作品ですね。あの当時一世を風靡した宇宙企画の、いわゆる「美少女モノ」の原点になった。まずピアノのBGMが流れてきて、イメージシーンがあって、インタビューして……(笑)。 高橋 それからベッドに座って、男優が現れてキスして……っていう、一連のあの王道の流れはここから始まったんだよね。で、「ミス本番」だから、ほんとにセックスしてるのがわかるわけ。当時の女優さんなんて、ブスばっかりだったじゃない? その中にあって裕美子ちゃんは抜群に可愛かったから、「えっ、いいの!?」って、カルチャーショック。 安田 いま見ても可愛いですね。僕もそのぐらいからAV見てるんですよ。まだ高校生でしたけど、アルバイトしてビデオデッキ買って。 rio_gennichiro05.jpg ■文学は黒木香にかなわない? 高橋 いちAVファンとしては、「ミス本番」シリーズを追っかけてたでしょ。で、ほどなくして黒木香の『SMっぽいの好き』(86年/クリスタル映像)が出て、2度目の衝撃を受けた。すごい淫乱で、びっくりしたよね。 安田 監督の村西とおるさんに聞いたんですけど、当時は「女が淫乱」っていうAVなんてウケないだろう考えて、お蔵入りしかけたらしいんです。でも、その頃村西さんのところに出入りしてた警察官に絶賛されて、出してみたら大当たりしたという。まあ、村西さんだから話を盛ってるかもしれませんが(笑)。 高橋 あれは新しい表現だったよね。AVは本来オナニーのためにあるんだけど、はっきりいってあれじゃヌケないよ(笑)。だって気持ちよくなったらホラ貝を吹くって、爆笑するしかないでしょ。悲劇や死はセックスと結びつくけど、笑いとセックスは結びついたことがない。日本ではね。ほんとまいった。僕は、これ見たとき、「文学はこれにはかなわんな」って思った(笑)。 安田 実は、残念ながらこの2作品は、諸事情で「AV30」には入れられなかったんですよ。80年代の作品で収録されてるのは、一番古い人で84年の竹下ゆかり、あと主立ったところでは小林ひとみ、桂木麻也子、斉藤唯、葉山みどり、立原友香、美穂由紀、豊丸……。 高橋 全員見てる(笑)。特に、豊丸は強烈だったね。ここまでくると、もはや人間を超えてる。黒木香はまだ人間だったけど(笑)、豊丸は「何? セックスロボ?」って感じ。それまでの日本にはなかった洋ピンのノリで、しかもアソコがブラックホールみたいなんだもん。 安田 フィストファックしたり大根入れたりしてましたからね。この豊丸と同時期に葉山レイコが『処女宮 うぶ毛のヴィーナス』(88年/h.m.p)でデビュー。さらに89年に松坂季実子や樹まり子、90年に桜木ルイや星野ひかる、あいだももなんかが登場して、ひとつのAV黄金時代を迎えます。 高橋 「処女宮」シリーズもクオリティ高かったよね。宇宙企画の美少女モノにぶつけてさ。 安田 僕は、この頃ビデオ業界誌の仕事をしてたんですけど、あるときゴールドマン監督の作品にハマって、無理やりインタビューしにいったんですよ。そこからカンパニー松尾さんやバクシーシ山下さん、平野勝之さんといったV&Rプランニングの人たちと付き合うようになったんです。90年前後は、そういう異端の企画モノ作品が花開いた時期でもありますね。 高橋 バクシーシ山下さんの『ボディコン労働者階級』(92年)とかね。V&Rはアウトサイダーだったよね。 rio_gennichiro07.jpg ■期せずしてアートとなった「500人SEX」 安田 90年代半ばになると、ソフト・オン・デマンドなどインディーズ系(セルビデオ)メーカーが台頭して、00年代初頭にいわゆる企画単体ブームが起こります。以降、女優の質、量ともに充実するんですけど、例えばいまなお現役の吉沢明歩(03年~)や麻美ゆま(05年~)みたいな息の長いビッグネームがいる一方で、デビュー作が売れずにすぐ切られてしまう女優もいたり。そのへんはシビアになっていくんですよね。 高橋 社会の縮図だね。 安田 メーカーも苦しいんですよね。やっぱりインターネットの影響が一番大きいんですけど、作品の本数は増えてるのに価格は下がってますから。そうなると、とにかく売れる作品をつくらなきゃいけなくなって、結果、V&R的なもの、つまり企画性重視のドキュメンタリータッチのものなんかが排除されていく。 高橋 余裕がないから、遊べないんだよね。 安田 高橋さんは、昨年上梓された『恋する原発』(講談社)で集団セックスを扱ってますけど、ソフト・オン・デマンドの名作『500人SEX』(06年)みたいなのは、いまはもう撮れないですよ。 高橋 あれは感動的だよね。全員がイッたあと、エンドロールでやたら叙情的な歌が流れるでしょ。もうね、大作映画を見終わった気分なんだけど、泣いたらいいのか笑ったらいいのかわかんない。もはやアート。 安田 しかも制作サイドにはそんな気はさらさらなくて、ただ結果としてアートになっちゃってるという(笑)。 高橋 そうそう。「これはすばらしいものだから鑑賞してください」って思ってつくると「お芸術」になっちゃう。でも、あの作品は「これはなんなの? もうアートとしかいいようがないよね?」っていうものに、結果としてなってしまった(笑)。 安田 高橋さんって、最近のAVも結構見てますよね? 高橋 僕はDMMの会員だからね(笑)。新作のサンプルなんかはほぼチェックしてます。僕が「AVが変わったな」って思ったのは、00年代後半、プレステージの作品を見てから。あそこって、基本的に女優の名前で売ってないでしょ。 安田 いわゆる「素人モノ」といわれるジャンルなんだけど……。 高橋 別に本当の素人なわけではない。単体女優並みに可愛い女の子たちを、匿名性でもって、街で見かける本物のOLさんとか女子大生っぽく見せてるよね。いいとこ突いてる。 安田 「プレステージ以前」と「以降」では大きな違いがあって、以前は、素人はブスで当たり前、むしろブスだから素人っぽくていいっていわれてたんです。だけど、プレステージ以降は、素人モノでもブスは許されなくなった。 高橋 AVの中でブスが生きていけるのは、もはやヘンリー塚本【AV黎明期からアクの強いSM系のドラマ作品ばかりを撮り続けている、孤高の有名AV監督】の世界だけだね。ときどき僕は近所のホテルで缶詰になって作品を書いてるんだけど、そこのホテルの部屋のテレビのアダルトチャンネルは、ヘンリー作品ばっかり流すの。僕すっかり喜んじゃんって(笑)。 安田 ヘンリーさんはいいですね。最近は特に、エロと作品性がいい具合にミックスされてて。つぼみや風間ゆみも出てるから、必ずしもブスばっかりってわけじゃないですけど(笑)。 高橋 男優の花岡じったをうまく使ってるじゃない。キワモノなんだけど、あの世界では妙にリアリティがある。ほんとにどうしようもない、野獣のような昭和の男。ドラマ性が濃厚だから、ヘタするといやらしくなくなっちゃう気もするんだけど、彼の作品の中では、普通のおばさんみたいな人でもやたらエロいよね。 安田 基本的にAVのカラミって、始まったらあとは男優と女優にお任せで撮る場合が多いんですけど、ヘンリーさんはカラミも細かく演出するんですって。セリフ回しとかも、女優が「たまんねえ……」とか言ってて。 高橋&安田 へへへへへへへ(笑)。 高橋 退廃的で、登場人物が不健康な貧乏人ばっかりで、みんなトラウマを抱えててさ。そんな人たちが、ものすごいねっとりとしたセックスをするんだよね。 rio_gennichiro08.jpg ■ヌキに特化された、AVの完成形 安田 ところで、企画もののAVが淘汰されていって、AVから「遊び」がなくなったという話をしましたけど、それは決して悪いことではないんですよね。「AV30」を編集してて思ったんですよ、「いまのAV、エロくていいわぁ」って(笑)。 高橋 たしかにヌキに特化した視点で見てみれば、ものすごくレベルが高くなってるよね。E-BODYとかS1の作品っていうのは、それのある種の完成形。30年かけて練り上げられたスタイルだからね。 安田 平野勝之さんの作品とかもすばらしいんだけど、「ヌク」というAV本来の機能からはちょっと外れちゃう。 高橋 どうしても「表現」が入っちゃうからね。 安田 だから「さあヌクぞ!」っていうときは、S1とかを見ちゃうんじゃないかな。「ユーザーが見たいものを見せる」ためのノウハウが蓄積されてますから。そういう意味では、僕はプレミアムっていう、高級感ある単体女優のメーカーが一番好きなんですよ。 高橋 そういう作品って、ものすごく可愛い子が、ものすごくエロい肉体を、完璧なアングルで見せてくれる。そういう技術がもう、完成されてるよね。 安田 女優も男優も制作者も、みんなスキルが高い。職人的といってもいいですね。特に女優はね、「なんでデビュー作からそんなに上手いの?」っていうくらいのことをみんなやってる。なんでかっていうと、彼女たちの世代って、もう子どもの頃から自然にAVを見てるんですよ。見てるから、男の乳首は舐めるものだと思ってる(笑)。 高橋 この前ね、僕の姪っ子が遊びに来たんだ。超絶可愛い、今年大学に入る18歳なんだけど、「Rioちゃんが~」とか、AV女優の名前をよく知ってるんだよね。僕が「なんで?」って聞くと、女の子同士のお泊まり会とかで見てるんだって。女子会でAV鑑賞だよ。 安田 いまは、恵比寿マスカッツとかの影響で、ほんとにAV女優に憧れてやってくる女の子がいっぱいいるんですよね。成瀬心美も、Rioに憧れてこの業界に入ったと公言してますし。 高橋 だってさ、もはや普通のアイドルより可愛いもんね。 安田 そんなコがいきなり乳首舐めたりするっていう(笑)。新しい世界に入りましたね。 rio_gennichiro10.jpg ■AVは多様性を取り戻せるか? 高橋 安田さんがこれからのAV業界に望むことって、なに? 安田 僕はやっぱり、多様性が欲しいんですよね。S1もプレミアムも好きだけど、はじっこにV&R的なものも成り立ってほしいなって。いろんな作品があって、全部ひっくるめてAV。「AVの世界は広い」っていうのが面白いので。 高橋 それはあらゆるジャンルでそうだよね。多様性が失われた世界は一番恐いから。 安田 90年代初頭のカンパニー松尾さんたちって、AVの枠を広げる作業をしてきたんですよ。いまは逆に、「ヌクためのAVを深く掘っていく」作業がメインストリームになっちゃってますよね。もちろん、そうすることでAVの完成形が出来上がったことはひとつの大きな成果ではあるんですけど。 高橋 売れなきゃしょうがないんだけど、王道だけになっちゃうとね。辺境開拓っていうか、「こいうのもアリか!?」「AVってそんなこともできるの!?」みたいな新たなジャンルも、きちんと出てきてくれないと。 安田 それこそ、黒木香のホラ貝吹きを見たときのような衝撃が、最近はあまりない。 高橋 でもさ、人間から、性欲っていうか、エロスがなくなるはずはないからね。AVもビデオテープからDVDになって、いまはネット配信になりつつあるでしょ。そうやって変身を繰り返して、その過程で一度ガクンと落ちたりするのは、長い歴史の中ではしょうがないよね。文学だってさ、すごくダメなときなもあるんだよ。でも、そしたらまた違うものを見つけて、変わっていくの。そういうもの。 安田 男と女がセックスしてる映像は、どこかで必ず流れてるわけですしね。カタチが変わっていくだけで。 高橋 そう。男と女がセックスしなくなったら、もうどうしょうもないでしょ。それは世界の終わりだからね。 (取材・文=須藤輝/撮影=編集部) ●やすだ・りお 1967年、埼玉県生まれ。風俗、AVなどのアダルト系記事を中心に、一般週刊誌からマニア誌まで、幅広く執筆。現在、AV30年史をメーカー横断的に振り返る「AV30」プロジェクトを進行中。著作に『エロの敵――今、アダルトメディアに起こりつつあること』(翔泳社)など。 ●たかはし・げんいちろう 1951年、広島生まれ。81年、『さようなら、ギャングたち』で、講談社の群像新人長編小説賞優秀賞を受賞。88年、『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞受賞。その他の著書に『虹の彼方に』『ジョン・レノン対火星人』(共に講談社文芸文庫)、『日本文学盛衰史』『恋する原発』(共に講談社)など多数。05年より明治学院大学国際学部教授を務める。 ●作品解説 アダルトビデオ30周年記念プロジェクト 「AV30」 アダルトビデオ誕生30周年を記念し、主要AVメーカー40社超が集結。12年1月より6月まで毎月5本、計30本のコンピレーションAVが続々とリリースされる。 『メーカー横断ベスト!!! 小室友里8時間』『【AV女優日本代表】 熟女☆JAPAN』などの女優重視 のセレクトから、『AV30年史3 ハード・陵辱の名作編』『アナルSEXの殿堂 【肛門プレイ大全】』など の企画重視のセレクト、さらには、『メーカー横断ベスト!!! カンパニー松尾8時間』といった、監督重視のセレクトまで盛りだくさん。 各巻に封入されているライナーノーツも読みどころ満点。安田理央氏のほか、藤木TDC氏などのAVに詳しいライター陣のみならず、カンパニー松尾編では松尾氏みずからが解説。 全作品8時間、いずれも税込2,980円(税込)で続々発売中!! 公式サイト<http://www.av30.jp/

ことばを愛し、畏れる“ブンガク者”高橋源一郎『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』

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『「あの日」からぼくが考えている
「正しさ」について』(河出書房新社)
 昨年、僕たちを突如として襲った未曾有の大災害は、深い悲しみやがれきの山とともに、日本中にたくさんの“ことば”を生み出した。テレビや新聞、インターネット、カフェや場末の居酒屋に至るまで、さまざまな場所で「この震災はなんだったのか」という議論が何度も交わされたことだろう。  そんな中、とりわけ多くの人々から支持を集めた人物の一人が、作家・高橋源一郎だ。雑誌やTwitterなどで発表される彼のことばによって冷静さを取り戻し、勇気づけられた人々は少なくないだろう。2011年3月から12月までに高橋がTwitterやエッセーなどを通じて発表したことばをまとめた『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』(河出書房新社)が刊行された。  2011年、高橋も僕たちと同様、地震に怯え、原発事故に戸惑いながら生活を送っていた。教鞭をとる明治学院大学の“非公認”卒業式(震災の影響で正式な卒業式は中止となった)に祝辞を送り、資源エネルギー庁が子どもたちに押し付ける“節電パンフレット”に怒った。それと同時に、小学生になったばかりのれんちゃんと、保育園に通うしんちゃんという2人の子どもに惜しみない愛を注いでいた。高橋の(親バカと形容されそうな)子どもへの眼差しは、「震災の悲劇」とはあまりにもかけ離れている。しかし、その両方が合わさってはじめて、作家・高橋源一郎の2011年が見えてくるのだ。  そもそも、高橋ほど「異端」な作家もいない。  学生運動に参加し、凶器準備集合罪によって逮捕・拘留された高橋。肉体労働に従事しながら小説を書きため、デビュー作『さようなら、ギャングたち』(講談社)は鮮烈な印象を持って迎えられた。以降、『Dr.スランプ』などの漫画・アニメの世界観をモチーフにした『ペンギン村に陽は落ちて』(集英社)や、AVの世界を描く『あ・だ・る・と』(主婦と生活社)など、誰にも真似することのできない小説を発表し続ける。文学界の登竜門である芥川賞を受賞することもなく、独特のスタンスで作家生活を営んできた(余談ながら、私が初めて彼の存在を知ったのは『スポーツうるぐす』(NTV系)の競馬解説者としてだった)。高橋は小説を信じ、その可能性に賭けてきた。  本書に掲載された中から、印象的なことばを紹介しよう。 「ことばを書く、ことばを他人に向けて使う、どちらもほんとうに、恐ろしいことだ、と思うことがあります。ふだんは忘れているけれど、時々、しみじみとそう感じる。いま、たぶん、そうなんだと思います。それでも、使うしかないんだけど」(12月1日のツイート) 「そもそも『すぐにことばが出る』というのは、異常な状態なのではないか。  ぼくたちは頭の中ですでに考えていたことを、まるで、さもいま思いついたかのようにしゃべる。  その時(うまくしゃべれている時)、頭の中はどうなっているのだろう」(「ぼくらの文章教室」特別編・第6回)  先に触れた逮捕・拘留中、高橋は失語症に陥った経験がある。ことばを生み出せない場所から出発した高橋が書くそれは、時にまったくのデタラメでありながら、同時にこれ以上ない美しさを感じさせる。本書を読んでいると、Twitterとは高橋のために開発されたツールなのではないかと錯覚してしまうほど、その言葉は140文字という制約を感じさせない広がりを持つ。  昨年執筆した『恋する原発』(講談社)では、「震災のチャリティAVをつくる」という突飛な設定にあらん限りのギャグを散りばめ、(高橋の本意ではないかもしれないが……)「ブンガク」の高みまで昇華させてしまった。当サイトの取材に対し、「3.11以降、読める小説と読めない小説が出てきた。『僕たちが住んでいる世界は、やっぱりおかしくないか?』という認識が根底にある小説は、3.11以降に読んでもやっぱり面白い」と語っていたが、高橋の作品の強度もまた、決して震災によって損なわれるものではないように感じる。 高橋の仕事は3月11日以前も以降も変わらずにデタラメだし、面白い。それはきっと、高橋が小説を、ことばを最も愛し、最も畏れているからではないだろうか。 (文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●たかはし・げんいちろう 1951年広島生まれ。81年、『さようなら、ギャングたち』で「群像」(講談社)新人長編小説賞優秀賞受賞。88年、『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞受賞。著書に『虹の彼方に』『ジョン・レノン対火星人』『ペンギン村に陽は落ちて』、『日本文学盛衰史』など。05年より明治学院大学国際学部教授を務めている。

「僕たちが住んでいる社会はやっぱりおかしい」小説家・高橋源一郎と3.11

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 高橋源一郎の最新作『恋する原発』(講談社)は、「不謹慎」の塊のような小説だ。「3.11のチャリティーAVをつくる」「靖国神社は韓国も中国も関係なく祀られるようになった」「学校では文字を教えずに、セックスを教える」などなど、軽妙な語り口ながら、そこには思わず眉をひそめてしまうような描写が連発されている。世間の自粛ムードをまるで無視したかのようなその不謹慎さは、作家からの挑発にも読めてくる。  どうしてこんな小説が生まれてしまったのか? なぜ、彼はこの作品を書かずにはいられなかったのか? そして、ここに描かれているものは、一体何なのか? 高橋氏を直撃した。 ――そもそも、この小説はどのような意図で書かれたものなのでしょうか? 高橋源一郎(以下、高橋) 10年くらい前に、『群像』(講談社)で、『メイキングオブ同時多発エロ』という小説を2年くらい連載していました。これは2001年に発生した9.11米同時多発テロのチャリティーAVを作るという話でした。でも、全然うまくいかず、途中で連載を終わらせてしまった。その後、ずっと寝かせておいたんですが、この小説を途中で止めた理由がずっと分らなかった。でも、3.11が起こって、これを書けなかった理由が分かったような気がしたんですね。 ――「書けなかった理由」というのは? 高橋 ひとことで言うと、9.11は他人事だったからです。だから、逆にすごく真面目な小説になってしまった。でも3.11は僕もある意味で当事者と言える。だからこそ、「原発なんて関係ないよ」とか「被災地なんて知らん」とも堂々と言えるんです。「しょせん他人事ですよ」と言えるのは、実は自分が"外"ではなく"中"にいる時なんです。そういう発言をすれば、当然、問題になるでしょう。何を言っても問題が発生するというのは、非常にいいことです。言論とはそういうことなんです。 ――ご自身の"事件との距離感"というものが左右した、と。 高橋 3.11から最初の数日間のこと、覚えてます? 結構、明るかった。ニューヨーク・タイムズに東浩紀や村上龍とともに寄稿したんですが、論調はほぼ同じでした。「すさまじい被害にあったけど、国民はパニックに陥っていない。日本には閉塞感があったけど、これを機会に変われるかもしれない」。でも、そんな空気もいつの間にかもとに戻ってしまい、前よりひどくなってしまう。 ――どういった部分で、前よりもひどくなったと感じますか? 高橋 暗くなってると思います。僕はTwitterをやっています。3.11の前のTwitterはまったりしていて、つまんないことを言える空間だったんです。でも、3.11以降、Twitterが「戦場」になってしまった。他人を攻撃するような言論が多くなり、みんながそういう相手を求めるようになった。 ――「まったりする」余裕がなくなったことによって、他者を攻撃するようになってしまった。 高橋 もともとそんなに余裕はなかったんだけど、なんとなくあるような気がしてたんですね。「お金ないし景気悪いし、嫌だよね」と言いながらも、カタストロフィーは起こっていなかった。  例えば、ある家族がいたとするでしょう。楽しく暮らしていたんだけど、ある日、お父さんの浮気がバレた。おじいちゃんの多額の借金がバレた。お母さんは難病だった。子どもは非行に走っていました。みんな実は隠してたんだけど、1つバレたらみんなバレちゃった(笑)。そうしたら「浮気したのはお前が悪いんだ」「よかれと思って借金したんだ」と罵り合いになってしまう。今回は、お父さんがラブホテルの鍵を落としたから発覚したんだけど、落とさなくても、遅かれ早かれ、すべて分かるはずだった。 ――まさに、みんなが犯人探しのために互いを攻撃し合っているような雰囲気ですね。 111130bt_0031_bw.jpg 高橋 みんな、「自分は悪くない」と言いたいんです。誰かをディスる言論の中身は、「誰が悪い」っていうことと「俺は悪くない」っていうことの2つでできています。政府が悪い、エネルギーどうするんだって。沈没船の中で「誰が船を壊したんだ!」と首を絞め合いながら沈んでいくんです。 ――つまり、高橋さんの見方としては、3.11以降、何かが変わったわけじゃないんですね。 高橋 もともと日本の社会には展望などなく、破滅を先伸ばしにしていただけなのかもしれない。原発って、その意味でとても典型的ですよね。放射性廃棄物をどうするんだという問題があったのに、「なんとかなる」って言い続けてきた。原発から出たゴミは東北のどこかに置いて、その代わりに金をばら撒いておけば、あとはもう知らない。沖縄の米軍基地も同じ構造ですよね。だったら、東京に置けばいい。基地も原発も全部東京に置いたら地産地消でしょ(笑)。成田を米軍基地にして、皇居や国会議事堂の地下を原発にすればいい。そうしたら厳重に管理するようになるでしょう、怖いから。 ■「ヤバいものを見せない」という社会構造が創造力を奪う ――そのような現状認識で書かれた『恋する原発』ですが、作品自体はネガティブになることなく、とてもポジティブです。こうなったのは必然性があったのでしょうか? 高橋 小説は楽しくなきゃいけないと思います。今回の目標は「笑い」でした。怒りや悲しみにも、いい面はあります。けれども、それらは直截的な感情だから、思考停止になったり何も見えなくなってしまうこともある。「笑い」は俯瞰的になるんですよね。どんなことでも距離を取ればおかしいでしょ? 下がれば下がるほど、いろんなモノが見えてくるんです。 ――いわゆる「カメラを引く」ような作業ですね。 高橋 血まみれで、倒れている人がいたら胸が痛む。けれども、カメラが下がっていくと、それは映画かもしれない。さらに下がれば「目指せ、(芦田)愛菜ちゃん」とか言っているママがいるかもしれない。  カメラを引いていくことは、周囲を「認識」をしていく作業なんです。騙されてて本当に馬鹿だったねと、自分を笑うこと。そうしないと、今のこの空気に対抗できないだろうと思ったんです。 ――一方で、『恋する原発』では、作品中に「服喪」についての言及もなされています。震災によって2万人が命を落とした今、死を考えることによって何を見いだせるのでしょうか? 高橋 さっきの話の続きで言うと、平穏な家庭はいろいろな問題を隠しています。お金とか、セックスとかを見せないようにして、日常生活を楽しく過ごしている。その中の1つが「死」ですね。テレビだと、陰部にモザイクがかかるでしょ。それから、死体と手錠にもかかる。陰部、死体、手錠。客観的に見たらすごく変な組み合わせです。あらゆる場所は映すのに、この国では、その3つは絶対に映らない。 ――「ニューヨーク・タイムズ」のウェブサイトには遺体の写真がいくつも掲載されていて、国内でも話題になりました。 高橋 2万人が亡くなったのに、「大災害」という言葉だけで、日本には遺体の写真が1枚もない。死体を1体も見せないっていうのは異常ですよね。この社会の妙な雰囲気は、「ヤバいものは見せない」という社会の構造が原因なのかもしれない。空気なんて見えないのに、それを感じろっていうのはダメでしょう。ものを見ないということが、逆に想像力を失くしてしまうんです。 ――本作で言及されている「1,000年後の子ども」というモチーフも、「死」と同じように普段は隠れている存在ですよね。前作『悪と戦う』(河出書房新社)でも、同じくまだ生まれていない子どもがモチーフにされていました。 高橋 こういうことを考えるのは、子育て中だからかもしれません。今、僕は60歳で、子どもたちは5歳と7歳。彼らが30歳くらいになった時には、僕はもういない。だから、彼らの未来は想像するしかない。この子たちはあと80年くらい生きるんだから、僕が死んだらバイバイっていうわけにはいかないでしょ。僕は、自分が死んでから50年後の世界について責任があるんです。  僕たちは共同体の中に生きています。共同体は今生きている人だけのものじゃない。歴史的にいえば過去の人もいるし、未来の人もいる。現在の人間がエネルギーが足りないといって原発を使い、処理することのできない放射性廃棄物を生み出したり、国の借金を増やし続けたりしていたら、同じ共同体の未来の人たちに迷惑がかかるでしょう。 ■3.11後に小説を書くということの意味 ――震災後、あらためて、小説の役割が問われているように思います。高橋さんは、どのように考えていらっしゃるのでしょうか? 高橋 「小説の特性とは何か」と考えると、この世界にいること、この世界があることの不条理、人間はなぜ生きねばならないのか、といった形而上的な問題を扱うことだと思います。「この人が好き」という感情を表現することや、歴史の変動を描くのは映画でも可能かもしれない。楽しいコメディーは韓流ドラマでもいいかもしれない。こういう危機的な状況において、形而上的な問題を扱えるという小説の特性は、より発揮されるんじゃないでしょうか。 ――ただ、震災を受けて、「フィクションよりも現実のほうがすごい」という言説が説得力を持ってきています。 高橋 3.11以降、読める小説と読めない小説が出てきました。実は、それは3.11以後に書かれたのか以前に書かれたのかは関係ありません。3.11以前に書かれていても、まるでこの現実に対応しているかのように書かれているものがあります。「僕たちが住んでいる世界はやっぱりおかしくないか?」という認識が根底にある小説は、3.11以降に読んでもやっぱり面白いんです。 ――高橋さんはTwitterでも積極的に発言をされていますが、小説の言葉とTwitterの言葉に違いはあるのでしょうか? 高橋 Twitterでやっている「小説ラジオ」(不定期に深夜0時から行われる高橋自身の連続ツイートのシリーズ)の言葉ってストレートですよね。フィクションのように、多義的な言葉ではありません。フィクションのいいところは「これはどういう意味」と聞かれても、答えなくてもいいこと。読者は「作者の考えをもとにした別のこと」を考えることができるんです。だから、日常ではない舞台で考えられる、想像できる、という「空間」を提供するのが小説家の仕事だと思います。いわば、喫茶店みたいなもの。ものを考えるカフェ。ただ、横に死体が転がってたり、後ろのカップルがセックスを始めるかもしれないけど(笑) ――全然くつろげませんね(笑) 高橋 だから、日常じゃないんだけど、「結構面白いかも」って思ってもらえたらいいよね。 ――お話を伺っていて、やはり『恋する原発』は、高橋さんの作品群の中でもとても意味のある作品なのではないかと感じました。例えば、デビュー作の『さようなら、ギャングたち』(講談社)では、「執筆時のことをほとんど覚えている」とおっしゃってられていましたが、『恋する原発』も、それと同じくらい高橋さんにとって重要な作品でしょうか? 高橋 僕の実質的なデビューは『さようなら〜』ではなく、『ジョン・レノン対火星人』(講談社)という作品です。『さようなら〜』は、優しさと美しさを求めて書いた小説でしたが、『ジョン・レノン〜』はできるだけ汚く書こうとしていた。文学も作家もみんな死ねばいいと思って書いたんですよ。  そう、だから、自分を間違えていたのかもしれない。僕はやっぱり『さようなら〜』のほうではなく、こっち側だった。今の僕は、妙に作家っぽいし、評論もいっぱい書くし、社会的発言もする。キモいよね(笑) ――その意味では『恋する原発』は、『ジョン・レノン〜』の原点に戻ろうとした作品なんですね。ちなみに、次回作のご予定はあるんですか? 高橋 実は、いま少々ウツ気味なんです。何も書きたくない。この小説は世間のひんしゅくを買うかもしれない。でも書いているときは楽しかったんですよね。その反動ですごく疲れてしまって......。こういうことを楽しく書いちゃう自分は人としてどうなんだろう、と思うところもあって。書いているときはこれしかない、こういう方法が正しいと思って書いているんですが、ときどきカメラを引いてみると、「これでいいの?」と自問自答してしまう。これ自体、爆笑だって思ってしまう。そういう意味では、作家ってみんな、二重人格なんですね。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]/撮影=尾藤能暢) ●たかはし・げんいちろう 1951年広島生まれ。81年、『さようなら、ギャングたち』で「群像」(講談社)新人長編小説賞優秀賞受賞。88年、『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞受賞。著書に『虹の彼方に』、『ジョン・レノン対火星人』、『ペンギン村に陽は落ちて』、『日本文学盛衰史』など。05年より明治学院大学国際学部教授を務めている。
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物語とは何か? 日本人とは何か? 内田樹と高橋源一郎が語る「この国のかたち」

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震災後、その発言がこれまで以上に注目されている2人。
 インターネット上で募集したショートストーリーをまとめた『嘘みたいな本当の話』(イースト・プレス)が話題を呼んでいる。「戻ってくるはずがないのに、戻ってきたものの話」「犬と猫の話」「あとからぞっとした話」などさまざまなジャンルごとに応募された1,000文字以内の掌編作品が詰め込まれた本書。アメリカ人作家・ポール・オースターがラジオで作品を募集して大成功を収めた『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』の日本版だ。  本書に収められた149にも及ぶ作品は、そのどれもが、誰もが人生で一度は経験があるような、ちょっと感動させられる話や、ひやっとした気持ちにさせるもの、くすっと笑わされてしまうものなど、日常の些細な出来事を追った物語ばかり。しかし、一般的な読者投稿本よりもレベルが一段上なのは、選者である内田樹と高橋源一郎による功績が大きいのだろう。  そして、「ナショナル・ストーリー・プロジェクト(以下、NSP)」という名前の通り、本書から浮かび上がってくるのは日本人にとっての「物語観」だ。 ■まるで『世間』が書いているみたい
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高橋源一郎氏。
 この本の発売を記念して東京・築地本願寺で開催されたイベントに登場した内田樹氏と高橋源一郎氏。「嘘みたいな本当の話がたくさん起こってるけど......」と、現在の日本の状況を踏まえてスタートしたこのイベントでメインテーマとなったのは、「日本人にとっての物語とは何か」。  「日本版はアメリカ版よりも『かわいい』んですよ」と語るのは高橋氏。「アメリカ版とは違い、年齢や住んでいる場所などの違いがありません。それに、どんなテーマでも深刻な話ではなくちょっといい話にまとまっちゃう。センスはいいんだけど深みがないんです」とやや不満げな表情を浮かべる。一方の内田氏も「物語がしっかりと定型に収まっていて破綻がない。定型を楽しむことにはとても優れているけど、荒々しさや生々しさ、手触りが抜け落ちてしまっているんですね。ほとんどの作品が視覚情報ばかりで、"痛み"や"におい"といった身体性が描かれていないんです」と厳しい意見を繰り出す。  そして、小説家として、フランス文学研究者としての立場から真摯に「物語」に向き合ってきた彼らの視線が149編の作品から浮かび上がらせるのは「個人」を主張することのない日本人の姿だ。  「『誰かと誰かが取り替え可能』であるみたいな作品がすごく多いんです。けれども、アメリカ人だったら恐怖を感じてしまうようなそんな物語も、日本人は定型の物語に収めてしまうから怖い話じゃなくなっちゃう。本音で語らなければならない場面でも、定型句で語ってしまうのと一緒です」と分析する内田氏。高橋氏は「個人が書いているというよりも、まるで『世間』が書いているみたいだね」と日本人の書く物語の特徴を看破する。
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内田樹氏。
 ではどうして、日本人は「世間」が話すような「かわいい」物語を好むのだろうか? その原因を求める2人は、日本人と「信仰」との関係にまで話が及ぶ。  「原因と結果の因果律がなくなっちゃうような不条理な話を日本人は書けないんです。アメリカ人は信仰があるから、意味の解体されたような不条理な世界を書くことができるんじゃないでしょうか。どんなに不条理な状況でも、一神教ならば神様に文句を言えばいい。けれども僕らは一神教じゃないから『何でこんなことをするんだ』って文句を言う相手がいないんです。比較宗教学的にもNSPは面白い資料になるんじゃないかな」(内田) 「アメリカ版とは違って、日本版には深刻な話が少ないんです。アメリカ人は神様と自分との関係で深刻になることはあるけど、自分自身に対して本当に深刻になることは少ない。だからアメリカ人は日本人から見れば深刻過ぎると思えるような物語を書けるんじゃないでしょうか」(高橋)  最後に「人間は物語をよりどころにして生きているけれども、普通考えられているような『生きる意味を与える』とか『人生を支える』といった物語ばかりじゃなく、その核にはすごく変な物語を抱えているんだと思います」と、人間の抱える物語の奇妙さを語る内田氏。物語とは何か? そして日本人とは何か? 本書が綴る149編の作品たちは、震災を機に改めて見つめ直さなければならない「この国のかたち」をほんのりと浮かび上がらせているようだ。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●うちだ・たつる 1950年、東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。神戸女学院大学名誉教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。2006年に刊行した『私家版・ユダヤ文化論』(文藝春秋)で、第6回小林秀雄賞を受賞。 ●たかはし・げんいちろう 1951年、広島県生まれ。横浜国立大学経済学部除籍。文芸評論家、作家。1981年、第4回群像新人長編小説賞優秀賞を受賞した『さようなら、ギャングたち』(講談社)で作家デビュー。1988年、『優雅で感傷的な日本野球』(河出書房新社/河出文庫)で第1回三島由紀夫賞を受賞。2002年、『日本文学盛衰史』(講談社/講談社文庫)で第13回伊藤整文学賞を受賞。2005年より明治学院大学国際学部教授。
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