竹内涼真の「ぶりっ子苦手」発言に「あざとい」「土屋太鳳こそ…」、インスタ大量自撮り、ナルシスト臭にも飛び火しフルボッコ!

 現在放送中の朝ドラ『ひよっこ』(NHK)の低迷していた視聴率を出演回から急上昇させ、7月発売の2nd写真集『1mm』(集英社)がAmazonタレント本ランキングにて1位を獲得するなど人気爆発中の俳優・竹内涼真(24)が、19日放送の『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系)に出演。「結婚観」や「好きな女性のタイプ」を明かしたことで批判の声が集まっている。  番組MCの久本雅美(59)に結婚願望の有無を問われると、「結婚はしたいです。ただ、当分できないですね。女の子のファンが減っちゃうじゃないですか」と明け透けに語り、好きな女性のタイプを聞かれると、「わかりやすい人がいい」「自分の気持ちがはっきりしていて、(話す時に首が)揺れなければいい。揺れる女の子が苦手」とぶりっ子が苦手なことを明かしていた。  なお、7月18日放送の『火曜サプライズ』(日本テレビ系)に出演した際にも「何か食べて『おいしい』と言って体を揺らす女の子が苦手」と語り、11日放送の『ぴったんこカン・カン』(TBS系)でも「わかりやすい人がタイプ」で、同じくゲスト出演していた高島ちさ子に対し「だから、すごく僕タイプなんです」と断言していた。  この放送を受け、ネットでは「女ウケ悪い“揺れる女”のことを嫌って言っておけば、女性から好感度上がると思ってそう」「こういう人に限ってぶりっ子にコロッと騙されるよね」「好感度上げようと思って発言したのに、あざとさが透けて見えて失敗したパターン」と厳しい声があがっている。  中でも、2016年8月公開の映画『青空エール』で共演した土屋太鳳(22)との関係を引き合いに出したコメントが目立っており、「だとしたら、土屋太鳳のぶりっこは最悪だろ。同性からめっちゃ嫌われるタイプだよ」「ぶりっこ嫌い、はっきりした子が良いと言いつつ太鳳ちゃんにデレデレしてるのはどうなのか……やっぱりぶりっこに弱いやん!」「太鳳ちゃんいい子とか言ってて、あんなにぶりっこで、自分をいい人アピールするとことか見抜けないなんてしょうもない奴かも……って思ってる」と“まったく見抜けていない”という声が相次いでいる。  3月に配信されたLINE LIVEの「竹内涼真チャンネル」内企画『さしめし』に古川雄輝が登場した際にも、好きな女性のタイプの話になり、竹内が昔から上戸彩が好きだったことや、中学時代に夏帆が人気だったと語った。しかし、古川に「太鳳ちゃんは?」と問われると「太鳳ちゃん、いい子ですよね」と即答し、「夏帆ちゃんと太鳳ちゃんなら?」という問いには「太鳳ちゃん~!」と回答し土屋の魅力を熱弁していた。  土屋太鳳が「あざとい」「ぶりっ子」とバッシングを受けているのは既報の通り。熱愛こそ噂の域を出ないが、同映画撮影の舞台挨拶では、撮影の合間には一緒にランニングをしたことを明かしたり、「現場に取り組む姿勢だったり、ストイックな姿に惚れました!」と大声で思いを伝えて土屋を嬉し泣きさせるなど、2人の仲の良さはファンの中では有名だ。しかし、土屋こそ首を振りながら「おいしい」と言うタイプ。  なお、『メレンゲの気持ち』出演時には、他にも「自信に満ち溢れてる感じが無理」「俺かっこいいでしょ、面白いでしょ感がすごい。ほんの少しでいいから控えめな部分があったらより良いのに」と竹内のナルシストぶりや、「上地雄輔っぽいぶりっこ感?」「この人の前で『男なのにぶりっ子の自撮りしてる人苦手』とか誰か言ってくんないかな」「自撮りをやめてほしい。なぜ事務所がぶりっ子を許しているのかが本気でわからない」と、竹内のSNSに加工アプリ・SNOWを使ったり、上目遣いで自撮りしている写真が大量に投稿されていることに嫌悪感を抱く声もあがっている。  ぶりっ子を苦手と言いつつも土屋太鳳にはベタ惚れ、ほとばしるナルシスト臭など、女性ウケの悪い要素が露呈してきてしまった竹内。同番組では「エゴサーチ好き」も明かしていたが、「前向きなのでいいコメントしか入ってこない」とのこと。であれば、自分こそが「ぶりっ子」扱いされ始めていることにもなかなか気付かないかもしれない。 (夏木バリ)

竹内涼真の「ぶりっ子苦手」発言に「あざとい」「土屋太鳳こそ…」、インスタ大量自撮り、ナルシスト臭にも飛び火しフルボッコ!

 現在放送中の朝ドラ『ひよっこ』(NHK)の低迷していた視聴率を出演回から急上昇させ、7月発売の2nd写真集『1mm』(集英社)がAmazonタレント本ランキングにて1位を獲得するなど人気爆発中の俳優・竹内涼真(24)が、19日放送の『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系)に出演。「結婚観」や「好きな女性のタイプ」を明かしたことで批判の声が集まっている。  番組MCの久本雅美(59)に結婚願望の有無を問われると、「結婚はしたいです。ただ、当分できないですね。女の子のファンが減っちゃうじゃないですか」と明け透けに語り、好きな女性のタイプを聞かれると、「わかりやすい人がいい」「自分の気持ちがはっきりしていて、(話す時に首が)揺れなければいい。揺れる女の子が苦手」とぶりっ子が苦手なことを明かしていた。  なお、7月18日放送の『火曜サプライズ』(日本テレビ系)に出演した際にも「何か食べて『おいしい』と言って体を揺らす女の子が苦手」と語り、11日放送の『ぴったんこカン・カン』(TBS系)でも「わかりやすい人がタイプ」で、同じくゲスト出演していた高島ちさ子に対し「だから、すごく僕タイプなんです」と断言していた。  この放送を受け、ネットでは「女ウケ悪い“揺れる女”のことを嫌って言っておけば、女性から好感度上がると思ってそう」「こういう人に限ってぶりっ子にコロッと騙されるよね」「好感度上げようと思って発言したのに、あざとさが透けて見えて失敗したパターン」と厳しい声があがっている。  中でも、2016年8月公開の映画『青空エール』で共演した土屋太鳳(22)との関係を引き合いに出したコメントが目立っており、「だとしたら、土屋太鳳のぶりっこは最悪だろ。同性からめっちゃ嫌われるタイプだよ」「ぶりっこ嫌い、はっきりした子が良いと言いつつ太鳳ちゃんにデレデレしてるのはどうなのか……やっぱりぶりっこに弱いやん!」「太鳳ちゃんいい子とか言ってて、あんなにぶりっこで、自分をいい人アピールするとことか見抜けないなんてしょうもない奴かも……って思ってる」と“まったく見抜けていない”という声が相次いでいる。  3月に配信されたLINE LIVEの「竹内涼真チャンネル」内企画『さしめし』に古川雄輝が登場した際にも、好きな女性のタイプの話になり、竹内が昔から上戸彩が好きだったことや、中学時代に夏帆が人気だったと語った。しかし、古川に「太鳳ちゃんは?」と問われると「太鳳ちゃん、いい子ですよね」と即答し、「夏帆ちゃんと太鳳ちゃんなら?」という問いには「太鳳ちゃん~!」と回答し土屋の魅力を熱弁していた。  土屋太鳳が「あざとい」「ぶりっ子」とバッシングを受けているのは既報の通り。熱愛こそ噂の域を出ないが、同映画撮影の舞台挨拶では、撮影の合間には一緒にランニングをしたことを明かしたり、「現場に取り組む姿勢だったり、ストイックな姿に惚れました!」と大声で思いを伝えて土屋を嬉し泣きさせるなど、2人の仲の良さはファンの中では有名だ。しかし、土屋こそ首を振りながら「おいしい」と言うタイプ。  なお、『メレンゲの気持ち』出演時には、他にも「自信に満ち溢れてる感じが無理」「俺かっこいいでしょ、面白いでしょ感がすごい。ほんの少しでいいから控えめな部分があったらより良いのに」と竹内のナルシストぶりや、「上地雄輔っぽいぶりっこ感?」「この人の前で『男なのにぶりっ子の自撮りしてる人苦手』とか誰か言ってくんないかな」「自撮りをやめてほしい。なぜ事務所がぶりっ子を許しているのかが本気でわからない」と、竹内のSNSに加工アプリ・SNOWを使ったり、上目遣いで自撮りしている写真が大量に投稿されていることに嫌悪感を抱く声もあがっている。  ぶりっ子を苦手と言いつつも土屋太鳳にはベタ惚れ、ほとばしるナルシスト臭など、女性ウケの悪い要素が露呈してきてしまった竹内。同番組では「エゴサーチ好き」も明かしていたが、「前向きなのでいいコメントしか入ってこない」とのこと。であれば、自分こそが「ぶりっ子」扱いされ始めていることにもなかなか気付かないかもしれない。 (夏木バリ)

『24時間テレビ』に「賛成か反対か」大調査! 出演者のギャラ問題、感動の押し売りに物議

 今年で40周年を迎える『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)。これまで数多くのドラマが生まれ、お茶の間に感動を届けてきた。しかしその半面、毎年のように“やらせ疑惑”や“出演者へのギャラ問題”が取り沙汰され、さらには、「障がい者を取り上げて、感動の押し付けをしているように見える」といった批判が巻き起こっているのも事実。そこで今回は男女100人に、「『24時間テレビ』の放送に賛成か反対か?」とのアンケートを実施してみた。 anketo0825 24jikan_marason 『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)公式サイトより  半数近い49票が集まった回答は、「どちらでもない」。その理由として最も多かったのが、 「個人的には好きな番組ではないので見なくなったが、この番組がきっかけで、いろいろなことを知ったり、募金をしようと思ったりする人がいないとは言えないので、賛成でも反対でもない」(30代/女性) 「本来のボランティア精神とはかけ離れているが、集まった募金で救われる人がいるのも事実」(20代/女性) 「個人的には毎回同じような放送内容で退屈なので、なくてもいいように思う。しかし、募金活動などはとても良いことなので、ありだと思う」(40代/女性) など、番組内容に魅力は感じないものの、チャリティーには意義があるとする声。  また、「募金活動や、難病や障がいについて知る機会を得ることは素晴らしいと思う。また、その姿を健常者が見ることによって、障がいとはなんなのかを考えるきっかけになるのはいいと思うが、去年いわゆる『感動ポルノ』と言われていた、障がい者の方たちが頑張る姿で感動を呼ぼうとするところはあまり賛成できない」(30代/女性)「放送そのものに反対はしないが、番組の企画や、感動を強要するような雰囲気は好きになれない」(40代/女性)と、難病や障害への理解を深める取り組みは賛同できるものの、その演出方法に疑問を抱くため、どちらともいえないと感じている声も散見された。  ただ、チャリティーに関しては、「内容は良い企画も多く、いつも共感したり感動したり、時には涙を流しながら見ているが、タレントに高額なギャラが払われていると聞いて以来、募金の意味がよくわからなくなったというのが本音である」(30代/女性)「募金を集めて寄付するのは良い。不思議に思うのは、出演者がお揃いのTシャツを着ていること、募金をしたら鉛筆とか何か物をくれること、マラソンに意味があるのかなど。お揃いのシャツを作る金があるなら、募金や寄付したらどうかと思う」(40代.女性)など、視聴者に募金を呼び掛けながら、出演者や番組自体に高額なお金をかけている矛盾を突く声が相次いだ。 [button_more text='賛成と反対派ほぼ半々']  次いで多かったのは「賛成」で26票。 「新鮮味がなくなってきた感は否めないが、実際に募金で集まったお金は役に立っているようだし、“社会的弱者も健常者も同じ人間である”という当たり前のことを再確認するいい機会だと思う」(50代/女性) 「テレビをきっかけに募金を集められるのはいいことだと思う。また、障がい者にネガティブなイメージを持つ人が多いが、何かに挑戦する姿を見て捉え方が変わるかもしれないと思える」(30代/女性) 「忙しい日常生活では忘れがちな、立場の弱い人や環境問題などについて考えるきっかけになる」(40代/男性)  など、40年続いて夏の風物詩となったことで、「1年に一度でもみんなのことを考える良い機会になる」(50代/男性)とする声が大半占めた。  とはいえ、「反対」も25票と、賛成派と1票しか違わない結果に。 「昼間は障がい者の特集をしながら、夜中はお笑い芸人やグラビアアイドルの下品な企画で、24時間行うコンセプトがまったく伝わってこない」(30代/女性) 「ただ24時間放送するだけで、中だるみ感が半端ない。それなら特番で短くしてもいいと思う」(20代/男性) 「どうもお祭り騒ぎ感が否めず見る気がしない。それなら普段からタレント頼みではない、社会問題の提起&解決模索番組を放送してくれた方が良い」(40代/女性) など、「芸能人同士で騒いでいるだけの放送であれば反対。何の目的で『24時間テレビ』を放送しているのか、もう一度、原点に立ち戻って考えるべき」(40代/男性)と、24時間で行うことや、番組構成に苦言を呈する声が多くを占めた。  また、「障がい者ばかり取り上げているが、障がい者だけが社会的弱者ではない」(30代/男性)「やらせがあまりにもひどく、障がい者を見せ物にしているようにしか見えない」(20代/女性)など、障がい者をクローズアップすることへ抵抗を感じるという声や、「制作費やタレント出演料を、そのまま寄付や、それで基金を設立した方が現実的でいい。はっきりいって偽善が多々あると思えてしょうがない」(30代/男性)「内容がどんどん胡散臭くなってきているのと、明らかにやらせである部分が如実に表れている。チャリティーと言っているが、出演者のギャラなどを考えると疑問に思う」(20代/男性)と、「結局は視聴率狙い。出演者もボランティアで出ているのなら賛成するが、お金をもらってやっているなら賛成はしない」(20代/男性)とする声もあった。  なお、ランナーが「当日発表」されるという異例の事態となったチャリティーマラソンに関しては、賛成派、反対派、どちらでもない派全てにおいて「やる意味がわからない」と、存続自体を疑問視する声が目立った。  今年の『24時間テレビ』も間もなく開始。今年はどんな展開をみせるのだろうか? [button_more text='その他回答はこちら'] ・どちらでもない 「反対とまではいかないが……。ずっと続いているマラソンコーナーはもうしなくてもいいのでは? と思う」(40代/女性) 「普段知り得ない病と戦っている人々を知ることは、とても大事な機会だと思うが、出演料が発生していたり、意味のないマラソンなどはどうなんだろうと思い、最近は冷ややかに見てしまう」(40代/女性) 「年々“お涙ちょうだい”という演出が嫌になってきたし、別にフィナーレに合わせてマラソンのゴールをしなくてもいいなど、もういいだろうと思うところもある。ただ、なくなったら難病や障害への理解がさらに遠のくと思うと、なくしていいとも思えない」(30代/女性) 「番組自体は良いと思うが、芸能人のマラソンやドラマなど、作り物が多いのが気になる」(40代/男性) ・賛成 「ヤラセだの感動のゴリ押しだの、ネット上では特に反対の声が多いが、実際芸能人見たさや地方でのチャリティーイベントによる募金のおかげで、恩恵を受けることができる人たちがいるのは悪いことではないと思う。年に1度ぐらいこのような番組があってもいいのではないか」(20代/女性) 「最近はあまり見ていないが、若いときは毎年見ていた。若い人や子どもたちにとっては、障がいやボランティアなどについて考える機会を与えてくれる番組だと思うので、ややマンネリ化はしているが、意義のある番組だと思う」(50代/女性) 「毎年募金をして然るべき所に寄付しているみたいなので賛成ではあるが、障がい者に無理なことをさせたり、芸能人に24時間マラソンをさせるのは意味がわからない」(40代/男性) ・反対 「障がいがある方をテレビで取り上げて、感動を演出することに抵抗がある」(20代/女性)、 「募金を集めるのなら出演者全員ボランティアでやるべきだし、24時間マラソンをやる意味が一番わからない。偽善的な番組と言われても仕方がない」(30代/女性) 「毎回お涙ちょうだいの雰囲気が嫌。言い方は悪いが、同情してくれ、という意識が透けて見えるのが嫌」(30代/女性)

『24時間テレビ』に「賛成か反対か」大調査! 出演者のギャラ問題、感動の押し売りに物議

 今年で40周年を迎える『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)。これまで数多くのドラマが生まれ、お茶の間に感動を届けてきた。しかしその半面、毎年のように“やらせ疑惑”や“出演者へのギャラ問題”が取り沙汰され、さらには、「障がい者を取り上げて、感動の押し付けをしているように見える」といった批判が巻き起こっているのも事実。そこで今回は男女100人に、「『24時間テレビ』の放送に賛成か反対か?」とのアンケートを実施してみた。 anketo0825 24jikan_marason 『24時間テレビ 愛は地球を救う』(日本テレビ系)公式サイトより  半数近い49票が集まった回答は、「どちらでもない」。その理由として最も多かったのが、 「個人的には好きな番組ではないので見なくなったが、この番組がきっかけで、いろいろなことを知ったり、募金をしようと思ったりする人がいないとは言えないので、賛成でも反対でもない」(30代/女性) 「本来のボランティア精神とはかけ離れているが、集まった募金で救われる人がいるのも事実」(20代/女性) 「個人的には毎回同じような放送内容で退屈なので、なくてもいいように思う。しかし、募金活動などはとても良いことなので、ありだと思う」(40代/女性) など、番組内容に魅力は感じないものの、チャリティーには意義があるとする声。  また、「募金活動や、難病や障がいについて知る機会を得ることは素晴らしいと思う。また、その姿を健常者が見ることによって、障がいとはなんなのかを考えるきっかけになるのはいいと思うが、去年いわゆる『感動ポルノ』と言われていた、障がい者の方たちが頑張る姿で感動を呼ぼうとするところはあまり賛成できない」(30代/女性)「放送そのものに反対はしないが、番組の企画や、感動を強要するような雰囲気は好きになれない」(40代/女性)と、難病や障害への理解を深める取り組みは賛同できるものの、その演出方法に疑問を抱くため、どちらともいえないと感じている声も散見された。  ただ、チャリティーに関しては、「内容は良い企画も多く、いつも共感したり感動したり、時には涙を流しながら見ているが、タレントに高額なギャラが払われていると聞いて以来、募金の意味がよくわからなくなったというのが本音である」(30代/女性)「募金を集めて寄付するのは良い。不思議に思うのは、出演者がお揃いのTシャツを着ていること、募金をしたら鉛筆とか何か物をくれること、マラソンに意味があるのかなど。お揃いのシャツを作る金があるなら、募金や寄付したらどうかと思う」(40代.女性)など、視聴者に募金を呼び掛けながら、出演者や番組自体に高額なお金をかけている矛盾を突く声が相次いだ。 [button_more text='賛成と反対派ほぼ半々']  次いで多かったのは「賛成」で26票。 「新鮮味がなくなってきた感は否めないが、実際に募金で集まったお金は役に立っているようだし、“社会的弱者も健常者も同じ人間である”という当たり前のことを再確認するいい機会だと思う」(50代/女性) 「テレビをきっかけに募金を集められるのはいいことだと思う。また、障がい者にネガティブなイメージを持つ人が多いが、何かに挑戦する姿を見て捉え方が変わるかもしれないと思える」(30代/女性) 「忙しい日常生活では忘れがちな、立場の弱い人や環境問題などについて考えるきっかけになる」(40代/男性)  など、40年続いて夏の風物詩となったことで、「1年に一度でもみんなのことを考える良い機会になる」(50代/男性)とする声が大半占めた。  とはいえ、「反対」も25票と、賛成派と1票しか違わない結果に。 「昼間は障がい者の特集をしながら、夜中はお笑い芸人やグラビアアイドルの下品な企画で、24時間行うコンセプトがまったく伝わってこない」(30代/女性) 「ただ24時間放送するだけで、中だるみ感が半端ない。それなら特番で短くしてもいいと思う」(20代/男性) 「どうもお祭り騒ぎ感が否めず見る気がしない。それなら普段からタレント頼みではない、社会問題の提起&解決模索番組を放送してくれた方が良い」(40代/女性) など、「芸能人同士で騒いでいるだけの放送であれば反対。何の目的で『24時間テレビ』を放送しているのか、もう一度、原点に立ち戻って考えるべき」(40代/男性)と、24時間で行うことや、番組構成に苦言を呈する声が多くを占めた。  また、「障がい者ばかり取り上げているが、障がい者だけが社会的弱者ではない」(30代/男性)「やらせがあまりにもひどく、障がい者を見せ物にしているようにしか見えない」(20代/女性)など、障がい者をクローズアップすることへ抵抗を感じるという声や、「制作費やタレント出演料を、そのまま寄付や、それで基金を設立した方が現実的でいい。はっきりいって偽善が多々あると思えてしょうがない」(30代/男性)「内容がどんどん胡散臭くなってきているのと、明らかにやらせである部分が如実に表れている。チャリティーと言っているが、出演者のギャラなどを考えると疑問に思う」(20代/男性)と、「結局は視聴率狙い。出演者もボランティアで出ているのなら賛成するが、お金をもらってやっているなら賛成はしない」(20代/男性)とする声もあった。  なお、ランナーが「当日発表」されるという異例の事態となったチャリティーマラソンに関しては、賛成派、反対派、どちらでもない派全てにおいて「やる意味がわからない」と、存続自体を疑問視する声が目立った。  今年の『24時間テレビ』も間もなく開始。今年はどんな展開をみせるのだろうか? [button_more text='その他回答はこちら'] ・どちらでもない 「反対とまではいかないが……。ずっと続いているマラソンコーナーはもうしなくてもいいのでは? と思う」(40代/女性) 「普段知り得ない病と戦っている人々を知ることは、とても大事な機会だと思うが、出演料が発生していたり、意味のないマラソンなどはどうなんだろうと思い、最近は冷ややかに見てしまう」(40代/女性) 「年々“お涙ちょうだい”という演出が嫌になってきたし、別にフィナーレに合わせてマラソンのゴールをしなくてもいいなど、もういいだろうと思うところもある。ただ、なくなったら難病や障害への理解がさらに遠のくと思うと、なくしていいとも思えない」(30代/女性) 「番組自体は良いと思うが、芸能人のマラソンやドラマなど、作り物が多いのが気になる」(40代/男性) ・賛成 「ヤラセだの感動のゴリ押しだの、ネット上では特に反対の声が多いが、実際芸能人見たさや地方でのチャリティーイベントによる募金のおかげで、恩恵を受けることができる人たちがいるのは悪いことではないと思う。年に1度ぐらいこのような番組があってもいいのではないか」(20代/女性) 「最近はあまり見ていないが、若いときは毎年見ていた。若い人や子どもたちにとっては、障がいやボランティアなどについて考える機会を与えてくれる番組だと思うので、ややマンネリ化はしているが、意義のある番組だと思う」(50代/女性) 「毎年募金をして然るべき所に寄付しているみたいなので賛成ではあるが、障がい者に無理なことをさせたり、芸能人に24時間マラソンをさせるのは意味がわからない」(40代/男性) ・反対 「障がいがある方をテレビで取り上げて、感動を演出することに抵抗がある」(20代/女性)、 「募金を集めるのなら出演者全員ボランティアでやるべきだし、24時間マラソンをやる意味が一番わからない。偽善的な番組と言われても仕方がない」(30代/女性) 「毎回お涙ちょうだいの雰囲気が嫌。言い方は悪いが、同情してくれ、という意識が透けて見えるのが嫌」(30代/女性)

「俺だってつらいんだ」に終始する男性の生きづらさ論/『介護する息子たち』著者・平山亮さんインタビュー【1】

 社会学者の平山亮さんは、去る2月に『介護する息子たち 男性性の死角とケアのジェンダー分析』(勁草書房)を上梓されました。その名のとおり「介護する息子」の研究をとおして、介護=ケアと、庇護される立場の男性性=息子性を分析する、男性によるあたらしいジェンダー論でした。  近年、「男性の生きづらさ」を照射する日本の男性学が注目されています。その「男性の生きづらさ」の例として挙げられているのは、一家の稼ぎ手=稼得役割になることが求められる一方、「イクメン」が理想とされ、家事や育児も期待されるたいへんさです。しかし、そもそもいまだに男女が平等とは言えない状況で、その「生きづらさ」は本当に的を射ているのか? 今回は、平山さんに「男性の生きづらさ」論によってごまかされてはならない、構造的な問題についてお聞きします。 「男の生きづらさ」論のごまかし ――「イクメン」という言葉が一般的になってきました。そして、そのイクメンのたいへんさとして、仕事と家事・育児の両立が挙げられます。しかし平山さんは、本書で、介護だけでなく家事ひとつひとつの背景には、それらが活きるように「感覚的活動」によって調整された「お膳立て」の存在を明らかにしていますね。 平山 「感覚的活動」は、ケアがケアとして成り立つために必要な、目に見えない(=頭のなかで行われている)準備や調整のことです。例えば家事だと、家族の好みや普段のスケジュールを把握した上で、一日の家事がうまくまわるように作業工程を考えたり、必要なものを揃えておくことなどが、「感覚的活動」に含まれます。本人すら気づかないくらい無意識に行われていることも多くて、たいていの場合、妻や母親が担っています。夫や父親は、彼女たちが試行錯誤の末に編み出した作業工程にただ乗りして家事・育児をしながら、「カジメン」「イクメン」を気取っている場合もあります。 ――そして、その感覚的活動を主に女性が担ってきたことが分析されています。 平山 私たちのようなジェンダー論者は、稼得役割と家庭内のケアの両立が困難な場合に、不利な状況に置かれやすいのは女性だということを問題にしてきました。まず、ケア役割からは女性の方が圧倒的に逃れにくい。母親が仕事に一所懸命だと「子どもをほったらかしにして」という非難はついてまわりますが、男性の場合、「イクメン」が理想化されている現在だからこそ、「仕事も育児も」な父親は、称賛されることはあっても世間の非難を浴びることはありません。また、社会全体で見たとき平均的に男性の方が賃金が高いのは事実ですから、「家族が生活を維持するためには男が働き続けられるように」と、女性がケアを一手に引き受けるのが「合理的」のようになる。 ――確かに、自分が稼ぎ手になるより専業主婦になりたい、出産後に育休や職場復帰が困難であるため子育てに専念する、と言う女性の声は決して少なくないように感じます。 平山 でもケア役割の比重が大きくなれば、女性が自分一人で生きていくことは難しくなります。自分自身で稼ぐ機会が制限されるためです。つまり「仕事かケアか?」という二者択一にしたまま、社会がよってたかって女性に後者を選ぶように仕向ける。かつ、その結果、仕事をする自由と、働いて稼いで自活する機会を奪っていくことが問題なんです。 ――「自由」とひとくちに言っても、自分自身が生きる稼ぎのために仕事をすることと、男性にありがちな、(自分ひとりはまかなえるうえで)「家族を養わなければいけない」というような仕事の必要性を訴える物言いは異なる、ということでしょうか。 平山 「男性だってどちらかしか選べないんだから不本意なのは同じじゃないか」というかもしれませんが、稼げる役割に駆り立てられる男性と、稼げる役割を奪われる女性を比べたら、結果的に自分一人で生きていくのが難しくなるのは明らかに後者です。両立の難しさにばかり焦点を当てる「生きづらさ」論は、両立が難しいことによって自活の機会にジェンダー不平等が生じていることにはほとんど触れない。だから、ジェンダー論としては不十分だと思います。 「聞く耳」を持たせる役割は男性にある ――『介護する息子たち』を読むと、「ごはんをあげる」という家事のタスクが成り立つための、「感覚的活動」「関係調整」といった、本人も気付きづらいお膳立ての重要性が見えてきます。たしかに、スーパーで買い物をするときって冷蔵庫の中身とか、数日先の献立を見越したりしますよね。一般的にはまだ「イクメン」は、買い物担当や掃除担当といった、タスク労働を妻の依頼でこなすだけという人も少なくないと思います。男性に「感覚的活動」について知ってもらうために、どうすればいいとお考えですか? 平山 「知ってもらうためにはどうすればいいか?」という時点で、男性は「勝って」います。「知ってもらう」ために言葉を尽くして伝えなければいけない立場に置かれるのは、女性だということになるからです。そして、男性は「言ってくれないからわからなかった」「言われてもわからない」「言い方が悪い」ということで、自分が「わからない」責任を女性に転嫁することができますから。男性の「わからない」は、自分が優位に立つための権力になっているんです。男性がそれを自覚しない限り、女性の不利な立場は変わらない。にもかかわらず、男性に自覚させる役割まで女性に求めるのは理不尽です。 ――その一方で、マンガ『逃げるは恥だが役に立つ』(講談社)は、フィクションとして理想的にすぎるきらいもありますが、「理屈っぽくても対話をする」ということを提示しようとしたひとつの達成で、昨年のテレビドラマも大ヒットし、社会現象にまでなりました。この作品のように、恋愛関係にしろ結婚などパートナーシップにしろ、良好な関係づくりのために理屈っぽい話をしなければならないのかも、とも思います。 平山 本当の意味での交渉は、対等な立場になければそもそも不可能ではないでしょうか。「わからない」の切り札をもっている男性の「勝ち」は、最初から決まっているんですから。男性が「わかる」ように論理立てて伝える義務が女性にある一方で、それが論理的かどうかを判定する権利も男性が握っているのが今の男女関係です。初めから圧倒的不利な立場にあるのに、女性に男性と「もっと話し合って」というのは酷に思えます。 ――わからないのをわからせるのは面倒、だったら自分でやった方がマシ、と女性側がなりがちなのもわかります……。 平山 女性が黙って自分でやってしまう方が「合理的」に見える仕組みができてしまっている、ということが問題ですよね。そして、この問題について「女性がもっと訴えていかなくちゃ」という方向にもっていくのも間違い。なぜなら、女性はもうこれまで散々言ってきたし、言わされてきたから。解決していないのは、男性がそれに応える気がまったくなかったからに過ぎません。男性に「聞く耳」を持たせ、変わるように仕向けるのは、私たち男性がやらなければいけないことです。 目の前の女性より「社会」を大事にする男性 ――本書でも、まず身近な女性の生存が脅かされる状況に陥らないよう、男性から手を差し伸べることへの提案が書かれています。そのためには「稼得役割につく」「面倒を見ている」という状態が相手を従属させているということに男性が気づかないといけませんよね。じゃあ女性も働きに出られるように……と素朴に考えたんですが、『きょうだいリスク』(朝日新書)では、今の日本の制度の上では共働きの家庭は相対的貧困に陥りやすいと書かれています。こうした状況を見ていると、この矛盾をどう考えたらいいのか……。 平山 別の選択肢を思いついても、それを選びづらくなるようにできている、と。 ――そうなんです。制度上の課題と、目の前の生活において生命の危機に陥りかねない構造もあって。 平山 制度的な矛盾は確かに私たちの一存では変えられませんよね。でも、「こういう制度は嫌だ」という意思表明は、しないよりはした方がずっといいです。現状で好都合なのは、そういう制度のもとで優位に立っている人たちです。優位な人の声は、優位だからこそ大きいのに対して、異を唱える声は、実際にそう思っている人の数より小さく聞こえます。そして、声が聞こえてこないから、余計に自分たちが「弱小勢力」に思えて、意を唱えにくくなる人がますます増えてしまう。だからこそ「嫌だ」という声があちこちから聞こえてくる意味は大きいです。 ――制度上合理的に考えたら、女性が外に働きに出るより男性が、という話になるけれど、そこで一旦踏みとどまって、男性側が育児休暇を取るとか、そういう実践を重ねていく、なども手でしょうか。 平山 個人でできることもあるのでは、という話ですね。『「家族する」男性たち』(東京大学出版会)の著者の心理学者・大野祥子さんは、男性のたいへんさを何もかも制度のせいにする論調に違和感を覚え、男性が個人レベルで、自分の周辺の世界から変えていけることを探ろうと奮闘されています。本のなかで印象的だったのが、大野さんが指摘されている「相手(女性)の状態に対する柔軟な配慮と歩み寄り」です。先ほども言いましたが、男性は役割分担の交渉のなかで優位に立ちやすい。男性にとって両立が難しいのは確かですが、ケア役割から一抜けできる可能性も、一抜けすることで経済力を持てる可能性も、男性の方がずっと大きいんです。そういう立場は、男性が自分で望んだものではないかもしれないけれど、大事なことは、その優位を自覚した上で、逆に言えば、女性がどんなに不利な立場に置かれているかを配慮した上で、目の前の女性にどう向き合うか、ですよね。 ――目の前の女性との結婚や同棲にためらう理由として、稼得役割を担って養える立場にならなければいけないのではないか? という考えにとらわれた男性の声はけっこう聞きます。しかし、先ほども話題にしたように、その時点で自分が相手を従属させる可能性を考えていないと言えそうですね。 平山 男性は「男性役割から降りたくても『社会』がそれを許してくれないんだ」と言うことがありますが、その「社会」は、目の前の女性が不利な立場に置かれるとしても、大事にしないといけないものなのでしょうか。翻って、「社会」に比べたらその程度にしか扱う気がない相手をパートナーにし続けたいなんて、女性からしたら、たまったもんじゃないでしょう。男性役割をこなすのにこんなに必死なのに女性にそっぽを向かれてしまう、と嘆く男性は、逆に、だからこそ不信の目で見られていることに気づかないと。 ケアを担う女性によって達成される男性の自立 ――介護と同様に重要なケアが家事や育児といった「家の中のケア」ですよね。『週刊金曜日』(2017年6月9日号)の杉田俊介さんと精神科医の松本俊彦さんが対談されていて、育児について、「無為で無駄な時間」「社会的な生産性のない時間」と言えてしまってるんですね。稼得が社会的な生産性という認識が共有されているように見え、驚きましたが、これはずっとフェミニズムが指摘してきたことですよね。 平山 その通りです。私が尊敬している岡野八代さんが『フェミニズムの政治学』(みすず書房)のなかで述べられていますが、女性が行ってきたケアは、赤ちゃんのように、自分の手がかからないと死んでしまう、生存できない存在に呼びかけられ、引き寄せられるように行われているものだと。そういう弱い存在をほうっておけない思いがある一方で、それとは別に、ケア役割を離れて「自分自身がしたいこと」も確かにあって、そこで引き裂かれる思いは女性の場合にももちろんあるでしょう。しかし、その「自分自身がしたいこと」を「そちらの方が生産性があるから」というふうにばかり女性が語るのかは疑問です。 ――子どもとしか過ごす時間がない、友達に会えない、趣味を楽しめないといった意味で、自分の時間がないという母親のぼやきは聞きます。「男性性」というものは「自立」と「自律」を志向している、と平山さんが『介護する息子たち』で分析されていました。その分析をとおして考えると、家事、育児を「社会的生産性がない」と言えてしまうのかもしれません。外に出て働かないと意味がない、と。しかし、近代以降はその家庭内のケアを女性がほとんど担ってきたわけですよね。 平山 女性にケアを任せ、家庭でそのケアにどっぷり依存して生きながら、そういう依存は、男性にとって「自立」を脅かすものではなかった。「自立」した男性の基準は、しっかり働きに出ていることであり、その「しっかり働く」は、自分や家族へのケアを自分以外の人に任せることが前提となっています。そういう意味では、男性にとっての誇るべき「自立」の達成とは、ケアを押し付けることのできる特定の女性がいることだと言えるでしょう。私がインタビューした息子介護者の中に、象徴的な例がありました。彼は既婚者で、親と同居しているのですが、妻に「あなたたち親子の面倒を看る気はありません」と断言され、そのため自分が親の介護をせざるをえなくなりました。後から気づいたのですが、彼は自分に妻がいることを医師や看護師には黙っていた。要するに独身を装っていたんです。妻に反旗を翻されて、同居の親の介護どころか自分の世話もしてもらえないということ、身近に女性がいながら自分でケアをせざるをえないことが、男性にとっていかに恥ずかしいことなのかがよくわかります。 ――以前ある男性が、育児をするために育休を取ったら周囲の男性から「尻に敷かれてるね」と言われた、というような話をされていました。 平山 ケアを押し付けられる女性がいて一人前、と信じているからこその揶揄ですよね。ただ、男性のケアのなかでも、妻に対する介護は少し違います。外国の研究でわかっていることなのですが、亭主関白な男性ほど、妻を介護する役割にうまく適応できる。なぜなら、介護を通して自分の妻を徹底的に自分の庇護のもとに置けるという意味では、今までと一貫して支配者の地位にいられるからなんです。でも、親や子どもに対するケアだと「妻にやらせること」が自分の支配を示すことになる。男性がケア役割を担う意味は「誰相手か?」で変わるんです。 ――それは興味深い話ですね。こうした評価を吹っ切って、主体的にケアの現場に立てる男性が増えないと、どうにもなりませんよね。 男同士の傷の舐め合いを理解してあげる必要はない 平山 さっき「男性が変わりたくても『社会』がゆるしてくれない」という話をしましたが、私たちがふだん気にする「社会」とは、実のところ、自分の周りの人たちのことです。メディアなどで流れている情報を自分の周りの人と話し、肯定あるいは否定しあうことで、現実感をもって受け入れていくのです。ここでいう周りの人は、必ずしも顔の見える関係だけではなく、例えば自分が属するオンライン・コミュニティの、直接は会ったこともない「仲間」の場合もあるかもしれません。 ――少し話は変わりますが、「社会から除外されている気がする」と感じるのは、周囲に理解されている、受け入れられているという感触がないときかもしれません。 平山 社会の影響は、周りの人を介して自分のもとに届くものだし、逆に、社会の影響を緩和してくれるのも周りの人です。自分が社会の「ふつう」とは外れる価値に従って生きていたとしても、その価値に賛同し合える相手、その価値を受け容れてくれる相手とつながっていれば、「ふつう」から外れることで感じる居心地の悪さは減るでしょう。 ――先ほどの育児休暇をとった男性が仮に、会社で肩身がせまいから妻に育児をお願いしたい、と既存の男女役割に基づいたジェンダー観でケア役割を放棄するとしたら、そのとき犠牲になるのは、妻の、職場やキャリアといった社会でのいどころだったり、自分で自分の食い扶持をまかなう自由、ですよね。 平山 私は、子どものときから「男子サークル」に馴染めず、その意味では「ふつう」から外れて生きてきました。だから、外れた自分を認めてくれる相手を探し、そういう相手とつながりをもてるよう必死でしたし、今でも必死です。そういう私にとって不可解なのは、「男だってつらいんだよ」と口では言う一方で、「ふつう」から外れることを可能にする社会関係をつくる努力は特にする気がないように見える男性の姿です。「俺たち、変わりたくても変われないよね」「そうそう、つらいよね」と「生きづらさ」を確認しあうだけならば、結局のところ、変わる気なんてほとんどないこと、それゆえに現状維持に加担していることを免罪しあっているに過ぎません。その上、現状を変えられない(その実、変える気もない)ことに折り合いをつけるための方法が、パートナーである女性に対して「俺だって大変なんだ」「わかってくれ」と「理解を求める」ことならば、ジェンダー関係は絶望的なまでに変わりません。 ――男性学が注目され、女性側から、その「生きづらさ」に理解を示す反応もあります。 平山 ケア役割を押し付けられながら、配慮や気遣いと結びついた「あるべき女性像」のもと、女性はそういう男性のあり方に「理解」を示すことを求められてきました。そして、そういう女性の「理解」に乗っかることで、冒頭で述べたような不平等は維持されてきたわけです。要するに、男性にとって「変わる」ことは、いつまでも二の次にしておける問題、解かなくても別に困らない問題だと思っていることが、あからさまなのです。ひるがえって、女性にとってジェンダーの「ふつう」と格闘することは、文字通りの死活問題です。「家庭こそが女性の居場所」という「ふつう」のもとでは、女性は自分の就労機会を奪われながら、稼得能力を伸ばす男性のために無償のケアを提供することになります。そして、もし男性の庇護から出て生活を試みれば、直ちに貧困の危機に直面する。それでは個人としてとても生きていけません。そして、このような困難が男性の変わらなさに由来しているというのに、それでも女性が男性の訴える「変われないつらさ」を理解し続けてあげなければいけない理由は、どこにあるのでしょうか。 (取材・構成/鈴木みのり)

「滝沢カレンは●●NG」テレビ局スタッフが明かす、藤田ニコルが“女性に好かれる女性タレント第2位”を獲得できた理由

 皆さん、ごきげんよう。アツこと、秘密のアツコちゃんです!  18日放送の『★金曜★ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)で“女性に好かれる女性タレント第2位”に選ばれたのは、1位の木下優樹菜ちゃんに次いで、なんと藤田ニコルちゃんでしたぁ。みんな、見てた? ニコルちゃんと同年代の女子たちからは「大好き! おしゃれなカリスマモデル」としてダントツの人気を誇っているけれど、アンケート対象者は18~50歳の一般女性100人。30代以降の女性たちからは支持されているのかな? とちょっと心配しながら見ていたの。でも、あらあら不思議。アラフォー女性たちからも「性格がナチュラル! 空気も読んでる」とのお褒めの言葉があって、ニコルちゃんも嬉しそうだったわ。  今まで、あんまりニコルちゃんとは接点がなかったアツだけど、ここ最近、主婦のお友達から「にこるんって可愛いよね」とよく聞くようになったのよね。急にどうしたの~? なんて不思議に思っていたら、ハイハイ、『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)効果だったみたい。お昼時に定食屋さんなんかに入るとテレビで『ヒルナンデス!』が流れてくることが多くて、主婦やお母さん世代だけじゃなくて、お父さん世代にも「にこるん? 知ってるよ。あんな娘がいたらいいな~」と評判も上々なのよ。  世間の株は上がってるけど、 何となく実態が掴めなくて取材では恐る恐る突撃してみたんだけど、実際に間近で見るにこるんは思ったより背が高くて、スラリとしたスレンダー体型。JK時代の金髪から黒髪系にしたことも影響してるのか、真っ白なツヤピカお肌の「清楚な可愛いお嬢さん」。すごーく身構えていたのに、ちょっと拍子抜けしちゃったわ。「オバチャンには興味ないわ」って感じで高圧的に向かってくると思いきや、ニコニコにこるんは「はじめまして、こんにちは!」と爽やかにご挨拶してくれて、ホント調子狂っちゃったわよ!  早速、「意外にも中高年層からの人気もあるよ」と伝えたところ、「さすが『ヒルナンデス!』というか、街でも今はいろんな人に声をかけてもらうんです。今まで私のことなんか全然知らなかった世代の人たちから『番組、見てるわよ。頑張って!』と言ってもらえるようになって、自分でもびっくりしました。すごく嬉しかった」と大感激していたの。  あら、ヤダ! かなりイイ子じゃない? と、すっかり魅了されて根掘り葉掘り聞いてみると、「生放送だから『ヒルナンデス!』の時は、言葉使いには気をつけるようになりました。取り返しのつかないことになっちゃうし。それに私の担当は月曜日なんで、月曜日って仕事や学校が始まる週の始まりの日でちょっとだるかったりするでしょ? そんな気持ちを少しでも明るくできるようになれればいいなって。元気なにこるんを見て、午後からもお仕事や授業を頑張ってもらいたいな」って、ホントちゃんと空気も読めるし、わかってるよね~!  何かもっと生意気なタメ口でしゃべるのかな、なんて想像していたんだけど、とんでもない。どの番組でもそうらしいのだけど「たまに毒舌にもなっちゃうけど、見てくれてる人たちの気持ちになって」きちんとコメントしてるんだって。「あんまり言葉を知らないから、それなりに勉強したり。とりあえずママとの約束もあって、通信制だったけど高校は死ぬ気で行ってました。高校を卒業してから少し自分の時間が増えたから、その時間は全部、自分のために使うことにしています」とのことで、たとえば「ジムに行って体を鍛えたり、美容院に行って髪の毛をケアしたり、エステに行ったり。ネイルにも行くし、美に関しては昔より気合いが入ってるかも。でも外見だけじゃダメだから、内面も成長させていかなくちゃって思ってるんです」と健気なお答え。  体を鍛えるにしてもストイックで、細い体なのにガンガン鍛えちゃうんですって。もしや加減を知らないの~? 最近のモデルちゃんで言えば、滝沢カレンちゃんなんかもジムで本格的に体を鍛えてるしね。バレエをやっていたから基礎はできているんだろうけど、カレンちゃんもあの「オトボケ発言」の裏では、地道に努力をしているのよ。ちょっと見る目を変えなくちゃと反省よ。  テレビ局のスタッフに聞いても「カレンちゃんは天然のすっとぼけキャラで、明石家さんまさんが番組に呼んでから一気にブレイクしたもんね。作り物じゃないから、どんな答えが返ってくるか一切読めないし、さんまさんじゃなきゃ回せないよ。スタッフもついつい腹抱えて笑っちゃう」そう。でも、その天然さが災いして「さすがに生放送で使うのはちょっと怖い」らしいの。  その点、にこるんは「たまに危ない時もあるけど、ちゃんと生放送対応もできるし、どんなバラエティーでも自然体の面白さを出してくる。わざとらしい言動は視聴者がすぐ見抜くからね。ワイプ芸も大袈裟じゃなくて、VTRがつまらない時はつまらなそうな顔して見ているし。正直な反応が、結果、好感度を上げてるんだと思う」とスタッフは分析していたわ。  そういえばにこるんの親友のみちょぱこと池田美優ちゃんも、スタッフによると「モデルの先輩たちにも可愛がられてるし、ギャルっぽい外見とは裏腹にちゃんと敬語も使えるんだよ。みちょぱもにこるんも、カレンちゃんも、オバカキャラだけじゃなくて、しっかりした意志を持ってるから、人間的にもスタッフから好かれてるよ」とのこと。みんな努力家なのよね!  にこるんとみちょぱは、大喧嘩をしてから「大親友になった」という大逆転があったって聞いてたから、勝ち気全開なのかと思っていたの。でも、にこるんったら「番組が終わってからエゴサーチとかするんだけど、いろんなこと言われて。昔はよくそれで2人で泣いたり落ち込んだりしたけど、今は冷静に見れるようになった。いろいろな意見があっていいし、参考になることも多いし」って言っててね。なんて頑張り屋さんなの。もうすっかり大ファンよ! 簡単な私を許してね(笑)。  画面からじゃわからなかった彼女たちのステキな素顔。ちゃんと会って聞いてみるものよね~! みんなモデルさんという職業柄、衣装にももちろんこだわっていて「流行はある程度、追う。でも基本は自分の着たいもの、好きなものが中心。みんなにマネしてもらいたいし、テレビは清潔感が大事だから、あんまり奇抜なものは着ないかも~。共演者の人たちと色が被ってしまう時もあるから、いつも何着か持っていくの。明るい色のものが多い」とか。うんうん、気遣いもできる良い子だわ。  高校を卒業してJKブランド゛がなくなってどーするのかしら? なんて勝手に意地悪目線で心配していたんだけど、こんなにキラキラしたにこるんビームを浴びて、目からウロコよ。まぁ、アツ的には深夜に放送している『恋んトス☆』(TBS系)でのにこるんの“冷静な毒舌”も大好きなんだけど、主婦に人気の清楚系にこるんもイイよね。『ヒルナンデス!』は水ト麻美アナウンサーの卒業で心配していたけど、にこるんがいれば大丈夫かな。これからは偏見なしに、ちゃんと心して番組を見させていただきますっ!

竹内涼真、「調子乗ってる」と共演女優暴露! 「確かにチャラい」「自撮りが寒い」と共感の嵐に

 8月24日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)に、大ブレーク中の若手俳優・竹内涼真がゲスト出演。同じくゲストで、現在放送中のNHK連続テレビ小説『ひよっこ』で共演した女優・佐藤仁美が、撮影当時、竹内のことを「調子乗ってんなとか思ってた」と漏らすと、一部ネットユーザーも「わかる」と共感を示した。  竹内は、『ひよっこ』で演じた島谷純一郎役が話題となり、さらに、現在放送されている連続ドラマ『過保護のカホコ』(日本テレビ系)の麦野初役でも人気を集めている。 「しかし、佐藤は朝ドラ共演時を振り返って、『あんまり竹内くんのこと好きじゃなくて』と明かし、その理由を『ちょっと調子乗ってんなとか思ってた』と暴露。その後、『好きになった』と話していましたが、ネット上には『やっぱり調子に乗ってる気がするよね』『確かにチャラいイメージ』といった指摘が寄せられています」(芸能ライター)  実は、竹内に関しては、以前から一部ネット上で「SNSの自撮りとか、写真で何かと上目づかいしすぎで寒い」「自分のこと、カッコイイってわかってるところがイケ好かない」「男であざといといえば竹内」などと言われていた。  また、竹内は2016年に『メレンゲの気持ち』(同)に出演した際、何かを食べて、体を揺らしながら「おいしい」と言うような女の子が苦手と明かし、“ぶりっこ嫌い”をアピールしていたのだが……。 「竹内は、同年の映画『青空エール』で、若手女優・土屋太鳳と共演し、そのイベントで『好き』『惚れた』と公言していたんです。土屋といえば、ネットユーザーから『ぶりっこ』と批判されている女優の代表格なので、『普通にぶりっこ女にコロッといってるじゃん』といった批判が噴出。そのほか、竹内が以前行ったLINE LIVEでは、視聴者から『抱いて』とコメントが来たのに対し、『抱く、抱く! 全然抱く! みんな抱くから! 抱くよ!』と返しており、こうした発言も『なんか軽いんだよね』『自信満々でムカつくわ』などと反感を買っていました」(同)  佐藤は竹内のことを「好きになった」というが、今後はネット上で、アンチが増えていくかもしれない。

超人気絵本作家・のぶみ『このママにきーめた!』が押し付ける母子の逃げられない結びつき

 『ママがおばけになっちゃった!』(講談社)が大ヒットした絵本作家・のぶみ氏。8月5日に刊行された新作絵本『このママにきーめた!』(サンマーク出版)も、飛ぶように売れているらしい。ちなみに、のぶみ氏は2017年夏(7~8月)に『あくまちゃんとてんしちゃん』『うんこちゃんけっこんする』など計4冊の絵本を量産しており、9月には『ママがおばけに~』の続編もリリース予定だ。  さて、『このママにきーめた!』の帯には「ママを喜ばせるために産まれました。」というメッセージが躍っている。絵本というからには親が子に読み聞かせるのが一般的だが、私は、とてもじゃないが自分の子には読み聞かせられないと思った。この絵本で描かれる世界を、私は肯定することも受容することもできない。 うんでくれて、うまれてくれて「ありがとう」  この絵本の設定・世界観では、赤ちゃんは自分で母親を選んでお腹を選ぶことができる。主人公の赤ちゃん<ぼく>は、「ママを喜ばせるため!」に、ママを選んでお腹にINした。  掃除もしない、料理もテキトー、ダイエットも続かない女性は、天界では“ダメママ”呼ばわりされていて、どの赤ちゃんもお腹に入りたがらなかったが、<ぼく>は「ようし! ぼく、このママにきーめた!」と選ぶ。「ぼくは、ママになんかしてもらいたいわけじゃないもん、ぼくは…ママをよろこばせるために、うまれるんだから」と。  <ぼく>は、ママのお腹でも大活躍で、ママに伝えたいことがあるとお腹を蹴る。そのことにママも気づいて、パパと一緒に大喜びし、<ぼく>とお腹越しの会話をする。しかし生まれてからはママに怒られてばっかりの<ぼく>は、ママに伝える。 「ぼくね、うまれるまえ、くものうえからママえらんだんだよ」 「そんなのママをよろこばせるためにきまってんじゃん! ぼくがすることでママがよろこんでくれなきゃ! ぼくは、うまれてこなきゃよかったってきもちになるよ」  そんな<ぼく>にママは感動し、泣きながら「うまれてきてくれてありがとう えらんでくれてありがとう」と伝え、<ぼく>も「ママ、うんでくれてありがと」というのだった。ちなみに<ぼく>には胎内記憶がある。のぶみ氏によるあとがきを読む限り、のぶみ氏は、本気で“子供は母親を選んで産まれる、母親を喜ばせるために”という概念を信じているようだ。「おなかのなかの記憶がある子どもたちに会って描いた絵本です」とのことで、その子たちは全員「ママをよろこばせるために産まれてきた」と言ったそうである。本当か……? 子供は母親を選んで産まれてくると信じることで、逃げられなくなる人もいる  のぶみ氏は6月に出版されているムック本『「ありがとう」は奇跡の言葉』(マキノ出版)にも寄稿しているのだが、「ありがとう」という言葉が大好きなのかもしれない。  子供の誕生を、多くの親は喜ぶだろう。私もそうだった。が、それは親が、自分のエゴで勝手に喜んでいるだけだ。誕生する子供自身には、親を喜ばせる義務や責任など一切ない。子供が成長していく過程で、親は折に触れて喜ぶかもしれないが、その時も、子供が親を喜ばせる必要なんてない。子供は、親を喜ばせなくていいし、産んでくれたことに対して「ありがとう」と感謝の気持ちを持たなくてもよいと私は思っている。  子供が親を喜ばせることや、親に感謝することそのものを否定する気はないし、したい子はすればいいのだ。が、親を喜ばせるとか感謝するといった行為を、親である側が賛美し、“幸せ”の符号を付けるのには、賛同できかねる。  「子供は母親を選んで産まれる」という思想はわりとポピュラーなものになりつつある印象だが、私がこれを肯定出来ないのは、母親との関係が良好ではない子供、母親からの虐待を受けている子供も、そんな母親を選んで産まれたと解釈されるおそれがあるからだ。ひいては母親の虐待によって死に至った子供も、そんな母親を選んで産まれてきたということになる。親子は血縁関係がすべてではない。残念なことではあるが、すべての母親が子供を慈しみ育てられるわけではないことは、昔から繰り返される様々な家庭での事件報道からわかることではないか。  また、子供を持つことを望みながらも子供に恵まれなかった女性が、私は選ばれなかったと劣等感を抱くかもしれない。いわゆる“自己責任”と紙一重な概念である、というのは言い過ぎだろうか  のぶみ氏はあとがきで、「世界をよくするのは、ママがどれだけよろこぶかにかかってるんですよ」と、母親に責任を丸投げしている。この絵本には父親も登場しているのだが、父親と子供の関係性、父親と母親の関係性に関する記述は一切ない。  このように、何重にも問題点を抱えているはずの同作。絵本というのは、複数人の大人を介して作られるものだと想像するが、2017年現在、関わった大人は誰も違和感を抱かなかったのかと思うと、背筋が寒くなる。

菜々緒は「172cmで46.0kg」SHELLYは「164cmで52kg」 女性の体重は40kg台が普通、という思い込みは異常!

 タレントのSHELLYさん(33)が、『Wの悲喜劇~日本一過激なオンナのニュース~』(AbemaTV)で、「女性の体重は40kg台が普通」だと勘違いしている人への問題提起をしました。  テレビでは「期間内に目標体重まで痩せる」というダイエット企画がたびたび放送されていますが、番組側がかなり無理なダイエットをさせているパターンもあるようです。タレントの野呂佳代さん(33)は、番組の企画で「それを食べて運動をすればいい」というダイエット法を実践し、1カ月で4kgの減量に成功。しかし、番組は2カ月で10kgは減量してほしかったらしく、野呂さんに「豆しか食べないで」と告げたとか。「それじゃ意味がない」と、結局その企画はお蔵入りになってしまったといいます。  それについてSHELLYさんは、「ダイエットで体重だけを見るのはおかしい」と指摘。続けて「女性の体重もみんな40kg台みたいな。私は身長164cmで52kg」と自分の身長・体重を明かして、「50kg台だよって話すと『ええ!』って言われる。でも(この体重は)普通です」「(女性の体重について)おかしな認識があるのでは」と苦言を呈しました。 藤田ニコルもデブ扱い  SHELLYさんが言うように、女性の体重は「おかしな認識」をされています。人気アニメ『けいおん!!』のキャラクターの身長・体重が公式に公開された時には、「太りすぎ」「女で50kg越えとかありえない」と話題になりました。数字を見ると、身長156cm・体重50kg(平沢唯)、160cm・体重54kg(秋山澪)……と、日本人女性の平均体重ほどであるにも関わらずです。ネットの掲示板などを見ると、「女性の体重は40kg台が普通、50kgからデブ」という認識が広がっているように感じます。2014年7月1日発売の「Seventeen」(集英社)では、「152cm、37kg」の女子が理想だと言う男子学生がいたほどです。  男性側の勘違いが広がる原因には、女性芸能人が公開した体重も関係しているかもしれません。過去には高橋みなみさん(身長148.5cm)が「37kg」だと明かし、佐野ひなこさん(身長160cm)は“ベスト体重”として「40kg」の体重計の写真を公開しました。菜々緒さん(身長172cm)も「46.0kg」と明かして、筋肉をつけて50kgにしたいと公言しましたが、彼女の身長を考えるとそれでも低体重です。ダレノガレ明美さん(身長164cm)は「42.6kg」、板野友美さん(身長154cm)は「36.8kg」であると明かしています。後藤真希さん(身長160cm)も産前に「43kg」と公言して、「ここら辺をキープ出来てたら最高」と語っていました。みなさん、健康的な体重を通り越して痩せすぎです。  加えて、日本人全体の痩せに対する信仰も勘違いを生む要因になっている可能性があります。「痩せている=スタイルが良い。キレイ」「太っている=ブス」と認識され、実際ファッション誌のダイエット特集で公開されたモデルたちの体重は、身長関係なく40kg台。そして、それが理想的と崇められています。昨夏に発売された『ヤセる!Popteen これが失敗しない10代ダイエット!!』(角川春樹事務所)では、藤田ニコルさん(身長167cm)が50kgを越えたことに警鐘を鳴らし、特集ページを組んでダイエットさせていたほど。藤田さんは高身長ですし、SHELLYさんが言うように、50kg台は「普通」なのに。そういった痩せ賛美は、一部の女性の間でも広がっています。  過去には、タレントの森泉さん(34)が「私60kgあるもん。173cmだから」と告白していました。40kg台信者からしたら、60kgは卒倒してしまいそうな数字ですが、森さんのスタイルはどこからどう見てもキレイ。そもそも、体重計の数字でデブかデブじゃないかを見るのもおかしな話なんです。正しい認識は、いつになったら広く浸透するのでしょうか。

全然微笑ましくない「男子は好きな子をいじめちゃう」説の迷惑

 「男子は、好きな子をいじめてしまう」という話を聞く。特に未就学~小学生の男児が、好きな女児のことがかわいいあまり、ついちょっかいを出してしまう、という意味合いで、どことなく“微笑ましい”ニュアンスを使われることが多い。  ただ、いかんせん当該人が未就学~小学生の男児で、自身の気持ちを理解・言語化するのが難しいであろうこともあり、本当に「好きだからいじめている」のか真相は謎だ。いずれにせよ、男児にちょっかいを出された女児にとっては大概、迷惑な話だろう。  ある意味、育児および性別ステレオタイプ、というか恋愛の“神話”として機能している「好きだからいじめちゃう」言説。男児に限らず、成人男性においても「好きだからいじめちゃう」がアリだと考える人は多いようだ。小学館が運営するwebサイト「メンジョイ!」で、そうした内容の恋愛記事を2本同時に見つけた。 ▼無神経…いや愛なんです!批判っぽいけど「実は脈アリ」なセリフ4つ   交際しているわけでもない男性から否定的な言葉をぶつけられると嫌な気持ちになるものだが、「けれど、そんな批判フレーズにも、実は彼からのドクドクと脈打つ愛のサインが隠されていたとしたら!?」とのことで、「批判っぽいけど“実は脈アリ”なセリフ」が4パターン提示されている。 パターン1:「なんでそんな短いスカート履くの?」 パターン2:「化粧濃くない?」 パターン3:「その服、変じゃない?」 パターン4:「口、クサくない?」  関係性によってはセクシュアル・ハラスメントにあたる気もするが、男子が女子に1~4のセリフを言うのは脈アリの可能性が高いからなのだという。たとえば、「なんでそんな短いスカート履くの?」と言われた場合、<ファッションに意見するというのは、それだけ異性として見ている証><アアッ!そ、そんなに足をあらわにするなんてッ……。俺以外の男には、頼むから見せないでくれッ>という“カワイイ本心”が潜んでいる可能性も高い、と、男性の本心を探る。「化粧濃くない?」も同様に<気にしている女子だからこそ、化粧の濃淡が気になる>からだそうである。  「その服、変じゃない?」も、<幼い頃、気になる子のスカートをめくった男子ほど、オトナになってもお気に入りの女子にちょっかいを出したがる傾向アリ>で、<好きな子だから、なんとなくイジワルしたい>という“微妙な恋ゴコロ”が隠れているから。最後の、普通は大変言いにくいと思われるワード「口、クサくない?」だって、<それだけ至近距離になっているということでもありますので、好感を抱いているのは確か>であり、<一般的には指摘しにくい口臭を指摘するということは、男子としてはその女子に対して大きな親しみを抱いている可能性も>と解釈してみせるからスゴイ。  だから男子にこんなことを言われムカついても聞き流そう、次回からナチュラルメイクにしたりエチケットに気を配ってみようとアドバイスを送り、<こんなフレーズを口にする男子がいたら「キャッ、私のこと気にしてるぅ!」と思っても、まんざら間違いではないんですよ>と結論づけている。なんでもポジティブに捉えられるのは結構なことだが、記事の大前提となっている“脈アリでさえあれば(つまり自分に好意を抱いているのならば)男子の失礼発言を女子は受け入れられる”という考えがおかしい。 好きなら何しても許すの?  好意由来だからといって、失礼な言動を「私のことを好きだからなのね」とうれしく咀嚼できるものだろうか。女子は男子に好かれたいしモテたい人種で、脈アリやモテを得られるならば何言われても「キャッ、私のこと気にしてるぅ!」と舞い上がって許せちゃう? いやいや、交際相手や配偶者であっても、口臭はともかく、「好きだから」で化粧やファッションにダメ出しをされたら困惑ものだろう。  また、悪意ゆえの「イジワル」はさすがに拒絶するものの、好意からくる「イジワル」ならば肯定するというのも解せない。こんな記事もあった。 ▼最低の仕打ちだけど…なぜかキュンとする「男のイジワル行為」2選  こちらは女子がなぜかキュンとしちゃった「男子のイジワル」エピソードの紹介だ。ひとりめの女性・ナミさん(28歳)は、男3女3で海に行く計画を立てる際、仲良しの男友達に 「ナミは来なくていいよ!」と言われ、女友達も庇ってくれず、なんと本当に自分を除いた5人だけで海に行ってしまったという。数日後、来るなと言った男友達から「この間は悪かった。ちょっと飲もう」とLINEが入る。ナミさんが絶交するつもりで会いに行くと、彼の態度がどこか弱々しい。ナミさんが泥酔して海の件での怒りをぶつけると彼は、「いや、そのぉ。なんだ。俺……、ナミのことが好きなんだ」「本気なんだ。最初に見たときから好きだった。一目惚れってやつ。だから、ナミの水着姿を他の男に見せたくなかったんだよ! ごめん!」と、まさかの愛の告白。そして現在、ナミさんはその彼と交際して3年になるのだという。  ふたりめのリサさん(34歳)は、かつてバーテンダーをしている彼と付き合っていたが、彼は「今の職業じゃ、君の両親に挨拶できない」と転職活動をするもののうまくいかず、ふたりの関係も険悪に。「オマエみたいな世間知らずのお嬢様、悲しみを知らないから、人の心の痛みがわからないんだ!」とも言われ、別れた。しかし実は、彼はリサさんのためを思って敢えて自分が嫌われるよう仕向けたと後にわかる。リサさんは総合商社の男性にアプローチされていて、それを知った彼は「自分と一緒になるより、その男と一緒になったほうがいい」と考えたらしい。彼の知人からその話を聞かされ、リサさんは「一番の優しさだった」と感動したという。  <「ひどい男!」と思う行為の裏に隠されていた、男子ならではの密かな想い……。みなさんは、この不器用さに付き合ってあげられますか?>と締めくくられているのだが、“恋愛感情”や“優しさ”ゆえのひどい行為(暴言や仲間外れや八つ当たり)を、当事者が個人的に肯定するのはともかく、イイ話として広めるのはおかしいのではないだろうか。  男女問わず誰でも恋愛において間違った行動、相手を傷つける言動をするものだが、「実は好きだったから」は免罪符にならない。「好き」から派生したものであっても、間違いは間違い、暴言は暴言だと認めたほうがいいのではないか。それに、「好意」も相手にとっては迷惑だったり、好意ゆえの行動が恐怖心を与えていたりすることもある。  よく女性が男性に「察して」を求めるけれどそれは難しい(男は鈍感だからという理由が多い)、という記事も見かけるが、こうした「好きだからイジワル」系の行動で「察して」もらいたがっているのは男性側である。“ツンデレ”は二次元だけにしてもらいたいものだ。