慶弔休暇のない就業規則は違法じゃない 「ブラック企業!」と叫ぶ前に知っておきたい休暇の話

 こんにちは! ファイナンシャルプランナーで社会保険労務士の川部紀子です。  近頃、特に意識をしなくても、長過ぎる労働時間や休暇が取れないといった問題をニュースや新聞でよく見かけるようになったと思いませんか? 少なくとも「ブラック企業」という言葉を知らない人はいないのではないでしょうか。  私も先日4カ月間休みが無かったというアルバイト大学生を紹介している番組を見て、一個人として、また、労働関連の専門家である社会保険労務士として時代の変化を感じました。  若いアルバイトの人と会社側が休暇で揉めることはひと昔前には非常に珍しいことでした。でも今は、「休暇」など自分の労働条件に疑問や不満を持ち、行動を起こそうと考える人も増えてきているようです。  そこで今回は、最近は給料よりも重視する人もいると言われている「休暇」について、そして就業規則の超基本を解説したいと思います。 「就業規則」とは?  会社の「就業規則」を見たことはありますか? 就業規則には、会社が守るべきルールと従業員が守るべきルールなどが書かれています。これは自分が働いている会社の法律みたいなものです。  たとえ「これはひどい!」と反感を覚えるようなことが書かれていても、なんと、その就業規則は有効です。法律では、就業規則に従業員の同意までは求めていないので、たとえ従業員から反対意見があったとしてもそのルールは「有り」なのです。  でも、安心してください。あまりに酷すぎることが書かれていた場合は、自動的に労働基準法の内容となります。例えば就業規則に「労働時間は1日12時間」と書かれていたとしても、法律に違反しているので、一部の例外を除いて自動的に労働基準法が定める通り「1日の労働時間は8時間まで」となります。  つまり会社は、労働基準法に違反しない範囲で勝手にルールを決めて就業規則を作ることができるということです。従業員が10人以上であれば就業規則があるはずですし、いつでも自由に読むことができるようになっていなくてはなりません。 就業規則で確認すべきは慶弔休暇よりも有給休暇  「会社と闘う!」といった目的もなしに就業規則を開いても、小難しい文章が何十ページにも渡って書かれているので、すぐに読む気が失せる人が大半だと思います。ページをペラペラめくって、ぼんやり眺めるくらいになってしまうでしょう。  ただし、多くの人は慶弔休暇(結婚。出産、死などお祝いや不幸)の部分になると、わりとゆっくり読みます。そして「親が死んでしまったら○日休めるのか!」「結婚では○日? 旅行とか無理じゃない!」「え? お金がもらえるんだ!」「でも、無給だって!」などと心のなかで小さく盛り上がります。  中には慶弔休暇が書かれていない就業規則も存在します。そのことに気付くと「ブラック企業だ!」などという声を挙げたくなるかもしれません……が、実は労働基準法には慶弔休暇を定める義務が一切ありません。つまり就業規則に慶弔休暇が書かれていなくても、その会社は違法な「ブラック企業」ではないのです。結婚や身内の不幸などで休んではいけないというわけでもありません。  就業規則で慶弔休暇が定められていない場合、そして結婚・出産、不幸とは関係なく休みを取りたい場合に使えるものが「有給休暇」です。有給休暇は原則として理由を問わずに使えるものですから、就業規則ではまず有給休暇を確認すべきでしょう。なにせ、「有給」は読んで字のごとくお金をもらえるお休みです。慶弔休暇は無給の場合も多いです。  法律では、働きはじめてから6カ月が経過し、その間に全労働日の8割以上出勤した場合、10日分の有給休暇を取ることができるようになっています。その後も勤続期間に応じて増えていき、勤続6年半以上だと1年に20日分の有給休暇が取得できます。これ以下の基準は法律上NGですが、これよりも多いことはあり得ますし、勤続6カ月が経過していない従業員にも有給休暇を与える会社もあります。  なにより覚えておきたいのは、パートであっても有給休暇はあるということ。社内での呼び方が「パート」であるかどうかは関係ありません。週の決まった労働時間が30時間未満であれば有給休暇を取得できる条件に当てはまる可能性があります。例えば、週1回の勤務で年間48日働くという契約をしている方でしたら、働きはじめてから6カ月が経過し、その間に全労働日の8割以上出勤していれば、1日の有給休暇が発生します。  このケース、有給休暇が与えられる中でもっとも労働日の少ない例です。最低ラインとしてぜひ覚えておいてください。これ以上働いている方は有給休暇の権利があるかもしれません。せっかくの休暇ですから、さっそく就業規則を確認してみることをおすすめします。 まとめ  その他、通常の就業規則には、有給休暇を取得する際の手続き、有給休暇が余った場合の繰り越し(法律では2年で時効)についても書かれています。  就業規則は、「あれ?」と思った時にとても重要なものです。残業や休日出勤について、副業について、病気やケガによる休職についてなど、会社に対して疑問を感じた場合は、まず確認してみましょう。  特に従業員という立場では、法律上当然の権利と同時に、人間関係、コミュニケーションも重要になります。会社を辞めることなく円滑に働いていくためには、ふたつのバランスを取り続けなければいけません。バランスを崩した場合、時には会社を辞めなくてはならない事態に陥り、自分の人生が崩れてしまうこともあるでしょう。会社がどういう規則を設けているのかを、「闘うタイプのアクション」を起こす前に知っておくことが大切です。その上で、会社と上手に交渉するなり、あるいは転職の準備をするなどの対策をとるほうがよいと思います。  「働くこと」はお金に関係する重要な要素の1つです。自営業ではなく、お給料をもらって働くという方法を選んだ場合、会社での立場、会社との関係を心地よくキープしていくために、正しい権利を知ることと同時に、人間関係などバランスよく保っていけるよう、自ら備えておくようにしましょう。

野村周平、10代女子さえ「親に紹介したくない」…小出恵介よりも嫌われる異常事態!

 7月26日放送の『マジガチランキング』(AbemaTV)にて「10代の女子482人に聞いた、もしも彼氏だったら、親に紹介したくない俳優ランキング」が発表された。  同ランキング結果は、10位ムロツヨシ(41)、9位福士蒼汰(24)、同率7位綾野剛(35)、山崎賢人(22)、6位坂上忍(50)、5位加藤諒(27)、4位菅田将暉(24)、3位斎藤工(35)、2位小出恵介(33)、1位野村周平(23)。  3位の斎藤は「雰囲気がエロい」「悪い男の雰囲気が漂っている」といった理由で、あくまで「親に紹介しにくい」という気まずさゆえのランクイン。  4位の菅田については「かっこ良すぎてお母さんにとられちゃいそう」「イケメンすぎて、家族に二股かけられてるって言われそう」と、かっこよすぎて自分じゃ釣り合わないといったポジティブな理由でのランクイン。恐らく山崎、綾野、福士にもあてはまるだろう。2位の小出は「イケメンだけど遊び人という印象」「事件が起きてしまったから」と今年6月に報じられた未成年女性との飲酒、淫行報道が影響しているようだ。  そんな、警察沙汰でワイドショーを騒がせた小出を差し置いて1位を獲得した野村。理由は、「テレビ見ていると発言がぶっとんでいる」「常識がない。敬語とか使えなさそう」「スケボーとかのストリートの雰囲気で派手なイメージがある」と、野村よりも年下の10代女性にすら「常識がない」というイメージを持たれていることがわかった。  野村は、イケメン俳優として活躍する一方で、ネット上で一般人に喧嘩を売ったり、生意気な発言を繰り返すなど、その素行はたびたび悪目立ちしてきた。「世の中の男子ごめんシリーズ」として、広瀬すず(19)、武井咲(23)、本田翼(25)などとの仲睦まじいツーショット画像を見せつけるようにTwitterに投稿して非難を浴びたり、Instagramに愛犬を小脇に抱えて自転車を片手運転する動画を投稿して顰蹙を買うなど、自身のSNSをきっかけに炎上していたことも記憶に新しい。  さらに、今年3月に出演した『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)にて、映画で共演した大先輩の佐藤浩市(56)にダメ出しをされたため、「言い返してやった」とドヤ顔で自慢。その上、「酒の席で演技論を語る奴が嫌い」と話した後に「佐藤浩市さんは語ってきたすかね」と名出しで佐藤をディス。同席していた坂上忍やダウンタウンは終始苦笑いを浮かべ、坂上が「役者として出会ってたら絶対シメてます」と苦言を呈すると、野村は納得のいかない表情を見せていた。  2016年7月期の連続ドラマ『好きな人がいること』(フジテレビ系)の撮影期間には、飲み会でスタッフから真剣に窘められてしまうほど泥酔した挙句、転倒して顎を打ち流血。ドラマ撮影中にも関わらず顔に傷を作るという軽率すぎる失態を犯した。  イケメン俳優枠にも関わらず、女性支持の低さが露呈してしまった野村。最近では、2位の小出や、14位にランクインしていた成宮寛貴(34)のように、知名度を上げた俳優も一発アウトになるケースが相次いでいる。今後も俳優活動を続けていきたいのであれば、くれぐれも素行には注意したほうが良いだろう。 (ボンゾ)

【元Jr.独占手記】「キスマイはイライラしてた」Jr.から好かれていた先輩、嫌われていた先輩

 以前、滝沢秀明くんのことについてお話した時、「タッキーのことはJr.からとにかく愛され、尊敬されている先輩」と言いましたが、ほかにもJr.人気の高いデビュー組の先輩はいました。その逆で、嫌われている人も……(笑)。こればかりは、Jr.も人間だからしょうがないですよね! 今回はそんな「Jr.に好かれていた先輩と嫌われていた先輩」をこっそり教えようと思います。 【元Jr.独占手記バックナンバー】 ジャニーズの「BL営業」舞台裏――本当は仲が悪かったコンビとは? ヤラカシは全員「頭おかしい」――ハゲ散らかしたおじさん、スパイのような女も なぜJr.はタッキーが好きなのか? 滝沢秀明の「誰もマネできない後輩育成術」  例えば、先日大麻取締法違反で逮捕され、不起訴処分になった元KAT‐TUNの田中聖くん。世間の人からは、「危ない人」と思われているかもしれませんが、とっても優しい先輩で、多くのJr.から愛されてたし、信頼されていました。例えば、コンサート中、Jr.に「お前らどんどん前行け!」と声をかけてくれて、Jr.の士気を高めてくれるのが、とてもうれしかったという記憶があります。当時のJr.で、田中くんのことを「怖い」と思っていた人はいなかったし、田中くんはヤンチャっぽいのを“演じていただけ”だと、今でも思っています。  ほかのKAT‐TUNメンバーは……亀梨和也くんは、もう“王子様”って感じでJr.に限らず、周りから崇められてるタイプ。最近は“兄貴分キャラ”な上田竜也くんだけど、僕がJr.の頃は、楽屋から一歩も出て来ないし、しゃべんないから、謎の先輩でした(笑)。“ザ・芸能人!”って感じ。今とはイメージが違いますよ。やっぱり一番優しいのは、田中くんです。  あと、Hey!Say!JUMPのメンバーは、若くしてデビューしたので、Jr.との年齢差があまりなかったこともあり、「みんなで一緒にステージを盛り上げよう」「楽しくやろうぜ!」と、同じ目線で接してくれました。特に、Jr.歴の長い薮宏太くん、八乙女光くんは、Jr.のことを気にかけてくれていたイメージ。あ……でも、伊野尾慧くんも、薮くんと同じ年に入所してますが、正直そんな優しい印象はないです(笑)。  A.B.C‐Zはもう本当に優しいんですよ。先輩のバックについていた時期が長かったからか、全員が全員、後輩思いというか……Jr.にも一対一で接してくれるような、そんな先輩です。関ジャニ∞のバックも楽しかったなぁ。コンサートのとき、踊っていると絡んできたりして、特に丸山隆平くんが“Jr.を生かそう”という接し方をしてくれました。あと、ジャニーズWESTも、関西ノリでJr.を率いてくグループで、特に桐山照史くんは超いい人!! 丸山くん、桐山くんがいい人っていうのは、テレビからも伝わってきますよね。  嵐のバックにもついたことがあるんですが……嵐は大人数で召集されるから、MADEとか、メインでついているJr.以外は、メンバーと絡みもなかったと思います。ただただ「お仕事をしに行く」という感じで、バックについていた記憶がありますね。 「手を上げるんじゃないか?」とヒヤヒヤしたことも  逆に、Jr.から敬遠されていたのは、Kis‐My‐Ft2、もっと言うと舞祭組かなぁ(笑)。めっちゃ怖かった(笑)。Jr.側が何かミスをして怒られるのは当然なんですが、イライラをぶつけられているような怒り方をされるのが嫌でした。それに、Jr.に対して、「一緒にステージを作ろう」ではなく、「お前らはバックで踊っとけ」ってスタンスだったから、気持ちがついていかなかった。中でも、二階堂高嗣くんは、血の気が多いのか、Jr.に対してすぐカッとなってて、「まさか手を上げるんじゃないか?」とヒヤヒヤしたこともありました。  Jr.内でも、キスマイについて、「自分自身に余裕がないから、あんなふうに高圧的なんだよ」って言ってましたね。キスマイのバックにつく時は、怒られるのが面倒くさいから、ミスしないようにしっかりやろう……みたいな話もしてました。でも、Jr.のことを考えてくれる先輩のグループのバックにつくのと、キスマイのバックにつくのとでは、モチベーションが全然違います。やっぱり大好きな先輩のステージの方が頑張ろうって思ってました。まぁ、キスマイの話は、何年か前のことなので、今はものすごく優しい先輩になってるかもしれませんけどね。

性暴力被害に押し付けられる「かわいそうな人」か「聖人」というドレスコード。私は好きな服を着て生きていきたい

 前回は誰もが持つ「枠」について、セカンドレイプや私の経験を通じてお話しました。今回は実際に活動をしていくなかで感じた「枠」について考えていきます。  性被害に遭った影響で体調や精神状態に波はあったものの、私は2009年からセミナーやイベントを運営したり、経験を発信したり、被害に遭った方の話を聞いたりと、性暴力に関わる活動を続けてきました。そのなかでたくさんの“両極端な物の見方や考え方”に出会い、葛藤してきました。特にそれを強く感じた3つの場面を挙げていきます。  まずひとつは、性の情報についてです。性の話は性暴力・ジェンダーのような性の問題や妊娠出産といった生殖の話か、エロの文脈の娯楽コンテンツとしての性の話か、このどちらかの文脈で語られます。  学校での性教育は生殖や出産についてが中心で、性行為についてはAVや漫画などの娯楽コンテンツから学ぶしかない……ここにも両極端な状況があります。エロの情報やネタはあふれていますが、娯楽コンテンツはあくまで娯楽として楽しむものであり、正しい知識でも教科書でもありません。 「性暴力はダメ」では伝わらない  近頃ジャンプの性表現が話題になり、「“普通は”フィクションと現実の区別はつく」という意見が聞かれました。本当にそうでしょうか? 性に関する話題はネタとして以外に、身近に触れる機会も語ることもなかなかありません。そんななかでは何が性暴力で、何がそうではないのかがわかりません。性や性のコミュニケーションについて共通認識を持つ機会が少ないことから、知識が人によってばらつきすぎているので、何をしてはいけないのかというラインを見極めることが困難なのです。  結果、人と関わるうえで大事な、“互いを尊重する”というコミュニケーションが、セックスになると適応されず、「嫌がっているように見えても本当は喜んでいる」といったようなセックスに関する“暗黙のルール”ができている状態です。  私が関わる性暴力に関するイベントに来てくれたり興味を持ってくれたりする方のほとんどはとても真面目で、真剣に考えてくれました。しかしそんな状態だからこそ、「性暴力をしてはいけない」というだけでは真剣に考えてくれている人にしか伝わりにくいという現状があります。  性暴力と聞くと身構えて距離を置いてしまう人、自分には関係ないと考えている人が多くいます。自身や身近な人の身に振りかかり深刻になってから初めて、自分ごとになります。それは前回でもお話したとおり、それは前回でもお話したとおり、性暴力に遭う人は“普通”ではないと思っているからです。こうしてセックスについてや身近な性についてコミュニケーションを取ったり、正しい知識をつける機会が持てない現状が性暴力を招くことになるのではないかと思うようになりました。 詩織さんが求められたドレスコード  ふたつめは、被害者像についてです。私のように被害当事者であるとオープンにしたうえで人前に出ると、「傷ついて弱くてかわいそうな人」か「乗り越え、悟った強い聖人」か、どちらかのイメージを求められます。  フリージャーナリストの詩織さんが今年5月に記者会見を開いて準強姦の被害体験を告発したとき、その振る舞いや服装が話題になりました。それに対し、評論家の荻上チキさんが「被害者のドレスコードを求められる」と指摘されていましたが、これはまさに私自身がずっと抱えてきた葛藤でもあります。 “被害者らしいイメージ”というドレスコード(枠)ーーここから少しでも外れてしまえば、被害に遭ったことを認められない、ということを私も経験してきました。ネット上では「人前に出て話せるなら被害なんてなかったのでは」と、真偽を検証するという大義名分のもと、私が“イメージからいかに外れているのか”が議論されました。これはセカンドレイプです。  まず話を聞いてもらわないと伝えることもできないので、求められるコードに従い最低限は「被害者らしくしなければ」と思う気持ちと、「被害者のイメージとは違っても自分のままを伝えたい」という気持ちでいつも悩み、引き裂かれていました。  実際には、被害を受けた後に肌を露出をするのが怖くなってスカートを履けなくなる方や男性と接することに恐怖を感じる方がいて、そういった方々がどれだけ苦しむのかを伝え、性暴力の与える影響の大きさを発信していく必要がある、と思っています。  その反面、私個人は回復途中で発信をはじめたことで情報を多く得られる立場にあったり、もともと学生団体やボランティアなどさまざまな活動をしていたりといった、やや特殊な経歴のおかげで、環境には大いに恵まれました。信頼できる男性も周囲に多かったのです。そのため回復が早く、男性の友人も多く、恋愛やセックスもできていました。浴びせられた悪意と同じくらいには人の優しさや美しさに触れることができ、「人を好きでいるのを諦めたくない」と思い、被害経験をバネにして前向きに動けていました。 スカートを履いていいのか葛藤する  しかし発信する当事者に求められるのは、自身の経験を語ることです。それが一番説得力があるからです。そのなかで、回復が早くイメージに合わない自分のパーソナリティと、多くの被害者が被害を受けたあとに見られる傾向とを、どう分けて伝えればいいのかと葛藤していました。  また性暴力の被害当事者として、メディアに出る機会があるときは「スカートを履きたい」「でも短すぎないものを選ばないと、そこばかり指摘されてしまう」「服装の批判ばかりになったら肝心の話が届かない……」と、ジレンマを抱えながら自分の気持ちとイメージの折り合いを付けて服を選んできました。  本来は服装は関係ないと伝えたいのに、その枠を意識しながらバランスを取ろうとする自分の矛盾に罪悪感を感じていました。  そして私は実は“男性向けオタク”で、アニメや漫画、そしてシナリオのよいエロゲ(18禁美少女ゲーム)が好きという一面があり、それについても被害者のドレスコードに合わないと長く葛藤した経緯があるのですが、それに関しては回を改めて詳しくお話します。  被害の経験はあくまでその人の一部であり、さまざまな段階があります。私と同じように被害者のドレスコードと異なる経緯をたどった方も多くいるはずです。それなら多様なケースの一例として、自分のパーソナリティを隠したり抑圧したりしたくない。でもそう思う一方、「私が前に出たせいで、ほかの被害者が誤解されないようにしないと」と“代表者にふさわしい聖人”や“正しい被害者像”のドレスを前に揺れていました。 問題がごちゃ混ぜにされる弊害 「被害者のイメージを押し付けられたくないなら、被害に遭ったことを隠せばいい」 「文句をいわれたくないなら、スカートを履くのをやめたらいい」  そんなことも言われます。でもこれは、本来は別個にある問題の論点を混ぜて、自己責任論に収めているだけです。私はそれに抵抗していきたい。問題を“切り分け”て考えていきたい。wezzyでは、前回お伝えした“知らないことによる枠”の話とともに、“問題の切り分け”もひとつのテーマとしていきたいと思います。枠に収めてしまう理由のひとつは、この“切り分け”ができていないことにあるからです。  たとえば「文句をいわれたくないなら、スカートを履くのをやめたらいい」というのは「“本当に被害に遭ったのならスカートを履けなくなるはず”というイメージを持っている人が多い以上、被害者と認められたいならそれを受け入れるべきだ」ということになります。「露出していると性犯罪に遭いやすくなる」という誤解、そして「犯罪に遭うのは被害者が自衛していないことが原因だ」「傷ついているなら、被害に遭いやすい格好をできるわけがない」という、“問題をすべてごちゃ混ぜにした主張”なのです。  これは、たとえ誤ったイメージでも多くの人が持っているならそれに合わせるのが正しいという主張であり、その情報が正しいかどうかより、多くの人に受け入れられるかどうかが優先されているので非常に危険です。  そして性犯罪が起きる原因は加害者の認知が歪んでいるからであって、女性がスカートを履いているから起きるのではありません。たとえどんなに自衛をしても、加害者の認知が歪んでいれば想定外のことが起きます。  悪いのは「性犯罪」という加害行為です。女性が肌を出さずに“自衛”をしていないということが“加害を誘発する”原因として置き換えられ、それによって自己責任論がまかり通るようになるのです。こうして“問題の切り分け”ができていないことこそが、性犯罪に限らずさまざまな生きづらさの原因となっていると私は思います。  また自衛は権利であって義務ではありません。そして“被害に遭って傷ついて露出ができなくなる人がいる”ことは、“被害に遭った全ての人が露出ができなくなる”ことではありません。それを“露出をしている人が傷ついていない”や“被害に遭ってもいいと思っている”とすることは論理の飛躍です。そしてこの発言は、被害者に“行動の制限”を強要することになり、自由を奪い、結果、回復を阻害することになるのです。 服は#ハッシュタグに似ている  このようなことから私は、 「私はスカートが好きだけど、性被害に遭うのは嫌」 「着たい服を着て楽しく生きていきたい」 「被害者として縮こまるのではなく、自分で選択して生きていいい。まずは自分がそう発信することで、押し付けられたドレスを前に悩んでいる人をエンパワメントしていきたい」  そう考えるようになりました。  服は、SNSなどで使われる“# ハッシュタグ”と似ています。何を着るかは、自分で選択していいはず。被害者だろうとオタクだろうと、どんな要素を前に出すかは自分で選んでいいはず。気分で選んでいいし、相手や場面や目的によって変えてもいいはず。自分でアレンジしても作ってもいい。そして、どんな服があるのか知らなければそれについての情報を得ることはもちろん、着ることを選択することもできません。  本来ドレスコードは、その場を心地よく過ごすための心配りであるはずです。そのドレスコードができた前提が変化したり、そこに間違った認識、差別があるのならアップデートする必要があります。あくまで”服装”や“その場にいること”を選択できる状況にあるときに使われるべきもので、日常的に押し付けられるものではありません。また“着たい服を着ている”ことで別の原因から起きる不利益を肯定されるものでもないはずです。  こうして私は、性被害やセカンドレイプから始まる息苦しさは、被害自体や性の問題だけではなく「ドレスコードを押し付けられる」という、ごく身近なことからもきていると思うに至りました。私は「被害者のドレスコード」を求められましたが、たとえば、「自分を犠牲にしてでも家族に尽くさないと母親として失格」という「母親のドレスコード」のように、誰しも求められるドレスコードがあるのではないでしょうか。 身近な「ねばならない」に気づく  社会問題のなかにはさまざまな要素が絡み合っており、それぞれが独立しながらも関連しているものが多くあります。だからこそ、まずは絡んだ糸をほぐすようにして、問題を切り分ける必要があります。そのうえで違う分野と掛け合わせることで、興味を持つきっかけを作ったり、ひとつの分野だけでは解決できないことに、さまざまな観点が生まれるようにしたい。化学反応を起こしたい。  なにより私は私のままでいることで抑圧から自由になりたい。私にはほかにもいろんなパーソナリティがある。だったら、同じように多様な生き方をしている人がいることを伝えるために、知る機会や対話する機会を作る必要がある。  そう考えてこれまでさまざまな活動を続けてきました。今後はこのwezzyという場で発信することで、もっと多くの方に届いてほしいと思っています。  wezzyでは、自分の経験や身近な話題から社会問題につながるようなトピックを取り扱っていきます。生きづらさや社会問題というと少し遠いものに思われるかもしれませんが、なんとなく息苦しく感じてモヤッとする「こうあらねばならない」「こういうものだ」ということがみなさんの周りにもありませんか? そこから少し自由になるためにはどうしたらよいのか、一緒に考えていきましょう。

性暴力被害に押し付けられる「かわいそうな人」か「聖人」というドレスコード。私は好きな服を着て生きていきたい

 前回は誰もが持つ「枠」について、セカンドレイプや私の経験を通じてお話しました。今回は実際に活動をしていくなかで感じた「枠」について考えていきます。  性被害に遭った影響で体調や精神状態に波はあったものの、私は2009年からセミナーやイベントを運営したり、経験を発信したり、被害に遭った方の話を聞いたりと、性暴力に関わる活動を続けてきました。そのなかでたくさんの“両極端な物の見方や考え方”に出会い、葛藤してきました。特にそれを強く感じた3つの場面を挙げていきます。  まずひとつは、性の情報についてです。性の話は性暴力・ジェンダーのような性の問題や妊娠出産といった生殖の話か、エロの文脈の娯楽コンテンツとしての性の話か、このどちらかの文脈で語られます。  学校での性教育は生殖や出産についてが中心で、性行為についてはAVや漫画などの娯楽コンテンツから学ぶしかない……ここにも両極端な状況があります。エロの情報やネタはあふれていますが、娯楽コンテンツはあくまで娯楽として楽しむものであり、正しい知識でも教科書でもありません。 「性暴力はダメ」では伝わらない  近頃ジャンプの性表現が話題になり、「“普通は”フィクションと現実の区別はつく」という意見が聞かれました。本当にそうでしょうか? 性に関する話題はネタとして以外に、身近に触れる機会も語ることもなかなかありません。そんななかでは何が性暴力で、何がそうではないのかがわかりません。性や性のコミュニケーションについて共通認識を持つ機会が少ないことから、知識が人によってばらつきすぎているので、何をしてはいけないのかというラインを見極めることが困難なのです。  結果、人と関わるうえで大事な、“互いを尊重する”というコミュニケーションが、セックスになると適応されず、「嫌がっているように見えても本当は喜んでいる」といったようなセックスに関する“暗黙のルール”ができている状態です。  私が関わる性暴力に関するイベントに来てくれたり興味を持ってくれたりする方のほとんどはとても真面目で、真剣に考えてくれました。しかしそんな状態だからこそ、「性暴力をしてはいけない」というだけでは真剣に考えてくれている人にしか伝わりにくいという現状があります。  性暴力と聞くと身構えて距離を置いてしまう人、自分には関係ないと考えている人が多くいます。自身や身近な人の身に振りかかり深刻になってから初めて、自分ごとになります。それは前回でもお話したとおり、それは前回でもお話したとおり、性暴力に遭う人は“普通”ではないと思っているからです。こうしてセックスについてや身近な性についてコミュニケーションを取ったり、正しい知識をつける機会が持てない現状が性暴力を招くことになるのではないかと思うようになりました。 詩織さんが求められたドレスコード  ふたつめは、被害者像についてです。私のように被害当事者であるとオープンにしたうえで人前に出ると、「傷ついて弱くてかわいそうな人」か「乗り越え、悟った強い聖人」か、どちらかのイメージを求められます。  フリージャーナリストの詩織さんが今年5月に記者会見を開いて準強姦の被害体験を告発したとき、その振る舞いや服装が話題になりました。それに対し、評論家の荻上チキさんが「被害者のドレスコードを求められる」と指摘されていましたが、これはまさに私自身がずっと抱えてきた葛藤でもあります。 “被害者らしいイメージ”というドレスコード(枠)ーーここから少しでも外れてしまえば、被害に遭ったことを認められない、ということを私も経験してきました。ネット上では「人前に出て話せるなら被害なんてなかったのでは」と、真偽を検証するという大義名分のもと、私が“イメージからいかに外れているのか”が議論されました。これはセカンドレイプです。  まず話を聞いてもらわないと伝えることもできないので、求められるコードに従い最低限は「被害者らしくしなければ」と思う気持ちと、「被害者のイメージとは違っても自分のままを伝えたい」という気持ちでいつも悩み、引き裂かれていました。  実際には、被害を受けた後に肌を露出をするのが怖くなってスカートを履けなくなる方や男性と接することに恐怖を感じる方がいて、そういった方々がどれだけ苦しむのかを伝え、性暴力の与える影響の大きさを発信していく必要がある、と思っています。  その反面、私個人は回復途中で発信をはじめたことで情報を多く得られる立場にあったり、もともと学生団体やボランティアなどさまざまな活動をしていたりといった、やや特殊な経歴のおかげで、環境には大いに恵まれました。信頼できる男性も周囲に多かったのです。そのため回復が早く、男性の友人も多く、恋愛やセックスもできていました。浴びせられた悪意と同じくらいには人の優しさや美しさに触れることができ、「人を好きでいるのを諦めたくない」と思い、被害経験をバネにして前向きに動けていました。 スカートを履いていいのか葛藤する  しかし発信する当事者に求められるのは、自身の経験を語ることです。それが一番説得力があるからです。そのなかで、回復が早くイメージに合わない自分のパーソナリティと、多くの被害者が被害を受けたあとに見られる傾向とを、どう分けて伝えればいいのかと葛藤していました。  また性暴力の被害当事者として、メディアに出る機会があるときは「スカートを履きたい」「でも短すぎないものを選ばないと、そこばかり指摘されてしまう」「服装の批判ばかりになったら肝心の話が届かない……」と、ジレンマを抱えながら自分の気持ちとイメージの折り合いを付けて服を選んできました。  本来は服装は関係ないと伝えたいのに、その枠を意識しながらバランスを取ろうとする自分の矛盾に罪悪感を感じていました。  そして私は実は“男性向けオタク”で、アニメや漫画、そしてシナリオのよいエロゲ(18禁美少女ゲーム)が好きという一面があり、それについても被害者のドレスコードに合わないと長く葛藤した経緯があるのですが、それに関しては回を改めて詳しくお話します。  被害の経験はあくまでその人の一部であり、さまざまな段階があります。私と同じように被害者のドレスコードと異なる経緯をたどった方も多くいるはずです。それなら多様なケースの一例として、自分のパーソナリティを隠したり抑圧したりしたくない。でもそう思う一方、「私が前に出たせいで、ほかの被害者が誤解されないようにしないと」と“代表者にふさわしい聖人”や“正しい被害者像”のドレスを前に揺れていました。 問題がごちゃ混ぜにされる弊害 「被害者のイメージを押し付けられたくないなら、被害に遭ったことを隠せばいい」 「文句をいわれたくないなら、スカートを履くのをやめたらいい」  そんなことも言われます。でもこれは、本来は別個にある問題の論点を混ぜて、自己責任論に収めているだけです。私はそれに抵抗していきたい。問題を“切り分け”て考えていきたい。wezzyでは、前回お伝えした“知らないことによる枠”の話とともに、“問題の切り分け”もひとつのテーマとしていきたいと思います。枠に収めてしまう理由のひとつは、この“切り分け”ができていないことにあるからです。  たとえば「文句をいわれたくないなら、スカートを履くのをやめたらいい」というのは「“本当に被害に遭ったのならスカートを履けなくなるはず”というイメージを持っている人が多い以上、被害者と認められたいならそれを受け入れるべきだ」ということになります。「露出していると性犯罪に遭いやすくなる」という誤解、そして「犯罪に遭うのは被害者が自衛していないことが原因だ」「傷ついているなら、被害に遭いやすい格好をできるわけがない」という、“問題をすべてごちゃ混ぜにした主張”なのです。  これは、たとえ誤ったイメージでも多くの人が持っているならそれに合わせるのが正しいという主張であり、その情報が正しいかどうかより、多くの人に受け入れられるかどうかが優先されているので非常に危険です。  そして性犯罪が起きる原因は加害者の認知が歪んでいるからであって、女性がスカートを履いているから起きるのではありません。たとえどんなに自衛をしても、加害者の認知が歪んでいれば想定外のことが起きます。  悪いのは「性犯罪」という加害行為です。女性が肌を出さずに“自衛”をしていないということが“加害を誘発する”原因として置き換えられ、それによって自己責任論がまかり通るようになるのです。こうして“問題の切り分け”ができていないことこそが、性犯罪に限らずさまざまな生きづらさの原因となっていると私は思います。  また自衛は権利であって義務ではありません。そして“被害に遭って傷ついて露出ができなくなる人がいる”ことは、“被害に遭った全ての人が露出ができなくなる”ことではありません。それを“露出をしている人が傷ついていない”や“被害に遭ってもいいと思っている”とすることは論理の飛躍です。そしてこの発言は、被害者に“行動の制限”を強要することになり、自由を奪い、結果、回復を阻害することになるのです。 服は#ハッシュタグに似ている  このようなことから私は、 「私はスカートが好きだけど、性被害に遭うのは嫌」 「着たい服を着て楽しく生きていきたい」 「被害者として縮こまるのではなく、自分で選択して生きていいい。まずは自分がそう発信することで、押し付けられたドレスを前に悩んでいる人をエンパワメントしていきたい」  そう考えるようになりました。  服は、SNSなどで使われる“# ハッシュタグ”と似ています。何を着るかは、自分で選択していいはず。被害者だろうとオタクだろうと、どんな要素を前に出すかは自分で選んでいいはず。気分で選んでいいし、相手や場面や目的によって変えてもいいはず。自分でアレンジしても作ってもいい。そして、どんな服があるのか知らなければそれについての情報を得ることはもちろん、着ることを選択することもできません。  本来ドレスコードは、その場を心地よく過ごすための心配りであるはずです。そのドレスコードができた前提が変化したり、そこに間違った認識、差別があるのならアップデートする必要があります。あくまで”服装”や“その場にいること”を選択できる状況にあるときに使われるべきもので、日常的に押し付けられるものではありません。また“着たい服を着ている”ことで別の原因から起きる不利益を肯定されるものでもないはずです。  こうして私は、性被害やセカンドレイプから始まる息苦しさは、被害自体や性の問題だけではなく「ドレスコードを押し付けられる」という、ごく身近なことからもきていると思うに至りました。私は「被害者のドレスコード」を求められましたが、たとえば、「自分を犠牲にしてでも家族に尽くさないと母親として失格」という「母親のドレスコード」のように、誰しも求められるドレスコードがあるのではないでしょうか。 身近な「ねばならない」に気づく  社会問題のなかにはさまざまな要素が絡み合っており、それぞれが独立しながらも関連しているものが多くあります。だからこそ、まずは絡んだ糸をほぐすようにして、問題を切り分ける必要があります。そのうえで違う分野と掛け合わせることで、興味を持つきっかけを作ったり、ひとつの分野だけでは解決できないことに、さまざまな観点が生まれるようにしたい。化学反応を起こしたい。  なにより私は私のままでいることで抑圧から自由になりたい。私にはほかにもいろんなパーソナリティがある。だったら、同じように多様な生き方をしている人がいることを伝えるために、知る機会や対話する機会を作る必要がある。  そう考えてこれまでさまざまな活動を続けてきました。今後はこのwezzyという場で発信することで、もっと多くの方に届いてほしいと思っています。  wezzyでは、自分の経験や身近な話題から社会問題につながるようなトピックを取り扱っていきます。生きづらさや社会問題というと少し遠いものに思われるかもしれませんが、なんとなく息苦しく感じてモヤッとする「こうあらねばならない」「こういうものだ」ということがみなさんの周りにもありませんか? そこから少し自由になるためにはどうしたらよいのか、一緒に考えていきましょう。

ほしのあきの胸が消えて「どこいった!?」と大騒ぎ! MEGUMI、井上和香、熊田曜子…巨乳グラドルたちの“産後の胸”事情

 20日発売の「女性セブン」(小学館)、25日発売の「女性自身」(光文社)にて、立て続けに写真が掲載されたタレントのほしのあき(40)。夫・三浦皇成騎手(27)とのお祭りデート現場や、三浦のレース復帰に関するインタビューと、両誌ともに夫にまつわる話題だった。しかしネットでは、記事内容よりも「ほしのの胸」に注目が集まっている。  結婚前のほしのと言えば、「プロ巨乳」と呼ばれたほど、巨胸が売りのグラビアアイドルだった。デビュー当時はBカップだった胸を、「牛乳を飲んでから腕立て伏せをする」「プロテインを飲んで体重を増やし、胸以外の脂肪を落とすダイエット」などの地道な努力の末、1カ月程度でFカップまで急成長させたという逸話もある。  しかし、両誌に掲載されたほしのの写真には、当時の「プロ巨乳」の面影はなく、胸元は平たくスッキリしている。その姿に、ネットでは「胸どこいった!?」「痩せただけじゃここまでなくならなくね?」「完全に悲報」と驚きの声があがっている。  ほしのは、2012年4月に第一子を出産。産後、乳腺がしぼんだり、女性ホルモンが減少することで、出産前よりも胸が小さくなる女性は多く、ほしのもバストがサイズダウンする体質だったのかもしれない。  一方、同じく巨乳グラドルとして一斉を風靡したMEGUMIも2009年に第一子を出産しているが、まだ現役時代のHカップを保っているようだ。近年はメディアに姿を見せる際、肌の露出の少ない、ゆったりしたシルエットの洋服の着ていることの多いMEGUMIだが、今年6月に胸元がパックリと開いたトップスを着ている姿を自身のInstagramに投稿したところ、「オッパイ。ステキすぎる」「セクシー」と大反響。グラビア時代には、胸を大きく見せるポージングのテクニックに定評のあったMEGUMIだが、現在は、ただ直立しているだけでも服の上からでもわかる巨乳ぶりを維持している。  2015年に第一子を出産した井上和香(37)の「ワカパイ(Fカップ)」もいまだ健在の様子。井上もMEGUMIと同じく、自身のInstagramに投稿する近影はゆったりとした洋服を着ている写真ばかりだが、服の上からでもその存在感はしっかりと確認できる。  熊田曜子(35)に至っては、2012年12月に第一子、2015年に第二子を出産しているが、今年5月に発売された写真集『The GREATEST!』(講談社)にて、妊娠を期に「人生で一番(胸が)大きくなった」というB92(Jカップ)・W56・H84の抜群のプロポーションを披露。今も、Fカップと言われていた妊娠前のバストを維持しているとのこと。  女性の身体は、妊娠、出産、育児を経て、大きく変化する。かつて活躍した巨乳グラドルといえど、全盛期時代の身体と異なるのは当たり前であり、以前のように巨乳を売りにしてメディア露出していない現在のほしのの胸が小さくなった(ように見える)ことは、何の「悲報」でもない。同じように出産を通して胸が小さくなった人にとっては、「あー、わかる」程度のことではないだろうか。 (夏木バリ)

木村&嵐・二宮、『検察側の罪人』台本読み合わせは「空気最悪」「やる気なし」とスタッフ苦言

 木村拓哉と嵐・二宮和也が初共演する2018年公開予定の映画『検察側の罪人』。すでに撮影が始まっており、ジャニーズファンを中心に話題となっている同作だが、「7月上旬、出演者が一堂に会して行われた台本読み合わせの場では、空気が凍りついていた」(制作会社スタッフ)との証言が飛び出した。  雫井脩介の同題小説を実写化した本作は、原田眞人監督がメガホンを取り、木村と二宮のほかには吉高由里子などの出演も発表されているという。 「木村も二宮も、それぞれ自身のラジオ番組で、一緒に食事をしたことや、連絡を取り合っていることを明かすなど、ファンを喜ばせていました。しかし、読み合わせの時点では、現場の空気は最悪だったんです」(同)  撮影スタートに向けての重要な場で、一体何があったのか。 「読み合わせの際、主演の木村はなぜか小声で、終始ボソボソとセリフを読んでいるだけ。また、二宮も木村ほどのやる気のなさは見せないものの、怒りを表現するシーンでは共演者がドン引きするほどの“大根演技”を披露。本読み終了後、一部スタッフたちが『あの2人、やる気ないの?』と心配していたほどです」(同)  キャスト間の空気がおかしくなれば、制作側、特に演出陣が黙っていなさそうだが、この現場に限っては事情が違うようだ。 「台本の読み合わせは“本番のための空気を作っていく場”。たまに、脇役出演のベテラン役者なんかだと、棒読みで適当に済ませることもありますが、主演は当然真面目にやっていますよ。しかし、この現場では、監督より木村の方が力関係が上なので、当の監督でさえ木村に対しては口出しできない状況。スタートとしては最悪も最悪でしたね」(同)  また、木村、二宮と他共演者とでは、“演技力の差”も不安視されていたという。 「大倉孝二や八嶋智人、キムラ緑子など、舞台出身の実力派が名を連ねており、そもそもアイドルとは比較対象にならない。話題性だけはあるものの、この有様では公開後の客足も不安が残ります」(芸能プロ関係者)  せめて撮影現場では、2人ともやる気を見せていることを願うばかりだ。

ラジオ体操は“地域のつながり”を深めるのか? 騒音問題と小池都知事の“オリパラ気運醸成”

 小学生の娘が、今年の夏休みはラジオ体操に参加すると言い出したので、困惑した。開催場所は娘が通う公立小学校なのだが、自宅からは少し距離がある。早朝は人目が少なく危険なので、付き添わねばならない。「参加賞の代わりに何か買ってあげるから」とか、「ラジオ体操っていうのは戦争中に国民をまとめるために利用されたんだよ」(1)とか、最終的には「早起きがしたくない」と本当の反対理由を述べたのだが、娘の参加賞が欲しいという欲望を曲げることはできなかった。  かくして初日、不本意ながら6時に起きて娘とともにラジオ体操へ。  小学校の門前では、係の方が「おはようございます!」とにこやかに出席カードにハンコを押してくださった。つられてこちらも爽やかに挨拶をする。校庭に入ると、小学校の先生方や地域の方、小中学生がすでに30人ほど。最終的には100人を超える人数になっていた。  爽やかすぎてケチのつけようがない「ラジオ体操の歌」に合わせて行進しているうちに、なんだかとてもよいことをしている気分に。気がつくと、自己イメージとはかけ離れたキビキビとした動きで第一体操、第二体操と進んでいた。第二体操は実に中学生以来。すっかり忘れていると思ったのに、体が覚えていた。帰り道は充実感に包まれ、10日間の開催期間を皆勤してやる! と意気込んでいた。恐るべしラジオ体操。ファシズムに利用されたというのも頷ける。小池都知事が、東京オリンピック・パラリンピックへ向けての気運醸成にラジオ体操を活用しようというのも、ある意味、的を射ている。  そういえば最近、あちこちで「オリンピック・パラリンピック気運醸成事業」という文字を見かけるのだが、気運というのは無理矢理醸成するものなのだろうか。いずれにしても「気運を醸成するためにこのイベントをやっていますよ」と正直に宣言しているところがかわいらしい。知らないうちに取り込まれてしまうのが全体主義だから。  ラジオ体操から帰ると、テレビの情報番組で“ラジオ体操の騒音問題”を取り上げていた。つくば市に住むある女性が、東日本大震災の際に「地域のつながり」の大切さを実感したことから、ラジオ体操を主催したところ、近隣から「ラジオの音や話し声がうるさい」という苦情が出た。代替場所がないため、ラジオの音を極小に絞り、小さな声で会話をするように呼びかけ、継続しているという。  画像を見ると、住宅街にある駐車場で20人ほどの大人が体操をしている。一見して場所が悪いと感じた。普段はとても静かそうな住宅街である。それがある日突然、駐車場でラジオ体操が始まったら、迷惑に感じる人もいるだろう。大人ばかりが粛々と体操をする様子を見て、スタジオゲストからは「活気がないな」という声が。これはラジオの音を絞っているからというよりは、子どもや若者がいないせいだろう。まさしく少子高齢社会を象徴するような絵である。  実は私が一番気になったのは、騒音問題よりも「ラジオ体操が地域のつながりを密接にする」という発想である(良かれと思ってラジオ体操を主催した女性を批判するつもりは毛頭ない。しかもこうした考え方はごく一般的である)。  ラジオ体操の目的は本来「健康の増進」である。そこに別の意味あいを求めるから、会話が必要となり、話し声がうるさいということになるのではないか。結局この地域では、ラジオ体操が地域のつながりを深めるどころか、住民同士の揉め事の原因となってしまった。それならラジオ体操に拘らず、端的に「地域のつながりを深める会」を主催したほうがいい。  さらに、災害時の助け合いを目的とするなら、それこそ地域の小学校や中学校で開催すべきである。災害時に避難所となる場所に普段から集まることで、いざというときに避難所の設営や支援物資の分配といった協力体制を敷きやすくなるという利点はあるかもしれない。  「地域のつながり」というと美しいが、同じことを「地域のしがらみ」と感じる人もいる。したがって“つながりを深める”ことが必ずしもいいことだとは言えない。ましてや強制すべきではない。さらに「地域のつながり」をベースとした災害時対策は、つながりからあぶれた人たちを取りこぼす恐れもある。いずれにしても行政は、地域住民による消火活動や救助活動が最低限で済むよう、ハード面での対策を強化してほしい。  ところで、私のラジオ体操ブームは4日間で終わり、娘は防犯ブザーをぶら下げて、一人で通っている。私の場合、慣れない早起きのせいで、朝の爽やかさとは裏腹に夕方の倦怠感が著しく、「健康の増進」というラジオ体操の“本来の目的”を果たしえないと判断したので。 (1)ラジオ体操とファシズムの関係については、武田徹著『NHK問題』(ちくま新書)が詳しい。

「ちなみにだけど…私のフェラやばいよ」 凰かなめちゃんのエッチな誘惑に勝てるはずがない!

 完璧なルックスにモデル顔負けのスタイル――同性から見ても「可愛すぎる」AV女優さんたち。最近はTwitterやInstagramなどでも彼女たちの美貌を見ることができて、女性のファンも急増中です。AV女優さんたちは写真でもキレイだけど、カメラ越しでこそ本領を発揮する! そんな彼女たちの“エロ可愛い”AV作品を見ていきます。 かなめちゃんの誘惑からは誰も逃げられない!  可愛すぎるAV女優・凰かなめちゃん(21)がプレステージの人気シリーズ『彼女のお姉さんは、誘惑ヤリたがり娘。13凰かなめ』で、妹の彼氏をエッチに誘惑するお姉さんを熱演しています。  彼女の家でバイトから帰宅するのを待つことになった妹の彼氏。そこにいたのは、お酒を飲んでほろ酔いになっている姉・かなめちゃんでした。ハイ、この時点でもう可愛い。落ちた! というか、かなめちゃんって映像越しで見ても髪がサラッサラなんですよね。動くたびにサラサラ揺れる髪がホントきれい。  でも、妹の彼氏はかなめちゃんの誘惑を必死に耐えるんですよね。頑張れ! でもきっと無駄な抵抗だ! だってかなめちゃんの誘惑、マジでエロ可愛いんですもん……。下から「ちなみにだけど……私のフェラやばいよ」って言ったり、「ちゅんちゅん!」って彼氏の身体を突いたり、せんべいを口に咥えて「食べる?」って聞いてきたり。声のトーンを変えて「エッチなことされると思った?」っていやらし~く聞くかなめちゃんに落ちない人なんていないでしょ。  かなめちゃんって超アニメ声なんですけど、どうしてか全然ウザさとか感じないんですよね~。なんでだろう……超絶可愛いからか!! ローションのことを「気持ちよくなれる~魔法の~液体~♪」と言って許されるのはかなめちゃんだけですよ。きっと。  そしてこの作品のかなめちゃん、とってもSです。お気に入りのシーンは、妹があと5分で帰ってくるから、もうちんこ弄るのやめてと拒否する彼氏に「5分で出せるでしょ」と満面の笑みで言うかなめちゃん。いじわるすぎる!  あとびっくりしたのは挿入→射精後、彼氏のお腹に出た精子を全部舐め取っちゃったんですよ。こんなにきれいで可愛い子が! しかも彼氏のお尻の穴まで舐め責めるし……エッチだ!  彼氏の手首を手錠で固定して責めるかなめちゃんは、もはや“かなめ様”。見た目は可愛い天使なのに、中身はエッチな魔物でした。妹の彼氏も最初は必死に耐えていたのに、最終的には身も心もかなめちゃんのものに。そらなるわ。  そういえば、この作品って妹(藤波さとりちゃん)にバレて、姉妹丼って展開がありませんでした。その代わりに妹と彼氏のラブラブエッチが描かれていて。そのシーンがあったからこそ、背徳感がよりいっそう際立っていました。 【作品視聴はこちらからイケます↓】 ■PC版 ■SP版

“ニャンニャン流出”の女性タレントK、半同棲がウワサされた「超人気ジャニーズ」とは?

 “ニャンニャン写真流出”がウワサされていた女性タレント・Kについて、昨年、一部芸能マスコミの間で、ある男性との交際がウワサされ、取材が極秘裏に展開されていたという。2014年に“モデル風男性”との交際を「フライデー」(講談社)に激写されているKだが、昨年浮上していた“お相手”は、超人気ジャニーズタレントだったという。  7月29日発売の「実話ナックルズ」(ミリオン出版)では、Kとされる女性がサッカー選手とともに、仲睦まじい様子で寄り添っている写真を掲載。中には、2人が温泉に入っている全裸写真まであり、業界内外で波紋を呼んでいる。 「撮影されたのは6年前とされており、Kとされる女性と男性は、すでに深い関係ではなくなっています。直近ではまったくと言っていいほど、スキャンダル報道は出ていないKですが、昨年、ある男性との“半同棲疑惑”が浮上していたんです」(写真誌記者)  なんでもマスコミ各社が、若手ジャニーズ・Yの取材をしている際に、突然Kの名前が浮上してきたという。 「当時、Yはドラマ出演で知り合ったという別の女優と交際中といわれていましたが、破局が明らかになるとほぼ同時に、『Kを何度も自宅に招いているのではないか……』との情報が広まったんです。両者の共演はそこまで多くはないものの、もともと2人は同じ学校を卒業しているし、Kはジャニーズタレントとの共演が多いだけに、プライベートで交流を持つ可能性は否定できない。それだけに、一時期はYのマンションに張り付いている社も多く、Kが1人で中に入っていく様子もキャッチしていました」(同)  しかし結局、YとKの交際報道が世に出ることはなく、関係が続いているのかもわからないままだ。 「同時期、Yは下半身スキャンダル疑惑がネット上で浮上していたため、プライベートでの行動には、細心の注意を払っていた模様。ジャニーズサイドも、かなりナイーブになっており、どれだけ取材しても情報を得ることが難しくなってしまったことから、マスコミ各社は取材をやめてしまったんでしょう」(同)  その一件以来、“ジャニーズキラー”とウワサされるようになったというK。今回の流出とは、因果関係はないものとみられるが、隠された“裏の顔”が浮き彫りになりつつあるようだ。