奇習! 継父による性的虐待推奨制度「二婦貰い」 ― 終戦直後の寡婦対策、“母娘どんぶり”の実態とは?(山梨県)

【日本奇習紀行シリーズ】 山梨県甲府盆地
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※イメージ画像:Thinkstockより
 生別か死別かは別として、夫と離れた後に、女手ひとつで我が子を懸命に育てている女性は、今でも数多く存在している。そうした女性が、後に別の男性と所帯を持った場合に、女性の連れ子が女児の場合は、継父から性的虐待を受けたりといった深刻な事態が発生することも少なくない。しかし、かつてこの国においては、そうした継父による性的虐待が、当たり前のこととして行われて、むしろ推奨にも誓い形で定着していた地域が存在している。  山梨県の甲府盆地から少し北方へと車を走らせたある寒村。周囲に点在する観光地とは裏腹に、ひっそりと静まり返ったその村で、今なお細々と農業を営む義家敬三さん(仮名・78)は、かつて当地で行われていたその儀式について知る、数少ない生き証人のひとりだ。 「戦争がね、終わりの頃にさしかかってくると、みんな兵隊でとられてしまってね、本当に誰もいなくなってしまったんですよ。私はまだ子どもだったからよかったけれども、ちょっと上の世代までは、兵隊で行って、戻ってこなかった。本当にいやな時代でしたよ…」  たしかに、太平洋戦争末期となると、日本全国の男たちが戦地へと借り出された。ある者は南方のジャングルでその白骨を晒し、またある者は遠くシベリアの地に投獄されたまま餓死……、祖国の地を二度と踏むことなく、最果ての地でひっそりと息絶えた。また、同時にそのことは、国内において、多くの寡婦を生むこととなった。それは義家さんが住むこの山間の村とて例外ではなく、終戦を迎える頃になると、村からほとんど男衆の姿がなくなってしまったという。 「日本が負けて、少しずつだけども、みんなで力を合わせてまた元のような暮らしにしようっていうことになったけれども、もうその頃は村中が後家さんばかりでね。うちの集落だけじゃないよ、この辺はみんなそうだったんです。だから村の偉い人がね、後家さんたちを再婚させようとして、一計を案じたっていうわけです」  義家さんの話によると、男手がなくなったことで田畑を耕す手も足りなくなったことから、付近一帯をとりまとめる有力者が手引きする形で、零細農家の寡婦たちは、一斉に再婚を目指したという。しかし、折りしも当時は日本全国で男手が足りなかった時代。そうやすやすと再婚相手が見つかるはずもない。そこで考え出されたのが、通称「二婦貰い」と呼ばれる制度なのだという。 「後家さんの年齢は様々だけれども、昔は今よりも子どもが多かったから、どの家にも必ずひとりやふたりくらいは、女の子がいたものでしてね。要はそういう子らをダシに使って、助平な男たちを集めようっていう腹でした。今にして思えば酷い話かもわかりませんけどね、当時はみんな生きるので精一杯でしたから。そのためには田んぼや畑だって耕さなくちゃならない。当の後家さんたちからすりゃあ、無念だったでしょうけども、迷っている暇なんてあったもんじゃなかったんでしょうね」  男というのは心底救いようがないもので、山奥の田畑しか持たぬ寡婦相手には、再婚希望の手を挙げなかったものの、それがその家に暮らす娘と「セット」ともなれば話は別。邪な欲求に突き動かされた男たちによって、相次いでこの集落の再婚話はまとまり、終戦の翌年の夏頃までには、ほぼ全世帯が再婚した状態となっていたのだという。 「そりゃあね、“そういう目的”で集まってきた男たちだから、女の子が多い家の方が引く手がありましたよ。ひとりよりふたり、ふたりより3人っていう具合にね。けども、そういう継父のね、なぐさみものになるのがよほど耐えられなかったのか、中学を出る頃には、そういう子らはみんな都会へ出ていきましたよ」  無論、現代の常識で考えれば、この「二婦貰い」の制度は、年端もいかぬ娘たちが犠牲になったことを思うと、胸の痛む話でしかない。しかもそれは彼女たちを生んだ母親、すなわち、夫に先立たれた寡婦たちにとっても、大きな痛みを伴うものであったはずだ。しかし、そうした苦渋の選択をせねばいられなかったほどに、生活が困窮していたこともまた事実。いつの世も、戦争における犠牲者というのは、兵士として戦場で命を落とす者だけではないのである。 (取材/文=戸叶和男) 戸叶和男の記事一覧はコチラ

千秋「15歳年下再婚」は稀ではない? 意外と多い、女が上の「年の差婚」は対等な男女関係が肝か

 タレントの千秋(44)が一般男性と再婚した。所属事務所が22日、報道各社にファクスを送りこれを発表。相手はTBSの元制作プロデューサーで編成局のAさん(29)で、数年の交際を経て結婚に至ったという。ご存知の通り千秋といえば2002年にココリコ・遠藤章造(44)と結婚しており、ふたりのあいだには娘がいる。千秋とともに生活しているが、その娘が小学校を卒業するのを待ち、このタイミングとなったようだ。ちなみに遠藤は昨年12月、関根勤(62)の元マネジャー女性とすでに再婚している。  突然の結婚発表にネットでは祝福も上がっているが、「多感な時期なのに」と娘がいながら再婚する声も上がる等賛否両論。いやいや、目一杯配慮してこの時期になったのだろう。また普段の千秋のキャラクターが、女性性を意識させない幼さを強調したものだったためか、「千秋が2回も結婚出来るなんて……」という驚きの声も見られる。それよりも驚くのは15歳という年齢差だったが、そこにはあまり注目が集まっていないようだ。小柳ルミ子(63)が13歳年下のダンサー、大澄賢也(50)と1989年に結婚した(2000年離婚)ことが大きく騒がれた時代もあったが、近年、女性が年上の“年の差婚”は少なくない。  最近では『ガンダム Gのレコンギスタ』ベルリ役などで活躍する声優の石井マーク(24)と、同じく声優で『ふたりはプリキュア Splash Star』の美翔舞役をつとめた榎本温子(36)が今月7日に結婚を発表した。昨年11月には、小倉百人一首かるた競技の永世クイーン、渡辺令恵(51)と将棋プロ棋士の吉田正和五段(29)が22歳婚を発表した。吉田五段は今後渡辺姓を名乗り活動を続けていくこともあわせて発表されている。  俳優・濱田岳(27)は2011年7月にモデルの小泉深雪(37)とデキ婚。翌年1月に第一子が誕生している。年齢差に加え、19センチの身長差も話題となった。俳優の染谷将太(23)と菊地凛子(35)は2015年の元旦に結婚。小雪(39)は2011年4月に松山ケンイチ(31)と結婚し、ふたりの間にはすでに3人の子供がいる。ほかにも……。 ・タレント・ほしのあき(39)と騎手・三浦皇成(26)が2011年に結婚 ・声優でタレントの金田朋子(42)が俳優・森渉(33)と2013年に結婚 ・女優で歌手の秋本奈緒美(53)が原田篤(37)と2003年に再婚 ・大地真央(60)がインテリアデザイナーの森田恭通(49)と2007年に再婚 ・女優の坂井真紀(45)がカメラマン・鈴木心(36)と2009年に結婚 ・作家の角田光代(49)がGOING UNDER GROUND河野丈洋(38)と2009年に結婚 ・歌手の吉田美和(50)がJUON(31)と2012年に再婚 また、2014年に離婚してしまったが、秋吉久美子(61)は26歳下の映像クリエイター男性と結婚していた。 こうした例の共通項は、いずれも稼ぐ力のある女性たちだということだ。一般的に、「もっと仕事で評価されて稼げるようになってから結婚したい」と足踏みをしてしまう男性は多く、女性側も「もし妊娠出産で自分の収入が途絶えても、大丈夫な男性が良い」と考えがちである。だが、10歳以上も離れた年上女性×年下男性の組み合わせになると、そうしたお互いの懸念事項が一掃されて、すんなり結婚に結びつくのかもしれない。男性側の視点で考えてみれば、かなり年上の女性との結婚は、一家の大黒柱として過剰なプレッシャーや責任感に追われることなく、仕事で多少の冒険も不可能ではない。女性側としては、夫から“俺が稼いでやってるんだ”という昭和的な抑圧を女性が受けることもないだろう。男性・女性のどちらかが優位に立ついびつな関係ではなく、対等でストレスのない関係を築ける年齢差なのではないだろうか。 (ブログウォッチャー京子)

島崎遥香の顔は日によって変わる? 芸能関係者が語った“ぱるるの顔”の真価とは?

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※イメージ画像:『島崎遥香ファースト写真集「ぱるる、困る。」』(集英社)
 AKB48メンバーで“塩対応”としてお馴染みの「ぱるる」こと島崎遥香。グループでの歌手活動に留まらず、昨年11月にはアルバイト求人情報サイト・バイトルとのコラボレーション企画「バイトAKB ぱるる選抜」のプロデューサーに就任するなど、幅広く活躍している。  島崎は、「バイトAKB ぱるる選抜」の選考基準について、当初から“顔”を重視すると話した。またバラエティ番組でも他人の容姿を厳しく評価するほど、ビジュアルには人一倍のこだわりがある様子。しかし、島崎を撮影したことのあるカメラマンによれば、本人についてはあまり良い評判が聞かれないという。 「かわいい上に美形でもある島崎さんは、他のAKBメンバーの中でも最上位のルックスと思われます。ただ、残念なのはコンディションのブレが激しいこと。日によって印象が大幅に異なります。また、生で見たり映像だったりすればかわいく見える場合でも、写真うつりがイマイチなことも多いんですよね」(スタジオカメラマン)  そんな島崎は、今年3月20日にぱるる選抜の最終合格者のお披露目会見に出席した際も、「AKBより可愛い子を選びました」と豪語。応募者6793人の中から選び抜かれたふたりの大学生美女は、ネットから「ぱるるが選んだだけある」と納得の声もあがる。このように他人を見る目が厳しいだけあって、島崎本人の素材も決して悪くないと話すのは、ある番組プロデューサーだ。
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※イメージ画像:『ParU』(主婦と生活社)
「AKB48では渡辺麻友や柏木由紀が『すっぴんは別人』と言われているが、島崎はほぼノーメイクになっても普段と変わらず、肌もツヤツヤで明らかに綺麗。それなのに、撮影が始まると『調子悪いのかな?』といったささやきがスタッフ間で交わされることがある。撮影を終えたカメラマンは、『あの子、病んでるんですかね?』と心配していた」  島崎といえば、昨年8月に持病の喘息のため休養を発表し、活動再開後も握手会などは大事をとって不参加。しかし一方で、同11月公開の主演映画『劇場霊』が「第21回エトランジェ映画祭」のコンペティション部門に出品されると、舞台挨拶のため開催地のフランスへ。日本でも公開初日の舞台挨拶は急性胃腸炎を患いながらも、笑顔で壇上に立った。このような体調の悪さが、ビジュアルのコンディションも左右しているのだろうか。 「もちろん体が弱いのも知っていますし、我々も気を配っていますが、島崎さんの場合は仕事内容によってモチベーションが違いすぎる。それがビジュアルというか顔にも出ているんじゃないでしょうか。例えば握手会には出たがらないのに、女優業に関する仕事は体調が悪くても参加していて、その際はかなり良く写るんです。撮る側からすれば、彼女に振り回されるようで本当に困りますよ」(前出のスタジオカメラマン)  いくら女優業を展開していても、AKBにいる以上はアイドルであるはずの島崎。モチベーションでコンディションが変わるとしたら、アイドルとしてのプロ意識に欠けていると言えるかもしれない。

河西智美、姉妹初共演でプレミアム感煽る「勘違いぶり」 デビュー10周年で旅ブロガーに転身?

 17日、元AKB48の河西智美が自身のブログに、「大発表でーす 私の姉 河西里音の生誕祭liveに…私もSpecialゲストとして出演することになりました」と告知。さらに、「次いつ共演できるか…わかりません もしかしたら最初で最後? なんてこともあるかも?!」とプレミアム感を煽っているのだが、ネット上では「姉がいること自体、今知ったのだが」「全くプレミアム感を感じない」と散々。姉の存在は、妹・智美のバラエティ出演時に「同居している」と紹介されたこともあり、そこそこ浸透しているかと思いきや……。 「河西の姉・里音は、AKB48二期生のオーディションに落ち、06年に女性アイドルグループSurvivё結成時のメンバーに選ばれるも、09年に卒業。現在はソロ歌手として活動していますが、世間的にはほとんど無名といってもいいでしょう。一方、河西の方も、13年にAKB48を卒業してからは、すっかり低迷。それだけに、この姉妹共演にプレミアム感を感じるのは、相当コアなファンだけ。さらに河西がブログに『今回liveの予約してくれた方で、私のインスタにタグ付けしてくれた方に、いいねを押しにいってます ささやかだけど、私からのお礼と感謝の気持ちです』とコメントしたことに関して、『AKBグループお得意の特典商法をここでもやるんだね』と批判の声も上がっているようです」(芸能関係者)  来月1日で芸能デビュー10周年を迎える河西だが、マイペースな仕事ぶりで、卒業後は「活躍している」と言いがたい。コアなファンとしては「もうちょっと活躍する姿が見たい」と、歯がゆい思いを抱いているところだろう。 「ソロでの歌手活動は、14年9月にリリースした4枚目のシングル『今さらさら』(CROWN GOLD)を最後にリリースなし。今月9日に発売された、AKB48、43枚目のシングル『君はメロディー』(You, Be Cool!/KING RECORDS)は、AKB48の10周年記念ということで、OG選抜が復帰するとアナウンスされ、『智ちゃんも?』とファンから期待の声が上がったのですが、河西は選ばれず。最近では、ハワイやディズニーシー、知人の誕生日会や結婚式など、ブログに投稿される内容は仕事以外のものが多く、『仕事の報告よりも、どっか遊びに行ってる報告の方が多い』と指摘されている。いっそ旅ブロガーに転身すれば……」(同)  昨年12月27日にTOKYO FM HALLで行われた『1ami9LIVE! ♯003』に出演した際には、「自身のライバルはAKB48の時の自分。今は大きな看板が外れたけれど、元AKBの河西智美に勝ちたい」と語っていた河西だが、果たしてその勝負に勝つことができるのだろうか。ただ見方を変えれば、ぎゅうぎゅうのスケジュールだったAKB時代と比べて、自由な時間が増えて優雅な暮らしぶりになったとも言えるが。

荒木飛呂彦になれなかった、もう1人の天才漫画家 ― 巻来功士が語る「少年ジャンプ舞台裏と表現規制と…」

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連載終了! 少年ジャンプ黄金期の舞台裏』(イースト・プレス)
『週刊少年ジャンプ(以下『ジャンプ』)』――それは筆者のような1970年代生まれの人間にとっては避けて通ることのできぬ雑誌の形をした金字塔である。と同時に、我々のような出版業界の裏側を引きずり歩いて大人になった人間には、もはや同じ業界とは思えぬほど遠くの方で燦然と光り続ける表舞台である。  しかし、昨年行なわれたなべやかん氏主宰のトークライブ『T-1グランプリ』で、連載当時の『週刊少年ジャンプ』の裏側を語っている巻来功士氏を見て、なぜか言いしれぬ親近感を覚えた。  自らの理想と外圧の狭間でもがき苦しみ、傷付いたあまりに極北を目指してしまうそのナイーブな人生の選択は、今やアンダーグラウンド稼業まっしぐらな筆者にもわかる、否、わかりすぎるほど哀しい人間ドラマである。そして、それらすべての苦悩は、先月2月7日に刊行された新刊本『連載終了! 少年ジャンプ黄金期の舞台裏』(イーストプレス刊)として、見事にアーカイブ化されている。  1980年代、毎週数百万部を売り上げる途方もない巨大漫画ビジネスの真っ只中で、少年誌の範疇を逸脱する独自のエログロ路線の作品を追求した結果、極めて数奇な運命を辿ることになった漫画家・巻来功士氏に、そのキャリアにおける裏表、光と影が激しく交錯するその半生を聞いた。 ■編集者の要らない漫画家
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画像は、阿佐ヶ谷でのイベントの様子。左からMCのなべやかん氏、巻来氏、森田まさのり氏。
――2月6日に阿佐ヶ谷ロフトで行なわれた出版記念イベントのトークショーでお聞きした感じ通りだと、本書は“鬱屈とした恨み節の本”であるかと思ってました。でも、実際に読んでみたら、いわゆる“暴露本特有の暗さ”が感じられず、“漫画少年の青春記”に昇華されている感じがしましたね。イベントに集英社の編集者の方たちが多数見に来ていたのがわかる、素晴らしい本でした。 巻来「いえいえそんな、ありがとうございます」 ――巻末に掲載されている初代『ジャンプ』担当編集者である堀江信彦氏とのインタビューも凄くおもしろかったですね。 巻来「あれは凄くおもしろいですよね、あと、あの対談の時の堀江氏の前に座った僕を見せてあげたかったですよ(笑)」 ――そんな感じだったんですね。でも、堀江氏と巻来さんでは、そこまで恐縮するほどの年齢差ではないですよね? 巻来「そうですね、当時の『ジャンプ』は編集長まで若い感じで、作家も編集も、同じような年の若い人たちで作ってたんですよ」  巻来氏が『ジャンプ』で連載を開始したのは、1983年(『機械戦士ギルファー』(原案=西尾元宏))。同誌は1995年に653万部という現在の出版状況下では考えられない怪物的売上を記録しているが、巻来氏が連載した80年代は、まさにその頂点に登る急勾配の道程であり、『北斗の拳』『キン肉マン』『シティーハンター』『キャプテン翼』『聖闘士星矢』等のヒット作を要し、既に発行部数400万部に迫ろうとしているバブル期であった。 巻来「僕が連載していたのは、最終的には500万部とかその辺りの頃ですよね。その頃は作家と編集者が近かったんですよ。編集者もみんなまだ若いのに、上に気なんて遣わずにガンガンやれてましたよ。今の編集はサラリーマン化してるんで、上の顔色見ながら漫画家と打ち合わせするんですけど、その頃は上と平気でケンカしてた時代なんで、漫画家と一緒に“こんな作品どうだ!”って上司にぶつけてましたよね。みんな“かましてやろう!”って感じでした」
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巻来氏の作品の一部
 なぜいきなり巻来氏が編集者の話をしているのかといえば、それは単行本『連載終了!』にも描かれている通り、漫画家という職業に就くものにとって、出版社側の担当である“担当編集者”が凄まじく大きい存在からである。漫画制作は、漫画家と編集者という異なる職業の人間による共同作業の部分が大きく、巻来氏はその『ジャンプ』連載時に於いて、一蓮托生ともいえる担当編集者がコロコロ変わってしまうという、かなり好まざる事態を経験してきた。  その編集側からの理由として、堀江氏は巻来氏が『ジャンプ』連載作家の中では珍しい、“縦糸”を紡げる作家だったことを指摘し、だからこそ、担当編集が変わっていったのだろうと単行本巻末の対談で振り返っている。 ――巻末の対談では、漫画制作に於いて、「ストーリーテリングが“縦の糸”で、主にそれは編集の領域だった」っていう説明がおもしろかったですね。 巻来「僕もそういう話初めて聞きましたけど、その考え方はおもしろいし、わかりやすいですよね」 ――だから、縦糸を紡げる巻来さんには編集者が固定じゃなかったというようなお話でしたね。 巻来「ある意味それは合ってますよね。僕は勝手に考えるのが好きだったんで……」 ――編集者によってはストーリーについて、かなり自分の意見を言ってくる方もいたということですよね? 巻来「というか……それがほとんどじゃないですかね。だから『ジャンプ』の漫画家さんは、幼いというか、純朴で“マンガだけ描いてるのが楽しいなぁ”っていう若い人がいいんですよ。この本の中でも僕は自分のことを“外様”って描いてますけど、やっぱり外様は好かれないですよ」  巻来氏の漫画家デビューは1981年。少年画報社の『少年キング』誌上で『ジローハリケーン』を連載。その後『ローリング17』を連載中に、同誌が廃刊となり、1983年に『ジャンプ』へと活動の場を移すことになった。巻来氏は、自らが“『ジャンプ』デビューではない”作家であるということを常に感じながら連載をしていたのだという。
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巻来氏
――『ジャンプ』連載時の巻来さんは、もう既に、大人だったということですか? 巻来「そうです、だから編集さんとの会話も、大人同士の会話になってしまうんです。でも、当時の『ジャンプ』では編集者に“こういうマンガ描きたいんですけど、どうしたらいいですか?”“カッコイイ男が出てきて、こういうシーンを描きたいんです!”って訊くような、まだ手垢の付いていない原石が求められていた。そうすると編集者も“そういうのはね……”ってなるでしょ?」  巻来氏は既に手のかからない大人びた少年だっただけに、指導も必要なかったのだろう。 巻来「ところが僕は70年代文化をしっかりと取り入れてきた人間なんでね。なにしろテレビつければいつもベトナム戦争のことやってましたから、人間の正義なんて最初から信じてない(笑)。そういうひねくれた人間なんで、堀江さんは少し不満だったと思いますよ。ちなみに堀江さんは凄い編集者で、絵を描く才能の凄い人を見つけてくる天才でしたね。たとえば原哲男さん、北条(司)さんとかね。2人とも超人的な絵の上手さで、それは堀江さんの言うところの完全な横軸。“こういうのを描きたい!”って気持ちの部分ですよね。あとはそれにストーリーをのっけていけばいいんで、そうなると編集の出番じゃないですか。編集者は本もいっぱい読んでるし、会社員なので世間もずっと よく知っている。ドラマツルギーも知ってるし、そういう人のいうことを聞いて描いたら、そりゃあヒットしますよ」 ――なんか、凄く簡単に聞こえちゃいますね……。 巻来「いえ、凄い編集さんだからこそできることなんです。原作の才能もある編集さんなんて、そうはいないですよ。しかし、僕のネームを前にしたら考え込んでしまう」 ――あまり知らないことが描いてあったりしたんでしょうね。 巻来「いや、少年誌的な熱気がない、人間なんてそんなもんじゃない的、達観したネームでしたから考え込まざるを得ない(笑)」 ――いろんな理由があったと思いますけど、ひとつには巻来さんが編集者にとって“仕事をした!”っていう充実感が得られない作家さんだったのかもしれないですね。 巻来「ああ、それは絶対そうでしょうね」 ――だから若い編集者に交代して、“巻来さんの話聞いといて”みたいな。 巻来「そうそう。そうなんですよ。でも次の担当の松井さんっていう人とは合ったんですよ。彼は学生運動やっていて、成田闘争やってて、“殺されそうになった”なんて話が大好きだったので。僕は佐世保出身でエンプラ(佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争)とかベトナム戦争ばっかり見てたから話も通じた。漫画の話はあまりしなかったけれど(笑)。佐世保っていうのは米軍の街なんでね。アルバイトなんて米軍のバーのようなところばっかりでしたよ。中学校の時かな、まだ米軍基地が広かったので、米兵の家が、一等地にどーんと建ってるんですよ。そこで友達が金網のところでケンカしてましたけどね、米兵の子供と。また彼らはこっちのことゴミとしか思ってないんでね、こっちに石投げてくるんだけど、小石とかじゃないですよ。当たったら死ぬようなブロックみたいの投げてくるんだから(笑)」  そのような巻来氏だけに、漫画家なら誰もが夢見る『ジャンプ』での連載に至っても、周囲との温度差がかなりあったようだ。 ■当時のジャンプの編集者は“人買い” ――当時『ジャンプ』で描いてるってステータスは感じていましたか? 巻来いや、僕の場合は全くないです。『少年キング』の時よりも原稿料が下がったということもありましたしね。でも『ジャンプ』の純粋培養の新人さん達は、いわば『ジャンプ』の子どもなんで、“『ジャンプ』で描いてることはこんな凄いんだ!”っていう、そういう空気になってましたね。だけど僕は全然違ったんで、誰かがそんなこと言ったら“アンタ馬鹿じゃない?”って雰囲気を醸し出していたというか……まあ嫌でしょ、そんな人(笑)」 ――いやいや(笑)。とにかく、そういう空気感だったってことはわかりました。 巻来「ジャンプで大ヒットしていたあの人もこの人も、新人の頃は、みんなジャンプの子どもだったんですよ。高校卒業してすぐに『ジャンプ』に引き抜かれて、いわゆる“青田買い”ですよね。なにしろ、当時ジャンプの編集者は《人買い》って言われてたんですから」 ――人買い! 巻来「そうですよ、人買いに連れてこられたのが彼らなんですよ」  しかし、巻来氏も大学時代にスカウトの編集者がやってきた漫画家のひとりである。しかし、その編集者は、『ジャンプ』ではなかった。 巻来「僕の場合は小学館。あの人たちは、 集英社に遅れて“あっ、こういうことしないと売れないんだな”って後追いでやったから、手法もデタラメだったんですよ」 ――そんな(笑)。 巻来「まずは『少年ジャンプ』が全国のマンガ好き少年を連れてきて、小学館の人たちはそのあと。『少年サンデー』の部数がなかなか伸びなかった頃ですね。“頑張らなきゃいけない!”って回ったんだけど、その頃にはもう20歳くらいの大学生しか残ってない。それで、僕のところにまで来て(笑)」  九州産業大学の漫画研究会で同人活動をするなど、「既に青田ではなかった」という巻来氏だったが、1980年代当時、漫画マーケットの拡大を背景に、全国の漫画少年にスカウトの手が及んでいたことは事実だったのだろう。巻来氏はスカウト後さっそく上京を決意、小学館に行く前に寄った少年画報社でいきなり連載を勝ち取って、あっさり漫画家デビューを果たすのだった。ちなみに、同大学、同学年には後に『キャッツ・アイ』『シティーハンター』でヒットを飛ばす北条司氏がいた。そして同氏はもちろん、『ジャンプ』に一本釣りをされてスターダムにのし上がった漫画家だった。 巻来「僕は作家性っていうか、個性が強すぎたんです。“自分が描きたい”ってものが強過ぎる。染められにくいっていうのかな……ほら、花嫁がそうじゃないですか。“あなたの色に染められたい”っていう表現がありますよね。それが男にとっては理想じゃないですか? きっと僕は“もう染める場所がない嫁”だったんですよ」 ――言い方相当悪いですが、“出戻り”という感じですか? 巻来「そうそう(笑)」 ■『週刊少年ジャンプ』と表現規制
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スキャナーズ』(パラマウント)
 巻来功士氏といえば、溶け落ちる皮膚、人間の機械化、人体の変型等、グロテスクで、フェティッシュな描写を多用する漫画家として知られる。時としてその作風は少年誌の範疇をはみ出るようなものであったが、それは当時の時代背景にも関係していたようだ。 ――今から思えば、巻来さんが少年誌の範疇から出るような作品を描いていたってことがおもしろいですよね。 巻来「今では考えられないかもしれないですけれど、当時は映画『スキャナーズ』(1981年/デヴィッド・クローネンバーグ監督)とかがメインのカルチャーだったんですよ。だから『ジャンプ』もOKを出したんですよ」 ――メインカルチャーの変遷とともに『ジャンプ』の作品も変化していったんですね。 巻来「そうですね、それはスピルバーグがR指定を作ったように、『ジャンプ』もオタク向きというか、より子ども向けになってきたと思います。スピルバーグも『ジョーズ』から『未知との遭遇』であり『ET』になっていったようにね。そういうように時代と漫画はリンクして変わってきてると思いますよ」 ――あと、僕が思うんですけど、子ども向けのものでも、子どもに理解できない部分が入っているべきだと思うんですよね。それは知識が追いついていないからわからないんだけど、大人になってから伝わるんですよ。だからいい作品は、子ども向けでも大人を笑かすような要素って必ず入ってましたよね。 巻来「そうなんですよね。昔は特撮もそうでしたからね。『ウルトラマン』『ウルトラセブン』っていうのは裏テーマが凄く膨大で、戦う怪獣にしてもただ悪いじゃなくて、その時の社会問題を入れてるんですよ。だから最後に“どう思う?”って投げかけるような言葉で終わる回がいっぱいあるんですよ。僕はそれを見て育った世代なんで、皆さんは大好きかもしれないけど『仮面ライダー』では少し物足りない」 ――少年誌の範疇といえば、“児童ポルノ禁止法”に代表されるような、今の表現規制は感じられていますか? 巻来「それは昔からよく聞きますけど、最近特に酷いですね。たとえば当時、平松さんの『ブラックエンジェルス』でも首は自転車のスポークで刺すけど、ぽーんと首を飛ばすなんてことはやってないんですよ。それは編集にも止められて、首は飛ばしちゃいかんってなってたと思うんですよね」 ――それが少年誌のラインだったんですね。 巻来「そうしたら、『北斗の拳』がいきなり内臓破裂で体ボーンですからね(笑)。同世代で『ジャンプ』を作ってたから、あの時みんな何をやりたいと思ってたかがわかりますよね。『ブラックエンジェルズ』は『必殺仕掛人』で、経絡秘孔を突いて頭ドッカーンてのは『スキャナーズ』だし、『マッドマックス』みたいなキャラばっかりいろんな作品に出てきてたし(笑)」 ――そう言われてみると時代背景が見えてきますね。エロ表現についてはどうですか? 巻来「ただ僕は昔の人間で、今問題になってる“ロリコン趣味”っていうのが微塵もない人間なんで、うまく語れないっていうのはありますね。僕は『にっかつロマンポルノ』や劇画で育った世代なんで、今の世代からは“変態”って言われているようなものが好きでしたね。池上遼一の描く女性が好きだったし、あとはやっぱり……さいとう・たかをですよ! 僕は一番最初に性に目覚めたのはさいとう・たかをの『ゴルゴ13』ですから」 ――性の対象としてのさいとう・たかをですか! 巻来「××作戦の時に“ゴルゴが後ろに立った裸の女性を殴る”っていうので、さいとうさんが描く裸の女に小学生の時に興奮してた記憶があります(笑)。あとは永井豪、石ノ森章太郎ですね、石ノ森さんの『009ノ1(ゼロゼロクノイチ)』なんて、乳首からマシンガンが出て、あれ凄い漫画ですよ(笑)。そういう世代だったので、エロもいろいろ混じってて複雑というか。やっぱりいろんなことが自由に描けた時代だから、おもしろいんですよね。たとえば今だったら、エロを描くのでもお金が優先するので、“この漫画家には描かせる、この漫画家には描かせない”というのがあるっていいますよね。そういうのは、聞いててすっごい寂しいですよね……。別に“どんな漫画家にだって描かせていいじゃん!”って思いますよ」 ■人気投票からこぼれ落ちた怪作『メタルK』の真実】
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画像は、『メタルK』(Beaglee)
  ――『メタルK』という作品は、今の巻来さんの名刺にも描かれていますが、ご自身からしても特別な作品なんですか? 巻来「そうですね、あとファンが多いんですよ。たった10回しかない作品なのに、とにかく『メタルK』『メタルK』言われるんで、どんどん自分の中でも凄い作品になっていくんですよね。“あの頃頑張って描いていたなぁ”っていう思い浮かんできて」 『メタルK』は婚約者に両親を殺され、自らも生きながらにして焼き殺された冥神慶子が、サイボーグとして蘇り、ドロドロに溶けたその外皮《硫酸鞭》を武器に、男たちへの復讐をみせるという作品である。怨念に満ちたダークな設定はもちろん、そのグロテスクな描写も当時の連載陣の中で異彩を放っていた。 ――まず、とても『ジャンプ』とは思えない過激な設定ですよね。 巻来「僕らが見てきたエンターテインメントは、映画『悪魔のえじき』(1978年)のように、“レイプされて復讐”ってのが基本なんで、『メタルK』も“レイプされて焼かれて殺される”、これでいこうと。“これくらいいかないと復讐の怨念は盛り上がらないだろう!”って、今考えると“そこまでしなくても盛り上がるだろう”って思いますけどね(笑)」 ――また、巻来さんの作品には、オカルト的な表現も多く見られますよね。 巻来「漫画がおもしろくなるためにはなんでも使うという気持ちでやってましたけど、それで失敗したりもけっこうしましたけどね。『メタルK』なんて実在する『薔薇十字団』を悪の組織として出していましたが、今では慈善的な活動をしてるようなところですからね。しかもそのマークもホンモノをそのまんま描いてる。当然出版社には抗議の電話もきていたみたいなんですが、あの歴戦の学生運動の闘士の松井さんが、『なんかきたけど、“漫画だから”って言って切ったよ』って(笑)。漫画家を守ってくれる意識は強かったですね」  そして、この作品がもうひとつカルト的な人気を誇っている理由に、“不可解な連載打ち切り”の問題がある。今では広く知られているように、『ジャンプ』は、完全な読者人気投票によって、連載の《継続/打ち切り》を決定してきたといわれている。しかし、『メタルK』はなんと連載2回目から巻末に移動、まるで“即刻の打ち切りが決まっていたかのような”扱いだったのだ。巻来氏はそんな状況の中でも必死に格闘し、5回目以降は人気が急上昇したという手応えもあったという。しかし結果は10話で連載終了。その間、たったの2カ月半である。 ――『メタルK』は、人気投票が上位にある状態で、打ち切りになったと言われていますね。 巻来「ええ、それでも終わっちゃったんです。僕は改めてこの間の出版記念ライブで“人気が上がってきたところだった”と聞いて、また衝撃を受けちゃったんですよね」  そう、先日の出版記念イベントの日に登壇した編集某氏の明かすところによると、「2位か3位だった」のだという。 巻来「そうそう、だからまた怒りがムラムラとね……今もう一回この本を描き直したらもっと凄いものになってると思う(笑)」 ――当時の連載陣はかなり凄かったと思うんですが、その中の2位、3位ですからね。 巻来「もうオールスターですよ。『北斗の拳』『キャプテン翼』『シティハンター』『ドラゴンボール』『聖闘士星矢』『魁! 男塾』『ついでにとんちんかん』『ろくでなしブルース』『バスタード!』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』……」  天真爛漫、健康的な大作に紛れて、女サイボーグによるドロドロのSF復讐劇が上位に君臨していたのだから、少年たちの欲求には、大人たちは理解できない部分も存在していたことは間違いないだろう。あの時、もう少し続いていれば、『メタルK』が、『ジャンプ』の世界観を一変させる、そんな伝説的ヒット作のひとつになる可能性もあったのかもしれない。  しかし、巻来氏の『ジャンプ』作家としてのキャリアは、これまた不可解なことにすぐに再開された。半ば強制的とも思われた連載終了直後、巻来氏にはすぐさま新連載の枠が用意されていたのだ。
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ゴッドサイダー』Amazon Services International, Inc.
 不本意ながら人気作となった『メタルK』を見て、編集部の都合で切るには惜しい作家だと判断したのか、とにかく新連載はすぐに始まった。神と悪魔の間の子である主人公・鬼哭霊気が宇宙制服を目論むデビルサイダーに立ち向かう“宗教バトルサーガ”、『ゴッドサイダー』である。前作にも増して、オカルト方向に寄ったこの作品は、テーマ、ストーリーの複雑怪奇さ、メタファーに満ちたエログロ描写で、巻来功士氏の代表作となった(その後『鬼哭忍伝霊牙』『ゴッドサイダーセカンド』『ゴッドサイダーサーガ 神魔三国志』と数多くの続編・スピンオフ作品を生むことになる)。 巻来「その時に好きだったのが『堕靡泥の星』っていう佐藤まさあきさんの劇画なんですけど、それに影響されている部分がありましたね」 ■荒木飛呂彦の怪作と天秤にかけられて ――改めて子どもの記憶って曖昧だなと思うんですが、個人的には『ゴッドサイダー』もかなり長く読んでいたような記憶がありますね。 巻来「いや、あれも短いんです。1年半ですから……」  そう、急転直下の『メタルK』打ち切りに続いて、『ゴッドサイダー』も数奇な運命を辿る作品になってしまうのだ。なんと、当時『ジャンプ』に連載されていた“もうひとつの怪作”と天秤にかけられ、巻来氏はその時の担当編集だったK氏より、「『ジャンプ』にホラー漫画は2ついらない」という宣告を受けてしまうのだ。そのもうひとつの“ホラー”とは、現在にまで続く荒木飛呂彦氏による超大ヒット作『ジョジョの奇妙な冒険』である。 巻来「不思議ですよね、スポーツ漫画が2本あっても何も言われないじゃないですか? ギャグマンガだって『2本あっちゃいけない』なんて言われない。ホラー漫画だけですよ、『2本も必要ない』って言われたのは」
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ジョジョの奇妙な冒険 第1部 カラー版 1』(集英社)
 それ以来、『ジョジョ』を見る目が変わったという巻来氏。 巻来「もともと意識してたのは『ブラックエンジェルズ』だったんですけど、Kさんに言われてから、“ああ、これに勝たなければいけないんだ”って思うようになりましたね。『ジョジョ』をガン見したのはそれ以来です(笑)」  ただ、作品として『ジョジョの奇妙な冒険』は、それ以前から好きだったという。 巻来「『ゴッドサイダー』の始まる前から読んでいましたが、荒木さんの作品は好きでしたね。というか、僕は変な漫画を描く人が好きなんで、“よくこんな作品が『ジャンプ』に載ってんなぁ”っていう意味で好きでした」 ――確かに『ジョジョ』の最初の頃は、現在のバトルものとは違って、クラシックな人間ドラマでしたからね。 巻来「僕はもう大人だったから当時の『ジョジョ』の元ネタもわかるし、いろんな意味でおもしろいんですよ」 ――代表的な元ネタはシェイクスピア作品等ですね。 巻来「そうそう。ホラーものだし、吸血鬼ものでもある。やっぱりその辺は俺も描きたい漫画だったんですよ。それで“これ凄いことやるなぁ……”“でもこんなことやってたら絶対10週で終わるよ……”って思って見てたのが、終わらない。あれ、まだ続いてると」 ――この間のイベントでお聞きした限り、連載当初の『ジョジョ』は、そんなに人気もなかったといいますね。 巻来「『ジョジョ』は今でこそ“『ジャンプ』を背負って立つ”って言われてますけど、当時は俺と荒木さんの“どっちを終わらせよう?”って言われてたくらいなんで、人気はなかったんですよ。『ゴッドサイダー』も『ジョジョ』もだいたい同じような感じで、“いつ終わらせようか?”っていう作品だったんです」 ――ではいつ頃から2つの作品の関係が変わったんですか? 巻来「編集さんのアドバイスを受けてバトル漫画になったあたりからじゃないでしょうか? たとえば、“スタンド”は荒木さんが完全に少年漫画家になった証明ですからね」 ――いわゆる必殺技の類ですよね。 巻来「まさに必殺技ですよ、あれ、最初のテーマからは全く関係がない。でも『ジャンプ』の漫画は全部そうやって変わっていくんですよ。『キン肉マン』だって、最初は格闘技なんてあまり真剣にやってない。『魁! 男塾』もそうですよね。『北斗の拳』から続く、バトル漫画の伝統にのったっていうことなんです。その時から荒木さんの気持ちも確実に変わりましたよね。今まで何やってもいけなかったところにいけるようになったから……」 ――人気のトップの方にということですね。  結果として、巻来氏の入魂作『ゴッドサイダー』は約1年半でその連載を終え、編集者との共同作業に成功した『ジョジョの奇妙な冒険』は連載開始から28年も経った現在も続いている。 ――やはり編集者との共作が、大きなヒットを生んでいたんですね。 巻来「そうそう」 ――そこで“この担当編集さんのために描こう!”ってなれなかった巻来さんは外れていったってことなんですか? 巻来「そう思いますね。あの頃の『ジャンプ』に残れたのは、純粋に“少年漫画でこういう理想が描きたい!”って人ですよね。俺のように“潰れないところに行こう”って『ジャンプ』に行くような黒い感じじゃないんでね」 ――『潰れないところに行こう』(笑)。 巻来「でも『潰れない一流出版社がいいな』って思ったのは確かだけど、その時の『ジャンプ』を見たら『ブラックエンジェルス』があって、“これならやっていけそうだ”って思ったのと同時に、“こんな漫画が描きたいなぁ”って思ったんです。なんせその頃は『ストップ!! ひばりくん!』もやってましたからね。今でいう“LGBT漫画”ですよ」 ――確かにそうですね、その当時は少年誌の領域をはみ出たものも許容してたんですね。 巻来「いや、それがあったのは『ジャンプ』だけですよ。だからおもしろかったんです。他はホントに“少年誌はこうあらねばいけない”というものばかりでしたね。『サンデー』もそうだし。俺らが好きだったのはその前の『サンデー』で、『がんばれ元気』とか暗い漫画も載ってて、『番外甲子園』っていう凄い劇画チックな甲子園漫画だったり、『牙戦(きばせん)』っていう殺し合いの野球漫画だったり。『牙戦』は誰が描いていたかっていうと、あだち充さんですよ」 ――えっ、そんな作風のものを描いていたんですか!? 巻来「その頃のあだちさんは全くタッチが違う、いやこれはシャレじゃないですよ(笑)。もの凄い劇画調の作品を描いていたんですけど、あまり売れなかったんですよ……それで少女漫画に1回いって、『陽あたり良好良好』を描いたらウケたんですよね。そこからは少年誌に戻ってきて、今はずっと変わらずですからね」 ――やはり、漫画家さんもいろいろ紆余曲折があるんですね。売れたところで、作家性が固まるというか。 巻来「そうそう、それはあるんですよね。そしてそれは1人じゃ絶対できない。いい編集者がいて、“これやったら絶対いける!”とか“こっちやろう!”っていうので、漫画家も変わっていける。漫画家と編集の信頼関係があって初めて、漫画家は脱皮できてるんですよ。1人じゃどうあがいても客観性は出ないんで、わかんないんですよ、どの方向に行っていいか……」 ――漫画家さんには、それぞれに個人プロデューサーが付いているようなものなんですね。 巻来「そう、それが付くか付かないかっていうのは漫画家人生に於いて大きいですよ」 ――それを聞くと、巻来さんの“また担当が変わった”っていう話が、改めて大きなことだと感じますね。 巻来「そうなんですよね……」  巻来氏に縦糸を紡ぐ“自己プロデュース能力”があったことがよいことなのか悪いことなのかはわからないが、『ジャンプ』のような場所に於いては、巻来功士は極めて珍しい部類の漫画家だったといえるのだろう。 ■友情・努力・勝利の裏側――巻来功士の世界とは ――よく巻来さんの作品は『ジャンプ』の掲げるテーマ《友情・努力・勝利》とは相容れないと言われてますよね? 巻来「うん……まあ“友情・努力・勝利”もいいですよ。でもそれはアンチテーゼとして言えば、大賛成ということですよ。友情とは大変なものだし、努力は変な方向にいけば従属か奴隷か、最近の体育教師の虐待問題のような話になりますよね。勝利、これは一番胡散臭くて、“勝利とはなんだ”と問いたいですね。人に勝ったことを勝ち誇るっていうのはホントにある世代から後の話で、勝利もいいんだけど、その裏にある虚しさ、哀愁も含めて描かれた勝利じゃないと、作品としておもしろくないじゃないですか?」 ――勝者の孤独という暗く悲しいテーマですね。 巻来「絶対そうでしょ、だから清原もあんなことになっちゃったでしょ」 ――あ、それですか(笑)。 巻来「あの人も勝利しか知らない勝者だったから、ストレスがどんどん溜まっていったわけですよ」 ――確かに、夢だった巨人に入った瞬間、勝利した瞬間に敗者になるという、よくできた話ですよね。 巻来「あれこそがドラマ、“人間の真実”ですよ。やっぱり、勝利しか知らなかった人は挫折なんかわからない。だからみんなもそういう目で見ないといけないんです。“勝利も胡散臭いんだよ”ってことを思っておかないと、どんなに高い技術力を持っててもああいうことなってしまうんですよ」  最後に、改めて巻来漫画のルーツについて聞くと、極めて『ジャンプ』感のない答えが返ってきた。 巻来つげ義春さんが好きなんですよ。僕にとってつげさんは神なんです」 ――えっ、そんなお話、あんまり『ジャンプ』界隈で聞かないですよね。 巻来「いや、そんなヤツ『ジャンプ』に行かないでしょ(笑)」 ――それもそうですね(笑)。
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画像は、『つげ義春: 夢と旅の世界 』(新潮社)
巻来「つげさんが好きだったのは中学から高校にかけて、『ゲンセン館主人』『ねじ式』『紅い花』『李さん一家』……新しいところでは『無能の人』も大好きだし、全部読みましたよ。傑作だらけでね。僕は大学の時に作ってた同人誌がありまして、『鉄道おじさん』っていうんですが、つげ義春さんへのオマージュになってるんです。だから、心の救いを求めたい時にはつげさんの漫画を読むんです。だけど、そういう時は、あまりいい状態じゃない(笑)」 ――なんとなくわかります(笑)。 巻来「いい状態じゃない時に観る映画ってあるんですよ。観たいけど我慢してるっていうね。引退してから観たいっていう。僕にとってそれがなにかっていうと、『男はつらいよ』なんです」 ――ええーっ、これまた意外ですね……。 巻来「もうホントね、大好きなんですよ。最初の方の『男はつらいよ』ですよ。最後の方も観てるんだけど、1とか2のね、寅次郎があんないいおじさんじゃなくて、ヤクザの頃のですよ。寅次郎非道いヤツですもん。もうね、観てていたたまれないんですよ。異分子なんで、変なところで我を出して、話を滅茶苦茶にする。“そうだな、テキ屋だもんなぁ“っていうそこまで描かれた作品だから、あそこまで続いたんですよ」 ――それはシリーズ終盤の『男はつらいよ』のイメージとはかなり違いますね。 巻来やっぱり人間っていうのは裏もあって当たり前なんだから、そこまで描いて始めて大人の鑑賞に堪えるものなんですよ。最近“『あぶない刑事』の続編がヒット”なんて聞くと、“なんでいい大人がこんなものを……”って信じられない気持ちになる。あれ子供のもんでしょ、同一に並ぶのは仮面ライダーとかそういうものですよ。僕には、大人が表だけ描いたものを観て楽しんでるのがホントにわからないんですよ」  この他にも日本のエンターテインメントの現状、そして人間の闇についてを語り続けた巻来功士氏。新作についての話を聞いてみると、「今の時代に、ベトナム戦争ものをやろうと思って打ち合わせしています」とのことだった。“不遇”とも“奇跡”ともとれるジャンプ時代の経験を新著『連載終了! 少年ジャンプ黄金期の舞台裏』で精算した今も、その当時と変わらぬ《人間の闇への欲望》は、溢れ続けているようだ。  つまり、巻来功士が『男はつらいよ』をダダ回しで観続ける日は、もうしばらくは訪れそうにないということだ。 (文・写真=福田光睦/Modern Freaks Inc.代表・@mitutika https://twitter.com/mitutika巻来功士(まき・こうじ) 1958年7月21日生まれ。長崎県佐世保出身。1981年『少年キング』(少年画報社刊)誌上にて『ジローハリケーン』で漫画家デビュー。その後黄金期の『週刊少年ジャンプ』に移籍し、『メタルK』『ゴッドサイダー』等の作品を発表。短期間ながら“トラウマ漫画”と呼ばれる強い個性で今もカルト的人気を誇る。その他の作品として『ミキストリ-太陽の死神-』『瑠璃子女王の華麗なる日々』『ゴッドサイダーサーガ 神魔三国志』等。自身の自伝的漫画作品『連載終了! 少年ジャンプ黄金期の舞台裏』(イーストプレス刊)が絶賛発売中。 公式ウェブサイト=http://www.sokaido.com/makikoji/ 公式Twitter@godsider1
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連載終了! 少年ジャンプ黄金期の舞台裏』(イースト・プレス)

ショーンK、幻の釈明インタビュー! 米国人の実父は「信ぴょう性なし」で掲載見送りへ

 19日のラジオ出演以降、一切の露出がなくなってしまったショーンKことショーン・マクアードル川上氏。16日発売の「週刊文春」(文藝春秋)に、学歴や経歴の詐称疑惑を報じられたことによって、番組降板が相次いだためだ。こうして雲隠れしたはずのショーン氏だったが、その裏で一部メディアの取材に応じ、疑惑の釈明を行っていたという。  ショーン氏の“最後の出演”となったのは、19日放送のラジオ番組『MAKE IT 21』(J‐WAVE)。ショーン氏は涙ながらに、「メディア活動の停止を決断しました」と報告した。 「こうした“被疑者”が登場すると必ず、逆に本人を擁護する記事を展開する週刊誌が出るもの。一例を挙げると、大沢樹生の実子騒動が勃発した際、一部女性誌が『父親は大沢さんです』と断言する元妻・喜多嶋舞のインタビューを掲載。メディアを通じた代理戦争へと発展しました」(芸能ライター)  ショーン氏も、ラジオ降板の直前に、一部週刊誌が本人のインタビューを取ることに成功していたという。 「24日発売の『文春』にもショーン氏のインタビューが掲載されていますが、こちらは前号発売前に、本人が編集部を訪れた際収録されたもの。前号発売後に、『文春』とはまた別の週刊誌の取材に応じたそうなんです。自分には育ての親と実の父・マクアードルさんが存在するなど、『文春』で報じられたのと同じ釈明をしていたんだとか。ところが、結局ショーン氏の記事は掲載が見送られることとなってしまったようです。担当編集が『彼の話には信ぴょう性がない』と判断したといいます」(同)  芸能界ではたびたび目にする、こうした“逆張りインタビュー”だが、それがボツになるのはまさに前代未聞。しかし、戸籍上の父親は日本人であるものの、会ったこともなければ両親に確認さえしていない実の父「マクアードルさん」の存在は、「何とも苦しい言い訳ではないでしょうか」(同)。 「ただ、現在報じられているショーンの発言は、確かに突拍子もない“ネタ”ばかりですが、彼を目の前にすると、不思議と納得してしまうことがあるんです。外見はもちろんのこと、あの“イケボ”といわれる耳に心地よい低音の声で淡々と話されると、彼に敵意のない人間であれば、男女問わず彼を応援したくなると思いますよ」(ワイドショースタッフ)  今回、釈明の機会を見送られてしまったショーン氏だが、少なくとも世間に対して「ここは違う」と主張したい気持ちはあるということだろう。それが記者会見といった場になるのか、主戦場だったラジオ番組なのか、あるいは文章のみの“手記”といった形になるのかはわからないが、ぜひとも数々の疑惑に対する釈明を聞いてみたいものだ。

乙武洋匡の5股不倫告白で『妻が謝罪』の波紋 不倫問題の最強対処法とは

 今年に入って有名人の不倫騒動が相次いでいる。1月、清純派だったベッキーの騒動は激震を与えたが、クリーン度の高さでいえばこちらも負けてはいない。自民党から夏の選挙に出馬予定と見られていた乙武洋匡氏(39)の不倫が明るみになり、驚きが広がっている。乙武氏は450万部を超える大ベストセラーとなった『五体不満足』の著者として若くして一躍有名になり、スポーツライター、キャスター、コメンテーターとして数多くのメディアに出演、過去には教諭経験もある。2013年からは東京都の教育委員も務めており(現在は辞職)、ゴミ拾いボランティアなど社会奉仕活動にも熱心だ。2001年に大学の後輩女性と結婚し、8歳の長男、5歳の次男、1歳の長女の父である。  もっともネット上では、2014年頃から「乙武がタイのゴーゴーバーにいた」との目撃情報が流れ、肉食ぶりが囁かれていた。乙武氏のTwitter裏アカウントから流出したとされる、若い女性とベッド前での密着ツーショット写真は現在、拡散されまくっている。ちなみに流出先のアカウント名は<純愛エロメガネ>で、鍵つきのためつぶやき自体は見ることができない。このアカウントからはほかにも数枚の写真が流出しており、いずれも乙武氏と女性とが密着して仲睦まじい様子で写っているものばかりだ。もちろんツーショット写真が存在するだけで即不倫とは結びつかないものだが、乙武氏は20代女性との不倫海外旅行を報じた「週刊新潮」(新潮社)の取材に応じて不倫を認め、即、ブログで謝罪もしている。  同誌によると、昨年12月25日、乙武氏と女性は羽田空港からパリを経由してアフリカのチュジニアに降り立ち、地中海リゾートで観光を楽しんだという。機内では並んで座り「俺ら一心同体でしょ」「一心同体!乙くんといる自分が一番好き!」とラブラブな会話を交わす二人。「乙武くんは、近しい人には『彼女』と紹介していて、関係はもう4年半にもなる」という証言も載り、今回の海外旅行は政界進出を前にして身辺整理する必要があり、そのためのケジメ旅行であったと見られている。真っ黒である。  はっきり不倫を認めた乙武氏の言葉は、あまりにもありきたりなものだった。いわく「長男が誕生して妻が母になり、夫婦らしさが失われて」、癒しを外に求めてしまったというのだ。もう「出た~、出ました!!」としか言いようのない不倫男の常套句に、開いた口がふさがらない。ベストセラー作家ならもっとマシな文句をひねり出してほしかったものだ。さらに乙武氏は、一晩限りのおつきあいも含めると、過去に5人の女性と不倫したと告白したが、狩野英孝のように次から次へと過去の女性が名乗りをあげることを懸念しての防御だろうか。相当モテることは確かなようで、5人どころではない可能性も高いが。  さて、「週刊新潮」の発売に伴い、乙武氏は早朝4時にマスコミ各社にファックスでコメントを発表、ブログでも謝罪文を公表している。驚くことに、妻の仁美夫人までもがコメントを寄せた。 「このような事態を招いたことについては、妻である私にも責任の一端があると感じております。本人はもちろん、私も深く反省しております。誠に申し訳ございませんでした」  これについて「妻に謝罪させるなんて」「奥さんが謝る必要はまったくない」と現在、ネットは大荒れの様子を見せている。ベッキーとゲスの極み乙女。川谷絵音の不倫交際発覚時には、「奥さんがかわいそう」の大合唱が巻き起こっていたが、今回、妻が「夫婦の関係修復」を宣言しているにもかかわらずの大バッシング。妻が「許してやり直す」と言っている以上、マスコミももう追及できなくなり騒動は落着かと思いきや、乙武氏を「自分の不貞を妻に謝罪させる暴君夫」と断罪する向きすらあり、妻の言葉は火消しになるどころか、燃料投下になってしまったようだ。  ただ、別の見方をすることもできる。前述のように、乙武氏はモテる男だ。そして女好きである。これまで15年以上にわたる付き合いをしてきた妻が、それを全く知らなかったはずがない。そしてこれから先も、夫はモテる男であり続けるだろう。であれば、ここでコメントを出すことで、他の女性たちに向けて「我が家庭は不倫ごときで壊れないのだ」とにこやかに全方位攻撃することができ、妻の座を明け渡す気がないことの宣誓にもなる。少なからず、「一心同体だよ」とイチャイチャしていた不倫旅行の女性に対しては、完全勝利ということになる。三人の子供たちを抱えて育児に奮闘する自分を差し置いて、恋愛を謳歌する夫への怒りが無いわけではないだろうが、不倫をされたときの対処法としてもっとも強いのは「離婚しない」ことなのだから。 (エリザベス松本)

性豪・乙武洋匡も唖然! 障害を超えて人生を謳歌した最強の身体欠損人間4選

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「五体不満足 完全版」(講談社文庫)
 23日、タレントの乙武洋匡氏が5人の女性と不倫関係にあったことが「週刊新潮」(3月31日号)で報じられた。先天性四肢切断という重い障害を持ちながらも、明るく、社会活動をしてきた姿とはかけ離れた行状に、がっかりしている人も多い。  今回の不倫騒動は、彼の並外れた行動力が悪い方に発揮された事例だが、強い行動力や意志が社会で活躍することに必要なのは間違いない。そこで今日は、障害を持ちながらもそれを乗り越え活躍した、古今東西の人々をご紹介しよう。 ■四肢のないレスラー、ダスティン・カーター
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画像は「disabilityinaction.com」より引用
 米オハイオ州に住むカーターさんは5歳の時、髄膜炎菌血症にかかり、病院に搬送されたものの両手両足を切断。スポーツをすることが好きだった少年は、義足での生活を余儀なくされた。それからふさぎ込みがちな日々を送っていたが、14歳の時、兄が通っていたレスリングクラブに見学に連れて行かれたことから人生が一変する。普段から自分のことは自分でできるように頑張ってきた彼に、レスリングという新しいターゲットが生まれたのだ。  彼はレスリングのオハイオ州大会で優勝することを目指し、約5年間、トレーニングを積み重ねていった。地獄のようなトレーニングの結果、彼は40キロの重りを首にかけて20回アゴ上げができるほどになったという。  手足がない彼にとって、レスリングは無謀とも思える競技だが、地区大会を勝ち抜き、3位で予選を通過した。州大会に出場した彼は見事、1回戦で勝利を飾った。目標の優勝は達成できなかったものの、大きな足跡を遺したのは間違いない。彼のトレーナを務めたスコット氏は「彼の忍耐力は眼を見張るものがあった。それとやはり勝ちたいと思う気持ちだね。毎日彼は勝利のためにハードワークをこなしていたんだ」と話し、彼の努力を賞賛している。 ■2度結婚ペンギンレディー、ルース・デイビス
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画像は「thehumanmarvels.com」より引用
 1910年に生まれたといわれているルース。「アザラシ肢症」と呼ばれる先天性疾患のため、手足が発達せず非常に短い状態であった。その幼少期はハッキリとした記録が残っていないが、1930年代からサーカスで活動を始め、名が知られることとなった。  彼女はそのよちよちと歩く姿から連想された「ペンギンレディ」というステージネームで活躍。客からは「ミニヨン」(フランス語で「小さい」「かわいい」の意)という愛称で呼ばれ、愛されていたという。ステージではマリンバを演奏し、外見だけではなくその演奏技術でも客を魅了し、1960年代に引退するまで、30年ほどステージで活躍した。  彼女は私生活も充実しており、2度の結婚を経験している。最初に健常者の男性と結婚した際には男児を出産、その子はカリフォルニアで警官になったそうだ。その後、同じく障害を抱えながらもサーカスで「跳びはねるカエル男」として活躍していた男性と結婚。変わった見た目の夫婦は当時話題になった。
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画像は「sideshowworld.com」より引用
■ヘレン・ケラーも敬服した、中村久子
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画像は、左:「Wikipedia」より引用、右:「nakamura-hisako.co.jp」より引用
 見世物小屋で活躍した日本人もいる。1897年、岐阜県に生まれた中村久子は「だるま娘」として、見せ物小屋で活躍した。  彼女は2歳のときに左足に凍傷を負い、それが他の肢体にも転移したことから四肢が壊死してしまい、3歳の頃には四肢を切断することとなってしまった。7歳の時に父が病死した後は、母と祖母により厳しい教育を受け、自分の身の回りのことはもちろん、読み書きや編み物などができるようになった。  その後母親の再婚から、継父に虐待を受ける事態となり、半ば身売りのような形で見世物小屋で芸人として働くこととなった。基本的に自分のことは自分でできるように育てられた久子は、口を使って器用に文字を書いたり、手芸をするなどして見世物小屋に来た客を沸かせた。障害を持ちながらも、自分の力で道を切り開いていったのだ。  久子は後にヘレン・ケラーとも対面しており、彼女をして「私よりも不幸で、偉大な人」と言わしめている。この際、彼女は手作りの日本人形をヘレン・ケラーに贈った。 ■嫁に恵まれなかった皇帝、クラウディウス
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『即位を宣するクラウディウス帝』(1867年)、画像は「Wikipedia」より引用
 ローマ帝国第4代皇帝クラウディウス。近親婚の影響か彼は先天性の障害を持っており、普段からうまく話せず、よだれを垂らし、足を引きずっていたといわれ、脳性まひを患っていたと推測されている。そのため、もともとは皇帝候補ではなかったのだが、先代皇帝が暗殺されたことから、急遽担ぎだされることとなった。  そのような経緯から帝王学を学んでいなかった彼であるが、それまで歴史の研究に没頭していたことを活かし、過去の歴史から学んだ施策を行い、ローマ社会に平穏の時をもたらしたという。  そんな彼は4度の結婚をしているのだが、その中でも有名なのが3番目の妻メッサリナだ。クラウディウスが妻の行動に無干渉であるのをいいことに、皇妃という立場を利用して好き放題に振る舞ったという。さらに性欲が強かったのか、ローマの売春宿に偽名で潜入し、一晩で25人の男と交わってもなお欲求不満であったという話も伝えられている。  そんなとんでもない妻は、やがてクラウディウスの抹殺をも企てるが露見し、処刑される。窮地を脱した彼だが結局、4番目の妻アグリッピナにより毒殺されたといわれている。アグリッピナが夫を毒殺させてまで、皇帝にさせたかった彼女の連れ子こそ、暴君として名高い皇帝ネロである。  現代は障害者福祉を踏まえた社会づくりが前提となっているが、まだまだ充実しているとはいえないだろう。しかし、そんなものが無い時代にも強く活躍した過去の障害者を見ていると、障害の有無を問わず個人の資質が何よりも大事であるということを思い知らせてくれる。 参考リンク:「thehumanmarvels.com」、ほか

乙武洋匡、不倫相手は「50人近くいる」!? 過去には、金髪ギャルとのベッタリ写真流出も

 今夏の参議院議員選挙において、自民党の擁立で出馬すると報じられている乙武洋匡氏に、“下半身スキャンダル”が勃発した。24日発売の「週刊新潮」(新潮社)が、不倫相手という20代後半の一般女性との海外旅行、さらには乙武氏本人による「肉体関係もある」という“自供”までスクープしたのだ。乙武氏の誠実なイメージを覆すスキャンダルだけに、世間に大きな衝撃が走ることとなりそうだ。  乙武氏といえば、1998年に出版した『五体不満足』(講談社)がベストセラーを記録。大学卒業後はスポーツライターとして活動し、また小学校教諭として教壇に立つ姿もメディアで伝えられていた。また、私生活では2002年に大学の後輩だった一般女性と結婚しており、現在は3人の子どもをもうけているが、その裏では不倫に勤しんでいたようだ。 「同誌では、乙武氏と女性が昨年のクリスマスから、カムフラージュのため男性を交えて3人で海外旅行をしていたことを詳報。現地では2人きりで行動していたものの、帰国後は別々に移動するなど、徹底して人目を避けていたそうです。さらにこの女性とは、出馬に際しての“身辺整理”のため、4年半に及んだ関係に“ケジメ”をつけたという証言も掲載されています」(芸能ライター)  さらに記事では、乙武氏が自ら「肉体関係もあります。不倫と認識していただいて構いません」と関係を認める発言も飛び出した。 「乙武氏に近い関係者の間では、彼の“肉食ぶり”は有名な話でした。介護職員など、身近にいる女性を手当たり次第に口説いており、それは結婚後も変わっていない。5人の不倫相手がいたと本人も認めていますが、少なく見積もっても、こうした女性はその10倍、50人近くはいるでしょう」(ワイドショースタッフ)  ちょうど1年ほど前には、乙武氏の不倫相手とみられるギャル風の金髪女性とのツーショット写真が流出したこともあった。 「この女性も、本人が明かした『5人』のうちの1人なのかもしれませんね。しかし、一度こうしたスキャンダルが発覚すると、他メディアの報道合戦によって、関係を持った女性自らが『私も』と挙手する可能性が出てくる。乙武氏も今後の身の振り方次第では、加藤紗里と川本真琴との三角関係で大炎上した、狩野英孝状態になってしまうかも」(同)  乙武氏は2月に出演した『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、当時騒動になっていた宮崎謙介元衆院議員の“ゲス不倫”報道について、「基本的に政治家のプライベートがどうであっても私はいいと思ってる」とコメントしていた。近い将来の出馬を見据え、自身も同様に妻以外の女性と関係を持っていたことが、こうした発言につながったのかもしれないが、少なくとも世間のイメージダウンは避けられないだろう。年始からさまざまな著名人の不倫が取り沙汰されているが、新たな“主役”が出現してしまったようだ。

小籔千豊「テレビが不倫肯定したらアカン」「不倫でも結婚したらOKな風潮、キモい、ほんまキモい」

 22日に放送された“社会派トークSHOW”番組『ケンカ上等!大激論!好きか嫌いか言う時間 日本イライラ解消SP』で、不倫について議論がかわされた。  昨年10月から少しずつ構成を変えて単発放送が続いている同番組。今回はメインMCを坂上忍、アシスタントをブラックマヨネーズ吉田敬が務めるかたちで、コメンテーターの芸能人数名と、「ゆとり世代30人」「東大生30人」「プラチナ世代(60~80歳)30人」「独身の熟成美女30人」総勢120名が集った。  「独身の熟成美女30人」のコーナーでは、「既婚者しか愛せない女」が登場。芸能事務所ヴィズミックのマネジメント部長である38歳の女性と、派遣会社を経営する40歳の女性が、「結婚している人大好き病」「二号でも不服はない」と熱く語った。ナレーションでは、「既婚男性と独身女性の不倫。最近では世の意見も厳しくなり不倫はただの火遊びで済まされず、辞職や休業など重い罰が下されるようになっている」と説明したものの、彼女たちに共感・肯定する意見はスタジオ内で少なくはなく、パネラー陣だけが厳しい判定を下した。  ブラマヨ吉田は既婚男性として、彼女たちが「愛人は文字通り“愛する人”って意味だから」等と解釈していることに、「遊びなんですよ、愛せないんですよ、浮気相手の女性って。妻がいるから。遊びの女と喧嘩とかしたくない。愛すると喧嘩しちゃうでしょ」と反論。同じく既婚女性の若槻千夏が「奥さんの立場からしたら、殺したくなると思います」と発言すると、不倫常連の女性は「(奥さんに)魅力がないから浮気されるんですよ」と言い、ヒートアップ。芸人・横澤夏子が「奥さんにバレたとき、刺される覚悟はあるんですか?」と問うも、不倫派は「バレないです」「ちょっと借りてるだけ、シェア」と悪びれない。「8割くらいの既婚男性は不倫やってますよ」と主張し、会場の独身女性30人にきくと、過去も含めて不倫経験のある女性、30人中22人だった。  長らく黙っていた小籔千豊が口を開いたのは、もうこのテーマトークを切り上げようか、という終わりかけのタイミング。「既婚男性である僕からしたら、こんな素敵なことはないですけど、やっぱこのテレビの向こうにチビッ子たちが見てると思ったら。この女性たちを否定するわけじゃないけれど、アカンという大前提はテレビで言いたい。不倫を推奨したりとか、二号さん・一夫多妻制イェイ♪なんて」と、本音と建前は使い分けるべきだと論を展開した。そして番組の終盤、過激な週刊誌報道についての好き/嫌いを伺うテーマになったときも、小籔は不倫ネタに言及している。  ゲストの田原総一郎が、かつて「週刊新潮」(新潮社)に自身の不倫を暴かれた話になったとき。田原は「書かれたもん。不倫したわけよ。不倫した相手と結婚した。最終的にはね」とアッケラカンだったが、若槻が「(不倫でも)結婚したらOKみたいになってません?」とツッコみを入れると、すかさず小籔が「あれキモイですよね! ほんまキモイ」とかぶせ、そのまま番組はエンディングを迎えた。小籔としては、一度結婚した夫婦は、不倫などで波風が立っても、関係を修復して添い遂げるべきだと考えているようだ。  美味しいところだけつまんでポイ捨て――つまり既婚男性が、独身女性の若く美しい時期、恋愛の楽しい側面だけを選び取って堪能し、遊んで捨てるよりは、「結婚」という公的な契約を結ぶほうが、世間的に良いイメージがあることは確かだろう。実際、入籍して共に暮らしてみたら、うまくいかなくなってしまう夫婦なんてたくさんいる。結婚後に、配偶者以上に愛する誰かと出会ってしまうこともある。そうした問題は、努力や忍耐で乗り越えられることばかりでもない。  田原は最初の結婚中に、日本テレビのアナウンサーだった節子さんと不倫関係になり、離婚して再婚。その経緯や節子さんの闘病・介護も含め、夫婦の日々を綴った『私たちの愛』(田原総一朗、田原節子著/講談社)も出版している。後ろめたいことでは全然ないわけだ。一方で、不倫から再婚、いわゆる略奪婚となったカップルは、プライベートを隠しておきたくとも、芸能人であるがゆえに一連の流れを追われ、報じられてしまうケースが少なくない。たとえばウッチャンナンチャンの内村光良は妻が前夫との婚姻中から交際して略奪。独身男性が既婚女性を、という珍しいケースだ。とんねるず石橋貴明は、前妻と別れてすぐに鈴木保奈美との結婚と彼女の妊娠を発表。いずれも詳細を書籍化どころかインタビュー取材などでも明かしてはいないが、顛末が広く知れわたっている。これを堂々と出版したのが布袋寅泰。最初の妻・山下久美子との離婚、今井美樹との再婚を、布袋は自著『秘密』(幻冬舎)で「略奪じゃない。俺が美樹ちゃんを好きになってしまった。悪いのは全部自分」と述懐している。山下のほうは、同じく幻冬舎から出した自著『ある愛の詩』にて、12年の結婚生活に終止符を打つにあたって、今井美樹の存在が大きかったことをはっきり記している。まだまだ書ききれないほどこうした芸能人カップルは大勢いるが、小籔はこうしたいくつものカップルに「キモイ」と宣戦布告したわけである。というか、不倫から再婚に至った田原の目の前で「キモイ」と発したのだから、堂々としたものだ。着実に、新時代の御意見番の地位を固めている。  さてしかし、小籔の意に反して、テレビは不倫を否定するという建前をもはや持続させようとしていない。この4月期からの連続ドラマは、“不倫もの”が3本。連発される。栗山千明と市原隼人による『不機嫌な果実』(テレビ朝日系)、前田敦子が主演する『毒島ゆり子のせきらら日記』(TBS系)、そして映画『ゴーン・ガール』そっくりのあらすじである伊藤英明主演の『僕のヤバい妻』(フジテレビ系)だ。少し前にヒットした『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』(フジ)のように、ムーヴメントを起こすことを各局期待しているようである。思えばテレビの普及から現在まで、テレビが「大前提としてアカン」とモラルを提示する装置だったことなどあっただろうか。小籔の「チビッ子が見ているんだから」という建前重視の論旨は、今の時代だからというわけではなく、テレビ業界のスタンダードから見ればまったく的外れなのではないだろうか。