
フジテレビ本社
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
フジテレビの重役人事で、新任常務に取締役映画事業局長の亀山千広氏(56)と、執行役員クリエイティブ事業局長の大多亮氏(54)が抜擢されたことで、フジの“次期社長レース”の行方がにわかに注目されている。
亀山氏は、かつて興業配収175億円、実写邦画史上最大の観客動員数を記録した織田裕二主演の映画『踊る大捜査線』をプロデュース。ドラマでは木村拓哉と山口智子が主演した『ロングバケーション』を手掛け、社内外から高く評価されている。
一方、大多氏は『東京ラブストーリー』に出演した女優の鈴木保奈美と“不倫”という味噌をつけたものの、『101回目のプロポーズ』なども手掛けて、90年代はトレンディドラマの仕掛け人といわれた敏腕プロデューサ―だ。同じ早稲田出身で、ライバルといわれた2人が同時に常務に昇進したことで、豊田皓社長(66)に代わって、どちらかが次期社長になるのではと、芸能界もその出世レースの行方を固唾を飲んで見守っている。下馬評では、ヒラの取締役を経験せずに2階級昇進した大多氏が、勢いでは優勢といわれているようだ。
だが、筆者がフジの日枝久会長(75)に近い人物から入手した情報では、本命は常務の遠藤龍之介氏(58)だという。遠藤氏は、芥川賞作家で“狐狸庵先生”と呼ばれて親しまれた故・遠藤周作氏の長男だ。
生前、狐狸庵先生は「大学受験は、なんの役にも立たない。そんなものに貴重な青春時代を浪費するのは愚の骨頂だ」といって、龍之介氏には大学受験を勧めなかったという。したがって、龍之介氏は高卒でフジに入社。もちろん、父親のコネがなければ、超人気企業に高卒などでは入れなかっただろうが、入社後、制作や総務を経験して常務に昇進したのは、遠藤氏の実力があってのことだったのだろう。そんな遠藤氏を「実は日枝会長が相当かわいがっているんですよ」(前出の日枝氏に近い人物)という。
日枝氏は、24年間もフジのトップに君臨してきたワンマン会長。社長人事にも絶大な影響力を持っている。その会長が、遠藤氏を次期社長にと考えているというのだ。現職の豊田皓氏はまだ66歳。すぐとはいかないだろうが、近い将来、フジの社長に就任するのは遠藤氏というわけだ。果たして、高卒の社長が誕生するのか? フジの次期社長レースから目が離せなくなった。
(文=本多圭)
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「すでに同居中」安達祐実が、ついにスピードワゴン井戸田との復縁・再入籍を決意か

『Gravitation』
(ラインコミュニケーションズ)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
お笑いコンビ「スピードワゴン」の井戸田潤が、元妻で女優の安達祐実に復縁を迫って約4年。ついに再入籍を決意させたという情報を入手した。
2人は2005年に“できちゃった婚”して世間をアッと言わせたが、4年後の09年に離婚した。原因は井戸田の浮気ともいわれたが、最も大きかったのは、DVまがいの行為と育児放棄の積み重ねだったようだ。例えば安達が妊娠中、仕事で早朝の飛行機に乗らなければならかった井戸田がうっかり寝坊。それを安達のせいにして、彼女に携帯電話を投げつけた上、身重の安達に車で空港まで送らせたこともあったという。加えて、安達の母親である安達有里と井戸田との間に確執があったともいわれている。
安達は日本テレビのドラマ『家なき子』で子役として大ブレークしたが、その頃から母親の有里は、安達に所属事務所サンミュージックの正式なマネジャーが付いているにもかかわらず“ステージママ”としてテレビ局に出入りし、出演者やスタッフに余計なことを言っては、安達の足を引っ張ってきた。安達と黒田アーサーの熱愛が発覚した時も、麻雀仲間だった黒田に思いを寄せていた母親は嫉妬して、交際に反対した。
離婚後、安達は母親が住む実家に戻ったが、その直後から母親の若いボーイフレンドが自宅に頻繁に出入りするようになった。有里は娘に若いボーイフレンドを盗られるのではないかと嫉妬。あきれた安達は子どもの教育上もよくないと、約1年前に実家を出た。ここから、復縁のラブコールをし続けていた井戸田のマンションで同居がスタート。マンション近くのスーパーで、親子3人水入らずで買い物する光景が頻繁に目撃されているという。
しかし、再入籍したという話は聞かれなかった。井戸田も心を入れ替え、安達には献身的に接しているという。井戸田と安達は、有里とは絶縁状態で、こうした点でも夫婦生活に戻る障害はなくなったと思われた。
あとは、何かしらのきっかけが必要だったのだろう。ここに来て、安達をよく知る芸能関係者から「子どもが来年、小学校に入学する。有名私立に入れるためにも、再入籍して、家庭環境を整えることを決意したようだ」という情報を入手した。4年も復縁コールをし続けた井戸田の気持ちの本気度は相当なもののはず。子どものためにも再入籍はいいことだ。そして、最近影が薄くなった感のある、お笑いの仕事においても発奮してもらいたいものである。
(文=本多圭)
「すでに同居中」安達祐実が、ついにスピードワゴン井戸田との復縁・再入籍を決意か

『Gravitation』
(ラインコミュニケーションズ)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
お笑いコンビ「スピードワゴン」の井戸田潤が、元妻で女優の安達祐実に復縁を迫って約4年。ついに再入籍を決意させたという情報を入手した。
2人は2005年に“できちゃった婚”して世間をアッと言わせたが、4年後の09年に離婚した。原因は井戸田の浮気ともいわれたが、最も大きかったのは、DVまがいの行為と育児放棄の積み重ねだったようだ。例えば安達が妊娠中、仕事で早朝の飛行機に乗らなければならかった井戸田がうっかり寝坊。それを安達のせいにして、彼女に携帯電話を投げつけた上、身重の安達に車で空港まで送らせたこともあったという。加えて、安達の母親である安達有里と井戸田との間に確執があったともいわれている。
安達は日本テレビのドラマ『家なき子』で子役として大ブレークしたが、その頃から母親の有里は、安達に所属事務所サンミュージックの正式なマネジャーが付いているにもかかわらず“ステージママ”としてテレビ局に出入りし、出演者やスタッフに余計なことを言っては、安達の足を引っ張ってきた。安達と黒田アーサーの熱愛が発覚した時も、麻雀仲間だった黒田に思いを寄せていた母親は嫉妬して、交際に反対した。
離婚後、安達は母親が住む実家に戻ったが、その直後から母親の若いボーイフレンドが自宅に頻繁に出入りするようになった。有里は娘に若いボーイフレンドを盗られるのではないかと嫉妬。あきれた安達は子どもの教育上もよくないと、約1年前に実家を出た。ここから、復縁のラブコールをし続けていた井戸田のマンションで同居がスタート。マンション近くのスーパーで、親子3人水入らずで買い物する光景が頻繁に目撃されているという。
しかし、再入籍したという話は聞かれなかった。井戸田も心を入れ替え、安達には献身的に接しているという。井戸田と安達は、有里とは絶縁状態で、こうした点でも夫婦生活に戻る障害はなくなったと思われた。
あとは、何かしらのきっかけが必要だったのだろう。ここに来て、安達をよく知る芸能関係者から「子どもが来年、小学校に入学する。有名私立に入れるためにも、再入籍して、家庭環境を整えることを決意したようだ」という情報を入手した。4年も復縁コールをし続けた井戸田の気持ちの本気度は相当なもののはず。子どものためにも再入籍はいいことだ。そして、最近影が薄くなった感のある、お笑いの仕事においても発奮してもらいたいものである。
(文=本多圭)
ベテラン芸能記者が明かす“演歌界のドン”故・長良じゅん会長の素顔
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
氷川きよしの芸能界の育ての親で、“演歌界のドン”と呼ばれ、「長良プロダクション」などを抱える長良グループ会長の長良じゅんさんが5月2日、ハワイのゴルフ場で不慮の事故死を遂げた。享年74歳。長良会長のプロフィールや人脈の広さについては、すでに報道されているのでここでは省くが、長良会長がなぜ“演歌界のドン”と呼ばれるようになったのか? 筆者が知る、素顔の一面を紹介したい。
若い頃は、木倉事務所のスタッフとして、雪村いずみや水原弘といったスターのマネジメントにかかわった長良会長は、20代で独立し、故・黒木憲や君夕子といった演歌歌手を育てた。経営的には決して順風満帆ではなく、廣済堂グループのバックアップを受けたこともあったが、新たな演歌歌手を育てたいという気持ちは人一倍強く、1981年に山川豊をデビューさせた。
「山川豊」という名前は、一世を風靡した橋幸夫のマネジャーの名前だった。山川がデビューする直前に、長良会長の先輩に当たる、敬愛していたそのマネジャーが階段から転落死。哀悼の思いを込めて、自分が手がける新人歌手に先輩の名を付けたのだ。その後、90年代に入り、田川寿美、水森かおりらをデビューさせたが、悲しいかな演歌は衰退の一途を辿っていた。低迷する演歌界に新風を吹き込んだのが、氷川きよしだった。氷川の芸名は、長良会長に頼まれてビートたけしが付けたものだが、両者と親しい筆者もその命名の場に同席させてもらったのを覚えている。
実は筆者と長良会長は30年来の親しい関係だ。長良会長は筆者を「圭、お前は俺の弟分だ」と言って可愛がってくれた。それだけに、長良会長の思い出については語り尽くせないほどだ。
以前は、夜の銀座に毎晩のように繰り出していた。クラブでは、ついたホステスにあらかじめ用意していたチップを配る。店で偶然、テレビ局や芸能プロ関係者、それにタレントが別のテーブルで飲んでることを知るや、さり気なくボトルをプレゼントしたり、支払いを済ませる。気配りの人だった。それだけに人望が厚かった。それが結果的には仕事につながっていったのだろう。ちなみに、15年くらい前から「銀座は若いねえちゃんがいないから、面白くない」とホームグランドを六本木に替えたが、遊びのスタンスはまったく変わらなかった。余談だが、演歌はこよなく愛したが、カラオケは苦手のようで、長良会長が歌っているところを一度も見たことがない。
一見強面に見えるが、マスコミに対して威圧的は態度を見せることはなかった。週刊誌などに、所属のタレントに関する不都合な記事が掲載されると「担当者に会って、食事したい」と申し込む。指名された担当者はビビりながら長良会長に会うが、話が始まると、威圧するどころか、いつの間にか長良会長のペースに巻き込まれる。人を惹きつける不思議な魅力を持っているのだ。硬派なジャーナリストも、彼の前では陥落した。
しかし、裏の面も持ち合わせていた。暴力団と黒い交際だ。昔は「圭、興行の世界はヤクザとの関係は切り離せない。だからといって、歌手を犠牲にはできない。俺が防波堤になるしかないだろ」と言っていた。だが、10年くらい前だろうか、長男を後継者として次期社長にすることを決めた時点で、暴力団との関係を見事に断ち切った。実に勇気ある決断だった。関係を断つことに伴う暴力団絡みのトラブルもあっただろうが、長良会長はブレなかった。
長良会長には、まだまだ教わることがたくさんあったにも変わらず、突然の死。今は気持ちの整理がつかない。大好きだったハワイで死んだことがせめてもの救いだと、自分に言い聞かせるのが精一杯だ。
長良会長の愛息であり、長良プロダクションの社長でもある神林義弘さんには、会長の意思を次いで“演歌の火”を消すことなく守り続け欲しい。改めて、合掌!
(文=本多圭)
北野武監督『アウトレイジ ビヨンド』クランクイン “暴力団絶縁宣言”の中野英雄も出演へ
東日本大震災の影響で無期延期になっていた北野武監督の『アウトレイジ』の続編『アウトレイジ ビヨンド』の制作発表が4月17日に行われた。
日本を恐怖のどん底に陥れた震災、それによる福島第一原発事故直後、北野監督は2011年4月から予定されていたパート2のクランクインを、「映画を撮っている場合じゃない。そんな気持ちになれない」と無期延期。すでに出演が決まっていた西田敏行らに撮影延期を伝えたところ、「いつまでもスケジュールを空けて待ってます」と言ってくれたことに感激していた。その後、昨年10月に東京都でも施行された「暴力団排除条例」という難題が持ち上がった。『アウトレイジ』に出演した中野英雄に暴力団との黒い交際のウワサが上っていたからだ。
10年6月に公開された『アウトレイジ』は、興業配収7億5,000万円のヒットとなった。これに気をよくした北野監督がパート2を企画。ところが前作では、ビートたけし演じる山王会の大友組長は、抗争を続ける村瀬組の若頭・木村を演じる中野に刑務所の中で刺殺されて終わっている。パート2は、実は死んだはずの大友組長は生きていたという設定にした。それだけに、大友組長を刺殺した木村を演じた中野は外せない。
Vシネマ男優のイメージが強かった中野も『アウトレイジ』で再評価されただけに、ぜひともパート2に出演したかった。彼は知人を通じて筆者に「僕は役者を続けたい。だから、これまでの暴力団との関係をウソ偽りなく話して、暴力団と絶縁する」と言ってきたので、筆者の仲介で、暴排条例施行直前に、中野は勇気を持って「週刊実話」(日本ジャーナル出版)で“暴力団絶縁宣言”をして、新たな役者人生をスタートさせた。こうした中野の姿勢を受けて、『アウトレイジ ビヨンド』にも中野の出演が決定した。
北野監督は、「新作は、西田敏行さんや神山繁さんといった演技派俳優揃い。みんな自分の演技をするから、なかなか撮影が進まない。初めからクタクタだよ」とうれしい悲鳴を上げていた。
その監督とは、制作発表の2日前に東京スポーツの連載インタビューで会った。ここでたけしは、小林幸子の事務所騒動について、こんな話をしてくれた。
「結局、小林のダンナが、事務所の社長に金を払うのがもったいなくなっちゃたんだろ? まあ身内が仕事に口を出してきて、会社を辞めさせたり独立させようとするのはよくある話だよ。身内にしてみたら、銭が惜しくなる。実は、うちのかみさんもそうなんだよ。俺は弟子たちの家の家賃の面倒を見てるけど、この間、それを『なんであの子たちの家賃を払うの、弟子なんかいらないでしょ』と、珍しく真顔で言われたよ。『どうしてお前はバカなんだ、弟子がいるから俺はここまでなれたんじゃねえか』って言ってやった。実際、そうだもの。『お笑いウルトラクイズ』とかで体を張ってゲームをやってくれたのは弟子なんだから」
たけしの言う通りだ。スターの中には、自分の一人の力で現在の地位になったと思い違いする連中が多い。周りが支えてくれるからこそ、今の自分があることを忘れてはならない。小林の騒動ではいろんな芸能人が発言しているが、たけしのコメントが一番、当を得ていた。
弟子や周りのスタッフを思いやるたけしの姿勢を再確認してうれしくなった。
(文=本多圭)
11月復帰予定の酒井法子に影を落とす弟の逮捕と日中の闇人脈……

復帰そのものはもう既定路線。
11月復帰予定の酒井法子に影を落とす弟の逮捕と日中の闇人脈……

復帰そのものはもう既定路線。
“ホタテマン”逝く 安岡力也の男気あふれる一生

『豪快さん~嵐のカツ丼』
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
俳優の安岡力也さんが4月8日、病魔との闘いに力尽きて心不全のために死去。享年65歳の若さだった。
力也さんとはよく遊んだ。彼と知り合ったのは25年ほど前。筆者が応援している札幌在住の演歌歌手で、道内の刑務所で受刑者にカラオケ指導を続けている篤志面接員(刑務所内で受刑者をサポートするボランティア)の二美仁に会ってもらうためだった。当初は、力也さんが所属していた芸能事務所のオーナーが筆者と同行する予定だったが、急用ができたために代理として来たのが力也さんだった。
羽田空港に現れた力也さんは、急に同行することになったために着の身着のまま。2月だというのにコートすら着ていなかった。その格好で極寒の札幌で耐えられるかと心配だった。だが、そんな小さなことなどまったく気にしない性格の力也さんとは、会ってすぐに意気投合し、札幌の夜を満喫した。この時、酔った勢いで筆者が「本当にケンカ強いの?」と力也さんを挑発。すると彼は、筆者をひょいと持ち上げ、雪の中に思いきり放り投げた。ウワサ通り、強かった。
用事が済んだ次の日、2人で登別温泉へ遊びに行った。深夜、露天風呂に入ったはいいが、あまりの寒さに、出るに出られない。頭に雪が降り積もる。翌日、2人とも風邪を引いて、辛い思いで東京に戻ったことをいまだに忘れない。力也さんとは別れ際に「今度、銀座で飲もう」と約束。しばらくたってから、銀座のクラブで飲んだ。そこで、力也さんの意外な一面を見せられた。
付いたホステスに一目惚れした力也さんは、執拗に口説いたのだ。ホステスは「今日は生理だからダメ」とやんわり断った。後日、力也さんから、同じクラブに誘われた。「あのホステスの生理が終わった頃だろうから、再チャレンジしに行く」と言うのだ。力也さんは、「お前のマンションに行きたい」とホステスを口説いたが、今度は「田舎から母親が来てる」と断られた。
「生理」と言われた時点で、残念ながらフラれたことに気がつくと思ったが、純粋な力也さんはマジに惚れたのかもしれない。案の定、3度目のアタックを試みた。すると、ホステスは生半可な言い訳では通じないと思ったのか、「実は私、格闘家のMさんと付き合っているの」と言ったのだ。Mとは、有名なプロレスラー兼格闘家だった。ホステスの話がウソか真かわからないが、力也さんはその言葉を鵜呑みにして、「Mとは親友。親友の女を口説くわけにはいかない」と引き下がった。力也さんの優しく、男気ある一面を見た思いがした。
力也さんと最後に会ったのは、7~8年前。月刊誌「サイゾー」のインタビューをコーディネイトした時だった。その直後から、病魔との闘いは始まったようだが、豪放磊落な力也さんらしく、最後まで弱音を吐くことはなかったという。酒と食と女をこよなく愛した力也さんに合掌!
(文=本多圭)
“ホタテマン”逝く 安岡力也の男気あふれる一生

『豪快さん~嵐のカツ丼』
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
俳優の安岡力也さんが4月8日、病魔との闘いに力尽きて心不全のために死去。享年65歳の若さだった。
力也さんとはよく遊んだ。彼と知り合ったのは25年ほど前。筆者が応援している札幌在住の演歌歌手で、道内の刑務所で受刑者にカラオケ指導を続けている篤志面接員(刑務所内で受刑者をサポートするボランティア)の二美仁に会ってもらうためだった。当初は、力也さんが所属していた芸能事務所のオーナーが筆者と同行する予定だったが、急用ができたために代理として来たのが力也さんだった。
羽田空港に現れた力也さんは、急に同行することになったために着の身着のまま。2月だというのにコートすら着ていなかった。その格好で極寒の札幌で耐えられるかと心配だった。だが、そんな小さなことなどまったく気にしない性格の力也さんとは、会ってすぐに意気投合し、札幌の夜を満喫した。この時、酔った勢いで筆者が「本当にケンカ強いの?」と力也さんを挑発。すると彼は、筆者をひょいと持ち上げ、雪の中に思いきり放り投げた。ウワサ通り、強かった。
用事が済んだ次の日、2人で登別温泉へ遊びに行った。深夜、露天風呂に入ったはいいが、あまりの寒さに、出るに出られない。頭に雪が降り積もる。翌日、2人とも風邪を引いて、辛い思いで東京に戻ったことをいまだに忘れない。力也さんとは別れ際に「今度、銀座で飲もう」と約束。しばらくたってから、銀座のクラブで飲んだ。そこで、力也さんの意外な一面を見せられた。
付いたホステスに一目惚れした力也さんは、執拗に口説いたのだ。ホステスは「今日は生理だからダメ」とやんわり断った。後日、力也さんから、同じクラブに誘われた。「あのホステスの生理が終わった頃だろうから、再チャレンジしに行く」と言うのだ。力也さんは、「お前のマンションに行きたい」とホステスを口説いたが、今度は「田舎から母親が来てる」と断られた。
「生理」と言われた時点で、残念ながらフラれたことに気がつくと思ったが、純粋な力也さんはマジに惚れたのかもしれない。案の定、3度目のアタックを試みた。すると、ホステスは生半可な言い訳では通じないと思ったのか、「実は私、格闘家のMさんと付き合っているの」と言ったのだ。Mとは、有名なプロレスラー兼格闘家だった。ホステスの話がウソか真かわからないが、力也さんはその言葉を鵜呑みにして、「Mとは親友。親友の女を口説くわけにはいかない」と引き下がった。力也さんの優しく、男気ある一面を見た思いがした。
力也さんと最後に会ったのは、7~8年前。月刊誌「サイゾー」のインタビューをコーディネイトした時だった。その直後から、病魔との闘いは始まったようだが、豪放磊落な力也さんらしく、最後まで弱音を吐くことはなかったという。酒と食と女をこよなく愛した力也さんに合掌!
(文=本多圭)
「芸能界には戻らない」ついに収監された押尾学 出所後に待ち受けるのは遺族による民事訴訟

芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
3月29日、元俳優の押尾学受刑者が、保護責任者遺棄と麻薬取締法違反の罪により収監された。押尾は刑務所で最長3年6カ月余り、服役することになる。収監前に押尾は「女性自身」(光文社)の取材に応え、一部マスコミに報道されたモデルのNとの獄中結婚の記事について、「なんでわざわざ刑務所の中で結婚しないといけないんですかね。普通は獄中に入る前にするでしょ。確かに彼女は友人だけれど、結婚とか恋愛とかそんな関係じゃありません。その記事で、その女性にどれだけ迷惑がかかっているか、わからないんでしょうかね」と否定した。事実ではないことを書かれることは不本意だろうが、それでも「何をいまさら、きれいごとを言っているな」とあきれざるを得ない。
Nさんに迷惑をかけたのは押尾自身だ。押尾は麻薬取締法違反で逮捕され、保釈後、田中香織さんへの保護責任者遺棄致死罪容疑で逮捕状が出た際に潜伏していたのが、横浜市内にあったNさん名義のマンションだった。この時点でNさんの存在は公になってしまい、彼女はマスコミに追われ、両親との関係も悪化。今は断絶状態だという。押尾が自身の立場をわきまえ、マンションに潜伏しなかったら、こんなことにはならなかったはず。そもそも、田中さんの事件も他人のマンションで起こしたことで、周囲にあれだけの迷惑をかけたのにもかかわらず、自覚に欠けているとしか思えない。その結果、押尾はNさんの家族まで崩壊させてしまったのだ。
押尾は出所後についても「芸能界には戻らないので、出所後は新しいことを始めたいと思います。24歳くらいから考えているビジネスがあるんです。その夢を実現するには、もっともっと勉強しないといけないし、お金だっている。時間はすごくかかるかもしれないけれども、刑務所を出たら、絶対にこれを成し遂げたいと思っています」と語っているが、この発言はまたしても田中さんの遺族感情を逆なでした。
押尾は、田中さんの保護責任者遺棄罪で拘留中、「保釈されたら、田中さんの墓参りと、遺族への説明と謝罪をしたい」と語ったが、保釈後、「遺族が会ってくれない」と、平然とウソをついた。当然、墓参りもしていない。押尾が出所後、まずやるべきことは田中さんへの墓参りと遺族への謝罪。“夢を実現”とはあまりに身勝手すぎる。収監後に弁護士が発表した押尾のコメントでも、反省や謝罪の弁は一言もなかった。
そんな押尾に、遺族は裁判で明らかにならなった真相を民事訴訟で明らかにするために、損害賠償を求める訴訟を起こす。以前から計画はされていたが、押尾が有罪確定後、収監されてしまっては、事件の真相究明のための審議が法廷で十分行われることは厳しくなるため、ペンディングされていた。実際に収監されたことで、民事訴訟は出所後に行われる予定だ。押尾は、人一人の命が失われた事実からはそう簡単に逃げられないことを、刑務所の中でじっくりと思い知るべきだ。
(文=本多圭)

