芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
みのもんたが日本テレビの『秘密のケンミンSHOW』の収録後、“都落ちタレント”と呼ばれている加藤晴彦を連れて、銀座のクラブで豪遊している現場が、最近たびたび目撃されている。
「以前から、みのは加藤を連れて、銀座7丁目のクラブ『B』に来ていました。次男の事件以降は一時姿を見せなくなっていたんですが、今年に入って、再び加藤を連れて飲み歩いています」(親しいクラブ関係者)
加藤を知る制作会社プロデューサーによると「現在、加藤のレギュラー番組は、出身地の名古屋ローカルのスポーツ番組1本ですからね。復活したみのにたかって、キー局への再起を狙っているんだと思いますよ」という。
1990年代から2000年代にドラマやバラエティ番組で活躍した加藤は、06年3月にフジテレビの恋愛バラエティ番組『あいのり』のMCを降板後、仕事が激減。所属していた大手芸能プロ・アミューズとの契約もいつの間にか切れて、“都落ちタレント”と呼ばれるようになった。
凋落の原因は、加藤の女癖の悪さと、テレビ局のスタッフに対する傲岸不遜な態度だといわれている。加藤は今年7月に、名古屋のテレビ局に勤める30代の一般女性と結婚したが、それまでは女優の内山理名をはじめ、気に入った女性は片っ端から口説いたという。しかも、口説き文句は「俺、福山雅治と友達だから」。なんとも卑劣でしょぼいやり方だ。
確かに、加藤は全盛期に福山と同じマンションに住んでいて、仲が良かった。当時、加藤はロングブリッジという事務所に所属していたが、その前はサンミュージックに所属していたことはあまり知られていない。昨年5月に亡くなったサンミュージックの相澤秀禎会長は「加藤はうちにいたんだよ。いつの間にかいなくなったと思っていたら、清水美沙を連れて独立した女マネジャーの事務所にいた。マネジャーもそうだけど、平気で不義理をする男だ」とあきれていた。
そのロングブリッジから福山が所属するアミューズに移ったのは、福山の紹介であることは想像に難くない。一見世渡り上手に見えるが、女を口説くのに他人の名前を利用したり、テレビ局のスタッフに対して横柄な態度を取るようでは、周囲から信頼は得られない。結果、アミューズをお払い箱になり、今の惨状があるのではないか。
みのが社長を務める水道メーター製造販売会社「ニッコク」は昔、名古屋にあったこともあって、加藤をかわいがっているようだ。
みのはちょうど1年前、次男の事件が原因で自身のタレント生命が危ぶまれたが、持ち前のリップサービスと、テレビ局のスタッフへの接待攻勢が功を奏して復活した。特に『ケンミンSHOW』のプロデューサーやスタッフを銀座のクラブ接待で籠絡、力を取り戻した。加藤が『ケンミンSHOW』に準レギュラー出演しているのは、みのの後押しがあるからだ。結婚し、ここ数年は苦渋も味わってきた加藤が、みのの力で復活できるかは、女癖の悪さと不遜な態度を改められているかにかかっている。
(文=本多圭)
みのもんたが“都落ち”加藤晴彦を連れて銀座を大豪遊中!?「加藤がみのを利用して……」
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
みのもんたが日本テレビの『秘密のケンミンSHOW』の収録後、“都落ちタレント”と呼ばれている加藤晴彦を連れて、銀座のクラブで豪遊している現場が、最近たびたび目撃されている。
「以前から、みのは加藤を連れて、銀座7丁目のクラブ『B』に来ていました。次男の事件以降は一時姿を見せなくなっていたんですが、今年に入って、再び加藤を連れて飲み歩いています」(親しいクラブ関係者)
加藤を知る制作会社プロデューサーによると「現在、加藤のレギュラー番組は、出身地の名古屋ローカルのスポーツ番組1本ですからね。復活したみのにたかって、キー局への再起を狙っているんだと思いますよ」という。
1990年代から2000年代にドラマやバラエティ番組で活躍した加藤は、06年3月にフジテレビの恋愛バラエティ番組『あいのり』のMCを降板後、仕事が激減。所属していた大手芸能プロ・アミューズとの契約もいつの間にか切れて、“都落ちタレント”と呼ばれるようになった。
凋落の原因は、加藤の女癖の悪さと、テレビ局のスタッフに対する傲岸不遜な態度だといわれている。加藤は今年7月に、名古屋のテレビ局に勤める30代の一般女性と結婚したが、それまでは女優の内山理名をはじめ、気に入った女性は片っ端から口説いたという。しかも、口説き文句は「俺、福山雅治と友達だから」。なんとも卑劣でしょぼいやり方だ。
確かに、加藤は全盛期に福山と同じマンションに住んでいて、仲が良かった。当時、加藤はロングブリッジという事務所に所属していたが、その前はサンミュージックに所属していたことはあまり知られていない。昨年5月に亡くなったサンミュージックの相澤秀禎会長は「加藤はうちにいたんだよ。いつの間にかいなくなったと思っていたら、清水美沙を連れて独立した女マネジャーの事務所にいた。マネジャーもそうだけど、平気で不義理をする男だ」とあきれていた。
そのロングブリッジから福山が所属するアミューズに移ったのは、福山の紹介であることは想像に難くない。一見世渡り上手に見えるが、女を口説くのに他人の名前を利用したり、テレビ局のスタッフに対して横柄な態度を取るようでは、周囲から信頼は得られない。結果、アミューズをお払い箱になり、今の惨状があるのではないか。
みのが社長を務める水道メーター製造販売会社「ニッコク」は昔、名古屋にあったこともあって、加藤をかわいがっているようだ。
みのはちょうど1年前、次男の事件が原因で自身のタレント生命が危ぶまれたが、持ち前のリップサービスと、テレビ局のスタッフへの接待攻勢が功を奏して復活した。特に『ケンミンSHOW』のプロデューサーやスタッフを銀座のクラブ接待で籠絡、力を取り戻した。加藤が『ケンミンSHOW』に準レギュラー出演しているのは、みのの後押しがあるからだ。結婚し、ここ数年は苦渋も味わってきた加藤が、みのの力で復活できるかは、女癖の悪さと不遜な態度を改められているかにかかっている。
(文=本多圭)
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
清原和博がついに離婚した。今年6月、当コラムで清原が銀座のクラブで「俺、離婚するから」と言ってはホステスを口説いていると報告したが(
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!
宮沢りえの母親で、彼女の所属事務所である「エムツー企画」の代表取締役を務めていた“りえママ”こと宮沢光子さんが、肝腫瘍のため23日に亡くなった。享年65歳という若さだった。
りえママは、“豪腕ステージママ”としてりえをトップアイドルに育てたが、業界では“芸能界のドン”と呼ばれるバーニングプロダクションの周防郁雄社長の力さえ及ばず、ビートたけしも舌を巻く人物として怖れられた。
りえは、11歳で三井のリハウスのCMの白鳥麗子役でブレークしたが、デビュー前から「六本木にある業界人ご用達のすし屋に、めちゃかわいい美少女がいる」と有名だったという。シングルマザーになったりえママは、昼は保険の外交員、夜は銀座の小さなクラブでホステスをしていた。りえがデビュー後、筆者はりえママの同僚だったホステスから、当時の事情を聞くことができた。それによると、りえママは当時、六本木のすし屋「F」の若旦那の恋人だったという。その関係で、りえをそのすし屋に預けていたために、常連だった芸能関係者の目にとまったというわけだ。
一方、酒乱のりえママは嫉妬深く、酔うと、すし屋のカウンター越しに若旦那におしぼりを投げつけたり、自宅から「自殺する」と店に電話をかけてきたという。そのたびに職人たちは、りえたちが住んでいた大泉学園まで様子を見に行かされたそうだ。
そんなりえママのエキセントリックな性格は、りえのマネジャーになって、いかんなく発揮された。デビュー時に所属していた事務所は、周防社長の息がかかった「Eプロ」だったが、CMでブレークした途端に独立。その強引さに加え、すし屋を舞台に築いた芸能界のさまざまな人脈をちらつかせる姿に、さすがの周防社長もなすすべがなかったという。
独立後のりえママは、利用できるとにらんだ芸能人、映画やドラマのプロデューサー、それに広告代理店関係者を取り込んでいった。ビートたけしも、そのひとりだった。
たけしとりえは、1992年に放送された即席ラーメンのCMで共演。CMのロケで欧米に行った際、宿泊したホテルの部屋に深夜、突然、りえが「ママに言われて来た」とやって来た。たけしは、りえを傷つけないように「早く帰って寝なさい」と帰した。たけしの良心で“逆夜這い”は未遂に終わったが、母親が娘に枕営業を勧めようとしたのだ。
その後、りえは松竹映画『豪姫』で主演を演じた。当時、松竹で“奥山ジュニア”と呼ばれていた奥山和由プロデューサーにりえママがすり寄って、主役に抜擢させたのだ。同時に、内田裕也も取り込んで映画『エロティックな関係』に出演させた。りえは当時、若手歌舞伎役者の市川海老蔵(当時は市川新之助)らと遊び歩いてウワサになったが、りえママの反対に遭って、交際には発展しなかった。
ところが、なぜか故・中村勘三郎さんとの関係は、不倫であるにもかかわらず交際を認めた。筆者は2人の関係を、友人が経営する六本木のバーでつかんだ。夏のある日、当時の勘九郎さんはりえとりえママに連れられて、初めてその店に来たという。カウンターだけのバーで、りえママは一番端に座った。クーラーが切れたということで、店のオーナーがクーラーを叩いたところ、クーラーから水があふれ出して、りえママの頭にドサッとかかってしまった。オーナーは平謝り、りえママは赤ワインのグラスに吸いかけの煙草を入れて「これが私の答えよ」と帰っていったという。その間、勘九郎さんは傍らで笑いをこらえ、帰り際に「面白い店だ。また来ます」と言ったそうだ。
その後、りえは勘九郎さんとの不倫の末に京都で自殺未遂を起こしことで摂食障害に陥り、女優生命が危ぶまれたが、その後、見事に女優復帰した。りえママの反対を押し切って元サーファーと“できちゃった婚”したが、夫婦関係がうまく行かず別居。離婚問題が片付かないまま、りえママは他界した。
“一卵性双生児”とまでいわれたりえママとりえだったが、二度とあんな豪腕マネジャーは現れないだろう。りえの、今後の生き方に注目したい。
(文=本多圭)






