男に選ばれることに疲弊した女へ、元AV女優が送る『人妻、洗います。』

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『人妻、洗います。』/双葉文庫

■今回の官能小説
『人妻、洗います。』川奈まり子(双葉文庫)

 女は男に選ばれるもの――果たしてそうだろうか?

 男が好みそうな服をまとい、髪の毛は柔らかに巻いて、清楚さを際立たせ、無言で男を誘う……そんな記号化された「モテ」の定義に躍らされている女性も少なくない。しかし、そんな定義を勝手に作り出したのも、もしかしたら私たち女なのかもしれない。実態のない「男目線」に振り回され続け、結果として、男に選ばれればラッキーだが、一方で選ばれなかった女たちは、どうするのか? さらに、今は、元気のない男たちがはびこる時代である。ぼけっと待っているだけでは、なかなか男は捕まえてくれない。目の前を何人もの男が通り過ぎてゆくたびに、次第に自信を喪失してゆく女たち。卑屈になり、殻にこもって「どうせ、私なんて選ばれない」が口癖になってしまう。

 しかし、男から選ばれないのならば、自ら男を選べばいいのではないだろうか。かつて、AV女優として人気を博した川奈まり子の官能小説『人妻、洗います。』(双葉文庫)には、そんな女性としての自信を失った人妻たちの成長が描かれている。

セックスレスという劣等感で主婦が結束、その狂気に浮かび上がる女の性

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『世界人類がセックスレスであります
ように』/マガジンハウス

■今回の官能小説
『世界人類がセックスレスでありますように』目黒条(マガジンハウス)

 今回の官能小説レビューは、“番外編”。いつもとは180度趣を変えて、セックス“レス”について語ろうと思う。

 最近のあらゆるメディアを見聞きしていると、現代の世の中は、まるでオンナに対してセックスを強要しているように思えてしまう。やれ「膣をトレーニングしろ」だの、朝から「セックスレス特集」だの、声高に「女性は死ぬまでセックスを!」だの……まるでオンナはセックスを“しなければならない”言われようである。

 今年の「an・an」(マガジンハウス)セックス特集では、週に1回以上セックスしている女性は42.9%という統計が出ていて、思わず「ホントかよ!」と声を荒げてしまった。そんなはず、ない。メディアが、顔の見えない誰かが、「セックスしなきゃ」「みんなもしてるよ」というものだから、自分だけがセックスレスなのは不自然なのかと感じて、なんとなく回数を盛っている……と深読みしてしまう。関係が安定したカップルは、週イチどころか月イチセックスもおろそかになるというのは、わりとよくある話で、だったら、現役でセックスを続けている夫婦なんて、リアルで統計を取ったらどんな結果が出るのだろう。特に、子宝に恵まれ、子づくりという共同作業を一段落した夫婦間は?

2番目の男の体で初体験を実感する、10代処女喪失のリアリティ

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『13のエロチカ』/角川文庫

■今回の官能小説
『放っておいて、握りしめて』坂東眞砂子(『13のエロチカ』/角川文庫より)

 産まれて初めてのセックスが記憶に残っている女性は少ないのではないだろうか?

 そもそもオンナは、処女喪失の速さを、同級生と競い合っていたように思う。まわりの同級生はどんどん処女を捨ててゆき、初めてのセックスを誇らしく語る。残されたオンナたちは次第に焦燥してゆく……処女を捨てたら、とりあえず同性同士で発表しなければならない、そんな空気があった。10代のオンナ社会には、そんな逃げられないオンナコミュニティが確立されている。

 しかし、開通したところで、本当の意味でセックスをしたとはならないのがオンナの心理。相手のことが好きかどうか、気持ちいいかどうか、セックスを楽しむ余裕なんてなかった。どんな行程を経て、どんな挿入をされ、どう感じていたかんて、ほとんどすべて覚えていないはずだ。

「真面目な子」と「いやらしい子」他人の目に翻弄された少女2人を描く『誦文日和』

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『玩具の言い分』/祥伝社文庫

■今回の官能小説
『誦文日和』朝倉かすみ(『玩具の言い分』/祥伝社文庫より)

 地元って、何て窮屈な場所だったのだろう。やれ「どこの家の娘が結婚した」だとか「誰々がどこの大学に合格した」とか。閉鎖的な空間を共有しあいながら、その狭い環境の中で、せせこましく比べ合い、比べられることが当たり前の村社会。表面では「誰もが平穏でありますように」と笑顔を交わしあいながらも、その裏では、その小さな空間の中で、誰よりも幸せになることを競い合っていたかのようにも感じてしまう。そのために、毎晩のように近隣の誰かをネタにし、つるし上げにして、安心していたのかもしれない。

 そんな閉鎖的な環境の中に、同い年の女同士がいれば、自然と意識しあうもの。今回ご紹介する『誦文日和』(『玩具の言い分』/祥伝社文庫)の主人公は、商店街にある本屋の娘として産まれた。幼い頃から意識していたのは、同じ商店街の青物屋の娘・晴子。彼女には天性の才能があった。それは、男性の視線を虜にする、色気。挨拶ひとつできない晴子の手を引き、お姉さん風を吹かせる主人公。幼い頃から2人の立ち位置ははっきりと決まっていた。

『ミルキー』が描く、乳首を吸われて感じる“女”の私、乳を出す“母”の私

『ミルキー』/講談社文庫

■今回の官能小説
『ミルキー』(林真理子、講談社文庫)

 女の人生の中で、最も美しく輝くのは出産直後だと言われている。確かに妊娠、出産を経験した女性の持つ“神秘性”に誰もが陶酔し、またその女性自身も、ただの“女”から“母”へとバージョンアップしたことに酔っているかもしれない。

 が、まるまるとしたお腹を抱えて歩いている女性やベビーカーを引いている女性とすれ違うたびに、誰もがどこかで感じているのではないだろうか? 「このオンナ、セックスしたんだよね」と。妊娠・出産をした女性は、ある意味、大声で「私、セックスしました」と言って回っているようなものなのだ。

 人を産むという女性限定の経験を経て、「聖母像」に対する視線を向けられる“母”に、“セックス”を思い浮かべてしまう――その禁忌こそが、エロさを感じさせるのだろう。

幸せにはなりえない“不倫”という恋愛に『浪漫的恋愛』が見出した微かな光

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『浪漫的恋愛』/新潮文庫

■今回の官能小説
『浪漫的恋愛』(小池真理子、新潮文庫)

 携帯電話とインターネットの普及により、ひと昔前とは比べものにならないほど、不倫人口が増えているという。出会い系サイトを駆使して、確実に夫が不在中の時間帯に会うことのできる相手を見つけることもできるし、SNSで学生時代の恋人の名を入力すれば、簡単に再会でき、消化不良に終わってしまった昔の恋をもう一度始めることだってできる。固定電話でこそこそと連絡を取り合っていた時代は、今は昔。今では夫と同じリビングにいても、携帯電話で女友達にメールを出すフリして、愛の言葉をささやける時代になったのだ。

 本来ならば、ワケありの大人同士の恋愛だったはずの「不倫」という呼称が、今や「婚外恋愛」なんてポップに呼ばれることもある。不倫がまるで、若者たちの気軽な恋愛のようにカジュアル化して来ている。その裏には、一歩間違えれば訴訟問題、相手の人生も破綻させてしまうほどの危険性が潜んでいるにもかかわらず。

 今回紹介する『浪漫的恋愛』(新潮文庫)は、お気軽なばかりの「婚外恋愛」という呼び方はふさわしくない、大人同士の「不倫」を題材にした小説である。主人公は、出版社の編集部に勤める千津、46歳。不倫相手は、建築会社を営む柊介は49歳。この2人の恋愛を俯瞰していると、ぼんやりとしていた“大人の恋愛”が、次第にくっきりと形成されてゆく。

「結婚すれば、出産すれば……」リセット願望に現実を突きつける『愛されすぎた女』

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『愛されすぎた女』/徳間文庫

■今回の官能小説
『愛されすぎた女』(大石圭、徳間文庫)

 オンナにとって一番の過渡期は、30歳だと思う。“若いオンナ”という値札をぶらさげているだけで、周囲が高値を付けてくれた20代は終わり、自分そのものを値踏みされる30代に突入する。女性誌などで使い古された“自分磨き”なんて言葉を鼻で笑い、若さゆえに恵まれた表層部分にあぐらをかいていると取り返しのつかないことになってしまう……中身がからっぽの30オンナなんて、誰も相手にしてくれなくなるのだから。たとえ、どんなに外見が美しくても。

 将来に展望のない三十路独身女が最終的に狙うのは、“結婚”。彼女たちが求めるのは、自らの力で築けなかった空白部分を埋めてくれるような、地位も名声も持ち合わせ、なおかつルックスも合格点の、すべてを備えた王子様。

 冷静に考えれば、そんな完璧な男性なんて、とうに自分に見合った女性を選んでいると見当がつく。けれど崖っぷちに立たされた三十路婚活女は、年甲斐もなく自分主導な夢を思い描いてしまう――。

悲しみも怒りも自身で解放する、現代女性の“自立”を描く『自縄自縛の私』

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『自縄自縛の私』/新潮社

■今回の官能小説
『自縄自縛の私』(蛭田亜紗子、新潮社)

 コミュニケーションツールで満たされている昨今。時間の隙間を埋めるように、せっせとメールを送り、Twitterでつぶやき、誰かと関係を持っているような気になれたとしても、果たしてその中で、強く心からつながれている人は何人いるだろう?

 上澄みだけの関係性でないとつながれない今、言葉にすると面倒に思われてしまう悲しみや怒りといった強い想いは、誰とも共有できない。――それらを解放する手立ては、自分自身で昇華するしかないのだ。

 『自縄自縛の私』の主人公は、現代に生きる女性の「鏡」なのかもしれない。彼女は、誰も抱きしめてくれない空虚な想いを自ら縄で抱き締める、そんな術を身につけた。ネットサーフィンをしているうちに出会った、とある緊縛手法のページ。恐るおそるノウハウに従いながら縄を肌に食い込ませてゆくと、えも言われぬ安堵感に満ちてゆく。それは、自分以外のなにものかが強く抱き締めてくれているという安心感。硬質なボールギャグは口づけのように強く、縄が素肌を滑る感触は、まるで誰かの指先が触れているよう。主人公は、アイマスクに閉ざされた闇の中で、確かな「愛」を確信する。

奔放な性の物語で、“不自由の中の自由”を浮き彫りにした『ダブル・ファンタジー』

『ダブル・ファンタジー』(村山由佳、文藝春秋)

■今回の官能小説
『ダブル・ファンタジー』(村山由佳、文藝春秋)

 女にとって幸せな人生とは、いかに快適で平和な巣作りができるかに尽きるのではないだろうか。巣作りの第一ステップは、もちろん結婚。それまでの生活を捨てて、パートナーと暮らす安心感の代わりに、不自由さが生まれる。それまではすべて自己責任でどうにでもなった物事が、パートナーの意見も取り入れ、2人で決めなければならない。そんな不自由さの上で成立する幸せこそが結婚であり、女の幸せだが、パートナー選びでコケると瞬時に逆転し、窮屈な生活にしかならない。けれど日々の生活を積み重ねていくうちに、苦痛にすら麻痺してしまい、苦痛を苦痛と感じられなくなってしまうことは、そう珍しいケースではないはずだ。

 『ダブル・ファンタジー』の主人公・奈津が自らの日常をつらいと感じたのは、とある人物の存在がきっかけだったのかもしれない。売れっ子脚本家の奈津にとって神のような存在である舞台演出家の志澤。何気ないメールのやりとりをしながら、志澤は奈津の心に潜む苦痛を紐解いて行く。

セックスの相手は代替可能? 「自立した」はずの女が持つ欲望

『七つの甘い吐息』(新潮社)

■今回の官能小説
『白い波に溺れて』早瀬まひる(『七つの甘い吐息』/新潮社より)

 女に産まれて来たからには、誰しも少なからず持ち合わせているヒロイン願望。男にちやほやされ、身も心も支配されたい――ふたりのシナリオに書かれている甘いラブストーリー。オンナの恋愛や結婚観には、少なからず、頭のなかに自分だけの「シナリオ」は存在しているのではないだろうか。そのシナリオを演じることが目的ならば、たとえば相手役が降板したとすれば、他を見つければ良い。あくまでも、ゴールは「物語の達成」なのだから……しかし、果たしてそうなのだろうか?

 「白い波に溺れて」の主人公・優香は、かつて先生と生徒……また、恋人同士でもあった銅版画家の塩尻の個展で、彼と再会した。逃げるようにギャラリーを後し、恋人のもとへと急ぐ。優香には、雅人という婚約者がいた。