元妻と共演も!? 山路徹が見た命が奪われ続ける被災地の今

 10年末、不倫問題でバッシングされた山路徹氏が、久々に本誌誌面に登場! 元妻との関係や、被災地取材と並行して行っている活動「福島原発20キロ圏内・犬猫救出プロジェクト」について語った──。 ──最近は、すっかりバラエティタレントとしてもおなじみになりましたね。
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「一部の週刊誌は、いまだ僕の粗探し
をしているみたいですけどね」と苦笑
する山路氏。(写真/笹村泰夫)
山路 メディアはコロッと変わるんですよ。散々叩かれましたが、『サンデージャポン』(TBS系)に出演して、「今の山路は数字が獲れる」とわかったら、みんなバーッと来るんです(笑)。僕にとってもいいチャンスですから、それを逆手に取って不倫・ジゴロイメージを払拭するために、オファーがあれば可能な限り出演しています。メディアによって傷ついた名誉は、メディアによってじゃなきゃ修復していけません。メディアは世の中を映す鏡。メディアが変われば、世の中も変わりますし、世の中が変われば、メディアも変わります。視聴者が「そういえば、あの人は不倫の人だったね」と言うくらい、"今は昔"のムードになってくれればなと(笑)。 ──バラエティで求められている役割は、山路さんの本意ではないのでは? 山路 言葉を字面にしただけじゃ伝わらない人間性みたいなものが、雰囲気、表情、声質などから伝わるのがテレビというメディア。テレビ局が僕に求める役割とは全然違うメッセージが、僕からは言葉にしなくても伝わるはず。そういった意味ではバラエティ番組であっても、露出していれば会見(不倫の釈明会見)では伝えられなかった自分を皆さんにお伝えできるはずだと思っています。僕はマイナスからのスタートですから、これ以上、下には落ちないですし。それに、もともとが人にものを伝える仕事なので、知名度があったほうがいいに越したことはありません。関西ローカルの番組にも結構出演しているんですよ。遙洋子さんが、騒動の時に「関西の男には、山路の良さがわからないのや」と言ってくれたらしいんで、その影響もあるようです。 ──今後、大桃美代子さんや麻木久仁子さんと共演することは? 山路 その予定はないですね。逆に僕が番組スタッフに提案してるです。 「2人を呼んでみたらどうですか?」 って。そしたら「ええっ!?」だって。バラエティ番組なら、それぐらい徹底してやってほしいですね。欧米の番組を見習って。大桃さんにしても麻木さんにしても、これまで芸能人として皆さんに娯楽を提供して生きてきたんですから、徹底してやってほしい。それこそが真のエンターテインメントであり、この騒動を一気に払拭できる唯一の方法だと思います。 ──2人と連絡を取り合うことは? 山路 ないですね。大桃さんには地震の時に電話しました。彼女は阪神大震災や中越地震で恐怖体験をしていて、地震にとても弱いんです。麻木さんには弁護士がついてますから大丈夫です(笑)。麻木さんはもともと強い女性ですが、大桃さんには弱い部分があるんです。でも、安否を確認しただけで、会っていません。 ■ジャーナリストは自衛官や消防士と同じ ──震災被災地を取材されたそうですが、現地での反応は? 山路 避難所でおばさんに「あなた、山路さんでしょ」と、よく言われますよ。深刻な現場でも場が和んだこともあって、それはそれで取材対象と近くなれていいことだと思っています。 ──原発被災地での犬猫救出プロジェクトにもプラスになりそうですね。 山路 そうですね。警戒区域の20キロ圏内と、緊急時避難準備区域の30キロ圏内はメディアが扱わない。取材しても発表する場がないですから、ネットやイベントで伝えていく形になる。ワイドショー的な関心から僕のことを見てたら、流れで救出プロジェクトを知ったという人も結構いるんですよ。だから、今の知名度を、報道人としての力に変えていかなければと思いますね。 ──メディアは、なぜ30キロ圏内の実態は扱わないんですか? 山路 警戒区域内で取材することはコンプライアンスの問題もあるし、記者の健康の問題もある。朝日新聞は、自主規制で50キロ圏内にも入らないそうですからね。社員だけでなく、僕ら社外の通信社が取材した映像を流すのもダメ。それは、取材自体がコンプライアンスに抵触するから放送できないという、お役所的な発想ですよ。僕はかねてから言ってますが、消防士、自衛隊、警察官とジャーナリストは同じだと思ってます。危ないから、法的にまずいから行くのをやめようというわけにはいかない。宮城、岩手に行ったら、石を投げたらマスコミに当たるほどいる。ところが南相馬市には誰もいない。伝えられない地域は、世の中から抹殺されるのと同じ。それが許されていいのか。僕はもともと戦争取材も含めて、現場に行く、スポットの当たらないところにスポットを当てるというスタンスでやってきてます。東電の会見に通うだけが取材じゃありません。犬猫救出プロジェクトについては、「ジャーナリストが何をやってるんだ」と言う人もいるけど、どんな小さな命でも、その大切さを伝えられないジャーナリズムはありえませんから。大切な命を、社会はどう扱おうとしているのかを伝えたいんです。 ──今後救出プロジェクトを進めていく上で、何が必要ですか?
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本橋成一×上原善広 部落産業・屠場の写真集は根深いタブーを超えたのか?

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上原善広氏。
 2011年3月、写真家・本橋成一氏による写真集『屠場〈とば〉』(平凡社)が出版された。1968年、九州や北海道の炭鉱で働く人々を追った写真集『炭鉱〈ヤマ〉』(現代書館)で高い評価を得て、その後も市井の人々に惹かれるままシャッターを押し続けた本橋氏。そんな彼が、意欲的に取り組んだ被写体が"屠場"だった。いわれなき職業差別と身分差別に抗いながら、大阪・松原の屠場で働く人々に迫った最新作について、被差別部落出身のジャーナリスト・上原善広氏が話を聞いた。 上原善広(以下、上原) 『屠場』を手に取って、最初は文章を読まずに写真だけ見たんです。すると、屠場の中には見覚えのあるタイル張りの床、外観には僕が住んでいた団地が写っている。幼少期を過ごした大阪府松原市の「旧屠場」だと、すぐにわかりました。文章を読むと80年代、松原市営時代の旧屠場から、現在の(南大阪食肉市場株式会社に再編された)新しい屠場まで、約30年間にわたる写真が収められている。これはすごいと思いました。

 それに、タイトルの読ませ方が"とば"なのがいいですね。一般的には"とじょう"と呼ぶことが多いけれど、地元ではこう呼んでいた。毎朝、牛や豚の悲鳴が聞こえてきたことを思い出しました。 本橋成一(以下、本橋) タイトルをつけるときに、屠場のみんなに「"とじょう"にしようと思う」と言ったら、「ちゃんと"とば"と呼んでくれよ」と返されたんです(笑)。 上原 それにしても、よくこれだけの写真が撮れましたね。知っている顔が何人もいるけれど、笑顔で写っているのがすごい。この前、作家の西村賢太さん(『苦役列車』(新潮社)で第144回芥川賞を受賞)にお会いして、「屠場労働者は世界的に見て、肉体労働の中でも最底辺に位置付けられているんじゃないか」という話をしたんです。ヨーロッパでも"革なめし"の仕事が底辺に見られているし、日本の屠場はさらに被差別部落の問題も絡んでいる。取材、ましてや写真を撮られるのなんて、みんな嫌がるだろう、と思うのが普通です。 本橋 周りからどう見られようと、彼らは職人としての誇りを持っているんです。松原の屠場は、市営から南大阪食肉市場に再編される過程で、一度は官民共同出資の第三セクターになったことがありました。そこで屠場の職人たちは何人も配置換えになり、市の清掃の仕事に就くことになった。市の人たちは「これで屠場の仕事から離れられるぞ、よかったな」と言ったけれど、職人たちは「屠場の仕事を、なんだと思っているんだ」と憤慨した、というエピソードがあります。 上原 確かに、屠場で働いていることを隠したがるのは、被差別部落で育った人ではなく、外の"一般人"ですね。例えば、都立芝浦や横浜の屠場では働き手の9割が一般の人だといわれているので、なかなか取材ができない。日本で一番うるさいって評判です。 本橋 僕も行ったことがないから、一度見学したいと思っています。 上原 労働組合が一筋縄ではいきません。例えば、筑紫哲也さんが「経費削減により、ニューヨークが警察の数を減らす」というニュースについて、「ニューヨークが屠場みたいになってしまう」と言ってしまった際に、激しく糾弾されていました。松原はもちろん、ほかの屠場の人はほとんど関心を示さなかったという話もある。屠場のイメージについて、一般人ほど神経質になっている部分もあるのでしょう。 本橋 僕の場合、ライフワークとしてずっと、松原の屠場を撮り続けてきました。そして、写真集の制作に向けて撮影を再開するときに、一応、部落解放同盟に話をしたんです。けれど、なかなか話を通してくれない。そこで、南大阪食肉市場の村上幸春社長を訪ねたら、「撮っていいよ」と。 ──屠場は長らく部落産業とされていたせいか、これまでメディアが触れてこなかった一種のタブーでもあります。この写真集を出すに当たって、出版元の平凡社からはすんなりOKが出たんですか? 本橋 被差別部落の問題が絡むと、どの媒体もやはり怖がるし、躊躇しますよ。でも今回は、「僕がすべての責任を持ちます。頼むから出させてよ」と言って、現場で写っている方にお断りして、あとは早かったですね。  写真集に文章を寄稿してくださった部落解放同盟松原支部の吉田明さんも「もう亡くなったおばあちゃんも屠場に娘が残っているから、断りを入れておくよ」と対応してくれたし、屠場のみんなもすごく喜んでくれて。完成した本をすぐに持って行ったら、中身も見ずに「表紙も堅いし、立派な本だな。うれしい」と言ってくれましたね(笑)。写っている人に喜んでもらえるのが一番です。 上原 30年間も撮影を続けてきたからこそ、できたことですね。若いカメラマンだったら、きっと同じことはできなかったでしょう。 本橋 撮りたい写真を撮るには、「なぜ撮るのか」をしっかり伝えて、被写体との信頼関係を作らなければいけません。例えば、僕は屠場のナイフ使いの人に惚れ込んで、「ナイフ一本で牛をさばく様子が、本当に見事だ」ということを、何度も伝えました。そうすると、相手も「この人なら裏切らないだろう」と考えてくれるようになる。大手の新聞社の名刺でも持っていれば楽なのだけど、フリーの身ですからね。上原さんも、取材して原稿を書く際には、「この人は、自分を裏切るような記事は書かないだろう」と信頼されるために、いろいろと努力をしているでしょう? 上原 僕の場合は、時々は裏切ってしまいますけど(笑)。
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高城 剛の行動原理を解明!? ハイパーすぎる人生&家族論

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インタビューを受ける高城剛氏。
 我々、メディア業界人からすれば、20年近く一線で活躍してきたクリエイター兼実業家。お茶の間からしてみると、ここ2年ばかりよく目にする沢尻エリカの夫。しかも、その実態は謎だらけ。そんな高城氏が、自らの仕事や人生観を綴った著書を上梓したことに際して、「いろいろ面倒なことが起きるから、アノ話はナシ(笑)」という条件でインタビューに応じてくれた。とはいっても、アノ話につながる、高城氏の人生観や結婚観などは聞かずにはいられない。 ──高城さんの新刊のタイトルは『私の名前は、高城剛。住所不定、職業不明。』(マガジンハウス)。確かに一連の騒動の最中では、「あの男はいったい何をして食ってるんだ!?」という声があったようです。 高城(以下、) 2009年には、いくつかのメディアで「高城は無職、ヒモ!」とかって書かれたからね(笑)。あの時期は2016年の東京オリンピック招致映像の監督をやってました。「10分の映像に6億円も使った」とマスコミに叩かれた、あの作品です。 ──それ、マスコミの格好のネタなのに、まったく報じられていませんね。  いやいや。そうしたら、「高城=無職でヒモ!」ってネガティブ・キャンペーンできなくなるじゃん! その時期、コペンハーゲンでのIOC総会にも選抜メンバーとして出席してました。会場には、日本の新聞記者もたくさんいたはずなんだけどね。まぁ、芸能担当の記者とは違うから、どうでもいいと思ったんだろうね。 ──メディアに「無職」とか「キモイ」と書かれりして、怒ったり、抗議したりしないんですか?  怒るって誰に? ──書いた記者やメディアや、それに乗っかる読者などに対して。  そんなのすべて相手にしてたらキリがないじゃん。僕は王様じゃないし、民やメディアの声を一つひとつ拾い上げ聞き届ける立場でもないしさ。むしろ、なかなか面白いと思ってたけどね。だって、彼らに「無職」と言われても、実際違うし、多くの民の支持がないと、できない仕事ではないしね。 ──理屈はそうでも、他人から批判されたら単純にへこんだりしませんか?  みんな、得体の知れない何かを恐れてるんだよ。本来どうでもいい何かに固執しているんだ。手放せば楽になれるのにね。 ──何かに固執して、恐れて、悩んでいるのが普通の人間の感覚なのではないかと。高城さんみたいに好きなことして生きたいけど、転職ひとつするにもなかなか踏み切れないとか。  あ、会社が嫌だからって、明日辞めようってのはダメだな。新しい会社に行けたとしても、1〜2年で結果を求めちゃダメ。ものごとは最低でも7年スパンで考えろってのが僕の持論なの。転職なら、今いる会社でプロジェクトをひとつ形にするには、2年はかかる。それをひっさげて転職先でうまくいくまで2年。そこからさらに新しい形を生み出すまでさらに2年。プラスアルファで計7年。 ──そこまで見通して辞めるべきだと。  最終的に、この転職はうまくいったと実感できるまで7年はかかる。大事なのは、その7年間のスタートをすぐに切ること。数カ月とか1年くらいの短い間で、今の状況を抜け出て、新天地で好きなことをやろうとするから、負担が大きくて、胃が痛くなるんだよ。 ■自由に移動できることが21世紀のステータス ──本当に住所不定なんですか?  まず、日本には家がない。だから、ホテル住まい。基本は常に海外を移動し続けてるから。ただ、ベースキャンプみたいな場所はあって、08年はロンドン、09年はバルセロナ、10年はオーストラリアに比較的長くいたかな。それ以外はほかの国を移動している。台湾とか香港とかね。今はまたバルセロナが楽しくて、戻りました。 ──そういう生活はいつ頃から?  昔からずっとこんな生活だけど、欧州に転居したのが07年末。その少し前に、東京の不動産やデジタルスタジオを処分したり、会社を若い人たちに譲ったり、あと本やCDも整理して、資産を9割方処分して、どこにでも住めるよう身軽になった。それなりに時間かけて、準備してるんです。だって、不況になって、東京がつまらなくなるのは、4〜5年前にはわかってたからね。それと、ノートパソコンの高機能化と高速インターネットの普及、さらにLCCと、新しい移動生活の準備は世界的に整った。だから今は、世界中を移動しつつ、仕事や生活しています。 ──どうして、そういう生活を?  きっかけは9・11。形あるものは、ビルだろうが、会社だろうが、地位だろうが、財産だろうが、一瞬にして破壊、消滅する可能性があることを教えてくれた。それまでは、デジタルどっぷりだったから。そして、20世紀はモノをため込む時代だったけど、21世紀はモノを持たずに、自由に移動する時代。危機管理もあるしね。だから、7年かけて準備したわけ。だって、地球の反対側までLCCを使えば、お金もかけずに1日で行けるんだよ。PCがあれば、そこで日本の仕事だってできる。この時代を満喫するってことは、そういうことでしょ。インターネットに捕われず、インターネット的に生きる、と。 ──ただ、独身なら自由気ままに移動できても、家庭を持つとそうはいかないとか考えませんか?  そんな常識的な質問が、ウチの家庭に通じると本気で思ってる君のほうが不思議(笑)。僕自身、結婚したら移動しづらくなるなんて、発想をしたことがないよ。なんで? ──普通の男性は、家族の都合を自分のこと以上に考えてしまいます。奥さんの意見とか、子どもの学校とか。  子どもの学校の話を今考えてどうするの(笑)。それ、子どもができる前から悩むべきこと? 今を楽しく生きなければ、楽しい未来はなかなか訪れないと思うんだ。未来のためにがんばってるとしたら、今も楽しいはずじゃん。そして、無理もしない。流されるのは嫌いだけど、流れるようには生きている。どこに向かってるかわからないし、いいか悪いかもわからない。だって、明日死ぬかもしれないじゃん。 ──家族のために、自分のやりたいことを我慢するのは間違っていると。  間違ってるよ。家族のために、自分は嫌だけど我慢するっていうのは、その後、どこかで失敗するでしょ。みんな、そんなネガティブなパワーに左右されてるの? そんなことを問題だと思い込んでることが問題だとわかるかどうかで人生は決まると思うけどな。自分の人生を我慢してつまらないものにしたら、子どもや奥さんだってつまらないでしょう。 ──高城さんは、やりたいことが10あるとすれば、家族があっても10やりきりますか? 9や8にはならない?
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『月刊シリーズ』仕掛人が新潮社退社!! その裏に出版業界への"怒り"?

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『月刊シリーズ』編集長・宮本和英氏
 1998年に創刊され、その後各社から多数出版された「ムック型アイドル写真集」の草分けとなった『月刊シリーズ』。昨年10月、その『月刊シリーズ』の編集長・宮本和英氏のツイッター上で、ちょっとした"事件"が起きた。氏のツイッターアカウントの自己紹介文が突如、「今年いっぱいで新潮社を退社し、写真に関わることに専念する予定です」なる文章にさし変わったのだ。そして12月31日、宮本氏はその宣言通り、新潮社を退社した......。  宮本氏といえば、出版プロデューサー・イワタ氏とタッグを組んだこの『月刊シリーズ』創刊のみならず、栗山千明や新垣結衣ら多くの若手女優を輩出して今ではアイドルの登竜門的雑誌となっているローティーン向けファッション誌「nicola」の創刊(97年)など、これまで数々のヒットを飛ばしてきた新潮社の名物編集者。そんな彼が、定年まであと5年という今、あえて大手出版社を辞める真意とはなんなのだろうか? 退社直前の12月下旬、本人を直撃した。 ──なぜ、この時期に退社を? 宮本和英(以下、) 今の出版業界は、再販制度と取次委託販売という大きな仕組みが足かせとなって、ものすごい無駄を生じるようになってしまった。端的に言えば、返品率の増加ですね。『月刊シリーズ』に関していうと、00年代中盤以降は、売り上げの上位を占める販売チャンネルは、常にネット書店でした。ところが新潮社は、取次や書店との過去の関係があるから、「じゃあネット書店にもっと多く配本しましょう」とフレキシブルにはなかなか動けない。で、結果、全国の書店から返本が返ってくる......。でも僕は、それなら例えばネット書店で事前予約を取って、受注生産に近いような形でもっと無駄なく読者に届けるようなシステムを採れないものかなと、3~4年前からずっと思っていたんです。 ──前々からそのような思いを抱えていた中で、新潮社から『月刊シリーズ』をやめると告げられたわけですね?  今年(10年)の2月頃に、突然言われたんだよね。僕は新潮社の中では常に新しいことをやってきたつもりだけど、結局「ビジュアル」というジャンルを育てられなかった。 ──社内で、宮本さん自身がよく思われていなかったという部分もあった?  面と向かって批判されたことは一度もないよ。でも、なんとなく聞こえてくるんだよね(笑)。特に「nicola」なんかは、最初は赤字だったから風当たりは強かった。 ──創刊当時は赤字だった?

大ブーム渦中の田原総一朗が皇太子にあの質問を直撃!?

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76歳という年齢をまったく感じさせない活
躍ぶり。語れば語るほどに、その話しぶり
は熱を帯びていった。
(写真/名和真紀子)
 田原総一朗がブームだ。御年76歳を数え、テレビ朝日で20年間続いた『サンデープロジェクト』(以下、『サンプロ』)が今年3月に終了したことで、明らかに地上波の画面に登場する時間は減っている。  しかし、少し視野を広げてみれば、BSの『激論!クロスファイア』(BS朝日)で『サンプロ』と同様のスタイルで討論し、インターネット上ではニコニコ動画やユーストリームなどの討論番組にも数多く登場、さらにはラジオ番組やポッドキャスト放送も手掛け、「namatahara」名義でツイッターも熱心にやっている。つまり、地上波での出番こそ減ったが、視聴者との接点はむしろ増えているのだ。  さらにこの9月には、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ)において、謎の「ひこにゃんコスプレ」で登場、続く10月には『田原総一朗の遺言』(BSジャパン)なる番組が企画され、彼が30代の頃、テレビ東京のディレクター時代に制作したドキュメンタリー番組数本が放映された。そして11月には『情熱大陸』(TBS)に登場、番組スタッフに議論をふっかけるなど、相変わらずの意気軒昂ぶりを見せつけたのである。 『田原総一朗の遺言』内で放送された過去のドキュメンタリー番組の過激なテーマと、自ら画面に登場するスタイルは、今の田原のルーツといえる。50年近くも衰えないその勢いは、一体どこから来るのか? ──今、田原総一朗ブームともいえるような状況ですが、その理由をご自身ではなぜだと思いますか? 田原総一朗(以下、) 勝手なことを言うからじゃない?(笑)ほかの人は、だんだんおとなしくなって危険なことを言わなくなってきた。テレビはやっぱり、危険なことを言うと降ろされる。上杉隆さんも堀江貴文さんも出られない。テレビが無難化してるから、僕みたいな人間が面白がられるのかもしれない。そもそも僕は、テレビに出られなくなるかどうかなんて、考えていない。僕が言いたいことを言って、その結果どこも出さなくなったら、それまでだよ。でも、今はまだテレビ局からいろんな話が来るから、無難にする必要はないなと。 ──その一方で、ニコニコ動画などネットの討論番組への出演が増えてますよね。  テレビや既存のメディアには、「討論」がないんですよ。でも、ニコニコ動画やユーストリームには、ある。今までのテレビで、僕のやっているもの以外に、討論番組なんてありましたか? ほとんどがバラエティですよ。本当の討論番組は、命を懸けているかどうか。学者や政治家が出てきて討論して、負けたら、政治家生命、学者生命がなくなるかもしれないのが討論番組です。僕は、『サンプロ』も『朝生』もそのつもり。そういう真剣勝負をやりたくても、テレビにはその場がなくなってきた。だけど、ニコニコ動画などには真剣勝負がある。だから出る。それだけ。 ──テレビでは、なぜ討論番組ができなくなったんでしょうか? 「コンプライアンス」でしょうね。テレビ局は、「問題が起きるようなことはやるな」「クレームが来るような番組は作るな」と言う。だから、討論なんかできるはずがない。出版社も冒険をしなくなってきた。今は、訴えられて負けると賠償金の額も大きくて、何百万とか、下手すると1000万にもなる。「サイゾー」も、毎月何千万も裁判でやられたら、やっぱりやめるんじゃない? ──続けられませんね(笑)。  そういうことですよ。今は、すぐ裁判になる。僕も現に裁判を抱えているけどもね。 ──この状況をひっくり返すのは難しそうですね。  そんなことないですよ。ディレクターやプロデューサーが、自分で責任を取ればいい。番組で問題になるのは、出演者の発言か、指示したディレクターか、あるいは企画したプロデューサー、この3つでしょ? でも、お詫びは必ず局がやる。新聞社もそう。だから、会社が危ないことをさせない。それが間違いだよ。会社が責任を持って、個人が責任を持たないということでは、個人が自由にしゃべれない。 ──だとすれば、テレビでの田原さんの出番は減っていきませんか?  いや、それはわかんないね。僕は減らないと思ってる。例えば、テレビ東京やNHK、日本テレビからも、いろんなオファーは来てますよ。結局テレビ局の人間も、面白いことをやりたい、縛られたくないと思ってるんだよ。そういう「クレイジー」な人間がいるから、テレビ局はまだもっている。 ──そういう人が、まだテレビ局にもいるんですね。  そうだと思うよ。でも今は、だんだんクレイジーが減ってきたから、政治も面白くない。田中角栄とか中曽根康弘とか、昔はクレイジーな政治家がいっぱいいた。吉田茂もおかしかった。それが、小粒な優等生ばかりになってきた。今面白いのは、小沢一郎かな。小沢さんも、地上波でなくニコニコ動画だけに出るようになったのは、地上波がつまらないと思うからでしょ。 ■「バラエティ化」の速度を増す 新聞・テレビの報道番組 ──田原さんが以前手掛けたような過激なドキュメンタリー番組は、「おおらかな時代だったからこそできた」という議論もありますが。  そんなことない。今だってできるよ。だって、40年前に僕が作った番組を、テレビ東京は再び世に出してくれた。ほかの人だって、ドキュメンタリーをどんどんやればいいのにやっていない。そもそもあの時代も、やってたのは僕だけだったんだよね。 ──地上波でドキュメンタリーが減ったのは、放送できないからではなく、ドキュメンタリーがつまらなくなったからだと?