女性を交換するために作られた近親相姦というタブー

──国家とは、権力とは、そして暴力とはなんなのか......気鋭の哲学者・萱野稔人が、知的実践の手法を用いて、世の中の出来事を解説する──。 第15回テーマ「近親相姦の禁忌が生む社会関係」
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[今月の副読本] 『暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る』 山極寿一著/NHKブックス(07年)/1019円 6500万年前に誕生したという霊長類。その中で我々人類は、霊長類の進化として、争いの原因、和解の方法を身に付けてきた。哺乳類とは明らかに異なる霊長類の行動から、人類の社会性起源に迫る意欲作。

 これまで2回にわたって「人を殺してはいけない」という道徳と死刑との関係について考えてきました。「人を殺してはいけない」という道徳はあらゆる社会に見いだされる普遍的な道徳ですが、もしこれと同じくらい普遍的な道徳がほかにもあるとしたら、それは何だと皆さんなら答えるでしょうか。  2008年4月9日の朝日新聞(web版)にはこんな記事がありました。少し引用しましょう。 「オーストラリアで61歳の父と39歳の娘が恋愛関係となり、2人の間には生後9カ月の女の子まで誕生。2人は豪民放テレビ番組に出演し、『私たちは成人として同意して関係を持った』などと理解を求めたが、視聴者らからは『不謹慎だ』『生まれた子どもは将来何と思うだろうか』といった非難が噴出している。  2人は南オーストラリア州に住むジョン・ディーブスさん(61)とジェニファーさん(39)。ジェニファーさんが幼児の時にジョンさんは最初の妻と離婚。父娘は00年に30年ぶりに再会したが、お互い親子とは気づかなかったという。ジェニファーさんは『クラブで出会うような男性として意識し、深い関係となった』。2人は3月、州裁判所から性交渉禁止と3年間の保護観察処分の命令を受けた」  オーストラリアはほかの先進国と同じように自由恋愛が認められている社会です。にもかかわらず、なぜこのカップルに対して視聴者から非難が噴出したのでしょうか。それは、夫婦間を除く近親者の間で性交や結婚を禁止するという強固な道徳規範がそこにはあるからです。その禁止を「インセスト・タブー」といいます。このタブーは、家族という制度があるところ、文化や歴史を超えて、あらゆる社会に見いだされるものであり、「人を殺してはいけない」という道徳に匹敵するほどの普遍性を持った道徳規範です。  では、なぜインセスト・タブーなどという道徳規範がこんなにも広く存在するのでしょうか。フランスの人類学者、クロード・レヴィ=ストロースはインセスト・タブーを、集団間で女性の交換を実現するための制度だと考えました。要するに、家族の中に、家族内の誰とも性交渉をしてはいけない娘をつくって、その娘をほかの家族との間で交換する、ということですね。これが結婚制度の原型となりました。結婚はもともといくつもの親族間で娘を交換する制度として始まったのです。20世紀に入るまで、恋愛結婚などというものがほとんど存在しなかったのは、そのためです。  とはいえ、そもそもなぜ娘を親族間で交換する必要があったのでしょうか。それは親族間で新たな姻族関係を結び、より大きな共同体のもとでの協力関係をつくるためです。かつての貴族同士の結婚が政略によってなされていたことを考えるとわかりやすいかもしれません。結婚はこの点で非常に共同体的なものです。家族という共同体の発展のために、そしてその家族がほかの家族とより大きな共同体的な関係に入るために、なされるわけですから。  これに対して恋愛は個人主義的です。今でも少なからぬ人が恋愛と結婚は別だと考えていたり、恋愛では考慮しなくてもよかった家族の意向が結婚では重視されたりするのは、両者のそもそもの性格の違いがあるからです(その両者が一致してきたのが20世紀でした)。  もともとの結婚では家族間で協力関係をつくるために娘を差し出すわけですから、その娘は相手側の家族(の若旦那)が所有するに足る貴重なものでなくてはなりません。だからこそインセスト・タブーが強い道徳規範として確立したのです。若い娘の性の管理に社会が大きな関心を持つのもこのためです。インセスト・タブーとは、本来なら男たちの奪い合いの対象となりうる娘の性を、親族間の協力関係を築くための交渉材料として用いる制度なのです。  では、そもそもなぜ家族というものが存在するのでしょうか。インセスト・タブーが家族の間で女性を交換するための制度だとするなら、その女性を交換する家族とはなんなのでしょうか。
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■プレミアサイゾーとは? 雑誌サイゾーのほぼ全記事が、月額525円で読み放題!(バックナンバー含む) 【プレミアでは人気連載も読み放題!】 ・【連載】哲学者・萱野稔人の"超"現代哲学講座 ・【連載】神保哲生×宮台真司 「マル激 TALK ON DEMAND」 ・【連載】荻上チキの新世代リノベーション作戦会議

赤田祐一×仲俣暁生──ITの起源はヒッピー? ジョブズも愛読した伝説の雑誌

──60年代にアメリカ西海岸で創刊された「ホール・アース・カタログ」。裏表紙の言葉"ハングリーであれ、バカであれ"をスティーブ・ジョブズが近年講演で引用したが、コミューン生活をするヒッピーを対象としたそのカタログと、現在のITの関係をひも解いていきたい。
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1968年に出版された「ホール・アース・
カタログ」第1号。創刊したスチュアー
ト・ブランドは、小説家ケン・キージ
ーらによるアシッド・テスト(LSDを配
って回る全米ツアー)に参加していた。
 2000年代を通して日常に溶け込んだインターネットだが、ここ数年、ある言説が注目を集めている。それは、インターネットとその背景にあるコンピュータ・カルチャーが、60~70年代初頭のアメリカ西海岸から始まったというものだ。具体的には05年にニューヨーク・タイムズの記者ジョン・マルコフが『パソコン創世「第3の神話」』(NTT出版)を著し、個人が日常的に使用できるコンピュータ、つまりパソコンの発展とヒッピーたちのカウンター・カルチャー【註1】の関連性を描き、アメリカで評判になった。また、同年にはスティーブ・ジョブズ【註2】が、ヒッピー~ニューエイジ思想【註3】において重要とされる「ホール・アース・カタログ」(以下、WEC)について講演で熱く語った。そんなWECとその背景にあるカウンター・カルチャーとは、なんだったのか? WECに詳しい編集者の赤田祐一氏と評論家の仲俣暁生氏に話を訊いた。

■ヒッピーのバイブルがインターネットのルーツ!? 仲俣 02年に赤田さんが上梓された『「ポパイ」の時代』(太田出版)を読んでいると、「ポパイ」の初期50号までを理解する重要なポイントとしてWECが登場します。そもそもWECを意識したのはいつですか? 赤田 昔からアメリカのカウンター・カルチャーに関する文献や年表などを調べていると、必ず「1968年 WEC」という記述が出てきます。だから、60年代後半から70年代初頭の西海岸のカルチャーにおける、ある種のアイコンとして機能したことは察しがついていましたね。あと、北山耕平【註4】さんがかかわっていた初期の「宝島」(宝島社)はWECの影響を強く受けていたので、名前くらいはなんとなく知っていました。 仲俣 WECがインターネットのルーツだといわれるのは、西海岸のヒッピー~ニューエイジ思想に連なるムーブメントの象徴的存在としてですよね。どういう点がルーツだと考えられているのでしょうか? 赤田 WECを作ったスチュアート・ブランドは、出版社の人でもなければ、雑誌や本の流通に携わっていた人でもありません。つまり、単なる素人。そんな人物が既存の出版文化へのカウンターとして始めたのがWEC。この本は、アメリカでは低価格の衣料品などのショッピングですでにポピュラーだったカタログの形式を採りながら、当時の西海岸におけるヒッピー・ムーヴメントの視点から選ばれた、オルタナティヴな生き方のためのアイデアや日用品を紹介する一冊でした。そうした内容や馬鹿デカい判型、さらにはサポーターの人たちを集団化して全米40カ所くらいに専用のお店「whole sale」を作って独自の流通を始めたのも、すべて「新しい価値観」を提示したかったからなんです。最初は売れなかったけど、インディペンデントながら少しずつ支持者が増えて、最初のWECを作った6年後の74年には、続編などシリーズ累計で150万部のベストセラーになった。世界中に名前を知られるようになったのは、最終的にハーパー社などの大手の出版社と提携して販路を広げたからだと思いますが、個人の思考や実践という小さな単位から社会を変えていくDIY精神を伝えるものとして、いまだに大きな意味を持っているんです。 仲俣 このWECのDIY精神を受け継ぐものとしてインターネットを捉えるのが、昨今の「インターネットのルーツは西海岸にあり」という言説の正体ですよね。でも、日本でこの2つに共通するDIY精神を伝えるのは相当難しいと思います。 赤田 根底にあるアメリカのDIY精神が今までちゃんと書かれていないし、敷衍されていない。日本でウェブによる全世界的な情報ネットワークの構築に至るコンピュータ・カルチャーとヒッピー~ニューエイジ思想の関連性が説かれたのは、相当後のこと。ところで、仲俣さんは94年に創刊された「WIRED日本版」【註5】の編集部に在籍していたそうですね。アメリカの「WIRED」本誌は、WECにかかわっていたスタッフが立ち上げましたが、影響関係は実感としてありますか? 仲俣 「WIRED」はWECと同じく、もともとインディペンデントな出版物でした。コンデナスト社に買収されたことが批判されたりもするけど、「雑誌を創刊して出し続けることがベンチャービジネスなんだ」という部分は今でも大きい。言い換えると、DIY精神で始めたからといって、持続可能であれば経済的に大きくなることも否定しない。オルタナティヴな姿勢と大きな利益を得ていく経済活動が同居したあり方です。これは元をたどれば、70年代初頭にシアトルでヒッピー的価値観を打ち出してインディ書店を作ったレイモンド・マンゴー。日本でもよく知られている彼の本『就職しないで生きるには』(晶文社/81年/原題『COSMIC PROFIT』)には、DIY精神に基づいたインディペンデントな経済活動のモデルが描かれています。この本の場合は「COSMIC」という言葉が使われ、WECの場合は「WHOLE EARTH」が使われている。2つとも西海岸のヒッピー~ニューエイジ的ニュアンスがあります。そうした言葉を持つ思想の延長線上に「WIRED」があったのは事実でしょう。
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■プレミアサイゾーとは? 雑誌サイゾーのほぼ全記事が、月額525円で読み放題!(バックナンバー含む) 【こんな記事もオススメ!】スティーブ・ジョブズのいないアップルに嘆き節!【1】月給200万ながら即クビも!? アップル社員が匿名で語る"外ヅラ"と"ホンネ"『ウェブはバカと暇人のもの』中川淳一郎氏に聞くウェブ論者固定化の腐敗とは?小飼 弾×元「スタジオ・ボイス」編集長 危うい雑誌の未来

「神待ちサイト」にアメーバピグ……セーフティー教室は無意味!? 女子中学生も憤慨のIT教育

 子どものネット利用が当然になった今、学校側は情報教育に力を入れているが、号令ばかりで追い付いていないのが現状だ。子どもたちを取り巻くIT事情は今どうなっているのか? そして、今後あるべきIT教育とはどんなものだろうか。
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『神待ち少女』(双葉社)。
 幼少の頃からPCやインターネットが普及している環境で育った世代を「デジタルネイティブ」と呼ぶ。この語の定義には諸説あるが、Windows95発売年の1995年が日本のネット元年であることから、その頃物心がついた92年以降生まれの子どもたちはもれなくここに包摂されるだろう。彼らにとってネットがどれほど身近な存在なのかは総務省の発表に詳しい。「平成23年版情報通信白書」によれば、10年末時点でのインターネットの利用状況は、6~12歳で65・5%、13~19歳で95・6%。また、「平成22年通信利用動向調査」によれば、10年末時点での携帯電話の利用率は、6~12歳で26%、13~19歳で81・6%と、中学生以上でケータイ&ネットは大多数に利用されている。 その背景としては、ネットやIT機器が社会的インフラとして定着したことに加え、00年代中盤から台頭した「モバゲー」「GREE」「魔法のiらんど」「前略プロフィール」など、多様なコミュニティサイトが若者に支持されたことも挙げられるだろう。しかし、各種ネットサービスが普及する中で表面化した弊害により、我々は「ネットと子どもの適度な距離感の考察」が社会的課題だと強く認識させられた。00年代は、ネットサービスがもたらした闇に10代が巻き込まれる事件が多発したのである。  代表的なのは04年に起きた「佐世保小6女児同級生殺害事件」だろう。佐世保市の小学校で女児が同級生を殺害。動機は、コミュニティサイトの掲示版に被害女児が加害女児の身体的特徴を中傷する書き込みをしたことへの恨みだった。07年に神戸市で起きた「滝川高校いじめ自殺事件」も、高3男子が「学校裏サイト」に誹謗中傷、裸の写真を掲載されるなどの暴力的行為を受けていたという、匿名掲示版絡みの事件だった。  ほかでは、ネットを通じた出会いによるトラブルも続発。10年には14歳の少女が、家出少女を泊める男性を募る「神待ちサイト」で知り合った30歳の男性に売春を強要される事件が発生した。同じく10年、中学3年の女子がゲームサイトで知り合った大学3年の男に交際を迫る脅迫文を送られていたことも発覚している。  大々的に報道されない事件も含めると、ネット・ケータイ絡みのトラブルは枚挙にいとまがない。例えば、東京都が運営する「東京こどもネット・ケータイヘルプデスク」には、10年500件を超える「架空請求」に関する相談が寄せられ、全体の相談数は2000件を超えた。このような潮流を受け、ネットサービスの運営企業も対策を講じている。ミクシィでは、18歳未満のユーザーに関して、一般ユーザーと利用機能・利用領域に一部差異を設ける「ゾーニング」を強化。モバゲーは13歳未満のユーザーのミニメールの利用を禁止し、18歳未満のユーザーはミニメール送受信相手を年齢が前後2歳までに制限。アメーバピグも18歳未満のユーザーにはコミュニケーション機能を制限するなど、企業による青少年保護の動きは加速している。とはいえ、登録時に身分証明が要るわけでもないので、子ども自身が年齢を詐称してしまえばそうした制限はかからず、管理には限界がある。 ■学校じゃ教えられない批判的思考の育て方  対して学校側も、小・中学校では各教科や「総合的な学習の時間」でPCの基本操作、ネット上のコミュニケーション作法などを教え、高校からは「情報」科で、各種PCソフトの利用からネットワークの仕組み、ネット上の権利問題、基礎的なプログラミングまで扱うなど、情報教育に力を入れている。それでも前述の通り、トラブルは減らない。その理由について、文部科学省「ネット安全安心全国推進会議」委員で教育方法学専門の千葉大学教育学部教授・藤川大祐氏は次のように説明する。 「ネットは、誰の言うこともひとまず疑ってかかり、慎重に判断することが求められる世界。従って、授業で危険なメールの理由や、注意すべき人物のどこが怪しいのかを教師と児童生徒で徹底的に議論し、批判的な考察力を身につけることが必要です。しかし現状では、『こんなメールを書いてはいけません』といった、NG行為を一方的に教えるような内容になりがちなのです」  藤川氏によれば、最近の子どものネット利用は、先に挙げたコミュニティサイトや2ちゃんねるなどの掲示版のほか、ツイッターやFacebook、Skype、その他マイナーなコミュニティサイトも登場するなど、多様化しているという。そのため、ネットを健全に利用する力の育成を教育カリキュラム全体で実現することが急務であり、各教科等の時間で批判的考察を学べるようにすべきと氏は言う。しかし、それを推進するのは容易ではないようだ。 「例えば、国語で文章を批判的にとらえる読み方を教えたり、数学で統計を扱う際には数字が弾き出された背景を推測したりするような教育が可能になれば、批判的思考の養成につながり、ネットへの対応力はさらに高まるでしょう。ところが、文科省内で情報教育と教科教育の管轄が異なっていて、それぞれが外部の領域に踏み込めないため、建設的な議論を生むような連携が図れていないのです」(前出・藤川教授)  このような疲弊した教育システムがもたらす弊害を直接的に受けるのは、ほかでもない子どもたち。00年代は、子どものケータイやネットへの依存による生活習慣の乱れなどが問題視されてきたが、藤川氏はむしろそのような状況を作り出してしまう社会背景に問題があると指摘する。 「今の子たちは24時間、メールやネットで友人たちとつながれる状態にあります。それは裏を返せば、常に周りに合わせなくてはならないということ。学校生活や家庭環境に不満を抱えて抑うつ傾向にある子ほど、他人に同調しようとする傾向にあり、それが加速してしまうと、他人と自分の違いを受け入れることで自我を育む思春期に、必要な成長を阻害してしまう恐れがあります」  自己を確立できない子どもは自信を持てず、大人になってからも自分を見失ってはネットに依存するという負のスパイラルに陥る。現在は情報強者・弱者が、そのまま人生の強者・弱者になりかねない時代だけに、子どものうちに情報判断能力に関する格差を作らないことが教育現場で求められるというわけだ。  一方、学校でIT教育を行うことの無意味さを指摘する声もある。アルファブロガーとしても名高く、ネット草創期からIT業界の第一線で活躍してきた小飼弾氏はこう語る。
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■プレミアサイゾーとは? 雑誌サイゾーのほぼ全記事が、月額525円で読み放題!(バックナンバー含む) 【こんな記事もオススメ!】「ニコニコ動画は日本を変えるか!?」ニコニコ動画研究──その死角と展望エロサイト閲覧とSNSはヤリまくってもSEXは堅実──デジタルネイティブは性のニュータイプなのか?「ミクシィ」も「ツイッター」もいらない! 中高生の最新ケータイ活用術

美少女愛好者も夢中にさせる面白さ1000%のプリンスたち

アイドルと学ぶ"二次元作品"魅惑の世界──。アニメ、マンガにゲームまで、SKE48の舞台裏講座が開講です! 【今月の教材】 『うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVE1000%』
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──先月号はお休みをいただいた当連載、ゲスト枠にお越しいただいたチームK2の高柳明音さんは、なんと8カ月振りのご登場です!  今回のテーマは、7月から放送されているアニメ『うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVE1000%』(TOKYO MXほか/以下、『うた☆プリ』)。超人気アイドルのHAYATO【1】に憧れ、作曲家になることを夢見て芸能専門学校「早乙女学園」【2】に入学した主人公・七海春歌【3】と、アイドルを志して同学園に通う6人の男子たちとの交流を描いた"ドキドキ青春ラブ☆コメディ♪"だそうで、原作は10年6月に『うたの☆プリンスさまっ♪』(ブロッコリー)というタイトルで発売されたPSP専用の女性向け恋愛ゲーム......いわゆる"乙女ゲーム"ですね。 高柳明音(以下、) アニメのほうは、こないだあいりんに少し......というか、エンディングだけ観せてもらいました。あいりんが「エンディングの歌と踊りが面白過ぎるから、まずはそこから始めよう」って。 古川愛李(以下、) 『うた☆プリ』といえば、エンディングでしょう。6人の男子たちが『マジLOVE1000%』【4】を歌いながら踊るんですけど、それが面白くて......。正直、あのエンディングを観るまで、『うた☆プリ』のことは気にしてなかったんですけど。 ──確かに美少女キャラ好きの古川さんにとって、本来なら食指が動かない部類の作品ですよね。  そうなんですよ。いつもならスルー率1000%な感じで。でも、中西さんに「これ面白いよ」ってエンディングを観せてもらって、一発でハマりました。毎回、本編の中でも男子キャラが必ず歌い出すんですけど、そのシーンがすごくおかしいんですよ!シリアスに語っていたと思ったら、いきなりノリノリでピアノの弾き語りを始めたり(笑)。あと、個人的にオススメなのは、4話の冒頭で男子たちがダンスの練習をしているシーン。真剣な顔で不思議なダンスを踊っていて......笑っちゃいましたよ。 ──ちなみに、男子キャラの中で一番好きなのは? ファンの間では、一ノ瀬トキヤ【5】の人気が高いようですが......。  私は四ノ宮さん【6】推しです。料理好きとか乙女チックな部分もあって、ホワ~ンとしているところが好きなんですよねー。逆にトキヤが一番苦手かも。なんか普通過ぎて。 中西優香(以下、) 私もトキヤが一番苦手......って、トキヤのコスプレしておいて言うのもなんだけど(笑)。私、今ゲームもやってるんだけど、トキヤってなんか面倒くさそうなんだもん。とはいえ、ゲームやってると、最終的には「トキヤもいいかな(は~と)」って思えてくるんだけどね。苦手と思ってたところも愛おしくなってくるというか。  中西さん、わりと守備範囲が広いんですね(笑)。  そうなの。でも、一番好きなのは翔ちゃん【7】(は~と) 見た目は甘えん坊っぽいけど、中身は意外と男らしいんだよ。だからこそ、ちょっと弱った時のギャップがいい。翔ちゃん、マジLOVEカワイイ!! 平松可奈子(以下、) 中西......「翔ちゃん」って......彼氏かよ!(笑) ──そういえば、平松さんは乙女ゲーム好きですよね? 『うた☆プリ』はいかがですか?
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上祐史浩×濱野智史×佐藤健寿──"大宗教時代"の終焉と教義のカタチ

──宗教団体「ひかりの輪」の上祐史浩代表は、新しい宗教団体の形を模索する中で、ブログやミクシィ、Facebook、そしてツイッターといったSNSにより情報を発信している。では、SNSは宗教団体にとって"福音"となり得るのだろうか? また、そこに盲点はないのだろうか? 
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「ひかりの輪」代表・上祐史浩氏
(撮影/佃太平)
 日本を震撼させた地下鉄サリン事件から今年で16年──。オウム真理教の顔として連日メディアを賑わせた上祐史浩氏は、教祖である麻原彰晃(本名・松本智津夫)の死刑判決の翌年に「ひかりの輪」を設立。事件の被害者賠償をという責務を背負いながら団体を運営しているが、それにはSNSはかかせないようだ。ここでは、上祐氏、情報環境研究者・濱野智史氏、オカルトニュースサイト「X51・ORG」を主宰するフォトジャーナリスト佐藤健寿氏と共に、宗教的、社会学的、オカルト的な視点から見た"宗教とSNS"の関係を見ていこう。

──「ひかりの輪」では現在、上祐さんが中心となってミクシィ、Facebook、ツイッターなどを通して情報発信をされています。オウム真理教在籍時と比べて、SNSを使うことで団体としての活動に変化はありましたか? 上祐 当時と比較して、会員やシンパの人とのやりとりの頻度が、圧倒的に高くなりましたね。これまで、会員との接点といえば、月に一度の説法会で面談をしたり質問を受けたり......という程度でした。しかし、ミクシィなどを利用すると、毎日のように熱心にメッセージをくれる人もいて、接触密度が格段に上がりました。我々はオウム真理教の反省に基づいて、閉鎖的な教団ではなくて、徹底的に開かれた教団を展開するしかないという考えで活動しています。そうした理念と、SNSがマッチしたんだと思います。 濱野 ここ数年"ダダ漏れ"というキーワードがツイッター、USTREAMなどのソーシャルメディア界隈でよく使われています。しかし、ダダ漏れが作るある種のリアリティというものは、カリスマを志向するタイプの宗教には向かないのではないでしょうか? 上祐 教祖にどう見ても神的な要素があるならばともかく、神秘性を演出している場合には、向かないでしょう。(江戸時代以降に設立された)新興宗教であれ、(1970年代以降に設立された)新新宗教であれ、従来型の宗教の多くは、教団・教祖の隠蔽性・閉鎖性に特徴があり、「外の人にはわからなくて、中の人はわかる」という形でカリスマ性を高めてきました。例えば、某団体の教祖が頻繁に社会に触れると、人間臭いところが出てきてしまい、神秘性を演出するのが難しくなってくる。そういうタイプの宗教にとって、都合の悪いツールだといえます。 濱野 でも、逆にダダ漏れだからこそ伝わる魅力もあるわけですよね。上祐さんの名前を検索すると、「探偵ファイル」というニュースサイトがヒットします。上祐さんを応援するオフ会のレポート記事で、応援キーホルダーを渡されて苦笑している写真が載っているんですが、これを見ると上祐さんのイメージが変わるんです。素の上祐さんの姿に萌えちゃうんですよね(笑)。 上祐 最近は、黒田勇樹さんのトークショーにも出演して、何かわからないうちにアドリブ芝居に巻き込まれたりもしました(笑)。80年代末~90年代半ばにかけて起こったオウム真理教事件以降、宗教家にとっては厳しい時代になりましたが、「ひかりの輪」の場合、オウム事件があったため、各地に拠点を設けるなど、従来型の布教活動ができません。そういう事情から、必然的に流れ着いたのが、ネットの世界だったんです。 ──「ネットを通して実際の宗教体験はできない」という話もあります。 上祐 それはそうだと思います。直接に接触したときに交換するものと、ネットを通じて交換するものには、違う部分が多い。しかし、少しずつですが、そのギャップも解消されてきていると思います。例えば、メールの時代は文字だけのやりとりだったけれど、USTREAMやYouTubeを使うことでだんだんと視聴覚情報が伝わるようになった。そうすると中継を見ている人にも、なんとなくフィーリングが伝わっていく。  もともと宗教は、仏像や仏画を見たり真言を唱えたりと、象徴物によって神聖な意識を生じさせる一面があります。つまり、芸術やメディアを通して生きてきた部分があります。 佐藤 メディアの語源がそもそも霊媒を意味する"メディウム"ですよね。霊媒や宗教の起源が神や高次の意識とのテレコミュニケーションなのだとすると、現代のネットやテレビと霊媒的なものは実は直線的につながるものなのだと思います。 上祐 喩えとして良いかはわかりませんが、霊媒師がチャネリングをするために、「その人の写真をください」と言うでしょう。写真という限定的なメディアで十分ならば、ネット動画のような、よりクリアな視聴覚情報は十分優れた媒体になるとも考えられるのではないでしょうか。 佐藤 上祐さんが今言ったことは、英会話教室をはじめ、宗教に限らずさまざまなジャンルで起こっている話ですよね。地下鉄サリン事件が起きた95年は、Windows95が発売され、インターネットが本格的に広まった年でもあります。オカルトの世界でもひとつの節目になっていて、アメリカが「宇宙人解剖フィルム」を公開し、UFO事件がテレビを最後に賑わせたのもこの年です。そして、その解剖フィルムをもって、オカルトが終わったという言説もある。インターネットの普及を通じて、あらゆるものがオープンにならざるを得なくなったんです。  例えば、あるカルト的な宗教があったとして、95年以前だったら本などを通して閉鎖的な環境で情報を与え、信者をマインドコントロールする古典的な方法が通じたと思うんです。しかし今は、多くの人が2ちゃんねるやツイッターで情報を収集するようになって、どんな思想であれ多面的な判断要素に晒されることになる。良し悪しの問題ではなく、あらゆるものがオープンな形でしか存在できない時代になったのだと思います。 ■ツイッターがもたらすいわれなき誹謗中傷
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上祐氏が代表を務める「ひかりの輪」では、ブログや動画配信、
Facebookなど、さまざまなサービスを使っている。
濱野 おっしゃる通り、特に日本ではオウム事件の影響が非常に大きいと思います。オウム以降、(オ)カルト的なもの──クローズドであるからこその魅力──は一切許されない世の中になった。オープン化といえば企業のコンプライアンス遵守などもそうで、やたらと透明性が求められる世の中になったと誰もが思っている。インターネットが出てきて、何もかもがダダ漏れし、すぐ監視される状況では、原理的にクローズドなものは生き残ることができず、オープンな状況で人を引きつける魅力を出すしかなくなってしまっている。これは宗教に限らず、社会全般に通じることですね。  一方、先月号のサイゾーに掲載されていた苫米地英人氏の対談記事で、「ツイッターは宗教というよりも、かつての魔女狩りに近い」という記述があって、うなずけました。皆が「こいつは×××だ」と言い出すと、3人くらいが勝手にリツイートして、それが既成事実になってしまう。オープンなコミュニケーションがそのままカルト的に機能してしまう危険性もまたあるのだ、というわけです。実際にはツイッターに自浄効果もあるので、何もかもが誤りではないのですが。 上祐 そもそも、苫米地さんのように元々評判の良い人は傷つくかもしれませんが、私などはこういう立場ですから、魔女狩りの対象になっても失うものはありません(笑)。そして、魔女狩りに参加しない人もいるわけだし、耐える気持ちがあればいいだけです。 濱野 ソーシャルメディア時代の悟りを感じさせるご発言です(笑)。  さて、もともと宗教には、日常性と非日常性の境界を定め、日常性とは隔離された超越的な領域を作る、という原理的な機能があったと思います。しかし今、普通の人たちが使っているSNSは、"超スーパー日常生活"の延長線上でしかない。SNSを使って非日常性が表れることはほとんどなくて、基本的に友達と毎日、だらだらとコミュニケーションをするためのツールに過ぎない。上祐さんだったらシンパの人たちや信者の皆さんからの質問に淡々と答えたりするわけですが、そこではなかなか非日常的なことは起きませんよね。SNSは確かに便利だけど、原理的には宗教的なものとの相性は良くない気がするのですが。
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■プレミアサイゾーとは? 雑誌サイゾーのほぼ全記事が、月額525円で読み放題!(バックナンバー含む) プレミアサイゾー初月"無料"キャンペーン実施中!! (2011年9月30日まで) 詳しくはこちら 【こんな記事もオススメ!】Facebookはカルト宗教団体の温床に──入信も修行も"ワンクリック"!? SNSで加速する宗教活動の実態苫米地英人×辛酸なめ子──ツイッターの「魔女狩り」から逃れ、国家的洗脳から脱却せよ!『DEATH NOTE』と『聖☆おにいさん』は宗教タブー!? さとうふみやが初めて語る幸福の科学と『金田一少年』【前編】

『震災以降も「原子力ムラ」は何も変わっていない』 原発と共に生きる人たちの現実【前編】

──若手専門家による、半熟社会をアップデートする戦略提言 ■今月の提言 「脱原発議論が捕促しない地元のリアリティを見よ」
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ゲスト/開沼博[社会学者]  原発事故から半年がたった。「脱原発」をぶち上げた菅首相は退陣、新首相が誕生したが、反原発・嫌原発の空気は続いている。放射能汚染についても日々情報が錯綜している状況だ。日本のエネルギー対策は、そして「原子力ムラ」はどうなっていくのか? 本誌8月号にも登場した開沼博氏に、『「フクシマ」論』のその後を聞く。 荻上 東京電力福島第一原子力発電所の事故発生以降、原発についての国民的・世界的関心は一気に高まりました。しかしながら、事故後半年にならんとする現在でも、収束に向けた見通しは不透明で、正確な情報が十分に共有されているとは言い難い。その情報の需給ギャップが、さまざまな憶測や流言が発生する余地を生む状態も、依然続いています。  例えば、「予防原則」という言葉が、実にご都合的に「確かめなくても拡散しときゃいい」「オレがデマ流しても叩かず、『安全でよかった』と笑っておけ」というイイワケとして振りかざされているのは、頭が痛い光景。間違ったことを言ったから叩かれた者が、そこをスルーして「実は自分は正しかったのに、ヒステリックに叩かれた」なんて自己肯定してる姿は、生涯その人のイメージとして脳裏から離れなさそうです。  それにしても、かくも私たちが混乱してきたのは、放射性物質や原発に対する「確かな情報」が社会的にシェアされていなかったからですが、そうした中で論点の需給ギャップを埋め合わせる数少ない試みのひとつが、開沼さんの『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)でした。事故以前から調査されていた原発地域の生活文化の実態や、福島に原発ができた歴史的経緯等を緻密に押さえながら、政策的な議論の前提を提供する役割を好タイミングで果たされていたと思います。 『「フクシマ」論』については方々で話されてきたでしょうし、僕も開沼さんとはこれが実は3度目の対話。そこで今回は、著書を出されて以降、アフターの話をしたいと思います。まずは震災後も取材を続ける中で、2つの「原子力ムラ」、すなわち「原子力ギョーカイ」と「原子力地域キョードータイ」の「その後」の動きに、気になる変化はありましたか? 開沼 研究会や講演でも言い続けていることですが、状況については何も変わっていないと思います。これは、「いや、これだけ変わったじゃないか」という議論を喚起したい部分と、本心からそう思う部分の、両方の意味で言っています。  前者については、例えば環境省の中に原子力安全庁を作る動きなどが挙げられるでしょう。推進側と安全監視側の所管を分けるべきという政策趣旨自体は、確かに必要な方向性。しかし、これまで「CO2削減に役立ち、経済効率もいいエネルギー」といった名目で原発が推進されてきたことひとつ取っても、単なるガス抜き措置に終わるかもしれないという疑義は拭えません。私が本の中で書いた、中央政府内の「原子力ムラ」がオートマチックに動いていく構図は、例えば吉岡斉さんや武田徹さんが10年以上前に分析された状況から大して変わっておらず、それに対する社会の側の問題意識のレベルが今のままでは到底今後も変わり得ない。  そして、地元の側の原子力ムラの状況も、本質的には何も変わっていません。今週も福島に行きましたが、現地の方々の中には東電や政府に怒るより「原発を動かしてもらわないと困る」という声は少なからずある。直接原発で働く労働者はもちろん、彼らが利用する宿、飲み屋、あるいは交通機関の人々と、かつて福島第一原発だけで1万人規模の雇用があったわけですから、その数は無視できるものではありません。むしろ、収束のための作業の発生で、ある面では原発バブル的なものが起きている部分もある。「原発から近い所の人は、即刻原発停止を望んでいるに違いない」という予想を裏切る、非常に根深い問題がそこにはあります。  で、こうした事実を報告すると、「現状維持に加担するのか」と脊椎反射的な反発を受けることがままありますが、もちろんそうではありません。良いか悪いか価値判断をする以前に、現状を認識しないと何も始まらないという当たり前のことを申し上げているのだと、あらためて強調しておきたいと思います。 ■メディアが伝えない「信心」の皮肉な拡大 荻上 震災後の現地の状況について、もう少し詳しく伺わせてください。特に気になるのは、事故収束に当たる原発労働者の実情や、放射性物質の拡散で強制的に「利害関係者」が増えたことの影響です。開沼さんが『「フクシマ」論』のベースとなった修士論文を書かれた時は「皆が忘れ去っている問題」だったのが、今や大きく変わってしまいましたから。 開沼 まず、復旧労働者の間では、圧倒的な日常が流れています。ここには、原発事故を非日常として扱いたがるメディアとの大きなギャップがある。例えば、原発から二十数キロの地点にある原発労働者向けの民宿は3月末には営業を再開していて、行ってみると皆マスクもせずにステテコ一丁で、外で酒を飲んだりしています。その人たちがいわゆる多重下請け構造の犠牲者で、無理やりそこに泊まらされて働いているのかというと、そうではない。いわき市内のホテルは、避難区域指定の影響で、原発直近の4町の労働人口が集中したために、全部埋まっています。そこに泊まれず郡山や茨城のほうから通うとなると、通勤にプラス1時間半くらいかかる。だから、「近くから通えて楽だ」と、進んでそうした宿を利用する状況があるわけです。  また、労働者に「危ないと思わないんですか」と聞くと、「前よりは確かに喰って(浴びて)いい線量の限界値は少し高くなったけど、放射線の勉強をした人に大丈夫だと言われてるから」と、ほぼ気に留めてません。常に線量計をつけて被ばく量を測り、限度が来たら作業をやめる仕組み自体は、以前と変わらない。彼らにとって大事なのは、これまで通りの働き口があって家族を養っていけることで、安全性やリスクに関する「科学的に正確な知識」など、知ってどうなる、という話なんです。  そうした原発近辺や労働者のリアリティまみれの「日常」を見聞きして東京に戻ると、「このままでは全てが破滅だ」「脱原発の流れは揺るがない」といったハイテンションかつイマジナルな「非日常」言説で溢れている。そんな「非日常」に持続性はありません。再度皆が忘れ去っていく「忘却」の問題は、すでに始まっていると言っていいでしょう。 荻上 事故後に放送されたマイケル・サンデルのロールプレイングでも【4月16日NHK総合『マイケル・サンデル 究極の選択』】、労働者にツケを背負わせることの是非、というのがありましたね。実際、「多重下請けの労働者が搾取されていてけしからん」といった議論が、同情論としての反原発のフックになっている面がある。それが「中抜きして賃金を上げろ」というロジックと、「高賃金をエサに危険な労働を押しつけるな」というロジックが同居していたりして、「じゃあ、どんな条件なら働いていいんだよ!?」と思いもするんだけれど、"なんとなく反資本主義"な嫌儲気分が「いや、労働者には労働者の満足や日常があった」という観察を遠ざけてしまっている面はありそうです。それは結局、一部の「切り取り」であり、地方や労働者を政治主体として認めないことにもなりかねない。当事者が増えたこともまた、その争点の整理を再度、難しくしている点もあるでしょうね。
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iPhone5騒動でソフトバンク株暴落! カリスマ・孫正義にユーザーはもううんざり!?

──ネットニュースをいろんな角度で見てみれば、話題の"真相"と"深層"がわかる! 横断的ニュース時評
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Softbankの公式HPより。
 2011年9月22日未明、日経BP社が運営する「日経ビジネスオンライン」に、KDDIがiPhone5を発売するというスクープ記事が掲載された。この青天の霹靂のようなニュースは、ネット上ではあっという間に話題を呼び、ガセか否かの議論がTwitterなどソーシャルメディア上で熱く交わされた。そこで話題を呼んだのが、その直前にソフトバンク株式会社代表取締役社長兼CEO・孫正義氏がTwitter上でつぶやいた意味深な発言である。 「全ての人に分かれ道はやって来る。 問題は、そこで正道を選ぶか邪道を選ぶかだ。」  日経BPの報道を見た後では、どうにもこの件と結びつけざるを得ないこの発言には、直後にTwitterユーザーから、コメントが殺到。中には、「ざまあみろ」とばかりの嘲りのコメントも少なくなかった。しかも、同日中にソフトバンクの株価は急降下し、同日終わりには前日比12%安の下げ幅。代わりにKDDIの株価は大きく上昇し、市場の「現在のソフトバンクの好況は、あくまでもiPhone頼みによるもの」という評価を見せつけられるという、散々な格好となった。 ◆型破りな事業家・孫正義へのバッシング  業界の風雲児として常に物議を醸す言動を撒き散らし続けてきた、孫正義氏。2009年のTwitterアカウント開設以降は、Twitterでのクレーム対応やUstream買収など、次々に繰り出されるソーシャルメディア時代に対応した施策、さらには東日本大震災時の「義援金100億円」などの奔放な発言が若い世代からも大きな注目を浴びてきた。  しかし、今回のネットでの「ざまあみろ」の声は、そんな良くも悪くも目立ちがちな彼への鬱憤晴らしの側面もあったのではないか。実際、彼の言動への違和感を表明する声は常にやむことはなかった。近年におけるその有名な事例が、「光の道」論争や自然エネルギー事業参入にまつわる「政商」批判である。これについては、孫正義氏の功績を識者たちが多角的に検証した以下の記事を見てみよう。 『経営コンサルタント、経済誌編集長、内幕本の著者まで「ソフトバンクと孫正義を叩く人、ホメる人」』  孫正義氏の経営スタイルは、かつては「時価総額経営」とも言われた、巨大なビジョンを掲げ(皮肉な言い方をすれば)"周囲の期待をつり上げて"株価を上げ、資本市場などから多額の資金調達を繰り返しながら、事業を回していく手法であり、その手法をつまびらかに解説した『一見"絶好調"なのに......ソフトバンクの苦しい台所事情』といった記事も参考になるだろう。上の記事にも書かれているような、彼のとかく「目立つ」言動は、こうした経営手法が必然的に生み出すものという見方もできる。こうした見方をとる論者には、彼の一見して高邁な理想を掲げた言動の裏に透けて見える、商人としての計算高さに注目する人も多い。 『ソフト販売から光の道へと続く事業の軌跡──2人の識者が語るソフトバンク事業』では、そんな彼がPCソフトウェアの卸売り事業から身を起こしてから、現在に至るまでの軌跡を追いかけたもの。コンサルタントのクロサカタツヤ氏らによる、各時期の事業へのコメントが記されている。規制の強いインフラ産業で、まるでドン・キホーテのようにあくなき挑戦と失敗を繰り返しながら、現在の栄光をつかみ取ってきた稀代の経営者の軌跡が見えてくる。 ◆インフラとサービスへの不満 一方で、忘れてはならないのは、今回のこのソフトバンクへの評価が、以前から何度となく指摘されてきた、他キャリアに比べてのサービス品質の全体的な低さに、何よりもまず起因していることだ。以下は1年前のサイゾーの記事であるが、いずれもソフトバンクが引き起こした通信障害やインフラの脆弱性を取り上げたものであり、こうした問題点の蓄積が今回のソフトバンクへのユーザーや市場からの評価に繋がっているのは疑いないだろう。 『「CMより設備投資しろ!」ソフトバンクモバイル大規模通信障害でユーザー激怒中』 『iPhone人気が自爆を招く!? ソフトバンクが繰り返す黒歴史』  ネット企業各社が実施した簡易アンケートでは、例えば「ギズモード」では2割のユーザーが「iPhoneのためにソフトバンクにしたけど、必ず乗り換える」と回答(参考)、「ニコニコ生放送」公式番組内でのアンケートでは4割が「au版iPhoneに変更したい」と回答(参考)するという状況となっている。当然ながら信憑性は高くないが、ある種のユーザー層のネットにおける空気を表現した結果とは言えるのではないか。  なお、現時点ではKDDIからiPhoneが発表されるかはまだ不明である。しかし、その信憑性を窺わせる話が、いくつかネット上にあるのも事実だ。例えば、au新製品発表会が行われた26日には、アンドロイドauのサイトが閉鎖され、話題を呼んだ。また、「東洋経済オンライン」はau新製品の初回ロット数が明らかに少ないことが、業界関係者の間で話題になっていたことを報じている(参考)。  しかし、仮にauで次期iPhoneモデルが発売されたとして、現在iPhone を使っているソフトバンクユーザーの不満が解消されるかは、現時点ではわからないところがある。通信の繋がりやすさは実際に始まってみなければ判断がつかないところがあるし、AppleがiPhoneの料金プランやサービスで通信事業者に細かく指示を出しているのは、有名な話である。いずれにせよ、仮に現時点での「日経ビジネスオンライン」の報道が正しいとすれば、当然ながらauとのユーザーの奪い合いが始まる。現在のソフトバンクの好業績を支えるユーザーの「純増神話」が終焉を告げる可能性が高まるのは確実だろう。 ◆iPhone5の状況 ちなみに、iPhone5については、英国のゲームニュースサイト「PocketGamer」などが米国時間で10月5日に、Apple本社でプレスカンファレンスが行われる模様だと報じている。auから何らかの公式発表があるとすれば、この日以降になるはずだ。現時点で、iPhone5の機能については、公式サイト上で誤って掲載されたという画像がまことしやかに伝わっているのみで、公式にはそもそも製品自体の存在も含めて、何も明かされていない。どうしても気になるという方は、辛酸なめ子氏やさとうふみや氏などの著名人たちが好き勝手に妄想したiPhone 5と、その実現可能性を検証した以下の記事でも読みながら、楽しみに待っていてはどうだろうか。この中から一つくらいは搭載される機能があるかも......しれない。 『性癖透視カメラに念入力機能、励ましてくれる人工知能まで!矢追純一、姫井由美子、村西とおるら"賢人"が考える「iPhone5、夢の機能はコレだ!」』 『ケータイジャーナリストに聞く「夢のiPhone 5、どこまで実現可能か?」』 ■プレミアサイゾーとは? 雑誌サイゾーのほぼ全記事が、月額525円で読み放題!(バックナンバー含む) プレミアサイゾー初月無料キャンペーン実施中!! (2011年9月30日まで) 詳しくはこちら

ブータンと水俣市に学ぶ震災後のあるべき日本の姿【前編】

ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地
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今月のゲスト 草郷孝好[関西大学社会学部教授] ──東日本大震災から半年がたった現在、わずかではあるが復興事業は前へ進みつつあるように思われる。だが、日本全体を覆う暗い陰は、いまだ晴れる様子はない。そんな中、「日本を本当に幸せな国に変えるには、ブータンと熊本県水俣市の取り組みを学ぶべきだ」と、関西大学社会学部の草郷孝好教授は語る。国民の生活水準だけを見ると、決して豊かとはいえないアジアの小国ブータンは、高い国民総幸福量を誇るが、水俣市は長い間、公害に悩まされてきた都市として知られている。お金や物資に頼らない"本当の幸せ"とは、どのようにもたらされるのだろうか? 震災後のあるべき日本の姿について、考えてみたい。 神保 東日本大震災を奇貨として、日本をより幸せな国にするために、我々は何をすればいいのか。今回はその一例として、ヒマラヤ山脈麓の小さな国・ブータンと、意外な共通点がある熊本県水俣市の取り組みを見ていきたいと思います。  まず、ブータンといえばGNH(Gross National Happiness/国民総幸福量)が有名ですが、宮台さんはどんなイメージを持っていますか? 宮台 仏教国で、貧しいが信仰生活が根付き、子どもも大人も生き生きしているイメージです。物が溢れ、部屋の中はガジェット満載なのに、誰もが浮かない顔をしている日本と対照的です。世界30カ国それぞれの「統計的中流」に属する家族の人と家財道具一式を家の前に並べて1枚の写真に収めた、『地球家族』(TOTO出版)という写真集があるけど、一番浮かない顔をしているのは日本人、一番輝いているのがブータンです。 神保 2005年の政府の調査では、ブータンは国民の97%が「幸せ」もしくは「まあまあ幸せ」と答える国で、国民の幸福度が非常に高い国だといわれています。国策としてGDP(国内総生産)やGNP(国民総生産)ではなく、GNH、つまり幸福量を増すための政策を追求していることで知られています。もっともGNHについては、「ブータンのような小国だから可能なことで、日本では難しい」といって、相対化するような見方もあります。 宮台 日本は、個人別GDPが世界2位だった10年以上前の時代でさえ、幸福度調査で世界75位より上になったことがない。今でこそ個人別GDPは23位ですが、それでも幸福度の順位とは差がありすぎる。これだけ経済的に豊かで、こんなに不幸なのは、スキャンダルです。イギリスの3倍にも及ぶ自殺率との関連でも、GNH上昇は喫緊の課題で、「GNHを上げるのは現実的でない」とほざく議論はナンセンス。GNHが低い理由を直ちに分析するべきです。 神保 今回のゲストは、タイやマレーシア、モンゴルなど、途上国の開発問題を研究してこられた、関西大学社会学部の草郷孝好教授です。まずは総論として、長期にわたる経済的な停滞や自殺問題などが取りざたされて久しい日本ですが、今年の3月に東日本大震災があり、原発事故もあった。これはある意味で、これまで私たちが歩んできた道を再考するいい機会だと思いますが、その際に、草郷さんが今こそ日本がブータンを見習うべきだと考える理由とは? 草郷 日本はこれまで、GDPやGNPを国の開発を測る物差しとしてきました。これは「富国強兵」の時代までさかのぼることができます。戦後に「強兵」の部分はなくなったものの、「富国」志向は健在で、経済競争の末に達成したものは、当然ながらGDPを物差しにした平均的な意味での幸せです。つまり、この国は「物の豊かさが保障されれば、国民は幸せになれる」という前提で成り立ってきた。幸せ=物の豊かさと定義するならば、「日本はすでに達成できた」と言い切れます。  しかし、3年に一度、「国民の意識とニーズ」を調査する国民生活選好度調査----「生活全般に満足しているか、それとも不満か」という指標を見るとどうか。84年は「満足」「やや満足」と答える割合が64・2%でしたが、これを頂点に数字は下がり続けています。GDPが幸せに直結するなら、70~80%になっていなければおかしい。日本は"幸福のパラドックス"に陥っているといえます。 神保 同調査では、05年には「満足」と答えた人が4%を切ったとのこと。つまり日本では、自分の生活に満足していると感じている人が、25人に1人もいないのですね。 草郷 震災をきっかけにして「どういう生活が必要なのか」を考えるとしたら、社会のあり方論が重要になると思います。日本人がどんな生活を求め、またGDP型のモデルとは違うモデルを見つけることができるのか。僕は見つけられると考えて、ブータンのモデルを研究してきました。  ほぼすべての先進国は、日本と同じような問題にぶち当たっています。若者の疲弊、大卒者の就職難、人間関係の希薄さ、家族の崩壊など、社会問題を取り上げてみると、本当によく似ている。そこで、今までのGDP型モデルが社会や人々に与えるダメージは過小評価できないから、ほかの国でも「違う物差しを探そうじゃないか」という話になっています。OECD(経済協力開発機構)からつい最近出された「より良い暮らし指標(Your Better Life Index)」が顕著な例です。 神保 国の発展の指標としてGDPやGNPを使うことには問題があると?
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ヨイショ記事ばかりが乱立する、デジモノ雑誌のスマホ特集はどれを読むべきか?

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『スマートフォン完全ガイド 2011秋
号 (100%ムックシリーズ)』
(晋遊舎)
―デジタル雑誌はいうまでもなく、ファッション誌やライフスタイル誌まで、現在ブームの渦中にあるスマートフォンを紹介する雑誌は、枚挙にいとまがない。そこで、本誌では家電やデジタルグッズ系の雑誌記事を比較検討しながら、スマートフォンとメディアの関係を明らかにしていく。  2008年7月に日本でiPhone3Gが発売されて以降、国内ケータイ市場におけるスマートフォンの需要は拡大している。マーケティングリサーチ会社のMM総研によると、08年度の出荷台数は110万台、09年は234万台、10年は855万台と前年比の3・7倍を記録。今後も上昇傾向を見せると予測されている。  また、スマホの市場拡大に伴い、商魂たくましい雑誌業界でもそのニーズは増している。「デジモノステーション」(ソニー・マガジンズ)や「家電批評」(晋遊舎)のようなデジタルグッズの専門誌はいうまでもなく、「an・an」(マガジンハウス)のような女性ライフスタイル誌、「週刊ポスト」(小学館)のようなオヤジ系週刊誌でも、スマホの記事を見かけるようになった。デジタルグッズ誌では、今や「スマホの記事が読者人気の中核を担っている」とモノ雑誌の編集者A氏は語る。 「雑誌の読者投票でもスマホの記事は常に上位で、雑誌売り上げにも大きく関係しています。今年3月まで適用されたエコポイントがブームになった頃は、薄型テレビの企画がそうでしたが、現在はスマホが完全に逆転した状況です」(同)  しかし、あまりにスマホの記事を掲載する雑誌が多すぎるため、読者はどの雑誌のどの記事を参考にしてスマホを選んだらよいのかわかりづらいのも事実だろう。そこで当企画では、今夏の新モデルに関する記事を掲載していた辛口なデジタルグッズ専門の4誌を選出。数多くある雑誌からこれらを選んだ理由は後述するとして、各誌における3キャリア最新主要スマホ14機種の評価を表にまとめて比較検討した。  まず、総合評価で1位を獲得したのは、サムスン電子の「GALAXY S 2」。処理速度の高いCPUやサムスンの液晶技術による高品質なディスプレイなど、そのスペックの高さは他機種を凌駕している。逆に評価が低いのはパナソニックの「P-07C」や「Sweety 003P」。女性向け端末としてデコメールが送れる「デコ機能」などのサービスを付加する一方、女性の手には大きすぎて使いにくいなどの矛盾を残したことを問題視した。  しかし、4誌以外の記事では、このパナソニックの2機種について使いにくさを指摘することはほとんどない。なぜなら、各誌で最低評価の原因となった大きすぎる機体について、パナソニックは片手の親指だけで操作できる「タッチスピードセレクター」というユーザーインターフェースを採用しているからだ。これにより各誌は「機体は大きくても片手で使える」と紹介しているが、実機を触ってみると使いづらいのは一目瞭然なのだが......。 「良心的なAV関係の記者やライター、モノ雑誌の編集者は発売前からスマホをメーカーに提供され、実際に使用しています。パナソニックも発売前から女性に利用してもらい、『タッチスピードセレクター』の利便性では使いづらさをカバーできないという意見が多かったそうですが、単なる紹介記事でそんなことを書いたら、編集からNGを出されてしまいます」(AVライター)  いうまでもなく雑誌に求められるのは、購入前にユーザー目線に立った情報をいかに提供できるかだろう。だが、やはりメーカーによる"広告"に縛られると、書かなければならないことも書けないのが現状なのだ。 ■雑誌につきまとう広告というジレンマ  スマホメーカーが落とす広告費について別のモノ雑誌編集者B氏は、「1機種の記事数ページで200~300万円、小冊子にして雑誌に挟み込む場合は500万円以上もの金額を、メーカーは支払っているそうです。雑誌の販売部数が下がっていることを考えれば、軽視できない出稿料」だという。当然「製品を批判しないために、広告費を投下する」(同)という側面もあり、事実、メーカーから広告費を一切受け取らないと標榜する「家電批評」には、「余計なことを書かせないためか(苦笑)、企業から広告出稿の問い合わせが非常に多い」(事情通)とか。  このほか、広告費以外にもメーカーから受ける恩恵があるという。
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アメリカの闇がまざまざと 忘れられた棄民たちヒルビリーの神話

雪に隠れた岩山のように、正面からは見えてこない。でも、映画のスクリーンを通してズイズイッと見えてくる。超大国の真の姿をお届け。
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『ウィンターズ・ボーン』 17歳の少女リーは、貧しい田舎町で、病気の母と幼い妹弟と暮らしていた。しかし、そんな中、自宅を保釈金の担保にしたまま失踪した父を見つけなければ、自宅が差し押さえられてしまうことが発覚。彼女は父を探し始めるのだが......。 監督/デブラ・グラニック 出演/ジェニファー・ローレンス、ジョン・ホークスほか 日本では、10月29日より公開  映画『ウィンターズ・ボーン』のヒロイン、リー・ドーリー(ジェニファー・ローレンス)は、ミズーリのオザーク山地に住む17歳の少女。父は覚せい剤の密造で逮捕され、母は精神を病んでいて何もできない。幼い弟と妹の面倒はリーが看るしかない。  ところが父親は保釈されてすぐに行方不明になった。父が出頭しないと保釈金のカタとして家が差し押さえられる。家族を抱えたリーは父を探すため、オザークの闇社会に入り込んでいく。  リーのような白人たちをヒルビリーと呼ぶ。ヒルビリーが住むのは、テネシーからミズーリ、アーカンソーにかけて東西に広がるオザーク山地と、東側のジョージアからヴァージニア、ニューヨークにかけて続くアパラチア山地の2カ所。ヒル(丘陵地)に住むビリー(スコットランド人)という名前通り、彼らの多くがスコットランド系。  祖先は最初、アイルランドに入植したが、19世紀に起こったじゃがいも飢饉で難民としてアメリカ南部に渡ってきた。だが、農耕可能な土地はすでにイギリス系に独占されていたので、小作人になるのを嫌った人々は山奥に入った。  山奥は斜面と岩だらけなので、麦畑や牧畜には適さない。代わりにトウモロコシを栽培し、豚や鶏を飼ったが、規模を拡大することはできなかった。今でもアパラチアやオザークはアメリカで最も貧しい地域だ。  その代わり、ヒルビリーたちはトウモロコシで酒を密造した。最近では風邪薬を煮沸して覚せい剤を精製するようになった。リーの父もまたそうだ。  その父も行方をくらまし、収入を失ったリーの家族は冬を越せるのか。リーは、銃でリスを狩って、それでシチューを作って弟たちに食べさせる。リーを演じるジェニファー・ローレンスは、実際にリスをナイフでさばいた。しかしながら、この21世紀のアメリカで、リスを食べて暮らす白人がいるとは!
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