村上春樹の超絶ベストセラーの映画化『ノルウェイの森』はどこにある?

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松山ケンイチ、菊地凛子主演『ノルウェイの森』。
大学生のワタナベは自殺した親友の恋人・直子と再会し、交際を始める。
(c)2010「ノルウェイの森」村上春樹/アスミック・エース、フジテレビジョン
 1987年に刊行され、累計1,000万部を突破した村上春樹の世界的ベストセラー小説『ノルウェイの森』が、23年の時間を経て映画化された。主人公のワタナベに松山ケンイチ、直子に菊地凛子、緑に新人の水原希子、自殺した親友キズキに高良健吾というキャスティングだ。処女作『風の歌を聴け』が81年に大森一樹監督、小林薫主演で映画化されて以降、村上春樹の長編小説は映像化されることはなかったが、フランス在住のトラン・アン・ユン監督が原作にほぼ忠実に映画化することで完成に漕ぎ着けた。『空気人形』(09)の撮影監督マーク・リー・ピンビンのカメラワークが本作でも冴え、'60年代の東京、そしてワタナベと直子が再会する山奥の療養所のシーンを美しく撮り上げている。  1969年。高校で唯一の親友だったキズキを亡くしたワタナベ(松山ケンイチ)は、大学進学をきっかけに知り合いのいない東京で寮生活を始める。大学では学生運動が盛り上がっていたが、ワタナベは人との関わり合いを避けるように過ごしていた。そんな折、キズキの恋人だった直子(菊地凛子)と再会。心に空いた穴をお互いに埋め合うかのように2人は付き合い始める。直子の20歳の誕生日、ワナタベは直子の部屋でひと晩を過ごすことに。だが、その日以来、直子はワタナベの前から姿を消す。山奥の療養所に直子がいることを知ったワタナベは、彼女宛ての手紙を書き連ねる。直子のことを想う一方、ワタナベは大学の同級生・緑(水原希子)の明るさにも魅了され始めていた。  "喪失感"がテーマとされる村上作品だが、トラン監督も同じく喪失感を抱える映像作家。1962年にホーチミン市近郊の町で生まれたトラン監督はベトナム戦争の戦火から逃れるため、75年にフランスに亡命している。いわば、故郷の喪失者だ。『青いパパイヤの香り』(93)、『夏至』(00)と失われた故郷の思い出を度々モチーフにしている。バイオレンスに突き動かされる現代人の狂気を都市奇譚を交えて美しい映像の中で描いた『アイ・カム・ウィズ・レイン』(08)などは、近年の村上作品と符丁の合う作品だろう。
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直子とは対照的に生命力に溢れた緑。モデル
出身の水原希子がフレッシュな魅力を放っている。
 ベストセラー小説の映像化は、原作ファンの思い入れが強い分どうしても好き嫌いが分かれるが、少なくとも日本人監督ではなく、トラン監督を起用したことで、日本映画特有のウエットさを抑えることに成功している。『ノルウェイの森』が描く世界は美しくはあるが、懐かしく甘くノスタルジックな世界ではないのだ。また、日本の芸能界のことはまったく知らないトラン監督のために、ほぼ全キャストにわたってオーディションが行なわれたことも、本作のプラスポイントに挙げたい。主演の松山ケンイチもすんなり決まったわけではない。松山のオーディション用ビデオを見て最初は難色を示していたトラン監督だが、面談を通して松山の純朴さを感じ、ワタナベ役に選んでいる。原作の大ファンだった菊地凛子の場合は菊地からオーディションに名乗りを挙げ、ビデオ段階で完全な役づくりを行ない念願の直子役をもぎ取った。  ワタナベの同級生・緑役の水原希子も、オーディションの恩恵を受けたひとり。ファッション誌の人気モデルとして活躍する水原だが、演技はまったくの未経験。松山と菊地のパートなど、すでに撮影が始まっていたにも関わらず、緑役のオーディションは難航を極めていた。そんなとき、女性誌のグラビアで微笑む水原の写真をトラン監督が気に入り、急遽面談に。初めて会うトラン監督に対し「ハ~イ!」と挨拶するなど、物怖じしない性格で緑役をゲットしたラッキーガールだ。  「キネマ旬報」(12月下旬号)で水原希子をインタビューしたが、明るい緑と同様に水原自身も人見知りしない陽気な女の子だ。スクリーンの中で終始笑顔を振りまいている水原だが、実は彼女は複雑なアイデンティティーの持ち主。米国テキサス生まれで神戸育ちの彼女は12歳から雑誌「Seventeen」(集英社)などのモデルを務めてきたが、小学5年生のときに米国人の父親と韓国人の母親が離婚しており、水原は自分の居場所はどこなのかとかなり悩んだ時期があるという。ナイーブな問題を抱えながらも、積極的に仕事に打ち込むことで自分の居場所を切り開いていった水原を、トラン監督は「希子は緑に似ているよ」と抜擢に至った。  それにしても、タイトルとなっている"ノルウェイの森"とはどこにあるのだろうか。北欧のノルウェイに行っても、正しい意味での"ノルウェイの森"は存在しない。なぜなら、元々ビートルズが歌った「ノルウェーの森」の日本語訳が誤訳だからだ。原題の「Norwegian Wood」は、直訳すると"ノルウェイ産の木材"。ノルウェイ家具に囲まれた部屋に住むガールフレンドとの逢瀬をジョン・レノンが歌ったもの。ジョン・レノンの意味深な歌詞とジョージ・ハリソンがシタールを幻想的にかき鳴らしていることから、日本では「ノルウェーの木材」「ノルウェーの家具」と直されることなく、誤訳(意訳)である「ノルウェーの森」として一般化していった。だから、"ノルウェイの森"は世界中どこを探しても実在しない。村上春樹流にいえば、"ノルウェイの森"とは形而上学的存在なのだ。  そんな形而上学の"不思議な森"に、実に多くの人が迷い込む。学校や職場の人間関係につまずいた者、恋愛や結婚生活の破綻がきっかけで道から転げ落ちた者、家族との折り合いが悪くて家にいられなくなった者......。街から遠く離れた、深くて暗い森の中に知らず知らずに迷い込む。人間社会で傷つきながら生きていくより、この森の中で静かに暮らすほうがいいと森から出てこない若者たちが大勢いる。森から何とか脱出した者も、森に入る前と出た後では確実に変わってしまう。森を出る際に、大切な何かを失ってしまうのだ。  『ノルウェイの森』でも主人公ワタナベの周囲にいる人たちは、次々と森の中へ消えていく。大切な直子だけでも守ろうとワタナベは懸命に直子を森の外へと連れ出そうとするが、かえってワタナベは自分の無力さを思い知らされる。仲間たちは美しい姿のまま、森の中へと消えていった。それでもワタナベは生きていかなくてはいけない。希望もない、明るい未来をイメージすることもできない。それでもワタナベは森の外で生きていく。胸の奥に失った何かを抱えながら。  23年前には理解できなかった原作小説のラストが、今なら少しは分かる気がする。 (文=長野辰次) 『ノルウェイの森』 原作/村上春樹 脚本・監督/トラン・アン・ユン 撮影/マーク・リー・ピンビン 音楽/ジョニー・グリーンウッド 出演/松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、高良健吾、霧島れいか、初音映莉子、玉山鉄二 PG12 配給/東宝 12月11日(土)より日本公開 <http://www.norway-mori.com> 
ノルウェイの森 上 好き嫌いが分かれますが。 amazon_associate_logo.jpg
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問題作か? 有名評論家35人による『村上春樹『1Q84』をどう読むか』

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『村上春樹『1Q84』をどう読むか』
(河出書房新社)
 2009年5月末、村上春樹『1Q84』(新潮社)が発売され、BOOK1、BOOK2合わせて200万部を超えるベストセラーとなった。出版不況もどこ吹く風といったメガヒットである。このヒットを受けて、10年4月、続編『1Q84 BOOK3』が上梓された。世界で450万部を売り上げた『ノルウェイの森』から23年。"ノーベル賞に一番近い日本人作家"村上春樹は、売り上げも、その文名も、まだまだ留まることを知らないようだ。  『1Q84』は、美しき暗殺者・青豆と小説家志望の青年・天吾のストーリーが、1章ごとに交代で展開されていく。青豆は宗教団体「さきがけ」の教祖暗殺を依頼され、天吾はふかえりという女の子の書いた「空気さなぎ」という小説のリライトを行う。ふかえりは「さきがけ」教祖の娘で、青豆と天吾の物語は急速に接近していく。  筋自体は難しい小説ではないが、多くのメタファー(暗喩)が散りばめられていて、謎があるように思わせる。『村上春樹『1Q84』をどう読むか』は、今をときめく有名評論家35人が『1Q84』の謎に挑んだ評論集だ。巻末には「『1Q84』をめぐるカルチャー・キーワード84」も付いていて、本編の読解に役立つ。  この評論家の顔ぶれがすごい。安藤礼二、石原千秋、内田樹、島田裕巳、永江朗、森達也、四方田犬彦......他、『文学賞メッタ斬り』の大森望×豊崎由美と、さながら評論家のオールスターといったところ。賞賛する者、批判する者、主張に違いあれど、少なからず『1Q84』に興味をひかれる様子。「この人はハルキが嫌いなんだな」「骨の髄までハルキファンだな」と、各評論家の好き嫌い、文学的スタンスが分かって面白い。中立を装って実は批判している、褒めているように見せて最後に辛らつな言葉を浴びせる、という評論家のテクニックが憎らしい。    ここで肯定派か否定派かというのはあまり重要ではない。この本は、ひとつの作品に対し、35人の評論家たちが自分の技を見せ合う読み比べ合戦なのだ。各論を読み比べて、個人採点すると、また違った楽しみ方が出来るのではないだろうか。きっと、自分のセンスに合う評論家が一人は見つかるはずだ。 (文=平野遼)
村上春樹『1Q84』をどう読むか 読まない、という選択肢も。 amazon_associate_logo.jpg
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『1Q84』のリアルドキュメント版か? コミューン育ちの少女のトラウマ映画『アヒルの子』

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ヤマギシ会に預けられたことが原因でトラウマを抱える
小野さやか監督のセルフドキュメンタリー映画『アヒルの子』。
生きづらさを感じる若い世代、ヤマギシ会を理想郷と考えていた団塊世代など
幅広い客層がポレポレ東中野に集まっている。
 今年4月に発売された第3部を含め、累計発行部数360万部を越える村上春樹の大ベストセラー小説『1Q84』。閉鎖的なコミューンで育った美少女・ふかえりを巡るミステリアスなストーリーの中に、カルト宗教、児童虐待、家族の絆といったさまざまな現代的テーマが散りばめてある。その『1Q84』のリアルドキュメント版と称したくなる映画『アヒルの子』が現在、都内のポレポレ東中野で上映中だ。本作は1984年生まれの小野さやか監督が日本映画学校の卒業制作として05年に製作したセルフドキュメンタリー。小野さやか監督は5歳のときに「ヤマギシ会」に1年間預けられたことから、「家族に棄てられた」というトラウマが生じ、そのトラウマを克服しようともがく姿をカメラが追ったものだ。映画の中で重要なキーワードになっている「ヤマギシ会」とは、農業・牧畜を基盤とした現在も「幸福会ヤマギシ会」として活動中のコミューン団体。理想社会をめざすユートピアとして、学生運動経験者が多数参加し、80年代には世界最大級の農業コミューンに成長を遂げている。『1Q84』に登場する"タカシマ塾"及び、そこから派生した"さきがけ"のモデルとされている。  小野さやか監督は、1985年に発足した「ヤマギシ学園」幼年部の5期生にあたる。ヤマギシ学園幼年部は5歳の子どもたちが親元を離れ、学園の"お母さん係"と共に1年間の集団生活を送る。学園は自然の中で子どもたちを伸び伸びと育てる理想教育を謳い、後に初等部、中等部、高等部も発足。97年に刊行された『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』(米本和広著、洋泉社)は、ヤマギシ学園に預けられた子どもたちの多くが労働の過酷さや体罰の厳しさなどから逃亡を企てていたことを明らかにしている。幼年部に預けられた小野監督は"家族に棄てられた"という思いから、ヤマギシで過ごした1年間の記憶が欠落。家族の元に戻ってからは両親の前で懸命に"良い子"を演じ続け、そのことから自分を見失い、"生きづらさ"を感じるようになったという。  映画では小野さやか監督が小学4年のときに長兄から性的虐待を受けたことを告白し、長兄に謝罪を要求するシーン、家族の中で唯一の理解者であった次兄に恋心を訴えるシーン、両親が寝ている寝室に早朝4時に押し入って大ゲンカを始めるシーンなどがカメラに収められている。良い子の仮面を脱ぎ捨てた小野監督が家族ひとりひとりに対し、落とし前をつけに行くという非常にスリリングな内容だ。映画の後半ではヤマギシ学園で共に過ごした全国の5期生たちを訪ね歩き、さらに現在も活動を続けるヤマギシのコミューンを再訪。小野監督が過ごしたヤマギシ学園の当時の映像も挿入されている。ドキュメンタリー史上に残る過激な作品『ゆきゆきて、神軍』(87)、『全身小説家』(94)で知られる原一男監督が製作総指揮を手掛けていることも話題だ。
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ヤマギシ会は、養鶏家だった山岸巳代蔵が主宰
した養鶏教室が母体となり、1953年に発足。
60年代以降、学生運動経験者ら多くの若者が
参画。鶴見俊輔、新島淳良、高田渡、島田裕巳
といった知識人、著名人も賛同していた。
 映画の完成から劇場公開まで5年を要しているが、これは小野さやか監督の家族全員が一般公開を承諾するのに時間がかかったため。製作当時、日本映画学校の学校長だった佐藤忠男氏が「この映画は傑作。ただし、一般上映すべきでない。ご家族に迷惑が及ぶ」と釘を刺したという経緯もあった。だが、小野監督が家族ひとりひとりに上映の許可をもらい、小野監督の故郷である四国以外での上映が決まった。  5月22日、ポレポレ東中野での初日、原一男氏とのトークショーを終えた小野さやか監督にコメントを求めた。映画を完成させ、公開したことで、自分の中で何か変わったか? という問いに対し、小野監督は柔和な表情でこう答えた。 「映画を撮ることで、自分の仮面を外し、生きやすくなるんじゃないかという気持ちで撮った作品です。でも、作品を撮り終えたことで自分が変わったかというと、そんなに大きな違いはないですね。映画を完成させて5年を経て、ゆっくりと消化しているところだと思います。人生そんなにすぐには変わらないんだということが分かった(笑)。でも、それまでの私は映画学校でも友達が全然いなかったんですが、映画製作を通して、多少なりとも人とコミュニケーションできるようになった。今日も初めて会った方たちと話ができたわけですしね。それまでは人と話もできずに、ずっと内へ内へと向かっていたのが、この作品を撮ることがきっかけで意識が外へ向かい出したんです。また、完成した作品を人に観てもらえ、共感してくれる人がいることが嬉しいです」  もし、この映画を撮っていなかったら? 「死んでたんじゃないですか。死ぬか撮るか、という覚悟で始めた作品ですから。もし、映画を撮ってなかったら、犯罪に走るか、どこかの海に沈んでいたんじゃないかと思います。でも、力の限り投げつけたものを受け止めてくれる人たちがいた。あのとき、自分には映画があって良かったと思いますね」
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公開初日を迎えた小野さやか監督と製作総指揮の
原一男氏。暴走スレスレの小野監督の行動を
「カメラがあることで、ギリギリの一線を
保っている」と原氏は評している。
 ヤマギシ学園にいた5歳時の記憶はまるでない? 「一時期、自分からヤマギシにいた記憶を忘れようとしたんです。ほとんど覚えてないんですが、ヤマギシでよく絵本を読んでいたことは覚えていますね。『雪女』を読んで、すごく怖かった。雪女のイメージが、ヤマギシの幼年部にいた"お母さん係"と重なっていたんです。自分が怖い気持ちでいるのは、自分が『雪女』の絵本の世界にいるからなんだ。自分がいる世界は、現実ではなく絵本の世界なんだと思い込むようにしていたんです」  村上春樹の『1Q84』は読みました? 「読みました。それまで村上作品は『アンダーグラウンド』か初期の作品ぐらいしか読んでなかったんですが、『1Q84』は書評を見て、ピンとくるものを感じました。実際に『1Q84』を読んで、ヤマギシがモデルになってるなと思いました。ヤマギシズムを思わせる記述もありますし、逆にちょっとこれは違うなと思う部分もありますね。以前はヤマギシに関連するような本は見ただけで拒絶反応が起きていたので、本を読んで客観的に考えることができるようになっただけでも自分には大きな変化なんです」  映画の中では終始、噛み付くような視線を発していた小野さやか監督だが、映画完成後も家族ひとりひとりと向き合うことで劇場公開が実現し、別人のように朗らかな顔つきになっていることが印象的だった。まるでアヒルの子が白鳥に成長を遂げつつあるかのように。  ポレポレ東中野での『アヒルの子』の上映は6月18日(金)まで。6月5日(土)には「幸福会ヤマギシ会」東京事務局長の松本直次氏と小野監督とのトークショーも同劇場で予定されている。 (文=長野辰次) ●『アヒルの子』 監督/小野さやか 製作総指揮/原一男 撮影/山内大堂 録音/伊藤梢 制作・編集/大澤一生 配給/ノンデライコ 5月22日(土)~6月18日(金)ポレポレ東中野ほか全国順次公開 <http://ahiru-no-ko.com>
1Q84 BOOK 1 読み比べ。 amazon_associate_logo.jpg
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