女性から口説かれる、愛されるキャラクター…不倫の天才・火野正平の生き方

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『こころ旅フォトブック』(日本文芸社)
 現在、NHK BSで放送中の「こころの旅」は2011年にスタートした。俳優の火野正平(68)が自転車に乗って日本全国を回る番組で旅と人との出会いがテーマ。子役で芸能界に入り、名脇役として幅広いジャンルで活躍する火野のイメージとはほど遠い番組。火野の起用は「冒険だった。またスキャンダルで騒がれるなど、番組に影響することも考えられるとして当初は不定期だった」とNHK関係者はいう。火野は芸能界で屈指のプレイボーイと言われた男。いかにも健全なNHKの旅番組とはミスマッチ。  放送記者によれば、「まったく飾らない人で、いつも自然体。俳優特有の威張った感じもないし、人なつこく親しみやすいキャラが意外や大受け。不評だったら即座に止めるか、別の人に替えるかを考えていた」そうだが、余計な心配だった。今や好評で定期番組として人気を博す隠れた名番組になっている。  決して二枚目ではないが、年を重ねても無邪気な子供っぽさは昔のまま。「あの無邪気さが女性の母性本能をくすぐり夢中にさせた」と芸能関係者は回顧する。  とにかくモテた。二枚目俳優がモテるイメージの強い芸能界に革命を起こしたと言っても過言ではない。最近のタレントや芸人はモテると言っても、自ら合コンなどに出向き一生懸命マメに口説き落とす。火野とは雲泥の差。火野は女性から口説かれることのほうが多かった。 「女を意識して口説くことはないよ。気がついたら付き合っていただけ。女房は大阪で子供と暮らしているし、特別に不倫を意識したことはないね」という話をさりげなくしていたこともある。  過去、火野との不倫が報道された人は優に10人は下らない。有名なところでは、小鹿ミキ、新藤恵美ら女優が4人。歌手は2人。他に女優・鳳蘭のマネージャーともあった。すべて共演などがきっかけだった。「今度、ゴハンでも食べに行こう」の延長で付き合う。「二枚目俳優は食事だけでも女性は意識するが、火野なら居酒屋でも付き合える。そんな雰囲気があった」と映画スタッフから聞いた。付き合いも堂々としたものだった。隠れてコソコソと会うこともないから、すぐにマスコミにバレる。今井絵里子と橋本健氏が新幹線で手を繋いで寝ているところを撮られたが、火野と歌手の仁支川峰子が芸能人で最初に新幹線内で仲良く寝ているツーショットを撮られている。それが写真誌に掲載されても、「いい感じの2人」とさほど騒ぎになるとこもなかった。小鹿ミキと半同棲しているとき、何度となく2人を取材した。夫婦のように堂々としていた。喫茶店内で大きな声で喧嘩することもあった。とても芸能人同士のカップルには見えない。2人を見ていると、明らかに小鹿が惚れているのが分かった。 「放っておけないのよね。私が付いていないとこの人、ダメになってしまうようなタイプ」と小鹿は言っていた。 脇役が多く、主役クラスほど稼いでいたわけではない。稼いだ金は大好きな競艇に使う。財力で愛人を持つタイプではなく、金はなくとも女が尽くすタイプ。出会いと別れを繰り返しても、一度たりとも揉めたことはない。別れた女性に恨みを言われることもなかった。別れた女性に男の下半身事情を雑誌で明かされたこともない。「いい想い出」と女性は火野を語る。マスコミの格好のネタになっても逃げ隠れすることもなく、「そのまま好きなように書いたら」とメディアも面食らう対応で沸かせた。一時はワイドショーのマスコット的な存在として、毎日のように番組を賑わした。不倫しても愛された男。火野正平。万人に愛されるキャラが今、NHKの番組で生かされている。最近の不倫するタレントには到底マネできない。 (敬称略) 二田一比古 1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

7時間半のライブも完全観了達成、75歳の万年青年の乃木坂愛が止まらない!

齢(よわい)67歳の週刊誌記者が突然アイドルにハマってしまった……余生を乃木坂46に捧げる!そんな覚悟で送る、オジサンのヲタ活ノススメ。
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『おいでシャンプー』
 私は昨年8月の乃木坂46神宮ライブに初参戦し、それをすぐ週刊誌に寄稿したところ、記事を読んだIさんという人から手紙をいただいた。その人は乃木坂46で初めてアイドルにハマったということで私の記事に共感をしてくれたのだ。Iさんの年齢を聞いてビックリ。なんと御年75歳。上には上がじゃないが、67歳の私より年上の人がヲタをやっているとは! 手紙の内容が嬉しくてすぐ連絡をして息投合。しょっちゅう電話をするようになり、その年のクリスマスライブにいっしょに行くことになった。当日会ったIさんは背が高く若々しい人だった。初対面という気がしなくて開演前に喫茶店でライブへの期待を語り合い、もう気分はOVERTURE(ライブのときの前奏)で会場へ向かった。ステージに明かりが灯りメンバーが出てきたとたん、我々2人はコールとともに合計6本のサイリウムを振りまくり最後まで幸せな時間を過ごしたのだった。  私もだが、Iさんも年配者ゆえに初めての乃木坂46ライブにたどり着くまでやはり苦難の道だったのだ。Iさんは夜更かしタイプで、ときどき「乃木坂って、どこ?」(テレビ東京系)を観てたけど、2013年にリリースされた6枚目のシングル「ガールズルール」で白石麻衣が、8枚目のシングル「気づいたら片想い」で西野七瀬がセンターに立つに至り、もうライブを観に行きたくてしょうがなくなった。YOU TUBEで過去の番組を、ネットのライブ配信で最新のメンバーのトークをという具合に、全身全霊で乃木ヲタへの道にまい進し、見れば見るほど胸がたかまっていった。

ジャニヲタの娘さんに平身低頭

 しかし年齢を考えるとライブ会場に一人で行くのは周囲の反応が不安だ。それを考えるととても敷居(じゃなくてゲート)が高い。そこでIさんは思案したあげく、娘さんに土下座して同行を懇願したのだった。なにしろ娘さんは以前からのKinKi Kidsファンでバリバリのジャニヲタ。もちろんコンサートなどの「現場」にも精通していたので頼りになる。Iさんは父としての威厳はひとまず置いておいて、平身低頭して娘さんに頼み込み、なんとか2人でライブに行くことになった。娘さんの勧めで、サイリウムを通販で買い、振り方も指導してもらったそう(今では公式サイリウムを4本振ってコールできるまでに成長)。  そして記念すべき初めてのライブ参戦が2014年の夏の神宮。それまでにトークショーなどには参加していたが、大きな会場でのライブは初めて。1曲目の「夏のFree&Easy」で七瀬のかわいさにズッキュン!「この世にこんなかわいい娘がいるなんて」といきなり感動が全開して心臓が止まりそうになったという。ここまでの在宅の修業が走馬灯のように脳裏によみがえりもう落涙寸前。生きててよかった!やみつきになるしかない!と心が今まで以上に乃木坂愛にまみれてしまったそうだ。  これでライブに行くことが生きがいになったが、娘さんはさすがに2回目からの同行を拒否。ジャニヲタと乃木ヲタ、分かり合えない親子の悲しみを乗り越えて、Iさんは「そうだ!乃木ヲタ仲間を作ろう!」と決心。そこで以前から取引先でなじみのある3人の30代の男性たちをライブに誘った。まったくアイドルに興味のなかった3人だが、Iさんの人柄と熱意でとりあえず同行することになった。Iさんが偉いのは「無理につき合ってもらうのだから」と、毎回3人のチケット代を負担したことだった。自らのお小遣いを犠牲にするとは、涙ぐましい布教活動である。  そして驚くことに、数回ライブに行くうちになんと3人とも完全に乃木ヲタになってしまったというのだ。若い信者が減っていると嘆く宗教団体は参考にしてほしいくらいだ。それからはみんな自費でチケットを買い、グッズを買うようになった。しかも精力的に握手会やイベントに参加するようになり、まさに「出藍の誉」状態。地方のライブがあれば4人でいっしょに車に乗り込んで、バンドワゴンのようにワイワイ現地に向かう。車内ではライブで何かサプライズはあるのかとか、それぞれの推しメンのことで盛り上がるのだった。特に趣味らしい趣味もなかった3人が先達と共にひたすら乃木ヲタへの道を突き進む、歳が離れている人たちが乃木坂46で心をひとつにできるというのが素晴らしい。

気温2度の中で長時間ライブを体験

 さてIさんにとって記念すべきは、2012年のデビュー曲から数えて三度目のバースデーライブ(2015年2月)だった。Iさんは73歳にして、気温2度の西武ドームで全7時間半の今や伝説となったライブを完全観了達成を成し遂げたのだった。席も良く、すぐそばから白石麻衣が出て来て「ガールズルール」を歌い始めるという、なんともうらやましい席運だ。当時73歳のIさんが、寒さも忘れて長時間のライブに参加したことには驚嘆するしかない。愛の力は人間の加齢を凌駕するのか。「ヲタ活動がシニアの新たな可能性を探る」なんて大げさなことは言わないが、やはりすごいと思う。しかもライブだけでなく「アルバムお渡し会」や、舞台やフィルム上映会などもマメに通っている。Iさんは女子高出身でほんわか感のある中田花奈が推しメンで、一時期はたくさんCDを買って足繁げく握手会に通っていた時期もある。一度ライブで花奈ちゃんのタオルを掲げていたら本人から目でレスがあり、認知されたと大喜び。その後、握手会に行ったら全然覚えてくれてなくて膝から崩れそうになったということがあった。  それでもずっと彼女の出演番組やネット配信は欠かさず見たり聴いたりしている。Iさんは「乃木坂46は私にとってはノスタルジアなんですよ。青春時代が戻ってきたように感じさせてくれます。楽曲もいいし何よりメンバーに『自分が自分が』という感じがなくて、キャラが控えめなところが守ってあげたくなるわけです」と話す。私もよくIさんに電話して「花奈の今回のブログちょっと寂しそうでしたね」とか、「表題曲じゃないけど『不等号』は名曲ですよね」など、2人合わせて御歳140歳超えとは思えない会話をしている。乃木坂46の歌詞には、ほかのアイドルにはない中高年の若き日の恋愛経験とオーバーラップするものが多いことを、Iさんと話していると確認できる。  有名大学を出て一流企業に勤めていたIさんは、子どものころ乃木坂の近くに住んでいたとか、メンバーのデータや出来事などについて克明に覚えていることなどから、いい家系の出じゃないかと思った。思い切って訊ねると、Iさんの叔父は戦後の内閣の要人だったとかさらっと話してくれた。そんな人が乃木坂46をこよなく愛しているとは。  Iさん、中高年はトイレが近いからライブの日には事前から水分を控えるという、そのストイックさでいつまでも元気でライブに通ってください、お互い年齢を考えると若い人と違って、いつかは「途中退席」しなければいけないですが、それまでは全身全霊で乃木坂46を応援しましょう。 土肥 真也 1948年生まれ。長年週刊誌記者として実用やエンタメなどの記事を取材・執筆。今も現役でウェブニュースなどの仕事をしている。ハードロック好きでツェッペリンやディープパープルの初来日ライブに行ったことが記憶の中の宝物。しかし、たまたま聴いた1曲で乃木坂46が降臨してしまう。以来座学で数年間乃木坂46を学ぶも、我慢できなくなり昨年初めてライブに参加して初めてサイリウムを振りまくった。その感動を週刊誌に寄稿、以来年下のファン仲間ができて楽しく一緒にライブに通っている。夢は家族席、女性席に次ぐシルバー席を用意してもらい死ぬまで乃木坂46のライブに通い続けること。

今井議員、宮迫博之ら、相変わらず続く有名人の不倫に見る芸能人・ホテル密会事情

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『雨上がり文庫』(小学館)
 今井絵里子議員に続き「雨上がり決死隊」の宮迫博之(47)も不倫が報じられた。それもホテルの部屋に入る決定的な不倫現場。どう弁解しても「一線を越えていない」など通用しない。誰もが男と女の関係と見るだろう。  それでも苦しい弁解に努めるのが最近の傾向。昔、俳優の古谷一行はAV女優との浮気が発覚した際、こう語ったことがあった。 「関係を持ったという事実に対して後悔していませんが、表沙汰になったことは後悔しています」  不倫した男の正直な本音だろう。  また、沢村一樹は「僕は彼女に好意を持っていますが、カミさんと別れる気は一切ないです」と語り、男を上げた。  役者は潔く認めるのに、最近のタレントは歯切れが悪く、かえってイメージを悪くしている。  不倫は誰もが見つからずに関係を続けたい。その為には、いかに見つからずに密会するかだが、密会場所は限られてくる。お互いの家かホテルが相場。張り込みカメラマンは「女性が男性の部屋に行くとなると俗に言うお泊りセットなるものが女は必要。その点、男は気軽に行ける。女の部屋を張るほうが確率は高い」という。  実際、仲間由紀恵の夫・田中哲司は浮気相手の部屋に手ぶらでジャージで行くというお気楽不倫だった。今井も不倫相手の橋本健神戸市議を東京の自宅に招き入れていた。  宮迫は2人の不倫相手と同じホテルで密会という離れ業だった。「これは明らかに使い慣れたホテル」と芸能関係者が話す。 「女遊びの活発な男はだいたい定宿がある。利用したことないホテルを急に使うよりも、勝手知るホテルのほうが使いやすい。値段、部屋の広さや設備。出入りできる箇所。特に駐車場から部屋に直行できるなどは利点が大きい。ホテルの常連客になれば、なにかと都合をつけてくれる。例えば、急な泊まりでもなんとか部屋の都合をつけてくれることもあれば、面倒なフロントでのチェックインも省くことができる。部屋のカギも事前に付き人などに頼んで持ってきてもらう人もいます」  定宿は便利な反面、「よくあのホテルで見かける」と第三者からバレるリスクもある。宮迫もあれだけ頻繁に利用すれば、「都内に自宅があるのに」と勘繰られ、マスコミのターゲットになる。とはいえ、ホテル密会ほどやっかいな取材はない。それなのに、今井も宮迫もホテルの部屋の出入りを隠し撮りされている。通常、ホテルの廊下は公共の場になるが、あくまでも宿泊客専用。部外者の宿泊フロアーへの立ち入りは禁止されている。正確にいえば不法侵入。  取材する側も通常なら宿泊者として張り込んでいたと思われる。さらに難題なのは何号室にチェックインしたか。過去、こんな調べ方をしたことがある。ホテルに外線から電話。宿泊者の名前を言って部屋に繋いでもらう。その時点で部屋番号を確認。繋いだ時点で電話を切り、後は同じフロアーの部屋を借りれば、宿泊者として堂々と廊下を歩けることになる。後はドアーから覗くなり、エレベーターの乗り降りをチェックするなり。四六時中、気の抜けない張り込みになる。今井が濡れ髪とホテルの浴衣で彼を迎えに部屋を出る姿という決定的な瞬間も張り込みが産んだ思わぬ副産物といえよう。ホテルに泊まったところを撮られたら、本来、逃げようのない決定的な証拠。  亡くなった山城新伍さんが言っていた「芸能人は撮られたら負け」という言葉を改めて思い出す。 (敬称略) 二田一比古 1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

“集団自決”、教科書問題、差別発言……『ハクソー・リッジ』はなぜ炎上? 語られざる“沖縄戦”の真実と闇

――沖縄戦のむごたらしい戦闘シーンが登場するアメリカ映画『ハクソー・リッジ』。6月より日本でも公開されているが、予告編で“沖縄戦”という言葉が出てこないことなどから、一部で物議を醸した。やはり、沖縄戦は取り扱いが難しい題材なのか――。戦中の実態や戦後の論点を整理しつつ、改めてあの激戦を考えてみたい。
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『ハクソー・リッジ』のポスター。「沖縄戦」という言葉は見当たらないが……。(c) Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016
 メル・ギブソンが10年ぶりにメガホンをとり、2017年のアカデミー賞2部門を受賞したアメリカ映画『ハクソー・リッジ』。日本でも6月より全国300館規模で公開されるや、熾烈な戦場で自らの命を賭して負傷兵を救う主人公の姿に、多くの感動の声が寄せられた。  しかしこの大作、一方では抗議や批判の的にもなった。というのも、そもそも“ハクソー・リッジ(弓鋸のような絶壁)”とは沖縄県浦添市にある前田高地という場所に対して米兵側が付けた通称で、つまりこの映画は太平洋戦争末期の沖縄戦を舞台にしているのだが、映画の予告編やポスターで“沖縄戦”の文字がひと言も登場せず、「なぜ沖縄戦だとうたわないのか」といった疑問や非難がネット上などで噴出。加えて、ダチョウ倶楽部らが出演した宣伝イベントではアツアツタオル攻撃などの“特訓”に挑むという、沖縄戦となんら関係ない余興が行われ、火に油を注いだ格好となったのだ。  本作の配給会社キノフィルムズの宣伝担当者に直撃取材した「BuzzFeed Japan」6月24日付の記事によると、同社が沖縄戦の表記を前面に出さなかったのは、「舞台が沖縄であることにフォーカスして宣伝することで、観たあとに複雑な思いを抱く人もいるのではないか」という「沖縄の方への配慮」があったためであり、宣伝イベントに関しては、公開規模の大きさから「一人でも多くの方に認知を広げ」たかったためだとのこと。果たして、こうした宣伝方法に問題はなかったのだろうか?  東京・渋谷にある単館劇場ユーロスペースの支配人を務める北條誠人氏は、「そもそもこの映画のテーマは、宗教者である良心的兵役拒否者の戦いと、信念をもって生き抜く姿を描くことにあります。沖縄はあくまでひとつの舞台にすぎないため、沖縄戦を前面に打ち出した映画ではありません」と語る。なるほど本作は、銃を携行せず悲惨極まる地上戦の激戦地に赴き、75人もの兵士の命を救った男の英雄譚である。舞台が沖縄であることを示す描写は劇中では唐突に現れるが、右も左もわからず兵士が送り込まれたのがたまたま沖縄だったという見方もでき、つまり、この物語自体がほかの場所でも起こり得たことを表していると解釈できる。北條氏は続ける。 「確かに『住民を巻き込んだ、太平洋戦争における最悪の戦場』という一般的な沖縄戦のイメージとは異なり、ひとつの高地をめぐる米軍と日本軍による争奪戦に話が集約されていますが、日本での公開日を沖縄戦の組織的戦闘が終結した“慰霊の日”の翌日である6月24日に設定したことを考えると、配給側ができる配慮はしていると感じます」  なお、前田高地が位置する浦添市のホームページでは、『ハクソー・リッジ』の場面写真と実際の風景を並べて掲載したり、ロケ地をめぐるツアーの模様を紹介したりと、映画を切り口にした形で沖縄戦にまつわる詳細で丁寧な記事が公開されている。これについて、「おそらく行政と配給会社が協力して行っていることなのでしょうが、ここまで両者が手を組んだ映画のキャンペーンは見たことがない。今後、戦争関連の映画を宣伝する上で参考になるのでは」と北條氏は評価している。  とはいえ、いずれにせよ『ハクソー・リッジ』は一部で反感を買ったわけである。それはやはり、沖縄戦という事象そのものがデリケートな問題を孕んでいるからでもあるのか──。本稿では、この映画をきっかけに、改めて沖縄戦について考察していきたい。

映画の壮絶な戦闘シーンを戦争体験者に見せられない

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45年4月27日、銃撃戦から逃れ、米軍の車両に乗せられた沖縄の女性や子どもたち。(写真/AP/アフロ)
 1945年4月、米軍の沖縄本島上陸によって本格的に始まった沖縄戦は、米軍史に「ありったけの地獄を集めた」と刻まれる地上戦へと展開し、日米双方の死者は約20万人に及んだ。加えて、県の住民は防衛隊、義勇隊、「ひめゆり学徒隊」のような学徒隊という形で戦闘に参加することになり、実に県民の4人に1人が亡くなったともいわれている。  そうした凄絶な戦場を伝えるためか、『ハクソー・リッジ』では兵士たちがミンチ状になっていく戦闘シーンが長々と続くが、沖縄大学客員教授で『本音で語る沖縄史』(新潮文庫)などの著書がある仲村清司氏は、「沖縄戦を体験した私の母には見せられない映画」と同作について感想を述べる。当時14歳だった仲村氏の母は、4歳の弟を背負って、前田高地から4~5キロメートル離れた西原町にあった壕に逃げ込んだそうだ。しかし、米軍は壕の中にガス弾を投げ込んだ。母は気を失い、弟に覆いかぶさる格好で目が覚めたが、ガス弾のためか、自分が下敷きにしたため窒息したのかわからないまま、弟は息を引き取っていたという。仲村氏は言う。 「僕がこの話を聞いたのは十数年前、母が70歳前後の頃です。沖縄平和祈念公園にある平和の礎に母を連れて行ったとき、弟の名前が戦没者として礎に刻まれていたのを偶然発見しました。母はその場で泣き崩れ、この出来事を初めて語ったんです。そんな母のように悲惨な経験をし、今も苦しみを抱えている戦争体験者が、あの映画を見たらどうなるでしょうか」  あまりの悲惨さゆえに、沖縄戦を語ることは深く負った傷を再びえぐってしまうことになる。仲村氏は「だから沖縄県内では、沖縄戦はなかなか語り継げなかったし、語り継がれてこなかった」と言い、沖縄戦、その後の米軍統治、本土復帰、そして現代と、それぞれを経験した世代の間にある分断と溝が、語ることの難しさに拍車をかけていると指摘する。  とはいえ、沖縄戦がまったく語られてこなかったわけではない。沖縄の近現代史に詳しい大阪教育大学教育学部准教授の櫻澤誠氏は、戦後における沖縄戦の語られ方について、次のように説明する。 「沖縄が米軍統治下にあった60年代までは、日本軍対米軍という軍中心の歴史として語られていました。しかし、72年の本土復帰前後になると、それまでの歴史観に加え、住民を中心とした歴史が大きな位置を占めるようになります。その理由は、ひとつは60年代後半以降に『沖縄県史』などによる聞き取り調査が進み、語りたくない/語れないものが少しずつ掘り起こされていったこと。加えて日米両政府の思惑で本土復帰の機運が高まる中、過去の歴史を振り返って本土との関係をとらえ直すことが沖縄県内で注目されたためです」  それ以降は、日本人だけでなく旧植民地から強制連行され犠牲になった人たちなどの名前も、平和祈念公園の記念碑「平和の礎」に刻まれ、歴史の中に位置づけられた。 「そのように、沖縄戦自体のとらえ方が広がっていったのです。さらに、『黙っていては自分の生きた事実がなかったことにされてしまう』ということで語りだす人が増え、数々の証言が生まれました」(櫻澤氏)

親兄弟を手にかけた狂気の“集団自決”

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『ハクソー・リッジ』の舞台になった浦添城跡前田高地。(写真/RDLang)
 また、いわゆる“集団自決”も沖縄戦の大きな特徴のひとつだ。そもそも自決とは武士や軍人が自殺することを指すが、沖縄戦では離島や本島の各地で民間人が集団で命を絶っている。仲村氏と櫻澤氏によると、“集団自決”に際しては軍が命令したことが明らかな場合もあれば、民間人が自分たちだけで判断したケースもあり、あるいは「手榴弾をください」という民間人の訴えを退けた日本兵がいたり、日本軍が進駐しなかった島ではひとりの犠牲者も出なかったりと、現場ごとに様相がまったく異なるという。これまで軍による命令の有無をめぐって論争もあったが、その一点に話を矮小化するのではなく、起こってしまったことをどう受け止めるかのほうが重要だと、両氏は口をそろえる。それは、例えばこんな実情があるからだ。 「『生きて虜囚の辱めを受けず』と、捕虜になってはならないことを戦中の教育で叩き込まれ、地上戦に巻き込まれた民間人たちは、軍隊は住民を守らないことを思い知らされます。彼らは戦火を逃れながら、あまりの悲惨さに、逆に『早く死にたい、手榴弾をくれ』とまで思う。しかし、手榴弾には不発弾が多かった。追い詰められた状況が狂気を生み、首を絞めたり燃やしたり、鉈や包丁を使ったりして、親兄弟を手にかけていく。地域によっては戦後も実際に殺した人=生存者と遺族が隣り合わせに暮らす事態も生まれました」(仲村氏)  一方、櫻澤氏が指摘するのは“集団自決”をめぐって2度起きた教科書問題だ。比較的記憶に新しいのは2007年、文部科学省の高等学校日本史教科書検定で“集団自決”について「日本軍が強制した」という記述が削除されたことを受けて、沖縄県を中心に「歴史を消すな」と抗議の声が上がり、結果、「集団自決に追い込まれた」「強いられた」という表現になった。もうひとつは、高校日本史教科書『新日本史』(三省堂)の執筆者・家永三郎が文部省(当時)の教科書検定に関して政府を訴えた一連の「家永教科書裁判」(65年提訴の第一次訴訟に始まり、第三次訴訟の最高裁判決をもって97年に終結)における、84年の第三次訴訟である。82年の検定で『新日本史』に記述されていた沖縄戦での日本軍による“住民殺害”が削除され、これに対して沖縄県側が抗議。そこで文部省は、83年度の検定で“住民殺害”の記述を復活させる一方、“集団自決”の記述を加えるよう修正意見をつけた。すると、そうした修正意見が第三次訴訟の争点のひとつとなり、その裁量権の逸脱=違法性の有無が問われたのだ。判決は「違法とまでは言えない」というもので、結果、教科書に“集団自決”の記述がなされたのだ。 「つまり、07年の教科書問題では文科省が“集団自決”を教科書から消そうとして問題になりましたが、83年は文部省が逆にそれを入れようとして問題になったわけです。というのも、“集団自決”はある意味で沖縄の住民が軍や国への忠誠心を示すことという考え方が一部にあったからですが、すべてがそうとは言い切れない実態があるのではないでしょうか」(櫻澤氏)  こうした2つの教科書問題を通して浮かび上がるのが、沖縄戦をめぐる本土と沖縄の溝だ。そもそも沖縄は、1879年の琉球処分によって日本に併合されるまでは琉球王国という別の国であった。また、太平洋戦争にまつわる象徴的な日付といえば終戦記念日の8月15日が思い浮かぶが、仲村氏によると、それは本土の話であって、沖縄戦の組織的戦闘が終わり、毎年慰霊祭の行われる6月23日と、サンフランシスコ平和条約で沖縄が日本から切り離された52年の4月28日、本土に復帰した72年の5月15日が、沖縄ではメモリアルな日付になっているという。 「つまり、日本には沖縄戦を起点とした2つの戦後史があるんです。しかし、前述の世代間の分断があるゆえに沖縄の住民同士でも沖縄戦についてなかなか語れないため、その実相が本土に伝わりにくい状況が生まれました。そして、本土と沖縄でそれぞれの戦後史が共有されないまま複雑な関係と溝を生み、それが、昨年の“土人”発言(沖縄の米軍ヘリパッド移設工事に反対する人々に対し、大阪府警の機動隊員が“土人”と暴言を吐いた)に見られる差別発言や、在日米軍基地の7割が沖縄に集中するという構造的差別につながっていきました」(仲村氏)

沖縄戦をめぐる証言を聞けなくなる未来

 ここで『ハクソー・リッジ』に話を戻したいが、冒頭でも述べた通り、同作では以上のような沖縄戦の事情は一切描写されていない。これは、『ハクソー・リッジ』がアメリカの勇敢な衛生兵を語るには十分な映画だったけれど、沖縄戦を語るには不十分な作品だった──というよりも、悲惨で複雑でセンシティブな沖縄戦を映画という表現で語ることの難しさを露呈していると言えないだろうか。前出の北條氏は次のように語る。 「『ハクソー・リッジ』が沖縄戦をしっかり描いていないという批判が出るのは、戦後生まれの私たちがきちんとした沖縄戦についての日本映画をつくり得ていないことの裏返しです。呉の空襲と広島の原爆を描いたアニメ映画『この世界の片隅に』のような成功例がある一方で、沖縄戦という微妙な問題を映画の表現として伝えるのは、かなり難しいことです」  沖縄戦から72年がたち、戦争経験者はどんどん亡くなっていき、証言を直接聞くことは今後難しくなっていくだろう。さらに、仲村氏によれば、沖縄県平和祈念資料館の県内有料観覧者数が、開館の翌年にあたる01年と比べると、16年は8割も減ったという。 「今後、沖縄戦の伝え方や語り方を工夫しなければなりません。では、『ハクソー・リッジ』のような映画に頼らないと語れないのか。そんなことはないでしょう。沖縄戦のことは沖縄の人がしっかり語り継いでいく必要があります」(仲村氏)  ただ、これは沖縄の人だけの問題ではないことも明らかだろう。  語るに語れず、聞くに聞けない。しかし、語らず、聞かずして、何もなかったことにするわけにはいかない。そんな沖縄戦という歴史を、どう受け止めていくのか。私たちは、想像以上に重大な岐路に立たされているのだ。 (文/岡澤浩太郎)
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『ハクソー・リッジ』 アカデミー賞編集賞・録音賞を受賞した戦争映画。アメリカの田舎町で育ったデズモンド・ドスは、幼少期から「汝、殺すことなかれ」という宗教の教えを信念として持ち続けていた。第二次世界大戦が激化する中、青年となった彼は衛生兵として陸軍に志願するが、銃を持つことだけは頑なに拒否。命令拒否者として軍法会議にかけられるも、信念を曲げることはなかった。やがて良心的兵役拒否者として隊に復帰し、沖縄に派兵される。そびえ立つ150メートルの絶壁の先は、先発部隊が壊滅した激戦地だった。ドスは武器を持たないまま、四方から襲う敵の銃弾をかいくぐり、重傷の兵士たちを救出していく。「あともうひとり救いたい」という強い信念が、ドスを英雄にした。全国公開中。配給:キノフィルムズ (c)Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

“集団自決”、教科書問題、差別発言……『ハクソー・リッジ』はなぜ炎上? 語られざる“沖縄戦”の真実と闇

――沖縄戦のむごたらしい戦闘シーンが登場するアメリカ映画『ハクソー・リッジ』。6月より日本でも公開されているが、予告編で“沖縄戦”という言葉が出てこないことなどから、一部で物議を醸した。やはり、沖縄戦は取り扱いが難しい題材なのか――。戦中の実態や戦後の論点を整理しつつ、改めてあの激戦を考えてみたい。
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『ハクソー・リッジ』のポスター。「沖縄戦」という言葉は見当たらないが……。(c) Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016
 メル・ギブソンが10年ぶりにメガホンをとり、2017年のアカデミー賞2部門を受賞したアメリカ映画『ハクソー・リッジ』。日本でも6月より全国300館規模で公開されるや、熾烈な戦場で自らの命を賭して負傷兵を救う主人公の姿に、多くの感動の声が寄せられた。  しかしこの大作、一方では抗議や批判の的にもなった。というのも、そもそも“ハクソー・リッジ(弓鋸のような絶壁)”とは沖縄県浦添市にある前田高地という場所に対して米兵側が付けた通称で、つまりこの映画は太平洋戦争末期の沖縄戦を舞台にしているのだが、映画の予告編やポスターで“沖縄戦”の文字がひと言も登場せず、「なぜ沖縄戦だとうたわないのか」といった疑問や非難がネット上などで噴出。加えて、ダチョウ倶楽部らが出演した宣伝イベントではアツアツタオル攻撃などの“特訓”に挑むという、沖縄戦となんら関係ない余興が行われ、火に油を注いだ格好となったのだ。  本作の配給会社キノフィルムズの宣伝担当者に直撃取材した「BuzzFeed Japan」6月24日付の記事によると、同社が沖縄戦の表記を前面に出さなかったのは、「舞台が沖縄であることにフォーカスして宣伝することで、観たあとに複雑な思いを抱く人もいるのではないか」という「沖縄の方への配慮」があったためであり、宣伝イベントに関しては、公開規模の大きさから「一人でも多くの方に認知を広げ」たかったためだとのこと。果たして、こうした宣伝方法に問題はなかったのだろうか?  東京・渋谷にある単館劇場ユーロスペースの支配人を務める北條誠人氏は、「そもそもこの映画のテーマは、宗教者である良心的兵役拒否者の戦いと、信念をもって生き抜く姿を描くことにあります。沖縄はあくまでひとつの舞台にすぎないため、沖縄戦を前面に打ち出した映画ではありません」と語る。なるほど本作は、銃を携行せず悲惨極まる地上戦の激戦地に赴き、75人もの兵士の命を救った男の英雄譚である。舞台が沖縄であることを示す描写は劇中では唐突に現れるが、右も左もわからず兵士が送り込まれたのがたまたま沖縄だったという見方もでき、つまり、この物語自体がほかの場所でも起こり得たことを表していると解釈できる。北條氏は続ける。 「確かに『住民を巻き込んだ、太平洋戦争における最悪の戦場』という一般的な沖縄戦のイメージとは異なり、ひとつの高地をめぐる米軍と日本軍による争奪戦に話が集約されていますが、日本での公開日を沖縄戦の組織的戦闘が終結した“慰霊の日”の翌日である6月24日に設定したことを考えると、配給側ができる配慮はしていると感じます」  なお、前田高地が位置する浦添市のホームページでは、『ハクソー・リッジ』の場面写真と実際の風景を並べて掲載したり、ロケ地をめぐるツアーの模様を紹介したりと、映画を切り口にした形で沖縄戦にまつわる詳細で丁寧な記事が公開されている。これについて、「おそらく行政と配給会社が協力して行っていることなのでしょうが、ここまで両者が手を組んだ映画のキャンペーンは見たことがない。今後、戦争関連の映画を宣伝する上で参考になるのでは」と北條氏は評価している。  とはいえ、いずれにせよ『ハクソー・リッジ』は一部で反感を買ったわけである。それはやはり、沖縄戦という事象そのものがデリケートな問題を孕んでいるからでもあるのか──。本稿では、この映画をきっかけに、改めて沖縄戦について考察していきたい。

映画の壮絶な戦闘シーンを戦争体験者に見せられない

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45年4月27日、銃撃戦から逃れ、米軍の車両に乗せられた沖縄の女性や子どもたち。(写真/AP/アフロ)
 1945年4月、米軍の沖縄本島上陸によって本格的に始まった沖縄戦は、米軍史に「ありったけの地獄を集めた」と刻まれる地上戦へと展開し、日米双方の死者は約20万人に及んだ。加えて、県の住民は防衛隊、義勇隊、「ひめゆり学徒隊」のような学徒隊という形で戦闘に参加することになり、実に県民の4人に1人が亡くなったともいわれている。  そうした凄絶な戦場を伝えるためか、『ハクソー・リッジ』では兵士たちがミンチ状になっていく戦闘シーンが長々と続くが、沖縄大学客員教授で『本音で語る沖縄史』(新潮文庫)などの著書がある仲村清司氏は、「沖縄戦を体験した私の母には見せられない映画」と同作について感想を述べる。当時14歳だった仲村氏の母は、4歳の弟を背負って、前田高地から4~5キロメートル離れた西原町にあった壕に逃げ込んだそうだ。しかし、米軍は壕の中にガス弾を投げ込んだ。母は気を失い、弟に覆いかぶさる格好で目が覚めたが、ガス弾のためか、自分が下敷きにしたため窒息したのかわからないまま、弟は息を引き取っていたという。仲村氏は言う。 「僕がこの話を聞いたのは十数年前、母が70歳前後の頃です。沖縄平和祈念公園にある平和の礎に母を連れて行ったとき、弟の名前が戦没者として礎に刻まれていたのを偶然発見しました。母はその場で泣き崩れ、この出来事を初めて語ったんです。そんな母のように悲惨な経験をし、今も苦しみを抱えている戦争体験者が、あの映画を見たらどうなるでしょうか」  あまりの悲惨さゆえに、沖縄戦を語ることは深く負った傷を再びえぐってしまうことになる。仲村氏は「だから沖縄県内では、沖縄戦はなかなか語り継げなかったし、語り継がれてこなかった」と言い、沖縄戦、その後の米軍統治、本土復帰、そして現代と、それぞれを経験した世代の間にある分断と溝が、語ることの難しさに拍車をかけていると指摘する。  とはいえ、沖縄戦がまったく語られてこなかったわけではない。沖縄の近現代史に詳しい大阪教育大学教育学部准教授の櫻澤誠氏は、戦後における沖縄戦の語られ方について、次のように説明する。 「沖縄が米軍統治下にあった60年代までは、日本軍対米軍という軍中心の歴史として語られていました。しかし、72年の本土復帰前後になると、それまでの歴史観に加え、住民を中心とした歴史が大きな位置を占めるようになります。その理由は、ひとつは60年代後半以降に『沖縄県史』などによる聞き取り調査が進み、語りたくない/語れないものが少しずつ掘り起こされていったこと。加えて日米両政府の思惑で本土復帰の機運が高まる中、過去の歴史を振り返って本土との関係をとらえ直すことが沖縄県内で注目されたためです」  それ以降は、日本人だけでなく旧植民地から強制連行され犠牲になった人たちなどの名前も、平和祈念公園の記念碑「平和の礎」に刻まれ、歴史の中に位置づけられた。 「そのように、沖縄戦自体のとらえ方が広がっていったのです。さらに、『黙っていては自分の生きた事実がなかったことにされてしまう』ということで語りだす人が増え、数々の証言が生まれました」(櫻澤氏)

親兄弟を手にかけた狂気の“集団自決”

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『ハクソー・リッジ』の舞台になった浦添城跡前田高地。(写真/RDLang)
 また、いわゆる“集団自決”も沖縄戦の大きな特徴のひとつだ。そもそも自決とは武士や軍人が自殺することを指すが、沖縄戦では離島や本島の各地で民間人が集団で命を絶っている。仲村氏と櫻澤氏によると、“集団自決”に際しては軍が命令したことが明らかな場合もあれば、民間人が自分たちだけで判断したケースもあり、あるいは「手榴弾をください」という民間人の訴えを退けた日本兵がいたり、日本軍が進駐しなかった島ではひとりの犠牲者も出なかったりと、現場ごとに様相がまったく異なるという。これまで軍による命令の有無をめぐって論争もあったが、その一点に話を矮小化するのではなく、起こってしまったことをどう受け止めるかのほうが重要だと、両氏は口をそろえる。それは、例えばこんな実情があるからだ。 「『生きて虜囚の辱めを受けず』と、捕虜になってはならないことを戦中の教育で叩き込まれ、地上戦に巻き込まれた民間人たちは、軍隊は住民を守らないことを思い知らされます。彼らは戦火を逃れながら、あまりの悲惨さに、逆に『早く死にたい、手榴弾をくれ』とまで思う。しかし、手榴弾には不発弾が多かった。追い詰められた状況が狂気を生み、首を絞めたり燃やしたり、鉈や包丁を使ったりして、親兄弟を手にかけていく。地域によっては戦後も実際に殺した人=生存者と遺族が隣り合わせに暮らす事態も生まれました」(仲村氏)  一方、櫻澤氏が指摘するのは“集団自決”をめぐって2度起きた教科書問題だ。比較的記憶に新しいのは2007年、文部科学省の高等学校日本史教科書検定で“集団自決”について「日本軍が強制した」という記述が削除されたことを受けて、沖縄県を中心に「歴史を消すな」と抗議の声が上がり、結果、「集団自決に追い込まれた」「強いられた」という表現になった。もうひとつは、高校日本史教科書『新日本史』(三省堂)の執筆者・家永三郎が文部省(当時)の教科書検定に関して政府を訴えた一連の「家永教科書裁判」(65年提訴の第一次訴訟に始まり、第三次訴訟の最高裁判決をもって97年に終結)における、84年の第三次訴訟である。82年の検定で『新日本史』に記述されていた沖縄戦での日本軍による“住民殺害”が削除され、これに対して沖縄県側が抗議。そこで文部省は、83年度の検定で“住民殺害”の記述を復活させる一方、“集団自決”の記述を加えるよう修正意見をつけた。すると、そうした修正意見が第三次訴訟の争点のひとつとなり、その裁量権の逸脱=違法性の有無が問われたのだ。判決は「違法とまでは言えない」というもので、結果、教科書に“集団自決”の記述がなされたのだ。 「つまり、07年の教科書問題では文科省が“集団自決”を教科書から消そうとして問題になりましたが、83年は文部省が逆にそれを入れようとして問題になったわけです。というのも、“集団自決”はある意味で沖縄の住民が軍や国への忠誠心を示すことという考え方が一部にあったからですが、すべてがそうとは言い切れない実態があるのではないでしょうか」(櫻澤氏)  こうした2つの教科書問題を通して浮かび上がるのが、沖縄戦をめぐる本土と沖縄の溝だ。そもそも沖縄は、1879年の琉球処分によって日本に併合されるまでは琉球王国という別の国であった。また、太平洋戦争にまつわる象徴的な日付といえば終戦記念日の8月15日が思い浮かぶが、仲村氏によると、それは本土の話であって、沖縄戦の組織的戦闘が終わり、毎年慰霊祭の行われる6月23日と、サンフランシスコ平和条約で沖縄が日本から切り離された52年の4月28日、本土に復帰した72年の5月15日が、沖縄ではメモリアルな日付になっているという。 「つまり、日本には沖縄戦を起点とした2つの戦後史があるんです。しかし、前述の世代間の分断があるゆえに沖縄の住民同士でも沖縄戦についてなかなか語れないため、その実相が本土に伝わりにくい状況が生まれました。そして、本土と沖縄でそれぞれの戦後史が共有されないまま複雑な関係と溝を生み、それが、昨年の“土人”発言(沖縄の米軍ヘリパッド移設工事に反対する人々に対し、大阪府警の機動隊員が“土人”と暴言を吐いた)に見られる差別発言や、在日米軍基地の7割が沖縄に集中するという構造的差別につながっていきました」(仲村氏)

沖縄戦をめぐる証言を聞けなくなる未来

 ここで『ハクソー・リッジ』に話を戻したいが、冒頭でも述べた通り、同作では以上のような沖縄戦の事情は一切描写されていない。これは、『ハクソー・リッジ』がアメリカの勇敢な衛生兵を語るには十分な映画だったけれど、沖縄戦を語るには不十分な作品だった──というよりも、悲惨で複雑でセンシティブな沖縄戦を映画という表現で語ることの難しさを露呈していると言えないだろうか。前出の北條氏は次のように語る。 「『ハクソー・リッジ』が沖縄戦をしっかり描いていないという批判が出るのは、戦後生まれの私たちがきちんとした沖縄戦についての日本映画をつくり得ていないことの裏返しです。呉の空襲と広島の原爆を描いたアニメ映画『この世界の片隅に』のような成功例がある一方で、沖縄戦という微妙な問題を映画の表現として伝えるのは、かなり難しいことです」  沖縄戦から72年がたち、戦争経験者はどんどん亡くなっていき、証言を直接聞くことは今後難しくなっていくだろう。さらに、仲村氏によれば、沖縄県平和祈念資料館の県内有料観覧者数が、開館の翌年にあたる01年と比べると、16年は8割も減ったという。 「今後、沖縄戦の伝え方や語り方を工夫しなければなりません。では、『ハクソー・リッジ』のような映画に頼らないと語れないのか。そんなことはないでしょう。沖縄戦のことは沖縄の人がしっかり語り継いでいく必要があります」(仲村氏)  ただ、これは沖縄の人だけの問題ではないことも明らかだろう。  語るに語れず、聞くに聞けない。しかし、語らず、聞かずして、何もなかったことにするわけにはいかない。そんな沖縄戦という歴史を、どう受け止めていくのか。私たちは、想像以上に重大な岐路に立たされているのだ。 (文/岡澤浩太郎)
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『ハクソー・リッジ』 アカデミー賞編集賞・録音賞を受賞した戦争映画。アメリカの田舎町で育ったデズモンド・ドスは、幼少期から「汝、殺すことなかれ」という宗教の教えを信念として持ち続けていた。第二次世界大戦が激化する中、青年となった彼は衛生兵として陸軍に志願するが、銃を持つことだけは頑なに拒否。命令拒否者として軍法会議にかけられるも、信念を曲げることはなかった。やがて良心的兵役拒否者として隊に復帰し、沖縄に派兵される。そびえ立つ150メートルの絶壁の先は、先発部隊が壊滅した激戦地だった。ドスは武器を持たないまま、四方から襲う敵の銃弾をかいくぐり、重傷の兵士たちを救出していく。「あともうひとり救いたい」という強い信念が、ドスを英雄にした。全国公開中。配給:キノフィルムズ (c)Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

ゾゾ前澤社長と破局!【紗栄子】が陥った悲しき格差恋愛の末路

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『EPISODE 1 ~紗栄子ファースト写真集』(宝島社)
 今や国内トップクラスのファッション通販サイト「ZOZOTOWN」。その運営会社「スタートトゥデイ」の創業者であり、代表取締役を務める前澤友作氏と、かねてより交際していたモデルでタレントの紗栄子が、ついに破局したという情報が7月に飛び込んできた。本誌は2016年8月号にて2人の破局を報じたが、当時はそれをきっかけに2人は再接近し、いわば“ビジネスカップル”の道を再び歩んでいたようだ。2人をよく知る芸能事務所幹部が、その経緯を聞かせてくれた。 「サイゾーが破局のニュースを報じた際、すでに前澤さんは紗栄子さんに冷めていたようですが、彼があえてニュースを逆手に取るような動きを取ったのは意外でした。紗栄子さんは懇意にしている女性誌などにかけ合ったのか、破局報道に釘を刺すような仲むつまじさをアピールする記事が出ましたよね。それを目にしていた前澤さんは、もう少し様子を見るべく(別れることを)踏みとどまったのではないでしょうか」  昨年の本誌の記事では、ある時期より、お互いの写真がインスタグラムにアップされていないことにも触れた。しかし、当記事へ反撃するかのように紗栄子のインスタフォロワー100万人超え【1】を記念して、それぞれのアカウントにてホルモン料理店で生ビールのジョッキを片手に微笑む紗栄子の写真をアップし、交際が順調であることをアピールしてみせた。だが現在、前澤氏のアカウントからは、その写真を含む、紗栄子が写っている写真はひっそりと削除されている(紗栄子のアカウントには、現在も前澤氏の写真が何点か確認できる)。 「7月上旬、ついにしびれを切らした前澤さんが別れを切り出した。理由は、まず紗栄子さんが、ビジネスの面で前澤さんと自分が対等な立場にあると勘違いしていた点が挙げられます。自分のビジネスや趣味について、一定の意見や評価を欲しがる紗栄子さんに、前澤さんも疲弊したのではないでしょうか。前澤さんはパートナーも、会社のスタッフに対してもイエスマンを好むタイプですから。それと紗栄子さんは、アートに関してはまったくの素人なのに、前澤さんがアートコレクターとして世間の注目を集めるようになったことに便乗して、自分自身のインスタでもアート好きをアピールしたり、したり顔で語りだすようになったところも気に入らなかったようです」(前出・芸能事務所幹部)  結果的に、約1年間にわたってビジネスカップルとしての関係をキープしてきた2人だったが、前澤氏にとっては今まで以上に急成長を遂げた1年でもあった。スタートトゥデイの業績は好調で、今年7月末の決算発表では、売り上げ、営業利益、純利益のすべてが大幅アップとなり、その翌日には、ついに同社の株式時価総額が1兆円を突破。これで名実共に日本を代表する企業の仲間入りを果たしたといえるだろう。実際に「時価総額1兆円」とは、どのようなことなのか、マネーライターの新井奈央氏に解説してもらった。 「時価総額は、〈発行済み株式数×株価〉で算出される、上場企業の規模や価値を表す指標のひとつです。現在、東証とジャスダック市場に上場している銘柄は4000近くありますが、そのうち、時価総額1兆円超え企業は、今日(8月7日現在)の終値ベースで138社。つまり、上場企業の3~4%程度です。わかりやすく例えるなら、いま甲子園では熱い戦いが繰り広げられていますが、非上場を含めた多くの企業が甲子園にも出場できず地方大会で負けてしまっている野球部員だとすれば、時価総額1兆円企業は、甲子園優勝した選手を、さらに通り越したプロ野球選手レベルです。  過去、ホリエモンのフジテレビ買収などで、『株価を吊り上げて時価総額を大きく膨らませる』という手法が流行しました。時価総額は企業規模の指標ではありますが、会社の実態を素直に反映しているかどうかといえば、必ずしもそうとは限りません。要は、株価をさまざまな方法で上げていけば時価総額も膨らみますが、一から事業を立ち上げて、1兆円企業を育て上げることは、並大抵のことではないので、前澤氏の手腕は尋常じゃないでしょう」

立場逆転で訪れた悲しい愛の結末

 そんな潤沢な資金をもとに、前澤氏は今年5月、ニューヨークで開催されたサザビーズのオークションにてバスキアの絵画を約122億円で落札。昨年の時点で、同じくバスキアの別の作品を約63億円で落札し話題を呼んでいたが、今回の落札金額はアメリカ人アーティストの作品としては過去最高額でもあり、これによって前澤氏は「世界レベルのアートコレクター」として業界からも一目置かれる存在となった。  おそらく前澤氏にとって、約2年前、付き合い始めたばかりの紗栄子の〈モデル兼タレントで、ダルビッシュ有の元嫁〉という肩書は、自らの知名度を上げるには非常に効果的だったのだろう。しかし、前澤氏自身が国内はもちろん、世界的にも知られる存在となり、両者のネームバリューが逆転した今、彼にとって紗栄子と付き合い続ける理由はなくなってしまったということだろうか。  一方で紗栄子に関しては、女性ファッション誌「sweet」(宝島社)のモデルを務めるなど、それなりの露出はあるが、前澤氏のようにキャリアアップしたという印象はない。今年6月に発売された女性ファッション誌「4MEEE」(スタンダードマガジン)では表紙を飾っており、同誌に掲載されたロングインタビューでは、「トップにいる男が好き」【2】という名(迷?)言を残し、「タイプを超えて性癖みたいなもの」とも語っている。そう考えると、“セレブ”という部分以外では、まったく異なるタイプの前夫・ダルビッシュ有と前澤氏であるが、彼女の選択眼にブレはない。前澤氏と紗栄子の関係をよく知る雑誌編集者が、現在の2人の様子を教えてくれた。 「紗栄子さんは前澤さんが所有する都内高級マンションに、まだ荷物を置きっぱなしの状態。最近の彼女のインスタを見ればわかる通り、拠点を海外に置くなんて噂も出ていますが、前澤さんは何も知らないみたいです。しかも、今は海外での母親のビザ取得は難しいし、仕事のつてがあるとも思えません。ちなみに前澤さんは、すでに次の女性と一緒に生活されているみたいですよ」  夢破れ、破局を迎えた紗栄子が次に狙う「トップの男」は、果たして誰か。本誌はこれからも、“応援”していきたい次第である。 (代間 尽) 【1】インスタフォロワー100万人越え 昨年7月27日、「今夜は彼が“インスタ1m”をホルモン屋さんでお祝いしてくれました。 皆さんいつもありがとう」という画像をアップし、「破局なんかしてないわい!」をアピールした紗栄子。翌日28日には「なぜか破局したと書かれている私達の報道を読みながら、出されたユッケをチラ見して“バーキンオレンジの玉子だね(ハート)”の一言」という、あくまで破局を否定。 【2】「トップにいる男が好き」 今年6月に発売された雑誌『4MEEE』のロングインタビューにおける紗栄子の発言。アマゾンのレビューには、「ここまで男女ともに高感度低く、好かれてないひとも、珍しいです」という辛辣なご意見も。

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やはり週刊誌は直撃取材がないと始まらない――歌手・吉田拓郎直撃の苦い想い出

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『吉田拓郎 LIVE2016 [DVD]』(avex trax)
 毎週のように続く週刊誌のスクープ合戦。緻密な取材もさることながら最後は当人に直撃する。これで初めて完璧な取材となる。「週刊新潮」が報じた今井絵里子参議院議員(33)と橋本健(37)神戸市議会議員の不倫。 「週刊文春」が報じた斎藤由貴(50)と同年代の医師のW不倫。両誌とも最後は両人を直撃。この直撃も両人に口裏を合わさせないことが大事になってくる。特に今は携帯電話のある時代。時間がズレたら先に直撃された者がもう一方に知らせてしまう恐れがある。同時直撃が理想だが、そううまくはいかない。今回の二組の不倫カップルも、直撃は成功。事実を突きつけられた当人が慌てる様子が記事からも伝わってくるものだった。  相手がどう出てくるかわからない予測不能の直撃。思わぬハプニングも起こる。  歌手の吉田拓郎(71)が最初の妻と離婚する前の事だった。離婚の予兆として「別居」という情報を掴んだ。「別居した夫婦で離婚しなかったケースはない」という確かなデータが芸能界にはある。取材を進める。  離婚の影に浮気あり。当時、歌手として飛ぶ鳥を落とす勢いの人気だった吉田。当然のようにモテる。確かな浮気相手は掴めなかったが、すでに「吉田は家を飛び出した」という情報を元に吉田と妻の直撃を敢行することになった。後は順番。出ていかれた妻のほうが不満や言いたいことがあるはず。先に妻を直撃することにした。家に残る妻なら直撃もしやすい。当時、目黒にあった吉田の豪邸を下見。家にいる相手を直撃する場合、原則、夜9時ぐらいまでをメドにするのが暗黙の取材ルールだった。昔は家にインターホンなどなく、玄関横に付いている呼び鈴しかない。へたすればドア越しで帰されてしまう可能性もある。取材拒否でも玄関を開けさせ、顔を見ることが取材の基本だった。8時過ぎに家を訪ねた。すでに家からは灯りが漏れ、人がいることが確認できる。気持ちを落ち着かせ、あらかじめ聞くことを復唱して呼び鈴を押した。そう時間を空けることなく、ドア超しに「ハイ、誰」と野太い男の声があった。えっ、と戸惑った。  奥さんが家にいるはずなのに声の主は男。 「そうか、吉田は家を出たが、奥さんは新たな男性をすでに家に呼んでいるのか?」。これはさらにスキャンダラスな展開と思ったのだが、現実はまるで違った。  ドア越しに「奥さんいますか」と奥さんに用事で来たことを伝えた。すると返事もないまま、ドアが勢いよく開いた。顔を出したのは吉田本人。言葉を失った。「こんな時間に女房に何の用だ」と語気を強める吉田。すでにお酒が入った顔は上気している。野太い声が閑静な住宅街に響く。ふと冷静になったのか、家の中に引きずり込まれるように入らされた。通されたのは入ってすぐの応接間。取材の趣旨をようやく告げる。聞く耳を持たず、吉田は黙ったままテレビを見ていた。巨人・広島戦の野球中継。広島出身の吉田は大の広島ファン。画面を見れば、広島は負けていた。私のことを忘れたかのようにビールを飲みながらテレビ観戦。負けていることで余計に機嫌が悪い。とても声をかけられる雰囲気ではない。中継終了後、ようやく口を開いた。奥さんが家にいないことについては曖昧にかわされたが、離婚は改めて否定。後はお説教。1時間近く応接間に座っていたというより、お仕置きのように座らせられていたが、離婚疑惑の核心になるような話はなかった。9時半近くになっても、それでも奥さんがいない事実は確かめられたことだけが収穫だった。 「吉田拓郎、離婚へ」の記事を吉田家における応接間での出来事も入れ掲載した。直撃で起きたハプニングはそのまま書いたほうが信憑性は増す。離婚の話は拡散。それから半年足らずで吉田夫妻は離婚した。直撃というのも常にスムーズにいくものではない。こうしたハプニングも起きる。だから直撃ほど面白いものはない。アイドルになると「事務所を通して下さい」というのが相場だが、大人の芸能人は直撃に答えるようになった。芸能関係者によれば、「答えずにいれば“逃げた”と思われ、それだけで不倫を肯定することになる。言い訳でも真摯に答える風潮になっている。ましてや、今の週刊誌はデジタル化でテレビのようにカメラを回す時代。きちんと応じることがまず大事」(芸能関係者)という。直撃に時には激昂。時には開き直る。そんな光景が直撃の醍醐味。くだんの二組の不倫も直撃が活きている。 (敬称略) 二田一比古 1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

安室奈美恵の母親取材と殺害事件――安室奈美恵の母との交流

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『約束―わが娘・安室奈美恵へ』(扶桑社)
前編はこちら  頑なに口を閉ざしていた安室奈美恵の母・恵美子さんがようやく口を開いたのは、初の接触から3日後の夜、沖縄名護にある居酒屋でのことだった。「私も奈美恵も人見知りする。特に内地(沖縄県外)の人には弱いの」という母も、お酒を飲むうちに心を打ち明けて話すようになり、次第に饒舌になった。根っからの沖縄人。沖縄の太陽のように明るい。娘の奈美恵の生い立ちから「沖縄アクターズスクール」に通い、中学卒業と同時に歌手になるために上京していった経緯を詳細に語り始めた。取材は何日も続いた。すべてお酒の席。お酒は取材の潤滑油になる。母親は大宜味村にある実家近くでスナックを経営していた。店には沖縄在住の奈美恵ファンの子が毎日のように数人来ては、母親との交流をしていた。アイドルのファンが実家を訪れることがあるが、奈美恵のファンも同じだった。大半は奈美恵と同年代くらいの女の子。「本人に会えなくてもお母さんから少しでも情報を共有していたい」というのがファン心理。安室は当時から同性のファンが大半を占めていた。「アムラー現象」が起きた原点である。  沖縄本島北部にある辺士名には居酒屋からスナックまでお店が10件ほど立ち並ぶ。どこの店も母親は顔。飲むと朝まではしご酒が母親の日常だったが、飲む姿は豪快そのもの。沖縄の民謡を歌いながら踊る母親。  膨大な母親の取材。これほど取材がトントン拍子に運ぶことはそうはない。週刊誌で独占告白を掲載。さらに母親の話を出版まですることになった。たまたまの取材が縁で想定外の方向に進む、これも取材の醍醐味。だが、本にするには別の壁があった。母親は事務所の所属ではない。出版は母親の意志とはいえ、本の中身は歌手である娘の奈美恵の話が大半。奈美恵は芸能人であり芸能プロに所属している。そのため奈美恵側の許諾が必要になった。両者が反対すれば出版の話はなくなる。事務所の社長に直談判し、多少のカットはあったが、最終的には社長も快く承諾してくれた。  出版を記念して母親と乾杯。「近いうちに東京で奈美恵も入れて焼肉屋で食べましょうね」と、本のタイトルになった「約束」を交わした。その日を楽しみにしていた矢先に事件は起きた。  1999年3月17日。午前11時頃だった。午後からの仕事のため私は髭を剃りながら出かける支度をしていた。突然、携帯ではなく自宅の電話が鳴った。毎日新聞の知人からだった。「母親が沖縄で交通事故に遭い、救急車で病院に運ばれたが、危篤状態のようです。なにか連絡はありましたか」との問い合わせだった。すぐに母親の携帯に電話する。通じない。何度かけても不通。そのうちに自宅の電話から携帯までひっきりなしに電話が鳴った。母親の身になにかが起きている。状況は刻々と変わり、最終的に「殺された」との報道が出された。にわかに信じがたい。すぐさま沖縄に向かう。他のメディアも一斉に沖縄に向かう。人気歌手の母親が殺されるという大事件は世間を震撼させた。私は真っ先に母親の再婚相手だった夫を探した。夫の携帯も通じない。大宜味村の自宅には誰もいない。途方に暮れた。母親と一緒に飲んだ地元の友人夫妻のをつかまえるとようやく事件の全貌が見えてきた。夫の義弟が車で轢いたうえにナタで殺害したのだ。夫と出かけるために車に乗り込もうとしていた時にふいに襲われた。夫が止める間もなく殺害されたという。その後、義弟も車で逃走。離れた畑の中で自殺した。事件の真相は闇の中。唯一、知り得る立場にあった夫は私と接触する前に事務所の人たちに連れて行かれ、メディアとの接触を遮断されていた。 「義弟との間で起きた金銭トラブル」が原因というぐらいしかわからず、事件の全貌は今も闇の中。  各メディアは母親の半生の報道に切り替えた。結果、母の本を出版した私がもっとも母親の半生を知る人物となり、取材対象者になってしまった。私が独自に取材しようにも、私を尾行するメディアの群れ。私の話が新聞、テレビ、週刊誌のほぼ全てを埋めた。後に安室の姉や事務所関係の人から「奈美恵に変わって母親の人となりを話してくれて、殺害されたという嫌な事件を払拭してくれました」と感謝の言葉を伝え聞いた。母親の取材で生まれた不思議な縁を今さらながら痛感する。 (敬称略) 二田一比古 1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

結婚・離婚は両親がキーパーソン――安室奈美恵の結婚と親

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『安室奈美恵 エピソードプラス -Infinite- (RECO BOOKS)』(アールズ出版)
 芸能人が結婚や離婚という人生の大きな決断をするとき、事務所の許諾はもちろん必要だが、常にカギを握るのは両親。一般社会でも真っ先に親に相談や報告をするように、芸能人も変わらない。メディアも親の居所を掴み現地まで取材に行くのが基本になっている。特に親が地方に住む場合「わざわざこんな遠くまで来てくれて」と取材を受け入れてもらえやすい背景もある。離婚騒動で揺れる松居一代の両親のところにも、最初はテレビなどが取材に訪れたが、当然のように親は娘の味方。あれだけの暴言を吐いて暴走する娘をかばうだけ。なるほど絆の強い親子であると世間を驚かせた。どういう反応であれ、親の発言は誰もが関心を寄せる。それが時には芸能ニュースの核となることもある。それを痛感したのが安室奈美恵(39)の結婚だった。  安室がダンサーだったSAM(55)と電撃結婚を発表したのは1997年の事だった。  人気絶頂時に「デキ婚」。まだ幼さが残る20歳のときである。出産のため1年近く産休・育休に入ることも発表された。嬉しさいっぱいで結婚報告する2人だったが、事務所関係者は複雑な思いだった。こんな話を聞いた。 「伸び盛りの歌手が休むリスクは大きい。単に結婚したいという話なら当然、事務所は強硬に反対して結婚させなかっただろうが、デキ婚では反対もできない。多分、安室は反対されるのを見越しての妊娠だったのでしょう」(芸能関係者)  この安室の結婚をきっかけに芸能界にデキ婚が続出。デキ婚が当たり前のようになっていた。ビッグニュースにメディアも湧きたった。大半のメディアは安室の母親が暮らす沖縄に飛んだ。沖縄本島北部・大宜味村。のどかな集落に一際目立つ、大きな二階建ての家。近所では「安室御殿」と呼ばれ、母親孝行に安室が建てたものとも言われていた。私も沖縄に向かったが、みんなが一斉に取材に行っている最中であり、彼らと一緒になれば、取材拒否でも取材に応じた場合でも、同じ話しかとれない。テレビや新聞は速報性が優先されるが、週刊誌は中身が重要で、それも独自のものが必要。時間差を設ける作戦をとった。先に押し掛けた報道陣は取材拒否を受け、三々五々退散した。実家が静かになった日を狙って家を訪ねた。もう取材陣は東京に戻り、ようやく普通の生活ができると思っていた矢先の来訪。驚いた様子を見せたが、取材は拒否。取材はしつこい人のほうが勝ち目がある。朝晩、呼び鈴を押しては帰る。この繰り返し。後日、作戦を変更。呼び鈴では家の中から声だけで断られるため、出かける時を外で静かに待つ。  早朝から待つこと2時間。無線で呼んだタクシーが横付けになった。案の定、母親・安室美恵子さんが出てきた。初めて母親に接触。「困ります」という母親を車で追った。向かった先は車で30分ほどの名護。買い物の後、知人に会っていた。終わるのを待ち、近くのハンバーガー店に誘った。  最初は世間話である。母親と私は同年代。取材対象者と取材する側は年齢が近いなど共通点が多くあるほうが話も合い、取材が有利になることもある。最初は沖縄での生活などについて雑談。時折、笑みも見せようやく馴染んでくるのを感じた。しめたものだ。お酒が好きだと聞き、夜の食事に誘った。沖縄は男女問わず飲む酒は泡盛。ここでも相手に合わせる。苦手だった泡盛を一緒に飲むにつれ、ようやく母親は素の顔になり心を開いて話すようになった。取材拒否していたときとは違い、饒舌である。娘・奈美恵の話も語り出した。「結婚、良かったですね」と型通りの言葉を向けると。母親はこう答えた。 「嬉しいけど、複雑なんよね」と言って一呼吸おくと、「私も最初の結婚は奈美恵と同じ二十歳で、しかもデキ婚でした。奈美恵から電話で話を聞いたとき、嬉しさと同時に私と一緒だと思ったの。私はうまくいかずに離婚。やはり若かったのよね。奈美恵は大丈夫かなあ? という不安もよぎりました」  母親からしか言い出せない言葉。自身の人生と奈美恵が被ったことで語らせたのだろう。この話を聞いた瞬間、母親の話はもっと奥深いものになると確信めいたものが生まれた。  それから何度となく沖縄に通い母親の本格的な取材が始まった。