元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の31回目! 今回は1990年に「今世紀最大の美女」「第二の山口百恵」のキャッチコピーでアイドルデビューした後、『マネーの虎』(日本テレビ)にて華麗に実業家に転身。現在は健康総合プロデューサー、歯科医院経営者、好感度コミュニケーション講師として活躍中の揚田亜紀さんが来てくれました!
──揚田さん、このたびは本当にどうもあり……
揚田 いえいえ! このたびは天下のサイゾーさんにお呼びいただいて、本当にありがとうございます!
──えっ!? サイゾーが天下取ったことなんてありましたか?
揚田 私の中では神ですよ! だってサイゾーなんていったら、もう、クリックの神じゃないですか!? クリックせざるを得ないでしょ? サイゾーといったらクリック!!
──この連載も、たくさんクリックしてもらえるように頑張ります! いやぁ、今回は揚田さんがいらしてくれるということで、前もってご友人の宍戸留美さんに、どんな方か聞いておいたんですよ。そしたら「すごい美人だけど、よくしゃべるよ」って。
揚田 もうね、世の中のよくしゃべる人をマシンガントークって呼ぶのは古いよ、そういう手垢のついた表現は。
──は、はい……(言ってないよ)。
揚田 マシンガントークって、なんかさ、理性もなしに、しゃべりたいからしゃべりたいままに人の会話を無視してしゃべる、飲みたいときに飲むし食べたいときに食べる、性にはだらしがない、そういうしょうもない自堕落な奴みたいじゃない?
──さすがに、そこまで思ったことはないですよ!
揚田 だから、これからは“彩りトーク”とか言ってくれないかな。“華やかトーク”とかさ。そういうふうに表現できたら、その人、好感度が上がると思うんだよね。
──今日も出だしから相当お口が彩ってますね! 今回はインタビューとグラビア撮影ですが、グラビアはかなり久しぶりになりますか?
揚田 久しぶりもなにも、オファーがないから!!(笑) 私だってアイドルのときにグラビアやりたかったんですよ!! 一度だけ水着になったことがあったんですけど、太りすぎてて反響がないどころか、その数カ月後に「Momoco」(学習研究社、現・学研ホールディングス)が廃刊になったんだから!!(笑)
──伝説のアイドル雑誌が、揚田さんの水着で廃刊に!
揚田 私がアイドルだったと証明できる唯一の雑誌だったのに……ちぎれるくらい持ち歩いてます! 自分が出てる号は、Amazonで追加して買ってるからね。もうボロボロになっちゃって、顔とかもすり切れちゃってるから。どなたか原本お持ちでしたらご提供くださ~い、あははは!
──お気持ちわかります! 私もデビューした年の本とか死ぬほど集めました! 揚田さんはご自分でいろいろできる方だから、大人の言うことを聞かなきゃいけないアイドル時代は窮屈じゃなかったですか?
揚田 当時から「自分はアイドルのプロじゃない」と思ってたから、プロの人に任せようと思って、言われたことは全部やってましたよ。相手は芸能事務所、プロモーションのプロだから、「髪の毛を切りなさい」って言われたらすぐに切ったし、「痩せろ」って言われたら……うまく実行はできなかったけど、やろうとはしてましたよ。ダイエット本まで出したくらいですからね。『やせるが勝ち!?』(1996年/実業之日本社)っていう、何百種類ものダイエットの失敗談の列挙という……普通は成功談を書くんだけど、痩せなかったからね~。アイドル界の小錦って言われてたのよ。
──えっ! 本当に!?
揚田 そっ、衣装が入らなくてね。忘れもしない「モモコクラブ」の最初のグラビア撮影のときに、足が太すぎてスキーの靴が入らなくて、無理やり履いたらパッチーンって留め具の部分に肉が挟まって「イギャギャギャギャギャ~!!」「うわ、アイドルの揚田さんの肉が挟まっています!」って、大変なことになったのよ! 骨格がアイドルに向いていなかったのね(笑)。
──そんなバカな! キャッチコピーは「第二の山口百恵」なのに?
揚田 あれは……もう釣り広告みたいなもんでね。私のキャッチコピーは「第二の山口百恵」と「今世紀最大の美女」だったの。ホリプロの山口百恵を育てた人にスカウトされたからなんだけど、まぁ顔だけは痩せてたかもね……。顔だけのプロフィールでスカウトして、会ってみたらデブった三頭身で大変だったでしょうね。しまいには当時の社長が「そんなこと(第二の山口百恵とか)言ってない」って言いだしてさ(笑)。
──もう、クリック詐欺みたいですね。
揚田 サイゾーみたいなもんだよね。あ、サイゾーは詐欺じゃないね、クリックリアル! サイゾーはクリックリアル!
──でも、アイドル業は相当儲かったんじゃないですか?
揚田 アイドル時代は、むしろ親に借金してるから。アイドル時代なんて売れるわけないし貧乏話がいっぱいですよ。食べ物も留美んちの冷蔵庫からかっさらってたんだから。おなかすいて、留美んちの冷凍庫のアイスというアイスを全部食べまくって怒られたり、あと近くのパン屋さんでパンの耳をこんもりたっぷり30円で買って、あまりにそればっかり食べてたから、店員さんに「何のペット飼ってるんですか?」って聞かれて、「手乗り文鳥16羽です」って答えてみたり。それくらい貧乏だったの。だから、実質稼いだのは実業家になる手前くらいじゃない? そこからは年収200倍だよ。まぁ元が貧乏だったからなんだけどさ(笑)。
──200倍はすごい!! 『マネーの虎』効果ですかね?
揚田 アレでやっぱり人生変わったなぁ。私の代表作『マネーの虎』ですから!
──『鶴ちゃんのプッツン5』(日本テレビ系)じゃなく!?
揚田 人生初のプレゼンテーションで、1,435万円の投資を成立させましたからね。
──健康ドリンクバーの店ですね! 『マネーの虎』で開業の資金源を獲得したにもかかわらず辞退されたと聞いたんですが、それはなぜ?
揚田 その後すぐに番組が終わることになって、追跡取材もないので、投資家側のメリットが変わってくるでしょうから、投資を申し出てくださった方にもメリットがなくなったら申し訳ないし、「私に投資しようと決めてくださったお気持ちに大変感謝して、お気持ちだけで、ありがとうございました」って、こちらから白紙に戻させてもらったんです。1,435万円のプレゼンを成立させたってたことが、後に大きな話題となりましたが。
──その後、開業に至るまで、資金源はどうされたんですか?
揚田 自分の貯金や、親から借りたり、バイトしたりして出しました。
──自腹!?
揚田 1,435万円っていうのは、がらんどうからお店を作って、ランニングコストとかも含めて、「たとえ赤字でもしばらくは維持できます」っていう額だから、居抜きで出店したら全然もっと安くできたわけよ。
──自腹で麻布十番に店なんて、すごすぎますよ!! それから10年ずっと人気店で、銀座に2号店まで出したのに、なぜ閉店させてしまったんですか?
揚田 なんか、欲が出てきたんだろうね。だいたい10年区切りでアイドルもやったし、実業家にもなったし、お店も2軒やった。やりきったの。そしたら今度は「女の子として生きてみたい」と思ったんだよね。17歳の頃からずっと普通の女の子とは違った生活をしてきたから、女の子としての私は、17歳で時間が止まってるわけよ。自分の違う可能性を試したくなったんだよね。お店をやっていると、「バイトの子、大丈夫かな」「食べ物は大丈夫かな」「お客さん楽しんでるかな」って、24時間、本当に休まるときがなかったの。もちろん最高に楽しかったけど、やっぱり責任もあるからね。そこで「なんにもない人生ってなんだろう」と思って、全部リセットさせてもらったの。そうして考えたのが「趣味じゃなくて、仕事として今、自分がやりたいことってなんだろう」──それが、講師業だったんだよね。それで、“好感度コミュニケーション”を開発したんです。
──へー、なんで急にコミュニケーション講師に?
揚田 芸能っていう好感度が命の世界と、接客っていうコミュニケーションが物を言う世界で一番学んだことは「正しいことを言っていても嫌われる人と、正しくなくても好かれる人がいる」ってこと。そして、その違い。私なら、それを人に論理的に教えられると思ったの。そもそも芸能界にいるときも芸能人向けにレッスンしていたので。「好感度を十分に引き出すためにはどうすべきか。今、あなたが言った一言が、なぜ感じが悪かったかというと……」って。そして魅力的な表現の仕方を教える。だから講師業は、実は、10年以上前からやってるのよ。「仕事はできるのに、人から好かれない」とか「正しいことを言っているのに、なぜか友達がいない」とか「こんなに一生懸命やってるのに、すべて裏目に出る」とか、そういう空回りって、すごくかわいそうだと思う。私が独自に研究を重ねて作り上げた、特殊な“揚田メソッド”では、これらがすべて解決できるんです。
──“揚田メソッド”って何!? えっと、いろいろと気になるんですけど、私、人からよく「壁がある」って言われるんですよ、どうしたら人から好かれやすくなりますか?
揚田 反射。私が教えているのは反射コミュニケーションだから、反射で好感度をキャッチできるようにしてるの。
──は、反射で好感度をキャッチ……?
揚田 座学で「好感度とは~」「人から好かれるためには~」なんてやっても、頭でできた気になって終わり。まったく体に身についてない。論理的な解説はもちろんしますけど、実践にかなうものはないから、私のレッスンでは四の五の言わずに体で教え込むのよ。
──やってみたいやってみたい! 仕事がうまくいかなかったり、婚活がうまくいかなかったり、家族間でうまくいっていないサイゾー読者と、好感度を上げたい私のために“揚田メソッド”を教えてください!
揚田 教えられないよ! だって普段それを、お金もらって教えてるんだもん! 生徒さんに悪いじゃん!(笑)
──じゃあ書かないから、教えてよ!!(真顔)
揚田 えー……じゃあちょっとやってみせますけど、まず……(以下、企業秘密)……。
──……おお!! すごい!! なんだかさっきよりも、ずっと揚田さんのことが好きになってきた……!!
揚田 これが揚田流・特殊メソッド“ひなぎき”よ……!
──“ひなぎき”とは?
揚田 それはね、ひなのように愛くるしく、そしてひな祭りのひな人形のように慎ましく……あれ? おひなさまのひなのように慎ましく……だったかな、まぁどっちでもいいんだけど、赤ちゃんのように愛くるしく、ひな人形の、あ、ひな祭りのおひなさま……だとカブってるかな、あれ? ひな祭りの……赤ちゃんのひなの……(省略)ちょっとどうにかして! 文字のプロでしょ!!(笑)
──わからないですよ!! 赤ちゃんみたいに愛らしく、ひな人形みたいに慎ましくってことですか? でも、揚田さんって、決して慎ましいタイプではないですよね。
揚田 はぁ~~~~~!? 私という存在を全部ひっくるめると慎ましさになるでしょうよ!! そもそも本当の慎ましさって? って、思うんだよね。本当の慎ましさって、自己主張の仕方が慎ましい人だと思う。人は誰でも自己主張をしたいものじゃない? でも自己主張を押し通すと嫌われる。控えめすぎると相手に捨てられる。私がよくしゃべるのは、相手の主張とのオトシドコロを見つけるために言葉のジャブを多く打つ。この配慮! だから私は慎ましい!
小明・宍戸留美・編集 ……(無言)。
揚田 あ、声を張りすぎってのは100%慎ましくないね(笑)。
──うん、そうですね、うん……。あー、えっと、“ひなぎき”をはじめとした“揚田メソッド”の講座を受けた生徒さんたちは、どんな感じで卒業していかれるんでしょうか?
揚田 すごいよ。みんな「人生で初めて、こんなこと教えてもらった!」「具体的でわかりやすい」「こんなに楽しいと思わなかった」「気づいたら体で覚えてた」って。あと、私の授業を3時間受けた人が言うには「職場で、いろんな人から話しかけられるようになりました」「人から信用されるようになった」「誤解が解けました」とか。ビジネスマンは結果、出世や売り上げに反映されるので好評ですね。
──すごい効果!! 一般の人は、どこに行けば講座を受けられるんですか?
揚田 基本は企業とか法人と組んでやってるけど、一般参加の方は私に直接メールして! マンツーマンでやった方が効果が早いからね!
──でも、お高いんでしょ?
揚田 ピンキリ!!
──気になった方は是非ブログから連絡を! ……あっ、話は変わるんですが、ご結婚おめでとうございます! 歯医者さんのご主人との出会いはどちらで?
揚田 出会いはね、旦那が勤めていた大学病院で診てもらったのが出会い。で、惚れ込んだのは、みんなでお食事をしてる時。何かのタイミングで「亜紀さんがいない時間、僕がマワシテおきますよ」って、業界用語を使ったのよ。それで後から注意してあげたわけ。「よく、芸人さんの真似する素人さんいるけど、あれ、本当にかっこ悪いからやめたほうがいいですよ、自分の言葉に変えてオリジナルで話したほうがカッコイイですよ」って。そしたら「違う。僕は芸人さんの真似をしたのではなくて、あの状況を次に進めたかっただけなんです。ただ、進めるにあたり、適した言葉が僕のボキャブラリーにはなく、見当たらなかったので、芸人さんの言葉を借りるしか思い浮かばなかった」って。
めちゃくちゃ自分の言葉で話せる人だなあーーって(笑)。それからリスペクトするようになり、仲良くなった時、私の“特殊メソッド”に興味を持って、「亜紀さんはすごい!」って私に惚れ込んだんだって(笑)。
──へー!
揚田 「こんな話は聞いたこともない」って感動してね……。旦那、学者なのよ。歯学博士号を持ってるから、研究でも論文ガンガン書いてる人で、歯医者もできるけど、私は研究者だと思ってる。そういう勉強してる人って、コミュニケーションの勉強はしてきてないから、私というものをナマで見て、びっくりしなんじゃない? こんなにキレイで、面白くて、人気者は初めて見たんだって! もんのすごいキレイだったらしいんだよね。もう輝いてたんじゃない? こんなにキレイで(3回目)、キレのある格言も持っていて、ビシッと論理的に話もできて、何より愛嬌もあるしね! 世の中の魅力という魅力が、全てバランスよく揃ってたんだと思う。性的な魅力だけなかったけど、彼は別にそこは求めてなかったから!
──確かに揚田さんはすごい美人です! けど、こんなに自分で自分を褒める人、初めて見ました!
揚田 え、私、自分で言ってる? でも美人だよね! 私ね、配置が良いんだよ。良くできた顔だって言われるの! シンメトリーっていうの? クリエイターとかの集まりがあると、すっごい好かれるんだよ、クリエイターって黄金比とか求めるから、芸術家とクリエイターに囲まれてじっくり顔見られながら「ここの比率がいい」とか会議されて、「ギリシア彫刻くらいしかないね、揚田さんの顔に並ぶのは」って……言われてたと思う!(笑)
──でも、アイドル時代にグラビアはやられなかったんですよね。
揚田 だからオファーがないから!!(泣)
──ご主人といえば、揚田さんは茨城県に歯科医院「ヒナ歯科&ケアクリニック」を開業されましたが、ご主人は、ご実家が茨城県なんですか?
揚田 そういうわけじゃなく、旦那が以前、茨城県で勤務していたときに地元の方にとてもよくしてもらったらしく、茨城が好きになったんだって。だから、東京の最新技術と設備を、茨城にそのまま持っていったんです。大学病院と同じレベルの治療が受けられるんだよ。本当に「こんなに明るくポップで、おしゃれで、腕がいい歯医者は初めてだ!」って言われるの。
──えぇ~? 明るくポップ~? 歯医者がですかぁ~?(怪訝そうな顔で)
揚田 「好きなものを、なんでも食べてもらいたい」「女性を美しくしたい」という思いで旦那は治療してるみたいよ。歯医者に限らず、医療って閉ざされたイメージがあるじゃない? 歯を治す場所なのに行きたくない、なんて元も子もないじゃん! 行きにくいなんて、最も思われちゃダメな場所なんだよ。私が健康ドリンクバーの店を10年やってたときに、青汁っていう苦くて飲みにくいものをポップにのし上げたんだよね。青汁ビール作って、青汁ラーメン作って、青汁焼酎つくって……みんなが今まで好きだったものにブレンドすることによって「あ、青汁って美味しい飲み方あるじゃん!」って気づいてもらって、もんのすごいヒットしたわけ。そうやって健康業界をポップにしたから、今度は医療業界をポップにしようと思ってるの。歯医者って、だいたい「痛くなったら行く」でしょ? それから「痛くなくても(メンテナンスで)行かなきゃ」とか。でも、うちは「痛くなくても行きたい」って歯医者なの。だから、うちには歯医者恐怖症の患者さんもいっぱい来るよ。もう、入った瞬間にパァァって明るいから、すごく入りやすいし、腕もいいしね! おかげさまでバカウケしてます!(笑) ちなみにスローガンは「楽しいから笑うんじゃない! キレイな歯を見せたいから笑うんだ!」あ、運がよければ私の「魅力的な笑顔の講習」も受けられますよ!
──揚田さんの歯医者なら、笑気ガスいらずかもしれない! ぜひ行ってみてくださいね! ところで、揚田さんはいつもポジティブでバイタリティにあふれていますが、ストレスはないんですか?
揚田 やりたいことをやっているからではなく、やりたいことが世の中から需要があって、さらにそれがお金になってるから、奇跡のストレスフリーなの!(笑) あ、この間、J-WAVEの秦基博さんの番組に呼ばれたの。テーマが『最もストレスのない人生を送ってる人』で、ゲストが蛭子能収さんと揚田亜紀。
──(爆笑)!!!
揚田 そこで「奇跡のストレスフリー」って言ったら秦さんも「え? 奇跡のストレスフリー?」って。言葉を最も大切にする作詞家の人がワードで引っかかったんだから! つまりシンガーソングライターに、私のキーワードを伝授したってことでしょ? ……どうしよう、新曲に使われたら(笑)。
──ネットで「秦さん作風変わった」って叩かれるかな……。
揚田 まぁ、「しゃべり方にキャラがありすぎて内容が耳に入ってこない」「早すぎて何言ってるかわからない」とも言われたけどね!
──トークが彩りすぎてたのかな! 本日は素敵な“彩りトーク”、どうもありがとうございました!!
(取材・文=小明/撮影=宍戸留美)
●あがりた・あき
1972年6月7日、和歌山県生まれ。B型。
1990年、“第二の山口百恵”としてアイドルデビュー。『笑っていいとも』(フジテレビ系)、『鶴ちゃんのプッツン5』など、バラエティー、歌、ドラマ、映画、レポーター、著書『やせるが勝ち』など、多岐に渡り芸能活動をへた後、30歳、プレゼンテーション番組『マネーの虎』にて、1,435万円のマネー成立、実業家に転身。銀座と麻布十番で「健康ドリンクバー」を経営するや、たちまち人気店となり、メディアに多数とりあげられる。同時に、タレント新人育成と、お店のスタッフ研修で培ったコミュニケーション技術を独自のメソッドとして作り上げ、現在は法人を中心にOLからビジネスマン、経営者、医師など幅広い層を対象に「好感度コミュニケーション講座」を行う。2014年10月より歯科医院経営。
揚田オフィシャルブログ 揚田亜紀のアガリタアガリタ
http://ameblo.jp/akinokihansamu/
ヒナ歯科&ケアクリニック
http://www.hina-shika.com/
揚田お問い合わせ
agaritawork@gmail.com
(担当 鈴木)
●ししど・るみ
1973年、福岡県生まれ。1990年にアイドルデビュー、18歳でフリーアイドルになり現在まで様々な分野で活動中! フランス、ドイツ等でもライブを行い音楽活動で高い評価を得ている。
ルミネッセンス
形態:8曲入り
定価:¥2,500(税込)
品番:SNDL-0003/JAN:4514306011869
レーベル:sundaliru
公式ブログ http://s.ameblo.jp/sundaliru/ ●あかり 1985年、栃木県生まれ。02年、史上初のエプロンアイドルとしてデビューするも、そのまま迷走を続け、フリーのアイドルライターとして細々と食いつないでいる。『卑屈の国の格言録』(サイゾー)、『アイドル墜落日記 増量版』(洋泉社)、DVD『小明の感じる仏像』(エースデュース)発売中。ブログ「小明の秘話」<http://yaplog.jp/benijake148/>シングル「君が笑う、それが僕のしあわせ」発売中<http://www.cyzo.com/akr/>。










●小明(あかり)
1985年、栃木県生まれ、千葉県育ち。02年、ホットドッグプレスドリームガールズ準グランプリを受賞し、デビュー。写真集『エプロン宣言』を発表するなど、グラビアアイドルとして活動していたが、06年に所属事務所を退社。以降、フリーのアイドル兼コラムニストとして活動しつつ、ゾンビアイドルとしてテレビ・映画に出演中。著書に『アイドル墜落日記』(洋泉社)、キングオブコメディ・高橋健一との共著に『卑屈の国の格言録』(サイゾー)。ネットテレビ『小明の副作用』(サイゾーテレビ)出演中。


元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の29回目! 今回はセイントフォーの元メンバー、声優としては『デビルマンレディー』の不動ジュン、『カードキャプターさくら』の大道寺知世、『妖しのセレス』のセレス……などなど、数え切れない作品で活躍中の岩男潤子さんが来てくれました!
――この連載についに元セイントフォーが来てくれました……! 岩男さんが「いわお潤」としてセイントフォーの正式メンバーになってから、どれくらい活動されたんですか?
岩男 1年ぐらいです。
――けっこう短かったんですね。
岩男 私が入ったときには、もう解散時期も決まっていて、その解散に向けてのスケジュールはびっちりだったんですけど、まだ解散することはお知らせしていない状態で。わずか1年ぐらいだけど、精一杯がんばろうという気持ちでした。
――終わることがわかっているなかでやるっていうのは、心境としては複雑じゃないですか?
岩男 でも、アイドルの活動っていうのは、年齢もそうなんだけど、ある程度決まっているものなのかなって。オーディションに受かったときは、正直、アイドルとしてデビューすることを目標としていなかったんです。当時は、朗読とか、童謡やバラードを歌う歌手になりたくて、でも、それをどうすればいいのかわからなくて……。そんななかで、1番最初に受けたオーディションがセイントフォーだったんです。はじめに「解散時期が決まっている」と説明はされたんだけど、「もしかしたら延びるかもしれないし」という思いもありましたし。でも、“あること”が理由で辞めてしまったので、解散ライブには出席できなかったんですけど……。そのあたりのことは、この度のフォトエッセイで初めて書いてあるんです。
――フォトエッセイ『voice-声のツバサ-』(ジービー)、すごく綺麗な装丁で写真集かと思ったんですが、エッセイ部分では、いじめに遭ったり、悪い大人に騙されたり、ストーカーに遭ったり、闘病したり、かなり壮絶で驚きました……。そういえばセイントフォーは元メンバーの半数以上が脱いでますし、心中お察しいたします。解散当時、岩男さんはまだ高校生ですよね。
岩男 はい。17歳のときでした。解散ライブは出られないけれど、通っていた定時制高校の卒業式はきちんと出席して、本来の目標に向かって、また進んでいきたい、勉強し直したいと思って、アルバイトをしながら高校に通っていましたね。当時は、お笑い芸人さんが多く所属する石井光三さんの事務所にお世話になりながら、石井さんとのデュエットレコードを発売して、そこで「潤」という名前でソロデビューさせていただいたんです。けど、そこからまた何も決まらなくて……ずっとアルバイトでしたね。
――どんなアルバイトをされていたんですか?
岩男 高層ビル街の社員喫茶のウエイトレスを。
――社員さんに口説かれたりしなかったですか?
岩男 全然そんな感じじゃなかったです(笑)。私は本当にドジでのろまな人間で……『スチュワーデス物語』でありましたけど、本当そんな感じで。セイントフォー時代にも「ドジでのろま」ってよく言われて、それでよく泣いていました。それでバイト先でもまた言われていて……。
――それは、筋金入りですね! 果てしなく辞めたくなります!
岩男 でも、私、13才でオーディションに受かって上京して、父親との約束で「10年間で、自分の歌が出せないようだったら、あきらめて帰って来なさい」っていうタイムリミットがあったので、いろんなことに必死で……。セイントフォー時代から、とにかく声を嫌われていたんです。「アニメ声が受け入れられない」とか「ぶりっ子声」とか、本当にいろんな人に言われて、ウエイトレス時代も「イラつく声だな」って言われていたので、辞めたくなくても、辞めさせられたというか……。
――お、おお……。
岩男 それで、もう声を出さない仕事をしようと思ったの。派遣社員として、入力作業を覚えられれば、パソコンに向かって誰とも会わずに仕事ができるから。それで会話をしなくて済むような仕事を選んで、高校卒業するまでは事務員ですね。いろんな現場に派遣されてました。
――さびしい選択……っていうか、それでまだ高校生だったんですか!? 13歳で上京といい、ハード過ぎますよ!
岩男 たまには、何をしたいのか聞いてくれて、「それならこんな仕事があるよ」って、デパートの屋上で司会をさせてもらったりもしたんですけど、そこに歌手の方が来たりするとね、「歌手の誰々さんです、どうぞ!」って言いながら、うらやましくて、舞台袖から「自分もここにいきたい」と思って……。「やっぱり心を閉ざしてはいけないんだ!」って一念発起して、歌を入れたデモテープを、プロフィールと一緒にいろんなところに配ったりして(笑)。でも、デスクにはさっぱり読んでもらえない資料が積み上がっているのも見るから、いかに厳しい世界なのかを思い知らされながら、OLをやって、高校に行って、売り込みをやって、声優さんの仮歌を歌わせてもらったりしていました。
――ダラダラしていただけの自分の高校時代が恥ずかしくなってきました……。さらに、なかなか表舞台の仕事にたどり着かないので不安になってきます……。
岩男 父が決めたタイムリミットの23歳を迎えたときも、まだ東京駅のキオスクと、宝石屋の販売員をしていて、とにかく生きることに必死だったんですよね。“23歳”というのが自分のなかで離れなくて、「ここで何かを決めなければ、実家に帰らなくちゃいけない……」と焦っているときに、たまたま以前お仕事をしたことがある芸能関係の方が、東京駅のキオスクを通りがかって、「あれ? 今はどうしてるの? 芸能の仕事は?」って言われて、「オーディションはたくさん受けているんだけど、勝つことができないんです」って言ったら、「歌える声優さんを募集しているから、応募してみたら?」って。それがNHK総合の『モンタナ・ジョーンズ』っていう、今からちょうど20年前の作品で、オーディションは受けたものの、なかなかお返事がこなかったから、「これはダメだったな」と思って、アパートの更新も迫っているし、もう引っ越しもしなくちゃならない。引っ越しの荷物に囲まれながら、オーディションの結果を待つっていう感じ。大家さんにも「もう出て行ってくださいね!」って言われて、泣きながらダンボールの封を閉じていたら、そこに、「1年間ヒロインでお願いします」って、オーディションの合格の連絡をいただいて。
――いろいろとギリギリ!! 肝が冷えましたね!!
岩男 そうなんです(笑)! 「10年間がんばったな……」って、泣きながら閉じていた荷物のテープを今度は喜びいっぱいで剥がして、やっと実家の父と母にも、「もう1年がんばらせてください」って連絡することができて。そのとき、両親が「あと1年じゃないよ。あと10年がんばりなさい」って言ってくれて、そこからまた、10年がんばろうって気持ちで、23歳からのスタートです。
――素敵なご両親ですね……! そしてついに声優人生の幕開けが!
岩男 放送は24才のときなので、1994年の4月に自分が初めてアフレコしたアニメが放送されて、そこからNHKの『モンタナ・ジョーンズ』のイメージソングを歌うお仕事もいただいて。それも、あくまでも“声優さんの仮歌”として歌ったものだったんですけど、なんとそれがポニーキャニオンさんのサプライズで、「君が歌ったこの歌が、君のデビュー曲だよ」って言われて。
――ヒュ~かっこいい~! ポニーキャニオン、粋~!
岩男 すごくビックリしましたよ、本当に! キャラクターしてのシングルも、岩男潤子としてのシングルも、ほぼ同時に2枚リリースして、それが入ったアルバムも作りましょう、という夢のようなお話で! そこから、憧れていた歌手としての活動と、声優としての活動を全力でがんばると決めたんです。「どっちかにしなさい」「なんで中途半端なことするの?」って厳しいことも言われていたんだけど……。
――え、岩男さんの周り、辛辣なこという人多くないですか(怒)?
岩男 器用にどっちもできてたら何も言われなかったんでしょうけど、なんせドジでのろまだから(笑)。歌って言われたら歌のことにしか集中できなかったんだろうし、おそらく「どっちがいい!」っていうものでもなかったと思うんですね。歌があったからセイントフォーにも入れたし、どっちも私にとってはなくてもならないもので。だから、こだわりぬいて、プロフィールにも「声優・歌手」と、今でも書かせていただいてます。
――いっぱい書いて! というか、声優として何作ぐらいに出演されたかご自分で覚えていますか?
岩男 そうですね。デビューしたときは、スケジュール帳にも週に一度『モンタナ・ジョーンズ』と書いてあるだけで、後はキオスクに通い続けていたので、「早く声優、歌手というお仕事でスケジュール帳が真っ黒になるといいな」と思って、それを目標にしてましたけど、気がつけば、ゲーム、その主題歌、キャラクターソング……あんなにやりたくてもできなかった歌のお仕事もたくさんいただいて。アニメも、子どもの声、動物の声、お母さんの声、と幅広くやらせていただいて、気がつけば何百作品と、もう数えきれないほど……!
――なかでも、印象に残っているお仕事はありますか?
岩男 やっぱり、デビュー作の『モンタナ・ジョーンズ』は、マイク前に立つのも初めてだったので、当時の主役の大塚明夫さんとか、中尾隆聖さんとか、滝口順子さんたちに、手取り足取り、厳しくも優しく指導していただきながらのアフレコで、すごく印象に残ってます。
――その豪華メンバーに手取り足取り教えてもらうのは、養成所に何十万積んでも無理ですね……!
岩男 『カードキャプターさくら』については、原作本を見て「なんてかわいいんだろう!」って思って開いて見たら、歌が大好きな大道寺知世ちゃんという役がいて、「そこに私も入れたらいいな~」と思っていたときにオーディションをやらせていただいて。歌を歌うキャラクターを演じたいと思っていたので、その夢が叶ったのが『カードキャプターさくら』でした。その後もたくさん出演させていただいて。今も『魔法少女まどか☆マギカ』で担任の先生をやらせていただいて、シリアスなお話なんですけど、先生だけコメディなんです。これまで無口で、おとなしいイメージがついていたんですけど、役を通じて「岩男さんっておもしろい人なんだね!」って声をかけてもらえるようになって、すごく楽しいです。
――つくづく、声を出す仕事を封印しなくてよかったですね~!
岩男 そうですね。声を封印していた時期があったからこそ、反動もありましたし、あるオーディションで「君の声は子どもに喜ばれるよ」って言っていただいたときに、目の前の閉ざしていた扉が開いたような想いがしたので、うれしかったです。いろんなことを封印しながらも、やっぱりあきらめきれてはいなかったんですよね。子どものころの自分に、「あきらめないでね、10年、20年先にはすばらしい出会いが待っているから」って言ってあげたいな。そう思えるぐらい、今がいちばん楽しいと思える人生になっています。
――素敵すぎる! 最近ではフランスや台湾などなど、海外でも活躍されていますね。それはどういう流れで呼ばれるんですか?
岩男 そうですね。私が声優デビューする前から、仮歌のお仕事でチャンスをくださっていたのが、音楽家の田中公平先生(藤子不二雄作品やドラゴンボール、ポケモン、サクラ大戦の音楽を手がける偉人)だったんですね。田中先生が「いつか自分の歌が歌えるチャンスに恵まれたらいいね」って、数々の仮歌のチャンスをいくださって。その後、私が声優デビューして、歌う機会に恵まれはじめたとき、ようやくある作品で再会できたんです。そうしたら、「アニメの世界にようこそ。待ってましたよ」って言ってくださって。
――辻仁成の「やっと会えたね」より惚れるセリフです……!
岩男 その田中先生が「よく歯を食いしばって、がんばってきたね。フランスで開催されるジャパン・エキスポの舞台にシンガーをひとり招くことができるんだけど、僕はあなたを選びます」って言ってくれて……。なので、もともとは田中公平さんのステージで、私が呼ばれて行ったわけじゃないんです。だから、会場では「あの人、誰?」って人も多かったんですけど、公平さんが「この方が『エヴァンゲリオン』『カードキャプターさくら』『パーフェクト・ブルー』に出演されている、岩男潤子さんです」って紹介してくださったら、お客さんが「生の未麻(パーフェクトブルーの主人公)なんだ!」「エヴァンゲリオンの委員長!」「るろうに剣心の巴に会えた!」って感動してくれて、みんな大好きだって言ってくださって。
――アニメは放送時に現地の言葉で訳されているけど、ファンはあえて日本語で聞くんですよね。
岩男 そうなんですよ。日本だけじゃなくて、世界の人たちもアニメを見てくれているんだって思ったら、私も感動してしまって。翌年には、「ソロライブを開きませんか?」っていうお話をいただいて、アニメカフェでソロライブもさせていただいて……! そうやって海外に行くきっかけを作ってくださった田中公平さんには本当に感謝です。その2カ月後には、台湾のファンの方が企画してくださった岩男潤子の公演があって、そこに、公平さんをスペシャルゲストにお迎えさせていただいて、公平さんがジャパン・エキスポのために作ってくれた新曲を披露させてもらったりして。
――美しい師弟愛! 台湾は日本の文化に詳しいから、ライブは盛り上がりそうですね~。
岩男 そうですね。アニメを通して日本語を学ばれる方も多くて、公演中は通訳の方が隣にいてくれるんですけど、みんな私がしゃべったことをリアルタイムで笑ってくれる(笑)。歌のタイトル言うだけで感動してくれたり……熱かったですね、台湾(笑)!
――今後、ライブをしてみたい国はありますか?
岩男 フランスと台湾には、どちらも2年連続で行くことができたので、来年も……と思っています、フフフ。ジャパン・エキスポで歌っているときは、スペインの方が「スペインにも来てください」って言ってくださったり、台湾に行ったときは、「香港、中国にも来てください」って言ってくださって。
――香港、中国の方は、岩男さんのライブのために台湾まで行ってたってことですね? すごい!
岩男 フランスでも、「アメリカにも来てほしい」とかありますし、みなさん、そういって声をかけてくださるので、いろんなところに行きたいです。
――ワールドワイド! こんなに活動の幅が広がると思っていましたか? まさかスケジュール帳に、四ッ谷とか飯田橋とかキオスクとかじゃなく、フランスと台湾と書くなんて!
岩男 思っていなかったですね。そういえば、『モンタナ』が決まったときに、両親から「日本でとどまってはダメなんだ、もっと視野を広げて世界中の人に潤いを与えてあげるような人にならなくちゃ。責任重大な使命をもって親元を離れたんだから、ちょっとやそっとのことで負けてはいけない」ってことを言われて、だから、それが自分のある意味スタート地点になって……。その時に世界を目指そうとは思っていましたけど、まさかこんなに早く叶うなんて!
――だから潤子って名前なんですかね、どこまでも素敵なご両親(涙)! 国内の活動では、コミケにも参戦しているとのことですが、それはまたどういった流れで?
岩男 コミケを薦めてくださったのも田中公平さんさんなんです(笑)。公平さんと、現在の私の音楽活動のプロデューサーの川村竜さんという方。川村さんは、国際コンテストのコントラバスで優勝された方で、今、公平さんや中川翔子ちゃんのバンドマスターもされているんですけど、そんなお二人の薦めだったら……。
――乗るしかないですね! どんな作品を作ってるんですか?
岩男 「一人でも多くの方に声を知ってもらわなくちゃいけない」と思って、普段はバラード中心の真面目な歌を歌っていることが多いので、コミケではうんと弾けて、普段見せない、聞かせていない声で、ドラマCDにしました。フフフ。お笑いたっぷりの弾けたドラマCDを3作作って、夏、冬、夏と参加して、また冬が抽選で決まれば、参加したいな!
――自分で手売りしているんですか? ストーカー被害にも遭われましたし、危険はないんでしょうか?
岩男 ……? 今まで心配したことがなかったです。危険も全然ないですし、みなさん本当にそれこそ20年前のソロコンサートのころから、ライブ会場の人が驚くぐらいマナーがよくて、「整列してください」って言ったらすぐに並んでくれますし、会場の方にも「帰るときにチリひとつ落ちていない」「岩男潤子さんのファンの方は本当にマナーがよくて、感動しました」ってよくファンの方を褒められるんですよ。
――すごい! 何か特殊な訓練でもしているんですか?
岩男 何もしていないんですけど、優しい方が集まってくれて、みんなのおかげで10年、20年を迎えられるし、本当にいい仲間に支えられています。
――マナーが残念なアイドルファンは全員岩男潤子ライブで修行を積むべき! ちなみに、新しいアルバム『voice』には、どういった曲が入っているんですか?
岩男 私が『KEY THE METAL IDOL』というアニメに出演させていただいたときに「手のひらの宇宙」という、ファンの方が合唱できるぐらい覚えてきてくれる歌を作ってくれた濱田理恵さんと寺嶋民哉さんのコンビにお願いした『voice』というタイトル曲から始まり、カードキャプターさくらの音楽が大好きで、その音楽を担当されていた根岸拓哉さんにお願いしたり、大好きなシンガーソングライター相曽晴日さんでしたり、私の初めて作った歌に作詞を付けてくれた森由里子さんでしたり、もちろん田中公平さんの曲でしたり、この20年間を、力強くサポートしてくれた皆さまに、「おかげさまで20年目を迎えることができました」というご報告とともにお願いした楽曲ばかりです。
――売れ行きのほうはどうですか?
岩男 おかげさまで、初回プレスが完売しまして、それで、11月4日に、館内アプローズというホールコンサートが決まったんです。ここで、初回プレス完売祝いで、みなさんにおめでとうを言ってもらえたらうれしいなと思って。
――完売おめでとうございます! しかしながら、声優業に歌手業のツアーにキャンペーンに、本当に忙しいですね……!
岩男 もっと忙しくしたいぐらい。毎日どこかで歌っていたいです(笑)。
――そんな岩男さんですが、今までで引退を考えたことはありますか?
岩男 23歳以降は、本当にたくさんの仕事をさせていただいて、充実はしていたんですけど、結婚もして、10年間は結婚しながらお仕事をさせていただいていたんですけど、その後、まさかの離婚も経験することになって……そこからのダメージが体にきてしまって、離婚した翌年に倒れてしまったんですね。精神的なものというより、過労でしたね、完全に。耳の病気になって、ウィルスが脳に近いところに溜まってしまって、後頭部にすごい痛みが走ったんですよ。病院に行ったら「即手術」ということで、鼓膜からチューブを入れて膿を吸い出して……。「耳は聞こえなくなるだろうし、もしかしたら歩けなくなるかもしれない」って言われたんです。
――声優・歌手の命の耳が……!
岩男 その手術の後は、顔面全体に痛みが広がって、手術の方法によっては亡くなる方もいると聞いて、手術をしていいのか迷うぐらいだったんですけど、実際は迷うヒマもないままに麻酔を打って即手術だったので、カチャカチャという音と、膿を吸い取られる気持ち悪さが、術後もずっと離れないのが辛かったです。手術後に車いす生活になって、そのときに「終わってしまった……」と思いました。「まだ終わりたくないのに、これが引退のときなのか」って。歩行困難で、何カ月も続くリハビリが苦しかった。川村竜さんとコンサートをした翌々月の手術だったんですけど、腫れたすごい顔を誰にも見られたくなくて、メンバーには誰にも知らせませんでした。あのときは、初めて母も「もう、帰ってくる?」って言ったぐらい。
――そういう状況で、鬱になりませんでしたか?
岩男 そのときはね、「鬱病にならないように」っていうお薬も飲んでいて、それでも、なんかこう、「こんな人生だったら、ないほうがマシなんじゃないか」って思い始めたときもあって。でも、本当は鬱になりたくないって気持ちもあるから、本棚には『鬱にならない方法』とか『前向きに生きる方法』とか、そういう本がたくさんあって(笑)。それってもう実際は鬱病だったと思うんですけど、当時はそういうタイトルを見て励まされていたのかな。ファンの方から、「カードキャプターさくらの知世ちゃんの声は、もう聞こえないんですか?」とか、「知世ちゃんの歌は聴けないんですか?」っていうお便りが届いても、もう、音も楽器も錆びて聞こえるぐらいだったんですよ。テレビも見たくないぐらい、なんの音も聞きたくなかった。そんなときにパソコンから、自分が歌った『カードキャプターさくら』の大道寺知世の歌が聴こえてきて、そこでやっと「がんばろう」って思えたんですよね。だから、アニメに救われて、アニメに支えられて、一歩踏み出せたというか……。今も、耳にチューブが入っているんですけど、聞こえなくなるって言われた耳も聞こえるようになったし、歩けるようにもなった。だから、同じ病気で苦しんでる人がいたら、あきらめないでって伝えたいです。
――想像を遙かにこえる壮絶さでした……。そんなことがあっても捻くれずに明るくて優しさを保てる岩男さんはどこまでも偉大です! 今後の野望があれば、是非教えてください!
岩男 昔から、声を嫌われていじめに遭っていたんですが、今は、そういういじめを苦に幼い人たちが命を絶ってしまったり、夢をあきらめてしまったりするでしょう? そういう人たちに、「自分もそういうときがあったけど、大丈夫でした!」って言いたいなって。ライブとか、イベントとか、握手会で、少しでも「目指しているんです」って言ってくれたら、「あきらめないでがんばって!」って直接言ってあげたい。自分の経験を通じて、希望と言っては大げさですけど、それを与えてあげられるような人になりたいですね。
――まさに聖母……! どうもありがとうございました!
(取材・文=小明)
●いわお・じゅんこ
大分県別府市出身。『カードキャプターさくら』(大道寺知世)、『新世紀エヴァンゲリオン』(洞木ヒカリ)、『魔法少女まどか☆マギカ』(早乙女和子)など、新旧問わず話題作に出演し、今年声優活動20周年を迎えた。
2009年よりプロデューサーにベーシスト川村竜を迎え、前作「やさしさの種子(たね)」などを発表。パリで開催されるジャパンエキスポ出演や、今年2月には2度目の台湾単独ライブを行うなど、国内外に於いて、さらなる飛躍を誓い活動中。
『岩男潤子20th Anniversary -voice- in 横浜』
11月24日(月・祝)関内/アプローズ
“ voice 初回プレス完売記念ライブ”
開場17:00 開演17:30 終演予定 20:00
出演:岩男潤子(Vo)川村竜(b)鈴木直人(gt)真部裕(vln)成田祐一(p)
齋藤たかし(d)
*チケット¥5,500(当日¥6,000 ・ 全席自由)
*学生:前売り当日共¥5,000
*イープラスにてお求めいただけます
*本公演はドリンク・フード等ございません
*会場:アプローズ
*住所:横浜市中区太田町2-23 横浜メディアビジネスセンター1F
『岩男潤子20th Anniversary -voice- in 京都』
12月13・14日(土・日)京都/都雅都雅TOGATOGA
■12月13(土) 【heal for people vol.80】
開場13:30 開演14:00 終演予定16:30
出演:岩男潤子(Vo) 川村 竜(B) 熊谷ヤスマサ(P) 鈴木直人(G)
■12月13日(土) 【岩男潤子トークライブ in TOGATOGA】
開場18:00 開演18:30 終演予定20:30
出演:岩男潤子・川村 竜
*チケット¥4,000(当日¥4,500・全席自由・ドリンク別)
■12月14日(日) 【heal for people vol.81】
開場13:00 開演13:30 終演予定16:00
出演:岩男潤子(Vo) 川村 竜(B) 熊谷ヤスマサ(P) 鈴木直人(G)
*チケット(13日昼及び14日)¥4,800(当日¥5,300・全席自由・ドリンク別)
*整理番号順入場(FC優先入場)
*住所:京都市下京区寺町通四条下ル貞安前之町639 B1
*各プレイガイドにてお求めいただけます。
*学生証ご持参の方、各500円割引いたします。
●ししど・るみ
1973年、福岡県生まれ。1990年にアイドルデビュー、18歳でフリーアイドルになり現在まで様々な分野で活動中! フランス、ドイツ等でもライブを行い音楽活動で高い評価を得ている。


元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の28回目! 今回は「ロリータ18号」の元ギタリスト、『がんばれ!おでんくん』では、つみれちゃんやペロの声優をしているエナポゥさんが来てくれました!
――エナポゥさんはギタリストでボーカリストでイラストレーター、さらに声優業までされているんですよね。今日はいろいろご教示ください!
エナポゥ(以下エナ)いやいや、それで忙しくてあたふたしているっていうならアレですけどね、なんかもう自由に生きているだけな感じです……。
――芸歴は今、何年くらいになるんですか?
エナ 芸歴? 何から始めて芸歴と呼ぶか…バンドを始めたのは高校の軽音部からですね。でも、それは芸歴に入るのか!? 「ロリータ18号」に入ったのは1991年かな。
――ということは……23年! 思い出の引き出しもたくさんありそうですね。
エナ もうね、記憶が曖昧で、引き出しが開かなくなりつつあるんで、フフフー。
――昔から芸能に興味があったんでしょうか? 例えば子どもの頃とか。
エナ いやいや、子どもの頃は、人見知りでモジモジしていて、石をひっくり返して遊んでいるような子でした。石の下のジメジメした場所に生息する虫を見て「ひゃー!」って。
――わりとヤバイ! 高校は軽音部で、小・中学の部活はどんなものを?
エナ 小学校のときはローラースケート部に入って、屋上でローラースケートをしていました。
――エキサイトするとそのまま墜ちそうで恐いですね。
エナ で、中学のときは卓球部に入ってました。多分、黙々と一人でやることが好きだったんですね。壁打ちとか、素振りの練習とか。でも、うまくはならなかったです。やっぱり、一人でやらないで、うまい人とみんなでやらないと!(笑)。だから、卓球は長続きせず、中2のときに自宅の物置にギターがあるのを発見して、それでギターに目覚めた感じですね。パパさんが若い頃に友達から買った、モズライト(ギター)とアンプで5,000円のやつだったんですけども。ホラ、石の裏の虫を探しているような子だったので、物置の中をゴソゴソと「何があるかな~」ってやってたら「ギター見つけた!」って(笑)。
――そのギターとの出会いから、やがてプロのギタリストになるなんて、映画のオープニングのようですね。
エナ そうですね。映画化してもいいぐらい。してください、ぜひ!
――サイゾーにそんな財力はないです! お父さまもギターがうまかったんですか?
エナ それが、パパさんは『禁じられた遊び』しか弾けなかったんですよ。チューニングも全然わからないって言われて、しょうがないから、かき鳴らすくらいでジャーンってメチャクチャ弾いてて。それから高校受験があったので、うちのママさんが「高校に受かったら自分のギターを買ってあげる」って言ってくれて、高校から本格的にやり始めたんです。カセットテープつきの教本とかで勉強して……カセットってところで、すごく年がわかっちゃう感じですね(笑)。
――高校の軽音部は、どんなバンドを組まれてたんですか?
エナ 私の学年の軽音部にはバンドが2つしかなくて、あんまりメンバーもいなかったんですよ。だから2つのバンドを掛け持って、JUN SKY WALKER(S)とかカステラとかTheピーズとかのコピーをして……これもまた世代がわかっちゃう感じですね。フフフー。でも、そこでみんなでバンドをやる楽しさを知ったんです。
――その後、すごく良い大学(当社比)に進学されましたよね。すごいですよ。音楽をやりながら勉強もって。
エナ 一応、進学校だったんで、なぜか推薦入学で入れちゃって……。そこの大学がわりとバンドが盛んなところで、サークルで知り合った当時ロリータでドラム叩いてた子に「ロリータ18号ってバンドがあるんだけど、ベース弾かない?」って誘われて「ベースならヘルプでもいい?」みたいな軽い感じでロリータ18号に入ったんです。その後ギターになったんですけど。
――おお~! 伝説が始まった感! しかしながら、良い大学ですし、大学卒業後に就職しようとは思わなかったんですか?
エナ すごい思いましたよ、5時に帰れるから公務員とか! 将来をいろいろ考えて、みんな就職活動をしているときに、ママさんに「バンドをするか、就職をするか」って相談したら「エナちゃんはスーツが似合わないから、バンドでいいんじゃない?」って言ってくれて。そっから、バンドやりながら、バイトをして、ライブをやったりして。
――かっこいいお母さまですね! それからロリータ18号としてBENTENLabelからリリース、メジャーデビュー、海外でのメジャーリリース、全米ツアー、ヨーロッパツアーと怒濤の日々を送るわけですが、ガールズバンドということで、アイドルグループみたいに“恋愛禁止”みたいなのはルールはありましたか?
エナ なかったなかった(笑)。かと言って、恋愛ができるかっていうと、ずっとライブの全国ツアーとかで休み無くて、家にも帰れない状態だったから家賃ももったいない感じだったんで。ほんと家賃返してほしいよ~。
――1年のうち、家にいる時期はどれくらい?
エナ 1/3くらいかな~。でも、家にいる時も曲作ったり、あとレコーディングしたり取材があったり、なんだかんだで忙しくて、あの頃が人生の忙しさマックスだったかな。
――いやらしい話なんですけど、その忙しさマックス時で、どれくらい儲かっていたのでしょうか……?
エナ 全然儲かっていないですよ! その頃、事務所が給料制だったんですよ。「給料制と歩合、どっちがいいか?」って言われて、給料制にしてたから!
――おお、わかりますよ。売れていない時は安定を求めて給料制がいいけど、忙しい時期は給料制が憎らしくなるんですよ。
エナ そうそうそう(笑)!
――メンバー同士でケンカになったりはしないでしょうか?
エナ 殴り合いになったりはしないけど、ライブで「あそこのテンポが早かった」とか言い合いみたいなのはあったかも。でも、家族よりも一緒にいる時間が長いから、もうお互いに細かいことは気にしなくなって空気みたいになってきますね(笑)。
――その、10年続けたロリータ18号を辞めたきっかけは?
エナ 辞めたきっかけは、本当にライブばかりやって、ロリータ18号で自分がやりたいことはやりつくしたかなと。ドラクエで言ったらレベル99まで行っちゃったよ、みたいな。それで「もう後悔はない。転職しようかな」とダーマの神殿に行ったわけです。
――ロリータ18号のページに「もも栗3年柿8年、エナポゥ10年。エナポゥは人生の節目をつけることにしました!」ってものすごい元気に書いてあって、全く悲壮感のない脱退発表でしたね。
エナ 悲壮感なんて、ないない! ないですね! 辞めて、フリーというか、全部において自由になったんです。そして辞めたのが2001年の12月8日だから、もうずいぶん経ちましたね~。ヤバイ!
――当時、名前はまだエナゾウさんでしたよね。なぜエナゾウからエナポゥに変わったんですか?
エナ エナゾウは、画数が12なんですよ。私、占い大好きで、姓名判断とかすごい気にしていて、エナゾウだと年をとるたびにどんどん衰退していく、波瀾万丈で大凶だったんですよ。だから、辞めるときに13画になったらいいなと思って、エナポゥに変えて。エナポウのウは、大きいとあんまり可愛くなかったんで、小さく。でも、エナゾウのほうがまだ日本人ぽいのかな。エナポゥってまず、「ナニ人ですか?」って聞かれます。
――“ポゥ”にパンチがありすぎるんですよ! その後、どういうきっかけで声優に?
エナ 声優になったきっかけね! そのときのことはすごくよく覚えているんです。ロリータ18号時代に文化放送で『インディーズ大辞典』って番組をやらせていただいてたんですけど、そこに宍戸留美さんがゲストで来てくださって。そこで「アニメ監督が、エナちゃん声優やってくれないかな~って言ってたよ」って伝えてくださって、「やりたいやりたい!」って。それから声優のお話がいろいろつながっていってくれて。「いつか、また留美さんに会えたら御礼をしなくては……」と思っていたら、『プリティーリズム』(テレビ東京)のオーディションで会えまして。でも、オーディションだったから、これに落ちたらまた会えないし、今のうちに全部言っておこうと思って「留美さんに会わなかったら、声優やってなかったです!」と。
――そして宍戸さんが天羽ジュネ役、エナポゥさんがラブリン・ピコック・エスニ役と、二人とも受かってるのがすごいですよね。
エナ よかったです、本当に!
――私はてっきり忌野清志郎さんの勧めで始めたのかと思ってました。
エナ そうそう! 脱退ライブのときにビデオレターをもらって、それで清志郎さんが「エナゾウは声優になるように」って言ってくださって。「やりたいのは山々だけど、なるようにって言われて、なれるものかな~」って思ってたんですけど、そのライブを見ていたアニメ監督の小林治さんが「誘おうかな」って思ってくれたのかもしれないですし。
――そこに宍戸さんも交差して、ドラマチックな人生ですね。
エナ そう! ドラマチック! また会えると思わなかったし! 初めてのアフレコのことはすごい覚えていて、マイクの後ろにみんなで座って、自分の出番になったら立つっていう緊張と、みんなすごいセリフを練習しているし、「どうしたらええんや!」ってドキドキしましたよ。私は変な声だから、「こんな感じの声でお願いします」って言われても「こんな感じでって言われても、その声、どうやって出すんだろう!」って慌てて……。声を張らなくちゃいけないけど、吹いちゃうとダメだし、みんながやっているのをマネして勉強しました。マイクに行くまでに緊張しちゃうし、台本をパタパタして音出ちゃうし、「まず手の震えを直さなければ!」みたいな。
――現場では完全に挙動不審!?
エナ そう、まさに私にピッタリの言葉、挙動不審。挙動不審な感じがモワーって出てしまう。あの、声優養成所をでたりしてる若い声優さんは、30分前には来ているし、必ず挨拶をしてくれるんですよ。多分、ちょっと年齢が上=先輩だと思ってくれてるんでしょうけども、みんな丁寧に「どこどこ事務所の誰々です!」って言ってくれるから、挙動不審になりながらも「こんなに挨拶されることってないし、ちょっと気持ちいいな」と思ったりして。フフフ
――その頃は、無所属で仕事をしてたんですか?
エナ 無所属というか、ロリータ18号を辞めてからは、ずっと事務所なし(フリー)です。
――無所属で、これだけの仕事こなせるって相当ですよ!
エナ 相当ですか? 本当ですか? 忌野清志郎先生と宍戸留美さんのおかげです。でも、私、なかなか人間の役っていうのがないんですよね。
――何の役が多いんでしょうか?
エナ 鳥です。人間では、『BECK』のときにカヨちゃんっていうかわいい女の子の役をやったけど、ペイジっていう「クギャオ!」って言ってるオウムもやったし、その後の『海底二万里』のときも鳥だった……。それから『おでんくん』の具とか、犬とかウサギが入りまして、その後の『プリティーリズム』も、あれは鳥かな? ペンギンかな? でもペンギンも鳥か。なんか、鳥類専門なんですかね?
――国籍だけじゃくて、人類かどうかすら怪しくなってきますね……。声優業で苦労したのはどんなところですか?
エナ 自分ではそのキャラでやっているつもりが、マイクを通すと全然なっていないというか……。なんだろうな? 恐らく、誰もが一度は経験する、マイクの前で何度も同じことをやって、どんどんハマって、蟻地獄のように、「すみません、すみません」ってなる感じ? あれが大変です。自分ではいいと思ってやっていることが「違う」って言われるんですよ。それでわかんなくって、噛んじゃったりとか。で、「もう何やってんだぁ、パタパタパタパタ(手を振りながら)」みたいな。
――あ、鳥っぽくなってる。
エナ そう、ほんとに鳥っぽくなっちゃう。
――仕事で落ち込んだときは、どのように解消されるんですか?
エナ お酒を飲むしかない(即答)。飲んで忘れるというか、「そんな日もある!」とか「ダメだったのかもしれないけど、OKが出たんだからOK!」と自分で納得して。でもOA見て、「ひゃーもう一回やりたい~」って!(パタパタパタパタ)。あと、すごい好きな声優さんにお会いできたときは、ふわーってなりますよ!八奈見乗児さんとか!(パタパタパタパタ)。はー、なんかもう、暑い~。
――文字なので伝わらないですけど、暑いのはエナポゥさんがしゃべりながらずっとパタパタ動いているからですよ……! 今はどんなバンドをされてるんですか?
エナ 『おでんくん』で友達になった小日向しえちゃんと“nelca(ネルカ)”っていうガールズバンドをやっていて、それが今はメインですね。しえちゃん、かっこいいんですよ。「しえちゃんかっこいいからベース弾きながら歌いなよ」って言って、組んでからベース買わせて(笑)。ゆっくりですけど、今年はライブができたらいいなって。……あ、しえちゃんと出てる『がんばれ!おでんくん』も、まだやってるよ~。民放でやっているよ~。観てくださいね~。
――声優として、今後「これに出たい!」っていう作品はありますか?
エナ そ、そうだな、『進撃の巨人』に出られたら……鳥でもいいので……。休みの日はずっとマンガ読んだり、ゲームをしたりしてるんですけど、今は進撃なんですよ。(『進撃の巨人』クリアファイルを見せびらかして)これはロッテリアで食べてもらったんですよ。フフフ。
――では、キャスティング担当者が日刊サイゾーを読んでいることを祈りつつ!
エナ 祈りつつ!
――引き続きグラビア撮影がんばってください!
エナ こんな写真が出ることないですから、脇汗すごいかいちゃって。1万枚ぐらい撮ったら、1枚ぐらいは、なんとかならないかな! ギターがないと落ち着かない感じ(笑)。
――今日はありがとうございました!
(取材・構成=小明/撮影=宍戸留美)
(余談:インタビュー直後のグラビア撮影で、エナポゥさんは「ひゃ~」「ふぁふぁふぁ」「あ~~~」などと言いながらカメラから逃げ続け、「動物を撮っているみたい!」と宍戸留美を感動させました。もしかしたら鳥だったのかもしれません。)










『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最恐の劇場版』
監督・脚本・撮影/白石晃士 助監督・音響監督/中川究矢 出演/大迫茂生、久保山智夏、白石晃士、宇賀神明広、小明、金子二郎、大畠奈菜子、金子鈴幸ほか
配給/「戦慄怪奇ファイル コワすぎ!」上映委員会 5月3日(土)より渋谷アップリンクにて公開 ※公開初日は同劇場にて、白石監督、大迫、久保山、小明による舞台あいさつあり。また、シリーズ作品を一挙上映する「コワすぎ!祭」を現在開催中。
(C)ニューセレクト
●あかり
1985年栃木県出身。2002年に眞鍋かをりを輩出した「ホットドッグプレスドリームガールズ」で準グランプリに選ばれ、芸能界入り。09年には『アイドル墜落日記』(洋泉社)を刊行するなどアイドルライターとして活動する一方、村上賢司監督、矢島舞主演映画『ゾンビデオ』(12)ではゾンビ女子高生を熱演し、ゾンビアイドルという新しい地平線を切り開いている。フェイクドキュメンタリーの第一人者である白石晃士監督の『戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 史上最恐の劇場版』に出演したのに続き、“Vシネ界の良心”城定秀夫監督の新作が公開待機中。女優として、何気にインディペンデント系の巨匠たちとのコラボが続いている。ゾンビアイドルとしてのグラビアページを追加した『増量版 アイドル墜落日記』(洋泉社)が現在発売中。
元祖フリーアイドルで声優のルンルンこと宍戸留美さんが、自らカメラマンとしてかわいい声優さんたちの写真を撮り、さらにアイドルライターの私(小明)がインタビューする不思議な連載の27回目……ですが、1990年代に輝いたあのアイドルグループ“Melody”の元メンバー・田中有紀美さんが来てくれるとなれば話は別! 今回は特別編でお送りします!
――ゆきどんだ! まさか来てくださるとは! 今回は特別編ですよ~。
田中 特別編ですか、あかりがとうございます(笑)。
――1993年にレモンスカッシュのCMでデビューしてから、今、芸能活動が21年目になりますね。
田中 ね、びっくりしました(笑)。そんなに続いてると思わなかった。20周年も、どこかのレコード会社の方から聞くまで気づかなかった。あんまり、今は何年目とか、誰が先輩で誰が後輩とかを気にしないでやってきちゃって……。
――90年代はアイドル冬の時代と言われていましたし、アイドル同士、横の結束が強いと思ってました。
田中 んー、どうなんですかね~? 大人になってから、先輩達と仲良くさせていただいたとき、「誰が同期で~」って話になって「あ、そういうものなんだ」って気づきました。
――フワフワっとした感じで冬の時代を生き抜いたんですね……。
田中 そうですね、あんまりガツガツしてなかったと思う(笑)。
――なぜ芸能界に入ろうと思ったんですか?
田中 最初はスカウトだったんです。場所はサービスエリア(笑)。Melodyは3人グループで結成したかったらしくて、すでに2人決まっているところで、あとの1人を捜してたみたいで。そこにたまたま私がいて……そのまま家まで追いかけられてスカウトされたんですよ。
――運命的っていうか、怖い! その前から芸能界に憧れとかは?
田中 まったくないです。誘われたので入ってみました。
――誘われて入ってみた芸能界はどうでしたか?
田中 うーん……どうなんだろう……。Melodyは楽しかったですけど、今考えると、学生生活は学生をしていた方が良かったんじゃないかな、と思ったりすることもありますね。
――当時はちょうど16歳くらいで、女子高生ですもんね。学校にはほとんど通えなかったですか?
田中 ほとんど行けなかった……。
――その頃、映画『嵐の季節』に主演されてましたね。どんな話だったんですか?
田中 原作がですね、高橋玄さんで、美保純さんと高嶋政宏さんがいて、その高嶋さんを好きになる女子中学生の役で、えーと、それで、あのー……ハァ(ため息)。
――完全に忘れてるじゃないですか……。
田中 覚えてるんですけど、説明が難しいんですよ。最終的には、結ばれたのかな? うーん? アハハ! これじゃ意味わかんないですよね!
――わかんないです! そのお仕事はオーディションで?
田中 オーディションでした。5次審査までやって、セリフから動きまで全部やって、最終的には高嶋さんがいらして、一緒にお芝居して……残ってる人にはけっこう凄い人がいたんですけど。
――おお、どんな人がいたんですか?
田中 え~……ちょっと覚えてないんですけど……ええ~と。
――覚えてないことが多すぎます! でも、それほど忙しかったってことですよね。学生時代を犠牲にして打ち込んだMelodyは、なぜ4年で解散してしまったんでしょうか?
田中 事務所の人が「解散するよ」って言うから、「あ、解散するんだ~」って(笑)。
――受け入れますね~! 他のメンバーは反対しなかったんですか?
田中 他の2人も「そうなんだ~」って。反対はしてないですねぇ。Melodyの活動以外にも1人ではドラマとかはやっていたので、なんとなく……なんで反対しなかったんでしょうね? メンバー同士で「なんでだろうね~」みたいな話もしなかったです。好きだったんですけどね、Melodyの活動は(笑)。
――ファンが反対して暴動が起きたりしませんでしたか?
田中 解散イベントは一応したんですけど、ファンの方が事務所に抗議に来たりしたらしいです。後から聞いた話ですけどね。当時は私たちには外出禁止令が出ていたから……危ないと思ったんでしょうね~。
――解散後は、ソロで音楽活動をされたり、女優業をされたりしているんですね。ソロシングルの「あなたの涙の場所になりたい」は、ご自分で詩を書かれたとか。
田中 あれは、大森祥子さんという方が書いてくださったんですよ。私、そのとき、歌詞がぜんぜん書けなくて、2行の言葉を書いて、それを膨らませてもらったんです。
――その時の2行の言葉は覚えてますか?
田中 「涙は行く場所をなくし、ただそこに落ちるだけ」っていう言葉を……恥ずかしいな(笑)。
――それを書いた時には、何か悲しいことでもあったんですかね。
田中 悲しいことは……多々ありました(笑)。でも、たぶんこの時は切ないのが好きだったんだと思います。当時まだ17歳くらいだったから、ちょっと大人になりたい、みたいな。
――悲しいことが多々あったとか聞き捨てなりませんね。
田中 あったけど言えないと思う(笑)。大人のケンカに巻き込まれたり……(自主規制)……でも、今ではいい思い出です。お世話になったので今はとても感謝してます。
――あー、本当に言えないやつですね。いろいろお疲れ様でした! 元メンバーは解散後に結婚したり出産したりがありますが、田中さんは? 一度活動を休止されていた時期がありますよね。もしかしてそこで……?
田中 結婚しようと思ったことはあったんですよ。23歳くらいの時ですかね? 思ったんですけど、やめました。なんか違う、と思って。
――人生の決断が潔い!
田中 母からは「いつ結婚するの~?」って言われますけどね(笑)。
――芸能活動を休止していた期間はどれくらいあったんですか?
田中 え~と……5年、いや3年……5年くらい……そんなないかな、4年?
――その間は何をされてましたか?
田中 歯医者で歯科助手をしてました。
――え! なんでまた歯科助手?
田中 なりたかったわけではなく、たまたま近所の歯医者さんで募集をしてたんですよ。歩いてたら募集の紙が貼ってあったので、医療事務だったら私にもできるかなぁって、人生で初めて履歴書を書いて……。
――履歴書の経歴の欄には“Melody”って書きましたか?
田中 書いてないです(笑)。
――それで、医療事務のつもりが歯科助手に?
田中 そう、でも「まぁいっかぁ」と。わりと受け入れる方でして(笑)。それも3年くらいやりましたね、辞め方もわからないし、休み方もわからないし、遅刻の仕方もわからないですし、わからないことだらけで……芸能界にいるときって、熱が出ても仕事に行くし、ちょっとのことではお休みできないじゃないですか。その感覚でずっとやってきたので、「熱が出たから帰ります」とか「お腹痛いから帰ります」とか、みんなが普通にしているのを見て衝撃を受けました。「帰っていいんだ! 遅刻していいんだ!」って。そういうのもあって、今は昔よりも気の張り方みたいなのはマシになっていると思います。別に遅刻をするわけではないんですけど(笑)。
――今日も誰よりも先に到着されてましたね。……歯科助手から、どうやって復帰に至ったんですか?
田中 お友達から、私に興味がある事務所があるって聞いて……でも私はもう事務所恐怖症になっていたので、「ヤダ~」って断ったんですよ。昔から、「誰かを押しのけてまで!」っていう、ザ・芸能界みたいなのは向いてないな、と思っていたし。でも、お友達が、「本当に普通の感覚を持った方だから、一回会ってみません?」って言うので、お会いしてみて、復帰に……。
――普通の感覚は大事ですよねぇ。復帰してからは、ご自分でショートフィルムを撮られてるとか。
田中 もうけっこう前になっちゃったんですけど……5年くらい前かな? そんなにたった感じはしてないんですけどねぇ。
――きっかけは何だったんですか?
田中 自分のブログを立ち上げた時、「自転車を盗まれた!」って勘違いしちゃった話をブログに書いたんですよ。そしたらそれにずいぶん反響があって、当時の事務所の人に「これ、動画にしてみたら?」と言われて、「あ、そうだね~」って、軽く言ったところから始まったんですよ。でも、いざ作ってみると、初めて脚本も書くし、台本の書き方とかも勉強しないといけないし、「じゃあ撮ろう!」となっても1人じゃ撮れないので、映画とかでお世話になったスタッフさんに手伝っていただいて。編集作業も初めてだったんですけど、もう事務所に寝泊まりしながら勉強していたので、当時はずっと事務所の床に寝てました(笑)。
――その作品はどこで発表したんですか?
田中 『自転車どろぼう』ってタイトルでDVDになって、TSUTAYAでレンタルできるんです。えへへ。その後、短編映画のサイトに、「短編映画の監督を6人募集する」っていう企画があったので、応募してみたんです。そしたら「企画書を送ってください」ってことになって、企画書も書いたことがなかったので、また勉強しながら3つ企画書を書いて応募したんです。それで、選んでいただいて、次の2作目の『傘どろぼう』が生まれたんですよ。
――ずっと泥棒されてるんですね……。
田中 それも勘違いなんですけどね(笑)。それと、自分で曲を作り始めました。Melodyの時は、大人に言われたことを一生懸命こなすことが仕事だったけど、今は自分から発信しなくちゃならない。短編映画を作ったときもそうですけど、わからないことだらけで、勉強することばっかりなんです。でも、それを自分のペースでやっていけることが嬉しいです。
――アコースティックのライブも定期的にされているんですよね。ギターかっこいい!
田中 キターは弾けませんよ。
――へ?
田中 指が短いんですよ。コードに指が届かなくてイラッとして(笑)。ピアノは目で見えるから理解できるんですけど、ギターは自分で見えないし、どうも理解できなくって……。でも、自分の曲の歌詞は自分で書くようになりましたよ。
――2行からの、進歩ですね!
田中 2行から、もう7曲に! アルバムを作ったので、7つの恋愛の歌詞を書いたんですけど、失恋系の歌詞が多かったです。
――それは、実体験を元に?
田中 想像を元に、ですよ。ンフフー。
――今後の活動の予定を教えてください!
田中 今、アコースティックライブをやっていて、『田中珈琲店』って言うんですけど、それが2月22日に13杯目(13回目)です。それを続けながらお芝居もできたらいいな。「息の長い女優さんになる」っていう目標は、Melodyの時から変わってないですから。……あ、あと、エレクトーンの先生にもなりたいかな(笑)。
――元・Melodyメンバーが教えるエレクトーン教室なんて素敵!
田中 でも、そしたらまた勉強しなくちゃいけないですね(笑)。
――今日はありがとうございました!
(取材・構成=小明/撮影=宍戸留美)
●たなか・ゆきみ
Melodyのメンバーとして歌手デビュー。女優としてはCM「青春18きっぷ/JR」、映画『嵐の季節』で主演デビュー、ドラマ『神様もう少しだけ』『ソムリエ』などに出演。楽曲の作詞・作曲や、ショートフィルムの脚本・監督など、クリエーターとしても活動している。
2008年5月、全7曲の作詞・作曲したアルバム『潤恋花 じゅんれんか』を発売。アコースティックライブ「田中珈琲店」を楽しく開店中。
カバー曲を中心に歌っており、現在、iTune他音楽配信サイトで「田中珈琲店のテーマ」配信中。
2013年10月、芸能活動20周年を記念して名古屋で開店した「田中珈琲店11杯目」には、元Melodyのメンバー2人(望月まゆ、若杉南)が集まりゲスト出演した。
・今後のライブ予定
2014年2月22日(土)アコースティックライブ「田中珈琲店13杯目」開店
場所:荻窪「BUNGA」予約受付中