ロンドンで恋人と同棲……母・藤圭子逝去で明らかになった宇多田ヒカルの今

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『This Is The One』(Umgd/Mercury)
 歌手・藤圭子が衝撃の死を遂げてから1週間がたち、新しい情報が明らかになってきた。「週刊文春」(文藝春秋/9月5日号)では、元歌手で実兄の藤三郎氏が、妹への思いとともに、圭子の元夫・宇多田照實氏に対する不信感を独白している。  記事によると、圭子と結婚した当時の照實氏は翻訳やガイド業を行っており、とても裕福とはいえない状況だったようだ。借金も抱えており、あるときは圭子の母に「金をくれ。ないんだったら、マンションを売って手配してくれ」と迫ったこともあったという。当然、母は難色を示したが、「マンションだって圭子が稼いだ金で買ったんだろ!」と怒鳴り、口論に発展。結局はマンションを売却して、3000万円ほどの金を照實氏に渡すことになった。  また、何度も離婚を繰り返している2人が復縁をするワケは、“離婚しても、照實氏が金に困って圭子の元に戻ってくるから”。三郎氏の家族と食事をした際も、圭子が「お金がない」と話し、20万ほど援助したことがあったという。  三郎氏の話から浮かび上がってくる照實氏の素顔は、少なくとも金銭面に関しては“典型的なダメ男”。圭子は最初の夫である前川清ともたった1年で離婚しており、恵まれた恋愛をしてきたとは言いがたい。  そして、宇多田ヒカルの足取りは、母に似ていると指摘されることも多かった。デビュー曲でヒットを飛ばし、音楽シーンで確かな存在感を放つ――という歌手としての歩みだけではない。19歳という若さで、かつ人気絶頂期に結婚し数年で離婚したところも、圭子と重なっている。  そんな宇多田の近況が、圭子関連の報道によって明らかになった。宇多田は現在、恋人とロンドンで暮らしているという。相手は、2009年に交際がスクープされた福田天人氏。長野県安曇野市に位置する、自然治癒力を高めることを目的とした施設の代表の息子で、仏教などをテーマとして扱う日本画家でもある。宇多田は精神的疲労を回復するために前述の施設を訪れ、そこで福田氏と出会った。とある音楽関係者は、こう話す。 「関係者の間では、宇多田は昔から『母に似て、躁うつの気がある』とささやかれていました。あの家庭で育てば無理もない話。実際、自伝『点 -ten-』(EMI Music Japan Inc)では、9歳の頃に『怒りとか不満とかいった感情が完全になくなっていることに気付いた。外界になにも求めなくなっていた』経験があると、自ら語っている。紀里谷和明氏との離婚も、自分の感情を無意識下でセーブしていたことが原因のようです。福田氏とは今のところうまくいっているようなので、このまま彼に支えられて、早いうちにアーティストとして復帰してくれればいいのですが……」  母ゆずりの類いまれな才能でトップアーティストとして君臨した宇多田だが、“男運のなさ”は継いでいないことを願いたい。 (文=足立くみこ)

ベテラン芸能記者・本多圭が回顧する、“怨歌歌手”藤圭子さんの素顔とは

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「圭子の夢は夜ひらく」(株式会社ミュージックグリッド)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  宇多田ヒカルの母親で演歌歌手の藤圭子さんが、8月22日早朝、新宿区内のマンションから飛び降り自殺した。享年62歳の若さだった。  今年3月、藤さんにとっては“恩師”といわれる作詞家の石坂まさをさんが亡くなった際、関係者が藤さんに連絡を取ろうとしたが、誰も彼女の連絡先を知らず、行方不明だったという。その藤さんが、デビュー曲「新宿の女」のキャンペーン時、石坂さんと駆け回っていた新宿という街にあるマンションから飛び降り自殺したというのは、因縁めいたものを感じた。  藤さんは69年に同曲でデビュー。この曲は「バカだな バカだな だまされちゃって♪」というフレーズが、70年代の全共闘世代の若者たちの共感を呼んだ。70年に発売された「圭子の夢は夜ひらく」はさらなる大ヒット、その年の音楽賞を総ナメにした。翌年には前川清と電撃結婚し、世間どころか、恩師である石坂さんをも驚かせた。しかし、結婚生活は長く続かず、1年で離婚。デビュー当時から藤さんを知る音楽関係者は「藤圭子はまだ、大人の女になりきっていなかったために、夫婦生活がうまく行かなかった」と当時、筆者の取材で語っていた。  その後、藤さんは79年に突然、引退を発表。アメリカに渡ったが2年後に帰国して、歌手復帰。翌年にはアメリカ滞在中に知り合った宇多田照實氏と再婚し、長女・宇多田ヒカルを出産した。夫婦でバックアップしてヒカルをデビューさせた後に、宇多田氏と離婚、再婚を繰り返して、07年に完全別離した。  離婚と前後して、藤さんはケネディ空港で所持していた42万ドルを没収された。その金はラスベガスのカジノで使う予定の金だった。藤さんはデビュー間もない頃にマージャンを覚え、それ以来、時間があればマージャンに没頭する無類のギャンブル好きだった。09年には、没収された42万ドルは返却されたが、それ以降、藤さんの消息は不明だった。日本に戻っているという情報もあったが、藤さんは業界関係者と一切、連絡を絶っていたことから、居場所はわからなかった。  しかし、今年3月の恩師の石坂さんの葬儀には姿を現すと誰もが期待していたが、ついに藤さんの姿を見ることはできなかった。藤さんと石坂さんの関係を知る音楽関係者は「藤さんは、石坂さんにさんざん利用されたと思い込んでいて、石坂さんを恨んでいました。彼のことだけじゃない、寄って集って彼女を食い物にした業界関係者を恨んでいましたよ。だから日本に戻ってきても、芸能関係者とは連絡を絶っていたんです」という。  筆者は藤さんが電撃引退して、2年足らずで復帰した姿勢について批判する記事を書いたことがあった。その記事に激怒した藤さんは、営業先だった立川市のキャバレーに筆者を呼びつけて、芸能界への恨みつらみを延々語り、深夜まで帰してくれなかったという苦い思い出がある。ここで藤さんは、石坂さんに、金銭面でも労働面でも過酷さを強いられ、そこから逃げる意味もあって、電撃引退したようなことを話していた。だが、復帰後の藤さんもその状況に満足しているようではなく、被害者意識が強かったような気がする。当時から、藤さんは芸能界というもの自体に怨念を持っていたのかもしれない。  それから、約30年の歳月が流れて、演歌ではなく、怨歌といわれた曲を歌い続けていた藤さんは芸能界との関係を絶って、この世を去った。亡くなった翌日23日は、皮肉にも石坂さんを偲ぶ会の日だった。あらためて、藤さんに合掌! (文=本多圭)

封印された藤圭子の評伝 運命を大きく変えた、大物作家との知られざる悲恋

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『藤圭子 ベスト・ヒット』(Sony Music Direct [Japan] Inc.)
 8月22日、マンションから飛び降り自殺を図った藤圭子。ワイドショーでは連日、関係者が生前の彼女の様子や思い出を語っているが、ぜひ藤について語ってほしい人物がいる。いや、“書いてほしい”と言うべきだろうか。  その人物とは、『深夜特急』(新潮社)、『テロルの決算』(文藝春秋)などで知られる人気ノンフィクション作家・沢木耕太郎である。最近ではロバート・キャパの代表作を題材にした『キャパの十字架』(同)を出版して話題を呼ぶなど、ノンフィクション界の第一線に立ち続けている大御所だが、実は沢木は、今から34年前の1979年、藤圭子のノンフィクションを書くべく1年間に渡って密着取材を行っていた。そして原稿を書き上げたのだが、なぜかそれは日の目を見ることなく、今も封印されたままなのだ。  なぜ1年も密着し、書き上げたものが発表されずにいるのか……。誰もが不思議に思うが、その理由は沢木と藤が取材を通して恋愛関係に発展、それがこじれた結果、出せなくなってしまったのだという。  この2人の経緯を暴露しているのは、伝説のスキャンダル雑誌「噂の眞相」1999年11月号。新宿御苑に程近い雑居ビルの壁際で、カップルのように親しげなムードで内輪もめを起こしている様子を見たというマスコミ関係者のコメントや、藤が突然引退して渡米したのは、沢木とニューヨークで暮らす約束をしていたからだとする関係者からの証言を紹介している。  実際、当時、藤と非常に親しい間柄だった人物も、その関係を示唆する文章を書いている。それは写真評論家・大竹昭子のエッセイ集『旅ではなぜかよく眠り』(新潮社/95年)に記載された、ある一文だ。「歌姫」と題された文章の中に、「歌手」と呼ばれる女性が登場し、彼女が「著名な作家」が書いたノンフィクション作品の本をぎゅっと抱きしめ、「この作家のことは知らなかったけれど、本人に会ったらとてもステキな人で、たちまち好きになってしまった。もうすぐニューヨークに来るので会うことになっている」と打ち明けるのだ。  もちろん、ここで登場する「歌手」は藤を、「著名な作家」とは沢木のことを指している。実は大竹は、ニューヨークに来たばかりの藤をしばらく居候させていたというのだ。「噂の眞相」では、80年代初頭にニューヨークで藤と付き合いがあったという人物が、藤がいつも沢木の話をし、沢木が書いた幻の原稿をいつもうれしそうに持ち歩いては周囲にそれを見せていたこと、そしてニューヨークで沢木と同棲する計画があることを話していたとも報じている。  この「噂の眞相」の記事では、沢木に直撃取材を敢行。ここで沢木は大竹のエッセイに登場するのが自分と藤であることを認め、「取材のプロセスで確かに彼女は僕に好意を抱いていたし、僕も好意を抱いていた。これは間違いありません」と返答。男女関係にあったことや、同棲の約束をしていたことについては否定しながらも、取材の終わりには「藤さんの家庭はうまくいっているの?」と直撃した記者に逆質問している。  沢木との恋に破れた藤は、その後すぐに宇多田照實と出会い、ヒカルをもうけるわけだが、その経緯を知ると、沢木が藤の人生において与えた影響は大きいと言わざるを得ない。藤について書いた原稿を発表しない理由を記者に問われ、沢木は「それは……話せません」と歯切れ悪く答えているが、少なくとも藤は、愛する人が綴ったその原稿を宝物のように大事にしていたのだ。  なぜ藤は、自らの手で人生の幕を閉じなければいけなかったのか? 今、封印してしまった原稿の続きを書けるのは、沢木をおいてほかにはいない。芸能界を一度は引退するほどまでに藤がかなえようとした恋に対して、今こそ沢木は決着をつけるべきではないのだろうか? (文=エンジョウトオル)

元マネジャー? 詐欺師? 著名人の近親者? 投身自殺した藤圭子さんの同居人の素性をめぐり情報錯綜中

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『新宿の女』(Sony Music Direct)
 宇多田ヒカルの母・藤圭子さんが22日、東京・西新宿の高層マンション13階から投身自殺し、亡くなった。62歳だった。  遺体は23日に新宿署から目黒区の碑文谷会館に移され、今後、娘の宇多田が到着するのを待って荼毘に付されるという。気になるのは、現場の高層マンションで藤さんと約6年間同居していたとされる30代の知人男性M氏の正体だ。M氏は警察の事情聴取に「男女の関係ではない。寝室も別だった」と答えるも、肝心の職業については明言を避けたという。  一部報道では元マネジャー説やホスト説、「著名人の近親者」という話もあるが、どれも確証のあるものではない。マスコミ対応した新宿署の副署長も、職業について聞かれると「一般の方」と繰り返すのみで、「普通の会社員なのか?」という問いには「それは言えない」と口を閉ざした。 「M氏が副署長に『(マスコミに)自分のことは口外しないでくれ』とお願いしたそうですが、それでも会社員か否かくらいは答えてもいいはず。あの歯切れの悪さを見ると、ワケありな感じがする」そうこぼすのは、現場記者のひとりだ。  そんな中、キナ臭い情報が現場で出回っているという。 「彼女の身の回りの世話をしていた元アシスタントという説が有力ですが、アシスタントといっても、彼女のためを思って善意でやっているわけではなかったとか。現場のマンションは3LDKで、価格は6,000万円ほど。名義人はM氏で、資金は藤さんから調達したといわれているんです。彼女に取り入って、金を引き出していたのではないか? とウワサされています」(週刊誌記者)  そればかりか「詐欺で過去に逮捕歴もあると聞きました」というから穏やかではない。現在、複数の週刊誌が総力取材中で、いずれ詳細が報じられるだろう。いまだ自殺の動機は明らかになっていないが、キーマン・M氏の素性から解決の糸口が見えてくるかもしれない……。

母・藤圭子の急死で心配される、娘・宇多田ヒカルの今後

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『藤圭子 ベスト・ヒット 昭和歌謡を歌う』(Sony Music Direct [Japan] Inc.)
 長らく行方が知れなかった歌手・藤圭子が8月22日、西新宿のマンションから飛び降りて亡くなった。62歳だった。  近年は“宇多田ヒカルの母”というイメージが強かった藤だが、彼女自身も輝かしい経歴を持つ歌手である。浪曲師の両親の元で、小学生の頃から人前で歌を披露して生活し、1969年「新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて」でデビュー。間をおかずリリースされた「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」など複数の楽曲を合わせて計42週連続でチャートの首位を守り抜くという偉業を成し遂げた。  歌手として華々しく活動する一方、スキャンダルでマスコミを騒がせてきた人物でもある。音楽業界関係者はこう話す。 「最初の夫である歌手の前川清と結婚したのは、人気絶頂だった19歳の頃。前川は22歳でした。周囲は『若すぎる』と反対しましたが、押し切って結婚し、わずか1年で破局してしまった。デビュー10周年である79年に『普通の女になりたい』という理由で引退した際も、『もうステージに立つことはない』と語って渡米したにもかかわらず、81年に『圭似子』の名義で復活。そんな藤の行動は世間に“気まぐれ”という印象を与えたのか、歓迎ムードというわけにはいかなかった。結局、翌年に再び渡米し、宇多田照實氏と結婚、83年に長女を――つまり、のちの宇多田ヒカルを出産しました」  藤が飛び降りたのは、同居していたという知人男性のマンションの13階。ふたりの関係は詳しく分かっていないが、6年前から共に暮らしていたという。しかし、遺体を確認したのは、前夫で音楽プロデューサーの宇多田照實。ふたりは07年に離婚しているが、絶縁状態という関係性ではなかったようだ。 「藤は離婚の際の財産分与で、多額の金を――恐らく100億円は受け取っているはず。06年、ニューヨークのケネディ国際空港にて、藤が所持していた約5,000万円の現金に麻薬探知犬が反応して差し押さえられていますが、その際は『カジノで使うために持っていた』『5年で5億を使った』と説明しています。藤は銀行を信用せず、いつも多額の現金をカバンに入れて持ち歩いていたようです。使い切れないほどの金を得たために、金銭感覚が狂ってしまったのでしょう。そういう意味では、宇多田ヒカルの成功がもたらした悲劇といえるかもしれない」  宇多田は活動休止後、ラジオで母の曲を流したり、YouTubeから母の動画が削除された際に「『面影平野』歌うカーチャンすごくかっこ良くて美しくて、ああくそどうにかあれダウンロード(保存?)しときゃよかった…」とツイートするなど、母としても歌手としても藤を尊敬していたようだ。  3年前に活動を休止した理由のひとつには、行方不明の藤を探すという目的もあったという。Twitterは21日で更新が止まっており、本人の心境を知ることはできないが、今後の活動が心配だ。 (文=木野雪)

宇多田ヒカルが”ブーム”を終わらせた!? ディーヴァの進化と退化の20年史

――「サイゾーpremium」から、今ホットな話題に関する記事をお届け!!  巷では22日に転落死した歌手の藤圭子さん(62)の話題でもちきりとなっていますが、娘であり同じく歌手の宇多田ヒカルさん(30)の動向にも注目が集まっています。  2010年8月に「『人間活動』に専念しようと思います」と宣言し、活動を休止。しかし、休止中にも彼女の楽曲は再評価され続け、歌手としての存在感が薄れることはありません。今回はサイゾー2013年8月号に掲載され反響を呼んだ『ディーヴァの進化と退化の20年史』をお届け。宇多田ヒカルという希代のアーティストが母親から譲り受けた才能についても言及しています。 ■今回のピックアップ記事 『宇多田ヒカルが"ブーム"を終わらせた!? ディーヴァの進化と退化の20年史』(2013年8月号特集「絶体絶命 音楽業界」より) ――日本の女性歌手に対して"ディーヴァ"という言葉が使われるようになったのが、90年代半ばあたり。現在までにそのワードは一般的に浸透したが、歌姫のJ-POP界における立ち位置や社会に対する役割は、どのように変化してきたのか? 鹿野淳氏、水無田気流氏、磯部涼氏の三者が分析!
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(絵/河合 寛)
■アメリカの流行をパクる!? 黒人音楽系 90年代後半、同時代のUSヒップホップ/R&Bを導入したトラックの上でソウルフルに歌い上げたUA、CHARA、MISIA、birdなど。宇多田ヒカルもデビュー時はアリーヤの日本版のようだったが、その後は特殊路線を進んで迷走?

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(絵/河合 寛)
■輝かしい過去に未練はナシ! 脱90年代系 2000年代以降に新たな支持層を獲得した、90年代デビュー組。小室ファミリーから抜け出した安室奈美恵や、JUDY AND MARYという偉大な過去を払拭したYUKIなどは、今も人気が衰えない。本誌がしばしばネタにしてきた椎名林檎も、ここに入るか?

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(絵/河合 寛)
■会いたすぎて震える歌詞! ギャル演歌系 2000年前後にギャルの教祖となった浜崎あゆみと、西野カナや加藤ミリヤといったその劣化版。歌詞はベタな感情しか綴られていないのが特徴である。西野カナのパンチライン「会いたくて会いたくて震える」は一時期、ネット上で笑いのネタにされました。

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(絵/河合 寛)
■YUIフォロワーが大繁殖! SSW系 SSWはシンガーソングライターと読む。メンヘラに勇気を与える絢香や、合唱コンクールみたいなアンジェラ・アキなど、さまざまなタイプが存在する。フォークギター片手に「CHE.R.RY」を大ヒットさせたYUIは、miwaをはじめとするフォロワーを量産。

 UAの『11』(96年)が90万枚、CHARAの『Junior Sweet』(97年)が100万枚、MISIAの『Mother Father Brother Sister』(98年)が300万枚売れたあの頃。同時代のUSヒップホップ/R&Bを取り込んだトラックの上で歌う彼女らは、"ディーヴァ(歌姫)"と呼ばれはじめた。  90年代半ばから起きたそのディーヴァ・ブームは、宇多田ヒカルの登場で頂点に。彼女の『First Love』(99年)は国内で860万枚以上売れた。が、今世紀に入りブームは沈静化し、ディーヴァという言葉自体が拡大解釈され、文化圏の異なる種々の女性歌手がJ-POP界で併存。その一類型を2000年前後に確立したのが浜崎あゆみだ。彼女の歌詞はギャルに訴求したが、現在媒体露出の多い加藤ミリヤや西野カナなどは、同じくギャル層に支持されている。  一方、90年代のポップ・アイコンになりながら00年代以降に新たなファンを得たのが、JUDY AND MARY解散後のYUKIや、小室ファミリーを脱した安室奈美恵。2人の人気は今も上昇しているようにさえ見える。  近年ではJUJUやAIといった歌手を音楽番組で目にするが、あのディーヴァ・ブームから約20年、歌姫の音楽性や歌詞や市場はどう変容したのか? 「ROCKIN’ON JAPAN」(ロッキング・オン)元編集長で「MUSICA」(FACT)創刊者の鹿野淳氏、詩人/社会学者でありながらJ-POPの歌詞分析もしてきた水無田気流氏、日本のアンダーグラウンドなヒップホップやクラブ・ミュージックに詳しい磯部涼氏の三者に考察してもらおう。 ■時代とズレていった宇多田ヒカルの特殊性 鹿野(以下、鹿) ディーヴァというと僕はセクシーでアーティスティックなイメージですが、CHARAは91年のデビュー時、その意味のディーヴァ感はなかった。エピックソニーは尖った女の子としてプロモーションしていましたが、当時の奇抜な格好は今のきゃりーぱみゅぱみゅに近い。95年のデビュー時からディーヴァ感があったのがUA。キャバレーのシンガー出身というストーリーだったり、デビュー・シングルが藤原ヒロシのプロデュースだったり、アーティスティックな面があった。当時、彼女に取材したときに、テクノDJのジェフ・ミルズのオールナイト・イベントに一緒に行きました。そういうアンダーグラウンドな音楽も、自分の生活圏でかじっていたんです。あの頃は渋谷系もあり、ラヴ・タンバリンズのeliなどが登場し、初めて邦楽が洋楽と同時代性を持った。そんな時期に女性歌手にアーティスティックなイメージが生じ、ディーヴァという大人っぽい言葉が使われだしたのは、自然な流れです。 水無田(以下、) 文学では80年代頃から女性が主体的にエロスを語ることが盛んに行われだしました。しかし90年代になると、現代詩や小説の世界でそれは廃れ、特に現代詩は詩語の純粋性を重視し、結果ポップなものから遊離したのですが、音楽の世界では自らの言葉と肉体で表現するディーヴァが登場したのが興味深いです。 鹿 ただ、あの頃のディーヴァはポップなものではなく、クラブでも聴けたりする音楽として僕は受け取っていました。そんなディーヴァ像をプロデューサーとして確立したのが大沢伸一。CHARAをディーヴァにしたのも、UAやbirdをヒットさせたのも、クラブ/ブラック・ミュージックを下敷きに音楽を作った彼の功績。 磯部(以下、) 90年代中頃、日本のアンダーグラウンドなヒップホップがメジャーからリリースされ、それがわりと売れた。その女の子版として、同時代のUSのR&Bを取り入れたプロダクションでディーヴァがデビューした側面も。例えばDJ WATARAIがリミックス、MUROがラップでフィーチャーされたMISIAのアナログが当時、レコード村と呼ばれた渋谷の宇田川町で何千枚も売れた。日本でいうディーヴァって要は、日本人女性の身体性と心情を黒人音楽を通していかに表現するかということだと思います。そういう試み自体は昔からあり、あの頃にようやくうまくいき始めたのかなと。そして90年代終わりに早くもディーヴァ・ブームのクライマックスが訪れた。それが宇多田ヒカルの登場。彼女はUSのR&B歌手アリーヤの日本版みたいなプロダクションでデビューしましたが、日本人の10代の女子の心情を見事に表現していた。 「Automatic」(98年)の歌詞は完成度が高いですね。まず、「automatic」や「computer screen」といった英語での縁語使いが巧い。また、「ひとりじゃ泣けない/rainy days」「指輪をさわれば/ほらね/sun will shine」と対句でさりげなく脚韻を踏んでいます。口ずさみやすい韻律と比喩表現が噛みあった歌詞です。当時は旧来の主体性や自我に拘泥せず、軽やかに恋愛を歌う女性像が求められた、まさにそこに現れたのが彼女。しかし「ほれてる」という、母親・藤圭子の演歌の世界で使われるような言葉もあり、英語圏のロマンチックラヴ・イデオロギーとは異なる性愛表現も。それを10代の帰国子女が使ったのに驚きましたが、以後は帰国子女でなければ許されないほどベタな歌詞に……。  桑田佳祐にしろBOØWYにしろ、長い間、日本のポップスは日本語と英語のチャンポンを使っていましたが、初期の彼女の歌詞はそれとも違い、アメリカン・スクールの子たちの会話を盗み聞きするようなリアルさがあった。「Addicted To You」(99年)の「君にaddictedかも」というラインで表されるのはベタな感情ですが、語感が特殊だから新鮮に聴こえた。 鹿 彼女の音楽は1stアルバムでそのオリジナリティが完成していました。母親は演歌歌手で、父親はPiLみたいなポストパンクが好きな音楽プロデューサー。そんな両親に音楽的英才教育を受け、かなり独特な音楽観に。また、基本的にはネクラですが、だからこそオープンマインドなアメリカン・スクールに通った。そのため、内面には悲しさと解放感が同居。これらが結晶となったのが1stです。でも、それ以降はいろんな批評や情報を受け入れ、表現が時代とシンクロするようになりました。  彼女自身がトラックのプロダクションにかかわってますが、USのR&Bのモードを踏襲しているようで全然違い、かなりオリジナル。それがだんだん時代と離れ、独自の内面的な表現に。黒人音楽は、流行にいかに対応するかが重要です。極端な話、イケてたらパクリでもOK。とっぴな洋服を着ればいいのではなく、モードをどう着こなすかが求められるファッションと一緒。そんな意味で宇多田は独特すぎましたが、ディーヴァのモード性を保持するのが安室奈美恵。小室哲哉のプロデュースでアイドル的な人気を集めましたが、自身にプロダクションの主導権が移ってからUSのR&Bのモードを彼女なりに表現するように。 鹿 宇多田ヒカルがUS進出につまづいた理由は、まさにそこ。一方、ディーヴァの説得力の自己プロデュースに成功したのがYUKI。JUDY AND MARY解散後、ソロになった彼女はセールスが下がった時期もありましたが、特にお子さんを亡くす不幸があった頃の『joy』(05年)からは、そういった経験も糧にして爆発的に女性としての説得力を備えた。今はほとんどプロモーションもしていませんが、人気を持続している。  ソロ以降の彼女の歌詞はいわゆる女性共感系ですが、JAM時代のガーリーさも引き継ぎつつ、母性や強さの表現にも成功。他者に欲望されることを欲望する女性の心性を乗り越える歌詞でもある。「ハローグッバイ」(04年)には「私が見てきたすべてのこと/むだじゃないよって君に言ってほしい」とあります。女性の価値は経年と経験により確実に下落し、それはアイドル的な消費のされ方をするとなおさらですが、そんな女子の現実を力強く歌っているのです。 ■浜崎あゆみの歌詞を内面化した女性たち 鹿 そうやって考えると、ディーヴァの価値観の根本にあるのが、女性の共感を呼ぶということなのかな。YUKIは女性ファンがほとんどだし、宇多田もそう。  圧倒的に女性ファンが多いのが浜崎あゆみ。ほぼ10割です。ただ、歌詞は「僕ら」語りが多い。 「Boys & Girls」(99年)の頃から「僕ら」遣いが目立ちます。「輝きだした/僕達を誰が止めることなど出来るだろう」と、ここに歌われるのは恋人同士とも取れますが、浜崎とファンとの絆、仲間意識を強調する歌詞にも読める。また、「YOU」(98年)には「きっとみんなが思っているよりずっと/キズついてたね/疲れていたね/気付かずにいてごめんね」とありますが、仲間との共感の目線か、男の子から向けられたい視線か、あえて特定されていない。 続きを読む (全文無料公開中です) 「サイゾーpremium」では他にも音楽業界の裏側に迫る記事が満載です!】混乱するYUKI、お祈りを欠かさないUA……ディーヴァたちのキテレツ&トンデモ発言集【音楽レーベルPR担当座談会】芸能事務所の力で番組にゴリ押し新盟主はアミューズ!?ビーイング、エイベックスが"荒らした"? タイアップがアニソンにもたらした功と罪
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宇多田ヒカルと母・藤圭子の「関係」に口出しする権利は誰にもない

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(『藤圭子 GOLDEN☆BEST』BMG JAPAN)
 8月22日の朝、宇多田ヒカル(30)の母親で、歌手の藤圭子(享年62)が亡くなった。東京都新宿区にあるマンションの13階ベランダから、自ら飛び降りたと見られている。家族とは疎遠で、そのマンションの部屋は、約6年同居していた30代の知人男性宅だったという。  彼女について、アルコール依存症だった、いや、うつ病だった……と口々に「音楽業界関係者」がコメントしているが、宇多田ヒカルは公式コメントを出していない。実母がそのような形で亡くなったのだから、すぐにコメントをよこせ、という方がおかしいだろう。新宿署に安置されていた藤圭子の遺体は、前夫で音楽プロデューサーの宇多田照實に付き添われて都内の斎場へ移送されたが、娘の姿はそこにはなかった。 つづきを読む

飛び降り自殺した宇多田ヒカルの母・藤圭子「6~7年前から音信不通だった」

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『藤圭子 GOLDEN☆BEST』(BMG JAPAN)
 宇多田ヒカルの母親で、歌手の藤圭子が22日、東京・新宿区のマンション敷地内で倒れているところを発見され、病院で死亡が確認された。関係者によると、知人男性のマンションから飛び降りたものとみられ、自殺の可能性が高いという。藤は今年3月、恩師ともいえる作詞家の石坂まさを氏の葬儀に顔を見せなかったことから、行方不明説がささやかれていた。 「6~7年ほど前から音信不通になりました。数百億円ともいわれる宇多田の稼ぎの一部を財産分与で譲り受けたこともあり、カネには困っていないようです。数千万ドルの貯金があるとか。一説には、米国に渡り、現地でビジネスをやっているのでは、という話もありましたね」(芸能ライター)  藤といえば、「圭子の夢は夜ひらく」などで知られる往年の名歌手だが、近年は宇多田ヒカルの母親として注目を集めていた。そして、何よりも奇行の多さでメディアを賑わせた。 「2006年に米ニューヨークのJFK国際空港で、所持していた42万ドル(当時のレートで約4,900万円)を没収されたことが大きく報じられました。現金から微量の規制薬物が検出されたことから、麻薬取引のために使われた現金と見なされました。藤は、ニューヨークの金庫に保管していた現金にギャンブルで勝った金を加えたものだと、違法性を否定。これが認められ、09年に現金が返還されました。しかし、そんな大金を所持してアメリカの空港をウロウロしていたのも異様だと、当時は大きな話題となったものです。世界中を旅して5億円は使ったなどと報じられていたので、てっきり海外にいるのだと思っていましたが、まさかこんなことになるとは……」(同)  藤のこれまでの足取りや自殺の動機など、詳細については現在のところ不明。残された遺族でもある、宇多田ヒカルの動向が注目される。

ラジオで活動再開の宇多田ヒカルにささやかれる“長期スランプ”「オファーは絶えないが……」

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これが1999年(『First Love』EMIミュージック・ジャパン)
 2010年8月に「しばらくの間は派手な『アーティスト活動』を止めて、『人間活動』に専念しようと思います」として休業していた歌手の宇多田ヒカルが、ラジオ番組で仕事復帰するという。  昨年11月には、映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズの第3作の主題歌として2年ぶりに新曲を発表しているが、関係者からは「以前からウワサされたスランプからは抜けていない状態」という話も聞かれる。  音楽ライターによると「知人には“以前は神様が下りてくるように浮かんだメロディが浮かばない”と漏らしていたようで、先日の新曲も、実はもっと前に書かれたストック曲だったという話」だという。  ただ、その人気は相変わらず高く、休業中も新曲のオファーは絶え間なく続いていたようだ。 「特に休養中は、宇多田の復帰作が主題歌になれば話題になるからと、映画やドラマの関係者からのアプローチが多かったそうです。ただ、肝心の創作活動が鈍く、過去のストック曲の掘り起こしだけでなく、秘密裏に外部ソングライターと接触して協力してもらっているとか」(同)  アーティストの中にはほかの作曲家に曲を書かせて高値で買い取り、作曲クレジットを自分の名前にするという手法をとっている者もあり、もし宇多田もそうした手を使うのであれば、スランプは本当だということになる。 「もともと彼女は楽器があまり弾けない人。以前、作曲方法を聞かれて鼻歌だと答えたこともありましたが、普段から楽器を弾いていてアイデアを生むという習慣もなく、コンピューターソフトを使っての作曲なので、これまでも多くの裏方ミュージシャンに手伝ってもらっていましたからね。こういうタイプは、スランプに陥りがちだとは思います」(同)  ただ、拠点であるニューヨークの音楽関係者からは「作曲手法よりも、出せば必ず売れるという神話を守らなくてはならないプレッシャーが大きすぎた様子」という話も聞かれる。 「以前、激太りしていたのも、そうしたプレッシャーによる過食だったと聞きました。サバサバしているように見えますが、実際は結構ナイーブ」(同)  休養中の“人間活動”は「友人たちと食事や遍路、フランス語の勉強、またオンラインゲームにハマったりしていた」というのが関係者から聞かれる宇多田の近況だが、本人は「自分の家賃も知らない。イタイ大人になってきてる」「できたら外国でボランティアとかやりたい」とも語っており、若くして成功した人が陥りやすい空虚な感覚が、スランプの根底にあるのかもしれない。本格的な音楽活動の再開を待ちたい。 (文=鈴木雅久)

「恩人の葬儀にも顔を出さず……」宇多田ヒカルの母・藤圭子が消息不明に

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『藤圭子 GOLDEN☆BEST』(BMG JAPAN)
 今月9日、作詞家の石坂まさをさんが腎臓がんのため、この世を去った。享年71歳。石坂さんといえば、宇多田ヒカルの母・藤圭子の“生みの親”で知られ、代表曲「圭子の夢は夜ひらく」など数多くの楽曲を手掛けた。  そんな“恩師”の通夜・告別式が13日から14日にかけて都内某寺で営まれたが、駆けつけた200人の弔問客の中に藤の姿はなかった。これにはワイドショー関係者も「さすがに来ると思い、カメラまで出したのに……」と肩を落とすしかない。  来なかった理由について、芸能プロ関係者は「誰も彼女と連絡が取れないから。石坂さんが亡くなったことも、彼女は知らないだろう」と推測。同氏によれば「異変が起き始めたのは6~7年前くらい。ちょうど米国のケネディ国際空港で現金42万ドル入りのバックを警察に没収された騒動を起こしたあたりかな。心配した知人が彼女に電話しても、電波の届かないところにいるか、すぐに留守電に切り替わってしまった」。  本人からの折り返しもないため、自然と藤の存在は関係者の間でも忘れ去られていったという。  07年には夫の照實氏と離婚が成立。週刊誌デスクいわく「財産分与で娘の宇多田が稼いだ数百億円の財産の一部を手にしたそうだ。それを元に米国に渡り、現地でビジネスをやっているという話もある。一説には数千万ドルの貯金があるとか。今ごろ好き勝手に豪遊していることでしょう」。  後日、石坂さんのお別れ会が行われるというが、日本に未練のない藤がやって来る可能性は限りなく低い。