一般的に「社会人は3年経ってようやく一人前」といわれるが、競馬界において今年でデビュー3年目を迎えるのが、「黄金世代」と称される新人騎手たちだ。 一昨年の春にデビューした新人騎手は、松若風馬(ふうま)、石川裕紀人、井上敏樹、小崎綾也、木幡初也、義英真(よし えいしん)の6人。彼らは初年度から存在感を発揮し、順調なステップを踏み続けている。 特に1年目で“新人王”を獲得した松若風馬(栗東)は、2年ですでに100勝越え。昨年は60勝を挙げG1初騎乗、重賞勝利も果たし、関西リーディングで10位にランクインした。「今、最も乗れている若手」といえば、間違いなく関西の松若がNo.1だろう。 関東の石川裕紀人(美浦)も負けてはいない。1年目は年間12勝と奮わなかったが、2年目の昨年は40勝と急成長。年末の有馬記念でG1初騎乗も果たし、今年のブレイクは必至と評価されている逸材だ。 素質なら小崎綾也(栗東)も同等のものを持っている。他にも玄人ファンをうならせる木幡初広騎手の息子の木幡初也(美浦)、インパクトのある名前で実績以上の存在感を出している義英真(栗東)と、とにかく粒ぞろい。 ただ、中でも面白いのが関東の井上敏樹(美浦)だ。 デビュー1年目は7勝、2年目は23勝。順調にステップアップしているものの、特に目立った成績を上げているわけではない。ではなぜ井上を一押しするのかというと、それは「金になる騎手だから」だ。 競馬ファン、特にライトな競馬ファンなら誰でも「一度でいいから万馬券を獲ってみたい」と考えるもの。それならば今のうちに“井上ファン”になっておいた方がいいかもしれない。 なんせこの男、自他ともに認める大穴男。単なる穴男ではない、“大”穴男である。 通常、単勝100倍以上の馬がレースを勝つことなど「年に何回あるか」といったレベル。だが、井上は新人ながら2年で3度も達成。特に昨年4月に単勝136.7倍の馬で勝利した際は、3連単で123万馬券を演出した。 2着まで視野を広げても、単勝50倍以上は当たり前の穴馬だらけ。特に昨年のオークス(G1)の出走権がかかったレースでは、単勝164.4倍の超人気薄を2着に持ってきてG1の出走権をゲット。しかし、本人が通算30勝に満たないため、規定によりG1で乗れなかったという“新人穴男”ならではのホロ苦いエピソードもある。 「松若や石川の陰に隠れがちですが、井上も新人ながら乗れる騎手です。ただ、今はまだ知名度が低いため、騎乗馬の人気が上がりにくい状況になっています。有能な新人は同時に穴騎手としても注目されて育ちますが、彼も間違いなくその一人ですね」(競馬記者) G1を100勝以上している武豊が4番人気より下でG1を勝ったことがないように、有力な騎手は乗るだけで人気になってしまうのが宿命……。ならば“先物買い”ではないが、井上の馬券も「注目度が低いうちに買っておいた方がお得」ということか。 セールスポイントに「穴馬を持ってくるところ」と断言し、騎乗馬の人気がない時には「絶対に穴をあけてやる!」と闘志を燃やす井上敏樹騎手。同期に実績では後れをとっても「黄金世代」の「金」の部分では、彼の“大穴男”ぶりに大いに期待したい。松若風馬騎手(JRA公式サイト)
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まるでニシン漁!? 武豊騎手が独占する歴史に名を残す大記録の数々にボー然
JRA騎手・武豊。言わずと知れた日本を代表する超一流の騎手である。ディープインパクトやオグリキャップといった名馬に騎乗して数々のビッグレースを勝利。実力、人気、実績すべてで不動の存在といえるだろう。 2016年1月24日、中山競馬場で行われた第57回アメリカジョッキークラブカップに騎乗した武豊騎手は、約3年ぶりのコンビとなるディサイファに騎乗しデビューから30年連続となる重賞勝利を達成。 武豊騎手がデビューしたのは1987年。その年の10月に重賞初勝利を成し遂げデビュー一年目で重賞3勝。翌年には菊花賞を優勝してG1ジョッキーの仲間入り。そして積み上げた重賞勝利数はなんと403というから恐れ入る。しかもこれは日本馬のみの成績であり外国馬に騎乗して勝利した海外の重賞を加えると415勝にも達する。 通算400勝もできない騎手が多くいる中、重賞だけで400勝以上とはまさに天才。現在日本競馬を席巻している外人騎手のM.デムーロは37歳で国内重賞45勝、C.ルメールは36歳で国内重賞31勝。さらに日本人のトップジョッキーである戸崎圭太騎手は35歳で国内重賞38勝、岩田康成騎手は41歳で国内重賞141勝ということを考えると、これは今後破られないであろうとてつもない大記録といえる。 加えてその403勝のうちG1クラスの優勝は106勝となっており、これも破格の成績。中でもすべての騎手の目標である東京優駿(日本ダービー)は史上最多の5勝を記録している。 また武豊騎手は海外遠征にも積極的であり、過去にはアメリカやフランスに長期滞在したこともある。アメリカ、フランス、イギリス、ドバイ、香港で通算重賞21勝という成績も凄い。シーキングザパールのモーリスドギース賞(G1)、ステイゴールドのドバイシーマクラシック(G2)、アドマイヤムーンのドバイデューティーフリー(G1)、そして記憶に新しい昨年12月13日のエイシンヒカリによる香港カップ(G1)優勝…。この記録もおそらく破られることはないだろう。 デビューから30年、国内外で2万回以上騎乗して通算3797勝(記録・データが少ない海外で50勝以上しているため実際はもっと多い)。通算勝利数は川崎競馬の佐々木竹見騎手が7151勝のため印象は弱いが、獲得賞金は海外や地方を合わせて約780億円でダントツの1位。この賞金額は国際的に見ても破格で、おそらく世界一ではないかと推測されている。 また騎手としてだけでなく芸能活動も活発でバラエティやドラマに多く出演、騎手としては異例なほど多くテレビCMにも出演している。そのCMは三菱自動車のOUTLANDER、サントリーのザ・プレミアム・モルツ、フィールズのCRエヴァンゲリオン 、NTTドコモ、トヨタ自動車のカローラ、日産自動車、サッポロ黒ラベル、ムラテック(村田機械)、世界リゾート博、そしてJRAなど多数、これもおそらく他の騎手の追随を許さないところだろう。 まさに生ける伝説として数々の記録を更新し続ける武豊騎手。2016年もさらなる飛躍を期待したいところだ。 武豊騎手の歴史に残るであろう主な記録[2016/1/24現在] ・30年連続重賞勝利 ・重賞415勝 ・G1レース106勝 ・獲得賞金約780億円 ・騎手としてのテレビCM出演数
払戻総額8,000万円以上! 競馬大好き芸能人たちのブッ飛んだ払い戻し額
AKB48の「こじはる」こと小嶋陽菜が、17日に行われた第55回京成杯で飛び出した3連単「7万8,050円」の万馬券を的中させたとTwitterで報告。AKBファンだけでなく競馬ファンからも注目を集めた。 この日は小嶋陽菜だけでなく、関西の競馬番組である『競馬BEAT』(関西テレビ)に出演している芸人の川島明(麒麟)、シャンプーハットも同じ京成杯の万馬券を的中させており、東西の競馬番組に出演するタレントが万馬券を的中させたということになる。 以前と異なりTwitterやブログが広まったことで、今や芸能人や著名人の馬券実績が身近に報じられるようになり、日常的にこういったニュースを聞く機会が増えた。しかし調べてみると、彼らの的中はほんの序の口。過去には数万円どころか数百万円、数千万円といった大金を馬券で手にした著名人も多い。そこで公になっている著名人の馬券払戻ランキングを作成してみた。 1位 じゃい(インスタントジョンソン) 払戻額=4,432万9,120円。2014年1月12日のWIN5(的中票数11票)を的中。 2位 じゃい(インスタントジョンソン) 払戻額=3,775万2,700円。2012年12月24日のWIN5(的中票数18票)を的中。 3位 藤田晋(サイバーエージェント社長) 払戻額=1,474万5,000円。2008年の有馬記念の馬連2万9,490円を5万円購入で的中。 4位 小籔千豊 払戻額=872万5,390円。2014年5月25日のWIN5(的中票数58票)を的中。ただし4人での共同購入。 5位 德光和夫 払戻額=約800万円。1997年2月17日の船橋競馬で馬連約2,000倍を的中。 6位 田中裕二(爆笑問題) 払戻額=797万8,000円。2007年皐月賞にて馬連9万4,630円を5,000円分、三連単162万3,250円を200円分的中。 7位 てつじ(シャンプーハット) 払戻額=700万2,920円。2008年桜花賞で三連単700万2,920円を的中。 8位 矢部美穂 払戻額=562万6,850円。2013年3月17日のWIN5(的中票数115票)を的中。ただし3名での共同購入。 9位 吉村崇(平成ノブシコブシ) 払戻額=549万5,000円。2013年東京優駿(日本ダービー)で三連単5万4,950円を的中。 10位 スギちゃん 払戻額=334万9,000円。2008年有馬記念で馬単3万3,490円を1万円分的中。 1~2位独占のじゃいは、2回合わせて8,000万円を超えるケタ外れの払戻しを得ており、この実績が評価され、じゃいの予想理論が書籍になったほど。 このランキングを見ると、上位9名(じゃいは2度)のうち6名が芸人というのが目立つ。今や競馬はお笑い芸人にとって自分たちをアピールする絶好の舞台。競馬の知識や経験を活かして番組のMCをやるなど、まさに趣味が仕事になっているようだ。 競馬はJRAと地方競馬を合わせれば365日、日本全国どこかで行われている。そしてすべてのレースの馬券がインターネットを通じて購入できる。もしかしたら、今日もどこかで誰かがビッグな払戻を手にしているかもしれない。うまズキッ!公式サイト(フジテレビ)
勝率8割!? 「ユタカを買ってるだけで競馬は勝てる」 競馬王・武豊の全盛期がハンパない
「昨年よりも、さらに良い騎手になれるよう努力します」 そう力強く抱負を語ったのは昨年、2009年以来の100勝越え(106勝)を達成し、まさに完全復活を印象付けた武豊騎手だ。 しかし、“競馬界の帝王”としてプライドの高い本人は、まだまだ満足していない。「こんなもので完全復活したと思ってもらっては困る」と話していた。確かにかつて「年間212勝」という驚異的な記録を達成した武豊騎手からすれば、これでも物足りない数字ないのかもしれない。 ただ、そんな武豊の全盛期はいったいどれだけ凄かったのだろうか……。数字だけでは伝わらないものを“現地”で聞いてみた。 関西所属の武豊騎手が、年間を通じて騎乗している阪神(仁川)や京都(淀)の競馬場近辺には、競馬ファンが集まる居酒屋があちらこちらに点在している。そういった“馬吉(うまきち)”の溜まり場によく顔を出している10年、20年来のオールドファンは、酒で顔を真っ赤にしたまま武豊の主張に激しく同意していた。 「そりゃ、あんなもんやないよ。ワシら昔は競馬場来たら、まず新聞広げて武豊だけをチェックしてたもんよ。最初に武ちゃんが来るのか来ないのかだけ考えるんや」(Nさん) 「昔は馬券が簡単やった。ユタカを軸に買ってるだけで半分は当たるんやから。けど安いのよ。万馬券なんかめったに出ない」(Wさん) ノンアポでの突撃取材だったので、アルコールで話が大げさになっている部分もあるだろう。だが、それでも最盛期といわれた1990年頃から2008年まで、毎年の連対率(1着か2着に入線する確率)が4割弱あったのだから、あながち“ホラ話”でもなさそうだ。 そこからは、オグリキャップに始まりディープインパクトまで、競馬を語る上で武豊騎手の話は尽きないらしい。口調はまるで、付き合いの長い息子か親友の話でもしているようだ。結局、日が沈む直前まで付き合わされたが、その中でひと際「本当かよ!?」と思える“伝説”が飛び出したので詳しく調べてみた。 「1日競馬場におって、全部武ちゃんに勝たれたんよ――」 まさかと思い調べてみた結果、さすがに「1日12レース全勝」とまではいかないものの、「1日8勝」という驚異的な記録を発見。当然JRAの最高記録、それもその日の武豊騎手は10レースしか騎乗していないため、正確には10戦8勝、「勝率8割」である。 昨年のJRA最多勝騎手の戸崎圭太騎手の年間勝率が0.138だったことを考えれば、この日の武豊騎手がどれだけ“異常”だったか理解できるのではないだろうか。 02年の12月7日。この日、阪神競馬場で騎乗した武豊騎手は朝から1、2レースを連勝と幸先の良いスタートを切った。3レースは騎乗せず、4レースは3着、5レースは障害で騎乗せずと午前中は「2勝」で終わる。 爆発したのはメインレースが近づく午後からだ。6レースから最終の12レースまで、7レースで一度負けた以外はすべて勝利。「勝率1割以上で一流騎手」といわれる競馬で、「1日8勝」の金字塔を打ち立てている。 「その日は“競馬の神様”が、背中をグッと後押ししてくれたのかもしれません」 後日、武豊騎手本人も当時を振り返り、そう表現するほどの“奇跡の一日”。ただ、この02年はなにも12月7日だけが凄いのではなく、年間の連対率が0.435とまさに“武豊一色”だったことが伺える。ちなみに昨年の戸崎騎手の連対率は0.267。これでも超一流の数字だ。 「あの時の『次は1日9勝を目指します』という言葉は、今でも僕の中で生きています」 あくまで貪欲にそう語る競馬界の帝王。いや、それだけの常人ならぬ向上心があるからこそ、今年で47歳を迎える今なお一線で輝き続けているのかもしれない。
偉大な父にサヨナラ……“血の飽和”に抵抗し、「近親交配」の怪物を生み出したキングマンボ
20日、1頭の偉大な、そして世界の競馬シーンにとって極めて重要な位置づけをなされていた競走馬が亡くなった。 競馬は「ブラッドスポーツ」と呼ばれ、歴史に名を残す競走馬たちの血が世界中に伝わり、それをつなげていくことで現在の世界の競馬環境を作っている。「サラブレッド種」としての“始祖”は18世紀の「3頭」のみに行き着くとされるのだから、いかに貴重な血かご理解いただけるだろう。 現在、日本ではいわゆる「サンデー系」、つまりはサンデーサイレンスの血統を持つ馬、ディープインパクトなどが競馬界を席巻しているのは広く知られるところ。欧州ではまた別の、サドラーズウェルズ系が圧倒的な影響力を有しているという事実がある。 こういった「1強」状態が続くことは、国の競馬を強靭なものにする反面、一つの大きな問題もふくんでいる。 それが「血の飽和」だ。 同じ種馬の子どもばかりが大活躍することは、他の種馬の価値の低下を招くことに直結する。活躍した種馬の子がまた種馬となって活躍する仔馬を生み出し続ければ、“同じ血”を持つ馬ばかり、ようは「兄弟だらけ」になってしまい、配合の選択肢がどんどん狭められていくのである。 偏った血統の領域はやがて限界を生み、衰退する危険性をはらんでいる。日本のサンデーサイレンス、欧州のサドラーズウェルズは、まさにその危惧をもたらした驚異的な存在なのだ。 この日本と欧州において重要な位置づけをされたのが、どの国でも有力馬を輩出し、サンデー系ともサドラー系とも血統的な“かぶり”がほとんどない種牡馬・キングマンボである。 キングマンボの父は、世界的な大種牡馬として知られるミスタープロスペクター、母は1980年代、牝馬ながら欧州でトップクラスのマイラーとして活躍したミエスクという、いわば“超良血”。キングマンボは、ミエスクの最初の仔だった。 1992年にスタートした現役時代はG1・3勝という活躍だったが、世界的な良血としては物足りない印象もあったらしい。彼が真価を発揮したのは、競走馬の父となってからである。 彼は初年度産駒から日本人にもなじみ深い“超大物”を輩出する。日本で圧倒的な活躍を見せ、欧州最高峰、フランスの凱旋門賞でも2着と、世界に最も近づいた「近親交配」の怪物、エルコンドルパサーだ。この時点で、キングマンボの種牡馬としての価値は一気に上がることとなる。 その後も、日本では日本ダービーをレコードで勝利(当時)のキングカメハメハ。外国馬ながらジャパンカップを制したアルカセットなど、記憶に残る名馬を産み出した。海外でもレモンドロップキッドやヘンリーザナビゲーターなど、毎年のようにG1馬を輩出する大活躍を見せるのである。 キングマンボは、日本を席巻するサンデーサイレンスとの同血率が極めて薄く、欧州のサドラーズウェルズとの配合も問題がない。生産者としても非常に使いやすい種牡馬だったといえよう。 その血脈を受け継いだ馬も、今は父と同じポジションで価値を見出している。日本のキングカメハメハは、サンデーの血を持たない種牡馬として多数のサンデー系牝馬と交配。ディープインパクトとの激しいリーディングサイアー争いを演じている。そして、ダービー馬エイシンフラッシュの父でもあるキングズベストは世界中を回り、様々な牝馬との配合が可能。まさに父と同じ軌跡を描き、子どもたちも競馬界で存在感を示しているのである。 父・キングマンボは老齢と衰弱によって、20日に安楽死となった。26歳。高齢まで種付けを行う生活だったことを考えれば、堂々たる大往生といえるだろう。
きっかけは競馬CM? キムタクと交流・武豊も衝撃の、SMAP分裂の“火種”とは
日本中を騒がせるSMAPの解散騒動。18日の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)での緊急生放送後は、Twitterや2chがダウンするトラブルも発生するなど大きな話題となり、翌日のスポーツ紙もSMAP一色。話題を独占した。 老若男女すべての世代に愛されるSMAPはまさに国民的アイドル。ゆえに、多くの企業がCMキャラクターに起用するなどその影響力は大きい。 1990年代後半、人気絶頂期のSMAPをイメージキャラクターとして起用しようとしたのが、JRA(日本中央競馬会)および広告代理店の電通だ。 当時のJRAは、年間馬券売上4兆円を達成するなど絶頂期(2015年は2兆5000億円強)。そのJRAが豊富な資金力を利用してSMAP全員の起用を狙ったが、ジャニーズ側のNGで木村拓哉単体起用になった。そして、そのキムタクがJRAイメージキャラクターとして起用されたのが98年からの2年間である。 この時期は、実はSMAP最初の解散報道が出た時期でもある。このときは現在と逆の形、つまり木村拓哉がジャニーズ事務所から独立して個人事務所を設立するとの報道が相次ぎ、98年9月の東京ドーム公演初日に5人揃って会見、解散説を否定した。 それまで、JRAのイメージキャラクターは2~3人で務めるのが定番。94年は高倉健と裕木奈江、95~96年は中井貴一、時任三郎、真田広之が務めた。それだけにSMAP全員ではなくキムタク単体での起用は様々な噂を呼び、キムタクの独立報道に拍車をかけたのだった。 これには、当時ジャニーズ側に提示した5,000万円といわれるイメージキャラクターの契約料が少なかったため、キムタクのみの起用となったという話もある。いずれにせよ異例の起用ではあった。 しかし、残念ながら木村拓哉が出演した98年以降、JRAの売上は下降していく。一説には競馬とかけ離れたCM戦略が、競馬ファンの反感を買ったといわれるが… それでも、木村拓哉の起用をきっかけにSMAPがJRAに起用されるようになり、2001年には草なぎ剛と香取慎吾が馬キャラクターの声優として、05~6年には中居正広が木村拓哉に続き単体起用された。その後、ジャニーズ事務所からは14年のCMソングにTOKIOが採用されたが、こちらは5人揃って各種キャンペーンに登場している。 木村拓哉はJRAのイメージキャラクターをきっかけに競馬を見るようになり、当時トップジョッキーで年齢も近かった武豊騎手とも交友するようになった。 というのも、武豊夫人の佐野量子と木村拓哉夫人の工藤静香はともに85年芸能界デビューという同期。お互い姉さん女房であるなど境遇が似ている。 そして、武豊が悲願の東京優駿(日本ダービー)初優勝を果たしたのが98年と木村拓哉がCMに起用された年であり、また木村拓哉が引き続きイメージキャラクターを務めた翌年も制し2年連続でダービージョッキーとなった。 武豊はSMAPのコンサートに顔を出して木村拓哉に会いに行ったり、GIレースを勝つと木村拓哉から武豊へお祝いの連絡が届くなど、その後も交友は続いているという。今回のSMAP解散騒動は、武豊にとっても気になるニュースだったはずだ。競馬にも影響を
きっかけは競馬CM? キムタクと交流・武豊も衝撃の、SMAP分裂の“火種”とは
日本中を騒がせるSMAPの解散騒動。18日の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)での緊急生放送後は、Twitterや2chがダウンするトラブルも発生するなど大きな話題となり、翌日のスポーツ紙もSMAP一色。話題を独占した。 老若男女すべての世代に愛されるSMAPはまさに国民的アイドル。ゆえに、多くの企業がCMキャラクターに起用するなどその影響力は大きい。 1990年代後半、人気絶頂期のSMAPをイメージキャラクターとして起用しようとしたのが、JRA(日本中央競馬会)および広告代理店の電通だ。 当時のJRAは、年間馬券売上4兆円を達成するなど絶頂期(2015年は2兆5000億円強)。そのJRAが豊富な資金力を利用してSMAP全員の起用を狙ったが、ジャニーズ側のNGで木村拓哉単体起用になった。そして、そのキムタクがJRAイメージキャラクターとして起用されたのが98年からの2年間である。 この時期は、実はSMAP最初の解散報道が出た時期でもある。このときは現在と逆の形、つまり木村拓哉がジャニーズ事務所から独立して個人事務所を設立するとの報道が相次ぎ、98年9月の東京ドーム公演初日に5人揃って会見、解散説を否定した。 それまで、JRAのイメージキャラクターは2~3人で務めるのが定番。94年は高倉健と裕木奈江、95~96年は中井貴一、時任三郎、真田広之が務めた。それだけにSMAP全員ではなくキムタク単体での起用は様々な噂を呼び、キムタクの独立報道に拍車をかけたのだった。 これには、当時ジャニーズ側に提示した5,000万円といわれるイメージキャラクターの契約料が少なかったため、キムタクのみの起用となったという話もある。いずれにせよ異例の起用ではあった。 しかし、残念ながら木村拓哉が出演した98年以降、JRAの売上は下降していく。一説には競馬とかけ離れたCM戦略が、競馬ファンの反感を買ったといわれるが… それでも、木村拓哉の起用をきっかけにSMAPがJRAに起用されるようになり、2001年には草なぎ剛と香取慎吾が馬キャラクターの声優として、05~6年には中居正広が木村拓哉に続き単体起用された。その後、ジャニーズ事務所からは14年のCMソングにTOKIOが採用されたが、こちらは5人揃って各種キャンペーンに登場している。 木村拓哉はJRAのイメージキャラクターをきっかけに競馬を見るようになり、当時トップジョッキーで年齢も近かった武豊騎手とも交友するようになった。 というのも、武豊夫人の佐野量子と木村拓哉夫人の工藤静香はともに85年芸能界デビューという同期。お互い姉さん女房であるなど境遇が似ている。 そして、武豊が悲願の東京優駿(日本ダービー)初優勝を果たしたのが98年と木村拓哉がCMに起用された年であり、また木村拓哉が引き続きイメージキャラクターを務めた翌年も制し2年連続でダービージョッキーとなった。 武豊はSMAPのコンサートに顔を出して木村拓哉に会いに行ったり、GIレースを勝つと木村拓哉から武豊へお祝いの連絡が届くなど、その後も交友は続いているという。今回のSMAP解散騒動は、武豊にとっても気になるニュースだったはずだ。競馬にも影響を
その“爆裂”ぶりに武豊も熱視線? 鷲見玲奈アナに代表される、競馬番組「巨乳美女」伝説
以前からそういう傾向にあったが、競馬番組に出演する女性司会者や女性アナウンサーには巨乳が多い。 現在放送中『ウイニング競馬』(テレビ東京)に出演している鷲見玲奈アナウンサーは、推定Fカップといわれる爆乳の持ち主。以前と比較してもさらに巨大化している印象もあり、巨乳好きと言われる武豊も注目するであろう競馬界期待のアナウンサーだ。 そのインパクトはテレビを見れば一目瞭然。他の出演者がむさくるしい男ばかりで余計にその美貌と胸元に目が向いてしまう。視聴者にとっては、まさに目の保養といったところだろう。 しかし鷲見アナウンサーに限らず、過去の競馬番組に出演したアナウンサーを見ても巨乳の多さに驚く。 ベテラン競馬ファンにとってはなつかしい、フジテレビの『スーパー競馬』に出演していた斎藤陽子はG1級のB90を持ち、競馬巨乳タレントのディープインパクトといった存在。 さらに、『みんなのケイバ』(フジテレビ系)に出演していたB88のほしのあき(現三浦皇成騎手の夫人)もそのインパクトは絶大で、若手人気騎手である三浦皇成をゲットする上で大きな武器になったのは間違いないだろう。 昨年、武豊騎手と密会不倫報道で話題となった美馬怜子も、多くの競馬番組に出演しているが、B86のEカップと巨乳軍団に堂々とランクイン。 さらに、テレビ東京放送の競馬番組に出演する女性アナウンサー達も、はちきれんばかりの胸元でお茶の間の競馬ファンを魅了してきた。 出産前はEカップの爆裂乳ともいわれた元アナウンサーの亀井京子(現フリー・DeNAベイスターズ林昌範夫人)も『ウイニング競馬』の司会として活躍。競馬知識にうとく評判は今ひとつだったようだが、その胸元は多くの競馬ファンの心を掴んだ。 さらに、現メジャーリーガー青木宣親選手の夫人である青木佐知(旧姓:大竹佐知)も『ウイニング競馬』の司会として活躍し、隠れ巨乳の持ち主として話題になった。 事務所のごり押しでパッとしないタレントが司会をするよりは、競馬ファンにとってはいい話だろう。今後もそのインパクトで競馬番組を盛り上げていただきたい。鷲見玲奈公式ブログ(テレビ東京)
武豊も福永祐一も“既定路線”だった? 実力だけで成功できない騎手の世界は「芸能界」そのもの
「目標にしていたタイトルが獲れてうれしいです。(現役騎手の)父と兄からは『おめでとう』と声を掛けてもらいました。今年は、昨年より多くの勝ち星を挙げて期待に応えたいです」 年明け早々、さわやかな笑顔で飛躍を誓ったのは、若干19歳の鮫島克駿 (かつや)騎手。デビューとなった昨年、年間39勝を挙げてJRAの『最多勝利新人騎手賞』、いわば“新人王”を獲得した競馬界のホープだ。 実は『最多勝利新人騎手賞』には、年間30勝以上などの厳しい規定がある。日本の先輩ジョッキーもさることながら、近年は世界各国からトップレベルの騎手が次々と参戦しているだけに、新人騎手が1年で30勝するのは並大抵のことではない。過去5年でも、たった2人しか成し遂げていない快挙だ。 ただそれが、あらかじめ用意されていた“既定路線”とさえささやかれている事実をご存知だろうか。 今や競馬界の“顔役”となっている武豊騎手、その弟となる武幸四郎騎手の父は、卓越した騎乗技術から「魔術師」と称された武邦彦氏。福永祐一騎手の父親は、かつて「天才」といわれた福永洋一氏。つまり、「ブラッドスポーツ」といわれる競馬において、いわゆる“良血”が活躍するのは、何も馬だけの話ではないということだ。 鮫島克駿騎手の兄・良太もJRAで活躍する騎手。さらに父・鮫島克也は、地方競馬を代表する騎手で、全国の地方競馬に所属する騎手の年間最大のタイトルNRA(地方競馬全国協会)グランプリ優秀騎手賞を11回も受賞。地方通算4,000勝を超える大物は“キングシャーク”の愛称で慕われている。 「武豊、幸四郎、それに福永騎手も、過去にJRAの『最多勝利新人騎手賞』を受賞者に名を連ねています。しかし騎手というのは多少上手いだけでは、なかなか勝てません。当人の能力もさることながら、有力な馬を回してくれる厩舎、馬主の“援護”を受けられるかが重要なんです」(競馬記者) 「環境が変われば人も変わる」というが、「馬7、騎手3」といわれる競馬の場合は、特に顕著に表れるという。言い方を変えれば、経験のない騎手でも周りの協力で多くのいい馬に乗れば当然勝てるし、場数を踏んでいくうちに、いつの間にか上手くなるということのようだ。 「父が地方競馬を代表する騎手である鮫島克駿騎手は、それだけでも話題性がありますし、他の新人騎手とはバックボーンが違います。デビューイヤーとなった昨年、新人王争いをしていた同期の1人は年間93回しか乗れなかった一方で、鮫島騎手は521回。騎手としてスタートラインに立った時から、すでに大きな差があったということです」(同) 日曜の競馬が終わるごとに電話でアドバイスを送っている父・鮫島克也騎手の“親バカ”ぶりは、まだ微笑ましい。ただ、赤の他人である“親子鷹”の大先輩・福永騎手からも、デビュー直後から熱心なアドバイスを受けているのは、さすがに恵まれすぎか。前出の競馬記者は語る。 「普通の新人騎手は、新入社員と同じで、そう簡単に先輩からアドバイスなどもらえません。ましてや福永騎手は、日本でもトップ中のトップ。また、鮫島克駿騎手が所属しているリーディング争い常連厩舎の“相当なプッシュ”もあったようですし、はっきりいってしまえば、鮫島騎手の新人王はある程度“既定路線”といえなくもないんです」(同) 華やかな表舞台とは裏腹に、複雑に絡み合う人間模様で無数の“裏ネタ”が提供される点は、芸能界も騎手も同じのようだ。Sports Graphic Number 888(文藝春秋)
武豊も福永祐一も“既定路線”だった? 実力だけで成功できない騎手の世界は「芸能界」そのもの
「目標にしていたタイトルが獲れてうれしいです。(現役騎手の)父と兄からは『おめでとう』と声を掛けてもらいました。今年は、昨年より多くの勝ち星を挙げて期待に応えたいです」 年明け早々、さわやかな笑顔で飛躍を誓ったのは、若干19歳の鮫島克駿 (かつや)騎手。デビューとなった昨年、年間39勝を挙げてJRAの『最多勝利新人騎手賞』、いわば“新人王”を獲得した競馬界のホープだ。 実は『最多勝利新人騎手賞』には、年間30勝以上などの厳しい規定がある。日本の先輩ジョッキーもさることながら、近年は世界各国からトップレベルの騎手が次々と参戦しているだけに、新人騎手が1年で30勝するのは並大抵のことではない。過去5年でも、たった2人しか成し遂げていない快挙だ。 ただそれが、あらかじめ用意されていた“既定路線”とさえささやかれている事実をご存知だろうか。 今や競馬界の“顔役”となっている武豊騎手、その弟となる武幸四郎騎手の父は、卓越した騎乗技術から「魔術師」と称された武邦彦氏。福永祐一騎手の父親は、かつて「天才」といわれた福永洋一氏。つまり、「ブラッドスポーツ」といわれる競馬において、いわゆる“良血”が活躍するのは、何も馬だけの話ではないということだ。 鮫島克駿騎手の兄・良太もJRAで活躍する騎手。さらに父・鮫島克也は、地方競馬を代表する騎手で、全国の地方競馬に所属する騎手の年間最大のタイトルNRA(地方競馬全国協会)グランプリ優秀騎手賞を11回も受賞。地方通算4,000勝を超える大物は“キングシャーク”の愛称で慕われている。 「武豊、幸四郎、それに福永騎手も、過去にJRAの『最多勝利新人騎手賞』を受賞者に名を連ねています。しかし騎手というのは多少上手いだけでは、なかなか勝てません。当人の能力もさることながら、有力な馬を回してくれる厩舎、馬主の“援護”を受けられるかが重要なんです」(競馬記者) 「環境が変われば人も変わる」というが、「馬7、騎手3」といわれる競馬の場合は、特に顕著に表れるという。言い方を変えれば、経験のない騎手でも周りの協力で多くのいい馬に乗れば当然勝てるし、場数を踏んでいくうちに、いつの間にか上手くなるということのようだ。 「父が地方競馬を代表する騎手である鮫島克駿騎手は、それだけでも話題性がありますし、他の新人騎手とはバックボーンが違います。デビューイヤーとなった昨年、新人王争いをしていた同期の1人は年間93回しか乗れなかった一方で、鮫島騎手は521回。騎手としてスタートラインに立った時から、すでに大きな差があったということです」(同) 日曜の競馬が終わるごとに電話でアドバイスを送っている父・鮫島克也騎手の“親バカ”ぶりは、まだ微笑ましい。ただ、赤の他人である“親子鷹”の大先輩・福永騎手からも、デビュー直後から熱心なアドバイスを受けているのは、さすがに恵まれすぎか。前出の競馬記者は語る。 「普通の新人騎手は、新入社員と同じで、そう簡単に先輩からアドバイスなどもらえません。ましてや福永騎手は、日本でもトップ中のトップ。また、鮫島克駿騎手が所属しているリーディング争い常連厩舎の“相当なプッシュ”もあったようですし、はっきりいってしまえば、鮫島騎手の新人王はある程度“既定路線”といえなくもないんです」(同) 華やかな表舞台とは裏腹に、複雑に絡み合う人間模様で無数の“裏ネタ”が提供される点は、芸能界も騎手も同じのようだ。Sports Graphic Number 888(文藝春秋)







