【島田洋七“がばい”独占手記/最終回】さんま、タモリ、紳助……天才が語る天才が天才たるゆえん

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 明石家さんまとは漫才ブームの時に何回か飲みに行ったけど、最近は行かんね。当時はさんま、あんまり飲まなかったからね。  それに、みんな、自分の世界をつくる。先輩と飲みに行ったら、せこせこせなあかんからね。自分は自分でいたいんやと思う。芸は明るくて面白い。島田紳助がいなくなってから、あの明るさとトークが余計、際立ちますね。  紳助と比べると、さんまの明るさはカリフォルニア。紳助は演歌っぽい。涙を流す番組も作るし、ジャパンやね。さんまはとことん明るい。人にインタビューして涙を流す番組はやりませんもん。頼んでもたぶんやらないと思う。紳助はホントに涙を流す、感情が激しいから、ジーンとくるんですよ。  タモリさんとは付き合いはありませんが、フジテレビの『笑っていいとも!』の前の番組『笑ってる場合ですよ!』の司会をやっていたのはボクなんですよ。タモリさんの芸はお笑い芸人の芸とは違う。テレビの中のお笑い。テレビ芸。だから、30年以上もやれたんやと思います。すごいですよ。あの人だからやれるんですよ。漫才師は、あれじゃ物足らんもんね。わしらは一生懸命、笑わそうとするから、持たない。お笑い芸人は「司会どうぞ」と言われたら、自分がしゃべらないと損するみたいにしゃべる、だから飽きられる。  その点、タモリさんは淡々としてる。人にやらせて見てる。だから、年数をやれたと思いますよ。その余裕が長続きの秘訣だと思います。さんまもそうですが、芸人は自分が笑かさないと気が済まないからね。  紳助は兄弟弟子ですから、引退後も「嫁共々、元気にやっています」というようなメールは来ますよ。引退前は、紳助がいるときに大阪のミナミの寿司屋や東京の寿司屋にも遊びに行きましたけどね。  あいつ、一人っ子だから寂しがり屋なんですよ。引退して沖縄にいた時も、周りに人がたくさんいたみたいですが、常に周りに誰かがいないと落ち着かない。わかりますよ。近所のお山の大将みたいなもんですよ。  ああいうことになってしまったことは仕方ないけど、お笑いとしては、もったいない。これだけは、ほんま、そう思いますわ。  紳助にはもう一度、芸能界に戻ってきてほしい。あそこまで作り上げたネタで人を笑わせているんですよ。あんなヤツおらん。俺とは上下関係ですから、俺の前では「ハイ」としか言いませんけど、すごいヤツですよ。  うちのカミさんが日本テレビの『行列のできる法律相談所』に出た時も、カミさんを「姉さん」、ボクには「兄さん」。「兄さん、食事に行きましょう、先輩なんやからおごってくださいよ」。紳助のほうが稼いでいてもそうです。かわいいですよ。あいつの性格は子どもっぽいし、変わりませんよ。  あれから1年間、誰が紳助の代わりをやるのかテレビを見てましたが、誰もおらん。最近になって誰かが見つかった。それは私です、アハハ。冗談ですよ。誰かがしゃべらなあかん。年寄りから子どもまで、みんなにわかりやすい番組ができればいいですね。  俺らは物のない時代に生まれてきて、ネタが豊富。今の30代の若手は裕福な時代に生まれてきてるから、ネタがないのかなぁ。番組でやっていることは、楽屋受けが多い。だから、大人が若手の芸人を見ない。わからないからですよ。自分たちだけがどこの派閥やとか、この間、誰それとメシを食いに行ったとか言われても。  特に漫才師は基本コンビでしょ。それぞれの名前を知っている大人は少ないですよ。先日、某売れっ子漫才師に新幹線で会ったんですよ。コンビ名は知っているけど、個人はどっちがどっちかわかりませんよ。芸を披露する、寄席番組がないからですよ。寄席番組を作ろうとしたら、ものすごい数のネタがいる。年に1回くらいならいいけど、1週間に1度だったら、それだけのネタをやれる芸人はいませんよ。  演歌のヒット曲が少なくなってほかのものに変わっていくみたいなもんで、今はお笑いも変わっていっている。最近、第2次お笑いブームが終わりだといわれているけど、絶対、なんかできたら違うもんが来る。  漫才ブームで売れている時に一瞬、このまま行くと思いましたよ。でも、マスコミが最近、漫才は面白くないと言ったらホントに面白くなくなっていたことに気づく。マスコミのほうが早いですよ。マスコミはお客さん目線や視聴者目線で書くから当たってますよ。  誰か紳助に司会をやらせて――。  今の若手のお笑いは気の毒。ボクなんか、がばいばあちゃんに育てられたから、62歳まで生きてこられた。今の時代だからこそ70歳の人の話を聞かなきゃダメですよ。  ばあちゃんの家に預けられてよかったですよ。あんだけお金がなくて、7人も子どもがいて、子どもが大きくなったと思ったら私を預かって、平気だもん。普通だったら、7人育て上げたら、孫を預かるのは嫌だと思うでしょ。でも、うちのばあちゃんは7人も8人も一緒だから連れてこいと。それで広島から母親に佐賀に連れていかれた。明るいばあちゃんでね。学校から帰って、腹へったと言うと、気のせいやと言うんです。  私も子どもだからそうかなと思うでしょ。それでテレビもラジオもないから、外に遊びにいこうとすると、外に遊びにいくと腹がへると言う。なら、どうしたらいいの? と聞く。寝なさい。寝なさいといってもまだ夕方の4時半。冬なんか日が落ちるのが早いから4時半に寝てましたよ。なかなか、朝が来ない。寝ても寝ても夜中、寝るのは力仕事でしたよ。  やっと朝が来て、ばあちゃん、朝ご飯と言うと、昨日食べたやないかと。素晴らしいばあちゃんでしたよ。普通だったら悲しい顔をして孫に対して今日はご飯がないと言う。つらくなりますよ。ばあちゃんは全部、笑いながらでしたね。  あとは学校に行って、給食ですよ。当時の給食はまずかったらしい。とくに脱脂粉乳のミルク。クラスの55人の半数は飲まない。そのおかげで余っていたミルクを7~8人分飲んでいた。昔はわかりやすかった、ガリガリの子は貧乏人の子どもだった。割と裕福な子どもはふっくらしていた。俺は貧乏人の子どもだけどふっくら、反比例していた。ミルクのおかげです。近所歩いてもよく、いいとこの子かなと言われた。だから、楽しかった。  お金がないところに幸せがあるとばあちゃんは言ってたけど、ほんまでっせ。8年間、お世話になって、母ちゃんのところに帰れる日が来て、ばあちゃんに俺みたいなアホはこれから人生どうなるのかと聞いたら、ものすごく笑いながら、アホはそんなことに気づかないから大丈夫と言われた。気づかないままの62歳。  ばあちゃんに育てられたからこそ、人を笑かすことができるんやと思いますわ。 『北野演芸館』(TBS系)見たけど、温かい。温かいから芸人は自由にやっている。その点、なんとかグランプリね、審査員席に文化人やわけのわからないアイドルが座って偉そうに言ってるけど、アンタに言われたくないですよ。  お笑いの審査員はお笑いがやらな。相撲を見に行って、審判席に野球選手が座っていますか。プロ野球の実況中継でも歌手が解説に加わって「ヘタな捕り方ですね」と言ったら、怒りたくなるでしょ。  で、何をやりたいかというと、大人のトークショーですね。ゲストで一番当たっている人を呼んでもいいし、何十年も前に当たった人も呼んでいい。いろんな話をして懐かしいと悲しますんじゃなくて、笑かしたい。ショーですね。ゲストひとりを笑かす。例えば、黒柳徹子さんや美輪明宏さんみたいな知的な人から、あまり笑うイメージのない沢尻エリカさんなどでも自信がありますよ。  たけしにも言われたけど、ボクの人生はビックリするくらい変化がある。それに、何もなくて生まれてきたから全部捨てても気にならん。地位とかもいらんし。よくテレビで見てますよと言われても、うれしくない。もうこだわっとらんもん。  ただ、最近になって、お笑いはこうじゃないかと思い始めた。紳助がいなくなったからですよ、何か物足らん。若手の芸人たちが食べる番組をやっているでしょ。本心じゃないと思う。テレビ局は強いから、こういう番組をやりたいと言われたら断れない。仕方なくやっているかもね。本当は違うことで笑かしたいんだと思う。  昔、『オレたちひょうきん族』に出演していたんですよ。プロデューサーが「実力がある人は残るのよ。ない人は消えるのよ」と言ったんです。ボクに直接言わんとマネジャーに言えと伝えたんで、ケンカして降りたんです。ヘタということですもん。  最後に電話がかかってきて「洋七さん、もう1回、出てください」と言ってきましたよ。世の中、ケンカはある。でも、2~3分で忘れる。ボクはそんなに気にしない。  今はただ、面白い番組を作りたいなと思ってます。 (企画・構成=本多圭) ●しまだ・ようしち 1950年、広島県生まれ。本名・徳永昭広。広陵高校出身。1975年に島田洋八と漫才コンビ「B&B」を結成し、ツービート、紳助・竜介とともに「漫才ブーム」を牽引した。

【島田洋七“がばい”独占手記/第3回】「ヤメロ、バカヤロー!」ビートたけしに“マジ”で怒られた夜

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 漫才ブームが去って売れなくなってから、いろんなことをやりました。六本木で「芸バー」もやりました。当時は東京にお笑いをやる劇場がなかったし、弟子を6人くらい抱えてましたからね、芸を披露する場としてオカマではなく、芸人の芸の芸バーを開いたんです。  ワイドショーが取材に来たんで、着物着て、化粧してオカマの格好をしてインタビューを受けたんです。たまたま、たけしが見ていたんでしょうね、夜、店にやってきて「ヤメロ、バカヤロー。恥ずかしいじゃねぇか。ヤメロ、バカヤロー、早く化粧を取れ。金に困っているならやるから、こんな恥ずかしいことはヤメロ」とマジに怒った。  明石家さんまもフジテレビの『オレたちひょうきん族』のプロデューサーと一緒に来て、「兄さん、恥ずかしいからやめてください、オカマにならんでもいいでしょ」と。あくまでギャグや、その日しかやりませんでしたからね。そう言いながら、たけしもさんまも心配してよく来てくれた。店は4カ月くらいやりましたかね。  その後だったか、伊豆で民宿をやろうと土地を買ったんですが、温泉が出ないことがわかって、失敗しました。  埼玉の所沢に住んでいるときには、ラーメン屋もやりました。「まぼろし軒」。名付け親はたけし。いつ潰れてもいいから。まぼろしのように現れて消えるからだって。  所沢では初の芸能人のラーメン屋ということで、たけしのアイデアで和田アキ子さんに電話して「花輪出してもいいですか」とお願いしたら、「ええよ」と言うんで出してもらった。所沢ですからね、西武の監督だった東尾修さんをはじめ、西武の選手の花輪がずらっと並びましたよ。  マイケル・シャクソンという花輪も出しましたよ。そしたら、外国のレコード会社の人から電話があって「マイケル・ジャクソンとお知り合いですか?」と問い合わせがあった。「いや、ジャクソンではなく、点々がないシャクソンです」と言うたら、「抗議でなく、知り合いか、友達かなと思っただけです」と。マイケル・ジャクソンと知り合いなわけないじゃないですか。ホンマ、いいかげんでしたね。  開店初日は、記念やから半額。ところが、たけしが『オールナイトニッポン』で「洋七の店のラーメンはタダらしいぞ」とまちごうて情報を流した。  店に700人くらいの行列ができたんです。パトカーがやってきて「ガードマンを雇って、整理してくださいよ」と言うけど、ガードマンなんておらんよ。お客さんに、なんで並んでるのと聞いたら、「たけしがラーメン、タダ、タダとラジオで言ってた」と。ラーメン、70杯分しか用意してませんよ。70杯分はタダにして、食べられんかった人にはすいません、すいませんと謝って回りましたよ。700人の列は結構、長い距離ですよ。近所の店にも迷惑をかけたんで、夜中に「たけしがラジオで言い間違えました」と謝りに回りましたよ。  10年前に所沢から佐賀に引っ越すんで、まぼろし軒は店長に退職金代わりにやるわ、と。今でもありますよ。  参院選にも出馬しましたね。法定得票数を取って、埼玉で5位で。供託金は没収されなかったですね。出馬するきっかけだけど、ある日、たけしと飲む時に背広を着て行ったんですよ。たけしから「おまえ、国会議員みたいだな。どうせ暇なんだから選挙に出ろ。おまえが言っていることは合っていることが多いからな、出ろ、出ろ」と言われたんですよ。  そういう話があった時に、所沢の行きつけの寿司屋に来るおばちゃんたちにも「洋七さん、選挙に出てよ。洋七さんが話していることはまともや」と言われて勝手連みたいなムードになったんで、ほな、出ようかなということになったんです。  といっても、選挙に詳しい人は誰もおらんし、選挙事務所もない。自宅を選挙事務所にして、近所のおばさんたちに手伝ってもらいましたよ。国政選挙は約2週間でしょ。朝8時半から走り回って、握手するだけ。終わるとグッタリ。酒もたばこもやらんから、2週間で9キロ痩せましたよ。  それにしても、選挙違反というのは、ようわからん。お菓子ひとつとってもスーパーの菓子はいいけど、虎屋の菓子はダメだとか。大宮で薬屋に入って、「よろしく」と言ったら写真を撮られて、選挙違反だと言われた。選挙参謀はいないから、わからんことばかりでした。  昔、埼玉県から参院選に出馬しましたが、選挙はようわからん。でも、新聞はバックに誰もついとらんことがわかっていたから、応援してくれましたね。たけしも「応援に来るからな」と言ったけど、来んかった。「洋七、政治はやばいな」だって。自分から選挙に出ろって言いながら、コロッと変わる。終わってから「惜しかったな」だって。いい加減にせいや。  選挙のレンタカー代やガソリン代を含めて、300万円を供託したんです。選挙が終わってから「供託金を返しますから、取りにきてください」って言うんで行ったんです。没収じゃなかったんですね。行くと2万円くらいの利子がついてましたわ。  そういうところは国はしっかりしてますね。  選挙初日はマイクを持っても照れますよ。それに「島田洋七です」と連呼していいのを知らんかった。わかった3日目からはテンションが上がりましたよ。ただ、選挙参謀がいないから、どこが県境かわからん。タレントでお笑いですから、話を聞こうと人は集まりますよ。  50人以上集まった場所で20分くらいしゃべって「島田洋七です、よろしくお願いします」と言ったら、聞いていた人たちが一斉に「ここは群馬だよ」だって。こんなことが十数カ所でありましたよ。秩父の先に行った時ですよ。東京と山梨の境なんですね。細長い東京都の土地を飛び越して、「島田洋七です」と演説していたら、パトカーがやってきて「洋七さん、ここは山梨ですよ」と言うんですよ。「えっ、山梨ですか」と言うと「どこまで来てるんですか」と言われて、道を教えてもらって帰りましたよ。  あと、選挙で思ったのは、自分でポスターを貼るのを知らんかったことですよ。埼玉は昔はダサイタマなんていわれましたが、人口は700万人以上ですよ。ポスターは1万1,700カ所。貼る人も貼らん人もいますが、組織がないと個人では無理ですよ。それに、1万部以上のポスターを作るのに金がかかる。選挙は金がないとダメだということがわかりましたよ。それでも2,000部くらい作って、近所のおばさんたちがあちこち貼ってくれた。それでは目立ちません。  でも、法定得票数を取って5位、落ちましたが、選挙のたびに出馬の誘いは来ます。でも、選挙はもうこりごり。たけしの誘いに乗ったボクがバカだった。  参議院選挙に落ちてよかったと思いますわ。私は国会というのは、頭のいい人が集まってやっているのかと思ってました。ところが、ウソつくのは平気。態度は横柄。  3~4年前に自民党から政権が民主党に代わる時、その時の大臣。私が京都から新幹線に乗ったら、その大臣がボクの顔を見て「キミ」と言うんですよ。ボクは弟子でもなんでもない。「キミ、テレビで見たな」、キミ、キミとあんまり言うから、ボクは「卵か?」と返したけど、シャレがわからん。「卵とは言ってないよ。キミだよ」とまた言われた。「ちょっと来たまえ」だって。来たまえって、時代劇じゃないんだから。  今どき、民間人に上から目線で物を言うんじゃないって。選ばれたと思って勘違いしている。俺たちが選んであげたのに。国会議事堂は1億2,000万人がみんなで話をするところ。入れないから代表で行っている。それを上からこっちに来たまえと。あんた来たまえと言ってやりましたよ。  そしたら「キミは辛口だね」って。俺の唇をしゃぶったことがあるのか? なめたことがあるのか? そうしたら意味がわからないって。  その間、横にいたSPが笑いをこらえてましたよ。その人、バカでしたね。それですぐに選挙が始まって、落ちました。それぐらいのレベルの人なんですよ。どこの人とは言わないけど、70歳くらいで長崎出身。  総理になった鳩山由紀夫さんも似たようなもんですよ。身長180センチ、体重が72キロくらい、東大出で家は金持ち、ボクにとっては見たこともない完璧な人間だと思いましたよ。顔を見て、新聞に宇宙人みたいな顔と書いてあったけど、あれ以来、宇宙人の顔は鳩山さんだと、思い出してしょうがない。  鳩山さんもすごく頭が悪いですね。お母さんからもらった12億円を知らんと言ったんだから。なんぼ金持ちでも、12億円は知ってますよ。毎月、親から1,500万円ずつ、何年ももらっておいて、知らんて。親子の友愛、人との友愛と言っているんだから、その間に親と話す機会はあるでしょ。お母さんも知らんと言う。振り込んだ方も知らんし、もらったほうも知らんのよ。そんな頭の悪い政治家の仲間にはなりたくありませんよ。 (続く/企画・構成=本多圭) ●しまだ・ようしち 1950年、広島県生まれ。本名・徳永昭広。広陵高校出身。1975年に島田洋八と漫才コンビ「B&B」を結成し、ツービート、紳助・竜介とともに「漫才ブーム」を牽引した。

【島田洋七“がばい”独占手記/第3回】「ヤメロ、バカヤロー!」ビートたけしに“マジ”で怒られた夜

【島田洋七がばい独占手記/第3回】「ヤメロ、バカヤロー!」ビートたけしにマジで怒られた夜の画像1
 漫才ブームが去って売れなくなってから、いろんなことをやりました。六本木で「芸バー」もやりました。当時は東京にお笑いをやる劇場がなかったし、弟子を6人くらい抱えてましたからね、芸を披露する場としてオカマではなく、芸人の芸の芸バーを開いたんです。  ワイドショーが取材に来たんで、着物着て、化粧してオカマの格好をしてインタビューを受けたんです。たまたま、たけしが見ていたんでしょうね、夜、店にやってきて「ヤメロ、バカヤロー。恥ずかしいじゃねぇか。ヤメロ、バカヤロー、早く化粧を取れ。金に困っているならやるから、こんな恥ずかしいことはヤメロ」とマジに怒った。  明石家さんまもフジテレビの『オレたちひょうきん族』のプロデューサーと一緒に来て、「兄さん、恥ずかしいからやめてください、オカマにならんでもいいでしょ」と。あくまでギャグや、その日しかやりませんでしたからね。そう言いながら、たけしもさんまも心配してよく来てくれた。店は4カ月くらいやりましたかね。  その後だったか、伊豆で民宿をやろうと土地を買ったんですが、温泉が出ないことがわかって、失敗しました。  埼玉の所沢に住んでいるときには、ラーメン屋もやりました。「まぼろし軒」。名付け親はたけし。いつ潰れてもいいから。まぼろしのように現れて消えるからだって。  所沢では初の芸能人のラーメン屋ということで、たけしのアイデアで和田アキ子さんに電話して「花輪出してもいいですか」とお願いしたら、「ええよ」と言うんで出してもらった。所沢ですからね、西武の監督だった東尾修さんをはじめ、西武の選手の花輪がずらっと並びましたよ。  マイケル・シャクソンという花輪も出しましたよ。そしたら、外国のレコード会社の人から電話があって「マイケル・ジャクソンとお知り合いですか?」と問い合わせがあった。「いや、ジャクソンではなく、点々がないシャクソンです」と言うたら、「抗議でなく、知り合いか、友達かなと思っただけです」と。マイケル・ジャクソンと知り合いなわけないじゃないですか。ホンマ、いいかげんでしたね。  開店初日は、記念やから半額。ところが、たけしが『オールナイトニッポン』で「洋七の店のラーメンはタダらしいぞ」とまちごうて情報を流した。  店に700人くらいの行列ができたんです。パトカーがやってきて「ガードマンを雇って、整理してくださいよ」と言うけど、ガードマンなんておらんよ。お客さんに、なんで並んでるのと聞いたら、「たけしがラーメン、タダ、タダとラジオで言ってた」と。ラーメン、70杯分しか用意してませんよ。70杯分はタダにして、食べられんかった人にはすいません、すいませんと謝って回りましたよ。700人の列は結構、長い距離ですよ。近所の店にも迷惑をかけたんで、夜中に「たけしがラジオで言い間違えました」と謝りに回りましたよ。  10年前に所沢から佐賀に引っ越すんで、まぼろし軒は店長に退職金代わりにやるわ、と。今でもありますよ。  参院選にも出馬しましたね。法定得票数を取って、埼玉で5位で。供託金は没収されなかったですね。出馬するきっかけだけど、ある日、たけしと飲む時に背広を着て行ったんですよ。たけしから「おまえ、国会議員みたいだな。どうせ暇なんだから選挙に出ろ。おまえが言っていることは合っていることが多いからな、出ろ、出ろ」と言われたんですよ。  そういう話があった時に、所沢の行きつけの寿司屋に来るおばちゃんたちにも「洋七さん、選挙に出てよ。洋七さんが話していることはまともや」と言われて勝手連みたいなムードになったんで、ほな、出ようかなということになったんです。  といっても、選挙に詳しい人は誰もおらんし、選挙事務所もない。自宅を選挙事務所にして、近所のおばさんたちに手伝ってもらいましたよ。国政選挙は約2週間でしょ。朝8時半から走り回って、握手するだけ。終わるとグッタリ。酒もたばこもやらんから、2週間で9キロ痩せましたよ。  それにしても、選挙違反というのは、ようわからん。お菓子ひとつとってもスーパーの菓子はいいけど、虎屋の菓子はダメだとか。大宮で薬屋に入って、「よろしく」と言ったら写真を撮られて、選挙違反だと言われた。選挙参謀はいないから、わからんことばかりでした。  昔、埼玉県から参院選に出馬しましたが、選挙はようわからん。でも、新聞はバックに誰もついとらんことがわかっていたから、応援してくれましたね。たけしも「応援に来るからな」と言ったけど、来んかった。「洋七、政治はやばいな」だって。自分から選挙に出ろって言いながら、コロッと変わる。終わってから「惜しかったな」だって。いい加減にせいや。  選挙のレンタカー代やガソリン代を含めて、300万円を供託したんです。選挙が終わってから「供託金を返しますから、取りにきてください」って言うんで行ったんです。没収じゃなかったんですね。行くと2万円くらいの利子がついてましたわ。  そういうところは国はしっかりしてますね。  選挙初日はマイクを持っても照れますよ。それに「島田洋七です」と連呼していいのを知らんかった。わかった3日目からはテンションが上がりましたよ。ただ、選挙参謀がいないから、どこが県境かわからん。タレントでお笑いですから、話を聞こうと人は集まりますよ。  50人以上集まった場所で20分くらいしゃべって「島田洋七です、よろしくお願いします」と言ったら、聞いていた人たちが一斉に「ここは群馬だよ」だって。こんなことが十数カ所でありましたよ。秩父の先に行った時ですよ。東京と山梨の境なんですね。細長い東京都の土地を飛び越して、「島田洋七です」と演説していたら、パトカーがやってきて「洋七さん、ここは山梨ですよ」と言うんですよ。「えっ、山梨ですか」と言うと「どこまで来てるんですか」と言われて、道を教えてもらって帰りましたよ。  あと、選挙で思ったのは、自分でポスターを貼るのを知らんかったことですよ。埼玉は昔はダサイタマなんていわれましたが、人口は700万人以上ですよ。ポスターは1万1,700カ所。貼る人も貼らん人もいますが、組織がないと個人では無理ですよ。それに、1万部以上のポスターを作るのに金がかかる。選挙は金がないとダメだということがわかりましたよ。それでも2,000部くらい作って、近所のおばさんたちがあちこち貼ってくれた。それでは目立ちません。  でも、法定得票数を取って5位、落ちましたが、選挙のたびに出馬の誘いは来ます。でも、選挙はもうこりごり。たけしの誘いに乗ったボクがバカだった。  参議院選挙に落ちてよかったと思いますわ。私は国会というのは、頭のいい人が集まってやっているのかと思ってました。ところが、ウソつくのは平気。態度は横柄。  3~4年前に自民党から政権が民主党に代わる時、その時の大臣。私が京都から新幹線に乗ったら、その大臣がボクの顔を見て「キミ」と言うんですよ。ボクは弟子でもなんでもない。「キミ、テレビで見たな」、キミ、キミとあんまり言うから、ボクは「卵か?」と返したけど、シャレがわからん。「卵とは言ってないよ。キミだよ」とまた言われた。「ちょっと来たまえ」だって。来たまえって、時代劇じゃないんだから。  今どき、民間人に上から目線で物を言うんじゃないって。選ばれたと思って勘違いしている。俺たちが選んであげたのに。国会議事堂は1億2,000万人がみんなで話をするところ。入れないから代表で行っている。それを上からこっちに来たまえと。あんた来たまえと言ってやりましたよ。  そしたら「キミは辛口だね」って。俺の唇をしゃぶったことがあるのか? なめたことがあるのか? そうしたら意味がわからないって。  その間、横にいたSPが笑いをこらえてましたよ。その人、バカでしたね。それですぐに選挙が始まって、落ちました。それぐらいのレベルの人なんですよ。どこの人とは言わないけど、70歳くらいで長崎出身。  総理になった鳩山由紀夫さんも似たようなもんですよ。身長180センチ、体重が72キロくらい、東大出で家は金持ち、ボクにとっては見たこともない完璧な人間だと思いましたよ。顔を見て、新聞に宇宙人みたいな顔と書いてあったけど、あれ以来、宇宙人の顔は鳩山さんだと、思い出してしょうがない。  鳩山さんもすごく頭が悪いですね。お母さんからもらった12億円を知らんと言ったんだから。なんぼ金持ちでも、12億円は知ってますよ。毎月、親から1,500万円ずつ、何年ももらっておいて、知らんて。親子の友愛、人との友愛と言っているんだから、その間に親と話す機会はあるでしょ。お母さんも知らんと言う。振り込んだ方も知らんし、もらったほうも知らんのよ。そんな頭の悪い政治家の仲間にはなりたくありませんよ。 (続く/企画・構成=本多圭) ●しまだ・ようしち 1950年、広島県生まれ。本名・徳永昭広。広陵高校出身。1975年に島田洋八と漫才コンビ「B&B」を結成し、ツービート、紳助・竜介とともに「漫才ブーム」を牽引した。

【島田洋七“がばい”独占手記/第2回】次長課長・河本準一の“生保不正受給”騒動は「情けない!」

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 吉本興業の後輩・河本準一の生活保護の不正受給問題。情けないですわ。私が小さいときなんか、がばいばあちゃんがあんだけ苦労して生活保護なんか受けてないんですよ。  とりあえず、昔の人は働こうとしか思わなかった。うちのばあちゃんは44歳でじいさんを亡くしたとき、7人の子どもがいた。生活保護も何もなかった。7人きょうだいで、長女がうちの母親なんです。「これから先どうするの?」と近所の人のほうが心配する。ばあさん、くるっと振り返って「今から寝ます」と言ったらしい。  なんでそんなことを言ったのか聞いたら、「死んですぐに、そんなこと考えられるわけがない。頑張るんは私なんや」と。河本にも聞かせてやりたいですわ。  北野武の映画『アウトレイジ 最終章』が10月に公開されるけど、ボクにはたけしが映画監督と言われてもピンと来ん。たけしとは“漫才ブーム”で売れる前から、亡くなった横山やすしさんの紹介で知り合って、仲良くなりました。でも、いまだに照れ屋だから、電話でも恥ずかしそうに用件だけ言ってすぐ切っちゃうもん。「じゃーな」って。  たけしとやった1時間のショクナイ(業界用語で内職)の漫才はスリルがありましたよ。  漫才ブームが去った直後でしたよ。ボクが、ある保険会社に頼まれたんです。それまで歌手でやってたけど、ギャラが高すぎる。それに歌手も飽きたということで「漫才で1時間持ちますかね」と相談されたんです。  で、「たけしとどうですか?」と言ったんですよ。そしたら向こうが、「そりゃ無理でしょ」と言いましたよ。でも、やらなしょうがないとたけしに言ったんです。酒を飲んでいる時に「金はともかく、それじゃ行ってみっか」ということになって、3回行きましたよ。  忙しいたけしがショクナイで営業を行っているとは誰も思いませんよ。ギャラはたけしが相方のビートきよしさんに遠慮して言わなかったけど、1時間なんてやったことはなかった。ボケも突っ込みもありません。お互いボケと突っ込みですよ。ボクは田舎もんをバカにするネタ。たけしは下ネタは言いませんからね、得意な毒舌で1時間。会場は大爆笑でしたよ。今までで一番スリルがありましたね。1時間ですよ。今の若手は3分か5分。俺らを見習えって。  やっていて、たけしの記憶力は抜群だと思いましたね。漫才やりながら「昔、このネタ、10年くらい前やったよな」と。普通、10年前のネタ、忘れまっせ。彼ははっきりと覚えている。すごいと思いましたね。  たけしは映画を作ったり絵を描いたり多才ですが、彼にはお笑いの脳がある。頭の中は7割がお笑いですよ。だから、映画監督と言われてもピンと来ない。  そのたけしだって「フライデー事件」を起こした時は、あんなに強気な発言をしていたけど、「俺、漫才をできるかな」と弱気になった時もありました。石垣島の砂浜で、海の水が膝まで満ちてくるのも忘れて話しました。  マスコミの目がうるさいし、暖かいところがいいやろと沖縄の石垣島に行ったんですよ。芸能人って、事件を起こすと関わり合いになりたくないから、付き合うのをやめる人が多いでしょ。ボクの場合は売れる前からの友だちですからね。  ひとりじゃ寂しいだろうと思って、石垣島に何度も行きましたよ。強気な発言をしてましたが、裁判の判決を待っている時でしたからね。砂浜に座りながら「俺、刑務所に行くんやろか」と話してましたよ。「もし、懲役になったら、しょっちゅう面会に来いよ」と言うから、「そんなところ、しょっちゅう行けんやろ」と言いましたよ。「冷たい」と言うてたけど。  やっぱりビビッてたんですよ。ワイドショーで裁判所に入っていく時の顔と、執行猶予の判決が出て、出てくる時の表情はまったく違ってましたからね。紺のスーツに、カッターシャツ。実刑が決まれば、そのまま刑務所行きですからね。真剣な顔でしたよ。  石垣島では砂浜に海水がだんだん満ちてきて、膝の上までつかるまで気がつかないくらい話しましたよ。「もし、刑務所に入ったら、お笑いなんかできなくなる。どうしようかな」と言ってました。「もし、北野武という人間が芸能界からいなくなるんだったら、俺だってやめて広島か佐賀に帰る」と言いましたよ。  フライデー事件が終わった後にバイク事故でしょ。あの頃は3~4年に1回、何かありましたね。よく「死にたい」と言ってましたね。バイク事故から4年後に2人で会った時に、「ボチボチ何かやらな」と言ったら、たけしが「アホか、おまえがせい」って言うから「俺、別にすることないもん」言うたけど。  時々、人のせいにする。  TBSの『ニュースキャスター』で“洋七伝説”なんてコーナー作って勝手なことを言ってますが、自分がやったことを俺がやったことにしている。よく友だちが自分でやりながら人のせいにするのと同じですよ。  たけしとは漫才ブーム直後、2人で銀座で遊びましたよ。2人ともお客さんに連れて行ってもらったことはあったけど、自腹は初めて。たけしが、銀座には月に200万円稼ぐホステスが5~6人いるという週刊誌の記事を、1軒200万円かかると勘違いして、お互い2,000万円抱えて銀座に行きました。  8丁目のクラブ「G」というところに行きましたよ。入り口で「カバンを預かりましょ」と言われましたけど、「大金が入っているからいいです」と断ったら、変な目で見られました。  店に入っても、安いところばかりで飲んでいるから落ち着かない。20分たった頃にママを呼んで、「今、帰ったらいくらですか?」と聞いたんです。「クラブは一緒です」。それでも心配だから、また20分くらいたってから、ママを呼んで「今、帰ったらいくらですか?」と聞いたら、「普段、どんなところで飲んでんですか?」と聞かれましたよ。時間制の安いところと言ったら、「クラブは関係ない、1時間半はいてください」と言われて安心しました。  たけしが「洋七、こういうところで寿司を頼むと金持ちに見えるぞ」と言うんで、ボーイを呼んで、ホステスたちの分も含めて5人前頼んだんです。また、ボーイを呼んでたけしはほかの客にも聞こえる声で、「いま頼んだ寿司は並じゃなく、上、上」と連発したんです。そしたら、ピアノを弾いていた黒人が「お呼びですか?」と来た。その人、ジョーという名前だったんですよ。「あなたじゃなくて寿司の上」と言って戻ってもらいました。  ボトルを入れる時も大変でした。ボクら高い酒は飲まんから、ボトルの名前もようわからん。当時、レミーマルタンというブランデーがはやっていた。たけしに「レミー知ってるか?」と聞いたら「レミーなんてねえちゃん知らねぇよ」と言う。店のボーイが「ヘネシーはどうですか?」と言ったらたけしは「ヘネシーって外人は知らねえな」。仕方なくサントリーのリザーブを頼んだら、ないと言われた。当時、日本のウイスキーはクラブに置いてなかったんです。  2人で割り勘でしたが、13万円。30年以上前ですが、ママが安くしてくれたんでしょうね。あんなきれいな人がぎょうさんいるとは思いませんよ。安かったですよ。それに「サインしてくれ」と言うホステスもいませんしね。  佐賀のスナックだったら大変ですよ、じいさんばあさん、軽四輪に乗せて「ほら、洋七、来てッとばい」。家からじいちゃんばあちゃん、連れてくるなって。 (続く/企画・構成=本多圭) ●しまだ・ようしち 1950年、広島県生まれ。本名・徳永昭広。広陵高校出身。1975年に島田洋八と漫才コンビ「B&B」を結成し、ツービート、紳助・竜介とともに「漫才ブーム」を牽引した。

【島田洋七“がばい”独占手記/第1回】「消えた」と言われて……講演会年200本!

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 弟弟子の島田紳助がいなくなってから、若手のお笑いが司会をやってるけど、うまくないね。紳助がネタを練りに練り上げて、相手に放り投げて笑いを取ろうとしたのに、若手は相手が失敗したのを突っ込むだけ。ネタを増やそうとしない。だから、飽きられる。  紳助が辞めて、若手よりさんまの番組のほうが視聴率がいいでしょ。若手より、さんまのほうが相当おもろいもん。  わいも、もう一度、司会やトークショーをやって笑わしたいと、5年前の8月から“美女軍団”を擁する「オスカープロモーション」に移籍したんです。お笑いの連中の間では「どうやって、オスカーにもぐり込んだんだ?」って。米倉涼子や上戸彩、美女モデルが6,000人以上いる。そりゃ話題にもなりますよ。わいはこれまで、吉本興業しか知らんしね。辞めて4年。東京のお笑いのプロに移ったとしても、何も変わらん。お笑いじゃないところのほうが、新鮮なネタができる。新しい学校に転校したみたいで、ドキドキしてますわ。自分でビックリするような変化。普通、わいみたいな人生ないんとちゃいますか。  親友の北野武(ビートたけし)が『佐賀のがばいばあちゃん』(徳間文庫)が売れた時に、「洋七、上がって、落ちて、上がって、落ちて、3回目はベストセラー作家かよ。オイラも本を出しているけど、こんなに売れない。600万部だろ、想像がつかないよ」と言ってましたよ。  初めは自費出版ですよ。それが徳間書店に持ち込んだら、単行本として出版してくれた。売れただけでもすごいと思ったのに、『がばいばあちゃん』シリーズは600万部以上売れた。それだけじゃない。レコードも出て、テレビドラマ化。我が人生が映画化、それに舞台化もされたんです。こんなことってない。  ところが、吉本を辞めてから1~2年テレビに出んかったら、「アカン、消えた」と言われる世界。テレビ出演の話もあったんですが、立ち消えのケースが多かった。  5年前までは、講演会ばかりやっていたんです。多い時で年間200本。講演会の依頼は日本一でしたよ。この間、原発の被災地の福島県に講演に行ったんです。その日で4,311カ所目だと言ったら、お客さんは驚いてましたよ。講演回数はダントツの日本一ですからね。  吉本興業を辞めてから約10年、テレビにはほとんど出ませんでしたが、講演会の依頼は多い時は200本。銀行や保険会社、いろんな企業からありますよ。テーマは「がばいばあちゃんと今のボク」とか「楽しい老後の過ごし方」「人生楽しく生きるのは当たり前」とかね。震災で福島が3回、岩手も。この間は福島のある団体の婦人部から「とにかく、笑かしてくれ」という依頼があって行ってきました。  オール女性というのはいい。ちょっとくたびれているけど、女性ばかりだと笑いの反応が違う。これが男ばかりだと、なかなか笑わないんで苦労する。男はなんで暗いのかね。特に50、60、70歳。何か面白いことを言っても「へへへ」。笑ったら損やと思っとんのやろね。以前、男ばかり1,300人の前でやったことがあった、どこの会社とは言わないけど、ある大きな建設会社。暗い。  その点、女性は明るい。婦人部の講演会で一番受けたのは「『ひとつになろう日本』というなら、日本の人口の1億2,000万人が福島に行ってみんなで深呼吸しよう」と。「そうなれば放射能が薄くなる」と言ったら、爆笑してましたね。  あと、福島に旅行に行って帰りに、みんながガレキを5キロずつ背負って帰るとか。「みんなが背負って帰ったらなくなりますよ」と言ったら、拍手喝采でしたよ。それを自治体が「ガレキはいらん」とか「受け入れられない」とか、意味がわからんですよ。ガレキ、ガレキと言ってますが、普通のガレキと違うんですよ。いろんな人が犠牲になった、魂が入ったガレキなんですよ。本当なら、全国の市町村が「うちがやる」と言わな。ワイドショーを見ていたら、赤ちゃんを連れた35~36歳くらい主婦が「赤ちゃんに何かあったらどうするんですか?」って。おまえの顔がどうするんですか、アホかと思いましたよ。  私は広島出身だからわかります。広島は原爆を落とされたんです。その5年後に私は生まれた。元気ですよ。起きたことは仕方がないけど、やっていることがワケわからん。一番腹が立ったのは、家に帰ってはダメな区域がありますよね。そこに泥棒が入るって最低ですよ。ああいう区域に泥棒に入ったら、普通の罪の10倍と国が言ったらよかった。  そういう決断が遅すぎますよ。  福島に3回、講演に行って感じたことは、何万人もの方が犠牲になられてわかったことが、いっぱいあったということです。とにかく、ずさんな管理をやっている。国会議員の頭の悪さがものすごくわかりましたよ。  私は大企業の講演にも行くんです。生保とか自動車メーカー。大きな企業の研究室に行ったら東大、早稲田と高学歴の人ばかり。その人たちがはっきり言ってましたよ。「頭のいい人は国会議員にならん」と。「頭のいい人は、何十年も働ける大きな会社の研究室に行く」と。だから、国会議員はアホばかりと言ってました。  菅直人元総理、辞めてからすぐに四国に行かんで、なんで福島に行かないのか。鳩山由紀夫元総理も福島に行かないで、なんでイランに行くの? イランに行っていらんと言われた。なんの成果もない。飛行機で行って帰ってくるだけで、何百万の金がかかっている。よう、わからんですわ。  電力会社もそうですわ。何万人もの犠牲者を出して、なんでボーナス5回分先に取らないかんの。そんなアホな話、どこにある。ボーナスなんて儲かってからでしょ。それをボーナスのお金を入れて電気代値上げするんですよ。  福島に講演に行った時に、乗ったタクシーの運転手が「福島県民は非常に我慢強いから、何も言わないけど、胸の中ではいろいろ思っているだろう」って。私も頑張りますと言ったら、「洋七さんは余計なことを考えないで、笑かしてください」と言われましたけど、でも、そういう話は避けて通れないですよ。 (続く/企画・構成=本多圭) ●しまだ・ようしち 1950年、広島県生まれ。本名・徳永昭広。広陵高校出身。1975年に島田洋八と漫才コンビ「B&B」を結成し、ツービート、紳助・竜介とともに「漫才ブーム」を牽引した。

【島田洋七“がばい”独占手記/第1回】「消えた」と言われて……講演会年200本!

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 弟弟子の島田紳助がいなくなってから、若手のお笑いが司会をやってるけど、うまくないね。紳助がネタを練りに練り上げて、相手に放り投げて笑いを取ろうとしたのに、若手は相手が失敗したのを突っ込むだけ。ネタを増やそうとしない。だから、飽きられる。  紳助が辞めて、若手よりさんまの番組のほうが視聴率がいいでしょ。若手より、さんまのほうが相当おもろいもん。  わいも、もう一度、司会やトークショーをやって笑わしたいと、5年前の8月から“美女軍団”を擁する「オスカープロモーション」に移籍したんです。お笑いの連中の間では「どうやって、オスカーにもぐり込んだんだ?」って。米倉涼子や上戸彩、美女モデルが6,000人以上いる。そりゃ話題にもなりますよ。わいはこれまで、吉本興業しか知らんしね。辞めて4年。東京のお笑いのプロに移ったとしても、何も変わらん。お笑いじゃないところのほうが、新鮮なネタができる。新しい学校に転校したみたいで、ドキドキしてますわ。自分でビックリするような変化。普通、わいみたいな人生ないんとちゃいますか。  親友の北野武(ビートたけし)が『佐賀のがばいばあちゃん』(徳間文庫)が売れた時に、「洋七、上がって、落ちて、上がって、落ちて、3回目はベストセラー作家かよ。オイラも本を出しているけど、こんなに売れない。600万部だろ、想像がつかないよ」と言ってましたよ。  初めは自費出版ですよ。それが徳間書店に持ち込んだら、単行本として出版してくれた。売れただけでもすごいと思ったのに、『がばいばあちゃん』シリーズは600万部以上売れた。それだけじゃない。レコードも出て、テレビドラマ化。我が人生が映画化、それに舞台化もされたんです。こんなことってない。  ところが、吉本を辞めてから1~2年テレビに出んかったら、「アカン、消えた」と言われる世界。テレビ出演の話もあったんですが、立ち消えのケースが多かった。  5年前までは、講演会ばかりやっていたんです。多い時で年間200本。講演会の依頼は日本一でしたよ。この間、原発の被災地の福島県に講演に行ったんです。その日で4,311カ所目だと言ったら、お客さんは驚いてましたよ。講演回数はダントツの日本一ですからね。  吉本興業を辞めてから約10年、テレビにはほとんど出ませんでしたが、講演会の依頼は多い時は200本。銀行や保険会社、いろんな企業からありますよ。テーマは「がばいばあちゃんと今のボク」とか「楽しい老後の過ごし方」「人生楽しく生きるのは当たり前」とかね。震災で福島が3回、岩手も。この間は福島のある団体の婦人部から「とにかく、笑かしてくれ」という依頼があって行ってきました。  オール女性というのはいい。ちょっとくたびれているけど、女性ばかりだと笑いの反応が違う。これが男ばかりだと、なかなか笑わないんで苦労する。男はなんで暗いのかね。特に50、60、70歳。何か面白いことを言っても「へへへ」。笑ったら損やと思っとんのやろね。以前、男ばかり1,300人の前でやったことがあった、どこの会社とは言わないけど、ある大きな建設会社。暗い。  その点、女性は明るい。婦人部の講演会で一番受けたのは「『ひとつになろう日本』というなら、日本の人口の1億2,000万人が福島に行ってみんなで深呼吸しよう」と。「そうなれば放射能が薄くなる」と言ったら、爆笑してましたね。  あと、福島に旅行に行って帰りに、みんながガレキを5キロずつ背負って帰るとか。「みんなが背負って帰ったらなくなりますよ」と言ったら、拍手喝采でしたよ。それを自治体が「ガレキはいらん」とか「受け入れられない」とか、意味がわからんですよ。ガレキ、ガレキと言ってますが、普通のガレキと違うんですよ。いろんな人が犠牲になった、魂が入ったガレキなんですよ。本当なら、全国の市町村が「うちがやる」と言わな。ワイドショーを見ていたら、赤ちゃんを連れた35~36歳くらい主婦が「赤ちゃんに何かあったらどうするんですか?」って。おまえの顔がどうするんですか、アホかと思いましたよ。  私は広島出身だからわかります。広島は原爆を落とされたんです。その5年後に私は生まれた。元気ですよ。起きたことは仕方がないけど、やっていることがワケわからん。一番腹が立ったのは、家に帰ってはダメな区域がありますよね。そこに泥棒が入るって最低ですよ。ああいう区域に泥棒に入ったら、普通の罪の10倍と国が言ったらよかった。  そういう決断が遅すぎますよ。  福島に3回、講演に行って感じたことは、何万人もの方が犠牲になられてわかったことが、いっぱいあったということです。とにかく、ずさんな管理をやっている。国会議員の頭の悪さがものすごくわかりましたよ。  私は大企業の講演にも行くんです。生保とか自動車メーカー。大きな企業の研究室に行ったら東大、早稲田と高学歴の人ばかり。その人たちがはっきり言ってましたよ。「頭のいい人は国会議員にならん」と。「頭のいい人は、何十年も働ける大きな会社の研究室に行く」と。だから、国会議員はアホばかりと言ってました。  菅直人元総理、辞めてからすぐに四国に行かんで、なんで福島に行かないのか。鳩山由紀夫元総理も福島に行かないで、なんでイランに行くの? イランに行っていらんと言われた。なんの成果もない。飛行機で行って帰ってくるだけで、何百万の金がかかっている。よう、わからんですわ。  電力会社もそうですわ。何万人もの犠牲者を出して、なんでボーナス5回分先に取らないかんの。そんなアホな話、どこにある。ボーナスなんて儲かってからでしょ。それをボーナスのお金を入れて電気代値上げするんですよ。  福島に講演に行った時に、乗ったタクシーの運転手が「福島県民は非常に我慢強いから、何も言わないけど、胸の中ではいろいろ思っているだろう」って。私も頑張りますと言ったら、「洋七さんは余計なことを考えないで、笑かしてください」と言われましたけど、でも、そういう話は避けて通れないですよ。 (続く/企画・構成=本多圭) ●しまだ・ようしち 1950年、広島県生まれ。本名・徳永昭広。広陵高校出身。1975年に島田洋八と漫才コンビ「B&B」を結成し、ツービート、紳助・竜介とともに「漫才ブーム」を牽引した。

仕事激減なのに……お笑いコンビ・北陽が「女芸人の憧れ」と呼ばれるワケ

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人力車公式サイトより
 お笑いコンビの北陽が、仕事が大幅に減っているにもかかわらず、女芸人から羨望のまなざしを向けられている。  北陽といえば、埼玉県立久喜北陽高等学校の校名からコンビ名を付けた同級生お笑い芸人。1995年にコンビを結成後、下積み時代を経て、2001年から始まったフジテレビ系『はねるのトびら』にキングコング、ロバート、ドランクドラゴン、インパルスとともにレギュラー出演して大ブレークした。  その後、バラエティー番組に欠かせない女性芸人として引っ張りだこになったものの、現在はコンビでの仕事はほとんどなく、虻川美穂子が『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)にVTR出演する程度となっている。芸能関係者は「2人とも結婚、出産したため、仕事をセーブしているようです。特に伊藤さんは、夫の仕事の関係で、静岡県で静かに暮らしていますよ」と語る。  虻川は2010年にイタリア料理店のオーナーシェフ・桝谷周一郎氏と結婚。15年に男児を出産した。また、伊藤さおりは10年に男子バレーボール・篠田歩選手と結婚。14年に女児を出産している。そんな2人は、いま婚活に励む女芸人の間で憧れの的となっているという。  前出の芸能関係者は「結婚相手に求めるハードルをかなり下げてでも結婚したいと意気込んでいる女芸人はたくさんいますが、なかなかゴールインできないのが現状。それなのに、北陽の2人はともに高スペックの男性をコンビそろってゲット。出産、育児にと人生を謳歌している。その充実した生活ぶりが女芸人の間にウワサとなって広まり、『北陽さんのように早く結婚して、仕事からフェードアウトしたい。子どもがほしい』『50歳手前のいとうあさこさんのようにはなりたくない』という声が多数聞かれています」という。  芸能界に目を向ければ、「結婚したい」と唱えながらも、たんぽぽの川村エミコや、おかずクラブのゆいPらが次々と破局。今年7月には焦った横澤夏子が交際相手に結婚を迫り、無理やり入籍するというちょっとした珍事まで発生した。 「最近、女性芸能人の間では『20代で結婚できれば超勝ち組、30代で結婚できれば普通、40代で結婚できなければ負け組』といわれています。まあ、芸能界に限ったことではないかもしれませんが……。結婚して幸せになっている人がいる一方で、何年たっても独身で寂しそうにしている先輩芸人を見ると、切実になるのでしょう」(同)  女芸人には、芸能界を生き抜く以上に大変な戦いがありそうだ。北陽のケースがうらやましがられるのも、当然なのかもしれない。

アンガールズ田中の育ちはやっぱりヤバかった! 「変態ごっこ」に励み、無理やり母親の裸を……

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『俺、、、ギリギリ正常人間。』(ソニーミュージックマーケティング)
 9月3日放送『誰だって波瀾爆笑』(日本テレビ系)に、アンガールズが出演した。  ゲストの知られざる生い立ちや今までの人生を振り返るのが、この番組の恒例。「痩せ型」「長身」という要素はアンガールズ2人の共通項だが、両者の人生を見比べてみると、歩んできた道のりはあまりにも異なっている。  では、山根良顕の方から確認していこう。現在、「イクメン」キャラが定着している山根だが、彼のイケてるライフスタイルは今に始まったことではない。意外にも、幼き頃から健康的でリア充寄りの人生を満喫していた。  まず、小4から6年連続で学級委員を務めているという事実が発覚。当時について、山根は「クラスのマスコットボーイみたいだった」と述懐している。  中学時代の山根もいい。サッカー部へ入部するや、中国地方大会の決勝にまで進出した経歴の持ち主だという。  そんな彼が15歳のとき、初めての彼女ができる。しかも、好きだった女の子が向こうから告白してきたという、スペシャルななれそめ。すぐに別離が訪れてしまったようだが、何にせよ、素敵で淡いエピソードではないか。 ■「変態ごっこ」に励み、母親の全裸を見せられる田中  一方、田中卓志の青春はあまりにも不憫だ。結婚相手の条件は「黒髪」で、「自分のことを“キモい”と4回以上思ったらダメ(3回まではOK)」と主張するなど、女性に対する価値観が独特すぎる彼。その人生を掘り起こすと、育ちからしておかしくなりそうな火種が潜んでいた。  例えば。男3兄弟の次男として育った田中だが、そんな彼らがテレビを見ている前方を、母親はなぜかいつも全裸で通り過ぎていたという。「うちは男兄弟しかいないから、女の体に慣れさせるため」というのが、その理由。なんと、田中が18歳になるまで、この教育は続いたらしい。 「メチャクチャ腹立ちましたよ!(笑) テレビ見てたら毎回、お母さんがおっぱいを全然隠さないでゆさゆささせて」(田中)  これで女性への免疫をつけられればいいのだが、そうは問屋が卸さなかった。田中の高校生活は泣ける。彼は体育の授業で、腕を骨折。その後、ギプスを巻いた田中を見た女子生徒に「骨折したの?」と聞かれ「うん」と返したくだりのみが、高校3年間で女子と交わした唯一の会話だったというのだから。「そういう奴は俺だけじゃなくて、いるからね!」と豪語する田中であったが、いや、なかなかにレアだ。  さかのぼれば、小学校時代の田中もおかしい。この頃、田中は友人らと共に「変態ごっこ」という遊びに励んでいたというのだ。ほかのクラスメートはサッカーなどで遊んでいるのに、田中が所属するグループだけは手の代わりにアゴを使い、足とアゴだけでジャングルジムを登るというものだ。  こっそりコレを楽しんでいた田中グループだったが、ある日、1人の女子に見つかってしまう。そして、物好きなことに「面白そう!」とこの遊びに加わるくだんの女子。そしてその日の帰りの会で、その子は「今日、田中くんたちと『変態ごっこ』をして楽しかったです」と発表してしまったというから大変だ。「おい! 俺らは隠れてやってるのに、なんでみんなにバラすんだよ!」と、慌てふためいた当時の田中少年。幼き頃から後ろめたさ満点だった。 ■田中は「子どもを見ても無」 だが、いくら青春時代をこじらせていようとも、大事なのは今だ。「結婚願望はメチャクチャある」と断言する田中には幸せを望むばかりだが、問題がないわけじゃない。どうやら、彼には「子どもを見ても無」という悩みがあるというのだ。  これは、どういうことか? 例えば知人の子どもを見かけたら、通常ならば「うわぁ~、かわいい!」とリアクションしそうなものだが、田中はそのようなリアクションに「えーっ!」と思ってしまう。子どもがいても、単に「いち人間がいるな」としか思えないそうだ。相方の山根は「イクメン」で評判を呼んでいるというのに。  そんな自分の内面について「大丈夫かな、俺!?」と心配する田中であるが、どう考えても心配だ。この先、田中が女性と結婚し、子どもを授かったとしよう。その時も、「いち人間がいる」としか思えないのだろうか……?  実はネット上では、田中に対する好意的な声が多い。「本当はイケメン」「高学歴、高収入、高身長の完璧超人」「乗馬とバイオリンと紅茶を趣味に持っていて上品」などなど。これらの評価は、冗談でもなんでもない。身長188センチ、体重62キログラムで、肩幅の狭い田中。もしもモデルだったらパリコレで重宝されるはずの、抜群のスタイルを誇っている。「貯金額が1億円を超えた」というウワサについても、過去に本人が認めている。「完璧超人」という評価は、言い得て妙だ。  これらの事実を踏まえると、彼の足を引っ張っているのは外見よりも内面だという気がする。ヤバいエピソードだらけの彼の青春時代。アンガールズ田中の現状は必然であった。 (文=火の車)

アンガールズ田中の育ちはやっぱりヤバかった! 「変態ごっこ」に励み、無理やり母親の裸を……

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『俺、、、ギリギリ正常人間。』(ソニーミュージックマーケティング)
 9月3日放送『誰だって波瀾爆笑』(日本テレビ系)に、アンガールズが出演した。  ゲストの知られざる生い立ちや今までの人生を振り返るのが、この番組の恒例。「痩せ型」「長身」という要素はアンガールズ2人の共通項だが、両者の人生を見比べてみると、歩んできた道のりはあまりにも異なっている。  では、山根良顕の方から確認していこう。現在、「イクメン」キャラが定着している山根だが、彼のイケてるライフスタイルは今に始まったことではない。意外にも、幼き頃から健康的でリア充寄りの人生を満喫していた。  まず、小4から6年連続で学級委員を務めているという事実が発覚。当時について、山根は「クラスのマスコットボーイみたいだった」と述懐している。  中学時代の山根もいい。サッカー部へ入部するや、中国地方大会の決勝にまで進出した経歴の持ち主だという。  そんな彼が15歳のとき、初めての彼女ができる。しかも、好きだった女の子が向こうから告白してきたという、スペシャルななれそめ。すぐに別離が訪れてしまったようだが、何にせよ、素敵で淡いエピソードではないか。 ■「変態ごっこ」に励み、母親の全裸を見せられる田中  一方、田中卓志の青春はあまりにも不憫だ。結婚相手の条件は「黒髪」で、「自分のことを“キモい”と4回以上思ったらダメ(3回まではOK)」と主張するなど、女性に対する価値観が独特すぎる彼。その人生を掘り起こすと、育ちからしておかしくなりそうな火種が潜んでいた。  例えば。男3兄弟の次男として育った田中だが、そんな彼らがテレビを見ている前方を、母親はなぜかいつも全裸で通り過ぎていたという。「うちは男兄弟しかいないから、女の体に慣れさせるため」というのが、その理由。なんと、田中が18歳になるまで、この教育は続いたらしい。 「メチャクチャ腹立ちましたよ!(笑) テレビ見てたら毎回、お母さんがおっぱいを全然隠さないでゆさゆささせて」(田中)  これで女性への免疫をつけられればいいのだが、そうは問屋が卸さなかった。田中の高校生活は泣ける。彼は体育の授業で、腕を骨折。その後、ギプスを巻いた田中を見た女子生徒に「骨折したの?」と聞かれ「うん」と返したくだりのみが、高校3年間で女子と交わした唯一の会話だったというのだから。「そういう奴は俺だけじゃなくて、いるからね!」と豪語する田中であったが、いや、なかなかにレアだ。  さかのぼれば、小学校時代の田中もおかしい。この頃、田中は友人らと共に「変態ごっこ」という遊びに励んでいたというのだ。ほかのクラスメートはサッカーなどで遊んでいるのに、田中が所属するグループだけは手の代わりにアゴを使い、足とアゴだけでジャングルジムを登るというものだ。  こっそりコレを楽しんでいた田中グループだったが、ある日、1人の女子に見つかってしまう。そして、物好きなことに「面白そう!」とこの遊びに加わるくだんの女子。そしてその日の帰りの会で、その子は「今日、田中くんたちと『変態ごっこ』をして楽しかったです」と発表してしまったというから大変だ。「おい! 俺らは隠れてやってるのに、なんでみんなにバラすんだよ!」と、慌てふためいた当時の田中少年。幼き頃から後ろめたさ満点だった。 ■田中は「子どもを見ても無」 だが、いくら青春時代をこじらせていようとも、大事なのは今だ。「結婚願望はメチャクチャある」と断言する田中には幸せを望むばかりだが、問題がないわけじゃない。どうやら、彼には「子どもを見ても無」という悩みがあるというのだ。  これは、どういうことか? 例えば知人の子どもを見かけたら、通常ならば「うわぁ~、かわいい!」とリアクションしそうなものだが、田中はそのようなリアクションに「えーっ!」と思ってしまう。子どもがいても、単に「いち人間がいるな」としか思えないそうだ。相方の山根は「イクメン」で評判を呼んでいるというのに。  そんな自分の内面について「大丈夫かな、俺!?」と心配する田中であるが、どう考えても心配だ。この先、田中が女性と結婚し、子どもを授かったとしよう。その時も、「いち人間がいる」としか思えないのだろうか……?  実はネット上では、田中に対する好意的な声が多い。「本当はイケメン」「高学歴、高収入、高身長の完璧超人」「乗馬とバイオリンと紅茶を趣味に持っていて上品」などなど。これらの評価は、冗談でもなんでもない。身長188センチ、体重62キログラムで、肩幅の狭い田中。もしもモデルだったらパリコレで重宝されるはずの、抜群のスタイルを誇っている。「貯金額が1億円を超えた」というウワサについても、過去に本人が認めている。「完璧超人」という評価は、言い得て妙だ。  これらの事実を踏まえると、彼の足を引っ張っているのは外見よりも内面だという気がする。ヤバいエピソードだらけの彼の青春時代。アンガールズ田中の現状は必然であった。 (文=火の車)

天才とサイコパスは紙一重? “じゃないほう芸人”道をひた走るバイきんぐ・西村の変人ぶり

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撮影=後藤秀二
『アウトレイジ 最終章』が10月7日より公開される。これは個人的推測だが、もしもツービートが今デビューしていたならば、たけしのみならず、ビートきよしも売れていたのでは? という気がする。 “じゃないほう芸人”という呼び名はいまやおなじみだが、お笑いの楽しみ方は昔と様変わりした。幅広い視野で芸人の個性を愛好する懐の深さが、視聴者の側に備わった。それはすなわち、芸人の生きる道が多様化したということだろう。 ■犯罪スレスレに趣味のキャンプを楽しみ、「捕まってもいい」と豪語  現在、さまざまな“じゃないほう芸人”がテレビ界で重用されている。どこが“じゃないほう”だよ! という気もしてしまうが、突出した個性を見過ごすことのない現代のウォッチャーのソツのなさには、素直に称賛を送りたい。  では、当代“じゃないほう芸人”の筆頭といえば誰だろうか? トレンディエンジェルのたかしも捨てがたいが、やはりバイきんぐの西村瑞樹の爆発力には舌を巻く。ここ最近でも、“じゃないほう”のはずなのに、西村がピンでテレビ出演する機会を何度か目撃している。  まず、8月27日放送の『ABChanZoo』(テレビ東京系)。ジャニーズのアイドルグループA.B.C-Zに“超上級者キャンプ術”を伝授すべく、講師役として西村が起用されたのだ。「芸能界No.1キャンプ通」の呼び声も高い西村は、自身のキャンプ満喫法をメンバーに説明する。彼は、沖縄本島の一番北側にある無人島で、たった一人でキャンプに臨むことがあるらしい。その際、開放感を味わうために、なんと全裸で生活するという。 「無人島といえば、全裸でしょ!」  まったく意味のわからないことを豪語する西村だが、その島では地元の子どもたちがキャンプすることもあるそうだ。正直、危険なシチュエーションだが、西村は不可解な強気で「捕まってもいいと思ってます」と断言! なぜ、そこまでリスクを冒してキャンプをするのか? 共感できない熱量だ。  しかし、なんだかんだでキャンプは楽しい。特に料理はハイライトだ。しかし、西村は「バーモントカレー」のルーを持参し「裏の説明書通りに作るとメチャクチャうまいんですよ!」と、凡庸なクッキングを実践しようとする。これにはA.B.C-Zメンバーからブーイングが巻き起こるが、当然だ。あまりにも、テレビ的ではない。  そんな彼らの前に現れたのは、バーベキュー世界大会のキッズ部門で優勝した10歳の女の子。彼女は大会でハンバーガーを作り、そのクオリティが評価されて優勝した天才少女である。  すると、西村は女の子に対し「モスバーガーで買ったほうが早いよね」とうかつなことを口にし、場をザワザワさせてしまった。いやはや、すごい男である。 ■美女たちと温泉を満喫しながら動じない西村  9月6日放送『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日系)にも西村はピンで出演。この日は、「禁断の欲望を叶えて幸せに! 欲望スペシャル」と題した特別編。「魚のおいしい部分だけを食べまくる」「超さわり心地のいいモフモフ動物をなでまくる」といった“禁断の欲望”を満たすVTRの数々が紹介されている。  中でも注目は、「『秘湯ロマン』に混ざりたい!」という欲望VTRだ。毎回異なる女優が登場し、温泉宿を堪能する『秘湯ロマン』はテレビ朝日で19年続く長寿旅番組だが、ここになぜか西村も混じり、女優と共に温泉に浸かるVTRが放送されたのだ。  艶っぽい女性がお湯を満喫する背後で、ガタイはいいけど髪の薄い男がまったりしている。大して自己主張するわけでもなく、ただ湯に浸かるのみ。時には3人の女優に囲まれ、欲情せずナチュラルに談笑しながら温泉を楽しむだけの西村。一種、異様な光景である。  だが、この“笑い”は西村の存在感ありきという気がする。もしこの温泉にトレエンのたかしがいたら、いやらしさが先行してしまうだろう。チュートリアルの福田充徳だったら、もはや面白くともなんともない。  しかし西村だと、なぜかいい方向に際立つ。彼の存在は、どこか現実味がないのだ。バラエティの現場にいながら心ここにあらずな感情が、奇跡的に功を奏している。 ■自分のTシャツを他人が着ていても、まったく気づかない  同じく6日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBS系)にも、西村は相方の小峠英二と共にコンビで出演。この時の彼も変だった。 「自分の私物を他人が身に付けてても意外と気付かない説」が、この時の検証企画。その内容だが、まず2人の前に両者の私物Tシャツを着用した素人が登場する。続いて、2人が通りすがった夜道の祠に、西村の愛用する広島カープのロゴ入り手帳が祀られているのを発見。しかし西村は、いつまでたっても自分の私物に気がつかない。相方の小峠は、すぐに察しているのに……。  検証VTR内で“何も感じない男”と断じられた西村であったが、これを見た松本人志は西村のことを「サイコパスですよね」と吐き捨てた。よく考えると、これはすごいんじゃないか? なにしろ、「天才」と「サイコパス」は紙一重だ。  お笑い界の“天才”と自他共に認める松本から「サイコパス」だと認められた西村。類いまれなる才能の持ち主だ。まぎれもなく、“じゃないほう芸人”のトップランナーである。 (文=寺西ジャジューカ)