遊川和彦脚本のドラマ『過保護のカホコ』(日本テレビ系)も第2話。視聴率は10.8%(ビデオリサーチ調べ/関東地区)と、初回から0.8ポイント下げたものの2ケタキープです。 第2話は、「アレ?」と思うようなナレーションから始まりました。 「小さな王国に棲んでいるお姫様が、このお話の主人公だ」 声の主は主人公・カホコの父親である正高(時任三郎)。GoogleMapsのキャプチャ画面にCGで描きこまれているのは、歪んだハート型に囲われたエリア。このエリアの外に出てしまうと、すっかり人が変わったようにおとなしくなってしまうので、この内側が“王国”というわけです。 しかし、このエリアから外に出ると人が変わってしまうのはカホコではなく、カホコに異常な愛情を注ぐ過保護な母親・泉(黒木瞳)です。父・正高が「女王様」と呼ぶ泉は、確かにエリア内では生き生きと自己主張を繰り広げますが、一歩外に出ると夫の実家であってもしおらしくなってしまい、相手が聞き取れないような小声でしか話さなくなります。一方の「お姫様」カホコは、エリア外の大学に通っていますし、家にいても外に出ても、同じように「ぽや~ん」としているだけ。とりたてて変化はありません。 なので、このナレーションを聞いたとき、「アレ? 主人公って、母親の泉だったっけ?」と、ちょっと思ってしまったんです。メーンビジュアルはカホコですし、タイトルも『過保護のカホコ』なのでそんなわけないんですけど、第2話はちょっと誤読したまま、母・泉の視点からストーリーを振り返ってみます。 さて、今日も今日とてカホコはひとりじゃ朝も起きられません。泉は目覚まし時計の鳴り響く娘の部屋に乗り込んでむずがる我が子(22)を叩き起こし、大学に着ていく服を選んであげて、車で駅まで送っていきます。いつもの日常です。 娘は就活もうまくいってないし、もう花嫁修業をして専業主婦になればいい。泉はそう考えています。家庭を支えるのだって、立派な仕事だし。 しかし娘は「それじゃダメだって同級生の麦野くん(竹内涼真)が言ってる」などと、意味のわからないことを言い出します。娘によれば麦野くんに「社会に出て働くのが怖いんだよ、違うか?」と言われたそうです。 そんなの、違います。だいたい娘は昨夜、遅く帰ってきたと思ったら「人を幸せにする仕事がしたい」とか言い出しましたが、そんな仕事、どうやって探すつもりなのか。「何かある気がする」とか言ってるけど、なんなのか。専業主婦でいいじゃないか。それでも「パパの会社に見学に行きたい」と言い張るので、まあ、とりあえず連れて行くことにしました。あと、2人の妹の旦那さんがお巡りさんと看護師なので、そっちにも連れて行くことにします。 娘は、パパの保険の仕事には興味がなさそう。お巡りさんと看護師の2人の親戚は、ともに「この仕事は娘には向いてない」と言います。やっぱり専業主婦がいいんじゃないのか。 パパの実家にも娘を連れて行きます。パパの実家はエリア外ですし苦手ですが、ひとりで行かせるのも変なので一緒に行きます。お婆ちゃん(パパのママ)は、こともあろうか「専業主婦だけはやめたほうがいい」などと言い出しました。エリア外なので泉はろくに反論もできませんが、何を言い出すのかこのババアは、と思っています。ババアの家に問題があるだけで、うちみたいな幸せな家庭だったら専業主婦がいちばんなのに。 翌日、大学から帰ってきた娘は、『13歳のハローワーク』を読みふけっています。本屋にも滅多に行かない娘なのに、珍しいこともあるものです。娘はページをめくりながら「ケーキ屋」「保母」「宇宙飛行士」「フラワーアレンジメント」「教師」「大工」「僧侶」など、さまざまな候補を挙げて意見を求めてきますが、どれもこれも娘に向いているとは思えません。向いていない理由を教えてあげると、娘はいい子なので納得してくれます。本当にいい子です。 次の日曜、親戚の女子高生・糸ちゃん(久保田紗友)が出場するチェロのコンクールが開かれました。もちろん、親戚一同仲良しなので、みんなで応援に駆けつけました。といっても、パパの実家のほうには声もかけてません。苦手だし、エリア外の人間だし。当然です。 一同、糸ちゃんの優勝を信じて疑いません。娘のカホコだけトイレを我慢しているのか終始モジモジしていますが、まあ糸ちゃんならやってくれるでしょう。 演奏が始まります。最初はよかったのですが、急に音が歪んだと思ったら、糸ちゃんが弓を落として手首を押えています。チェロも倒れてしまいました。なんということでしょう。演奏は中断。もちろん、優勝もできませんでした。娘はまだモジモジしています。トイレに行きたきゃ行けばいいのに。 病院での診断によれば、糸ちゃんは神経障害を患っていて、もうチェロは弾けないのだそうです。幸い、日常生活に支障はないものの、ずいぶん前から痛みがあって隠していたのだと。糸ちゃんパパ(夙川アトム)は、「気付いてやれなかった自分が悪い」と落ち込んでしまいます。糸ちゃんは安定剤を飲んで寝ているそうです。明日、詳しい検査があって、しばらく入院になると。 それにしても、この親戚一同の落ち込みっぷりはなんなのか。落ち込んでいる場合じゃないだろう。この人たちは、ホントに私がいないと何もできないのだ。こんなときこそみんなで力を合わせて、糸ちゃんのためにできることをしてやらなきゃいけないのに。 泉はひとりひとりに「糸ちゃんを元気づけてやる計画」の指示を与え、明日もう一度集まって、全員で糸ちゃんを見舞う段取りをつけます。泉が仕切らないと誰も動かないので、もう仕切る仕切る。泉のママ(三田佳子)が「しばらくそっとしてあげておいたほうが、いいんじゃないの? 糸もショックで、誰とも会いたくないかもしれないし」などとアホみたいなことを口走りますが、家族が困ってるのにほっとけというのでしょうか。こんなときこそ、なんでもしてあげるのが家族なのです。 ■というのが、このドラマで描かれている泉の考え方です。 あー、書いてて気持ち悪くなってきた。 要するに自分の行動の正しさに対する盲信。「よかれと思って」という気持ちの独善性。そういうものを、遊川は嫌というほど泉に背負わせることにしたようです。 そういう泉が大切に大切に育ててきたカホコは、実は糸ちゃんの手首のことを知っていました。モジモジしていたのは、トイレに行きたいのではなく、「手首のことをみんなに言わなくていいのかな、糸ちゃんは演奏大丈夫なのかな」という心配のそぶりだったのです。 カホコも、糸ちゃんのためにできることを考えます。麦野くんは画家志望だし、同じ芸術家として、糸ちゃんに言えることがあるんじゃないかとカホコは考えています。しかし麦野くんは、「夢破れたばかりの者は慰められてもムカつくだけなので、向こうが必要とするまでほっといたほうがいい」と言います。泉とは、まるで真逆のことを言うので、カホコは混乱します。 それでも必死に考えて、でも、ママに頼らずひとりでできることなんてほとんどなくて、結果、麦野くんと2人で千羽鶴を折ることに。麦野くんは優しいので、貯金を下ろして5万円のバイト代を支払うと、半分の500羽を折ってくれました。 というわけで、糸ちゃんのお見舞いに。麦野くんから「余計なこと言うなよ」と釘を刺されたカホコは、お花と千羽鶴だけ置いて帰ろうとしますが、糸ちゃんに「もう帰るの? (手首のこと)黙っててって言ったの、気にしないでね」と気を使われ、さらに「もう弾けないなんて笑っちゃう、ほかに何しろって言うんだよって感じ」などと悲しい笑顔を見せられてしまっては、どうにもたまりません。 堰を切ったように、糸ちゃんを励まし出すカホコ。「片手で弾けるピアノもある」「歌を歌うこともできる」などと人生を賭けてきた夢が破れたばかりの糸ちゃんの神経を逆なですると、ネットで探してきたジャッキー・ロビンソン(黒人初のMLBプレーヤー)の「不可能の反対は可能ではない、挑戦だ」という名言を披露。さらに「糸ちゃんは絶対に大丈夫」「大人だし強いし奇跡を起こせる」などとのたまいます。 はい、糸ちゃんブチ切れ。 主に「親戚全員嫌い」「特に、何もできないのにカワイイカワイイ言われてるカホコが嫌い」といったメッセージを、ありったけの罵詈雑言を用いて送出しました。病室を貫く果てしない叫び。カホコは生まれて初めて自分に向けられた“嫌悪の感情”というものに、もう耳をふさぐしかありませんでした。麦野くんのアトリエで見たムンクの「叫び」のように、もう耳をふさぐしかありませんでした。 ママに相談したら、ママはきっと糸ちゃんママ(ママの妹)を責めるでしょう。誰にも相談できないカホコの頭にまた、あの糸ちゃんの叫びが蘇ります。 そんなとき、助けてくれるのはやっぱりヒーロー麦野くん。心配してマンションの下まで来てくれた麦野くんと、神社で向き合います。 「どんな人間にも、裏表や二面性がある」 カホコは麦野くんの胸を借りて、思いっきり泣くのでした。 ■母・泉の人生の“副産物”としての娘・カホコ 今回、もちろんカホコに悪意があったわけではありません。単純に、母の信念である「なんとかしてやるのが家族」という哲学と、徹底的な過保護によって育まれた性根の良さが表れてしまっただけでした。 前回のティッシュ配りやピザ配達といった労働体験では良い方向に現れたカホコの性根の良さが、まるまる逆の効果を生んでしまった。そして、交通事故みたいに糸ちゃんの逆鱗に触れてしまった。 だから糸ちゃんの「叫び」は、本当はカホコに向けられたものではありません。それは親戚一同の思想的な旗手である泉の哲学に向けて放たれたものであり、その思想哲学をもっとも強く受け継いで育ったカホコは、人の心について無知なまま大人になってしまった「過保護の犠牲者」として描かれました。ひとつの人格ではなく、まるで母の人生の副産物であるかのような、残酷な描写です。カホコの純粋な、とても純粋な「よかれと思って」が、結果として糸ちゃんにとっては極めて強烈な暴力になってしまった。 冒頭で記したGoogleMapsに描かれた「歪んだハート」型のエリア。このエリアの中でだけ発揮される、母・泉の歪んだ愛情。 正直、第2話の段階でここまで泉の過保護の弊害をストレートに描いてくると思わなかったので、驚きました。何しろ、この作品は展開が速い。あと10話近く残っている中で、泉の善意はどんどん嫌われていって、ズタボロにされていくことでしょう。黒木瞳にとっては、なかなかタフな役回りですが、そのへんは遊川さんとの信頼関係もあるんでしょうね。このドラマは面白いです。はい。 (文=どらまっ子AKIちゃん)日本テレビ系『過保護のカホコ』番組公式サイトより
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福士蒼汰、やっぱり“低視聴率男”!? 日テレ『愛してたって、秘密はある。』同枠史上ワースト発進の大爆死
福士蒼汰主演の連続ドラマ『愛してたって、秘密はある。』(日曜午後10時30分~/日本テレビ系)の初回が16日、30分拡大で放送され、視聴率は8.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)と爆死スタートになった。 2015年4月期に新設された同枠ドラマの初回としては、昨年4月期の岡田将生主演『ゆとりですがなにか』の9.4%以来、5クールぶりの2ケタ割れで、史上ワースト発進だ。 同枠ドラマの傾向は、初回で2ケタをマークしても、その後、急降下していくのが定番となっている。前期の綾野剛主演『フランケンシュタインの恋』も初回は11.2%を記録したものの、第2話以降で急落し、全話平均は7.5%に終わった。その例にならえば、初回で8.2%しか取れなかった『愛してたって』はこの先、大きな不安を抱えてのスタートとなってしまった。 同ドラマは、司法修習生の主人公・奥森黎(福士)が中学生のときに、母・晶子(鈴木保奈美)をDVから守るため、父・皓介(堀部圭亮)を殺害したところから始まる。父は“失踪扱い”となり、黎は母と2人だけの“秘密”を持つことになる。その後、大きくなった黎は同じ司法修習生の立花爽(川口春奈)と恋に落ち、結婚の約束をするが、プロポーズの直後から、“秘密”を知る何者かから、不気味なメッセージが届くようになる……というストーリー。 そのほか、鈴木浩介、遠藤憲一、岡江久美子、賀来賢人、山本未來、柄本時生ら、なかなかの豪華キャストが脇を固めているが、初回の数字にはつながらなかったようだ。 福士は13年前期のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』で、主人公・天野アキ(能年玲奈=現のん)の初恋相手・種市浩一役を演じてブレーク。14年10月期『きょうは会社休みます。』(日本テレビ系)では、主人公・青石花笑(綾瀬はるか)の年下の恋人・田之倉悠斗役を好演し、話題を振りまいた。 しかし、プライム帯での連ドラ初主演となった『恋仲』(15年7月期/フジテレビ系)は、看板枠の月9ドラマながら平均10.7%と、かろうじて2ケタに乗せるのが精いっぱい。続く昨年4月期の『お迎えデス。』(日本テレビ系)は平均7.9%と爆死した。同年6月25日、26日に放送されたスペシャルドラマ『モンタージュ 三億円事件奇譚』(フジテレビ系)も、前編8.3%、後編7.7%と、これまた散々な結果に終わっている。 その後、福士は映画に軸足を置いたため、連ドラ主演は『お迎えデス。』以来、1年3カ月ぶりとなったが、初回からいきなりの大コケで、“低視聴率男”のイメージ払拭には険しい道のりとなりそうだ。 ネット上でも、「シリアスモノなのに、演技力がないとコントみたいに見える」「効果音、BGMが多すぎて集中できない」「福士、川口の棒演技にすっかり見る気が失せて、いつの間にか寝てしまった」などと、辛らつな声が飛び交っている。 福士は5月27日に公開された主演映画『ちょっと今から仕事やめてくる』も低調で、今が辛抱のしどころ。来年には、『曇天に笑う』『BLEACH』『旅猫リポート』など、主演映画がめじろ押しなだけに、『愛してたって』もなんとか巻き返しを図ってほしいものだが……。 (文=田中七男)日本テレビ系『愛してたって、秘密はある。』番組公式サイトより
ネグレクトと過保護は紙一重? 11.6%スタートの高畑充希『過保護のカホコ』に良作の予感
昨年秋の『はじめまして、愛しています。』(テレビ朝日系)以来となる遊川和彦脚本のドラマ『過保護のカホコ』(日本テレビ系)が12日、第1話を迎えました。視聴率は11.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、まあまあの好スタートです。 物語の主人公は、大学卒業を控えて就活に落ちまくっている女子大生・カホコこと根本加穂子(高畑充希)。毎朝、お母さんの泉(黒木瞳)に起こしてもらい、お弁当を作ってもらい、着ていく服を選んでもらい、駅まで車で送ってもらうという、超「過保護」に育てられた箱入り娘です。 そんな純粋培養で育ったカホコは、毎晩お母さんと一緒に子どもの頃の自分のホームビデオを見ることや、誕生日ともなれば母の実家で一度、父の実家で一度、さらに自宅で家族水入らずの誕生パーティが開かれることにも、特に疑問を持っていません。いつもニコニコですし、ちょっと気に食わないことがあっても「んむー」と表情を変えるだけで周囲が察してくれるので、まさしく、なんの苦労もなく22歳まで生きてきました。そして、娘がなんの苦労もなく育っていることこそが、母・泉の人生を支える唯一絶対の生き甲斐なのでした。 一方で、カホコの父・正高(時任三郎)はカホコを「過保護」にしすぎているという自覚があります。ことあるごとに娘・カホコの自立を促そうと心に決めますが、泉の圧力とカホコの純粋無垢な笑顔を前にすると、ついつい用意していた言葉を飲み込んでしまいます。 ■高畑充希って、やっぱりすごーい ドラマを見始めて、まず目を奪われるのが高畑充希のお芝居です。完全に、そういう人にしか見えない。もう何度も、いろんな役どころで目にしている女優さんであるはずなのに、まるで初めて目の前に現れたカホコにしか見えない。やばい。かわいいし、バカみたいだし、過去のどんな役の面影もない。 今回の役であるカホコは、第1話では「主体性がない」キャラクターとして登場します。これ、ものすごい難役だと思うんです。 こういう母親がいて、その影響下で生きてきた空っぽの人物なので、キャラ作りのロジックとして受け身しかない状態で始まらなければいけないし、今後さまざまな経験を詰め込まれていくための“容器”でもあるので、第1話の段階で人物像として出せる情報はかなり限られてくるわけです。 そういう、ごくごくせまーいところで、あれだけ生き生きとカホコを演じ切るわけですから、さすがというか、この女優さんの仕事が途切れない理由がよくわかります。そりゃ売れるわ、と思うわ。 ■無邪気vs無邪気という構図 そんなわけで無邪気に育ったカホコと大学の学生課で偶然出会ったのが、麦野初(竹内涼真)でした。こちらは就活に失敗し続けるカホコとは違い、もともと就職する気がありません。「ピカソを超える」と言い張って、画家として身を立てていくつもりの、カホコとは別のベクトルで無邪気な人物です。 ハジメは、出会ったそばからカホコにその無邪気さを爆発させます。「おまえみたいな過保護な人間が日本をダメにする」と言い放ったり(このときの「なんかわからんけど刺さった……」というカホコのリアクションが絶妙!)、自信満々だった自作の抽象画が大学の先生に評価されなければヒステリーを起こして破り捨て、カホコの「もう就活辞めて花嫁修業する、お母さんがそうしろって言ったから」という言葉に「なんのために働くのか考えろ」と八つ当たり。さらに、自分のティッシュ配りやピザ配達のバイトをカホコに押し付けたかと思えば、ファミレスでピラフをおごったり、眠りこけちゃったカホコの寝顔を、やおらスケッチしだしたり……。 無邪気な世間知らずであるカホコと、無邪気な常識人のハジメ。この2人の邂逅によって、物語が始まることになりました。第1話で「このドラマで何が始まるのか」をきっちり見せ切っていますし、2人とも愛嬌があっていい感じなので、いい作品になる予感が漂っています。 ■「ネグレクト」との対比としての「過保護」 ドラマは、カホコの母・泉が過保護であることを、決して否定的には描いていません。ハジメに押し付けられたバイト作業で、カホコの「働く能力」が開花します。今まで働いたことのないカホコは、ハジメに言われるがまま、なんの疑いもなく笑顔でティッシュを配り、ピザを届けました。これは、カホコが過保護に育ったからこそ持ち得た能力でしょう。そうして他人に感謝されることの喜びを知り、「なんのために働くのか」の答えを見出しました。 「人を幸せにする仕事がしたい」 世間知らずのかわゆい女の子・カホコの成長譚として、このドラマは走り出すことになりました。 だけど本当に描かれるのはたぶん、カホコの成長ではないんじゃないかな、と思うんです。遊川さんはきっとこの『過保護のカホコ』を『はじめまして、愛しています。』との対比として書いているんだと思うんです。 『はじめまして、愛しています。』では、育児放棄された孤児の魂が救われる様が描かれました。一方で、ネグレクトせざるを得ない状況に陥ってしまった実の母親と孤児との間の断絶は、回復させませんでした。 子を育てるという行為において、いわば対極である「ネグレクト」と「過保護」を両面から描くことで、初めて現代における「母親とは」「育児とは」という問題を語れると、遊川さんはそう考えているんじゃないかなと思うんです。 『はじめまして、愛しています。』で子を捨てた母親も、『過保護のカホコ』で子を溺愛する母親も、ともに「泉」という名前を与えられています。捨てられた子の名前は、本作でもキーパーソンになるであろう「ハジメ」でした。 過保護の親にとって、子どもの自立は「生き甲斐を奪われること」に他なりません。そして、その子の自立を促すハジメは、必然的に泉にとって「奪う側」になります。『過保護のカホコ』は、もうひとつの「泉とハジメの物語」でもあるわけです。 奪われることになる泉に、どんな救済がもたらされるのか。そんなところにも注目して見ていきたいと思います。このドラマ、かなり楽しみです、はい。 (文=どらまっ子AKIちゃん)日本テレビ系『過保護のカホコ』番組公式サイトより
ネグレクトと過保護は紙一重? 11.6%スタートの高畑充希『過保護のカホコ』に良作の予感
昨年秋の『はじめまして、愛しています。』(テレビ朝日系)以来となる遊川和彦脚本のドラマ『過保護のカホコ』(日本テレビ系)が12日、第1話を迎えました。視聴率は11.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、まあまあの好スタートです。 物語の主人公は、大学卒業を控えて就活に落ちまくっている女子大生・カホコこと根本加穂子(高畑充希)。毎朝、お母さんの泉(黒木瞳)に起こしてもらい、お弁当を作ってもらい、着ていく服を選んでもらい、駅まで車で送ってもらうという、超「過保護」に育てられた箱入り娘です。 そんな純粋培養で育ったカホコは、毎晩お母さんと一緒に子どもの頃の自分のホームビデオを見ることや、誕生日ともなれば母の実家で一度、父の実家で一度、さらに自宅で家族水入らずの誕生パーティが開かれることにも、特に疑問を持っていません。いつもニコニコですし、ちょっと気に食わないことがあっても「んむー」と表情を変えるだけで周囲が察してくれるので、まさしく、なんの苦労もなく22歳まで生きてきました。そして、娘がなんの苦労もなく育っていることこそが、母・泉の人生を支える唯一絶対の生き甲斐なのでした。 一方で、カホコの父・正高(時任三郎)はカホコを「過保護」にしすぎているという自覚があります。ことあるごとに娘・カホコの自立を促そうと心に決めますが、泉の圧力とカホコの純粋無垢な笑顔を前にすると、ついつい用意していた言葉を飲み込んでしまいます。 ■高畑充希って、やっぱりすごーい ドラマを見始めて、まず目を奪われるのが高畑充希のお芝居です。完全に、そういう人にしか見えない。もう何度も、いろんな役どころで目にしている女優さんであるはずなのに、まるで初めて目の前に現れたカホコにしか見えない。やばい。かわいいし、バカみたいだし、過去のどんな役の面影もない。 今回の役であるカホコは、第1話では「主体性がない」キャラクターとして登場します。これ、ものすごい難役だと思うんです。 こういう母親がいて、その影響下で生きてきた空っぽの人物なので、キャラ作りのロジックとして受け身しかない状態で始まらなければいけないし、今後さまざまな経験を詰め込まれていくための“容器”でもあるので、第1話の段階で人物像として出せる情報はかなり限られてくるわけです。 そういう、ごくごくせまーいところで、あれだけ生き生きとカホコを演じ切るわけですから、さすがというか、この女優さんの仕事が途切れない理由がよくわかります。そりゃ売れるわ、と思うわ。 ■無邪気vs無邪気という構図 そんなわけで無邪気に育ったカホコと大学の学生課で偶然出会ったのが、麦野初(竹内涼真)でした。こちらは就活に失敗し続けるカホコとは違い、もともと就職する気がありません。「ピカソを超える」と言い張って、画家として身を立てていくつもりの、カホコとは別のベクトルで無邪気な人物です。 ハジメは、出会ったそばからカホコにその無邪気さを爆発させます。「おまえみたいな過保護な人間が日本をダメにする」と言い放ったり(このときの「なんかわからんけど刺さった……」というカホコのリアクションが絶妙!)、自信満々だった自作の抽象画が大学の先生に評価されなければヒステリーを起こして破り捨て、カホコの「もう就活辞めて花嫁修業する、お母さんがそうしろって言ったから」という言葉に「なんのために働くのか考えろ」と八つ当たり。さらに、自分のティッシュ配りやピザ配達のバイトをカホコに押し付けたかと思えば、ファミレスでピラフをおごったり、眠りこけちゃったカホコの寝顔を、やおらスケッチしだしたり……。 無邪気な世間知らずであるカホコと、無邪気な常識人のハジメ。この2人の邂逅によって、物語が始まることになりました。第1話で「このドラマで何が始まるのか」をきっちり見せ切っていますし、2人とも愛嬌があっていい感じなので、いい作品になる予感が漂っています。 ■「ネグレクト」との対比としての「過保護」 ドラマは、カホコの母・泉が過保護であることを、決して否定的には描いていません。ハジメに押し付けられたバイト作業で、カホコの「働く能力」が開花します。今まで働いたことのないカホコは、ハジメに言われるがまま、なんの疑いもなく笑顔でティッシュを配り、ピザを届けました。これは、カホコが過保護に育ったからこそ持ち得た能力でしょう。そうして他人に感謝されることの喜びを知り、「なんのために働くのか」の答えを見出しました。 「人を幸せにする仕事がしたい」 世間知らずのかわゆい女の子・カホコの成長譚として、このドラマは走り出すことになりました。 だけど本当に描かれるのはたぶん、カホコの成長ではないんじゃないかな、と思うんです。遊川さんはきっとこの『過保護のカホコ』を『はじめまして、愛しています。』との対比として書いているんだと思うんです。 『はじめまして、愛しています。』では、育児放棄された孤児の魂が救われる様が描かれました。一方で、ネグレクトせざるを得ない状況に陥ってしまった実の母親と孤児との間の断絶は、回復させませんでした。 子を育てるという行為において、いわば対極である「ネグレクト」と「過保護」を両面から描くことで、初めて現代における「母親とは」「育児とは」という問題を語れると、遊川さんはそう考えているんじゃないかなと思うんです。 『はじめまして、愛しています。』で子を捨てた母親も、『過保護のカホコ』で子を溺愛する母親も、ともに「泉」という名前を与えられています。捨てられた子の名前は、本作でもキーパーソンになるであろう「ハジメ」でした。 過保護の親にとって、子どもの自立は「生き甲斐を奪われること」に他なりません。そして、その子の自立を促すハジメは、必然的に泉にとって「奪う側」になります。『過保護のカホコ』は、もうひとつの「泉とハジメの物語」でもあるわけです。 奪われることになる泉に、どんな救済がもたらされるのか。そんなところにも注目して見ていきたいと思います。このドラマ、かなり楽しみです、はい。 (文=どらまっ子AKIちゃん)日本テレビ系『過保護のカホコ』番組公式サイトより
日テレが独走する日曜ゴールデン帯に異変! テレ朝の“ナスD”『陸海空』が一矢
『ザ!鉄腕!DASH!!』『世界の果てまでイッテQ!』『行列のできる法律相談所』の最強布陣で、日本テレビが独走する日曜のゴールデン帯に異変が起きた。 2日に放送された、この3番組の視聴率は、『DASH!!』が15.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同=前週比0.7ポイント減)、『イッテQ!』が18.2%(同2.1ポイント減)、『行列』が15.3%(同1.4ポイント減)で、いずれも前週より数字を下げた。 5月7日放送分から8週連続で、20%の大台を超えていた『イッテQ!』の9週連続大台突破にストップをかけたのは、テレビ朝日系でオンエアされた『陸海空 こんな時間に地球征服するなんて 大アマゾンSP』(午後6時30分~8時54分)だった。同番組は午後7時までの第1部では7.1%だったが、第2部では9.7%を記録。惜しくも、2ケタには乗せられなかったが、同時間帯の前4週の平均6.6%を大きく上回り、『イッテQ!』の20%超えを阻止したのだ。 他局の同時間帯の主な番組の視聴率は、NHK総合『ダーウィンが来た!』が12.2%、『東京都議会議員選挙開票速報』(15分番組)が18.8%、大河ドラマ『おんな城主 直虎』が12.4%。TBS系のスペシャル番組『KUNOIHI2017夏★女性版SASUKE開幕』が7.9%。テレビ東京系『池上彰の都議選ライブ1部』が7.6%。フジテレビ系『Mr.サンデー超拡大スペシャル』第1部が9.7%、第2部が12.2%だった。都議選開票速報絡みの番組は、あくまでもこの日だけのもので、開票結果も注目度が高かっただけになおさら『陸海空』は大健闘といえる。 通常、日曜午後7時、8時台は日テレの完全な独り勝ちで、民放各局は少ないパイを奪い合っている状態。テレ朝は午後7時から『日曜もアメトーーク!』、午後7時58分から『人生で大事なことは〇〇から学んだ』を放送しているが、いずれも苦戦を強いられている。そんな中、『陸海空』が10%近い視聴率を獲得したことは一筋の光明で、今秋の改編に向け、ひとつの道しるべを示したともいえそうだ。 『陸海空』は1月29日にスペシャルが放送された後、4月からレギュラー番組に昇格し、火曜午後11時15分からオンエアされている。部族、ミステリー、豪華客船、釣り、ドローンと5つの視点で地球を一周する冒険バラエティで、今回のスペシャルでは、部族に特化し、名物ディレクターのナスDとお笑いコンビ・U字工事がアマゾンのジャングル奥地へと向かい、異文化村に潜入取材した様子が流された。 同時間帯は、日テレ以外の局がどんなテコ入れをしても、まるで効果が見られない状況。TBS系の『クイズ☆スター名鑑』は、わずか3カ月で終了し、後番組の『東大王』も伸び悩んでいる。フジ系の『フルタチさん』は4~6%台をウロウロしており、すっかり“お荷物番組”に……。テレ朝系の『アメトーーク!』は、ネット上では『木曜のレギュラー番組で十分で、週2回も見なくていい』との声も多いようだ。 「今回、『陸海空』がそこそこの視聴率をはじき出せたのは、日本ではなじみのないアマゾン奥地の部族に密着するという希少性が受けたのでしょう。毎週レギュラーでは、厳しいかもしれませんが、あくまでも『部族アース』にこだわって、月1回程度のスペシャルで放送すれば、10%前後は取れるのでは?」(テレビ誌関係者) 日テレの強力な番組を裏に回して、視聴率は頭打ち状態だけに、テレ朝としては、秋の改編期に、もう1度、『陸海空』スペシャルを実験的に放送してみるのも、一手だろう。 (文=田中七男)テレビ朝日『陸海空 こんな時間に地球征服するなんて』公式サイトより
日テレが独走する日曜ゴールデン帯に異変! テレ朝の“ナスD”『陸海空』が一矢
『ザ!鉄腕!DASH!!』『世界の果てまでイッテQ!』『行列のできる法律相談所』の最強布陣で日本テレビが独走する日曜のゴールデン帯に異変が起きた。 2日に放送された3番組の視聴率は、『DASH!!』が15.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同=前週比0.7ポイント減)、『イッテQ!』が18.2%(2.1ポイント減)、『行列』が15.3%(1.4ポイント減)で、いずれも前週より数字を下げた。 5月7日放送分から8週連続で20%超えをしていた『イッテQ!』の9週連続大台突破にストップをかけたのは、テレビ朝日系でオンエアされた『陸海空 こんな時間に地球征服するなんて 大アマゾンSP』(午後6時30分~8時54分)だった。同番組は午後7時までの第1部では7.1%だったが、第2部では9.7%を記録。惜しくも2ケタには乗せられなかったが、同時間帯の前4週の平均6.6%を大きく上回り、『イッテQ!』の20%超えを阻止したのだ。 他局の同時間帯の主な番組の視聴率は、NHK総合『ダーウィンが来た!』が12.2%、『東京都議会議員選挙開票速報』(15分番組)が18.8%、大河ドラマ『おんな城主 直虎』が12.4%。TBS系のスペシャル番組『KUNOIHI2017夏★女性版SASUKE開幕』が7.9%。テレビ東京系『池上彰の都議選ライブ1部』が7.6%。フジテレビ系『Mr.サンデー超拡大スペシャル』第1部が9.7%、第2部が12.2%だった。都議選開票速報絡みの番組はあくまでもこの日だけのもので、開票結果も注目度が高かっただけに、なおさら『陸海空』は大健闘といえる。 通常、日曜午後7時、8時台は日テレの完全な独り勝ちで、他局は少ないパイを奪い合っている状態。テレ朝は午後7時から『日曜もアメトーーク!』、午後7時58分から『人生で大事なことは〇〇から学んだ』を放送しているが、いずれも苦戦を強いられている。そんな中、『陸海空』が10%近い視聴率を獲得したことは一筋の光明で、今秋の改編に向け、ひとつの道しるべを示したともいえそうだ。 『陸海空』は1月29日にスペシャルが放送された後、4月からレギュラー番組に昇格し、火曜午後11時15分からオンエアされている。部族、ミステリー、豪華客船、釣り、ドローンと5つの視点で地球を一周する冒険バラエティで、今回のスペシャルでは部族に特化し、名物ディレクターのナスDとお笑いコンビ・U字工事がアマゾンのジャングル奥地へと向かい、異文化村に潜入取材する様子が流された。 同時間帯は、日テレ以外の局がどんなテコ入れをしても、まるで効果が見られない状況。TBS系の『クイズ☆スター名鑑』はわずか3カ月で終了し、後番組の『東大王』も伸び悩んでいる。フジ系の『フルタチさん』は4~6%台をウロウロしており、すっかり“お荷物番組”に……。テレ朝系の『アメトーーク!』は、ネット上では「木曜のレギュラー番組で十分で、週2回も見なくていい」との声も多いようだ。 「今回、『陸海空』がそこそこの視聴率をはじき出せたのは、日本ではなじみのないアマゾン奥地の部族に密着するという希少性が受けたのでしょう。毎週レギュラーでは厳しいかもしれませんが、あくまでも『部族アース』にこだわって月1回程度のスペシャルで放送すれば、10%前後は取れるのでは?」(テレビ誌関係者) 日テレの強力な番組を裏に回して視聴率は頭打ち状態だけに、テレ朝としては秋の改編期にもう一度、『陸海空』スペシャルを実験的に放送してみるのも一手だろう。 (文=田中七男)テレビ朝日『陸海空 こんな時間に地球征服するなんて』公式サイトより
最終回までズルズル7.3%の『フランケンシュタインの恋』綾野剛、川栄李奈ら役者陣の奮闘むなしく……
日曜ドラマ『フランケンシュタインの恋』(日本テレビ系)も最終回。視聴率は7.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)となりました。初回こそ11.2%と、それなりの好スタートでしたが、2話目で一気に7.3%まで下げると、あとはそのままズルズルといった感じです。第6話のレビューで「魅力的なのに全然面白くない」と書きましたが(記事参照)、その印象は最後まで変わりませんでした。そんなわけで、振り返りです。 ■脚本家が主人公に寄り添ってないのです。 さて、この最終回は、第1話で森から街へ降りた怪物が、森に帰る話でした。 120年を森で孤独に生きてきた怪物(綾野剛)は、人間社会に降りることによって変容を与えられ、自らの菌を培養・研究することで人間の役に立つという役割を与えられました。そうして不老不死の命を生きていく理由を与えられました。 与えられました。 というのが、このドラマ全話に通底する「怪物の描き方」でした。怪物は、何かを自らの決意や努力によって勝ち取ったわけではありません。街へ降りたのもラジオに出演したのも、誰かにそそのかされただけですし、最終的な役割もあくまで環境の変化や別の登場人物たちの積極的な働きかけによって「与えられた」にすぎない。ここに、このドラマの特徴があるように思います。 常に制作サイドが「与える側」であるという立ち位置が、そのまま画面から伝わってくるんです。脚本が、主人公である怪物に、まるで寄り添ってない。継実ちゃんには、もっと寄り添ってない。「不治の病」で悲劇を与えて、その後に「奇跡の治癒」を与える段取りの大雑把さを見るにつけ、命そのものさえ軽視しているように見える。 そうしてキャラクターたちを上位の立場から俯瞰して描いているうちに、私たち視聴者もいつの間にか「与えられる側」として扱われている気がしてきます。話が頭に入ってこないし、「貴様は神になったつもりか!?」と言いたくなる。 その象徴が、前半に多くの時間を割いて描かれたラジオパートです。怪物をラジオに呼んで、そのたびに「人間とは何か」みたいなことが、脚本家の言葉によって定義づけられてきました。 ラジオには、とことん寄り添ってるんですよね。ラジオでの天草(新井浩史)の言葉や行動には、もはや寄り添っているというより、寄りかかっていると言ってもいいくらいです。最終回にも天草の説教がたっぷり挿入されたあたり、この作り手たちが言いたいことは結局ラジオにすべて託されていたと感じます。そう考えれば、ヘビーリスナーだった怪物はまだしも、ラジオと一切関係のないヒロイン継実についての描写がおざなりなのも、むべなるかなといったところです。 それにしても継実ちゃん、見せ場なさすぎでしょ……。初回と120年前のサキを演じた第9話以外は、困り顔で立ち尽くして、たまに「深志さんが好き」とか言うだけ。それしか仕事がなかった二階堂ふみは、「これでギャラもらっていいのかいな?」とか思ってるんじゃないでしょうかね。変な服もたくさん着させられたし、ギャラもらっていいと思いますけど。 ■SFについてはもういいや、それより川栄李奈でしょう このレビューでは、さんざんSF的な設定ゴケがひどいという話をしてきましたが、最終的に「未知の菌によって遺伝性疾患が根治する」「そして、それが恋の力」みたいな、とんでもないトンデモをブッ込んできたので、もう特に意見はないです。SFはSFに情熱のある人だけがやってほしいなと思う限りです。 それより、川栄李奈です。まあ、すごくよかった。かわいかったし、カッコよかった。 最終回で山に入っていく怪物を見送ったときの「これは仲間の挨拶だ」と言いながらのハグなんてね、最高じゃないですか。このセリフには、魂こもってるじゃないですか。 川栄の演技スキルが確かなことはもちろんですが、所属する工務店が唯一、この作品でリアリティを保てていた舞台であったことも功を奏したと思います。脚本家が得意なスケール感というのが、この工務店内くらいなんだろうな、と感じるんです。現代の8人くらいの集合体、という規模であれば、濃密な人間を描ける。個性も関係性も描ける。 川栄が演じたのは室園美琴という家出少女でした。町で工務店の社長(光石研)に拾われて雇われた美琴は、この工務店にとって怪物より先に来た“異物”だったのです。美琴をフックにすることで工務店と怪物をつなぐという脚本のプランは冴えていたと思うし、川栄も要求によく応えたと思います。怪物も、継実と話しているときより美琴と接しているときのほうが、よほど生き生きして見えました。 重ね重ね、不憫なのは二階堂ふみです。 「私は、津軽継実であり、サキさんです。あなたが好きです、120年前から」 なんてセリフ、どんな顔で言えばいいというのか。快活で好奇心旺盛で積極的だった第1話の継実はなんだったのか。ああ不憫。これでテレビドラマに愛想を尽かさないといいなと願うばかりです。 ■何をおいても綾野剛 正直、開始前から企画とキャスティングを見て「おもしろそう!」と思っていたんです。綾野剛がフランケンシュタインの怪物で、二階堂ふみと恋するラブコメだと聞いていましたし、第1話も完全にそのような出来でしたので、「これはいいぞ~」と書いたのが(記事参照)ずいぶん昔のように感じられます。 以降、ぶーぶー言いながらも見放せなかったのは、やはり綾野剛の存在感によるものでした。 ダークヒーロー然とした登場から始まり、キュートだったり悲しそうだったり、困惑したり堂々としたり、最終回の「僕は人間の役に立てるんですね」という泣きのシーンでは、こちらまで涙きちゃう感じ。物語の整合性についての疑問を、「綾野がこういう芝居をするということは、ここはこういうことで納得してほしいんだな」と納得させてしまう強度の高い演技だったように思います。すごいと思う。もともと好きなんでひいき目はあると思いますが、いやーホントにすごいよ。すごいよね。 そういうわけで、なんか全体的にモヤっとしたレビューになってしまいました。「魅力的だけど面白くない」と感じたドラマについて、なんで「魅力的だけど面白くない」と感じたのかを考えるのは、すごく難しいと思いました。今後はぜひとも「魅力的で面白い」ドラマをよろしくお願いいたします。はい。 (文=どらまっ子AKIちゃん)日本テレビ系『フランケンシュタインの恋』番組サイトより
やっと二階堂ふみが仕事した! 日テレ『フランケンシュタインの恋』不完全燃焼のワケは……
日曜ドラマ『フランケンシュタインの恋』(日本テレビ系)第9話の視聴率は7.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、前回より0.7ポイント上昇。全体的には低迷しつつも、少しずつ盛り上がってきたように思います。 今回は、綾野剛演じる怪物が生み出された秘密を回想するお話。怪物が「山部呼六(やまべ・ころく)」として過ごした120年前の日々を振り返りました。 まず、綾野剛の演じ分けが出色でした。120年前の人間だったころと、その思い出をラジオで語る現在を行き来しながら、同一人物であり、しかしどうしようもなく変容してしまった一人の「人間/怪物」を、存在感を持って演じていたと思います。確かにこの人は120年前はこのようであり、怪物となった現在はこうなのだという説得力を持った造形です。 そして、第1話で怪物を山から下ろして以来、ほとんど何も役割を与えられなかった継実ちゃん役の二階堂ふみも、二役として登場した120年前のサキさんとして躍動しました。良家に生まれ、自分の出自に不満を抱きながらもまっすぐに育った健気な少女が若い医師に心惹かれていく様を、魅力的に演じていたと思います。明治時代を再現した衣装も、時代考証的に正しいかどうかは知りませんが、とってもかわいかったです。やっと二階堂ふみが仕事した! と思いました。 加えて、怪物を生んだ深志研太郎博士を演じた斎藤工も盤石です。芳醇なキャリアに裏付けられた繊細な演技で、揺れ動くマッドサイエンティストの心情を描き出すことに成功しています。 また、現代パートでのラジオDJである新井浩史と山内圭哉も、いかにもドラマ最終盤といった感じで、ギアを一段上げたような力のこもった芝居を見せていたと思います。 総じて、この第9話の画面から伝わってくるテレビドラマとしての『フランケンシュタインの恋』は、良作の雰囲気がぷんぷん漂っています。出てくる誰もが魅力的だし、テンポもいいし、要するにまあ回りくどく書きましたけど、今回は面白かったんです。 ただし、これを面白いを感じるためには、意識的にこれまでの回を忘れる必要がありました。特に怪物の出自となったSFパートの時系列や、怪物が人間を「触れる/触れない」という基本的な設定など、さんざんまき散らしてきた伏線という伏線が、すこぶる雑に回収されてしまったのです。 かつて、横山秀夫原作のNHKドラマで超スゴイ脚本を書いた大森寿美男さんが、いったいどうしてしまったんだと思いますよ。あまりにも「なかったこと」にしてしまったピースが多すぎる。第1話で怪物は毒胞子を散布しながら継実ちゃんを胸に抱え、山の麓のバス停まで運びました。しかし、いつの間にか怪物は「人間に触れない」という設定が悲劇として建て増しされ、今回、「やっぱり触れる!」と感動的に演出される。画面が美しく、演出が冴えているだけに「印象に残ったシーン」同士が矛盾して食い合ってしまうという状況が生まれている。結果、やっぱり感動は削がれます。 第2話で、神の視点で描かれた120年前の博士と怪物の会話がありました。 「人間じゃなくても生きられるんだ」 「いいか、人間だけが生命の在り方だと思ったら大間違いだ」 「おまえは、植物だ。考える植物だ」 「考えるという、つらい機能を残してしまったことは、謝る」 「すまん、だけどお前は、生きてる」 といったことを博士は怪物に語っていましたが、今回描かれた怪物の回想とは、まるで整合が取れません。怪物は、怪物として生き返った後に博士の日記を読んでいることになっていましたが、では記憶を失ったのはいつなのか。これは説明不足なのではなく、意図的に脚本家が設定を反故にしていることを示す場面です。 惜しいな、と思うんですよ。これだけ雰囲気がよくて、出てくる役者さんは誰もが魅力的な芝居をしていて、それでもSFとして設定ゴケしているので不完全燃焼になってしまう。基本的にドラマを見るときは「くさしたい」ではなく「楽しみたい」と思っているので、非常に惜しい作品になっていると思う。 次回は最終回。とりあえず一旦またいろいろ忘れて楽しみにしたいと思います。最終回くらい、継実ちゃんにちゃんと見せ場があるといいな。 (文=どらまっ子AKIちゃん)日本テレビ系『フランケンシュタインの恋』番組サイトより
綾野剛『フランケンシュタインの恋』過去最低6.3%……役者の熱演を裏切り続ける「ご都合主義と雰囲気オシャレ」
綾野剛演じる“怪物”が山から降りてきて、とびきりキュートなドタバタラブコメディを繰り広げた第1話から一転、妙にシリアスな展開で視聴者を振り落してきた日曜ドラマ『フランケンシュタインの恋』(日本テレビ系)も第8話。視聴率は下がりに下がって6.3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と過去最低を記録。しかし、おそらくこの第8話が同ドラマでもっとも面白い回になるのだと思います。ようやく、ドラマらしいドラマが見られました。 これまでのレビュー(記事参照)でも書いてきましたが、本作はとにかく展開が遅いドラマでした。第1幕ともいうべき怪物と人間社会とのファーストコンタクトを描くことに6話を費やし、第2幕に入ったのが前回の7話から。全10話予定と告知されていますので、「面白くなってきたら、すぐ終わっちゃう」という感じです。 だからといって、前回や今回が文句なく面白いかといえば、そうでもありません。ここまで時間をかけてきた“怪物”にまつわるSF設定がガバガバで、視聴者を混乱させるばかりなので、気を抜くとイラっとしてしまいますし、集中しすぎてもイラっとしてしまいます。しかし、ちょうどいいテンションで、いい感じの出演者たちのいい感じのお芝居を眺めていると、「ああ、面白いな」と感じることができるという不思議なドラマです。 今回は、気を抜くとイラッとする話と、集中しすぎるとイラッとするという『フランケンシュタインの恋』の特徴についての話をしようと思います。 まず前者の、気を抜くとイラッとする話。ラジオの公開放送に参加した怪物が、興奮して毒胞子をまき散らしながら会場から逃げ出した場面の顛末がありました。 怪物は、テンションが上がると両手から毒胞子を発生させ、その手で触った人間を殺すという設定が与えられています。この毒胞子発生時、細かい粉のようなものが周囲に舞い散るわけですが、これまで、「直接的に毒手で触らなければ危害ナシ」というルールは徹底されていました。周囲に人がいる状況で毒胞子化したことは何度もありましたし、脳の病気を抱える継実がそばにいるときでさえ、そこだけは徹底されてきた。 しかし今回になって、舞い散る粉胞子を吸い込んだ数人が気分が悪くなって病院に行くというシーンが出てきます。脚本家が自分で作ったルールを簡単に無効化してくる。こういうSF設定の反故は、このドラマでは何度も繰り返されていて、「もうそこは飲み込もう」と思って見ているので、それ自体はスルーできるんです。でも、吸い込んだ人たちが病院には行くけど、“異臭騒ぎ”として警察に届けたりはしない。マスコミもたくさんいたのに、誰も取材しない。お話の都合で一般人の一般的な感覚がスポイルされた瞬間に、飲み込む許容量を超えちゃうんです。気合を入れて「SFについてはガマン!」と思って見ていても、気を抜くとついこうしたポカが目についてイラっとしちゃう。 続いて、集中しすぎの話。 前回、怪物が自分の中にある“殺人菌”を殺すために殺菌スプレーを飲もうとするくだりから、今回の前半にわたるシークエンスは、このドラマにおける「もっともオイシイところ」でした。怪物が、ずっと仲間だと思っていた稲庭先輩(柳楽優弥)が、実は怪物を陥れて片思い中の継実ちゃん(二階堂ふみ)を奪い取るために行動していたことを告白。「俺を憎め、俺を怒れ」と怪物に迫る先輩と、「それでも怒れないんです、僕は稲庭先輩が大好きです。今も感謝しています」とまっすぐな瞳で訴えかける怪物のやり取りは、2人の熱演もあって血涙を搾ります。こういうシーンが見たかったのだ、と素直に思える場面です。 稲庭先輩は「人間は矛盾を抱えているから」と、自らの行動が人間の普遍的な心の在り方からくるものであると怪物に説きます。そりゃそうだ、すごく納得のできる言葉です。柳楽くんの芝居はホントに素晴らしくて、一言一句聞き逃したくなくなってしまう。集中しちゃう。 だからこそ、鼻につくんです。前回のラストで、自分の卑怯なやり方を告白した彼は、怪物に「人間じゃないのは、俺なんだよ」と言っています。こんな卑怯なやり方は「人間じゃない」と言っているわけで、今回の言い草と食い違っている。前回は「人間じゃないから卑怯なことができる」と言い、今回は「人間だから矛盾から卑怯なことをする」と言う。どちらも筋の通った話ですが、前者は「ぼーくは人間じゃーないんでーす♪」という歌詞で始まるエンディングに、いい感じでつなげるためのセリフなんです。雰囲気オシャレを優先しているんです。些細なことですが、こうした食い違いは、そのセリフの「心の底から吐き出した感」を薄めてしまうんですよねえ。せっかくの盛り上がりに水を差されてしまう。で、イラッとする。ああー、イラッとする! と、ここまで脇役やサイドエピソードばかりの話になってしまいましたが、今回はようやくヒロイン・継実ちゃんにも見せ場が訪れました。これまで継実ちゃんは大したセリフも役割も与えられず、とことん冷遇されてきました。そして今回も、たった1シーンだけで再び冷遇されることになります。 継実ちゃんは、「もう一度ラジオに出る」と言い張る怪物の手を引いて駆け出し、怪物に「一緒に逃げましょう」と言います。 「森へ帰りましょう、一緒に」 そして、ずっと怪物の心の支えだったラジオ番組のテーマソング「天草に聞け」を「継実に、聞け」と替え歌にして、怪物と共に生きる決意を明かします。感動的です。二階堂ふみ、ホントにかわいいです。私も、ずっと二階堂ふみと森で暮らしたいと思える素晴らしい芝居です。でも、心配になります。この人、脳の病気でクスリを常用しているはずだし、そもそも森で何を食って生きていくつもりなのか……。 心配する必要はありませんでした。継実ちゃん、その場で都合よく頭痛くなって倒れちゃいます。こうしたご都合主義も、本作の特徴です。最初から、この脚本家にとって「森で暮らす」という選択肢はないんです。「森で暮らすって言わせても、病気で倒せば進行に異状なし」と決め込んで書いてるんです。 なんだかね、脚本が芝居を裏切っている感じがヒシヒシと伝わってきて、悲しくなりますよ。特に継実ちゃんに対しては、ちょっと扱いが雑すぎるんじゃないかと思います。川栄李奈が複雑な心情を持った役を与えられてイキイキと演じているのと対照的で、二階堂ふみの女優としての才覚が誤解されてしまいそうなくらいです。 ともあれ、第2幕は今回だけでおしまいのようです。予定ではあと2話ですが、SFとしてはガバガバのくせに伏線を張りまくっているし、都合よく怪物の記憶も戻ったので、ここからは第3幕の解決編に向かっていくことになるのでしょう。次回は、120年前の怪物とサキさん(二階堂ふみ/二役)を振り返るようです。とりあえず、過去を演じる2人のお芝居だけを楽しみに、ちょうどいいテンションで待ちたいと思います。 (文=どらまっ子AKIちゃん)日本テレビ系『フランケンシュタインの恋』番組サイトより
石原さとみが、半同棲中の山下智久を『24時間テレビ』にゴリ押し!? 小山慶一郎とは「出たくない」
今年の『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)のチャリティーパーソナリティーに決定した女優の石原さとみが、“半同棲”が報じられた山下智久を「番組に出演させて」と番組関係者にゴネているという。 『24時間テレビ』のパーソナリティーは だいぶ前からジャニタレが独占しているが、今年も早々に嵐・櫻井翔、KAT-TUN亀梨和也、NEWS小山慶一郎がメインパーソナリティーに決定していた。 しかし、小山に関しては、地下アイドルとの交際が発覚。そのアイドルは、小山との交際発覚が影響し、所属グループを解雇されたにもかかわらず、小山はわれ関せずと無視していることから、ネット上では「キャスター失格」「パーソナリティーを降ろせ」などという批判の声が上がっている。 それとは別に、以前から石原は小山を「キモ男」と呼んで毛嫌いしており、『24時間テレビ』のオファーが来たときも「小山が一緒なら出たくない」と出演を渋ったという。 石原は昨年、昨年10月期に同局で放送したドラマ『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』の平均視聴率が12.4%(ビデオリサーチ調べ/関東地区)とまあまあの視聴率だったことから、この秋にスペシャルドラマの放送が予定されている。スペシャルの視聴率次第では「パート2」も予定しているというが、凋落激しいフジテレビのドラマ出演が目立っていた石原にとっては、王者・日テレに定着できるいいチャンス。そのスペシャルの番宣も兼ねるということもあって、パーソナリティーを引き受けたという。 だが、石原はそれを引き受ける条件として、毛嫌いしている小山に代わって、山下を出すよう要求しているというのだ。日テレとしては『校閲ガール』のパート2を制作したいだけに、むげに断れない。かといって、今さら小山を切るようなことはできない。ジャニーズ事務所さえ許せば、山下に番組内の1コーナーを担当させるという線が現実的だが、どう調整するかの決断を迫られている。本番まで、ひと波乱あるかもしれない。 (文=本多圭)







