もはやアスリート? 『炎の体育会TV』で見せる芸人・オードリー春日の本懐

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 オードリーの春日俊彰が、またやってくれた。 『炎の体育会TV』(TBS系)でフィン水泳に挑戦し、昨年に続き、見事マスターズ日本代表に選出されたのだ。昨年は、世界大会に出場し、4×100メートル・サーフィスリレーで銅メダルを獲得し、大きな話題になった。フィン水泳だけではない。ボディビルでは、東京オープンボディビル選手権大会に出場し、決勝進出。5位入賞を果たした。  スポーツだけでもない。つい先日は『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)で提供された椅子を壊すという“事件”を起こし、ニュースになったばかり。昨年7月には『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)でMVSを獲得。トークが苦手というイメージを払拭すると、11月に大喜利イベント「ダイナマイト関西」に出場。1年を通して行われていた事務所対抗の団体戦・準決勝に「ミスターK」として副将で登場すると、大久保佳代子ら人力舎の実力派芸人たちを次々と破り、3人抜きを達成。今年1月に行われた決勝でも活躍し、並み居る事務所を抑え、ケイダッシュステージ優勝の原動力のひとりとなり、それまで目立たなかった大喜利の実力をまざまざと見せつけた。  まさに春日が動けば、そこにニュースが生まれる状態だ。若林も『オードリーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の中で、2015年の春日は、『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)準優勝後ブームとなった2009年を上回る、「キャリアハイ」だったと評している。  現在もフィン水泳とボディビルを並行してトレーニングを続け、さらにレスリングにも挑戦中だ。ある日のスケジュールを見てみると、日中、ボディビルのトレーニングを2時間半、レスリングの練習を2時間半、その後、番組収録を挟み、夜中にフィン水泳を2時間。1日7時間もの時間をトレーニングに費やしている。もはやお笑い芸人のスケジュールではない。  思い起こせば春日は、「漫才」よりも先にスポーツ系の企画でテレビに出始めた芸人だ。 最初は『Qさま!!』(テレビ朝日系)の「芸能界潜水選手権」だった。無呼吸で何メートル泳げるかを競う競技で、90メートルという日本男子歴代4位(当時)の記録を叩き出した。それに味を占めた事務所のスタッフが「体力系いけるんじゃない?」と提案したのが、「K-1」への挑戦だ。  もともとは、優しい性格の春日。格闘技などやりたくなかった。だが、売れない芸人に選択肢はない。「お前、M-1でもR-1でもダメだったら、次はK-1しかないだろ!」とすごまれ、「K-1」のトライアウトに参加したのだ。  しかし、会場に足を踏み入れた瞬間、自分が場違いな存在だと気付いたという。そこにいたのは、現役のプロ格闘家だったり、格闘技未経験者でもアスリートたちばかり。そんな中でも谷川貞治プロデューサーのおメガネにかない、準合格という形で合宿に参加することになったのだ。  そのことを芸能ニュースで知ったという若林は、当時をこう振り返っている。 「あの頃『売名行為だ』ってすごい言われて、僕も嫌な思いがしたし、『事務所に言われたままやらなくていいよ』って言ったんですよ。でも。春日は『いや、やりたいんだ』って全然譲らないんです。お笑いをやってても春日が譲らないことってあんまりないから(笑)、これは何かあるんだろうなって思いましたよ」(イースト・プレス「ゴング格闘技」09年03月号)  合同合宿から2カ月後、春日は同じトライアウト組の山本哲也と対戦。一度ダウンを奪われ、判定負けを喫する。この試合後、若林は春日に、もう「K-1」を辞めるように言う。しかし、春日は首を縦には振らなかった。 「『男』の部分だけでやっていたところはありますね。そういう場を用意されたら、出ていかないわけにはいかない」(春日)と。  この経験が功を奏したのか否かはわからない。その後、春日は「M-1グランプリ」で「(自信が)なきゃ、ここに立ってないですよ!」と堂々と言い放てるメンタルを武器に、ブレークを果たしたのだ。 『体育会TV』への出演も、当初は格闘技要員だった。女子格闘家と芸人たちが戦うという企画の一環で、韓国人ファイターのイム・スジョンとシュートボクシングルールで対戦したのだ。だが、これには大きな問題があった。春日が強すぎたのだ。  イムは、当時世界トップクラスのキックボクサー。だが、春日とは30キロ近い体重差があった。だから春日が試合開始早々、強烈な前蹴りを浴びせると、イムはおびえたような表情になってしまった。春日が真剣に戦えば戦うほど、か弱い女子をいたぶっているように映り、観客は引いていった。春日はあまりに規格外だったのだ。  並外れた身体能力を持っている上、生真面目で手を抜けない性格。やると決めたら、徹底的にのめり込む。その結果、番組の想定を越えて行ってしまう。それが春日だ。フィン水泳で日本代表にまでなったこともそうだろう。  とかくお笑い芸人がほかの分野のことをやっていると、批判される場合が多い。だが、芸人とは本来、職業の名前ではなく、その生きざまだ。漫才やコントなどのネタをやるだけが芸人ではない。その生きざまを見せることこそが、芸人の“本職”なのだ。 「お笑いも入れて、今いちばん楽しいことはなんですか?」 と尋ねられた春日は、少し考えて言った。 「フィンかな(笑)」 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

第2の佐村河内守!? 経歴詐称・ショーンK氏の超絶「ウソ」を見抜けなかったテレビ局の失態

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ショーンKオフィシャルサイトより
 経営コンサルタントでコメンテーターのショーン・マクアードル川上(ショーンK)氏が、学歴を含む「経歴詐称」をしていることが「週刊文春」(文藝春秋)の報道で明らかになった。  これまで『報道ステーション』(テレビ朝日系)や『とくダネ!』(フジテレビ系)などテレビのみならず、ラジオなどにも積極的に出演していた川上氏。4月からは情報番組『ユアタイム~あなたの時間~』(フジテレビ系)のメインMCを務めることも決定していたが、今回の騒動で川上氏は番組開始前に“降板”を表明。フジテレビとしても大きな痛手に違いない。  ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得ということだったが、実際はオープンスクールに出席しただけで単なる「高卒」であることが明らかになってしまった川上氏。それだけでなく、世界7カ所にあるという会社はペーパーカンパニーで、実際はハーフでもなんでもない熊本出身の日本人であることなど、次から次へと「ウソ」が明らかになっていく始末だ。  ネット上では「佐村河内守の再来か」と、重度の聴覚障害を偽って作曲していたとされる佐村河内氏を連想する人もいれば、堺雅人の主演映画『クヒオ大佐』(2009)で、軍人など経歴を偽って結婚詐欺を繰り返す主人公を思い出す人もいた。中には「お見事」と評価する声もある。ここまでウソで塗り固めれば、逆に信ぴょう性も出てくるということなのか、川上氏はここ数年メディアに出まくっていた。  それにしても、そんな川上氏をガンガン起用してきたテレビ局は、彼のウソに気づくことができなかったのだろうか。「週刊文春」が暴くまでまったく明らかにならなかったのだから、さすがに脇が甘い。 「テレビ局は今、昔のように簡単に視聴率が取れなくなっていますから、とにかく“数字”を取ることに躍起になっています。そんな中で、妙に男前で雰囲気のある経営コンサルタントの川上氏を起用することに疑いを挟む余地などないのでしょう。川上氏が自己申告した経歴もそのまま信じてしまうのも仕方がないかもしれません。それにしても、ずっと気づけないのは問題とは思いますが……」(記者)  川上氏は熊本での学生時代「ホラッチョ(ホラ吹き)川上」とあだ名されていたらしい。少年時代から現在までに培われた“テクニック”に、テレビ局もまんまとだまされてしまったということか。

誰もが生きづらさを抱える世の中で――思い出はなんのためにあるのか?『いつ恋』第9話

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 ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第9話では、数多くの思い出が描かれている。あるいは、思い出が人の人生を決定付ける、その様が描かれているといってもいいだろう。練(高良健吾)が働く運送会社の社長は、練にこう語りかける。 「ふるさとっていうのはさ、思い出のことなんじゃない? そう思えば帰る場所なんていくらでもあるし、これからもできるってこと」  かつて音(有村架純)が幼かったころ、彼女の母親(満島ひかり)は恋とは何かと問われ、「おうちもなくなって、お仕事もなくなって、どこも行くとこなくなった人の、帰る場所」と答えていた。だから、恋と思い出は似ている。人は大切な恋を忘れることはできないし、思い出から逃れて生きることもかなわない。それは私たちが生き続ける限り、胸の奥に隠れている。  そして第9話では、これまでの8話を見てきた視聴者の思い出も喚起される。たとえば、木穂子(高畑充希)は久しぶりに再会した練に「私も相変わらず楽しくやってるから」と言葉をかけ、音には「私は、もともとめんどくさい女だもん」と告げる。このセリフの中の「相変わらず」、そして「もともと」という言葉が、木穂子の5年前、そしてまた作品では描かれなかった5年という長さを物語っている。練や音だけでなく、木穂子もまた大切な思い出とともに今を生きているのだ。  晴太(坂口健太郎)が小夏(森川葵)を連れていった芝居で公演している劇団まつぼっくりは、かつて小夏がモデルに憧れていたころに路上でチラシを配っていた、あの劇団だ。運送会社の社長が練に餞別を渡し「こじの菓子折りは、来月分から引いとくからね」と冗談を言う場面を見れば、練に相談もせず給料から天引きして貯金をしていた昔を思い出すし、5年前にはウソばかりついていた先輩の佐引(高橋一生)は「俺がウソついたことあるか?」と練に言う。彼ら彼女らがこれまでに語った言葉や、その一挙手一投足全てが、私たち視聴者の思い出として同期している。  今回、自分の思い出と向き合うことになった、というか向き合わざるを得なくなったのが朝陽(西島隆弘)だ。かつて雑誌で働いていたころに取材で会った弁護士と再会し、朝陽はこう告げられる。 「間違ってもいい。失敗してもいい。ウソのない生き方をしましょう。君はいつもそう言っていた」  社長である父親の右腕となり、弱者を切り捨てる今の朝陽にとっては、聞きたくない言葉だろう。だがその言葉は、朝陽がいくら忘れたくても、言葉を聞いた者の思い出として残っている。そして、その言葉はいつか自分に帰ってくる。だが、朝陽は、自らの思い出と決別して生きることを決断する。今の仕事を続けると音に告げ、「これが今の僕が選んだ一番幸せな現実です。恋から始まらなくていい。ここで生きよう。一緒に生きよう」と語りかけるその言葉は、音が練に惹かれていることを朝陽が知っているから、あまりにも切なく響く。  この言葉が、どこまで音の胸に響いたのかはわからない。だが、少なくともこの言葉で、音は練ではなく、朝陽を選ぶことを決めたのだろう。朝陽の父親が「自分を一度捨てたことのある人間なんだろうな」と語ったように、北海道のころの音は自分を捨てていた。あきらめていた。一度どころではなく、何度も、何度も。だから音は、朝陽を見捨てることができない。音はきっとこのとき、練をただの思い出にしようと決めたのだ。  だがそもそも、思い出とはなんのためにあるのか? それは、少なくともこの作品の中では、人がウソをつかずに生きるためにある。誰もが迷い、戸惑い、傷つきながら生きていくうちに、本当の自分を見失う。うれしいときに悲しい顔をしたり、悲しいときにうれしい顔をすることはしばしばだ。そんなときのために、思い出はある。いつでも帰れる場所として。それは忘れようとしても忘れることのできないものだし、いつか必ず思い出されるものだ。  そして音は、かつての自分とよく似た少女(芳根京子)と出会う。自分のかばんを引ったくった泥棒を見つけても、警察へ行こうと考える前に、その引ったくりが腹をすかしていないかを気にするような、おっちょこちょいだ。東京ではひと駅ぐらいは歩けるのかと尋ねたその質問は、音が初めて練に出会ったときにしたのと同じ問いだ。その少女はかつての音そのままであり、音の思い出そのものでもある。だから少女を見つめる音のまなざしは、まるで音の母親が幼い音を見つめたのと同じように慈しみに満ちている。  あの幼かった子どもは、年月を経て、今は病院のベッドで眠っている。彼女が眠る前に書いていた手紙は、練に宛てたものなのか、朝陽に宛てたものなのか。それとも亡き母親へ宛てた手紙か、あるいはあの日の自分にしたためたものなのだろうか。それはきっと、次週の最終回で明らかになるのだろう。いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう。それでもその恋は、まだ始まってもいない。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa

『ごきげんよう』終了で大減収必至の小堺一機 今後は事務所の先輩・関根勤頼み?

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フジテレビ系『ライオンのごきげんよう』より
 視聴率が低迷するフジテレビが大ナタを振るうことで、大物タレント・小堺一機も犠牲になった。小堺が司会を務めるフジのお昼の帯番組『ライオンのごきげんよう(以下、ごきげんよう)』が3月で終了する。 『ごきげんよう』は1991年1月に放送開始した長寿番組で、前身の『ライオンのいただきます』『ライオンのいただきますII』を含めると、実に31年半にわたって、小堺は『笑っていいとも!』のタモリと共に、“フジの昼の顔”に君臨してきた。  しかし、『笑っていいとも!』が2014年3月で終了すると、『ごきげんよう』の視聴率は低下の一途をたどり、最近では2%台(関東地区)を記録する日もあるほどだった。それでも、ライオンの一社提供番組とあって、簡単に打ち切ることができなかったが、スポンサーとの折り合いもつき、この3月で終了する運びとなった。  フジは小堺を“功労者”として、土曜夕方の新番組『かたらふ(仮)』(土曜午後5時~5時30分/4月9日スタート予定)の司会を任せることを決めた。同番組は、「偉大なる伝説の人物のスゴさ」をテーマにして、毎回、小堺とゲストが酒場に集まり、秘蔵映像、秘蔵写真、秘蔵音源などを交えながら語り合っていくトーク番組。  フジのお情けで完全失業は免れた小堺だが、帯番組から週1に移行することで、大きな減収となるのは必至。そうなると、気になるのは小堺の今後だ。 「31年間の帯番組の司会で、小堺は20億円以上稼いだともいわれています。その番組がなくなるわけですから大変。3月1日スタートのNHK BSプレミアム『初恋芸人』では久々にドラマ出演していますが、焼け石に水。たまに同じ事務所(浅井企画)の先輩・関根勤と、『コサキン』コンビを組んで活動していますが、こうなったら、今でも売れっ子の関根に頼って、コンビで本格的に活動するのも、ひとつの手でしょうね」(テレビ関係者)  大ピンチを迎えた小堺。関根がコンビ活動プランを受け入れたとしても、果たして需要があるかどうか? (文=森田英雄)

テレビドラマは、東日本大震災をどのように昇華してきたのか

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『あまちゃん 完全版 Blu-rayBOX1』(TOEI COMPANY,LTD.)
「娯楽に関わる多くの人が自分自身に問いかけました。ドラマや映画や歌がなくても人は十分生きていける。でも水や食べ物、電気や燃料がないと人は困る。生きられない。世の中がすっかり変わってしまった。3月10日まで、日々どんな気分で暮らしていたか、アキもまた思い出せず、自分がどうしたいのか、わからないでいました」  これはNHK朝ドラ『あまちゃん』の物語の終盤、東日本大震災に見舞われた後のモノローグである。アイドルとして娯楽を提供してきたアキ(能年玲奈)が、果たして自分はこのままアイドルをやっていていいのだろうか、自分に何ができるのか、苦悩する。東日本大震災は、こうした悩みを「娯楽に関わる人」すべてに抱かせた。そして、震災後に作られたドラマのほとんどは、直接的・間接的を問わず、多かれ少なかれ、「震災」の影響を受けている。  最初に“直接的”に「震災」というキーワードが出てきたドラマは、僕が記憶している限りでいえば、2011年10月から放送された『11人もいる!』(テレビ朝日系)だった。『あまちゃん』と同じ宮藤官九郎の脚本で、貧乏な10人+幽霊の大家族を描いたホームコメディだ。その中で、被災地から避難してきた転校生・卓郎(渡邉甚平)が登場する。彼は大家族の一員である五月(赤石那奈)に恋をし、下駄箱に手紙を忍ばせる。彼に興味がない五月は手紙すら読もうとしないが、そんな態度をクラスの女子が責め立てる。 「かわいそうじゃん、読んであげなよ」 「卓郎君、地震で大変だったんだよ」 「日本中がひとつになろうとして」  それに対し、五月はきっぱりと言う。 「それとこれとは別」  宮藤は一貫して、「普通」であることの大切さをテレビドラマの中で描いてきた。震災後、日本では「普通」で居続けるのが困難になった。そんな中でも宮藤は震災を特別視せずに「普通」の中のひとつとして描いている。『あまちゃん』でも、宮藤は震災を描くに当たって「(震災を)やらないのもウソ、それだけをやるのもウソ」(MSN産経ニュース)と語っていた。  また、ネット上の自身の日記でも「『あまちゃん』は震災を描くドラマではありません。お茶の間の皆さんが愛着を持って見守って来たキャラクター達が、その時を経て何を感じ、どう変わるかは、ちゃんと描くことになると思います」とつづいている。    その言葉通り、『あまちゃん』における「震災」は数あるエピソードのひとつにすぎない。『11人もいる!』では、主人公である大家族は家を失いキャンピングカーで全国を放浪しながら、「真田合唱団」を結成し、歌を歌って楽しげに生活する姿を描いて終わる。幽霊のメグミ(広末涼子)と一緒に。彼らが歌う「家族なんです」は、こんな歌詞だ。 「助け合ったり 励まし合ったり しなくていい それが家族なんです」 「家がなくてもおもしろい あったらあったで超おもしろい それが家族なんです」 「生きていても 死んでいても 最悪見えなくてもいい 好きだから 一緒に暮らすんです」  震災以降、ドラマの作り手には「死者との向き合い方」「共同体における“絆”のあり方」「表現者としての立ち位置」を描くことが避けられなくなってきた。『妖怪人間ベム』や『泣くな、はらちゃん』『ど根性ガエル』(いずれも日本テレビ系)を手がけたプロデューサーの河野英裕は、それに自覚的な作り手のひとりだ。 『泣くな、はらちゃん』は、ヒロイン・越前さん(麻生久美子)が描いたはらちゃん(長瀬智也)が“現実”の世界にやってくるという岡田惠和脚本のファンタジー。純真無垢で美しい世界しか知らないはらちゃんはある時、震災や紛争などの悲惨な映像を見てショックを受け、涙を流す。「世界」を知ったのだ。そして『ど根性ガエル』では、主人公のひろしが移動販売車で旅に出る。彼が行き先に選んだのは福島だった。ある農家にたどり着いたひろしは、手間ひまかけて作られている米に、「日常」の意味を知るのだ。  河野は震災3カ月後に受けた東京新聞のインタビューで、こう答えている。 「ぼくのドラマにはファンタジーの要素があったりするが、核心にあるのは日常。今回の震災で、日常がもろくも崩れさったり、原発事故という非日常が日常になっている。現実世界が日常と非日常の中間地点になってしまっているが、今までちゃんとやろうとしてきた日常を、これからもやっていこうと思う」  河野は、日常を描くためにファンタジーを駆使しているのだ。  東日本大震災がこれまでの震災と違うのは、同時に原発事故というものがあることだ。たとえば、阪神大震災のときは、復興に向けて基本的に一枚岩だった。だが、福島第一原発事故による放射能汚染が事態を複雑化させた。それが表面化したのが「がれきの受け入れ」拒否だった。「絆」を声高にうたいながらも、いざ自分たちに直接的な負担を迫られると拒絶する。それどころか、攻撃する。  そんな「断絶」(と「伝える」ということ)を丁寧に描いたのが、『ラジオ』(NHK総合)だった。被災地である宮城県女川町で町民有志により放送を続けている「女川さいがいFM」の実話を基に、一色伸幸が脚色したドラマだ。ヒロインは、高校生の某ちゃん。(刈谷友衣子)。がれきはもともと被災者の家であり、生活であり、大切な思い出だ。「受け入れなくてもいいから、汚れたもののように言わないでほしい」。そう切実につづった某ちゃん。のブログが炎上してしまう。某ちゃん。は言う。 「被災地の外で11日にしか思い出されないあの震災は、私たちの日常なのです。過去形ではない、現在進行形なのです。私にしたら11日は震災を思い出す日でもなく、黙祷する日でもなく、被災地と被災地外の温度差を感じる日になってるように思います」  こうした「断絶」は今期の“月9”ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(フジテレビ系)でも象徴的に描かれている。物語が震災の少し前から始まっていることから、ドラマ開始当初から「震災」が描かれることが予想されていた。  これまで、脚本を担当する坂元裕二は『それでも、生きてゆく』や『最高の離婚』(ともにフジテレビ系)でも、震災の影響を受けたであろう場面を登場させていた。だから、今度はいかに震災を描くのか、注目されていた。  果たして、直接的に描かれたのは「おめえ知ってたが? 坂上二郎さんが亡ぐなっちまったんだってよ」とタクシーの運転手が語る震災前日まで。そこで第1章が終わり、5年後の第2章がスタートする。第2章の開始時、登場人物たちの心模様は大きく変わっている。つまり『いつ恋』では、震災は心の「断絶」の象徴として使われているのだ。  だが、こうした「断絶」が「断絶」のままで終わらないのがドラマのファンタジーであり、希望のはずだ。それはもしかしたら現実逃避かもしれない。けれど、逃げたくても逃げられない現実に立ち向かうときに、フィクションの力が武器になることもある。 「人はドラマや映画や歌や笑いがなくても生きていける――」  そんなわけないじゃないか。  僕らに必要なのは、フィクションという希望なのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)

テレビドラマは、東日本大震災をどのように昇華してきたのか

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『あまちゃん 完全版 Blu-rayBOX1』(TOEI COMPANY,LTD.)
「娯楽に関わる多くの人が自分自身に問いかけました。ドラマや映画や歌がなくても人は十分生きていける。でも水や食べ物、電気や燃料がないと人は困る。生きられない。世の中がすっかり変わってしまった。3月10日まで、日々どんな気分で暮らしていたか、アキもまた思い出せず、自分がどうしたいのか、わからないでいました」  これはNHK朝ドラ『あまちゃん』の物語の終盤、東日本大震災に見舞われた後のモノローグである。アイドルとして娯楽を提供してきたアキ(能年玲奈)が、果たして自分はこのままアイドルをやっていていいのだろうか、自分に何ができるのか、苦悩する。東日本大震災は、こうした悩みを「娯楽に関わる人」すべてに抱かせた。そして、震災後に作られたドラマのほとんどは、直接的・間接的を問わず、多かれ少なかれ、「震災」の影響を受けている。  最初に“直接的”に「震災」というキーワードが出てきたドラマは、僕が記憶している限りでいえば、2011年10月から放送された『11人もいる!』(テレビ朝日系)だった。『あまちゃん』と同じ宮藤官九郎の脚本で、貧乏な10人+幽霊の大家族を描いたホームコメディだ。その中で、被災地から避難してきた転校生・卓郎(渡邉甚平)が登場する。彼は大家族の一員である五月(赤石那奈)に恋をし、下駄箱に手紙を忍ばせる。彼に興味がない五月は手紙すら読もうとしないが、そんな態度をクラスの女子が責め立てる。 「かわいそうじゃん、読んであげなよ」 「卓郎君、地震で大変だったんだよ」 「日本中がひとつになろうとして」  それに対し、五月はきっぱりと言う。 「それとこれとは別」  宮藤は一貫して、「普通」であることの大切さをテレビドラマの中で描いてきた。震災後、日本では「普通」で居続けるのが困難になった。そんな中でも宮藤は震災を特別視せずに「普通」の中のひとつとして描いている。『あまちゃん』でも、宮藤は震災を描くに当たって「(震災を)やらないのもウソ、それだけをやるのもウソ」(MSN産経ニュース)と語っていた。  また、ネット上の自身の日記でも「『あまちゃん』は震災を描くドラマではありません。お茶の間の皆さんが愛着を持って見守って来たキャラクター達が、その時を経て何を感じ、どう変わるかは、ちゃんと描くことになると思います」とつづいている。    その言葉通り、『あまちゃん』における「震災」は数あるエピソードのひとつにすぎない。『11人もいる!』では、主人公である大家族は家を失いキャンピングカーで全国を放浪しながら、「真田合唱団」を結成し、歌を歌って楽しげに生活する姿を描いて終わる。幽霊のメグミ(広末涼子)と一緒に。彼らが歌う「家族なんです」は、こんな歌詞だ。 「助け合ったり 励まし合ったり しなくていい それが家族なんです」 「家がなくてもおもしろい あったらあったで超おもしろい それが家族なんです」 「生きていても 死んでいても 最悪見えなくてもいい 好きだから 一緒に暮らすんです」  震災以降、ドラマの作り手には「死者との向き合い方」「共同体における“絆”のあり方」「表現者としての立ち位置」を描くことが避けられなくなってきた。『妖怪人間ベム』や『泣くな、はらちゃん』『ど根性ガエル』(いずれも日本テレビ系)を手がけたプロデューサーの河野英裕は、それに自覚的な作り手のひとりだ。 『泣くな、はらちゃん』は、ヒロイン・越前さん(麻生久美子)が描いたはらちゃん(長瀬智也)が“現実”の世界にやってくるという岡田惠和脚本のファンタジー。純真無垢で美しい世界しか知らないはらちゃんはある時、震災や紛争などの悲惨な映像を見てショックを受け、涙を流す。「世界」を知ったのだ。そして『ど根性ガエル』では、主人公のひろしが移動販売車で旅に出る。彼が行き先に選んだのは福島だった。ある農家にたどり着いたひろしは、手間ひまかけて作られている米に、「日常」の意味を知るのだ。  河野は震災3カ月後に受けた東京新聞のインタビューで、こう答えている。 「ぼくのドラマにはファンタジーの要素があったりするが、核心にあるのは日常。今回の震災で、日常がもろくも崩れさったり、原発事故という非日常が日常になっている。現実世界が日常と非日常の中間地点になってしまっているが、今までちゃんとやろうとしてきた日常を、これからもやっていこうと思う」  河野は、日常を描くためにファンタジーを駆使しているのだ。  東日本大震災がこれまでの震災と違うのは、同時に原発事故というものがあることだ。たとえば、阪神大震災のときは、復興に向けて基本的に一枚岩だった。だが、福島第一原発事故による放射能汚染が事態を複雑化させた。それが表面化したのが「がれきの受け入れ」拒否だった。「絆」を声高にうたいながらも、いざ自分たちに直接的な負担を迫られると拒絶する。それどころか、攻撃する。  そんな「断絶」(と「伝える」ということ)を丁寧に描いたのが、『ラジオ』(NHK総合)だった。被災地である宮城県女川町で町民有志により放送を続けている「女川さいがいFM」の実話を基に、一色伸幸が脚色したドラマだ。ヒロインは、高校生の某ちゃん。(刈谷友衣子)。がれきはもともと被災者の家であり、生活であり、大切な思い出だ。「受け入れなくてもいいから、汚れたもののように言わないでほしい」。そう切実につづった某ちゃん。のブログが炎上してしまう。某ちゃん。は言う。 「被災地の外で11日にしか思い出されないあの震災は、私たちの日常なのです。過去形ではない、現在進行形なのです。私にしたら11日は震災を思い出す日でもなく、黙祷する日でもなく、被災地と被災地外の温度差を感じる日になってるように思います」  こうした「断絶」は今期の“月9”ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(フジテレビ系)でも象徴的に描かれている。物語が震災の少し前から始まっていることから、ドラマ開始当初から「震災」が描かれることが予想されていた。  これまで、脚本を担当する坂元裕二は『それでも、生きてゆく』や『最高の離婚』(ともにフジテレビ系)でも、震災の影響を受けたであろう場面を登場させていた。だから、今度はいかに震災を描くのか、注目されていた。  果たして、直接的に描かれたのは「おめえ知ってたが? 坂上二郎さんが亡ぐなっちまったんだってよ」とタクシーの運転手が語る震災前日まで。そこで第1章が終わり、5年後の第2章がスタートする。第2章の開始時、登場人物たちの心模様は大きく変わっている。つまり『いつ恋』では、震災は心の「断絶」の象徴として使われているのだ。  だが、こうした「断絶」が「断絶」のままで終わらないのがドラマのファンタジーであり、希望のはずだ。それはもしかしたら現実逃避かもしれない。けれど、逃げたくても逃げられない現実に立ち向かうときに、フィクションの力が武器になることもある。 「人はドラマや映画や歌や笑いがなくても生きていける――」  そんなわけないじゃないか。  僕らに必要なのは、フィクションという希望なのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)

どこにでもある日常が愛おしい——人はなぜ言葉を交わすのか?『いつ恋』第8話

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フジテレビ系『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
   ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第8話は、人々が交わす多くの言葉によって彩られている。それらはことさら特別なものではなく、取るに足らない日常の中の言葉だ。たとえば、引っ越し屋に戻った練(高良健吾)は、同僚から「(『サザエさん』の)波平さんの声、変わったの知らねえだろ?」と冷やかされている。あるいは、同僚と話す音(有村架純)は「知ってた? キリンって、1日20分しか寝ないんだって」と聞かされる。それらは、日常にあふれる平凡な言葉だ。それ自体に特別な意味はない。日々の時間と空間を埋める、次の日になれば忘れてしまうような、そんな言葉だ。  多くのテレビドラマにおいて言葉、ないし登場人物が語るセリフとは、大きく分けて2つの種類がある。ひとつは、物語を進行させるために配置された言葉だ。これらの言葉によって物語は変化をし、あるいは物語を推進させる機能を持つ。もうひとつは、言葉そのものが力を持ち、視聴者の感情を揺さぶる種類のものだ。その言葉はドラマチックで特別なものであり、それ自体が視聴者の感動や笑いや共感を呼ぶような見せどころとなる。  だが先述した「波平さんの声、変わったの知らねえだろ?」や「知ってた? キリンって、1日20分しか寝ないんだって」という言葉は、そのどちらでもない。物語の進行においてこの言葉はなんの役割も果たしてはいないし、もちろん視聴者の感情を揺さぶることはない。言ってしまえば、テレビドラマにおいてあってもなくてもどちらでもいい言葉だが、しかしこの作品においてはそうではない。あってもなくてもどちらでもいいような、日常を形作るそのような言葉こそが、この作品の、少なくとも練と音にとっては重要な言葉なのだ。  今は朝陽(西島隆弘)と付き合い、プロポーズもされている音は、彼との思い出を練に語る。かつて、まだ朝陽が介護施設の職員として働いていた頃の話だ。認知症が進行し、しゃべることもしなくなったおばあさんに朝陽が毎日語りかけ、彼女は口を開く。出てきた言葉は、きんつば、だった。特別で豪華な料理ではなく、日常にあふれた食べ物であっても、彼女の日常にとっては大切な食べ物だったのだろう。彼女を連れて、朝陽と共に動物園へゴリラを見に行った話を、音は楽しそうに話す。どこにでもある日常であっても、いやだからこそ、日常はかけがえのない思い出になる。音は、そして練は、そのようにして生きている。  だが、朝陽はもう、そうではない。音がその思い出を話しても、彼はおばあさんの名前も覚えていないし、きんつばやゴリラのことも思い出せない。音の悲しげで切ない表情は印象的だ。彼女は日常のために生きている。一方で今の朝陽にとって、日常とは何かの目的を果たすための過程に過ぎない。それは音にとって、日常そのものが目的であるのと正反対だ。音と今の朝陽は、同じ世界に立ってはいるが、違うものを見ている。  練の引っ越し屋の同僚たちは、彼が戻ってきたことを喜び、ささやかに祝う。先輩は、練の誕生日にぶっきらぼうな態度でコンビニのケーキを渡す。それはどこにでもある日常かもしれないが、だからこそ愛おしい。練も音もそのことを知っている。そしてそれは、きっと世界で最も大切な真理なのだ。2人は音のアパートで好きなものの話をする。うれしそうに。楽しそうに。音は笑いながら言う。 「好きなものの話って、楽しいですよね」  人は誰かと言葉を交わしながら生きていく。それは、何かの目的があるばかりではない。言葉を交わすことそれ自体が楽しいから、私たちは言葉を交わす。言葉を交わす相手が常にいること、それ自体がうれしいから、私たちは誰かと共に生きる。結局のところ、恋や愛や結婚とはそのようなものなのだろう。日常は何かのためにあるわけではない。日常はいつだって、それ自体のためにあるのだ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa

意味を与え、一緒に生きていく――忘れられないものとは何か?『いつ恋』第7話

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フジテレビ系『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
 ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第7話は、前回すっかり変わり果ててしまった練(高良健吾)が、忘れられないものを思い出すまでを描く。良くも悪くも、私たちは何かしらの忘れられないものを持っている。それに気付かないふりをすることができても、捨てることは許されない。失くしたと思っていても、あるいはそう自分で思い込もうとしても、それはいつまでもそこにあり、誰かから見つけられるのを待っている。  それを象徴するのが、練が仕事を紹介した誰かが会社に置き忘れたマンガ本だ。それはずっとそこに置かれていたはずだが、誰も開くことはなかったのだろう。それを開いたのは、音(有村架純)だった。音は変わってしまった練が嫌がる様子を気にもかけず、というか気にもかけていないふりをして、練にしつこく話しかける。もしかしたらその言葉の意味は、練には届いていないかもしれない。だが、音は話しかけるのをやめない。大事なのは言葉の意味ではなく、誰かが話しかける、それこそが大切なのだ。  そうして音はマンガ本を開き、1枚の写真を見つける。幼い少年と、父と母の写った写真だ。それはその誰かにとって、忘れられないものだったのだろう。忘れてしまったほうがずっと楽だ。荷物は軽いに越したことはない。だが、そうする権限は私たちにはなく、忘れられないものはただ黙ってじっとこちらを眺めている。マンガ本に挟まれた1枚の写真がそうであったように、忘れられないものは、ただひたすらにそこにあり続ける。  忘れられないものを目の当たりにした練は、自分自身の忘れられないものと向き合う。仕事で車の渋滞に巻き込まれた練が、渋滞の先を見に行くと、車椅子の老人があたふたしている。クラクションは鳴るが、誰も手を貸して助けることはない。仕方なく手を貸す練は、見たくないものを見てしまったような、嫌そうな表情を浮かべている。それは、第2話で腕立て伏せをする練を見ていた運送業の上司たちの顔のようでもある。  そして、練が帰ると、会社の前でブロック塀を投げようとしている男の姿に気付く。それは、マンガ本を忘れていった男のようだ。練は必死に追いかけ、抵抗する男に階段から突き落とされたりもするが、しかし無事にマンガ本を男の手のもとに戻す。あるべきものを、あるべき場所へ。誰かにとっての忘れられないものは、そうして意味をなす。  音にもまた、忘れられないものがある。朝陽(西島隆弘)から新品の花瓶をプレゼントされても、それまで使っていた空き瓶を捨てることはできない。その部屋は、音が初めて自分で自由にできる場所であり、彼女はそれを忘れられないでいる。だが、音と練が違うのは、忘れられないものがあると気付き、そんな自分を認めるかどうかだ。音は認めている。練は認めることができない。だから、忘れられないものの意味に気付かせてあげるのは、音の役目だ。  亡くなった練の祖父が着ていたパジャマのポケットから、音はレシートを見つける。蒸しパンや牛乳、甘いものを買っている。そこに彼の生活がある。また、植物の種を買っていたようだ。そこには、練すら知らない祖父の未来がある。最後の日、彼はカップ酒を2本買っている。練はその意味を知っている。あるいは、思い出す。忘れられないものを。 「じいちゃんは、自分じゃ1本しか飲みません。じいちゃんが酒を2本買うときは決まってます。種を植えたとき。種を植えたときです。1本は自分で飲んで、もう1本は、畑に飲ませます」  忘れてしまったほうがずっと楽だ。荷物は軽いに越したことはない。頭ではそうわかっていても忘れられないものが誰にでもあり、それに意味をつけるのは私たち生きる者の務めだ。亡くなった練の祖父のレシートに、音と練が意味をつけたように。静恵ばあちゃん(八千草薫)は2人に言う。「私たち、死んだ人とも、これから生まれてくる人とも、一緒に生きていくのね。精いっぱい、生きなさい」と。精いっぱい生きるということ。それはきっと、忘れられないものを見つめて、それに意味を与えてあげるということだ。  第7話のラストシーン、静恵ばあちゃんの庭で練と音は咲き誇る花を愛でている。音の横顔を練は愛おしそうに見つめるが、その愛おしさがどこか切ない。練にとって忘れられないものは、まだ残っている。それはつまり、音を思う気持ちだ。それはまさしく練にとって忘れられないものであり、練もまた、それに気付いてしまっているのだった。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa

忘れられない苦しさと、忘れようとする苦しさ――帰る場所はどこにあるのか?『いつ恋』第6話

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フジテレビ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
 ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第6話は、回想の場面から始まる。音(有村架純)が幼い頃、公園で母(満島ひかり)と遊んでいた日の思い出だ。「恋って何?」と訊ねる音に、母はこう答える。 「せやなあ。お母さんが思うのは、帰るとこ」 「おうちもなくなって、お仕事もなくなって、どこも行くとこなくなった人の、帰るとこ」  第5話までで東日本大震災の前日を描いたこの作品は、第6話になって5年後へと舞台を移す。音はまだ東京にいる。彼女だけではない、練(高良健吾)も、木穂子(高畑充希)も、朝陽(西島隆弘)も、小夏(森川葵)も、晴太(坂口健太郎)もまた、東京にいる。あれから5年がたった今でも、彼ら彼女らは第5話までと同様、まだ帰る場所を探している。  第5話までと第6話からの変化を象徴しているのが朝陽だ。介護施設の現場で働いていた彼は、今は本社に戻り、音と付き合っている。一見すると第5話までと同じような優しい笑顔を音には見せているが、ところどころに違和感がある。たとえば、現場の窮状を訴える部下に対して「だめなときは、だめなもんだからね」と突き放す様子は、これまでの朝陽とはどこか違っている。  あるいは、高級レストランで音と二人で食事をする場面。「ファミレスでいいのに」と言う音に対して、これぐらいのお店で食事することは「普通だよ」と朝陽は言う。また、その日に帰宅してパーティーに出かけようと音を誘う朝陽は「音ちゃんの年なら、普通なんだよ」と声をかける。朝陽は気づいていないかもしれないが、これは第2話の「今はどこの従業員も自腹だよ」や「みんな頑張ってるしワガママ言わないよね」というセリフと同様、どこか圧力がある。少なくとも音には似つかわしくない言葉だし、朝陽はそういった考え方から逃れようとしていたのではなかったか。  そして、朝陽は社長である父(小日向文世)から呼び出される。これまで父の右腕だった朝陽の兄が、もうついていけない、と異動願いを出したらしい。「弱いやつはだめだ」と言い放つ父は、明日から社長室に入るよう朝陽に命じる。「俺の跡を継ぐつもりでやれ」と。そして、続けて言う。 「お前ももう、30か。ついこの前、生まれたばかりなのにな」  こう父から言われた朝陽は、怒ることなく、言い返すことなく、ただ黙って笑ってしまうのだった。心からうれしそうに。幼い子どもが父親から褒められたときに見せるような笑顔で。だから、朝陽が帰る場所、帰りたいと本心で願っている場所はここなのだ。愛人の息子として生まれ、父親から無視され、疎んじられて過ごしてきた朝陽が本当に欲しいものは、父親から認められることだった。それが朝陽の帰る場所なのだ。これまで朝陽の生き方を応援してきた私たちは、この場面でどうしようもなく切なくはなるが、彼の帰る場所は彼が決めるのだから仕方がない。  あるいは、練にしてもまたそうだ。震災を経て、それこそ「おうちもなくなって」「どこも行くとこなくなって」しまった彼は、見た目も雰囲気も5年前とは大きく違ってしまっている。5年ぶりに再会した音に対して「あんたにはもうわからないよ。わからない。もう違うから」と冷たく言い放つ練は、帰る場所をどこかあきらめてしまっているようでもある。帰らない、もしくは、帰る場所などもうどこにもない、という生き方を選んでしまった練には、もうどんな言葉も届きそうにない。  帰る場所を忘れられない苦しさと、帰る場所を忘れようとする苦しさが、ともにある。だが、希望もまだ残っている。それは、帰る場所を自分で作るという希望だ。  かつて練の同僚だった佐引(高橋一生)は、まだ東京にいる。会津出身の彼は、まだ東京でしぶとく生き抜いている。もう、金髪だった髪は黒く染まっている。そして、初めて会った音に向かって「ボルトに走り方を教えてやったの、俺なんだよ」と、冗談を言う。これまで「小室哲哉のブレーンだった」という忘れられない思い出を抱えていた佐引は、自分の帰る場所を自分で作ろうとしているのだろう。それは朝陽や練にとっての、あるいは私たち視聴者にとっての、希望だといえる。  音の家にはまだ、桃の缶詰が置かれている。引っ越し屋さんだった練から初めて会ったときにもらった桃の缶詰が。音もまた、自分と、そして練の帰る場所を作ろうとするのだろう。それが恋という、「どこも行くとこなくなった人の、帰るとこ」だ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは@aizawaaa

狩野英孝、上西小百合議員もフルボッコ!『クギズケ!』に見る“関西ローカル”の強みとは?

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『上沼恵美子 スーパー・ベスト』(テイチクエンタテインメント)
 お笑い芸人の狩野英孝が14日放送の『上沼・高田のクギズケ!』(読売テレビ系)に出演。かねてよりウワサされていたタレントで恋人の加藤紗里との関係について釈明した。  番組は上沼恵美子の公開説教状態となり「あんたはオモチャにされてるんやで」「こんな女、別れなさい」と、年長者の意見が炸裂した。これを受けネット上では「狩野フルボッコで涙目」「上沼恵美子正論すぎる」といった反応が見られた。 「この番組は、過去には、上西小百合衆院議員を呼び、ボロカスに叩いたこともありますね。番組は終始、上沼さんのペースで進み、高田純次さんは借りてきた猫のようにおとなしいです。タレントの個性が全面に出た関西テイストあふれる番組といえます」(放送作家) 『上沼・高田のクギズケ!』は関西ローカル番組のように思われがちだが、実際は読売テレビと中京テレビの共同制作である。東海や関西圏だけでなく、北陸、中国地方、四国、九州、沖縄など全国的に広くネットされている。東京(関東)以外は、ほぼ全国ネットと言ってよい番組だ。 「『そこまで言って委員会NP』(読売テレビ系)や、『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送系)など、東京以外は全国的に放送されている関西局制作の番組は多いですね。なぜ東京にネットをしないのかといえば、多方面に配慮し過激なことが言えなくなるなど、自由な番組作りができなくなることを避けているのかもしれません」(同) 『そこまで言って委員会NP』は、2014年1月に亡くなったやしきたかじんがMCを務めていた番組である。「東京嫌い」を公言するたかじんが、関東ネットを許さなかったという話もある。『探偵!ナイトスクープ』も、朝日放送のキー局であるテレビ朝日ではなく、独立放送局で放送されている。 『上沼・高田のクギズケ!』に限らず、東野幸治が笑いを極力排して時事ネタに向き合う『教えて!ニュースライブ 正義のミカタ』(朝日放送)をはじめ、関西には注目の番組が多い。“自由すぎる”関西系テレビ番組に目を向けてみるのも面白いだろう。 (文=平田宏利)