堀北真希、芸能界引退報道のウラに嫁姑問題! 「事務所も連絡取れない」非常事態に?

 堀北真希が“事実上の芸能界引退”になると、29日発売の「週刊女性」(主婦と生活社)が報じた。サイゾーウーマンが昨年10月にこのウワサを報じて以降(既報)、堀北の進退に関する情報は各業界関係者にも伝わっていったが、中には事実とはまったく違った話が独り歩きしていたという。それに関連して、堀北には新たな問題も浮上しているようだが……?  昨年8月、山本耕史と突如結婚を発表し、世間を驚かせた堀北。加えて秋頃になると、堀北が所属事務所・スウィートパワーとの契約を更新しない方針という情報が、一部関係者の間でささやかれるようになった。 「メディア関係者の間では、堀北は事務所との契約を更新しない意向で、もともと芸能界に未練もないことから、近く家庭に入るのではといわれていました。ところが、芸能プロダクションや代理店関係者の間では、また違った情報が飛び交っていたんです。それは『近く堀北は山本の事務所に移籍する』というものでした」(芸能プロ関係者) 「週女」によれば、堀北は4月以降の仕事がまったく決まっておらず、また出演するCMのスポンサーに対しても降板の意向を伝えているのだという。しかし、今後復帰する可能性なども想定して、スウィートパワーに籍だけは残す方針のようだ。 「堀北移籍情報の出処を調べていくと、どうやら山本の所属事務所が発信した情報だったことがわかりました。山本の事務所は、母親が代表を務める個人事務所で、結婚当初から堀北の“引き抜き”を画策していたようなんです。現在、山本はバラエティで堀北をネタにする機会が増えていますが、ここに堀北本人も抱き合わせで出演となれば確かにおいしい話。しかし、育ての親であるスウィートパワーとしては、夫婦セット売りは許せなかったのでしょう。堀北は姑と事務所の板挟み状態にあるようです」(週刊誌記者)  スウィートパワーは今回の引退報道について、29日付「デイリースポーツ」の取材に対して、「(CM)契約はまだあります。事実ではございません」と引退を否定しているが、「今後の仕事についてや、降板申し入れについての言及はない。現在堀北は事務所スタッフでさえ連絡が取れないともいわれており、こちらでも何らかの確執が発生しているのかもしれません」(同)という。  新婚当初は山本の女グセの悪さが心配されていた堀北だが、ここへきて“嫁姑問題”という新たな火種が浮上してしまった。事務所が籍を残させた真意は「万一離婚した時を想定してのことなのかもしれませんね」(同)というが、果たして――。

「特別だから不倫にも目をつぶろうよ」乙武洋匡を擁護する友人たちの異常性

 先日、「週刊新潮」(新潮社)によって明らかにされた乙武洋匡さん(39)の不倫。乙武さんは不倫を認め、過去には5人もの女性と不倫したと告白、さらには妻である仁美さんも謝罪文を発表するという事態に。ネット上では乙武さんの不倫そのものへのバッシングのみならず、「妻には何の責任もないのに謝罪させるなんて」という声や、乙武さんが自民党から夏の選挙に出馬予定と見られていたために「夫婦で選挙対策として謝罪しただけでは?」との指摘も出ていた。  乙武さんの奔放な遊び方は、近い人間たちにとっては周知の事実だったそうで、報道のすぐ後から現在まで関係者からさまざまなコメントが出ている。27日放送の『Mr.サンデー』(フジテレビ系)や翌28日の『ノンストップ!』(前同)には、乙武さんの不倫旅行にダミーとして同行した友人や乙武さんとの合コン経験があるという女性が登場。友人は、旅行中には2人の不倫関係に気づかなかったと弁解しつつも、「彼は能力の高い人間だし、だけどやって良いことと悪いことがあって、そこをきちんと教えるのが僕たち友達の役割。『彼は特別だから目をつぶろうよ』と、どこかにそういうのがあった」と本音を明かしていた。乙武さんは傲慢な裸の王様になっていたのか。  乙武さんと複数回の合コン経験があるという女性は、合コン中の乙武さんについて「途中からはエッチな会話ばっかりでしたね」と話し、連絡先を交換した後日には「23時開始の、ホテルのスイートルームでの合コン」に誘われたとも。合コンの最中に乙武さんは「僕はすごいよ。僕は強いよ」と話していたそうだ。ほかにも「関係を持ったことがある」と自称する女性が、「彼はすごくモテる。今でも私は彼を尊敬している」としながら、性行為について「まず私が乙武さんを布団に寝かせてセットして、しっかり固定して、……と言う感じですね」と暴露する始末。実に口の軽い友人たちと行動を共にしていたようだ。  さらに一部スポーツ紙では乙武夫妻について「夜10時を過ぎたら『家に帰らない』という約束をしていた」と友人が証言する擁護記事が出た。三児の寝かしつけを終えて疲労困憊の時間帯に、食事や排泄、風呂など日常生活の介助が必要な乙武さんが帰宅すると妻の負担になるから……という理由での「門限10時」で、それを過ぎたら乙武さんは事務所に泊まらざるを得なかったために半別居状態になり、他の女性と不倫関係になってしまったのでは、というわけだ。しかし「門限」というからには普通、「10時までに帰宅してほしい」という意図でのルールだったはずだろう。それを逆手にとって「10時過ぎたから帰らない」と言い訳するのはあまりに幼稚である。  また、最新号の「女性自身」(光文社)では、乙武さんの母親までもが取材に応じた。「浮気したうえに、愛人が何人もいたなんて馬鹿なことを堂々と宣言するなんて最低のことで、まともではありません」と息子への怒りをあらわにし、仁美さんが謝罪したことには「悪いのは息子でお嫁さんにはまったく非がないのに、彼女にも謝らせるなんてとんでもないことです」と平身低頭の母親。息子夫婦の今後については「2人が末永く夫婦でいてくれて、添い遂げてくれればと願うばかりなのです」と関係修復を望んでいるようだ。  合コン相手だった女性の話については、これまでもネットなどで乙武さんの派手な女遊びが噂されていたため、とくに目新しいものでもないと見る向きもあるが、教職者であり政治を志す彼に清廉潔白なイメージを託していた人々にとっては大きな衝撃だっただろう。筆者としては、乙武さんの母親の言葉は、同じ女性であり、妻という立場から仁美さんの心中を察する傍ら、母親として息子夫婦には添い遂げてもらいたいという本音も見える、正直なものであると思う。ただ、不倫旅行に同行した友人や、夫妻の門限について明かした友人には違和感がある。  不倫旅行に同行した友人は、乙武さんに「彼は特別だから目をつぶろうよ」と思っていた部分があると話していたが、乙武さんの何が“特別”なのだろうか。ベストセラー作家で有名人であることか。あるいは五体不満足なことか。彼の不自由な部分に手を貸すことは、友人なら特別なことではないだろうし、そもそも不倫に目をつぶるための特別な理由なんてない。もし健常者の友人が不倫をしようとしたら、あなたは特別ではないからそれはよくない、と止めたりするのだろうか。  また別の友人による「門限10時という制約が乙武さんを不倫に走らせたのでは」という話だが、単身赴任者や、仕事の都合などで深夜帰宅を余儀なくされ、家族の生活リズムを崩さないようにと自宅とは別にアパートなどを借りている夫が皆不倫に走っているわけではない。  なぜ友人たちは乙武さんを「不倫しても仕方がない」と擁護するのだろう。同情を引くような言動をすれば、乙武さんならびに他の多くの障害者に対して失礼だと考えることはないのだろうか。何より、彼が度重なる不倫に走った理由として「妻が子供を産んでから母になり女でなくなって」という不倫夫の常套句をあげた点からも、身体が不自由だから、門限が10時だから、という言い訳がまったく弁解になっていないことは明らかだ。それらの理由は、彼に不倫をどうやっても避けられないものにするような絶対的な力があったのか? いや、単純に乙武氏が女性にだらしなく、不倫に抵抗のない人間だったというだけであろう。  もし仮に夫婦間で「不倫OKどんどん外でしてよし」の取り決めがあったというなら、他人がその家庭のあり方に口出しするべきではないのかもしれない。だが3人の子供をもうけておきながら世話を妻に任せて合コンや不倫三昧、とりわけ子供たちにとっても大きな行事であろうクリスマスを含む年末に一週間の不倫海外旅行といった事実は、彼のイクメン的な振る舞いや、これまで築いてきた家族を大事にする父親像、子供を教育する立場などがあるからこそ、結局は非難の対象となる。想像以上のゲスぶりが表に出てしまった格好だが、今後、出馬をとりやめるとしても、彼に家族や教育などのテーマで講演や執筆の依頼があるのかどうか。 (ルイコスタ松岡)

「特別だから不倫にも目をつぶろうよ」乙武洋匡を擁護する友人たちの異常性

 先日、「週刊新潮」(新潮社)によって明らかにされた乙武洋匡さん(39)の不倫。乙武さんは不倫を認め、過去には5人もの女性と不倫したと告白、さらには妻である仁美さんも謝罪文を発表するという事態に。ネット上では乙武さんの不倫そのものへのバッシングのみならず、「妻には何の責任もないのに謝罪させるなんて」という声や、乙武さんが自民党から夏の選挙に出馬予定と見られていたために「夫婦で選挙対策として謝罪しただけでは?」との指摘も出ていた。  乙武さんの奔放な遊び方は、近い人間たちにとっては周知の事実だったそうで、報道のすぐ後から現在まで関係者からさまざまなコメントが出ている。27日放送の『Mr.サンデー』(フジテレビ系)や翌28日の『ノンストップ!』(前同)には、乙武さんの不倫旅行にダミーとして同行した友人や乙武さんとの合コン経験があるという女性が登場。友人は、旅行中には2人の不倫関係に気づかなかったと弁解しつつも、「彼は能力の高い人間だし、だけどやって良いことと悪いことがあって、そこをきちんと教えるのが僕たち友達の役割。『彼は特別だから目をつぶろうよ』と、どこかにそういうのがあった」と本音を明かしていた。乙武さんは傲慢な裸の王様になっていたのか。  乙武さんと複数回の合コン経験があるという女性は、合コン中の乙武さんについて「途中からはエッチな会話ばっかりでしたね」と話し、連絡先を交換した後日には「23時開始の、ホテルのスイートルームでの合コン」に誘われたとも。合コンの最中に乙武さんは「僕はすごいよ。僕は強いよ」と話していたそうだ。ほかにも「関係を持ったことがある」と自称する女性が、「彼はすごくモテる。今でも私は彼を尊敬している」としながら、性行為について「まず私が乙武さんを布団に寝かせてセットして、しっかり固定して、……と言う感じですね」と暴露する始末。実に口の軽い友人たちと行動を共にしていたようだ。  さらに一部スポーツ紙では乙武夫妻について「夜10時を過ぎたら『家に帰らない』という約束をしていた」と友人が証言する擁護記事が出た。三児の寝かしつけを終えて疲労困憊の時間帯に、食事や排泄、風呂など日常生活の介助が必要な乙武さんが帰宅すると妻の負担になるから……という理由での「門限10時」で、それを過ぎたら乙武さんは事務所に泊まらざるを得なかったために半別居状態になり、他の女性と不倫関係になってしまったのでは、というわけだ。しかし「門限」というからには普通、「10時までに帰宅してほしい」という意図でのルールだったはずだろう。それを逆手にとって「10時過ぎたから帰らない」と言い訳するのはあまりに幼稚である。  また、最新号の「女性自身」(光文社)では、乙武さんの母親までもが取材に応じた。「浮気したうえに、愛人が何人もいたなんて馬鹿なことを堂々と宣言するなんて最低のことで、まともではありません」と息子への怒りをあらわにし、仁美さんが謝罪したことには「悪いのは息子でお嫁さんにはまったく非がないのに、彼女にも謝らせるなんてとんでもないことです」と平身低頭の母親。息子夫婦の今後については「2人が末永く夫婦でいてくれて、添い遂げてくれればと願うばかりなのです」と関係修復を望んでいるようだ。  合コン相手だった女性の話については、これまでもネットなどで乙武さんの派手な女遊びが噂されていたため、とくに目新しいものでもないと見る向きもあるが、教職者であり政治を志す彼に清廉潔白なイメージを託していた人々にとっては大きな衝撃だっただろう。筆者としては、乙武さんの母親の言葉は、同じ女性であり、妻という立場から仁美さんの心中を察する傍ら、母親として息子夫婦には添い遂げてもらいたいという本音も見える、正直なものであると思う。ただ、不倫旅行に同行した友人や、夫妻の門限について明かした友人には違和感がある。  不倫旅行に同行した友人は、乙武さんに「彼は特別だから目をつぶろうよ」と思っていた部分があると話していたが、乙武さんの何が“特別”なのだろうか。ベストセラー作家で有名人であることか。あるいは五体不満足なことか。彼の不自由な部分に手を貸すことは、友人なら特別なことではないだろうし、そもそも不倫に目をつぶるための特別な理由なんてない。もし健常者の友人が不倫をしようとしたら、あなたは特別ではないからそれはよくない、と止めたりするのだろうか。  また別の友人による「門限10時という制約が乙武さんを不倫に走らせたのでは」という話だが、単身赴任者や、仕事の都合などで深夜帰宅を余儀なくされ、家族の生活リズムを崩さないようにと自宅とは別にアパートなどを借りている夫が皆不倫に走っているわけではない。  なぜ友人たちは乙武さんを「不倫しても仕方がない」と擁護するのだろう。同情を引くような言動をすれば、乙武さんならびに他の多くの障害者に対して失礼だと考えることはないのだろうか。何より、彼が度重なる不倫に走った理由として「妻が子供を産んでから母になり女でなくなって」という不倫夫の常套句をあげた点からも、身体が不自由だから、門限が10時だから、という言い訳がまったく弁解になっていないことは明らかだ。それらの理由は、彼に不倫をどうやっても避けられないものにするような絶対的な力があったのか? いや、単純に乙武氏が女性にだらしなく、不倫に抵抗のない人間だったというだけであろう。  もし仮に夫婦間で「不倫OKどんどん外でしてよし」の取り決めがあったというなら、他人がその家庭のあり方に口出しするべきではないのかもしれない。だが3人の子供をもうけておきながら世話を妻に任せて合コンや不倫三昧、とりわけ子供たちにとっても大きな行事であろうクリスマスを含む年末に一週間の不倫海外旅行といった事実は、彼のイクメン的な振る舞いや、これまで築いてきた家族を大事にする父親像、子供を教育する立場などがあるからこそ、結局は非難の対象となる。想像以上のゲスぶりが表に出てしまった格好だが、今後、出馬をとりやめるとしても、彼に家族や教育などのテーマで講演や執筆の依頼があるのかどうか。 (ルイコスタ松岡)

【閲覧注意】生きたミイラ、ジョナサン・バス ― 全身骨化し、死ぬまで動けなかった男

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画像は「sideshowworld.com」より引用
 「骨化した男」や「骨男」、他にも「石男」や「生けるミイラ」などと呼ばれたジョナサン・バス。原因不明の奇病に蝕まれ、全身が徐々に骨化していくという症状に苦しめられた彼は、見世物小屋の目玉として人気を博した。そう聞くと非常に不幸な生涯と思えるが、彼の人生は輝かしい家族愛に包まれたものであった。 ■健康で活発だった若年期  ジョナサン・バスは1930年、ナイアガラの滝近くのニューヨーク州の町カンブリアで生を受けた。4人兄弟の長男として農家に生まれた彼は、フレンチ・インディアン戦争で活躍した祖父の名を受け、ジョナサンと名づけられた。  まだまだ森が多かったニューヨーク州の大自然の中で育った彼は、幼少期から活発で、勉強がよくでき、外見も整っていたため、少し名の知れた存在となっていた。7歳と9歳のころにリウマチを患ったものの、それ以外は健康に過ごしていたという。  15歳の頃にはいかに彼がたくましかったのかを物語るエピソードもある。ある日、学校をサボったジョナサンに激怒した教師が、ジョナサンを呼び出して定規を激しく彼に打ちつけた。するとジョナサンは定規をつかみとってそれをやめさせるだけにとどまらず、教師を返り討ちにしてしまったのだ。  そんな彼が14歳のときに父親が亡くなり、まだ幼い弟たちと母を養うため、学校に通いながらも、家の農場で仕事をすることとなった。16歳になると夏の間、友人と一緒に近くにあるエリー運河で木材の荷揚げの仕事もするようになった。当時は運搬船の舵取りでジョナサンの右に出るものはいなかったほどの活躍をしたが、このときの待ち時間などで長い時間水に浸かっていたことが、後の病気の引き金になったのではないかと、ジョナサンは自叙伝で振り返っている。  そして1848年7月22日、17歳だった彼に最初の兆候が現れた。リウマチを患った時以来の謎の痛みが彼を襲ったが、それが骨化の始まりだとは思いもしなかったという。
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画像は「gingerstrand.com」より引用
■奇病の発症、止まらない進行  それは学校へと向かう途中のことだった。右足の拇指球に骨を貫かれたような激痛を覚えた彼は、釘か何かを踏んだかと思って靴を脱いだが、そこには何もなかった。その後患部は燃えるような痛みを増していったという。  翌日になっても立つことができず、痛みは膝にまで広がっていった。たくさんの医者に診てもらい、リウマチの治療を受けるも一向に改善することなく、結局その痛みは秋まで消えることがなかった。その頃には杖なしでは歩けないようになってしまっていた。  彼はその後も5年間にわたり各地の医者に診てもらったものの、原因は解明されず、あらゆる治療を試すも効果がなかった。それでも諦めずに方法を探し続けたジョナサンは、体力が低下していくのに反比例するように知識をつけていった。  治療への執念は消えず、何度も何度も医者に診てもらうことを続けたため、彼は医療界でも注目を浴びた。よく食べよく寝るという健康的な生活を続けていながらも進行する彼の症状に医者たちは困惑し、まれに見る奇妙な症例として「生ける不思議」と呼ぶなど、興味を深めていった。それと同時に、そんな症状に冒されながらも知的に健気に活動する彼を賞賛する声も上がった。 ■家族による甲斐甲斐しい介助  1853年、ついに彼は働くことができなくなり、母親に世話をしてもらうことになった。母親はとても優しく献身的に世話をしてくれたが、3、4年後には骨化が進み、顔以外の筋肉は動かせなくなってしまった。アゴ先といくつかの歯を使うことができたため、食欲もあり、消化器官も健康に機能していた彼は、なんとか食事をすることができていた。  しかし症状は徐々に進み、1869年には白内障も発症する。彼は視力も失ってしまったが、周りの人々は彼のために新聞や本を読み聞かせてあげたという。この時期には、完全に骨化していた彼の指先やつま先から、骨が消えていくという奇妙な現象も起きている。そのためか、彼の体重は45キロから30キロにまで減ってしまった。  そして1872年、19年間彼を世話し続けた母親が亡くなった。この頃、ジョナサンには医療界や見世物ショー界からたくさんのオファーが届いていたが、それを全部拒否している。彼は農場を売り、その後15年間、彼の弟であるフォスターの家族と暮らした。フォスターの娘であるローズが、彼の世話をしてくれていたようだ。  そのフォスターも1887年に亡くなると、いよいよジョナサンも生活が苦しくなった。そしてついに、見世物ショーに出演することを決意する。
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画像は「sideshowworld.com」より引用
■ショーで人気となり晩年を飾る  すでに全身が骨化していた彼は、ベッドに横たわりながら全国ツアーをすることになった。当時、彼の姿を見た新聞社は、「(逆さまになった)彼の頭を片手で支えれば、つま先まで一本の棒のように持ち上げることができます」とその奇妙な状態を報じている。  ナイアガラの滝から始まったツアーで全国を回った彼は大人気となり、その道中たくさんの友達や仕事仲間もできたという。  ある時、取材を受けたジョナサンはクリーブランドの市長についてどう思うか尋ねられたことがあった。それに対してジョナサンは「彼は私と同じくらい硬いバックボーンを持っているよ」と機知に富んだ答えをし、体が動かなくてもその才知は衰えていないことを示している。  大人気となった彼は1890年にストライキも起こしている。その頃は週25~250ドルという賃金を得ていたようだが、担当のマネージャーを変え、2番目の弟に任せることにした。  そして5年に渡るショー活動の後ジョナサンは体調を崩し、1892年息を引き取った。風邪をこじらせた末の肺炎だった。死期を悟ったジョナサンは兄弟に頼んで家に帰らせてもらい、その2日後に亡くなったという。  彼の死をニュースで知った医師たちは検死を申し出たが、家族によって拒否された。それは彼の体が盗まれるのを避けるためであったと考えられている。その後、遺体は盗難対策がなされた墓地に埋葬された。彼が遺した財産は彼の甥や姪へと送られている。  健康だった頃は家族を養い、病気を患ってからは家族に世話をしてもらい、家族がいなくなったらその子どもたちへ遺産を贈る。奇病を患った彼は、幸せな人生を送ったとはいえないかもしれないが、助けあって暮らした家族を誇らしく思っていることは間違いない。 参考リンク:「sideshowworld.com」、ほか

乙武洋匡、自民党擁立が白紙へ!?  テレビ局上層部が「どんどん叩け」と猛バッシングの姿勢

 24日発売の「週刊新潮」(新潮社)スクープによって、下半身事情を次々に暴露されている乙武洋匡氏。妻・仁美さんがHPに謝罪文を掲載したことで「奥さんにまで謝らせるなんて」と“二次炎上”が発生し、いまだにバッシングは鳴り止まない状況だ。そしてここへきて、当初は乙武氏の不倫騒動に慎重な姿勢を見せていたテレビ各局も、今後は遠慮なく取り上げる意向にあるという。 「当初は政権与党である自民党からの出馬が取り沙汰され、特に情報番組での乙武氏の取り上げ方は、障がい者ということも相まって相当難しいというのがテレビ局の判断でした。ところが、先週末辺りから『どんどん叩いてOK』と上層部からお達しがあったようで、週明け用にネタを集めてもいいと指示が出ました」(テレビ局関係者)  このテレビ局による“手のひら返し”の先陣を切ったのは、27日放送の『Mr.サンデー』(フジテレビ系)だった。「新潮」でも報じられていた、乙武氏と不倫相手の海外旅行に随行したという事務所の男性スタッフが番組取材に応じ、「反省している」と謝罪。さらに翌日の『ノンストップ!』(同)には、乙武氏との合コンに参加したという匿名女性が出演。「(乙武氏は)エッチな会話ばかりしていた」「ホテルでの合コンにも誘われた」など、赤裸々に告白した。 「週刊誌が不倫報道を連発するのはいつものことですが、テレビまで追随してきた一連の流れを見ると、自民党の擁立も見送られてしまったのかもしれません。当初は障がい者を批判することに及び腰となっていた各局も、乙武氏が出馬のタイミングでテレビ出演から離れていたこともあり、今後足並みを揃えて乙武バッシングを続けることとなりそうです」(同)  29日発売の「フラッシュ」(光文社)では、不倫相手と海外旅行をした時期は、都の教育委員在任中だったと報じられている。 「もし今回の件が報道されず、選挙に当選していたとすれば、議員報酬もこうした女遊びに使われていた可能性がある」(同)ようだ。 「ネット上では『不倫はプライベートの問題』『他人がとやかく言うべきことではない』との声も出ていますが、国民の税金で不倫旅行というのは、やはり許されない行為。もし今回出馬を取りやめても、乙武氏が以前のようにテレビに出演するのは難しいでしょうし、まさに八方塞がりの状態ではないでしょうか」(芸能記者)  謝罪文以降、沈黙を貫いている乙武氏だが、4月5日に都内の高級ホテルで開催が予定されている自身の大誕生日会は決行されるという。こちらについても「新しい出会いを探す場所だったのでは」などと批判が出ているが、全メディアが取材攻勢を強める状況下で、無事に会を終えることができるのだろうか?

千秋「妻の3割は不倫してる」「相思相愛の夫婦は1割しかいない」ママ友を貶め続けるのはなぜ?

 先日、15歳年下のTBS社員と再婚したことを発表したタレントの千秋(44)。彼女が27日深夜に放送された『女子がみえちゃった?』(フジテレビ系)に出演し、ママ友の浮気事情について語った。  千秋によると、「(夫婦が)10組いたら3割は進行形の彼氏がいる。3割はいまはいないけど、いままではあった。3割は浮気していないけど旦那は好きじゃない。本当にラブラブな人は1割しかいない」とのこと。さらに「ママ友同士でそういう話をしても、全員が旦那さんにはバレていない。旦那さんが浮気した話は全部こっちに入ってくる」と、妻の浮気は夫にバレないが、夫の浮気は妻のみならずママ友にまで筒抜けだと明かした。その後、あまりにも赤裸々に話し過ぎたと思ったのか、「これは私のママ友のママ友のママ友の話です」と付け加えていた。  これについて視聴者からは「ないない、千秋の周りだけの話では?」「類は友を呼ぶ」「本当の話だとしても口軽すぎ」「前も同じこと言ってた」と批判が集中。そう、実は千秋は、2013年に『解決!ナイナイアンサー』(日本テレビ系)に出演した際にも「相思相愛の夫婦は10%しかいない。みんな不倫している」「子供が眠っていて旦那さんが会社に行っている間に1時間もあれば、誰とでも繋がるんだよ」と話し、また「(うまくいっていない夫婦にとって)離婚成立はおめでたいこと」とも発言していた。  一度めに「みんな不倫している」と語った当時、千秋はココリコの遠藤章造(44)との離婚を経てバツイチであった。離婚原因は遠藤の不倫ともささやかれており、加えてママ友たちとの付き合いの中で不倫の実情を目の当たりにし、そうした考えになっていたのかもしれない。しかし、つい先日再婚を公表したばかりで新婚ホヤホヤの現在も、千秋の「みんな不倫してる」主張は変わらない。「結婚は不倫ありき」としてはなから割り切っているのか、「自分たち夫婦は相思相愛の10%に入れる」という自信でもあるのか。それとも、『ナイナイアンサー』での発言後に大きな反響があり、ベッキーや乙武氏など有名人の不倫問題が続くこのタイミングに鉄板ネタとして再度活用しようとしているのだろうか?  いずれにせよ、千秋は一貫して、自らが「不倫するのは普通」な環境にいると主張し続けている。しかも「ママ友から聞いた」という不倫ネタをべらべら喋るパターンばかりで、下手をすれば要警戒ママとして見られ、友人間で娘の立場が悪くなりかねないが、そのあたりの心配は一切しないのだろうか。千秋は昨年10月に、Twitterで「ママ友は所詮期間限定の付き合い」「娘のために関係を保っているだけ」だと本音を暴露していたこともあり、よほど自身の周辺の“ママ友”に嫌な感情を抱いていたのかもしれない。 (シュガー乙子)

奇習! 昭和初期まで存在した「裸族」たちの驚愕の実態=瀬戸内地方

【日本奇習紀行シリーズ】 瀬戸内地方
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※イメージ画像:Thinkstockより
 先頃、人気バラエティ番組で、沖縄県・西表島の北にある外離島で全裸生活を送る高齢の男性が取り上げられ、注目を集めた。しかし、昭和初期頃までは、その程度の差こそあれども、このような生活を送る人々は日本各地に存在していたという。  現在、島根県の山間の村で暮らす元漁師・野村忠五郎さん(94)は、かつて山を隔てた反対側にある瀬戸内地方で、そうした“裸族”を目撃した経験のある貴重な生き証人だ。 「もう80年近く前のことだけども、若い頃ね、ちょうどこの山の裏の方の海に出てさ、漁師の真似事をしていた時期があってね。そりゃあ当時はね、楽しい時期だったよ、おおらかでさ」  野村さんが中学を出た昭和12年頃の日本は、やがて訪れる太平洋戦争との間、いわばつかの間の小春日和のような、そんな時代であった。後に世界で初めて原子爆弾を落とされる国になるとは夢想だにしなかった当時の国民の多くは、第一期世界大戦での勝利から、この国のさらなる発展と躍進を信じて疑わず、「実ににぎやかな時代だった」(野村さん)のだという。そうした時代の中、野村少年は貧しい実家の助けになればと山を降り、漁師の見習いとなった。 「漁師って言ったってね、大きな船じゃないんだ。こーんな小さな船でさ、おやじさんと沖へ出て、昼前にはだいたい仕事が終わって戻ってくる。おかみさんがこさえてくれる飯が本当に旨くてねえ…。本当、いい時代だったよ」
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※イメージ画像:『裸族―ベネズェラ原住裸族を追って』(大陸書房)
 野村さんが漁師見習いとして奉公に出た先は、彼の遠い親戚筋にあたる中年漁師夫妻の家だった。しかし当時としては珍しく、いびられたり、過酷な作業を押し付けられることもなく、子宝に恵まれなかった彼らは、野村さんを実の子のように大切にしてくれたという。彼らへの感謝は、何十年もの歳月が流れた今も、野村さんの心に深く刻まれているようだ。  そんな見習い漁師としての日々がしばらく続いた頃、彼が漁師とともに沖へ出ると、遠く沖の方に点在する瀬戸内の島々の中のひとつに、信じられないものが蠢いていることに気づく。 「いやね、信じられない話だと思うけども、島のさ、浜にね、すっ裸の男や女が何人もいるのが見えたのよ。いやあ、あれは驚いたね。でもさ、俺もそういう年頃だろ? なんかびっくりしちゃってね。口をポッカリと馬鹿みたいに空けたままで、おやじさんの袖を引っ張ったものだよ」  あまりに信じられぬその光景に、思わず言葉を失ってしまったという野村さんは、網を手繰る漁師にそのことを知らせ、その正体を知ろうとしたという。しかし、彼は遠方の島の浜辺で交歓に耽るその裸の男女たちを一瞥したかと思えば、一瞬苦笑し、「お前はまだ知らなくていい」と野村さんの坊主頭をポンと叩いただけだった。 「これはね、後から知ったことだったんだけども、あのあたりの島にはね、もともと裸で暮らすもんがおってね、なんていうんだろうな、野生の動物というか、未開の部族みたいな暮らしをしとるもんがおったっていう話で。 そういう人らはね、裸で生活しとるし、夫婦とか恋人っていう関係もないもんだから、ええなって思うと、すぐに交わってしまうっていう話だったんさ。ああいう人らはどこへ行ってしまったんかねえ」
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※イメージ画像:『部族の肖像 TRIBE@PAPUA NEW GUINEA: BLACK & WHITE【Kindle版】』
 海外の話ならばいざ知らず、この日本で、たった数十年前まで、このような“裸族”的な暮らしをしていた人々がいたというだけでも驚きだ。だが、それが事実上の乱交関係で結ばれているコミュニティともなれば、その驚きもひとしおだ。 「まあ、詳しいことはいまだにわからないけれども、いい時代だったんだよ」  野村さんがその少年時代に目撃したという、牧歌的な暮らしぶりをしていた人々も、やがて訪れることとなる戦火や、その後の復興期、さらには高度経済成長期の中で、次第にその場所を奪われていくこととなった。当時、“裸族”として暮らしていた人々のうち、どの程度が現在も存命なのかは知る由もない。日本地図が細かく埋め尽くされてしまった今、少なくとも彼らにとっての安住の地は、おそらく、もう、ない。 (文=戸叶和男) 戸叶和男の記事一覧はコチラ

奇習! 島の浜辺で絡みあう裸の男女… 昭和初期まで存在した「裸族」の実態=瀬戸内地方

【日本奇習紀行シリーズ】 瀬戸内地方
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※イメージ画像:Thinkstockより
 先頃、人気バラエティ番組で、沖縄県・西表島の北にある外離島で全裸生活を送る高齢の男性が取り上げられ、注目を集めた。しかし、昭和初期頃までは、その程度の差こそあれども、このような生活を送る人々は日本各地に存在していたという。  現在、島根県の山間の村で暮らす元漁師・野村忠五郎さん(94)は、かつて山を隔てた反対側にある瀬戸内地方で、そうした“裸族”を目撃した経験のある貴重な生き証人だ。 「もう80年近く前のことだけども、若い頃ね、ちょうどこの山の裏の方の海に出てさ、漁師の真似事をしていた時期があってね。そりゃあ当時はね、楽しい時期だったよ、おおらかでさ」  野村さんが中学を出た昭和12年頃の日本は、やがて訪れる太平洋戦争との間、いわばつかの間の小春日和のような、そんな時代であった。後に世界で初めて原子爆弾を落とされる国になるとは夢想だにしなかった当時の国民の多くは、第一期世界大戦での勝利から、この国のさらなる発展と躍進を信じて疑わず、「実ににぎやかな時代だった」(野村さん)のだという。そうした時代の中、野村少年は貧しい実家の助けになればと山を降り、漁師の見習いとなった。 「漁師って言ったってね、大きな船じゃないんだ。こーんな小さな船でさ、おやじさんと沖へ出て、昼前にはだいたい仕事が終わって戻ってくる。おかみさんがこさえてくれる飯が本当に旨くてねえ…。本当、いい時代だったよ」
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※イメージ画像:『裸族―ベネズェラ原住裸族を追って』(大陸書房)
 野村さんが漁師見習いとして奉公に出た先は、彼の遠い親戚筋にあたる中年漁師夫妻の家だった。しかし当時としては珍しく、いびられたり、過酷な作業を押し付けられることもなく、子宝に恵まれなかった彼らは、野村さんを実の子のように大切にしてくれたという。彼らへの感謝は、何十年もの歳月が流れた今も、野村さんの心に深く刻まれているようだ。  そんな見習い漁師としての日々がしばらく続いた頃、彼が漁師とともに沖へ出ると、遠く沖の方に点在する瀬戸内の島々の中のひとつに、信じられないものが蠢いていることに気づく。 「いやね、信じられない話だと思うけども、島のさ、浜にね、すっ裸の男や女が何人もいるのが見えたのよ。いやあ、あれは驚いたね。でもさ、俺もそういう年頃だろ? なんかびっくりしちゃってね。口をポッカリと馬鹿みたいに空けたままで、おやじさんの袖を引っ張ったものだよ」  あまりに信じられぬその光景に、思わず言葉を失ってしまったという野村さんは、網を手繰る漁師にそのことを知らせ、その正体を知ろうとしたという。しかし、彼は遠方の島の浜辺で交歓に耽るその裸の男女たちを一瞥したかと思えば、一瞬苦笑し、「お前はまだ知らなくていい」と野村さんの坊主頭をポンと叩いただけだった。 「これはね、後から知ったことだったんだけども、あのあたりの島にはね、もともと裸で暮らすもんがおってね、なんていうんだろうな、野生の動物というか、未開の部族みたいな暮らしをしとるもんがおったっていう話で。 そういう人らはね、裸で生活しとるし、夫婦とか恋人っていう関係もないもんだから、ええなって思うと、すぐに交わってしまうっていう話だったんさ。ああいう人らはどこへ行ってしまったんかねえ」
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※イメージ画像:『部族の肖像 TRIBE@PAPUA NEW GUINEA: BLACK & WHITE【Kindle版】』
 海外の話ならばいざ知らず、この日本で、たった数十年前まで、このような“裸族”的な暮らしをしていた人々がいたというだけでも驚きだ。だが、それが事実上の乱交関係で結ばれているコミュニティともなれば、その驚きもひとしおだ。 「まあ、詳しいことはいまだにわからないけれども、いい時代だったんだよ」  野村さんがその少年時代に目撃したという、牧歌的な暮らしぶりをしていた人々も、やがて訪れることとなる戦火や、その後の復興期、さらには高度経済成長期の中で、次第にその場所を奪われていくこととなった。当時、“裸族”として暮らしていた人々のうち、どの程度が現在も存命なのかは知る由もない。日本地図が細かく埋め尽くされてしまった今、少なくとも彼らにとっての安住の地は、おそらく、もう、ない。 (文=戸叶和男) 戸叶和男の記事一覧はコチラ

オスカーの“無名女優ゴリ押し会”の実態――“袖の下”握らせるやり口に「マスコミも苦笑」

 「オスカープロモーション2016女優宣言 お披露目発表会」なる会見が23日、都内で開催された。オスカー所属のタレントたちが「女優業に進出します!」と、マスコミを呼びこんで宣言するという記者会見。実は、2000年から06年まで行われていた行事で、これまで米倉涼子、菊川怜らが、この「女優宣言」から女優業をスタートさせており、今回10年ぶりに再開されたという。  今年はミス・ユニバース2013日本代表の松尾幸実、ミス・ワールド2013日本代表の田中道子、ミス・アジアファッションモデル2015の和田安佳莉、そしてミス・ワールド2015日本代表の中川知香と、肩書はあれど無名のモデル4名が出席。米倉が先輩女優を代表して激励に登場することもあり、大勢のマスコミが取材に集まったようだ。  オスカーといえば、売り出したい所属女優を強引にプッシュする“ゴリ押し”が賛否両論を呼んでいる。かつては武井咲や剛力彩芽、最近では小芝風花などが該当するが、「2016女優宣言」に出席した4人は、近い将来のゴリ押しが約束されたようなもの。この日が「その第一手」となったようだ。 「『女優宣言』は各メディアを集め、いわば『女優のお仕事も待ってま~す』と大々的にアピールするという場。あからさまな押し売りを何とも思わないオスカーにしかできない会見といえるかもしれません。当日集まったメディアには、人気菓子の豪華詰め合わせが一箱ずつ贈られました。わかりやすい“袖の下”に、苦笑いする記者が大勢いましたよ」(芸能ライター)  大先輩・米倉と並び緊張気味の4人だったというが、トーク内容は練りに練られていたそうだ。 「田中は、たまたま同日に来日していたレオナルド・ディカプリオのファンだと明かして『大好きです。ぜひ共演したい。来日中だから、どこかでこの会見を見てくれるかも』とアピールしていました。時流に乗った話題を提供し、記事にされやすいアピールができるあたりは、さすがですね」(同)  そこまでもがオスカーの指導対象だとしたら、大したものだが……。今後4人がどう売り出されていくのか注目したい。

薄れゆくきゃりーぱみゅぱみゅの存在感? 健康に不安も

 一時期、スポーツ紙含むマスコミまで、きゃりーぱみゅぱみゅの一挙一動を記事化していた時期があった。SEKAI NO OWARIの深瀬慧とオープンに交際し、破局するまでの間のことである。しかし昨年に別れを示唆してから、深瀬は益若つばさとこれまたオープンに真剣交際を表明し、すっかりきゃりーが追われることはなくなった。きゃりー本人にとっては幸いなことだろうが、「最近見かけなくなった」「話題性が失われた」とネガティブな見方もあるから厄介だ。  しかし実際には、日本のマスメディア上、特にゴシップ界隈で名前が出ることがなくなっただけであり、彼女の人気はさらに高騰しているようだ。日本ではなく、世界で。 「現在では、日本だけでなく世界中でツアーを組むなど多忙を極めており、影武者疑惑まで出ているんですよ」(芸能関係者)  というのも先日、きゃりーぱみゅぱみゅが自身のインスタグラムに、夜の皇居を友人と2人で散歩した際の画像を投稿したのだが、その友人の顔がきゃりーにそっくりなことから、コメント欄では「どっちがきゃりー?」「きゃりーって、双子だったの?」などといった疑問の声が飛び交い、あまりに多忙なため影武者を用意しているのでは、と突拍子もない噂が立った。  歌手業だけでなく、昨年10月から始まったバラエティ番組『世界の何だコレ!?ミステリー』(フジテレビ系)で、レギュラーMCも務めているきゃりーだが、多忙であるがゆえに、ファンからは健康面を不安視する声も上がっている。 「今月4日、きゃりーが自身のTwitter上に、『突然心臓が痛くなることがあるんだけどデスノートに名前書き込まれてるのかも』とツイートした際、ファンからは『働き過ぎだよ!』『変な病気になってない? ちゃんと病院に行きな』など、体を心配する声が上がりました。もっとも、『誰かに恋してるんじゃないの?』『新恋人?』と、色恋沙汰を連想する者もいましたが」(同)  1月29日の誕生日には、公式YouTubeチャンネルにて『きゃりーぱみゅぱみゅ 緊急手術!? 入院!? 搬送!?』と題した動画を公開し、ファンへのドッキリを仕掛けて驚かせたきゃりーだが、ファンのみならず音楽業界内からも「あれが現実にならないように、健康には気をつけて欲しい」といった声が上がっている。まだ23歳と若い彼女だが、20代だからといって油断はできない。とはいえ深瀬と交際中のころのように、ゴシップ記者につきまとわれることも減り、ストレス自体は緩和されているだろう。日本の芸能界を飛び出してさらに広く、かつ息の長い活躍をしてほしいものである。