具体策なき勇み足でファンの心理を無視!? 音事協らが仕切る高額チケット転売意見広告の生ぬるさ

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岸谷香やさだまさしといったベテランのアーティストも賛同者として名を連ねているが、「転売が起きるほどの集客なのだろうか?」といった疑問の声も。ファンキー加藤やゲスの極み乙女。の賛同は炎上狙いか。
 去る8月23日、朝日新聞と読売新聞の朝刊に、昨今の音楽業界で問題視されてきた「ライブチケット高額転売」【1】についての意見広告が掲載された。同広告では、賛同団体である日本音楽制作者連盟(音制連)、日本音楽事業者協会(音事協)、コンサートプロモーターズ協会、コンピュータ・チケッティング協議会が舵取りし、「チケットを買い占め、高額で転売する個人や業者が存在するために、ファンにチケットが行き渡らなくなっている」ことや、「転売サイトなどで偽造チケットが売られる犯罪行為が行われている」ことに対する危惧を主張。こうした事態を改善すべく、ネット上のダフ屋行為を取り締まれない現行法規の改正を政府や自治体に訴えていくという。この取り組みには、サザンオールスターズをはじめ、Mr.Children、嵐、安室奈美恵などの人気アーティスト、「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」「フジロックフェスティバル」といった人気音楽フェスが賛同している。  音楽業界のチケット転売に対するスタンスが大々的に表明されたことは、ネットでも注目を集めた。しかしユーザーからは、「チケットの高額転売には反対だが、具体的措置が書かれていない」という指摘、高額転売に常々反対していたロックバンド・マキシマム ザ ホルモンのマキシマムザ亮君は、「我々の事務所ミミカジルは(音制連をはじめとする賛同団体に)加盟していないので、名前が載らなかった」と、ツイッターで不信感を露わにした。そんな音楽業界内からは冷めた反応が相次いでいる。実際、レコード会社の邦楽部はもちろん、大型フェスに出演する機会の多い海外アーティストを担当するインターナショナル部門にも、打診がほとんどなかったという。 「ネットでこのニュースを知りましたが、会社では話題になっていません。ライブの収益は基本、事務所側に入るので、チケット転売に関しては、レコード会社はさほど関与していないという理由もありますが。また、賛同しているアーティストを見る限り、各レコード会社に連絡をしたのではなく、賛同団体がツテのある事務所を頼りに、ネームバリューのあるアーティストに確認を取ったのでしょう。ジャニーズ事務所をはじめ、アミューズ(サザンオールスターズ、福山雅治、Perfumeほか)、などに偏っているのもうなずけます」(レコード会社勤務A氏) 「私たちの会社にも連絡は来ていません。チケット転売の改善策が出ていない以上、ただ単に問題意識は持っているというアピールだったのではないでしょうか」(レコード会社勤務B氏)  一方で事務所関係者の話。 「我が社には、フェスに出演するバンドが複数在籍していますが、ミミカジルさん同様、連絡はありませんでした。これまでファンのみなさんからは『チケットを買えなかったので、たとえ高額でも転売サイトやオークションでゲットして絶対に行きます』などという声をいただき、本当にありがたいことなのですが、定価の何倍もする価格で売買されているのは、心が痛みます。そうしたところに警鐘を鳴らしたい反対声明と考えていますが、各プレイガイドなどが行っているリセール(チケット再販売)といった具体策を出してから発表したほうがよかったかもしれませんね」  また、転売反対派ながら、今回の動きに歯がゆい思いをした人も。あるフェスにかかわるイベント制作者の話。 「私がかかわっているフェスは毎年黒字ではありませんが、それでも海外の大物アーティストを招聘することもあって、チケットが高額転売されることがあります。来ていただくお客様には定価のチケットで楽しんでいただきたく、高額転売反対には賛同したかったのですが、なんの打診もなく……。せめてすべての大型フェスに打診があってもよかったかと思います。さまざまなフェスが転売反対に賛同していますが、音楽ファンからしたら、『チケットが高額転売されるどころか、売り切れになるのか?』というような微妙なフェスが多く名を連ねていたのも気がかりでしたし」
MEMO『チケット転売』
アーティストのライブや舞台の観劇の際に必要となる、チケットの高額転売が近年、問題視されている。が、どうしても定価で買えないことだってある。

 加えて、賛同者として名を連ねたアーティストたちの中に、EXILEらLDH所属グループ、AKB関連グループ、スターダストプロモーションのももいろクローバーZといった、アリーナ・スタジアム級のライブ動員数を誇るグループが記載されていなかったことについて、「不自然だ」との指摘も。その理由について、前出のレコード会社勤務A氏は「彼らは早い段階から本人認証システムで転売チケットでは入場できない対策を行っていた。しかし、ジャニーズも転売チケットでは入場できない厳重な体制を敷いていたはずですが」と話す。  ただ、実際にチケットを購入する側であるファンの中には「たとえ高額でもゲットしたい」と考える人も一定数おり、業界側との温度差が感じられる。 「転売反対のサイトには、『高額チケット転売購入のせいで、ライブ会場でグッズ購買の機会を奪われる』と書いてあったんですが、ファンは借金をしてでもチケットやグッズを買います。ファンからしてみれば、高額転売問題よりも、手数料問題【2】をなんとかしてほしい」(EXILEファン)  今回の意見広告について、転売サイトである「チケットストリート」の代表・西山圭氏は自身のブログで反対声明を発表。「チケットの転売、二次流通にアーティストやプロモーターが反対するのは理解できます」としつつも、「ただ一方で“高額転売”と主催者側が一方的に決めるのには違和感を覚えます。高額かどうかを判断するのはライブを見るファンであって、アーティストでも主催者でもない」と訴えている。前出のB氏が明かす。 「チケットキャンプやチケット流通センターのような転売サイトは、事務所やレコード会社と揉めることがあります。きっかけは、ファンクラブ会員からの『ファンクラブ限定のチケットが転売されている。こんなんじゃファンクラブの意味がない』などの苦情。そういったトラブルもあって、転売サイトが協賛するイベント(近年では「MTV VMAJ」など)には、所属アーティストの出演を拒否するいった抗議手段を取ることもあったそうです」  結局のところ、一部のダフ屋のような買い占め業者や、ファンを装ってファンクラブに入会し、ファンクラブ限定のチケットを高額転売するような連中は叩かれて然るべきではあるが、需要と供給がある以上、転売全体を批判するのは見当違いではないだろうか。ゆえに、ただでさえCDが売れず、ライブ事業をメインに利益を出していかねばならぬ昨今、時間をかけて改善策を練り、業界全体で取り組むべき運動であったはずだ。今回ばかりは、さまざまな事情で名前の掲載に至らなかったアーティストやフェスのほうが、ある意味、賢い選択だったのかもしれない。 (編集部) 【1】ライブチケット高額転売 「コンサートのチケットを買い占めて不当に価格を釣り上げて転売する個人や業者が横行している現状に、私たちは強い危機感を持っています」という声明で公開された高額転売反対運動。本文でも触れているが、主な反対理由としては「高値で転売されたことでグッズ購入の機会を奪われる」「何度もコンサートを楽しむことができない」などを挙げているが、偽造チケットならまだしも、必死の思いで入手したチケットが「本人確認ができなかったため、転売チケットでは入場できません」と言われ、やり場のない怒りに対しての措置を考えてほしいとは、もっぱらファンの声。 【2】手数料問題 チケット先行販売に応募して当選すると、〈先行手数料〉をはじめ、引き取り時の〈システム使用料〉、チケット発券時の〈発券手数料〉、支払い時の〈決済手数料〉、公演によっては〈特別販売利用料〉など、給与明細で差っ引かれる保険料ばりに、数多くの手数料がチケット料金に上乗せされている。高額転売よりも、ライブや舞台を楽しみにしているファンは、「問題視すべきはこっちだろ!」と声を荒げている。

【小田嶋隆】目黒区――自由が丘のマンションに暮らした2人の女と1人の男

東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。
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(絵/ジダオ)
 駅に向かう長い下り坂を歩きながら、佐知子は、ふと、自由が丘に住み始めて、今日が一年目の記念日にあたることに気づく。といって、特別な感慨は無い。この街にも、そろそろ飽き始めている。あるいは、東京での生活そのものに飽きてきているのかもしれない。  ただ、駅から続く坂道の景色は好きだ。登り坂でも下り坂でも、坂を歩きながら見る街の風景は、いつでも佐知子の気持ちを慰めてくれる。  駅からの道を登る時は、見上げる坂道の先に空が広がっている。下り坂を歩く時には、視界の底に家々の屋根が連なる。そうした、ちょっとした視点の置きどころの変化が、彼女には重要だった。  が、半年ほど前、当時付き合っていた康夫という男にこの話をした時、彼は風景が佐知子にとって重要であることを理解しなかった。 「空だとか屋根だとかの何が面白いわけ?」  話はそれで終わった。ほかの男女のことは知らないが、彼女にとっては、会話が弾まなくなることが、別れのサインだった。たとえばの話、食事やセックスを分かち合うことができているのだとしても、話の接ぎ穂が見つからない男と同じ時間を過ごさねばならない理由が彼女にはわからない。書店に行けば、話題の見つけ方や、雑談の進め方を指南する本が並んでいる。が、そもそも、あらかじめ話題を準備してかからないと会話が運営できないような相手と、どうしてわざわざ共に歩む必要があるのだろうか。私はごめんだ。話が噛み合わなかったり、相槌のタイミングがズレているような男と付き合うくらいなら、一人で坂道を歩いている方がずっと良い。 「でもね、サッチー」  と、いつだったか直美が言っていたことがある。 「本当に相性の良い相手っていうのは、二人して黙って向かい合っていても大丈夫な人のことだよ」 「うっそだ。そんな男いないよ」 「それは、あんたが子供だからだよ」 「じゃあ直美にはそういう人がいるわけ?」 「ひみつだよ」 「なにそれ(笑)」  その直美ともかれこれ3ヶ月会っていない。  上京してはじめて住んだ東陽町は、便利な街だった。家賃も比較的安かったし、地下鉄の沿線にある学校に通うのにも好都合だった。ただ、東京の東半分の町は、地形が平板で、その、変化無く続く平地の単調さが、中部地方の小さな街で生まれ育った佐知子には、どうしてもなじめなかった。  実際、住み始めて半年もたつと、彼女は、東西線沿線の起伏を欠いた町並みに息苦しさを感じるようになった。まっすぐに続く街路から見る左右の家並みが、どこまで歩いても驚くほど似ている下町の風景は、雑木林をめぐる丘のふもとで少女時代を過ごした佐知子の目には、あまりにも茫漠とした場所に見えた。暑い夏の午後に駅からの帰り道を歩いていると、まるで自分が砂漠の太陽の下を歩く一匹の甲虫になったような気持ちに襲われた。  大学では、友だちができなかった。  入学直後の二週間を風疹で休んでいる間に、50人ほどの語学のクラスのメンバーは、既にいくつかの小派閥に分断されており、彼女が初登校した時には、固定化したグループの中に、入り込む余地は残っていなかった。しかも、三々五々、連れ立って昼食を食べに行く学生の中に、新顔の彼女に話しかけてくる親切なクラスメートは一人もいなかった。  以来、佐知子は、キャンパスでは単独行動者だ。  最初の一月ほどの間に「付き合いにくい人」「引っ込み思案」「無口」といった調子のレッテルを貼られてしまうと、そのキャラクター設定を独力で覆すことはは、ほぼ不可能になる。誰であれ、ひとたび配役が決まったら、4年間は割り当てられた役柄を演じ続けなければならない。それが、キャンパスの掟だった。  そして、その、誰が決めたのかも知らない役回りを、4年間にわたってきれいに演じ切る忍耐力こそが、学生が大学で身に付けることになるほとんど唯一の実質的な能力だった。実際、21世紀のマンモス私大が、新卒一括採用の就職戦線に参加している企業に保障している学生の「実力」の正体は、いちはやく場の空気を読んで、自分の果たすべき役割を見つけ出す、働きアリに似た適応力そのものを意味している。  最初の夏休みが来るまでと思って、なんとか孤独なキャンパスライフを耐え抜いた佐知子は、9月の新学期から東京での新生活の方針を変更した。大学は、卒業証書のためにだけ顔を出す場所と割り切って、アルバイトを一ヶ月のスケジュールの中心に据えることにしたのだ。  それから、池袋にある大衆割烹の仲居を皮切りに、新宿のデパートの地下で営業するパン屋の店員、ガソリンスタンド、アンケート回収員、家庭教師、造園会社の事務員、編集プロダクションのアシスタント、結婚式場の案内係など、手当たり次第に求人票の番号に電話をかけては、短期のアルバイトを渡り歩いた。  半年前からは、四谷のピアノバーでピアニストを兼ねた微妙な立場のホステスとして、週4日のシフトで勤務している。  アルバイトをはじめると、すぐに恋人ができた。 「恋人とか言うなよ。男だろ男」  と直美が言う通り、男には不自由しなかったと言った方が正確かもしれない。あるいは、東京で一人住まいをする女子大生にとって、男を寄せ付けずにいることの方がむしろ困難だったといったあたりが、最も実態に近いのだろう。  もっとも、アルバイト先で知り合う男たちが佐知子のような夜の時間帯に働く女子大生に接近をはかる目的は、ほぼセックスに限られている。それがあらかじめわかっているだけに、交際が長続きすることは稀で、そういう出会いと別れの繰り返しに、彼女自身、少々うんざりしはじめていた。  そんな時期に知り合ったのが直美だ。彼女とは、結婚式場に勤務していた時代に親しくなった。  直美は、福島県から上京して同じ新宿区の大学の別の学部に通っている同い年の学生で、佐知子と同じように、大学で人間関係を構築できずにいる組の2年生だった。  佐知子は、直美の舌鋒の鋭さを気に入っていた。いつも何かに腹を立てているところが厄介ではあったものの、彼女には、その狷介な性質を補ってあまりあるサービス精神があった。  佐知子が東陽町のアパートを引き払って自由が丘に住むことになったのは、アルバイト先で意気投合した直美と同居することに決めて、これまでの二倍の家賃で住処を探すゲームに、二人して夢中になったことの結果だった。で、坂を登り切ったところにある目黒区八雲のマンションに引っ越したのがちょうど1年前のこの日ということになる。不動産屋風の言い方をすれば、自由が丘から徒歩15分の2DK、築20年のマンションで家賃は管理費を合わせて16万円ほどだった。  いま、部屋に直美はいない。3ヶ月前に、荷物をまとめることさえせず、忽然と消えて、それっきりになっている。  ピアノの仕事を増やしたおかげで、倍額の家賃はなんとか支払うことができている。が、佐知子は東京でたったひとりの友だちをなくした。その痛手は、康夫を失った喪失感よりもずっと大きい。失ってみてはじめて分かったことだが、直美は、佐知子にとって、生まれてはじめて出会った、心から気持ちの通じ合う人間だった。  康夫は、当初、直美の弟という触れ込みで二人の住むマンションに現れた。それが、週のうちの半分をキッチンに寝袋を持ち込んで暮らす居候のような存在になり、そうこうするうちに、やがて、佐知子の恋人みたいなものになっていた。  その奇妙な共同生活が終局を迎えたのは、3ヶ月前に、福島から出てきた直美の母親が突然マンションの玄関口に現れた時のことだった。  康夫が直美の弟だという話は、まるっきりのウソではなかったものの、事実でもなかった。  直美から見て、康夫は戸籍上は異母弟ということになる。が、ありていに言えば、彼は、直美が中学生の時に離婚した彼女の父親の再婚相手の連れ子で、直接の血縁関係は無い。そして、直美と康夫の間には、お互いが高校生だった時代から秘められた関係があり、その関係への懸念が、彼女の母親が直美を東京の大学に進学させた主たる理由だった。  そして、すべてが露見したのが、ちょうど3ヶ月前の、ゴールデンウィークの一日だったわけだ。  以来、二人とは会っていない。  どこに消えたのかもわからない。  佐知子は、この自由が丘のマンションを、就活が一段落する10月までに引き払うつもりでいる。  それまでの間に、どちらか一方が戻って来たら、自分はどうするのだろう。  駅からマンションに続く長い坂道を登りながら、佐知子は、いつも、二人が二度と戻って来ることのできない場所に行ってしまったのではないかという想像に苦しめられる。  坂道は、誰かが歌っていたように、滑走路を思い起こさせる。あの二人が心中するかもしれないというその考えは、佐知子の恐れを反映しているようでもあり、ひそかな願望の現れのようでもある。いずれにせよ、その想像は、坂道の彼方に広がる青空を見上げる度に、彼女の脳裏を埋め尽くすのだった。  直美からの手紙が転送されてきたのは、八雲のマンションを引き払ってから一年後のことだ。消印は、福島の海辺の町だ。  佐知子は、まだピアノ弾きの仕事をしている。  就活は途中で投げ出した形だ。  黒いスーツを着て、お定まりの問答を繰り返す儀式に疲れたということもあるが、それ以上に、自分が今従事しているピアノ弾きのアルバイトと比べて、半分の稼ぎにしかならない勤め口のために、大真面目な顔で就職活動を続けることが、心底バカバカしくなったからだ。  結局、キャンパスで友だちを作ることができなかった人間は、就活にも耐えることができない。そういうことになっている。なぜなら、キャンパスが学生に与える試練の本当の意味は、群れの一員として振る舞えるのかどうかを試す不断のふるい分けなのであって、その能力を持っていない学生は、就職した先の企業でも、どうせ群れに同調できないイワシと同じで、いずれは、はぐれることに決まっているからだ。結局、あの茫漠としてキャンパスの中で仲間を見つけることのできなかった学生は、この国の企業社会では、どうあっても有効な駒として機能することができないのだ。  10年ちょっと前に流行った歌の中に、人は誰もが世界でたったひとつの花なのだから、競い合ったり、ほかの花と同じであろうとつとめる必要は無いのだという意味の言葉があって、小学生だった頃の佐知子は、その歌をたいそう好んでいた。  いまとなっては、自分が一輪の花だと信じていた少女時代の自分を、うとましく感じる。というよりも、花が未来に希望を持てるのは、つぼみである期間に限られるということなのかもしれない。  大学に入ってから知ることになった英国のある古い労働者階級のロックスターは、 「つまるところ、オレらは、壁の中のレンガのひとつに過ぎない」  という意味の歌を歌っている。  いまの気分には、こっちの方がフィットする。  佐知子も直美も、壁の中の部材のひとつとしてうまくはまりこむことのできないレンガだった。  とはいえ、はぐれたレンガ同士だからといって、必ずうまく組み合えるというものでもない。  孤独な人間同士が、互いの孤独を癒やすことは、多くの場合、副作用を伴っている。  ただ、孤独な人間がいまよりも増えれば、この社会はもう少し住みやすい場所になるかもしれない。壁にはまっているレンガの数と、地面に散らばっているレンガの数が同じぐらいになれば、レンガの定義だって多少は変わってくるはずで、そうすれば、私たちにだってもう少し展望が開ける、と、佐知子は考えている。無論、必ずそうなる保障は無いが。  新しく引っ越した先は、職場のすぐ近くのワンルームだ。  直美と康夫は、二人とも思春期に両親の離婚と再婚を経験した子供たちだった。その共通の体験ないしは傷跡が、二人を結びつけているのだろう。  あるいは、彼らは、自分たちを結びつけている悪運から逃れるべく、佐知子との共同生活を選んだのかもしれない。  佐知子は佐知子で、父親を早くに失っている。  そういう欠損家庭で育った人間だから、キャンパスの人間関係に適応できなかったのだと、ここでそういう断定するつもりはない。  その種の断言は、昨今では、ポリティカル・コレクトネス(PC・政治的正しさ)に反するということで、多少とも人目に触れる文書からは削除されることになっている。  同じ意味のことを、ポリティカル・コレクトネスを踏み外すこと無く言い換えることもできる。  たとえば、 「日本の社会には、欠損家庭の出身者をやんわりと排除する空気が流れている」  と言えば、ずいぶん印象が違う。  主語を「子供たち」から「日本の社会」に変えただけのことなのだが、この言い方だと、ずっと社会派っぽく響く。  どう言ったにせよ、佐知子が壁の中のレンガにはなれない事実は変わらない。  直美の手紙には、康夫とのことを隠していた旨を詫びる言葉の後に、大学を休学して故郷に帰っていることや、荷物は勝手に処分してくれて良いなどといったことが、とりとめもなく書かれていた。  後半は、こう結ばれている。 《サッチーのことはいまでも大好きだよ。 でもこっちの住所は書かない。 しばらくの間は、消印からわかる以上のことは知らない方が良いと思うから。 色々と整理がついて、色々なことの形が整ったらまた必ず連絡するから。 だから、安心しな。 心中なんかしないから。 どうせそういう心配をしてたんだろ? あたしたちが坂道から滑空して消えるとか。 サッチーはいつもそんなふうに、空が落っこちてくるみたいなことばっかり心配してるコだった。 笑えるよ。 大丈夫。あたしたちは海のすぐそばにいるよ》  写真が一枚同封されていた。  福島の海を背景に直美と康夫が並んで笑っている。  そして、手紙を受け取ってから半年後の3月に、あの大きな地震がやってきた。  彼らの住む町は、津波に洗われたはずだ。  そう考えざるを得ない。  佐知子は、いまだに震災犠牲者の名簿を見に行く気持ちになれない。  自分は、これからとても長い間、手紙を待ち続けることになるのだろうと思っている。 小田嶋隆(おだじま・たかし) 1956年、東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。営業マンを経てテクニカルライターに。コラムニストとして30年、今でも多数の媒体に寄稿している。近著に『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)、『もっと地雷を踏む勇気~わが炎上の日々』(技術評論社)など。

【小田嶋隆】目黒区――自由が丘のマンションに暮らした2人の女と1人の男

東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。
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(絵/ジダオ)
 駅に向かう長い下り坂を歩きながら、佐知子は、ふと、自由が丘に住み始めて、今日が一年目の記念日にあたることに気づく。といって、特別な感慨は無い。この街にも、そろそろ飽き始めている。あるいは、東京での生活そのものに飽きてきているのかもしれない。  ただ、駅から続く坂道の景色は好きだ。登り坂でも下り坂でも、坂を歩きながら見る街の風景は、いつでも佐知子の気持ちを慰めてくれる。  駅からの道を登る時は、見上げる坂道の先に空が広がっている。下り坂を歩く時には、視界の底に家々の屋根が連なる。そうした、ちょっとした視点の置きどころの変化が、彼女には重要だった。  が、半年ほど前、当時付き合っていた康夫という男にこの話をした時、彼は風景が佐知子にとって重要であることを理解しなかった。 「空だとか屋根だとかの何が面白いわけ?」  話はそれで終わった。ほかの男女のことは知らないが、彼女にとっては、会話が弾まなくなることが、別れのサインだった。たとえばの話、食事やセックスを分かち合うことができているのだとしても、話の接ぎ穂が見つからない男と同じ時間を過ごさねばならない理由が彼女にはわからない。書店に行けば、話題の見つけ方や、雑談の進め方を指南する本が並んでいる。が、そもそも、あらかじめ話題を準備してかからないと会話が運営できないような相手と、どうしてわざわざ共に歩む必要があるのだろうか。私はごめんだ。話が噛み合わなかったり、相槌のタイミングがズレているような男と付き合うくらいなら、一人で坂道を歩いている方がずっと良い。 「でもね、サッチー」  と、いつだったか直美が言っていたことがある。 「本当に相性の良い相手っていうのは、二人して黙って向かい合っていても大丈夫な人のことだよ」 「うっそだ。そんな男いないよ」 「それは、あんたが子供だからだよ」 「じゃあ直美にはそういう人がいるわけ?」 「ひみつだよ」 「なにそれ(笑)」  その直美ともかれこれ3ヶ月会っていない。  上京してはじめて住んだ東陽町は、便利な街だった。家賃も比較的安かったし、地下鉄の沿線にある学校に通うのにも好都合だった。ただ、東京の東半分の町は、地形が平板で、その、変化無く続く平地の単調さが、中部地方の小さな街で生まれ育った佐知子には、どうしてもなじめなかった。  実際、住み始めて半年もたつと、彼女は、東西線沿線の起伏を欠いた町並みに息苦しさを感じるようになった。まっすぐに続く街路から見る左右の家並みが、どこまで歩いても驚くほど似ている下町の風景は、雑木林をめぐる丘のふもとで少女時代を過ごした佐知子の目には、あまりにも茫漠とした場所に見えた。暑い夏の午後に駅からの帰り道を歩いていると、まるで自分が砂漠の太陽の下を歩く一匹の甲虫になったような気持ちに襲われた。  大学では、友だちができなかった。  入学直後の二週間を風疹で休んでいる間に、50人ほどの語学のクラスのメンバーは、既にいくつかの小派閥に分断されており、彼女が初登校した時には、固定化したグループの中に、入り込む余地は残っていなかった。しかも、三々五々、連れ立って昼食を食べに行く学生の中に、新顔の彼女に話しかけてくる親切なクラスメートは一人もいなかった。  以来、佐知子は、キャンパスでは単独行動者だ。  最初の一月ほどの間に「付き合いにくい人」「引っ込み思案」「無口」といった調子のレッテルを貼られてしまうと、そのキャラクター設定を独力で覆すことはは、ほぼ不可能になる。誰であれ、ひとたび配役が決まったら、4年間は割り当てられた役柄を演じ続けなければならない。それが、キャンパスの掟だった。  そして、その、誰が決めたのかも知らない役回りを、4年間にわたってきれいに演じ切る忍耐力こそが、学生が大学で身に付けることになるほとんど唯一の実質的な能力だった。実際、21世紀のマンモス私大が、新卒一括採用の就職戦線に参加している企業に保障している学生の「実力」の正体は、いちはやく場の空気を読んで、自分の果たすべき役割を見つけ出す、働きアリに似た適応力そのものを意味している。  最初の夏休みが来るまでと思って、なんとか孤独なキャンパスライフを耐え抜いた佐知子は、9月の新学期から東京での新生活の方針を変更した。大学は、卒業証書のためにだけ顔を出す場所と割り切って、アルバイトを一ヶ月のスケジュールの中心に据えることにしたのだ。  それから、池袋にある大衆割烹の仲居を皮切りに、新宿のデパートの地下で営業するパン屋の店員、ガソリンスタンド、アンケート回収員、家庭教師、造園会社の事務員、編集プロダクションのアシスタント、結婚式場の案内係など、手当たり次第に求人票の番号に電話をかけては、短期のアルバイトを渡り歩いた。  半年前からは、四谷のピアノバーでピアニストを兼ねた微妙な立場のホステスとして、週4日のシフトで勤務している。  アルバイトをはじめると、すぐに恋人ができた。 「恋人とか言うなよ。男だろ男」  と直美が言う通り、男には不自由しなかったと言った方が正確かもしれない。あるいは、東京で一人住まいをする女子大生にとって、男を寄せ付けずにいることの方がむしろ困難だったといったあたりが、最も実態に近いのだろう。  もっとも、アルバイト先で知り合う男たちが佐知子のような夜の時間帯に働く女子大生に接近をはかる目的は、ほぼセックスに限られている。それがあらかじめわかっているだけに、交際が長続きすることは稀で、そういう出会いと別れの繰り返しに、彼女自身、少々うんざりしはじめていた。  そんな時期に知り合ったのが直美だ。彼女とは、結婚式場に勤務していた時代に親しくなった。  直美は、福島県から上京して同じ新宿区の大学の別の学部に通っている同い年の学生で、佐知子と同じように、大学で人間関係を構築できずにいる組の2年生だった。  佐知子は、直美の舌鋒の鋭さを気に入っていた。いつも何かに腹を立てているところが厄介ではあったものの、彼女には、その狷介な性質を補ってあまりあるサービス精神があった。  佐知子が東陽町のアパートを引き払って自由が丘に住むことになったのは、アルバイト先で意気投合した直美と同居することに決めて、これまでの二倍の家賃で住処を探すゲームに、二人して夢中になったことの結果だった。で、坂を登り切ったところにある目黒区八雲のマンションに引っ越したのがちょうど1年前のこの日ということになる。不動産屋風の言い方をすれば、自由が丘から徒歩15分の2DK、築20年のマンションで家賃は管理費を合わせて16万円ほどだった。  いま、部屋に直美はいない。3ヶ月前に、荷物をまとめることさえせず、忽然と消えて、それっきりになっている。  ピアノの仕事を増やしたおかげで、倍額の家賃はなんとか支払うことができている。が、佐知子は東京でたったひとりの友だちをなくした。その痛手は、康夫を失った喪失感よりもずっと大きい。失ってみてはじめて分かったことだが、直美は、佐知子にとって、生まれてはじめて出会った、心から気持ちの通じ合う人間だった。  康夫は、当初、直美の弟という触れ込みで二人の住むマンションに現れた。それが、週のうちの半分をキッチンに寝袋を持ち込んで暮らす居候のような存在になり、そうこうするうちに、やがて、佐知子の恋人みたいなものになっていた。  その奇妙な共同生活が終局を迎えたのは、3ヶ月前に、福島から出てきた直美の母親が突然マンションの玄関口に現れた時のことだった。  康夫が直美の弟だという話は、まるっきりのウソではなかったものの、事実でもなかった。  直美から見て、康夫は戸籍上は異母弟ということになる。が、ありていに言えば、彼は、直美が中学生の時に離婚した彼女の父親の再婚相手の連れ子で、直接の血縁関係は無い。そして、直美と康夫の間には、お互いが高校生だった時代から秘められた関係があり、その関係への懸念が、彼女の母親が直美を東京の大学に進学させた主たる理由だった。  そして、すべてが露見したのが、ちょうど3ヶ月前の、ゴールデンウィークの一日だったわけだ。  以来、二人とは会っていない。  どこに消えたのかもわからない。  佐知子は、この自由が丘のマンションを、就活が一段落する10月までに引き払うつもりでいる。  それまでの間に、どちらか一方が戻って来たら、自分はどうするのだろう。  駅からマンションに続く長い坂道を登りながら、佐知子は、いつも、二人が二度と戻って来ることのできない場所に行ってしまったのではないかという想像に苦しめられる。  坂道は、誰かが歌っていたように、滑走路を思い起こさせる。あの二人が心中するかもしれないというその考えは、佐知子の恐れを反映しているようでもあり、ひそかな願望の現れのようでもある。いずれにせよ、その想像は、坂道の彼方に広がる青空を見上げる度に、彼女の脳裏を埋め尽くすのだった。  直美からの手紙が転送されてきたのは、八雲のマンションを引き払ってから一年後のことだ。消印は、福島の海辺の町だ。  佐知子は、まだピアノ弾きの仕事をしている。  就活は途中で投げ出した形だ。  黒いスーツを着て、お定まりの問答を繰り返す儀式に疲れたということもあるが、それ以上に、自分が今従事しているピアノ弾きのアルバイトと比べて、半分の稼ぎにしかならない勤め口のために、大真面目な顔で就職活動を続けることが、心底バカバカしくなったからだ。  結局、キャンパスで友だちを作ることができなかった人間は、就活にも耐えることができない。そういうことになっている。なぜなら、キャンパスが学生に与える試練の本当の意味は、群れの一員として振る舞えるのかどうかを試す不断のふるい分けなのであって、その能力を持っていない学生は、就職した先の企業でも、どうせ群れに同調できないイワシと同じで、いずれは、はぐれることに決まっているからだ。結局、あの茫漠としてキャンパスの中で仲間を見つけることのできなかった学生は、この国の企業社会では、どうあっても有効な駒として機能することができないのだ。  10年ちょっと前に流行った歌の中に、人は誰もが世界でたったひとつの花なのだから、競い合ったり、ほかの花と同じであろうとつとめる必要は無いのだという意味の言葉があって、小学生だった頃の佐知子は、その歌をたいそう好んでいた。  いまとなっては、自分が一輪の花だと信じていた少女時代の自分を、うとましく感じる。というよりも、花が未来に希望を持てるのは、つぼみである期間に限られるということなのかもしれない。  大学に入ってから知ることになった英国のある古い労働者階級のロックスターは、 「つまるところ、オレらは、壁の中のレンガのひとつに過ぎない」  という意味の歌を歌っている。  いまの気分には、こっちの方がフィットする。  佐知子も直美も、壁の中の部材のひとつとしてうまくはまりこむことのできないレンガだった。  とはいえ、はぐれたレンガ同士だからといって、必ずうまく組み合えるというものでもない。  孤独な人間同士が、互いの孤独を癒やすことは、多くの場合、副作用を伴っている。  ただ、孤独な人間がいまよりも増えれば、この社会はもう少し住みやすい場所になるかもしれない。壁にはまっているレンガの数と、地面に散らばっているレンガの数が同じぐらいになれば、レンガの定義だって多少は変わってくるはずで、そうすれば、私たちにだってもう少し展望が開ける、と、佐知子は考えている。無論、必ずそうなる保障は無いが。  新しく引っ越した先は、職場のすぐ近くのワンルームだ。  直美と康夫は、二人とも思春期に両親の離婚と再婚を経験した子供たちだった。その共通の体験ないしは傷跡が、二人を結びつけているのだろう。  あるいは、彼らは、自分たちを結びつけている悪運から逃れるべく、佐知子との共同生活を選んだのかもしれない。  佐知子は佐知子で、父親を早くに失っている。  そういう欠損家庭で育った人間だから、キャンパスの人間関係に適応できなかったのだと、ここでそういう断定するつもりはない。  その種の断言は、昨今では、ポリティカル・コレクトネス(PC・政治的正しさ)に反するということで、多少とも人目に触れる文書からは削除されることになっている。  同じ意味のことを、ポリティカル・コレクトネスを踏み外すこと無く言い換えることもできる。  たとえば、 「日本の社会には、欠損家庭の出身者をやんわりと排除する空気が流れている」  と言えば、ずいぶん印象が違う。  主語を「子供たち」から「日本の社会」に変えただけのことなのだが、この言い方だと、ずっと社会派っぽく響く。  どう言ったにせよ、佐知子が壁の中のレンガにはなれない事実は変わらない。  直美の手紙には、康夫とのことを隠していた旨を詫びる言葉の後に、大学を休学して故郷に帰っていることや、荷物は勝手に処分してくれて良いなどといったことが、とりとめもなく書かれていた。  後半は、こう結ばれている。 《サッチーのことはいまでも大好きだよ。 でもこっちの住所は書かない。 しばらくの間は、消印からわかる以上のことは知らない方が良いと思うから。 色々と整理がついて、色々なことの形が整ったらまた必ず連絡するから。 だから、安心しな。 心中なんかしないから。 どうせそういう心配をしてたんだろ? あたしたちが坂道から滑空して消えるとか。 サッチーはいつもそんなふうに、空が落っこちてくるみたいなことばっかり心配してるコだった。 笑えるよ。 大丈夫。あたしたちは海のすぐそばにいるよ》  写真が一枚同封されていた。  福島の海を背景に直美と康夫が並んで笑っている。  そして、手紙を受け取ってから半年後の3月に、あの大きな地震がやってきた。  彼らの住む町は、津波に洗われたはずだ。  そう考えざるを得ない。  佐知子は、いまだに震災犠牲者の名簿を見に行く気持ちになれない。  自分は、これからとても長い間、手紙を待ち続けることになるのだろうと思っている。 小田嶋隆(おだじま・たかし) 1956年、東京赤羽生まれ。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。営業マンを経てテクニカルライターに。コラムニストとして30年、今でも多数の媒体に寄稿している。近著に『小田嶋隆のコラム道』(ミシマ社)、『もっと地雷を踏む勇気~わが炎上の日々』(技術評論社)など。

『HiGH&LOW』は対ジャニーズ連合軍か!? テニミュ、ジュノンボーイ、メンノンetc…イケメンカルチャーの集大成がここにある

<『HiGH&LOW』総力特集> ■興行収入だけでは測れない!映画『HiGH&LOW』ムーブメントに迫る【映画ライター座談会/前編】『HiGH&LOW』は〈国産の海外映画〉である。【映画ライター座談会/後編】HiGH&LOW』でHIROが望むのは「親殺し」? 今後の展開を予想する!。
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なんたって全員主役です。「HiGH & LOW SEASON 1 完全版 BOX」
 『HiGH&LOW THE MOVIE』の中で一番印象に残るシーンといえば、世紀の大決戦シーンである。SWORDと呼ばれる5つの不良チームの前に、今作のヒールであり絶対無敵の琥珀(AKIRA)、さらに湾岸地区から来た新勢力MIGHTY WARRIORS、悪徳スカウト集団DOUBTら500人が立ちはだかる。ドラマシリーズでは敵対することもあった5つのチームが、今作では自分たちの街(陣地)を守るべく連合軍を結成。100人対500人の不利な闘いの中で、チームの枠を超えて共闘する姿、さらには無勢が多勢に挑むさまがこの映画のカタルシスの一つにもなっている。  横並び一列に並んだSWORD連合軍の面々を見ると、LDH陣営はもちろんのこと、研音、スターダスト、ナベプロ、ホリプロ……と錚々たる芸能事務所から送り出された若手俳優たちがずらり。しかし、これだけのイケメンたちが並ぶ中、かの組織のイケメンだけがいない。そう、ジャニーズ事務所である。  そこで、ふと思いつく。もしかしてSWORD連合軍、ひいてはこの映画そのものを「対ジャニーズ連合軍」として見ることもできるのではないか?と。半世紀ものあいだイケメン市場で栄華を極めてきた巨大組織ジャニーズ事務所に挑むため、LDHを旗頭に集まった各事務所のイケメンたちが連合軍を組み、今世紀最大のイケメン大決戦へ――。  などというのは、少々大げさな煽りかもしれないが、非ジャニーズの俳優たちが大集合した映画であることは間違いない。  本作は、言わずもがなLDHが自分の事務所を盛り上げるために作った映画である。しかし、そこに協力してくれる俳優たちへのリスペクトがあり、見ていて太っ腹だと感じるところがある。大半のLDHの面々はストーリーを動かす配役であるため、キャラ立ちは控えめになっているが、他事務所から起用した俳優たちに当てられた役はどれもキャラが濃く、衣装も派手で目を引きやすい。その甲斐もあって、登場シーンは短くても、観る者の印象に残るようになっている。実は、ネットで非公式に行われた各チームの人気投票で一位を獲得したのは、TAKAHIRO(EXILE)&登坂広臣(三代目J Soul Brothers)が演じた雨宮兄弟でも、岩田剛典(三代目J Soul Brothers)がリーダーを務める山王連合会でもなく、ダントツで窪田正孝率いるRUDE BOYSだったとも聞く。
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連合軍じゃね!? SWORDの連合軍じゃね!?
 本稿では、そんなLDH外の人気キャラクターを、芸能界のどのような事務所に所属し、どんなバックボーンを持つ俳優たちが演じているのかを見ていきたい。その構成を追っていくと、なぜ筆者が「対ジャニーズ連合軍」と思いついてしまったのか、わかってもらえるのではないだろうか。  最も人気があると言われるRUDE BOYSは、前述の通りリーダーのスモーキーを窪田正孝(1988年8月6日生まれ)が演じる。スターダストプロモ―ションに所属する窪田は、ジャニーズの藤ヶ谷太輔(Kis-My-Ft2)、同じ事務所の山崎賢人、そして大先輩の唐沢寿明まで、どんな人と組んでも、相手を生かしつつ、自分もどんどん輝いていく稀有な俳優である。線は細いが、アクションものは『ガチバン』シリーズ(2010〜14年)や『ヒーローマニア-生活-』(16年)でも経験していて評価も高い。仕事を選ばず、どんな作品でも安定感のある演技をする姿勢に注目が高まっているが、この『HiGH&LOW THE MOVIE』でもそんな経験を活かし、少ない登場シーン、少ないセリフの中で、最も深い印象に残る演技を見せているのではないだろうか。スモーキーの登場シーンは、監督の思い入れがあるのではないかと思われるくらい、スローモーションで美しい映像になっている。  RUDE BOYS、もう一人の他事務所俳優は、シオンを演じる永瀬匡(1993年1月22日生まれ)である。映画版ではあまり説明がない登場の仕方だったが、前日譚であるドラマシリーズでは物語の重要な役回りを担っていた。彼は福士蒼汰を擁する研音所属で、同事務所内で結成されたMEN ON STYLEのメンバーだ。もともとはジャニーズJr.に属していたが、2010年に退所し、現事務所に。『桜蘭高校ホスト部』(11年)で俳優デビューし、『仮面ライダーウィザード』(13年)や『八重の桜』(同)などに出演。昨今では珍しい濃い眉毛に男くさい顔立ちで、映画『天空の蜂』(15年)では、危険をものともせず、地上800mの空中でヘリに乗り込み子どもを救出する若き自衛隊員がハマり役だった。  赤い法被のお祭り集団・達磨一家の頭目・日向紀久を演じる林遣都(1990年12月6日生まれ)も、窪田と同じくスターダストプロモ―ション所属。高校時代に映画『バッテリー』(07年)で主演デビュー。その後も『DIVE!』(08年)や『ラブファイト』(同)など、青春映画で主演を重ねる。デビュー数年は幼く青いイメージもあったが、最近ではピース・又吉直樹原作のNetflixドラマ『火花』(16年)で主人公を演じ、新たな顔を見せ始めたところで、この『HiGH&LOW THE MOVIE』でアクの強いキャラクターを再び演じたことは、非常に良い流れに思える。  鬼邪高校の番長で、ヤンチャな少年特有の愛らしさを持つ村山良樹を演じる山田裕貴(1990年9月18日生まれ)は、ワタナベエンターテインメントのD-BOYSのメンバーである。俳優デビューは『海賊戦隊ゴーカイジャー』(11年)。その後は『GTO』(12年)や『イタズラなKiss~Love in TOYO』(13年)などの学園ものに出演。2016年は、前田司郎が脚本・演出を手掛けた舞台『宮本武蔵(完全版)』での、自然な肩の力の抜けた演技で高い評価を得ている。今まさに伸び盛りの俳優と言っていだろう。  鬼邪高校の生徒で村山をライバル視する、メガネで一見真面目風なキャラクターが印象に残る轟洋介を演じる前田公輝(1991年4月3日生まれ)は、ホリプロ所属。映画『ひぐらしのなく頃に』(08年)では主演を果たし、『ごくせん』(同)、『花ざかりの君たちへ~イケメン☆パラダイス~2011』(11年)などの学園ものも経験。若手イケメン俳優が集合する歴史バラエティとして、一部で人気を博した『戦国鍋TV』(12年)にも出演していた。近年は『デスノート』(15年)、『コウノドリ』(同)、『ゆとりですがなにか』(16年)など話題作への出演も続く。そうした作品ではゲストに終わることも多い印象だったが、本作ではひとりクールな風貌で目を引いた。  鬼邪高校・古谷秀人役の鈴木貴之(1990年2月21日生まれ)は、モデル事務所のアイビージージャパン所属。ミス・ユニバース・ジャパンの男性版ミスター・ジャパンの初代に選ばれてデビューしたという経歴を持つ。モデル事務所だけに、俳優としての出演作は多くはないが、『私のホストちゃんS~新人ホストオーナー奇跡の密着6カ月~』(14年)や『ごめんね青春!』(同)、『ダメな私に恋してください』(16年)に出演。永瀬と同じく、近年には珍しい屈強な男臭さが、本作で生かされたように見えた。  傷ついた女性たちを守るWHITE RASCALSのKOOを演じる遠藤雄弥(1987年3月20日生まれ)は、山田と同じくワタナベエンターテインメント所属。D-BOYSの創設メンバーとして活躍し(12年卒業)、『ミュージカルテニスの王子様』では主人公の越前リョーマを初代から二代目にわたって演じていた。映画『クローズEXPLODE』(14年)ではスキンヘッドでヤンキーを熱演し、それまでのイメージを払拭。本作でも存在感を放っている。  WHITE RASCALSのKAITOを演じる柳俊太郎(1991年5月16日生まれ)は、浅野忠信、加瀬亮、新井浩文など、第一線で活躍し、独特の雰囲気を放つ俳優たちを抱えるANOREの所属。「MEN'S NON-NO」モデルグランプリを受賞したことから、この世界に入った。役者としては、映画『劇場版 仮面ティーチャー』(14年)や『クローズEXPLODE』などの学園ものへの出演が多い。国際映画祭で活躍する名だたる監督との仕事も多い先輩たちの活躍にはまだまだ追いつかないが、2016年には清水崇監督(『呪怨』)の『雨女』で重要な役を演じている。これからの活躍が期待される俳優である。  KAITOの公私に渡るパートナーで、同じくWHITE RASCALSのKIZZYを演じた稲葉友(1993年1月12日生まれ)はレプロエンタテインメント所属。デビューのきっかけはジュノン・スーパーボーイ・コンテスト、その後は『仮面ライダードライブ』(14年)に出演と、イケメンのエリートコースを歩んできた。今年は『MARS~ただ、君を愛してる~』に出演したほか、BSスカパー!の『ひぐらしのなく頃に』では連続ドラマ初主演を果たした。  加えて、K-POPの世界からは、BIGBANGでおしゃべり担当のV.Iが海外マフィア・チャンソンの御曹司の李を演じ、さらにビジュアル系エアーバンド・ゴールデンボンバーのメンバー全員もWHITE RASCALSとして出演。全方位型イケメン対応ともいうべき、どこから襲撃されても防衛できる完璧な布陣である。  ここまで見てくるとわかるように、複数の芸能事務所から俳優を起用しているだけでなく、それぞれに『仮面ライダー』、戦隊もの、テニミュ、ジュノンボーイ、ミスター・ジャパン、「MEN'S NON-NO」モデルなど、さまざまなイケメンの登竜門からデビューした人物が多い。まさに、対ジャニーズの連合軍と呼ぶにふさわしい顔ぶれだ。また、彼らのほとんどが、10代の頃に学園もので活躍したのち、20代に入って自分がどこに向かうべきか模索している途中でもあった。そんなときに出会った『HiGH&LOW THE MOVIE』という作品は、彼らに新たな活動のきっかけを与えているのではないだろうか。 (文/韮澤優)

『24時間テレビ』の羽生結弦のスケートを、あえて「感情」抜きで観てみると…

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、世にあふれる"アイドル"を考察する。超刺激的カルチャー論。
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羽生結弦「蒼い炎II-飛翔編-」(扶桑社)
 リオオリンピックが終わりました。以前この連載で書いたことがあるような気がしますが、私は採点競技が好きでして、夏のオリンピックでダントツに好きなのが体操です。今回のオリンピックでは観戦に熱が入りすぎ、そのあとしばらくグッタリしてしまったほど。特に男子の個人総合は、オリンピックに限定すれば、1996年アトランタの、李小双(中国)とアレクセイ・ネモフ(ロシア)の一騎打ちを超えるほどの戦いでした。いやあ、観てるだけであんなにグッタリするのですから、選手たちのメンタルったらバケモノです。内村航平の、「どんなときでも、両ひざがピッタリ閉じていて、かつ、つま先がそろっている」凄みと言ったら! で、そのグッタリのあと、かなりひどい夏風邪をひいてしまいまして。癌の治療中でもあるので、しばらくお休みの時間をいただいておりました。静養をメインにここ1カ月弱を過ごしていたものですから、その間に観たものは限られてしまうのですが(おかげで録画の容量はギリギリ…)、「これは生で観ないと」と思っていたものが、ひとつ。それは日本テレビの『24時間テレビ』内での、熊本の被災地に向けてのメッセージを込めた羽生結弦のスケートでした。  東日本大震災から現在にいたるまで、羽生結弦が寄付も含め本当に多くの献身的な活動をしていることは、私などよりも皆さんのほうがご存じでしょうから詳述は控えますが、それでもひとつだけ。こうした活動を震災の当事者が続けるということは、その記憶と向き合い続けること、その記憶から逃げないと決意していることを意味します。その一点だけでも、全面的な尊敬に値すると私は思っています。と言うかむしろ、「そこまで背負わなくてもいいの」「被災した人は、自分のことだけ考えるくらいでいいのよ」という気持ちのほうが強いくらいでして…。  そう思いつつ、私はあえて、今回のエッセイでは「羽生のスケートそのものの凄み」を書いてみたいな、と。 と言うのも、「羽生が、この滑りにどんな思いを込めたか」ということに関しては、私以上に羽生結弦のことを愛している人たちが、それぞれのやり方や言葉で受け取って、ご自分の胸に刻んでいることでしょうから。そういった方々の思いは、それぞれにオリジナルで、それぞれに大切なもの。そこに口を差しはさむようなマネは野暮というものです。なので、この連載において初めて羽生結弦のことを書いた時と同じように、テクニック的なことを中心に箇条書き形式でつづってみたいと思います。 ●スタートのひと蹴り(要するに、ほとんど助走なし)で、すぐにイナバウアーに入れる。そのイナバウアーが、どこにも力が入っていないように見えるのに、途中からスピードがグンと上がる。どんだけ正確にエッジに乗っているのか、ちょっと想像がつかない。 ●ドーナツスピンでエッジをつかんでいないほうの手が、きちんと音をとらえている。 ●ドーナツスピンをほどいてすぐに、反時計回り~時計回りのターンを入れる。 ●トリプルアクセルを、レイバックイナバウアーから続くステップを入れてから跳ぶ。これまでのどの競技会でも見せたことのないエントランスではないか、と。ジャンプ前のコネクティングステップのバリエーションの豊かさに改めて驚く。 ●羽生にとってナチュラルな回転方向ではない、時計回りのターンであっても、目を見張るほど精緻。そこからすぐにインサイドのイーグルへとつなげる滑らかさにため息が漏れる。 ●シットスピンの態勢でツイズル。そこからパンケーキポジションに移行する際、足元だけを見ていると、どこから上体の態勢が変わっていったのかわからないほど、トレースが一定。  …しみじみと、いいものを見せていただきました。で、私なりの「チケット代」として、熊本への寄付をしてみたり。「病気じゃなかったらねえ、医療費のこととか考えずに大盤振る舞いできるんだけど」とも思いましたが、ま、そこは人それぞれということで(最近ますます私は自分に甘いのです)。もちろん、これは「みんながみんな寄付すべき」と言っているわけではありませんので、誤解なさらないでいただきたいのですが。  そう言えば、あと2カ月もしないうちに本格的なフィギュアスケートのシーズン到来です。今年はオリンピックもあったので、私にとっては「空白期間」がとても短く感じられました。すべての選手の演技が、今から待ち遠しくてなりません。まずは私も、「すさまじい演技、熱い試合」を見てもグッタリしない程度には体力を回復させて、もう少し密に原稿書けるようになりませんとね。 高山真(たかやままこと) 男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』(小学館)で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。8月から月刊文芸誌『小説すばる』(集英社)でも連載スタート。

【磯部涼/川崎】川崎の不良が歌うストリートの世界

日本有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。
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今年4月の出所後、川崎市元住吉のダイニングバー〈Powers2〉で、久しぶりのライヴを披露したラッパーのA-THUG。
隣にいるのはDJ TY-KOH。
 彼が登場したのは、午前0時を少し過ぎた頃だった。その日のパーティが行われていたのは、川崎市の閑静な住宅街にあるバーで、そこにまだ夜が浅いうちから続々と、首までタトゥーが入った男たちや、着飾った女たちが集まってくる。客人がドアを開けると、出迎えるのは、DJがかけるラップ・ミュージックと、壁に吊るされたスウェット・シャツの“Welcome to SOUTHSIDE KAWASAKI”というフレーズ。店内はあっという間にいっぱいになり、テキーラ・グラスが次々と掲げられ、やがて、シャンパンのボトルが回り始める。そして、その熱気に押されるように、主役はステージに上がった。「King of KAWASAKI, A-THUG is baaaaack!」。DJに煽られ、彼が叫ぶ。「シャバに出てきたぜ!」。マイクの音をかき消すほどの歓声が上がる。ビートが鳴り始める。
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DJが流すラップ・ミュージックに合わせて、会場のフロアで踊る女性たち。
 SOUTHSIDE KAWASAKI  伊勢町 川中島 藤崎が始まり  SCARS in da building から building  hustle 止まらない cycle  街中 ダッシュで走る  生き急ぐ ハイペースがマイペース         ――SCARS「My block」より  フロアでは合唱が起こっていた。同曲は、その場にいる人々にとっては間違いなくアンセムだった。そこでは彼らの住む街が描かれ、そこからは彼らの持つリアリティが浮かび上がってくる。6月10日深夜、元住吉のバー〈Powers2〉で開催されていたパーティ「NUESTRO TERRITORIO」の盛り上がりは最高潮に達そうとしていた。川崎を代表するラッパー、A-THUGが刑期を終え、ホームタウンに戻ってきたのだ。

A-THUGにインスパイアされた地元のラッパーやDJたち

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A-THUGの出所を祝いに来た人々。YOUNG HASTLE、DJ SPACE KID(右下)、
K-YO(左上)、LIL MAN(中央)といったラッパーやDJの姿も。
 ある日の午前中、川崎駅に程近い国道15号線をマウンテン・バイクで走っていた、堀之内のスケートボード・ショップ〈ゴールドフィッシュ〉の店長・大富寛は、反対車線の歩道を歩いている男の存在に気づき、ハッとした。それは、投獄されていると聞いていた、彼の幼馴染みだった。「あっちゃん、帰ってきたんだ!」。しかし、大富の記憶の中の、一緒にスケボーをやっていた笑顔が可愛い少年は、すでに地元の若い不良の間ではカリスマとなっていた。不在時も、取材をしているとさまざまな場所でその“A-THUG”という名前を耳にしたものだ。  例えば、川崎区浜町出身のラッパー、LIL MANは獄中のA-THUGと手紙のやり取りをしていたという。「『お前はこっちサイドに来るな。ちゃんとラップをやれ』って書いてありました。ストリートで生きていこうと思ってたけど、それで、もう1回、音楽をやってみようと思ったんですよね」。LIL MANがクロースオーヴァー・モデルのベンツを運転しながらそう話してくれたとき、A-THUGの楽曲を流していた彼のiPhoneに着信があった。「“FREE A-THUG”(A-THUGを釈放しろ)って歌ってる曲のヴィデオを撮るから、エキストラで来てよ」。野太い声が車内に響く。  声の主、TY-KOHは川崎市中原区出身で、現在の日本のラップ・シーンを代表するDJと言っても過言ではない知名度を持っており、A-THUG、そして、彼のグループであるSCARSのミックスCDも手がけている。「もともと、オレはアメリカのラップに夢中で、日本のラップにはまったく興味がなかったんですよ。でも、SCARSのアルバムを聴いたときに、『日本にもこんなにヤバいものがあるんだ!?』って衝撃を受けて。『しかも、川崎なんだ!?』っていう。人生を変えられましたね」  川崎の次世代を担うラップ・グループ、BAD HOPもSCARSに影響を受けたと語る。A-THUGの出身中学校の後輩にあたるT-PABLOWは、彼と初めて遭遇した際のエピソードを以下のように振り返った。「中2のとき、夜中、外に出たら、いくら川崎でもこんなに見たことないっていうぐらい警察がいて。慌てて駐車場に隠れたら、暗闇から手招きされた。『おい、警察すごかったか?』『はい、すごかったです』『あれ、オレを追ってるんだよ。お前は大丈夫だから注意を引いとけ』『わかりました』――そんな会話をしたのが、今思うとA-THUGさんだったんですよ」

ムショに何度も入ったハスラーが表現する音楽

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A-THUGは川崎区川中島出身。
「ようやく、自由になりました」。A-THUGはサングリアが注がれたグラスを呷り、微笑んだ。「仮釈放の期間が50日あったんです。で、身元引受人になってくれる知り合いもいたけど、頼りたくなかったし、家族もいないから、更生保護施設に入って。今はその期間も終わったのに、何かまだケツが重い。電話1本で指示すれば生きていけるものの、それに甘えてちゃダメですね。音楽を作っていかないと」。ここは、川崎駅前の鳥料理専門店。彼と同じ酒を頼んだが、その味は甘くて、しかし、ほろ苦かった。  A-THUGは、80年、川崎大師に程近い川中島で生まれている。「親父はサラリーマン。おふくろは保険のセールス・ウーマン。その後、病院の受付になったのかな。普通の家庭でしたよ。産んでくれてありがとうって思ってる。今はバラバラですけど」。そんな普通の子どもが、世間から見れば道を踏み外した――彼からすればほかでもない自分の道を見つけたのは10歳のときだ。「不良になったつもりは1回もなくて。ただ、今につながってると思うのは、小5で、お兄ちゃんが持ってたスケボーに乗りだしたこと。それまでは、サッカーや野球をやってたけど、興味がなくなって。友達も年上になって。寝るとき以外は家にいないような感じになっていった」。家を飛び出した彼をまず受け入れたのが、90年代の川崎スケート・シーンの最重要クルー〈344〉である。「あの頃、ストリートを知りましたね。みんな、昼間は学校に行ってたり、仕事をしてたり。でも、スケートをしてるときが本当の姿なんだなって」  やがて、A-THUGはスケート・ボードに続いて、ブレイクダンスに夢中になる。「〈ナチュラル・ハーブ〉っていうチームに入ってたんですけど、先輩に『ヒップホップのルーツはニューヨークだから』って言われて。で、中学を卒業した後は職人をやってたんで、金を貯めて、16のときに初めてあっちに行ったんです」。当時、ニューヨーク市は行政が治安の本格的な改善に乗り出したばかりで、まだまだ荒廃していた。「ジャパニーズでドレッドロックだから珍しがられて、からかわれましたね。『ガンジャ吸うのか?』って聞かれたんで、『もちろん、吸うよ』ってジョイント(紙巻)を出したら、『なんだこの細いのは!?』って笑われたり。それで、『いいか、オレたちはこうやってやるんだ』って人の家の階段に陣取ったと思ったら、ダッチマスター(葉巻)をベロベロなめて紙をはがし、タバコの葉っぱを捨てて10ドル分のネタを全部入れて、みんなで回しだして。『オレたちがこそこそやってるカルチャーがこっちでは普通なんだ!』って衝撃を受けました」  しかし、彼は渡米がきっかけでダンスから離れていったのだった。「その頃、ニューヨークではもうダンサーは少なくて、ヒップホップがまたギャングのカルチャーになってた。ノトーリアス(B.I.G.)とかがラジオでかかりまくってたり。それで、自分も日本に帰ったら、ドレッドをばっさり切って、ダンスをやめちゃう。ヒップホップの意味をもっと追求したくなったんです。ただ、日本のラップには興味がなかった。当時、まだダウンタウンにハスラーがいて、ラッパーもそういうことを歌ってて。でも、日本は違かったでしょう。いや、日本も繁華街に行けば売人はいたけど、ラップのシーンとはかけ離れてた。だから、リアルじゃないなって。とりあえず、オレがニューヨークから帰ってきた後、川崎ではみんな、ジョイントじゃなくてブラント(葉巻)で吸いだしましたね」  一方、ニューヨークから最新のストリート・カルチャーを輸入しつつも、彼はかの地と地元に共通のものを見出していた。「どの都市でも南側がヤバい。ブロンクスもクイーンズもそうだし、最近通ってるところだったらシカゴもそう。川崎も下に行けば行くほど……中学生でポン中とか、いっぱいいますよ。自殺したヤツもいるし、殺されたヤツもいるし」。そして、彼は日本でハスリング(薬物売買)を始める。もともとは、“SCARS”もそのチームの名前だったという。「プエルトリカンの友達に、『スカーフェイス』を観せられて、あの世界観を叩き込まれて。じゃあ、川崎でも『イラン人から買ってるんだったら、オレがプッシュするぜ』みたいな。22のときにはもう1000万以上持ってました」
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ダイニングバーの壁には、こんなフレーズが書かれたスウェットも吊るされていた。
 以降、彼はアメリカと日本を、ムショとシャバを行き来しながら生きてきた。「初めて捕まったのは23歳かな。人の罪をかぶって入った。バンかけられて(職務質問をされて)、一緒にいた友達を逃がして。パトカーをクラッシュさせたこともあるし、ニューヨークで捕まったこともある」。やがて、SCARSは、それまで日本のラップ・ミュージックが描いてこなかったアウトローの世界を歌うことで、音楽的にも評価を得ていったが、A-THUGのライフスタイルによってその活動は不安定にならざるを得なかった。「あるとき、好きな女の子ができたんで、ハスリングとかやめて、ジャマイカに一緒に渡り、海辺でガンジャだけ吸いながら生きていこうって、『カリートの道』のエンディングみたいな夢を見たこともあったんですけどね。長続きしなかった」  そして、彼は今も川崎にいる。「地元はいいですね。でも、本当は抜け出したほうがいいのかな。当局に目をつけられてるかもしれないし、スニッチ(密告者)もいるかもしれないし。その前に、またパクられるかもしれないし、死ぬかもしれないけど。もし、オレが死んだら、音楽を聴いてほしい。そこには、オレの世界が表現されてるから」。酔いが回ったせいか、場はセンチメンタルな雰囲気になっていった。「……ハスリングとかラップとかどうでもいいから、オレは愛が欲しいよ!」。彼は冗談めかして笑う。A-THUGの歌が人々を惹きつけるのは、孤独さと人懐っこさが同時に表現されているからだろう。それは、川崎のブルースだ。(つづく) ※文中に登場する「NUESTRO TERRITORIO」は、blackが偶数月に主催しているレギュラー・パーティ。 (写真/細倉真弓) 【第一回】 【第二回】 【第三回】 【第四回】 【第五回】 【第六回】 【番外編】 【第七回】 磯部涼(いそべ・りょう) 1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽や、それらと社会とのかかわりについて執筆。著書に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、 編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)、『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)などがある。

メリー喜多川・ジャニー喜多川の姉弟は、足利尊氏・足利直義兄弟 !? “お家騒動”として眺めるSMAP騒動の歴史学

――「週刊文春」誌の報道をきっかけにして2016年頭からメディアを騒がせ、ついにこの8月、グループ解散を発表したSMAP。さまざまな疑惑が噴出し、解散発表後もいまだに火がくすぶり続けているが、この騒動をただの芸能ゴシップとしてではなく、芸能界有数の大手プロ・ジャニーズ事務所が巻き起こした、血で血を洗う“お家騒動”として見立ててみたら? ジャニーズ事務所は、二頭体制の実力派武家? 飯島マネージャーは、その下で有能ゆえに抜擢されながら、謀反を起こした家臣? 歴史に学ぶ、SMAP騒動の原因、そしてこれからを紐解いてゆく。
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ファンの願いもむなしく、8月14日に解散を発表したSMAP。
 それはまさしく、戦国時代の“お家騒動”さながらであった。  2016年1月、日本中を騒がせた「SMAP解散」報道。「SMAP育ての親」ともいわれるジャニーズ事務所のマネージメント室長(当時)の飯島三智女史(59歳)が事務所を退社するに伴い、中居正広、稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾の4人が共に独立を企て、独立に反対する木村拓哉と分裂危機にあると報じられたのだ──。  SMAPをここまで導いた飯島女史は、入社当初は単なる電話番だったという。ところが、ジャニーズ事務所がジリ貧となっていた90年代初頭のアイドル氷河期に、鳴かず飛ばずだったSMAPを担当、現在のポジションにまで育て上げ、事務所に莫大な利益をもたらしたという。その手腕がジャニー喜多川社長からも認められ、11年からは山下智久、Kis-My-Ft2、A.B.C-Zのほか、ジャニー氏がプロデュースしたSexy Zoneをも担当することとなっていく。  ジャニーズ事務所は、現在84歳のジャニー喜多川氏が社長としてタレントの発掘・プロデュースを行い、89歳の姉・メリー喜多川氏が副社長として経営実務を担う、二頭体制の組織であることはよく知られた事実。しかし社長も副社長も高齢ゆえ、おのずと近年では、“跡目争い”が社内外で意識され始めていた。ジャニー氏には子どもはいない。そこで有力候補とされていたのが、メリー氏の一人娘・藤島ジュリー景子氏(51歳)である。  順当にいけば、ジュリー氏が後を継ぐことになるのだろう。しかし、飯島女史の台頭は、ジュリー氏をおびやかした。飯島女史は、担当するタレントとSMAPとのバーター出演を盛んに行い、“飯島派”を形成。ファンの間では、「飯島派のタレントは、“ジュリー派”のタレントとは共演できない」なるウワサがささやかれ、徐々に各種メディアで両者の対立疑惑が報じられるようになっていく。  盤石と思われた飯島女史の形勢に陰りが見え始めたきっかけは、「週刊文春」(文藝春秋/15年1月29日号)におけるメリー氏のインタビュー記事だといわれている。メリー氏はそこで、「私の娘が(会社を)継いで何がおかしいの?」と憤慨し、次期社長は娘のジュリーだと明言。さらに、突然飯島女史を呼び出し、「SMAPは踊れない」「飯島に踊りを踊れる子を預けられない」と侮辱した上、「もしジュリーと飯島が問題になっているなら、私はジュリーを残します。自分の子だから。飯島は辞めさせます」と記者に宣言したのだ。  我が身を顧みず社の立て直しに貢献していながら、恥をかかされた形となったこの一件によって飯島女史は、前述の独立画策へと動き始めたともいわれている。それはおのれを取り立ててくれた恩義ある主君への謀反。いわば下克上とさえ呼べるものだったのかもしれない──。  歴史をひもとけば、古今東西、同様の例はいくらでもあるだろう。しかし、その結末はさまざまだ。血縁に勝てず敗れ去った者、実力が血よりも重んじられ頂点を極めた者、醜い内紛の末にすべて崩壊してしまった組織──。  翻って今回のSMAP騒動の顛末は、ご存じの通りである。1月18日、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)で5人そろって生出演、メンバーが世間に“謝罪”するというパフォーマンスで、一旦その幕が下ろされることとなった。  このとき草彅は、「今回、ジャニーさんに謝る機会を木村くんがつくってくれて、いま、僕らはここに立てています。5人でここに集まれたことを、安心しています」とコメント。独立を企てたとされる、木村以外の4人は、木村の勧めでジャニー氏に頭を下げ、飯島女史には付いていかないことを誓ったというわけだ。そして飯島女史は、ひっそりと2月に退社。実力者が血に負けて、敗れ去ったのである──。  芸能史に残るこのSMAP騒動を、単なる芸能ニュースの枠を超え、過去に幾度となく繰り返されてきた歴史上の出来事になぞらえて比較してみるとどうだろう。そこから、謀反がうまくいくケース、逆にお家騒動を未然に防ぐ防御策などのパターン分析、あるいは教訓めいたものさえ導出可能なのではないだろうか?  そこで本企画では、歴史の専門家や経営、法律のプロに、今回の一件をどのように捉えるべきか、取材を重ねていく。飯島女史はなぜ敗れたのか? SMAPの面々はなぜ謝らなければならなかったのか? その問いに答えてくれるのは、芸能記者ではない。人が織り成してきた人間ドラマの数々──つまり、歴史なのである。 (文/安楽由紀子) 【2】ジャニーズ事務所と歴史上のお家騒動を徹底比較!こうすれば解散を回避できた!?(8月19日公開予定) 【3】SMAPの女性マネージャーはなぜジャニーズへの“謀反”に失敗したか?(8月19日公開予定) 【4】兄弟仲が良かった足利家とジャニー家の類似点を探り、SMAP独立失敗の原因を探る(8月19日公開予定)

錯綜する「有吉・夏目 熱愛報道」の舞台裏――交際の事実はあるが…事務所からの圧力でマスコミ沈黙か?

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テレビ朝日『マツコ&有吉の怒り新党』HPより
 24日に日刊スポーツがスクープした有吉、夏目の交際報道だが、ビッグカップル誕生にもかかわらず、当日のワイドショーは完全無視を決め込むなど異様な展開を見せている。2人の交際、妊娠の有無は果たして事実なのか。 「昨年から交際の噂があり、写真週刊誌をはじめ、各誌が2人の自宅を張り込みましたが、ツーショットどころか、互いに異性の気配すらありませんでした。しかし急に週末にかけて夏目が妊娠しているという怪情報が流れ、各誌裏取りに動きましたが、確証が掴めず見送りに。そんな中で日刊スポーツがスッパ抜いたので、皆驚き、『やられた!』と悔しがっています。もっとも日刊の記事では双方の事務所からのコメントはなく、不可解な点も多い。現在も各誌が取材に動いています」(週刊誌記者)  ビッグニュースでありながら、テレビは腫れ物に触るかのように熱愛騒動をスルーしている。 「夏目が所属している田辺エージェンシーの上層部から各局の編成に『一切報じるな』と当日の早朝に連絡があったようです。田邊社長のマスコミに対する影響力は絶大で、テレビ局にも睨みを利かせています。現場レベルではどうしようもなく、各局のワイドショーはだんまりを決め込むことになりました。田辺サイドがマスコミ報道を仕切っているため、有吉の所属する太田プロもコメントすら出せない、というのが実情です」(ワイドショー関係者)  田辺サイドからの動きがあるまで、テレビは静観することになるのだろうか。 「現在進行形か否かは不明ですが、2人が交際していたのは事実のようです。日刊スポーツの報道にあるように本当に妊娠ともなれば『あさチャン!』の司会をしている夏目への影響は大きく、スポンサーをはじめ関係各所との調整にも時間がかかります。また妊娠の事実がなければ、交際自体を揉み消す可能性もなくはない。それほど田辺サイドはナーバスになっており、今後の対応を含め、現在双方の事務所が話し合っています。事務所側は、今後子飼いのマスコミを使って情報戦を仕掛けてくる可能性もあります。ワイドショーは腰が引けているので期待できず、週刊誌がどう報じるか、腕の見せ所といったところでしょう。」(前出・週刊誌記者)  水面下での動きも活発化しているようだ。今後の動向に注目しよう。

【橋本マナミ】中国の大河ドラマ『武則天』に触発され…ついに立候補を決意す!?

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(写真/黒瀬康之)
――総製作費56億円を投じたという中国の大河ドラマ『武則天-The Empress-』。この作品のヒロイン武則天を、“国民の愛人”橋本マナミはどう見るのか……!?  中国歴代王朝の中で最も華やかだったとされる唐の時代(西暦618~907年)。その第2代皇帝・李世民の統べる後宮に入宮した武則天は、のちに中国史上唯一の女帝として君臨する。彼女の数奇な生涯を壮大なスケールで描いた中国ドラマ『武則天-The Empress-』が、このたびDVD化される。  日本では「則天武后」という名でも知られる武則天は、その功績をたたえられる一方で醜聞も多く、中国三大悪女のひとりに数えられてもいる。しかし本作では、この悪女イメージを刷新。主演にアジアのトップ女優、ファン・ビンビンを迎え、武則天の“純愛”に光を当て、陰謀が渦巻く宮中を、王への愛と自らの才気を武器にサバイブする“美しすぎる女帝”の物語へ昇華させている。  そんなドラマ『武則天』を、下積み時代を経て「国民の愛人」として大ブレイク、放送中のNHK大河ドラマ『真田丸』では細川ガラシャ役を務めるなど、武則天と同じく女性のサクセスストーリーを体現している橋本マナミさんはどう見るのか? 「まず、武則天役のファン・ビンビンさんをはじめ出てくる女性たちがとにかくきれいでセクシーで、衣装もとことん豪華なので、それを眺めているだけでも楽しいですね」  本作では、そんな美女たちが皇帝の寵愛を得ようと策略をめぐらす姿も生々しく描かれている。橋本さんも、おじさまキラーなイメージがあるが……。 「私はこう見えて、自分の実力を評価されたいし、権力のある男性に媚びて仕事を取る行為は大嫌いなんですよ!(笑) 武則天は李世民の寵愛を一身に受けるわけですが、彼女に打算はありませんし、むしろそれは彼女の才能を高く買われた結果なんですよね。だから、そんな彼女を応援したくなりました」  ドラマでは、武則天を引きずり下ろすべく、宮中での裏切りや騙し合いもえげつなさを増していくが、芸能界でもそうした女同士の足の引っ張り合いは珍しくないという。 「ある事務所に占いが得意な女の子がいたんですけど、その子はほかの女性タレントの手相を見ながら『恋してるでしょ?』みたいなノリで彼氏の有無や恋愛の悩みを聞き出して、それを全部事務所の偉い人に密告していたんですよ。その事務所は恋愛禁止だったので……」  まさにドラマの中でも、「唐の世は3代で滅び、女帝武氏が取って代わる」という予言が流布し、武則天が窮地に立たされる場面がある。芸能界にしろ宮中にしろ、周りがライバル=敵だらけという状況下では、何が致命傷になるかわからないのだ。 「だから、私は同じ業界にいる人には気を許さないようにしてるんですよね。おかげであまり友達ができないんですけど(笑)。このドラマでも、武則天の親友の女の子が、李世民との仲を深める武則天に嫉妬して反目するようになってしまうんです。根は悪い子じゃないんですけど、異性や利害関係が絡むと、ねえ」  ところで、武則天は国のトップとして政治の世界でも辣腕を振るったが、橋本さんにも日本のトップに立ちたい、なんて野望は……? 「あはは(笑)。まあ、いまの世の中に対しての不満は当然ありますよ。実は最近、時事問題についてコメントを求められることが増えているんですけど、政治の問題ってたいてい過去からつながってるじゃないですか。だからいま、家庭教師をつけて政治史を教わっている最中なんです」  ならば、ゆくゆくはタレント候補として出馬する可能性も? 「誰も私に投票なんてしてくれないですよ! だって、『国民の愛人』ですよ?(笑) でも、もし私が政治家を目指すとしたら、それこそ武則天のような覚悟としたたかさが必要でしょうね。そういう意味では、国を治める人間の心構えみたいなものも、このドラマから学べるかもしれませんね!」
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『武則天-The Empress-』 中国史上唯一の女帝としてその名を轟かす武則天。一介の側室だった彼女は、いかにして時の皇帝・李世民に見初められ、最高権力者の座を手に入れたのか? 中国本国では2015年に放送され人気を博した愛と野望渦巻く歴史エンタテインメントが、日本でもついにDVD化。16年9月2日よりDVDセットが各1万6000円にて順次発売(同時レンタルも開始)。発売・販売/NBCユニバーサル・エンターテイメント (写真上)10代から80代までの武則天を演じきったファン・ビンビン。1981年生まれで、ハリウッド作品にも出演している。(写真下)チャン・フォンイー演じる唐王朝第2代皇帝・李世民と武則天。彼の寵愛を受け、武則天は徐々に王宮内での地位を獲得していく。 はしもと・まなみ 1984年8月8日、山形県生まれ。身長168センチ。97年デビュー。14年の写真集『MANAMI BY KISHIN』(小学館)で「愛人にしたい女」「平成の団地妻」としてブレイク、以降バラエティ番組、ドラマ、映画、CMと幅広く活躍。

【哲学者・萱野稔人】Kindle版、Kindle Unlimited配信記念インタビュー&“活字と電子書籍の過剰供給”の哲学的解釈

 Amazon.comによるKindle Unlimitedのサービスが開始された。哲学者・萱野稔人氏は、「月刊サイゾー」の連載において、『複製技術時代の芸術』(ヴァルター・ベンヤミン/晶文社)を引用しながら、複製できる芸術の登場により、書物などの作品からアウラが消滅する事を論じている。  ここでは同氏の著作『哲学はなぜ役に立つのか?』のKindle版、そしてKindle Unlimited配信を記念して、特別インタビューと同テーマを扱った連載を再録したい。
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『哲学はなぜ役に立つのか?』好評発売中
――書名は『哲学はなぜ役に立つのか』というタイトルですが、そもそも哲学って具体的に何かの役に立つことはあるのでしょうか。 萱野 多くの人は哲学のことを、プラトンやアリストテレスに始まって、デカルトやヘーゲル、カントなどの哲学者がどんな思想を持っていたのかを学ぶもの、というイメージを持っています。それだと哲学が役に立つという感覚は確かにしないですよね。ただ、当然ですが、哲学はそんな哲学史の知識にとどまるものではありません。哲学はあらゆる分野に広く実践できるものなんですよ。 ――普通に暮らしていて哲学を意識することはほとんどないですが……。 萱野 どんな問題でもいいのですが、例えばクオータ制の導入について賛否の分かれる議論がされていましたよね。これも哲学的な問いといえます。 ――クオータ制というのは、女性の社会進出を促すためにリーダーや管理職などに女性が占める比率を決めて優先的に割り当てる制度ですね。政府は2020年までに社会のあらゆる分野で、指導的地位に女性が占める割合を30パーセント程度にするという目標を掲げています。 萱野 これは、限られている指導的地位や管理職のポストをどのように割り当てれば、平等で社会的な正義にかなうものになるのかという問題です。現在は社会進出している男性の数が女性に比べて圧倒的に多いので、能力だけを基準にすれば必然的に男性の占める割合は高くなります。それならば男女平等の実現のためにも優先的に女性を割り当てるべきだという主張があり、一方でクオータ制によって本来なら管理職になる能力のある男性がポストから外されるのであれば男性への逆差別になるという主張もあります。 「サイゾーpremium」で続きを読む