加藤綾子、『世にも奇妙な物語』主演に賛否! “女優デビュー”した女子アナの黒歴史

 10月14日、加藤綾子が『世にも奇妙な物語’17秋の特別編』(フジテレビ系、午後9時~)の「女子力」という短編作品に出演。フジテレビを退社後フリーアナウンサーになった彼女が、古巣となる同局の人気シリーズで主役に抜擢された。しかし、かねてよりアナウンサーのドラマ出演には「演技の素人に主役を任せるなよ……」「話題性だけのキャスティングは嫌い」と冷ややかな声が多く、今回の加藤にも同様の反応が上がった。  女子アナが女優デビューした例は少なくないが、野際陽子や八木亜希子のように成功するのは、ほんの一握り。一時の話題づくりで終わることがほとんどだ。 「2015年に読売テレビを退社後、フリーに転身した川田裕美は今年1月、『増山超能力師事務所』(日本テレビ系)と、『天才バカボン2』(同)に出演。2つのドラマでアナウンサーの役を演じた彼女は、日本テレビのニュースサイトで“次はアナウンサー役以外もやってみたい”と意欲的なコメントをしています。立て続けにドラマの仕事が舞い込み、ファンからは女優としての躍進が期待されていたのですが、その後が続きませんでした。以前より彼女の女優業には『アナウンサーの中ではきれいだけど、本物の女優と並んだら……』『アナウンサー業に専念したらいいのに』との声が上がっていたので、無理もないことでしょう」(芸能ライター)  本業を離れた仕事とあって厳しい批判が集中するのは致し方ないが、中にはあまり人々の記憶に残らない人もいる。 「TBS入社2年目の山本恵里伽は今年5月、大人気を博したドラマ『小さな巨人』(TBS系)の第4話に出演。記者に扮して、香川照之演じる捜査一課長・小野田義信に捜査の進展を取材しています。彼女は同ドラマの公式サイトに『一生懸命やりましたので、目を凝らして見つけていただけたらうれしいです』とのコメントを寄せていたのですが、残念ながらそこまで話題になりませんでした」(同)  一方で、世間から高く評価をされたにもかかわらず、慣れない女優業がストレスになってしまうアナウンサーもいるようだ。 「赤江珠緒は16年に『重版出来!』(TBS系)に出演して、“伝説の漫画家の亡き妻”という役どころに挑戦しました。しかし、彼女にとってはこれが苦い経験になってしまったようで、自身のラジオ番組『たまむすび』(TBSラジオ)では『演技できなかった』と吐露。さらに赤江は同番組で『トラウマになりそう』とまで語っています。『重版出来!』以降ドラマに出演していませんが、本人の自己評価とは裏腹に『珠ちゃんの演技めっちゃ良かった!』と世間の評価は上々。彼女には、またどこかで女優に挑戦してもらいたいですね」(同)  そのほかにも女優業が“黒歴史”として語られるアナウンサーは数多く存在するものの、夏目三久のように散々“女優デビュー”をウワサされながら実現しない人もいる。『世にも奇妙な物語』への抜擢で物議を醸している加藤だが、チャンスをもらえるだけまだ幸せなのかもしれない。

生理(月経)と子育て、どうしていますか。重い生理痛がある日も子供とお風呂に入り、子供に経血について説明をしていますか?

 出産すると生理痛が軽くなるなんて話を聞いたことがあったが、私の場合そんなことはなく、妊娠・出産前と出産後とで生理痛の重さに目ぼしい変化はなかった。私は経血量が比較的多く生理痛も重たいほうだ(と思う。他人の経血量を見たことはないし、他人の生理中の身体状況を体感することはできないのだが)。  生理痛の症状としては、私の場合は下腹部の痛み。これが一番辛い。あと、デリケートゾーンもヒリヒリ痛むし不快感がある。下半身がずっしり重い。特に初日と2日目がしんどい。『ロキソニン錠60mg』にいつも助けられている。  10代の頃は、生理が来ると度々(テスト期間じゃない限りは)学校を休んだり早退したりしていた。その際、良心の呵責を覚えたことなど一度もなかったが、土曜のバイトと生理初日が重なることが2カ月連続で起こり、2回とも早退させてもらった時はさすがに申し訳なく思った。  そして現在、2歳児をワンオペ育児中の身。生理中(特に初日と2日目)は、つらい! 特に、週末とか連休、四六時中子供と向き合っているところに生理が始まるのは勘弁してほしい……。子供は母親が生理痛で苦しんでいるなんて知ったことじゃないから、平気でトイレに立ち入ってくるし、あれこれ話しかけてくるし、挙句ナプキンのテープを剝がしたりして遊び出す。プライバシーも何もあったものじゃない。  我が家は夫不存在のため、生理中であろうと私が子供と一緒にお風呂に入らなければならない。2歳児をたった一人で入浴させるわけにはいかないし、逆に、子供だけ先にさっと洗って風呂場から出し、私が髪や体を洗って……というのも出来ない。まだ家の中でも目を離せない時期だ。0歳、1歳の時期ももちろんそうだった。  生理中に限ったことではないのだが、2歳の我が子は私に「お風呂に入ろう」と声を掛けられても、すんなり行動に移す気などさらさらないため、“説得”というプチ関門がついてくる。生理中は、お風呂時間に効果が出るよう見計らってロキソニン錠60mgを服用しておくこともある。  私は経血量が多いこともあり、生理初日~3日目くらいまではタンポンを使用して子供と入浴するのだが、先述したとおり、子供は躊躇なくトイレに立ち入ってくるため、タンポンの装着時に気が散って困る。ここで正しい位置に装着しておかないと、使用中に違和感(不快感ともいう)が生じてたまらないので邪魔しないでほしいのだが、仕方ない(おもちゃで遊んでいて寄り付いてこなければラッキー)。また、入浴中や入浴直後に、子供がタンポンの紐に興味を示して引っ張ろうとすることもしばしば。  さて、今のところ2歳の子供は、トイレに立ち入った時や入浴時(4日目以降は量が減るのでタンポンを使わない)に、ナプキンやタンポンについたり便器や風呂の洗い場に流れた私の生理の血を「見て」はいるが、これらが何なのかはわかっていない。まだ質問してくることもない。が、子供が一人で入浴でき溺れる心配もなくなるのは小学校に上がってからだろうと思うと、今後も生理中に子供と入浴せざるを得ないので、いずれ子供が経血に疑問を抱いたら、「これは怪我じゃなくて生理の血なんだよ」「生理だからお腹が痛いんだよ」と伝えていくつもりでいる。隠すようなことではないし、むしろ人は怪我や病気じゃなくても体調が変動したりするのだと、教えたほうがよいと考えるからだ。  しかしながら、私自身は母親の生理の血を一度も「見た」記憶がない。母親の寝室のドレッサーの引き出しに、買い置きのナプキンが入っていたのは憶えているが、タンポンは入っていなかった。私の母親はフルタイム勤務で夜勤もあったため、幼少時に毎晩母親と入浴していたわけではないが、それでも週に何度かそういう機会があったはずだ。生理中は避けていたのだろうか……? 母親の生理についてなんて、考えたこともなかった。生理については小学校の保健体育で習ったのが最初ではなかっただろうか。毎月、母は生理の血を流していたはずなのに、どうして見えなかったのだろうか。  この原稿を書くにあたって、母親に「生理中に子供とお風呂に入る時、どうしてたの?」と電話で確認したところ、彼女は「どうしてたか憶えてない」。私だけでなく、私の兄・姉の時もどうしていたか全然記憶がないらしい。母親曰く、仕事が忙しくて子供の世話は可能な限り祖父母に丸投げしていたため、そもそも子供と一緒にお風呂に入ること自体少なかった、とのこと。はっきりした回答を得られず残念だが、そういえば母親が生理痛で辛そうにしているとか、鎮痛剤を飲んでいるのを見たとかいう記憶もない。私の母親は、私とは違いあまり生理に振り回されない人生だったのかもしれないし、あるいは子供たちにその姿を見せないようにしていたのか、子供である私が母の体調に関心を持たなかったのかもしれない。  せっかくなので、私と入浴していたという祖母にも話を聞いてみたが、祖母が母を育てていた時代もまた、「私は働いていたから、子供をお風呂に入れるのは、ばあちゃん(祖母にとっての義母)がやってた」とのことだった。なんでも、義母が自分の子と入浴している間、祖母は他の家事(食事の準備や片付けなど)をやっていて、子供の入浴についてはノータッチだったそうだ。我が家においては、すでに生理が“上がった”女性が、子供の入浴を担当するのが慣習化していたようだ。あなたの家庭はどうでしたか。

清水良太郎キメセク逮捕で深田恭子と観月ありさに降りかかる火の粉

 12日、ものまねタレントの清水アキラ(63)の三男で俳優の清水良太郎容疑者(29)が、覚せい剤取締法違反(使用)で、警視庁目白署に逮捕されたことがわかった。逮捕当初は「(覚せい剤を)使った覚えはない」と容疑を否認していた清水容疑者だが、後に認めたという。  目白署などによれば、10日午後1時40分ごろ、東京・西池袋2丁目のラブホテルで30代の女性から「男に薬物を飲まさせた」と通報があった。捜査官が現場に駆けつけ、車でホテルから出ようとしていた清水容疑者を任意同行。尿検査をしたところ、覚せい剤の陽性反応が出たため、翌11日に逮捕したという。  清水容疑者は2016年6月に一般女性と結婚し、同年11月に第一子が生まれたことを発表している。今年2月には違法カジノ店に出入りした違法賭博疑惑を報じられ、芸能活動を休止。6月に復帰したばかりだった。  捜査関係者によれば、通報した女性はデリバリーヘルス(派遣型風俗店)で働くデリヘル嬢。女性は陰性反応だったが、清水容疑者は女性に無理矢理薬物を飲ませて「キメセク」を行おうとした、という見方が強い。薬物を摂取し、ハイになった状態で性行為を行う「キメセク」は、通常の性行為より快感を得やすい行為と言われていて、過去に覚せい剤で逮捕された清原和博や酒井法子もハマっていたとされている。夫が“デリヘル嬢とキメセクをしようとした”と知った妻の痛みは計り知れない。  清水容疑者は結婚前に交際した元カノたちが「豪華すぎる」ことでも知られている。2009年には6歳年上の女優・深田恭子(34)と交際。半同棲状態だったという。2011年には女優・観月ありさ(40)との熱愛、2013年にはタレント・新山千春(36)との不倫、2014年には女優・大塚千弘(31)の熱愛が報じられた。捜査関係者によれば、清水容疑者は覚せい剤を今年9月下旬ころから10月10日の間に使用していたそうなので、まさか深キョンらはキメセクの被害は被っていないだろうが、元カレがキメセク経験者というのは、とんだとばっちりだろう。  清水容疑者のキメセク疑惑は思わぬところにも影響を与えている。清水容疑者が7~9年前に出演していたミュージカル『テニスの王子様』(テニミュ)だ。 過去にテニミュでは、出演者の男性が未成年の女性に対する強姦致傷の疑いで逮捕された際、テニミュの製作委員会およびパッケージの販売元が、その男性すべての出演作のDVD販売を中止したことがあった。こうした前例もあるため、清水容疑者が出演していた作品DVDも廃盤になるのでは、という声が多数上がっている。なお、清水容疑者が出演していたテニミュ作品は4作。現在のところ、テニミュ公式からの発表はない。  清水容疑者は6月の復帰時に行ったライブで、違法賭博疑惑について「自分の不注意、甘さだったと思う」と涙を浮かべ謝罪し、「新たな気持ちで仕事に励みたい」としたばかりだった。薬物で逮捕される芸能人は後を絶たない。清水容疑者もそのことは知っていたはずだが、結果、家族やファンを裏切ることとなってしまった。

「芸能史上類を見ない赤っ恥」戸田恵梨香と成田凌、熱愛報道のウラで潰されたスクープ

 大ヒット月9ドラマ『コード・ブルー‐ドクターヘリ緊急救命‐THE THIRD SEASON』(フジテレビ系)での共演から、戸田恵梨香と成田凌が交際に発展していたことがわかった。有名美男美女カップルの誕生とあって、芸能メディアはおおむね好意的に取り上げているが、その裏では芸能史上でも類を見ない“赤っ恥事故”が発生していたようだ。 「第一報を報じたのは、10月12日付の『サンケイスポーツ』。『大人の色気がグンと増した演技派女優と成長著しい旬の俳優』などと、読んでいる方が恥ずかしくなるほどの提灯記事でしたが、すぐにその理由がわかりました。本当に両者の交際をスクープしていたのは、翌日発売の『フライデー』(講談社)で、『サンスポ』記事はいわゆるスクープ潰しだったんです」(スポーツ紙記者)  同誌記事には、両者の交際発覚とともに、先日一般ニュースでも報じられた成田による交通事故の顛末が詳細につづられていた。 「成田が戸田を同乗させて運転していたところ、『フライデー』のハリコミ車にぶつけてしまったとのこと。誌面には、警官の聴取を受ける2人の写真まで掲載されるという、今まで見たことのない展開の記事でしたよ。もともと戸田の事務所・フラームは、『フライデー』と長年犬猿の仲で、こんな恥ずかしい記事で交際がバレるならと、懇意にしている『サンスポ』に情報を流したのでしょう。それにしても、『サンスポ』記事の『一緒にドライブしていた目撃情報もあり、フランクに堂々と交際してきた2人の仲の良さは、関係者の間では知られていた』という記述は、ブラックジョークにしか思えませんが(笑)」(同)  しかし、黙っていられないのは、記事を潰された「フライデー」だろう。業界内でも同誌に対する同情の声が聞こえてくる。 「『フライデー』にとっては、棚ぼたのスクープだったことは否めないものの、『サンスポ』記者が情報番組に出演し、『自信を持ったスクープ』と言わんばかりに振る舞っていたら、そりゃあ腹も立つでしょう。『フライデー』は、戸田の事務所以上に『サンスポ』にブチ切れしていますよ」(テレビ局関係者)  ともあれ一番の醜態をさらしてしまったのは、戸田と成田の2人であることは間違いない。もともと“共演者キラー”で知られる、恋多き女優の戸田が、万一にも成田と添い遂げた日には、この一件も微笑ましいエピソードに変わるかもしれないが……。

「芸能史上類を見ない赤っ恥」戸田恵梨香と成田凌、熱愛報道のウラで潰されたスクープ

 大ヒット月9ドラマ『コード・ブルー‐ドクターヘリ緊急救命‐THE THIRD SEASON』(フジテレビ系)での共演から、戸田恵梨香と成田凌が交際に発展していたことがわかった。有名美男美女カップルの誕生とあって、芸能メディアはおおむね好意的に取り上げているが、その裏では芸能史上でも類を見ない“赤っ恥事故”が発生していたようだ。 「第一報を報じたのは、10月12日付の『サンケイスポーツ』。『大人の色気がグンと増した演技派女優と成長著しい旬の俳優』などと、読んでいる方が恥ずかしくなるほどの提灯記事でしたが、すぐにその理由がわかりました。本当に両者の交際をスクープしていたのは、翌日発売の『フライデー』(講談社)で、『サンスポ』記事はいわゆるスクープ潰しだったんです」(スポーツ紙記者)  同誌記事には、両者の交際発覚とともに、先日一般ニュースでも報じられた成田による交通事故の顛末が詳細につづられていた。 「成田が戸田を同乗させて運転していたところ、『フライデー』のハリコミ車にぶつけてしまったとのこと。誌面には、警官の聴取を受ける2人の写真まで掲載されるという、今まで見たことのない展開の記事でしたよ。もともと戸田の事務所・フラームは、『フライデー』と長年犬猿の仲で、こんな恥ずかしい記事で交際がバレるならと、懇意にしている『サンスポ』に情報を流したのでしょう。それにしても、『サンスポ』記事の『一緒にドライブしていた目撃情報もあり、フランクに堂々と交際してきた2人の仲の良さは、関係者の間では知られていた』という記述は、ブラックジョークにしか思えませんが(笑)」(同)  しかし、黙っていられないのは、記事を潰された「フライデー」だろう。業界内でも同誌に対する同情の声が聞こえてくる。 「『フライデー』にとっては、棚ぼたのスクープだったことは否めないものの、『サンスポ』記者が情報番組に出演し、『自信を持ったスクープ』と言わんばかりに振る舞っていたら、そりゃあ腹も立つでしょう。『フライデー』は、戸田の事務所以上に『サンスポ』にブチ切れしていますよ」(テレビ局関係者)  ともあれ一番の醜態をさらしてしまったのは、戸田と成田の2人であることは間違いない。もともと“共演者キラー”で知られる、恋多き女優の戸田が、万一にも成田と添い遂げた日には、この一件も微笑ましいエピソードに変わるかもしれないが……。

ダイバーシティは「取り戻す」もの 差別の歴史の中で生み出された”性的指向”と”性的嗜好”の違い

 人に何かを教えるということは、とても難しい。  どのような順序で説明すれば分かりやすいのか、どのくらいゆっくりステップごとに話せば付いてこれるのか、どのくらい相手を褒めながら進めていけば相手のモチベーションが下がらないのか——そういったことを多かれ少なかれ考えながら、私たちは人に何かを教えている。職場の新人にマシンの安全装置の解除方法を教える、塾の生徒に因数分解のやり方を教える、高齢者にタブレットの使い方を教える、あるいはバーで隣に座った人に最近あった面白い話をすることだって、相手が理解するためには、それなりの話す技術が必要なのだ。  以前、まだ習っていない地球の自転についてテストの回答に書いたらバツをつけられた小学生の話が話題になったことがある。実は筆者も影が動く理由を「地球が自転しているから」と書いてバツをもらったことがあり、腑に落ちない気持ちになったのを覚えている。小学校では影が時間とともに動く理由を低学年で「太陽が動いているから」と学び、そのあと学年が上がってから「地球が自転しているから」と学ぶようだ。  教育現場だって、子どもの成長度や理解力を真剣に考えてこうしているのだろう。単に「間違ったことを教えている」と非難することはできない。一方で、たまたま高学年で学ぶことを知っている児童にバツをつけることが正しいのかどうか、意見は分かれるだろう。  ところで、世の中はここ数年 LGBT ブームだ。行政も企業もメディアも、以前とは比べものにならないくらいに LGBT について考えている。LGBT の市民、LGBT の従業員、LGBT の顧客、LGBTの学生……私たち LGBT が社会のそこら中に存在していることに、ようやく気づいたらしい。  LGBT についてもっとちゃんと理解したい、学びたいという需要を受け、コンサルティング業者や市民団体が講座やセミナー、研修などを販売し、規模は小さいものの一つの産業を形成しつつある。「LGBT について教える」ための教材やノウハウの蓄積が、急ピッチで進んでいるのが現状だ。  これまでは、一人一人の当事者や小規模市民団体がそれぞれ独自に考えていたこと――それは個人の経験ベースだったり、感情にうったえるものだったり、草の根的に蓄積された知見だったりした――が、たまたま LGBT(あるいは「性同一性障害」などの特定のトピック)に関心を持った行政・企業の担当者を通して、発表の場を獲得して来た。  しかし今コンサルティング業者や市民団体は、説明すべき順序について、学習のペースについて、また学習者のモチベーションについて、ある程度統一的な見解を共有し始めている。LGBT について、どんな知識や考え方が基礎的、入門的とされるのかが決まりつつある――LGBT 学習要綱が作られつつあるということだ。  それは LGBT について未だに「語り」を求められる当事者の負担を減らすことになるだろう。しかし、学習要綱のようなものが画一化されることには不安もある。 改ページ 性的嗜好と性的指向は区別すべき?  LGBT についての基礎的な知識の一つに、「同性愛や両性愛、異性愛は性的嗜好ではなく性的指向である」というものがある。これ自体は以前から言われてきたことだし、少し LGBT(あるいは同性愛や両性愛)について学ぼうとすれば早い段階で知る内容ではあった。しかし当事者のあいだにも広範に広がり、日本でも基礎中の基礎の前提知識であるかのようになったのは、やはりここ数年のことのように感じる。  「性的嗜好ではなく性的指向」というのはつまり、特定の性的行為などを好むかどうか、特定のフェチシズムがあるかどうかなどを表す「嗜好」とは違い、同性愛、両性愛、異性愛はもっと根本的な、人がどの性別に対して性的関心を向けているかに関する分類ですよ、という主張である。「たかが“趣味”なのに差別とか大げさだよ」と思う人がまだ多くいる現代社会において、この「性的指向」という概念は確かに有効なのだろう。  しかしこれは、人間の性や、それが社会でどう解釈されているかなどについて学術的に研究する分野(ジェンダー研究、セクシュアリティ研究、クィア理論など)の勉強を進めていくと、必ずしも正しいとは言えないものだと知ることになる。つまり「性的指向」という概念は、「影が動くのは太陽が動いているから」と同じように、これから学ぼうとしている人たちが理解しスムーズに次のステップに進む、そのために学習の初期段階に配置されているものなのだ。  では、勉強を進めたときに見えてくる性的指向についてのより深い解釈とは――つまり「地球が自転している」にあたる部分とは――何なのだろうか。 性的指向は差別の歴史が生み出した  江戸時代の日本や古代ギリシアで男性同士の性愛関係が文化の一部であったことは、聞いたことのある人も多いだろう。そのどちらも、身分制度と密接に結びつき、また男性にのみ許された文化であった(女性はそもそも性的欲望の対象であり、主体にはなり得ないと思われていた)。また、「同性愛を禁忌とする」とされるキリスト教においても、禁止事項は肛門性交(アナルセックス)、口腔性交(オーラルセックス)などであり、同性同士に限らず異性同士でも行ってはならないとされていた。  つまりこれら前近代の社会において、男性同士の性愛関係は「身分にふさわしい嗜み」や「誰もがやってしまうかもしれない許されざる行為」として解釈されていた――男性同士の性愛が、まさしく「性的嗜好」であったことを意味する。現代社会で「嗜好」とされるものの多くは男性の欲望の様々な現れ方のバリエーションとして認識/容認/禁止されてきた歴史があるが、同性愛もかつてはそのひとつだったというわけだ。  それが近代を迎えて、大きく変わることになる。  男性が男性と性愛関係を結ぶのは趣味のようなものではなく人間としておかしい、とされるようになったのだ。それが、性的嗜好とは別のものとしての「性的指向」の歴史の始まりである。この背景には、人口を管理するために結婚や出生率、避妊などの把握が必要だと認識した近代国家と、人間の性愛について道徳や科学、医療、法律の観点から語り出した専門家たちの存在がある。そこでは、性的欲望を分類する最も重要な基準は、体格でも民族でも他の何でもなく「男女という性別」であるとされた。  前近代と近代以降の違いを理解するために一つの例を出そう。例えば私たちは、誰とも性的な行為をしたことがなくても「自分は異性愛者だ」とか「彼は同性愛者だ」と分類しているし、そう分類できると思っている。誰もが異性とも同性とも性愛関係を結んでしまうことはあるけれど身分によってはダメですよとか、誰もが異性とも同性とも性的行為をしてしまうことはあるけれどアナルとオーラルはダメですよとか、そういう理解を私たち近代社会に生きる人々は捨てたのだ。  それ以来同性愛は、個人の重要な特性/属性とみなされるようになり、異常な精神を持った人間の持つ性愛として扱われたり、犯罪者の持つ性愛として扱われたりといった歴史を歩むことになった。現代社会で私たちが経験する同性愛者差別の歴史の原点は、「性的指向」概念の発明にあったのだ。 改ページ それでも存在する、性的嗜好と性的指向の違い  ではなぜ「性的指向は性的嗜好と違うんだ」という主張が行われているのだろうか。性的指向が歴史上ある時期に発明された「人間の性に関する一つの解釈」に他ならないのであれば、嗜好も指向も同じではないか。しかしこれにはいくつか理由がある。  一つめは、同性愛という「性的指向」概念がいかに近代の産物であったとはいえ、私たちはその近代の延長線上に生きており、その「性的指向」概念に基づいて差別を受けているからである。この差別を解消するためには、「色々な人がいるよね」というダイバーシティー(多様性)の理念だけでは不十分だ。異性愛とは異なるものとして同性愛が、異性愛「者」とは異なる人間の種類として同性愛「者」が差別されてきたという歴史の先端に、私たちは生きているのである。  二つめは、たとえ差別を目的とした不当な分類だとしても、同性愛「者」としてカテゴライズされた人たちはそのカテゴリーを逆手に取り、あえてそのカテゴリーを受け入れアイデンティティーにすることで、「差別されている」という共通点を軸にサブカルチャーや社会運動を生み出してきたからである。また、そのプロセスで他の被差別カテゴリーの人々とも関わり、連帯をしてきた。そうして形成されたコミュニティに生きる当事者にとって「性的指向」は単なる性的欲望の分類ではなく、ライフスタイルや価値観などを含む大きな概念である。  三つめは、同性愛という「性的指向」の概念こそ未だに私たちの人間の性についての解釈の基盤になってはいるが、それを踏まえた上でどう判断するかの価値観が変わってきているからである。つまり、生まれながらの根本的な性質だから差別してよいのだという時代から、生まれながらの根本的な性質だから差別してはいけないという時代に変わってきたのだ。個人の重要な特性/属性としての「性的指向」概念に苦しめられてきた私たちだが、今後はむしろそれを利用し続けることが差別の解消につながり得るのだ。  太陽が実際に動いているのは事実である。だが、太陽系ごと動いているだけなので、地球上で影が動く理由を問う設問とは無関係だ。それと同じように、「性的指向と性的嗜好は違う」という主張も、歴史を見れば事実である。しかしそれは、人間がどう欲望を持つかという身体/精神の仕組みとは無関係だ。  私も LGBT という言葉を使うが、それは同性愛者やトランスジェンダー当事者の被差別の歴史を認識/尊重するためであって、本来的な意味で他の性的嗜好やアイデンティティのあり方と決定的に何かが違うからではない。 改ページ ダイバーシティー(多様性)は取り組むのではなく、取り戻すもの  昨今の行政・企業の LGBT 施策では、ことさら「ダイバーシティー」という言葉が掲げられる。それは「先進的な行政や企業が取り組み始めているもの」であり、目指すべき社会のあり方として啓蒙される概念である。しかしここには、抜け落ちている視点がある。  それは、ノーマティビティー(規範性)とマージナライゼーション(周縁化)である。ダイバーシティーを掲げる人々には、ぜひこれらの概念も知ってほしい。前者は「正しい性愛のあり方」「正しい女性のあり方」「正しい男性のあり方」などを決める価値観が社会全体に一定の強制力を持って存在している状態を指す。後者は、そのノーマティビティーによって「正しくない」とされるものを社会的に不利な立場に置く力のことだ。翻って言えば、このマージナライゼーションが脅しになって、ノーマティビティーに一定の強制力を与えている。 ダイバーシティは「取り戻す」もの 差別の歴史の中で生み出された性的指向と性的嗜好の違いの画像2  ゲイル・ルービンという文化人類学者が Thinking Sex: Notes for a Radical Theory of the Politics of Sexuality (1984) で示したこの図は、性のヒエラルキー(序列)を表している。ここでは、現代社会で何が正しい性愛のあり方だと思われているか、それがどう中心と周縁という位置関係に配置されているかが示されている。  もともと画質が悪く読みづらいが、「良い、ノーマルな、自然な、祝福された性」として異性間であること、婚姻関係の内部であること、モノアモリー(一人の人を愛する)であること、妊娠出産につながり得ること、商売でないこと、ペアで行われること、恋愛関係を伴うこと、同世代間であること、プライベートな空間で行われること、ポルノを利用しないこと、身体のみで交わされること、SM的要素がないことが中心に配置されている。  一方で、それに当てはまらないもの――同性間であること、婚姻関係の外部であることなど――は、「悪い、アブノーマルな、不自然な、忌まわしい性」として図の周縁に配置されている。つまり、性的指向も性的嗜好も、「良い、ノーマルな、自然な、祝福された性」を中心とする配置図において序列化され、非難や差別、抑圧、迫害の指針となってきたことがわかる。  本来ぐちゃぐちゃで、誰一人として同じ欲望を持つ人なんていやしないのだ。一人の人間を取り上げてみても、その人が10年後に今と同じ欲望を持っているかなんてわからない。それを私たちは無理矢理カテゴリー化して、序列化している。特に同性愛に関しては、人の特性/属性として、あたかも別種の人類であるかのように扱われ、抑圧されてきた。  そのカテゴリーを前提として「ダイバーシティー」を唱えるなら、それは単なる図鑑作りにしかならない。ダイバーシティーは初めから存在していたのだ。ぐちゃぐちゃな姿で。それを見えなくしているのがノーマティビティーとマージナライゼーションである。  私たちはダイバーシティーに「取り組む」(図鑑作りに励む)だけではなく、ダイバーシティーを「取り戻す」(ノーマティビティーとマージナライゼーションに抵抗する)必要があるのではないか。それは、一度「太陽が動いているから」を経由するのではなく、初めから地球の自転について教えたり、太陽系ごと太陽が動いていることを教える試みだ。  地球の自転から教えたって、太陽系の大きな動きから教えたって、私たちが宇宙について何かを学んでいることには変わりない。「太陽が動いている」から始めることが本当に全員にとって理解しやすい順序なのかすら分からない。だったら性に関しても、「性的指向と性的嗜好は違います」から始まらない説明だっていいし、もっと言えば「性的指向という概念の誕生と、それによる差別の歴史」から始まる説明だっていいはずだ。  そうして複数の体系だった教え方を作っていくにあたり必要となるのは、当事者含め LGBT について教えようとする側が、教わる側の理解力を過小評価しないことだろう。LGBT 当事者であるかないかに関係なく、性は多様である。逆に言えば、LGBT であるからといって複雑な人間の性愛について特別深い理解をしているとは限らない。さらに、差別を受ける経験は性に限らず民族差別や障害者差別、性差別など多岐にわたる。LGBT に関して教えてもらいたいと思っている人はどうせ何も分からないだろうと決めつけるのは傲慢であるし、むしろ私たち人間の多様性を無視することになるだろう。

AV女優・吉高寧々ちゃんが女から見ても可愛すぎる!! 超清純派の新人ながら完璧な美女っぷり

 今年5月、グラビア界に超大型新人がデビューしました。業界内でも「可愛い」と話題をさらった吉高寧々ちゃん(21)です。寧々ちゃんは透明感あふれる白い肌と大きな瞳が印象的な超絶美女。「カルピス」のCMが超似合いそうな清純派です。ぶっちゃけ、そこらの売れっ子アイドルより全然可愛い!  グラドルデビュー後は、イメージDVDと写真集を発売したり、週刊誌の表紙を飾ったりと、着実に人気と実績を積み上げていた寧々ちゃんですが、デビューから3カ月後、なんと「S1(エスワン)」からAVデビューしちゃうことに。こんな可愛い子がAVに出ていいの!? って言葉がお世辞にならない事件です!  この早すぎる転身について、S1のプロデューサーは、寧々ちゃん本人、および所属しているプロダクションのマネージャーから連絡があったとインタビューで語っています。デビュー作の撮影直前にも有名な週刊誌数社から表紙グラビアの撮影依頼があったそう……(そんなことある!?)。  寧々ちゃん本人はデビュー時、Twitterで「今まで、勉強も部活も何もかも中途半端で、そんな自分が嫌でした。人生で何か一つやり切りたいとずっと思っていました」「私はAV女優としてやり切る覚悟をしました」と心境を綴っています。  S1には明日花キララちゃんをはじめ三上悠亜ちゃん、橋本ありなちゃんといった可愛すぎるAV女優さんがたくさん在籍していますし、「恵比寿マスカッツ」に所属している人気女優さんも多いので、“S1を選んだ”というのはナイス判断だったのかもしれません。  寧々ちゃんはAV女優に転身しても、芸名は「吉高寧々」のまま。この芸名はマネージャーさんにつけてもらったそうで、寧々ちゃんいわく、似ていると言われる吉高由里子と大塚寧々をかけ合わせつけてもらったそうです。たしかに似ているかも。個人的には「筧美和子の上位互換版」な気もしています。  寧々ちゃんは顔も可愛いですが、身体もキレイ。公表サイズは身長155cm、バスト84cm(Cカップ)、ウエスト56cm、ヒップ85cmというスレンダーボディ。本人はグラドル時代、「もしも一つ願いが叶うなら何をお願いする?」のお題に「巨乳にしてください!笑」と答えていましたが、大きすぎず、小さすぎずのほどよいサイズの美乳さん。乳首の色もキレイだとファンの間で好評です。  寧々ちゃんは現在、アダルトビデオの祭典「AV OPEN 2017」の女優部門にエントリー中。この部門は、昨年高橋しょう子ちゃんが1位に輝いた部門でもあります。間違いなく、これから人気が上がっていくであろう、寧々ちゃんから目が離せません!

元夫の自殺と遺書公表を経ても……上原多香子の奔放ぶりに見る“忘れるオンナ”の顔

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。 <今回の有名人> 「私にできることないかな」上原多香子 「フラッシュ」(光文社、2017年10月17・24特大号)  自殺を容認する宗教を、私は知らない。  キリスト教やイスラム教では自殺を禁じているし、仏教では、自殺はもちろんのこと、親より先に死ぬことを“逆縁”と呼び、一番の不孝と定義している。なぜ自殺をしてはいけないかについては、各宗教の専門家に任せるとして、自殺はあらゆる意味でやめた方がいいのではないかと思う。  2014年にET‐KINGのTENN氏が自宅マンションの駐車場に停めた車の中で、自殺を図った。第一発見者は、妻である女優の上原多香子。自殺を図るような精神疾患を患っていた形跡もなく、行動に計画性が見られなかったことから、上原は若くして夫を亡くした悲劇の妻となった。  しかし、3年がたった今年の夏、TENN氏の遺族が「女性セブン」(小学館)に、自殺の真相を明かす。TENN氏の遺書によると、彼は子どもの望めない体であること、また上原が舞台で共演した俳優・阿部力と不倫していることが書かれていたという。上原の携帯を見たTENN氏は“証拠”として、上原と阿部のLINEのやりとりや、キス画像を携帯に保管しておいたそうだ。TENN氏の遺書に「多香子をあまり責めないでやってください」と書いてあったことから遺族は黙って葬儀を終えた。しかし、新しい恋人ができると、上原があっさり籍を抜いて連絡すら取りにくくなり、遺族側が上原に慰謝料を要求したが、上原は分割払いでの支払いを提案。誠意のない態度に怒った遺族は、遺書を公表することを決意したそうだ。  遺族の話をまとめると、TENN氏は上原の不倫を知ってしまったが、それを問い詰めることもできず、かといって、なかったことにすることもできず、離婚するのも嫌で死を選んだということなのだろう。  「多香子をあまり責めないでやってください」という発言は、夫としての最後の優しさと見ることもできるが、別の見方をすると、強い復讐心の表れ、もしくは、あてつけとも言えるのではないだろうか(嫁の不倫が原因で息子が自殺をして、責めないでいられる遺族はいないだろう)。  上原の不倫に絶望していたのだとしたら、話し合う勇気を持ってほしかったし、もしあてつけだとしたら、方法を間違っているように思えてならない。 ■自宅でオトコが自殺した女たち  自分が原因で誰かが死んだら、一生後味の悪い思いをする。そう考えるのは、善良な人である。意図的かそうでないかは別として、自殺の原因を作った側は、案外ケロリとしているのが、現実ではないだろうか。  例えば、歌手の藤あや子。若くしてデビューした藤だが、なかなか売れず、改名をして再デビューを果たす。「こころ酒」で大ヒットを記録した藤は、レコード会社の既婚男性と不倫関係に陥るものの、売れっ子になりつつあった藤が、別れを選ぶと、男性は「別れたくない」と藤の自宅で首を吊った。遺体の第一発見者は、学校から帰宅した藤の一人娘であることを当時の週刊誌は書き立てた。  あえて藤の家を死に場所に選ぶあたりに“あてつけ”な印象を受けるが、それで、藤の芸能人生命が絶たれたかというと、そんなことはない。『NHK紅白歌合戦』の常連となり、8歳年下の俳優・木村一八と交際したり、今年の春に20歳年下の一般人男性との再婚を発表するなど、人生を謳歌しているように見える。  女優の荻野目慶子も、不倫関係にあった映画監督に自宅で首をつられた過去がある。芸能界引退まで追い込まれた精神状態を救ったのは、故・深作欣二監督で、今度は深作と不倫関係に陥る。深作監督亡き今も女優を続け、現在は産婦人科医と結婚。自殺したオトコのことをどう思っているかは、本人でなければわからないが、表面的に見れば、藤や荻野目は再起不能になるほどの精神的ダメージを受けたとは考えにくい。  それは上原も同様である。TENN氏の自殺の原因が、上原の不倫であると報道されてから、彼女は芸能活動を自粛。自分の不倫が暴露され、芸能活動も自粛とあって、さぞ精神的に追い込まれていると善良な人は想像するだろうが、「フラッシュ」(光文社)によると、上原は恋人であるコウカズヤの公演後の打ち上げに参加し、「私に何かできることないかな」と妻のようにかいがいしくふるまいつつ、その一方でコウでない男性に抱きつくなど、変わらない奔放さを見せたという。この行動から考えると、上原にとってTENN氏のことは“なかったこと”になっているのではないだろうか。  誰かを傷つけてやりたい、懲らしめたい。誰しも人生のうちで一度くらいは、こう考えることがあるだろう。人によっては、実際に直接的な行動に移す人もいるかもしれないが、本当に怖い嫌がらせとは、相手のことをきれいさっぱり忘れてしまう、つまり生きている人の存在を殺してしまうことではないだろうか。尋常でなく忘れっぽい“超忘却力”を持つ人は稀にいて、そういう人に命を懸けた抗議をしてもムダなのだ。  超忘却力を持つ女性は、“天然”“おっとりしている”と男性には魅力的に映るようだ。コウが、ある日突然上原に忘れられる日が、1日でも遅いことを祈るばかりである。 仁科友里(にしな・ゆり) 1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。 ブログ「もさ子の女たるもの」

元夫の自殺と遺書公表を経ても……上原多香子の奔放ぶりに見る“忘れるオンナ”の顔

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな芸能人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。 <今回の有名人> 「私にできることないかな」上原多香子 「フラッシュ」(光文社、2017年10月17・24特大号)  自殺を容認する宗教を、私は知らない。  キリスト教やイスラム教では自殺を禁じているし、仏教では、自殺はもちろんのこと、親より先に死ぬことを“逆縁”と呼び、一番の不孝と定義している。なぜ自殺をしてはいけないかについては、各宗教の専門家に任せるとして、自殺はあらゆる意味でやめた方がいいのではないかと思う。  2014年にET‐KINGのTENN氏が自宅マンションの駐車場に停めた車の中で、自殺を図った。第一発見者は、妻である女優の上原多香子。自殺を図るような精神疾患を患っていた形跡もなく、行動に計画性が見られなかったことから、上原は若くして夫を亡くした悲劇の妻となった。  しかし、3年がたった今年の夏、TENN氏の遺族が「女性セブン」(小学館)に、自殺の真相を明かす。TENN氏の遺書によると、彼は子どもの望めない体であること、また上原が舞台で共演した俳優・阿部力と不倫していることが書かれていたという。上原の携帯を見たTENN氏は“証拠”として、上原と阿部のLINEのやりとりや、キス画像を携帯に保管しておいたそうだ。TENN氏の遺書に「多香子をあまり責めないでやってください」と書いてあったことから遺族は黙って葬儀を終えた。しかし、新しい恋人ができると、上原があっさり籍を抜いて連絡すら取りにくくなり、遺族側が上原に慰謝料を要求したが、上原は分割払いでの支払いを提案。誠意のない態度に怒った遺族は、遺書を公表することを決意したそうだ。  遺族の話をまとめると、TENN氏は上原の不倫を知ってしまったが、それを問い詰めることもできず、かといって、なかったことにすることもできず、離婚するのも嫌で死を選んだということなのだろう。  「多香子をあまり責めないでやってください」という発言は、夫としての最後の優しさと見ることもできるが、別の見方をすると、強い復讐心の表れ、もしくは、あてつけとも言えるのではないだろうか(嫁の不倫が原因で息子が自殺をして、責めないでいられる遺族はいないだろう)。  上原の不倫に絶望していたのだとしたら、話し合う勇気を持ってほしかったし、もしあてつけだとしたら、方法を間違っているように思えてならない。 ■自宅でオトコが自殺した女たち  自分が原因で誰かが死んだら、一生後味の悪い思いをする。そう考えるのは、善良な人である。意図的かそうでないかは別として、自殺の原因を作った側は、案外ケロリとしているのが、現実ではないだろうか。  例えば、歌手の藤あや子。若くしてデビューした藤だが、なかなか売れず、改名をして再デビューを果たす。「こころ酒」で大ヒットを記録した藤は、レコード会社の既婚男性と不倫関係に陥るものの、売れっ子になりつつあった藤が、別れを選ぶと、男性は「別れたくない」と藤の自宅で首を吊った。遺体の第一発見者は、学校から帰宅した藤の一人娘であることを当時の週刊誌は書き立てた。  あえて藤の家を死に場所に選ぶあたりに“あてつけ”な印象を受けるが、それで、藤の芸能人生命が絶たれたかというと、そんなことはない。『NHK紅白歌合戦』の常連となり、8歳年下の俳優・木村一八と交際したり、今年の春に20歳年下の一般人男性との再婚を発表するなど、人生を謳歌しているように見える。  女優の荻野目慶子も、不倫関係にあった映画監督に自宅で首をつられた過去がある。芸能界引退まで追い込まれた精神状態を救ったのは、故・深作欣二監督で、今度は深作と不倫関係に陥る。深作監督亡き今も女優を続け、現在は産婦人科医と結婚。自殺したオトコのことをどう思っているかは、本人でなければわからないが、表面的に見れば、藤や荻野目は再起不能になるほどの精神的ダメージを受けたとは考えにくい。  それは上原も同様である。TENN氏の自殺の原因が、上原の不倫であると報道されてから、彼女は芸能活動を自粛。自分の不倫が暴露され、芸能活動も自粛とあって、さぞ精神的に追い込まれていると善良な人は想像するだろうが、「フラッシュ」(光文社)によると、上原は恋人であるコウカズヤの公演後の打ち上げに参加し、「私に何かできることないかな」と妻のようにかいがいしくふるまいつつ、その一方でコウでない男性に抱きつくなど、変わらない奔放さを見せたという。この行動から考えると、上原にとってTENN氏のことは“なかったこと”になっているのではないだろうか。  誰かを傷つけてやりたい、懲らしめたい。誰しも人生のうちで一度くらいは、こう考えることがあるだろう。人によっては、実際に直接的な行動に移す人もいるかもしれないが、本当に怖い嫌がらせとは、相手のことをきれいさっぱり忘れてしまう、つまり生きている人の存在を殺してしまうことではないだろうか。尋常でなく忘れっぽい“超忘却力”を持つ人は稀にいて、そういう人に命を懸けた抗議をしてもムダなのだ。  超忘却力を持つ女性は、“天然”“おっとりしている”と男性には魅力的に映るようだ。コウが、ある日突然上原に忘れられる日が、1日でも遅いことを祈るばかりである。 仁科友里(にしな・ゆり) 1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。著書に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)、最新刊は『確実にモテる 世界一シンプルなホメる技術』(アスペクト)。 ブログ「もさ子の女たるもの」

LGBT差別記事1本につき648円。「みんなの意見」の形成を狙ったクラウドソーシングでの執筆求人

「『LGBTが嫌い』『LGBT擁護が苦手』な人向けの共感してもらえる記事の執筆依頼」  これはクラウドソーシングのプラットフォーム「ランサーズ」で募集されていたライティング仕事のタイトルだ。  現在は削除済みのこのライティング仕事には、1本648円で、下記のような依頼概要が記されていた。 * * * 「いま流行りのLGBTが苦手」 「彼ら・彼女らの人権はもちろん尊重されるべきだが、LGBTが嫌いなひとの意見も同等に尊重されるべき」 「LGBTぜんたいが嫌いとは思わないが、一部の主張が強いひとがきらい」 このような悩みを持たれている方が世の中にはたくさんいます。この悩みに寄り添い同じ悩みを持った人はたくさんいることを知ってもらい安心してもらう。そのための記事の執筆作業です。 ■対象の方 ・執筆記事の当事者の方 ・当事者ではないけれども周りに当事者の方がいて共感できる方 ・当事者ではないけれども、当事者に最大限寄り添った記事を書きたいと考えられている方 そのような方に記事を書いていただきたいと考えています。 ■必須で書いてもらいたい内容 ・人物像(年代、性別、所在地) ※人物像を記載いただくことにより、より読者の方に共感いただけるようになります。 ※もちろん、個人を特定できない範囲で問題ございません。 率直にいうと、決してほかの依頼と比較して報酬が高い業務とは言えないと思います。しかし、いま既にLGBTの方が嫌いでしかし主張できず、また、それらを周りの友人などに相談できず苦しんでおり、記事があることが救われる方達がたくさんいます。 そのような方を助けるためにも、力を貸してください。 ■注意点 当該記事は、LGBTをむやみに批判する記事を募集する記事ではありません。 * * *  クラウドソーシングといえば、今年9月に「クラウドワークス」で、政治系、特に保守色の強い記事の作成を募集する依頼が出ていたことが話題になっていた。  「共産党の議員に票を入れる人は反日」「日本にリベラルは存在しない。いるのは反日だけ」などの見出しが使われていた政治系ライティングの依頼は、利用規約および仕事依頼ガイドラインに反しているとして、クラウドワークスによって掲載を中断されている。詳細については、Buzz Feed Japanの記事を参照して欲しい(「嫌韓」「反日」の記事を書けば800円。政治系ブログ作成の求人が掲載中止に)。  なお「クラウドワークス」には過去に、「女尊男卑の風潮に独自の意見で論理的にモノ申してください」という題で、「女尊男卑の風潮(つまり、女性が優遇されてワガママばかり言って、男性が不利になっていく流れ)に対して、独自の意見を論理的に言語化する。フェミニズムに対するアンチの主張を行う」ことを目的としたライティング仕事も募集されていたが、「ランサーズ」で冒頭の仕事を募集していた依頼主も「『フェミニストが嫌い』『男女平等の主張が苦手』な人向けの共感してもらえる記事の執筆依頼」を出していた。やはり保守色の強い人びとは、フェミニズムや性的マイノリティに対するバッシングを行っているようだ。  こうした依頼で書かれた原稿はおそらく、キュレーションメディアや2chまとめサイト、ツイッターなどに放流され、「大きな流れ」として認知されるようになるのだろう。「これが、みんなが思っていることなんだ」「LGBTのことを取りあげるメディアはなんかおかしい」「世の中は女尊男卑になっていて、フェミニズムなんて間違っている」などとして。  クラウドワークスに掲載されていた募集記事は、その意図が明らかであり、依頼主の政治的主張も明示されていた。ある種の潔さがある。一方、冒頭で紹介したランサーズの「LGBTが嫌いな人への共感を寄せる記事」の執筆依頼は、クラウドワークスでのボシュ記事に比べると手口が巧妙だ。  依頼概要にある以下の一文。これは、読者にとってはお馴染みの話法かもしれない。 「彼ら・彼女らの人権はもちろん尊重されるべきだが、LGBTが嫌いなひとの意見も同等に尊重されるべき」  「人権は尊重されるべきだが」という一言を免罪符として使った後に、差別的な発言が展開される。この話法はインターネット上だけでなく、様々な場面でみられる話法だ。「~だが」に続く言葉が、その人の中心的な主張であり、たいていそこで「人権は尊重されるべき」と矛盾する、差別的な発言が行われる。おそらくその「人権」に、話題になっているマイノリティは含まれていないのだろう。  このランサーズでの依頼では、「~だが」のあとに、「LGBTが嫌いなひとの意見も同等に尊重されるべき」と続けられている。  「好き嫌い」は非常に厄介だ。ときに「確かに、誰かを嫌うのはその人の自由だし、それを表明できないのは表現の自由を侵害してる。だから、LGBTを嫌いと言ってもいい」と受け取られかねないからだ。  だが「差別」の問題を「好き嫌い」の問題にすり替えてはいけない。この依頼は、「好き/嫌い」という言葉を使用することによって、「あくまで個人の好き嫌いの問題であって、差別の意図はないのだ」と主張する体をなしているだけで(ご丁寧に、注意点として「当該記事は、LGBTをむやみに批判する記事を募集する記事ではありません」ともある)、実際には、偏見と差別の助長を促している。  繰り返すが、これは人権の問題であって、「好き嫌い」で済ませていいものではない。  性的マイノリティへの偏見や差別の問題はここ数年で社会にも徐々に共有されつつある。しかし、「LGBT」という語は広まっても、どこまで本気で受け止められているかは怪しいところだし、問題がすべて解決したとは到底言えないのが現状だ。現に、性的マイノリティであることを理由に、様々な権利が制限されているのが日本社会である。  こうした中で、「LGBTが嫌い」という共感を促すことを意図した記事が放流されるとどうなるだろう。この記事に共感した人びとが合流すれば、流れはどんどん大きくなる。そうした人たちはきっと、「人権は尊重されるべきだよね」と断りながら、LGBTを嫌うことを堂々と表明するようになり、偏見を助長させていく。強化された偏見は、より差別を深刻化させ、現時点でも制限されている様々な権利がいっそう失われていくことにもなりかねない。  権利が踏みにじられている人びとの状況を放置してまで、「嫌い」であることを表明して共感を促し、「みんなこう思ってる」として、偏見と差別を強化することは望ましいことではない。結局、差別は解消されないし、彼らは「人権」とは何なのかすらも考えない。そして「人権」のことを考えずにすむ人たちは、そうした声に埋もれた、マイノリティの声に耳を傾けることなく、いずれその声に気付くことすらなくなってしまう。  依頼主は概要の中にこんな一言を書いていた。 「周りの友人などに相談できず苦しんでおり、記事があることが救われる方達がたくさんいます」(原文ママ)  媒体の種類を問わず、メディアにはLGBTへの偏見や差別を垂れ流す記事や番組が多数制作されている。周りの友人などに相談できず、本当に苦しんでいるのは誰だろう。 (wezzy編集部)