「男友達200人以上」豪語の片岡安祐美に、指原「絶対100人ヤッてる!」

 17日深夜に放送された『アリよりのアリ』(TBS系)に、社会人硬式野球クラブチーム・茨城ゴールデンゴールズの選手権監督を務める片岡安祐美(29)が出演した。  番組で片岡は、MCでお笑いコンビ・くりぃむしちゅーの有田哲平(44)に、「男友達が200人以上いる」ことについて問われた。片岡は10月に放送された『有吉ゼミ』(日本テレビ系)で、男友達が200人以上おり、それぞれの男性と「一緒に宅配ピザを食べる友達」「自宅の電球を取り替えてくれる友達」「飲みに行く友達」など役割分担を課した付き合いをしていることを告白し、話題になったことがあるからだ。  9歳から野球をやっている片岡は、「学年だけでも野球部内20人の中に(自分が)女1人とか」の環境で育ってきた。そのため、「友達というか仲間」のような男友達が多いと説明。すると共演者のHKT48・指原莉乃(23)が「200人以上の男友達と何して遊んでいるんですか?」と質問した。 片岡「練習終わったらラーメン食べに行ったり。背が低いので、電球替えられないから、ホームパーティーを開催して、その時に『電球買っといたから替えて』って頼んだり」 指原「何もなしの友達ですか!?」 指原は片岡の「何もない」を信用できないようで、片岡と男友達の仲を疑っている様子。「全く何もないです。仲間なんです」と片岡が主張するも、指原は「絶対100人ヤッてます!」とまで断言した。  その後、片岡が理想の男性のタイプを「短髪、筋肉質で身長170㎝以上、ファッションはシンプル」と明かすと、その条件に合った男性が片岡に理想のプロポーズを再現してくれることに。ドストライクの男性を目の前にして大興奮の片岡であったが、好みのタイプがそれだとなると、野球仲間の大半がドストライクなのでは……と“疑い”は晴れぬまま。  お付き合いする男性には、「自宅に男友達が泊まることを理解してくれる」ことを求めるという片岡。ただでさえ男友達が多いゆえに、恋人となる男性は余計な心配やヤキモチを焼いてしまうこともありそうだが、さらに男友達を自宅に泊めることも許してほしいとなると、よほどの信頼関係がなければ難しい条件かもしれない。  指原にかけられた「200人以上の男友達の半分はセフレ疑惑」を完全否定していた片岡だが、前出の『有吉ゼミ』出演時には「(男友達は)みんな私のことを好きだと思う」「ボディタッチもみんなにしている」と、“魔性の女”的発言もしていたため、説得力はいまひとつ。片岡は独身であるし、相手の男性たちも独身であれば何人と“ヤッて”いようがいまいが自由だが、本人としては経験豊富な路線でタレント活動していくことを躊躇しているのか、中途半端なキャラになってしまっているようだ。  一方の指原に関しても、アイドルらしからぬ「絶対ヤッてる」というツッコミをしたことに、「AKBだったら絶対ヤッてる、って言ってるも同然」「ご意見番キャラの和田アキ子の後釜狙い?」とネット上にどよめきが広がっている。だがAKBグループを卒業してからのことを考えれば、アイドル然とした振る舞いをするよりも、バラエティで積極的にきわどい発言を繰り出していくほうが生き残る可能性が高まるだろう。よくも悪くも、刺激を求めるのがテレビ業界だ。 (シュガー乙子)

【緊急警告】12月23日に大地震発生で日本列島分断か? 今年最後の「魔の水曜日」に備えよ!!

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イメージ画像:「Thinkstock」より
 現在、「12月23日に日本で大地震が起きる」という噂がネット上で拡散している。カレンダーを見ると、問題の日は今週水曜日、天皇誕生日となっており、筆者はすぐにピンときた。実はこの予言、東日本大震災を予言・的中させたことで一躍時の人となった世見者(予言者)・松原照子氏による約30年前の著書『宇宙からの大予言 ― 迫り来る今世紀最大の恐怖にそなえよ』(現代書林)で「魔の水曜日」として語られているものだ。「魔の水曜日」とは、ズバリ国民の祝日となる水曜日のことを指しているのだが、そのようなタイミングが近づくたびにネット上で話題になってきたようだ。  筆者は先日、松原照子氏と対談を行い、今後「魔の水曜日」が現実のものとなる可能性について初めて本人に質問している。その模様は、11月25日に発売されたDVD『松原照子の「幸福への近道」3 第9回松原照子特別講演会in東京』(ワンダーアイズ)にも収録されているが、今回はそこで松原氏の口から語られた内容も含め、来るべき大地震について考えてみることにしたい。 ■「魔の水曜日」の危険、現在も続いている! 松原氏から直接聞いた!
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宇宙からの大予言』(現代書林)
 過去の記事でも紹介しているが、1987年に出版された『宇宙からの大予言』によると、カレンダーの日付が赤くなる水曜日に、関東地方でM6クラスの地震が起き、さらに東海大地震、高さ80m以上の津波、そして「糸魚川―静岡構造線断層帯」に沿って日本列島が分断される大地震が連続するという。  出版からすでに30年近くが過ぎており、もう「はずれ」として忘れ去るべきだと考える読者がいるかもしれない。事実、松原氏自身も過去の講演会で、「魔の水曜日」に関する質問が出た際に、「われわれの目の黒いうちは起きないだろう」と答えたと伝えられる。しかしその後、考えが変わったのか、それほど遠くない未来に「魔の水曜日」が現実となることを示唆する発言も飛び出しているのだ。  前述のように、筆者は松原氏との先日の対談で、以前から直接聞きたかった「魔の水曜日」についての質問をした。すると松原氏は、「過去にそのように語った(「われわれの目の黒いうちは起きないだろう」とした)経緯については思い出せない」と前置きした上で、「自分がビジョンとして見えたことが絶対に正しいとも思っていない」ものの、「今でもあり得るとは思い込んでいます」と答えたのだ。 ■日本列島が“分断する”事態は、科学的にも起こり得る  さて、松原氏が「今でもあり得る」と語った「魔の水曜日」において、もっとも恐ろしいのは、「糸魚川―静岡構造線断層帯」に沿って日本列島が分断される事態だろう。このような現象が、科学的には起こり得るものなのだろうか。  昨年「長野県神城断層地震」が起きた後、新潟大学理学部講師の小林健太氏は、「フォッサマグナ(西の縁を糸静線とする地質学的領域)が形成されたころの断層が再び活動したといえる。周辺にある活断層が、場合によっては活動する可能性は否定できない」(2014年11月25日、「テレ朝news」)と語っている。  また、神戸大学名誉教授の石橋克彦氏も、2011年12月16日の日本記者クラブ主催の記者会見で、東日本大震災の影響により、南海トラフ地震と糸静線が動く大地震が発生し、それらが連動してM9クラスの超巨大地震となる可能性を示唆している。つまり、一見したところ荒唐無稽に思われる松原氏の予言も、実は科学的に起こり得るものなのだ。
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イメージ画像:「Thinkstock」より
■今年の12月23日は……!!  松原氏が「魔の水曜日」の可能性について「今でもあり得る」としており、科学的にも日本列島が分断される事態は起こり得るところまではわかった。では、最大の問題はそれが“今週の水曜日”なのか、という点だ。2015年の「魔の水曜日」は、2月11日(建国記念の日)、4月29日(昭和の日)、5月6日(振替休日)、9月23日(秋分の日)、そして最後が12月23日(天皇誕生日)と、5回存在する。幸いにも、現在までのところ2015年の「魔の水曜日」に大地震は発生していない。今年最後の「魔の水曜日」も何事もなく過ぎ去るのか、それとも一連の破滅的大地震の連鎖が日本列島を襲うのか? 『宇宙からの大予言』によると、大災害が起きる前兆として、「伊豆の山やまが紅葉しない、貝の移動(アサリの猟場でアサリが獲れなくなるなど)、富士五湖周辺のふたつの湖の水位が下がる」(松原照子、『宇宙からの大予言』)といった現象が見られるという。  報道によると、この秋は伊豆の修善寺などで見事な紅葉が見られたようだ。また、静岡県近辺に限って言えば、アサリの不漁もなかった模様。さらに富士五湖の水位については、河口湖で水位の低下があったものの、2つ以上の湖では起きなかった。断言することはできないが、これらの事実を総合すると、今週の水曜日が「魔の水曜日」となる可能性はそれほど高くないと言えるかもしれない。  しかし今年を乗り切ったからといって、決して気を抜いてよいわけではない。首都直下地震は「いつ起きてもおかしくない」状況にあるうえ、2016年は「魔の水曜日」が5月4日と11月23日の2回やってくる。必要以上に怯える必要はないかもしれないが、「魔の水曜日」が近づくたびに、防災への備えを確認しておくのが正解と言えそうだ。 百瀬直也(ももせ・なおや) 超常現象研究家、地震前兆研究家、ライター。25年のソフトウエア開発歴を生かしIT技術やデータ重視の調査研究が得意。ブログ:『探求三昧』、Web:『沙龍家』、Twitter:@noya_momose ※百瀬氏が企画・執筆したコンビニムック『2015予言 戦慄の未来記』(ダイアプレス)、大好評発売中!

韓国で私生活切り売りしまくりのSHIHOと『元ハロプロ』タレント

 韓国でもそろそろ飽きられてきた秋山成勲と娘サラン。それに代わって今度は嫁SHIHOが韓国で必死だ。プライベート大放出、自宅大開放、旦那とのなれ初めをしゃべりまくって、流産の過去まで明かし、しまいにはカメラの前で「二人目ほし~♡」なんて甘えちゃったりも。  ちょっとー、日本でこれまであんたが必死に守ってきたイメージどこ行ったのさ。  昔からよく「しゃべるとがっかり」といわれたSHIHO。韓国のテレビで彼女を見るたびにがっかりを通り越して、「もうそこらへんで止めといたら」といってあげたくなるほど、いろいろ残念だ。彼女は12月11日の公式ブログで、サランの虫歯が8本もあることを明かしていたが、これを見た韓国のアンチファンからはさっそく、「だらしない」「ちゃんと娘を見てあげて」の猛ツッコミが。  とにかく韓国で必死のSHIHO。しかし韓国には彼女よりももっと必死な日本人妻タレントがいる。それが谷ルミコだ。 ◎韓国での肩書は「元ハロプロ」  谷ルミコ? それって誰? という人も多いだろう。ちなみに韓国では彼女のことを紹介するとき、必ず頭に〈元ハロプロ〉とつける。元ハロプロの谷ルミコ? 「ハロプロにそんな人いたっけ?」となるかもしれないが、彼女は1999年に「モー娘。&平家みちよの妹分オーディション」で優勝し、三佳千夏という名前でデビューしている。しかしその活動期間は短い。  その後、韓国人タレントのキム・ジョンミンと結婚し芸能活動を再開。谷ルミコとして韓国でちょくちょくテレビに出演中。3人の子どものママになった現在は旦那ともども、秋山ファミリー以上のプライベート切り売り商法で荒稼ぎしている。  結婚当初はトーク番組に出演しても、「愛されてます自慢」や「日韓夫婦あるある」など、微笑ましいネタを披露していただけの谷ルミコ。しかしそのネタが尽きると今度は、「夫が家事にも育児にも非協力的すぎる!」と、いまにも泣き出しそうな切なさいっぱいの表情であれこれ暴露。「10年間の結婚生活で、旦那が私の実家を訪ねたのはたったの2,3回」と話したときは、家族親子のつながりを何よりも重視する韓国で、「奥さんの親にそれはひどすぎる」と話題になった。  芸能人夫婦がお互いの不満をぶつけ合う番組では、自宅にカメラをセットし、普段の夫婦の様子を大公開したが、気の利かない言動連発の旦那キム・ジョンミンのことよりも、谷ルミコのイケてなさに目が釘付けになってしまった。 ◎リアルな私生活を視聴者が支持  朝から旦那と3人の子どものために品数多めのご飯を作り、同時に弁当も作り、短時間で食べさせ、着替えさせ、幼稚園に送り出す……という日常が紹介されたが、谷ルミコの姿には芸能人オーラはゼロ。あれではそこらへんの素人に混ざっても、中の下あたりのビジュアル。  もともと地味めなうえに、その日はほぼすっぴん? くすんだ肌に、起きて簡単にまとめただけのヘアスタイルはどんどんと崩れ、ゆるっとした家着のワンピから出たふくらはぎはなかなか強そうで、リビングをがに股気味に歩く姿は、立派な韓国アジュンマ(おばちゃん)だった。  しかし、SHIHOほどの嫌悪感を抱かせないのが谷ルミコ。やつれた姿で夫への不満を話す彼女は韓国人視聴者からのウケは抜群のよう。ネットには好意的な書き込みが目立つ。しばらくはこのキャラのままやっていけそうだ。でも、韓国人は飽きが早いからな~。  どちらも韓国で必死なSHIHOと谷ルミコ。来年以降のキャラ展開、いったいどうなる? 今週の当番=韓美姫(かん・みき) MERSで大騒ぎの韓国だが、マスクをしてる率が少なすぎて驚き! 「マスクに飽きた」なんて声も聞くが、それで本当に大丈夫なのか!?

まじか! 実はまだ解明されていなかった麻酔のメカニズム! 驚愕の実態とは?

【不思議サイトトカナより】 【ヘルドクター・クラレのググっても出ない毒薬の手帳 第3回、クロロホルム/後編】 
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画像は、Thinkstockより
■100年間解明されていないクロロホルムの謎  そもそもどうしてクロロホルムで気絶するのでしょうか? もとい、こうした分子をうまく吸わせると意識を失わせる(全身麻酔)原理はいったいなんなのでしょう?
続きは【トカナ】で読む

      
   
					

まじか! 実はまだ解明されていなかった麻酔のメカニズム! 驚愕の実態とは?

【不思議サイトトカナより】 【ヘルドクター・クラレのググっても出ない毒薬の手帳 第3回、クロロホルム/後編】 
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■100年間解明されていないクロロホルムの謎  そもそもどうしてクロロホルムで気絶するのでしょうか? もとい、こうした分子をうまく吸わせると意識を失わせる(全身麻酔)原理はいったいなんなのでしょう?
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ゴージャス松野とビッグダディが語る、俺たちがホストになったワケ

 マネジャーを務めていた女優・沢田亜矢子とのドロ沼離婚後、整形してホストデビューし、2002年にはプロレスに進出、現在もレスラーとして活躍するゴージャス松野。5度の結婚と5度の離婚を経て、13年にプロレスデビュー、15年9月にはホストデビューを果たしたビッグダディこと林下清志。共通点が多い2人が初対面し、ホストに転身した理由や人生を語った! ――松野さんは15年前にホストデビュー、ダディは2015年9月にデビュー。おふたりともなぜホストになったんですか。 ゴージャス松野(以下、松野) 新宿警察署の警官に、愛田武さん(愛本店創業者)を紹介されたことがきっかけです。離婚騒動で社会的な批判も多く、アルバイトもできる状況じゃなかったんで、生活のためにできる仕事はなんでもやろうという思いでした。ダディさんは、クラブA.C.Tオーナーの愛田孝さん(愛田武さんの息子)と共通の知り合いがいたことがきっかけで、お金には困ってないけど始めたと聞きました。 ビッグダディ(以下、ダディ) そんなことないですよ。もっとガツガツ稼がないと、仕送りだけで四苦八苦です。とはいえ、ホストと自分は生き物の種類が違いますから、稼げない。こんなこといってはなんですが、僕は“客寄せパンダ”なので。 松野 そんなこと言っていいのかどうか(笑)。僕も給料制でいただいてたので、指名をいただいて売り上げを上げるというよりは、お店の顔としてご挨拶したり、ヘルプで呼ばれたときに盛り上げたり。ホストクラブは足を踏み入れにくいと思っている女性もいるので、「そんなことはないよ」ということを伝えていければ、と。 ダディ ホストの仕事はおもしろいんですけど、次の日が厳しいですね。自分は整体が本業で、ホストは毎週火曜日だけですが、これが毎日なら体を悪くしそう。 松野 自分は土日だけでしたけど、命かけてましたもん。ほどほどにしとけばいいんですけど、とことん飲んじゃうから。 ダディ 実際に店に入ってみて、ホストに対するイメージが変わりました。自分はここのミーティングが大好きなんです。他の企業の若い連中を参加させてやりたいと思うくらい。みんな意識が高くて、へんな言い方ですけど、真っ当だし、いろんな観点からものを考えてる。 松野 お客さんにお金を払っていただくためのサービスとはどういうものか、仕事の根本について突き詰めて考えさせられますね。 ダディ お客さんにはいろんな方がいますしね。自分は、今まで「我慢しなきゃならない」とか「よく考えてしゃべらなきゃいけない」という人生を送ってこなかったので、いい修行になっています。普通だったら「ふざけんなよ」というところも、ニコニコしながら「そうですね〜」と。 松野 このお店は若いお客さん多いですか? 自分の頃は70歳近くのホストもいて、お客さんの年齢層も幅広かった。 ダディ 圧倒的に若い人が多いですね。 ――10月9日に放送された『ダウンタウンなうSP』(フジテレビ系)で、ダディさんは坂上忍さんに「『バイキング』で何もしゃべらない」と批判されていましたが、お店ではしゃべれていますか。 ダディ 『バイキング』(同)では、ああいうポジションだと自分では思ってたんですけどね。ホストクラブでは、今まで培ってきたトークはほとんど使えないので、難しい。 松野 テレビはテレビで表現の仕方が違う。ディレクターが求めてないことをやっても喜ばないし、僕の場合は叩かれてたから、そういうキャラクターを演じさせられる部分はかなりあった。 ダディ 自分は演じないからだめなんです。どの番組に出ても、ほとんど無表情。ずっとテレビに出続けてる人はすごいなと思いますよ。 ――プロレスにはどうして進出したんですか。 ダディ 自分はもともと好きで、お話をいただいて、ためらいがあったんですけど、そんなチャンスはもうないと思って。4カ月ほどトレーニングして、8キロ体重を落としました。 松野 僕も小学校の頃プロレスが好きで、レスラーになりたいという夢があったんです。クラブ愛にいた頃、IWA(プロレス団体)の社長さんとご縁があり、「タイガー・ジェット・シンのマネージャーにならないか」と声をかけていただき、お仕事いただけるのはうれしかったし、好きな世界だったので迷うことなく飛び込みました。最初はレスラーになる気はなかったんですけど、プロレスはマネジャーも試合に巻き込まれることがよくあるんです。当時、「話題作りでやってるんじゃないか」という批判もあったし、他のレスラーからも冷たい目で見られていたので、一念発起してトレーニングしてデビューすることにしました。 ダディ 「話題づくり」という批判は自分もあります。声かけるほうからすれば、話題づくりも当然あると思います。 松野 ギブ・アンド・テイクですよね。こっちが「やらせて」と言ってもできない。話題になるだろうと思われれば、声がかかる。 ダディ 批判している人だってまんまと乗っけられてる。批判することで話題になってるから。 ――結婚、離婚については、振り返ってみてどう思いますか。 松野 結婚生活は3年弱。法律的には5年間くらいありました。ただ僕は感謝しているというか、あの事件があったからこそ、自分がやりたいプロレスや歌の仕事ができた。あのままマネジャーを続けていたら、今ある幸せがなかったのかなと思いますね。 ダディ 騒動のときは、マスコミの取り上げ方がひどく、大変でしたね。 松野 今は“コンプライアンス”とかいって穏やかになりましたけど、あの時代のマスコミには人権意識はなかったですね。結婚は「こりごり」とは思いませんが、もうしないと思います。今は、自分の時間を大事にしたい。今一人暮らしで、トレーニングをしたり、酒を飲まず食事に気を使ったりとストイックな生活をしているので、その空間で他の人といっしょに暮らしたくない……と言ったら語弊があるかもしれないけど、彼女(歌手の田代純子さん)とは法律的にはなんの保証もないけれど、近くに住んでいて必要なときに手を借りたり貸したりしているので、それが今は快適。 ダディ 自分は長男と一緒に暮らしてますけど、時間が合わないのでほぼ一人暮らしのようなものですね。女性には興味がありません。歴代の結婚も、全員会ったその日に結婚を決めているけど、それは相手が「嫁さんにして」というからであって、自分からプロポーズしたことはない。ぶっちゃけた話、誰でもいいんですよ。基準は、俺と暮らしたいと思うかどうか。だから、出ていくときも「どうぞ」といって出してる。結婚も離婚も一緒だと思うんです。今より幸せになろうと選択する道。けんか別れはないし、「元家族」であることは変わりないので、歴代の嫁と飲むこともあります。 松野 ダディさんの生き方は素晴らしい。僕は子どもがいないんで。 ダディ 子どもを持てたのはラッキーでした。親になるまで自分という人間があまり好きじゃなかったし、自分の親父もあまり好きじゃなかったし、この世の中に俺がいてもいなくても関係ないと思って生きてた。子どもを持ったおかげでその考え方がガラッと変わった。 松野 僕は今となっては子どもを育てる自信がないですね。ダディさんの場合、自信があってもなくても育てないとならない状況ではありましたけど。 ダディ 嫁さんに逃げられたときは、一番上が小学4年、そのあと年子で3年、2年、1年、年長、年中、年少、幼児。こんなの抱えて父子家庭で8年近く。人生に選択肢があるなら、こんなモン選択しません。たまたま子どもができたんで、それを楽しもうと思って暮らしただけですね。自分は「家族計画」という言葉が大嫌いなんですよ。家族は計画的につくるものじゃない。女性が出産を躊躇するとしたら、たいていその後の育児がたいへんだからでしょう。自分の場合、嫁さんがいたときから、赤ちゃんをおんぶして仕事してましたから。 (後編につづく)

ゴージャス松野とビッグダディが語る、俺たちがホストになったワケ

 マネジャーを務めていた女優・沢田亜矢子とのドロ沼離婚後、整形してホストデビューし、2002年にはプロレスに進出、現在もレスラーとして活躍するゴージャス松野。5度の結婚と5度の離婚を経て、13年にプロレスデビュー、15年9月にはホストデビューを果たしたビッグダディこと林下清志。共通点が多い2人が初対面し、ホストに転身した理由や人生を語った! ――松野さんは15年前にホストデビュー、ダディは2015年9月にデビュー。おふたりともなぜホストになったんですか。 ゴージャス松野(以下、松野) 新宿警察署の警官に、愛田武さん(愛本店創業者)を紹介されたことがきっかけです。離婚騒動で社会的な批判も多く、アルバイトもできる状況じゃなかったんで、生活のためにできる仕事はなんでもやろうという思いでした。ダディさんは、クラブA.C.Tオーナーの愛田孝さん(愛田武さんの息子)と共通の知り合いがいたことがきっかけで、お金には困ってないけど始めたと聞きました。 ビッグダディ(以下、ダディ) そんなことないですよ。もっとガツガツ稼がないと、仕送りだけで四苦八苦です。とはいえ、ホストと自分は生き物の種類が違いますから、稼げない。こんなこといってはなんですが、僕は“客寄せパンダ”なので。 松野 そんなこと言っていいのかどうか(笑)。僕も給料制でいただいてたので、指名をいただいて売り上げを上げるというよりは、お店の顔としてご挨拶したり、ヘルプで呼ばれたときに盛り上げたり。ホストクラブは足を踏み入れにくいと思っている女性もいるので、「そんなことはないよ」ということを伝えていければ、と。 ダディ ホストの仕事はおもしろいんですけど、次の日が厳しいですね。自分は整体が本業で、ホストは毎週火曜日だけですが、これが毎日なら体を悪くしそう。 松野 自分は土日だけでしたけど、命かけてましたもん。ほどほどにしとけばいいんですけど、とことん飲んじゃうから。 ダディ 実際に店に入ってみて、ホストに対するイメージが変わりました。自分はここのミーティングが大好きなんです。他の企業の若い連中を参加させてやりたいと思うくらい。みんな意識が高くて、へんな言い方ですけど、真っ当だし、いろんな観点からものを考えてる。 松野 お客さんにお金を払っていただくためのサービスとはどういうものか、仕事の根本について突き詰めて考えさせられますね。 ダディ お客さんにはいろんな方がいますしね。自分は、今まで「我慢しなきゃならない」とか「よく考えてしゃべらなきゃいけない」という人生を送ってこなかったので、いい修行になっています。普通だったら「ふざけんなよ」というところも、ニコニコしながら「そうですね〜」と。 松野 このお店は若いお客さん多いですか? 自分の頃は70歳近くのホストもいて、お客さんの年齢層も幅広かった。 ダディ 圧倒的に若い人が多いですね。 ――10月9日に放送された『ダウンタウンなうSP』(フジテレビ系)で、ダディさんは坂上忍さんに「『バイキング』で何もしゃべらない」と批判されていましたが、お店ではしゃべれていますか。 ダディ 『バイキング』(同)では、ああいうポジションだと自分では思ってたんですけどね。ホストクラブでは、今まで培ってきたトークはほとんど使えないので、難しい。 松野 テレビはテレビで表現の仕方が違う。ディレクターが求めてないことをやっても喜ばないし、僕の場合は叩かれてたから、そういうキャラクターを演じさせられる部分はかなりあった。 ダディ 自分は演じないからだめなんです。どの番組に出ても、ほとんど無表情。ずっとテレビに出続けてる人はすごいなと思いますよ。 ――プロレスにはどうして進出したんですか。 ダディ 自分はもともと好きで、お話をいただいて、ためらいがあったんですけど、そんなチャンスはもうないと思って。4カ月ほどトレーニングして、8キロ体重を落としました。 松野 僕も小学校の頃プロレスが好きで、レスラーになりたいという夢があったんです。クラブ愛にいた頃、IWA(プロレス団体)の社長さんとご縁があり、「タイガー・ジェット・シンのマネージャーにならないか」と声をかけていただき、お仕事いただけるのはうれしかったし、好きな世界だったので迷うことなく飛び込みました。最初はレスラーになる気はなかったんですけど、プロレスはマネジャーも試合に巻き込まれることがよくあるんです。当時、「話題作りでやってるんじゃないか」という批判もあったし、他のレスラーからも冷たい目で見られていたので、一念発起してトレーニングしてデビューすることにしました。 ダディ 「話題づくり」という批判は自分もあります。声かけるほうからすれば、話題づくりも当然あると思います。 松野 ギブ・アンド・テイクですよね。こっちが「やらせて」と言ってもできない。話題になるだろうと思われれば、声がかかる。 ダディ 批判している人だってまんまと乗っけられてる。批判することで話題になってるから。 ――結婚、離婚については、振り返ってみてどう思いますか。 松野 結婚生活は3年弱。法律的には5年間くらいありました。ただ僕は感謝しているというか、あの事件があったからこそ、自分がやりたいプロレスや歌の仕事ができた。あのままマネジャーを続けていたら、今ある幸せがなかったのかなと思いますね。 ダディ 騒動のときは、マスコミの取り上げ方がひどく、大変でしたね。 松野 今は“コンプライアンス”とかいって穏やかになりましたけど、あの時代のマスコミには人権意識はなかったですね。結婚は「こりごり」とは思いませんが、もうしないと思います。今は、自分の時間を大事にしたい。今一人暮らしで、トレーニングをしたり、酒を飲まず食事に気を使ったりとストイックな生活をしているので、その空間で他の人といっしょに暮らしたくない……と言ったら語弊があるかもしれないけど、彼女(歌手の田代純子さん)とは法律的にはなんの保証もないけれど、近くに住んでいて必要なときに手を借りたり貸したりしているので、それが今は快適。 ダディ 自分は長男と一緒に暮らしてますけど、時間が合わないのでほぼ一人暮らしのようなものですね。女性には興味がありません。歴代の結婚も、全員会ったその日に結婚を決めているけど、それは相手が「嫁さんにして」というからであって、自分からプロポーズしたことはない。ぶっちゃけた話、誰でもいいんですよ。基準は、俺と暮らしたいと思うかどうか。だから、出ていくときも「どうぞ」といって出してる。結婚も離婚も一緒だと思うんです。今より幸せになろうと選択する道。けんか別れはないし、「元家族」であることは変わりないので、歴代の嫁と飲むこともあります。 松野 ダディさんの生き方は素晴らしい。僕は子どもがいないんで。 ダディ 子どもを持てたのはラッキーでした。親になるまで自分という人間があまり好きじゃなかったし、自分の親父もあまり好きじゃなかったし、この世の中に俺がいてもいなくても関係ないと思って生きてた。子どもを持ったおかげでその考え方がガラッと変わった。 松野 僕は今となっては子どもを育てる自信がないですね。ダディさんの場合、自信があってもなくても育てないとならない状況ではありましたけど。 ダディ 嫁さんに逃げられたときは、一番上が小学4年、そのあと年子で3年、2年、1年、年長、年中、年少、幼児。こんなの抱えて父子家庭で8年近く。人生に選択肢があるなら、こんなモン選択しません。たまたま子どもができたんで、それを楽しもうと思って暮らしただけですね。自分は「家族計画」という言葉が大嫌いなんですよ。家族は計画的につくるものじゃない。女性が出産を躊躇するとしたら、たいていその後の育児がたいへんだからでしょう。自分の場合、嫁さんがいたときから、赤ちゃんをおんぶして仕事してましたから。 (後編につづく)

平子理沙は大丈夫? 若返ろうとして超絶に劣化した女性4人の成れの果て

 今月18日、俳優の吉田栄作(46)とモデルの平子理沙(44)夫妻が離婚の準備を進めていることを「FRIDAY」が報じた。3年半の交際を経て97年に結婚した吉田と平子だが、約18年の結婚生活も終りを迎えることになりそうだ。
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画像は「平子理沙 写真集 『heaven』」(ワニブックス)
 吉田・平子夫妻を巡っては、今年6月に吉田に20代モデルとの“ただならぬ仲”が報じられたうえ、芸能界一の美魔女と言われていた平子の“劣化”も囁かれるようになっていた。しかも一部で、平子の劣化は筋肉の動きを制御してシワを目立たなくする「ボトックス注射」のやりすぎではないかという噂まで流れていたようだ。「もともと若いモデルタイプが好きな吉田が、若いナチュラル美女になびくのも不思議ではない」(アサ芸プラス、2015年7月24日)ならば、夫をもう一度振り向かせるため、劣化を抑えようと平子が四苦八苦していたとしても不思議ではない。  しかし、誰にとっても平等に過ぎ去る時間の流れに抗って若さに固執することは、時に当事者にとって呪いのような強迫観念を生み、心のみならず外見さえも蝕んだ結果、さらなる劣化を招いてしまうことがある。今回は、男女関係の変化が美への執着につながり、ついには悲惨な姿へと変身を遂げてしまった世界の女性4人を紹介しよう。 1. デミ・ムーア
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画像は「The Daily Mail」より引用
 ハリウッド女優のデミ・ムーア(53)。今年7月、久々に公の場に姿を現した際、まるで別人のような変わり果てた顔に注目が集まった。深く刻まれたシワ、たるみ、みずみずしさを失った肌……まるで白雪姫に毒りんごを手渡した老婆のようではないかというのだ。  海外の報道によると、自分よりも16歳若い俳優アシュトン・カッチャーと2011年に破局した後、デミ・ムーアは「自分に若さがなくなったことで捨てられた」と考えるように。顔を若々しくする整形手術に、6,000万円以上をつぎ込んだという。しかし美容整形を繰り返した結果、顔はボコボコになり、肌は取り返しのつかないダメージを受けてしまったようだ。もはや映画『ゴースト』の面影は皆無。多くのファンを落胆させる結果を招いた。 2. ブリトニー・スピアーズ
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画像は「The Daily Mail」より引用
 アメリカを代表するアイドル(のはずだった)ブリトニー・スピアーズ(34)。16歳でデビューしてから、エンタメ界の第一線をひた走ってきたが、転機は2004年に訪れた。酒に酔った勢いで男と結婚・スピード離婚するというトラブルを起こしてからというもの、女たらしのダンサーと再婚、休業宣言、離婚、親権をめぐる裁判、そして前夫とソックリの外見のモデルと交際、破局、挙句の果てには当て逃げと無免許運転で起訴され、ドラッグやアルコール中毒に……とトラブルばかりの10年間を送り、精神破綻も疑われていた。  そんな時代を経て、以前とは別人のようになってしまった現在のブリトニー・スピアーズ。激太りし、シワだらけの顔は、まるで50代にしかみえないと囁かれている。2013年には、自身の三重アゴに衝撃を受けて全身美容整形を決意、総額1,300万円をつぎ込んだというが、効果があるどころか劣化にますます拍車をかける結果となってしまったようだ。 3. アルバ公爵夫人
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画像は「Herald NEWS」より引用
「国土の北端から南端まで自分の土地を外れずに行ける」とまで言われるほどの資産家だった、スペインの貴族マリア・デル・ロサリオ・カイエターナ・フィツ=ハメス・ストゥアルト・イ・シルバ(1926~2014)。通称、アルバ公爵夫人。あのナポレオンの遠い親戚にあたるというアルバ公爵夫人は、公爵と女侯爵の両親のもと、宮殿で生まれ育った。21歳で公爵の息子と結婚するが1972年に死別。6年後には11歳年下の司祭と再婚するが2001年にまたも死別、そして2011年に24歳年下の公務員と3度目の結婚――と、とにかく波乱万丈な人生だった。  何歳になっても常に美と若さを追求していた彼女は、「美容整形マニア」と言われるほど手術を繰り返し受け続けた。その結果、晩年は目が窪み、大きく裂けたような口と、膨れ上がった唇で、まるでレプティリアンのような顔面に。2011年の結婚が遺産目当てではないかと疑われることもあったようだが、最期まで愛に生きた。 4. 李蒽熙
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画像は「The Daily Mirror」より引用
 中国河南省に住む15歳少女、李蒽熙(自称15歳)。今年4月、彼女が自撮り写真を中国版ツイッターこと「Weibo」に投稿すると、そのあまりにも不自然な姿形が世界中で大反響を巻き起こした。海外メディアによると、彼女は別れを告げてきた恋人を取り戻すため、かねてよりコンプレックスを感じていた顔面の美容整形手術に踏み切ったのだという。  巨大な目、尖ったアゴなど、顔のあらゆるパーツがあまりにも不自然に並ぶ。周囲はドン引きしているが、自身はこの結果に至って満足しているのだとか。一部には、宇宙人や妖怪なのではないかとの説も囁かれているようだ。彼女がその後、恋人を取り戻すことができたのかは不明である。  さて、どの女性も「若々しく美しくありたい」という思いが強すぎる結果、常識を通り越したショッキングな顔面を手に入れてしまったようだ。このような悲劇は、「美と若さの追求」以外でも十分に起こり得ることだろう。何事も加減が大事だということを、世の美魔女たちにも覚えておいてもらいたい。 (編集部) 参考:「スポニチ」、「アサ芸プラス」、ほか

不妊治療6年間600万円の末たどり着いた「里親」という選択 漫画家・古泉智浩さん

 晩婚化にともない不妊症の患者数が増加している。平成23年に国立社会保障・人口問題研究所が取りまとめた「第14回出生動向基本調査」では、不妊の検査や治療を経験したことがある夫婦は16.4%にのぼると公表。しかし、全ての人が成功するわけではなく、成功率は治療開始が35歳から39歳で40%、40歳では10%にも満たないともいわれている。いつか子どもを持ちたい――その漠然とした願いが成就する確率は、年齢とともに低下するのが現実だ。  そうした中、不妊治療の成果がなく、実子ではない子どもを育てるという選択をする人もいる。漫画家の古泉智浩さんもその1人。11月15日に発売された著書『うちの子になりなよ』(イースト・プレス)では、自然妊娠がかなわず不妊治療を6年間続けた夫婦が里親を選択するまでの過程、そして実際に里子を迎えてから育児に奔走する様子をユーモアあふれる漫画を交えながら赤裸々に綴っている。この本の主人公である古泉さんに、里親の現実について話を聞いた。 ――里親制度についてはどこでお知りになったのでしょうか? 古泉智浩さん(以下、古泉) 行政の情報誌に里親募集の告知が出ていたのを見つけたのが最初です。里親になるまでの6年間、夫婦でタイミング法や人工授精、体外受精、顕微受精など、さまざまな不妊治療を試し、流産も経験しましたが、子どもを授かることができませんでした。お金も600万円ほどかかりましたし、ゴールが見えなくて本当にドロ沼ですよね。どこかで線を引かなくてはと思っていたんですが、不妊治療の最後の方は、自分の子どもじゃなくても子どもが欲しくなっていました。そこで、妻に里子を預かってみるのはどうかと切り出してみたんです。妻は自分の子どもを欲しがっていて、あまり乗り気ではなかったのですが、僕の強い希望を受け入れるかたちで納得してくれました。 ――どのような過程を経て、里親になられたのでしょうか? 古泉 里親の研修を毎月1回、トータル半年間受けました。その研修では里親になるにあたっての心構えについての講義や、「里親会」と呼ばれる里親コミュニティの先輩方による経験談、映画の視聴などがありました。里親の中には養子を希望する「養子縁組里親」の人たちもいるのですが、僕たちは条件をつけたら子どもが来るのが遅くなると思い、「養育里親」を希望していましたので、児童施設での研修もありました。 ――研修を受けられて、大変だなと思われたことはありますか? 古泉 やはり大きい子を預かるのは大変だなと思いましたね。「愛着障害」といって、幼小期に親の愛情に恵まれなかった子が、里親に対して、どれくらい自分を愛して受け入れてくれるか、いろいろな行動で試してくる「親試し」をすることがあるらしいのです。ずっと腕に噛みついてきたり、物を投げたりするそうなのですが、正直怖いなと思いましたね。 ――研修の後、すぐに里子を引き受けられたのでしょうか? 古泉 研修を終えると自宅調査があり、児童相談所の職員の方が自宅の様子を見に来たり、家の資産や所得などについての書類を提出しました。それらを経て認定を待ちました。いま1歳○カ月になる里子を預かっていますが、ご両親が都合でNICU(新生児集中治療管理室)にいるその子を引き取れなくなり、調査からすぐ我が家に委託の連絡が来ました。 ――実子として養子に迎える特別養子縁組ではなく、里親制度を希望されたのはなぜですか? 古泉 スピード感ですね。本当に一日でも早く子どもを育てたかったんです。養子縁組里親を選ぶと、厳しい条件を課せられることになるので、時間がかかってしまうのではないかと思いました。里親はいずれ返さなくてはいけないという不安が常にあります。すぐに預かることができるなら、養子縁組里親にすると思います。 ――そこまで急いで子どもが欲しかった理由とは? 古泉 僕はこれまで自分の好き勝手ばかりやって生きてきたのですが、中年期を迎えてそうしていると、なんだか虚しくて死にたくなります。自分が誰の役にも立っていないみたいな。それがなぜ子どもが欲しいことと関係するかというと、書籍に詳しく書いていますが、僕には今の妻ではなく、元婚約者の女性との間に子どもがいるんです。もう中学生になる女の子なのですが、これまで3回しか会ったことがありません。事情があり一緒には暮らせないのですが、彼女に会ったときの感覚が忘れられません。「誰かを守りたい」「愛したい」という気持ちが行き場をなくして、自分にのしかかってきたんだと思います。 ――里子の赤ちゃんが来てから、その気持ちは変わりましたか? 古泉 たとえるなら、世界がモノクロからカラーになったような、とんでもない変わりようです。毎日とても楽しく生活しています。いいことずくめですね。年を重ねたせいか、物事になかなか感動できなかったのですが、子どもと暮らして、子どもの表情やしぐさがこんなにも感動するんだということに驚いています。あと、里親制度は子どもの都合をメインに行政がマッチングするので、こちらの希望どおりにはいかないのですが、僕は本当にラッキーだったと思います。最初に会ったときにかわいいと思いましたから。運命的なものを感じましたね。 ――もし実親の生活環境が整って、児童相談所から子どもを戻してほしいと言われたらどうしますか? 古泉 泣いて暮らすしかないですよね(笑)。妻は発狂すると言っています。本音をいえば、いずれは特別養子縁組したいと思っています。そのためには、実親の許諾をもらった上で、家庭裁判所の認可も必要です。最近、養子縁組を希望した里親と、それに反対する実親の間で裁判があったのですが、里親の要求が退けられて実親に戻されることになったようです。ただ、そのケースは里子になって1年と実蹟が短かったようなのでそりゃそうだろと。子どもに物心がつかない段階では仕方ない。だから、うちは子どもに「パパ」「ママ」って呼ばせて、子どもが離れたくないと思ってくれるように、絆をしっかり作っていきたいです。 ――書籍では、「4人くらい里子を預かりたい」と書かれていましたが、そのお気持ちはいまも変わりないですか? 古泉 じつは最近2人目の里子を8日間だけ預かる機会があったんです。すごくおとなしくて、泣き声も小さい子だったのですが、あんまりかわいいと思えませんでした。赤ちゃんだったら無条件に可愛いはずだと思っていたのでショックでした。別れ際には急に寂しくなって泣いてしまったんですが、すごく挫折感がありました。1人目の子どもがもう少し大きくなってからだったら、また違ったかもしれませんが、1歳と乳幼児の2人を育てることの大変さを感じましたね。 ――育児に手がかかる時期だと思いますが、そのあたりの大変さはいかがですか? 古泉 いま実家で地方在住なのですが、それほど大変さは感じないですね。東京は待機児童の問題など本当に大変そうですが、うちは母もいて妻の実家も面倒みてくれるので助かっています。あとうちの実家はお菓子屋を営んでいて、従業員の方もすごく可愛がってくれるんですよ。保育園に行かせてもいいんですけど、環境に恵まれているので当分いいかなと思ってます。 ――子育てをする中で、手こずっていることはありますか? 古泉 食べ物を粗末にするんですよ、お味噌汁に手をつっこんだり、りんごをフォークで飛ばしたりするので、コラって怒るんですけど、口を「ぶうー」って鳴らしたり、べろを出したり反抗的なんです。怒るけどあまり言うことをきかないんですよ。強く叱るとかわいいポーズをとったりして、なんか取り繕っているみたいでおかしいですね。 ――目下、子育てのことで不安なことはありますか? 古泉 もうちょっとで走りそうなんですけど、とにかく落ち着きがない子なので、自動車にはねられるんじゃないかと不安でしょうがないですよ。あと冬になったらストーブに手をつっこむんじゃないかと心配しています。 ――今後の成長がとても楽しみだと思われますが、どんな子になってほしいですか? 古泉 明るく楽しい子であってほしいですね。あと早く一緒に遊びたいです。ゲームしたり、釣りに行ったりしたいですね。  里親制度とはあくまでも子どもを社会的に養護するための制度。しかし、いつかは実親のもとに返すことを前提にした制度のため、愛情を持って育てるほど葛藤を抱える里親が多いのも事実だ。そうした葛藤がありながらも里子のことを話す古泉さんからは、育児によって得られる喜びが生きる糧になっていることがうかがえた。実子であっても他人の子どもであっても、育児は人間に生きがいを与えてくれるものなのかもしれない。 (末吉陽子)

不妊治療6年間600万円の末たどり着いた「里親」という選択 漫画家・古泉智浩さん

 晩婚化にともない不妊症の患者数が増加している。平成23年に国立社会保障・人口問題研究所が取りまとめた「第14回出生動向基本調査」では、不妊の検査や治療を経験したことがある夫婦は16.4%にのぼると公表。しかし、全ての人が成功するわけではなく、成功率は治療開始が35歳から39歳で40%、40歳では10%にも満たないともいわれている。いつか子どもを持ちたい――その漠然とした願いが成就する確率は、年齢とともに低下するのが現実だ。  そうした中、不妊治療の成果がなく、実子ではない子どもを育てるという選択をする人もいる。漫画家の古泉智浩さんもその1人。11月15日に発売された著書『うちの子になりなよ』(イースト・プレス)では、自然妊娠がかなわず不妊治療を6年間続けた夫婦が里親を選択するまでの過程、そして実際に里子を迎えてから育児に奔走する様子をユーモアあふれる漫画を交えながら赤裸々に綴っている。この本の主人公である古泉さんに、里親の現実について話を聞いた。 ――里親制度についてはどこでお知りになったのでしょうか? 古泉智浩さん(以下、古泉) 行政の情報誌に里親募集の告知が出ていたのを見つけたのが最初です。里親になるまでの6年間、夫婦でタイミング法や人工授精、体外受精、顕微受精など、さまざまな不妊治療を試し、流産も経験しましたが、子どもを授かることができませんでした。お金も600万円ほどかかりましたし、ゴールが見えなくて本当にドロ沼ですよね。どこかで線を引かなくてはと思っていたんですが、不妊治療の最後の方は、自分の子どもじゃなくても子どもが欲しくなっていました。そこで、妻に里子を預かってみるのはどうかと切り出してみたんです。妻は自分の子どもを欲しがっていて、あまり乗り気ではなかったのですが、僕の強い希望を受け入れるかたちで納得してくれました。 ――どのような過程を経て、里親になられたのでしょうか? 古泉 里親の研修を毎月1回、トータル半年間受けました。その研修では里親になるにあたっての心構えについての講義や、「里親会」と呼ばれる里親コミュニティの先輩方による経験談、映画の視聴などがありました。里親の中には養子を希望する「養子縁組里親」の人たちもいるのですが、僕たちは条件をつけたら子どもが来るのが遅くなると思い、「養育里親」を希望していましたので、児童施設での研修もありました。 ――研修を受けられて、大変だなと思われたことはありますか? 古泉 やはり大きい子を預かるのは大変だなと思いましたね。「愛着障害」といって、幼小期に親の愛情に恵まれなかった子が、里親に対して、どれくらい自分を愛して受け入れてくれるか、いろいろな行動で試してくる「親試し」をすることがあるらしいのです。ずっと腕に噛みついてきたり、物を投げたりするそうなのですが、正直怖いなと思いましたね。 ――研修の後、すぐに里子を引き受けられたのでしょうか? 古泉 研修を終えると自宅調査があり、児童相談所の職員の方が自宅の様子を見に来たり、家の資産や所得などについての書類を提出しました。それらを経て認定を待ちました。いま1歳○カ月になる里子を預かっていますが、ご両親が都合でNICU(新生児集中治療管理室)にいるその子を引き取れなくなり、調査からすぐ我が家に委託の連絡が来ました。 ――実子として養子に迎える特別養子縁組ではなく、里親制度を希望されたのはなぜですか? 古泉 スピード感ですね。本当に一日でも早く子どもを育てたかったんです。養子縁組里親を選ぶと、厳しい条件を課せられることになるので、時間がかかってしまうのではないかと思いました。里親はいずれ返さなくてはいけないという不安が常にあります。すぐに預かることができるなら、養子縁組里親にすると思います。 ――そこまで急いで子どもが欲しかった理由とは? 古泉 僕はこれまで自分の好き勝手ばかりやって生きてきたのですが、中年期を迎えてそうしていると、なんだか虚しくて死にたくなります。自分が誰の役にも立っていないみたいな。それがなぜ子どもが欲しいことと関係するかというと、書籍に詳しく書いていますが、僕には今の妻ではなく、元婚約者の女性との間に子どもがいるんです。もう中学生になる女の子なのですが、これまで3回しか会ったことがありません。事情があり一緒には暮らせないのですが、彼女に会ったときの感覚が忘れられません。「誰かを守りたい」「愛したい」という気持ちが行き場をなくして、自分にのしかかってきたんだと思います。 ――里子の赤ちゃんが来てから、その気持ちは変わりましたか? 古泉 たとえるなら、世界がモノクロからカラーになったような、とんでもない変わりようです。毎日とても楽しく生活しています。いいことずくめですね。年を重ねたせいか、物事になかなか感動できなかったのですが、子どもと暮らして、子どもの表情やしぐさがこんなにも感動するんだということに驚いています。あと、里親制度は子どもの都合をメインに行政がマッチングするので、こちらの希望どおりにはいかないのですが、僕は本当にラッキーだったと思います。最初に会ったときにかわいいと思いましたから。運命的なものを感じましたね。 ――もし実親の生活環境が整って、児童相談所から子どもを戻してほしいと言われたらどうしますか? 古泉 泣いて暮らすしかないですよね(笑)。妻は発狂すると言っています。本音をいえば、いずれは特別養子縁組したいと思っています。そのためには、実親の許諾をもらった上で、家庭裁判所の認可も必要です。最近、養子縁組を希望した里親と、それに反対する実親の間で裁判があったのですが、里親の要求が退けられて実親に戻されることになったようです。ただ、そのケースは里子になって1年と実蹟が短かったようなのでそりゃそうだろと。子どもに物心がつかない段階では仕方ない。だから、うちは子どもに「パパ」「ママ」って呼ばせて、子どもが離れたくないと思ってくれるように、絆をしっかり作っていきたいです。 ――書籍では、「4人くらい里子を預かりたい」と書かれていましたが、そのお気持ちはいまも変わりないですか? 古泉 じつは最近2人目の里子を8日間だけ預かる機会があったんです。すごくおとなしくて、泣き声も小さい子だったのですが、あんまりかわいいと思えませんでした。赤ちゃんだったら無条件に可愛いはずだと思っていたのでショックでした。別れ際には急に寂しくなって泣いてしまったんですが、すごく挫折感がありました。1人目の子どもがもう少し大きくなってからだったら、また違ったかもしれませんが、1歳と乳幼児の2人を育てることの大変さを感じましたね。 ――育児に手がかかる時期だと思いますが、そのあたりの大変さはいかがですか? 古泉 いま実家で地方在住なのですが、それほど大変さは感じないですね。東京は待機児童の問題など本当に大変そうですが、うちは母もいて妻の実家も面倒みてくれるので助かっています。あとうちの実家はお菓子屋を営んでいて、従業員の方もすごく可愛がってくれるんですよ。保育園に行かせてもいいんですけど、環境に恵まれているので当分いいかなと思ってます。 ――子育てをする中で、手こずっていることはありますか? 古泉 食べ物を粗末にするんですよ、お味噌汁に手をつっこんだり、りんごをフォークで飛ばしたりするので、コラって怒るんですけど、口を「ぶうー」って鳴らしたり、べろを出したり反抗的なんです。怒るけどあまり言うことをきかないんですよ。強く叱るとかわいいポーズをとったりして、なんか取り繕っているみたいでおかしいですね。 ――目下、子育てのことで不安なことはありますか? 古泉 もうちょっとで走りそうなんですけど、とにかく落ち着きがない子なので、自動車にはねられるんじゃないかと不安でしょうがないですよ。あと冬になったらストーブに手をつっこむんじゃないかと心配しています。 ――今後の成長がとても楽しみだと思われますが、どんな子になってほしいですか? 古泉 明るく楽しい子であってほしいですね。あと早く一緒に遊びたいです。ゲームしたり、釣りに行ったりしたいですね。  里親制度とはあくまでも子どもを社会的に養護するための制度。しかし、いつかは実親のもとに返すことを前提にした制度のため、愛情を持って育てるほど葛藤を抱える里親が多いのも事実だ。そうした葛藤がありながらも里子のことを話す古泉さんからは、育児によって得られる喜びが生きる糧になっていることがうかがえた。実子であっても他人の子どもであっても、育児は人間に生きがいを与えてくれるものなのかもしれない。 (末吉陽子)