“裏のフィクサー”に銃弾2発! 政界、警察、国税、暴力団そしてバーニングとの因縁は……?

roppongi_yami10011.jpg
イメージ画像
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  10月6日未明、東京都港区赤坂6丁目の「アイビー化粧品」があるアイビービルに、何者かによって銃弾2発が撃ち込まれるという事件が発生した。  「アイビー化粧品」の大株主は安藤英雄という人物で、このビルの4階には安藤氏の個人事務所「ユウガ」がある。警察関係者によると、今回の銃撃は安藤氏への威嚇目的とみられているという。この人物、一般にはなじみがない名前だが、政界、警察、国税、それに暴力団にも顔が利くという触れ込みで、芸能界では“裏のフィクサー”と呼ばれ、パチンコ・パチスロ業界の黒幕と恐れられている。  数年前、安藤氏の誕生日パーティーが都内のホテルで行われた際に、芸能界の重鎮たちが発起人として名前を連ねたこともあった。また現在、服役中の元俳優の押尾学受刑者が、事務所の反対を押し切って矢田亜希子と結婚したために、一時芸能界から干されたが、その後、押尾受刑者の後見人とウワサされたのも安藤氏だった。押尾の逮捕後、安藤氏は、警察官僚出身の政治家に働きかけて、保釈を画策したともいわれていた。  また、安藤氏と親密な関係にある政治家として、警察官僚出身の亀井静香議員や平沢勝栄議員の名前が挙がっており、国税ににらまれたパチンコ業者が安藤氏に対策を頼みいくとのことだが、その裏工作が功を奏したという話は聞いたことがない。  さらに、暴力団との関係だが、安藤氏は全国の暴力団の組長の名前を呼び捨てにして、「俺が面倒を見てやった」と吹聴したために、暴力団関係者からは「大ぼら吹き」とにらまれている。押尾受刑者の保釈画策の件も然り。ここ数年、安藤氏のメッキが次々と剥がされたこともあって、一時は、安藤氏の息子が経営する赤坂のすし屋――一説には一人、3万円以上取る超高級な店――に、芸能関係者が日参していたにもかかわらず、最近では距離を置くようになったという。  そうした虚像をまとってきた安藤氏に対して、恨みを持っている人物は少なくないといわれている。2001年に“芸能界のドン”と呼ばれる周防郁雄社長の「バーニングプロダクション」に、5月・10月と2度にわたって銃弾が撃ち込まれるという異常な事件が発生したが、“身内の出来事”だっただけにマスコミは取材活動もせずに沈黙した。くしくも安藤氏と周防社長の関係は深い。今回も、この件を積極的に報じるメディアはなく、安藤氏と反社会的勢力との関係性が複雑なだけに、バーニングへの銃撃事件同様、捜査も難航しそうだ。 (文=本多圭)

ビートたけしが愛した銀座のギャルソンよ、永遠なれ

tonomanzai1003.jpg
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  9月8日、東京・港区の青山葬儀場で、7月13日に胆管がんのために62歳の若さで他界した、銀座1丁目のフランス料理店「ピエール・エ・ペリニィヨン」の明永正範取締役会長のお別れ会である「一期一会たった一つの午餐会」が開かれた。  明永氏は、ノンフィクション『銀座の達人たち』(早瀬圭一/新潮社)で銀座のギャルソンの達人として紹介されたが、確かに日本一のギャルソンといっても過言ではない存在感があり、ギャルソンになるために生まれてきたような人で、お客に喜んでもらえるようにひたすら努力をしてきた。  そんな明永氏と筆者との出会いは27年前。神道である妻の父の一年祭法要を、ペリニィヨンで行ったのがきっかけだった。以来、頻繁に店に通っている。  通い初めた頃、店にいちげんで、グルメを気取る田中康夫が一人でやってきたことがあった。田中は有名人であるにもかかわらず、店のギャルソンが自分を優遇してくれないことに腹を立てて、自らが連載を持つ媒体で「店の接客態度が悪い」と批判記事を掲載した。それを見た明永氏は「うちの店は、誰に対しても差別しません」と一言。一方で、厳しい一面を持ち、不当に店の評価を貶めた田中を、その後、出入り禁止にしたというエピソードがある。  有名な料理評論家やグルメライターもよく来たが、彼は一切、媚びることなく対応。彼らの質の悪さを嘆いたこともあった。その後、筆者がビートたけしを店に紹介。気に入ったたけしは、現在も通っているが、今回の会はフジテレビの『平成教育委員会』の特番があって、参加できなかった。  ある日、明永氏から、ペリニィヨンのお客である高倉健さんのタニマチで、建設会社会長の粋な生き方を聞かされて、たけしは感動。筆者に「粋をテーマにした本を書けないか」と相談してきて、出来上がったのが4年前に出版された『下世話の作法』(祥伝社)だった。また、この店がきっかけで、健さんがたけしに「一緒に映画を撮ろう」と働きかけたこともあった。4年前、たけしの弟子で当時は宮崎県知事だった東国原英夫衆議院議員が、自民党からの誘いで、県知事から国会議員にくら替えしようとした時に、たけしが極秘で東国原を東京に呼んで、いさめたのもこの店だった。極秘であるにもかかわらず、複数のマスコミが店の前に駆け付けたが、お店のお客の邪魔になると、手際よく整理したのも明永氏だった。たけしが食事に来た時、弟子は店の外で待機しているが、おなかがすいたらかわいそうだと、必ずサンドイッチを届ける心遣いも忘れなかった。  そんな明永氏だが、数年前にがんに倒れ入院。その後は抗がん剤を打ちながらも、たけしが来る日には余計な心配をかけてはいけないと、無理に顔を出すこともあった。また、常に酒の飲みすぎの筆者の体まで心配してくれた。最後まで働き続け、客への気遣いを忘れることがなかった日本一のギャルソン・明永氏にあらためて、合掌! (文=本多圭)

“芸能界のドン”と昵懇の暴力団幹部が衝撃告白「バーニング社長とモー娘。の不適切なビデオが……」

51FW9x173eL.jpg
『ベスト!モーニング娘。1』(ZETIMA)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  この夏の初め頃から“芸能界のドン”と呼ばれるバーニングプロダクションの周防郁雄社長と暴力団との関係を赤裸々に綴ったブログが、芸能界やテレビ業界を激震させていることは、当コラムでも何度か触れてきた。  例えば、現在はNHK大河ドラマ『八重の桜』のエグゼクティブプロデューサーを務める人物を、かつて周防氏がモーニング娘。のメンバーなどを利用して肉弾接待していたことや、右翼による、みのもんたへの抗議活動を止めさせるために暴力団が裏で動いたなどと、衝撃の告発が続いているのだ。  このブログを運営しているのは、神戸に本拠を置く暴力団「二代目松浦組」系の民族派団体「大日本新政會」。松浦組は、3年ほど前までは周防氏に依頼されて、同氏の用心棒やトラブル処理といった“裏仕事”をしていたが、金銭トラブルをきっかけに関係は破綻したという。最近では、大日本新政會がブログや街宣活動などで、バーニングや周防氏の批判を繰り返している。  そんな中、またしてもショッキングな内容が大日本新政會のブログに掲載された。「モー娘とビデオと周防郁雄」というタイトルの記事だ。  この記事によると、10年ほど前に周防氏はモーニング娘。のメンバーとの「不適切な関係」が映されているビデオを暴力団に握られ、金銭をゆすられていたというのだ。松浦組は、周防氏に依頼されてこのトラブルを処理したものの、周防氏がいまだその時の約束を守っていないことに憤慨している様子なのである。長くなるが、当該記述を引用してみよう。 「『会長なんとか助けてください、お金はいくらかかっても』 そう言ってバーニングプロダクション社長の周防郁雄が泣きついてきたのは、彼のトラブル処理や身辺警護を始めて、2年も立たないうちだろう。(中略)聞くと、ある組織の組員にまずいビデオを握られているという。そのビデオというのは、周防と当時、モーニング娘のメンバーだった女性との不適切な関係がはっきりと映っているものだそうだ。(中略)そんなモー娘との決定的現場のビデオを押さえた組員の目的は、もちろん金だ。そもそも恐喝されたなら、周防も警察に駆け込めばいいものだが、そうもいかない事情があるわけだ。周防はすでに、その組員にいくらか金を払うなどして火消しに必死だったようだが、ビデオのコピーは手元にあるものの、原本が相手に握られたままとのことで、『どうにか(流出を)止めてください』『1億円もってきますから』と、焦り倒して、泣きついてきたわけである。周防はこんなことも言っていた。『女性にも相手(彼氏のことか?夫のことか?)がいるから、迷惑をかけられない。かわいそうだから、どんなことがあっても止めて下さい』と」  周防氏は当時、還暦を過ぎているはず。しかも、タレントに手を出すことなど、芸能プロ社長としてはタブー中のタブー。そんな立場でありながら、モー娘。のメンバーと関係を持つなどとはにわかに信じがたいが、記述は続いていく。 「その組織というのは、九州などでも活動する指定暴力団傘下の組だった。そこの組長はこちらも知っている仲なので、口利きしてやることにした。キャピタル東急で示談交渉を設定。組長に周防と話し合いをしてもらったが、当日周防はある格闘技界の実力者を連れてきた」  この格闘技界の実力者とは、当時K-1のプロデューサーとして活躍して、周防氏とも昵懇だった正道会館の石井和義氏と思われる。その石井氏を用心棒として連れてきた周防氏は「約束した1億円を用意せず、どうするのかと思ったら『今動いている仕事がうまくいけば、数億円は渡せるので、それでよろしいでしょうか』と、調子のいい話を出してきた」という。対して、松浦組は「こちらも人がよかったから、その話を信じたし、組長もこちらの顔を立ててくれて、その後、ビデオが流れることはなかった。芸能界のドンのスキャンダルは闇に葬られ、モー娘も救われたわけだ。ところが、それから10年が経とうかと言うのに、周防はその金を用意するどころか『そんなことは言ってない』と逃げ回っている。仲介してもらった組長にも申し訳が立たない」というのだ。両者の関係悪化の要因は、こんなところにもあったことがうかがえる。  大日本新政會の関係者によると、松浦組の笠岡和雄会長は、かつて周防氏に新規事業の資金として10億円以上の巨額の貸付を行ったが、事業が頓挫した現在も周防氏からは返済が行われず、当初約束されていた用心棒代やその関連費用なども支払われていないという。しかも、そうした請求に対して、周防氏側は「心当たりがないこと」として、返済の意思を示さないという。  一方で大日本新政會のブログによると、松浦組には周防氏の使いとして、複数の暴力団員がやってきて、「事業自資の回収を待ってほしい」と依頼してきたという。さらに、前出の関係者によると「ヒットマンらしき人物まで松浦組の事務所にやってきた」というのだから、穏やかではない。大日本新政會による、執拗なバーニング攻撃の裏には、そういった因縁があるようだ。  周防氏側はこれらのブログの内容を否定しているようだが、現時点で法的処置などには踏み切っていない。黙殺するのが得策だと思っているのか、反撃の手段を練っているのかは不明だ。ちなみに、警視庁組織犯罪対策第4課の捜査員は「どこまで暴力団と周防社長との関係を暴露してくれるのか。興味深く、今後のブログに期待しています」と言っている。当局の動きも含めて、しばらく注目する必要がありそうだ。 (文=本多圭)

「干されても、干されても」ビートたけしを“もっこり”させた、不死鳥タレント・岡本夏生のたくましさ

518cKc6hnHL._SL500_.jpg
『瞳の毒―岡本夏生写真集』(ワニブックス)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  タレントの岡本夏生が、9月10日の情報番組『5時に夢中!』(TOKYO MX)の生放送内で、48歳の誕生日を前に「47年の垢を落としたい」と断髪式を行って、丸刈りになった。この話を聞いて、岡本という女は、芸能界で生き抜いていくためにはどんなことでもする、たくましいタレントだと、あらためて痛感した。  岡本は「日清カップヌードルレーシングチーム」のレースクイーンとして脚光を浴びて芸能界デビューしたが、その頃から“年齢詐称疑惑”が上がっていた。しかし、岡本は疑惑を否定も肯定もせずに、それを利用して、知名度を高めていった。同時に「たけし軍団」を通じて、ビートたけしに接近。たけしにかわいがられて、たけしと故・逸見政孝さんが司会を務めた『平成教育員会』(フジテレビ系)などのバラエティ番組に出演するなど、故・飯島愛や杉本彩らと共にセクシーバラエティタレントとして活躍した。  しかし、売れたことで“地”が出たのか、女性誌に、購入した商品の“返品癖”や、クレーマーとしての傲慢な態度がバッシングされた。その後、事務所のスタッフも、岡本の異常ともいえるクレーマー体質に耐えかねて辞めていったという。同時にレギュラー番組を次々に降板させられ、岡本は芸能界から干された。  筆者が岡本と親しかったお笑いタレントに聞いた話によると、彼女が業界関係者から距離を置かれるようになったきっかけは、テレビ局の控室で、自分が着ていた毛皮のコートに針が刺さっていたと大騒ぎしたこと。だが、事の真相は、彼女が周りの気を引くための狂言だったとか。都市伝説とも思える真偽不明のエピソードだが、当時の岡本を知る筆者にとっては、さもありなんな話だと思った。  業界の一線から消えた岡本は、芸能界の“ゴルフブーム”に着眼。芸能界の中でもゴルフがうまいといわれる野口五郎に接近し、碑文谷のゴルフ練習場で彼にゴルフを習って、プロアマの試合に出場。ゴルフを通してタレントや業界関係者との親交を深め、徐々に再起を果たし、2009年には、40代半ばの超ハイレグ姿と壊れたキャラを武器にバラエティ番組に復帰、再びブレークすることに。一昨年には、ビートたけしが審査委員長を務める「東京スポーツ映画大賞」のエンタテインメント部門で、“カムバック賞”を受賞。授賞式に現れた岡本のド迫力に、久しぶりに会ったたけしは度肝を抜かれていた。  その後も、キャラに磨きをかけて活躍しているが、やはり若い勢力には勝てないのか、ゴールデンタイムの番組の露出は目立っていない。しかし、めげずに話題作り。丸刈りまでしてしまうたくましさには脱帽する。同時に痛々しく思えて、物悲しくもある。というのも、昔、たけしが岡本のTバックを見て、もっこりしたことがあるとインタビューで語っていたが、筆者も岡本のTバックにもっこりしたひとりだったからだ。それだけに、今後もどんな話題を提供してくるのか期待している。 (文=本多圭)

「引退はしない!」報道陣に逆ギレのみのもんた 明らかになる暴力団との蜜月関係

minomonta0916.jpg
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  次男で日本テレビ社員の御法川雄斗が窃盗未遂容疑で逮捕されたことを受け、当面、司会を務めるTBS系の『みのもんたの朝ズバッ!』など、報道番組への出演を自粛することを明らかにしたみのもんた。だが、自宅に押しかけた報道陣の「引退はしないんですか?」という質問に逆ギレしたという。しかし、みのはとっくに引退していてもおかしくない立場であることがわかった。  みのと引退といえば、2年前の9月23日に放送された日本テレビ系の『真実発掘ミステリー 歴史はこうして作られる』の放送中に、突然「引退します」と発言して、視聴者を驚かせたことを記憶している人もいるだろう。司会の羽鳥慎一が「引退するんですか?」と聞くと、「僕も来年3月に引退の身ですから」と、具体的に引退の時期も明かした。ところがその後、みのは“番組内でのジョーク”だということにして、一笑に付した。人騒がせな茶番劇だったわけだ。  ところが、今回の息子の逮捕がきっかけで、筆者は当時、みのが本気で「引退する」と言っていたという事実と、その裏にあった真相をつかんだ。その真相とは、すでに当コラムで報告した(記事参照)が、神戸に拠点を置く非指定暴力団「二代目松浦組」系の民族派団体「大日本新政會」のブログに書かれた、みのに関する記事がきっかけだった。  再度、この記事の内容を簡単に説明すると、みのが社長を務める水道メーター製造販売会社「ニッコク」が、03年に東京都発注の水道メーターをめぐる談合事件で東京地検特捜部に家宅捜索されたことで、右翼団体が抗議行動を起こした際、松浦組が“芸能界のドン”と呼ばれるバーニングプロダクションの周防郁雄社長を通じて、みのから、抗議行動の沈静化および終息を依頼され、解決に当たったというものだっだ。  筆者がこの記述の存在を知ったのは、今年6月の終わりころだが、実は、すでに2年前にネット上にはアップされていたのだ。このことを知ったメディア関係者のAさんは、TBSと警察に対して、こんな動きをしたという。 「TBSで報道番組の司会を務めるみのが暴力団を使うとはけしからんと思い、TBSに内部調査を依頼したんです。また、警視庁も調査に動いたんです。警視庁が『大日本新政會』に事実関係を確認したという話も聞きました。結果、TBSもみの自身も事態を重く見て、みのは引退するという話になった。それが、テレビでの引退発言につながったんですよ。ところが、いつの間にか茶番劇になって、引退はほごにされてしまったんです」(Aさん)  当時は、島田紳助が暴力団との関係を認め電撃引退した直後だが、そのきっかけも、紳助が自身に対する右翼の抗議活動の沈静化を暴力団に頼ったことだった。みのも同じことをしながら、自身の番組で紳助引退のニュースを扱っていたわけだ。どんな気持ちで、あのニュースにコメントをしていたのだろうか。  筆者は「大日本新政會」の幹部に事実関係を取材した。 「ブログに書いたみのの件で、警視庁から事実かと問い合わせがあったんで、すべて事実だと答えた。しかし、みのが“引退する”と宣言したと聞いて、それ以上、攻撃するのをやめたら、引退を茶番にしてしまった。まったく責任感のない男だよ」とあきれる。  セクハラ疑惑や息子の問題からは逃れられても、暴力団をトラブル処理に使った事実は消せない。もはや、二枚舌を使うことは許されない。2年前の言葉通り、今度こそ引退すべきだ。 (文=本多圭)

“セクハラ常習”みのもんた、過去の談合騒動で暴力団関係団体と密接交際疑惑が発覚か

fewalhfwe.jpg
「口説きながら麻布十番」
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  TBSの『朝ズバッ!』の司会を務めるみのもんたのセクハラ疑惑が問題になったが、みののセクハラは今に始まったことではない。筆者の知る限り、日本テレビの『午後は○○おもいッきりテレビ』時代からそうだった。しかも、“夜の銀座の帝王”と呼ばれながら、銀座ではパワハラでホステスたちを泣かせていたのだから、今回の件もさもありなんだ。  みのはテレビ局や、社長を務める水道メーター販売会社「ニッコク」の関係者を連れて、銀座のクラブでよく豪遊していたが、自分に付いたホステスに一気飲みを勧めることも珍しくなかった。ホステスは大事なお客様ということで断れず、やむなく一気飲み。その結果、酔いつぶれて、その日はダウンし、働くことができないなんてこともあったという。ホステスをそんな目に遭わされた店の経営者も、みののパワハラに泣かされていたわけだ。“銀座の帝王”と呼ばれていい気になっているようだが、実際は招かれざる“裸の王様”だったようだ。  そんなみのの資質を問題視して、「報道番組の司会にはふさわしくない」との声も上がっているようだが、それより筆者は、民族派団体「大日本新政會」の事務局がサイトで告発した内容のほうを問題にすべきだと思う。  大日本新政會とは、神戸に本拠を置く、住吉会系の暴力団「二代目松浦組」系列の民族派団体で、夏ごろからこの団体のWEBサイトが、芸能界、それに警視庁関係者の間でも注目されている。なぜなら、“芸能界のドン”と呼ばれるバーニングプロダクションの周防郁雄社長と暴力団との関係が赤裸々に綴られているからだ。また、みのに関する記述も「芸能界のトラブル解決においても数多く依頼され、『朝ズバッ!』で有名な『みのもんた』においても周防社長が救済を求めてきた」から始まる。  以下、全文を紹介する。 <芸能界のトラブル解決においても数多く依頼され、「朝ズバッ!」で有名な「みのもんた」においても周防社長が救済を求めてきた。2003年7月3日東京都発注の水道メーター納入をめぐる談合事件で、東京地検特捜部は、新たに談合に参加したとされる中小業者などを家宅捜索した。この中にはタレント「みのもんた」=本名御法川法男(当時58)が社長を務めるメーター製造会社「ニッコク」も含まれていた。これが、右翼団体である「政治結社新政同志会」に強烈に攻撃される事となり、この沈静化及び終息においても周防より依頼を受け問題追及されないよう取りはからったのだが、依頼金額で受け取ったのは30万だった街宣活動には実質80万程かかり差額の50万は私が出す事となった。みのもんたは、一時、引退しますとしょげていたが、銀座での豪遊を見ていると、残金50万は「みのもんた」に請求するしかないな!>  確かに、みのが社長を務めるニッコクが談合事件で家宅捜索を受け、公取から排除勧告を受けたのは事実。右翼の街宣車が抗議行動を起こしたのも事実。その裏で、まさか暴力団関連組織である大日本新政會に問題の解決を依頼していたとは信じられない。この記述が事実なら、即刻『朝ズバッ!』を降板、その他の番組も降りるべきだ。  一昨年8月に暴力団との関係を認めて電撃引退した島田紳助は、右翼の街宣活動を鎮静化させるために暴力団に依頼したのがきっかけで、暴力団との交際を深めていった。みの自身が直接依頼したわけではなくても、結果責任は伴う。まずは、セクハラ疑惑ともども事実関係を明らかにし、仮に問題行動が事実であれば、これ以上晩節を汚すことなく引退すべきだろう。 (文=本多圭)

ベテラン芸能記者・本多圭が回顧する、“怨歌歌手”藤圭子さんの素顔とは

31sY7XnBhgL.jpg
「圭子の夢は夜ひらく」(株式会社ミュージックグリッド)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  宇多田ヒカルの母親で演歌歌手の藤圭子さんが、8月22日早朝、新宿区内のマンションから飛び降り自殺した。享年62歳の若さだった。  今年3月、藤さんにとっては“恩師”といわれる作詞家の石坂まさをさんが亡くなった際、関係者が藤さんに連絡を取ろうとしたが、誰も彼女の連絡先を知らず、行方不明だったという。その藤さんが、デビュー曲「新宿の女」のキャンペーン時、石坂さんと駆け回っていた新宿という街にあるマンションから飛び降り自殺したというのは、因縁めいたものを感じた。  藤さんは69年に同曲でデビュー。この曲は「バカだな バカだな だまされちゃって♪」というフレーズが、70年代の全共闘世代の若者たちの共感を呼んだ。70年に発売された「圭子の夢は夜ひらく」はさらなる大ヒット、その年の音楽賞を総ナメにした。翌年には前川清と電撃結婚し、世間どころか、恩師である石坂さんをも驚かせた。しかし、結婚生活は長く続かず、1年で離婚。デビュー当時から藤さんを知る音楽関係者は「藤圭子はまだ、大人の女になりきっていなかったために、夫婦生活がうまく行かなかった」と当時、筆者の取材で語っていた。  その後、藤さんは79年に突然、引退を発表。アメリカに渡ったが2年後に帰国して、歌手復帰。翌年にはアメリカ滞在中に知り合った宇多田照實氏と再婚し、長女・宇多田ヒカルを出産した。夫婦でバックアップしてヒカルをデビューさせた後に、宇多田氏と離婚、再婚を繰り返して、07年に完全別離した。  離婚と前後して、藤さんはケネディ空港で所持していた42万ドルを没収された。その金はラスベガスのカジノで使う予定の金だった。藤さんはデビュー間もない頃にマージャンを覚え、それ以来、時間があればマージャンに没頭する無類のギャンブル好きだった。09年には、没収された42万ドルは返却されたが、それ以降、藤さんの消息は不明だった。日本に戻っているという情報もあったが、藤さんは業界関係者と一切、連絡を絶っていたことから、居場所はわからなかった。  しかし、今年3月の恩師の石坂さんの葬儀には姿を現すと誰もが期待していたが、ついに藤さんの姿を見ることはできなかった。藤さんと石坂さんの関係を知る音楽関係者は「藤さんは、石坂さんにさんざん利用されたと思い込んでいて、石坂さんを恨んでいました。彼のことだけじゃない、寄って集って彼女を食い物にした業界関係者を恨んでいましたよ。だから日本に戻ってきても、芸能関係者とは連絡を絶っていたんです」という。  筆者は藤さんが電撃引退して、2年足らずで復帰した姿勢について批判する記事を書いたことがあった。その記事に激怒した藤さんは、営業先だった立川市のキャバレーに筆者を呼びつけて、芸能界への恨みつらみを延々語り、深夜まで帰してくれなかったという苦い思い出がある。ここで藤さんは、石坂さんに、金銭面でも労働面でも過酷さを強いられ、そこから逃げる意味もあって、電撃引退したようなことを話していた。だが、復帰後の藤さんもその状況に満足しているようではなく、被害者意識が強かったような気がする。当時から、藤さんは芸能界というもの自体に怨念を持っていたのかもしれない。  それから、約30年の歳月が流れて、演歌ではなく、怨歌といわれた曲を歌い続けていた藤さんは芸能界との関係を絶って、この世を去った。亡くなった翌日23日は、皮肉にも石坂さんを偲ぶ会の日だった。あらためて、藤さんに合掌! (文=本多圭)

音事協理事や会社経営者にグラビアアイドルを斡旋した、“六本木闇女衒”と“Fチルドレン”の存在

roppongi0809.jpg
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  市川海老蔵殴打事件や六本木襲撃事件で世間を震撼させた半グレ集団「関東連合」の元最高幹部と名乗る工藤明男が、6月末に発売した著書『いびつな絆 関東連合の真実』(宝島社)。同書はいまだに業界内外で反響を呼んでいるが、本全体の内容もさることながら、ひときわ目を引いたのは「海老蔵事件の現場になったラウンジバーの経営者Fは、西麻布の夜を彷徨い徘徊するアイドルやモデルたちを手なずけていた。それを揶揄して『Fチルドレン』と呼ぶ者もいる。Fチルドレンは、やはり西麻布の夜を徘徊する経営者たちの接待をする。そこに集う経営者たちも、やはり、Fチルドレンだった。かのグッドウィル・グループの元会長の折口雅博氏もその一人だった」と記述している件だ。  「Fチルドレン」のFとは、元Jリーガーで“闇女衒”と呼ばれる関東連合周辺者の古山義邦のことだ。古山の名前を知ったのは、今から10年ほど前。折口氏のお抱えの女衒として、彼の名前が出てきたのだ  グッドウィル・グループといえば、子会社のコムスンが2007年、厚生労働省から介護報酬の不正請求を指摘されたことを発端に、“介護を食い物にした悪徳企業”として糾弾され、社会問題に発展した。折口氏はそうして得た金で古山を使い、グラビアアイドルの南明奈や矢吹春奈らとの“出会いの機会”を作らせていたという疑惑があった。要は、古山は財界と芸能界をつなぎ、タレントを斡旋する立場だというのだ。  そんな疑惑の取材過程で、Fチルドレンの一人として浮上したのが、日本音楽事業者協会の理事を務めている中堅プロ「G」のK社長だった。情報提供者によると「Kは、古山に斡旋してもらった女性タレントの卵に、有名芸能プロのオーナーの親族だと言って安心させ、付き合っていた」という。  古山の常連というより、タニマチ的な存在だった折口氏と親しかったのは、強引な勧誘手法が社会問題になっていたエステサロンや化粧品販売の「クリーク」のY社長だった。Yは一時、芸能プロを経営。その頃に、K社長とも昵懇の仲だったことから、折口、K、Yの3人は共通の“ロリコン趣味”でつながったようだ。  それにしても、音事協の理事を務めるK社長が、古山に売れない女性タレントを斡旋してもらったことが事実だとしたら、音事協の信用問題にも関わる。K社長自身、タレントをマネジメントする資格はない。  前述の書『いびつな絆』では「『Fチルドレンに群がる経営者たちはコケる』とジンクスがあるが、実は太一(石元)もこのFと気が合って頻繁につるんでいた」とある。  折口氏然りだが、古山と親しく付き合っていた元俳優の押尾学受刑者も、銀座ホステスの田中香織さんへの保護責任者遺棄致死罪と覚せい剤取締法違反の罪で、いまも獄中の身。芸能プロのK社長も、今年の初めに鳴り物入りで大型新人歌手をデビューさせたもの、まったく売れず、途方に暮れているという。皮肉にも、このジンクスは当たっているかもしれない。 (文=本多圭)

ビートたけしが振り返る、“しずちゃんのボクシング師匠”故・梅津正彦氏の素顔

61fIdEPw6+L._AA12380807.jpg
『南海キャンディーズ・しずちゃん ボクシングドキュメタリー~ロンドンへの挑戦~(仮)』(よしもとアール・アンド・シー)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  先日、久しぶりにビートたけしと銀座で食事して、7月23日に悪性黒色腫で44歳の若さで亡くなった、ボクシングコーチでアクションディレクターの梅津正彦さんとの秘話を聞かされて、感動した。  梅津さんは、南海キャンディーズの“しずちゃん”こと、女子ボクシングの山崎静代選手の専属コーチとして知られているが、このほかに、ジャニーズの山下智久や亀梨和也、それに高橋克典らにボクシングを教えていた。その梅津さんが芸能界と深い関わりを持つようになったのは、1996年に公開された北野武監督の6作目作品『キッズ・リターン』だった。この作品で、主演の安藤正信や金子賢らにボクシング指導したのが、梅津さんだったのだ。  『キッズ・リターン』に出演したたけしの弟子のお宮の松は、それ以来、梅津さんと親しく付き合っていたという。2012年1月27日に、太ももにできた腫瘍に悪性の疑いがあると宣告された梅津さんは、お宮の松に「北野監督はオレを芸能界に入れてくれた人。心配かけたくないから、監督には病気のことは絶対言わないでくれ」と口止めしたという。さらに、亡くなる前日も、「監督には心配かけたくないから、言わないでくれ」と言っていたという。  この話を聞いて、筆者は10年前に膀胱がんで37歳の若さで亡くなった友人を思い出した。友人は九州の焼酎の蔵元の息子だったが、高校進学で東京に出てから、ゲイの世界に入ったために、家を継がなかった。その彼ががんの告知を受けて入院。退院後、筆者の誕生日パーティーに来た時に「大丈夫か?」と声を掛けたが、「大丈夫よ、私は本多の葬儀委員長をやるんだから、あなたより先に死なないから」と言ったにもかかわらず、2カ月後に他界した。亡くなる前日、九州から駆けつけた母親に「ゲイの世界に入ってごめんなさい」と詫びたという話を聞いて、涙が止まらなかった。たけしも、お宮の松から梅津さんが「芸能界に入れくれた人に心配をかけたくない」と言っていたということを聞いて、感動したという。「今どき義理堅い、こんな素晴らしい男がいたんだよね。弔問に行ってきたよ」と言って、たけしは少し涙ぐんでいた。  そのたけしだが、その日は、フジテレビの『27時間テレビ』用の収録で膝を怪我したらしく、痛々しい姿で現れた。66歳となった今も、芸人として体を張りつつ、映画人としても妥協をしない。そんな姿勢が、梅津さんにも愛されたのだろう。サービス精神はわかるが、危ないことは若い連中に任せて、そろそろ卒業してもらいたい。 (文=本多圭)

“裏切り”相次いでも……サンミュージック故・相澤秀禎会長のアイドルたちへの思い

norip0527.jpg
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!  「僕は生涯現役マネジャーだよ」と言っていたサンミュージックプロダクションの相澤秀禎会長が5月23日、すい臓がんのために他界。享年83歳だった。  筆者は長年、相澤会長の会長室で、月に一度は芸能界の情報交換や世間話をしてきた。亡くなる10日くらい前に相澤会長の携帯に電話したところ、女性が電話口に出て「今、検査中で出られません」と切られて以降、電話がつながらなくなったので嫌な予感がしていたが、まさかがんだとは思わなかった。  相澤会長は、筆者に一度もがんだとは言わなかった。健康には気を遣い、月に一度は主治医がいる大学病院で定期検査して、異常がなかったと聞いていたからだ。むしろ、“どこどこの事務所の社長が大腸がんだって”と他人を心配していたほどだった。  相澤会長は人柄もよく温厚で、業界関係者からは“相さん”と呼ばれて愛されたが、その寛容な人柄が仇になったのか、自ら育てた女性タレントに裏切られることが多かった。  相澤会長は、俳優で現・千葉県知事の森田健作を第1号タレントして、サンミュージックを設立。その後、桜田淳子をはじめ、松田聖子、早見優、故・岡田有希子、それに酒井法子といった女性アイドルを育て上げて、一時、“女性アイドルの宝庫”といわれる時代があった。  相澤会長は、そんなタレントたちをデビュー前から自宅に下宿させ、家族同然に育てるというのが方針だった。しかし、親の心子知らずで、彼女たちに裏切られることが多かった。86年には、スターの座をつかんだ岡田有希子が、事務所のビルの屋上から飛び降り自殺。3年後には、松田聖子に早朝、自宅に呼び出されて、一方的に独立を宣言されたという。聖子の男性スキャンダルを体を張ってガードしてきた相澤会長にとって、これほど屈辱的なことはなかっただろう。その後、桜田淳子が、霊感商法が社会問題になった統一教会の“合同結婚式”に事務所の反対を押し切って出席。マスコミからバッシングを浴びたこともあり、相澤会長は断腸の思いで、桜田を追放した。  相次ぐ裏切りに嫌気が差したのか、その後、女性アイドルのマネジメントを手掛けることがなくなった相澤会長。代わって、息子の相澤正久社長はお笑いのマネジメントに積極的に取り組んで、芸人を次々に売り出した。相澤会長が筆者に「うちはお笑いばかりで、サンミュージックではなく、サンバラエティになった」と、うれしそうに語っていたことを忘れない。  09年には本社を、故・岡田さんの自殺現場として有名になった四谷4丁目のビルから四谷3丁目のビルに移転。直後に、酒井法子が覚せい剤取締法違反で逮捕された。実は逮捕される約7カ月前、筆者は相澤会長に、酒井がクスリをやっているという、ある人物から聞いた情報を伝えた。会長は酒井を呼び出して問いただしたが、彼女は頑強に否定したという。ところが、情報は当たっていたのだ。  酒井に裏切られた相澤会長は、今年に入って、久しぶりに手がける女性アイドルグループ「さんみゅ~」を売り出すのを楽しみにしていた。その思いもかなわぬまま、他界。さぞ、無念だっただろう。芸能界のアイドル史を作り上げた相澤会長にあらためて、合掌! (文=本多圭)