マネジャーを務めていた女優・沢田亜矢子とのドロ沼離婚後、整形してホストデビューし、2002年にはプロレスに進出、現在もレスラーとして活躍するゴージャス松野。5度の結婚と5度の離婚を経て、13年にプロレスデビュー、15年9月にはホストデビューを果たしたビッグダディこと林下清志。共通点が多い2人が初対面し、ホストに転身した理由や人生を語った!
――松野さんは15年前にホストデビュー、ダディは2015年9月にデビュー。おふたりともなぜホストになったんですか。
ゴージャス松野(以下、松野) 新宿警察署の警官に、愛田武さん(愛本店創業者)を紹介されたことがきっかけです。離婚騒動で社会的な批判も多く、アルバイトもできる状況じゃなかったんで、生活のためにできる仕事はなんでもやろうという思いでした。ダディさんは、
クラブA.C.Tオーナーの愛田孝さん(愛田武さんの息子)と共通の知り合いがいたことがきっかけで、お金には困ってないけど始めたと聞きました。
ビッグダディ(以下、ダディ) そんなことないですよ。もっとガツガツ稼がないと、仕送りだけで四苦八苦です。とはいえ、ホストと自分は生き物の種類が違いますから、稼げない。こんなこといってはなんですが、僕は“客寄せパンダ”なので。
松野 そんなこと言っていいのかどうか(笑)。僕も給料制でいただいてたので、指名をいただいて売り上げを上げるというよりは、お店の顔としてご挨拶したり、ヘルプで呼ばれたときに盛り上げたり。ホストクラブは足を踏み入れにくいと思っている女性もいるので、「そんなことはないよ」ということを伝えていければ、と。
ダディ ホストの仕事はおもしろいんですけど、次の日が厳しいですね。自分は整体が本業で、ホストは毎週火曜日だけですが、これが毎日なら体を悪くしそう。
松野 自分は土日だけでしたけど、命かけてましたもん。ほどほどにしとけばいいんですけど、とことん飲んじゃうから。
ダディ 実際に店に入ってみて、ホストに対するイメージが変わりました。自分はここのミーティングが大好きなんです。他の企業の若い連中を参加させてやりたいと思うくらい。みんな意識が高くて、へんな言い方ですけど、真っ当だし、いろんな観点からものを考えてる。
松野 お客さんにお金を払っていただくためのサービスとはどういうものか、仕事の根本について突き詰めて考えさせられますね。
ダディ お客さんにはいろんな方がいますしね。自分は、今まで「我慢しなきゃならない」とか「よく考えてしゃべらなきゃいけない」という人生を送ってこなかったので、いい修行になっています。普通だったら「ふざけんなよ」というところも、ニコニコしながら「そうですね〜」と。
松野 このお店は若いお客さん多いですか? 自分の頃は70歳近くのホストもいて、お客さんの年齢層も幅広かった。
ダディ 圧倒的に若い人が多いですね。
――10月9日に放送された『ダウンタウンなうSP』(フジテレビ系)で、ダディさんは坂上忍さんに「『バイキング』で何もしゃべらない」と批判されていましたが、お店ではしゃべれていますか。
ダディ 『バイキング』(同)では、ああいうポジションだと自分では思ってたんですけどね。ホストクラブでは、今まで培ってきたトークはほとんど使えないので、難しい。
松野 テレビはテレビで表現の仕方が違う。ディレクターが求めてないことをやっても喜ばないし、僕の場合は叩かれてたから、そういうキャラクターを演じさせられる部分はかなりあった。
ダディ 自分は演じないからだめなんです。どの番組に出ても、ほとんど無表情。ずっとテレビに出続けてる人はすごいなと思いますよ。
――プロレスにはどうして進出したんですか。
ダディ 自分はもともと好きで、お話をいただいて、ためらいがあったんですけど、そんなチャンスはもうないと思って。4カ月ほどトレーニングして、8キロ体重を落としました。
松野 僕も小学校の頃プロレスが好きで、レスラーになりたいという夢があったんです。クラブ愛にいた頃、IWA(プロレス団体)の社長さんとご縁があり、「タイガー・ジェット・シンのマネージャーにならないか」と声をかけていただき、お仕事いただけるのはうれしかったし、好きな世界だったので迷うことなく飛び込みました。最初はレスラーになる気はなかったんですけど、プロレスはマネジャーも試合に巻き込まれることがよくあるんです。当時、「話題作りでやってるんじゃないか」という批判もあったし、他のレスラーからも冷たい目で見られていたので、一念発起してトレーニングしてデビューすることにしました。
ダディ 「話題づくり」という批判は自分もあります。声かけるほうからすれば、話題づくりも当然あると思います。
松野 ギブ・アンド・テイクですよね。こっちが「やらせて」と言ってもできない。話題になるだろうと思われれば、声がかかる。
ダディ 批判している人だってまんまと乗っけられてる。批判することで話題になってるから。
――結婚、離婚については、振り返ってみてどう思いますか。
松野 結婚生活は3年弱。法律的には5年間くらいありました。ただ僕は感謝しているというか、あの事件があったからこそ、自分がやりたいプロレスや歌の仕事ができた。あのままマネジャーを続けていたら、今ある幸せがなかったのかなと思いますね。
ダディ 騒動のときは、マスコミの取り上げ方がひどく、大変でしたね。
松野 今は“コンプライアンス”とかいって穏やかになりましたけど、あの時代のマスコミには人権意識はなかったですね。結婚は「こりごり」とは思いませんが、もうしないと思います。今は、自分の時間を大事にしたい。今一人暮らしで、トレーニングをしたり、酒を飲まず食事に気を使ったりとストイックな生活をしているので、その空間で他の人といっしょに暮らしたくない……と言ったら語弊があるかもしれないけど、彼女(歌手の田代純子さん)とは法律的にはなんの保証もないけれど、近くに住んでいて必要なときに手を借りたり貸したりしているので、それが今は快適。
ダディ 自分は長男と一緒に暮らしてますけど、時間が合わないのでほぼ一人暮らしのようなものですね。女性には興味がありません。歴代の結婚も、全員会ったその日に結婚を決めているけど、それは相手が「嫁さんにして」というからであって、自分からプロポーズしたことはない。ぶっちゃけた話、誰でもいいんですよ。基準は、俺と暮らしたいと思うかどうか。だから、出ていくときも「どうぞ」といって出してる。結婚も離婚も一緒だと思うんです。今より幸せになろうと選択する道。けんか別れはないし、「元家族」であることは変わりないので、歴代の嫁と飲むこともあります。
松野 ダディさんの生き方は素晴らしい。僕は子どもがいないんで。
ダディ 子どもを持てたのはラッキーでした。親になるまで自分という人間があまり好きじゃなかったし、自分の親父もあまり好きじゃなかったし、この世の中に俺がいてもいなくても関係ないと思って生きてた。子どもを持ったおかげでその考え方がガラッと変わった。
松野 僕は今となっては子どもを育てる自信がないですね。ダディさんの場合、自信があってもなくても育てないとならない状況ではありましたけど。
ダディ 嫁さんに逃げられたときは、一番上が小学4年、そのあと年子で3年、2年、1年、年長、年中、年少、幼児。こんなの抱えて父子家庭で8年近く。人生に選択肢があるなら、こんなモン選択しません。たまたま子どもができたんで、それを楽しもうと思って暮らしただけですね。自分は「家族計画」という言葉が大嫌いなんですよ。家族は計画的につくるものじゃない。女性が出産を躊躇するとしたら、たいていその後の育児がたいへんだからでしょう。自分の場合、嫁さんがいたときから、赤ちゃんをおんぶして仕事してましたから。
(後編につづく)